【Summary】
Wajima City, a historic port town and a key hub of Oku-Noto, is famous for Wajima lacquerware and its morning market. Its historical and economic significance stems from maritime access, underscoring the importance of recovery in disaster-hit areas like Wajima, which still struggles to rebuild even 11 months after an earthquake.
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能登島大橋を渡り,再び「のと里山海道」に戻りました。ここから輪島市に向かいます。
「のと里山海道」はところどころ工事中だったりしたのですが,それでも,かなり復旧しているようでした。多くの車が走っていて,驚きました。そうした車のほとんどは途中の穴水インターチェンジで降りていきました。ここから能登半島の先端の珠洲市へ行くことができるようでした。
ほとんど車のいなくなった「のと里山海道」をさらに走っていくと,道路は終わりとなり,その先は一般道を走るように道路標示がありました。その道路標示に従って進んでいくと,ついに輪島市に着きました。どうしてこんなに遠いところに町があるのか,私にはずっと不思議でした。
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輪島市は奥能登の中核となる都市で,現在は,輪島塗や朝市などで知られています。
古くから港町として知られ,中世には三津七湊(さんしん・しちそう)という日本を代表する港のひとつとなり,北前船の寄港地とされました。三津七湊というのは
●三津:安濃津 (三重県津市),博多津(福岡県福岡市),堺津(大阪府堺市)または坊津(鹿児島県南さつま市)
●七湊:三国湊(福井県坂井市),本吉湊(石川県白山市),輪島湊(石川県輪島市),岩瀬湊(富山県富山市),今町湊(直江津),土崎湊(秋田湊),十三湊(青森県五所川原市)
です。
歴史的には,室町時代に国人の温井景信(ぬくいかげのぶ)が天堂城を築城し,それ以降,城下町として栄えました。
輪島市は,輪島塗や朝市といった豊富な観光資源により多くの観光客が訪れていました。また,漁業も盛んで,暖流と寒流が交わる沖合の天然礁の好漁場となっています。
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ということで,地上から行くにはたいへんでも,海上交通で考えると,輪島の地は重要な拠点だったのです。
それにしても,私は車で行ったから容易にアクセスできたのですが,公共交通で行くにはバスしかありません。
それが,地震に見舞われて,11か月過ぎるというのに,未だに復興もままならず,多くの被災者用住宅が立ち並んでいました。また,まだ,街中には多くの崩れた住宅があったり,道路が陥没したりしていました。
日本中,新しい新幹線や道路が作られていますが,明日の生活がままならないこうした場所の復旧が先だろう,と強く感じました。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは
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