しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

カテゴリ:日本国内 > 北陸

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【Summary】
A year-end special of Local Bus Journey followed celebrities relaying a 550-kilometer route from Matsuyama to Tojinbo. Despite declining bus services, walking hardships, and harsh weather, the journey succeeded. I enjoyed the travel scenery and reflects that enduring severe natural conditions often creates the most memorable travel experiences.

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 2025年12月27日と12月28日の2日間にわたって,テレ東で「ローカル路線バス乗り継ぎの旅!総勢15名で挑む550キロSP」が放送されました。
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 テレ東を代表する「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」年末特別編!
 ミスターバス旅・太川陽介&バス旅Wで大活躍中の髙木菜那&テレ東でレギュラー番組を持つテレ東オールスターズを代表してオードリー春日の三人をリーダーに,チーム太川→チーム春日→チーム太川→チーム髙木と4区間たすきをつなぎ,550キロ超のコースに挑む!前代未聞のバス旅リレー。
 果たしてゴールできるのか!?
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だそうです。昨年は確か8時間だったので,年々,時間が長くなっていきます。
 出演者は,太川陽介,大友花恋,クロちゃん(安田大サーカス),稲田直樹(アインシュタイン),春日俊彰(オードリー),佐々木久美,ゆめっち(3時のヒロイン),山添寛(相席スタート),トラウデン直美,すがちゃん最高No.1(ぱーてぃーちゃん),宮澤佐江,エース(バッテリィズ),高木菜那,村井美樹,Aマッソ加納ということです。
 私は,ほとんど民放の番組を見ないし,NHKも,60年以上紅白歌合戦は見たことがないし,報道番組はまったく見ないし,朝の連続テレビ小説と大河ドラマのほかには,旅番組とクラシック音楽番組,そして,歴史番組と科学番組,ときにはMLB中継と大相撲というように,ほぼBSしか見ないので,太川陽介さんと高木菜那さん,村井美樹さん,春日俊彰さん以外はまったく知りません。そもそもお笑い芸人は苦手ですが,今回は,不快な人がいなかったからよかったです。

 今回のコースは,愛媛県の松山城から福井県の東尋坊までの全長約550キロメートルを8日間・4区間でつなぐというもので,瀬戸内海をいかにして超えるかと,琵琶湖が広がる滋賀県をどのようにして北上するかがカギでした。
 近年は路線バスが少なくなり,路線バスの旅というよりも歩く旅の様相を呈していて,見ていて気の毒になることも少なくありません。また,これだけの長寿番組となると,ほとんどコースが定番化してしまうので,コースを決めるのはずいぶん大変でしょう。
 今回もまた,最終日にハラハラさせながらなんとかゴールを達成する,というものになって,これは,おそらく,何らかの筋書きは用意されていたことでしょう。でないと,最悪の場合,番組が成り立たなくなってしまいます。とはいえ,私としては,楽しければそれでいいので,野暮なことはいいますまい。それよりも,私は,バス旅はしませんが,日本各地のさまざまなところに行くので,その様子がわかるだけでも大変楽しめますし,参考になります。何より,観光地でないところを知ることができるのがいいです。こんな旅ができるのも日本ならでは,でしょう。

 しかし,筋書きがあろうとなかろうと,天候だけはどうにもなりません。
 今回の最大の見せ場であった最終日。天候が最悪でした。雨が降ったり,晴れたり,虹が出たりと,ご苦労なことでした。
 私は,2014年の夏に,アメリカのネブラスカ州に行ったことがあります。
 ネブラスカ州はアメリカの中央部に位置するのですが,天候が過酷であることと,砂嵐が多いことで知られます。私が行ったときも,雷雲が発生したり,遠くにはトルネードが見えたり,雨が降っているかと思えば,反対側は晴れていたりと,それはそれは,すごいところでした。これが自然の驚異か,と思いました。
 今にして思うに,そうした経験がもっとも記憶に残るものです。過酷な自然を体験することこそが,旅の最大の醍醐味なのかもしれません。

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【Summary】
I traveled through Unazuki Onsen, Kurobe Gorge, and Toyama by train, experiencing smooth transfers, quiet rural stations, and busy hubs. I enjoyed local food, observed many foreign tourists heading to Takayama, and later learned about the renowned Owara Kaze no Bon festival held just before my trip.

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 思いがけなく,宇奈月温泉でウィーンの香りを味わってから,富山地方鉄道の宇奈月温泉駅に行きました。乗車するのは,午後2時50分発の電鉄富山駅行きです。とはいえ,帰りは,電鉄富山駅まで行かずに,新黒部駅で下車して,北陸新幹線「はくたか」に乗り換えることにしました。
 すでに書いたように,富山地方鉄道で電鉄富山駅まで行くのは時間がかかり,しかも,運賃がほとんど同じとあっては,東北新幹線を利用しない手はありません。そう知っていたら,はじめから,富山駅ではなく,黒部宇奈月温泉までJRの乗車券を買ったのに,と思いました。
 改札を通って,階段を下りていくと,ホームの両側に列車が停まっていて,どちらに乗るのかわかりません。何の標示もありません。左側の列車だけ扉が開いていたので,そちらに乗れ,ということなのでしょう。列車は空いていました。
 やがて出発して,25分ほどで,新黒部駅に着きました。

 ほどんどの駅が無人駅の富山地方鉄道ですが,新黒部駅には駅員がいました。新黒部駅から道路を挟んで,向こう側に北陸新幹線の黒部宇奈月駅がありました。歩いて2分,というところでしょうか。
 黒部宇奈月駅は,以前,只見線に乗ったときに,帰りに利用した浦佐駅に似ていました。主に東海道新幹線を利用している人には,駅が閑散としていて売店もみどりの窓口もない,また,列車も1時間に1本ほどしか来ないという新幹線の駅は,想像しがたいものです。さすがに駅員はいましたが…。
 富山地方鉄道が新黒部駅に着いたのが,午後3時12分でした。普段,自動販売機でチケットを買うことなどない私は,けっこう戸惑いましたが,なんとか購入できました。乗り継ぎ時間があまりないと勘違いをしていて,乗り損ねると,次の列車が来るのは1時間先になってしまうので,焦りました。実際は,北陸新幹線の東京方面行き「はくたか」568号は午後3時24分なので,ぎりぎり間に合うところなのでしたが,富山方面行き「はくたか」565号は,午後3時42分だったので,焦る必要などなかったのです。私以外に新黒部駅から北陸新幹線に乗り継ぐ人はみな,東京方面だったので,それにつられてしまったのでした。
 切符を購入して閑散としたホームに上がりました。やがて,列車がやってきました。到着した列車はけっこう混んでいました。私は自由席でした。わずか10分程度の乗車なので,座れなくとも問題はないのですが,なんとか席は確保できました。落ち着く間もなく,富山駅に到着しました。

 富山駅からは,午後5時14分発の「ひだ」20号です。待ち時間が1時間以上ありました。平日だったこともあって,出張帰りの人たちで,富山駅は混雑していましたが,サンマルクカフェになんとか空いている席をみつけたので,入って,コーヒーを飲みながら過ごしました。やがて,列車がホームに入る時間が近づいてきたので,サンマルクカフェを出ました。
 旅の楽しみのひとつは駅弁です。今回もこれが楽しみでした。富山駅で駅弁を買って,列車に乗り込みました。
 昨年もこの時間の列車に乗ったのですが,昨年も今年も,富山駅から高山駅までは,乗客のほとんどがヨーロッパ系の外国人でした。彼らは,東京,金沢と観光をして,その次の目的地が高山で,まず,北陸新幹線で東京駅から金沢駅まで行って,金沢駅から富山駅に引き返し,ここから高山線の特急「ひだ」に乗り継ぐわけです。そして,高山,白川郷を旅します。富山駅は通過駅で,ここで下車して富山市を観光する人はほとんどいません。JRもそれを想定して,列車のダイヤを組んでいます。ということで,インバウンドを避けて旅をしたいのなら,東京,金沢,高山というところを避ければいいということになります。

 今回は,黒部峡谷トロッコ列車に乗るというのが目的でしたが,心配だった天気も何とかなって,しかも,空いていて,楽しい旅になりました。
 昨年の立山・黒部アルペンルート,そして,今年の黒部峡谷トロッコ列車で,それまで,私には謎に満ちていたこの地方がとてもよくわかりました。また,要領のいい旅の仕方もわかったので,機会があれば,また,来たいものだと思いました。
 私が旅をしたのは,9月4日と5日でしたが,おわら風の盆という行事が,富山市八尾町で,9月1日から9月3日まで行われていたことをこのとき知りました。富山市八尾町のある越中八尾駅は,特急「ひだ」では,富山駅の次に停車する駅です。何でも,今年は,おわら風の盆がニューヨークタイムズで取り上げられたとかで,外国からの観光客が大勢押し寄せたとか。このすてきな,日本らしい気品ある静かな行事もまた,インバウンドに知られてしまい,喧噪の中で行われるようになるのでしょうか。

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【Summary】
After returning from the Kurobe Gorge trolley train, I had about an hour in Unazuki Onsen. While strolling, I found “Cafe Mozart,” an unexpected spot bustling with customers.

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 私が乗った黒部峡谷トロッコ列車は,宇奈月駅を午前11時48分発で,猫又駅に午前12時34分着。そして降り返しが,猫又駅12時57分発で,宇奈月駅に午後1時46分着でした。私が乗る予定の富山地方鉄道は,宇奈月温泉駅を午後2時50分発で,新黒部駅に午後3時12分に着きます。
 ということで,宇奈月温泉で,待ち時間が約1時間ありました。
 旅は,車ならこうした時間がないのが便利ですが,公共交通機関を利用すると1時間程度の待ち時間はまだ短いほうです。これを不便と考えるか,これこそが旅,と考えるか,で楽しみが異なりますが,「不良老人」には,時間は売るほどあるわけで,これを楽しく過ごすことこそが旅の極意といっても過言ではありません。若いころ仕事人間で,絶えず時間に追われた生活をしていた人は,退職後もこの楽しみを味わえない気の毒な人がいます。

 この日,私は,この1時間を,宇奈月温泉街の散策にあてることにしました。
 まず,預けてあったリュックサックをとりに旅館に寄りました。この旅はわずか1泊2日なので,持ってきたのは着替えくらいのものだったから,リュックサックといっても,背負っていても,まったく苦にならない小さなものでした。巷では,何を持ち運んでいるのやら,大きなキャリーバッグをゴロゴロところがしている人が多いのが,私には不思議です。私もキャリーバッグを持ってはいますが,機内持ち込みサイズの小さなものです。とはいえ,これを使うのは,海外旅行をするときくらいのものです。
  ・・
 宇奈月温泉街を歩いていても,ほとんど人がいませんでした。今の時代,温泉街を散策する,という観光客はほとんどいないのでしょう。などと思っていると,街角に,およそ,宇奈月温泉とは異なる雰囲気の,まるで,ウィーンの町に来たと錯覚するかのようなカフェを見つけました。店の名は「カフェモーツアルト」でした。店名につられて,早速,中に入りました。
 この店は,店主がモーツアルトファンというだけのことのようでしたが,しゃれた外観とともに,内装も凝っていて,さらに,メニューもまた,ウィーン風でした。店内に流れていたのは,モールアルトのホルン協奏曲でした。宇奈月温泉には,この店以外にはあか抜けたカフェもみつからないので,多くのお客さんで一杯でした。
 私は,モーツアルト風ザッハトルテとアイスコーヒーを注文しました。
 かくいう私は,ウィーンのドナウタワーで,ドナウ川を見ながら,本場のモーツアルトトルテとメランジェを味わったことがあります。それに比べたら… なんですが,まあ,そんな野暮なことはいいますまい。

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【Summary】
I took the Kurobe Gorge trolley train from Unazuki. Now it goes only to Nekomata, with a stop at Kuro-nagi. I enjoyed views of dams, bridges, and the gorge, resting at Nekomata, and hope to visit Kanetsuri and Keyakidaira once service resumes.

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 私が昨年,立山・黒部アルペンルートを横断するために買ったガイドブック「るるぶ・立山黒部アルペンルート」には,黒部峡谷トロッコ列車につても書かれていましたが,その本を見ても,黒部峡谷トロッコ列車では,どういう風景を見ることができて,どういうことができるのかが,なかなか把握できませんでした。やはり,行ってみるに限ります。
 宇奈月駅で乗車した黒部峡谷トロッコ列車は,途中の,黒薙(くろなぎ)駅,鐘釣駅,欅平駅の3か所で下車できるようです。とはいえ,私が利用したときのように空いていれば,どこで降りてもまた乗ることができますが,混雑する紅葉シーズンはどうなるのかな,という疑問が残ります。
 ただし,現在は,釣鐘駅のひとつまえの猫又駅までしか行くことができないので,途中で下車できるのは黒薙駅のみです。そして,猫又駅で折り返すために,普段は下車できない猫又駅では,機関車を付け替えるために,20分程度の休憩時間があるので,一旦列車からおりて,黒部川の河原を散策することができます。
 ガイドブックによれば,見どころの多くは,鐘釣駅と欅平駅付近にあるので,そこまで行くことができないのが残念ですが,仕方がありません。
 ということで,トロッコ列車は,車内から景色を見ることが中心となりますが,それでも,この絶景は,乗る価値があります。また,景観は黒部川に面したところに集中するので,宇奈月温泉から乗るとき,進行方向右手に座るべきです。

 宇奈月駅を出て,まず,進行方向右手に見えてきたのが,私が午前中に新山彦橋を通るトロッコ列車の写真を写した山彦橋,そして,列車が渡るのが,新山彦橋でした。ここからの黒部峡谷の景色が,まず,絶品でした。
 列車は,新山彦橋を越えると宇奈月ダムに差し掛かります。ここには,宇奈月ダム情報資料館があります。列車はここでは降りられないので,宇奈月ダム情報資料館に行くには,山彦橋を渡り,トンネルをくぐって歩いていく必要があります。もし,午前中,天気がよければ,もっと早くチェックアウトして行くこができたのですが,残念でした。
 やがて,トロッコ列車から柳橋駅が見えてくると,その湖畔に建っているのが,ヨーロッパの古城を意識したデザインの新柳原(しんやながはら)発電所でした。
 それを過ぎると,黒部川の対岸に「とちの湯」という日帰り温泉が見えました。ここに行くには徒歩では無理で,車が必要のようですが,天気がよければ,露天風呂からの景色がすばらしいところのように思えます。
 次の見どころは,仏石でした。これは,単なる大きな石なのですが,地蔵のような形をしているので,赤い前掛けと帽子がつけてあります。案内放送があったのですが,見つけるのに苦労しました。そうこうしているうちに,黒薙駅に到着しました。この駅で4,5人が降りました。この駅から,さらに20分程度山道を登っていくと黒薙温泉旅館があって,日帰り温泉だけでなく,宿泊もできるということでした。ここはかなりの秘境のようなので,一度,行ってみたいものです。

 黒薙駅を出ると,列車は後曳橋(あとびきはし)を渡ります。後曳橋は,川底からの高さが約60メートルもあって,その深さから思わず後ずさりしたということからこの名になったそうです。黒部川から見上げればそのすごさがわかるのでしょうが,列車の中からは,単に橋を渡るだけでした。
 だんだんと峡谷は険しくなっていって,出平駅付近からは,さらにすばらしい景観が見られるようになってきました。かなり奥までやって来たと実感します。見どころは,出し平ダム,その次が,出し六峰,そして,ねずみ返しの岩壁と続き,ついに,猫又駅に到着しました。
 ここで列車は折り返すために,機関車が付け替えられます。乗客は,一旦降りて,一休みです。
 ガイドブックによれば,この先の鐘釣駅や,もともとの終点である欅平駅の付近には,売店や温泉があるようなのですが,現在はお休みでしょう。復旧したら,また,行ってみたいものです。

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【Summary】
I took the Kurobe Gorge trolley train from Unazuki to Nekomata. Service to Keyakidaira is suspended after the quake, but the quiet ride was a rare experience. Once for power plant transport, this narrow-gauge railway now offers scenic journeys through the gorge.

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 私が乗ったのは,宇奈月駅午前11時48分発の黒部峡谷トロッコ列車でした。
 当初の予定では,午前9時発に乗ろうと思っていたのですが,天気が回復するという予報を信じて変更したのです。実際,このころは,すでに雨が上がり,日差しが痛いほどでした。
 また,お昼の時間,ということも幸いしました。ハイシーズン前で,しかも,9月はじめということだったので,空いているとは思ったけれど,さらに,午前中の雨,ということもあって,個人客が来なかったこともあるのか,おまけに,この時間は,昼食タイムだから,観光バスでやってくる団体ツアー客がまったく乗っていなかったというのもあるのか,ガラガラで,ひとつの車両に乗っているのは,2,3人,というところでした。
 宇奈月駅から黒部川に沿って走り,猫又駅まで,約45分です。
 元来は,猫又駅から先,鐘釣(かねつり)駅,欅平(けやきだいら)駅まで行くのですが,現在は,2024年元日の能登半島の大地震で不通になってしまい,猫又駅で折り返します。猫又駅は,もともとは一般客は降りることができなかった駅なので,むしろ,貴重な体験ができる,ともいえます。
 欅平駅が終着駅だったころは,欅平駅から先,さらに,下ノ廊下(しものろうか)という,黒部ダムまで約16キロメートルの登山道があって,断崖絶壁に沿って作られた上級者向けのルートを歩くこともできたのですが,今は,この登山道も閉鎖されているそうです。また,黒部宇奈月キャニオンルートという,インクラインに乗って,一般の人もここを走破できる新たな観光ルートが2024年に開通する計画でしたが,これも延期になっています。
 このルートができれば,私が昨年行った立山黒部アルペンルートとつながることになります。

  ・・・・・・
 黒部峡谷トロッコ列車は,黒部峡谷鉄道が運営しています。
 もともとは,日本電力,そして,日本発送電に経営が移った黒部川電源開発のための資材運搬用鉄道で,旅客は便宜的に扱っていましたが,継承した関西電力が,1953年(昭和28年)から一般旅客営業を開始し,1971年(昭和46年)に,関西電力の完全子会社として,黒部峡谷鉄道が設立され,関西電力から地方鉄道事業を譲り受けて発足しました。
 軌間762ミリメートルの特殊狭軌による鉄道路線です。この軌間で運行されている日本の鉄道は,他には,四日市あすなろう鉄道の内部線と八王子線,そして,三岐鉄道北勢線です。
  ・・・・・・ 
 出発時間がきて,トロッコ列車が走りはじめました。
 トロッコ電車の車内では、沿線のみどころの紹介を富山県出身の室井滋さんが担当しています。
  ・・・・・・
 雄々しく神秘的な黒部峡谷の大自然は,故郷富山の宝物。そして,その日本一深いV字峡谷を縫うよう0に走る小さなトロッコ電車が,私は子供のころから大好きです。
 可愛くて力持ち,とても健気な電車に乗ると心がワクワク弾みます。
 春の新緑,夏の涼風,秋の紅葉など,めくるめく季節の中をトロッコ電車と一緒に冒険旅行に出かけてみませんか。
  ・・・・・・
ということでした。

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【Summary】
After checking out in the rain, I visited the Kurobe River Electric Memorial Museum, photographed the trolley train at Yamabiko Bridge, had "Kurobe soba" for lunch, and finally boarded the train under clear skies.

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 天気予報通り,雨が激しく降っていたので,最終チェックアウト時間の10時まで宿にいて,ギリギリにチェックアウトをしました。持っていたリュックサックはフロントに預けることができました。
 午前10時は,まだ雨が降っていたのですが,あと1時間くらいすれば,雨が上がるという予報だったので,黒部峡谷トロッコ列車は午前11時48分発に当初の予定を変更しました。まず,黒部峡谷トロッコ列車の宇奈月駅へ行って,切符を購入しました。
 客車は窓なしの普通客車,いわゆるトロッコ客車と,窓の開閉ができるリラックス客車と銘打った普通の客車がありました。トロッコ列車に乗りにきたわけだから,当然,多くの人は窓なしの普通客車に乗りたいと思うだろうと考えるのですが,なぜか,リラックス客車のほうが,別料金がいるのでした。私も,せっかくだから普通客車に乗りたいから,そちらを選ぼうと思ったのですが,雨が降りこむことだけが心配でした。天気予報では雨が止むということだったので,その予報にかけました。あとで変更もできると言われました。
 その後,まだずいぶん時間があったので,道を挟んであった黒部川電気記念館へ行きました。
  ・・・・・・
 黒部川電気記念館は,関西電力が運営する博物館です。
 黒部川水系の電源開発が一段落したことを記念して,黒部川の自然や電源開発などをテーマとした博物館として,1986年(昭和61年)に着工し,1987年(昭和62年)に開館しました。
 建物は1922年(大正11年)から1923年(大正12年)に日本電力が建築した事務所をモデルとしたアルペン風の建築物です。入口横には黒部峡谷鉄道の開業当初に使用されていた電気機関車EB5が静態保存されています。また,館内には縮尺60分の1の黒部ダムの模型があって,黒部川の電源開発や世紀の大工事として語り継がれる「黒四建設工事」などをグラフィックや映像により紹介しています。
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 黒部川電気記念館に入ると,午前10時15分と午前10時25分に新山彦橋(やまびこばし)をトロッコ列車が渡ることを知りました。そこで,それを撮りにいくことを思いつきました。黒部川電気記念館の係の人に聞くと,近くにあるやまびこ展望台からでも見ることができるけれど,新山彦橋を見渡すことができる山彦橋まで行ったほうがいいと言われました。黒部川電気記念館から歩いて2,3分ということだったので,傘をさして,急いで行きました。
 午前10時15分に通過するのは宇奈月駅へ戻る車両で,次の午前10時25分に通過する車両は,その折り返しで,宇奈月駅から猫又駅に向かう車両でした。そこで,はじめに通過する列車は動画,次に通過する列車は静止画を写すことにして,列車を待ちました。
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 山彦橋は,1924年に竣工し1987年まで黒部峡谷鉄道の鉄道橋として使用されたアーチ橋です。
 建設時の名称は黒部橋でしたが,列車の音が山彦のように温泉街に響くことから,いつしか山彦橋とよばれるようになったそうです。
 宇奈月ダム工事のため線路の移設が必要になり,1986年に新山彦橋が竣工。1988年より新線に切り替えられ,現在は,山彦橋と旧線のトンネルはやまびこ遊歩道となっています。
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 動画と写真を撮り終えて,再び黒部川電気記念館に戻りました。
 しばらく見学して,今度は,黒部峡谷トロッコ列車の宇奈月駅にある「レストイン黒部」で,くろべーそばを昼食として食べました。くろべーそばというのは,黒い岩を模したさつま揚げみたいなのが乗っているそばでした。
 やがて時間になったので,改札を通りました。
 いよいよ黒部渓谷トロッコ列車に乗車です。天気予報通り,このころには,すっかり雨も上がり,太陽の光がまぶしいほどになっていました。さすが晴れ男,と自画自賛しました。

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【Summary】
I changed my schedule to take the Kurobe Gorge train ride from early morning to noon tomorrow due to rain. I enjoyed a quiet stay at an Unazuki Onsen inn with private hot spring use, had an early rest, and a rich breakfast in a nearly empty dining hall, finding the off-season timing fortunate.

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 天気予報では,翌日2025年9月5日は,午前中は雨,特に,午前9時から午前10時は豪雨,しかし,午前12時には雨が上がり,午後は晴れるということでした。そこで,私は,はじめの予定では,午前9時発の黒部峡谷トロッコ列車に乗るつもりでしたが,変更して,富山駅午後5時14分発の特急「ひだ」20号で帰ることができるギリギリの時間となる午前11時48分発の黒部峡谷トロッコ列車に乗ることにしました。この判断が正解でした。
 そんなわけで,旅館でのんびりと過ごして,午前10時にチェックアウトをすることにしました。

 部屋の窓から,黒部峡谷トロッコ列車ターミナルの美しい夜景が見えました。
 宇奈月温泉なので,お風呂は当然温泉でしたが,宿泊者は少なく,温泉は私以外にだれもいませんでした。また,夜,30分程度の時間を除いて,深夜も入ることができました。これがよかった。
 私は,夕食のお弁当を食べた後,雨が降っているから外出することもなく,とはいえ,もし,外出しても,宇奈月温泉にはお店はどこもやっておらず,飲み屋もなわけで,さっさと午後7時過ぎには寝ました。そこで,午前3時ころに起床したので,温泉に行きました。
 こんな時間に温泉に入る人などほかにいるわけもなく,最高でした。
 温泉宿に行くのもいいのですが,温泉はひとり占めでないと楽しくありません。私がこれまで宿泊した温泉宿は,およそ,こんなところばかりだったので,いつも幸せです。

 さて,温泉を出て,その後はだらだらと過ごし,午前8時ころに朝食を食べに行きました。
 朝食はビュッフェ形式だったのですが,食堂も私以外には4人の連れの一組の若い女性たちがいただけでした。メニューが多く,とてもすばらしかったです。
 おそらく,紅葉のシーズンではこんな閑散とした雰囲気ではないと思うので,むしろ,この時期,というか,台風が来るような平日,というのがよかったのでしょう。
 多くの人が行くところや,行く季節には,行かない。これこそが私の旅の鉄則です。
 午前10時,荷物をフロントに預けて,チェックアウトをしました。

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【Summary】
I traveled by Toyama Chihō Railway to Unazuki Onsen, explored its history and facilities, stayed at “Feel Unazuki,” and enjoyed a room view of the Kurobe Gorge trolley station.

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 電鉄富山駅午後3時4分発の列車に乗るために,富山駅に戻ってきました。富山地方鉄道の電鉄富山駅はJR富山駅の南口から出て,左手にあります。電鉄富山駅から宇奈月温泉駅まで,運賃が高いのに驚きましたが,現金しか使えませんでした。私はこの時点ではほかに行く方法を知らなかったので,チケットを買って,乗り込みました。電車はガラガラでした。
 富山地方鉄道の本線は,電鉄富山駅から東に走り,寺田駅で,昨年乗った立山線が南に進路を変えるので,ここでわかれ,そのまま東に進み,上市駅でスイッチバックして,今度は進路を変えて,北上して,滑川駅に行きます。そこからは日本海に沿って進みますが,滑川駅と新魚津駅間は,あいの風とやま鉄道が並行して走っているので,利用客が少なく,これが採算がとれない原因のひとつだそうです。
 私は地元民でないから,このあたりの列車の事情がとても不思議に思えます。富山県は自動車大国で,ひとり1台が当たり前だとか。であるのにもかかわらず,人口のわりに路線が多く,かといって,どれも本数が少ないので乗りにくく,さらには,北陸新幹線ができたために,もともとのJR北陸本線は第3セクターになってしまい,余計に利用しづらくなっています。
 これでは,新幹線を利用しない旅行者は,何が何だかわからないので,富山地方鉄道の経営が成り立たないのも無理がありません。また,第3セクターのあいの風とやま鉄道も採算がとれていないそうです。こんなありさまだから,電車の窓から見ると,駅はどこも老朽化していました。

 新魚津駅を過ぎると,富山地方鉄道は,右折して内陸に入ります。そして,北陸新幹線と交差するところに新黒部駅があって,ここで,北陸新幹線の黒部宇奈月駅と接続しているので乗り換えができます。その先は,富山地方鉄道の独占で,黒部川にそって走り,宇奈月温泉駅まで行きます。私の乗っていた時間は,ちょうど学校帰りの時間だったので,通学に使っている小学生や中学生が多く乗ってきました。そんな現状なのに,この区間を廃止にしたら,その代わりの手段はバスということになるのでしょうか。この運転手不足の時代に。
 やがて,それまで山の中を走っていたのに,突如,視界が開けて町が現れました。それが宇奈月温泉の町でした。
  ・・・・・・
 宇奈月温泉は,黒部川の電源開発を背景として,1923年(大正12年)に開湯された温泉地です。黒部峡谷の入口に,ホテルや旅館,商店や土産物店が多数立ち並んでいて,富山県内の温泉地では最大規模を誇ります。
  温泉街には「おもかげ」「いっぷく」と名づけられた足湯,黒部市芸術創造センター「セレネ」,黒部川電気記念館,宇奈月神社などがあります。
 宇奈月の名は,桃原の大地の近くにあった谷の名称から近代になってつけられたものです。当地を訪れた人が,水の音や風の響きに心もうなづき,身も心も清らかになったという伝承が由来だそうで,宇治や奈良と並ぶ名月の地にしようという思いから,この漢字があてられたといいます。
  ・・・・・・ 

 富山地方鉄道の宇奈月温泉駅の200メートル先に黒部峡谷トロッコ列車の宇奈月駅がありました。その方向に向かって歩いていくと,まもなく,私の予約した今日宿泊する「フィール宇奈月」がありました。
 チェックインして,夕食代わりのお弁当をもらいました。夕食はついておらず,かといって,町中には夕食が食べられる食堂もなく,夕食代わりのお弁当が提供されている,ということだったので,予約してあったのですが,食べ放題のカレーライスを提供するようになったということを知りました。これなら,お弁当がなくても何とかなったようですが,お弁当はとてもおいしいものでした。
 部屋は思った以上だったのですが,さらによかったのは,部屋の窓から,トロッコ列車のターミナルのすばらしい景色が見えたことでした。

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【Summary】
Access from Nagoya to Toyama is inconvenient, yet each visit deepens its appeal. The Iwase district, once thriving with Kitamaebune trade, retains historic streets and offers a quiet stroll away from crowds.

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 名古屋から金沢や富山というのは,近いのか遠いのか? なかなか微妙な位置関係にあります。それでも,北陸新幹線ができる前なら,特急「しらさぎ」に乗れば,金沢や富山までは直接行くことができたのですが,そのころでも,金沢の方が近いから,その先の富山まで,行く機会がありませんでした。
 現在は,北陸新幹線ができたために,東京からはとても簡単にアクセスできるようになりましたが,名古屋からは新たに敦賀駅で北陸新幹線に乗り換える必要ができて,以前よりも不便になりました。
 金沢と富山,多くの人は金沢は行ったことがあるけれど富山は… という感じでしょうか。私もそうでした。私がはじめて富山へ行ったのは,2020年春に親不知海岸に行ってみようと,車で東海北陸道を走ったときに,途中で少しだけ通ったのがはじめてでした。そして,2度目が,昨年2024年9月,立山黒部アルペンルートを横断した帰りで,このときにはじめて半日ほど富山市内を観光しました。
 そのときのブログに
  ・・・・・・
 富山県というのは有数の観光地で,黒部峡谷や立山,そして,蜃気楼,ホタルイカなどが有名なのですが,私は,それを目的にわざわざ行くこともこれまでありませんでした。どうしてなのでしょう? しかし,近い将来,富山県に夢中になる可能性もあるかもしれません。というのも,今回行ってみて,いいところだと思ったからです。
  ・・・・・・
と書きました。
 そして今回もまた,宇奈月温泉が目的地でしたが,3時間程度の時間があったので,少しだけ観光をしてみようと思ったわけです。こうして,だんだんと富山の魅力に惹かれていくようになっていくのでしょうか。
 これは私個人の独断と偏見ですが,金沢と富山,どちらが好きかと聞かれれば,断然富山のほうがいいと答えます。これまで,金沢へは何度も行ったことがありますが,現在は,インバウンド多すぎですし,近江町市場なんて,インバウンド価格のぼったくり店ばかりになってしまいました。

 さて,今回訪れたのは,富山湾にほど近い岩瀬地区です。
 この場所を知って以来,興味をもっていたので,今回,富山駅から路面電車の富山港線に乗って,行ってみました。30分程度で最寄りの東岩瀬駅に着いて,そこから10分程度歩きます。広い通りを横断して、街中に入ると,江戸時代にタイムスリップしたような感じになりました。
 あまり知られていないのが幸いして,観光客も少なく,いい感じでした。
  ・・・・・・
 岩瀬地区は,江戸時代後期から明治時代にかけて北前船の交易で栄えたところで,今なおその時代の文化を垣間見ることができる富山市北部の,レトロな街並みが人気です。
 川岸を背に,北前船廻船問屋が立ち並んでいた旧北国街道の街並みは、明治期に建てられた家屋が多く残っており、当時の様子がうかがえます。
  ・・・・・・
 今回は,あまり時間がなかったこともあって,街歩きをして,富山港展望台に行っただけでしたが,いつか,もっと時間をとって,おもしろそうな民家を見学したり,食事をしたり,そんな楽しみをしてみたいものだと思いました。
 そういえば,NHKBSで放送している「にっぽん縦断こころ旅」の「プレイバック2011」でも火野正平さんがこのあたりを走っていました。
 このまま,インバウンドには知られてほしくないところです。

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【Summary】
User took the “Hida” Limited Express from Gifu to Toyama, enjoying scenic views and the comfort of the new HC85 series. After arrival, instead of going straight to Unazuki Onsen,I planned to explore Toyama’s Iwase area, first stopping for lunch at “Gonbei-sha.”

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 さて,今日からは,私が黒部峡谷トロッコ列車に乗ろうという目的だけで,無計画に出かけた旅の様子です。
 9月4日午前3時,突如として九州で沸いた台風15号の影響で,宇奈月温泉でも,9月4日の夜から雨。翌9月5日は午前中大雨ですが,お昼ごろから回復するという予報でした。
 雨なら雨で,それもまた一興と,予定通り,9月4日,岐阜駅9時3分発の「ひだ」3号に乗り込みました。富山駅午前12時32分着です。私が若いころは,非電化区間を走る特急は,キハ80系というもので,軽油の排気ガスが臭い車両でした。現在は,名古屋駅から出発する非電化区間を走る特急は,紀伊半島へ行く「南紀」と高山線の「ひだ」がですが,どちらも,HC85系という最新式のハイブリッド車両で,その昔の排気ガス臭さなどまったくない,快適なものです。しかも,どちらもガラガラで,旅情満点です。
 高山線は飛騨川に沿って走るので,沿線は景色のよいところが多く,楽しいです。私は,通勤で鉄道を使うのならともかく,旅をするために鉄道を使うのなら,それは目的地に行くための移動手段だけでなく,その道程で,列車から見える景色を楽しむことが醍醐味だと思うので,寝ている人や本を読んでいる人が理解できません。

 下呂駅に着きました。下呂駅では多くの乗客が降りました。
 近ごろ,下呂温泉は温泉の泉質がいいというので人気が高いそうです。私は,人気があると聞くと足が遠のきます。
 その次の高山駅でも多くの乗客が降りました。
 特急「ひだ」は,この高山駅で,乗客の多くが入れ替わり,私のように,名古屋駅から(今回は岐阜駅から乗りましたが)富山駅まで乗り通す人はほとんどいません。特に,高山駅と富山駅の間はヨーロッパ系の外国人でかなり混雑します。彼らは,東京や金沢を観光し,そこからさらに高山をめざすために,富山駅を乗換駅として,特急「ひだ」を利用するようです。特急「ひだ」のダイヤからも,そうした旅行客を対象とする列車であることがわかります。私のように,朝,名古屋駅から富山駅に向かう乗客は意識していません。
 富山駅と高山駅間は,高速道路が離れているので,路線バスよりも列車のほうがはるかに便利なのです。しかし,名古屋駅から富山駅まで乗り通す人がいないのは,名古屋駅から富山駅までは,バスを使うか,東海道線で米原駅まで行って乗り換え,北陸本線で敦賀駅まで行き,敦賀駅から北陸新幹線で富山駅までと乗り継いで行くほうが速いからです。しかし,空いていて乗り心地もよく,乗り換える煩雑さもないので,たとえ遅くても,私は,高山線の特急「ひだ」のほうが好きです。
 そんな楽しい旅ですが,今回私が失敗したと思ったのは,乗車するときに駅弁を買わなかったことです。これだけがうかつでした。次回からは忘れないようにしよう。

 午前12時32分に富山駅に到着しました。
 私はここから宇奈月温泉駅まで富山地方鉄道で向かうことにしていましたが,この日は,そのまま宇奈月温泉駅に行っても,すでに遅く,黒部峡谷トロッコ列車には乗れないから急いでも意味がなく,予約した旅館に午後6時前くらいに到着すればいいので,それをめどに2時間程度,富山市内を観光することにしました。行こうと思っていたのは,先日,「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」という番組を見て知った富山市内にある岩瀬エリアというところでした。
 駅弁を買い忘れたので,まずは,その前に昼食です。
 富山駅の北口を出て道路を渡ったところにアーバンプレイスという建物があって,その地下にかまど料理「ごんべい舎」という食堂を見つけたので入りました。店内にはたくさんの有名人の色紙がありました。駅弁を食べなかったことが幸いしたようです。幸先のいい旅になりました。

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【Summary】
To ride the Kurobe Gorge trolley train from Nagoya, using the shinkansen via Kurobe-Unazuki Onsen Station is faster and cheaper than Toyama Chiho Railway direct. A day trip is feasible.

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 今日は,行ってみてわかった,黒部峡谷トロッコ列車に乗るために,どうやって宇奈月温泉駅にたどり着くか,について,書きます。
 行く前は,たいして調べもせず,名古屋駅から高山線の特急「ひだ」に乗って富山駅まで行って,富山地方鉄道に乗り換えて,電鉄富山駅から宇奈月温泉駅まで行くだけだ,と軽く考えていました。しかし,実際,そのようにして行ってみて,こりゃ,かなり不便だ,と思いました。
 現在,富山地方鉄道の電鉄富山駅と宇奈月温泉駅間では,滑川駅と新魚津駅間,さらには,新魚津駅と宇奈月温泉間でも廃止が検討されているということなので,応援したいところでもあるのですが,それでも,私が不便だと思ったその最大の理由は,時間がかかり,乗り心地が悪く,しかも,運賃がかなり高価,ということでした。その中でも運賃が高額なことが最大のネックでした。

●名古屋から富山まで
 その前に,まず,富山駅までどうやって行くのか,から考えてみます。
 名古屋駅から富山駅まで行くには,自家用車以外では,①高山線で特急「ひだ」に乗る ②新幹線で米原駅まで行って,そこから北陸本線で特急「しらさぎ」に乗り,敦賀駅から北陸新幹線に乗る,または,直接,名古屋駅から特急「しらさぎ」に乗り,敦賀駅から北陸新幹線に乗る ③高速バスで行くという方法があるようです。私は,今回,①の方法で往復しましたが,特急「ひだ」は高山駅止まりのものが多く,富山駅まで行くのは,「ひだ」3号が最も早く,名古屋駅発が午前8時43分で富山駅着が午前12時32分となります。
 ②の方法では,新幹線,在来線,新幹線と乗り継ぐのは乗り換えが多く,名古屋駅から直接特急「しらさぎ」に乗って,敦賀駅で新幹線に乗り換えるほうが便利ですが,本数が限られます。その中で,最も早いのは名古屋駅午前7時51分発の「しらさぎ」1号で,敦賀駅着が午前9時27分,そして,新幹線「つるぎ」8号で富山駅着が11時7分となります。
 ③の方法が一般的なのだそうです。この方法だと,名古屋駅の名鉄バスセンター午前7時10分発に乗れば,午前10時47分には富山駅に到着するので,「ひだ」よりは所用時間が短いです。しかし,4列シートなので,年寄りにはけっこう大変です。
 参考ですが,東京駅からなら,新幹線を利用すれば,午前6時16分東京駅発の「かがやき」501号で午前8時23分には富山駅に到着できるので,富山に行くには,東京からはとても便利です。これと比較すると,名古屋からはどうやっても不便なのです。何だこれは? という感じです。何なら,東海道新幹線でまず東京駅まで行って,そこから北陸新幹線で富山駅に向かうほうが速い?

●富山から宇奈月温泉まで
 富山駅から宇奈月温泉駅までは,富山地方鉄道を使うと,電鉄富山駅で乗って,1時間40分程度で,運賃が2,160円かかります。しかも,車両が古く,乗り心地が悪いです。
 ところが,北陸新幹線を利用すれば,富山駅から次の黒部宇奈月温泉駅までは所要時間がわずか10分程度で,正規料金でも運賃が1,470円。黒部宇奈月温泉駅と富山地方鉄道の新黒部駅がつながっているので,ここで乗り換えることができて,新黒部駅から宇奈月温泉駅までは約20分,運賃は740円というように,富山地方鉄道で電鉄富山駅から宇奈月温泉駅まで行くよりずっと早く,しかも,運賃はほとんど差がないのです。これには驚きました。
 このように,富山駅から宇奈月温泉駅に行くには,新幹線で黒部宇奈月温泉駅まで行って,そこで富山地方鉄道に乗り換えるのが正解だったようです。

●名古屋から宇奈月温泉まで
 では,名古屋駅から富山駅で降りずに,直接,宇奈月温泉駅に行くというのならどうでしょうか?
 名古屋駅午前7時51分発「しらさぎ」1号に乗れば,敦賀駅午前9時27分着。ここで北陸新幹線に乗り換え,敦賀駅午前9時58分発「はくたか」560号で黒部宇奈月温泉駅午前11時33分着。ここで富山地方鉄道に乗り換え,新黒部駅午前11時52分発で宇奈月温泉駅午前12時10分着となります。
 黒部峡谷トロッコ列車は,直近では,宇奈月駅発午前12時28分発があって,これに乗れば,午後2時28分に宇奈月駅に戻ってくることができます。また,遅くとも,宇奈月駅発午後2時33分発に乗れば,午後4時35分に宇奈月温泉駅に戻れます。
 この日に名古屋まで帰る最終の列車は,富山地方鉄道の宇奈月温泉駅午後4時53分発で新黒部駅午後5時15分着。ここで北陸新幹線に乗り換え,黒部宇奈月温泉駅午後5時43分発の「はくたか」569号で敦賀駅午後7時18分着。敦賀駅午後7時55分発の北陸本線の在来線に乗れば米原駅午後8時45分着で,ここから東海道新幹線に乗り換えることができるので,これなら,日帰りが可能です。
 ちなみに,東京駅からだと,新幹線を利用すれば,午前6時28分東京駅発の「はくたか」551号に乗れば,乗り換えせずに,午前8時56分に黒部宇奈月温泉駅に到着できます。なお,先に書いた「かがやき」501号は黒部宇奈月駅は通過します。

 ということで,名古屋駅から富山駅まで行くのなら,高山線の特急「ひだ」が快適ですが,その先,宇奈月温泉駅まで行くとなると,話が変わり, 特急「しらさぎ」で敦賀駅まで行けば,敦賀駅から黒部宇奈月温泉駅まで直接行くことができる北陸新幹線「はくたか」のほうが快適であり,便利となります。
 そこで,黒部峡谷トロッコ列車に乗って秋の紅葉を見たいのならば,まず,黒部峡谷トロッコ列車を予約したうえで,上記の方法を使えば,日帰り旅行が実現できるのです。ただし,先に書いたように,富山地方鉄道は,新魚津駅と宇奈月温泉間で廃止が検討されているというから,もし廃止されたら,その代替交通機関がどうなるかで,状況が変わってしまうかもしれません。

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未明の皆既月食。

9月の満月「コーンムーン」は皆既月食でした。
午前2時35分に写しました。
これまで何度も皆既月食を見ましたが,今回の皆既月食は,月がどこか探すほど暗い。 DSC_3178s


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【Summary】
In Japanese, keikoku means a gentle valley with a river, while kyōkoku means a steep, cliff-walled gorge. In English, canyon is grand, gorge is rugged, and ravine is narrow and deep; kyōkoku is closest to gorge.

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 旅の流れを追う前に,峡谷という言葉について書いておきます。
 黒部峡谷といいますが,私は,ずっと,黒部渓谷だとばかり思っていました。これまで,このブログでも,黒部渓谷と書いていたのですが,すべて黒部峡谷と直しました。
 Copilotくんは次のように説明しています。
  ・・・・・・
●渓谷(けいこく)
 川が流れている谷が特徴。比較的幅が広くて,谷底が平らなことが多い。 山地を流れる渓流によって浸食されてできた地形。
●峡谷(きょうこく)
 両側が切り立った崖に挟まれた,狭くて深い谷。 谷底に水が流れていないこともある。地形的にV字型で急峻なことが多い。
 つまり,「渓谷」は水とともに穏やかに流れる谷,「峡谷」は地形の厳しさが際立つ谷って感じで,どちらも自然の力が作り出した芸術ですが,歩くなら渓谷,眺めるなら峡谷かな。
  ・・・・・・
 黒部峡谷は,富山県の黒部川上流に位置する日本一深いV字型の谷で,まさに峡谷という名にふさわしいようです。

 英語では
  ・・・・・・
●Canyon
 広くて壮大な谷を指すことが多い。アメリカ英語でよく使われる。地形的には深くて幅広いV字型の谷で,川が流れていることが多い。
●Gorge
 狭くて急峻な谷を意味する。 イギリス英語でよく使われる。切り立った崖に囲まれ,急流や滝があるような険しい地形に使われることが多い。
 つまり,canyonはスケールが大きくて観光地向き。gorgeは自然の厳しさや迫力を感じさせる言葉で, 日本語の峡谷は,どちらかというとgorgeに近いニュアンス。
  ・・・・・・
 さらに,英語には,ravineという言葉もあり,これは,深くて狭く両側が急な斜面の谷を意味し,急峻な地形で両側が崖のようになっているところだそうです。
 味覚に関しては,英語は単語が少ないのですが,自然に関しては,日本語よりも単語が多いというのもおもしろいことです。


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【Summary】
In September 2024 I visited the Tateyama Kurobe Alpine Route; this year I planned the Kurobe Gorge Torokko Train, staying at Unazuki Onsen via “Hida” limited express, preferring quiet over autumn crowds, but again a typhoon disrupted my plan.

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 昨年2024年9月5日から9月7日に,2泊3日で立山黒部アルペンルートへ行ったことはすでに何度も書きました。もともとは9月1日から9月3日に予定したものの,台風10号の接近で変更したものでした。しかし,変更したことが功を奏して,台風一過で,すばらしい天気となりました。
 昨年の時点では,私は,立山黒部アルペンルートと黒部峡谷トロッコ列車の区別すら知らなかった状態でしたが,行ってみてその違いがよくわかりました。そこで,次は,黒部峡谷トロッコ列車に乗りたいものだと思うようになって,1年後にそれを実行することになりました。
 黒部峡谷トロッコ列車のハイシーズンは紅葉の時期,ということなので,その時期に行くのがいいのでしょうが,私は,美しい景色を見たい,ということよりも,人混みが嫌い,ということのほうが優先順位が高いので,空いているだろうと思った9月のはじめという中途半端な時期に行くことにして,9月4日から9月5日にしました。
 なお,黒部峡谷トロッコ列車は,本来は宇奈月駅から欅平駅間の往復運転なのですが,2024年(令和6年)元日に起きた能登半島地震の影響で鐘釣橋が損傷してしまい,現在は,宇奈月駅と猫又駅間の往復運転となっているということでした。

 さて,どうやって行こうか?
 ほとんどの行きたいところに行った今,私は,どこかに行くというのを口実に,ゆったりと列車に乗って,現地で宿泊する,という旅をしたいと思うようになったこともあり,宇奈月温泉駅までは自宅から車で行くとなれば,片道4時間ほとという長距離運転になることだし,往復とも岐阜駅から富山駅まで高山線の特急「ひだ」に乗り,富山駅からは富山地方鉄道で宇奈月温泉駅まで行き,前泊し,翌日,宇奈月駅から黒部峡谷トロッコ列車に乗ることにしました。特急「ひだ」に乗り,富山地方鉄道に乗り換えて宇奈月温泉まで行くとしたとき,到着するのが早くても午後3時過ぎとなってしまうので,その日に黒部峡谷トロッコ列車に乗ることができないのでした。
 事前に,特急「ひだ」の切符は手に入れました。黒部峡谷トロッコ列車は,事前予約ができるとありましたが,当日でも大丈夫そうでした。
 では,どこに宿泊しようか?
 宇奈月温泉に宿泊するとなると,こんどは,旅館選びです。私は,団体観光ツアー客の停まるようなところは選択肢になく,かといって,宇奈月温泉には,小さな宿もないようでした。また,宇奈月温泉では,旅館内の夕食はどこも,私が好まないビュッフェ形式らしく,また,街中には夕食が提供される食堂も皆無,ということでした。
 そうこうしていて,何とか「フィール宇奈月」という旅館を見つけました。ここは朝食つきでしたが,夕食はなく,地酒を呑みながら夕食を楽しむという条件だけは満たせませんでした。しかし,夕食代わりの地元産の食材豊富なお弁当がついている,ということだったので,決めました。

 9月4日が近づいてきました。どうやら今年は台風は大丈夫そう,と思っていたら,何と,9月4日の深夜に突如九州で台風15号が発生しました。これには呆れました。その数日前から天気予報を見ていたのですが,日に日に天気予報が変わり,晴れになったり,雨になったり,再び晴れになったりというように,こんなものなら予報なぞ意味がないとあきれました。直前になって,私が行く日だけ,雨マークが確定的になりました。いったい,私は,何のために,偶然こんな雨の日に行くのだろう? しかし,今年は,すでに,他の日は予定があって変更することができなかったので,まあ,いいか,最悪,雨の中のトロッコ列車というのもおつなものかもしれない,それに,空いているだろうし,と居直ることにしました。晴れ男の私ですが,どうも黒部というところだけは,毎回,台風と縁があるようでした。


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【Summary】
Wajima City, a historic port town and a key hub of Oku-Noto, is famous for Wajima lacquerware and its morning market. Its historical and economic significance stems from maritime access, underscoring the importance of recovery in disaster-hit areas like Wajima, which still struggles to rebuild even 11 months after an earthquake.

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 能登島大橋を渡り,再び「のと里山海道」に戻りました。ここから輪島市に向かいます。
 「のと里山海道」はところどころ工事中だったりしたのですが,それでも,かなり復旧しているようでした。多くの車が走っていて,驚きました。そうした車のほとんどは途中の穴水インターチェンジで降りていきました。ここから能登半島の先端の珠洲市へ行くことができるようでした。
 ほとんど車のいなくなった「のと里山海道」をさらに走っていくと,道路は終わりとなり,その先は一般道を走るように道路標示がありました。その道路標示に従って進んでいくと,ついに輪島市に着きました。どうしてこんなに遠いところに町があるのか,私にはずっと不思議でした。

   ・・・・・・
 輪島市は奥能登の中核となる都市で,現在は,輪島塗や朝市などで知られています。
 古くから港町として知られ,中世には三津七湊(さんしん・しちそう)という日本を代表する港のひとつとなり,北前船の寄港地とされました。三津七湊というのは
 ●三津:安濃津 (三重県津市),博多津(福岡県福岡市),堺津(大阪府堺市)または坊津(鹿児島県南さつま市)
 ●七湊:三国湊(福井県坂井市),本吉湊(石川県白山市),輪島湊(石川県輪島市),岩瀬湊(富山県富山市),今町湊(直江津),土崎湊(秋田湊),十三湊(青森県五所川原市)
です。
 歴史的には,室町時代に国人の温井景信(ぬくいかげのぶ)が天堂城を築城し,それ以降,城下町として栄えました。
 輪島市は,輪島塗や朝市といった豊富な観光資源により多くの観光客が訪れていました。また,漁業も盛んで,暖流と寒流が交わる沖合の天然礁の好漁場となっています。
  ・・・・・・
 ということで,地上から行くにはたいへんでも,海上交通で考えると,輪島の地は重要な拠点だったのです。

 それにしても,私は車で行ったから容易にアクセスできたのですが,公共交通で行くにはバスしかありません。
 それが,地震に見舞われて,11か月過ぎるというのに,未だに復興もままならず,多くの被災者用住宅が立ち並んでいました。また,まだ,街中には多くの崩れた住宅があったり,道路が陥没したりしていました。
 日本中,新しい新幹線や道路が作られていますが,明日の生活がままならないこうした場所の復旧が先だろう,と強く感じました。

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【Summary】
On January 1, 2024, a magnitude 7.6 earthquake struck the Noto Peninsula, causing severe damage. During a trip to Kanazawa on November 10, I decided to explore parts of the peninsula. I visited Noto Island via the Noto Satoyama Kaido and enjoyed a brief drive on Chirihama Nagisa Driveway. Noto Island’s scenic coastline contrasted with its mountainous interior, but some roads remain inaccessible. Notably, the Nakano Noto Farm Road Bridge was closed, requiring a return via the Noto Island Bridge.

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 2024年1月1日,能登半島地震が起きました。地震の規模はМ7.6で,輪島市と羽咋郡志賀町で最大震度7を観測しました。それ以前,私は,能登半島を1周ドライブしてみたいと思っていたのですが,それができなくなりました。今はもう復興の邪魔にはならないだろうと,今回,金沢市に行った折りに,能登半島まで足をのばしてみることにしました。とはいえ1周は無理なので,行ける所だけ行ってみることにしました。

 2024年11月10日。距離感がわからずずいぶん迷ったのですが,能登半島の行けるところまで行ってみようと,午前6時にホテルをチェックアウトしました。
 まず目指したのが,能登島(のとじま)でした。能登島は七尾湾を塞ぐ形で浮かぶ面積46.78平方キロメートル(東京ドーム1,000個ほど),周囲長71.9キロメートルの島で,能登島大橋が南側の屏風瀬戸に,中能登農道橋が西側の三ヶ口瀬戸に架かっていて,車で行くことができます。
 金沢市街から能登半島の西海岸に沿って,「のと里山海道」を走りました。「のと里山海道」はもともとは有料道路だったそうですが,現在は無料です。まったく信号機がないので,あっという間に長い距離を走ることができました。途中で少しだけ「千里浜なぎさドライブウェイ」を走りました。「千里浜なぎさドライブウェイ」は砂浜を車でドライブできるということで有名なところです。車が砂浜に沈まないのは砂の粒子が細かく海水を含んで引き締まっているからということです。
 天気もよく,風もなく,最高でした。まさか走る日が来るなんて思っていなかったので,幸運でした。

 予想より早く,七尾市街に着きました。七尾市街には和倉温泉があります。
  ・・・・・・
 和倉温泉は,能登半島随一の規模の温泉街です。1,200年前にシラサギが沐浴しているのを村人が見て,温泉を発見したといいます。こんこんと湯が湧き出すことから「湧浦」とよばれ地名になりました。近代的な旅館やホテルが海沿いに林立していて,和倉温泉シーサイドパークもあります。
 カキ,寒ブリ,ナマコなど新鮮な魚介類が食膳を飾ります。
  ・・・・・・
 ということだったのですが,現在は,21軒ある旅館のうち17軒が休館していて,営業再開旅館は4軒。
 また,休館している旅館のうち災害復旧業者や自治体応援職員,災害ボランティアなどを受け入れている旅館があるということです。

 能登島大橋を渡りました。
 地図で見る限り,能登島は風光明媚な場所だと思っていたのですが,海岸線沿いは景色がきれいでしたが,山が多く,私が思っていたところとは少し違いました。のとじま水族館があって,現在は営業をしていますが,私は行きませんでした。また,この島にはゲストハウスや民宿が数軒あって,営業を再開しています。
 島の道路は,一部まだ走ることができません。その中で,ほとんど崩れてしまっている悲惨な状況を見ることができました。
 私は,能登島から中能登農道橋を渡ることにしていましたが,この橋は通行することができず,来るときに渡った能登島大橋まで戻る必要がありました。

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【Summary】
After attending the Orchestra Ensemble Kanazawa concert, I checked into a nearby hotel and visited Kanazawa Castle and Kenrokuen's weekend light-up event. Though crowded and poorly managed, I explored the area out of curiosity. After a quick visit to Higashi Chaya District, I returned to the hotel for the night.

######
 井上道義指揮オーケストラ・アンサンブル金沢の演奏会が終わって,今日宿泊する東横イン兼六園香林坊にチェックインしました。ホテルからお昼間に行った金沢城はほど近い場所です。いつものように,夜は特にすることもありません。私はテレビをつけることもないし,温泉旅館で夕食をとるとき以外は,旅先で出歩いたりお酒を飲むこともありません。
 金沢城と兼六園の一帯は,週末だけライトアップをしているということだったので,夕食を兼ねて行ってみることにしました。まず,近くにあったデパートの階上のレストランに行きました。空いているだろうと思ったからでしたが,やはりそうでした。
 話は逸れますが,今や,私が若いころの価値観は完全に崩れていて,オワコン化してしまったものも少なくありません。新聞や雑誌はもちろんのこと,テレビ,デパートなども同様です。こうした泥舟からはさっさと撤退したものがビジネスで生き残るのでしょう。

 その一方で,ライトアップはすごい人でした。これはこれで,何か対策をしなければ,単に人の頭を見るだけに終わります。東京の美術展なども同じで,コロナ禍のころが懐かしいです。立ち止まるな,という係員の声が聞こえるのですが,ライトアップを見にきて,立ち止まらないで何を見るというのでしょうか? あほみたいな話です。
 私は,そんなことは承知で,どういうものか興味半分で来てみたのですが,予想通りでした。お昼は有料の兼六園ですが,どういうわけかライトアップは無料です。入園料を2,000円くらいとってみれば,もっと優雅なライトアップになると思われますが,それはそれで,今や,夢の国でなく,金持ちだけの国と化したディズニーランドと同じことになります。とはいえ,金持ちなのに,ディズニーランドごときに行くこと自体,その人が成金のような気がしますけれど…。
 せっかく,時雨亭で,オーケストラ・アンサンブル金沢の原田智子さんがヴァイオリンの演奏をしていたのに,音楽を味わえるものでもなく,気の毒な限りでした。
 そんなライトアップもほどほどに,私は,散歩がてら,ひがし茶屋街まで足をのばして,そうそうに引き上げて,ホテルに戻って寝ました。

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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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【Summary】
Honda-no-Mori Park, established in 1978, spans 5.9 hectares on the former site of the Honda family's samurai residences during the Kaga Domain era. It features cultural institutions such as museums, a Noh theater, and is known for its serene and lush environment.

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 金沢城,兼六園と続く,さらに南東の地区に,本多の森公園(ほんだのもりこうえん)があります。
  ・・・・・・
 本多の森公園は石川県営の都市公園で,多くの文化施設が整備されています。公園開設は1978年(昭和53年)で,敷地面積は5.9ヘクタール(約5ヘクタールがプロ野球のグランド程度)。本多の森公園は加賀藩期の家老本多家の武家屋敷が軒を連ねていたところで,戦後は金沢美術工芸大学の用地でしたが,現在は,石川県立美術館,石川県立歴史博物館,加賀本多博物館,石川県立能楽堂,石川県立伝統産業工芸館,石川護国神社,国立工芸館などがあります。
  ・・・・・・

 公園内には常緑広葉樹林が多く散歩道が整備され,とても心落ち着くところでした。金沢城,兼六園と観光客でごった返していたのですが,この場所は一転して,ほとんど人のいないすばらしい場所でした。
 私は,休日の東京の様を連想して,レストランはどこも激混みだと思って,この場所にあったキッチンカーでカレーを買って,そのあたりのベンチで昼食をとりました。その後,石川県立歴史博物館へ入りました。
 なかなかすばらしい場所でした。もし,金沢市に住んでいたら,この場所はお気に入りになっていることでしょう。

 さて,こうして金沢市の観光を終えて,そろそろコンサートの時間が近づいてきたので,金沢駅に戻ることにしました。
 金沢市の中心街を香林坊(こうりんぼう)といいます。変わった名前で,どこかの寺ではないのかとはじめて来たときは戸惑いました。
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 町名の由来は,戦国時代,比叡山の僧であった香林坊が還俗してこの地の町人向田家の跡取り。向田香林坊(むこうだこうりんぼう)となり,以来目薬の製造販売に成功して「香林坊家」として繁栄したという説が有力です。
 江戸時代には商店街として共に発展,明治時代になり金沢城に旧制第四高等学校が開校したことから学生向けのカフェや映画館などが集積することとなり,北陸最大の繁華街となりました。
 一時期衰退しましたが,現在は,若者の街から大人の街へと変貌しつつあります。
  ・・・・・・
 この日は土曜日ということもあり,昼食をとるところもないのでは,と私はキッチンカーのお世話になったのですが,金沢市街は,意外や意外,食事をとる場所はいくらでもあるのでした。
 確かに,現在の金沢市は外国人観光客でごった返しているのですが,彼らのほとんどは,行く場所が限られていて,そこを少し外すと,昔の小京都金沢がまだいくらでも残っているのでした。

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【Summary】
Kenrokuen Garden, created in 1676 by the Maeda clan, was later restored and opened to the public in 1874. Though crowded, it felt more relaxing than Kanazawa Castle. However, I found Seisonkaku Villa, built in 1863 as a retirement residence, more appealing, especially its serene "Tsukushi Veranda Garden."

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 金沢城の南東に百間堀通りを隔てて,広さが約12ヘクタール(約5ヘクタールがプロ野球のグランド程度)の兼六園があります。以前行ったことがあると思うのですが,全く記憶にありませんでした。
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 1676年(延宝4年)加賀藩5代藩主・前田綱紀が金沢城に面する傾斜地にあった藩の御作事所を城内に移し,その跡地に別荘「蓮池御殿」(れんちごてん)を建ててその周りを庭園化したのが兼六園のはじまりです。
 1759年(宝暦9年)宝暦の大火で焼失しましたが,15年後の1774年(安永3年)から1776年(安永5年)にかけて,10代藩主・前田治脩(はるなが)によって再興され,庭園が整備されました。
 また,1822年(文政5年)11代藩主・前田斉広(なりなが)の依頼に応じて,白河藩主松平定信が兼六園と命名しました。
 明治時代になって,1874年(明治7年)から正式に一般公開されました。
  ・・・・・・
 かなり混雑していたのが難点でしたが,張りぼてだと感じた金沢城に比べたら,くつろげる場所でした。

 とはいえ,私は,兼六園の庭園以上に,成巽閣(せいそんかく)に興味をもちました。ここは入館料が必要なので,観光客がぐっと減るのが,また,よいのでした。
  ・・・・・・
 現在,歴史博物館として一般公開されている成巽閣は,1863年(文久3年)に加賀藩12代藩主・前田斉泰が母・真龍院の隠居所として建てれらたものです。
 金沢城から見て巽の方角(東南)にあること,京都の鷹司家が辰巳殿とよばれていた事にちなんで, 建築当時は巽御殿(たつみごてん)とよばれていましたが,後に成巽閣と改められました。
  ・・・・・・
 成巽閣は,武家書院造と数寄屋風書院造をひとつの棟の中に組み入れた巧みな様式をもつ建造物で,また,大名正室の御殿ということで,優しい様相を呈しているといわれます。
 私が落ち着いたのは,御居間である「蝶の間」に面した「つくしの縁庭園」でした。
 京都などには多くの庭園がありますが,ここの庭園はそれに勝るとも劣らないものでした。

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【Summary】
On November 9, 2024, I visited Kanazawa Castle before attending an Orchestra Ensemble Kanazawa concert. Though I had been disappointed by its use as a university in my youth, I was surprised by the castle’s vast grounds after the university’s relocation. However, much of it is a recent reconstruction, feeling like a mere tourist attraction that lacks genuine charm, appealing more to foreign visitors seeking an idealized "Japan."

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 2024年11月9日,金沢市に行って,オーケストラ・アンサンブル金沢(Orchestra Ensemble Kanazawa)第487回定期公演マイスター・シリーズを聴きましたが,その折に,1泊2日で金沢市と能登半島を旅することにしていました。
 まず,11月9日は,金沢市を観光することにしました。金沢市に着いたのが午前9時ころで,午後2時からのコンサートだったのですが,すでに石川県立音楽堂の駐車場に車を停めることができたので,そこに駐車して,歩いてまわることにしました。
 私はすでに,数回,金沢市に来ています。そして,金沢駅,近江町市場,ひがし茶屋,長町武家屋敷跡,兼六園など,金沢市の主だった観光地にも行っています。ということで,ほとんどの場所は知っているのですが,何か,消化不良だという気持ちが残っているのです。
 さらに,若いころ,金沢城にも行っているのですが,その時分は,石川門をくぐるとそこは金沢大学で,がっかりした思い出があります。そこで,私は,金沢城は見どころでない,と思って,ずっと敬遠していたのですが,それは昔のことで,今は,金沢大学は移転して,金沢城として観光地化したということを聞いたので,今回行ってみたいと思ったこともあります。
 とはいえ,現在の金沢市は外国人観光客ばかり,近江町市場もまた,外国人目当ての観光地となってしまい,地元の人は寄りつかない場所になってしまったということも聞いていたので,行きたいという気持ちも減退していましたが,どうしてそんなに外国人が集まるのだろう,という謎を解きたいとも思いました。

  ・・・・・・
 「加賀百万石」というように,外様大名である前田家の領地・加賀藩の実際の石高は119万5000石に上り,領地は加賀,能登,越中3か国のほぼ一円でしたが,1639年(寛永16年)3代当主前田利常が隠居の際に富山(10万石),大聖寺(だいしょうじ)(7万石)を分藩したため,加賀藩は102万5000石となりました。
 また,前田家は徳川将軍家とも姻戚関係が深く,2代将軍徳川秀忠の娘・珠(たま)が3代藩主前田利常(としつね)に嫁ぐなど,徳川家から多くの正室を迎えたことで,家格も別格扱いで「御三家並み」に位置づけられ,将軍に拝謁する際は御三家等が控える大廊下詰が許され,松平姓と葵紋の使用も許されていました。7代藩主前田宗辰(むねとき)以降は早世が相次ぎ,また,加賀騒動とよばれるお家騒動も勃発しましたが,14代藩主前田慶寧(よしやす)まで,加賀藩は維持されました。
  ・・・・・・
 金沢城は加賀前田家の居城でした。
 すでに書いたように,若いころ,さぞかし立派だろうと思って行ってみた金沢城が大学であったことに落胆した私でしたが,その様変わりを見るために,まず,金沢城に向かいました。
 石川県立音楽堂のある金沢駅前から金沢城までは近江町市場を経由して歩いたら30分程度ということでした。外国人だらけの金沢駅前から,バスに乗る気も起きず,観光案内所で聞いた道筋に従って,金沢城に向かいました。
 途中の近江町市場は外国人目当ての「インバウン丼」があふれ,地元の人は寄りつかなくなったと聞いていたので,敬遠しました。
 金沢城に着きました。今回,再び行ってみて,大学の去った城内の広さには驚きました。とはいえ,この城は,従来からあった石川門あたり以外は,近年復元されたもので,いわば,張りぼてに過ぎず,要するに,単なるテーマパーク。私は何の魅力も感じませんでした。つまり,アメリカに憧れる日本人がディズニーランドに行ってアメリカを感じるようなものと同じですが,これを見て,外国人は日本を感じるのだろう,だからやってくるのだろうと納得しました。

加賀百万石

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 紫式部公園に隣接して,紫式部と国府資料館「紫ゆかりの館」がありました。私は,来るまで,ここが「光る君へ 越前 大河ドラマ館」だと思い込んでいました。
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 「紫ゆかりの館」は,紫式部が越前国の国府の国司に任命された父とともに,この地で1年余りをすごしたことを知り理解を深めていただくために,2021年4月にオープンした資料館です。
 当館では,紫式部が過ごした時間を体験できる展示と,国府のころより脈々と生き続けている丹南地域の伝統工芸品の展示,販売をしていいます。
  ・・・・・・
 ということで,午前9時開館だったのですが,それよりも15分ほど前に入ることができたので,見学しました。なかなかすばらしい場所で,気に入りました。しかし,先に書いたように,ここが「光る君へ 越前 大河ドラマ館」だと思っていた私は,このとき,どうも違うなあ,と気づきました。そこで,係の人に聞いてみると,この場所から北に行ったところの武生中央公園に大河ドラマ館はある,ということでした。そこで,駐車場に戻って,急いで向かいました。何せ,この時点では,大河ドラマ館は混雑していると思っていたから,なるべく早く行きたかったのです。

 武生中央公園は,子供用の遊具施設や図書館などがある立派な施設でした。その一角に倉庫のような建物があって,大河ドラマ館はそこで開催されていました。午前9時を少し過ぎていたのですが,人気げがなく,入口が暗く,やっているのかな? と思ったくらいでした。
 中に入りました。この日来たのは,私が一番乗りということでした。混雑していたらいやだな,と思っていたのですが,予想に反して,うれしい誤算でした。その後,ぱらぱらと人が入ってきました。
 展示されているのは,これまでに見た大河ドラマ館と同じように,ドラマで実際に使って,お役御免になった小道具や衣装でした。人が少ないこともあって,とても楽しく見学することができて,大いに満足しました。係の人ともいろいろな話ができました。

 越前市は,2005年に武生市と今立郡今立町が合併してできた,人口8万人程度の都市です。
 合併にあたり,新たな市の名称を巡って,少数意見の「越前市」が選ばれたことに批判があるということです。そもそも,北隣に越前町があり,南隣に南越前町があり,まぎらわしいのです。というか,私は,武生市と今立郡今立町が合併というより,こういうのは,武生市に今立郡今立町が吸収されたと考えて,そのまま武生市でいいのでは? と思ってしまうのですが,何か事情があるのでしょうか。
 高知県にも,四万十町と四万十市という紛らわしいものがあります。これもまた,以前中村市だったところが四万十市になったものです。
 越前市のある場所は,古くから拓けた土地で,越の国(こしのくに=令制国への移行に際して,越後,越中,能登,加賀,越前と分割)の国府が置かれていました。国衙跡は現在発掘中ですが,国分寺や国分尼寺の場所は不明だそうです。いかに,この地が激動の歴史をおくったかがわかるようです。
 今回は,大河ドラマ館だけが目的だったので,町の観光はしませんでしたが,車内から見た感じでは,中心市街地は,歴史的遺産を継承した古い町並や建物が残り,白壁の蔵が立ち並ぶ「蔵の辻」とよばれる一角もあって,とても風流な感じがしました。その一方で,駅前の商店街はシャッター街化してしまっていて,おそらく,これが,この町の問題なのだろうと推察しました。
 のんびりしたところなので,今度は,このあたりで適当な宿を見つけて,越前ガニでも食べながら1泊してみたいと感じました。

 帰路,道の駅「越前たけふ」に寄って,昼食をとりました。
 来るときは早朝だったのでさほどでもなかったのですが,その後,名神高速道路が工事渋滞をはじめていたので,少し遠回りして,中部縦貫自動車道から,一度走ってみたいと思っていた九頭竜ダム湖畔の国道158号線で郡上白鳥へ抜け,東海北陸道を走って帰宅しました。後で地図で確かめると,徳山湖のある国道417号線を通って,揖斐川町へ抜けるほうが距離的には短いと思いました。この地域は冬は豪雪地帯ですが,この時期は快適に走れます。朝は曇っていたのですが,このころはとてもいい天気でした。
 楽しい半日の旅になりました。

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 今年2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」。
 はじめは,何だ,貴族が政権争いをしているだけのドラマじゃないか,以前放送された「平清盛」に比べて,画像がきれいすぎてリアル感に欠けるな,と思っていたのですが,それがまあ,おもしろいこと! 史実がほどんどないのをいいことに,何でもあり,やりたい放題であることもすばらしいし,漢詩や和歌や大鏡,小右記など,昔,高等学校で学んだ漢文や古文がいたるところに出てきて,それが効果的で,そしてまた,見ているほうの教養をためされているようで,愉快です。
 ドラマはこうでなくてはいけません。
 ということで,いよいよドラマの舞台が越前になることもあって,込み合う前がいいだろうと,2024年5月21日,越前市の「光る君へ 越前 大河ドラマ館」に行ってくることにしました。

 我が家から越前市までは,名神高速道路と北陸自動車道を走れは,2時間もかかりません。朝6時すぎに家を出ました。ゴールデンウィーク後の平日だからと思うのですが,高速道路はいたるところで工事をしていて,1車線が閉鎖されている箇所が多かったのですが,渋滞することもありませんでした。唯一の誤算は,天気予報では晴れだったのに,深く雲が垂れ込んでいたことでした。
 ゆっくり走って,午前8時過ぎには越前市に着きました。
 越前市には紫式部公園というものがあって,私は,その公園の一角に「光る君へ 越前 大河ドラマ館」があるものだと勘違いをしていました。そこで,公園の駐車場に車を停めて,大河ドラマ館が開館する前に紫式部公園を見学することにしました。実際は,「光る君へ 越前 大河ドラマ館」は別の場所だったのですが,そのことは次回書きます。

 紫式部公園は,大河ドラマで紫式部が主人公になるということとは関係なく,それ以前に越前市が町おこしで作ったもののようです。
  ・・・・・・
 紫式部公園は,1981年(昭和56)に都市計画の決定を行い着手された,紫式部がこの地を訪れたことを記念して、文化的歴史的公園として整備したもので,施設としては紫式部像・紫式部歌碑・釣殿・泉池・自由広場・藤棚などがある寝殿造庭園の公園です。
 文化勲章受章者の圓鍔勝三が制作した金色に輝く紫式部像や,総檜造りの釣殿を自由に見ることが出来ます。
  ・・・・・・
 観光で来る私のようなものには,すばらしい公園ですが,地元の人には単なる散歩広場のようなものです。しかし,こんなすばらしい公園で毎日散歩できたらいいなあ,と思いました。でも,維持費が大変そうです。
 気ままに紫式部公園を歩きました。
 紫式部公園には「金色の紫式部像が池に映える姿が鑑賞できる場所が1か所だけあるので探してみてください」とパンフレットに書かれていました。その場所で写した写真が2番目のものです。

 紫式部像のまわりに3つの紫式部の詠んだ歌碑がありました。
  ・・・・・・
●春なれど 白嶺の深雪 いや積り 解くべきほどの いつとなきかな
 「年が明けたら唐人を見にそちらへ参ります」と言っていた藤原宣孝が,年が明け「春になれば氷さえ解けるもの。あなたの心もとけるものだとどうにか教えてあげたい」と言ってきたことへの返歌で,「春になりましたが,白山の雪はますます積もって解けるのはいつのことかわかりません」(春になっても私のあなたに対する気持ちは解けません)と詠んだものです。
 藤原宣孝は,紫式部が帰京した後に結婚する相手です。紫式部が父である藤原為時に同行して越前に赴いたのは,藤原宣孝の求婚から逃げるためだったという説があるそうです。
  ・・
●ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に けふやまがへる
 越前に下向した紫式部がはじめて迎えた冬のこと。初雪が降った日,日野山に積もった雪を眺めながら,都にある小塩山の松を思い出して詠んだ歌です。日野山の杉は雪が降って埋もれんばかり。都の小塩山の松にも降り積もっているのだろうか。
  ・・
●身のうさは 心のうちに したひきて いま九重に 思ひみだるる
 これは,時が過ぎ,夫の藤原宣孝と死別したのち,藤原道長の娘で一条天皇の中宮である藤原彰子に仕えるようになったときに詠んだ歌です。
 わが身の辛い思いは心の中に寄ってきて,今,宮中で心が幾重にも乱れることだ。
  ・・・・・・

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 白川郷に来たとき「白山白川郷ホワイトロード」という道路標示を見ました。どんなところか知らなかったけれど,せっかく来たので,行ってみることにしました。
 走ってみてわかったのは,この道路は,かつて「白山スーパー林道」とよばれたものだったのです。ならば,名前だけは知っていたけれど,まさか,この道路を走るとは思いませんでした。
  ・・・・・・
 「白山白川郷ホワイトロード」は,石川県白山市尾添と岐阜県大野郡白川村鳩谷を結ぶ延長33.3キロメートルの有料道路で,1977年(昭和52年)に開通した「白山スーパー林道」ですが,「林道」が未舗装や運転が難しいことを連想させるとして、2015年に名称を変更したものです。
 霊峰・白山の北側,ブナ原生林の樹海や高山植物などの景観に恵まれた山岳地帯を走る観光道路で,標高は600メートルから1,450メートルです。蛇谷渓谷の深いV字谷の断崖絶壁に沿って走っていて,県境の国見山や三方岩岳越えの区間は高度を稼ぐために大きく回り込むようにつづら折れの道路となっています。
  ・・・・・・

 白川郷側の馬狩料金ゲートから入って,終点の中宮料金ゲートまで行かずに途中でUターンすれば片道料金でいいといわれたのですが,どこでUターンをすればいいのかわかりませんでした。料金所でもらったパンフレットでは,①から➉までの見どころがかかれてあったので,その最後➉蛇谷大橋まで行くことにしました。道路は曲がりくねっていて,しかも,途中までどんどんと標高が高くなり,また,思った以上の距離でした。
 やっとのことで➉蛇谷大橋に着いたので,そこからUターンして,順に停車しながら戻りました。
 はじめのうちは滝が多く,それぞれ,見ごたえがありました。しかし,⑨親谷の滝・姥ケ滝は,駐車場から往復で30分以上,標高差のある道を歩く必要があったので,残念ながらパスしました。やがて,⑦とがの木台の展望台は標高が1,400メートルという最高地点であり,そこからは雪の残った美しい白山を見ることができました。
 ここから道路は下って行って,最後の③白川郷展望台にはできたばかりの展望デッキがあって,そこから眼下に白川郷の合掌集落がミニチュアのように眺められました。

 よほど雪深い道路らしく,先月までは通行できなかったということだったし,白川郷の合掌集落でうざったかった外国人観光客は来ておらず,また,標高が高いこともあってかなり涼しくて,とてもすばらしいドライブを楽しむことができました。
 いい選択でした。
 この後,東海北陸道を走って,帰宅しました。

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 コロナ禍以前,一度白川郷を訪れたことがあります。そのときは,あまりに多くの外国人観光客に,私はいやになりました。自撮り棒を振り回し,ソフトクリームを食べながら大声で闊歩し,秋のとても気持ちのよい時期だったと思うのですが,情緒もなにもあったものではありませんでした。
 今回,金沢市に行った帰りに,東海北陸道を経由して帰ることにして,再び,白川郷に行ってみました。さすがに前回ほどのことはないだろうと思ったのですが,さにあらず,やはり,多くの外国人観光客が大型バスで来ていました。それでも,まだ,前回よりはマシでした。

 確かに,いいところであるとは思うのですが,これほどの外国人がやってくるのはどうしてなのだろうと,ChatGPTに聞いてみることにしました。
  ・・・・・・
 白川郷は,日本の岐阜県に位置する伝統的な農村地帯であり,外国人に人気がある理由はいくつかあります。
①伝統的な日本の風景
  白川郷は,美しい自然環境と伝統的な日本の風景が広がっています。その特徴的な景観は,伝統的な茅葺屋根の家屋や風情ある田園風景から成り立っており,外国人にとってはまるで絵画のような美しさと独特の雰囲気を感じることができます。
②文化的な魅力
 白川郷は,日本の伝統的な農村文化を体験できる場所としても知られています。訪れる人々は,伝統的な茅葺屋根の家屋や農作業の風景を見学したり,地元の伝統工芸品や食文化に触れることができます。外国人にとっては,このような文化的な要素が魅力的であり,日本の伝統や歴史を深く理解する機会となります。
③世界遺産の登録
 白川郷は,1995年にユネスコの世界遺産に登録されました。この認定により,白川郷の美しい景観と文化的な価値が国際的に認められ,多くの外国人観光客が訪れるようになりました。世界遺産の登録は,外国人にとって訪れる価値のある場所であることを示す重要な要素となっています。
④映画やメディアの影響
 白川郷は,いくつかの映画やテレビ番組のロケ地としても知られています。特に,アニメ映画「千と千尋の神隠し」や日本のドラマやバラエティ番組などで頻繁に登場しました。これらのメディアの影響により,多くの外国人が白川郷に興味を持ち,実際に訪れるようになりました。
  ・・
 これらの要素が組み合わさり,白川郷は外国人に人気がある観光地となっています。その美しい景観,伝統的な文化,世界遺産の価値,そしてメディアの影響によって,多くの人々が魅了されるのです。
  ・・・・・・

 ということだそうですが,のんびりと地元のおいしいものを食べたり,家の中の見学したり,といった感じではありません。おそらくそれは,団体客がほとんどであることが理由であろうと思われます。これでは,旧街道沿いの古い建物を訪ねるほうがずっといいなあ,と思ったことでした。
 想定されたこととはいえ,せめて,空いたお店でお昼でも,という予定は実現できそうになかったのですが,幸いにして,午前11時少し前,開いたばかりのお店を見つけたので,ほかにお客さんのいないひろい店内で,ゆっくりと昼食をとることができたのは幸いでした。

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 前回金沢市に来たのは,2017年10月に大相撲の金沢巡業を見に来たときでした。金沢市は私の住む愛知県からは車ならば3時間かからず来ることができるので,身近かというかなんというか,遠い感じはしないけれど,あまり来ることもありません。
 ずっと若いころに金沢城に行こうと思ってやってきて,お城に入ったら,そこが金沢大学でがっかりしたことがありました。これでは,天下の「加賀100万石」が台なしだと思いました。私の頭には,それ以来「金沢城=金沢大学=観光地でない」という図式がしっかりでき上がり,まったく行く気を失せていたのでした。
 今回はお城の近くのホテルに泊まったのにもかかわらず行かなかったのですが,調べてみると,現在は違うみたいなので,次回,また時間を見つけて来てみたいと思ったことでした。
  ・・・・・・
 現在は公園として整備され,観光客で賑わう金沢城公園ですが,実は,金沢城公園は整備されてまだ20年ほどしか経っていません。というのも,金沢城公園は,以前は金沢大学のキャンパスだったのです。
 城郭全域を大学のキャンパスにするのは大変珍しいものでした。
 明治時代,金沢城跡には陸軍第九師団司令部や歩兵第七連隊などが置かれていました。第2次世界大戦戦後は金沢大学の丸の内キャンパスとなりましたが,その後,角間地区に総合移転することが決定し,1995年に「お城のキャンパス」は完全に姿を消しました。
 1996年には石川県が金沢城跡を国から取得し,以降,金沢城跡は公園として整備され,今は,お城のキャンパスの面影はありません。
  ・・・・・・

 コロナ禍もどこかへ去り,金沢市には外国人観光客が戻ってきたようですが,今回は,金沢市を観光する気はなかったので,お昼間はいしかわ動物園に行き,夜はおいしいものを食べて,その後,金沢駅を経由して,武家屋敷まで歩き,次の日は,東海北陸道をドライブして帰ることにしていました。
 何を食べようかと調べていたら「採れたてで新鮮なお刺身がたっぷりのった海鮮丼は,鮮魚が集まる近江町市場ならではのマストグルメです。金箔があしらわれた華やかな丼や,ボリューム自慢の丼などのお店がたくさんあります」とあったので,金沢市の名物は海鮮丼だとわかりました。そこで,近江町市場の近くの海鮮丼のお店に入りました。店内には有名人の色紙が所かまわずならんでいて,店の主は話し好きで,地ビール「百万石」も飲んで,楽しい時間を過ごすことができました。
 その後,新幹線が金沢市を通ることで新たに整備された金沢駅を経由して,夜の長町武家屋敷跡を少しだけ散策しました。
  ・・・・・・
 長町武家屋敷跡は,加賀藩時代の上流・中流階級藩士の侍屋敷が軒を連ねていたところで,土塀と石畳の路地が続いていて,現在も藩政時代の情緒ある雰囲気を味わうことができます。
 長町の地名の由来には諸説あり,藩政期から武士の邸宅が並んでいて,この辺りが長い町筋であったことや前田家の重臣である長氏の屋敷があったことなどが挙げられています。
  ・・・・・・
 金沢市はとてもいいところですが,新幹線ができて首都圏からのアクセスが容易になったためか,最近私が行った青森県の弘前市などと比べて,外国人に限らず観光客が多すぎて,私にはなじめませんでした。

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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 私がいしかわ動物園を知ったのは,すでに書いたように,佐渡島以外でトキを見ることができる動物園である,ということからでしたが,行ってみると,トキに限らず,ライチョウやホワイトタイガーなど珍しい動物が多く,また,都会から離れたすばらしい動物園だということを認識しました。広さは,北海道の旭山動物園くらいのものでしょうか。
 私は特に動物園マニアでもないように思っているのですが,よくよく思い出すと,これまでに,世界中の多くの動物園に行っています。フィンランドの北極圏近くにあるロヴァ二エミの動物園にも真冬に行ったことがあるし,アメリカでは,ノースダコタ州の州都であるビスマルクの小さな動物園から,カリフォルニア州サンディエゴの巨大な動物園まで行ったことがあります。当然,オーストラリアではコアラも抱いたし,ニュージーランドではキーウィも見ました。
 しかし,行く機会があったのにもかかわらず,なぜか見落としてしまってかなり後悔しているオーストリアのウィーンにあるシェーンブルン宮殿内にある動物園があるのですが,そこにはいつか行ってみたいものだと今でも思っています。
 これどほ世界中の動物園に行ったことのある人も多くはないかもしれませんが,そんな私が気に入ったのだから,いしかわ動物園はすばらしいところだというのがわかるというものです。

 この動物園,金沢市から結構な距離があって,どうしてこんな場所にあるのか疑問でした。
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 1999年(平成11年)10月に開園したいしかわ動物園は,石川県が設置し,一般財団法人「石川県県民ふれあい公社」が管理・運営を行っています。
 動物舎は,自然の地形を活かした中に植栽や岩,池などを配し,動物たち本来の生息環境に近い環境を再現していますし,動物が飛び越えられない幅の堀を巡らせる「モート方式」やガラス越しの観察によって,従来のコンクリートや鉄格子で仕切った狭い動物舎では見られない動物たちの生態が間近に観察できるよう配慮しています。 
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 もともとは,1958年(昭和33年)金沢市卯辰山に,演劇場・映画館・小遊園地,大浴場,宿泊施設を併設した民間施設「金沢ヘルスセンター 」の付属施設として開園したものです。しかし,「金沢ヘルスセンター 」は,入館者数の減少と施設の老朽化で1993年(平成5年)に閉園し,それとともに,動物園も幕を下ろすこととなりました。
 その後,石川県内唯一の動物園であること「動物園の公営化」の流れを受けて,石川県が施設全体を買収し,財団法人いしかわ動物園を設立しましたが,施設の狭小と老朽化を理由に金沢市から現在の地に移転しました。
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 トキの分散飼育は,ホオアカトキなどの近縁種の飼育に取り組んでいたいしかわ動物園の飼育・繁殖の実績が評価されたことで選ばれたもので,2010年に佐渡トキ保護センターからオス2羽,メス2羽の4羽がやってきてはじまりました。
 当初は一般に非公開のもとで飼育されてきましたが,2016年11月19日から一般公開を開始しました。
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 この日は,暑くもなく,寒くもなく,すずしい風が吹いていて,また,ほどほどの入場者で,食堂で待つこともなく昼食をとることもできて,楽しい時間を過ごすことができました。

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 私は,長年,トキが見たくて見たくて,佐渡島へ行こうとずっと思っていました。しかし,佐渡島は遠く,また,果たして,佐渡島へ行けばトキを見ることができるかどうかもわからず,おそらくムリだろうと,そうあきらめていたのですが,2016年に,石川県のいしかわ動物園で,トキが数羽,分散飼育をはじめたと聞いて,行ってきたことがあります。2016年12月3日のことでした。そのときのことはすでに書きました。その後,念願がかない,佐渡島で飛ぶトキを見ることができたことも,すでに書きました。
 今回,2023年5月25日から5月26日にかけて,1泊2日で金沢市に行くことができたので,その1日目,再び,かなざわ動物園に行って,トキを見ることにしました。

 この時期は梅雨なので,天気が最も心配だったのですが,未だ,晴れ男の強運は冷めておらず,2日ともとてもよい天気でした。しかも,蒸し暑くもなく,時折吹く涼しい風が最高でした。また,日曜日なので,動物園は混雑しているのでは,という心配がありましたが,これもまた,ほどほどの人出で,大丈夫でした。
 いしかわ動物園に到着したのは午前11時ころで,入園して,まず,一目散にトキのケージを目指しました。私は,すでに,佐渡島で飛ぶトキを見たので,あのころの願望はなかったのですが,それでも,目の前にいるトキをまた見てみたいという気持ちがありました。それは,佐渡島では,実際に飛んでいるトキは空高く,それほど近くで見ることはできません。また,トキを見ることができる観光用の施設もあるのですが,それは意外と遠く,また,金網のケージ越しだったので,むしろ,かなざわ動物園のほうがトキを近くで見ることができるのです。

 はじめのころは,エサを啄む姿と,木に止まっている姿だけで,飛ぶどころか,羽根も広げることがなく,少し物足りなく感じました。しばらくいると,飛ぶ姿や羽根を広げる姿を見ることできて,感動しました。
 聞いてみると,現在,いしかわ動物園で公開されているトキは,つがいと,生まれてまもない3羽の合計5羽のトキでした。2016年のときはもう少したくさん公開されていたような気がするのですが,実際は,そのときもまた,5羽でした。
 いずれにせよ,令和8年に,能登半島でトキの放鳥が決定したという話を聞いてうれしくなりました。能登半島の空をトキが舞うのも,それほど遠いことではなさそうです。そうしたら,また,見に来たいと思います。
 なお,ネットに,いしかわ動物園でのトキの飼育についてのデータが掲載されていて,2022年7月で,産卵数240個,佐渡島への返還数75羽,佐渡島での放鳥数70羽に達しているということでした。

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 今回出かけた丸岡城も,当然戦国時代の遺構ですが,「麒麟がくる」とは直接の関わりはなく,私が福知山城と丸岡城がごっちゃになっていたので,単に丸岡城が見たかっただけでした。
 しかし,丸岡城に行ってみて,せっかく福井県まで来たのならば,一乗谷朝倉氏遺跡が近いのではないかと気づきました。実際調べてみると,やはり丸岡城からはかなり近いところにあることがわかりました。そこで,帰りに寄ってみることにしました。
 一乗谷朝倉遺跡はもちろん「麒麟がくる」に大いに関わりのある場所ですが,私がこの場所を知ったのは,「麒麟がくる」ではなく,今から40年以上前に放送された大河ドラマ「国盗り物語」でです。それ以来,わざわざ行ってみることはなかったのですが,気になっていました。そこで,今回,せっかく近くに行ったのだから寄ってみることにしました。
 一乗谷朝倉遺跡に関してほ,将棋の駒が出土したという程度の知識しかありませんでした。

 Google Maps の道路案内に従って走っていくと,福井市の市街地をはなれ,山間の谷間に入って行きました。その奥が一乗谷でした。1本道をさらに進んでいくと,昔の屋敷が再現された場所があって,その奥に広い駐車場がありました。ここもまた,ほとんど車は停まっていませんでした。
 さっそく入館料を払って中にはりました。
 一乗谷朝倉氏遺跡は福井市城戸ノ内町にあって,戦国時代に一乗谷城を中心に越前とよばれたこの地方をを支配した戦国大名朝倉氏の遺跡で,谷に広がる城下町と周りの山に作られた城からなっています。
 現在の福井市街から東南に約10キロメートルもはなれている一乗谷川沿いの谷あいにあります。朝倉氏が勢力をもっていたときはずいぶんと栄えた場所ですが,のち忘れ去られました。それが辺境であったために幸いにして遺構が残り,今になって発掘され整備されたというわけです。

 日本各地のほかの城下町とは違い,こうした谷に町をつくったというのが私にはおもしろく,これで防御ができるのだろうかと思ったのですが,それは将棋でいえば穴熊のようなもので,谷に攻め込んだ敵方を袋のネズミにしてしまうような感じだったのでしょう。
 いずれにしても,こうして日本の様々な場所に行ってみると,この国は今も戦国時代の遺構がいたるところに残っています。400メートルくらいの小高い山のほとんどには砦が築かれているし,国中が勢力争いをしていたのだなあということを実感します。まるで,高いところに城を作る競争をしていたみたいです。そのために,おそらく庶民は年中駆り出されて,土木工事ばかりをしていたのでしょう。
 今の政治家もハコモノ作って名を遺すのが生きがいだと思っているから,同じようなものでしょう。
 一乗谷は東西約500メートル,南北約3キロメートルという狭い場所で,北陸道や美濃街道,朝倉街道などが交わる交通の要衝にありました。谷の周辺の山峰に城砦や見張台が築けばすべてが見渡せる広大な要塞となっていました。

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 朝倉氏はすでに南北朝時代に一乗谷を本拠にしていました。足利将軍家の分家である鞍谷公方なども住んでいたことから,応仁の乱により荒廃した京から多くの公家や高僧,文人,学者たちが避難してきたために一乗谷は飛躍的に発展し,華やかな京文化が開花しました。以前行った高知県の中村(四万十市)も応仁の乱を避けて避難した有力者が作った町だったのですが,一乗谷も同じだったのでしょう。
 4代朝倉孝景のころに全盛期を迎え,人口は1万人を超え,越前の中心地として栄えていました。
 明智光秀の計らいで,1567年(永禄10年)に5代朝倉義景が足利義昭を安養寺に迎えたことから,戦国時代に大きな関りをもつことになり,それが原因として,朝倉氏が滅ぶことになったのは皮肉です。
 1573年(天正元年)に織田信長の軍勢によって火を放たれ,一夜にして一乗谷は灰燼に帰してしまいました。織田信長が越前一向一揆を平定したあと,この地を与えられた柴田勝家は本拠地を水運・陸運に便利な北ノ庄に移したために,一乗谷は田畑の下に埋もれていったのです。
   もろともに月も忘るな糸桜 年の緒長き契と思はゞ  足利義昭
  君が代の時にあひあふ糸桜 いともかしこきけふのことの葉  朝倉義景
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 朝倉館跡正面の堀に幅2.3メートルの唐破風造り屋根の門・向唐門が当時のまま残っていました。これは朝倉氏の遺構ではなく,のちに建てられていた松雲院の寺門として朝倉義景の菩提を弔うために作られたと伝わり,江戸時代中期頃に再建されたものですが,これはこれでこの遺跡のシンボル的な存在となっています。
 朝倉館は幅約8メートル,深さ約3メートルの堀で囲まれていて,三方の土塁にはそれぞれ隅櫓や門がありました。館内は常御殿を中心として,主殿や会所,庭園などがありました。
 また,朝倉義景の墓は,1663年(寛文3年)に福井藩主松平光通が建立したものです。
 庭池と石組の豪壮な林泉庭園から砂礫と立石,伏石の枯淡な枯山水庭園まで多くの庭園が遺存していました。これらの庭園は室町時代の様式をよく伝えていて,朝倉義景時代の作庭と考えられています。 
 朝倉屋敷と道を隔てて,町並が再現されていました。100尺(約30メートル)を基準に計画的に町割がなされ,京都のように整然とした町並み作られていて,1995年(平成7年)に,発掘結果や史料等を参考に200メートルにわたって当時の町並みが復元されました。また,小規模な建物が細く並んでいた町屋も10軒ほどが復元され,裏庭、井戸、厠なども再現されていました。
 戦国時代に舞いもどったようで,不思議な気がしました。帰りに博物館に寄って,一乗谷を後にしました。

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 私が丸岡城に行ったのは3月の半ばのことなので,わずか2か月ほど前のことなのですが,ずいぶんと昔に思えます。この時期あたりまでは新型コロナウィルスによる事態はさほど深刻でなかったのですが,偶然なのか故意なのか,3月24日に東京オリンピックの延期が決まった日から急に感染者が激増してしまいました。
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 さて,東尋坊から再び丸岡城に戻ってきました。早朝に来た時と同じ場所に車を停めて,丸岡城に行きました。
 駐車場からは城郭はみえず,城までは坂道を少し登る必要がありました。すぐに美しい天守が見えてきました。城はそれほど高い場所にあるのではなく,丘の上にある少し大きな家のようで,ちょっとイメージとは違うなあと思いました。
 このときはまだ城は公開していました。城の外にあった受付のような場所で入館料を払う必要があったので,そこでお金を払ってお城に向かいました。私のほかに来ていたのは一組の夫婦連れだけで,静かな時間を過ごすことができましたが,これもまた,今では遠い昔のことのように思えます。

 1階には若干の展示と昔の城下町のジオラマがありました。城内は昔のままで,上の層に登るためのあまりにも急な階段におどろきました。この階段にはロープがつけてありましたが,もしそれがなければ険しすぎて登れないか,あるいは足をふみはずしてしまうか,といった感じでした。
 もともと,天守はシンボル的存在であって,そこで城主が暮らしていたわけでもなく,おそらくは倉庫のようなもので,頻繁に登る必要もなかったのでしょう。
 最上層に登ると,そこからはちいさな丸岡の町がよく見えました。
 降りるときも階段がまるで崖のようで苦労しました。天守の外に出ると,私が行ったときはまだ桜が咲く季節ではなかったのですが,それでも早咲きの桜が少しだけ咲いていたので,桜と天守が一緒に収まる場所を探して写真を撮りました。

 天守の下に博物館があって,そこで丸岡藩と丸岡城について詳しく知ることができました。
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 丸岡城は丸岡藩の居城でした。
 丸岡藩は,戦国時代,織田信長の配下柴田勝家の養子であった柴田勝豊が治めていました。柴田勝豊が賤ヶ岳の戦いののち病死すると,豊臣秀吉の家臣であった青山宗勝・青山忠元父子が丸岡藩に入りましたが,関ヶ原の戦いで西軍に与したため改易され,代わって入ったのは結城秀康の重臣・今村盛次でした。しかし,今村盛次は福井藩重臣による内紛に巻き込まれて流罪とされ,その次に徳川家康に仕えた本多重次の子・本多成重が入りました。
 本多成重と子の本多重能,そして孫の本多重昭の3代は藩政の確立に尽力しましたが,本多重昭の子の本多重益は無能の上,酒色に溺れ,それがもとで家臣の本多織部と太田又八の間で内紛が起こり,幕命により改易されてしまいました。
 このように,丸岡藩の藩主は災難続きでしたが,戦国時代,キリシタン大名で有名な有馬晴信の曾孫・有馬清純が越後糸魚川藩から入部し,やっと落ち着きました。その次の藩主である有馬一準の時代には外様から譜代へ格上げされ,第5代藩主の有馬誉純は若年寄,第8代藩主の有馬道純は老中という幕府の要職に就任しました。
 明治維新ののち,有馬道純は版籍奉還により丸岡藩知事となり,さらに廃藩置県によって丸岡藩は廃藩となりました。
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 丸岡城は,日本に現存する12の天守のひとつです。合戦時に大蛇が現れて霞を吹き城を隠したという伝説により,別名を「霞ケ城」といいます。
 城はもともとは安土桃山時代に建造されたと推定されることから現存最古の天守とよばれ,犬山城の天守との論争がありました。それは,1576年(天正4年)に柴田勝豊が建造したものであるという説と,建築史の観点で慶長期の特徴を多く見ることができるから本多成重が入城した1596年(慶長元年)以降の築造もしくは改修という説なのですが,調査の結果,使われている部材に伐採年代が1620年代以降と推定されるものが多いことがわかって,現在では,天守は1624年の寛永期に藩主本多成重によって整備されたと考えられています。
 丸岡城は天守のみ残っていて,櫓はありません。また,聞いてみると,城下町の風情の残る場所も残念ながらありませんでした。それは,1948年(昭和23年)の福井地震でこの町自体がほとんど壊滅的な被害を受けたためだそうです。そして,この地震で天守も倒壊してしまい,現在の天守は,1955年(昭和30年)に部材を70%以上再利用して組み直して修復再建されたものだそうです。
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 風情のある天守でしたが,思いのほか小さなお城でした。見学をしたあと,駐車場の場所にあったレストラン「一筆啓上茶屋」で地元産の越前おろしそばを食べました。客は私ひとりでした。
 私はグルメではないのですが,その土地に行けばその土地の名物を食べるようにしています。福井県の嶺北地方では,冷たいそばにたっぷりの大根おろしと削り節,刻みネギをのせて食べる越前おろしそばが有名だそうです。
 越前おろしそばは,今から400年以上前の1601年(慶長6年),府中(現在の越前市)の領主としてやってきた本田富正が京都の伏見からそば職人の金子権左衛門を連れてきたことがはじまりです。城下の人々に戦や災害に備える救荒食としてそばの栽培を奨励し,健康面でもプラスになるように大根おろしと一緒に食べるそばを考案したのが越前おろしそばの由来だといわれているとのことです。
 おいしくおそばをいただいて,わずかな時間の滞在でしたが,丸岡城を後に帰宅することにしました。

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 東尋坊はずいぶん昔に行ったことがあるという記憶だけですが,どういうところだったかはまったく覚えがありませんでした。知っているのは,そこが自殺の名所,あるいは「サスペンスドラマの聖地」とかいう噂だけです。しかし,もちろん私はそういうものではなく,単に時間つぶし,そして,東尋坊がどういうところかを確認することだけが目的でした。

 世界的にも珍しい断崖絶壁の絶景が臨めるという東尋坊は,その荒々しさや迫力からサスペンスドラマのラストシーンで多く使用されていて,ドラマでは,ここで犯人が自供するシーンがたびたび現れます。
 東尋坊は「輝石安山岩の柱状節理」という珍しい奇岩で構成されている海食崖です。こうした奇岩が大規模に広がっているのは朝鮮半島の金剛山とスカンジナビア半島のノルウェーの西海岸,そして東尋坊しかないそうです。
 崖は1キロメートルにわたり,最も高い場所で25メートルもの垂直の崖です。東尋坊は今から約1,200万年前から1,300万年前の新生代第三紀中新世に起こった火山活動でマグマが堆積岩層中に貫入して冷え固まってできた火山岩が日本海の波による侵食を受け地上に現れたものとされています。

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 昔,福井県東部の山間「奥越」に「平泉寺」という大きな寺に,東尋坊という極悪非道の僧侶がいました。東尋坊は暴れ出すと手がつけられないほどの怪力の持ち主で,悪事を重ね近隣の民を苦しめていました。東尋坊にはあや姫という思い人がいて,恋敵である真柄覚念という僧侶といがみ合っていました。
 平泉寺の僧侶たちが東尋坊を海辺見物に誘い出し,崖の上で酒盛りをしていたとき,真柄覚念が泥酔した東尋坊を絶壁から突き落としてしまいました。すると,東尋坊が海に沈むやいなや,それまで晴天だった空に俄かに暗雲が立ち込め,豪雨と雷が地上を襲い,ついに東尋坊を突き落とした真柄覚念も絶壁の底へと落ちていき,それ以降49日間にわたって東尋坊の無念により海は大荒れとなりました。
 それ以降,崖が広がる一帯が東尋坊と呼ばれるようになったということです。
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 公共の駐車場は有料らしかったのですが,東尋坊に続く道の一番手間にあるお店が無料駐車場の看板をかかげていました。商売上手で,駐車してもらって,帰りにその店で食事をしたり土産を買ってもらおうということのようでした。私もそこに車を停めると,さっそくどこからか店員さんが出てきて,お店の中を通ると東尋坊まで近道だと案内してくれました。
 私はずうずうしいので何も買わずに店を通りぬけ,東尋坊に向かいました。お寺の参道のようにまわりに多くのお店が並んでいて,いかにも昔からある日本の観光地でした。しかし,なにせ,朝早すぎてまだほとんどのお店は準備中でした。そうした参道のような道を過ぎると,海岸に出ました。そこが東尋坊でした。
 もっと雄大なのかと思っていたので拍子抜けをしたのですが,それは,私が海外でとんでもない風景を見慣れているからでした。私以外に観光客もおらず,写真を撮ってもらうにも頼む人がいませんでしたが,かろうじて若者がひとりやってきたので,写真を撮ってもらいました。
 太平洋岸は晴れていたのに,この日の日本海側は天気が悪く,それがまた日本海らしいというか…。
 短い時間でしたが,東尋坊がどういうところなのかわかったので納得して,丸岡城に戻ることにしました。
 帰りも親切なお店の中を何も買わずに通り抜け,車に乗ってそのまま丸岡に戻りました。

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 3月6日,余部鉄橋を見にいった帰りに福知山城と黒井城に寄ったことはすでに書きました。福知山城は明智光秀の居城だったところで,その美しい姿に一度は見たいものだと思っていたのですが,実際行ってみると,そこは鉄筋コンクリートのお城であることを知って,がっかりしました。そして,どうやら,私は,福知山城と丸岡城をごっちゃにしていることに気づきました。私は城マニアでないので,知識はその程度のものです。
 そこで,「一度は行きたかったでもわざわざ行かなくては行かれない場所に行ってみよう」という計画の続きでいろんなところに日帰りドライブ旅行をしている一環として,丸岡城に行ってみることにしました。丸岡城もまた,どこにあるか,まったく知りませんでした。調べてみると,福井市の北にあるようでした。福井市は以前,仕事で行ったことがあります。そのとき,交通費を節約して高速バスを利用したのですが,福井市が名古屋からずいぶん近いことに驚きました。そして,大都市が近くにない福井市の人は用事があると気軽に名古屋に来るということを知りました。

 よい天気でした。今回もまた,早朝6時に自宅を出て,名神高速道と北陸自動車道を乗り継いで日帰りでドライブすることにしました。これまで行った余部や親不知に比べたら,比較にならないほど近いところで,わずか2時間,あっという間に福井インターチェンジに着いてしまいました。福井インターチェンジを過ぎると,やがて左前方に町が広がり,その中心付近に小さなお城が見えました。丸岡城は山城ではなく,町の真ん中にあって,家々と馴染んでいました。
 ただ,誤算は天気でした。自宅を出たときは晴れていたのですが,日本海はまったくそうではなく,曇天,しかも,とても寒い日でした。
 丸岡インターチェンジで降りて,Google Maps のナビゲーションに従って走っていくと,ほどなくお城の駐車場の着きました。丸岡城は坂井市にありました。坂井市は思った以上に小さな町でした。そしてまた,小さな城郭でした。広い駐車場がありましたが,1台も車は停まっていませんでした。時間はまだ午前8時前。ちょっと早すぎるなあ,と思って,どこか近くに寄る場所でもないかなあと地図を見ると,東尋坊まで25分でした。そこで,まず,東尋坊まで足を延ばすことにしました。
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 というわけで,3月17日の朝8時すぎ,出かけるときに行くとも思わなかった,そして,私以外に誰もいない寒さ震える東尋坊で,私は日本海を眺めていたのでした。

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 駐車場を出て国道8号線を東に進んでいくと,やがて道の駅に着きました。このあたりが子不知だそうです。
 ここで難所も終わり,先には平地が見えてきました。昔の旅人はほっとしたことでしょう。さらに行くと姫川があって,橋を越えると糸魚川市です。糸魚川市といえば,東北日本と西南日本の境目となる中央地溝帯・フォッサマグナです。小学校で習いました。
 本来なら,私は列車に乗ってこの糸魚川市に着いて,ここから西に親不知海岸に列車で目指す1泊2日の旅をするはずでした。
 車で走っていると,乗るはずだった1両編成の列車が走っているのが見えました。しかし,こうして車であっという間に来てみると,これでは旅情もへったくれももなく,ただ来たというだけのことでした。
 目的は親不知海岸を見てみたいということだけだったので,ここらあたりで引き返すことにしました。目的を達成できて,これはこれで満足しました。
 帰りの途中,市振の集落に差し掛かったので,一旦国道8号線を降りて集落の細い道に入りました。

 松尾芭蕉は「奥の細道」で,次のように書いています。
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 今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなど云北国一の難所を越て,つかれ侍れば,枕引よせて寐たるに,一間隔て面の方に,若き女の声二人計ときこゆ。
 年老たるおのこの声も交て物語するをきけば,越後の国新潟と云所の遊女成し。伊勢参宮するとて,此関までおのこの送りて,あすは古郷にかへす文したゝめて,はかなき言伝などしやる也。
 白浪のよする汀に身をはふらかし,あまのこの世をあさましう下りて,定めなき契,日々の業因,いかにつたなしと,物云をきくきく寐入て,あした旅立に,我々にむかひて,「行衛しらぬ旅路のうさ,あまり覚束なう悲しく侍れば,見えがくれにも御跡をしたひ侍ん。
 衣の上の御情に大慈のめぐみをたれて結縁せさせ給へ」と,泪を落す。不便の事には侍れども,「我々は所々にてとヾまる方おほし。只人の行にまかせて行べし。神明の加護,かならず恙なかるべし」と,云捨て出つゝ,哀さしばらくやまざりけらし 。
  一家に遊女もねたり萩と月
 曾良にかたれば,書とヾめ侍る。
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 このときに松尾芭蕉が泊ったという宿の跡が残されていました。
 ここはまた,市振の関所があった場所です。市振の関所は1614年(慶長19年)に設けられたものといわれ,加賀藩最大の関所でした。越後に通じる親不知の難所を控え,交通の要所を押さえるように国境に設置されたものです。
 加賀藩はこの地を直轄地とし国境警備に重点をおいたので,ここは全国でも最大級の規模をもつ関所でした。関所には,海辺や海上渡航改めをする浜関所,街道通行改めの関所,海上や山中を不法越境するものを見張る御亭,藩主が宿泊した御旅屋,射撃場,牢屋,役人の長屋などがありました。
 現在は,静かな漁港となっています。

 さて,これで帰宅です。
 せっかく来たので,立山やら黒部やらまで足を延ばしてもいいのですが,特に行くための準備もしていなかったので,立山の姿だけを遠くから見て,行きと同じ東海北陸自動車道で引き返すことにしました。
 立山は雪を被った姿がよく見えました。若いころは,妙高,赤倉,栂池,白馬,八方尾根など,数多くのスキー場に通ったものです。改めて地図を見ると,今回私が来たところは,そうしたスキー場からとても近い場所であることに驚きました。しかし,当時は,こんなことにはまったく興味もなく,朝から晩までスキーをしていただけでした。思えばもったいないことをしたものです。

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