しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:日本国内 > 東海

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【Summary】
After visiting the Hamaoka Nuclear Power Museum, I headed west along Route 150 and thought of visiting Toyohashi General Botanical and Zoological Park (Nonhoi Park) in Aichi Prefecture. There was ample parking, and although the café at the observation tower was crowded, the spacious park was pleasant. The park's naturalistic exhibits were impressive, and I was delighted to see the orangutans. I felt I would like to visit again on a weekday morning.

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 浜岡原子力発電所のPR施設である浜岡原子力館を見学したあと,さて,どこに寄って帰宅しようかと考えました。この日はまだ暑かったのですが,さすがに真夏のようなことはありませんでした。
 私は静岡県の太平洋岸を走る国道150号線に沿って,西に進んでいます。このまま行くと,国道1号線バイパスに入ります。国道1号線バイパスは,以前走ったことがあるのですが,すばらしい眺めだったという印象があります。そして,そのまま行くと愛知県に入ります。そこで思い当たったのが,豊橋総合動植物公園(のんほいパーク)でした。ここもまた,今から30年くらい前に1度行ったことがありますが,いいところだなあ,という記憶があります。
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 1954年(昭和29年)に豊橋公園に豊橋動物園が開園し,1970年(昭和45年)に豊橋子供自然公園として現在の場所に移りました。そして,1992年(平成4年)に39.6 ヘクタール(約5ヘクタールがプロ野球のグランド程度)という広大な敷地内に整備されて,豊橋総合動植物公園(のんほいパーク)として開園しました。
 入園者数は,全国の公立動物園70園中で8位です。
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 駐車場は広く,容易に停めることができました。
 ちょうどお昼時だったので,どこかで食事でも,と,せっかくだから展望塔最上階の「ステラカフェ」に行ったのですが,満席で,20分程度待つ必要がありました。そもそも,この日は日曜日。こんな日に動物園に行くこと自体が悪手なのですが,園内は広く,レストランで待ち時間以外は特にストレスはありませんでした。
 豊橋総合動植物公園(のんほいパーク)のいいところは,動物の自然な姿や生息地の環境を身近に感じることができるように造られていて,アフリカのサバンナに生息する動物には,草木や岩,プールなどを用いて草原や水辺をリアルに再現した放飼場を,また,極寒の極地に生息する動物には,白夜を再現した年間を通して低温な展示室を設けていることで,これには,名古屋の東山動植物園はかないません。とはいえ,白浜のアドベンチャーワールドの規模に及びません。とはいえ,アドベンチャーワールドもまた,私が以前行ったことがある広さ800ヘクタールあるサンディエゴ動物園サファリパーク(The San Diego Zoo Safari Park)には到底及ぶものではありません。
 豊橋総合動植物公園(のんほいパーク)で最もよかったのは,私の推しであるオランウータンが2人いたことでした。これだけでも来た甲斐ががあったというものです。また,空いている平日に朝から来てみたいものだと思いました。

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【Summary】
On October 5, 2024, I rode the Thomas train in the morning, visited the Toro Ruins and Kunozan Toshogu Shrine in the afternoon, and stayed at Toyoko Inn after dinner in Fujieda. The next day, I traveled through Omaezaki for the first time, enjoying scenic views, including Mt. Fuji and the Pacific Ocean from the lighthouse. I visited Sakuragaike, a mysterious lake tied to local legends. Lastly, I toured Hamaoka Nuclear Power Plant, which has been shut down since 2011 due to seismic safety concerns.

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 2024年10月5日,午前は機関車トーマス号に乗車し,午後はまず登呂遺跡に行き,次に久能山東照宮へ行ったあと,藤枝駅前へ向かう途中で,きれいでおいしそうなおそば屋さんがあったのでそこで夕食をとったあと,東横インに宿泊しました。
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 さて,次の日。これまで行ったことがない御前崎を通りながら帰宅することにしました。
 静岡県。私は東海道線に沿った場所は多く行ったのですが,それ以外のところはなかなか行く機会がありませんでした。そのうち,天竜川や大井川に沿った山側は,このごろ行く機会があったのですが,南側,御前崎のあたりは,まったく行ったことがなく,どういうところなのだろうと気になっていました。そこで,今回行ってみることにしたのです。
 ちなみに,伊豆半島は,まだほとんどの場所を知らないので,そのうち行ってみようと思っています。

 藤枝市からずっと南に走っていくと御前崎に着きました。この日はとても天気がよく,すばらしい景色でした。遠くに富士山も見えたし,御前崎には灯台があって,そこからの太平洋を眺めると,地球の丸さを実感できました。
 その後,海岸に沿って走っていくと,浜岡原子力発電所があります。その途中に,桜ヶ池という場所があったので,寄ってみました。突然,すばらしい風景が現れました。
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 30代敏達天皇13年(584年)に瀬織津比詳命が出現し,池宮神社が創建されました。
 平安時代はじめに衰退しましたが,一条天皇の1001年(長保3年)に源朝臣信栄が再興し,やがて徳川家の崇敬を受けました。
 池宮神社のある 桜ヶ池は,約2万年前にできた砂丘堰止湖で,面積はおよそ2万平方メートルあります。平安末期の1169年6月13日,比叡山の皇円阿闍利が,56億7,000万年後に現れるという弥勒菩薩に教えを乞うと言い残して,桜ヶ池に入水し,竜神となりました。それ以降,秋の彼岸の中日に赤飯を詰めたお櫃を池に沈めて竜神に供える奇祭「お櫃納め」(おひつおさめ)が行われています。
 「お櫃納め」が行われた数日後,空になったお櫃が浮いてくるといわれ,これが遠州七不思議のひとつになっているそうです。また, 桜ヶ池に沈めたお櫃が諏訪湖に浮いたことがあるとされ,諏訪湖と地底でつながっているといういい伝えもあります。
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 このような不思議な場所を知るのも,予定を立てずに旅をしている楽しみです。

 そこから少し行くと,中部電力の浜岡原子力発電所がありました。名前は以前から知っていて,地図だけで見ると,人里離れたところのように思えたのですが,実際はまったく異なっていて,街中で驚きました。  
 2024年7月4日から7月7日まで3泊4日で行った青森県の下北半島に東通(ひがしどおり)原子力発電所とPR施設「トントゥビレッジ」がありましたが,浜岡原子力発電所にも,同じように浜岡原子力館があったので,見学しました。
 浜岡原子力発電所は中部電力唯一の原子力発電所で,1号機から5号機まで発電設備がありますが,1号機と2号機は,2009年に運転を終了しました。
 東海地震の予想震源域である御前崎にあり,活断層が直下にあるという仮説まで発表されていることで,耐震性の不足が懸念されています。2011年の東北地方太平洋沖地震以降,運転再開が見送られています。

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【Summary】
I visited Kunozan Toshogu, where Tokugawa Ieyasu was buried after his death in 1616. Unlike Nikko Toshogu, it is located on the southern slope of Mount Kuno, requiring a steep 1,159-step climb. The main attraction was the sacred pagoda, which felt more imposing than the one in Nikko. I sensed a spiritual presence, believing Ieyasu’s remains were truly here.

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 2024年5月14日に日光東照宮へ行きました。
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 徳川家康の遺言によって,1周忌に2代将軍徳川秀忠によって造営されたのが日光東照宮の奥宮にある宝塔です。徳川家康の遺骸はこの中に葬られているとされます。
 通説では,久能山から運ばれてきた家康の霊柩が日光に到着したとあり,徳川家康の遺体はこの地にあるとされます。しかし,それ以前,久能山に葬られた徳川家康の遺体は今も久能山にあり,日光には神霊だけが遷し祀られたはず,という説があります。
 ならば,私は,まだ行ったことがない久能山東照宮にも行ってみたい,と思ったことでした。
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と書いたように,久能山東照宮へやって来ました。

 私は,どんなところか想像もできなかったのですが,おそらく,静岡市に近くの山の中だと思っていました。しかし,違いました。駿河湾沿いに走る国道150号線に,久能山東照宮の参道はありました。
有料駐車場に車を停めました。駿河湾に面した久能山の南斜面に設けられた1,159段の曲がりくねった石段を登った上に神社があるので,海抜0メートルから216メートルも上ることになるのでした。日光東照宮よりたいへんだなあ,と思いました。
 やっと目的の久能山東照宮に着きました。
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 久能山は,推古天皇のころ,秦氏の末柄にあたる秦久能忠仁が久能寺を建立しました。
 1568年(永禄11年)駿河侵攻で駿府を制した武田信玄は,この要害の地に久能城を築きましたが,武田氏滅亡とともに久能城は徳川家康のその支配下に入りました。晩年を駿府で過ごした徳川家康は1616年(元和2年)に死去し,久能山東照宮に埋葬されました。 江戸時代には20年に1度,明治時代以降は50年に1度,社殿など諸建造物の漆塗り替えが行われています。
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 私が見たかったのは,ここにある宝塔でした。宝塔は,久能山東照宮の裏手にありました。
 久能山東照宮にある徳川家康の宝塔は,日光東照宮の徳川家康の宝塔より威厳が感じられました。私は,ここに徳川家康の遺体はここにあるのだろうという,何か,霊気を感じました。

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【Summary】
The Toro Site, discovered during WWII near Shizuoka, is a significant Yayoi-era archaeological site, known for being the first to reveal ancient rice paddies in Japan. Unlike other Yayoi sites like Yoshinogari, Toro shows no signs of conflict, suggesting it was a peaceful village. A museum there offers exhibits and hands-on experiences of Yayoi life, with restored dwellings and rice fields. Though home to only 30-40 people and buried by flooding, the site is well-preserved today.

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 私が子供のころ,小学校でに習った古代史は,縄文時代の遺跡はほとんど残っておらず,弥生時代は登呂遺跡一択でした。そこで,「弥生時代=登呂遺跡」という知識が刻まれました。
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 登呂遺跡は,第2次世界大戦中に発見された弥生時代の遺跡です,当時,日本ではじめて弥生時代の水田跡が見つかったことで,日本の稲作文化を証明させた遺跡として評価されました。
 しかし,その後,弥生時代最大の遺跡である吉野ケ里遺跡が発掘されて研究が進んだことで,登呂遺跡が教科書に載ることのほどんどなくなり,現在の子供たちは,登呂遺跡という名前すら知らないことが多くなりました。
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 そんな登呂遺跡,これまで行ったことがなかったことと,現在どうなっているのかな,という興味とで,機関車トーマス号に乗ったあと,行ってみることにしました。

 場所は,静岡市の近くでした。 
 広い有料の駐車場がありました。単なる公園なのかな,と思っていたのですが,さにあらず。整備された場所は,現在もきちんと保存されていて,博物館もありました。また,ちょうど,秋祭りが行わていて,とても多くの人でにぎわっていました。
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 登呂博物館は登呂遺跡の中にある遺跡と一体化した博物館で,登呂遺跡から出土した遺物の展示だけでなく,弥生時代の生活が感じられる体験学習も行っています。
 登呂遺跡は弥生時代を代表する遺跡のひとつで,跡内には博物館の外に住居などの建物と水田が復元されているので,博物館での展示,体験と遺跡の3つの方向から弥生時代を存分に体験することができます。
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 ということでした。

 はじめに登呂博物館に行きました。学芸員の人から詳しい説明を聞きました。
 登呂遺跡はわずか30人から40人程度が住んでいたところで,生活を営む最小単位だったようです。また,ここに住居していた期間はそれほど長いものではなく,大井川の洪水で埋まってしまったそうです。逆に,埋まってしまったからこそ,当時使われていたものがそのままの形で現存できたともいえます。
 私は,今から10年ほど前,吉野ケ里遺跡に行ったことがあります。そのときに思ったのは,階級社会とともに,戦うムラでした。平和だった縄文時代がすぎ,貧富の格差ができて,戦いの繰り返しだった弥生時代。こんなところに住みたいとは思いませんでした。
 そこで聞いてみました。私がとても興味深く思ったのは,登呂遺跡には,戦いの跡がまったくない,ということでした。平和なムラだったようです。ただし,登呂遺跡には,墓が見つかっていない,ということでした。
 また,当時の住居を再現したところには,古代米を植えた田んぼもありました。こうした住居を維持するのはたいへんだろうな,と思いました。

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Supermoon, Hunter's Moon 2024.

写真は,秋田県,乳頭山の麓に沈む2024年10月17日の満月です。
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【Summary】
Due to damage from Typhoon No. 15 in September 2022, the Oigawa Railway line between Kawane Onsen-Sasamado and Senzu Stations remains closed. The Thomas the Tank Engine train now runs from Shin-Kanaya to Kawane Onsen-Sasamado, returning with the engine at the rear. Scenic views include tea fields and Kawane Onsen. After a stop at the station and some sightseeing, the train returns to Shin-Kanaya, where visitors can enjoy the Thomas Fair, including a turntable show.

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 大井川鐡道は,2022年9月の台風15号による被害で,大井川本線の川根温泉笹間渡駅と千頭駅の間が現在も不通となっています。そこで,機関車トーマス号も,以前は千頭駅まで走っていたものが,行くことができなくなったので,現在は,新金谷駅から川根温泉笹間渡駅まで行って,そこで新金谷駅まで引き返すようになっています。機関車を回転させることができないために,復路は最後尾だったところに機関車を接続して走り,機関車トーマス号は後ろ向きに引っ張られるというお間抜けな状態です。
 川根温泉笹間渡駅への途中の景色は,茶畑でした。ここは川根茶として有名なところです。
 家山駅を過ぎると,窓から川根温泉が見えてきました。川根温泉の露天風呂から機関車トーマス号やSL列車が走っている姿を見ることができるということで知られているのですが,反対に,列車の中からも露天風呂が丸見え,ということになります。
 やがて,川根温泉笹間渡駅に着きました。ここで列車は逆向きに走ることになるので,その準備のためにしばらく停車します。乗客はホームに降りることができないのですが,駅のホームでは,売り子が「SL黒アイス」の販売をしていました。私も買って食べました。

 しばらくすると列車が出発して,家山駅に到着しました。ここで降りることもできるのですが,降りて寸又峡温泉にでも行くのならともかく,そうでなければ,降りてもすることがなくて困るので,ほとんどの人はそのまま乗っていました。この駅から乗り込む人もいましたが,どこから来たのだろう?
 家山駅を出発しました。あとは,戻るだけ。今度は機関車が引っ張るので,行きよりもはやい速度で走りました。そして,午前11時9分,新金谷駅に到着しました。
 新金谷駅の構内では,きかんしゃトーマスフェアというものをやっていて,子供用の乗り物などが走っていました。ここのウリは転車台で,今走って来た機関車トーマス号が客車を切り離し,午前11時25分から転車台に乗って1周します。180度向きを変えるわけではなく,360度回るから,これは単なるアトラクションなのですが,見ていて楽しいものでした。そもそも,転車台が現役であることもほとんどありません。

 機関車トーマス号が転車台を1周するのを見たあとは,新金谷駅の駅舎の中にあった売店で昼食を買って,ベンチに座って食べました。こうして,この日の午前中,童心に帰って,楽しい時間を過ごしました。
 なお,機関車トーマス号の走っている姿を撮影したいなら,私のように機関車トーマス号に乗車しなくても,大井川鐡道沿線で動画を写すほうがいいのかな,と思ったりもしましたが,それでは,大井川鐡道はもうかりません。私は子供たちに,いや,大人にも夢を与えてくれる大井川鐡道を応援したいです。そして,全線の復旧を待ち焦がれています。

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【Summary】
I took the 9:30 Thomas the Tank Engine train from Shin-Kanaya Station and returned there after the ride. The first train, 9:30, had plenty of empty seats, but the second one, 12:34,  was fully booked, requiring reservations. The train had Thomas-themed decorations, adding to the charm. During the ride, I enjoyed nostalgic steam engine sounds and spotted Bertie the Bus running alongside. I bought "Thomas dorayaki" on board, and the large portion of red bean paste made me full after just one piece.

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 機関車トーマス号は,主に週末に運行されます。運転時間は
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 【1便目】新金谷駅9:30発→川根温泉笹間渡駅→家山駅10:36着/10:41発→新金谷駅11:09着
 【2便目】新金谷駅12:34発→川根温泉笹間渡駅→家山駅13:29着/13:34発→新金谷駅14:02着
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となっていて,家山駅で下車することも,家山駅から乗車することも,そのまま乗り続けることもできます。
 私は,新金谷駅9:30発に乗車して,そのまま,新金谷駅まで戻ってくることにしました。
 また,前回私が乗ったSL列車も週末に運行していて,こちらは,新金谷駅10:05発→家山駅10:33着や,家山駅11:10発→新金谷駅11:37着などがあります。つまり,機関車トーマス号から少し遅れて出発するので,そちら目当ての人も駅に多くいて,その結果,機関車トーマス号のお見送りが盛大になっていたのです。

 機関車トーマス号が車庫から出てきて,客車と連結して,ホームに入りました。私も乗り込みました。さすがに【1便目】は朝が早いので,空席がけっこうあったので,予約なしでも当日乗ることができようでしたが,さすがに【2便目】は満席だったので,事前の予約が必須でした。客車に乗り込んでしまえば,機関車がなんであれ同じなのですが,座席に機関車「トーマス」のカバーがかけられていたり,天井には飾りがあったりで,なかなかのものでした。
 やがて,機関車トーマス号が出発しました。走っているときの汽笛やら動作音やらが,旅情を増してくれます。子供のころ,実際に運行していたSLに乗ったことがあるのですが,それを思い出して,懐かしくなりました。新幹線もいいですが,こういうのもまたすてきです。

 窓から外を見ると,バスのバーティが並走して走っていました。これに乗るには,行きが機関車トーマス号,帰りがバスのバーティというお弁当つきのツアーがあって,それを利用する必要があります。
 やがて,車内限定のグッズを売りにやってきたので,トーマスどら焼きなるものを購入しました。中には3個のどら焼きが入っていたのですが,そのあんこの巨大なことといったら! 私は1個食べて,おなかが一杯になってしまいました。

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【Summary】
Arriving at Shin-Kanaya Station to ride the Thomas the Tank Engine train, I had time before the ticket office opened, so I wandered around and realized I had visited the area eight years ago. In 2016, after attending a concert in Tokyo, I walked from Shimada Station to Kanaya Station. Now, I find the peaceful atmosphere of this place truly relaxing, despite once thinking there was nothing here. This October has been unusually hot, and the spider lilies are just blooming, offering beautiful scenery that leaves me feeling fulfilled even before boarding the train.

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 機関車トーマス号に乗ろうと,新金谷駅に着きましたが,予約したチケットを受け取る新金谷駅前のPLAZA LOCOが開く午前8時30分には,まだ1時間以上時間があったので,付近を散策することにしました。
 歩いてみると,このあたり,一度来たことがある,と思い当たりました。それは,もう8年前のことになります。
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 2016年12月25日,「N響第九」のチケットを買ったので行くことになった東京でした。演奏会のあと,私はJRの東海道在来線に乗って,沼津駅で降りました。そして,その翌日は,富士山がきれいに見られるよい天気であり,寒くなく絶好の散歩日和だったので,島田駅で降りて,大井川を渡り,次の金谷駅まで歩いたのです。
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 そのときの場所でした。

 それにしても,当時は,金谷宿付近には何もないなあ,ということしか思わなかったのですが,その後,大井川鐡道に乗るためにこの地に何度も足を運ぶことになるとは,夢にも思いませんでした。
 大井川鐡道の新金谷駅は,私が歩いた旧東海道の,ほんの近くだったのですが,当時は,そんな場所だとはまったく知りませんでした。
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 金谷宿は,東海道五十三次の24番目の宿場でした。
 大井川の右岸(右岸は上流から下流を見たときの方向でこの場合は京都側にあたります)にあり,牧之原台地が迫る狭隘な場所ですが,増水で川止めとなって,大井川の川越が禁止されると,江戸へ下る旅客が足止めされ,次の島田宿と同様,江戸のような賑わいをみせました。
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 あれから,ずいぶんいろいろな場所に旅をして,その結果,こうしたのどかなところが,最もこころ休まる場所だ,ということを実感するようになりました。
 2024年の今年は異常に暑く,もう10月も中旬になろうというころに,やっと曼殊沙華が咲くようになりました。美しい景色でした。これから今回の目的である機関車トーマス号に乗ろうというのに,すでに,すっかり満足してしまいました。

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【Summary】
On October 5, 2024, I finally fulfilled my dream of riding the Thomas the Tank Engine train on the Oigawa Railway. I had previously ridden the SL train from Shin-Kanaya to Ieyama in May, but due to rain, I couldn’t visit Oku-Oi Kojo Station as planned. This time, I drove to Shin-Kanaya, boarded the Thomas train to Kawane Onsen, and stayed in Fujieda overnight for sightseeing in Shizuoka.

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 2024年10月5日,ついに念願だった大井川鐡道の機関車トーマス号に乗ることができました。
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 大井川鐡道のSL列車に乗りたいとずっと思っていました。そこで,2024年5月27日から5月28日に1泊2日で,1日目は大井川鐡道・大井川本線の新金谷駅から家山駅までSL列車に乗り,家山駅から千頭駅までは現在不通になっているので,町営バスで行き,寸又峡温泉で1泊して,2日目は大井川鐡道・井川線の千頭駅から奥大井湖上駅まで,途中,アプト式ラックレール対応補機にひかれた列車に乗って,これもまた,念願だった奥大井湖上駅を眺めようと計画しました。
 1日目はさほど天気も悪くなく,予定通りにSL列車に乗ることができました。また,寸又峡温泉にも宿泊できたのですが,2日目は,あいにくの豪雨で予定を変更して,早々に帰ることにしたので,奥大井湖上駅には行くことができませんでした。
 そこで,1週間後の6月3日,天気が回復したので,今度は,奥大井湖上駅を目指して,千頭駅まで車で行き,アプト式ラックレール対応補機を連結した列車に乗り,奥大井湖上駅を眺めるとができました。
 これらのことはすでに書きました。
 私はこれで大井川鐡道は卒業するつもりだったのですが,なぜかそのあと,SL列車とともに新金谷駅から走る機関車トーマス号に乗りたくなってしまったのです。
 現在もまだ,大井川鐡道は,家山駅の次の川根温泉駅以降が不通です。そこで,機関車トーマス号は新金谷駅と川根温泉駅間を往復運転をしています。運行日は主に週末の土曜日と日曜日です。
 しかし,どのくらい混雑しているのかがわからず,おそらく混雑していないだろう,ということと,この時期なら暑くないだろう,というふたつの理由から10月5日に行くことにしました。そして,せっかく行くのだから,機関車トーマス号に乗った後は,静岡市あたりで1泊して,これまで行ったことがなかった久能山東照宮,登呂遺跡,御前崎あたりも観光することにしました。
 機関車トーマス号は往復運転なので,新金谷駅に車を停めれば大丈夫だから,自宅から新金谷駅までは車で行くことにしました。次に宿泊先を探したのですが,混雑する静岡市よりも少し離れたところのほうがよいだろうと,藤枝市の駅前にあった東横インを予約しました。

 さて,当日10月5日です。
 自宅から新金谷駅までは,新東名高速道路経由で約2時間なので,午前5時30分すぎに家を出ました。私は,午前9時30分発の機関車トーマス号を予約したので,十分に時間がありますが,新金谷駅前の駐車場がどうなっているのかわからなかったし,早く到着しても,付近を散策すればいいと思ったので,早めに出ることにしたのです。
 道路は混雑することもなく,順調に新金谷駅に到着しました。
 駐車場は,駅前にコインパーキングがありました。また,駅前のコインパーキングが満車のときは,新金谷駅構内のきかんしゃトーマスフェアが行われている会場に広い駐車場があったので,車を停めるスペースには問題はありませんでした。私が着いたときはまだ誰もいなかったので,コインパーキングに容易に車を停めることができました。駐車料金は上限1,000円でした。また,実は,少し離れたところに,1日300円という民間の駐車場も存在しました。
 予約したチケットは,新金谷駅前のPLAZA LOCOで入手するということで,これは,前回SLに乗ったときと同じです。PLAZA LOCOは午前8時30分に開館するということだったので,それまで,付近を散策することにしました。このことは,また,次回書きます。
 やがて,午前8時30分になったので,チケットを入手することができました。いよいよ機関車トーマス号に乗車です。

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 私が長島ダム駅で下車したのは,午前12時2分でした。ここから次のアプトいちしろ駅まで〈-長島ダム周辺-アドベンチャーウォーク〉に従って歩いたのですが,アプトいちしろ駅に着いたのは,午前12時40分ごろでした。よく歩く1日です。
 次の列車は午後1時31分だったので,50分程度の待ち時間がありました。この列車に乗れば,千頭駅到着が午後2時13分。千頭駅に車を停めてあるので,午後5時には帰宅できそうです。
 アプトいちしろ駅には自動販売機があっただけで,あとは何もありませんでした。近くの食堂は2キロメートル以上先なので,ここでも昼食を食べ損ねました。千頭駅周辺には食堂があるのですが,帰りを急いだので,結局,この日,私は千頭駅から車で帰る途中にあったコンビニでパンを買って遅い昼食にしたのでした。
 話を戻しまして…。
 アプトいちしろ駅は大井川に接していて,ここには,長さ107メートル,高さ11メートルの市代吊橋がかかっています。この橋は渡れたのですが,私は通行禁止と勘違いをして渡りませんでした。残念なことをしました。市代吊橋は,もともとは木材を運ぶ鉄道用に建設されたもので,これもまた鉄筋で,まったく怖いものではありません。

 自動販売機で買った缶コーヒーを飲みながらアプトいちしろ駅のホームでボーッとしていると,まだ午後1時31分が来るには早い時刻なのに,列車の来る音が聞こえてきました。それは,アプト式ラックレール対応補機を先頭にした貨物列車でした。大井川鐡道井川線は,今も貨物列車が走っていることを知りました。列車はアプトいちしろ駅で停車して,アプト式ラックレール対応補機の切り離しをしました。切り離すのを私ひとりが見学できるなんて,ここまで歩いてきた甲斐があったというものです。
 切り離されたアプト式ラックレール対応補機は先に進み,貨物列車の進路を作るために別のレールに退避しました。そして,貨物列車は千頭駅に向かって走っていきました。しばらしくして,アプト式ラックレール対応補機がもとのレールに戻り,再び,長島ダム駅に向かって走っていきました。どうやら,この区間はこの1台きりのアプト式ラックレール対応補機が列車を接続しては行ったり来たりしているようです。
 しばらくすると,再び,先ほどのアプト式ラックレール対応補機が,今度は,私の乗る列車を先頭にしてやってきました。アプトいちしろ駅に停車すると,再び,切り離しをしました。私はこの列車に乗り込み,車内で車掌さんから切符を買いました。あとは,千頭駅で降りて,帰宅するだけでした。

 こうして,奥大井湖上駅に行く,という目的を2度目にしてやっと達成することができました。
 まだまだ行くことができなかった場所があるので,次回は,SLに乗るでもなく,大井川鐡道井川線に乗るでもなく,車で来て,見落としたところを巡ってみたいと思っています。それとともに,6月からは,週末にSLの機関車トーマス号が新金谷駅と家山駅の間を走っているので,これにも乗ってみたいものだと思ったことでした。
 これまで,大井川鐡道と町営バスの接続が悪い悪いと書いたのですが,不便であるがゆえに,奥大井は訪れる人も少なく,また,奥が深く,実におもしろいところです。

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 先に,私は,観光案内所でもらった「奥大井の歩き方」というパンフレットにあった〈奥大井湖上駅・接岨峡エリアふらっと秘境ウォーク〉に従って歩きました。このパンフレットには〈-長島ダム周辺-アドベンチャーウォーク〉も乗っていて,これは,長島駅からアプトいちしろ駅までの間,今は使われていない旧線の跡を歩くものです。途中「ミステリートンネル」と名づけられたふたつの真っ暗なトンネルを歩きます。ふたつのトンネルの間は,キャンプ場となっています。
 せっかく来たので,今度は〈-長島ダム周辺-アドベンチャーウォーク〉に従って,歩くことにしました。

 接岨峡温泉駅を午前11時45分に出発した列車は,9分後の午前11時54分に次の奥大井湖上駅に着きました。奥大井湖上駅では,多くの乗客が,列車が来るのを待っていました。ほとんどの人は,私が乗ってきた午前10時29分に奥大井湖上駅に着いた列車で降りて,1時間25分をこのあたりで過ごしたものと思われます。また,乗客が話していることを聞くでもなく聞こえてきたら,私が前回やろうと思っていた,バスで午前11時23分に奥大井湖上駅の展望台にやってきて,奥大井湖上駅に降りて,わずか31分後の午前11時54分発のこの列車に乗り込んだ,という人もいたようです。
 多くの乗客を乗せて,列車は奥大井湖上駅を出発して,次のひらんだ駅を過ぎ,長島ダム駅に到着しました。私はここで下車しました。
 列車は長島ダム駅でアプト式ラックレール対応補機と接続します。登るときも降りるときも,アプト式ラックレール対応補機の力を借りるのです。私は,ホームを出て,かなりの急勾配を下ることになりました。途中で振り返ると,列車が長島ダム駅を出発して,ゆっくりした速度で走りだしました。

 〈-長島ダム周辺-アドベンチャーウォーク〉は,まず,飛沫橋(しぶきばし)を渡ります。長島ダムのたもとにある長さ114メートル,高さ22メートルのこのつり橋は,列車から見たときは,かなりスリルがあるように見えたのですが,鉄筋のしっかりしたものなので,ダムからの放水で飛沫が飛んでくる以外はまったく大したことがなく,がっかりしました。。
 飛沫橋を渡り終えて,そのまま進んでいくと,いよいよひとつめの「ミステリートンネル」になります。中は電灯がなく真っ暗ですが,ときおり,人を察して電気がついて,お化けの人形が光るので,楽しいです。また,トンネルを出たところがキャンプ場なので,キャンプを楽しんでいる親子連れが懐中電灯をつけて反対側から歩いてきたりして,一瞬ゾッとします。
 トンネルを出ると,広いキャンプ場になります。2,3組の人たちがキャンプを楽しんでいました。
 やがて,ふたつめの「ミステリートンネル」になります。今度のトンネルは375メートルと長いものです。先のトンネルと同じく,中は真っ暗で,ときおり,お化け人形が光ります。
 「ミステリートンネル」を出ると,アプトいちしろ駅に到着です。

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 どうにか午前11時45分発の列車に間に合うように,接岨峡温泉駅に着きました。 接岨峡温泉駅は,長島ダムのダム湖の末端付近にある駅で,小さいながらも,駅名のとおり,周辺集落には接岨峡温泉があり,駅に隣接する施設もあります。しかし,わざわざ大井川鐡道井川線に乗ってやってきても,それらを楽しむ方法がありません。よって,かなりさびれています。
  ・・・・・・
 接岨峡温泉駅,もとは,長島ダム湖に沈んだ長島集落から川根長島という駅名でした。民家そのものといったような佇まいの木造駅舎で,右手前の区画が旅客スペース,奥が駅事務室です。入口に道場のような木製縦書きの駅名表示板があります。委託の窓口が営業しています。つまり,無人駅ではありません。ホームは1面2線で,カーポートのような上屋がかかっています。
  ・・・・・・

 私がこの窓口で切符を買おうとしたとき,中に,年配の係の人が暇そうにしていました。のどかなものです。購入した切符は昔懐かしい硬券でしたが,金額が古いままで「運賃変更」というゴム印が押されていて,かなりの年代ものでした。接岨峡温泉駅から長島ダム駅までなんていう切符を買う人はほどんどいないのでしょう。それはそれで,鉄道ファンには貴重なものに違いありません。
 改札口を通ってホームに入り,停まっていた列車に乗り込みました。私以外に乗客はいませんでした。
 私が乗り込んだ列車はこの接岨峡温泉駅が始発でしたが,大井川鐡道井川線は,接岨峡温泉駅から先,さらに,尾盛駅,開蔵駅,そして,終点の井川駅とあって,1日に2本だけ,井川駅まで行きます。尾盛駅は,鉄道でなければたどり着くことができない秘境駅中の秘境駅として知られているそうで,かつて,ここにダム建設の作業員の宿舎や学校なども設けられていたということです。その先に,関の沢橋梁があって,これは,高さ70.8メートルと日本一高いところにある鉄道橋で,観光客へのサービスとして列車は橋の上で停車することもあるそうです。こんなことを知ってしまうと,また来たくなりますが,列車の本数も少なく,また,泊まるところもほとんどないので,どのように観光すればいいのか,思案のしどころです。

 私は,以前,紀伊半島の中央部がどうなっているのだろう? と疑問に思って,そのあたりに何度か行って,すっかり納得したことがあります。紀伊半島の疑問が解けた次に疑問に思ったのが,静岡県の北の先の県境が尖がったところでした。
 大井川鐡道は,この場所の根元まで走っていたのですが,大井川は,さらにその先まで続いていて,道路も通じていて,何と,白樺荘という宿泊施設もあります。白樺荘は南アルプスへ向かう登山者向けの宿泊施設のようです。
 どうやら,その先は一般車は通行止めらしいですが,その先の上流に田代ダムがあり,やがて大井川は源流となります。その場所に,現在,リニア新幹線のトンネルを建設しようとして,議論が起こっています。そんな辺鄙な場所,どうやって工事をするのだろう?
 一般車は通行止めですが,徒歩か自転車ならば,田代ダムへ行くこと可能だそうで,それを実行した興味深いYouTubeがありました。

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 前回書いたように,私は,観光案内所でもらった「奥大井の歩き方」というパンフレットにあった〈奥大井湖上駅・接岨峡エリアふらっと秘境ウォーク〉に従って歩いています。
 レインボーブリッジ展望所で奥大井湖上駅の景観を楽しみ,写真に収めたあと,県道388号線を「南アルプス接岨峡大吊橋」に向けて歩きました。見どころとしてあったのは,岩瀧不動堂と不動の滝くらいのもので,後は,単なる一般の車道でした。やがて,右手の大井川に沿って親水公園,左手の山側に長島公園が見えてきました。親水公園は,この時期,夜になるとホタルの乱舞が見られるそうですが,それを見るには,ここまで車で来るしか方法がなさそうです。長島公園には広い駐車場があって,数台の車が停まっていました。

 「南アルプス接岨峡大吊橋」が見えてきました。私は,県道388号線の道路の端を歩いていたのですが,車道の両脇にしっかりしたガードレールがあって,「南アルプス接岨峡大吊橋」に行くことができません。どうやら,長島公園まで行けば,ガードレールが途切れて,そこから駐車場に降り,さらにむこうに県道388号線をくぐるトンネルを見つけたのですが,そこまでかなり遠回りでした。しかも案内表示すらありませんでした。〈奥大井湖上駅・接岨峡エリアふらっと秘境ウォーク〉といいながら,実際に歩く人のことをまったく考慮していないのでした。
 トンネルをくぐって歩いていくと「南アルプス接岨峡大吊橋」に出ました。このつり橋は長さ240メートル,高さ31メートルですが,つり橋といっても,鉄筋でできていて,揺れもしません。
 渡り終えて左手に進むと,欅橋,栃の木橋,桜橋,水楢橋,椿橋,桑の木橋,宮沢橋,犬返り橋という8つのつり橋でつながる「八橋小道ラブロマンスロード」という狭い遊歩道が続いていました。どうやら,ここが秘境ウォークの目玉なのでしょう。登ったり下りたり,けっこうタフな遊歩道でした。中でも,宮沢橋が62メートルと長く,これは,階段式つり橋としては日本一の長さだそうです。

 宮沢橋を渡り終えると,河内地蔵堂があって,接岨峡温泉の集落に出ました。温泉といっても,宿泊できる施設は大井川の左岸にある民宿タブの家と右岸にある民宿なかむらの2軒だけです。このあたりで昼食を,と思っていたのですが,食事ができるのは,接岨峡温泉会館に併設された食堂だけでした。時間があれば,この食堂で昼食をとることができたのですが,時間がありません。パンでも買おうと入っていきましたが,食パンがあるだけだったので,断念しました。
 「南アルプス接岨峡大吊橋」を渡ってきたので,大井川の左岸を歩いてきたことになりますが,大井川鐡道井川線は大井川の右岸に沿って線路があります。接岨峡温泉駅は小高い場所にあって,すでに列車が停まっていました。また,接岨峡温泉駅の周りには,数軒件の民家と資料館やまびこがありました。
 橋を渡り,接岨峡温泉駅に向かいました。
 資料館やまびこは開館していましたが,見学する時間はありませんでした。接岨峡温泉駅は目の前なのに,そこに行くには,くねくねに曲がった山道をかなり歩く必要があって,焦りました。
 せめてあと30分の時間があれば,食事をしたり,資料館を見学したりできたのに,と思いました。どうも,奥大井の観光は,大井川鐡道と町営バスの接続が悪く,何もすることがないのに1時間以上も待ち時間が必要だったり,その反対に,〈奥大井湖上駅・接岨峡エリアふらっと秘境ウォーク〉で奥大井湖上駅から接岨峡温泉駅まで歩いてきたら,せっかく接岨峡温泉に着いても,食事をしたり資料館を見学する時間がなかったりと,かなりちぐはぐです。

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 来てみてようやくわかったのですが,奥大井湖上駅に行く方法は次のようなものでした。これではまるで頭の体操です。
  ・・・・・・
●車で直接
 奥大井湖上駅は,付近に駐車場があるので,直接車で来ることもできます。奥大井湖上駅を見るのが目的ならこれでできますが,かなり遠いです。
 また,奥大井湖上駅から大井川鐡道井川線に乗って戻ってくることこともできます。この場合,奥大井湖上駅と千頭駅の時刻は,①午前11時54分発午前12時56分着で行き,午後1時25分発午後2時29分着,あるいは,②午後1時5分発午後2時⒕分着で行き,午後2時40分発午後3時49分着で戻ってくる2択となります。また,反対方向の奥大井湖上駅から井川駅に行くには,③午前10時29分発午前11時12分着で行き,午前12時20分発午後1時5分着,あるいは,④午前12時⒕分発午前12時58分着午後2時発午後2時42分着で戻ってくる2択となります。井川駅と千頭駅の両方に行って戻ってくるには,③と②を使えばできます。
  ・・
●大井川鐡道を利用して日帰り
 大井川鐡道井川線を利用するとき,新金谷駅からSLに乗って直接千頭駅に来ることができればいいのですが,現在は,途中の川根温泉駅から千頭駅までが不通です。その間は町営バスに乗る必要がありますが,接続が悪いのです。
 私が前回利用したように,新金谷駅午前9時50分発のSLが家山駅に着くのが午前10時18分,町営バスは1時間以上後の午前11時27分発で千頭駅到着が午前12時40分です。そして,千頭駅発の井山線は午後1時25分発で奥大井湖上駅着が午後2時29分となります。
 奥大井川湖上駅からの折り返しは,午後2時42分発千頭駅午後3時45分着,午後3時31分発千頭駅午後4時33分着,午後4時9分発千頭駅午後5時11分着とあるのですが,どれに乗っても,千頭駅発家山駅着の町営バスは,午後5時15分発午後6時着の1本しかないのです。そして,家山駅からの大井川鐡道が午後6時48分発で金谷駅午後7時25分着というように,この1択しかありません。
 とにかく,町営バスの時刻がひどすぎるというのがすべてです。これでは,まるで,観光客に,日帰りでは来るな,といっているようなものです。
  ・・
●大井川鐡道を利用して1泊2日
 そこで,私が前回来たときのように,寸又峡に1泊することになります。
 1日目は,新金谷駅午前9時50分発のSLに乗って,家山駅着午前10時18分,町営バスは1時間以上後の午前11時27分発で千頭駅到着が午前12時40分。10分後の午前12時50分千頭駅発のバスで寸又峡に行きます。
 寸又峡に宿泊して,2日目の寸又峡始発のバスが午前8時25分発で,千頭駅に着くのが午前9時5分。これなら,今回,私が乗ったのと同じ午前9時25分発の井川線の列車に乗れるわけです。また,その次のバスは午前10時5分発で,これでも,千頭駅着が10時50分で,1日1本だけある午前11発のバスに乗ることができて,奥大井湖上駅午前11時13分着。これだと,奥大井湖上駅午前11時54分発で折り返せば千頭駅午前12時55分着なので,午後1時20分発の町営バスに乗ることができて家山駅午後2時5分着なので,家山駅午後3時32分発新金谷駅午後4時着のSLに乗れるのです。
 このように,大井川鐡道のSLに乗ることと奥大井湖上駅の両方をかなえたいのなら,1泊2日にするのが良案かな。
  ・・
●千頭駅まで車で来て大井川鐡道井川線に乗る
 大井川鐡道井川線の千頭駅発の列車は,午前9時25分,午前10時10分,午前11時8分,午後1時25分,午後2時40分の5本しかありません。奥大井湖上駅着が,それぞれ,午前10時29分,午前11時13分,午前12時14分,午後2時29分,午後3時49分で,それぞれ,午前11時54分,午後1時5分,午後2時42分,午後3時31分,午後4時9分の列車で,千頭駅にもどることができるようになっています。また,私のように,奥大井湖上駅から次の 接岨峡温泉駅まで50分程度で歩いたときも,約1時間10分後の接岨峡温泉駅発の列車で千頭駅にもどることができます。
 といっても,千頭駅発家山駅着のバスは午後1時20分発と午後5時15分発の2本のみなので,大井川鐡道井川線千頭駅発午前9時25分の列車にに乗車して,折り返し午前11時54分奥大井湖上駅発の列車に乗れる場合のみ午後1時20分発のバスに乗ることができて,それ以外は,すべて午後5時15分発のバスしか乗れないのです。
 そこで,新金谷駅から家山駅までのSLに乗るのでなければ,千頭駅まで車で来て,千頭駅から大井川鐡道井川線に乗るのが最も便利,ということになります。
  ・・・・・・
 といった理由で,今回,私は,千頭駅まで車でやってきたのでした。

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 アプトいちしろ駅から長島ダム駅の間は日本一の急勾配,そして,長島ダム駅から奥大井湖上駅までの間は湖とそこに浮かぶ絶景の線路が続きます。
 奥大井湖上駅は,長島ダムの建設に伴い誕生した接岨湖に突き出した半島の先に立地しています。その両脇には接岨湖をまたぐように鉄橋「奥大井レインボーブリッジ」が架かり、まるで湖の上に浮かんでいるかのような駅です。
  ・・・・・・
 計画から30年をかけ誕生した長島ダムは,洪水調節や流水の正常な機能の維持,灌漑用水,水道水の確保などの目的のために造られました。接岨湖は,高さ109メートル,全長 308メートルのダム湖で,広さ2.33平方キロメートルは東京ドーム50個分に相当し,総貯水量は78,000,000立方メートル,有効貯水量は68,000,000立方メートルです。接岨湖には,家屋43戸を含むいくつかの集落が湖底へと沈んでいます。
 接岨湖では午前9時から1時間おきに10分間,高さ50メートル近くまで真っ直ぐに音を立てながら,巨大噴水が吹き上がります。巨大噴水は,バリエーションが豊富で,放射線状に奇麗な花を咲かせている時もあれば,鶴が湖面に舞い降りたかのように鶴翼に三方に吹き上げるときもあり,また,ただ左右に放物線を描いているだけのときもあります。
  ・・・・・・

 午前10時29分,列車は奥大井湖上駅に到着しました。ほとんどの乗客がこの駅で下車しました。奥大井湖上駅から少し高台に登ったところに「レイクコテージ奥大井」があって「湖上駅カフェ晴耕雨読」が週末のみ営業しているということでした。この日は月曜日でしたが,営業しているようで,多くの乗客はカフェを目指して登っていきました。
 私の目的地は,奥大井湖上駅を見渡せるレインボーブリッジ展望台でした。レインボーブリッジ展望台へは,まず,接岨湖にかかる線路の横の湖上遊歩道を歩き,渡りきったところから,トンネル脇の絶壁の法面を直登するような高低差23メートルの急勾配の128段の階段を登ります。そこから,今度は71段の階段を降りて,道路をしばらく歩くことになります。レインボーブリッジ展望所までは,約15分です。
 おそらく,ここまで来た人のほとんどは,展望を楽しんだあと,奥大井湖上駅に戻ることでしょう。しかし,私は,その後,観光案内所でもらった「奥大井の歩き方」というパンフレットの〈奥大井湖上駅・接岨峡エリアふらっと秘境ウォーク〉に従って,次の接岨峡温泉駅まで歩き,午前11時45分発の列車で戻ることにしていました。これは,約50分のコースだったので,奥大井湖上駅でそれほど時間をとることはできなません。そこで,残念ながら,「レイクコテージ奥大井」に行くのはあきらめました。
 レインボーブリッジ展望所に着きました。天気もよく,美しいところでした。やっと来た,という感じでした。これで,念願の写真をとることができました。もし,前回,バスで午前11時23分に奥大井湖上駅の展望台にやってきて,奥大井湖上駅に降りて,わずか31分後の午前11時54分発の列車で帰っていたら,今回のような感動を味わえたかどうか? そして,今回のような秘境ウォークを楽しむことができたたどうか?
 これもまた,雨で前回予定をキャンセルしたことで実現したわけで,まさに塞翁が馬でした。

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 列車はアプトいちしろ駅に到着しました。ここから次の長島ダム駅までが,大井川鐡道井川線最大の見せ場であるアプト式ラックレール対応補機による運行です。
 アプトいちしろ駅は,ダムのほとりの,周囲に人家のない駅です。1990年(平成2年)長島ダム建設に伴うルート変更で川根市代駅の駅名を改称し移転したものです。アプトいちしろ駅から長島ダム駅の間は,勾配は90パーミル(水平1,000メートルに対して90メートルの高低差)という日本の鉄道路線で最も急な勾配で,これを登るためにラックレールという,歯形レールと歯車がついた機関車をかみ合わせながら進むアプト式という日本ではここでしか見られない運転方式がとられました。また,この区間は電化されています。アプトいちしろ駅で,アプト式ラックレール対応補機の連結が行われるので,それを見学するため、多くの乗客が列車を降ります。私も列車を降りて,見学し動画も撮影しました。補機の電気機関車は客車やディーゼル機関車(DL=Diesel Locomotive)よりひとまわり大きいものです。

 アプトいちしろ駅で補機を連結し,補機によって後ろから押す形になって列車はトンネルの急坂を上っていきます。トンネルから出ると,長島ダムのダム湖である接阻湖(せっそこ)が眼下に見られるようになって,かなりの勾配を登ったことが実感できます。
 やがて,列車は長島ダム駅に到着しました。ここで補機の連結を解放します。
 駅舎は中央に尖塔のある教会のようなモダンな形状をしていますが無人です。長島ダム駅は,周辺に集落はなく,坂を下ったところに新しい国道と広い駐車場があります。
 アプトいちしろ駅と長島ダム駅の間,今は使われていない旧線のトンネルの一部が「ミステリートンネル」と名づけられ,廃線跡を利用した遊歩道となっています。キャンプ場を挟みふたつのトンネルがあって,長いほうは375メートルもあり中は真っ暗,ということです。

 列車は,この先,長島ダムを旋回するように走っていき,平田トンネルを出るとひらんだ駅に到着します。駅名のひらんだは平田と表記するのですが,難読なため仮名表記となりました。ひらんだ駅は接阻湖の湖畔にある駅で,接阻湖に水没した川根唐沢駅の代替駅として,長島ダムの整備時に,ダムサイト,長島地区等とともに親水公園的に整備する計画で整備されたものです。駅前に広場があり,カヌーの絵が描かれたトイレと詰所がありますが,これは,2003年(平成15年)に行われた第58回国民体育大会「わかふじ国体」のカヌー会場となったところで,現在,静岡県立川根高等学校のカヌー部が使用しています。
 ひらんだ駅を過ぎると,列車は接阻湖を渡る赤い鉄橋に差しかかります。さあ,いよいよ奥大井湖上駅です。

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Strawberry Moon 2024.

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 千頭駅は大井川鐡道大井川本線の終点であり,井川線の起点です。SLの運転のため,明治時代に作られた転車台が設置されています。現在は,大井川本線は不通なので,井川線の起点でしかありません。
 私が先頭車に乗り込んだ列車は,午前9時25分に千頭駅を出発しました。
 昔の森林鉄道を観光用にしたような列車なので,狭く古く,扉も手動で,これが実にいいのです。テーマパークの列車なんて,目じゃありません。列車は,かなり遅い速度で,すごい振動を立てながら進みます。
 千頭駅の次が川根両国駅です。ここは「両国つり橋」に行く最寄りの駅ですが,だれも下車しませんでした。というか,この列車の乗客のほとんどの行先は,奥大井湖上駅なのです。「両国つり橋」は長さ145メートルで高さ8メートルだから,私がすでに渡った長さ90メートルの「夢のつり橋」より長く,長さ220メートルの「恋金橋」よりは短いのですが,橋の幅がせまく,怖いものではないそうです。橋の上から大井川鐡道を写すことができる絶好のフォトスポットのようです。次回渡ってみよう。
 次の澤間駅は,その昔,寸又峡方面に約40キロメートル鉄路が延びていた千頭森林鉄道の起点だったところだそうで,その面影がありました。

 やがて,列車は大井川から寸又川が流れだす場所にさしかかりました。このあたりの景観は実に見事です。そして到着したのが土本駅です。土本駅は,駅の周囲に4軒(うち3軒が土本姓)の人家があり,平成に入って道路が通じる前は,唯一の交通手段が井川線だったということです。
 井川線の駅はみな秘境駅です。
 その次の川根小山駅は,蛇行する大井川沿いの山中の駅で,駅の周囲には人家は見えませんが、近くに10軒程度の集落,少し離れて白沢温泉のある集落があるそうです。
 そうこうするうちに到着した奥泉駅は,寸又峡温泉方面へのバス乗換え駅で,駐車場もあるので,奥大井湖上駅に行くには,私にのように千頭駅に車を停めないで,奥泉駅に停めると,寸又峡温泉に行くのに便利だと観光案内所で聞きました。駅のホームによくわからない人形がありました。このちんけさがたまりません。この駅には女性の駅員さんがいて,運転手さんと「この先サルが出たという話だよ」「出たらひき殺そう」などと,物騒な冗談を言っていました。
 千頭駅と奥泉駅の間の沿線は,川根茶の産地として知られていて,窓の外には,緑が美しい茶畑が広がっていました。川根茶は,南アルプスを源とする水に恵まれ,寒暖の差が大きい環境を生かして育てられています。
 奥泉駅とアプトいちしろ駅の間には61ものトンネルがありますが,トンネルを出ると,右手に赤く塗られた美しい泉大橋をみることができました。

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 午前8時30分に千頭駅に到着しました。
 千頭駅に隣接して道の駅があって,多くの車を駐車することができることを,前回調べてあったので,そこに車を停めました。
 大井川鐡道が台風によって,家山駅,もしくは川根温泉笹間渡駅から千頭駅までの間が不通になっていなければ,今回のように,車で千頭駅に来る必要もなかったのですが,現在は,家山駅から千頭駅までの間は町営バスによって代行運転がされていて,しかも,町営バスの接続がかなり悪いので,大井川鐡道を利用して日帰りで奥大井湖上駅に行くことは困難なのです。そこで,今回は,奥大井湖上駅に行くことだけを目的に,千頭駅まで車でやってきたわけです。直接,奥大井湖上駅まで車で行くことも可能で,奥大井湖上駅近くに駐車場もあるのですが,それでは大井川鐡道井川線に乗ることができません。実際,直接,奥大井湖上駅に車で来ていた観光客を見かけましたが,これでは奥大井の魅力のほとんどを味わうことができないのになあ,と思いました。
 道の駅にはかなりの車が駐車できますが,ハイシーズンには,それでも満車となることがあるようです。そのときは,千頭駅からほど近いところにある農協の駐車場が利用できるということです。

 千頭駅では,まず,前回来た観光案内所に寄って「また来たよ!」とあいさつをして,次にお茶を売っている店「川根物産」に行って元祖川根茶ソフトを食べました。さすがに川根茶,おいしいソフトクリームでした。
 私は,午前9時25分発の列車に乗るのですが,まだ時間があったので,少し,千頭駅付近を散策することにしました。このあたり,散歩コースがあるのですが,散策コースを1周するほどの時間はないので,川根大橋を渡るだけにしました。川根大橋のたもとにあったのが,小便小僧像とこいのぼりでした。この町,けっこうおもしろいところだったので,時間をとって滞在してみるのもいいな,と思いました。
 千頭駅あたりの町は,大井川鐡道が全線開通しているのなら,大井川鐡道で金谷まで楽に行くことができるのですが,今は列車と町営バスの接続が悪いので,車がないと大変です。
 さて,列車の出発する時間,午前9時25分が近づいたので,千頭駅に入って,切符を購入して,いよいよ列車に乗り込みました。平日の朝,どのくらいの人が乗るのかな,と思ったのですが,けっこうな人が乗車しました。

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 2024年5月27日から5月28日にかけて,ふと思い立って出かけた大井川鐡道,SLに乗ることはできたのですが,大雨が降って,奥大井湖上駅には行くことができませんでした。しかし,そのときに,この場所はどういうところかよくわかったので,翌週6月3日,天気がよかったので,今度は,車で千頭駅まで行き,大井川鐡道井川線に乗って,奥大井湖上駅に向かいました。
 自宅から千頭駅までは,車で,約3時間です。午前9時25分千頭駅発の列車に乗るため,午前5時すぎに自宅を出ました。新東名高速道路を経由して,金谷インターで降り,そこから大井川沿いに北上します。その途中で見かけたのが塩郷の吊り橋,通称「恋金橋」でした。
 前回来たときに,寸又峡の「夢のつり橋」を渡りました。
 千頭駅前にあった観光案内所で「奥大井にはつり橋が12あるということで,私が渡った「夢のつり橋」よりも怖い「恋金橋」というのがあるということを聞いたので,次回はぜひ渡ってみようと思いました」と前回書いたのですが,その「恋金橋」です。特に意識していたわけでなかったのですが,偶然見つけました。
 これは渡るしかない,と思って,近くにあった道路際の駐車場に車を停めて,つり橋に向かいました。早めに家を出たので,渡る時間があったのが幸いしました。
 「恋金橋」は大井川にかかっているつり橋の中で最長で,長さ220メートル,高さ10メートルです。大井川鐡道,県道,民家の上に掛けられていて,落ちたらどうするのだろう? と考えてしまい,スリル満点でした。本来は,足の下をSLが通過するのですが,残念ながら,現在は不通なので,SLが走るのを見ることはできません。

  ・・・・・・
 昔,久野脇(くのわき)の名主・槙エ門(まきえもん)の家に,おつまというひとり娘がおりました。おつまは,大地主の一人娘,大事な跡取り娘ですが,毎年1月7日の佐沢薬師様のお祭り・ヒヨンドリ祭の日だけは夜遅くまで祭を楽しむ事を許されていました。
 ある年のヒヨンドリ祭で,地名(じな)の甚太という若者と知り合い,ふたりはいつしか愛し合うようになりました。ふたりのことは,槙エ門の知るところとなり,「おつま,甚太のような水呑百姓のこせがれとこっそりつき合っていたとは何事だ。今後一切逢うことは許さん」。それからは,おつまは泣く泣く部屋に引きこもっていましたが ,考えるのは甚太のことばかりでした。
 そうだ,お薬師様に甚太さんに逢えるよう,お願いしてみよう。
 その夜,暗い夜道を必死になって薬師堂まで登っていきました。「お薬師様,どうか甚太さんと逢わせてください。お願いします」1日も休まず通い続け祈りました。
 ある晩のこと,お薬師様がおつまの夢枕にたち 「おつまよ。日の子の刻お堂の前まで来るがよい」 それだけ言うと,お薬師様はスーッと消えてしまいました。
 その日,父・槙エ門は,寄り合いがあって出かけ,昼過ぎ,代官所に届ける上納金を預かって家に帰ってきました。 振舞酒に心地よい気持ちになり,そのままごろりと寝てしまいました。目をさまし,懐に手を当て「アッ,無い,金が無い,胴巻が無い」 驚き慌てて辺りを探したが見つかりません。
 おつまは,父親のことが心配でなりませんでしたが、そっと家を出ると,急ぎ薬師堂へ登って行きました。すると,お堂の前に甚太さんが立っていました。「おつまさん,どうして此処へ」 「不思議なことがあるものだ。おらも夕べ同じような夢を見て,ここに来てみたんだ」「さあ,こうしてもいられん。おらたちどこか知らない土地へ行って,ふたりで暮らすことにしよう」 と手を取り合って渡し場の方へ降りていきました。
 周りを気にしながら歩いて行くと,おつまは,何かに躓いて転びそうになりました。 「あっ,あった。お父つぁんの胴巻」 「そんな大事な金,お父つぁんが困っている。すぐに帰らざぁ」 甚太に言われ,ふたりは急いで家に帰っていきました。
 家には,疲れ切った父親が座っていました。「おつま,甚太,どうしたんだ。なぜこの胴巻をお前たちが持っているのだ」「甚太さんに逢わせてくださいと毎晩お薬師様にお願いしたの。今夜,薬師堂の前で逢え,ふたりで知らないところで暮らそうと歩いていき,渡し場付近で胴巻を拾って,甚太さんに訳を話したら,お父つぁんが困っている。すぐ帰らざぁと言われ,ふたりで帰ってきたの」
 「わかった,わかった。わしは財産さえあれば人は皆幸せだと思っていた。ふたりの事も,おつまの幸せのため許せないんだと思っていたが,間違っていたようだ。ふたりには,長いこと,辛い思いをさせてしまった。申し訳ない。 許しておくれ」と涙ぐみながらふたりの前に両手をつき謝りました。「甚太くん。わしからも改めてお願いする。おつまと一緒になってこの家を守っていってくれないか」
 こうして、おつまと甚太は皆から祝福されて夫婦になりました。
 働き者の甚太はおつまと一緒に朝早くから夕方暗くなるまで畑に出て働き,子供にも恵まれ, 家は益々栄え,末永く幸せに暮らしたそうです。
 そんな事から,誰言うとなく,胴巻を拾った渡し場付近を「恋金」(こいかね)とよぶようになりました。塩郷(しおごう)と久野脇に架かるつり橋。このつり橋は,大井川に架かる一番長い橋で,その塩郷の吊り橋を「恋金橋」とよぶようになりました。
  ・・・・・・

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 午前10時55分,バスが発車する時間になったので乗車して,午前11時40分に家山駅に戻りました。家山駅ではさほど待ち時間もなく,午前12時1分発の大井川鐡道に乗ることができました。この列車は川根温泉笹間渡駅からやってきたもので,すでに数人の乗客が乗っていました。列車は直接金谷駅まで行くので,新金谷駅で乗り換えをする必要がありませんでした。
 来るときはSLが出発するのが新金谷駅だったので,金谷駅から新金谷駅まで行って乗り換えたのですが,このときに乗ったのは,元近鉄電車の車両でした。今回は,元南海電鉄の車両ということで,調べてみると,大井川鐵道では,元南海電鉄21000系,元近鉄電車16000系統,元東急電車7200系の3車種を毎日ローテーションして使用しているということでした。そのうちの2種類の車種に乗れたのは幸運でした。
 この南海電鉄の中古車両はかなりの座席が使用不可能となっていたり,ほころんでいたりした場所にハート型のあて布がしてあったりと,かなりの年代物でした。このプアさが哀れっぽくたまらなくすてきでした。

 来るときに乗ったSLは急行だったので,途中の駅はすべて通過したのですが,今回は各駅停車だったので,大井川鐡道大井川本線におもしろい名前の駅があることを知りました。駅名は,順に,家山駅,大和田(おわだ)駅,福用(ふくよう)駅,神尾駅,門出駅,合格駅,日切(ひぎり)駅,代官町駅,新金谷駅,金谷駅です。また,家山駅以前に,抜里(ぬくり)駅,川根温泉笹間渡(ささまど)駅とあって,現在,そこまで復旧しています。
 神尾駅には置物のタヌキがいっぱいでした。これは,初代SL専務車掌の故・石原さんが,車内パフォーマンスで乗客からもらったチップを貯めて作ったものです。そして,神尾駅を,通過するだけでなく下車して楽しんでもらえる駅にしようと「たぬき駅化計画」もはじめたそうです。とはいえ,下車してしまうと,次の列車が来るのは約2時間後なので,そう容易く下車できるものではありません。その次の駅が門出駅,そして,合格駅と続くので,この両駅とともに神尾駅を巡って幸運を掴もうというのが「たぬき駅化計画」で「開運たぬきっぷ」なるものが販売されています。
 観光客頼みの大井川鐡道では,こうしたさまざまな企画を行なっているのですが,それにしても,現在不通となっている川根温泉笹間渡駅と千頭駅間の連絡がもうすこしスムーズなら,というのが惜しまれるところです。今のように,家山駅でバスの待ち時間が2時間以上なとどいう状態では,金谷駅から千頭駅まで行くのはかなり困難なことなのです。

 さて,午前12時36分に金谷駅に到着した私は,当初は在来線で名古屋駅まで戻る予定でしたが,夕方からは豪雨予報だったので,掛川駅から新幹線に乗ることにしました。
 金谷駅にやってきた在来線に乗って,掛川駅で降りました。私の持っていた切符は在来線経由だったので,これで特急券を買えば掛川駅から名古屋駅まで新幹線に乗ることができるかどうか? 途中で車掌さんが来たので試しに聞いてみると,彼は「わからないから掛川駅の窓口で聞いてくれ」といいました。こんなことも知らないで車掌をやっていていいのでしょうか。プロ意識の欠如です。実は,東海道線と山陽本線は,在来線の乗車券で特急券を買えば新幹線も乗ることができます。
 掛川駅で昼食でも,と思っていたのですが,新幹線の特急券を購入してすぐに改札を通ってしまったのが大悪手で,その先には売店すらありませんでした。その代わり,ホームに出たとき,何と偶然「ドクターイエロー」が通過していきました。これもまた,塞翁が馬でした。
 ということで,また,昼食を食べ損ねてしまったのですが,そういえば,名古屋駅のホームにある立ち食いのきしめんを食べたことがなく,一度食べてみたいと考えていたことを思い出しました。そこで,少し遅い昼食として,名古屋駅に着いて,きしめんを食べました。

 このように,今回の大井川鐡道の旅は,天気が悪かったことで予定通り進まず,晴れ男の面目丸つぶれでした。しかし,望外のできごともいろいろあって,結局,かなり有意義なものとなりました。これだからきままなひとり旅は楽しいのです。
 そしてまた,この旅で奥大井湖上駅に行くことができなかったことが,逆に幸いだったという結果が,後日生まれるのです。

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 旅館の裏手に外森神社があったので,行ってみました。長い石段を上ると,社殿とその横に「落ちない大石」がありました。
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 昔,南アルプス最南端の2,592メートルの光岳(てかりだけ)に住む天狗が,寸又峡の小高い社にある大きな石の上から辺りを見渡すと,畑も食べ物も少なく寒々としていたので,穀物の神様に五穀を持参するようにお願いしたところ,神様から五穀がもたらされ,今の集落ができたという言い伝えがあります。
 天狗が登ったとされる大きな石は,崖から落ちそうで「落ちない 大石」として,今では,受験生や高所作業者などの守り神として祀られています。
  ・・・・・・

 私は,「落ちない大石」と聞いて,思い出した「事件」がありましたが,後で調べてみると,それはこの場所の「落ちない大石」のことではなく,高知市北部の山中にある観光名所「ゴトゴト石」でした。
  ・・・・・・
 「ゴトゴト石」は,崖っぷちにある重さ数トンの巨石で,子どもの力でも簡単にゴトゴト揺れるにもかかわらず決して落ちないことから「願掛けスポット」として多くの受験生らが訪れていました。
 「ゴトゴト石」を,「俺たちで落としてやろう」と,2022年11月26日,東京からレンタカーで6人の大学生がやってきて,現地調達した工具を使うなどして石を落とそうとするもできず,道具を放置したまま帰ったことで,石の向きも変わり動かせなくなってしまい,高知東警察署へ刑事告訴されました。
  ・・・・・・

 さて,旅館にチェックインして,後は,温泉三昧に食事三昧となりました。
 問題は翌日のことでした。小雨くらいならともかく,台風の接近に伴う豪雨という予報で,大井川鐡道が不通になる可能性すら出てきました。帰れなくなったら困ります。迷ったあげく,これは天のおぼし召し「また来いよ」といっているのだろうと思い,奥大井湖上駅には行かず,そのまま帰宅することにしました。せっかく帰りのSLも予約してあったのですが,それより早い時間の普通列車に乗ることにしました。
 午前8時25分発始発のバスの乗って,寸又峡温泉から千頭駅に戻りました。千頭駅到着は午前9時5分でした。次のバスが午前10時5分で,これに乗っても千頭駅着は午前10時45分なので,家山駅までのバスは午前10時55分だから間に合うのですが,来たときに千頭駅滞在がわずか10分だったので,千頭駅を散策しようと,早いバスにしたのです。
 しかし,待ち時間が長すぎたので,時間を持て余すことになりました。
 まず,千頭駅前にあった観光案内所で,次回来るときのために,いろいろ話を聞いて,地図などをもらいました。奥大井にはつり橋が12あるということで,私が渡った「夢のつり橋」よりも怖い「恋金橋」というのがあるということを聞いたので,次回はぜひ渡ってみようと思いました。そして,近くにあったお茶を売っている店「川根物産」で川根茶がいただけるというので中に入って,時間をつぶしました。

 私は来るまで知らなかったのですが,この辺りは狭山茶としてとても有名なところでした。
  ・・・・・・
 「色は静岡,香りは宇治よ,味は狭山でとどめさす」とうたわれるように,狭山茶は「静岡茶」「宇治茶」と並んで「日本三大茶」のひとつです。
 狭山茶の特徴はコクのある濃厚な味わいです。
 狭山茶は茶産地としては冷涼であるため,冬の間,茶樹を十分休ませることができます。
  ・・・・・・
ということでした。またひとつ新しいことを知りました。
 お土産に狭山茶を買いました。

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 チェックインの時間には少し早かったので,旅館に荷物だけ預けて,散策に出かけることにしました。寸又峡温泉には「夢のつり橋」を渡る1周約90分の周遊コース「寸又峡プロムナードコース」があって,ここを歩くのを楽しみにしていました。
 又峡温泉の中心部から夢のつり橋へは歩いて約30分で到着します。その途中にあるのが「天子トンネル」です。昭和初期まで,寸又峡では林業が盛んでした。「天子トンネル」は,切り出した木を運ぶトロッコ列車の線路跡です。
 やがて,寸又川の眼下に「夢のつり橋」が見えてきました。このあたり,川幅がとても広くなっていますが,それは,ここが,電源開発によって作られた大間ダム湖だからです。「夢のつり橋」がかかっているのは,寸又川が注ぐダム湖の上で,1963年(昭和38年)に,南アルプスから流れ出る大間川と寸又川の合流地点に水力発電を目的につくられたものです。大間ダム湖に注ぐ寸又川の水は大変美しいため,光が水中深くまで届き,その途中でチンダル現象により赤い光は吸収されてしまうので,美しい水がある程度の深さまで溜まることで,より深みのある,光によって移り変わる青色が表れているということです。
  ・・・・・・
 水が青色に見えるのは,自然界の物理的な作用によるもので,発見者の名にちなみ「チンダル現象」とよばれています。わずかな微粒子が溶け込んだ非常にきれいな水の場合,微粒子の影響で波長の短い青い光だけが反射され,波長の長い赤い光が吸収されるという現象が起こります。これが「チンダル現象」です。
 「夢のつり橋」がかかる寸又川の水は,微粒子やプランクトンがごく少ない,水の底まで大変きれいな水であるため,そのような水に光が差し込むことで,波長の短い青い光だけが反射され,「チンダル現象」が見られるのです。
  ・・・・・・
 かつては,ここに集落があって,木こりや村人が住んでいました。つり橋は,集落を行き来する人々の生活道でした。また,「夢のつり橋」の先には湯山という集落があって,温泉地として知られていました。

 「夢のつり橋」までは,けっこうな階段を下る必要がありました。
 紅葉の時期などは多くの観光客がやってくるらしく,10人までしか渡ることができないつり橋は,それを渡るために長い行列ができるようで,階段の途中に「ここから待ち時間2時間」といった表示がありました。この日は,シーズンオフでもあり,雨でもあり,私ひとりしかいなかったので,待ち時間などなく,それはそれで,恐怖を感じました。
 「夢のつり橋」は,長さが90メートル,高さが約8メートルです。板のかかっている部分が思った以上に狭く,スリルがありました。何せ,私は,傘をさして渡っているのです。たとえ天気がよくても,渡っている途中で足がすくむ人もいるかもしれませんが,渡りきる以外に選択肢はありません。
 「夢のつり橋」は一方通行で,渡った後は,そのまま周遊コースを進むことになります。
 歩いてきた寸又峡温泉街から「夢のつり橋」へと伸びる道路は,かつての森林鉄道の線路跡で,昭和初期から昭和50年代にかけて,林業が盛んだったころ走っていたのがディーゼル機関車でした。「夢のつり橋」を対岸へ渡り,そのまま周遊コースを歩いていくと,尾崎坂展望台に到着しました。 ここには当時活躍した古いディーゼル機関車が展示されていました。
 さらに進んでいくと「飛龍橋」というコンクリート製の橋があって,今度は,その橋を渡って戻ることになります。

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 家山駅は,これまで多くの映画やテレビドラマのロケに使われた場所です。映画「鉄道員(ぽっぽや)」はJR根室本線の幾寅駅で撮影されたものということですが,この家山駅でも撮影されていました。
 奥大井湖上駅を見下ろすことができる高台に行くには,奥大井湖上駅からは15分ほど山道を登る必要があるというように,結構大変なのですが,ネットにあったある情報に,千頭駅からバスに乗ると直接高台まで行くことができて,その後,奥大井湖上駅に下り,奥大井湖上駅から大井川鐡道井川線に乗って千頭駅まで戻ることができる,とありました。登るのは大変でも下るのはそれほどではないだろう,ということです。ただし,そのバスは,午前11時千頭駅発の1日1本で,奥大井湖上駅を見下ろす高台に午前11時23分に到着し,31分後,奥大井湖上駅発の11時54分の列車に乗る,ということでした。
 私はこの案を採用して,あす,それを実行します。この日は,すでにそのバスは出てしまっているので,千頭駅からバスで寸又峡温泉に行って宿泊して,翌日,寸又峡温泉から千頭駅へ,午前11時のバスに乗れるように戻ってくることにしました。

 午前11時55分,家山駅に千頭駅に行くバスが来ました。私と同じようにSLでやってきて,バスを待っていた数人の乗客が乗り込みました。バスは,大井川に沿って北上し,千頭駅に着いたのが午前12時40分でした。
 千頭駅は大きな駅でたくさんのホームがあり,駅の周辺には多くの店があるのに驚きました。
 千頭駅のホームには,機関車トーマス号が3両停まっていました。2022年9月に発生した台風15号の影響で甚大な被害を受けた大井川鐡道は,約40キロメートルにわたる本線の約半分の区間で運休しているので,これらの機関車トーマス号は,新金谷駅に戻ることができず,働く場をなくしてしまっているのでしょう。なお,大井川鐡道の全線復旧には約19億円の費用がかかるので,復旧の目途は立っていないそうです。
 寸又峡へ行くバスは,待ち時間がほとんどなく,10分後の午前12時50分でした。私はすぐにバスに乗り換えました。出発したバスは山の中に入っていき,40分かかって,午後1時30分に寸又峡温泉に到着しました。
 私が選んだ寸又峡の旅館は「湯屋 飛龍の宿」というところで,バス停から雨の中を10分ほど歩きました。期待以上のすばらしいところでした。

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 大井川鐡道といって思い浮かべるのは,SLとともに奥大井湖上駅だと思われます。大井川鐡道は,金谷駅から千頭駅までが大井川本線,千頭駅から井川駅までの山岳地帯が井川線になっていて,千頭駅で乗り換える必要があります。SLは大井川本線を走り,奥大井湖上駅は井山線にあります。
 しかし,現在,大井川鐡道は,家山駅の次の川根温泉笹間渡駅から千頭駅までが不通で,その間は,町営バスが連絡しています。大井川鐡道のSLに乗るのが目的なら,家山駅に到着したら,そのまま折り返すSLに乗って新金谷駅に戻ればいいのですが,私は,湖上駅に行くのが第2の目的だったから,町営バスにのることになります。しかし,調べてみると,町営バスの接続は,想像を絶するほど悪いのでした。どうしてこんなことにしているのだろう,と思いました。マイクロバスで接続して,SLで家山駅に到着した乗客をそのまま千頭駅まで送り届ければ,井山線の乗客が増えるのに…。
 SLが家山駅に到着したのが午前10時18分でしたが,家山駅から千頭駅まで連絡する町営バスの出発は,何と午前11時55分と,1時間37分も待ち時間があって,来れるものなら来てみろ,乗れるものなら乗ってみろ,みたいな感じなのです。これでは,奥大井湖上駅まで行って,日帰りで帰宅するのは不可能に近いのでした。
 考えこんでしまった私が見つけたのが寸又峡温泉でした。ここに1泊すれば,何とかなりそうでした。そこで,寸又峡温泉に適当な旅館を見つけて予約をしたのです。

 さて,せっかくだから家山で1時間37分観光しよう,とはいえ,家山というところに何があるのだろう? と思いました。
 ともかく,昼食をとることにしました。SLに乗る前,新金谷駅のPLAZA LOGOで,家山の地図をもらいました。聞いてみると,駅の近くに喫茶店が1軒と,町中に「たいやきや」という食事ができる店が1軒あるということでした。「たいやきや」というのは,文字通り,たい焼きが食べられるのですが,メニューにラーメンとか焼きそばもあるということでした。そこで,「たいやきや」に行くことにしました。
 狭い路地を歩いていくと,目指す店がありました。私は,焼きそばを注文しました。この店では,たい焼きは注文してから焼くというのどかなもので,それ以外にはおでんもありました。時間はたっぷりあったので,のんびりと昼食をとりました。それでも,まだ,時間をかなりもてあますことになるのですが。
 店内に,鉄道写真家の中井精也さんのサインがありました。聞いてみると,よく来るよ,という話でした。大井川鐡道は,絶好の被写体ですが,結局,私のように,家山で時間をもてあますのは同じなのです。有名な写真家が身近に感じられました。常盤貴子さんも来たらしいです。
 また,カウンタに「この店は英語がわかりません。翻訳アプリを利用してください」という意味の紙が置かれてありました。こういう店にも外国人がくるのだなあと,インバウンドのすごさを感じました。以前,私が頻繁にアメリカに行っていたとき,地方の小さな町にこのような店があっても,入る勇気はなかったなあ,ということを思い出しました。

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 平日でもあり,天気があまりよくなかったこともあるのか,とても空いていて助かりました。これなら,当日,気が向いたときに出かけてSLに乘ることができそうです。
 私を含めて,乗客は,ホームで写真を撮っていました。私の子供のころは,SLは現役だったから,珍しいものではないのですが,SLの音を聞いていると,気持ちが盛り上がってきます。なにより,機関車も客車も古く,昔のままなのがいいです。
 やがて,出発の時間午前9時50分になったので,出発しました。

 なにさ,SLといったところで,乗ってしまえば同じさ,と思っていたのが大いなる誤解でした。
 機関車の振動や汽笛は,SLならではのものでした。
 私が一番驚いたのは,新金谷駅付近では,住宅街の中をSLが走っていくことで,住んでいる人は,いつもこんな真っ黒な煙を受けていて大丈夫なか? ということでした。これでは,洗濯物や布団を外に干すこともできません。
 やがて郊外に出ると,列車は,大井川に沿って走っていくことになります。また,車内ではお土産の販売もはじまりました。思った以上に楽しいものです。
 現在は,途中の家山駅までしか運行していないので,列車に乗っている時間はわずか30分程度と,少し物足らないのが残念でしたが,ともかく,満足なSLの乗車となりました。

 なお,家山駅では,機関車の方向転換ができないので,列車は最後尾に電気機関車が接続されていて,帰りは,電気機関車が引っ張る形となり,SLは反対向きに進みます。
 SLが走る様子を写真に収めるなら,列車に乗らずとも,沿線のどこかでカメラを構えていてもいいかな,と思いました。

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 大井川鐡道のSL列車は有名で,多くの人が乗りたいと思っているのですが,不便なところなので,実行できないでいるようです。私もそのひとりでした。
 無知な私は,大井川鐡道の奥大井湖上駅を,先日行ったJR飯田線の秘境駅のひとつだと勘違いをしていて,それを悟って,急に,奥大井湖上駅に行ってみたくなったのでした。奥大井湖上駅までは,車なら,3時間ほどですが,それでは大井川鐡道で走っているSLに乗れません。そこで,日帰りで,大井川鐡道に乗って奥大井湖上駅を見てこようという計画を立てはじめました。しかし,大井川鐡道は,2022年の台風15号による被害で,途中の家山駅から千頭(せんず)駅までの区間が不通となっていて,その区間がバスによる代替輸送であり,しかも,バスの本数が少なく,日帰りでは不可能,ということがわかりました。
 そうこう調べていくうちに,1日目は,途中の寸又峡温泉に宿泊して寸又峡温泉の周辺を観光し,翌日,湖上駅に行くというコースを見つけ出したので,それを実行しようと計画を立てました。
  ・・
 計画の実行は,2024年5月27日から5月28日の1泊2日。平日でもあり,梅雨の前だから天気もよいだろうと思いました。そして,行きと帰りのSLと寸又峡温泉の宿泊を予約しまました。

 さて,出発当日になりました。
 意外にも,5月27日から5月28日は両日とも雨。しかも,台風の接近に伴って大雨,という予報でした。自他ともに認める晴れ男の私には,かなりのショックでした。よほどキャンセルしようかと思ったのですが,ともかく,一度は様子見だと,,行ってみることにしました。
 大井川鐡道は,静岡県のJR金谷駅に並ぶホームが始発駅です。JR金谷駅までは,名古屋駅から早朝,在来線で行きました。しかし,SLが出発するのは,金谷駅ではなく,その次の新金谷駅,ということで,まず,1駅だけ,普通の列車に乗る必要があったので,金谷駅で150円の切符を購入しました。

 やがてやってきた列車は,昔近鉄電車で使われていた特急列車の中古車両でした。シートがところどころ破れていたりしました。これだけでも何がしかの感慨をもちました。
 さて,列車は,金谷市街を大きく迂回しながら,新金谷駅に到着しました。迂回しているので,かなりの距離に思えましたが,地図で調べると,直線なら,歩ける距離です。雨が降っていなければ歩いたかもしれません。
 到着した新金谷駅は古びていましたが,それがまたいいというか,大井川鐡道は,昭和ムード満載なのです。駅前にあるPLAZA LOCOというところで,予約してあったSLの乗車券を購入しましたが,この日は空いていて,予約をしなくても,直接,乗車券は購入できるようでした。
 すでに,ホームには,SLが停まっていて,ムードが盛り上がりました。

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 「遠州・三河一社三山」を巡る浜名湖周辺の旅。最後は普門寺でした。
 気賀の関所を出て,姫街道に沿う形で国道362号線が走っていたので,その道を三ケ日まで行き,そこから南下しました。

 途中,浜名湖を左手に見る形になるのですが,車を停めて浜名湖を一望できるような場所がなかったので,どこか車を停めるところがないかなあと思っていると,奥浜名湖展望公園という案内板があったので,それにつられて進路を変えました。
 ところがどうでしょう。思ったより遠い上に,急な狭い上り坂。すれ違いできないような狭い箇所がずっと続いていて,車が来たらどうするのだろう? と思っていたとき,何と,偶然にも対向車が来て,ずいぶんと戻って道を譲る羽目になりました。こんなところ走るなよ,と思ったのですが,相手も同じことを思っていたことでしょう。
 何とか到着した頂上の駐車場はえらく広く,しかし,1台の車もありませんでした。当然,だれひとりいませんでした。せっかく来たのに,奥浜名湖展望公園からは樹木がじゃまをして何も見えません。以前は展望台があったようですが,老朽化で撤去されてしまったという話でした。がっかりでした。いったいこの場所,どうしたいというのだろう? ひどすぎました。
 後で調べると,この場所は「ゆるキャン△」(最後の△はテントを意味していて文字として読みません)というアニメで登場して以来「ゆるキャン△の聖地」なのだそうです。といったところで,私は「ゆるキャン△」なるものをまったく知らないし,女子高校生がひとりでキャンプをするドラマと聞いても,まったく興味がありませんでした。そもそも,こんなところにひとりで来る女子高校生はいないし,危険極まりないです。ただし,少し下ったところに多少の駐車スペースがあって,そこからは何とか風景を見ることができました。

 気を取り直して,普門寺を目指しました。これがまた遠い。地図で確認すると,普門寺は,先日行った豊橋市の葦毛湿原にほど近いところでした。しかし,ほど近いといっても,葦毛湿原からはアクセスする道路がありません。
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 普門寺は高野山真言宗の寺院で山号は船形山。本尊は聖観音菩薩。「豊橋のもみじ寺」として知られます。
 奈良時代の開創を伝え,源頼朝,今川義元,今川氏真,徳川家康をはじめとする徳川幕府からも保護を受けた歴史があり,文化財の所蔵点数は市内最多。
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 という説明だと,かなりの寺に思えるのですが,実際は寂れ感満載で,急な階段は補修した形跡もなく荒れ果てていて,ずいぶんとがっかりしました。
 おそらく,私が行った時期が悪いこともあったのでしょう。紅葉のころはずいぶんと映えるのかもしれません。

 これで,何となく思い立って,日帰りで出かけた浜名湖周辺の旅は終了です。
 近くても,私がまったく知らなかったところがずいぶんあるものだと思いました。しかし,私の家からは中途半端な距離であり,かといって,1泊するほどのこともなし,かつ,交通の便がよくない,ということで,リピートするにはちょっと微妙なところです。

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 竜ケ岩洞(りゅうがしどう)へ行く予定もなかったのですが,龍潭寺の拝観料を払うときに,竜ケ岩洞とのセット券を勧められて買ってしまったので,行くことになりました。
 私は,これまでにアメリカの巨大な洞窟に数多く行ったので,日本の洞窟「なんて」,どこにいっても大したことはないと高を括っているから,関心はないのですが,せっかく来たから,ということで,楽しむことにしました。ほかに観光客「なんて」いないだろう,きっと寂れているに違いない,と予想したのですが,そのとおりでした。おそらく,夏休みならそれなりに人も来るのでしょうが,平日のこの時期,それに,結構入場料も高いから,人は来ません。しかし,なかなか見ごたえがありました。また,洞窟を出たところに,竜ヶ岩洞を発見した経緯や鍾乳洞に関する展示があって,これもよかったです。
 いずれにしても,アメリカのこうした施設はどこも,自然保護などが第一優先になっているのですが,日本は単なる観光施設なので,無造作に手すりがあったり,通路がセメントで固められていたりするのが,私には根本的に好きになれません。

 それよりも,興味をもったのは,この竜ケ岩洞を発見し観光地化した経緯でした。
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 竜ヶ岩洞は浜松市浜名区引佐町田畑にある鍾乳洞です。
 赤石山脈の支脈に位置する標高359.1メートルの竜ヶ石山にあって,洞窟を形成する石灰岩は2億5千万年前に生成されたものです。総延長1,046メートルのうち400メートルが公開されています。
 1907年に生まれた戸田貞雄さんは,第2次世界大戦に従軍し,終戦後は材木業を営んだり,観光事業に携わりました。そのころ,今の竜ヶ岩洞があるあたりは採石場の跡でしたが,ここに鍾乳洞があるのでは,といわれていたので,1981年,戸田貞雄さんはその山の一帯を買い取って洞窟の調査をはじめました。74歳のときでした。しかし,はじめは賛同してくれる人もありませんでしたが,洞窟探検を趣味にしている小野寺と竹内というふたりの青年が洞窟にこっそりと潜り込み,鍾乳洞を発見しました。たまたま彼らと行き会った戸田貞雄さん。それ以来,ふたりとともに洞窟の調査をすることになりました。
 次第に協力者が増え,ついに,鍾乳洞の最深部で落差30メートルの洞内滝を発見しました。そこで,「これは観光客を呼び込める」と融資がまとまり,1983年に竜ヶ岩洞はオープンしました。それから3年後,戸田貞雄さんは78年の生涯を終えました。
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 竜ヶ岩洞を出て,次に私が行きたかったが,姫街道でした。
 旧東海道は浜名湖の南岸を通っていて,以前,舞阪宿から新居宿まで,新居宿から二川宿まで,2回にわけて歩いたことがありますが,浜名湖の北岸を姫街道という迂回路が通っています。一度行ってみたいと思っていたのですが,これまでその機会がありませんでした。
 私は,ずっと,姫街道は,新居の関所を避けていくための脇街道だとばかり思っていたのですが,どうやらそうではなかったようで,姫街道にも気賀関所がありました。
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 気賀関所は全国にあった53か所の関所のひとつで,監視は厳格だったとされます。ただし,1730年(享保15年)に伊勢神宮へのお蔭参りが流行したとき,女中たちの抜け参りが多く,気賀関所の命令を受けて見張人を出しましたが,抜け参りは絶えませんでした。
 関所破りは黙認され,村々に対し「叱り」などの表面的な措置を講じていましたが,実際は,関所はほとんどお手上げ状態だったといいます。やったふり,しかし,突然,何を考えているのかお上をたてにして厳しくなるという,本音と立てまえを使いわける日本らしき話です。
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 現在,当時の関所跡は本番所の関屋の一部しか残っていませんが,1990年(平成2年)にふるさと創生事業を活用して,関所があった場所から600メートル西に観光施設「気賀関所」を復元し,手形や駕籠などを展示してあるということで行ってみました。
 ここもまた,私以外に観光客もおらず,のんびりと見学することができました。きっと,地元の小学生の学習見学の場になっているのでしょう。
 姫街道は,見付宿から天竜川を渡り,現在の安間町(あんまちょう)で東海道と別れて,三方原,追分,浜名湖北岸を通り三河に入り,御油宿まで約61キロメートルもありましたから,歩くと15時間コースになるので,日帰りは無理です。当時は,途中の市野,気賀,三ヶ日,嵩山(すせ)に宿場がありました。今はどうなっているのでしょう? 
 今回は予定していなかったので,姫街道をまったく歩くことはできませんでしたが,適当な旅館でも見つけて,いつか時間をとって1泊2日で歩いてみたいものです。

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 龍潭寺の裏手から井伊谷宮(いいのやぐう)がつながっていました。
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 建武の中興は,武家中心の社会を天皇中心の社会に戻そうとしたものとして,明治天皇にとって意義深いものだったので,明治以降,建武の中興に関った人々を祀る建武中興十五社が作られました。
 井伊谷宮は建武中興十五社の一社で,1385年(元中2年)に井伊谷で死去した後醍醐天皇の第四皇子・宗良親王(むねよししんのう)を祀るもの。社殿の背後には宗良親王の墳墓もあります。
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 井伊谷宮を出て,龍潭寺へ戻っていく途中に,1軒のおそば屋さんがあったので,入りました。
 私の理想は,天気のよい日,特に目的もなく,人の少ない,静かで落ち着いたきれいな町に出かけて散策して,お昼に,混雑していないこぎれいなお店でおそばでも食べる,ということなのです。今はまだ,これまで行ったことがないところに行こう,という煩悩があるので,その境地には達していないのですが,それでも,お昼に,こうしておそばを食べることができるのに幸せを感じました。

 さて,おそばを食べ終えて,次に思ったのは,井伊家の菩提寺・龍潭寺には行ったけれど,お城はどこなのだ? ということでした。調べてみると,龍潭寺から少し北の山の方向へ行くと,井伊谷城址があることがわかったので,行ってみることにしました。
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 奈良時代,この地は渭伊郷(いいごう)とよばれていて,これが井伊谷の地名となりました。
 井伊家の歴史は古く,1010年(寛弘5年)井伊谷の八幡宮神主が男児を見出し,これが井伊家の祖・井伊共保(ともやす)。そして,1032年(万寿9年)に井伊谷城を築城したと伝わります。
 井伊谷は,地理的な場所から,戦の争点の地となり続けました。1340年(暦応3年)には,室町幕府に攻められて井伊谷城は落城,戦国時代には,1514年(永正11年)今川家臣朝比奈泰以(やすもち)に攻められるなど,井伊谷は今川の配下となりました。

 井伊直親の遺児・井伊直政が城主となるまでの期間,井伊直虎が還俗し女城主を務めました。1572年(元亀3年)の三方ヶ原の戦いで井伊谷城は武田方に落ちますが,武田信玄が病に倒れ退却。その後,徳川家康が井伊谷を奪還しました。
 1575年(天正3年)に,井伊谷が徳川家康より井伊直政に与えられましたが,関ヶ原の戦いの功績により近江佐和山城が与えられ彦根藩主となり,井伊氏の拠点は井伊谷から彦根に移ったことで,井伊谷城は廃城となりました。
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 おそらく,近年まで井伊谷城址は荒れるにまかされていたのでしょうが,大河ドラマ「おんな城主 直虎」の放映で城址が整備されました。標高110メートルの井伊谷城址まで,約15分ほど歩くと到着しました。眼下に井伊谷の町を見ることができました。

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 今回一番行きたかったのが,龍潭寺(りょうたんじ)でした。ここは庭がすばらしいことで知られ,また,2017年のNHK大河ドラマ「女城主 直虎」の舞台としても脚光を浴びました。放送されたころは多くの人が訪れたことと思いますが,私は長年行きたかったのにも関わらず,これまでその機会がありませんでした。
 着いて驚きました。龍潭寺のある井伊谷の町は落ち着いたいいところだったし,龍潭寺自体も思った以上のところでした。来ている人もほとんどおらず,庭をこころおきなく見ることができました。

 龍潭寺は,山号は萬松山(ばんしょうざん)。臨済宗妙心寺派の寺院で,本尊は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)です。菩薩はブッダを目指して努力する人を意味し,虚空蔵菩薩は菩薩の一尊で,「明けの明星」は虚空蔵菩薩の化身・象徴とされます。龍潭寺は,733年(天平5年)行基によって開かれたとされ,平安時代からすでに井伊氏の菩提寺だったようですが,当初の寺号は地蔵寺で,のち,自浄寺,龍泰寺と名前が変わりました。
 1560年(永禄3年)に,戦死した井伊直盛がこの寺に葬られたとき,井伊直盛の法号から龍潭寺と改められました。関ヶ原の戦いの戦勝で,井伊直正が近江に転封となってからも井伊家の外護を受けました。
 龍潭寺の庭園は,小堀遠州作で,江戸時代初期に本堂北庭として築かれた池泉鑑賞式庭園です。中央に守護石,左右に仁王石,正面に礼拝石が配され,さらに,池の型が心字池となっていて,数多くの石組みと築山全体で鶴亀が表現されているという,見事なものです。

 私は,井伊直虎が大河ドラマの主人公になるまで,あの,彦根藩主であり大老だった井伊直弼の先祖が井伊谷の出であり,ずっと行ってみたかった龍潭寺が井伊家の菩提寺だとは知りませんでした。
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 井伊家は鎌倉時代から井伊谷を治めていたらしいとされます。
 井伊直虎は,井伊直盛の娘として誕生しました。井伊直盛には男子がいなかったので,井伊直盛の従兄弟にあたる井伊直親を,井伊直虎の婿養子に迎える予定でした。しかし,1544年(天文13年)に井伊直親の父・井伊直満が今川義元への謀反の疑いをかけられて自害させられ,井伊直親も信濃に逃亡してしまいまったので,井伊直虎は,萬松山龍潭寺で出家し,次郎法師と名乗ることになりました。井伊直親は,その後復帰して井伊直盛の養子となるのですが,井伊直虎と結婚することはありませんでした。
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 1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いで井伊直盛が戦死し,その跡を継いだ井伊直親も今川氏真に殺されてしまい,井伊直親の子・虎松(のちの井伊直政)は鳳来寺に匿われました。
 1565年(永禄8年),跡継ぎのいなくなった井伊家では,次郎法師が井伊家の当主となりました。これが「女城主 直虎」です。
 井伊直虎となった次郎法師は,井伊直政を養子として育て,1575年(天正3年)に徳川家康に出仕させました。井伊直政は多くの武功をたて徳川四天王のひとりと称され,関ヶ原の戦いの後には近江に転封されました。
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 まだ青もみじの季節ではありませんが,前々から気になっていた遠州・三河一社三山を巡っています。
 遠江國一宮小國神社の次に行ったのが,法多山尊永寺(はったさんそんえいじ)でした。
 私は,遠州・三河一社三山巡りを口実に,奥浜名湖をドライブするつもりで,GoogleMapsで示した道順に従って走っただけだったのですが,帰ってから調べてみると,法多山尊永寺は奥浜名湖どころか,浜松市よりもさらに東,袋井市にあって,そこまで足を延ばしたことになりました。
 門前にはものすごくたくさんの駐車場があって,一大観光地でした。しかし,朝早いこととシーズンオフのために,ほとんど,というより,まったく車がおらず,どこに停めていいものか,判断がつきかねるような状況でした。駐車場の料金もさまざまで,100円とか200円とか,探せば無料のところがあったりするかもしれませんが,今や,若いころとは違って,死んだとき残るお金ならあろうとなかろうと同じだと,多少の金額などどうでもよくなってしまった私は,客引きが誘導されたところに車を停めました。

 法多山尊永寺は,有名なのでしょう。無知な私は,こんなに栄えた寺があることに驚きました。私は,そもそも,神社仏閣に手を合わせる習慣はないので,単なる興味本位で,今行かないと行くときがないだろうと,神社仏閣に限らず,日本各地のこれまで行ったことがないところを探しては旅をしているのですが,私の知らないところがたくさんあるものだと思います。
 法多山尊永寺は,高野山真言宗別格本山の寺院ですが,尊永寺よりも法多山の名で知られているということです。そういえば,ほったさん,という名前なら聞いたことがあるようなないような…。
 法多山尊永寺に加え,萬松山可睡斎(ばんしょうざんかすいさい),医王山油山寺(いおうざんゆさんじ)を遠州三山というのだそうです。そもそも遠州三山というのもはじめて知りましたが,そんなことを知ってしまうと,また,行ってみたいところがふえてしまいます。

 法多山尊永寺の本尊は正観世音菩薩ということで,これは,浅草寺と同じです。
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 菩薩はブッダを目指して努力する人を意味し,観世音菩薩は菩薩の一尊で,一般的に「観音さま」とよばれます。正観世音菩薩は聖観音ともいいます。
 この聖観音に加え,十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音を六観音と称します。これは,六道輪廻(ろくどうりんね=あらゆる生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)という思想に基づいて,六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもので,地獄道は聖観音,餓鬼道は 千手観音,畜生道は馬頭観音,修羅道は十一面観音,人道は准胝観音,天道は如意輪観音という組み合わせになっているといいます。
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 正観世音菩薩は厄除け観音として知られていて,この寺は厄除だんごが名物となっています。まあ,要するに,客寄せです。
 寺伝によると,725年(神亀2年) 聖武天皇の命により「大悲観音応臨の聖地」を捜し求めた行基によって建立されたといい, 中世以降,今川氏の庇護を受け,1590年(天正18年)豊臣秀吉が安堵し,歴代徳川将軍によっても安堵され幕末まで維持されました。
 江戸時代後期の火災で伽藍を焼失し,現在の本堂は1983年(昭和58年)に再建されたものです。

 法多山尊永寺に行って驚いたのは,非常に広大な境内だったということと,とてもきれいな寺だったということです。ずいぶんと整備が行き届いていました。また,現在も,夢殿を模した建物が建設中でした。きっと,この寺はかなりの「やり手」(=お金儲けが上手)なのでしょう。
 参道を歩くと,まず,立派な仁王門があります。仁王門は1640年(寛永17年)に建立されたもので,両脇の格子の中には仁王像が鎮座しています。
 仁王門から少し歩いたところの左手にあるのが1711年(正徳元年)に建立された黒門です。これは,当時12あった寺の中で中心的存在であった学頭坊・正法院の入り口の門です。
 仁王門から法多山本堂までは約15分の道のりだと聞いていましたが,かなり階段があるので,足の悪い人は辛いでしょう。267段の長い石段を登った先に本堂があります。本堂は,鳳が舞い降りた姿に例えられているということです。復路にある鐘楼堂の梵鐘は,大晦日には先着順に108回除夜の鐘突きができるそうです。また,下る途中に目に入る二葉神社は,サービス業や客商売に携わる女性の神社です。

 さらに下っていくと現れるのが厄除けだんごの食べられる茶店でした。 江戸時代,13代将軍徳川家定のころ,幕府献上の土産に添えられ将軍家にくし団子と命名されたのがはじまりとされ,それ以来,厄除けだんごとして親しまれているそうです。私が行ったのは,午前9時過ぎだったのですが,すでに店は開いていて,まだ,ほかにだれもいない閑散とした店内で厄除だんごを食べることができました。
 この茶店には多くの有名人のサイン色紙がありました。

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 少し前「JAF Mate」に,ドライブスタンプラリーという記事があって,そこに「遠州・三河一社三山青もみじめぐり」とありました。「遠州・三河一社三山」というのは,遠江國一宮小國神社,萬松山龍潭寺,法多山尊永寺,船形山普門寺です。興味があったので,その記事をとっておいたのですが,なかなか行く機会がありませんでした。それとは別に,2017年のNHK大河ドラマ「女城主直虎」の舞台であった井伊谷に,一度は行ってみたいものだと長年思っていました。
 先日行った奥琵琶湖もそうですが,奥浜名湖というのも,何か不思議な魅力を感じます。しかし,ほどんど行ったことがありません。これもまた,先日行った豊橋市と同じく,中途半端に近く,遠いので,行く機会を逸していたからです。そこで,2024年3月15日は,朝からいい天気で,暖かだったので,青もみじの季節ではないのですが,日帰りで行ってみることにしました。新東名高速道路を使えば,2時間ほどでした。

 一社三山のどこから行ってもよかったのですが,私が現地に到着するのはとても早い時間だったので,時間に関係なく入ることができた遠江國一宮小國神社から行くことにしました。とはいえ,到着して思い出したのは,遠江國一宮小國神社は,ここはすでに来たことがあるとがある,ということでした。
 以前来たのは,2019年11月16日でした。当時,私が行きたかったのが森町でした。それは,若いころには浜名湖畔の舞阪町に住んで,新彗星を発見していたアマチュア天文家・池谷薫さんが,近年は空が暗い森町に引っ越しして住んでいる,ということを知ったことで,森町はどんなところかと行ってみたかったからです。森町は,森の石松の生まれたところであり,また,森町には,遠江國一宮小國神社という大きな神社があったのですが,私は行くまでこの神社を知りませんでした。
 遠江国一宮小國神社は,祭神は大国主。ちなみに,遠江国には一宮と二宮があって,遠江国二宮は鹿苑神社ということでした。創建時期は不明で,社伝によると,555年(欽明天皇16年)に現在地から6キロメートルほど離れた本宮山に神霊が示現したのでそこに社殿が造営されたというのがはじまりということだそうです。

 神社ではじめに目にしたのが,1,000年の歴史を見守った御神木のスギでした。この杉は,約400年前の慶長の古図にすでに大杉と記されていて,樹齢1,000年余りといい伝えられていますが,1971年(昭和47年)の台風で倒れてしまいました。
 その近くにあったのが,徳川家康の「立あがり石」でした。これは,徳川家康が休息した石といわれているものです。徳川家康の祈願所のひとつが小國神社で,徳川家康は,ここで祈願したことで長篠の戦いや関ケ原の戦いに勝利し,天下統一を成すことができたことから「立ち上がり石」と伝わり,これにあやかり,石に腰かけて帰る人が多いということです。私も腰かけてみました。
 神社の脇には事待池(ことまちいけ),別名いぼとり池がありました。小國神社は「願い事が意のままに叶う神社=事任神社」(ことのままのかみやしろ)として知られ,詣でて願掛けをし「事のままに待ち」,その結果,心願成就すれば,池に鯉を放ち神恩感謝の意を表わすという慣わしから「ことまち池」といわれているそうです。
 また,境内の脇,参集殿裏手にはひょうの木がありました。ひょうの木は縁結びの御神木といわれています。ひょうの木は学名を檮 (イスノキ)といいます。イスノキは,「古事記」に登場する「湯津津間櫛」(ゆつつまぐし=神聖で清浄な櫛)の「ゆつ」(神聖)に由来することばで,ゆすのきがゆつのき,そして,いすのきと転じたものといいます。
 イスノキをひょうの木というのは,葉が「まゆ型」の殻になる特質があって,小さな穴が開いて, 笛のように吹くと「ひょう」という音が出ることからきているものです。
 神社のひょうの木は特異な形状をしていて,木肌がうねり,根元の上部から交わりながら二本の幹にわかれています。

 「古事記」に登場する「湯津津間櫛」は次のものです。
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【その1】
於是,欲相見其妹伊邪那美命,追往黃泉國。爾自殿騰戸出向之時,伊邪那岐命語詔之「愛我那邇妹命,吾與汝所作之國,未作竟。故,可還。」爾伊邪那美命答白「悔哉,不速來,吾者爲黃泉戸喫。然,愛我那勢命,入來坐之事恐。故,欲還,且與黃泉神相論。莫視我。」
如此白而還入其殿內之間,甚久難待,故,刺左之御美豆良,湯津津間櫛之男柱一箇取闕而,燭一火入見之時,宇士多加禮許呂呂岐弖此,於頭者大雷居,於胸者火雷居,於腹者黑雷居,於陰者拆雷居,於左手者若雷居,於右手者土雷居,於左足者鳴雷居,於右足者伏雷居,幷八雷神成居。 於是伊邪那岐命,見畏而逃還之時,其妹伊邪那美命言「令見辱吾。」卽遣豫母都志許賣此六字以音令追,爾伊邪那岐命,取黑御𦆅投棄,乃生蒲子。是摭食之間,逃行,猶追,亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛引闕而投棄,乃生笋。是拔食之間,逃行。
  ・
 黄泉国に行ってしまった伊耶那美(いざなみ)を連れ戻すため,伊耶那岐(いざなき)は黄泉国へと出向き,伊耶那美(いざなみ)に,戻るように説得しました。
 伊耶那美(いざなみ)は,黄泉国の神と相談してくるからその間決して中を覗いてはならないと言って,伊耶那岐(いざなき)を待たせました。しかし, 待ちきれなくなった伊耶那岐(いざなき)が中を覗いてしまうと,蛆がたかり,躰の八箇所に恐ろしい雷神を生じている伊耶那美(いざなみ)の姿があったので,驚き恐れ逃げ出しました。
  ・・
【その2】
爾速須佐之男命,乃於湯津爪櫛取成其童女而,刺御美豆良,告其足名椎手名椎神「汝等,釀八鹽折之酒,亦作廻垣,於其垣作八門,毎門結八佐受岐此,毎其佐受岐置酒船而,毎船盛其八鹽折酒而待。」
故,隨告而如此設備待之時,其八俣遠呂智,信如言來,乃毎船垂入己頭飮其酒,於是飮醉留伏寢。爾速須佐之男命,拔其所御佩之十拳劒,切散其蛇者,肥河變血而流。故,切其中尾時,御刀之刄毀,爾思怪以御刀之前,刺割而見者,在都牟刈之大刀,故取此大刀,思異物而,白上於天照大御神也。是者草那藝之大刀也。
  ・
 高天原も追放された須佐之男(すさのお)は,出雲の鳥髪山の地に降り立つと,少女を置いて泣いている老父と老女に出逢いました。須佐之男(すさのお)が泣いている理由を尋ねたところ「自分たちには8人の娘がいたが,毎年,八俣大蛇が訪れて娘をひとりずつ喰われてきた。最後の娘の櫛名田比売(くしなだひめ)が喰らわれる時期となったので泣いているのだ」と答えたので, 須佐之男(すさのお)は,八俣大蛇を退治する代わり,娘を自分の妻として奉るように要求し,八俣大蛇を退治しました。そのとき,八俣大蛇の尾から出現した1本の剣を,天照(あまてらす)に献上しました。これが今日伝わる天皇家の3種の神器のひとつである「草那藝之大刀」(くさなぎのつるぎ)です。
  ・・・・・・

 私が行ったときは早すぎて,門前にあることまち横丁も店は開いておらず,すでに前回来たこともあって,早々に引き上げました。

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