【Summary】
Shobata Castle in Aichi Prefecture was a strategic border stronghold of Owari. Built by Oda Nobusada, it is famous as Oda Nobunaga’s birthplace in 1534. Today, few remains exist, but monuments recall its role in regional defense and early Oda family history.
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「豊臣兄弟!」にちなんで。
名古屋周辺には多くの史跡があります。今日は,織田信長が生まれた場所といわれる勝幡城(しょばたじょう)です。
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勝幡城は,尾張国中島郡勝幡(現在の愛知県愛西市)にあった戦国時代の城で,1534年(天文3年)5月12日,織田信長がここで生まれた地として知られています。築城は15世紀末から16世紀初頭とされ,築城者は織田信定,つまり,織田信長の祖父だと伝えられています。
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勝幡は尾張の西端に位置し,木曽川の支流に囲まれた天然の要害だったので,美濃との国境を守る重要な拠点でした。とはいえ,当時の城は,多くの人がイメージするのとは違って,単なる田舎の地主の屋敷のようなものでした。
2026年1月9日。天気がよかったので,ふらりと,この勝幡城址へ行ってみました。
名鉄電車の津島線・勝幡駅からさほど遠くないところにありました。勝幡駅の周辺は,いかにも愛知県尾張地方の素朴な集落,といったところですが,駅前にはなんと「ドンキ」がありました。というか,それ以外に何もなく,ここは名古屋市のベットタウンでしかなく,観光地ではありません。遠くからこんな場所に来る人もまずないでしょう。
勝幡城址には「織田信長公誕生地」の石碑が建っていただけでした。城の遺構はほとんど残っていないというか,発掘調査もしていないような雰囲気でしたが,調査しても石垣があるわけでもないから,何も出てこないような…。申し訳程度に,駅前には,織田信秀と土田御前に抱かれた織田信長の像と,城郭考古学者の千田嘉博さん監修の勝幡城のモニュメントがありました。
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勝幡城は,1504年から1521年の永正年間に織田信定によって築かれたと伝えられています。
織田信定は岩倉城主織田敏信の弟で,はじめ小口城主となり木下城主を兼ねましたが,ここに築城して居住し,享禄元年に没したといいます。
織田信定の長子である織田信秀は,永正5年この城に生まれ,父の没後その後を継ぎ,尾張守護斯波氏の三奉行として,清須に勤仕しました。
規模・構造については「東西四十八間,南北七十間,大手口東西二重堀,四方に惣堀有,惣構の外南北百二十間,東西百十四間」と「尾陽雑記」にあります。
勝幡城の城域は現在の愛西市と稲沢市に広がり,城の中心は稲沢市城之内付近と推定され,織田信長生誕地は城跡の南端部分と考えられます。
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