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旧美濃路は名古屋市内を南北に縦断して濃尾平野に出て,大垣まで行く街道です。
旧東海道が現在の名古屋市熱田区の宮宿から西に行くには次の桑名宿までは渡し船に乗らなければならず,その先も鈴鹿の峠越えが待っているので,旧美濃路を通って宮宿から旧中山道の大垣宿へ行き,そこから旧中山道の琵琶湖沿岸を通って京へ向かうほうがずっと便利です。
ということなのですが,旧美濃路が現在の名古屋市内をどのように通っていたのか,私は住んでいたのにまったく知りませんでした。調べるまでもなく,考えてみれば,堀川沿いに北に行くわけで,今回歩いた四間道こそが,その旧美濃路でした。というか,厳密には,四間道は美濃路の1路西を平行に通る道でした。
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1700年(元禄13年)の大火の後,尾張藩4代藩主徳川吉通が,堀川沿いにある商家の焼失を避けるために,中橋から五条橋までの道幅を4間,約7メートルに拡張しました。このことから,この道を四間道といいます。
延焼を防ぐ防火壁の機能を持たせるために尾張藩が通りの東側に石垣の上に土蔵を建てることを奨励したことから土蔵造りの並ぶ街並みが形成されました。
現在は,白壁の土蔵が連なり,2階には屋根神様が祀られているという,この地方の特徴のある古い町屋が多く残っています。
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というように紹介されています。
私は子供のころから日常通っていたところなので,ここがそんな歴史的にみて意義のある場所とはまったく認識していませんでした。それでも,今から50年も前は,いまほど整備されておらず,気の利いたカフェやらレストランもありませんでした。それでも,この近くにある円頓寺の商店街はいまよりずっと活気があって,七夕のときは,仙台の七夕祭りのような飾りつけがあって,多くの人でにぎわったものです。
今になって,多くの場所と同じように,この界隈が見直されて,江戸の面影を残すような街並みに過ごしずつ戻されているので,歩いていて楽しいです。
私は,このような,車がすれ違えるかどうかほど,つまり,その幅が四間ということなのでしょうが,そうした幅の道に面して家々が並んでいる姿こそが日本のもっとも落ち着く町並みだと思います。これからも,その落ち着いた街並みが人々のこころを癒すことができればいいなあ。
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