しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:しない・させない・させられない > インチキ富裕層

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 お金が無尽蔵にあるような「本物の富裕層」はともかく,私のような「インチキ富裕層」は,浪費をすればたちどころに貯えは底をついてしまいます。そこで考えるのは「コストパフォーマンス」です。
 男の道楽というのは限がありません。趣味として,単に鳥を撮るという楽しみのために,百万円以上もするような望遠レンズを買ったりする人もいれば,百万円の10倍もするような高級車を購入したりする人もいるわけです。
 人それぞれ楽しみが異なるので,その人が納得の上で浪費をすることは自由であって,他人がとやかくいうこともないのですが,私のように,やりたいことが次から次へと湯水のように出てくると,真剣に「コストパフォーマンス」を考慮する必要が出てきます。「コストパフォーマンス」というのは,百万円の望遠レンズを買うのと,そのお金で10回旅行をするのと,どちらが自分には快適なのか,というようなことです。

 実は,この3年間,私は「あること」のために,使う上限を決めた上で無駄遣いをしました。その目的は,そうした無駄遣いをすることで,自分の金銭感覚を確かめてみたかったということですが,その結果,いろいろなことを悟りました。だから,結果的にそれは駄遣いにはならかなったわけです。また,そうしたことによって,自分なりの「コストパフォーマンス」がわかるようになってきました。
 自分なりの「コストパフォーマンス」は,たとえば,旅に出たとき,何にお金を使うか,ということです。
 旅というのは,家を出てから戻るまでがすべて快適でなくてはいけない,と私としては思うわけです。だから,お金を節約して,混雑する車内で不快感を味わいながら何時間も移動する,などということは,なるべく避けたいのです。また,その反対に,高級旅館に泊まって大広間でバイキング形式の朝食をとる,などというのも,いくら食材が高級であっても,私には楽しくはないのです。
 そこで,私は,往復の列車はグリーン車を利用し空いた車内で快適に過ごしつつも,泊るのは,安価であっても,小さな旅館,できれば,お客さんが私ひとり,どいうほうが好ましいのです。だから,そのようなお金の使い方をするわけです。

 このように,ひとそれぞれ価値感や趣向が異なり,それに基づいてお金の使い方が異なるわけだから,何をもって贅沢か,というのは,一概にはいえないことになります。
 それよりも,最も大切なのは,どうお金を使うことが自分にふさわしいか,ということを知っているかどうか,ということなのでしょう。よく,無駄遣いをしないように,といわれますが,小さいころより,無駄遣いをしないように,というよりも,自分としてのお金の使い方を知ることのほうが大切に思います。


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 藤井聡太新名人が誕生しました。これで,8つあるタイトル戦のうち,王座を除く7つを制覇し,さらに,昨年度は,4つのトーナメント戦も優勝したので,将棋界の獲得賞金のほとんどを総なめしたことになります。また,昨日は,とほうもない大逆転勝利を演じて,8冠に一歩近づきました。こうなると,将棋界ひとり勝ちの状態なので,他の多くの棋士の収入と大きく差ができてしまいます。-しかし,この将棋でも,藤井聡太竜王名人の指した84手目△8八龍以下25手詰みを「将棋AI」が83手を指した段階で読み切れていなかったというのはどういうことだろう? 「将棋AI」は龍を切って詰ます手順が読めないのかも…。- 
 収入が多ければ累進課税でより多額の税金がかかるから,ひとりが独占して高収入をあげると,多くの棋士がタイトルを分け合っている状態に比べて,国としてはより多い税金収入があるということだから,好都合なのでしょう。だから,羽生善治九段とか囲碁の井山裕太三冠に国民栄誉賞をあげたのかな? 高額納税の返礼品みたいなものか?
 それでも,将棋界はまだ少ない方で,メジャーリーグの大谷翔平選手など,その何倍,いや,何十倍,はたまた何百倍もの収入があるそうだから,税金もバカ高いものでしょう。
 ということで,高額所得者というのは,私のような「インチキ富裕層」とは違って,多額の税金をとられたところで,それでも,入ってくるお金は途方もないものですが,いくらお金が手に入ったとしても,ある金額を越えてしまうと,何か,よほどの大豪邸を立てるとか,でもしないと,もはや,使いみちもないことでしょう。そんな心配をしてしまいます。

 こうした,途方もない高収入を得られる人にとっては,老後の心配は無縁なことでしょうが,ほとんどの人はそうはいきません。若いころからずっと収入の少ない人にとっては,日々,暮らすことだけでも大変なので,貯金をすることすらできないかもしれませんし,若いころに,少しだけ高収入があるような職業に就いた人も,また,若いころは欲しいものも多いから,たとえ思った以上の収入があっても,なかなか貯金もできないわけです。このように,きちんと将来設計を考えておかないと,お金が残らないから,ともに,老後がたいへんです。アメリカでは,プロフットボールの選手の多くが,現役時代に途方もない収入を得ているのですが,彼らの多くは,選手を引退後,自己破産に陥ってしまうそうです。
  ・・
 前回,人生は55歳から75歳がゴールドエイジだと書きました。
 ゴールドエイジを楽しむためには,第1に健康,そして第2にある程度のお金です。元気で金に困っていないのなら,まさに文字通りのゴールドエイジとなるわけですが,55歳の時点で貯金のない人や,月に50,000円程度の国民年金しか収入のない人の老後は,そうはいきません。
 ということで,若い人が無駄遣いをしているのを見ると,ゴールドエイジになったときのことを考えて,無駄遣いをしないで,日々,身の丈に応じたお金の使い方を考えたほうがいいのになあ,と,老婆心ながら,いつも思ってしまいます。

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 人生のゴールドエイジは55歳から75歳。これほどすばらしい時期はないのです。この時期を楽しく過ごすために,それまでの55年間を生きてきたといっても過言ではありません。
 とはいえ,定年が65歳になってしまった今では,ゴールドエイジの半分を無駄に過ごしてしまわなければならない人が多いのが気の毒なことです。できれば,私のように,1年でも早く早期退職するといいと思うのですが,なかなかそうもいかないのでしょう。55歳で管理職,なんて最悪の選択です。輝ける50代後半のもっとも楽しめる時代を完全に無にするからです。それで多少お金が手に入ったとしても,無駄にした時間は戻りません。また,仕事を辞めた後で,そんな肩書は誰もリスペクトしません。仕事は人生の一部ではありますが,仕事が人生ではないのです。

 少子高齢化の時代,世の中はゴールドエイジを迎えた人だらけです。このごろは,社会が3年前に戻りつつあるので,私のように,それまでと変わらず旅をしていた少数の人は別として,これまで外出を控えていた「人生すべてパック旅行」の人たちも,今になって積極的に外出をしはじめました。
 一概にゴールドエイジといっても,これまでの人生経験がそれぞれ異なるから,人生感も価値観も異なり,また,能力も違い,幼稚園児とは違って仲間意識が芽生えることも容易なことではありません。さらに決定的なのは,この先は高額の収入も見込めないし,プライドだけが取り柄の人にとっては唯一の支えであった仕事上の肩書もなくなってしまうと,もはや,この齢になったとき,すでに何か行動を起こす前に勝負あった,という感じです。

 こうした人たちは,①お金もなくしたいこともない ②お金があってしたいこともたくさんある ③お金はあってもしたいことがない,あるいは,したいことがあってもそのやり方がわからない ④お金はないけれどしたいことがたくさんある,という4つのタイプに分けられます。
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 この中で,お金もなくしたいこともないという人たちは,朝から晩まで,その日一日ををいかにして潰すかが日々の大問題です。近くのモールの休憩所で1日ボーッとテレビを見て,夕方の特売がはじまると群れて夕食のお弁当を買ったりしている人も少なくありません。それはそれで人それぞれだからいいと思うのですが,退屈ほど辛いものもないわけだから,それを克服することは結構たいへんです。人は夢がないと精神的に病んでしまうから,これだけは避けなければなりません。鬱になる老人が多いというのは,こんな状態を指すのでしょう。
 次に,お金があってしたいことがたくさんあるという人たちは,人生を謳歌しているわけだから,お好きなようにしてもらえばいいでしょう。お金の使い方もよく知っているし,したいことをどのようにするかも知っているから,楽しい毎日を送っているのです。心配なのは健康だけですが,精神的に充実していれば病気にもならないものです。まさにゴールドエイジです。
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 お金はあってもしたいことがない,あるいは,したいことがあってもそのやり方がわからない,という人たちが,もっとも経済社会に貢献している人たちだと私は思います。こういう人たちが,お金を使ってもらうお客さんとしてもっと貴重な存在なのです。だから,いかにして,こうした人たちからお金を使ってもらうか,いや,巻き上げるか,ということが商売のコツとなります。
 こうした人たちの多くは,現職当時,仕事人間だった人たちです。いざ退職をして旅行をしようと思っても,現職のころに遊んでいないからその方法がわからないので,ともかく,まずは旅行会社の窓口を頼ってくるということになるのです。だから,〇〇パックなるもので,団体ツアー旅行をしているひとたちに多いのです。
 このタイプの人たちに多いのは,現職当時に地位が高かった人です。そのプライドを捨てきれないので,いつまでも先輩風を吹かすから,結構周りの人は迷惑しますが,こういう人がお客さんならば,むしろそれを利用して,そうしたプライドをくすぐってあげさえすれば,お金を出すことに躊躇はしないのです。
 この少子高齢化社会で,最も消費のターゲットにするといいのは,こうした人たちなのでしょう。
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 お金はないけれどしたいことがたくさんある,という人たちが,ゴールドエイジを迎えたとき,もっとも悲劇の存在となるでしょう。こうした人たちが幸せな生活を送るには,お金を使わなくても楽しめるものをもっていることが必要なのでしょうが,やりたいことがたくさんあるというのは,もともと好奇心が高いからであって,しかも,お金がないというのは,若いころにお金を使ってしまったとか,収入がたくさんあったころにお金がかかる楽しみをしていた,というその結果であることが多いからです。
 そうならないための対策が立てやすいのは,このタイプでしょう。つまり,きちんと人生設計を立てて,若いうちから,上手な,自分の身のたけにあったお金の使い方を覚えることです。
 若いころは,自分が齢をとったときのことなど,さほど考えないものですが,実は,若いころにやっているそのすべてのことは,ゴールドエイジを迎えたときどうなっているか,ということに通じているのです。そのときを迎えてからでは遅いのです。


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 ハウツー本というものがあります。ハウツーは英語で「how to」。つまり,やり方のことです。ウィキペディアには
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 (ハウツーとは)何らかの作業をする方法や手順に関する非形式的な記述のこと。何らかのテーマに関するハウツーを集めた書籍をハウツー本とよぶ。
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とあります。
 この国に住む人の多くは「人生すべてパック旅行」なので,生き方さえもハウツー本に頼ります。そこで,書店の店頭には「80歳の壁」「70歳からの選択」「70歳が老化の分かれ道」… といった題名の本があるわあるわ。少子高齢化の進む日本では街中は年寄りだらけだし,今どき,書店で立ち読みしている人もまた高齢者ばかりだから,出版社としては,こういう本を出しておけば売れるのでしょう。というか,こういう本しか売れないのでしょう。
 しかし,齢を重ねても,生き方をそのような本に頼っている人は,これまでどんな生き方をしてきたのかな? と私は思ってしまいます。「人まね」人生なんて,何も楽しくありません。まあしかし,人生は1回きりなので,齢をとることも,また,はじめての経験だから,ドリル学習で育った人には仕方がないのかもしれません。
 かくいう私は,両親がふたりとも90歳前後まで生きたので,およそ,この先どうなるかがわかります。創造主もよく考えたもので,大病を患わなければ,人生の賞味期間は80年なのです。それを過ぎると泥仕合になります。そこで,このごろ強く感じるのは,残り時間も,持っているお金も限りがあるということに尽きるのです。
 若いころはそのようなことはそれほど思わなかったのに,これには参りました。だから,今の私は,まずは,時間が惜しいのです。自分でも手に負えないほどやりたいことだらけの私は,やりたいことをする時間をどう分担してやりとげるか,なのです。そしてまた,限りあるお金もまた,どう,自分の楽しみに分配するかがとても大切なことなのです。
 そのような状況で,何らかのことを達成するたびに自己満足に浸っているわけですが,私が達成感に浸れるのは,これまでにも書いたように,星と音楽と旅,これに尽きるので,それらを,いかに楽しくするか,なのです。この詳しいことは,また,次の機会に書くことにして,今日の話題はお金です。

 お金は,必要なことにはたっぷりかけますが,必要がないことには1円も使いたくありません。そこで,何が必要なことで何が必要でないことなのかは,その人の価値観にかかっているわけです。その場合,自分にとって必要なことがわからないと知らず知らず浪費をすることになります。
 その反対に,いくらお金を手に入れることができたとしても,精神的に満足できないことに時間を使いたくありません。たとえば,投資などに時間を費やすのは本当にもったいないと,私は思います。どれだけそれで利益があったとしても,それに費やした時間,そしてまた,むなしさが大きすぎます。精神的に得るものがないことに時間を使うのは,たとえお金を手に入れたとしてももったいないことですが,これもまた,若いときにそうした経験があるからこそわかることです。
 世の中は,お金を使わせようという誘惑が多すぎます。何の興味もなかったのに,うまくコマーシャルにのせられて欲しくなってしまったりするわけです。そうしたことにまんまと乗ってしまう若い人は多いのですが,一度乗せられてそれに懲りておくのも,免疫ができていいのかもしれません。

 人には免疫というものがあります。免疫は抵抗力を生みます。だから,抵抗力というものの存在を軽視してはいけません。抵抗力のある人は,少しくらい菌のあるものを食べても打ち勝てるのです。現在,何が怖いのか,やたらと怯えて,小さな子供に,過剰に消毒をさせたりマスクをさせる親がいますが,そうすることで,子供の抵抗力が育っていないことを,私は危惧しています。温室栽培では強い植物は生まれません。転んでけがをする必要があるのです。社会に出ても,世の中は善人ばかりではないので,ちょっとした悪いヤツとの接し方を子供のころから学ぶ必要があるのです。
 同じように,誰しもが罹るちょっとした病気は,子供のころにかかっておく必要があるのです。
  ・・
 ところで,四六時中マスクをしていることでつねに口呼吸になって,そのためにどんな弊害が起きるのかは医学的に何もわかっていません。医者は薬に関してはプロですが,マスクに関しては何も知りません。つまり,マスクの効用を語るのは素人の意見です。
 こんなことをしていると,おそらく,何十年も経ったとき,予期せぬ副作用が起きることでしょう。この国では,そのころに大きな社会問題となっているかもしれません。しかし,そうなったとしても,誰も責任を取ってはくれません。それが世の中というところです。
 と,ここまでは余談です。
 さらに余談を書きます。
 現在,ニューヨークでは,マスクをして公に出てもいいことを利用して,万引きが多発しています。防犯カメラで顔が特定できないからです。ニューヨーク市長は,店に入るときはマスクを「しないように」と呼びかけています。マスク信者の日本人観光客のみなさん,お気をつけあれ。

 話を戻しまして…。
 消費者は,お金を使うことに抵抗力を身につけなければならないその一方,商売をする側としては,どうでもいいようなものであっても消費者が買いたくなるように仕向けることができれば利益があがるわけなので,そういう気にさせるような商売が上手だともいえるわけです。だから,消費者側としては,そういう商売の方法,つまり,相手の手口を学ぶことこそが,浪費を避ける最善の方法となります。これこそが,浪費をしないための抵抗力であり,真の富裕層となる道なのです。


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 今日で2023年の1月も終わりです。徹底的な断捨離に明け暮れて,あわただしい毎日で,1日はあっという間に過ぎていくのに,その割に月日が経つのが遅く感じられ,やっと1月が終わる,と感じるのが不思議です。

 徹底的な断捨離をして,しみじみ思ったのは,要らないものは買うべきではないということとともに,必要がなくなったらすぐに処分すべきだ,ということでした。
 特に大量に溜まってしまっていたのが書籍でした。
 ミカン箱7箱分処分して,結局,今も手元に残ったわずかな書籍のほとんどは若いときに読んだものだったというのが皮肉でした。30歳を過ぎて購入した本の多くはムダだったというわけです。知らないときにその本ではじめて知識を得た,という記憶が今もその本への愛着となっているのでしょう。要するに,成長段階で手に入れた知識が今の私のすべてだということです。
 また,カメラを大量に処分したと以前書きましたが,私は,写真や星見に興味があっても,それに凝って高価なものをたくさん買う,ということまではしなかったので,救われました。たとえば,100万円以上もする交換レンズや天体望遠鏡など持っていたとしたら,その処分をどうしたことでしょう。
 天体望遠鏡といえば,先日亡くなった天体写真家の藤井旭さんが雑誌などに書いていた白河天文台に感化されて,私の世代ではマイ観測所なるものを作った人も少なからずいたようですが,もし,車で自宅から2時間もするような山の中にそんなものを作っていたら,それが不要になったときどう処分すればいいのでしょう。とにかく,私はそうしたことに手を出さなくて正解でした。

 若いころ,別荘を持っているという人に招かれて,冬にお邪魔したことがあります。到着して驚いたのは,水道管は凍り水も出ず,部屋は掃除が必要でした。そのときしみじみ思ったのは,別荘など買ってしまうと,それを維持をすることがとても大変だということでした。
 私は,若いころにそんなことを知って本当によかったと思うわけです。何事も買うのは簡単でもそれを維持するということがとても大変なことなのですが,それを知らない若い人は,何でも欲しくなってしまうわけです。しかも,業者は商売だから売ればいいわけで,おいしい話ばかりを伝えます。しかし,別荘を建てるお金があれば,そのお金で何度旅ができることか,と考えたほうがよさそうです。持ち家も同じです。借りるより買ったほうがお得というのは業者の方便ですが,その維持費を考えるとそうもいえません。長年住んであちこち痛んできてリフォームしようとしても巨額なお金が必要です。そもそも,この少子高齢化の日本では,不要になっても売れないので,それは財産ではなく負債となります。これだけ空き家があることを考えるとそれは明白です。
 地位や名誉を手に入れた人や有名人ともなれば,その後の生き方がたいへんです。人のもっとも大切な「自由」を捨てることにつながります。それと同じように,ともかく,モノは極力持たないほうがいいのです。


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 2022年も最後の1日となりました。世の中はいろいろとかまびすしいようですが,ほとんどニュースも見ないで,マイペースでやりたいことをやって生活しているので,私はいたって平和です。
 1年を思い返すと,いろんなところに行くことができて,とても充実していました。とはいえ,自分でも思いもよらず,年末に突如引っ越しをすることにした,というイベントがあって,それを決めた11月からあっという間の2か月となりました。そのおかげで,本格的な断捨離ができました。モノがないというのはこれほど気持ちがいいものか,としみじみ感じました。
 さて,引っ越しのための断捨離もほぼ終わり,最後に残ったのが,住所変更でした。これがまあ,大変というよりも,社会の縮図を見ているかのようで,とても興味深いものでした。
 「インチキ富裕層」の私は,銀行や証券会社に口座だけはたくさんあるので,それらのすべてで住所変更をする必要がありました。しかし,自分で選んだ金融機関ならまだしも,亡くなった父親から譲り受けた中には,私にはまるで理解不能なものも存在しました。今日はそんなお話です。

 今や,多くの金融機関は,インターネットで住所変更が完結するので,とても便利です。しかし,住所変更の方法が金融機関ごとに異なっていて,とても簡単に変更ができるところから,意味もなく複雑なところまでありました。これらは,要するに,アプリを開発する人の能力の差でしょう。こういうことから契約する金融機関の実態がわかるのです。
 以前,アメリカで交通事故に遭って,生命保険を受け取る機会があったのですが,そのときもまた,手続きがとても簡単な会社と意味もなく複雑な会社がありました。そのとき思ったのは,保険というのは,まさかのときの手続きが容易な会社を選ぶべきだということでした。

 インターネットで手続きが完了しないいくつかの金融機関は,実際に出向く必要がありました。店内で手続きをしながら感じたのは,金融機関ごとにその職場の雰囲気の違いでした。もし,就職するのなら,ここはいいなあ,とか,こんなところはいやだなあ,などと思っていました。
 なかでも最悪だと思ったのは,ある証券会社でした。
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 私は,その証券会社に口座はなく,自分では絶対に利用しないところでした。どうしてそこに口座があるかといえば,親から受け継いだことが理由です。その会社はむやみやたらと電話をかけてくるという旧来の手法を未だにやっていて,かなり迷惑でした。そこで,これを機会に私の使っているネット証券会社にその証券会社の株をすべて移管して,口座を解約しようと考えました。
 窓口に行ってたまげました。今どき,株の売買など,インターネット証券で事足ります。何十年も前のように,証券会社に出向いて,相場を眺めながら株の売買をする,というような姿こそさすがになくなりましたが,私が訪れた証券会社は,未だにインターネットすらまともに機能しておらず,顧客と大きな声で電話でやり取りをしていました。
 そもそも,そんな会社が未だに存在することが私には冗談としか思えませんでした。まるで昭和に逆戻りしたような感じでした。私の担当になったという新入社員は,上司から,その旧来の方法を指南されているようでした。こりゃだめだ,と思いました。おそらく,そんな会社で何年仕事をしようと,全くつぶしは効かないのです。これは過去の遺物です。私は,絶望的な気持ちになりました。

 それにしても,今回,住所変更をしてわかったのは,この国の会社は,とても近代的なところと,古いままのところが混在しているということです。おそらくそれは会社に限らず,学校でもマスコミでも同じことでしょう。
 日本という国は元来が保守的で,新しいことを導入するのが苦手で,一度決めたことは変えられないのです。変えたときに失敗して責任を問われたくない,それだけなのです。だから責任逃れのやったふりが蔓延するのです。
 世界が日本だけならそれでもいいでしょう。しかし,世界は急速に変化し,今やAIを駆使してすべてのことが変貌しています。ChatGPTなるものを利用すれば,AIと人間がチャットをしてプログラミングをしたり,論文を書くことすらできるのです。
 今の日本は,黒船が来たころの日本と同じです。そのころとの違いは,この国には若者がいないということです。「逃げ切り」だと自負する老人と新興宗教に毒された政治屋ばかりなのです。
 これでは,日本は世界からどんどん遅れていくのも無理はないと思いました。


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12月30日の夕方は
金星と水星が並んだ。

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 円安に,高齢者の医療費が2割負担に,物価高に,年金の支払い65歳に延長に,と,将来真っ暗闇のこの国です。…と,こんなことが騒がれているのですが,何を今更,という感じがします。「これからの人口予測」を見ると絶望的になりますが,多くの人はこの現状を知りません。
 これだけ少子高齢化が進めば,今までのような福祉政策が続けられるわけがありません。そんなことはずっと前からわかっていて,民主党政権のときは長期的な対策をしようとしはじめたのですが,自民党と公明党政権に戻って,アベノミクスとやらがはじまったら,すべてぶち壊しの大盤振る舞いをはじめました。そのときは景気が上向くので好評でしたが,これでは将来に対する傷口が深くなっただけだったのです。
 このように,長期的な展望に立って対策をするようなことは,今の政権には望めません。そんな正直なこというと選挙に負けるからです。また,政治家の多くは年寄りだから,日本の将来がどうなろうと知ったことではないのです。無責任な与党です。

 「これからの人口予測」を見せて「現在,この国の現状はこうなっていますよ。この先が心配ですよ。だから,どうすればいいのかみんなで考えましょう」とすべてを明らかにすれば,何かいい案を考える人もいるのでしょうが,そういったことをすべて隠しておいて,甘いことをいっておいて,それが立ち行かなくなるとはじめて,突然,強制的に,しかも,何の長期的な展望もなく,その場しのぎの圧力をかけはじめるのです。
 お金というのは,自分の財産について考えればわかるように,たとえば株を持っていたときに株価が上がれば財産は増えるし下がれが減る,つまり,一定ではないのです。そこで,株高にすれば含み益が増えるから,一見,借金が減ったように見えるわけですが,それは見せかけにすぎません。あるいは,お金を借りまくって,散財して,その先は知らないよ,とやれば,しばらくの間はそれでことがすぎます。すべて先送りにすれば,その場はしのげます。しかし,そんなことを国がやっていてはいけません。今もまだそんなことをくり返しているのですが,ついにそれが立ち行かなってきたので,さまざまな屁理屈をつけて,だまし討ちをはじめたのです。
 こんなことでは先行きが不安ですが,多くの年寄り政治家同様に,インチキ富裕層の私のような老人は,さほど心配をしなくても,まあ,何とかなるので,楽観しています。私は逃げ切り世代です。しかし,若い人は気の毒です。であるのにかかわらず,若い人は,果たしてこうした現実を自分のこととして考えているのかどうか,知っているのかどうか,他人ごとながら,私はとても心配になります。小さな子供を何人も連れた若い夫婦を見ていると,ああ,こんなに子供を作っちゃって,この親たちは何も知らない,この子たちが大人になったときどうなるのだろうと,むしろ気の毒な気持ちにさえなります。

 さて,年金の受給年齢も次第に遅れていって,健康保険も上がり,貯金をしようとも金利がほとんどなく,という現在において,私が思う勝ち組というのは,1955年(昭和30年)生まれです。1956年以降,年金の受給も福祉も急激に悪くなっていくというのが,この国の現状で,それ以後の世代はすべて負け組です。
 よく,団塊の世代を勝ち組だという人がいますが,それも正しくありません。少し前に書いたことがあるのですが,団塊の世代の人たちは,3度の失敗をしています。そして,今,この世代の人たちがまさに後期高齢者となってきたのですが,その後は,大変な状況が加速していくことでしょう。
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 2020年の春,突然襲ったコロナ禍。コロナ禍以降に退職した世代は,このコロナ禍のおかげで,満足に旅行もできず,気の毒な限りですが,そんな世代の人たちが,今年もまた,これまで経験したことのない巨額な退職金を手にして「毎日が日曜日」という新たな社会に放りだされてきました。それでもまだ,退職金がもらえた人は運がいいのかもしれません。
 その中でも,厚生年金がもらえる人たちは,現役のときには年末調整をしていたから,多くの人は税金の仕組みも知りません。そんな投資経験もほとんどない人に対して,手ぐすね引いて金融業界が待ち構えていて,年金生活1年生は,甘いことばで誘惑され,投資に手をのばしはじめるのです。私のまわりにも,日々,必死に相場を見ている人がいます。しかも,実際の経験もないのににわか知識を披露して得意になっています。しかし,金利は最低,株は高値,極端な円安という三重苦の今,プロなら上がろうと下がろうと相場が動けば儲けられるますが,素人が投資に手を出せば,必ず大損するという以外の答えは用意されていないのです。私は,そうした人たちを,おバカなことよ,と傍観していますが,やがて来る悲劇を思うと気の毒でなりません。投資をはじめるなら,まずは10万円を小出しにさまざまなものに手を出して,3割は損をすることを覚悟にお勉強をするべきです。
 皆さんもせいぜいお気をつけなさいませ。
 この国の将来には夢も希望ももてないのです。

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 ふとした理由でFODをサブスクしました。
 ふとした理由というのは,先日「コンフィデンシャルマンSP英雄編」の映画が公開されたのですが,映画館に行く気にならず,ネットで見られないかと調べていたら,FODで見ることができるというブログを読んだことからでした。現在は見ることができるのですが,私が契約したときは,そのブログの情報は誤りで,見ることはできませんでした。
 結局,私は「コンフィデンシャルマンSP英雄編」は,がらがらの映画館の最後尾席で見ました。しかし,せっかくサブスクしたのだからと,キャンセルするまえにFODを利用することを考えていたら,過去のドラマや映画を数多く見ることができることがわかって,結構便利なので,現在もまだ解約しないでいます。
 ちなみに,現在私がサブスクしているのは,このFODとAMAZONのPrimeVideoです。一時,ABEMAも契約したことがありますが,将棋と大相撲の中継は無料で十分だし,サブスクしてもそれで見られるのはキャンブルとエロばかりだったので嫌気がさしてやめました。

 さて,今日の話題は,FODで見ることができる番組ではなく,それに付随したFODで多くの雑誌を読むことができるサービスについてです。
 ずいぶん前は,喫茶店に入る目的は,「週刊現代」とか「週刊ポスト」のような雑誌や,購読をしていない新聞を読むことでした。今でも喫茶店にはそんな老人がいるようです。また,ときどき,そのような雑誌を書店で立ち読みすることもありました。さらには,「将棋世界」や「アサヒカメラ」というカメラ雑誌,さらにこのブログによく書く「月刊天文ガイド」などの天文雑誌は購読までして読んでいたこともありました。
 しかし,今は,多くの情報はウェブで手に入るし,おどろおどろしい見出しが所狭しと並ぶだけの興味本位の週刊誌や,所詮は広告でしかない月刊誌など,民放の情報番組と同じく,私は嫌悪感しかもたないので,手に取ることもなくなりましたが,FODのサービスでは,そうした雑誌以外にも多くを読むことができるのです。週刊誌などはもともと読まないのでどうでもいいのですが,そこで目にしたのは,これまでなら手に取ることもなかったようなさまざな趣味の雑誌,たとえば,「つり人」「BIKEJIN(培倶人)」「田舎暮らし」「BE-PAL」などです。そこで,特に興味があったわけでもないのですが,リストアップされていたこれらの雑誌を好奇心で読んでみました。
 しかし,読んでいるうちに,次第に寂しくなってきました。
 その理由は,所詮,この国で,こうした趣味に打ち込もうと思ったところで,それを楽しむ場所などほとんどないではないか,ということでした。それは,私が星見を楽しんでいて実感することと同じなのです。

 先日出かけた木曽駒高原から開田高原あたりで,オートバイに乗ってツーリングを楽しんでいる人やキャンピングカーで旅をしている人を多く見かけました。また,川では釣りをしている人たちもいました。おそらく,こうした雑誌の読者はそのような人たちなのでしょう。しかし,私が楽しんでいる星見もそうですが,実際のところ,この国は,そうした趣味を十分に楽しむ場所などないのです。そう感じるのは,私がこれまでアメリカやオーストラリアの雄大な大自然の中でこうした本物の楽しみを満喫している人を知ってしまったからです。
 それでも,この国で何とか居場所を見つけてかろうじて楽しんでいる人たちは,おそらく,そういう外国の姿を知らないか,あるいは,憧れをもっているかでしょう。それは,高級料理を知らない人が焼き芋を食べて世界で一番おいしい食べ物だと思うようなことと同じで,つまり,知らないほうがよいこともあるのです。

 一時「ひとりキャンプ」なるものが流行りました。今も流行っているのかな?
 アウトドア関連の雑誌の特集には,満天の星の下でキャンプをしているような,そんな写真が掲載されているので,そういう写真に憧れて,いろんな道具を買い込む人がいるわけですが,その多くは一度使っただけであとは家で眠っていると聞きます。それはもっともな話で,それを活躍させるところが日本にはほとんどないからです。
 もともと,そうした雑誌のグラビアというのはイメージだけで,道具を買ってもらえばそれでいいわけです。つまりカタログです。そういえば,私の住む街にスポーツジムができたとき見学に行ってみたことがあるのですが,結局,スポーツジムもまた,運動をするというより,服やら靴やらといった道具を売ることに熱心でした。週末の列車にも,普段着で十分なのに,わざわざ雑誌に載っているようなもので着飾ったハイカーを見かけます。しかし,結局,それだけのもので,たとえば,カメラだって,買っただけで使っていないという人が半数以上なのだそうです。
 この国でアウトドアを楽しむなどというのは,雑誌のグラビア写真同様,虚構なのです。車だって,実際,こころ置きなく走ることができる道路もありません。1度でもアメリカのインタ―ステイツを走ってみれば,そのむなしさがわかることでしょう。結局,イメージに踊らされ,ムダなお金を使って,それで,暇つぶしをしているだけなのです。私は,それがとても悲しいのですが,そんなことを知って冷めてしまうと,散財しなくなるのです。だって,モノを買ったところで活躍させることもできませんから。

 少子高齢化に対して何の対策もせず,国民からお金を巻き上げるだけ巻き上げて,それをムダ遣いすることだけが仕事と勘違いしている政治。そんな末期的なこの国で生きのびるには,早く幻想から目覚めて,老後に備えることが大切なのです。今後,年金も少なくなり,医療費も増えるとなれば,60歳で1億円くらいはないと,安心した老後はおくれません。
 しかし,日々管理の大変な芝のある広い家に住み,ランドクルーザーとSUVとヨットをもち,毎週末キャンプに出かけ,MLBとNFLの応援に忙しく過ごし,老後はキャンピングカーを手に入れてアメリカ中を走るのが夢,というような国とは違い,この国では,立派な道具を揃えてもアウトドアをする場所もなく,高級車を買っても走る道路すらないから,少しでも早くそれを知って雑誌の洗脳から冷めて散在することのあほらしささえ知れば,お金も要らないから,老後に備えて貯蓄をすることは可能です。逆に,そうしなければ,悲惨な老後が待っています。


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 以前このブログに書いた車のサブスク「KINTO」。私が申し込んだのは6月15日だったのですが,予想に反して,8月9日に早くも車が来ました。「KINTO」は車の納入が早いのだそうです。
 車に限らないのですが,半導体の不足とかで,現在,工業製品の製造が遅れに遅れています。私は,8月1日にカメラの交換レンズを修理に出したのですが,修理が終わるのが早くて1か月先という連絡を受けました。カメラなども,カタログにはあっても市場には出回っていないとかいいます。
 車の話に戻します。現在,多くの車は,6か月から8か月待ちということです。ランドクルーザーに至っては4年待ちなのだそうです。私は,6月のはじめまで,車を買おうとなどとは夢にも思っていなかったのですが,6月の定期点検で,次の車検ではいろいろと部品を交換するところがあるし,タイヤも買えた方がいいと言われてびっくりしました。それまでは,まだ,当分乗るつもりだったけれど,考えてみれは,もう8年以上も乗っているのだからそろそろ替えどきかな,と急に思い立ったのです。
 しかし,こんな状況だと,6か月前の点検でいろいろ不備が見つかって買い替えを決心しても,次の車検に間に合わないのでは,困る人が続出していることでしょう。私もまた,おそらく「KINTO」なるものを知らなければ,新車の購入は車検に間に合わなかったかもしれません。これもまた,いつものようにツイていました。また,新車が買えないので中古車が売れるそうで,中古車の値段が高騰していて,私の乗っていた車も,想像以上の高い値段で売ることができました。

 さて,今日の話題は「KINTO」のことではなく,車の装備のことです。
 車ほど,買い替えたときに,その技術の進歩に驚かされるものはありません。どんどんと新しい技術が導入されます。今回もまた,これまで乗っていた車とは絶世の感がありました。
 そのひとつは安全装置,そして,もうひとつは,スマホとの連携です。
 なかでも,スマホとの連携は助かります。
 ここ数年,海外で車を借りると,日本車でもすでに当たり前だったスマホとの連携でしたが,どうして日本で装備されていないのか不思議でした。風の噂では,連携ができてしまうとカーナビ業界が困るので,忖度してるから,とか…。その真実は知りません。しかし,時流には逆らえず,日本でもやっと登場しました。スマホを接続すると,スマホにインストールした地図で車のディスプレイに表示されてカーナビができるようになったのです。また,アプリを使えば,家から車のロックやランプの消し忘れも確認できるようになりました。

 ということなのですが,私がはじめに感じたのは,そうした新しい機能を実際に使おうとしたとき,あまりに説明書が不親切なことでした。車好きにの人には当たり前なのかもしれませんが,私のような車にほとんど興味のない人には,説明書を読んでも,なかなか理解ができません。それは,たとえば,SDL やら AppleCarplay やら AndroidAuto などといった製品名が羅列してあっても,そのどれを使えばいいのか,どれを使えば何ができるのか,などがよくわからなかったからです。
 いろいろと調べてみて,iPhone のユーザーは AppleCarplay を使えばいいということがわかったのですが,こんな説明で,多くの人が使いこなせるものなのでしょうか。それとも,私がよほどアホということなのでしょうか。
 これまで,車の分厚い説明書など必要なとき以外は読んだこともありませんが,今回,とてもわかりにくいものだということを再認識しました。以前書いた道路標示もそうですが,この国では,どうでもいいような情報は山ほどあっても,必要な情報がないのです。もっとなんとかならないものでしょうか。それにしても,巷に普及しているスマホもそうだけど,こうしたコネクテッドカーもまた,進化途中です。各会社がそれぞれ独自に展開しはじめたそうですが,キャシュレス決済やポイントカードなどと同じように複雑怪奇で,皆それを使いこなしているのが不思議です。
 そんな私でしたが,さまざまな格闘の末,今では完全に理解し,有効に活用して楽しんでいます。

◇◇◇
今日の写真はアメリカの交差点です。アメリカの交差点は,車線ごとに信号があって,とても見やすく走りやすいです。
何車線もあるのに小さな信号がぽつんとある日本とは大違い。事故防止のためにと,やたらと交差点の形状の変更や変則信号を交差点ごとに思いつきで別の方法でやっている日本も見習ってほしいものです。


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 2008年のリーマンショックに2020年のコロナ禍。日本は大したことがないと,はじめのうちは対岸の火事のように高をくくり,日本は優秀だ,外国とは違うぞと,こころの中で何の根拠もない自信と自己満足にふけっていても,結局,いつも世界から遅れをとる日本。金融緩和においても,その幕引きができない日本。
 半世紀以上生きてきて,いつもそんな様だから,私は,もう,あきらめしかないけれど,この後に及んで,FXで円を売ってドルを買って大損した人が相次いでいる,などということが新聞に書かれてあるのには笑えました。こんな高値な相場でドルを買うなんて,短気で勝負する投資家ならともなく,ありえません。全財産を円からドルに変えてしまった人もいるみたいです。こうして,いつもいつも,知識もないのに金儲けをしようとする庶民は大損をくり返すわけです。これもまた,自分の意思で行動できない日本人の姿です。
  ・・
 おそらく,1ドル140円までいく,という報道に煽られて,139円あたりでドルを売ったんじゃなくて買ってしまった人は,あと10年も待っていれば,何がしかの「事件」が起きて,そんな相場にならないとも限らないから,それまでずっと持ち続ければ損しないと思うけど,今の時点で少しでも円高になると,今度は不安になってあせって損切りするわけです。
 以前,リーマンショックのころに1ドル80円くらいの極端な円高になって,1ドル95円あたりでドルを買ってしまったと絶望的になっていた人がいたのですが,今まで持っていれば大儲けできたのに,きっと,その人もそのころに損切りしてしまったことでしょう。

 ということで,こんなことは長く生きていればわかることなのですが,おそらく,学生時代から,問題集をやるのが勉強だと思って生きてきて,偏差値と学歴が人の価値を決める物差しのすべて,だったような人は,今になって,雑誌やらファイナンシャルプラナーやらのいうことを聞いて投資をはじめて,こんな罠にはまるのでしょう。
 少子化で,大学の入学も推薦枠で入った学生が半数以上を占めるようになったそうです。すると今度は,これでろくに勉強もしないで大学に入る学生が増えるから,さらに日本は地盤沈下だという書き込みを見かけます。そうした書き込みをする人もまた,ドリル学習を勉強と勘違いしている,悪しき日本の教育の犠牲者です。今の日本の優秀だとされる人たちの有り様をみれば,優秀という意味がわかろうというものです。机上の「検討」ばかりで現実が伴っていないのです。
 その昔,ゆとり教育というのがあって,その時代に学生だった人たちを「ゆとり世代」と揶揄していますが,それもまた,ゆとりとは勉強をしないこと,という勘違いから来ています。ゆとりというのは,その時間を自学に有効活用しよう,ということだったのです。しかし,有効活用ができなかったことが,そもそもの原因です。
 すると今度は手のひらを返して,めちゃめちゃの詰め込み教育をはじめましたが,ほとんどの生徒は消化不良です。小学生に英語やコンピュータのプログラムを教えようとしても,これまで指導者を育てる施策もしないでおいて,だれがそれを教えるのでしょう。それどころか,労働環境が劣悪なのでそっぽを向かれ,教員不足が深刻です。
  ・・
 マスコミもまた,何かのきっかけでニュースになると騒いでも,それは,売れるから。喉元すぎれば何とやら。騒がなくなれば,その後の報道はどこかに行ってしまうわけです。巷で騒いでいる人もまた,人それぞれ何がしかの思惑があるからです。コロナ禍だって,本当に困っている人もいる反面,それを利用してずいぶんと儲けた人がいるそうだし。自分の意見を,さも学説のように語る医者がごろごろいるではありませんか。
 ということで,何もかも,自分の意思をもたず考えず,大衆と同じように群れて行動する人だけが大損するように,この世はできているのです。


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 2022年もあっという間に7月まで終わりますが,依然として世界は混沌としています。というより,さらに混乱が増しています。もうめちゃくちゃです。日本人は,いつもながら,表向きは従順を装い,他人の目を気にしているだけで,みんな勝手にやっています。政治もまた,一度決めるといつも幕引きができず,外圧だけを気にして,時の権力者への忖度だけがその判断基準の根本にあり,国民の声を聞かない。これもまたいつものとおりです。
 私は,半世紀以上見てきましたが,ずっと変わらない日本です。
 私は,結果というのは,その姿が見えたときに何かをしてもすでに手遅れだと思っているので,もはや,対策などないのでしょう。それは,バットでボールを打った後に,もっと飛べもっと飛べと応援しているのと同じだからです。人間もまた,20歳のころに暴飲暴食をくり返すと40代で病気になるというように,20年後に結果が出るのです。退職した後で後悔しても,それは20年前の所業の結果です。
 …ということで,今の状況は,ここ何十年もの間にわたるさまざまな政策の結果なのでしょう。
  ・・
 それにしても,天候まで不順で,天気予報は日々めまぐるしく変わり,そんなことなら天気予報など必要がない,という感じです。ここ数か月,天気予報がまったくあてになりません。もともと,外国に行くと,日常,天気がめまぐるしく変わるので,日本のような細かな天気予報はありません。日本もやっとその域に達した? のでしょうか。
 あてにならない予報ならないほうがずっとマシで,そんなことを発信するのはムダというものです。さらに,近ごろの天気予報は,明日は寒いから服を1枚余分に着ろ,だとか,おせっかいな情報が多すぎて,まるで,小学校の朝礼の注意みたいで,うっとおしく感じています。天気予報で伝えることは,明日は寒くなる,だけで十分であって,何を着るかは気象予報士が決めることではなく自己責任です。
  ・・
 コロナ禍が終わりません。
 感染防止対策とかを実行していても世界最高の感染者数なら,その感染予防対策は正しくないということではなかろうか,と思ったりもします。
 メジャーリーグ中継などを見ていると,外国はもう,コロナ禍以前の状態ですが,日本だけが異常です。コロナウィルスはマスクの隙間の200分の1程度の大きさです。ざるで水をすくおうというのと同じなのです。感染者の97.7パーセントは日ごろマスクをしていたという研究報告もあります。なのに,摂氏35度の屋外でマスクをして歩いている人を見ると,哀れみすら覚えます。それでも,自分の意思でそれをしている大人はそれで熱中症になっても自業自得ですが,それをさせられる子供がかわいそうです。そんなに怖いのなら,外に出ず,無菌室でじっとしていればいいのでしょうが,それでは抵抗力もつきません。こんなことをしていたら,抵抗力が育たなかった今の子供たちの20年後が心配です。まあ,私はもうこの世にいないから,心配したり,とやかく言うこともないか。

 さて,ここからが,今日の話題です。話題はムダについてです。
 私もまた,そんなこんなで,もはや手遅れとなった今になって,若いころにしてきたさまざまなムダを,今にして,とても残念に思うようになってきました。
  ・・
 ムダだったと今思うそのひとつ目は学校の勉強です。勉強がムダということではないのです。やった内容がムダだったということです。
 その中で,もっとも時間のムダだったと今では思うのが大学受験の問題を解く訓練をしただけの数学でした。これで高校3年生の1年間を浪費しました。そんなことをしているくらいなら,その時間で大学初級レベルの数学を学ぶべきでした。高等学校のカリキュラム程度の数学のレベルでは,本当に必要な多変量解析も線形代数も全く学習しないので,大学に入ってから,ものすごく苦労しました。
 高等学校の数学教育のひどさについては,いいたいことが山ほどあるのですが,それはまた,次回に書きます。
 また,語学も同様でした。もっとさまざまな知識が吸収できる若いころに,細かな文法やら入試でいい点をとるための語学と称したドリル学習ではなく,たくさん聞いたり読んだりして,英語だけでなく第2外国語の基本まで学ぶべきでした。そのほうが,英語の勉強にも深みが増すし,そもそも,言葉というのはあくまで手段であって,それを活用することで,言葉の違う人たちの文化や芸術を理解したり,コミュニケーションをとったりするのに役立つからこそ,であるのです。
 何も,ネイティブのように話ができるようになるために,あるいは,資格試験でいい点をとるために語学を勉強するのではないのです。こんなムダな勉強をしたために,もともと語学の才能のない私は,今になっても,専門書を読みながら苦悩をくり返しているわけです。
  ・・
 ふたつ目は必要のないモノをたくさん買ったことです。
 若いころ,ロクに星空も見えないのに,「月刊天文ガイド」の広告に乗せられて,望遠鏡を買ったり売ったりをくり返しました。あるいは,今は廃刊してしまった「アサヒカメラ」の広告に乗せられて,新しいカメラやらレンズやらが出るたびに欲しくて欲しくて仕方がありませんでした。
 結局,私が趣味として必要だったのは,今日の2番目から4番目の写真にあるようなものだけだったのです。そこに行きつくまでに,どれだけムダな出費をしたことか。
 それでも,私は車に興味がなかったから,まだ,マシでした。

 学校の勉強を,私がムダばかりだったと思うのは,若いころ,何を学ぶことが大切なのかを教え導いてくれる人がいなかったからでしょう。所詮,高等学校の教師では,学問の本質でなく,大学入試を目的とした高等学校レベルの知識でしかなく,その先の専門性を知らないし,学校もまた,教育という名を借りた単なるビジネスに踊らされて,生徒に問題集を買わせたり模試を受けさせたりしているだけだからです。
 必要のないモノを数多く買ったと今思うのも,また,それと同じで,雑誌の広告や,一部のコアな趣味の人たちの評判に踊らされ,あるいはそれを利用する業界の金儲けにまんまと踊らされて,必要のないモノを必要だと洗脳された結果でしょう。新興宗教にお金を寄進するのとそれほどの違いはないです。
  ・・
 そうしたことをくり返してきた結果,この齢になって,やっと,自分には何が必要かということがわかったのかな,と考えたら,それはムダでなかったといえるかもしれません。つまり,痛い目をしたからこそ,抵抗力がついた,免疫ができた,ということでしょう。
 そんなことがわかった今,老婆心ながら,周りを見回してみると,私が若いころにやっていた数多くのムダを,同じように,それをムダとは思わずやっている若い人が何と多いことか,としみじみ思うのです。私の時代は,それでも,高度経済成長真っただ中だったので,金利は7パーセントもあったから,10年満期の定期預金に預ければ10年後には貯金は2倍に増えたし,毎年賃金も増えました。また,退職した今は一定の年金も入ります。
 しかし,今の若い人が私と同じことをしていたら,将来が危うい。1年に必要なお金が300万円として,60歳から100歳までに必要なお金は1億2,000万円です。一生で手に入るお金は決まっていますが,若いころにムダな出費をしていたら,老後にお金がなくなるのは当然です。おせっかいな私はそんなことを心配してしまうのですが,そもそも,資本主義経済というのは,成長という「正義」を合言葉に,広告を打って物質欲を煽り,必要のないモノを買わせ,まだ使えるモノを捨てさせては大量のゴミを出し,会社は営業でだれが利益を上げたかという競争をさせることで過剰な仕事をさせ,社会に貧富の差を生み出すことです。また,開発は,環境を破壊し続けないと成り立ちません。つまり,本質的に「持続可能な社会」(持続可能な開発目標・Sustainable Development Goals = SDGs)とは相反するシステムです。
 まあ,若い人は,そんな私の心配を,「年寄りの戯言」といって一笑に付すのでしょうが…。

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 日本では,多くの高等学校の2年生か3年生で,類型選択といって,文系と理系にわかれるようですが,今や,そのことすら,私は時代遅れのような気がします。そもそも,数学ができないから文系とか,英語ができるから文系とかいった考え方自体が間違っているように思います。
 私は,「1+1=2」を真理とし正しいものだというのが理系的な考え方で,「1+1=3」を詭弁を弄してでも相手に正しいと納得させるのが文系的な考え方だと思っています。だから,商売では,お客さんに買ってもらえるように,短所は言わずあくまで長所だけを魅力的に説明して,それが是であろうと非であろうと,「それでよろしいですか?」と言ってお客さんが納得して契約が取れればそれでいいわけです。いわば,NHKのドラマ「正直不動産」のようなものです。
  ・・
 それは余談として,現在,異常なまでの円安状態が続いています。さすがに130円はないと私は思っていましたが,予想が外れました。
 果たして,日銀の総裁は日本を破滅させるつもりなのでしょうか。
 この円安は,要するに,日本を安売りバーゲンセールしているようなものですが,それは,円という通貨が,これまでは銀座の高級店で売っていたのに,下町の安売りショップで売るように鞍替えしたと思えばいいでしょう。
 その昔,海外に出かけると,いろいろなものがとても安いのに驚きました。日本の円は高級なブランドだったのです。しかし,今はその反対です。この円安で,アメリカへ行けば,ハンバーガーが2,000円以上もします。学費も高く,留学もできなくなりました。外国人が日本で働いて円で賃金をもらったところで,円の価値が激減しているから,仕送りにも困ることでしょう。
 その反対に,海外から日本にやってくれば,これほど愉快なことはないでしょう。おそらく,この先,コロナ禍が収まると,再び,海外から大勢の観光客が来るのでしょうが,日本は何でもめちゃ安です。

 私は,一般論として,ずっと,円安がけしからん,諸悪の根源だと書いています。
 しかし,話は矛盾しますが,私個人としては,この円安で,ずいぶんと儲けることができました。
 今と違って,投資のことがあまりわからなかった若いころに,1ドルが117円という「高値」の相場で300万円も買ってしまったアメリカドルや,これまた1ドル94円以上という「高値」で300万円も買ってしまったオーストラリアドルがあって,長年その処遇に困っていたのですが,それらもまた,すべて大きな利益を出して売り抜けることができました。円安,大感謝です。
  ・・
 現在の相場はとてもわかりやすいです。チャートを見ると,見事に乱高下をしています。こんな相場なら,どうやっても,また,何をやっても儲かります。ただし,雑誌などに,今こそ仕込みの時期とかいう,無責任な記事が載っていて,盛んに投資の素人を煽っていますが,今,ドルや株を買うなどというのは,短期で売り抜けるのならともかく,かなり無謀な話です。予想もしなかったような何らかの「事件」が起きた瞬間に,突然トレンドが変わって,売る猶予もないうちに,ナイアガラの滝のように相場が急落して,買ったものがすべて置き去りにされてしまうかもしれないからです。リーマンショックをはじめとして,私は,そんな現実をこれまで何度も見てきました。
 今は,1ドル135円なんて聞きなれましたが,こんな相場でドルを買えば,数年のちには,何と高値で買ってしまったかと,置き去りにされたアメリカドルにため息をつくかもしれません。そして,それを取り返すのには10年の月日が必要となることでしょう。
 しかし,買うのでなく,アメリカドルを135円で売りから入れば,133円あたりまで毎日のように乱高下するから,どうやったって利益が出ます。買いではなく売りなので,置き去りにされるリスクもほとんどありません。しかし,アメリカドルよりも,むしろ,95円と92円あたりを行き来しているオーストラリアドルの方がもっと安全にもうけることができるかもしれません。

 ということで,ずっと長い間,現状で持っている外貨は,売りも買いもせず,スワップを増やすだけを楽しみにしていた私のFX口座でしたが,暇つぶしに,久しぶりに少し相場に手を出してみました。それは,数百アメリカドルを空売りして,すぐに決済してみようということでした。実際にやってみたら,あっという間に儲かりました。
 私は自分で数万円程度の利益を設定して,設定した利益が出たら,さらに儲かるとかは考えずにすぐに決済をすることに決めていたから,リスクもなく儲けることができたのですが,これもまた,FX初心者は,これだけ儲かるのだから,もっと金額を増やしてやってみようとか,まだ決済をするには早いとか,そういう熱病に侵されて,結局破滅してしまうことになるのでしょう。リーマンショックのとき,そのようにしてFXで財産をなくした人を少なからず知っています。
  ・・
 こうして少し暇つぶしをしてみて,私は,昔知ったある感覚を思い出しました。それは,相場などに手を出すより,働いたほうが精神的にずっといい,ということです。
 結局,投資は,利益を生んでいるときは,もっと儲かるのではないかという欲に駆られて売りどきを逸するし,その反対に,少しの含み損でも出ると,心配ばかりが先に立って不安になり,日々相場ばかりを気にして,仕事に手がつかなくなるのです。すると,わずかばかりの利益というメリットよりも,精神的に病むようになるというデメリットのほうが大きいのです。つまり,素人の投資は割の合うものではないのです。

 それにしても,今回の円安,陰では批判していても,忖度ばかりで日銀の総裁に進言する人もおらず,ずっと引きずったままです。どうして,この国はいつもいつもそんなことをくり返しているのでしょうか。
 1970年代のオイルショックのときも,1990年代のバブル経済の崩壊のときも,2008年のリーマンショックのときも,そしてまた,現在も,日本の経済政策は,引き際ということができないのです。同じ失敗を何度も繰り返しているだけです。そして,そのたびに日本が劣化していくのです。
 政治が日銀が失敗に何も学ばないことや方針を変更できないのは,落としどころを考えずに,一度決めたらその施策を後先考えず推し進めること,そして,失敗をしても責任をとらなくてもいいという,日本流の「やさしさ」,というより「甘え」からくるものなのでしょう。
  ・・
 コロナ禍が深刻なとき,「気の緩み」とかいう上から目線のことばが流行りました。人出が増えると「気の緩み」と言われました。それは私の大嫌いなことばでした。こうした風潮を起こすことで,今なお,屋外でもマスクをはずさないような,熱中症にかかるリスクだけで何のメリットもないのに他人の目を気にするだけで自分で考えない多くの庶民は行動を遠慮し,その結果,多くの店はつぶれ,人々の精神が病みました。これぞ,第2次世界大戦で何も学ばなかった日本人そのものもです。
 「気の緩み」。そういうことを言っていた学者とかそれを記事にしたマスコミはどうかしていますが,これこそが,いわゆる「上級国民」には忖度し,庶民には上から目線,といった,この国の根源であるいじめ体質そのものでした。
 しかし,今,最も緩んでいるのは金融です。こんな政策を将来も考えずにまだ推し進めていることこそが「気の緩み」そのものです。コロナ禍で盛んに「気の緩み」といった主張をしていた人は,今こそ,忖度などやめて,盛んに,金融政策を「気の緩み」と書くべきでしょう。


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 今回のブログは車が話題なので,それにちなんで,写真はアメリカのトヨタディーラーです。

 モノには執着心も想い入れもない私は,見栄でモノを買うこともないのですが,どうしても手に入れなければならないモノは,あくまでも機能重視であり,必要十分で,かつ,安価であればよく,そして,一旦買えば,できるだけ長く使い続けます。
 車もまた同じで,安全に故障なく動けばいいと思っています。そもそも,日本では,一般道は道路が狭くいつも混み合い信号だらけだし,高速道路はまれに3車線あれどほとんどが2車線でさらには1車線だったりして高速道路ともよべない情けない姿なのに,そんな道路を意味もなくすごいスピードで飛ばしていったり煽ることを生きがいとしているような,車の運転の基本すらできないマナーの悪い人が多くいたりします。こんな国で車に凝っている人を気の毒に思います。一度,アメリカやオーストラリアで走ってごらん,と言いたくなります。
 アメリカやオーストラリアで車を借りるときは,1日に1,000キロメートル以上を安全に走行するためにSUVに乗る私も,日本では,車なんて自転車と同じだと思っているので,乗っている車は2年落ちの中古車。買ってからかれこれ6年目となりますが,今も大切に使っていて,買い替える気持ちはまったくありませんでした。しかし,先日,いつものように定期点検に出したとき,次の車検にはタイヤを交換したり,ほかにもいくつかの修理が必要であると言われて,さすがにこりゃ,そろそろ替え時だと観念しました。

 次に車を買い替えるときもまた,前回と同じようにお値打ちな中古車でいいやと思っていたので,家に帰ってネットで探してみると,意外にも,私が思っていたようなお値打ちな中古車がまったくありませんでした。5年落ちでも200万円。これには驚きました。
 現在,世界的な半導体不足で,さまざな工業製品の生産が遅れています。車もまた同様だそうで,新車を買おうとすると,何か月も待つ必要があり,それでは間に合わない人が中古車に目を向けるので,中古車市場が値上がりをしていて,さらに,在庫もあまりないということです。
  ・・
 まだ車検には半年あるので,今新車を注文すればなんとか車検には間に合うのでしょうが,いくらお金があったとしても,たかが車に何百万円ものお金を一挙に出す気持ちにはなりません。そんなわけで,どうしたものかと思案をしていて目に留まったのが「KINTO」という車のサブスクでした。
 「KINTO」というのは,毎月,数万円の定額とボーナス時の増分を支払うだけで,自動車税も車検代も消耗品代も,さらには,任意保険までが込々になっているので,あとはガソリン代だけで車に乗れるというものだそうです。レンタカーみたいです。
 そこで「KINTO」について調べてみました。
 さまざまな口コミを読むと,安くないとか,いや,お値打ちだとか,いろいろな意見が書かれてあったので,実際に計算をしてみました。はじめに全額を出して車を購入してそのあとに必要になるさまざなま諸経費やら税金やら自動車税やらをこれまでに私が払った実績をもとにして調べていくと「KINTO」で支払うのと新車を買うのとは同じくらいのものだということがわかりました。むしろ若干「KINTO」 のほうが安いくらいでした。
 おそらく,会社の本音としては,一度に全額払うお金がない人に車を買ってもらうように仕向けたくて作ったものだと思います。だから「KINTO」が決してものすごくお値打ちというわけではないのですが,私は,そんな損得は別として,車検やら任意保険やら自動車税やらといったわずらわしさがまったくないということが魅力的に思えました。毎年やってくる3万円以上の自動車税を払わなくてもいいというのはかなり痛快ですし,うっとおしい任意保険の契約も不要です。これだけでもうれしい。

 車に限らず,私は,常々,モノを買うという行為はお金のない人がすることであって,本当の金持ちはモノは買うのではなく借りるものだとずっと思ってきました。もし,私が大金持ちだったら,家は買わず,ホテル住まいを選びます。買うことと借りることの根本的な違いは,買えばメンテナンスは買った側の責任であり,借りれば貸す側の責任だということです。これが大きい。
 とにかく,人が最も幸せなのは自由ということであって,その妨げになるのは,地位と名誉だけでなく,モノを所有しているということです。持っていて困らないのは知恵とお金だけ,というのが私の究極的な考え方です。ならば,そんな私の哲学に「KINTO」というシステムは理想的だな。
  ・・
 と,はじめはその程度のことを思ったのですが,よくよく考えてみると,もっと別の発想を思いつきました。それは,たとえば,300万円で車を買うとしたとき,はじめにお金を全額支払って車を手に入れれば,お金はその時点で車という実体となってしまい,その先は実体,つまり車が劣化するにしたがってどんどんと価値がなくなってしまうということになります。しかし,総額300万円の車を「KINTO」で7年間,毎年44万円程度を均等に支払って使うのならば,契約したときに300万円というお金は全額お金のまま手元に存在するので,そのお金を生かす他の道が存在するということです。
 それは,たとえば投資です。
 ちなみに,私は,40年以上,たまに投資で遊んでいるのですが,損をしたことは一度もありません。あるいは,投資に自信がない人でも,今,金利が安いといっても私がやっているあおぞら銀行のBANK支店のように0.2パーセント程度のものは存在していて,それを使って貯金をすれば,7年で確実に4万円以上は増えるのです。または,途中解約はできませんが10年満期で金利0.5パーセントというソニー銀行の円定期plusなら10年で15万円ほど増えるから,もともと15万円割安とも考えられます。
 しかし,新車を購入するより「KINTO」のほうが損だの得だのという話題はネット上を賑わしていても,私がここで書いているように,300万円をモノに変えずお金で持っていれば,それを運用したり別の用途に使えると書かれたものを見たことはありません。投資という面だけでなく,毎月数万円定額を支払うお金が必要だと思うだけでも,そのお金を工面するために少しだけ無駄遣いをしない気持ちが生まれる,これもまた大きいのです。さらに「KINTO」はクレジットカード払いなので,ポイントも増えます。

 モノを買うというのは,借金までしてすることではありません。しかし,それを手に入れるお金があったとしても,お金というのは,一旦モノという実体に変えてしまうと元には戻らないし,買ったモノも価値が下がっていきます。だから,支払うお金があったとしても,それは小出しにして一挙に支払わず,なるべくモノには変えず,お金のまま運用するほうが使い道があるというものです。また,あるいは,毎月出費の必要なお金があるというのは無駄遣いをしなくなる,という利点も生まれるのでしょう。

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 今年のゴールデンウィークはハワイがブームだったそうです。この2年辛抱していた人たちがどっと出かけたようです。そして,実際に行ってみて,ハワイの物価の高さに驚いたということです。
 現在,アメリカは物価高で困っているということで,いろいろなものが異常に値上がりしています。しかし,それだけでなく,異常な円安が輪をかけているのです。そこで,ハンバーガーを食べようとしても,日本円にして2,000円も必要だったとか。
 こんなめちゃくちゃになっているそもそもの原因は日銀の金融政策にあります。
 少子高齢化で,国の構造自体が変わってしまっているのにもかからわず,昔のままの政策をする政治,そして,火に油を注ぐという金融政策が,もう,取り返しのつかないところまで来ているということです。

 ついに,国内でも,いろいろなものが値上がりをはじめました。こうなると,右に習えというこの国は,これまでは値上げをしたくてもできなかったさまざな製品が,やはり右に習えとばかりに,調子にのって値上げをはじめました。
 しかし,この国の多くの国民は,高齢者なのです。賃金を上げようとも,もともと労働者は少なく,それでは値上げに太刀打ちできません。おのずから,安いものを探し,なければ買わなということになっていくので,調子に乗って値上げをしたところで売れなくなるだけです。
  ・・
 マスコミもまた,よくわからない記事で,人々の不安を煽っています。
 たとえば,コロナ感染者数のグラフがそうです。,新型コロナウィルスといっても,その種類が変化していて同じものではないのにもかかわらず,それらを同じ数値としてグラフ化しているのは,まったく意味のないことです。それと同じように,さまざまな国の賃金格差も,外貨のレートやその国の物価を考慮しなければ,それを比べること自体に無理があるのです。
 このように,データは,何事も,慎重であるべきなのに,安易なものが多すぎるのです。

 とにかく,事実なのは,今,海外旅行はコロナ禍以前とはまったく異なるということです。
 これほど高価になっては,もはや,海外旅行など行けるものではありません。残念なことですが。

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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 ついに,欲しいものがなくなってしまいました。ショッピングモールを歩いていても,まったく欲しいものがないのです。そして,何かを買うという行為が,めんどうで,かつ,いけないことをするような気持ちになるのです。さらに,何かを買っている人を見ると,気の毒な気さえするのです。
 いったいどういうことでしょう。
  ・・
 昔から,私があきるほど眺めていたのが,天体望遠鏡とカメラのカタログでしたが,それがどうでしょう。このごろは,そうしたものですら,まったく興味を失ってしまい,欲しいとも思わなくなってしまいました。さらに,そういうものの愛好家の人たちが盛んに書いているブログやらコメントを読むことすらうっとおしく感じるようになってしまいました。

 もともと,身の回りのものは少なければ少ないほうがいいと思う私は,車は動けばいい,服は他人が不快でなく丈夫で長持ちすればいい,家は雨風が凌げればいい,などなど,ほとんど執着心がなかったのですが,それ以上になってきました。
 だれしも,お金のない若いころは,欲しいもはたくさんあれど手に入らない,という状況でしょう。やがて,そうしたものが手に入るようになると,今度は,手に入れた瞬間からよりよいものが欲しくなる… ということをくり返す。だと思うのですが,私は,よりよいものを欲しいと思わなくなってしまったということなのです。
 これは,単に齢のせいでしょうか? ならば,寂しいですが,もうひとつの理由は,自分が今持っているもので十分満足だと思う自分がいるということでもあります。
 先に書いたように,若いころは,新しい製品が出るたびにそれを欲しいと思い,すでに自分が持っているものが物足りなくなったものですが,だからといって,新しいものに買い替えたところで,また,数年すれば,同じことを繰り返すだけでした。これでは限がないのです。
 しかし,そんな経験を積むと,それを追い求めて行ったところで,何があるでもないということが身に染みてしまったのです。であるならば,今持っているもので,どれだけのことができるかを追い求めたとしても,そこからえられる精神的な満足度は新しいものを買うことと同じだと気づいたのです。

 そんなわけで,お金はものに代えるのではなく体験に代えるほうが価値が高い,そこで,旅で使うに限ると思うようになったです。旅でお金を使って後悔したという人を私は知りませんから。
 しかし,今のように海外旅行もできないとあっては,お金の使い道がないという結果になってしまうのです。現在のような状況では,手元にある,わずか数千円の商品券さえ,使い道がないので,ずっとカバンの底でお昼寝をしている,ということになっています。
 これこそが「いんちき富裕層」の面目躍如,というものなのでしょうか。

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 投資の世界では「10年に1度のバーゲンセール」,つまり,戦争やら財政危機によって,株の大暴落とか為替の変動など相場の乱高下が起きます。そして,にわか投資家だけが泥船から振り落とされ,破産の憂き目をみるのです。
 一方,プロの投資家は,売りから入るか買いから入るかというだけの違いで,とにかく,上がろうが下がろうが変動してくれればどちらでも利益を生むわけで,相場が動かないと何も起きませんから,現在のような「10年に1度のバーゲンセール」は大歓迎でしょう。
 ここ30年くらい眺めていると,いつも思うのは,日本の金融政策はつねに失敗しているということです。そして,だれもその総括をせず,だから,だれも責任をとらなくてもいいのがこの国です。実戦経験のない人が防衛大臣をやっているように,投資をしたこともない人が経済をやっているのだから,どんなに学歴があろうと,所詮は机上の空論。ロクにネイティブと英語で交渉したこともない人が英語の教師をやっているように,みんなしろうとなのです。
 未だ,リーマンショックの後遺症が残っていて,現在も,アベノミクスだとかいって,いつまでも金融緩和を続けている日本では,何か事が起きても,対策がとれません。それは,いつも抗生物質を打っているようなものなので,本当に必要なときに薬が効かないからです。
 私は,円安がけしからんといつも書いていますが,実は,私自身は,円安になるとかなり含み益が増えます。しかし,売り買いをする気はまったくないので,傍観者になって相場を見ていると,わずか数分で資産が5ケタの単位で増えたり減ったりするので,金銭感覚がおかしくなります。きっと,これに騙されて投資にのめり込み,破産する人がいるのでしょう。
 人生は1回きりなので,こういう失敗をする人がいるのです。失敗に学べないからです。また,机上の知識やら丸暗記ばかりをしているような「お勉強」では実践には太刀打ちできません。おそらく,日本の政治家やお役人がそうなのでしょう。

 それよりなによりけしからんと思うのは,金融機関が庶民を手玉にとることです。
 現在,1ドルは120円以上という,常識はずれの高値となっています。冷静に考えれば,こんな相場でドルを買う人はいません。しかし,こんな相場になると,やたらと金融機関はドル貯金を宣伝するのです。あるいは,ドル建ての保険を宣伝するのです。そして,マスコミも,売れればいいから,1ドルは130円まで上昇するとかいう無責任な記事が雑誌を賑わせます。瞬間的にはそうなる可能性もあるでしょうが,そもそも,そういう記事が出たときは終焉です。
 銀行は,円が安かろうと高かろうと顧客が交換を願い出れば両替をするのが商売です。よって,1ドルを80円の相場で交換したものもあれば,120円で交換したものもあるわけです。そこで,含み損のあるドルだけを庶民に売りつけて,含み損を減らすわけですが,日ごろ,経済に疎いのにも関わらず欲に目がくらむ人はまんまと騙されるのです。
 ひとつ言えるのは,知識もなく,自分で考えることもせず,マスコミに煽られ,人と同じことをしている人は,決して相場で利益を得ることはないということです。

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 もし,今10億円あったら…。
 というたわいもないことを周りの人に聞いてみると,大概の人は,家を買うとか,車を買うとか,そんな話をします。ここでは,寄付をするとか,起業をするとか,そういう話ではなく,どう自分に使うか,という前提でのお話です。
  ・・
 おおよそ,普通の生活をするには,1月25万円くらいかかります。1年で300万円です。少し贅沢したり,よんどころない出費を考えると,1年500万円もあれば,悠々自適,かなり余裕のある生活ができます。であれば,今の物価水準で計算すると,20年で1億円。20歳から80歳で3億円です。老後資金が1億円という記事を書く人はそんな相場が根拠となっているのでしょう。
 しかし,年金をもらえばその分だけ少なくてよいことになります。たとえば,厚生年金を月に20万円もらえる人ならそれだけど少なくて済みます。また,人それぞれ趣味やら楽しみやらが違うので,当然出費も異なります。だから,老後資金の1億円が,実際は,2,000万円になったり,1,000万円になったりするわけです。
 相場はそんな感じだと思うのですが,若いころから,自分がいくら出費をしているかを知っていれば,不安になることもありません。
  ・・
 ファイナンシャルプラナーとか,経済評論家とか,金融機関が老後資金が〇〇円必要などとネットなどに書いていることは,結局はそうしたことを無責任に書いて不安を煽って,投資商品を売りたいという下ごころがあるのです。自分を知らず,他人の目ばかりを気にしている人は,ここでもまた,そうした罠にのせられるわけで,これが世の常というものです。
 それは,プログラミング学習のさまざまな情報が無料で掲載されているサイトが,これでわかならければ学校に通うのが近道ですよ,といった広告を載せているから,実は,プログラミングスクールの広告であるということと同じです。

 と,ここまでは雑談で,はじめの話題に戻ります。
 20歳で3億円,ということなので,普通の庶民が10億円を手にするとしたら,贅沢さえしなければありあまるお金を持つということになります。
 もし,今10億円あったら…。というのは,そのお金をどう消費するかという問いなのですが,その答えが家とか車とかいうのでは,寂しい話だなあ,と私は思うわけです。というのは,私は,モノを買うというのは,お金がない人がすることだと考えているからです。
  ・・
 10億円に限らず,有り余るお金があれば,モノなど買う必要はありません。必要なときに借りれば済むからです。家を買うくらいなら,ホテル住まいのほうが快適です。その方が自由で気ままです。光熱費だの清掃だのというわずらわしさもありません。どこであれ,家を買って定住すれば,それは日常となりますが,ホテル住まいなら,つねに非日常で生きられます。
 また,車を買うくらいなら,その日の気分で乗りたい車を借りればいいのです。自分のものでないから,盗難の心配も洗車の手間もありません。
 つまり,お金がないからモノを買うのです。あるいは,精一杯の出費をして無理して手に入れて見えを張るのです。しかし,自分のモノにしてしまうとそれを維持することがたいへんです。モノを手に入れるということは,メーカーの在庫を家に移すというだけのことです。
 自分の持ち物を自慢するのは,お金のない人がすることなのです。
  ・・
 ということなので,もし10億円あれば,それを,自由を手に入れるためのメソッドとすべきなのです。
 モノはできる限りないに越したことはありません。それことが幸福というものです。持っていていいのは「夢と勇気と知恵」であり,理想の生き方は「住所不定・無職」なのです。

 …なんて,もともとそんなお金のない「インチキ富裕層」の私にはすべてまったく縁のない空ごとにしかすぎないですが,今日は,ちょっとこんな夢を見させてもらいました。


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 突然ですが,オブジェクト指向プログラミングというものがあります。
 「実態であるオブジェクトはクラスとよばれる設計図から作られる」というオブジェクト指向プログラミングとは,次のようなものです。
  ・・
 たとえば,セーラームーンというアニメがあります。このアニメのキャラクターを使ったゲームをプログラミングで作るとします。
 そのとき,セーラームーン,セーラーマーズ,セーラーヴィーナス,…,などのキャラクターをそれぞれ別々にプログラミングするというのが,従来の手続き型というプログラミングです。そうすると,同じようなプログラムを何度も何度も作る必要があるので,めんどうです。
 そこで,セーラー戦士という,同類のキャラクター全体のもととなる形,いわば輪郭(設計図)を考えてそれをひとつのプログラムとして作ることにします。これをクラス(class)といいます。そして,そのクラスのプログラムに少しずつ手を加えて,セーラームーン,セーラーマース,セーラーヴィーナス,…,などに加工していくわけです。加工するために必要なのは,セーラー戦士というクラスにそれぞれ独自の性格(これをプロパティ(property)といいます)と,行動パターン(これをメソッド(method)といいます)を加えることです。こうしてできたそれぞれのキャラクター,つまり実態をオブジェクト(object),あるいはインスタンス(instance)といいます。
  ・・
 別の例をあげます。
 人間というクラスを考えます。そこに,その人その人で異なる性格や身長,体重,皮膚の色といったプロパティと,何語を話す,足が速い,力が強いといった行動パターンなどのメソッドを与えたものがそれぞれ個々の人物というオブジェクト(インスタンス)というわけです。
 また,車というクラスを考えたときは,そこに,色や形などのプロパティと,発進や停止やドライビングなどのメソッドを加えた製品がオブジェクト(インスタンス)となるわけです。

 初期のころのコンピュータは,青い画面にコマンドを打つことで操作しました。これをCUI(Character User Interface)といいます。それではわかりにくいので,マッキントッシュコンピュータが画面をグラフィック化して使いやすくしました。それを契機として,現在のコンピュータは,ウィンドウズのようなグラフィックが画面が表示されて,その画面をマウスなどで操作するようになりました。このようにグラフィック化された画面でコンピュータを操作することをGUI(Graphical User Interface)といいます。
 そこで,ソフトウェアを作るときも,作られたソフトウェアがだれにでも使いやすいように,GUI,つまり,グラフィック化するわけですが,グラフィック化する画面は,フォームという部品,つまりクラスとしてあらかじめプログラミングしてあります。いわゆるキャンパスです。そして,フォームにコマンドボタンとかテキストボックスなどの部品を張っていくわけですが,こうしたフォームや部品もまた,毎回プログラミングして作る必要はなく,フォームやコマンドボタンやテキストボックスのもととなるクラスというモジュールがあって,コマンドボタンやらテキストボックスやらをフォーム上にそれを配置するときに,モジュールに,目的に応じたプロパティやメソッドを与えて,使えるような実態,つまり,オブジェクト(インスタンス)にします。
 とまあ,ここまでがプログラミングの世界のお話です。

 さて,ここから少しだけ雑談をします。
 来年度の高等学校の入学生から,教科「情報」が大学入試の共通テストの必須科目になるとかで話題になっています。
 教科「情報」は何もプログラミングだけを学ぶ教科でないのですが,世の中ではプログラミングを学ぶ教科と誤解されていて,このことがまた,「不安を煽れば金儲けができる」とばかりに,プログラミング塾やら,わけのわならぬ教材がはびこりはじめました。いつもの常で,文部科学省が何かを企てると,その本意から離れて教育ビジネスがはじまります。そして,正しい情報を手にいれることなく,マスコミのいい加減な報道を信じる庶民は不安に駆られて,子供を塾に通わせたり教材を買ったりという意味のない行動をはじめます。こうしていつも子育てに無駄な散財をさせられるのです。しかし,新聞に教科「情報」のことを書いている記者は文部科学省の指導要領の解説を読んでいるのでしょうか。どこまでが正しい報道なのでしょうか。そもそも,国民がみんなプログラミングを学んでどうするのだろう? 一億総プログラマー???
 いずれにせよ,こんな報道に踊らされて,教育ビジネスにお金を投資しても,この国の教育では,英語と同じように,何も身につかないのです。それは,これまで,行政が学校にお金をかけて情報機器の整備すら満足にしてこなかったし,教員の養成もしていないし,その上,プログラミングとは何か,一体それで学校で何を教えたいのか,そういった根本的なことすら共通認識がないのにもかかわらず,突然入試に出るぞ! と,急に教科書の内容を難しくしたり,急ごしらえで教員を採用し,やったふりだけの研修したりするので,未熟な教員は,結局はドリル学習で穴埋めをして提出させることを授業と称するだけだからです。本来の数学も知らない教師が,大学入試の問題を解くパターンを丸暗記させるような数学の授業と同じです。

 閑話休題。
 さて,このようなことはこのブログの話題ではないのでこのくらいにして,ここからが本題です。
 今日は,先に書いたオブジェクト指向におけるクラスとオブジェクト(インスタンス)を拡大解釈して人間社会に応用します。すると,「お金=クラス」であり,お金を使って,モノを買う。つまり,「モノ=オブジェクト(インスタンス)」と考えることができるというお話です。
 であれば,「モノというのはお金から作られた実態である」となるわけです。そうすると,「モノが必要でない限り,いつでもモノに変えられるお金で持っていたほうがいい」という考え方になります。
  ・・
 私はこのところ,暇つぶしに,今はやりのPythonというプログラミングで遊んでいるのですが,それが原因で,こんなことを空想するようになりました。で,さらにその空想が次第にエスカレートしてきて,何で必要以上のモノを買おうとするのか,欲しくなるのか,その意味すらさっぱりわからなくなってきました。別のいい方をするなら,お金を出せば手に入るようなモノなら,必要なモノ以外はモノとして存在させるよりも,お金で存在させておく方がずっと現実的で無駄がないということになります。そして,必要なときだけ借りればいいのです。
 …どうやら私はコンピュータで遊び過ぎたようで,頭の中がおかしくなってきたのかもしれません。

 もっと話を飛躍させます。
 今の世の中は何もかもといっていいほどデジタル化されてきました。お金だって,銀行のコンピュータに保存された「0と1のようにモデル化された」デジタルデータに過ぎないわけです。同じように,写真も音楽も動画もデジタルデータで,それをソフトウェアを使って人間が見たり聴いたりできるように変換しているだけのことです。
 ならば,この世の実態は,実はデジタルデータにすぎないのかもしれません。
 しかも,これまでは人間が命令しないと何もできなかったコンピュータが,AIとよばれる人工知能によって自らが考えるようにさえなってきました。デジタル後進国の日本では未だキャッシュレスさえ一向に進まないのに,世の流行はディープラーニング。ついにデジタルが人間の思考を越えて行動しはじめたのです。
 このように,社会全体がデジタルで構成されるようになってきたことで,モノ,すなわち,オブジェクト(インスタンス)というものが,果たして,本当にそれが実在しているのかさえも私は次第にわからなくなってきた,そんな幻想に飛躍させるのです。ああ。
  ・・
 普段車で走っていると,私には決して手に入らないような高級車が走っているのを見かけます。
 車なんて,ふたつの地点を地べたをはって移動するだけの道具にすぎないわけで,高級車だからといって空を飛ぶわけでもなければ,渋滞する道路を優先的に走れるわけでもないのです。加速が早くても次の交差点で赤信号にかかり先に待っているおまぬけな姿を見ると笑えてきます。ならば,それは単に,お金というクラスを車というオブジェクト(インスタンス)に変換しただけのことにすぎないのです。その際,高級車というのは,必要以上のプロパティとメソッドを施したオブジェクト(インスタンス)であるということになります。いわば,それは,無駄が多くできの悪いプログラミングだといえます。
 だから,幻想にかられた私は,こんな無駄なプログラムを必要以上のお金を使って手にいれる人は,よほどプログラミング能力のない人に違いないのだろう… などと思ってしまうのです。

 こんな思考をするようになった私が必要なモノを買わなければならないとき,それを選択する判断基準は,それが自分に必要かつ十分な機能を備えているか,だけになりました。それは,そのことが,できのよいプログラミングかどうかの判断基準だからです。
 そんなわけで,こうしてモノ選びをはじめたら,今まで以上に,ほとんどお金を使わなくなってしまいました。というか,お金を使うということ自体がよくわからなくなってきました。だから,さまざまな広告を見ると,購買欲がそそられるのではなく,無駄な機能や装飾ばかりだ,この製品もできの悪いプログラムだ,などと冷めた目で見てしまうのです。
 しかし,こうした幻想に浸るのは,もともとお金のない「いんちき富裕層」の私には,お金を使わない口実になるから,それはそれはとてもよい傾向ではないかと,内心ほくそ笑んでいたりするのです。

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 太平洋岸に住んでいるので,冬はいい天気が続くはずなのですが,ここ数年,北国のような気候に変わって,1日中曇っていることが多くなってしまいました。
 太陽の光がないと気分も落ち込みます。また,寒いので,コロナ禍であろうとなかろうと,どこへも行く気がなくなります。そんなわけで,家にいることが多くなってしまいます。
 こんな状況では,そもそも,欲しいものがないうえにグルメでもないので,さらにお金を使わなくなってしまいました。

 そんな生活をしているのですが,何もせずともおなかが空くのが不思議なことです。しかも,3度の食事をとっても,午後3時ころになると甘いものが食べたくなります。おやつとはよくいったもので,どうしてこのけだるい午後になると甘いものが食べたくなるのでしょう。
 Wikipediaには次のようにあります。
  ・・・・・・
 日本では古くは食事は朝夕のみの1日2食であったが,農民たちが体力維持のために休憩時に軽食をとり,これを中食,間食などとよんだ。
 元禄時代には1日3食が一般化したが,このころから「おやつ」の語が出現する。昔の時刻のよび方で「八つ時」に食べたことからこうよばれた。
 おやつで食べるものは,大抵は甘いものである。たとえば菓子類,果物類,ケーキ類などである。
  ・・・・・・

 ということなのですが,空腹を満たすことと気分転換には甘いものが必要なのでしょう。
 とはいえ,おかしの類を家に置いておくと際限ないので,私は,気が向くとおやつ目的にだらだらと散歩に出かけることがあります。「いんちき富裕層」の私は贅沢が禁物なのですが,そんな私のささやかなぜいたくはケーキです。しかし,ケーキはカロリーが高いので最も危険なおやつだと私は自覚しているので,本当にその気になったときだけにして,我慢します。
 で,私がお気に入りのおやつは,なんといっても「たい焼き」です。
 家の近くに「日本一たい焼き」というお店があります。ここのたい焼きは一回り大きくて,当然,一回り? 値段が高いのですが,あんこがいっぱい入っていて,とてもおいしいです。
 そんなたい焼きを1匹 -写真には2匹写っていますが- お茶とともにいただくときの幸福感は最高です。
 たった200円の浪費で得られる幸せ。
 「インチキ富裕層」の私にはこれに勝る贅沢はありません。

◇◇◇
月,金星,火星。

1月30日。日の出前の快晴の東の空。
月齢27.1の月と金星,火星が幻想的でした。
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☆☆☆☆☆☆
 今日の写真は,オーストラリアのニューサウスウェールズ州クーナバラブラン郊外に点在する個人天文台です。
 このブログにたびたび書いているように,私が若いころ,個人天文台を持ちたいという星好きがたくさんいました。これはひとえに,藤井旭さんが雑誌に書いた白河天文台の影響だと思うのですが,実際,天文台を作っても,そのあとがたいへんでした。私の周りにもそうした天文台,というか観測所を作った人がいるのですが,よほどの星好きでないとなかなか続きません。都会に住んでいて,何時間もかかるようなところでは行くのも大変です。
 また,機材というのは,その管理も大変です。
 そもそも,この国では,星が見えません。それは空が明るいということもありますが,晴天率が悪いというのが致命的です。

 それでも,海外の様子を知らなければこんなものかと思うのでしょうが,知ってしまうとどうしようもありません。
 実際,この国で星見をしようとするには,焦点距離が300ミリほどの望遠レンズが2分くらい自動ガイドができる簡易な赤道儀,あるいは,惑星などを見るには口径が15センチメートルくらいの望遠鏡,そして,双眼鏡,これだけで十分なのです。
 なのに,実際は100万円くらいもするものを手に入れようとマニアは投資をします。
 いったい,そんなものを買って,どれだけ使うというものでしょうか。
 かくいう「インチキ富裕層」の私は,30年以上も前に買った望遠鏡で十分楽しく使っています。
 しかも,今ごろになって,星は肉眼で見るのが一番だと思うようなってきました。
 ところが…。
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 この先も自分が手にできるお金の総額がわかるようになると,その限界を知って,若いころに使った無駄なお金が惜しくなってきます。
 「自分への投資」といいますが,何かを習うとか,これまでにそういったことに使ったお金は必要な経費でした。しかし,何かを買って,それを使わずに捨ててしまったようなものは「無駄な投資」でした。しかし,一見「無駄な投資」であったと思えても,そうした失敗が次への教訓となったときは、必ずしもそれは「無駄な投資」というわけでもなかったのでしょう。と自分に言い聞かせるしかありません。
 このように,お金を使うというのは難しいものです。

 個人であってもそうなのだから,権力がお金を使う,つまり,税金を使うというのは,非常な難しさを伴います。
 これまで,旅をしてさまざなま町を歩いていると,その町がとても便利であったり,その反対に,ずいぶんとお金をかけていても不便な町であったりします。それは,お金の使い方が間違っていたということでしょう。
 しかし,本質的には自分の払った税金であったとしても,直接それが自分のお金として使ったものでないことがそもそもの問題で,そうした要因が税金の無駄使いにつながるわけです。
  ・・
 お金の話に限らず,自分の所属する組織で何かの仕事をするときもまた同様です。
 今にして思うに,それが将来につながる投資なのか,そこで使ったことが将来有効に生きているのか,それとも無駄なのか,そんなことは何十年も経たなければわかりません。
 しかし,組織とはいえ,それを動かしているのもまた個人なので,その個人の力量次第なのです。そして,個人に力量があるかどうかは,その人の私生活をみればわかるものです。たとえば,意味のない分不相応の買い物をしている人なら,その人の属する組織での仕事もまた同じようなことをするでしょう。

 「インチキ富裕層」の私は,日々,爪に火を灯すようにお金のやりくりしているのですが,そうすると,いつもそのようなことを考えます。そこで,若い人が,身の丈を超えた贅沢をしているとつくづく心配になってくるわけです。しかし,これでは「いけない年寄」になりそうです。だから齢はとりたくないのです。


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 「東洋経済」に「日本人は国際的に低い給料の本質をわかってない」と題した野口悠紀雄さんの記事が載っていました。
 この記事によると,日本の賃金がOECDの中で最下位グループにあるといいます。
 具体的には,2020年のデータでは, 日本は3万8,515ドルでアメリカは6万9,391ドルと日本の賃金はアメリカの55.5パーセントでしかないということです。 また,ドイツが5万3,745ドル,フランスが4万5,581ドル,イギリスが4万7,147ドル,韓国は4万1,960ドルなので,いずれも日本よりも高額です。
 さらに,この記事には「ビッグマック指数」として,各国のビッグマックの価格を比較しています。
 2021年のデータでは,日本のビックマックは390円,換算すると3.55ドル,アメリカは5.65ドル,イギリスが4.5ドル,韓国は4.0ドルだそうです。また,アベノミクスがはじまる前の2010年はどうだったかを同じようにみると,日本は3.91ドル、アメリカは3.71ドル,イギリスが3.63ドル, 韓国は3.03ドルで、いずれも日本より低かったそうです。
 つまり,この10年で,日本は賃金,物価ともに世界で低くなり,国際的にみてアベノミクスの期間に急速に貧しくなってしまったことになると書かれてありましたが,その本質点な理由は,円安です。

 しかし,そんなことを今さら報道していることに,私は何をいっているの,そんなことわかっているじゃないのと思います。こんな事実は,海外旅行をしているとすでに実感しています。
 報道というのは,もっと早くこうした事実を取材して一般にわかりやすく示すことこそが仕事です。私が鼻につくのは,いつも結果論ばかりで,そのときにようやく「だから言ったじゃないの」と書くことです。ずいぶん前,静岡空港が利用されていないとかいうニュースをテレビでやっていたのですが,そういうことは空港が建設される前に問題定義をするべきことで,いつもながら,結果だけを挙げ連ねて「だから言ったじゃないの」では,プロではなく素人のうわさ話と同じです。
 報道は,結果から批判して「そらみたことか」ではいけないわけで,もっと建設的に問題意義をするべきなのです。
  ・・
 私は,コロナ禍以前,頻繁に海外旅行していました。
 数年前までは,日本に比べて外国ではいろいろなものが安いなあ,と思ったものですが,このごろは,何もかも高すぎて,嫌になります。朝食をとろうとすれば1,000円以上は当たり前になってしまったし,昼食を安価に済まそうとマクドナルドに入っても1,000円以上かかります。また,夕食は下手をすれば10,000円近くもします。ホテルも高くなり,しかも,年々どんどんと上昇しています。
 「いんちき富裕層」の私は,以前は物価の安さを求めて旅をしていたようなものだったのですが,外国の水準と同じように,日本でも給料や貯金の金利が高くなっていれば問題ないのですが,給料は上がらず低金利では貯金も目減りしているから,これほど物価が高くなってしまっては,この先,再び旅ができるようになっても,容易に実現できるものではありません。
 それでも,私はこれまで行きたいところにはすべて行ったので,この先,何の未練もありませんが,これから旅をする若い人が気の毒です。

 しかし,ここで問題にしなくてはならないのは,だから物価を上げろ,とか,賃金を上げろという安易なことではないということです。それは,賃金が国際水準よりも低いという単純なことではなく,国民全体が貧しくなっている,つまり,国力が落ちているということなのです。それなのに,日銀はいつまでも物価を2パーセント上げるといい続けて金融緩和をやめず,その結果,体力を消耗し,また,円安を誘導することで相対的に外国の物価が高くなり,円安だから輸出が潤うという見せかけだけの対処療法で,日本の製品そのものの質が落ち,その反面,輸入品が値上がりし,この国の経済をメチャメチャにし続けています。
 この,国力が落ちているという問題の根本的な原因は,少子高齢化です。
 だから,従来の50年前のような政策を今いくら続けてもまったく意味がないのです。教育にせよ,政治にせよ,この国の政策は50年前のままです。それでは国力が向上しません。
 以前にも書いたように,正規労働者として働いている人よりも,高齢者のほうが多いようでは,正規労働者の賃金を上げるだけではなくて年金も上げて,さらに,貯蓄だけで老後をしのいでいる人には金利も上げて,その上で物価と保険料を上げる必要があります。正規労働者の賃金だけ上げたところで,そんな人は人口の半分もおらず,そこで物価と保険料を上げたら,さらに国民は貧困化するだけなので,この国は崩壊してしまいます。
   ・・
 老人ばかりというこの国の人口構成をみたとき,もうどうしようもないところまで来てしまっているようです。それなのに,それに目をつぶり,あるいは,そうした課題をどうするかということに長期展望を立てて取り組む対策をまったく示していないというのが最大の問題です。
 であるのに,入試やカリキュラムだけを難しくして学校の設備は50年前のままでは子育てに魅力がないから子供は増えず,これもまた,50年前と同じように,ハコモノにお金を投資し,要らないものを作り,やれオリンピックだ,万博だと,昔の夢よもう一度とばかり,見返りのないお金を使っちゃったりして,この後の維持費もバカにならず,いったい何をやっているのやら…。
 これでは残るのは借金ばかりです。
 現在,この国の借金は1,200兆円で,コロナ対策にさらに100兆円使うらしいのですが,この借金を国民ひとりあたりに換算すると約1,000万円となります。もう終わったな。


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 ホームセンターに行くと多くのキャンプ用品が売られています。また,郊外に出かけるとオートキャンプ場があったりします。
 以前,どこか星が美しく見られるところがないかなあと思って,夜ドライブをしていたら,そうしたオートキャンプ場を見かけたことがありました。しかし,どこも狭く,すし詰め状態。海外のキャンプ場を知らない人はこんなものだと思っているのでしょうが,アウトドアとは名ばかりで,これでは箱庭だと思いました。
  ・・
 今日の写真は,オーストラリアやアメリカのキャンプ場の写真です。
 オーストラリアやアメリカでは,郊外に出ると,こうしたキャンプ場がたくさんあります。どこも広く自然が一杯です。野生の動物もいるし,川には魚がたくさん泳いでいます。意味のない看板やら壊れたような古びた設備もありません。
 とはいえ,どこもキチンと整備され,管理されていて,利用するには書類を提出して使用料を払う必要があります。また,厳格なルールがあって,ゴミひとつ残さずに帰る必要があります。
 また,トイレもきれいで,利用者も,そうした環境を守る義務があるし,それをよく守っています。そんな習慣が出来上がっているのでしょう。
 日本ではほとんどみかけないピックアックトラックやキャンピングカーが多くの家にあるのは,こうしたキャンプ場にでかけるための道具なのです。ピックアップトラックの荷台にテントやらキャンプ用品を載せて,キャンプ場に到着したら,テントを設置します。あるいは,キャンピングカーを利用するなら,それは移動ホテルと同じで,キャンピングカーの中にはシャワールームやらキッチンまであります。

 私は,幸いなことに,アメリカでキャンプをした経験が何度かあるのですが,いつもとても楽しいものでした。
 しかし,アウトドアというのは,楽しい反面で,厳しくて,やはり,子供のころからの経験がないと,なかなかうまくできないものです。そもそも,人の能力を測るのに,日本のような偏差値よりも,サバイバルで生きる手段をどれだけ知っているかどうかに価値がある国なのです。
 これが,西部開拓時代からのフロンティア精神なのでしょう。
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 こんなキャンプを経験してしまうと,日本のような国で,なけなしのお金をはたいて,使いもしないアウトドア用品を買う意味がわからなくなります。また,小さなキャンピングカーを買って,道の駅に停めて野宿している様は,哀れにすら感じます。
 この夏,散歩をしていたら,狭い庭でバーベキューを楽しむ家族を見かけました。しかし,そんなことをするのもおそらく1,2回のことで,バーベキュー用品はまもなくゴミと化してしまうことでしょう。アメリカなら,どこの家も裏にはあって,そこで週末にお肉を焼くのは旦那さんの仕事です。つまり,それが日常となっているのです。
 キャンプを楽しむ場所も裏庭もない日本では,ピックアップトラックもキャンピングカーキャンプ用品も不要だから,私のような本当はお金のない「いんちき富裕層」には,散財することもなく,むしろふさわしい国なのでしょう。庭もなく,アウトドアもできない私は,そう考えて,強がるのです。


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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 早朝,太陽が昇る少し前から昇った後の東の空,そして,夕方,太陽が沈む少し前から沈んだ後の西の空はとても美しくて好きです。また,太陽が沈んだ後の暗い時間は,濁った空にはわずかの星しか見られませんが,地上の風景ははっきりと見通せなくなるので,お昼間は目立つ汚い川やゴミだらけの空地やラインの消えかかった道路など,気が重くなる風景もそれらが気にならなくなります。以前なら,そんな景色を気にすることもなく,ときどき出かける海外の美しい景色で満ち足りていたのですが,今はそれができません。
 そこで,せめて,少しは気を紛らわそうと,こうした時間に散歩をしたりサイクリングをしていると,日本でなくどこか別の世界にいるようで,少しはこころが休まります。お昼間はどこへも行く気になりません。

 こうした機会が増えて,気づいたことがありました。
 それは,ときに,この国には場違いのような,まるでアメリカにあるような住宅が建っているのを見かけることです。
 以前書いたことがありますが,日本では,よく見ると,それぞれの家はどれも結構凝って作られているのです。しかし,そうした家々のデザインにはまったく調和がありません。まるで周りになじんでいないのです。さらには,先にかいたアメリカにあるような住宅は,この国の気候・風土をまったく考慮していないから,アメリカの家のように芝生を張ったところで,すぐに雑草まみれになってしまうだろうし,ウッドデッキを作ったところで,高温多湿ではやがては腐ってしまうでしょう。そんな友人の家を知っています。
 しかし,おそらくそうして凝った家々はずいぶんとお金をかけて建てたものでしょう。なんだか気の毒になってしまいます。
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 私は住宅ローンを組んだことがないので詳しくは知りませんが,住宅ローンは35年かけて返済するとか書いてあります。となると,一生を住宅ローンの返済のために働くようなものです。そしてまた,退職金さえ住宅ローンの返済で消えてしまったりするかもしれません。しかも,返済が終わったころにリフォームが必要になったり,また,子育ても終わるから,子供部屋がむだになったりします。
 さらには,せっかくの持ち家も,老後に体を壊してそのまま住み続けることができることも少なくなく,多くの人が,わざわざ建てた自分の家を出て,結局,老人ホームなどでお世話になるわけです。亡くなった私の両親をはじめ,そんな人を大勢知っています。
 持ち家志向を煽るのは,住宅ローンでもうけたい金融機関と固定資産税がほしい政府の陰謀でしょう。

 今日の写真は,アメリカの住宅街ですが,こんなところがあるのなら,家を買って住みたいと私は思います。しかし,この国でそんな環境のところなんて皆無です。ここなら住んでみたいなあと思うようなところもありません。
 狭い土地をさらに切り刻んで細かくして建売住宅が建設されています。あるいは,家は立派でも,家の前の道路が車1台やっと通れるようなところも見かけます。また,住宅の南側に高層マンションがあったりすることも少なくありません。夜になったら空に満天の星が輝くわけでもなし,自然が溢れているわけでもなし,裏庭でバーベキューができるわけでもなし,この国で閑静な住宅街など,望むべくもないのです。
 そんな状態では,一生をかけて小さな家を建てたところでまったくもって仕方がないなと,私などは思ってしまいます。
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 どうやら,この国は,人口がせいぜい10万人ほどの地方都市に,賃貸マンションでも借りて,2年落ちで120万円くらいの中古車を買って,借金もせず,できるだけムダなお金は使わず貯金して,くだらない,かつ,騒がしいだけのテレビ番組も見ないで,おどろおどろしい見出しの並ぶ週刊誌など読まず,煽るだけの広告は一切遮断して,クラシック音楽でも聴きながらささやかに暮らすぐらいの生活が一番幸せで,それ以上を望んでも,結局は何もない,ということなのでしょう。
 「いんちき富裕層」の私は,家を買うお金もないから,強がって,しみじみそう思うようになりました。これがこの国で長く生きてきた結論です。本当に夢のない国です。


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 朝起きたときに「何もすることがない」という生活が理想だと憧れていたのですが,そんな理想の生活ができるようになってきました。さらにには「何も欲しいものがない」という状態こそがもっとも幸せだとも思っていたのですが,これもまさに実現しつつあります。
 こうなるとまさに仙人なのですが,仙人が霞を食べて生きていけるのに対して,私は霞では生きられませんから,きちんと食べ物だけは取らなければなりません。いくら私が「インチキ富裕層」であるからといっても,食べ物を節約しては健康を害します。
 ではあるのですが,このご時世,外食をしても一向に楽しくありません。夕食は別としても,せめて,朝食と昼食くらいは手短かに安く済ませたいものです。しかし,朝食はルーティーンなのでいつもと変わらないとしても,昼食は毎日同じ,というわけにもいきません。
 そこで,たまには…,ということでカップ麺を試してみることにしました。

 すべてを食べてみるわけにもいかないので,パッケージから判断しておいしそうなものを購入していろいろ試した結果,私がこれならおいしいという結論になったのが「日清のどん兵衛・天ぷらそば」でした。天ぷらは付録のようなものですが,麺もスープも味がよいのです。
 しかし,この「日清のどん兵衛・天ぷらそば」は値段が高いのです。家の近くのスーパーマーケットでは158円もします。しばらく様子見をすると,安いときで118円まで下がることがわかりました。ガソリン並みの値段の変動があるわけです。そこで,安いときに買いだめることにしました。
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 「日清のどん兵衛・天ぷらそば」が高かったとき,それに類するもので「マルちゃん・緑のたぬき」という安価なものがあるのを見つけました。試しに買って食べてみたのですが,値段の差は歴然でした。
 マルちゃんの名誉のためにつけ加えると「マルちゃん・屋台一番焼そばソース味」という冷凍食品があるのですが,これは冷凍焼きそばの中では最もおいしいと私は思います。

 と,ここまでは前置きで,今日の話題の中心は「きつねそば」です。というのも,私が少し前からずっと不思議に思っていたのは,こうしたカップ麺iには「天ぷらそば」と「きつねうどん」があるのに,どうしてその反対に「きつねそば」や「天ぷらうどん」がないのだろうか,ということでした。
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 私はグルメではないので細かいことは知りませんが,私の印象では,関東は「天ぷらそば」関西は「きつねうどん」です。
 東京近郊の駅のプラットホームには「天ぷらそば」のお店がありましたが,若いころはそれほど好きではありませんでした。しかし,昔,京都の鞍馬寺の門前の茶店で食べた「きつねうどん」のおいしさは忘れられませんでした。大きくて甘い油揚げは他の地方では食べられなかったからです。それはそれは美味でした。
 私は,今でこそ天ぷらそば派なのですが,以前は,天ぷらというのはどうも脂っこくてだめでした。しかし,麺は,昔も今も,味のたんぱくなうどんよりもそばのほうが癖があって好きです。うどんは味噌煮込みうどん以外は受けつけず,そば派なのです。そこで,大きくて甘い油揚げののったそばが食べたくて仕方がありませんでした。しかし,どこを探しても,カップ麺には「きつねそば」というものが見つからないのです。こんなもの作るだけなのに…,とずっと不思議に思っていました。

 今はインターネットで調べることができるので,確かめてみることにしました。
 すると,ちゃんと「日清のどん兵衛・きつねそば」という商品があるのです。しかし,ネット通販でなら買うことができるようですが,実際に店頭で商品を見たことがありません。と思っていたところ,マルちゃんが「赤緑合戦和解記念」とかで,うどんとそばを入れ替えた「赤いたぬき」と「緑のきつね」を発売するということを知りました。さっそく店頭で「緑のきつね」を見つけたので買ってきました。やっと私は念願がかなったわけです。
 以前,「日清のどん兵衛・きつねそば」は手に入らないので,ならばと「日清のどん兵衛・きつねうどん」を買ってきて食べてみたことがあるのですが,私の憧れだった大きくて甘い油揚げとはほど遠く,がっかりしました。念願かなって手に入れたマルちゃんの「緑のきつね」でしたが,これもまた,私の予想したとおり,大きくて甘い油揚げとはほど遠く,残念な結果に終わりました。当然の結果とはいえ,大きく甘い油揚げは,やはり,実際に関西に足を運んでお店で食するものなのでしょう。つまり,カップ麺で大きくて甘い油揚げを求めること事態,麺がうどんであれそばであれ無理筋だったのです。
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 考えてみれば,お店で食べる大きくて甘い油揚げは,うどんの上のっていてこそ,であって,そばの上ではなじみません。そしてまた,大きなエビの天ぷらも,そばの上にのっていてこそのもので,うどんには似合いません。よく考えられているのです。
 大きく甘い油揚げはスーパーマーケットで手に入らずとも,大きなエビの天ぷらなら100円で売っています。そこで,今日もまた,お昼には,大きなエビの天ぷらをオプションでのっけて「日清のどん兵衛・天ぷらそば」を食べるとしましょうか。これなら,金250円也のささやかなお昼となって「インチキ富裕層」にはご馳走です。だけど,こんなトッピングまでするのなら「日清のどん兵衛・天ぷらそば」にしなくても普通のおそばとスープを用意したって同じですな。書いていて気がつきました。


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 やっと日本もクレジットカードを利用する際に利用者が機械にカードを挿入して PIN を入力するようになりました。こんなことは以前から海外では当たり前だったのに,本当に何事も遅れた国です。
 一時,ポイントとかいうわけのわからぬものがブームになって,さまざまな会社が競って別のポイントを導入したり,少し前には,今度は 〇〇Pay とかいうものが,これもまた,さなざまな会社が競って参入しました。
 こうして,何事も,調和も調整もなく,ばらばらに,利用者の便宜などまったく関係なくはじめるのが懲りないこの国です。
 ということはまったく自分には関係ないとばかりに,今なお,現金を使っている人が少なくないのもまた,この「何もかえたくない」この国です。
 私は,消費者の利便性不在でポイントやら 〇〇Pay を業界が競って参入することも,その反対に未だに現金を使っている人も,どちらもその行為のすべてが理解できません。

 かくいう私は「インチキ富裕層」なので,もともとお金を使う機会もほとんどないのですが,それでも必要なものは買わなければなりません。そこで,なんとか便利に生活しようと,ぐっちゃぐちゃのこの国で工夫してキャッシュレスを進めていたのですが,やっと,現金しか使えないという場所以外は,ほぼ,現金を使わずに生活できるようになりました。さらに今は,カードすらほとんど不要になって,iPhone1台あればそれで賄えるようになってきました。
 それは次のような方法です。
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  〇〇Pay については,もともとソフトバンク系列は嫌いなのですが,最も普及しているのでしかたなく PayPay を利用するようになりました。使いはじめると,それが癪なことにとても便利で,普段は PayPay でほぼ事足ります。また,同じように便利なのが Suica です。Suica は公共交通機関にも使える利点があります。PayPay と Suica アプリ,ほぼ,このふたつで事足ります。
 スーパーマーケットはマックスバリューが最も便利なのですが,ここでは waon を使います。waon もまたアプリがあるのですが,これは残念なことに iPhone では使えないので,やむを得ず,カードを使っています。JAL+waon カードであれば,JAL のマイレッジの有効期限が1年から3年に延びるという利点もあります。
 それに加えて,現金が必要なときのために,セブン銀行に口座を作りました。Myセブンというアプリがあれば,現金が必要なときには郵便局よりたくさんあるセブンイレブンに設置されたATM で曜日問わず7時から19時まで手数料なしでアプリだけでお金が引き出せます。また,振り込みをするのに便利なのはみずほ銀行です。私はみずほ銀行にも口座がありますが,みずほ銀行アプリを利用すると,ある程度の貯金があれば月に3回まで手数料なしで振り込みをすることができます。さらに,少し今回の話題とは離れますが,あおぞら銀行のBANK支店では,普通預金の金利がほとんどの定期預金の金利よりずっと高い0.2パーセントなので,使わないお金はとりあえずここに入金します。1千万円貯金しておけば,今どきでも年に2万円ほどお金が増えます。
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 ということで,私はほぼキャッシュレス,さらには,waon 以外はカードさえ使わず iPhone1台で生活できるようになりました。

 でありながら,風の便りでは,2021年10月に新しい500円玉が発行されるというし,さらには,2024年には新紙幣が発行されるというから,いったい,この国は何を考えているのやら,という感じです。まあ,そんなものが出ても,キャッシュレスの私には円のない,いや,縁のない話ではありますが…。
 それより何より,私がまったく理解ができないのが,混み合うスーパーマーケットのレジで1万円札を出す人たち,その反対に,1円たりとおつりはいらないとばかりに財布から時間をかけて小銭を出そうと探している人たちです。そしてまた,ATM で列を作っている人たちです。さらに,ATM で振り込みをしている人たちです。さらにさらに,マクドナルドでは,さっさと席についてモバイルオーダーを利用して注文すれば,支払いまでできて品物は客席まで運んでくれるのに,スマホを持っていながらカウンタで並んでいる人たちです。
 一人前にスマホを持っていながら,満足にスマホひとつ使いこなしていないわけです。おそらくそんな人は,スマホもキャリアで契約して,毎月高い通信料を払っているのでしょう。
 こうした,周りには,私にはまったく理解不能な人たちがたくさん存在しています。
 だれもいないのにマスクをして歩いている人や,同乗者もいないのにマスク姿で車を運転している人もその類ですが,こうした姿をみるにつけ,こうした「何も変えられない」「何もわかっていない」「自分の頭で考えない」「周りの目ばかりを気にする主体性のない」人たちがますます私には受け入れられなくなってくるのです。こんな人ばかりなのも,これもまた,やったふりばかりを推奨する日本のすぐれた? 教育の成果なのでしょう。


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 情報など知らなければ知らないほうが健康にいいという結論になって以来,自分で決めた情報以外はすべて遮断しています。それでも,暴力にように至るところにはびこるCMや広告は本当にいやになります。

 私が見ているテレビは,自分で決めてあらかじめ録画したNHKBSPの2,3の番組とCS放送のCNNj とスーパー!ドラマTVだけです。スーパー!ドラマTVはあらかじめ録画した番組だけを後で見るので,CMがあっても早送りしてしまうから問題はないのですが,CNNj はそのまま見ているので,ときに,ほんとうにくだらないCMが入ってとてもうざったいです。CS放送は,番組ごとに契約してお金を払っているのだから,そこにさらにCMが流れること自体,私には解せないのですが,それでもまだ品のいいものなら許容できます。しかし,不快になるだけものを見せられるのは,ある意味,暴力です。そこで,私は,とにかく消音にしてそんなCMが過ぎるのを待つことになります。
 それにしても,このごろは見ないから知らないけれど,CMのないNHKですら,番組の間はほかの番組の宣伝ばかりだし,さらに見ないから知らないけれど,かつて見ていた民放に至っては,CMの洪水の中にかろうじて番組があって,しかも,番組自体もまたCMのようなものだったし,YouTube も ABEMA も,そしてまた,Facebook も Twitter も Instagram も,結局は同じで,CMが氾濫しているだけのものです。こうしてはびこる不愉快な広告には,まるで詐欺まがいのようなものも横行しています。
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 雑誌の類をはじめとして,書店に並ぶ新刊もまた,売れればいいという目論見が露骨で,そんなものを買って読んだところで,害こそあれ益はないので,書店にすら行かなくなりました。新聞に,そうした新刊書や雑誌の広告がたくさん載っているので,読むこともなく目に入るのですが,過激な見出しが不快な気持ちを増幅させます。
 ネット上のニュースのポータルサイトに至ってはさらにひどく,これもまた,読まないほうがいいので,すべて遮断しました。それでも,すべての情報をなくすのも困るという消極的な理由で,かろうじて,新聞を1紙だけ読んでいるのですが,新聞に並ぶ広告もまた,ろくなものがありません。
 テレビや新聞など,現在,そうしたメディアを見たり読んだりしている人の年齢層は,定年退職をしたような人たちばかりなのでしょう。そういう人を対象とした,よくわからぬ健康食品やら若返り化粧品など,これもまた,不快の域を越えています。

 私が不快に思うこれだけの広告が,こんなにも氾濫しているということは,それを購入する人がいるということでしょう。そうしたものを購入する人は,お金が余っているというか,だまされやすいというか,情報収集能力が欠けているというか,何と表現していいのかわかりませんが,そんなふうにして,衝動買いをして,結局,家には,薬品だか何だかよくわからぬ商品が毎月配達されたり,また,買っただけで使っていないような布団やら毛布やら,すぐに壊れるような電化製品が押し入れに溜まっていたりしていることでしょう。
 こういう広告を目にするのは,暇つぶしにテレビをつけたり雑誌を読んだりネットを見たりして時間を潰すときです。そこで,ある種の「洗脳」にかかるのです。特に,現在のような,外出もままならず,旅行にも出かけられないとなると,そういったこと以外に身の置き所がないわけです。 
 こんな広告の洪水の中で,平常心を保っていられるのは至難の業です。私のようなお金のない「インチキ富裕層」は買いたくても買えないからいいけれど,裕福な人がこの誘惑から逃げるには山奥の何もないところで自給自足でもするしか手がないのかもしれません。
 そもそも,広告に影響されなければ買わないようなものに必要なものはありません。


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 「いんちき富裕層」の私としては,なるべくムダなお金は使いたくないものです。
 値段の違いによって品質が異なるものの場合は「安かろう悪かろう」ということが多く,むしろ,買うときは少し高価であっても,結局,そのほうがお得である,ということは少なくありません。また,前回書いたように,旅行をするときは,ほんの少しだけ贅沢をすることで,むしろ,その対価以上の快適さを手に入れることができます。
 しかし,同じものであっても,お店によって,まったく値段が違う場合があります。そんな品物を値段の高いお店で買う意味が私にはわかりません。その最も端的な例はコンビニエンスストアです。
 スーパーマーケットなら1本60円ほどで手に入るペットボトルを140円も出して買うなんて,本当にどうかしています。すぐに悪くなるようなものならともかく,ペットボトルなんて,事前に買っておいて家で冷蔵庫で冷やして持っていけばいいわけです。特に,都会では,24時間あるいは朝7時から開いているマックスバリューのようなスーパーマーケットもあるのに,どうして朝わざわざコンピにエンスストアに寄ってお弁当とペットボトルの飲み物を買うのか,私にはまったく理解不能です。早朝コンビニエンスストアに寄っている多くの車を見ると,なんなんかな? と私は思ってしまいます。

 その昔,コンビニエンスストアがなかったころ,私は「convenience」という単語を覚えるのにすごく苦労しました。それが今では日本語です。しかし,日本では,「convenience store」というより「expensive store」という方が正しい気がします。
 アメリカでは,ほとんど場合,コンビニエンスストアはガソリンスタンドに併設されています。そこはトイレ休憩の場であり,眠気防止のために冷たい飲み物を買ったり,小休止をする場所です。では,日本のコンビニエンスストアは一体何なのでしょうか? 私にとっては,チケットを受け取ったりATMを利用したり,トイレを借りることくらいしか思い当たりません。そんなコンビニエンスストアがいたるところにあるのが不思議な気がします。 
 そうそう,そんな日本のコンビニエンスストアで唯一安くおいしいのは,あんまんと,そして,100円のコーヒーです。


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 現在は行くこともままならないのですが,私が旅行をするときにもっとも頭を使うのはお金をかけないということです。特に,国内を旅行するときは工夫が必要です。この国はあまりに移動にお金がかかるからです。

 車であれば,ガソリン代も高いし,高速道路料金など,異常な値段です。
 アメリカは,ガソリンは日本よりずっと安価だし,高速道路はほとんどが無料です。実際,アメリカ人は,生涯で,日本人の100倍くらい移動しているのではないか,と私はアメリカを走っていると思ってしまいます。
 とはいえ,日本では,一般道は渋滞し,そもそも,いつも渋滞するようなところは,高速道路を作る以前に改善すればいいのに,何十年にもわたって放置されています。たとえば,片側2車線道路なのに,踏切だけが1車線だったり,橋だけ右折帯がないものだから,1台でも右折車がいると,まったく動かなくなります。また,路上駐車が多すぎます。
 こんなことをしているから事故も減らず,経済的な損失も計り知れないと思うのですが,あまり問題にもされません。金の使い方を知らない国です。
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 鉄道で旅行をしようとすれば,新幹線の運賃は異常に高く,また,新幹線が建設されると,その地方のこれまでの在来線線が廃線になったり第三セクターとなったりして,利用が不便になります。しかし,私のような,時間があってお金のない「不良老人」にとっては,新幹線など利用するよりも在来線のほうがずっと楽しく旅情もあるので,非常に困ります。
 私は,名古屋からは,大阪や京都に行くときも,東京に行くときも,在来線を利用します。
 また,急ぎで東京に行くときだけは「ぷらっとこだま」を使って新幹線を利用します。この「ぷらっとこだま」はわずか1,000円上乗せするだけでこだま号のがらがらのグリーン車が利用できるので,これこそ「インチキ富裕層」が「リアル富裕層」のような気持ちになれる絶好の機会です。
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 また,東京に行くときは,バスを利用することも多いのですが,ここで「インチキ富裕層」としては,バスの座席はプレミアムシートを予約するわけです。こうすれば,個室寝台となり,きわめて快適に安眠できます。
 数年前,岩手県の花巻市と高知県の高知市にも夜行バスを利用して行ってみましたが,思ったより快適でした。しかし,この路線はプレミアムシートがなかったのが残念でした。
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 今後行ってみたいと思っているのが,山形県の山形市や青森県の弘前市ですが,ここまで遠くなると,格安航空があるので,それを利用しようと思っています。これなら新幹線よりも安価で早く行くことができます。昨年は北海道に行ったのですが,やはり,格安航空を利用しました。格安航空もいろいろありますが,私はスカイマークが快適だなあと思いました。それにくらべると,何かと別途料金を取られたり遅延の多いジェットスターはそれに劣ります。
 また,これまで,何度も沖縄の離島や佐渡島に行こうと思ったのですが,格安路線がなくけっこう高価になってしまうので,結局,いつもハワイの方が安いや,ということになり,未だに行く機会がありません。

 このように,この国で旅行をするときは,「インチキ富裕層」の私としては,よほど頭を使わないと,お金を浪費することになってしまうので工夫のし甲斐があります。また,安価にいくことが不可能な地域が少なからずあって,そうした場所に行くことができないのは残念です。しかし,必要のないお金を使って後で後悔するようでは旅をしても精神的な裕福感を得ることはできないので,そんな場所はなかったことにして行かずにあきらめます。
 さて,今日のおさらいです。
 「インチキ富裕層」が浪費をしないで贅沢に国内を旅するには
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●車の場合,高速道路は使わず,一般道を走るときは時間を気にしない。
●新幹線は「ぷらっとこだま」のグリーン車を利用する。
●深夜バスはプレミアムシートの設定があれば利用する。
●格安航空がある路線は,新幹線より安価な飛行機を利用する。
●安価に行くことができないところには行かない。
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 2021年のはじめに次のように書きました。
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 何の予定も計画もない珍しい年明けです。今年は,「自由人」と「不良老人」の道を究めるためにひた走ろうと思います。目標はめざせ「高等遊民」です。
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 「高等遊民」とは,「高い教育」を受けながら一定の職についていない人物です。
 この国では絶えず労働しているのが「善」であり,それ以外は「悪」のような風潮があるから,休暇を「取らせていただく」ということになるわけですが,近年は,学生にまでそうした価値観が蔓延し,いつも「勉強」をするという状況を大人が強いるようになりました。
 しかし,「勉強」といっても,与えられたドリルをやることを強いているだけで,本当の「勉強」ではないのです。大人の「仕事」の多くが,しなくてはいけない,あるいは,する必要がある訳でもないことに時間を費やして,忙しごっこをしていることが多いのと同じです。これは「高い教育」ではないのです。
 そこで,「知的好奇心」がなく,いわれたことだけを忠実に行うというロボットのような大人が生産されていくわけですが,こうしたロボットは「高等遊民」とは真逆な存在です。
 「知的好奇心」,これこそが人が人として生きる最も大切なこころなのです。

 私は,「高等遊民」を理想としてずっと生きてきたのですが,さほど働きもしないのに,幸い,お金に困ることもなく歳をとりました。その結果,コロナ禍のまえは,旅行に明け暮れ,しかも快適さを求めるあまり「高等遊民」ではなく「富裕層」のような行動をしていることに気づきました。
 しかし,もちろん私は「富裕層」ではありません。その日の生活にも事欠くほどの節約生活に日夜明け暮れています。10円安いからと,スーパーマーケットを移動し,電話代を気にし,必需品以外は,めったにモノも買いません。そもそも,お金を使うことに価値観をもたないし,子供のころからの節約生活が身についていて,何かを買うと,つねに罪悪感に見舞われます。そしてまた,高級品というものに,何の価値感も抱きません。

 そもそも,これまではお金を使う先が旅行だけだったのに,ここ2年は旅もできないとなれば,使う先がありません。
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 しかし,「高等遊民」と「富裕層」は別モノです。お金を持っていることを価値感の根本とする裕福と,精神的に裕福であることとはまったく異なるのです。私は精神的にこそ裕福でありたい。
 そんなわけで,これから「「インチキ富裕層」の脱・浪費日記」と題して書いていくのは,「高等遊民」になりきれない「不良老人」が浪費を後悔して送る日々の姿です。


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