しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

カテゴリ:日本国内 > 飛騨

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 「三鷹の東京天文台」と並んで,「京都大学の飛騨天文台」もまた,若いころに,飛騨天文台に口径65センチメートルの屈折望遠鏡が設置されたという写真が「天文年鑑」の表紙を飾ったときに知って,それを見にいきたくなったものです。
 そのころ,というのは,今から50年ほど前のことですが,アマチュアの使う天体望遠鏡は,口径65ミリメートルの屈折赤道儀というのがポピュラーでした。その10倍の口径の,同じような形の巨大な屈折望遠鏡が存在するということに当時の私は興味をもったわけです。

 飛騨天文台は,京都大学大学院理学研究科附属です。高山市の大雨見山の山上にあります。
 それまで,京都大学の観測拠点は,京都市の花山天文台や生駒山太陽観測所だったのですが,京都市の近代化に伴って精密観測が困難になってきたために,1968年(昭和43年)に移設されたものです。
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●65センチメートル屈折望遠鏡
 65センチメートル屈折望遠鏡は,1972年(昭和47年)に完成しました。
 飛騨天文台の安定した空気層環境で,長焦点を利用して惑星や彗星の核など,太陽系天体の精密を要する目的で設置されたということです。
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●ドームレス太陽望遠鏡
 ドームレス太陽望遠鏡は太陽研究のための望遠鏡で,口径60センチメートルのドームレス・クーデ式太陽専用望遠鏡として,カールツァイスによって製造されました。国内では屈指の大きさの太陽像を得ることができるものです。
 太陽はその表面で起こる様々な高エネルギー爆発現象の物理構造を詳細に解析できる唯一の天体で,宇宙の天体活動を理解する基盤となります。
 1979年(昭和54年)に完成したドームレス太陽望遠鏡は,地上観測で望み得る最高の空間分解能が得られるように設計されていて,高分解単色太陽像の撮影などを通して太陽活動現象のメカニズムを解明すると共に,宇宙電磁プラズマ現象の謎に迫ろうとしています。

 飛騨天文台は国立公園内にあります。一般には公開されていないのですが,見学会が行われていて,2010年(平成22年),私もそれに参加して,待望の望遠鏡を見ることができました。
 いろいろと解説してもらったうちで,この天文台が太陽観測に力をいれていることがわかったのですが,それまでは,太陽なんてまったく興味がなかったので,知識もありませんでした。説明を聞いて,太陽もおもしろいものだということを知りました。
 しかし,見学会では,65センチメートルの屈折望遠鏡の実物は見られましたが,その時点で,その望遠鏡がどのように使われているのかは説明もなく,よくわかりませんでした。実際のところ,今の時代,こうした旧世代の望遠鏡の活躍する場は限られている,というか,全くないように思いました。
 この国では,昔から東京大学と京都大学はライバル関係にあって,その内情は私にはよくわからないし,それを書くことが目的ではないから深入りしませんが,現在,東京大学の天文台は国立天文台として広く研究が行われているのに対して,飛騨天文台などは京都大学の付属施設として研究が行われているわけで,その関係が私にはよくわかりません。


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 以前,ちょうどアメリカの独立記念日にミズーリ州ニューオリンズにいたことがあって,パレードを見ましたが,それぞれのグループが順番に出てきてマーチングバンドをやっていました。また,サンフランシスコのプライドパレードにも遭遇したことがあるのですが,地元の企業が順番に行進をするものでした。
 山形市の花笠まつり,盛岡市のさんさおどりなどの日本の夏祭りもまた,およそ同じようなもので,人の考えることはどこの国でも同じだなあと私は思います。

 しかし,郡上おどりは少し趣が違います。それは,地元企業の協賛というよりも,住んでいる人たちが自然発生的にやっているように見えるからです。おそらく,山里の小さな町でのお祭りは,企業のような経済効果がないからでしょう。この素朴さとともに,三味線と笛と太鼓の音に合わせて唄う郡上音頭がたまらなくいいものです。これは魔性です。
 先に書いた,阿波おどりと五山の送り火とは違って,私は,郡上おどりを見に,あるいは,踊りに,わざわさ行ったことがないのです。それは,郡上に親類がいたこともあって,子供のころに家族旅行で郡上に行って,ちょうど徹夜踊りの日に出会っていたことで,郡上おどりにはすでに慣れ親しんでいて,好奇心が湧かなかったからです。
 親類がいるということで当然ではあるのですが,私の母親が亡くなったときに戸籍謄本(はらこせき)をとろうとさかのぼっていたら,郡上に行きつきました。つまり,私にはもともと郡上の血が流れているのです。
 私は人混みと暑さがだめなので,今や,郡上おどりの時期に行くことはありませんが,混み合うこの季節を避けて,私は,静かな郡上という山里の町を歩くのが好きなのです。

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 亡者おどりの異名のある秋田県羽後町(うごまち)の西馬音内(にしもない)の盆おどり,徳島市の阿波おどりと並んで,「日本三大盆おどり」に数えられている郡上おどりは,中世の「念仏踊り」や「風流踊」の流れを汲むと考えられています。
 郡上おどりは,江戸時代,初代藩主・遠藤慶隆が領民親睦のため奨励したのが発祥とも,江戸時代中期の藩主・青山氏の時代に百姓一揆後の四民融和をはかるため奨励したのが発祥とも伝えられているそうです。いずれにしても,日本らしい,民衆を群れさせて踊ることで日ごろのうさを発散させ,その一体感から仲間意識を高めて同調意識を煽るという,お上の畏き施策から奨励されたのです。
 しかし,それが高じると,逆に,民衆の結束が反権力となって爆発するので,今度はお上がそれを迫害するのです。ということで,1874年(明治7年)には明治政府によって禁止令が出されたことがありますが,したたかな日本人はそんなことにはへこたれず,まつりは存続し,1923年(大正12年)には郡上踊り保存会が発足しました。
 第2次世界大戦中も国威高揚とかなんやかやと理屈をつけて軍部を説得し,まつりは続けられ,1945年(昭和20年)8月15日の終戦の日にも開催されました。しかし,病魔にだけは勝てず,2020年と2021年は,コロナ禍で中止となりましたが,2022年の今年,3年ぶりにまつりは復活しました。
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