しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

カテゴリ: 東北旅行LIVE

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【Summary】
This loosely planned trip brought many unexpected experiences. On the way from Ginzan Onsen to Yamagata Airport, I visited Higashine, saw the ancient Great Zelkova tree, and passed a declining hot spring town. A quiet flight returned me early to Nagoya, ending a satisfying journey.

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大まかな計画だけでやって来た今回の旅でしたが,思った以上にいろいろな経験をすることができました。あとは,おいしい山形空港午後3時50分発の帰りのFDAに乗るだけでした。
銀山温泉からおいしい山形空港までの間に「東根の大ケヤキ」というものがあるということだったので,寄り道をすることにしました。私がこの存在を知ったのは,NHKBSで放送されている「にっぽん縦断こころ旅」です。
おいしい山形空港があるのは東根(ひがしね)市というところです。
夏暑く,梅雨期も雨が少なく風も強くないため,さくらんぼ栽培に適した山形県は全国の約7割のさくらんぼを生産していて,その中でも東根市は約2割を担う最大の産地です。人気品種「佐藤錦」は東根市で誕生したもので,現在も代表的なブランドとして国内外に知られています。初夏に来ると,サクランボの実がなっていて,それは見事です。

そんな東根市には東根温泉があります。しかし,東根温泉街はまさにゴーストタウンの様相を呈していておどろきました。
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開湯は1910年(明治43年)。農業用水の井戸掘削中に偶然発見された温泉が始はじまりで,それまでの水田地帯が温泉の湧出をきっかけに旅館や商店が立ち並び,急速に温泉街が形成されました。
戦後から昭和期にかけて宿泊客や観光客で賑わい,20軒以上の旅館と共同浴場が存在しました。
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しかし,山形新幹線開通後,さくらんぼ東根駅は温泉街から離れていて,アクセス面で不利であったこと,銀山温泉や蔵王温泉など観光資源が豊富で景観も魅力的な温泉地に観光客が集中したこと,老舗旅館「常盤屋」などが2009年に閉鎖するなど,施設更新が進まず衰退し,昭和期の団体旅行ブームが終わり個人旅行や高付加価値志向が主流になった変化に対応が遅れたことなどが原因ということです。
観光客が少ないというのは私には好都合ですが,ここまで廃墟ばかりでは宿泊する気にはなりません。

そんな東根温泉を抜けると東根小学校の校庭内に「東根の大ケヤキ」がありました。群馬県の「原町の大ケヤキ」,山梨県の「三恵の大ケヤキ」と並ぶ日本3大ケヤキのひとつということです。
樹齢は推定1,500年以上で,高さ約28メートル,根回り24メートル,幹周16メートル,直径約5メートルです。南北朝時代の1347年,小田島長義が築いた東根城の本丸跡に植えられていたと伝えられ,江戸時代末期の絵図には,大ケヤキのほかに雄ケヤキ,雌ケヤキとよばれる2本の巨木や,周囲に22本のケヤキが確認されているそうですが,1885年(明治18年)に雄ケヤキが枯れ,現在残る雌ケヤキがこの「東根の大ケヤキ」です。

おいしい山形空港の到着しました。おいしい山形空港は小さい空港で,ラウンジすらありません。それはそれでいいのですが,この空港の最大の欠点はアクセスの悪さです。レンタカーを利用すれはいいのですが,公共交通機関頼りだととても不便です。以前,何も調べずにここから天童市へ行こうとして,タクシー以外に手段がないのに驚きました。
利用者が少ないので発着便も少なく,今回,私が乗ったFDAは,県営名古屋空港との往復ではなく,北海道の丘珠空港からやって来たものでした。乗員はそのまま次のフライトの担当だそうです。また,オレンジ色の機体でしたが,塗装が剥げ,ボロボロだったのには驚きました。どうすればこんなになるのかな,と思いました。あとでCopilotのアクアちゃんに聞いてみると
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飛行機の塗装が剥がれるのは,紫外線や風雨による劣化,素材との相性,整備周期の影響などが主な原因です。見た目は悪くても安全性には直ちに影響しない場合が多いです。
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とのことでした。
県営名古屋空港着が午後5時でした。こんなに早く県営名古屋空港に戻って来たのはこれまで記憶にありません。そこで,県営名古屋空港内の食堂ではじめて夕食をとることにしました。
今回もいい旅でした。

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【Summary】
I visited Ginzan Onsen after only knowing its famous snowy scenery. Reaching it by car and walking from the distant parking area, I found the historic hot-spring town beautiful but overcrowded with inbound tourists. Learning its mining history was interesting, but the commercialization left me disappointed and no longer wishing to stay overnight.

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銀山温泉といっても,私は,美しい雪景色のなかに大正時代のような温泉街がある姿で知ってるだけでした。冬は雪深く,どうやったらたどりつけるのだろうと思っていたけれど,この時期なら,雪景色は見えねども,車で行くことができるに違いない,と考えました。
そもそも,銀山温泉が山形県にあるということはわかっていたけれど,山形県のどこにあるのかさえ,知りませんでした。
GoogleMaps の地図を頼りに走っていくと,尾花沢市にたどり着きました。そして,そのあたりから,銀山温泉の案内標示が見られるようになりました。その案内標示に従って走っていくと,山間の村があって,そこに無料の駐車場がいくつかありました。車がたくさん停まっていましたが,幸い,まだ,数台の空きスペースがありました。私が到着した時間が午前中で,宿泊客が帰ったころだったからのようで,私が帰るころには,駐車場は空きスペースを探す車でごった返していました。

車を停めても,銀山温泉はそのはるか先でした。宿泊客は,ここから送迎バスがあるようでしたが,私は,歩くほかありません。けっこうな距離で,しかも,坂道を登っていく必要がありました。
やがて,川に沿って,写真で見た景色が見られるようになってきました。ああ,これが銀山温泉か,と思いました。思っていたイメージとは少し違いました。
案内所があったので,そこで地図をもらいました。ちょうどお昼時だったので尋ねると,食べるところはある,という話だったので,それを期待して歩いていくと,「伊豆の華」(いずのはな)というそば屋さんが見つかったので,昼食をとることができました。
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「伊豆の華」は,1952年(昭和27年),銀山温泉の入り口で町の食堂として誕生いたしました。
温泉街の中に移転した後も,カフェ兼食事処として, 地域の方や観光の方に親しまれております。
140年の歴史を誇る古民家を改築した店内で,銀山温泉の街並みを眺めながら ゆっくりとお過ごしいただければ幸いです。
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というところで,ここは,外国人団体客を受けつけていないという店でした。

食事を終え,これからどこへ行こうか,と地図を眺めていて,銀山,というからには,ここは銀山のあった場所に違いないと,やっと気づきました。
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実際,この場所は,江戸時代初期に栄えた「延沢銀山」(のべさわぎんざん)の鉱山町としてはじまり,銀の採掘が衰えた後に温泉地として発展しました。温泉の泉質はナトリウム-塩化物・硫酸塩泉で,切り傷や火傷,神経痛などに効くとされています。
現在の町並みは大正から昭和初期にかけて整えられたもので,木造の多層旅館が銀山川の両岸にずらりと並び,夜になるとガス灯が灯って幻想的な雰囲気に包まれます。
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温泉街を過ぎ,銀山川に沿って上流に向かって結構な山道を歩いていくと,昔の鉱山跡にたどり着きました。この辺りまで来ると,さすがに観光客はほとんどいなくなりました。

結局,銀山温泉は,その風景の美しさとともに,「おしん」の舞台となったことや「千と千尋の神隠し」の世界観に似ている場所,さらには,「鬼滅の刃」の「刀鍛冶の里編」にそっくりということで,有名になりすぎ,世界中から人が押し寄せるようになったところのようです。そこで,多くの観光地同様,インバウンドだらけで静けさのかけらもありませんでした。これでは原宿と変わらないなあ,と思いました。
確かにインスタ映えするところだけれど,私は幻滅しました。私の思い描く,愛してやまない日本の温泉は,こことは違う,人の少ない静かな場所だからです。
一度でいいから,いくら出してもいいから銀山温泉に泊まりたい,という気持ちは跡形もなく消え去りました。そんな意味も含めて,来てよかったと思いました。

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【Summary】
My final day lacked plans, leading to a visit to Ginzan Onsen after changing the schedule. Ginzan Onsen’s Taishō-era charm and nearby sites impressed them. I also discovered the old Izumi Shikibu grave in rural Kitakami, linked to local legends, continuing my growing interest in visiting her many supposed burial places.

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最終日。この旅もまた,いつものようにいい加減で,予定がありませんでした。はじめは,山形県の日本海側に行こうと思っていただけだったのに,この機を逃したら行く機会がないだろうと「えさし藤原の郷」まで足をのばしたことから,おいしい山形空港まで戻るのが大変になってしまったのです。しかも,午後3時50分発というように飛行機の時間が早く,おいしい山形空港までは,約3時間もかかるのです。
当初は,この日の午前中「えさし藤原の郷」へ行くことにしていたのですが,そんな条件もあって,2日目に行くことになりました。そこで,3日目に行く場所がなくなりました。
いろいろと考えた結果,銀山温泉に行くことにしました。

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銀山温泉は,山形県尾花沢市にある大正ロマン漂う温泉街です。
銀山川の両岸に,昭和初期の木造旅館がずらりとならび,夜になるとガス灯が灯り,幻想的な光景に包まれ,まるで「千と千尋の神隠し」の世界のようだと評判です。
また,NHK朝の連続テレビ小説「おしん」の舞台としても有名で,全国的にその名が知られるようになりました。また,「鬼滅の刃」の「刀鍛冶の里編」にそっくりということで,ファンの間ではモデル地のひとつでは?と噂され,聖地巡礼に訪れる人も増えています。
泉質はナトリウム-塩化物・硫酸塩泉で,神経痛や皮膚病,婦人病などに効能があるとされています。さらに,「はいからさんのカリーパン」や「立ち食い豆腐」など,温泉街ならではのグルメも充実し,とりわけ,白銀の滝や洗心峡など,四季折々の自然が楽しめるスポットも多く,特に雪景色は息をのむ美しさです。
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ここ数年,東北地方を旅行するようになる前,私は,この有名な銀山温泉の名前すら知りませんでしたが,その後,意識するようになって,一度は泊まってみたいものだと思うようになったのですが,まったく予約がとれません。そこで,とにかく,どんなところな見てこようと思ったのです。

その前,そういえば,この近くに和泉式部の墓があるのでは,と思い出しました。これは偶然のことで,来る前には,まさか,この地の和泉式部の墓に行けるとは思っていませんでした。調べてみると,本当に近くだと知って驚きました。
これまでに書いたように,私は,大河ドラマ「光る君へ」の中で出てきた和泉式部が気になって,それ以来興味をもったのですが,和泉式部という恋多き女性の墓が日本全国に多くあって,これもまた,なぜだか,そうした多くの墓を訪ね歩くことになったのです。
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北上市和賀町竪川目にある「和泉式部旧墓」には,多くの伝説があります。
和泉式部の墓所としては日本最北端とされ,地元では「旧墓」とよばれています。和賀川の北西,静かな集落の中にあって,説明板がなければ通り過ぎてしまいそうなほどひっそりしています。
墓所には,明治期に奉納された五輪塔と幕末の安政期に建てられた石碑が残っています。
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実際は,平安時代に京都からここまで来た可能性は低いのですが,和泉式部が詠んだ歌の中に,陸奥の「衣の関」に触れたものがあり,それが,夫・橘道貞の赴任地との別れを詠んだともいわれています。この「衣」が,北上市の「泉」や「衣川」と結びついて,この地に根づいたのかもしれません。

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夢よりもはかなき世の中を
歎きわびつつ明かし暮らすほどに
四月十余日にもなりぬれば
木の下暗がりもてゆく
築地の上の草青やかなるも
人はことに目もとどめぬを
あはれとながむるほどに
近き透垣のもとに
人のけはひすれば
たれならむと思ふほどに
故宮に候ひし小舎人童なりけり
  ・・
夢よりもはかない男女の仲を
嘆きながら昼も夜も過ごしているうちに
四月も十日を過ぎたころになった
木々の葉が茂って木の下はだんだん暗くなっていく
築地の上の草が青々としているのも
他の人は特に気にも留めないけれど
私はしみじみと眺めていた
すると近くの透垣のあたりに
人の気配がしたので 誰だろう?と思って見てみると
亡き宮様に仕えていた小舎人童だった
  「和泉式部日記」
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【Summary】
I stayed at Yakushido Onsen in Mizusawa, expecting a quiet rural inn but finding it in a busy town with many visitors. Despite my initial disappointment, the meals with local products were excellent, and the hot spring became private for guests later, letting me enjoy a spacious bath alone before departing on October 18, 2025.

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この日予約したのは薬師堂温泉というところでした。
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岩手県奥州市水沢にある薬師堂温泉は,近くにある病気平癒を祈る薬師が祀られている薬師堂から名づけられたもので,まさに「霊泉」。「珠玉の湯」とよばれています。
ナトリウム塩化物泉で,塩分濃度が岩手県内でもトップクラスということで,からだを芯から温め,冷え性や関節痛,皮膚の乾燥などに効果があるそうです。また,天然岩に囲まれた庭園露天風呂が名物だそうです。
地元の食材を使った料理も絶品で,前沢牛や三陸の海の幸が味わえます。
  ・・・・・・
ということで,かなり期待しました。しかし,日本の旅館は,ともかく,行ってみないことにはわかりません。

到着して,まず,驚いたのは,町中にあった,ということでした。私は,ひなびた場所のほうがすきです。また,広い駐車場には,停めるところがないほどの車がありました。これにもがっかりしました。 日本の多くの温泉旅館がそうであるように,温泉は宿泊者だけのものではなく,地域住民の憩いの場として提供されているからです。それは当たり前のことで,そうしなければ,経営が成り立ちません。
何とか空きスペースを見つけて車を停め,チェックインしました。
しかし,第一印象とは全く違い,ここは,最高の旅館でした。
まず,食事が期待以上でした。いつものように,地酒を呑みながら,味わいました。
また,温泉は,午後9時を過ぎると,宿泊者専用となり,宿泊者が少なかったこともあって,まさに,独占状態となりました。
こうして,今回も,広い温泉に私ひとり,という,まさに理想的な状況となりました。

2025年10月18日,3日目になりました。
ボリュームたっぷりの朝食をとって,さっそく出発しました。

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【Summary】
After visiting Esashi-Fujiwara Heritage Park, I stayed at Yakushido Onsen nearby. On the way, I explored filming sites of Kirin ga Kuru, the medieval Toyoda Castle ruins, and Isawa Castle built by Sakanoue no Tamuramaro. At sunset, I photographed the Lemmon Comet by chance.

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「えさし藤原の郷」を出て,今日宿泊する薬師堂温泉に向かいました。
適当に選んだ旅館だったのですが,「えさし藤原の郷」からとても近いのに驚きました。
その途中,大河ドラマ「麒麟が来る」のロケ現場があるというので,寄り道してみました。場所は,「えさし藤原の郷」の近くの奥州市江刺区岩谷堂(いわやどう)周辺の農地でした。
朝もやがかかる幻想的な風景が「麒麟がくる」の美濃の里の雰囲気にぴったりだったということです。ドラマを見たとき,てっきり合成映像化と思ったのですが,こんな場所が今も残っているのにおどろきました。

さらに進んでいくと,次に見つけたのが豊田館(とよだのたち)でした。
豊田館は,奥州市江刺区岩谷堂下苗代沢にあった中世の居館で,別名「豊田城」ともよばれていました。築かれたのは,「源氏物語」が描かれた1030年ごろの長元年間で,城主は藤原経清(ふじわらのつねきよ)でした。藤原経清は安倍頼時の娘を妻に迎えて,この地に居を構えました。その後,前九年の役で藤原経清は戦死し,息子の藤原清衡(きよひら)が後三年の役を経て奥州藤原氏の祖となり,豊田館に戻って奥六郷を治めました。
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前九年の役は,1051年から1062年に東北地方の陸奥で起こった戦いです。
陸奥の豪族安倍氏が朝廷に反抗したのを,源頼義・義家親子が出羽の清原氏と手を組んで討伐しました。この戦いで安倍氏は滅亡し,清原氏が勢力を拡大。源氏は東国武士との絆を深め,後の武家政権の土台ができました。前九年の役で藤原経清が戦死し,母が清原武貞と再婚したことで,藤原清衡は清原清衡と名乗りました。
後三年の役は,1083年から1087年に起こった,清原氏の内紛がきっかけの戦いです。
清原真衡の死後,清原清衡と清原家衡が対立し,源義家が清原清衡を支援して勝利し,この戦いの結果,清原清衡は奥州を統一し,再び,藤原清衡と名乗り,奥州藤原氏として平泉文化の礎を築きました。
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ほどなく,薬師堂温泉に着きましたが,その近くにあったのが,胆沢(いざわ)城跡でした。
胆沢城は,奥州市水沢佐倉河にあった古代の城柵で,802年(延暦21年)に坂上田村麻呂が築きました。蝦夷征討の拠点として造られたもので,後に鎮守府が多賀城から移されて,東北経営の中心地になりました。城の構造は,一辺約670メートルの方形で,土塁(築地)と堀で囲まれていて,内部には政庁や官衙(役所),食料を管理する施設などがありました。
このように,この地には,さまざまな時代の遺構が多くあって,驚きました。奥が深いものです。
胆沢城跡を歩いていたら,日が暮れてきました。
この日は快晴。西の空に話題となっているレモン彗星が見られるらしいのですが,私は,三脚すら持ってきませんでした。適当にミラーレス一眼をこの場所だろうと適当に向けて手持ちで写したら,ちゃんと彗星状が写っていました。こりゃ,この先,期待できるなあ,と思いました。

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【Summary】
Esashi-Fujiwara Heritage Park in Oshu, Iwate, was built in 1993 for the NHK drama Homura Tatsu. I finally visited after years of interest. Though fascinating, it was quiet and hard to maintain. Despite its beauty, it feels artificial and struggles to attract visitors.

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NHK大河ドラマのロケ地として知られる「えさし藤原の郷」。一度行ってみたかったのですが,なかなかその機会がありませんでした。
以前,国立天文台水沢と宮沢賢治のふるさと花巻市に行きたくて,2019年10月に行ってみたことがあります。このとき「えさし藤原の郷」へも行けばよかったのですが,気に留めていませんでした。というか,そのころは「えさし藤原の郷」の存在すらまったく知りませんでした。
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「えさし藤原の郷」は,岩手県奥州市江刺にある平安時代をテーマにした歴史公園です。
1993年(平成5年),大河ドラマ「炎立つ」の撮影用に造られたオープンセットがもとになって,撮影後もそのまま残して整備されたものです。園内には奥州藤原氏の政庁や貴族の邸宅「伽羅御所」,金色堂などが再現され,平安時代にタイムスリップしたようになっています。
現在は,衣装体験や弓矢,貝合わせなどのアクティビティがあって,見て遊んで学べるテーマパークとなっています。
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一ノ関や平泉,花巻などに観光で行く機会があれば,その機会に寄ることもできるのでしょうが,私は,すでに行っているから,この先も行く予定がありません。そこで,今回,この機会を逃すとこの先も行くこともないだろうと,わざわざ,山形県の酒田市から3時間かけて行ってみることにしたのです。

広い駐車場に車を停めて,中に入りました。もっと賑わっているのかと思っていましたが,閑散としていました。私にはこのほうが望ましいのですが,これでは維持するのが大変だろうと思いました。
私はまったく関心がなかったのですが,今年行われた大阪の万国博覧会でも,終了後は壊すはずだった大屋根リングが,壊すのはもったいないという声が上がって保存されるように方針転換されたようです。こうしたことをいう人がいつも一定数います。しかし,声をあげるのは簡単ですが,維持するのがとてつもなく大変なのです。多くの人は,どうしてそういうことがわからないのかな,と思います。何事も,はじめるのは容易ですが,それを維持するのはその何倍も困難なのです。
「えさし藤原の郷」もまた,せっかく造ったのだからということで,その後も維持されているのでしょう。経営は江刺開発振興株式会社という第3セクター方式の会社によって行われていて,代表取締役社長は奥州市長が務めているのだそうです。しかし,約36億円かけて建設され,広さが約20ヘクタールにもなる施設であり,その多くが木造,となれば,その維持はかなり大変に思えます。
来園者数は,年間でおよそ10万人前後で推移しているのですが,コロナ禍で大きく減少し,5万人台まで落ち込んだこともあるそうです。
実際,2025年の来園者数も低調なまま推移していて,平日はかなり閑散としているようです。

私には,あこがれだった場所だったので,それなりに楽しむことができましたが,やはり,ディズニーランドがアメリカの張りぼてであるように,ここもまた,奈良や京都の建物の張りぼてに過ぎないわけで,もっと,ドラマや映画に活用したりなどして,話題をよばないと大変そうに思いました。
何せ,日本の建物は木造なので,痛みがはやいのです。それに,けっこう不便なところにあるからアクセスが簡単でないし。

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【Summary】
Originally planning to visit only Tsuruoka and Sakata, I decided to detour to “Esashi Fujiwara Heritage Park.” To reach it, I had to cross Akita Prefecture via Yurihonjo, where I stopped for lunch at a roadside station.

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この旅で,当初は,山形県の西部地方,つまり,鶴岡市と酒田市だけを観光するつもりでした。しかし,以前から「えさし藤原の郷」に行ってみたかった私は,この機を逃したら行くことができないかもしれない,ということで,多少遠くても,「えさし藤原の郷」まで遠回りすることにしました。
とはいえ,どのくらいかかるかわかりませんでした。調べてみると,酒田市から「えさし藤原の郷」までが約3時間,そして,「えさし藤原の郷」からおいしい山形空港までも約3時間でした。おまけに,おいしい山形空港から県営名古屋空港までの航空便の最終が午後3時50分と早いので,3日目,最終日に「えさし藤原の郷」へ行くことにすれば,午前中に出る必要があるというように,かなりあわただしいのでした。そこで,2日目は,午前中,酒田市を急いで観光し,お昼に「えさし藤原の郷」に向かい,午後3時までに到着して,2日目に「えさし藤原の郷」を観光することにしました。
そんなわけで,酒田市の観光は,山居倉庫,土門拳記念館,本間家旧本邸の3か所のみとなりました。

酒田市から「えさし藤原の郷」まで行くには,出羽山地,奥羽山脈を横切る必要がありますが,標高1,626メートルの栗駒山がそびえるなど,東に向かって走る道路がないのです。そこで,一旦,日本海側を由利本荘市まで北上して,そこから,横手市を経由して北上市へ行くことになるのです。つまり,山形県から県境をまたぎ,秋田県に入ることになります。
私は,東北地方で,これまで最もなじみのなかった秋田県に行こうと,昨年2024年10月17日から10月19日にかけて,旅をしました。このとき,男鹿半島,角館,田沢湖,大仙市,秋田市とまわったので,秋田県の主だったところへは行きました。だから,ほとんどの場所は知っているはずなに,なぜか,今でも秋田県が身近なものに思えないのです。その理由は,由利本荘市に行っていないからです。
テレビの「路線バス乗り継ぎの旅」のような旅番組で,よく出てくるのが由利本荘,という地名です。そこで,私には,由利本荘こそが秋田,なのです。しかし,このときの旅では,私は由利本荘市には行けませんでした。

今回は,何とか由利本荘市を通ったのですが,通ったとはいえ,かすっただけでした。とはいえ,私がこれだけこだわる由利本荘市で何かを見たいというわけでもありませんし,由利本荘市のどこかに行きたいというわけでもありません。なぜか気になるのです。
途中,「ふれあいプラザ・ぷれっそ」という道の駅で,昼食をとりましたが,実は,ここも由利本荘市なのでした。といっても,今の私には,まだ,由利本荘市に行ったという実感がありません。私にとって,由利本荘市というのは何なのでしょうか?
ちなみにこのエキゾチックな地名の由来は
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「由利」は,古代の地名に「由理郷」があり,これが後に「由利郡」となったとされます。古書には「百合」「油理」「油里」「由理」など様々な表記が見られ,その語源については諸説あり,特に,百合の花に由来する説が有力です。由利原一帯は山百合が群生する地域で「百合原」とよばれるほどでした,鎌倉時代に「由利氏」という豪族が存在し,郡名を姓にしたことからも地名の古さがうかがえます。
「本荘」という地名は,古代の荘園に由来するとされます。江戸時代には本荘藩が立藩し,その藩名が地名として定着しました。本庄藩は本荘城を中心に栄え,藩政の拠点として地域の呼称が広まりました。
そして,2005年(平成17年)に本荘市と由利郡の矢島町,岩城町,由利町,西目町,鳥海町,東由利町,大内町が合併したとき,新市名を,旧市名「本荘」と郡名「由利」を組み合わせて「由利本荘市」としたのです。
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【Summary】
The Honma family, once Japan’s wealthiest landlords, prospered in Sakata through rice trade and finance. Their former residence, built in 1768, blends samurai and merchant styles and houses historic artifacts. The estate remains privately maintained by the Honma family today.

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酒田市に何があるかわからず,知っていたことは,山居倉庫と土門拳記念館だけだったのですが,このふたつを見てから,それ以外の見どころとして知った本間家旧本邸に行きました。
山形県の西部地方は江戸時代庄内藩でしたが,政治の中心が現在の鶴岡市,商業の中心が現在の酒田市でした。近くにほぼ同じ規模の都市があるのですが,このふたつの都市は仲がいいそうです。性格が異なっているからでしょう。そして,鶴岡市には酒井の殿様がいまも在住し,酒田市には本間様がいまも在住するのだそうです。

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本間家は江戸時代から昭和にかけて酒田市で栄えた豪商であり,日本一の大地主ともいわれた一族です。ルーツは鎌倉時代の佐渡の御家人・本間能久に遡ります。戦国時代に越後の上杉氏と関わりながら佐渡本間氏の分家が酒田で成功しました。
1689年,初代・本間久四郎原光が「新潟屋」を開業し,米の商いを中心に金融業や不動産業にも進出。庄内藩をはじめ,米沢藩や津軽藩などにも資金を貸し出していました。最盛期には3,000町歩という,東京ドーム約626個分の土地を所有し,3,000人以上の小作人がいました。
本間家旧本邸は,1768年(明和5年),3代目・本間光丘が幕府の巡見使を迎えるために建てた武家屋敷で,のち,藩主酒井家から拝領して本邸として使われていました。建物は武家造りと商家造りが一体となった珍しい様式で,格式ある長屋門や薬医門,七社宮などがあります。
1945年(昭和20年)まで本間家が住んでいて,それ以後は中央公民館となり,現在は観光施設として公開されています。
「本間様には及ばぬものの,せめてなりたや殿様に」という言葉が残ってるくらい,酒田の人々にとっ て本間家は憧れの存在でした。
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本間家旧本邸の玄関先にある「臥龍の松」は樹齢400年を誇るそうです。邸内には,貴重な美術品や歴史史料が公開されていました。
また,道路を隔てて本間家旧本邸の別館「お店」がありました。ここは,初代・本間久四郎原光の「新潟屋」開業以来,本間家が代々商いを営んだ場所で,現在は,帳場や度量衝,行灯,台所用品などが展示されていましたが,要するに,みやげ物屋さんでした。
実のところ,この邸宅は,今も,酒田市ではなく,本間家が維持しているということですが,維持することはとてもたいへんなのだそうです。

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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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【Summary】
Ken Domon, a realist photographer from Sakata, portrayed Japan’s spirit through works like Pilgrimage to Ancient Temples; his museum harmonizes art, nature, and deep spirituality.

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現在とは違い,写真はフィルムを使って撮る時代,1コマ1コマの重さは今とは全く違いました。その時代の有名な写真家に,木村伊兵衛と土門拳がいました。このふたりは対照的で,小型カメラのライカを使って,スッとシャッターを切ってスナップ写真をものにした木村伊兵衛に対して,大型カメラを使って,1枚の写真を時間をかけて撮影していたのが土門拳でした。
土門拳の代表作に「古寺巡礼」があります。奈良や京都の古寺や仏像を写したもので,奈良県写真美術館でそれらの写真を見ることができるのですが,その迫力に引き込まれます。
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土門拳の「古寺巡礼」は,室生寺の釈迦如来坐像など,平安初期の木彫仏を中心に,モノクロームとカラー合わせて約120点の作品が収められています。
土門拳は,仏像の手や足,口元などをクローズアップで捉える独自のスタイルで,仏像の「気配」や「魂」を写し取ろうとしました。「古寺巡礼」は,1963年に第1集が刊行されてから,脳出血で倒れた後も撮影を続け,1975年に第5集で完結しました。
奈良という土地が土門拳にとっては特別な場所で,斑鳩から奈良へと続く古寺の道は,日本人の魂が息づく場所として,土門拳の写真に深い響きを与えました。
  ・・
土門拳は,1909年に山形県酒田市で生まれた日本を代表する写真家のひとりです。写真スタイルは「絶対非演出の絶対スナップ」とよばれるリアリズムです。被写体にポーズを取らせず,ありのままの姿を捉えることにこだわりました。
戦後の日本社会を鋭く見つめ,庶民の暮らしや伝統文化,仏像や寺院などをテーマにした多くの作品を残しました。
1979年に脳出血で倒れてからも片手でカメラを操作しながら撮影を続け,1990年に亡くなりました。
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土門拳の生まれ故郷酒田市に土門拳記念館があると知って,この旅でぜひ行ってみたいと思っていました。
土門拳記念館(土門拳写真美術館)は,日本初の写真専門美術館です。土門拳が酒田市に寄贈した約13万点の作品を収蔵していて,代表作「古寺巡礼」や「ヒロシマ」「筑豊のこどもたち」などがテーマごとに展示されています。
飯森山公園のすごく広い敷地の一角に,谷口吉生が設計をした建物とともに,中庭にはイサム・ノグチの彫刻があって,それだけで感動しました。遠くには,鳥海山も望めました。
自然と芸術が融合した空間で,静かに写真と向き合える場所,という評判同様,すばらしいところで,時間も忘れて,浸りきることができました。

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【Summary】
Sakata, a prosperous Edo-period port at the mouth of the Mogami River, thrived through Kitamae-bune trade connecting to Osaka and Edo. Matsuo Bashō visited in 1689, staying nine days with physician and haiku poet Ito Fugyoku. From Sakata, he journeyed to Kisakata, inspired by its scenic lagoons, composing poems on nature and travel.

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酒田は,日本三大急流のひとつである最上川が日本海に注ぐ河口に発達した町で,江戸時代には北前船が,米や紅花,海産物などを大阪,江戸へと運び,港町として,商業の町として殷賑を極めました。 日和山(ひよりやま)公園には北前船の模型がありますが,江戸時代には,このような北前船によって,日本海,瀬戸内海を経て,各地に物資が運ばれ,酒田の町に富と繁栄とをもたらしていました。
1976年(昭和51年)に酒田の町は大火が襲い,多くの家々が焼け落ちてしまいました。その後,商店街は立派に整備しなおされました。その商店街を抜けて突き当たりの小高い丘へ行くと,そこが日和山公園です。ここで,かつて朝の連続テレビ小説「おしん」のロケが行われました。また,先日は,NHKBS「にっぽん縦断こころ旅」で,田中美佐子さんが訪れました。
公園からは,最上川河口と酒田港,そして,日本海を望むことができました。

日和山公園には,松尾芭蕉の像と歌碑がありました。「奥の細道」で全国を歩いた松尾芭蕉ですが,酒田の地がその北限でした。
松尾芭蕉が酒田に到着したのは1689年(元禄2年)6月13日(陽暦の7月29日)でした。途中,象潟(きさかた)への往復4日間をはさみ,6月25日(陽暦8月10日)まで,都合9日間この地に滞在しました。なお,象潟は,秋田県にかほ市にある場所で,かつては潟湖(せきこ=ラグーン 浅い湖のこと)に島々が浮かぶ絶景で,「東の松島、西の象潟」とよばれていました。
交易と商業が栄え,上方の町人文化が流れ込んでいた土地柄を松尾芭蕉が気に入ったのか,あるいは,暑さの厳しい折,長途の移動は控えていたのでしょう。
ここで厄介になったのが医師の伊東玄順でした。伊東玄順は,この地の俳壇の中心人物で,俳号は不玉(ふぎょく)といいました。伊東不玉宅址には記念碑があって,「芭蕉逗留の地 不玉宅址・・」と刻まれているそうです。

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酒田
羽黒を立て鶴が岡の城下、長山氏重行と云物のふの家にむかへられて、誹諧一卷有。左吉も共に送りぬ。川舟に乘て酒田の湊に下る。淵庵不玉と云いふ醫師の許を宿とす。
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
  暑き日を海にいれたり最上川
  ・・
江山水陸の風光數を盡して、今象に方寸を責。酒田の湊より東北の方、山を越磯を傳ひ、いさごをふみて其際十里、日影やゝかたぶく比、汐風眞砂を吹上、雨朦朧として鳥海の山かくる。闇中に莫作して、雨も又奇也とせば、雨後の晴色又頼母敷と、蜑の笘屋に膝をいれて雨の晴を待。 其朝、天能霽て朝日花やかにさし出る程に、象に舟をうかぶ。先六能因嶌に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、花の上こぐとよまれし櫻の老木、西行法師の記念をのこす。江上に御陵あり、神功后宮の御墓と云。寺を干滿珠寺と云。此處に行幸ありし事いまだ聞ず。いかなる事にや。此寺の方丈うに座して簾を捲ば、風景一眼の中に盡て、南に鳥海天をさゝえ、其陰うつりて江にあり。西はむや/\の關路をかぎり、東に堤を築て秋田にかよふ道遙に、海北にかまえて浪打入る所を汐ごしと云。江の縱横一里ばかり、俤松嶋にかよひて又異なり。松嶋は笑ふが如く、象はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。
  象や雨に西施がねぶの花
  汐越や鶴はぎぬれて海凉し
    祭禮
  象や料理何くふ神祭
    曾良
  蜑の家や戸板を敷て夕凉
    低耳
  岩上に鳩の巣をみる
  波こえぬ契ありてやみさごの巣
    曾良
   ・・・・・・

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【Summary】
On October 17, the user traveled toward Sakata on a clear day, admiring Mount Chōkai. Before visiting the Domon Ken Museum, they explored the famous Sankyo Warehouses, built in 1893 for rice storage. The site features keyaki trees, traditional double-roof design, survived the 1976 Sakata fire, and appeared in the TV drama Oshin.

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2025年10月17日,2日目です。幸い,いい天気になりました。
朝食をとって,旅館を後にしました。
青空の元,秋田県と山形県の県境にそびえる鳥海山(ちょうかいさん)が美しく見えました。
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鳥海山は標高2,236メートルの独立峰で「出羽富士」ともよばれる美しい山です。
春から秋にかけて開通する「鳥海ブルーライン」では,標高1,500メートルの鉾立(ほこだて)まで車で登ることができるということなので,時間があれば走ってみたかったものです。
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私が目指したのは酒田市でした。目的地は土門拳記念館だったのですが,午前9時開館だったので,その前に,酒田市を観光することにしました。
とはいえ,私は,酒田市といっても何があるのか知らず,唯一,倉庫のような建物が有名だということだけは写真で見たことがあったので,そこへ行こうと思いました。

倉庫が建ち並ぶ一角に着きました。観光用の駐車場があったので車を停めて外に出ました。案内板に「欅並木⇒」とあったのでそちらに向かうと,驚くことにその場所こそが私が行きたかった場所,そのものでした。その一角にある倉庫群を山居倉庫(さんきょそうこ)といいます。
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最上川と新井田川に挟まれた「山居島」は米の積み下ろしに便利な立地で,1893年(明治26年)に旧庄内藩主・酒井家によって建てられた12棟の土蔵造り米保管倉庫のうち9棟は2022年まで現役の農業倉庫として使われていたそうです。
特徴的なのは樹齢150年を超える欅(ケヤキ)並木で,これは,夏の高温を防ぐために背後に植えられたもの。そして,倉庫群には湿気対策の二重屋根構造となっています。
現在は,庄内地方の米文化を象徴する建造物として,観光資源となっています。
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私は見ていないので知らなかったのですが,この場所は,NHK朝のテレビ小説「おしん」のロケ地で,第31話と第42話で登場します。

ところで,1976年(昭和51年)10月29日に市街地の中町2丁目にあった映画館「グリーンハウス」から出火した大火は酒田市の中心部を襲い,東京ドーム約5個分にあたる約22.5ヘクタール・1,774戸が焼失するという大災害でした。山居倉庫は火元からの距離と最上川沿いという立地で,幸い延焼を免れました。土蔵造りの堅牢な構造と欅並木が防火の役割を果たしたともいわれます。

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【Summary】
During a three-day trip to Yamagata, I revisited the region I first explored in 2022. Following my car’s navigation, I unexpectedly passed the grand red torii of Mount Haguro before reaching Yunozawa Onsen Jizo-no-Yu, a quiet hot spring inn offering superb local cuisine, sake Kudoki Jozu, and relaxing baths.

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私がはじめて山形県に行ったのは,2022年5月17日から5月19日でした。わずか2泊3日だったのにもかかわらず,山形市,天童市,米沢市,蔵王,出羽三山,最上川の川下りというように,ずいぶん多くのことを楽しみました。今回も2泊3日なのに,わずか3年前の旅に比べて,期間が短いように思うのはどうしてなのでしょう。
さて,思いもかけず,見どころがたくさんあった鶴岡市でしたが,そろそろ,今日の宿泊地である湯の澤温泉地蔵の湯に向かうことにしました。
どこにあるのか,どんなところなのか,ほとんど知らず,単に,温泉に入ることができて,夕食が食べられる小さな宿,というだけで予約したのですが,カーナビに従って走っていくと,羽黒山の大鳥居が見えてきて驚きました。それは,2022年にこの大鳥居を見ていたからです。私はこのとき山形県の東側だけを旅したと思い込んでいたのですが,鶴岡市まで足をのばしていいたのです。
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羽黒山の大鳥居は高さ約24メートル,幅約32メートルで,東北最大のスケールを誇る朱塗りの両部鳥居です。もともとは1929年(昭和4年)に吉岡鉄太郎さんが寄進したものを2018年(平成30年)に建て替えられ,今の姿になりました。鳥居の先には「神路坂」(かみじざか)とよばれる坂道が続いていて,そこを登ると羽黒山の神域へと入っていきます。
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この大鳥居をくぐり,羽黒山に行く途中で左折して進んでいくと,目的地の湯の澤温泉地蔵の湯に到着しました。
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湯の澤温泉「地蔵の湯」は静かな山間の温泉宿で,開湯は千数百年前とも伝えられています。
地蔵権現山の沢に湧くことから「地蔵の湯」とよばれ,出羽三山の羽黒山の麓に位置する霊験あらたかな湯治場として知られているそうです。 泉質はナトリウム塩化物泉です。
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他に宿泊者がおらず,山の幸・海の幸を使った料理も絶品で,地酒「くどき上手 純米大吟醸」も味わい,さらには温泉三昧,私には理想的な宿でした。
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「くどき上手 純米大吟醸」は,鶴岡市羽黒町にある,1875年(明治8年)創業の出羽三山の入口近くにある小さな蔵元・亀の井酒造が醸す,華やかでフルーティーな香りとまろやかな味わいが特徴の地酒です。
山田錦を使って精米歩合40パーセント,酵母は小川10号やM310を使用,アルコール度数は17パーセントから18パーセントということです。
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【Summary】
I visited the Tsuruoka Catholic Church and the Kazama family’s former residence “Heishindō,” and was impressed by the church’s East-West blend and the grandeur of the merchant’s mansion.

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想像していた以上に見どころの多かった鶴岡市,最後に 旧風間家住宅「丙申堂」(へいしんどう)に行くことにしました。その途中に,鶴岡カトリック教会天主堂があったので,寄ってみました。高さ23.7メートルの赤い塔屋が特徴的でした。教会はこども園を兼ねていました。
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鶴岡カトリック教会天主堂は国指定重要文化財の教会堂で,1903年(明治36年)に建てられました。
建設はフランス人宣教師ダリベル神父の寄付によって実現し,設計は同じくフランス人のパピノ神父によるものです。建てられた場所は庄内藩家老・末松十蔵の屋敷跡でした。
バジリカ型三廊式ロマネスク様式で,木造瓦葺きの教会建築としては東北最古のものです。ゴシック風の尖塔を持ちながら屋根には日本瓦を使うなど,和洋折衷の美しさが光っています。また,内部には日本建築の「折上格天井」が広がっていてるというように,寺院のような静けさと荘厳さが共存しているということです。
日本で唯一の「黒い聖母マリア像」が祀られ,ステンドグラスではなく「窓絵」となっています。
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ほどなく旧風間家住宅「丙申堂」に到着しました。
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旧風間家住宅「丙申堂」もまた国指定重要文化財で,庄内藩の御用商人として栄えた風間家の住居兼店舗だったところです。建てられたのは1896年(明治29年)で,干支が「丙申」だったことから「丙申堂」と名づけられました。
風間家はもともと越後の沢海藩の武士で,のちに呉服商人となり,酒田を経て鶴岡に定着。庄内藩の御用商人として大きく発展しました。明治時代には貸金業にも進出し,酒田の本間家に次ぐ大地主に成長しました。
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建物は案内つきで,とても親切でした。
約4万個の石を使った石置杉皮葺屋根が珍しく,耐震性も考慮された構造ということですが,かなりの重量のように思いました。住宅は,主屋を中心に,蔵が4つ,広大な板の間,大黒柱,さらに,約180畳の和室がありました。
東北地方には,こうした豪商の大邸宅が多く残っています。以前,大仙市でも見たことがあります。
映画「蝉しぐれ」のロケ地にもなった小座敷がありました。
見学後,道路を隔てて,風間家旧別邸「無量光苑 釈迦堂」があって,そこへも行ってきました。庭園が見事でした。

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The Dodgers are WorldSeries champions. 🎉

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十三夜の月と細い輪のある土星です。

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今晩のレモン彗星です。

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【Summary】
Tsurugaoka Castle Park in Tsuruoka features the Shōnai Shrine, honoring the Sakai lords, and the Fujisawa Shūhei Memorial Museum. Nearby stands the Daishōkan, a Taishō-era Western-style building, now a museum displaying local historical figures like Takayama Chogyū, Fujisawa Shūhei, and inventor Matsumori Taneyasu.

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鶴岡市に何がある? ということで,何も知らずやってきて,鶴ケ丘城跡あたりにすごく多くの見どころがあるのに驚きました。とはいえ,ゆっくりと見る時間もとっていなかったから,急いで回ることにしました。
まずめざしたのが鶴ケ岡城址公園でした。もともとは鎌倉時代初期に武藤氏が築いた大宝寺城がはじまりで,江戸時代に酒井忠勝が藩主として入部し,以後,酒井家が12代・約250年にわたって居城としました。
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城の構造は輪郭式平城で,土塁を多用し石垣は少なく,本丸・二の丸・三の丸が同心円状に配置されていました。庄内藩は譜代大名の名門ですが,庄内藩の政治的な立場や財政事情から,象徴的な天守は建てられませんでした。城下町の町割りは,今なお鶴岡市街地に残っています。
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鶴ケ岡城址公園の中心にあったのが荘内神社(しょうないじんじゃ)でした。荘内神社は,庄内藩主・酒井家の歴代当主を祀っています。1877年(明治10年)に旧領民の願いによって鶴ヶ岡城本丸跡に建立されました。御祭神は酒井忠次,酒井家次,酒井忠勝,酒井忠徳です。
その隣に,鶴岡市立藤沢周平記念館がありました。
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1927年(昭和2年)に生まれ,1997年(平成9年)に亡くなった藤沢周平は,鶴岡市出身の時代小説作家で,本名は小菅留治(こすげとめじ)といいました。
江戸時代の庶民や下級武士の哀歓を静かに,しかし,深く描いた作品を多く残しました。特に,架空の藩である海坂藩(うなさかはん)を舞台にした物語が有名です。代表作には「蝉しぐれ」「たそがれ清兵衛」「暗殺の年輪」などがあります。
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藤沢周平の作品は,庄内の風景や人々の暮らしが色濃く反映され,まるで静かな水面に広がる波紋のように淡々としていながら心に深く染みいるものです。

次に行ったのが,大宝館でした。
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大宝館は,大正初期の洋風建築で,赤い尖塔と白亜の外壁が印象的な建物です。
1915年(大正4年)に大正天皇の即位を記念して建てられたもので, 建物はバロック様式を模した洋風建築です。当初は物産陳列場として使われ,戦後は市立図書館になりました。その後,1988年(昭和63年)からは郷土資料館として公開されています。
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鶴岡市ゆかりの偉人たちの業績を紹介する郷土人物資料館として使われていて,高山樗牛(たかやま ちょぎゅう),藤沢周平,さらに「日本のダ・ヴィンチ」とよばれた松森胤保(まつもり たねやす)などの資料が展示されていました。

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【Summary】
During my trip, I realized how little I knew about Tsuruoka. Expecting little, I discovered a historic city with Tsuruoka Castle and many cultural sites. The highlight was Chidokan, a preserved Edo-era domain school promoting Sorai Confucianism. I was deeply impressed by the region’s proud heritage, respected Sakai family, and high cultural values.

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今回の旅でもまた,私の無知さが明らかになって,我ながら嫌になりました。
横綱柏戸記念館を出て,次に向かったのが鶴岡市でした。しかし,私は,鶴岡市に何があるのか,まったく知りませんでした。そもそも,鶴岡市と酒田市の区別さえわかっていませんでした。
唯一知っていたのは,酒田市には写真家の土門拳記念館があるということで,この日の残りの時間はそこに行ってから,今日の宿泊先に行こうと思っていました。2泊3日の旅ですが,この先の予定は未定でした。
カーナビの表示に従って,柏戸記念館から土門拳記念館に向かって走っていきました。
その途中で見つけたのが「雪の降るまちを」の碑でした。これは,NHKBS「にっぽん縦断こころ旅」で知っていましたが,放送されたのは,鶴岡公園にあったもののような? 私が見つけたのは,鶴岡市我老林野中川原の鶴岡市立斎小学校正門脇にあった雪の降るまちを発想の地碑でした。
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1952年(昭和27年)の冬,作曲家・中田喜直さんが鶴岡市を訪れたとき,深い雪の中,そりに乗って郊外の菅原邸からあつみ温泉の萬国屋へ向かう途中,その幻想的な雪景色にこころを打たれてメロディーがふっと湧き上がったのが,「雪の降るまちを」誕生のきっかけでした。
そこで,鶴岡市は「発想の地」としているのです。
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ということでした。

引き続き土門拳記念館に向けて走ります。午後3時くらいに到着する予定でした。
その途中,鶴岡市の中心部に差し掛かりました。私はびっくりしました。何もないと思い込んでいた鶴岡市の中心部には,鶴ケ岡城址公園を中心として,そのまわりに多くの見どころがありました。
方針変更です。ともかく,どこかに車を停めて,情報収集です。
そして,まず行ったのは「致道館」(ちどうかん)というところでした。
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「致道館」は,1805年(文化2年)9代藩主・酒井忠徳が創設した学問所で,論語の「君子学んで以て其の道を致す」からつけられたものです。
庄内藩は,藩校「致道館」において,荻生徂徠の徂徠学(そらいがく)を重んじ,朱子学とは異なる自主性や天性を重んじる教育を行っていました。
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現在,東北地方で唯一残る藩校建築として,聖廟,講堂,御入間,表御門などが現存し,無料で!公開されています。これはすごいと思いました。これまで,水戸藩の藩校「弘道館」へ行ったことがありますが,それ以上のところでした。この地の人の矜持を感じました。
徂徠学は,,江戸時代中期の儒学者・荻生徂徠が提唱した学問で,古文辞学ともよばれます。朱子学が道徳の修養を重視していたのに対して,徂徠学は政治的・実践的な学問を目指しました。
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●古典の原文重視 後世の注釈に頼らず四書五経を古代中国語で直接読み解こうとします。
●擬古主義の実践  秦漢の文や盛唐の詩を模倣し古人の心を体得する方法をとります。
●道徳より政治重視  朱子学の「道徳を守ればすべてうまくいく」という考えでなく,現実の政治に役立つ学問を目指します。
●人情の尊重  人間の自然な感情を抑えすぎる朱子学に対して「人情を大切にすべき」と考えます。
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江戸時代,現在の鶴岡市にある鶴ケ岡城は庄内藩の藩庁がありました。それに対して,隣の酒田市は,商人の町で, 豪商・本間家が農地解放による解体まで日本最大の地主と称された大庄屋。その財力を基礎に「本間様には及びもせぬがせめてなりたや殿様に」と謳われるほどの栄華を誇りました。
幕末の戊辰戦争では,庄内藩は東北諸藩最強でしたが,その強さの秘密は,豪商・本間家の支援,優れた装備,そして,戦術家・酒井玄蕃の存在にありました。また,藩主・酒井家と領民の結束が固いものでした。
徳川家康の重臣・酒井忠次を祖とする酒井家は庄内藩を治めた譜代大名の名門です。
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初代藩主・酒井忠勝は信州松代藩から庄内に移り,領民の生活安定を第一に考えた温厚な政治を行いました。
9代・酒井忠徳は藩校「致道館」を創設し,徂徠学を導入して教育改革を進めました。
10代・酒井忠器は「天保おすわり事件」で知られます。幕府の転封命令に対して領民が座り込みで抗議し命令を撤回させました。
13代・酒井忠篤は戊辰戦争で藩を率いて戦いました。敗戦後,領民たちが30万両を献金して領内によび戻しました。
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このように,酒井家はこの地で尊敬され,今も鶴岡市に住み続けていて,地元の人々から「殿さま」と親しまれているそうです。
酒井家の菩提寺は鶴ヶ丘城裏鬼門にある浄土宗の大督寺(だいとくじ)で,酒井家の墓所には,初代から17代までの酒井家当主と夫人の墓が45基あるそうですが,非公開です。
江戸時代の領主が領民にリスペストされ,今も菩提寺が大切にされているところは,文化水準が高いという私の考えが,この地で実現されていることに感動しました。

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【Summary】
The Kashiwado Memorial in Tsuruoka honors Yokozuna Kashiwado Tsuyoshi, a childhood hero. Born in 1938, he became yokozuna in 1961 and, with Taiho, defined the “Kashoho Era.” Known for powerful but injury-prone sumo, he retired to coach. Opened in 2004, the quiet museum displays his ring and legacy.

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斎藤茂吉記念館を出て,次は,柏戸記念館です。
このごろは地図を見て走るのも面倒になってきたので,すべてカーナビ任せですが,そもそも,この国の高速道路はよくわかりません。多くの場所で建設中,しかも,有料なのか無料なのかさえ定かでなく,カーナビのいうままに走るしかないのです。ネットで情報を調べてもわかりにくく,さらには情報が古かったりと,何を信じていいのやら…。
ともかく,がらがらの高速道路をのんびりと走っていくことにしました。
ちょうどお昼どきだったので,サービスエリアを見つけたら昼食をと思っていましたら,寒河江(さがえ)ハイウェイオアシスを見つけたので,車を停めました。
食堂は多くのお客さんで賑わっていました。せっかくだから,山形名物の板そばを注文しました。

やがて,横綱柏戸記念館に到着しました。
  ・・・・・・
昭和の相撲界を彩った47代横綱柏戸,柏戸剛(かしわど つよし)は,1938年(昭和13年)に果樹園を営む豪農の家の次男として現在の鶴岡市である東田川郡山添村に生まれ,地元大会での活躍が伊勢ノ海部屋の目に留まり,スカウトされて入門しました。
1954年(昭和29年)に初土俵,1958年(昭和33年)に新入幕。1961年(昭和36年)には初優勝を果たし,同年横綱に昇進しました。
48代横綱大鵬とともに「柏鵬時代」とよばれる黄金期を築きました。
  ・・・・・・
私の少年時代の英雄です。当時,「巨人・大鵬・卵焼き」といわれましたが,私は,巨人は嫌いだったし,大鵬より柏戸でした。

突っ張りと右四つ,寄りが得意の速攻相撲でしたが,勝っても負けても転ばない大鵬とは正反対に,勝っても負けても転ぶので,ケガが絶えませんでした。取り組みを見ているといつもハラハラしました。生涯戦歴は715勝295敗140休,引退後は年寄「鏡山」として鏡山部屋を創設し,日本相撲協会の理事や審判部長を務めましたが,1996年(平成8年)58歳で亡くなりました。
鶴岡市名誉市民であり,山形県民栄誉賞の第1号受賞者である横綱柏戸の偉業を後世に語り継ぐために,故郷・山形県鶴岡市櫛引(くしびき)地域に横綱柏戸祈念館が,2004年(平成16年)に建てられました。東京江戸川区にあった旧鏡山部屋の稽古土俵や上がり座敷をそのまま移築,さらに,栄光の証や秘蔵資料の展示がありました。とはいえ,今や,歴史上の人。訪れている人もおらず,寂しいものでした。

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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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【Summary】
I visited the Mokichi Saito Memorial Museum at last and, in its serene setting overlooking the Zao mountains, encountered his life and original works. The grief and depth in his collection Akaikō, especially poems on his mother’s and mentor’s deaths, left a strong impression. I truly felt the value of coming.

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2022年5月,はじめて山形県を旅したとき,上山(かみのやま)市にある斎藤茂吉記念館を知りました。しかし,あいにく水曜日で休館でした。せっかく来たのに残念でした。そこで,今回,ぜひ行ってみたいと,今回の旅の目的地である鶴岡市と酒田市からは別方向でしたが,車で20分程度,ということだったので,行ってみることにしました。
  ・・・・・・
斎藤茂吉は1882年(明治15年)生まれの歌人・精神科医です。現在の山形県上山市金瓶(かんべい)の農家に生まれ,14歳で東京に出て精神科医・斎藤紀一の養子となり東京帝国大学医学部を卒業。精神科医として働きながら文学に情熱を注きました。短歌雑誌「アララギ」の名をとったアララギ派の中心人物として,技巧よりも実感や真情を重んじ写生を重視する「実相観入」という独自の歌論を唱え自然や人間の心を深く見つめる作品を多く残しました。
  ・・・・・・
1965年の十三回忌をきっかけに記念館の構想がはじまり。1968年(昭和43年)に上山市立として開館した斎藤茂吉記念館は生まれ故郷の金瓶の南の丘みゆき公園の中に建てられています。東に蔵王連峰を望む風光明媚な場所です。現在は,公益財団法人が運営する公立博物館です。
駐車場から進むと,JR奥羽本線の陸橋を渡ることになりますが,眼下に茂吉記念館前駅という駅が見えます。館内には,斎藤茂吉の直筆の書画,原稿,書簡などが展示されていて,なかなかのものでしたが,写真を撮ることはできませんでした。
建物の外には,晩年を過ごした自宅の一部や箱根から移築された勉強部屋も再現されていました。

斎藤茂吉の代表作・歌集「赤光」は,1913年(大正2年)に刊行されたものです。834首,のちの改選版では760首がおさめられています。「赤光」は仏教経典「仏説阿弥陀経」の一節「赤色赤光」から取られていていますが,これは,子どものころに耳にしたお経の響きが背景ということです。
「赤光」に載る短歌は,母いくの死(1911年)や師・伊藤左千夫の死(1913年)から,深い悲しみと喪失感が込められています。
  ・・・・・・
 のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて 足乳根の母は死にたまふなり
  ・
 ツバメの鮮やかな喉の赤と母の死という重い現実が並べられ生と死の対比がみごとです。
  ・・
 あかあかと一本の道とほりたり たまきはる我が命なりけり
  ・
 「一本の道」が人生そのものの象徴として描かれ,命の力強さと孤独さが凝縮されています。
  ・・・・・・
以前書いたことがありますが,私は,斎藤茂吉の偉大さを,次男の作家・北杜夫から知りました。
この美しい館内で,斎藤茂吉の深い精神性を感じることができました。わざわざ来てよかったと思いました。

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【Summary】
From Nagoya Airfield, I flew to Yamagata Airport with FDA. Most passengers were business travelers, and I was seated next to young employees on a company trip. After arrival, I rented a Prius and headed first to the Mokichi Saitō Memorial Museum in Kaminoyama.

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2025年10月16日,1日目です。
私の愛するFDA。県営名古屋空港からは,丘珠空港,青森空港,花巻空港,おいしい山形空港,新潟空港,出雲縁結び空港,高知龍馬空港,福岡空港,熊本空港という,列車では行きにくいところに就航していて,重宝しています。もし,こういった路線がなかったら,東北地方や山陰地方,そして,四国地方に行くことは難しかったことでしょう。
さて,今回は,おいしい山形空港までですが,出発時間が午前9時15分,そして,帰りの出発時間が午後3時50分というように,行きは遅く,帰りは早いので,滞在時間が少なくなるのが欠点です。どうして何だろう? それはともかく,県営名古屋空港に着いてみると,ターミナルにいた乗客のほとんどが平日の午前ということでビジネス客でした。私のような浮かれた観光気分の不良老人は浮いてしまいます。

定刻に離陸して,わずか1時間ほどでおいしい山形空港に到着です。私は,行きは後方座席,帰りは前方座席に座るのですが,今回の行きの機内は,私の周りは若い人たちの集団でした。隣に座った女性に聞いてみると,職場旅行で山形県と宮城県へいくのだとか。それにしても,平日に職場全体で親睦旅行ができるとは,いったいどんな会社なのでしょう?
そんなこんなで,親しくお話をしていたら,すぐに到着してしまいました。
小さなおいしい山形空港ですが,ここはアクセスが不便なところで,以前,天童市に行こうと思って利用したときに,交通手段がタクシーしかない,というので愕然としました。今回はレンタカー。レンタカー会社のカウンタは空港内にあって,しかも駐車場も隣で,便利でした。青森空港のように混み合うことにもなく,すぐに借りることができました。予約をしていた車種がないということで,無償グレードアップされて,プリウスを借りることができました。燃費がよくて助かります。
まず目指したのが上山市の斎藤茂吉記念館でした。


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【Summary】
This three-day trip to Tohoku, mainly the Shonai area in Yamagata and including visits to the Mokichi Saito Memorial Museum and Esashi-Fujiwara Heritage Park, was poorly planned but ultimately very rewarding.

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2025年10月16日から10月18日まで2泊3日で東北地方を旅行してきました。今回の目的地は,山形県の日本海側,江戸時代庄内藩(酒田藩)だったところです。ここにあるのは,鶴岡市と酒田市,そして,行きたかったのが,横綱柏戸記念館と土門拳記念館,なかなか渋いでしょう。
私はこれまで,山形県は何度か行きましたが,日本海側には行ったことがなく,一度訪れてみたいものだと思っていました。しかし,どうやって行けばいいのかよくわからずにいました。色々と考えた結果,今回は,FDAで県営名古屋空港からおいしい山形空港まで行って,そこでレンタカーを借りることにしました。
そんな計画を立てていて,そういえば,以前,上山市の斎藤茂吉記念館に行ったときちょうど休館で入れなかなったことを思い出し,せっかくだからそこへも行ってみようと思いました。さらに,かねてから大河ドラマのロケ地として有名な「えさし藤原の郷」へも行きたかったのですが,なかなか行くことができずにいました。今回の目的地からは遠いのですが,この機会を逃したら,今度いつ行けるかわならないので,いっそ,そこまで足をのばそうと考えました。
そんなわけで,かなりの長距離ドライブとなりますが,アメリカ大陸を走ることに比べれば大したこともないと言い聞かせ,これだけの場所に行くことにしました。

とはいえ,いつものこと,下調べをする気にもならず,行ってみればなんとなかるだろう,という安易な考えで出発することにしました。その前に,ともかく,どこかに泊らないといけないので,これもまた,いつもの常で,小さな宿で,温泉があって,夕食と朝食がついていて安価なところ,という条件で検索して,1日目は湯の澤温泉,2日目は薬師堂温泉というところを,何とか探し出しました。
あとは天気だけですが,今回は,博物館などが中心なので,それほど天気に関しては心配していませんでした。実際は,1日目が雨。2日目は快晴,3日目は降りそうで降らないという結果となりました。以前は自他ともに認める晴れ男,どうやっても晴れたのですが,近ごろはその神通力もなくなってしまい,毎回,傘のお世話になるようです。というか,日本は天気の悪い国だとつくづく思います。
そのようなわけで,ずさんな計画で出発したのですが,結果として,なかなかおもしろい旅になりました。それにしても,東北地方は奥が深いものだと,今回も痛感しました。

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【Summary】
I visited Aomori and was satisfied with the trip, especially enjoying local food again. I found Hachinohe confusing, with no clear city center and complex bus routes, and hope to stay there next time to understand it better.

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これまで行くことができなかったところに行こう,ということでやって来た青森県ですが,そのほとんどを達成することができました。
すっかり満足して,青森空港にもどりました。
帰りは,午後7時30分発と遅いので,空港の食堂でゆっくり食事をして,そのあとラウンジで時間をつぶしました。
はじめて青森県に来たのはわずか2年前ですが,そのときに食べたのを思い出して,食事は,ふたたび,青森県のソウルフードである味噌カレー牛乳ラーメンにしました。なつかしい味がしました。
今回もいい旅になりました。

最後に。
青森県は西側の旧津軽藩であった津軽地方と東側の旧南部藩であった南部地方で,方言や文化などが大きく異なります。
戦国時代,青森県と岩手県の北部は南部家の支配下にありましたが,南部家の家臣として津軽地方の統治を任されていたのは津軽家でした。安土桃山時代になったころ,南部家で起きた相続争いに巻き込まれた津軽家は,謀反の疑いをかけられたのですが,このピンチを独立のチャンスととらえ,反旗を翻して,豊臣秀吉に働かけて本領を安堵してもらい,南部家から独立を果たしました。それ以来,津軽家と南部家は対立するようになり,400年にわたる確執がはじまりました。
関ヶ原の戦いで,ともに徳川方に味方したことで本領が安堵され,江戸時代,青森県の西側は津軽家が統治する津軽藩(弘前藩),東側は南部家の統治する南部藩(盛岡藩)となりました。
津軽家はもともと南部家の家臣だったので,南部家からみれば津軽家は「主家に反逆した裏切り者」とり,津軽家からみれば,南部家とは対等な立場となります。そこで,津軽藩が南部藩から格下と見られることは許せるものではありません。

南部地方の最も大きな都市は八戸市です。
津軽地方から車で走っていくと,明確にその違いを感じます。リンゴ畑がおおい津軽地方から田んぼがほとんどの南部地方では気候も全く異なります。また,八戸市は,知らずに行くと戸惑うことが多々あります。簡単に言うと,どこが中心なのかわからないということです。新幹線の八戸駅は,市街地から5キロメートルほど西に離れていますし,もともとの中心地は,現在,本八戸駅という名前に変わっていて,そこに市役所があるのですが,繁華街はそこから少し歩く必要があるのです。
今回,太平洋の海岸線まで行ってみて痛切に感じたのですが,八戸市は青森市のある西側からアクセスするのではなく,岩手県から北上したほうが便利だということでした。

次のようなことが書かれたブログを見つけました。
  ・・・・・・
私(ブログの筆者)が八戸を訪れて最初に感じたのは,バス路線のわかりにくさだった。バスの路線は町の中心にあるターミナルを中心として放射状に広がっているものだが,八戸市は中心街にターミナルがなく,郊外を出発したバスが中心街を通り,別の郊外へと去っていくというパターンで運行されていて,はじめての人にとって非常にわかりにくい。
なぜそのようになっているかというと,八戸という都市の構造に問題があるからだ。まず,八戸市には市の代表とよべる駅がない。八戸駅は新幹線が乗り入れているにもかかわらず町外れで,駅前には何もない。では,中心街はどこにあるかというと,八戸駅から八戸線というローカル線に乗って2駅目の本八戸という駅の周辺になる。しかし,本八戸駅は列車の本数も少なく,市の代表駅には相応しくない。また,駅前広場も狭く,バスが沢山集まってくることができない。本八戸駅付近には市役所などの行政機関が集まっているが,中心市街地の範囲は狭く,デパートも閉店し,その敷地跡が空地になっていたりする。さて,八戸市といえば,巨大な漁港が有名だが,海岸へいくと,無機質な防潮堤が冷たく視界をふさいでいる。
  ・・・・・・
実際に行ってみると,この意見はもっともだと感じてしまいます。
とはいえ,私は,八戸市へ2度行っただけなので,まだ,本当のところはよくわかりません。機会があれば,今度は,八戸市に宿泊して,実際はどうなのか知りたいものだと思いました。

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Thank you for coming 444,444+ blog visitors.

ブログをはじめて148か月・4,443回の更新で,総訪問者数が44万4,444となりました。
読んでいただいて,どうもありがとうございます。


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【Summary】
While traveling without much prior research, I visited Hachinohe and learned that Hachinohe Castle was the seat of the Hachinohe-Nanbu clan, while the restored Ne Castle had earlier been home to the Nejo-Nanbu clan, offering deep historical insights despite its modest appearance.

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私は,日本各地を旅すると,江戸時代,その地を支配した殿様に興味があるので,城や菩提寺を訪ねることにしています。では,八戸市はどうなのかな? きっと八戸市には八戸城があったのだろう,と思いました。それもこれも,いつものように下調べをせずに旅をしているから,適当なのです。
ということで,前回,八戸城跡を見つけて行ってみたのですが,そこは単なる公園になっていただけでした。のちに,八戸市には,八戸城跡ではなく根城跡というのがあって,そちらはきちんと整備されていると知りました。そこで,今回,改めて行ってみました。

  ・・・・・・
八戸の地には,南北朝時代から江戸時代初頭までの約300年間にわたって根城に城を構え八戸地方を支配していた「根城南部氏」がいましたが,「根城南部氏」は,1627年(寛永4年)に南部氏27代で盛岡藩初代藩主・南部利直の命により遠野へ移封されてしまい,南部利直は八戸を盛岡藩の直轄地として,自らが縄張りをして城塁を築き,町割りをはじめました。
1664年(寛文4年),南部家28代で盛岡藩2代藩主・南部重直は,跡継ぎを決めずに急死してしまいましたが,南部重直のふたりの弟・南部重信と南部直房が,幕府から家名の存続を認められ、遺領10万石のうち,8万石は南部重信に,2万石は南部直房に与えるとの命により,南部重信は盛岡藩を継ぎ29代藩主となり,南部直房は現在の八戸市内丸に八戸城を構え居城として「八戸南部氏」となり八戸藩2万石が誕生しました。
  ・・・・・・
私が前回訪ねた八戸城跡は「八戸南部氏」の居城だったわけです。

それ以前に支配していた「根城南部氏」の居城だったのが根城で,その場所が復原されているのです。このようにして,八戸市には,現在,根城跡と八戸城跡があるのですが,そのうちで,根城が復元されたのは,中世の城郭の姿をはじめて再現したという点で歴史的価値が高いと評価されたためということです。
根城は,本丸をはじめ中館,東善寺館,岡前館,沢里館など堀で区画された8つの郭となっていて,本丸からは門,橋,馬屋といった多くの建物跡や生活用具が発見されました。現在は,それらが復元されていて,見学することができました。
歴史好きには興味深い場所ですが,何せ,天守があるわけでもなく,豪華な御殿があるわけでもないので,観光名所としてはインパクトが弱く,来ている人はほとんどいませんでした。私には,それがまたよかったのですが…。
また,根城に隣接して,八戸市博物館があって,そちらもまた,魅力的なところでした。

南部氏は,もともとは甲斐の出身で,鎌倉時代は幕府の御家人として活躍し,やがて南北朝時代に北東北へ拠点を移しました。
一族には,三戸南部氏や根城南部氏,九戸氏,新田氏などがあり,ときに協力しときに反発し合い,主導権争いを繰り返していました。
戦国時代には,豊臣秀吉の小田原征伐に参陣した南部家26代・南部信直は,三戸南部氏の下に勢力を結集させ生き残りを果たしました。
このように,南部藩は多岐にわたり,八戸市には,今回私が訪れた根城南部氏の根城がありますが,さらに,今回は行くことができませんでしたが,南部氏のルーツである南部町には,1539年(天文8年),南部家24代・南部晴政の代に焼け落ちた「聖寿寺館」(本三戸城)」の跡や桃山建築の様式がそのままに取り入れられた「南部利康霊屋」,三戸町には聖寿寺館の後に南部宗家の居城となった「三戸城」の跡があります。
というように,八戸市とその周辺は,私にはとてもおもしろいところなのですが,どこが中心なのかよくわからず,詳しいガイドブックもなかなか見つからず,広すぎて把握しづらく,観光するにはいろいろ下調べが必要のようです。青森県の旅はこれで最後にしようと思っていましたが,また,新たな興味が湧いてきました。

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【Summary】
I visited Hachinohe and was surprised by its industrial character but later discovered Kabushima Shrine and Tanesashi Coast. Visiting during the gull nesting season, I found the scenery beautiful but smelly. I now hope to return, traveling north along the coast from Iwate.

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青森県が西部と東部で異なった文化圏であるというのは誰しもがいうことですが,私はこれまで西部についてはほぼすべての場所に行ったのですが,東部にはほとんどなじみがありませんでした。前回はじめて八戸市に行ってみたのですが,市街地と鉄道の駅が離れていたり,思った以上に工業地帯だったりして,おどろきました。
その程度の印象だったのですが,テレビの旅番組で蕪嶋神社(かぶしまじんじゃ)という場所をしって,は八戸市にはこのような観光地があるということをはじめて知りました。そして,今回は行ってみようと思っていました。
  ・・・・・・
蕪嶋神社は,蕪島に鎮座する神社で,主祭神として市杵島姫(いちきしまひめ)を祀っています。市杵島姫は弁財天と習合され,商売繁盛や漁業安全,財運向上の神として信仰を集めています。
蕪島は,かつて小さな島でしたが,埋め立てにより陸続きとなり,現在は市街地からもアクセスしやすい場所にあります。また,神社の創建時期については明確な記録が残っていませんが,古くから地元の漁師や商人たちの信仰を集めてきました。特に「蕪」(かぶ)という地名が「株」と同じ読みであることから,株価や人望の「かぶ」にも通じるとして,投資家やビジネスマンの間でも縁起のよい神社として知られています。
  ・・・・・・

蕪島物産販売施設「かぶーにゃ」というところがあったので,まず,ここで昼食をとりました。そして,蕪嶋神社に向かいました。
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蕪島はウミネコの繁殖地としても有名で,春から夏にかけて多くのウミネコが飛来し,島全体が白く染まるほどの光景が広がります。ウミネコの鳴き声が響き渡り,訪れる人々に季節の訪れを感じさせます。
  ・・・・・・
ということで,私が訪れた時期はまさにウミネコだらけでした。それはそれでいいのですが,いたるところにフンが。置いてあった傘をさして階段を登らないと悲惨なことになるのでした。また,それが臭いこと。蕪嶋神社は遠いところから景観を眺めるに限るのでした。

その後,太平洋岸に沿って,南に走りました。そのあたりは種差海岸(たねさしかいがん)といいます。幸い天気にもめぐまれ,その海岸線の美しさは類を見ないものでした。
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種差海岸は八戸市鮫町棚久保にある三陸復興国立公園内の海岸で,国の名勝地に指定されています。
海沿いの遊歩道を散策すると,天然芝生,奇岩怪石,樹齢100年もの松林など,変化に富んだ自然美が楽しめます。
種差海岸は,荒波による浸食でできた奇岩や海食崖など,変化に富んだ景観が特徴です。
650種を超える植物が自生し,季節ごとに多彩な花々が咲き誇る「花の渚」としても知られていますが,特に,初夏から秋にかけては種差天然芝生地の緑が美しく,ニッコウキスゲやハマギクなど四季折々の花々が咲き誇ります。
  ・・・・・・
まさにベストシーズンでした。
どうやら,ここは,青森県というより,岩手県。津軽地方よりも南部地方に近い場所だということが行ってみて実感できました。また来ることがあれば,今度は岩手県から海岸沿いを北上してみたいと思いました。

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【Summary】
In May 2025, I finally rode the Hakkōda Ropeway, which I had missed on previous trips due to bad weather or lack of knowledge. Though the hiking trails were still closed due to snow, the breathtaking view from the summit was unforgettable. I also visited the Snow March Memorial, honoring soldiers lost in the 1902 Hakkōda Mountains incident.

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今回,やっと八甲田ロープ-ウェイに乗ることができました。はじめて青森県を旅した2023年5月は,酸ヶ湯温泉に宿泊したものの,八甲田ロープウェイの存在すら知らなかったので,乗ることができませんでした。そもそも,そのときは,酸ヶ湯温泉が八甲田山麓にあることすら知らなかったのです。
私は,八甲田山というのは,新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」とそれを原作とする日本映画でしか知らず,険しく,人を寄せつけないところ,という印象だったので,ロープウェイがあるなど思ってもいませんでした。
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「八甲田山死の彷徨」は,1902年(明治35年)に青森に駐屯していた歩兵第5連隊が雪中行軍の演習中に遭難し,演習に参加した210人中199人が死亡した事件(=八甲田雪中行軍遭難事件)を題材にした作品です。
  ・・・・・・

帰ってから,八甲田ロープウェイがあることを知り,2024年7月に行ってみたのですが,悪天候で運休していて乗ることができませんでした。
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昨年「酸ヶ湯温泉」に行ったときはその存在すら知らず行くことができなかった八甲田ロープ-ウェイに乗ることにしました。山の中を延々と走っていって,やっとロープ-ウェイ乗り場に着いたのですが,この日も運休でした。まったくツイていません。八甲田ロープ-ウェイはずっと運行しているのではないかと思ったのですが,私に縁がないだけのようでした。また来いよ,といっているのでしょう。 こうなったら,八甲田ロープ-ウェイに乗ることができるまで,何度でも青森に行ってみよう! と決心するのでした。
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と昨年書きました。
今回の旅でもあきらめていたのですが,何と何と,この日2025年5月13日は朝から快晴でした。
この旅では,この日は八戸市から太平洋岸に行くことにしていたので,ずいぶんと迷ったのですが,これを逃したら今度このチャンスがいつ来ることができるかわらない,と思い直して,ともかく八甲田ロープウィに乗ることにしたのです。

早朝,宿泊していた黒石温泉郷落合温泉「かねさだ旅館」をチェックアウトして,八甲田ロープウェイ山麓駅に向かいました。始発は午前9時でこれに乗ることにしました。
始発とはいえ,けっこうな乗客がいました。また,常連のスキー客もいました。八甲田ではこの時期でも雪があって,スキーが楽しめるのです。何といっても,日本一の豪雪地帯です。
ロープウェイで約10分,山頂駅に着きました。ここでハイキングコースがあるのですが,今年は雪が多く,まだ,ハイキングコースは閉鎖されていて,歩くことができず,山頂駅の周りを少しだけ散策できただけでした。しかし,雄大な景色に魅了されました。
  ・・・・・・
八甲田山という山はなく,標高1,625メートルの岩木山に次ぐ高さを誇る標高1,585メートルの大岳(おおだけ)を主峰とする18の山々からなる複数火山の総称です。
東北地方の脊梁(せきりょう=山の連なり)・奥羽山脈の北端で,青森県のほぼ中央にあって,約20キロメートル南には十和田湖が位置します。
  ・・・・・・

八甲田ロープウェイを降り,ついでに,雪中行軍遭難記念像に寄ってみました。
これは,八甲田雪中行軍遭難事件で,旧陸軍の青森歩兵第5連隊第2大隊210人が吹雪に遭い遭難したとき,雪の中に仮死状態で立つ兵士の姿(後藤房之助伍長といわれている)を捜索隊が発見し,救援活動のきっかけになったと伝えられているのを全国の将校たちの寄付によって,靖国神社の大村益次郎像などを製作した大熊氏広により創られ,馬立場の頂上に高さ7メートルの歩兵第5連隊遭難記念碑として建立し霊を慰めたものです。

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【Summary】
In this trip, I stayed at Kanesada Ryokan in the quiet, historic Ochiai Onsen. Though I originally hoped to stay at Yamani Senyukan, I was very satisfied with the peaceful atmosphere, private bath, and excellent meals—just the kind of lodging I seek while traveling.

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今回の旅で,津軽地方では行きたかったところはすべて行くことができました。この日の宿は黒石市の落合温泉「かねさだ旅館」でした。
実は,私が泊まりたかったのは,大鰐温泉の「ヤマニ仙遊館」だったのです。
  ・・・・・・
「ヤマニ仙遊館」は,大正時代の風情と太宰治の足跡を体験できます。
ここでは,大正ロマンが息づくレトロなお風呂でリラックスしたり,太宰治が滞在したとされる部屋で静寂を楽しんだりできます。
  ・・・・・・
というのが理由でした。
しかし,予約が取れず,変更したのです。いずれにしても,黒石市郊外の温泉郷にも泊ってみたかったから,それはそれで満足でした。また,黒石市郊外の温泉郷でランプの宿として有名な「青荷温泉」がありますが,そこは前回,日帰りで入浴したので,パスしました。いずれにしても,観光客が多いところは泊まりたくありません。

黒石市に向かう途中で,「平舘不老ふ死温泉」のあたりを通ってみました。深浦町の黄金海岸にも「不老ふ死温泉」があって,よく混同されますが,そちらはすでに泊ったことがあります。
  ・・・・・・
不老ふ死のいわれはおよそ2,200年前,中国・秦の始皇帝が不老長寿の仙薬をもとめ, 家臣徐福を遥か東の海に浮かぶ蓬莱の島に派遣しました。この島こそ日本列島であったといわれ,徐福はその時に当地も訪れたと伝えられていて,「平舘不老ふ死温泉」は,創始者がこの伝説にちなみ 「この湯にひたりいつまでも健康で長生きしていただきたい」という願いをこめて名づけたものです。
温泉は300年も前からあったといわれ,津軽半島で最も古い温泉です。
  ・・・・・・
ということで,今回は宿泊しませんでしたが,いつか泊まってみたいものだと思っています。

やがて,黒石市に到着しました。黒石市の市街地は前回訪れました。
黒石市は,なぜか,青森県に来るたびに通ったことがあり,大きな「津軽こけし館」の看板が掲げられているのですが,これまで訪れたことはありませんでした。
  ・・・・・・
黒石市は自然と歴史が調和した素敵な街。伝統的な温泉地や「津軽こけし館」などがあります。
1982年(昭和57年)に開館した「津軽こけし館」は,津軽地方に伝わるこけしの伝統文化を保存し,広めるために設立されたので,伝統的な津軽こけしや地元の文化に触れることができるところです。
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見学してわかったのですが,黒石市とこけしというのは,けっこう無理やり結びつけた感があって,おそらく町おこしとして考えたもので,1億円創生事業で金と銀のこけしを展示したときはかなりの観光客が訪れたのですが,それも今は昔のことで,さびれた感も半端でありませんでした。

この日に泊る落合温泉は,小さな温泉地で,歴史ある雰囲気が漂っていて,その静かな環境がとても魅力的でした。「かねさだ温泉」は,カルシウムやナトリウムを含む硫酸塩・塩化物泉が特徴で,リウマチや神経痛、冷え性などに効果があるということです。
落合温泉もまた,さびれた感があって,宿泊客はわたしひとりでしたが,そのため,温泉も独占できたし,何といっても,食事も豪華で,大変満足しました。
私が旅先で理想とするのは,こういう宿なのです。

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【Summary】
I couldn’t visit Gikeiji Temple last time due to steep stairs, learned later that it’s accessible via Ajisai Road without climbing. This time, I visited by car. Though the temple was quiet and simple, the view from its grounds was magnificent.

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昨年来たとき,三厩の高台あった義経寺(ぎけいじ)に行くことができませんでした。それは,義経寺へ行くには,かなりの階段を上る必要があったからでした。
帰ってから地図を見ると,海岸に沿って国道339号線を走るのではなく,高台に並行して県道281号線「あじさいロード」を走れば,義経寺へは,登らずとも行くことができたということがわかりました。
そこで,今回,行ってみることにしたのです。
以前のブログに次のように書きました。

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奥州平泉で最期を遂げたとされる源義経は,実はその後も存命し,さらに北へと逃避行を続け最後は蝦夷地へと渡ったという伝説があります。蝦夷へ渡ろうとした源義経は,海が荒れていたため船を出すことができませんでした。老人が現れ「三頭の竜馬を与えるのでそれで海を渡るとよい」と告げられます。すると,岩窟にいた3頭の駿馬を得ることができて,て無事に蝦夷へ渡ることができたたという。これが三厩の地名の由来です。
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源義経の伝説から500年ほど経った1667年(寛文7年)にこの地を訪れた円空は,源義経ゆかりの厩石に上り,そこで小さな観音像を見つけました。それが源義経の守り本尊であることを知り,円空は観音像を彫り上げ,厩石を見下ろす小高い丘の上に庵を結びました。これが義経寺のはじまりとされます。
  ・・・・・・
義経寺は,源義経が奥州へと落ち延びる途中に立ち寄った場所とされ,その際に建てられたお寺が義経寺,ということです。

「あじさいロード」を走っていくと,義経寺の広い駐車場に着きました。車を停めて外に出ました。義経寺は駐車場から少し下がったところにありました。
海岸を走る国道339号線から見上げた義経寺はさぞかしすばらしい寺だろうと思っていたのですが,実際に行ってみると,観光客もおらず,静まり返った古刹に過ぎませんでした。
ただし,寺の境内からの景色はすばらしいものでした。

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【Summary】
During my visit to Cape Tappi, I decided to walk the “Staircase National Highway” — a unique pedestrian-only section of Route 339 with 362 steps. Climbing was tough but rewarding, offering views of the port below. I made it to the top and descended smoothly while filming.

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せっかくここまで来たのだからということで,今回私はあるひとつのことを達成しようと思いました。
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「階段国道」は,青森県外ヶ浜町の龍飛岬にある国道339号線の一部で,車両が通行できない階段状の国道です。全長388.2メートル,362段の階段が続くこの区間は,日本で唯一の「歩行者専用の国道」として知られています。
もともとは地域住民の生活道路として存在していましたが,国道指定時にこの区間も含まれ,そのまま残されたことで「階段国道」として有名になりました。
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ということで,それは,前回は歩く気力もなかった階段国道を歩いてみよう,ということでした。おそらくこの機会を逃せば,二度とその機会はないだろうと思ったからです。

階段国道は上側と下側のどちらにも車を停めるスペースがあるのですが,上れば降りるしかなく,降りれば上るしかありません。ということで,私は,先に登って降りてくるほうを選びました。
果たしてどのくらいかかるものか? とにかく行ってみるしかありません。
標高差は約70メートル,15分程度,ということでした。下から見上げると,高台にあるのが,前回宿泊した「龍飛岬温泉ホテル竜飛」でした。また,階段を上る途中で眼下を見ると,龍飛岬の先端にある龍飛漁港が見られます。
上るのはけっこう大変でしたが,なんとかたどり着きました。降りるのはそれほどのこともなく,動画を撮りながらあっという間に降りきることができました。

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【Summary】
ChatGPT: In July 2024, I visited Cape Tappi and learned about the former Okutani Ryokan, which I hadn’t known beforehand. It was closed by the time I arrived, but unexpectedly, I returned less than a year later and was finally able to enter. Deeply moved, I even received a souvenir badge from the staff.

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龍飛岬の手前に,観光案内所(旧奥谷旅館)があります。 ここは,太宰治が「津軽」執筆の折に親友N(中村貞次郎)君と泊まった宿です。
奥谷旅館は,1902年(明治35年)に創業し,1999年(平成11年)まで営業していました。この旅館は,津軽三味線の大家・高橋竹山や作家・太宰治,版画家・棟方志功など,多くの著名人が宿泊したことで知られています。
現在、奥谷旅館は廃業し、「龍飛館」として観光案内所に生まれ変わりました。館内では、太宰治が宿泊した部屋の再現や、棟方志功の作品紹介、竜飛岬を題材にした絵画や映画・ドラマの資料などが展示されています1。また、太宰治の小説『津軽』にもこの旅館が登場し、彼と親友が宿泊した際のエピソードが描かれています。持ち主である奥谷福太郎さんと隣接する土地の人達によって外ヶ浜町へ無償譲渡され,2008年(平成20年)に龍飛岬観光案内所として生まれ変わり,今も現存するのです。
ここには,太宰治をはじめとして,数多くの作家や画家の筆跡が残る宿帳や,当時の龍飛にまつわる記録資料,著名人がしたためた色紙や作品など,貴重な文化遺産が展示されています。
太宰治が泊まった部屋も復元・公開されています。

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露路をとほつて私たちは旅館に着いた。お婆さんが出て来て,私たちを部屋に案内した。この旅館の部屋もまた,おや,と眼をみはるほど小綺麗で,さうして普請も決して薄つぺらでない。まづ,どてらに着換へて,私たちは小さい囲炉裏を挟んであぐらをかいて坐り,やつと,どうやら,人心地を取かへした。
「ええと,お酒はありますか。」N君は,思慮分別ありげな落ちついた口調で婆さんに尋ねた。答へは,案外であつた。
「へえ,ございます。」おもながの,上品な婆さんである。さう答へて,平然としてゐる。N君は苦笑して,
「いや,おばあさん。僕たちは少し多く飲みたいんだ。」
「どうぞ,ナンボでも。」と言つて微笑んでゐる。
私たちは顔を見合せた。このお婆さんは,このごろお酒が貴重品になつてゐるといふ事実を,知らないのではなからうかとさへ疑はれた。
「けふ配給がありましてな,近所に,飲まないところもかなりありますから,そんなのを集めて,」と言つて,集めるやうな手つきをして,それから一升瓶をたくさんかかへるやうに腕をひろげて,「さつき内の者が,こんなに一ぱい持つてまゐりました。」
「それくらゐあれば,たくさんだ。」と私は,やつと安心して,「この鉄瓶でお燗をしますから,お銚子にお酒をいれて,四,五本,いや,めんだうくさい,六本,すぐに持つて来て下さい。」お婆さんの気の変らぬうちに,たくさん取寄せて置いたはうがいいと思つた。「お膳は,あとでもいいから。」
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昨年2024年7月上旬に龍飛岬に来たときは,来るまでここを知らず,現地で知って来てみたときはすでに開館時間が過ぎていて,中に入ることができませんでした。こう来ることはないだろうとあきらめていたのに,1年も経たないうちにまたここにやって来て,今回は中に入ることができました。
感激しました。あまりに感激しているものだから,係の人がお土産として缶バッチをくれました。

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【Summary】
I visited the Seikan Tunnel Entrance Plaza to watch Shinkansen trains emerge from and enter the tunnel, timing their visit precisely.I then explored Okutsugaru-Imabetsu Station, a remote, low-traffic station linked to the tunnel, and saw a freight train stop there. It was a fascinating, far-flung place.

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東北新幹線は新青森駅を過ぎると北海道新幹線となります。そして,津軽半島の中央部を突き抜け,先竜飛岬の直前にある奥津軽いまべつ駅を通り,青函トンネルで津軽海峡の海面下を通って北海道に至ります。現在は,新函館北斗駅が終点です。
前回,龍飛岬に行ったとき,行くことができたのにもかかわらず,その存在を知らなかったために,奥津軽いまべつ駅へ寄ることができませんでした。また,調べてみると,今別市は,青函トンネル入口付近に青函トンネル入口広場を整備して,北海道新幹線が青函トンネルを出入りする様子を間近で見ることができるスポットとなっていることを知りました。
そこで,今回,行ってみることにしたのです。

まず,青函トンネル入口広場へ行ったのですが,北海道新幹線は1日に,上り下りそれぞれ13本しか走りません。この地を訪れた人のブログにも,時間が合わず,新幹線を見ることができなかった,というものが多くありました。そこで,私は,通過時間を事前に調べて,それに合うように行くことにしました。
都合がよかったのが,新青森駅から新函館北斗駅に向かう下り線を「はやぶさ」1号が午前10時10分,そして,その反対方向の上り線を「はやぶさ」19号が午前10時19分に通過するものでした。これを逃すと,次が1時間以上先になってしまうのです。
午前10時ころに到着しました。観光客がどのくらいいるのかな,と思ったのですが,ひと組だけでした。しかも,新幹線の通過する時間を知らず,通過する以前に行ってしまい,私だけになりました。
やがてやってきた「はやぶさ」1号は,ものすごいスピードで青函トンネルから出てきて,そのつぎの「はやぶさ」19号もまた,青函トンネルに消えていきました。迫力がありました。

青函トンネルは,新幹線だけでなく,貨物列車も通ります。レール幅が違うので,青函トンネル内は3本のレールがひかれています。私は,新幹線以上に貨物列車が青函トンネルに入っていく姿が見たかったのですが,貨物列車の通過する時間がわからず,断念しました。実際は,貨物列車は1日に40本以上通過しているので,しばらく待っていれば,確実に見ることができたのでした。残念なことをしました。
さて,新幹線を見終えて,青函トンネル入口広場から少し南に行ったところにある奥津軽いまべつ駅に行ってみました。
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奥津軽いまべつ駅は,今別町にある北海道新幹線の駅です。
本州最北端の新幹線停車駅であり,JR北海道が管轄する唯一の本州の駅でもあります。
津軽線の津軽二股駅と隣接していて,連絡通路で接続されています。
この駅は,青函トンネルの本州側の拠点として重要な役割をもち,避難・消火設備や保守拠点が併設されています。また,周辺には道の駅「いまべつ」があり,地域の観光拠点としても利用されています。
利用者数は少なく「秘境駅」ともよばれることがあります。
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広い駐車場に車を停めました。
津軽線は現在,蟹田駅から北が水害のために破損していて運行していません。そこで,津軽二股駅は機能していません。また,奥津軽いまべつ駅に停車する新幹線は1日にわずか14本しかなく,これでは利用する人がほとんどいないのはもっともです。
とはいえ,併設されている道の駅「いまべつ」の食堂は混雑していました。この付近,ここ以外に食事をするところもほとんどないのが理由です。私も,ここで昼食をとりました。
また,この駅は,貨物列車のターミナルともなっていて,私が着いたときに,ちょうど,青函トンネルからやってきた貨物列車が停車しました。どうやら,この駅で新幹線に追い抜かれるようでした。
最果て感満載のおもしろい場所でした。

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【Summary】
I stayed at Tsugaru Fujimi-so, with a stunning view of Mt. Iwaki, known as the "Tsugaru Fuji." Though cloudy at first, the sky cleared, revealing the bridge and mountain beautifully. I enjoyed the night illumination, a morning hot spring, and a delicious breakfast—an unforgettable stay.

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この2泊3日の旅の1泊目の宿は「つがる富士見荘」でしたが,ここで富士というのは岩木山のことです。青森県の最高峰である岩木山は標高1,625メートルの火山で,「津軽富士」ともよばれ,その美しい円錐形の姿が特徴的です。初心者でも約3時間で登頂できるということですが,私はまだ登ったことがありません。
前回,2024年の7月上旬に来たときは鶴の舞橋が目的地のひとつで,観光客用の駐車場に車を停めて,橋を渡りました。
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鶴の舞橋は1994年(平成6年),岩木山の雄大な山影を湖面に美しく映す津軽富士見湖に,日本一長い三連太鼓橋として架けられました。 全長300メートルもの三連太鼓橋はぬくもりを感じさせるような優しいアーチをしていて,鶴と国際交流の里・鶴田町のシンボルとして,多くの人々に愛されています。
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このように,鶴の舞橋は,比較的新しいものですが, 津軽富士見湖は,元来は岩木山を水源とする白狐沢からの自然流水によってできたものを,1660年(万治3年)に4代藩主津軽信政が柏村地方の用水補給のための堤防を築き用水池にしたものです。
鶴の舞橋は,岩木山を背景にした姿が鶴が空に舞うように見え,夜明けとともに浮かび上がる湖面の橋,夕陽に色づく湖と鶴の舞橋,さらには,季節による異なった美しさなど,一年を通してすばらしい姿を見せます。
ということですが,到着したころは曇っていたものの,次第に雲が切れて,岩木山を借景としたすばらしい姿を見ることができました。
何といっても,今回は宿泊するので,ライトアップされた姿をみることもできました。
翌日の朝は,早朝に温泉に入り,その後,雲ひとつないあざやかな姿に見入りました。朝食もおいしく,最高の1泊となりました。

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【Summary】
ChatGPT: The writer stayed at Tsugaru Fujimiso, a hot spring inn near Tsuru-no-Mai Bridge, during a 3-day trip. They were deeply moved by the beautiful apple blossoms in full bloom and learned about Aomori's apple farming history. The inn offered delicious food, local sake, and relaxing hot springs.

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この旅は2泊3日ですが,1泊目の宿は「つがる富士見荘」というところでした。絶景の宿という触れ込みで,2食つきの温泉宿ということだったので,とても楽しみでした。予約した後で,場所が鶴の舞橋に面したところだと知りました。いつもいい加減な私です。
鶴の舞橋は一度は行ってみたいと思っていたところだったのですが,前回青森へ来たときにすでに実現したので,あたりの様子はわかってると思っていました。
とろろが,木造から向かう途中,あたりが満開のリンゴの花だらけにはびっくりしました。そして,感動しました。この時期の青森では,リンゴの花が満開で,とても美しい景色が広がっていたのです。桜の花以上にすばらしいと思いました。

青森県にリンゴ農家が多いのは,寒暖差が大きく降水量も適度にあるため,リンゴの栽培に最適な環境であるからです。特に,昼夜の気温差が大きいことで甘みのあるリンゴが育ちやすくなります。
土地がリンゴ栽培に向いている青森県には広大な果樹園地帯があって,リンゴ栽培に適した土壌が広く確保されています。特に,岩木山周辺の火山灰地は水はけがよく,果樹栽培に適しています。
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江戸時代,津軽藩ではコメ作りが奨励されていましたが,やませの影響で,3年に一度冷害となり,農民は苦しみました。明治になって政府が果樹栽培を推奨し,青森県庁の職員だった菊池楯衛がリンゴ栽培の技術を広めたことで,県内でリンゴ栽培が盛んになりました。これで救われました。リンゴは貯蔵性が高く,安定した収入源となるため,多くの農家が今も栽培を続けています。
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青森県の中でもリンゴ農家が多い地域は津軽地方です。津軽地方には世界でも有数のリンゴ生産団地が形成されています。花は白や淡いピンク色をした可憐なリンゴの花は,4月から5月に開花します。青森県では桜の開花から約2週間後にリンゴの花が咲きはじめるため「桜の次はリンゴの花!」と楽しみにされることもあります。
リンゴの花は5つから6つの花がまとまって咲く「花そう」とよばれる形態をもち,中心に咲く花を「中心花」,周囲に咲く花を「側花」というそうです。リンゴの花は他家受粉が必要であり,異なる品種の花粉によって受粉・結実し,花が咲いている約10日間の間に受粉が完了しないとリンゴの実がならないため,農家にとって重要な時期だそうです。 
私はリンゴが大好きなので,このけなげな花たちから,おいしいリンゴの実がなるかと思うと,泣けてきました。この時期に来てよかった,と思いました。

「つがる富士見荘」に着きました。
思った以上のところでした。おいしい食事を地酒とともにいただきました。そして,温泉。これぞ旅の醍醐味でした。 
さあ,雲が切れたことだし,岩木山を借景にした鶴の舞橋の夜景を見にいくとしましょう。

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【Summary】
Aiming to visit places I had missed before, I stopped by Kizukuri Station on the JR Gono Line, known for its unique building featuring a giant Shakoki Dogu motif from the Kamegaoka Site, which I also visited. Though little remains to see, imagining life there in the Jomon era felt mysterious.

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これまで行きそびれたところに行ってみようという目的でやって来た今回の青森県の旅。次にやって来たのはJR五能線の木造(きづくり)駅でした。木造駅は五所川原駅の次の駅ですが,五能線に乗っても,降りたことはありませんでした。列車が停止するたびに,木造といえば,力士だった旭富士の出身地だなあ,と何となく思い浮かべるだけでした。それが,旅番組で,木造駅が出てきたときに,その駅の建物がユニークであることを知って,一度見てみたいものだと思うようになりました。
そこで,今回,車で木造駅に立ち寄ってみました。
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私は金木を出発して五所川原に着いたのは,午前十一時頃,五所川原駅で五能線に乗りかへ,十分経つか経たぬかのうちに,木造駅に着いた。ここは、まだ津軽平野の内である。私は、この町もちよつと見て置きたいと思つてゐたのだ。降りて見ると,古びた閑散な町である。人口四千余りで,金木町より少いやうだが,町の歴史は古いらしい。精米所の機械の音が,どつどつと,だるげに聞えて来る。どこかの軒下で,鳩が鳴いてゐる。ここは,私の父が生れた土地なのである。
  太宰治「津軽」
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JR五能線の木造駅はユニークな駅として知られています。
駅舎の外壁には,亀ヶ岡遺跡から出土した遮光器土偶(しゃこうきどぐう)をモチーフにした巨大なデザインが施されていて,インパクトが群を抜いています。この土偶は「しゃこちゃん」という愛称で親しまれていて,列車の発着時には目を点滅させる「いらっしゃいビーム」で乗客を迎えたり見送ったりする仕掛けがあります。そのユニークさから,木造駅は「東北の駅百選」にも選ばれています。
遮光器土偶は縄文時代に作られた土偶の一種で,目の部分が特徴的でイヌイットやエスキモーが雪の反射光を防ぐために使用する遮光器(スノーゴーグル)のような形をしていることからこの名前がつけられたということです。 最も有名な遮光器土偶は青森県の亀ヶ岡遺跡から出土したものです。
木造町(きづくりまち)は,2005年に周辺の村と合併し,現在はつがる市となっていますが,この地域が縄文時代の遺跡である亀ヶ岡遺跡があることから,駅舎がこの形となりました。
ということで,亀ヶ岡遺跡に行ってみました。
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亀ヶ岡遺跡は縄文時代晩期の集落遺跡です。
遺跡は津軽平野の西南部に位置し,標高7メートルから18メートルの丘陵上に広がっています。遺跡内には土坑墓が多数存在し,副葬品として土器や玉類が出土しています。また,祭祀場としての捨て場もあり,漆塗りの土器や土偶などが発掘されています。
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遺跡のあるる場所は詳しい説明版はあれど,それ以外には特に何が見られるというものではありません。しかし,この場所に縄文時代に人が住んでいたのかと想像すると,何か不思議な気がしました。

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