しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

カテゴリ: 四国旅行LIVE

徳島県では使い方に困り果てたクーポンでしたが,高知県は高知県で別の問題がありました。それは,徳島県は500円券が6枚だったものが高知県では1,000円券が3枚だったことです。クーポンはおつりは出ないのです。
ただし,ホテルでも使えるということだったので,そのうちの1,000円分を夕食のアルコール代に充てることにしました。しかし,アルコール代で1,000円も使おうとすると,それはそれで困りました。そんなわけで高級なグラスワインを注文して,さらに梅酒をお代わりすることになってしまいました。
ホテル松葉川温泉の夕食もまたすばらしく,これなら多くの宿泊客が訪れるのもわかります。こんな時節柄だったのに,食堂は満員でした。

私はこれまで,旅行といえば海外が多く,まれに日本国内を旅行するときは,ほぼ,東横インを利用していて,寝ることさえできればいい,という感じでしたが,このごろになって,日本の宿のおもしろさを発見しました。「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」蛭子能収さんが常々言っていたように,日本の旅館はあたりはずれの差が大きいのですが,それは,その人にはどこまで許せるか,ということになるのだろうと思うわけです。蛭子能収さんはベッドでなければ,と言っていましたが,私はどっちでもかまいません。というより,日本旅館だから和室でいいです。それより,私にとって問題なのはトイレと風呂なのです。トレイは部屋にあるといいと思うのですが,風呂はできれば温泉です。しかし,このふたつとも,宿泊客が少なければ問題はありません。私は,ゲストハウスなどのような,相部屋というのはだめですが,それよりもいやなのは大きな旅館です。というか,団体ツアー客と一緒になるのがいやなのです。おまけに,朝食がバイキング,というのは最悪です。
…ということだったのですが,今回のホテル松葉川温泉は大きなホテルではありましたが,個人客ばかりだったのと朝食がバイキングでなかったことで助かりました。

3日目 2022年10月22日土曜日
最高だったのは朝風呂でした。このホテルのお風呂は午前6時から入ることができました。
私はこのごろは寄る年波で朝がとても早く,現在は午前4起きなので早起きはまったく苦ではありませせん。そこで,午前6時になるのを待つようにしてお風呂に行きました。早朝のお風呂は,ほかにだれもいないので至福の時間となりました。
おいしい朝食後,ホテルをあとにしました。
ホビートレインに乗るにはまだずいぶんと時間があったのですが,その前に窪川の町を散策するつもりで,早めにチェックアウトしました。

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私がこの日宿泊するホテル松葉川温泉と窪川駅は車で20分程度の距離で,安心しました。
窪川駅からホテル松葉川温泉までの道は,四万十川に沿って走り,やがて,そこから道路標示にしたがって左折して橋を渡ると,あたりは田んぼだけになって,コスモスが美しく咲くのどかな村道をくねくねと通っていくことになります。
ホテル松葉川温泉,実は何も考慮しないで,単に安価だったということだけでここの宿泊することを決めたのですが,実に便利で快適なところで,最高の選択となりました。それにしても,松葉川温泉というのは,とても辺鄙なところで,どうしてこんな場所にこんな立派なホテルがあるのかが不思議でした。しかも,さびれておらず,人気のところでした。
  ・・・・・・
須崎市から中村市の中間ほどの山の中に位置し,四万十川の源流・日野地川の畔にある1軒宿の松葉川温泉。歴史は古く,江戸時代にはすでに四国有数の霊泉として知られていました。湯は四国有数の泉質を誇り,ぬめりがある湯は浸かると肌がしっとりし,美人の湯として知られています。
美しい自然と渓流のせせらぎを聞きながら浸かる露天風呂が人気です。
温泉の泉質は単純硫黄冷鉱泉で,温泉の効能は,皮膚病,神経痛,リウマチ,糖尿病,便秘神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり,うちみくじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期などです。
  ・・・・・・
とありました。

午後3時を過ぎに,窪川駅から再びホテルに戻ってきて,チェックインを済ませました。このホテルにはこれまでにも多くの芸能人が訪れたようで,フロントには多くの色紙が飾ってありました。
部屋の広く,立派で,私はこんなところに泊まるなんて夢のよう,と思いました。
実は,私がつねに日本の旅で憧れているのは,こんな豪華でなくもっと小さな旅館なのですが,それは贅沢というのです。
さっそく,温泉につかることにしました。
お昼間は日帰り温泉として,宿泊客以外にも開放されているので,地元の人が数人お湯につかっていました。私は,ほかに宿泊客がおらず,したがって,私ひとりが温泉で,というのが最も理想なのですが,それは無理な相談です。しかし,広い温泉につかっていたのは数人だけだったのが幸いでした。
露天風呂もサウナもありました。
ひとつだけ難といえば,ここの温泉は,少しお湯の熱さが足りなかったことです。

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ホテル松葉川温泉に着いたのが午後2時すきだったのですが,チェンクインが午後3時からということでまだ時間が早く,部屋に入ることができなかったので,ホテルに入る前にJR窪川駅に行ってみることにしました。
この旅で私がこの旅でやり残していたことはホビートレインに乗ることだけでしたが,明日の朝10時20分窪川駅発のホビートレインに乗ってそれを実行しようと思っていました。しかし,この時点では,ホビートレインにはどの駅で乗車して,どの駅で降りて,反対側から来る列車に乗り換えて戻ってくるかは決めかねていました。それは,車を駐車することができるのがどの駅なのか,また,折り返すのに便利な駅がどこなのか,時刻表を見てもよくわからなかったからです。そこで,それを実地調査をしようと考えたのです。

私はこの旅で来るまで,窪川というところを知りませんでした。2020年に高知市から足摺岬まで車で行ったから通っていると思うのですが,記憶にありません。
窪川駅は,かつて窪川町という名前だったところにありました。窪川町は,2006年,大正町,十和村とともに合併し,四万十町となったことでその名が消滅しました。現在,窪川駅は四万十町琴平町という地名のところにあります。また,四万十町役場は窪川駅のとなりにあります。おそらく,窪川町といっていた場所が現在は琴平町という名前に変わったのだと想像するのですが,どうして名前を変えたのか調べてもよくわかりませんでした。
蛇足ですが,四万十町のとなりには四万十市がありますが,四万十市は以前は中村市といったのですが改名されたということです。しかも,四万十市にも別の四万十町があるそうです。要するに「四万十」というブランドをつけたいのだと思うのですが,紛らわしいことこの上ありません。

また,窪川駅はJR四国と土佐くろしお鉄道のふたつの鉄道会社の駅ということでしたが,これもまた,私にはよくわかりませんでした。そもそも,国鉄民営化以降の組織が複雑すぎます。このように,この国は,何もかも,その土地の大人の都合で,利便性などどこかに置き去りにされてしまい,何らかの利害関係だけでいいように変更されているようで,とても不親切です。
理系頭の私は,納得がいかないとそのままにできないので,四国の鉄道網について調べてみました。
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香川県多度津町の多度津駅から高知県高知市の高知駅を経て窪川駅に至るのがJR四国・土讃線で,引き続き,窪川駅から四万十市の中村駅に至るのが土佐くろしお鉄道・中村線ということです。つまり,窪川駅は,JR四国・土讃線の終点であり,土佐くろしお鉄道・中村線の起点です。
また,窪川駅の土佐くろしお鉄道・中村線の次の駅である若井駅を線路名称上の起点とし,宇和島方面に行くのがJR四国・予土線です。しかし,JR四国・予土線の列車は,若井駅が始発ではなく,窪川駅が始発で,窪川駅から若井駅間はくろしお鉄道・中村線に乗り入れています。つまり,JR四国・予土線は1駅間だけJR四国ではなくくろしお鉄道の路線を走っているのです。このため,窪川駅から若井駅間は別会社なので別料金です。終点は北宇和島駅ですが,列車は北宇和島駅が終着ではなく,香川県高松市の高松駅から愛媛県松山市の松山駅を経て愛媛県宇和島市の宇和島駅に至るJR四国・予讃線と合流して,次の宇和島駅まで走ります。こちらはともにJR四国なので別料金ではありません。
ということで,私が乗ろうとしているホビートレインは,JR四国・予土線で窪川駅と宇和島駅を結ぶものなので,窪川駅から1駅間だけ土佐くろしお鉄道を通り,次の若井駅からJR四国・予土線を経由して北宇和島駅まで行き,北宇和島駅から,JR四国・土讃線を1駅間走って,宇和島駅まで行くことになります。
また,JR四国・予土線では,「予土線3兄弟」といって,ホビートレインを含めた観光列車を3種類走らせています。このことはまた次回。
  ・・
窪川駅は,1951年(昭和26年)に当時の日本国有鉄道土讃本線の終着駅として開業しました。
その延長として,窪川から中村経由で国道56号線に沿って宇和島までを結ぶ計画だった路線を,途中の中村まで1963年(昭和38年)に部分開業させたのですが,中村線を土讃本線の一部とせず独立させたことが赤字路線と指定される原因となってしまう結果となり,国鉄分割民営化後の1988年(昭和63年)にそれまでの中村線は土佐くろしお鉄道に移管されたのだそうです。
また,計画だった中村駅から先は,指宿駅までが国鉄分割民営化後に土佐くろしお鉄道によって完成して,現在,土佐くろしお鉄道・宿毛線となっていますが,未だ,宿毛駅から宇和島駅までは未完成です。
現在,JR四国土讃線の特急列車は「志国土佐時代の夜明けのものがたり」以外は窪川駅が終点ではなく,引き続き,くろしお鉄道・中村線に入って直通運転を行っています。普通列車は窪川駅止まりで,くろしお鉄道・中村線に行くには乗り換えとなります。
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JR四国・予土線は,四万十川の上流部に沿って走る路線であることから「しまんとグリーンライン」の愛称が与えられています。また,土佐くろしお鉄道・中村線は,宿毛線とともに「四万十くろしおライン」という愛称がつけられています。これもまた,「しまんとグリーンライン」は「しまんと」というひらがなが使われていて,「四万十くろしおライン」は「四万十」という漢字があてがわれているというように,知らない人にはわけがわかりません。
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さて,窪川駅に着いた私は,窪川駅のとなりにあった四万十町役場の駐車場に車を停めて,道路を隔てたところにあった観光案内所に入りました。まず,付近に駐車場がないかを聞いてみると,少し歩いたところに広い空き地があって,そこなら自由に1日中車が停められるということでした。聞いてみなければわからない情報でした。さすが旅慣れた私,要領がいいです!
ということで,窪川駅付近に駐車場を見つけたので,ホビートレインには窪川駅から乗車することにしました。
次に,窪川駅に行って,駅員さんに聞いてみました。
私が乗るホビートレインは窪川駅午前10時20分発で,時刻表とにらめっこした私が折り返しの列車に乗るのを決めたのは土佐大正駅でした。私の乗る予定のホビートレインが土佐大正駅を発車するのが午前11時34分で,折り返しの列車が土佐大正駅を発車するのが午前11時35分でした。時刻表で見る限りは,その間は1分しかありませんでした。もしこれに乗り継げないと,次の列車は2時間以上先になります。つまり,駅前に何があるのかわからない土佐大正駅で長時間過ごさなければならなくなります。果たして無事に乗り換えることができるのか? 土佐大正駅の近辺には何があるのか? とても不安でした。
駅員さんは「このふたつの列車は待ち合わせをしているわけでないので,乗り換えられるかどうは不明」と言いました。とても不親切な対応で,これには落胆しました。しかし,窪川駅から土佐大正駅までと土佐大正駅から窪川駅までの往復のチケットだけはこのときにしっかり買わされました。1,410円もしました。
しかし,実は…,意外な展開が待っていたのです!

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四国には,吉野川,仁淀川,四万十川という三つの大きな川があります。
吉野川は,高知県と徳島県を流れ,流路延長194 キロメートル,流域面積3,750平方キロメートルです。「日本3大暴れ川」のひとつで,坂東太郎という利根川,筑紫次郎という筑後川と並び,四国三郎の異名をもっています。これは中学受験の必須知識かな。
仁淀川は,愛媛県と高知県を流れ,流域面積1,560平方キロメートル,流路延長124キロメートルで,水質がよく,水面は仁淀ブルーとよばれています。
四万十川は,高知県の西部を流れる一級河川で,流路延長196キロメートル,流域面積2,186キロメートルで,四国内で最長の川です。本流に大規模なダムが建設されていないので「日本最後の清流」であり,柿田川,長良川とともに「日本3大清流」のひとつです。 四万十川には支流も含めて47の沈下橋があります。

私は,この四万十川の沈下橋を写した写真に憧れて,2020年2月,コロナ禍直前に訪れました。このときの私は,いつものように事前にほとんど何も下調べをしないで行ったものだから,四万十川があれほど蛇行をしているとも知らず,まずは下流の四万十市から四万十川に沿って上流に向かい,有名な沈下橋を順に見て回り満足し,いいところだという印象をもちました。
そうして,すっかり堪能したものだから,逆に沈下橋にも四万十川にもさほど想い入れがなくなってしまい,今回は四万十川も沈下橋も見る予定はありませんでした。その代わり,その場の思いつきで,まず,四国カルストへ行き,そのあと「坂本龍馬脱藩の道」ということばに惹かれて檮原町へ行きました。そして,2日目の宿泊先である四万十町の松葉川温泉をめざして車を走らせていました。
四万十町とか四万十市とかよく似た名前で紛らわしいのですが,四万十川の上流にある町が四万十町,下流にある町が四万十市です。
松葉川温泉は,思った以上の山の中でした。山奥の狭い道を登り,この先にホテルなどあるのだろうか,というところだったのですが,それが実際どんなものだったかは次回のお楽しみとして,今日は,沈下橋の話題です。

今回走った道は,期せずして,四万十川の源流のある津野町から四万十川沿いに下流に向かっていたのです。前回の反対です。まことにのどかなところでした。そうしてまず見つけたのが高樋沈下橋でした。
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四万十川本流最上流の小さな沈下橋が高樋沈下橋で,県道19号線沿いの中土佐町大野見大股にかかるので,通称「大股の沈下橋」ともいいます。四万十川上流でまだ川は用水路のようですが,かつては川が増水すると木製の橋は流出し,遠くまで橋を拾いに行くこともしばしばあったそうです。全長32メートル,幅員1.5メートルで,その幅員の狭さから,二輪車までしか通行できません。
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四万十川は多くの人が思い描いているような広く雄大なものでなく,また,まわりの風景も田園地帯ですが,こののどかさがたまりませんでした。

高樋沈下橋からすこし下流に,こんどは一斗俵沈下橋がありました。
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一斗俵の沈下橋は1935年(昭和10年)に建設された四万十川に現存する最も古い沈下橋です。
全長60.6メートル,幅員2.5メートルで,四万十町の壱斗俵集落と米奥集落を結ぶ町道米奥壱斗俵船の橋です。
米奥集落には米奥小学校があって,橋が架かるまでは渡し船が運航していました。壱斗俵地区は高南台地とよばれる高知県有数の穀倉地帯で,美しい田園風景がみられます。
「高知フォトスポット100景」に選定されているビュースポットでもあります。
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橋のたもとに置かれた舟がいい雰囲気を醸し出していました。

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四国カルストを出て,次に行ったのは檮原町(ゆすはらちょう)でした。
この町に行ったのは「坂本龍馬脱藩の道」があると知ったからです。
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1853年(嘉永6年),剣術修行のため土佐を出発した坂本龍馬は,江戸で北辰一刀流の千葉定吉道場へ入門しました。この年,ペリー率いる黒船4隻が浦賀に来航し,坂本龍馬も品川の沿岸警備に動員されました。
1861年(文久元年),27歳になった坂本龍馬は武市瑞山率いる土佐勤王党に加盟し,翌年,武市瑞山の密書を持って長州萩の久坂玄瑞のもとを訪ねました。久坂玄瑞から,いまや大名も公卿も頼りにならず,これからは草莽の人々,つまり,志のある在野の人々が立ち上がらなければいけないと教えられ,土佐へ帰り,その翌月には脱藩をしてしまうのです。
  ・・
江戸時代は,藩を出るときには藩の許可が必要で,関所で手形を見せる必要がありました。脱藩というのは無許可で藩外に出ることで,現在でいえばパスポートを持たずに日本を出ることに当たります。28歳で脱藩した坂本龍馬は長州藩に行き,そこから薩摩を目指したといわれています。
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私は,坂本龍馬が大好きですが,不勉強で,脱藩をして歩いた道がどこにあったのかまったく知りませんでした。よく,本に写真が載っているのですが,それがどこで撮られたものかもわかりませんでした。
おそらく,現代の高知県から香川県のほうに向かったとばかり思っていました。
それが,高知市よりはるか西の檮原町を通ったと知って,大変驚きました。そこで,ぜひ,その道を見てみたいと思ったわけです。

到着した檮原町は,実にすばらしいところでした。この町の中心街には電柱がなく,それはそれは美しい町でした。こんなところに,これほどの町があることが驚きでした。地方の町はそれぞれ特徴があって,その町の個性をうかがい知ることができるのですが,このような整備の仕方ひとつにも,その町の「知性」が垣間見られます。
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檮原町は913年(延喜13年)津野経高公がこの地に入り,開拓によって津野荘を築いて以来,687年間津野氏の所領となり,地域の政治,文化の中心地として発展してきました。
1600年( 慶長5年)山内氏の所領となり津野山郷と称しました。
明治維新の変遷を経て,1912年(明治45年)には檮原村と改め,さらに,1966年(昭和41年)檮原町となりました。
檮原町は,幕末から明治維新にかけて重要な役割を果たした場所です。町内には、坂本龍馬や吉村虎太郎を始めとする志士たちが、土佐藩を脱藩するために通った道が昔の趣を残したまま存在しています。
坂本龍馬は,那須俊平・信吾父子の案内で盟友澤村惣之丞とともに梼原を通って韮ヶ峠から脱藩しました。また,土佐勤王党,天誅組,忠勇隊に参画した梼原出身の志士,そして吉村虎太郎,那須信吾,那須俊平,掛橋和泉,中平龍之介,前田繁馬たちは,大いなる使命感に燃えながら,この道を幾度となく往来したといわれています。
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檮原町には「坂本龍馬脱藩の道」のほかに,檮原町にゆかりのある六志士に坂本龍馬,沢村惣之丞を併せた8人の銅像が建立されていて,ここを「維新の門」と称します。明治維新が成り,近代国家が誕生したときには,既に8人の志士は壮絶な死を遂げていました。
また,ゆすはら座という建物が保存され,現在も利用されています。ゆずはら座は1948年(昭和23年)に建設された建物です。大正時代の和洋折衷様式を取り入れた建造物で,モダンな外形に花道のついた舞台,2階の桟敷席,天井の木目の美しさが引き立つ,高知県下唯一の木造りの芝居小屋です。
さらに郊外には千枚田もあって,美しい景観を眺めることができました。

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「酷道」と化した国道439号線をしばらく走っていくと,再び道幅が広くなりました。
四国カルストという道路標示があったので,道路標示に従って,県道48号線に進路を変えました。しかし,これは大間違いでした。
そもそも,四国の道は,国道439号線に限らず油断ならないのです。しかし,これは四国に限ったことではなく,春に行った紀伊半島も同様でした。都会暮らしの人には想像できないでしょうが,山間部の日本の道路は,ただ車が走ることができる,つまり,車が走れるぎりぎりの幅がある,というものと,最低片側1車線あって安全に快適に走ることができる,という2種類があるのです。しかし,それは地図にはまったく表記されていないし,また,道路の改良工事によって,頻繁に変わるので,地元の人でさえ,どちらななのか判断がつかないことすらあるそうです。
つまり,どうでもいい情報は山ほどあれど,本当に必要な情報が手に入らない国なのです。

もともと,四国カルスト,というところがどうなっているのかが私にはよくわかりませんでした。ガイドブックなどにあれだけ有名で雄大な景色の写真があるにもかかわらず,です。これは,山形県で月山に行ったときも同様でした。
よく知っている人には当たり前のことであっても,はじめて行く人には困難を極めます。
そもそも,地図を見ても,四国カルスト,という表示すらないのです。
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四国カルストという道路標示に従って進路を変えた道である県道48号線は,くねくねの「酷道」でした。そんな「酷道」をいやになるくらい走っていくと,やがて,林道と交差しました。実は,この林道こそが,片側1車線の安心して走ることができる,四国カルストにアクセスできる道路だったのです。しかし,だれが考えても,県道と林道,知らなけらば県道を選ぶことでしょう。
やがて林道は県道48号線に吸収され,快調な道路となって,やがて,四国カルストに着きました。
着いた場所は天狗高原といって,そこにあったのが,2021年7月全館リニューアルオープンした「星ふるヴィレッジTENGU」という宿泊施設でした。 「天狗高原の山腹にある天体観測に特化した高級ホテル」ということで,天文台のドームとプラネタリウムが付属していて
  ・・・・・・
「星ふるヴィレッジTENGU」は,眼下に広がる雄大な景色を望めるパノラマルーム,悪天候でも星空や自然を体感できるプラネタリウム,室内で星空を楽しむ天井がガラス張りになった特別な星空客室など,四国カルスト天狗高原の大自然をお楽しみいただける施設です。
  ・・・・・・
とホームページにありました。
このあたりはハワイ・マウイ島のハレアカラ(=1番目の写真)のような感じではあるのですが,ハレアカラの方が,ずっと道路がしっかりしています。また,この施設は1人では宿泊することができないようでした。
数年前の私なら,ここは憧れの場所だっただろうと思いました。ここなら,満天の星が見られるのは疑いのないところなのです。確かに,近くの空き地で大きなタカハシの望遠鏡を2台設置している人がいましたが,時刻は朝。こんな時間に何をしているのだろうと私は疑問に思いました。
とはいえ,世界中を知ってしまった今の私としては,いくらここの星空がすばらしいとしても,日本では晴天率が悪く,また,一般の観光客を対象とする天文台のある施設には,もはやまったく興味がありません。

この先,県道48号線は終わりとなって,県道383号線にぶつかるT字路になるのですが,ここはまた,高知県と愛媛県の県境にもあたっていて,県道383号線は県境が道路にそっておらず県境を巻くようにらせん状になっているから,単に道路を走っているだけなのに道路が県境を何度も何度も跨ぐので,「高知県に入りました」「愛媛県に入りました」と県境をまたぐたびにカーナビがうるさいこと!
実は,よく旅行ガイドにでてくる四国カルストは,ここで進路を左にとって,国道383号線を西に向かって走ったところなのでした。私は偶然その方向に向かって走ったので幸運にもその場所にたどりついたから,そうしたことがわかったのですが,もし,反対方向に走っていたら,たどり着くことらできなかったわけです。
天狗高原をすぎたあたりが姫鶴平でした。つまり,四国カルストというのは,天狗高原とか姫鶴平とかいったさまざまな名前のついた一帯のことをさすようでした。
  ・・・・・・
四国カルストは,山口県の秋吉台,福岡県の平尾台とともに,日本3大カルストのひとつで、最も高い標高からは石鎚山などの周辺の山々が一望できます。
西から大野ヶ原,姫鶴平,五段高原,天狗高原まで,なだらかな山肌には,夏は緑の草原,秋はススキが一面に広がり,1年を通して四季を楽しむことができます。浸食作用で地表に露出した石灰岩が点在していて,乳牛の放牧地帯としても有名で,多くの牛が放牧され,カルスト特有の風景をさらに牧歌的にしています。
高知県では雲海や星空の名所として「天空の爽回廊」とよんでいます。
  ・・・・・・

県道383号線をそのまま進めば地上に帰ることができそうだったのですが,珍しく親切に,この先は道路幅が狭いという標示があったので,もう「酷道」は御免だと,ここで引き返し,今度は,林道を通って下山しました。林道はずっと快適な道路でした。

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2日目 2022年10月21日金曜日
旅の2日目になりました。
かずら橋を渡ることと,予土線で新幹線を模したホビートレインに乗ることだけが目的で,それ以外は何も予定を立てずにやってきたので,残る目的はホビートレインに乗ることだけでした。予土線の駅は,祖谷から最も近い窪川駅までも結構遠くて,車で2時間以上はかかります。ホビートレインの時刻は午前10時20分の1本です。
朝早く旅館を出発すれば行くことができないこともないので,よほどそうしようと思って悩んだのですが,明日宿泊するホテル松葉川温泉が窪川駅からわずか20分のところにあることがわかったので,ホビートレインの乗車は3日目にして,2日目は,せっかく来たのだから,祖谷からこの日宿泊するホテルまで,おもしろそうな場所を回ることにしました。

ということで,それほど早くチェックアウトすることもなかったのですが,宿泊を予約したコースが早朝出発というものだった「らしく」,というのは,私はそのように意図したわけではなかったのですがいつも適当な私はきちんと確認もしないで予約したので,どうやらそうなっていたようでした。それは,早朝出発して剣山に登山する人向けのものだったのです。そこで,朝食の代わりに,お弁当が用意されていました。変更するのも面倒だったし,迷惑だといけないなあと思った私は,そのままお弁当をもらって,さも,さあこれから登山だ,みたいな雰囲気を漂わせて,まだ日の出前の午前6時にチェックアウトしました。
私は,普段は午前4時起きです。老人は早起きなのです。そこで,朝早いのはまったく苦ではないのです。

早朝,今日の予定を調べて,まず,四国カルストへ行くことにしていました。
数年前,今のように四国のことを知らなかったとき,そして,若かったとき,足摺岬と宇和島市に行ってみたいという目的で,自宅から夜行の高速バスで高知市まで来て,そこでレンタカーを借りて,1泊2日で周遊したことがありました。あれはあれで楽しい旅でしたが,そのときに行きたかった四国カルストは,時間がなく断念したのを思い出したからでした。
今回の旅でも,また,帰宅してから,このブログを書きながら調べてみると,やはり,せっかくいい見どころがもっとあったのに,見過ごしてしまったところが少なからずあります。しかし,それはそれでいいのです。というのは,また来る口実になります。本当に魅力的なところなら,いつかまた,きっとリピートします。国内であれ,海外であれ,旅というのはそんなものです。やり残したことがあるのはすてきなことです。

お昼間も交通量は少ないのですが,早朝はさらに少なく,気持ちよく走っていると,次第に夜が明けてきました。私はこの瞬間の空が好きです。
そのころ,祖谷の道の駅の駐車場に車を停めて,もらってきた朝食を食べました。
四国カルストに行くには,この先,また,「酷道」ならぬ国道439号線を,今度は西にむかって走っていくのですが,このあたり,国道439号線は「酷道」ではなく,片側1車線の,けっこういい道がずっと続いていました。
仁淀川町を過ぎて,山の中に入るとトンネルの手前にあったのが,「四万十川源流」の標示でした。私はよほどそこに車を停めて,四万十川源流まで歩いて行こうと考えました。
以前何かで読んだことがあるのですが,四万十川源流まではそこから結構な距離を歩く必要があるようでした。それでも,おそらく数年前なら行ったかもしれません。しかし,先日,長年行きたかった京都の愛宕神社に往復6時間かけて登って以来,私はまったく歩くことに自信がなくなり,こんなところで遭難でもしたら一大事だと思ってあきらめました。歳は取りたくないものです。
四万十川源流に行くことは断念して,そのまま進んでトンネルを抜けると,道路は急変して国道439号線は「酷道」に変身しました。


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◇◇◇
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祖谷のかずら橋を渡って,アユを食べて,琵琶滝に行って,トラベルクーポンでお土産とビールを買って,旅館に戻ったのが午後5時でした。これからお風呂に入って,夕食です。
旅館の風呂は小さくて,外にある温泉に行くことはできたのですが,明日泊まるのが温泉だったので,旅館の風呂にしました。
風呂から出て,部屋でクーポンで買ってきたビールを飲んでいたら夕食の時間になりました。小さな旅館の楽しみはこうした食事です。
宿泊客は私のほかに何組かいました。さすがに行楽シーズンだけあります。
食事は低カロリーでおいしくて満足しました。これで今日の日程は終わりで,老人はこれで寝るだけです。私は,めったにテレビは見ません。

と思っていたら,宿の人からかずら橋がライトアップされているということを聞きました。これはうれしいサプライズでした。
ということで,食事後,出かけることにしました。
ライトアップではかずら橋は渡ることができず,かずら橋に平行にかかっている現代の橋から見るのです。天気がよく,空には満天の星が輝いていて,その気なら,三脚にカメラをつけて,かずら橋と星空,という写真を撮ることもできたのでしょうが,私は三脚も一眼レフカメラも持ってきていないのであきらめました。
私は旅は極力荷物を持たないことにしていて,今回の2泊3日の旅も,小さなリュックひとつでした。
それはそれとして,ライトアップされたかずら橋は幻想的でした。さらによかったことは,ほかに人がひとりもいなかったことで,私の独り占めでした。また,琵琶滝もライトアップされていました。夕方とはまったく違う,静寂に包まれていました。
旅はこうでなければ,と思いました。大満足でした。

旅館に帰ると,夕食の準備を終えて,一休みしていた旅館の女将の息子さんがいて,しばらくお話をしました。せっかくのライトアップなのに,ほかにだれもいなかったと話したら,私の行った時間は,団体ツアー客はホテルで食事中だから,ということでした。食事が終わると,バスで大挙してやってくるのだとか。
歩いてかずら橋に行くことができるところに宿泊している私はラッキーでした。
こうして,何もかもうまくいった1日目が終わりました。
さあ,明日からどうしよう。

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◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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私はすでに奥祖谷でふたつのかずら橋を渡っているので余裕に思っていたのでしたが,奥祖谷のふたつのかずら橋より,祖谷のかずら橋のほうが橋床の間が広く,驚きました。何でも,この隙間に靴が絡んで落としてしまう人が結構いるという話でした。
私が渡るときも観光客が少なからずいたのですが,渡り終わったころに,ツアー客が大挙して押し寄せて,かずら橋に殺到し,へっぴり腰で渡りはじめたものだから,橋はごった返しました。私はこれがいやで,観光地化されてしまっている祖谷のかずら橋には,団体ツアー客が帰るであろう夕刻の時間にやってきたのですが,これが裏目に出ました。こんな夕刻にツアー客が来るなんて最悪でした。私は渡り終わっていたからよかったものに,静寂が破られました。
それはともかく,かずら橋を渡り終えると,そのさらに先には,高さ50メートルの琵琶の滝がありました。昔,平家落人が京の都をしのび,この滝で琵琶をかなで,つれづれを慰めあっていたことから名づけられたと言い伝えられているということです。
この地にあるのが平家落人伝説です。西祖谷の平家落人伝説を代表する場所が,源氏の追手が来たときに切り落とせるように蔓を束ねて橋を造った「祖谷のかずら橋」と琵琶の滝です。
  ・・・・・・
第81代安徳天皇は,高倉天皇の第1皇子で,母は平清盛の娘の徳子です。徳子は平清盛と後白河法皇の政治的協調のため,高倉天皇に入内して安徳天皇を産みました。壇ノ浦の戦いののち,平氏一門は滅亡しますが,徳子は生き残り,京へ送還されて出家し大原の寂光院で晩年をおくりました。
歴史では,安徳天皇は壇ノ浦の戦いで入水したことになっていますが,実は,平氏の残党に警護されて地方に落ち延びたとする伝説があり,そのひとつが,この祖谷で,祖谷山に逃れて隠れ住み,16歳で崩御し栗枝渡八幡神社の境内で火葬されたといいます。平国盛が祖谷を平定し,麻植郡に逃れていた安徳帝を迎えたということになっています。
天皇一行が山間を行く際に樹木が鬱蒼としていたので鉾を傾けて歩いたということに由来する「鉾伏」。谷を渡る際に栗の枝を切って橋を作ったことに由来する「栗枝渡」など,安徳天皇に由来すると伝わる地名が残っています。 
  ・・・・・・
かずら橋を渡り,琵琶の滝を見ると,今度は,それに平行にかかる現代の橋を渡って戻ることになります。

今旅行をすると,宿泊代金の補助とともに,その県内のみで使うことができるクーポンがもらえます。このクーポン,けっこう利用するのに難儀します。それは,クーポンは宿泊先でもらえるのですが,県内でしか使えないので,翌日に他県に行くとすると使う機会がないということ,そして,使えるところが限られているということにあります。ならば使わなくてもいい,という考え方もなりたちますが,みすみす3,000円を使わずに捨てるということは,私のような貧乏人にはできるものではありません。また,宿泊先での飲み物代として使えることもあり,使えないこともありと,それもまた複雑でよくわかりません。さらには,県によって,500円券が6枚という徳島県のような場合と1,000円券が3枚という高知県や長野県のような場合もあって,おつりがでないということで,不便だったりします。
ということで,クーポンがなければ買わないようなものを買ってみる,ということになって,なんだか,税金をむだ遣いしているようで,気が引けます。まあ,それでも,現地のお店が潤うから目的は達しているということなのでしょうが,何か腑に落ちません。
  ・・
実は,私は,この日このクーポンを使うのに苦労していました。それは,明日の早朝,高知県に行くので,今日中に使わなければならないということだったからです。
祖谷のかずら橋の料金は,クーポンは使えませんでした。そこで,かずら橋を渡り終えたところにあったお店でクーポンが使えるということで,3,000円のうち500円分のクーポンを使ってアユの塩焼きを食することになったのです。このあと夕食が待っている,というのに…。
そんなわけで,残った2,500円分のクーポンをどう使うか途方にくれた私は,まだ1日目だというのに,大きな駐車場に併設されていた売店で土産物やらビールやらをしこたま買い込むことになってしまったのでした。

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高知到着が早かったこともあって,1日目に奥祖谷のかずら橋,大歩危渓谷とまわることができました。午後4時と,まだ時間が早かったのですが,今日の宿泊先である祖谷観光旅館へ行くことにしました。
今日の宿泊先である祖谷観光旅館は県道沿いにあって,朝,奥祖谷に行ったときに通過したところでした。向かい側に4台から5台程度停めることができる駐車場があって,そこに車を停めて旅館の玄関をくぐりました。
女将は年配の女性でした。先日行った十津川温泉とおなじような感じでしたが,この旅館には温泉がなく,温泉につかりたいときは,近くの温泉に行くことになるという話でした。一旦部屋に入って,荷物を置いて,夕食前にかずら橋に行くことにしました。
祖谷で,かずら橋まで歩いて行くことができる旅館はここくらいのものだったのが幸運でした。団体ツアーは少し離れたところに宿泊して,バスでやってくるということで,大きな駐車場がありました。事前に調べたように,かずら橋は秘境ではなくまさしく日本のどこにでもある観光地でした。

私がこの日宿泊する旅館から坂道を曲がりながら下っていくとかずら橋に至ります。坂は結構急で,降りて行くときは問題がないのですが,帰りが結構たいへんでした。
こうした観光地は,おそらくコロナ禍で,どこもかなりの打撃を受けているようで,喫茶店は閉じていたり,土産物屋も開いているのかいないのか? というようなところが多く,寂しく思います。
書いていることと矛盾しますが,おそらく2019年まではこの場所もかなりのインバウンドで,外国人観光客でいっぱいだったように思います。なにせ,簡単に来ることができる秘境,しかも,アジアらしくごっちゃごちゃの雰囲気は,西洋にはありません。
やがて,かずら橋に着きました。
祖谷川にかかるかずら橋は一方通行で,少し坂を降ったところに料金所があって,そこでお金を払って渡ります。

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四国といえば大歩危・小歩危,だとよく聞いていたのですが,これまで行ったことがありませんでした。そもそも,大歩危・小歩危というのが何のことかすら知りませんでした。
先日,紀伊半島に行ったときに瀞峡という渓谷で観光船に乗ったとき,ここは大歩危渓谷を規模を小さくしたところだと聞いたので,はじめて,大歩危というところがどういうところかおぼろげにつかめました。そこで,せっかくここまで来たこともあって,行ってみることにしました。
国道32号線は吉野川沿いに走っていて,ドライブインに大きな「舟下り」という看板が見えました。どうやらここが大歩危なのだろうとわかりましたが,小歩危が何かわかりません。ガイドブックなどには大歩危とは書かれてあっても小歩危が見当たらないので,これではかわいそう… ということで,まず,小歩危まで行って見ることにしました。
国道32号線を走っても,渓谷の景色は見えません。展望台もありません。やがて小歩危という道路標示はあったのですが,まったく景色も見えませんでした。車を停めるところも展望台もありありません。小歩危はそれだけのところだったのです。がっかりして,「舟下り」とかかれた看板のあるドライブインまで引き返しました。

  ・・・・・・
大歩危は,四国・吉野川西岸の徳島県三好市山城町西宇地区の歩危茶屋付近から高知県長岡郡大豊町大久保地区の一部までと,その対岸となる徳島県三好市西祖谷山村の一部を指す総称で,峡谷そのものは大歩危峡とよばれます。数キロメートル下流の小歩危峡とともに,大歩危・小歩危として有名です。
「四国三郎」の異名をもつ吉野川は,水量が豊かで流れが速く、両岸から急峻な傾斜面と岩壁が迫ることから,V字谷の一帯は古くから通行の難所として知られてきました。川沿いに変成岩が露出していて「大股で歩くと危険」というのが地名の由来とされていますが,「歩危」ということば自体が山腹や渓流に臨んだ断崖を意味します。
大歩危峡の両岸は,2億年前から1億年ほど前に海底深く造られた結晶片岩で,板を重ねたようなこの結晶片岩には,礫を含んだ含礫片岩という珍しい岩などがあります。
大歩危渓谷には,100年以上の歴史がある大歩危峡遊覧船が運航しています。
  ・・・・・・
この渓谷の結晶片岩は大歩危渓谷では右に傾いていて,小歩危は左に傾いているという違いがあるということですが,ここはあくまで観光地で,アメリカの国立公園のように,学術的な博物館があったり,きちんと保存されていたり,観光船で詳しい説明を聞くことができたりするものではありませんでした。

国内外とわず,けっこう多くのクルーズに乗りましたが,日本の川下りはどこもスケールが小さいのは仕方がないこととはいえ,やはり,慰安旅行の範囲を超えるものはありません。
それでも,最上川川下りは,観光ガイドがしっかりしていてなかなかのものだったし,紀伊半島の瀞峡の川下りは秘境感満点で満足できました。それらに比べて,この大歩危渓谷の川下りは,いかに歴史があったとしても,値段も高く,運行時間も短く,案内も少なく,見どころもあまりなく,私にはいまいちでした。

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「世界3大〇〇」「日本3大〇〇」というものがたくさんあります。
私がこの旅で話題にした「日本3大酷道」というのもそのひとつです。
「世界3大がっかり像」というものもあって,それはシンガポールの「マーライオン」,デンマークの「人魚姫像」,ベルギーの「小便小僧」だそうです。私はそれらをひとつも見たことがなく,また,見たいとも思わないのですが,本物の5分の4の大きさの「人魚姫像」だけは見たことがあります。それは,1999年にデンマークから大阪市に寄贈されたもので,現在は海遊館横のサンセット広場に移動したそうですが,以前は同じエリアの大阪文化館裏の海に面した場所にあったものでした。
これらの像ががっかりであるのは,思ったよりも小さい,というのが理由だそうですが,そう思う人たちは,こうした像がニューヨークの「自由の女神像」のような巨大なものだとでも想像しているのでしょうか? 私は,大阪の「人魚姫像」を見たとき,別にがっかりしなかったし,そんなものだ,と思いましたけれど…。

さて,この話は今日の話題に関連します。
「日本の3大秘境」と名づけられているのが,徳島県西部祖谷川の流域にある祖谷,岐阜県の白川郷,宮崎県の椎葉村だそうです。宮崎県の椎葉村は,九州のど真ん中,今でも山深い「秘境」の地の雰囲気に満ちているそうですが,岐阜県の白川郷は,もはや観光地化されてしまい,秘境感はまるでなくなりました。私はインバウンドの折に出かけて,がっかりした覚えがあります。
今回,私が訪れたのが祖谷。ここは依然として「深山幽谷」のことばがふさわしい「秘境」とよべる地だそうで,かなり山深い場所ということですが,車で行けば,大したことはありませんでした。むしろ奥祖谷のほうがずっと秘境でした,
とはいえ,従来は,深い谷と高い山に阻まれて他の地域との往来が困難であったために,独特の習慣や風習,文化,祭礼などが残されてきたといいます。また,屋島の戦いで落ち延びた「平家の落人」がこの地に住み着いたという平家伝説も存在します。

祖谷の町から山に通じる道路からはるか下を流れる祖谷川を眺めると,谷底まで200メートルの高さがあって、目がくらむようです。V字型に深く切り込んだ渓谷は「ひの字渓谷」ともよばれていて,祖谷川沿いの断崖には,祖谷街道の開設工事で残った岩が多数突き出ていますが,その中で1番の難所といわれる七曲にあるのが小便岩といわれる大断崖です。その小便岩の上に,かつて,周辺に住んでいた子供たちや通りかかった旅人達が度胸試しに乗ったり飛び跳ねたりしたということで,そんな逸話を元に,現在,小便岩には徳島県の彫刻家、河崎良行さんが1968年に作った「小便小僧」がひとりたたずんでいるのです。
  ・・
ここもまた,テレビの旅番組で紹介されたところですが,私は特に興味があったわけでもないのでどこにあるのか全く知りませんでした。大歩危渓谷に行こうと走っていたら,小便小僧という道路標示があったので,せっかく来たのだから,と行ってみたのです。
ちょうど同じころに来ていた観光客が,こんなに小さいの,とか言って落胆していましたが,これまた,今日のはじめに書いた「世界3大がっかり像」と同じ思いの人なのだと,私は,少し同情してしまいました。
眼下に広がる雄大な景色はすばらしいものでした。

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念願だった奥祖谷の二重かずら橋に行って,またひとつ,やりたいことリストが減りました。再び国道439号線で祖谷に戻ります。
来るときに通って驚いたのですが,祖谷から奥祖谷に行く途中で,「天空の村かかしの里」を通りました。帰りに寄ってみようと思っていました。驚いた理由は,以前,かかしの里をテレビの旅番組で放送していたのですが,それがこんなところにあったということに対して,でした。
  ・・・・・・
人よりかかしが多く暮らす「かかしの里」があるのは,徳島県三好市の山里である標高800メートルの名頃(なごろ)集落です。空に近いので,別名「天空の里」ともいいます。四国のほぼ中央の中山間地帯です。
集落を歩くと,そこかしこにかかしの姿を見ることができます。
素朴でどこか懐かしさを感じるデザインのかかしたちは,人々の生活にとけ込んでいます。名頃は人口わずか20人程で最年少が40代という限界集落ですが,なんとかかしが300体以上あります。
かかし村のはじまりは,綾野月美さんという女性の手作りからはじまりました。カラスの被害から畑を守るために,父親を模したかかしを作ったところ,近所の人がかかしに挨拶をするのを見て楽しくなり,そこから大量作成がはじまったそうです。
  ・・・・・・
国道439号線沿いにかかしがたくさん見られるのですが,道が狭いので,なんとか駐車スペースを見つけて車を停めました。まずは集会所の縁側にたくさんのかかしがありました。私は見なかったのですが,集会所の中もまたかかしが大集合しているということで,畳に寝そべっているおばあさんもまたかかしだそうです。
道路の周辺には,あっちにもこっちにかかしの姿があって,本当の人のように思えてきます。ときどき本物の人と間違えてドキッとします。バス停でバスを待っているのもかかしですし,野菜直売所にいるのもかかしですし,チェーンソーを持っているおじさんもまたかかしです。

かつて,ドイツ人の留学生が名頃を訪れ,「Valley of Dolls」(人形の谷)という動画をネットに投稿したところ,世界中から注目を集めました。その影響で,イギリスやカナダなど世界各国からも観光客が訪れていたそうです。
かかしは,表情豊かな顔作りからはじまり,木枠に新聞紙を80枚以上巻いて胴体を作り,要らなくなった洋服やブラウス,スニーカーや長靴などを着せて完成するそうです。制作は1体2日間程度です。2年くらいしか持たないので,これまでに制作した350体のうち,現在,集落に点在するに人形は約100体ということです。
村には「かかし基本台帳」なるものが存在していて,一体一体名前や性別・性格などが記載されているそうです。「かかし基本台帳」によると,かかし村の第1号かかしは,村長の続裕次郎さん。「子供のころはガキ大将。某有名大学を卒業後,大手商社に勤務。30歳のとき,幼馴染のきよちゃんと結婚を機に故郷に。地元森林組合に勤務し山を守る。実直な人柄。現在3期目」とあります。

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奥祖谷のかずら橋は深い森の中にありました。
  ・・・・・・
秘境の雰囲気が漂う美しい景観に囲まれたかずら橋は,平家一族が剣山の「平家の馬場」に通うために架けられたといわれる橋で,追ってを防ぐためいつでも切り落とせるように「しらくちかずら」で架設したと伝わっています。「祖谷13橋」といわれ,生活道として利用されていましたが,現在は,西祖谷山村善徳の祖谷のかずら橋とこの場所の2箇所だけが残っています。
奥祖谷二重かずら橋は,徳島県三好市東祖谷菅生の奥祖谷地区を流れる祖谷川にかかるかずら橋で,男橋と女橋の2本あって,夫婦橋ともよばれます。また,近くにはロープを引きながら渓流を渡ることができる「野猿」もありますが,現在は故障していて利用できません。
男橋は下流側にあって,長さ42メートル,幅2メートル,水面からの高さ12メートル,女橋は上流側 にあって,長さ22メートル,幅1.2メートル,水面からの高さ4メートルです。
  ・・・・・・

渓谷の入口に小屋があって,そこが料金所でした。小屋の中にいたおじさん,暇なのかやる気がないのか寝ていたのか,声をかけてもなかなか反応がありませんでした。こののどかさがたまりません。
お金を払って渓谷に至る道を下っていくと,あこがれのかずら橋が見えてきました。これが男橋です。
確かに足場は広いのですが,思ったほどではないというか,怖い感じはありませんでした。
男橋を渡って,少し下流にいったところに女橋がありました。女橋のほうが短いのですが,眼下の川の流れは急でした。
さらに下流には「野猿」があるのですが,故障中で乗ることはできませんでした。
  ・・
ここはいいです。ほとんど人がいなかったことと,自然の美しさがたまりませんでした。
こんなところでのんびりすることこそが,これぞ日本の旅です。
おそらく,コロナ禍以前だと,こんなところまで,大勢の観光客が来ていたのでしょう。「野猿」に乗ることはかないませんでしたが,天気もよく,幸運でした。
「酷道」を走ってきた甲斐があったというものです。

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奥祖谷に到着しました。時刻は11時過ぎでした。
ここで話を少し戻します。

国道32号線は片側1車線の走りやすい道路でした。国道32号線を大歩危の手前まで来ました。大歩危,その先に小歩危があります。これらは渓谷の名前で,これまで何度か四国に来たことがあるのですが,一度も行ったことがありませんでした。今回も,私の第一の目的はかずら橋だったので,このときは通過しました。ここで吉野川を渡り,国道32号線とは別れを告げて,県道45号線に右折したのですが,次第に山深くなってきて,いよいよ祖谷,という感じがしてきました。道の駅を越えると,祖谷の集落が見えてきました。
ここで道がわからなくなるのです。祖谷川を越えると県道45号線は県道32号線になります。県道32号線は集落の中に入ると道幅が狭くなり,というか,集落の中を通るので広げることができなかったのでしょう。祖谷のかずら橋は祖谷川の南にあって,かずら橋はこの祖谷川にかかっているのですが,集落の手前でY字路になっていて,左側は集落の中を通る県道32号線で,右側がかずら橋にいくための善徳バイパスです。私は,ここを通過して,奥祖谷まで行くことにしていたから,狭い県道32号線を走り続ければいいのですが,「奥祖谷」という道路標示がないのです。
私は,結果的にそのまま走り続けたのでうまくいったのですが,かずら橋を目的に来た人が善徳バイパスに行かずに県道32号線を走ってきてしまって戸惑っているのを目撃しました。そして,Y字路で道案内をしていた若者が,後で知ったことには,私が今日宿泊する旅館の息子さんでした。
  ・・
そんなわけで,疑心暗鬼になりながら,祖谷を過ぎ,狭い県道32号線を進んでいくと,やがて,「奥祖谷」という道路標示がありました。
やがて県道32号線は国道439号線と交差します。そこから,国道439号線に進むのですが,実は,国道32号線は,私が走ったように大歩危まで行って県道45号線に入らなくても,そのずっと手前の大豊というところで国道439号線に分岐していて,そこで国道439号線に入ることもできたのです。しかし,私の前をのろのろ走る大型のダンプカーが2台,その道に入っていったこともあり,それについていくのもはばかれました。おそらく国道439号線の改良工事のための車両なのでしょう。このように,日本の辺境地はどこに行っても道路改良やダムなどの工事ばかりで,多くの工事車両が走っていますし,やたらと工事中です。
というようなことで,地図で見る限り,国道439号線のほうがずっと険しい道路に見えるので,少し大回りのように見えても,私が走った道順が正解だったようです。
いずれにしても,国道439号線,私が予想していたほどはたいへんでなく,祖谷から40分あまりで奥祖谷に到着しました。

奥祖谷は期待通りの場所でした。駐車場に停まっていたのは2,3台の車だけで,観光バスが来ることはほぼ不可能。車がなければ,公営のバスがあるとかいう話ですが,そうでなければタクシーを使うしかアクセスできません。
食事ができるような場所があるとは思えなかったのですが,なんと,1件,食堂がありました。そこで,まずは腹ごしらえということで,食堂に入りました。お客さんは私ひとりでした。食堂をやっていたのは,歩くのもままならないようなお年寄りの女性がふたりだったので,セルフサービスでしたが,祖谷そばとおはぎを注文しました。祖谷そばはそばが太く,こしがあって,なかなか美味でした。
これぞ,私が憧れている旅の姿でした。

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高知空港の建物の中にレンタカー会社のカウンタがありました。私が借りたのは山形に行ったときと同じオリックスレンタカーでした。送迎が来るから少し待つように言われて待っていると,やってきたので乗り込んだのですが,レンタカー会社は道路を隔てた場所にあって,歩いても行くことができるくらいの距離でした。
いよいよ出発です。高知龍馬空港は高知市より結構東に離れた海岸沿いにあるのですが,私がめざす祖谷は空港から少しだけ国道55号線を西に走り,国道32号線に出て,国道32号線を道なりにずっと北上して大歩危渓谷まで行って,そこを右折して県道45号線に入るとすぐです。以前,自宅から車で高知市に来たことがあって,そのときに,徳島市から西に吉野川に沿って走り,南に折れて国道32号線を南に走ったことがあるのを思い出しました。

いつものことですが,私の旅はやりたいことを先にやる,というのが基本です。
今回の旅の目的のひとつは祖谷のかずら橋ですが,さらに行った奥祖谷に二重かずら橋があって,ぜひ,そこのふたつのかずら橋を渡ってみたかったのです。幸い,この日は天気がよかったので,祖谷を通り過ぎて,まず,奥祖谷まで行くことにしました。祖谷から奥祖谷までは県道45号線を東に走って,つきあたる国道439号線をさらに走っていきます。
私がこの旅で最も心配だったのが,その,国道439号線でした。
それは「文春オンライン」に次のような記事があったからです。
  ・・・・・・
日本で最上級の道路である国道。国の根幹となる道路だけに,整備が行き届いているイメージをもっている方が多いだろう。しかし,そんなイメージとは裏腹に,道幅が狭く,舗装は剥がれ,路面に落石が転がっている酷い状態の国道,すなわち「酷道」も存在する。
そんな酷道の中でもトップクラスに酷いのが四国の国道439号だ。
国道439号は四国を横断しており,徳島市から高知県四万十市を結ぶ,一部界隈からは「ヨサク」の愛称で親しまれている道路だ。道の酷さもさることながら,総延長348キロメートルという距離が,ドライバーを精神的に追い詰める。走り出してから1時間もすると,早々に対向車との離合が難しくなってしまった。さすがは「酷道」だ。
  ・・・・・・

「日本3大酷道」というのがあります。それらは,紀伊半島を横断する国道425号線と,福井県大野市から長野県飯田市を結ぶ国道418号線とともに,この国道439号線のことを指すそうです。私は,そうとは知らず,以前,何と,雨の夜に,国道425号線を走ったことがあって,えらい目に遭いました。それ以来,「酷道」はトラウマになっていました。そこで,今回,奥祖谷にたどり着くためには国道439号線を走らなければならないということがずっと懸念材料だったわけです。
しかし,天気がよかったこともあって,走ってみたら,意外や意外,まったく大したことはありませんでした。確かに,一部,すれ違うことが困難で,対向車が来たらどうしよう,というところもあったのですが,それはそれで気をつけて減速して走れば大したことはなかったし,まれに対向車が来ても,地元の車はうまくかわしてくれました。また,山深い国道425号線とは違って,周囲にはずっと集落もあったし,多くの場所で改良工事が進んでいて,道路が広くなったりトンネルが作られていました。
いろいろな面で,前回走った国道425号線のほうがずっとたいへんでした。国道425号線は二度と走りたくないけれど,国道439号線はまた走ってもいいかな,という感じでした。

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1日目 2022年10月20日木曜日
出発の日が来ました。今回の四国旅行は2泊3日です。行きたいところだけを回るのなら1泊2日でも実現できそうだったのですが,天気次第ということで,1日増やしました。今年6月に山形に行ったときに利用したFDAが便利で安価で,かつ,快適だったので,今回もFDAを予約しました。
出発は午前7時20分だったので,1時間ほど前に県営名古屋空港に到着するように家を出ました。
県営名古屋空港は,前回利用したときに比べて,非常に人が多くて驚きました。その多くは,東北方面に行く団体ツアーの人たちのようでした。まだ本格的なインバウンドがはじまっていないので,日本らしい静かな山里を快適に旅行するおそらく最後のチャンスなのですが,すでに,日本に住む人のツアー旅行は活況を呈しはじめています。これまで我慢してきた人も多いので,無理もありません。
私は,コロナ禍だろうとそうでなかろうと,一向に変わらずマイペースだったので,これまでも行きたいところがあれば問題なく出かけていたのですが,どこに行ってもとても空いていて快適でした。しかし,こうなると,少し焦りを感じます。というのも,せっかく静寂を求めて旅をしているのに,団体ツアーが復活したので観光地には大型バスがやってくるようになって,そうしたバスが来るような最悪のタイミングに出会ってしまうと雰囲気が変わってしまうからです。
旅の大敵は,インバウンドと団体ツアーとオートバイのツーリングです。いずれにせよ,どうして人は群れたがるのでしょう? 私にはまったく理解できません。

ところで,FDAを使って旅をするコツをひとつ書きます。
まず,とにかく,早く予約をするべきです。そうすればとても安価です。
また,飛行機の座席が選べるのですが,行きは最後尾,帰りは最前列を選ぶことです。真ん中あたりは主翼が邪魔するので避けるべきです。どうして行きは最後尾で帰りは最前列がいいかというと,最後尾は一番先に乗ることできることと,機内で軽食とお茶が出るのですが,これが一番先に配られるからです。降りるのは最後になりますが,到着後はレンタカーを借りるので,それほど焦って人より早く降りる必要もないのです。帰りが最前列がいいという理由は,帰りもまた機内で軽食とお茶が出るのですが,これが一番先に配られることと,一番先に降りられるということです。
読んでいても意味不明かもしれませんが,実際にそうすると,私がここで書いたことの意味がわかることでしょう。

さて,飛行機は定刻に出発しました。50分余りの飛行です。
これは,その日の風向き次第ですが,風のないときは県営名古屋空港から南南東に向かって離陸するので,進行方向に向かって左側に座ると富士山を見ることができます。やがて,渥美半島あたりで大きく旋回して,海岸に沿って進みます。そこで,はじめに眼下に見えるのが渥美半島,そして,伊勢湾を過ぎると志摩半島,その後は紀伊半島を海岸に沿って飛び,紀伊半島の先端にある串本が見えると海に出て,やがて,四国の室戸岬が見えはじめると着陸態勢に入ります。
まあ,国内の旅なんて,ハワイでオアフ島のホノルルからハワイ島のヒロまでいくくらいの距離と時間だから,まったく大したことはありません。日帰りもできます。鉄道は時間もかかるし値段も高いし,それに比べて飛行機は安く,かつ,早いのでとても便利で楽です。
コロナ禍以前は,年に30回くらいは飛行機に乗っていた私ですが,今年は,6月に山形まで往復しただけです。こうして再び空の旅をすると,飛行機の旅の楽しさを思い出してきました。
ということで,あっという間に高知龍馬空港に着きました。

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これまで遠く行くことが難しいと思っていた高知県は,FDAという航空路線を知ってから,とても近く思えるようになりました。これは,少し以前に行った山形県も同様です。私のような,メジャーな観光地には興味がなく,小さな温泉宿に泊まって,日本の山里を旅したい,という趣向にはもってこいです。それは,名古屋での出発がセントレア・中部国際空港ではなく,家から近い県営名古屋空港であるということも合わせて,とても快適な旅ができるからです。
飛行機のチケットを買い,レンタカーの予約をしたので,次は,宿泊先でした。
この旅の目的である,かずら橋を渡る,と,ホビートレインに乗る,という両方の条件を満たすために,1日目はかずら橋の近くに,そして,2日目は四万十町のどこかに泊まることにしました。そして見つけたのが,1日目はかずら橋まで歩いて行くことができるという場所にある小さな宿,2日目は松葉川温泉というところでした。松葉川温泉がどこなのかさえよくわからなかったのですが,食事が豪華で,温泉が広く,かつ,安価だったのが決め手となりました。
とりあえず,これだけを押さえました。あとは天気次第です。ずっと雨だったらすべてが台なしです。そこで,これ以上の計画を立てることはひとまずやめました。

出発まで1週間となったころ,天気予報が願ったりかなったりの連日快晴とありました。いつものことですが,今回もまた,強運でした。こんなことってあるのだろうか,と思いました。
そこでやっと計画をたてはじめました。
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まず,かずら橋に行くのですが,1日目の高知到着が早いので,祖谷のかずら橋よりさらに奥にある奥祖谷の二重かずら橋から行くことにしました。前回も書いたように,問題だったのは,いわゆる「酷道」である国道439号線でした。ウェブ上には行ったことのある人のブログがたくさんありましたが,それを読むと,道路がたいへんだったという人もいれば,別にどおってことない,という人もあって,判断がつきませんでした。
奥祖谷にはかずら橋がふたつと野猿とよばれる籠のような乗り物があるのですが,それよりも何よりも,そのときはじめて,野猿が故障中だということを知って驚きました。それにはがっかりしました。このことはまた後で詳しく書くことにします。
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次がホビートレインでした。
まず,予土線がどこを走っているのかがわかりません。そこで,地図に色を塗って調べていきました。Google Maps をはじめとして,地図には道路は詳しく書かれているのですが,それに比べて鉄道の線路がわかりにくいからです。次に,ホビートレインの時刻表を探したのですが,これを見て考えこんでしまいました。それは,私が乗ることのできそうなお昼間の時間には1本しか走っていなかったからです。そこで,それに乗る必要があったのです。
また,列車は窪川という駅から出発して,宇和島駅まで行くということわかりました。私はレンタカーを使うので,ホビートレインを利用するには,どこかの駅に車を停めて,ホビートレインに乗り,途中のどこかの駅で降りて,折り返す,という方法をとることにしました。終点の宇和島まで行ってしまっては,戻るのに随分と時間がかかるからです。
しかし,どの駅の近くに数時間停めることができる駐車場があるのやらないのやらがさっぱりわかりませんでした。また,途中のどこの駅で降りれば,そこから逆方向の列車に順調に乗り換えて戻ることができるのかがわかりませんでした。それは,折り返しの列車の本数も非常に少なかったからです。乗り換えの待ち時間が数時間,などという駅もありました。
調べていてもほとんど情報がないので,あきらめて,ともかく行ってから考えることにしたのですが,実は実は,私が心配していたのは,完全な取り越し苦労だったのです。これもまた,後日書くことにします。

それやこれやで,海外旅行をするよりも情報が少ないことと,情報が複雑かつ必要なことがわからない,という,これもまた,表向きおもてなし,しかし実情は,乗れるものなら乗ってみろ,のような,いかにも配慮のかけらもなく不親切な日本らしい状況に,半ばあきらめ,また,半ば,当日のハプニングを期待して,出発を迎えました。
果たしてどんな旅になるのやら…。国内を個人旅行するのは大変です。


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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
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海外旅行もおよそ行きたいところに行ってしまった今,国内で行ってみたい,やってみたいということがいくつか残っていて,その想いを実現するために,いろんな旅を計画しています。
そんな想いの中に,かずら橋を渡ってみたい,というのと,新幹線をまねたホビートレインに乗りたい,というものがあります。今回はそれを実現することにしました。
奇しくも,全国旅行支援がはじまり,安価に旅ができるのは助かるのですが,私の旅はそれとは関係がありません。むしろ観光客が増えることが私には難でもあります。また,日本の旅は,天気が大きな要素を占めているので,計画を実現するのが結構大変です。
かずら橋を渡ってみたい,という理由は,以前,紀伊半島の十津川村に行ったとき,日本最長の谷瀬のつり橋というのを渡ったとき,かずら橋のほうがよほど怖いという話を聞いて,ならば渡ってみようと思ったからです。ちなみに,谷瀬のつり橋というのは
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十津川村1番の名所「谷瀬のつり橋」は。昭和29年に村人の力で架けられた,長さ297メートル,高さ54メートルの生活用としては日本一長い吊り橋です。揺れる橋を渡るには勇気が必要ですが,渓谷に沿って連なる山々や橋下を流れる美しい川は,ここでしか見られない十津川の眺望です。
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というものです。
とはいえ,話には聞いたことがあっても,かずら橋がどこにあるのかさえ,知りませんでした。調べてみたら,徳島県の山奥,祖谷というところにあるということ。さらに調べると,この祖谷のかずら橋は結構観光地化されていて,さらに50分程度行ったところに奥祖谷に二重かずら橋というのがあって,そのほうがずっと秘境感があるということがわかりました。また,新幹線をまねたホビートレイン,これは,よくテレビの旅番組に登場するのですが,四万十川に沿って走る予土線を走っているということでした。しかし,時刻表を見ると,1日に数本しか走っておらず,結構乗るのがたいへんそうでした。

いずれにせよ,これはFDAで高知龍馬空港まで行って,そこでレンタカーを借りればいいや,と考えて,2泊3日の旅をすることにしました。しかし,台風銀座の四国のこと,9月はやめて,10月の下旬に行くことにしました。いくら何でも,10月の下旬に台風は来ますまい。
しかし,問題がひとつ。
奥祖谷に行くには,私が以前,紀伊半島で知らずに走った国道425号線とともに「日本3大酷道」のひとつといわれている通称「よさく」つまり,国道439号線を走らなくてはならないということだったのです。国道425号線で怖い思いをした私は完全に酷道に対してトラウマになっていて,これだけでもビビりました。行けるかどうかは,まあ,ともかく,天気次第です。
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そんなわけで,海外旅行に行くときと同じく,航空券とレンタカーをまずは予約して,その次に宿を探す,という順番に決めていきました。
旅行の計画は楽しいものです。


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