しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

カテゴリ: 沖縄旅行LIVE

IMG_6010IMG_6011

【Summary】
I visited Miyako Island, but bad weather and the island’s condition were disappointing. On the last day, rain kept me at the airport, where I spent time in the cafeteria. The bus system was confusing, and my return flight was delayed. ANA's service was unsatisfactory. The evening view was beautiful, but I won’t return.

######
2025年3月6日。
帰りの便の予定は宮古空港午後3時発でセントレア・中部国際空港着午後5時15分でした。
2泊3日の宮古島は,美しいところだと思ってやってきたのですが,あいにく天気があまりよくなかったこともあって,確かに海はきれいだったけれど,島は壊れたような家が多く,道路も汚く,観光客も多く,離島らしい最果て感もなく,スキューバダイビングをする目的でなければ,魅力的な島ではないなあ,というのが私の印象でした。
最終日,天気がよければ宮古市街を歩き回ろうと思っていたのですが,朝から雨が降っていたので,何もせず,空港に行くことにしました。ずいぶん時間があるのですが,屋根があるから空港でのんびりするほうがマシだろう,という考えでした。

今回は,レンタカーつきの宿泊所ということだったので,すでにレンタカーは返却してしまい,宮古空港までは公共交通機関で行く必要がありました。
市場通りという宮古市街の中心のバス停で宮古空港へ行くバスを待ちました。宮古空港へ行くバスは2時間に1本ほどなしかないので,乗り損ねるとえらいことになります。
宮古島のバスは不可解なことばかりでした。乗ったバスの運転手はひと言もしゃべりませんでした。当然,次のバス停すら案内がありません。降りるときボタンを押すことになっているのですが,降りる客がいてもいなくても,もれなくバス停に停まり,バス停に着いても無言で扉を開けました。また,整理券がないのに,均一料金でありません。
空港入口というバス停でバスが停まりましたが,隣にいた乗客に聞くと,この次のバス停で空港のターミナル前まで行くと教えてくれました。そのとおり,空港入口の次が空港ターミナルのバス停でした。来るときに乗ったとき240円だと知ったいたので,そのお金を払って,バスを降りました。想像を絶する運転手さんでした。

さて,こうして宮古空港に着いたのですが,石垣島の空港に比べて狭く,特にやることもありません。とりあえず,食堂に入り,コーヒーとトーストを頼みました。そして,1時間ほど粘って,今度は,昼食としてカレーライスを注文しました。ここにいるくらいしかすることがないのです。
これ以上長居できないので,まだ時間はあったけれど食堂を出て,搭乗口から空港待合室に入りました。むしろ,待合室のほうが広く快適でした。
ところが,帰りの便の出発がおくれ,午後3時発が午後3時30分発に代わり,さらに,最終的には午後3時45分発になりました。天気が悪く,私の乗る便に限らず,到着がおくれているようでした。とはいえ,JALのほうは,頻繁に遅れるという案内放送があるのに,ANAはまったくありませんでした。来た時の機内ではうるさいほど不必要な放送があったのに,空港では必要な案内放送がないというのが,まあ,ANAらしいというか…。ANAは機内も狭く,LCCと変わらなかったし,私は,これまでもANAにはあまりいい印象がありません。今回,それが決定的になりました。

ともかく,やっと搭乗時間になったので,機内に入りました。窓際の席だったので,夕方の美しい景色を見ることができました。
種子島の旅とは違い,いろんな面で宮古島はモチベーションの低い旅でした。もう行かない。

IMG_5982IMG_5985IMG_5988IMG_5989IMG_5990IMG_5992P1000953IMG_5997IMG_5999IMG_6001IMG_6002IMG_6004IMG_6013


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

P1000929

【Summary】
After touring Miyako Island, I had dinner at "MIYAKO SHOCK!" where I enjoyed Orion Beer with Miyako Soba and oden. Orion Beer, established in 1957, is known for its mild taste and smoothness. Miyako Soba features flat noodles in a light bonito-based broth with toppings hidden under the noodles. Miyako's oden, called "Shima Oden," includes pork trotters ("tebichi") but I opted for "Pochigi" sausage with mustard, reflecting U.S. influence. Both the soba and oden had a light, refreshing flavor.

######
宮古島1周を終えて,宿泊先に戻ってきました。
宿泊先に車を置いて,歩いて昨日食事を終えた後で見つけた「MIYAKO SHOCK!」というコンテナハウスの食堂に夕食をとりに出かけました。
「MIYAKO SHOCK!」には8軒の店があり,店ごとに趣向が異なっていて,どこで食べようか選ぶのに苦慮しましたが,とにかく地元のものを,ということで,はじめの1軒ではオリオンビールを呑みながら宮古そばを,そして,2軒目はオリオンビールを呑みながらおでん,ということにしました。

今でこそ,本土でもみんなが知っている沖縄固有のオリオンビールです。
  ・・・・・・
オリオンビールは,沖縄の気候風土に適した爽やかなのどごしとマイルドな味わいが特徴のビールで,沖縄を代表するビールとして,沖縄を訪れた旅行者には定番の飲み物です。
第2次世界大戦で沖縄は荒廃し,社会経済復興に第2次産業を興さなければいけないという志から,アメリカ統治下の1957年(昭和32年)に,当時から名水が湧出していた国頭郡名護町(現在の名護市)で設立されました。
  ・・・・・・
沖縄県産大麦ややんばるの水など沖縄の素材を使用していて,ビール独特の苦さが少なく,初心者にもおすすめできるビール,ということですが,お酒の強い私には苦さがまるでなく,まるで子供ビールかノンアルコールビールでしかありませんでした。いくらでも呑めちゃう。

宮古そばは,昨日の名前だけの沖縄ラーメン? の口直しでした。
  ・・・・・・
宮古そばは宮古島の代表的な食べ物のひとつで,細い平麺で豚骨とかつお節がベースのスープが特徴です。沖縄そばと同じように。三枚肉やかまぼこがトッピングされていることが多く,麺の下に具材を隠すのが伝統的な盛りつけ方法です。
あっさりとした味なので,メイン料理としてはもちろんおやつ感覚でペロリと味わうこともできるでしょう。
  ・・・・・・
ということで,オリオンビール同様,癖がありません。どうしてこの蒸し暑い地方なのに,あっさりとしたものが多いのが不思議です。

宮古そばは沖縄そばと似ているようで全く異なる特徴をもっているそうです。
沖縄そばの発祥は14世紀から15世紀ごろで,中国の宮中料理として出されていたものに手を加えていって,徐々にが完成したとされています。宮古そばは沖縄そばの影響を受けて誕生したもので,大正時代,もしくは昭和初期から戦後にかけて普及していったものという説が有力です。
宮古そばと沖縄そばの最大の違いは,豚の三枚肉やかまぼこといった具材を麺の下に入れるという点です。宮古そばはあっさりとした出汁の味と麺の種類が平麺であることも特徴的です。また,出汁は鰹出汁が主流で具材は豚の三枚肉の他に宮古島特産の波打ち形状のかまぼこを薄く切り麺の下に盛り付けます。麺の上には刻みネギのみをトッピングし,かけそばのような見た目にするのが伝統的な宮古そばの完成系です。

なぜか目につく「おでん」という看板。静岡でもあるまいし,どうしてこの地におでん? と私は思いました。
宮古島のおでんは島おでんというそうです。島おでんは宮古島の郷土料理で,大根や厚揚げ,さつま揚げや卵といった本州のおでんと同じ具材だけでなく「てびち」といわれる豚足を入れるのが特徴です。
  ・・・・・・
「てびち」は長時間煮込まれてトロトロになっているため,けもの臭さはほとんどありません。てびちの柔らかさと菜っぱのシャキシャキ感が口の中で絶妙に絡み合い、無限に食べることができるでしょう。
  ・・・・・・
ということなのですが,私には「てびち」は抵抗があって,注文できまず,「ポチギ」というソーセージを注文しました。マスタードで食べるの習慣は米軍の影響ともいわれているそうです。また,だしはあっさりとしたかつおだしをベースにしています。
何もかも,どうしてなのか,おでんもまた,あっさりなものでした。

IMG_5986P1000907P1000917IMG_5980P1000923 P1000940 P1000948P1000949


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

P1000863

【Summary】
In the spring of 2020, I visited Molokai, Hawaii, and learned about Kalaupapa, where Saint Damien and Saint Marianne Cope cared for leprosy patients. Recently, I visited Miyako Nanseien in Miyako Island, a national leprosy sanatorium. Guided through the historical museum, I learned about Japan’s leprosy isolation policy, its abolition in 1996, and lingering discrimination.

######
2020年春,コロナ禍が猛威をふるう直前に訪れたハワイ・モロカイ島で,かつて,ハンセン病患者の人たちが隔離されたカラウパパ(Kalaupapa)という場所を知りました。
  ・・・・・・
カラウパパは,かつて,ベルギーの宣教師であった聖ダミアン(Saint Damien),そして,その後継となった聖マリアンヌコープ(Saint Marianne Cope)が献身的につくした場所であった。
1873年,ダミアン神父は,カラウパパに追放されたハワイのハンセン病の住民の世話をするためにやってきた。16年間の忠実な奉仕の後,ダミアン神父もまた,この病気に屈し,カラウパパの聖フィロメナローマカトリック教会(St. Philomena Roman Catholic Church in Kalaupapa)に眠ることになった。今,そこにはダミアン神父の墓がある。2009年,ダミアン神父は聖人として列聖された。
  ・・・・・・

昨日,池間島に行った帰り,宮古島に,宮古南静園という国立ハンセン病療養所があって,ハンセン病歴史資料館が見学できることを知りましたが,時間が遅く行くことができませんでした。この日,何をおいても,見学に行きたいと思っていたので,それがかないました。
宮古島に多くの観光客が訪れても,ここを見学に来る人は希でしょう。
  ・・・・・・
ハンセン病とは「らい菌」という細菌に感染することで起こる病気です。
発病すると主に皮膚や末梢神経がおかされ,痛みや温度を感じることができず,その結果,やけどやけがを繰り返し,手足や顔面などが変形する後遺症が残ることもありました。
1873年(明治6年)にハンセンが病原菌を発見し,1943年(昭和18年)にアメリカで治療薬「プロミン」の優れた効果が発表され,治る病気になりました。そして,特別な施設に患者を長期間にわたって強制的に隔離する対策は批判をうけ,国際的に廃止されていきました。
それ以前,1907年(明治40年)に,日本政府は人里離れた療養所に患者を強制的に隔離するという政策を行い,ハンセン病は「とても怖い恐ろしい病気である」という誤った認識を人々に植えつけました。 そして,患者やその家族への偏見や差別が強まり,差別を受けました。
  ・・
入所者は,隔離政策をやめるよう声をあげ続けましたが,隔離政策を定めた法律「らい予防法」が廃止されたのは,なんと1996年(平成8年)でした。しかし,被害を受けた人たちへの謝罪はなく,元患者による国の責任を問う裁判がはじまりました。そして,やっと2001年(平成13年)に,熊本地方裁判所は「らい予防法」が憲法違反であったこと,遅くとも1960年には政策を変更しなければならなかったことなど,国の責任を認める判決を下し,謝罪や賠償を命じました。
しかし,未だに,ハンセン病をめぐる差別や偏見が残っています。
沖縄県内には,名護市沖縄愛楽園と宮古島市に宮古南静園に国立ハンセン病療養所があります。現在,入所者は高齢化し,宮古南静園には平均年齢90.3歳の人が生活をしています。
園内に資料館を設置し,ボランティアガイドや学芸員による園内案内,展示解説などが行われています。
  ・・・・・・

歴史資料館では,隔離政策の歴史を紹介するパネルや,かやぶきの住居の模型などがある展示室,戦争体験などの証言の部屋,入所者の作品展示室のほか,実際にあった監禁室が再現されていて,私は,時間をたっぷりとって,ガイドさんの説明を聞きながら,施設を見学しました。なお,館内は写真撮影禁止なので,写真はありません。
私が宮古島へ来て,最も有意義で充実した時間でした。

P1000885 P1000883 P1000868P1000872P1000877


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

P1000784

【Summary】
I visited Miyako Island, stopping at Sunayama Beach, which features white sand and a natural rock arch formed by wave erosion, though access was restricted due to falling rocks. I then visited Cape Nishihenna, the island’s northern tip, offering calm views unlike the rugged Cape Higashihenna. On the way to a Hansen's disease museum, I saw the Shimajiri mangrove forest, Miyako’s largest, home to all native mangrove species, adapted to low-oxygen environments with distinctive roots.

######
伊良部島から戻ってきました。
私がこの日,行きたかったもうひとつの場所は,宮古島の北にあるハンセン病歴史資料館でした。このことは,また,次回書きます。そこへ行くついでに,宮古島の最北端・西平安名岬(にしへんなざき)に寄ることにしました。

その途中にあるのが,砂山ビーチでした。
  ・・・・・・
砂山ビーチは,宮古島の西岸にある白砂の海岸で,砂に覆われた丘の先にある砂浜であることから砂山ビーチとよばれます。
砂浜の延長は短いのですが,背後に迫る砂山に加え,砂浜の左手には天然の岩のアーチがあり,独特の景観を呈しています。岩のアーチは波の浸食によって形成されたものです。
  ・・・・・・
駐車場に車をとめて,そこから歩いて行ったのですが,靴に砂がめり込みます。こんな場所はハワイ・マウイ島のビーチにはいくらでもあったのを思い出しました。
ビーチにたどり着きました。落石のためにアーチは立ち入り禁止になっていました。
この場所もまた,旧ダイエー系企業によるリゾート開発の計画があったそうです。ダイエーの経営悪化で頓挫し,リゾート計画は進展していないということですが,日本いたるところで,国を壊すようなことはいい加減にしてもらいたい,と思いました。

さらに進んで,最北端に来ました。
  ・・・・・・
西平安名岬は,宮古島の北端にあたります。正しくは,池間大橋のかかる世渡岬のほうが最北端となります。昨日訪れた最東端・東平安名岬とともに,地元では「ピャウナザキ」とよばれていたとされます。元来は,宮古ことばで北の平安名を意味する「にすへんな」とよばれていて,これが訛って「にしへんな」となったといいます。
荒々しく男性的な地形の東平安名岬に比べると穏やかな風景が広がっています。

ここから南に下っていきますが,ハンセン病歴史資料館へ行く途中に,島尻のマングローブ林がありました。思ったよりも広く,また,しっかりと整備されていました。ここは,宮古島最大のマングローブ群生地で,宮古島に自生するマングローブの全種を観ることができる場所です。
宮古島には海に流れ込む川がなく,海岸近くに地下水脈の湧き出し口があり,そこに発達した希少なマングローブということです。
マングローブの木々の大きな特徴はその発達した根にあります。タコ足のような根や、地表(水面)から突き出た根、板のように張り出した根など、特徴的な根を持っていますが,これは湿地性の樹木に見られる「呼吸根」で,水が充満した地中からはほとんど酸素が得られないことが多いためにこのような構造に発達したそうです。
1週間ほど前に行った種子島のマングローブ林より,ずっと大きな規模でした。

P1000752P1000779P1000789P1000795P1000798P1000803P1000825P1000852P1000859


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_5969

【Summary】
After lunch, I toured Irabu Island, starting with Toguchi Beach, known for its fine white sand and views of Miyako, Kurima, and Shimoji Islands. Next was Saba-Utsugaa, a historic well where locals once drew water from 130 steps. At Funau-sagibanata, a lookout with ocean views, I found it quiet and scenic. Finally, I visited Yamato-buu Rock, a massive limestone formation near memorial monuments.

######
昼食を終えて,伊良部島を1周しながら,見どころを巡ることにしました。
まず,行ったのが渡口の浜でした。
  ・・・・・・
伊良部島の西部にある渡口の浜は,長さ800メートルに渡って真っ白な砂浜が広がり,砂の白さと細かさは宮古諸島の中でも一番です。
ビーチからは,宮古島,来間島,下地島を望むことができます。
  ・・・・・・
というところですが,私以外に観光客がおらず,眼下にすばらしい景色が広がっていました。とはいえ,ハワイ・マウイ島のマケナビーチには全くかなわないところでした。

次に見つけたのがサバウツガーでした。
  ・・・・・・
サバウツガーは,かつての伊良部島佐良浜の住民にとって貴重な水資源だった井戸がありました。
1966年に簡易水道が設置されるまでのおよそ240年間,130段近い階段を一日に何度も往復し水を汲んでいたと言われています。
  ・・・・・・
駐車場に車を停めて,ずいぶんと下まで,階段を下りて行きました。井戸がどこにあるのか,明確にはわかりませんでしたが,おそらくこれだろうと思いました。ここもまた,私以外にだれもいませんでした。目の前にはコバルトブルーの海が広がっていました。

そして,フナウサギバナタ。
  ・・・・・・
フナウサギバナタは渡り鳥のサシバをモチーフにした展望台でしたが,塩害のため現在は展望台のみとなっています。フナウサギバナタは伊良部島の方言で「船を見送る岬」という意味で,今は土台だけとなっていますが、展望台からは美しく輝く濃い青の海が一望できます。
  ・・・・・・
とあり,展望台に上ってみたら,思いのほか雄大な景色を眺めることができました。
ここに入る道がわかりにくいこともあり,訪れている人はほかにいませんでした。

そして最後は,ヤマトブー大岩。
  ・・・・・・
ヤマトブー大岩は,伊良部島の東側に位置します。直径18メートル,高さ25メートルの大きな石灰岩はとても迫力があります。近くには伊良部大橋開通記念碑や沖縄本土復帰記念碑などがあります。
  ・・・・・・

P1000643P1000654P1000660P1000677P1000681P1000703P1000709IMG_5971P1000734P1000749


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_5954IMG_5962

【Summary】
Irabu Bridge, opened in 2015, is 3,540m long and the fourth longest road bridge in Japan. After enjoying the view from Makiyama Observatory on Irabu Island, the author skipped Kuninaka Store due to crowds and opted for Yanburger Miyako. The atmosphere was nice but lacked a view, and the prices were high.

######
宮古島には,池間大橋,来間大橋に次いで,伊良部大橋があって,3つの島と船を使わずに行き来できます。これが石垣島との違いです。簡単に行き来できるのがいいのか悪いのか,少なくとも観光客にとれば,秘境感が薄れるという面が否めませんが,地元の人にはとても便利でしょう。
その中で,最も長いのが伊良部大橋で,この橋を渡るのを楽しみにしていました。橋を渡って,伊良部島で海を眺めながら昼食をとろうと考えました。

  ・・・・・・
伊良部島とを結ぶ伊良部大橋(いらぶおおはし)は,2006年(平成18年)に着工し,2015年(平成27年)に供用が開始された,全長3,540メートルの橋で,本橋部分と取付道路を合計すると全長は6,500 mとなる通行料金を徴収しない日本最長の橋です。
また,日本の道路橋全体でも,4,384メートルのアクアブリッジ,3,911メートルの明石海峡大橋,3,750メートルの関西国際空港連絡橋に次ぐ4番目の長さを持つ橋です。
  ・・・・・・
雄大な風景を眺めながらのドライブは最高でした。
伊良部島について,まず,牧山展望台に行きました。あいにく,駐車場に観光バスが停まっていたので嫌な予感がしましたが,ちょうど出発するところだったので,助かりました。せっかくなのに,観光客のおじさんおばさんがうじゃうじゃいては台なしです。
牧山展望台は,伊良部島南東部にあって,島内で最も高い場所に位置する展望台です。外観はサシバをイメージしています。
  ・・・・・・
宮古島の北西約5キロメートルに位置する伊良部島(いらぶじま)は,面積29.06平方キロメートル,海岸延長72.4キロメートル,人口約5千人です。隆起サンゴの島で全体に平坦な地形をし,最高地点は南東部にある標高89メートルの牧山です。
  ・・・・・・

展望台からの風景を堪能したので,昼食をとることにしました。
しかし,見つけたのは,國仲商店とヤンバーガー宮古島(YAMBURGER.MIYAKO)しかありませんでした。
「宮古島市伊良部島にある自家焙煎コーヒーと手作りパンが人気のカフェ」という國仲商店は
  ・・・・・・
約2,000坪の庭があり,伊良部島の大自然を体感できるカフェです。コーヒーだけではなく,チャイラテやレモネード,ズミージー(フラッペ)やアルコールもご用意しています。フードはシナモンロールやメロンパンなどのスイーツ系からトルティーヤやラフテーパン,ツナパンといった惣菜系のパンまで全部手作りで豊富にご用意しております。
  ・・・・・・
ということだったのですが,店先にあふれんばかりの人が並んでいました。伊良部島まで来て,都会の人気カフェと同じではいやになったので,断念して,ヤンバーガー宮古島に行きました。

  ・・・・・・
ヤンバーガー宮古島は,沖縄県産黒毛和牛100パーセントを使用した肉汁パティと外はカリ中はフワっとしたバンズ,新鮮島野菜を使用したグルメバーガーショップです。
店はパイナップルの壁画やティキがあり,ハワイを感じる空間になってます。
  ・・・・・・
ということでしたが,私以外にだれもいませんでした。
それりの雰囲気でしたが,景色がみられるわけでもなく,また,ハンバーガーも半端な値段でなく,まあ,そんなところでした。

P1000583P1000587P1000589P1000596P1000617P1000620P1000634IMG_5963IMG_5957P1000628


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

P1000533

【Summary】
Kurima Bridge, Japan’s longest agricultural road bridge at 1,690 meters, opened in 1995 but is now under repair due to aging. Kurima Island, a small, tranquil island with about 150 residents, features the Ryugu Observatory, offering stunning views of Maehama Beach and nearby islands. The island is also home to the sacred deigo tree, tied to local legends and rituals. Musunun Beach, a quiet, secluded spot, hosts the annual "Musunun Ugan" festival, where islanders perform traditional insect-purging and harvest prayers through rituals, singing, and dancing.

######
来間(くりま)大橋まで来ました。
  ・・・・・・
来間大橋は,1995年に開通した全長1,690メートルの日本一の農道橋です。橋からは前浜の美しい砂浜が見え,最高のドライブスポットとなっています。
  ・・・・・・
ということですが,橋はかなり老朽化していて,片側通行規制で修復をしていました。
  ・・・・・・
来間島は,地元では「ふふやまじま」「ふふゃまずま」「ふぃまずま」などとよばれる宮古島から南西約1.5キロメートルの太平洋に浮かぶ面積2.84平方キロメートル,周囲9.0キロメートルの小さな島です。人口は約150人で,過疎化が進んでいます。
  ・・・・・・

まず,竜宮展望台に行きました。その途中で,私が見つけたのはデイゴの木でした。
  ・・・・・・
デイゴはマメ科に属する落葉高木で,若夏のころ新葉に先立って真紅の美しい花を咲かせます。
来間島のデイゴは雨乞座という場所にあり,毎年9月甲午(きのえうま)の日に行われるヤーマス御願のとき,木の下で踊りが行われます。
このデイゴは,ウプヤー,スムリヤーヤー,マスヤーの3兄弟が1本ずつ植えたと伝えられますが,1本は何者かによって切り取られ,もう1本は台風で折れ,今は1本のみが残っています。
  ・・・・・・

集落の狭い道路を走って,竜宮展望台に着きました。駐車場に車を停めて,展望台に登りました。
  ・・・・・・
竜宮展望台は,来間島の高台にある竜宮城をイメージした3階建ての展望台です。
正面には前浜ビーチ,左右には伊良部島や来間大橋というすばらしい景色が広がっています。また,眼下に広がる海は砂地とサンゴの根とがおりなすグラデーションがとても美しく,いつまで見ていても飽きる事はありません。
  ・・・・・・
ということです。コンクリートの建物にコンクリートの屋根ですが,以前は瓦葺きだったのが,台風で装飾とともに崩落してしまい,このようになったそうです。
来間島は,石垣島に行ったときに船で渡った黒島に似たのどかな島でした。竜宮展望台の反対側にあったのがムスヌン浜というビーチでした。近くにはひまわり畑もありました。このビーチは人気がなくプライベート感満載ということだったので行ってみたのですが,未舗装の広場に車を停めることができました。

ムスヌン浜ビーチでは,毎年春に害虫駆除と豊作を祈願する祭事「ムスヌン御願」(うがん)が行われているそうです。 「ムスヌン御願」は,まず,酉,卯,亥年生まれの男性3人が害虫(イナゴ,コガネ虫,カタツムリなど)を岩場で焼き,引き潮に合わせて岸から300メートルほど離れた岩場に葬ってきます。そして,その間に女性たちによって「虫がいなくなり豊作になりますように」と神様に祈りを捧げます。その後,島中の人々が集まり,歌や踊りが奉納されます。
この虫払いのことを方言で「ムスヌン」ということからムスヌン浜とよばれるようになったそうです。

P1000563P1000498P1000504P1000518P1000520P1000538P1000547P1000557P1000559


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_5949

【Summary】
Driving west on Route 235 along Miyako Island’s southern coast, I headed for Kurima Island. Passing a resort area resembling Honolulu, I felt dislike for such places. I stopped at Imgya Marine Garden for a walk, then passed the Ueno German Culture Village, a questionable theme park. Many such parks in Japan end up abandoned.

######
宮古島の南海岸沿い,県道235号線を西に向かって走っています。目指しているのは来間島(くりまとう)です。
その途中,リゾートホテルが林立するところに来ました。どうやらこの辺りが宮古島へ観光にやって来た人たちの目的地らしいです。ハワイ・オアフ島ホノルルのようなところでした。
私は,こういう場所が嫌いです。そもそもリゾートというもの自体が好きではありません。

そこにあったのがイムギャーマリンガーデンでした。
  ・・・・・・
イムギャーマリンガーデンは,宮古島市南部のイムギャー海岸にある海浜公園です。
宮古島市が海洋性スポーツ・レクレーションと観光の振興を目的に設置した公園で,天然の入り江を利用して遊歩道が整備されていて,御神山にある展望台からは水平線を展望できます。
  ・・・・・・
ということで,駐車場に車を停めて,少し散歩しました。
駐車場に「なりやまあやぐ」の碑がありました。
  ・・・・・・
「なりやまあやぐ」は宮古島を代表する民謡です。
「あやぐ」とは古くからの教えを伝える教訓歌の意で,妻から夫へ,あるいは,恋人同士の女性から男性へ旅の無事や他の女性に近づかないよう戒めを唄ったものといわれていて,宮古島の城辺友利(ぐすぐべともり)地区が発祥とされています。
  ・・・・・・

さらに走ると,うえのドイツ文化村という施設がありました。
  ・・・・・・
うえのドイツ文化村は,宮古島市上野にあるテーマパークで,旧上野村とドイツとの交流の歴史を背景として建設されたものです。
ライン川を見下ろす古城マルクスブルク城を模した博愛記念館を中心に,宿泊施設,子ども向け施設,レストランなどがあります。
  ・・・・・・
1987年(昭和62年)に上野村がドイツ文化村の建築構想を策定し,1996年(平成8年)に 完成しました。「2003年(平成15年) 博愛パレス館が台風14号の風雨・高波で被害を受け閉鎖されました」とあって,その後どうなったのか知りません。今は営業しているのかな?
そもそも,バブルのころに日本中にできたこういうテーマパークの多くが現在は廃墟となっています。私は,せっかくの美しい自然を壊してどうしてこんなものを作るのかな,と思ってしまいます。

P1000478P1000474P1000483P1000491


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_5947

【summary】
On March 5, 2025, I continued my drive around Miyako Island, visiting Boraga Beach, known for its unique limestone cave, Pumpkin Hall. I then explored scenic spots along Prefectural Route 235, including the Mui-ga Cliffs, resembling Maui’s coastline. Though I stopped at Okinawa Electric Power’s wind farm and Nakahara Cave, the latter was closed.

######
2025年3月5日。
宿泊先には朝食がついていないので,昨晩,コンビニで飲み物とパンを買っておいて,それを食べました。今回の旅は,チープに徹しています。
この日は,昨日途中でやめた宮古島1周の続きです。まず,宮古市から国道390号線を南下して,途中で県道235号線に入り,南海岸に沿って,途中停まらず東に進みます。昨日は,宮古島最東端・東平安名岬までは行ったので,この日は,その手前の保良泉ビーチ(ボラガービーチ)まで行って,国道390号線を見どころで停まりながら引き返します。

まずは保良泉ビーチでした。宮古島海宝館という建物があるその左手の狭い道がアクセス道路です。宮古島海宝館は一見さびれていて,つぶれたレジャー施設なのかな,と思ったのですが,ネットで見ると営業しているようです。「地元出身の元潜水夫である館長が集めた貝類の標本を展示する博物館」だそうです。
ビーチへのアクセス道路は,急な坂を下って行くので,私の借りたぼろ軽自動車が果たして帰るときに無事この坂を登れるのか心配になりました。やがて,10台ほど駐車できる場所がありました。車は1台しか停まっていなかったので,そこに車を停めました。まだその先も道がありましたが,そこを下っていくと,切り返しができなくなってしまうらしいです。
保良泉(ボラガー)とよばれる湧き水の近くにある天然ビーチは,サンゴ礁や岩場の多い変化に富んだ地形の海岸で,夏はすごい人気だそうです。また,このビーチが有名な理由は,カボチャの形をした特殊な鍾乳石のある鍾乳洞「パンプキンホール」があることだそうで,ツアーに参加すると行くことができるようです。

心配だった坂道も無事登って,私は,さらに県道235号線を西に進みます。
道路際に,沖縄電力の風力発電所の展望台があったので,登ってみましたが,たいして何もみえませんでした。また,少し内陸に行ったところには仲原鍾乳洞があったので,寄ってみたのですが,朝早く,まだ公開していませんでした。
  ・・・・・・
仲原鍾乳洞は,オーナーの個人所有の鍾乳洞で,サトウキビ畑の下にあり,鍾乳洞の天井が10万年前に崩落してできた地形です。
直径30メートル,高さ15メートルの断崖に囲まれた天井の崩落した鍾乳洞です。洞窟は265メートル伸びていますが,観覧ができるのはそのうちの15メートルほどです。
  ・・・・・・
だそうです。

引き続き,県道235号線に戻ります。このあたり,高台で,ムイガー断崖という絶景スポットが続きました。ハワイ・マウイ島の南海岸に少し似ていました。
  ・・・・・・
ムイガー断崖は,まさしく…断崖絶壁で,荒々しく切り立った崖が大自然ならではの景観を 作り出しています。ムイガーは「湧水」を意味することばで,昔は水源地として利用されていました。
  ・・・・・・
断崖の下には今もなお湧水が出ている池があって,水汲み設備の跡も残っています。また,断崖の近くには「鯨が見える丘」という絶景展望地もありますが,私は,ハワイで鯨なんていくらでも見て来たので展望地まで登るのはパスしました。

P1000379P1000408P1000418P1000433P1000437P1000440P1000453


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

P1000349

【Summary】
During my trip to Miyako Island, I visited Higashi-Hennazaki but decided to return to the city via Route 390, feeling the island lacked a remote atmosphere. In the evening, I explored historical sites but found them poorly maintained. Struggling to find a suitable eatery, I settled for a "Ryukyu ramen" shop, only to be disappointed. Later, I discovered a container house area offering Okinawan cuisine and decided to try it the next day.

######
この日は,宮古島最東端・東平安名岬まで行ったので,これで満足して,宮古島を海岸線に沿って1周,の残りは明日にして,ここからは国道390号線で最短距離で宮古市街に戻ることにしました。
国道390号線沿いは,市街地がずっと続いて,最果て感のない島だなあ,と思いました。また,宮古市街地の手前は,ヤマダ電機やらマクドナルドやらといった私の住むところと同じような全国チェーン店だらけでした。
よく,石垣島と宮古島を比べているものがあります。石垣島にも全国チェーン店だらけの一角はありますが,そこを除けば最果て感満載です。しかし,宮古島にそれを感じることはありませんでした。というより,私には,この1週間前に行った種子島のほうが,ずっと最果て感があって,よかったと思いました。種子島には全国チェーン店もほとんとありません。

宿泊先に戻り,車を置いて,再び外に出て,市街地を探索しながら夕食をとりに行くことにしました。
まず,宿泊先のとなりにあったのが外間御嶽(ぷかまうたき)でした。
  ・・・・・
外間御嶽 の祭神は「男神・根間大按司 根間角嘉波良」(にーまうぷあず にーまつねがーら)とされ, 根間大按司(にーまうぷあず)の子孫の,目黒盛豊見親(めぐろとうゆみゅあ),根間角嘉波良(にーまつねがーら),真角与那盤(なずぬゆなばん),普佐盛(ふさもり)の5代の墓であると記されています。
根間大按司(にーまうぷあず)の子が14世紀後半に宮古島を統一した目黒盛豊見親(めぐろとうゆみゅあ)で,その子が根間角嘉波良(にーまつねがーら)です。
墓は,普佐盛(ふさもり)の弟・根間いかり(にーまいかり)が御嶽の形に造り変え龍宮界から伝授さ れた「コネイリ祭」をはじめたことから,御嶽(うたき)として人々から崇敬されるようになったと伝えられています。
  ・・・・・・
なお,御嶽(うたき)というのは,琉球王国が制定した琉球神道における聖域の総称で,祭祀などを行う場所です。
御嶽は琉球の神話の神が存在,あるいは来訪する場所であり,また祖先神を祀る場でもあります。
また,琉球神道では,神に仕えるのは女性とされるため,王国時代は完全に男子禁制でした。

道をへだてたところにあったのが仲屋金盛(なかやかなもり)ミャーカでした。
  ・・・・・・
仲屋金盛ミャーカは,仲屋金盛豊見親(とうゆみゃ)の墓といい伝えられています。墓は大半が土砂に埋もれて明らかでありませんが,石棺の蓋と思われる縦210センチメートル,横120センチメートル,厚さ22センチメートルの巨石が露出しています。
仲屋金盛豊見親は,16世紀初頭に宮古島の主長であった仲宗根豊見親の嫡子です。1500年の八重山のオヤケアカハチの乱,1522年ごろの与那国の鬼虎の乱に,父・仲宗根豊見親に従って従軍。父・仲宗根豊見親の没後,宮古島の支配者となりましたが,1532年ごろ,宮古島の東南部で勢力のあった金志川那喜太知豊見親(かねしがわなきたつとうゆみゃ)を殺害したかどで首里王府の問責にあい,自害しました。 この事件により,豊見親の称号は廃止されます。

そのとなりにあったのが,仲宗根(なかそね)家庭園跡でした。
  ・・・・・・
仲宗根家は,15世紀末から16世紀はじめにかけて宮古島の首長となった仲宗根豊見親玄雅(なかそねとぅいみゃげんが)を祖とする一門で,多くの宮古の頭職を輩出した由緒ある名家でした。
庭には池があり,左手前の太鼓橋を渡って石段を登り,池後方の築山の裏から右向こう側の橋へと園路が続く池泉回遊式庭園となっていて,太鼓橋の下には枯れ流れ,中央部のソテツの左側後方には滝組がなされています。
  ・・・・・・
このような史跡があったのですが,私は,そもそも,琉球王国に関するこうした歴史をまったく知らなかったので,帰ってから調べてみて,興味をもちました。しかし,せっかくの史跡も,案内板こそあれど,あまり整備されていないのが残念でした。滅んじゃった国だからなのかな。

市街地の中心まで来ました。
歩き回ってみたのですが,飲み屋はあれど,入りやすそうな食堂がありません。以前,頻繁にハワイに行ったときは,ハワイアンを聴きながら食事を楽しむところに興味を惹かれて,そうしたレストランに入ったものですが,どうも私は,琉球音楽や琉球酒場には惹かれないのです。
結局,「琉球らーめん」と看板にかかれた店があったので入りましたが,琉球らーめんというより,いつも食べているような普通のラーメンでした。
ともかく,おなかを満たし,外に出ると,道を隔てて,「MIYAKO SHOCK!」という8軒のコンテナハウスがあって,そこで沖縄グルメが食べられそうでした。この日はすでに琉球らーめん? を食べたので,おなかが一杯であることに後悔しました。そして,よし,明日の夕食はここにしよう,と思いました。

P1000892P1000894P1000331P1000338P1000342P1000354P1000357P1000367IMG_5943IMG_5941IMG_5944


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

P1000293IMG_5939

【Summary】
After arriving in Miyako Island, I headed southeast on Route 83 to Higashi-Hennazaki Cape. The cape, a 2 km-long limestone formation, features a lighthouse and strong coastal winds shaping unique vegetation. I visited the Mamaya Grave, linked to a tragic local legend, and learned of the Panari Utaki myth. In 2021, a local association began collecting a voluntary entrance fee, which caused controversy. By 2022, the city mandated an unmanned donation box, but I did not notice its presence.

######
池間島から戻って,さらに,宮古島1周を続けます。
午後2時30分に宮古島に来て,2時間経ちました。この後は,宮古島の最東端・東平安名岬(ひがしへんなざき)へ向けて,県道83号線を南東に進みます。けっこう距離があるので,この日はどこまでいけるかな,と思いながら走りましたが,道路は海岸線から少し内部を走っているので単調で,景色がいいわけでもなく,思ったよりも早く目的地に着きました。
広い駐車場があって,10台程度停まっていました。車を停めて,岬の先端にある灯台をめざして歩いていきました。
  ・・・・・・
東平安名岬は,東平安名崎ともいい,太平洋及び東シナ海に面する,宮古島の南東端から南東方向に突き出た長さ約2キロメートル,幅最大250メートル,標高約20メートルの細長い岬です。
琉球石灰岩のカルスト地形で,岬の上面は平坦で,随所に洞穴やウバーレといった凹地形がみられ,周囲は海食崖に囲まれています。
周辺の海域にはサンゴ礁が発達していて,岬の東方約1キロメートルはパナリ岩礁や離干瀬等とよばれる東西約2キロメートル,南北約1キロメートルにわたる楕円状の離礁が形成されています。また,岬の先端付近の海岸には巨岩が散在するほか,パナリ岩礁にも岩塊が点在すますが,これらの巨岩は,1771年(明和8年)の八重山地震の津波やそれ以前の地震の津波で運ばれてきた津波石であると考えられています。
岬の上には強風が吹き寄せるため高木は育たず,テンノウメやイソマツを中心とした風衝地特有の植物群落が形成されています。
岬の先端に,1967年(昭和42年)初点灯の平安名埼灯台が設置されています。
  ・・・・・・
平安名埼灯台は中に入れるらしいのですが,私が行ったときは,すでに遅かったのか,閉まっていました。このところ,多くの灯台に上ったので,まあ,どちらでもよかったのですが,灯台に上ると景色がすばらしいということでした。
灯台に先は広場があって,ずっと歩いていくと,先端まで行くことができました。

駐車場に戻る途中で,マムヤの墓を見つけました。
  ・・・・・・
マムヤは,岬のつけ根にあった保良村(ぼらむら)に住んでいた娘で,ニフニリという香草の芳香を放つ絶世の美女であったと伝えられています。あるとき,魚を取りに来た野城按司(のぐすくあじ)に見そめられて恋仲になるますが,妻子持ちであった野城按司は,結局妻を選び,マムヤは裏切られてしまいました。
マムヤはこの岬の断崖の中腹にある岩穴にこもって機織りに励み,上布を織り上げると断崖から身を投じて命を絶ったといいます。
  ・・・・・・
1911年(明治44年)の「琉球新報」に「此岬の東端に高さ三丈,巾四丈許の巨石北向にして横はれり。これ百年前傾国の美人とて有名なりしマモヤの墓なりという。目下棺と遺骨とは残れり」という記事があって,当時,マムヤの墓には棺と遺骨が残っていたといいます。

さらに,こんな伝説があります。
  ・・・・・・
岬の東方のパナリ岩礁にはパナリ御嶽(うたき)という御嶽があったと伝えられています。
パナリ御嶽は「離君あるず」という女神を祭神とし,船守の神として崇敬されていました。この岩礁はもとは東平安名岬と地続きで,パナリ村という村があったという伝承があります。
昔,ティダガナス(太陽神)が降りてきてその村の娘と親しくなり子供が生まれました。しかし,あるとき,ティダガナスは子守が子供をあやす子守唄を聞いて怒ってしまい,パナリ村を踏みつけるとパナリ村は折れて南へ流れて来間島になったといいます。
  ・・・・・・

2021年(令和3年),地元の保良自治会が利用者から300円以上の入場協力金を募るようになりました。支払いは任意であるにもかかわらず,小屋を設置し職員を常駐させて協力をよびかけたため,顰蹙を買いました。そこで,宮古島市は人を立たせないことを条件とし,2022年(令和4年)以降は,無人で募金箱が置かれるだけになっている,とありましたが,私は,その募金箱の存在すら目にしませんでした。

P1000273P1000278P1000283P1000285P1000288P1000303P1000321P1000324P1000329


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

P1000221 P1000223 P1000243

【Summary】
I drove around Ikema Island and visited "Kaimīru," a souvenir shop with a rooftop terrace offering views of Ikema Bridge, Nishihenna Cape, and Ogami Island. The sea changes with the tide, revealing coral reefs and white sand at low tide. Ogami Island, a sacred place, is accessible only by boat. At low tide, a "phantom island" appears near Ikema Bridge, and with the water at just 8 cm, I could have walked there—but I didn’t.

######
池間島を1周してきました。
池間大橋のたもとには,ピンクの建物が印象的な「海美来」(かいみーる)というみやげ物屋があります。池間大橋を渡ってきたときは,この場所に観光バスが停まっていて多くの団体ツアー客がうじゃうじゃいたので,素通りしたのですが,戻ってきたときは空いていたので,車を停めました。
「海美来」は,みやげ物屋の屋上が展望テラスになっていたので,上ってみました。目の前にある池間大橋とビーチ,遠くは西平安名崎(にしへんなざき)や大神島(おおがみじま)まで望むことができました。
  ・・・・・・
宮古島の海は潮の高さによって大きく姿を変えるのが特徴です。干潮時は海底のサンゴ礁や白い砂がはっきり見えるため,濃い青色のグラデーションが美しい海の姿が見られます。
  ・・・・・・
私が訪れたときは,ちょうど干潮のようでした。
  ・・・・・・
大神島は,宮古島の北約4キロメートルに位置します。面積は0.24平方キロメートルで人口20人ほどです。集落は港がある島の南側に集中し,秘祭・祖神祭(ウヤガン)が開催されることで知られ,集落以外の島内の多くは聖域で,島民以外の立ち入りが禁じられているということです。
大神島までは橋がなく,宮古島の島尻漁港から1日4往復の船に乗る必要があります。
  ・・・・・・

池間大橋を渡り終えた宮古島側にも展望台があるので,立ち寄ってみました。宮古島から見た池間大橋と池間島の風景もまたすばらしいものでした。
  ・・・・・・
池間島周辺には,干潮時のみ現れる「幻の島」があります。海の浅い宮古島には「幻の島」が各箇所にありますが,そのほとんどは,船やジェットスキーなどを利用して行くことになりますが, 池間大橋の宮古島側の展望台からは,干潮時の20センチメートル以下になったとき「幻の島」まで歩いて行くことができるのです。
  ・・・・・・
ということですが,私が行ったときは,なんと8センチメートルだったので,実は,歩いて行くことができたのでした。行かなかったけど。

P1000213P1000228P1000235P1000241P1000248


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

P1000227

【Summary】
After departing in the late afternoon, I began exploring Miyako Island without much prior knowledge. Heading north, I bypassed several spots before reaching Ikema Bridge, unaware that other bridges connected nearby islands. Crossing to Ikema Island, I circled it clockwise, discovering Ikema Lighthouse and Kagimmi Beach but missing Ikizu Beach, famous for its heart-shaped rock. I also visited Ikema Wetland, a significant site for migratory birds, formed through land reclamation projects from 1924 to 1982.

######
宿泊先を出発したのが午後4時前だったので,これから島を1周,といっても,どこまで行くことができるなか,と思いました。ともかく,行けるだけ行って,あとは次の日,と思いました。この時点では,まだ宮古島のことはほとんど何も知りませんでした。
宮古島は北に向かって島が細長く,半島のようになります。そこを走っていくわけですが,まず見つけたのが砂山ビーチというところでした。しかし,そこはまた縁があれば,ということで通過して,さらに進みます。次に見つけたのが宮古島海中公園という看板でした。ここもまた,通過して進みます。
やがて,島の先端近くまで来ました。そこにあったのが雪塩ミュージアムでしたが,雪塩とは何ものか? と思っただけで,さらに,池間大橋に向かいます。

ついに,池間大橋に到着しました。ここから池間島(いけまじま)まで,1425キロメートルの海上橋を渡ります。
いくら何も調べてこなかったといっても,宮古島は隣の島まで,橋が架かっている,ということくらいは知っていたので,この橋を渡るのが楽しみでした。
いや,私は,それもまた,勘違いをしていました。
この時点では,島と島を結ぶ橋はこれだけだと思っていたのです。実際は,伊良部島とを結ぶ伊良部大橋と来間島とを結ぶ来間大橋がありました。これらの橋は翌日にわたることになります。

さて,池間大橋を渡り終えて,池間島に着きました。ともかく,丸い池間島を,時計回りに1周することにしました。
  ・・・・・・
池間島は,宮古島の北西1.5キロメートルに位置し,面積2.83平方キロメートル,周囲10.1キロメートルの島で人口は約600人です。
沖には八重干瀬とよばれる巨大な干瀬があって,ダイビングスポットとしても有名です。
池間島自体,かつては南北に走る細長い海峡で隔てられたふたつの島で,16世紀のはじめ,海峡の北側に,狩俣の豪族「四島の主」が石橋を架けふたつの島を行き来できるようにしたそうですが,ほどなく堆積した砂によって石橋は埋もれてしまい,ふたつの島はつながって,現在の姿となりました。
  ・・・・・・

池間島の見どころは,イキヅービーチということでしたが,何も知らず走っていた私は,見逃しました。イキヅービーチにはハート岩があって,これはNHK連続テレビ小説「純と愛」の ロケ地としても使われたものだそうです。そもそも「純と愛」を見ていなかったので,話になりませんが。「自然の力でハート型にくり抜かれた岩から宮古ブルーの海が浮かんだように見える光景はまさしく絶景」ということで,ここは 恋人たちのメッカだそうです。
私がまず見つけたのは,1940年(昭和15年)初点灯の池間島灯台でした。南方に宮古島北西端の西平安名岬を望むこの灯台は高さ23メートルで,平坦な池間島においてランドマーク的な存在となっているそうです。
次に見つけたのがカギンミビーチ(池間ロープ)でした。
そこから島の内部に向かう道路があって,その先に池間湿原(ユニムイ,ユニムイ湿原)があるというので,行ってみました。
池間湿原は,渡り鳥の飛来地としても重要なばしょだそうです。堆積した砂によってふたつの島だった現在の池間島ですが,かつての海峡は細長い入り江となり「イーヌ・ブー」(北の入り江)とよばれるようになっていました。1924年(大正13年)から1934年(昭和9年)にかけて,このイーヌ・ブーの干拓事業が行われ,約20ヘクタールの干拓地が造成され,さらに,1963年(昭和38年)から1982年(昭和57年)にかけての漁港工事によって外海との水路が完全に遮断されたことで,現在の湿原となりました。

P1000163P1000167P1000173P1000183P1000177P1000184P1000189P1000193P1000196


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

P1000153

【Summary】
I arrived at my accommodation at 3 PM. It was a renovated house with several rooms, but I was the only guest. The place was disorganized, but I only needed a place to sleep. Attracted by the rental car, I set off to explore. Compared to Tanegashima, Miyako Island's landscape was less pristine. Despite its small size (158.9 km²) and lack of remoteness, it had a dense population of 50,000, similar to Ishigaki Island but more crowded than other remote islands like Sado or the Oki Islands.

######
ともかく,チェックイン時間ちょうどの午後3時に宿泊先に着きました。
改装中の1軒屋に数部屋客室がありましたが,宿泊者は私だけでした。2階のひと部屋があてがわれました。寝るだけが目的だったので,これでよかったのと,今にも壊れそうな軽自動車つきで安価っだことに惹かれて予約したのですが,ちゃんとした「わ」ナンバーでした。車のキーをもらって,さっそく外に出ました。

そもそも,これまでにも書いたように,何も調べてこなかったので,この島に何があるのか皆目見当がつきませんでした。ともあれ,島を時計回りに1周することにしました。西海岸に沿って,北に進みました。宮古島の北端の先には池間島があるのですが,1992年に池間大橋が開通して,橋を渡って島まで行くことができるようだったので,まず,そこをめざしました。
つい1週間ほど前に種子島へ行ったので,どうしても比べてしまうのですが,島の中も道路も,そして,海岸も美しかった種子島にくらべると,宮古島は,たしかに海岸は美しかったのですが,島のさまざまな建物も道路も決してきれいでありませんでした。それにしては,観光客が多い島でした。それに,石垣島に行ったときに感じたような最果て感もないなあ,というのが私の第一印象でした。
私がこれまでいろいろなところに行き過ぎたからかもしれません。

石垣島は面積222.2平方キロメートルで人口は約5万人,宮古島は158.9平方キロメートルで人口は約5万人。ちなみに,種子島は面積445.1平方キロメートルで人口は約3万人です。
もう少しつけ加えると,佐渡島は面積855.7平方キロメートルで人口は約5万人,隠岐諸島は島後が面積243.0平方キロメートルで人口が約1万5,000人,島前が西ノ島,中ノ島,知夫里島の3島合わせて108.0平方キロメートルで人口が約6,000人です。
つまり,宮古島は狭いのに人口が多い島,ということになります。

IMG_5920IMG_5921IMG_5923IMG_5924IMG_5925


◇◇◇
桜満開。

名古屋市東山動植物園の桜が満開です。
DSC_2668s


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_5987IMG_5993

【Summary】
On March 4, 2025, I flew ANA from Chubu Centrair to Miyako Island, arriving at 2:30 PM. I hadn't checked my hotel’s location beforehand but found it in the city center. Taking a local bus, I reached my hotel by 3 PM. Miyako’s buses operate loosely, lacking tickets or fare charts.

######
2025年3月4日。
今回は,セントレア・中部国際空港午前11時30分発のANAに乗ります。セントレア・中部国際空港までは,事故やら架線故障で頻繁に遅れたり不通になる名鉄はまったく信用できませんが,今回はその名鉄で行くことにしました。時間に余裕がるから,もし名鉄が不通になっても,何とかなるでしょう。
セントレア・中部国際空港から宮古島までは2時間50分もかかります。さすがに,宮古島までは遠いなあ,と思いました。オーストラリアのブリスベンからニュージーランドのクライストチャーチまでと同じくらいです。

この日は風が強く,出発は10分程度遅れました。
JALもANAもそうですが,LCCと違って,搭乗案内も機内放送も,いろいろとうるさすぎます。たかが国内線で,座席のグレードによって搭乗の優先順位を設けるなんて馬鹿げています。さっさと後部座席から乗せればいいのです。また,乗ってからも,単にシートベルトをしてください,というだけでいいのに,くだらない注意事項を,何度も何度も,まるで,小学生の生活指導です。もう少し,静かにしてもらえないものでしょうか。これでは,機内でもくつろげません。特にANAはひどいです。乗りたくありません。
LCCは不快な会社と快適な会社にわかれます。先日,LCCで行った石垣島は最悪で,いくら安価でもこれでは二度と乗りたくないと思いました。今回の宮古島はANAだったので,少しはましかと期待したのですが,座席の狭さもLCC並みで,たいへん残念でした。
機材はボーイング737- 800で,一般の客席は横に通路を挟んで3席ずつありました。

午後2時30分に宮古空港に着陸しました。
到着前「宮古島の気温は現在6度」というわけのわからない機内放送があってびっくりしましたが,すぐに「26度」という訂正がありました。飛行機から外に出ると,蒸し暑い空気が襲いました。暑い!
宮古空港は滑走路が短い空港で,長さが2,000メートルしかないので,着陸時のブレーキが強く,急に減速しました。ちなみに,セントレア・中部国際空港の滑走路は3,500メートルあります。
プロペラ機の離陸には最低1,000メートル,ジェット機の離着陸には1,500メートルから2,000mが必要とされています。また,国際線のような長距離便では3,000メートルほどが必要とされています。

今回は,まったくモチベーションの上がらなかった旅だったから,2泊する宿泊先がどこにあるのかさえ事前に調べてこなかったので,急遽,飛行機に乗る前にネットで見たら,宮古島の市街地の真ん中でした。私は,てっきり空港の近くだと思い込んでいたのですから,いいかげんな話です。
今回は,宿泊先にレンタカーがついているので,いつものように,空港でレンタカーを借りません。そこで,宿泊先までなんとかたどり着かなくてはならないのですが,空港から市街地までは歩ける距離でなく,どうやって行くのかさえわかりませんでした。まあ,何とななるわ,と思っていました。
飛行機を降りて,空港ターミナルに入ると,目の前に案内所があったので,市街地までどうやって行くのか急いで聞きました。どの市街地ですか? と言われたので驚きました。このとき,宮古島に市街地がたくさんあるのかな? と思いました。実際は,宮古島で市街地といえば,宮古市の市街地しかありませんでした。おそらく宮古市役所まで行けば何とななるだろうと思いなおして,宮古市役所まで行くバスはどこから出るのか,と聞きなおすと,空港の左手という話でした。ちょうど2時35分発のバスがあるというので,急いで行ってみると,ちょうどバスが2台来ました。

先に来たバスの運転手に聞くと宮古市役所に行くのは後ろのバスだというので,後ろにいた5系統のバスに乗りこみました。乗った後,持っていたiPhone の GoogleMaps を見たら,宮古市役所は空港の近くで,市街地にはないことがわかって,愕然としました。まあ,方向的には間違ってないから,宿泊先に近づいていくのを確かめて,離れて行ったらそこで降りるつもりでしたが,幸運なことにバスは私の望んだ市街地に進んでいきました。そのうち,私の予約した宿泊先に最も近い市場通りというバス停に差し掛かったので,そこで降りました。240円現金で払ってバスを降りました。バス停から5分くらい歩くと,宿泊先に何とかたどり着きました。ちょうど午後3時でした。奇跡的に大正解,最速でした。
ところで,宮古島のバスは,たいへんいい加減な乗り物でした。乗るときに整理券がないのにもかかわらず,料金が乗車したバス停によって違うのです。しかも,料金表すらどこにも掲示してありません。そこで,降りるときに自己申告をして運転手のいわれるままお金をはらうことになります。当然Suicaなど使えません。こんないいかげんなやり方で運用できているのが私には不思議なことでした。

P1000087P1000098P1000109P1000124P1000144


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_5915

【Summary】
I impulsively booked a trip to Miyako Island after finding a cheap ANA ticket, despite having no particular interest or plans. I then reserved a budget stay that included a free rental car. Unlike my well-planned trips, I did no research and lacked motivation, especially after an unexpectedly great trip to Tanegashima. The forecast was poor, but with Japan facing a cold wave, Miyako’s 25°C weather was a relief.

######
何となくやっている離島めぐり。種子島から帰って来たばかりなのですが,今度は宮古島へ行ってきました。ということで,今日からは,2025年3月4日から3月6日まで,2泊3日の宮古島の旅行記です。
それにしても,昨年は,只見線や津軽鉄道と,冬の間,北に向かって旅をしていたのに,その1年後は南に向かって旅をしていることが,自分でも不思議です。

どうして宮古島へ行く気になったのか,自分でもよくわかりません。
そもそものきっかけは,ANAの国内航空券格安セールというのがあって,沖縄本島にでもいこうかな,と何となく思っていたら,宮古島,というのを見つけてしまって,衝動的に予約した,ということなのです。
私は,沖縄本島にはまだ行ったことがありません。はじめての沖縄県というのが石垣島だったのですが,今回もまた,そのような衝動的理由によって,宮古島に行くことになって,沖縄本島に行きそびれてしまいました。とはいえ,宮古島には全く興味がなかったし,何をしに行く,というあても何もなかったのだから,ひどい話です。

航空券を買ってしまったので,その次は宿泊先だと調べて行くと,素泊まりの宿で,軽自動車が無料で借りられて,1泊7,000円程度,というよくわからないものを見つけたので,まあ,寝られればいいや,とばかりに,これもまた,衝動的に予約をしてしまいした。私は,何事も,リッチにやるかチープにやるかの2択です。今回は,チープにやることにしたわけです。
事前にやったのはこれだけのことでした。離島旅のお供は,「地球の歩き方・島旅」ですが,今回はそれすらを買ったわけでもないし,ネットで見どころを調べたわけでもないし…。しかも,種子島の旅行が期待以上だったことから,宮古島へ行く気も完全に失せてしまい,まったく,モチベーション上がらず,行く日がやってきました。
そんなことも影響したのか,天気予報も散々でした。ただし,この時期,本州から北海道は,またまた寒波ということで,最高気温が10度ほど,しかし,宮古島は25度とか書かれてあったので,何を着ていくのか,何を持っていくのか,かなり迷うことになりました。

スクリーンショット 2025-03-07 114444


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_5426

最後に訪れたのは,ガイドブックに「八重山最古の寺院」とあって興味をもった桃林寺でした。桃林寺は離島ターミナルの近くにあって,これまでも何度かその前を通ったところでした。
駐車場があったので,そこに車を停めて中に入りました。私ひとりしか観光客はいませんでした。
  ・・・・・・
桃林寺は,臨済宗妙心寺派の八重山列島で最古の仏教寺院.。山号は南海山,本尊は観音菩薩です。
薩摩藩から八重山への社寺建築の進言を受けた琉球王国第二尚氏王朝7代目国王尚寧王によって,1614年に鑑翁西堂を開山とし桃林寺が創建されるとともに,隣地に権現堂が創建されました。
桃林寺は当初は真言宗でしたが,禅宗となった後,現在は臨済宗妙心寺派の寺院になっています。また,権現堂には熊野権現(伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊)が祀られています。御神体の銅鏡は,1772年に沖縄県内で鋳造された最古のものです。
  ・・・・・・
静かな院内でした。江戸時代の初期に,すでにこの地に寺院ができたというのが驚きでした。

これで,私のはじめての沖縄,しかも,石垣島に滞在して八重山諸島を巡った旅はおわりです。
レンタカーを返すところまでは順調だったのですが,車を返却して空港まで送ってもらった後で,レンタカーのトランクにキャリーバッグを忘れたことに気づきました。どうもこのごろ,齢のせいか,こんなことが多くていけません。コロナ禍以降,キャリーバッグを持って旅をするということがなかったのがいけなかったようです。電話をしたら,ターミナルに送迎する次のお客さんとともに私のもとに戻ってきて事なきを得ました。
  ・・
石垣空港のターミナルは,オーストラリア・ブリスベンの空港に似ていました。私は,出発時間までスターバックスでくつろぎました。
やがて搭乗時間となって飛行機に乗り込みました。滞在中はずっと天気に恵まれていましたが,晴れ男の私がいなくなると同時に,石垣島は雨天になりました。
帰りは約2時間のフライトでした。行きに比べて飛行時間が短いのは,偏西風の影響だと気づきました。さすがにこれだけの距離になると,国際線と変わらず,西に向かうのと東に向かうのとでは飛行時間が異なります。しかし,これだけの時間を異常に狭い座席で飲み物1杯も出ることなく過ごすのは苦難でした。格安航空だから仕方がないといえばそうかもしれませんが,いくら安価であっても,もう少し快適に旅ができる工夫があってもいいというか。FDAを少しは見習ってほしいものです。

禅の修行のような2時間を過ごし,やがて,セントレア・中部国際空港に着きました。この日の名古屋はずっと雨だったようですが,晴れ男の私が戻ってきたときはすでに雨は上がっていました。
第1ターミナル2階の西安刀削麺 -ここは空いているので愛用しています- で夕食を食べてから,車で帰宅しました。セントレアの駐車場に5日も車を停めると駐車料金は結構な値段になって,さらに,名古屋までの高速料金も加えると1万円を越すというように,セントレアから石垣島に行くよりも高額になってしまうというのが皮肉というか,何か納得できないことでした。もよりの公共交通機関は頻繁に不通になるから乗る気がしない名鉄しかないし,ターミナルは飛行機を降りた後出口まで延々と歩かなければならないし,セントレアはとても不便な空港です。絶対に県営名古屋空港の方が便利だし快適です。

八重山諸島は,もっとのどかな南の島を想像していたのですが,私のそんな想像とはイメージが違いました。距離的にも中途半端だし,観光地というには何かいまひとつだし。それより何より,利用した格安航空ピーチの雰囲気がひどすぎました。客室乗務員は,客が言いつけを守っているかどうかを監視してたえず機内を歩き回っているだけの存在だし,明るさもない。
格安航空には2種類あります。そのひとつが,基本料金は安くても,やたらとオプションをつけて値段をつり上げていくというやり方で,私が利用した中でこれをしているのがピーチやジェットスターです。
八重山諸島は,どんなところかを知るために1度行くにはいい経験だけれど,私には「2度目」はないなあ。旅は日常を忘れ,非日常を楽しむためにするからこそであって,苦難を味わいに行くものではありません。レストランにせよテーマパークにせよ,リピートするかどうかが評価のすべてであって,アンケートの結果やクチコミではないです。

DSC_4905DSC_4893DSC_4895 DSC_4900 DSC_4903DSC_4906DSC_4908IMG_5423IMG_5424IMG_5428


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_4883

サビチ洞を出た私は,石垣島の東海岸沿い,国道390号線を南に走っていました。途中でどこか適当なところを見つけて昼食をとるつもりでした。ところが,石垣島には私のイメージするような,どころか,そもそも食堂やレストラン自体まったくないのでした。コロナ禍でハワイなどに行くことが難しくなって,そうした観光客が沖縄の離島に流れていると聞きます。国内なら安価だし入国のわずらわしさもないので,こりゃ,ハワイへ行くよりいいや,と私も来た早々はそう思いました。しかし,どうも,イメージが違うのです。
食事をするところが見つからず,そのまま白保という集落まできました。ここがおそらくもっとも石垣島を代表する集落だろうと思いました。しかし,私が行った八重山諸島はどこもそうだったのですが,道が狭く,何か排他的で,よそ者が入る余地がないのです。どこかに車を停めて町歩きをする,という空気感がありません。白保の集落も,そんなわけで,車で入り込んでみたものの,特に何もなく,結局,通り過ぎただけでした。
さらに進むと,石垣市役所とか石垣市総合体育館とか中央運動公園とか,そういった建物がある石垣島の官庁街に着きました。私は驚きました。そこには,本土にあるようなチェーン店がたくさんありました。私が思うに,八重山諸島は本土から,というか,沖縄本島からも遠く離れていて,チェーン店へモノを運ぶには,非常に効率が悪いから,わざわざこの地に出店をするメリットがわかりません。いずれにしても,ここは,私の住むところと何ら変わるところではなく,わざわざ沖縄の離島まで来て散策するようなところではありませんでした。
マクドナルドもあったのですが,さすがにここでマクドナルドに行っても仕方がないので,和風亭というお店に入って昼食を取りました。

考えてみれば,4泊もしたのに,石垣島のことはほとんど知りませんでした。そこで,帰りの飛行機の時間まで,石垣島の,これまでに行っていなかったところをまわることにしました。
まず,地図で見つけたのがバンナ展望台でした。バンナ展望台はバンナ公園の中にあって,車なら簡単に登ることができます。展望台からは島の風景が見渡せるということだったのですが,天気が悪くなってきてすごい風だったので早々に引き上げました。
展望台から霧った町並みをどうにか見ることができましたが,この地に生活する人々がこんなにいるという現実は,地図を頭に思い浮かべたとき,ここは本土からは遠く離れた東シナ海に浮かぶ小さな離島であり,すぐとなりは台湾なんだ…,そんなことがまったく想像できないものでした。
ガイドブックには「セグウェイでバンナ公園を疾走」とか書かれてあったのですが,何の何の,平日で,かつ,この天候では,公園には人っ子ひとりおらず,さびれた感満載で「風を切りながら亜熱帯の南の島ならではのダイナミックさ」のかけらもありませんでした。

IMG_5422IMG_5421DSC_4884DSC_4886DSC_4891


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_4801DSC_4824DSC_4808

黒島からの帰りです。
石垣島を出港するときは同じ時間だったのですが,黒島の出港は,八重山観光フェリーと安栄観光で時間が異なっていて,多くの人は,先に出港する安栄観光の小さな船に乗り込みました。私は後に出港する八重山観光フェリーの大きい船でした。船が黒島を出港して石垣島に着く間に日没となって,船からの夕日をとても美しく眺めることができました。
最終日の明日は離島に行く予定はないので,これが最後の船旅となりました。
ほとんど計画も立てず,というか,天気次第だと思っていた八重山諸島への旅は,天候にも恵まれて,竹富島,小浜島,そして,黒島と,3つの離島に行くことができました。
石垣島に戻って,この晩は,公設市場の3階にある食堂に行くことに決めていたので,そこで夕食を取りました。注文したのは,石垣牛ということばに惹かれて,石垣牛肉野菜炒め定食にしました。

5日目 2022年11月30日水曜日
いよいよ最終日になりました。
この日の朝食は洋食でした。私はこのペンションに4泊連泊しました。要領も得ず,何をするのが楽しいのかもわからず過ごしたのですが,なかなかすごしやすいところでした。
八重山諸島に来てわかったことは,もし「2度目」があるのなら,今度は,何をするかを決めて来るところだということです。スノーケリングが好きならとても魅力的なところでしょう。星や自然を観察しながらのんびり過ごすのも悪くありません。おいしいものを食べてお酒を飲むのを楽しむのもありです。しかし,そのいずれにしても,すべては天気次第なので,なかなか予定が立てづらいというのが難点です。
この日は天気が次第に悪くなるということだったので,あまりテンションがあがらなかったのですが,幸い,雨にはなりませんでした。

ペンションの近くにサビチ洞という鍾乳洞があって,気になっていたのと,天気が悪くても大丈夫そうだったので,まず,行ってみることにしました。なぜか私がもってきたガイドブックには載っていなかったし,レンタカーを借りたときにもらった地図にも書いてないし,車が入っていく気配もなかったので,さびれているのかなと思ったのですが,せっかくだからと,案内標示に従って,道を曲がりました。
意外にも,広い駐車場には結構車が停まっていて驚きました。
あとで調べてみると,石垣島にはいくつかの鍾乳洞があって,中でも,最も大きいのが石垣島鍾乳洞ということで,これは,私のもってきたガイドブックに載っていました。それにくらべたら,サビチ洞は約230メートルと,半分ほどのひろさということでした。結局私は,石垣島鍾乳洞には行きませんでしたが,これまで,アメリカでなかりの鍾乳洞に行ったことがあるので,特に行きたいとも思わなかったし,期待もしていませんでした。
約2億7千年前の地殻変動によって生まれたというサビチ洞ですが,洞窟内にはシャコガイの殻やダバネサンゴなどの化石があって,そこが昔は海の中だったのだと実感することができます。サビチ洞の特徴といえば,鍾乳洞を抜けると海に出ることができる,というものでした。そして,海に出て海岸を右手に回ると見えるのが幸せになれるパワースポットとして有名な亀の形をした岩でした。
私が好感をもったのは,サビチ洞は,写真を写そうがドローンを飛ばそうが自由だ,というおおらかさでした。

DSC_4795IMG_5403IMG_5402IMG_5401IMG_5419DSC_4876DSC_4879DSC_4852DSC_4873DSC_4859DSC_4863


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_4744IMG_5384

黒島では多くのチョウを見ることができます。
今日の写真はリュウキュウマダラだと思うのですが,私はチョウには詳しくないので違うかもしれません。調べてみると,リュウキュウマダラは,スジグロカバマダラとともに,八重山で最も普通に見かけることができるチョウで,集落近辺の草花が多い所や海岸べりなど,いたる所で見ることができるとありました。
そしてまた,黒島といえば,何といっても牛です。
黒島は,島のほとんどが牧場といってもいいほど牧畜が盛んなところです。黒島の牛は,やや小柄の高級ブランド「黒毛和牛」で,全国各地のブランド牛の一部は幼少期をこの島で過ごしています。ここの牛が松坂にいけば松阪牛となり,神戸に行けば神戸牛となる,ということらしいのですが,牛のことをまったく知らなかった私は驚きました。日本の牛の流通はかなり複雑なのだそうです。
  ・・・・・・
牛の生産・流通過程は「種つけ・ 誕生・仔牛セリ・ 肉牛セリ・と畜」の5過程にわけられ,また,農家も,繁殖・仔牛の飼育を専門とする「繁殖農家」と,肥育を専門とする「肥育農家」にわかれていて,繁殖農家が種付け・妊娠を行い,誕生させ,8か月から10か月飼育した仔牛を,肥育農家がセリで仕入れ,およそ10か月から20か月をかけて肉牛となるまで肥育させるのが一般的。
  ・・・・・・
とありました。
八重山諸島全体の肉用牛飼養頭数は約35,000頭だそうです。周年牧草生産に恵まれた草地の造成などが進み,採草地・放牧地の草地面積が拡大し,放牧主体の低コスト生産による経営を実現したなどで,黒島は,帰島し畜産業に就く若者が増えて,地場産業の発展が期待されているということです。

さて,黒島灯台から海岸に沿って西に走っていくと,仲本海岸にでました。
ここには休憩所があって,自動販売機もあったので,少し休息しました。休憩所から海を眺めると,遠くに波照間島の島影を見ることができました。
それに続いて,宮里海岸に出ました。
このあたりにあったのがビジターセンターで,建物の中には少しだけ展示がありました。そこにいた人は本土から移住してきた人で,のどかな島で静かに暮らせるから最高の場所だ,ということでしたが,海に出れば魚は釣れるし,生きるには困らない,と言っていました。ここに住んで,星やチョウを研究して過ごせるなら退屈しないかもしれません。
都会に住んでいると,日々生活に追われ,人と競争し,お金がすべて,という価値観になってしまうのですが,そんなことは,実は,どうでもいいのかもしれません。こうした離島に行くと,生きるって何だろうと,わからなくなってきます。

そこから少し北に行くと,黒島研究所という水族館兼資料館がありました。
黒島研究所でさまざまな魚を見ることができたのですが,ウミガメが大きな水槽で泳いでいるのにはびっくりしました。黒島もまたウミガメの産卵の地で,西の浜というところに上陸するそうです。
最後に,「プズマリ」を見て,黒島の見学は終わりです。
「プズマリ」は火番盛のひとつで,昔は電話がなかったため,異国船を発見した場合,石垣島の琉球府の役所へ狼煙を上げて連絡していたのですが,八重山諸島や宮古諸島には,この火番盛がいくつかありました。これらを総称して,先島諸島火番盛とよばれているということです。
黒島の「プズマリ」は,黒島で最も高い場所としても知られ,琉球石灰岩を積み重ねた円錐形の天辺を切り取ったような小山にあります。10年ほど前までは登ることができましたが、倒壊の恐れがあるとのことで,今は登ることができません。波照間島や竹富島などの離島にも同じようなものがあるのだそうですが,その中で最も大きいのが黒島のものということです。
黒島に来てはじめに行った展望台は。この「プズマリ」を似せて作ったものだそうです。

IMG_5395DSC_4789IMG_5392DSC_4753DSC_4757IMG_5389DSC_4779DSC_4776DSC_4793


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_5394

展望台を登ってから伊古桟橋まで行って,次に,黒島の中央にある集落に来ました。
黒島の中心部に位置する集落を東筋集落といいます。ここには,郵便局や伝統芸能館など生活に必要な施設が揃っています。というか,人口がわずか200人程度,戸数は50ほどの黒島の生活に必要なものがすべてなければ生活できません。
集落の町並みは,竹富島のように,サンゴの石垣が並んでいて,風情がありました。また,今は季節でないのですが,夏にはハイビスカスやブーゲンビレアの花々が美しい町ということです。
黒島の民家は,軒が低く平屋建てで石垣で囲まれた沖縄らしいのが特徴的ですが,これは,台風の上陸が多いので,大雨や強風の影響を減らす効果があるからです。また,雨の吹き込みがないように軒が深くなっていて,この軒のことを雨端(あまはじ)というそうです。
主要な道路は舗装されていないのですが,これは,道路の水捌けをよくするためです。
八重山諸島らしい景観を残しているのは竹富島と黒島の集落なのですが,竹富島との違いはシーサーやヒンプンがほとんどない,ということです。家の正面に目かくしの塀があり、これを「ヒンプン」といいます。 「ヒンプン」は,家の正面にある目かくしの塀です。表から建物の内部が直接見えないように造られたもので、外から魔が入ってくるのを防ぐというマジナイ的な意味をもち,屋敷の内と外の仕切りの役目も果たします。シーサーやヒンプンが黒島にないのは,シーサーやヒンプンはここ100年ほどので生まれた文化なので,黒島の東筋集落はそれよりも古いからなのだそうです。

東筋集落の西の入口にあるのが,赤瓦の屋根が特徴的な黒島唯一の郵便局・黒島郵便局です。
丸くて赤い昔ながらのポストがあり,ATMもあります。また,黒島唯一の日用雑貨の店・たま商店がありました。カフェや食堂も1軒ずつあるようにレンタサイクルの店でもらった地図にはあったのですが,目につきませんでした。診療所もあります。
私が最も興味深かったのは,道が交わった場所ごとに小学生の書いた将来の夢が立てられていて,その中のひとつに「志望校合格!! 量子力学を学ぶ」とあったことでした。黒島小中学校のホームページによると,昨年度は,小学校は2年ぶりの新入生を迎え,小学校1年生4人,3年生2人,4年生1人,5年生5人の12人,中学校は1年生3人,2年生3人,3年生2人の8名で,児童生徒が全員で20人,そして,教職員が16人なのだそうですが,規模は小さくとも,夢は大きいのです。
東筋集落の南には南神山御獄(パイハメマワン) があります。南神山御嶽は,兄の危険の際に祈りを通じて霊的な庇護を発揮したというある姉妹の霊力に対する信仰がオナリ信仰とよばれて,その祈りの地がこの御嶽となったそうです。

そこから島の南に1本の舗装道路が伸びていました。走っていったら,ずいぶんと距離がありましたが,海岸に出ました。そこにあったのが黒島灯台でした。
黒島灯台は,広大な牧草地の中をまっすぐのびる農道を行った先の何もない岩場に建つ小さな灯台です。
灯台の中に入ることはできませんが,ハートの形をした黒島の,ハートの先にあることから恋愛成就のパワースポットとしても知られる黒島灯台に来ると恋が成就するといわれているそうですが,残念ながら,私にはまったく関係がありません。
灯台の前には穏やかなエメラルドグリーンのリーフとその先に広大な外洋がひろがっていましたが,観光客は私以外にはだれもおらず,最高の気分でした。

IMG_5399DSC_4719IMG_5386DSC_4720DSC_4739DSC_4742DSC_4738


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_5381IMG_5380DSC_4716DSC_4735

  ・・・・・・
牛の島として有名な黒島はのんびりとした時間が流れるハートの形をした島です。人口約200人に対して牛の数は3000頭を越えます。
坂のない平坦な島で,牧場の緑の風景の中を自転車でゆっくりとサイクリングするのがベスト。また黒島の海は八重山でもトップクラスの美しさといわれ,産卵のためにウミガメが上陸してきます。
  ・・・・・・
というのが,ウェブにあった黒島の紹介です。
船で黒島に上陸すると,レンタサイクルの人が迎えに来ていました。とはいえ,私とともにこの島の上陸した観光客は6人ほどでした。
レンタサイクルのバンに乗り込んで店に向かい,電動自転車を借りました。生まれてはじめて電動自転車に乗ったのですが,きわめて快適でした。
さて,観光といっても,この島で見どころといえば,展望台,そして,伊古桟橋ということだったので,とりあえず,展望台へ行ってみました。高い山がないので,展望台に登れば島中が一望できるということでした。
5分ほど走ると,小中学校があって,その先に展望台,というか,ちょっと小高いモニュメントがありました。私は高い塔を思い浮かべていたのですが,まったく違いました。こんな低い展望台で一望できるのだろうか,と思ったのですが,登ってみると,ちゃんと見ることができました。

展望台から東の集落に向かって伸びるのが「日本の道100選」の道だそうです。
  ・・・・・・
「日本の道100選」は,道の日の制定を記念して,1986年度および1987年度に建設省と「道の日」実行委員会により制定された日本の特色ある優れた道路104本です。
沖縄県道213号黒島港線は,1981年度から1983年度にかけて道路の拡張が行われたときに,沖縄を代表する景観であり,地域の特徴にもなっている道路両側の住居を囲う琉球石灰岩の石垣や赤煉瓦の屋根などの観光地としての景観を損ねないように特段の配慮がなされ,その結果,黒島の海中景観に優れた自然環境や島の独特の文化に調和した南国の素朴さと文化を強調する景観を持つ道路として評価され,1986年「日本の道100選」に選定されました。
2005年に幅員を拡幅して,歩道とロードパークがもうけられ,ロードパークに国の史跡・先島諸島火番盛のひとつである「プズマリ」をイメージした展望台が整備されました。
  ・・・・・・
ということです。

次に行ったのが伊古桟橋です。全長354メートル,幅員4.25メートル,高さ1.8メートルの伊古桟橋は,2005年に国の登録有形文化財に登録されました。
伊古集落から近い黒島の北岸にあって,現在の黒島港より東寄りに位置します。伊古桟橋は,伊古集落で漁業で盛んだったころ利用されていました。最初の桟橋は1924年に建設された木造の桟橋でしたが,1933年に台風で破壊され,1935年に建設された現在のものは,石積造及びコンクリート造で表面はモルタル塗です。
現在,桟橋としては使用されていませんが,先端まで行くことができて,地元の人々が夕涼みや釣りにやってくるところだそうです。自転車でも先端まで行くことができて,とても爽快でした。
桟橋周辺はものすごく遠浅で,干潮時にはほとんど干上がってしまうので,満潮時のほうがきれい,ということですが,先に書いたように,午前中,干潮の川平湾でグラスボートを楽しんだ私は,ここでもまた運よく,満潮時に訪れることができたのでした。

DSC_4713IMG_5390DSC_4785DSC_4782DSC_4714DSC_4727DSC_4730DSC_4734


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_4693DSC_4708

黒島へ行く船が出るのは午前12時30分なので,それまで時間がありました。そこで,天気のよいこの日は,石垣島の西海岸に沿って,海岸線をなめるように離島ターミナルまで走っていくことにしました。
まず,底地(すくじ)ビーチへ行きました。底地ビーチは川平湾から石崎半島をへだてた西側に南北に弧を描きながらのびる三日月のような青く美しい海と真っ白な砂浜がウリのビーチです。
  ・・・・・・
海岸沿いの林を抜けると目の前に広がるのが白い砂浜と静かに打ち寄せる穏やかな水面,そして,視線の遠くまで弧を描きのびる海岸線。
  ・・・・・・
という紹介がありました。
底地ビーチは,約1キロメートルにもわたるロングビーチ。湾の内にあるのでほとんど波がたたず穏やかで, 遠浅。また,モクマオウという名の木が防風林として立ち並び,快適な木陰を作っています。
西側に面しているので,絶好のサンセットスポットエリアということで,私はその時間に行くことはできなかったのですが,夕暮れになると,世界が黄金色に染まり,水平線に太陽が沈んでゆくとき空と水面が紫色から濃紺へと移ろって,やがて,夜空に満天の星空が広がるということです。
オーストラリアの,名も知らない湖のようなところに行ったとき,こんな感じのビーチがあったなあ,と私は妙なことを思い出しました。

次に目指したのは,御神崎灯台(おがんさきとうだい)でした。
坂道をぐっと登って行った先に駐車場があって,そこから少し歩いて,それから結構険しい階段を登ると,一面海が開けました。なかなかの景色でした。
高さ17メートルの御神崎灯台は,1983年に設置された石垣海上保安部が管理する灯台です。
ここもまた,島の西側に面しているので,夕日がきれいなところで,石垣島ナンバーワンのサンセットスポットとして名高く,夕暮れが近づくと 多くの人が集ってくるそうです。また,4月から5月ごろは,無数のテッポウユリが咲き誇り,夏のはじまりを告げてくれるのだそうです。
御神崎灯台は公開されていませんが,11月1日の灯台記念日に合わせて一般公開されることもあるということです。

美しい海と景色を堪能して,私は離島ターミナルに着きました。
今日もまた,離島ではお昼を食べ損ねるおそれがあったので,船の出発前に,まず,昼食をとることにしました。離島ターミナルの駐車場に車を停め,石垣島公設市場の中にある食堂へ行きました。

DSC_4695DSC_4696DSC_4697DSC_4701DSC_4705IMG_5376IMG_5375IMG_5374


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_5361IMG_5370

4日目 2022年11月29日火曜日
私が石垣島に着いてから,連日,とてもいい天気でした。
ハワイと違って,沖縄は天気が読めません。以前の私のように沖縄について知らないと,夏は暑いから避けて冬は暖かだからいいように思えます。ガイドブックには年間降水量が書いてあって,冬は雨が少ないように読めます。そこで私も11月の下旬を選んだのですが,冬は北から風が吹いて海が荒れるから船が欠航することが多いのだそうです。ただし,私の滞在した5日間は異例でした。
ハイシーズンは夏なのだそうですが,台風の心配があります。聞くところによると,観光に最も適しているのは6月と10月なのだそうですが,勤めている人はこの時期に旅行は難しいです。

さて,4日目。
明日から天気が崩れるという予報でした。また,私は,すでに,竹富島と小浜島に行ったので,この日はどこに行こうか考えました。波照間島はすでに眼中になく,西表島は広くつかみどころがありませんでした。それよりも,私は,な~んもない,という島に憧れました。
鳩間島という本当にな~んもない島があると,昨日,コーラルビーチのカフェのオーナーが言ったので,よほど行ってみようかと思ったのですが,船は朝の1便と夕方の帰りの1便しかなく,その間,何をするかが問題,ということだったので,さすがにやめて,次に見つけたのが,人より牛の方が遥かに多いという黒島でした。そこで,黒島への船が午前12時30分発だったので,午後は黒島に行くことにしました。
そして,せっかくの好天なので,午前中は川平湾のグラスボートに乗ることにしました。

川平湾は石垣島の北西にあります。ペンションで朝食を終え,車で石垣島の北の海岸線を西に走りました。このあたり,ハワイ・カウワイ島の北の海岸に少しだけ雰囲気が似ていました。
  ・・・・・・
川平湾は世界的なガイドブックで最高ランクの三ツ星を獲得した石垣島屈指の絶景スポット。
白砂に澄んだブルーの海が映え,ため息が出るほど美しい景観を楽しめる,石垣島で絶対にはずせない王道観光地です。
天候や時間帯によって海の色が七色に変化するのが特長! 1日中眺めていられます。
砂浜から乗船するグラスボートも定番の楽しみ方。船底のガラス越しにサンゴの群生や色鮮やかな魚を見ることができます。
  ・・・・・・
ということです。

川平湾が見えてきました。なかなかいい雰囲気でした。
グラスボートは数社が営業しているようですが,私は「ぐるくん」というところのクーポンをもっていたので,そこを利用することにしました。
船の予約をしてチケットを購入しても,まだ出船には時間があったので,展望台に行って川平湾を一望しました
朝1番のグラスボートとはいえ,十人近くの観光客が乗り込みました。船は砂浜から乗船します。船の中央がガラスになっていて,海の中が見えるという趣向です。ハワイ島のカイルアコナで潜水艦ツアーというのに乗ったことがあるのですが,そのようなものです。ただし,潜水艦とは違って,あくまで海の上だから,あまり期待していなかったのですが,さにあらず,なかなかのものでした。
ただし,私が乗ったこの日は,最高の条件だったようです。これほどの透明度の高い日はまれで,しかも,潮が満ちているところだから,さらにいい時間だということでした。さすが晴れ男です。
とても詳しい説明があって,楽しい時間を過ごせました。熱帯魚がいっぱい泳いでいる海はとてもきれいでしたが,私が最も感動したのはウミガメでした。

IMG_5360DSC_4692IMG_5371DSC_4526DSC_4538DSC_4568DSC_4569DSC_4553DSC_4562DSC_4566DSC_4606DSC_4683


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_4493DSC_4507tx

小浜島の観光を終えて,石垣島に戻ります。小浜島は期待以上の島でした。とはいえ,半日以上滞在しても,もはやすることもありません。
帰りの船がやってきて,乗船しました。小浜島から石垣島が見えました。
石垣島の港には,Japan Coast Guard,つまり,海上保安庁と書かれた船が停泊していました。
  ・・・・・・
海上保安庁は,海上における人命・財産の保護,法律違反の予防・捜査・鎮圧を任務とする国土交通省の外局です。1948年(昭和23年)にアメリカ沿岸警備隊(United States Coast Guard=USCG)をモデルに設立されたものです。
船舶に対する任務を海上保安庁が担うのに対して,国外の艦艇に対応する任務は防衛省の特別の機関である海上自衛隊が担当し,海上自衛隊は防衛大臣による海上警備行動の発令によってはじめて洋上の警備行動が取れるといいます。
  ・・・・・・ 
こういう姿を見ると,八重山諸島が外国にきわめて接していることに気づきます。

この晩は,まず,サザンゲートブリッジに行くことにしました。サザンゲートブリッジは離島ターミナルから徒歩5分くらいのところにあって,埋め立てて造られた人工島の南ぬ浜町(ぱいぬはまちょう)と離島ターミナルのある八島町とを繋ぐ青色の大橋です。離島ターミナルから美しい橋が見えたのでずっと気になっていたのですが,調べてみると,橋の上から見る夕日がきれいだということでした。
小浜島から戻ったとき,間もなく夕日が沈みそうだったので,慌てて橋まで歩いていって駆け上がりました。橋は片側だけ歩道が整備されていて,容易に自転車や散歩でも渡ることができるようになっていました。私は橋の最上部で夕日が沈むのを待ちました。あいにく水平線付近には雲があったのですが,雲の隙間から大きな赤い太陽を見ることができました。
夕食は,前日はお休みだったおそば屋さんにしました。
お店は結構混雑していましたが,何とか座ることができました。ラフテー&ソーキ定食というものを注文しました。ラフテーというのは,沖縄の郷土料理のひとつで,皮つきの三枚肉またはヒサガーという皮つきのもも肉を泡盛や醤油で甘辛く味付けした料理で,沖縄風の豚肉の角煮のことです。

ペンションに戻りました。
夜になると晴れ上がり,満天の星が見られました。私は,石垣島に星を見に来たわけではなかったのですが,三脚は持ってきたので,写真を写しました。
何年か前,ハワイやオーストラリア,ニュージーランドなどに出かけていなかったころなら,ここで南十字星が見られると感激し,夜を徹して星の写真を写していたかもしれません。

DSC_4463DSC_4466DSC_4468DSC_4469IMG_5344IMG_5342IMG_5341


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_4439

小浜島もそれほど大きな島でなく,また,ディズニーランドのような竹富島とも違って観光客もそれほど多くはなく,水牛車のようなアトラクションがあるわけでもなく,おそらく,「ちゅらさん」のロケ現場でなければ,もっと無名の,しかし,素朴な島だったかもしれません。
私は,レンタカーで走っていたので,あっという間に島の観光を終えてしまいました。
最後に行ったのが「ちゅらんさん」を象徴する「結婚しようね 大きくなったら結婚しようね」のロケ地である「細崎港」でした。ここは,古波蔵恵里が幼いころ「結婚しようね」と防波堤を走りながら上村文也にさけんだところです。「 細崎海岸」(くばざきかいがん)はマングローブ林が近く,貝やサンゴが落ちていたりする場所ですが,潮の流れが速いので遊泳はできません。
その奥にあるのが「海人公園」(うみんちゅこうえん)。この近辺は細崎集落があって海人を生業とし生活する小さな集落です。「海人公園」には,屋根が巨大なマンタで作られている展望台がありました。

帰りの船まで時間があったので,午前中に行ったコーラルビーチに再び行って見ることにしました。確かカフェがあったように記憶していたからです。ビーチの駐車場に車を停めて,少し手前のカフェに入って,ケーキと飲み物を注文しました。カフェはオープンテラスで,海が眺められ,とてもいい雰囲気でした。
実は,私は,今回の旅で,こうしたシチュエーションを期待していたのですが,石垣島も竹富島も期待に反して,レストランどころかカフェすらほとんどないのでした。
飛行機で石垣島に着いたときは,こりゃハワイより近くていいや,と思ったのですが,しだいに,私の思っていた南の島でゆっくりバカンス,というのとは違うところだなあ,という気持ちになってきていたところだったので,これで蘇りました。
オーナーは私と同じくらいの齢の人で,少しお話をしました。

何でも,本土からの脱サラで,どこかいいところはないかと探していて,この場所を見つけ,買ったのだそうです。コーラルビーチのリゾートエリアには,ホテルもあるのですが,移住してきた人の住む家もあります。ここに住んでいる人は,退職して,老後の場所として選んで住んでいる人も多いそうです。
  ・・
日本は,受験戦争に勝ち抜いて学歴を手に入れ,まあまあの会社に就職して仕事一途で働いて,まあまあ偉くなって定年まで勤めあげ,その間に家を買ってローンの支払いに明け暮れ,巨額の教育費を使って子供を育て,退職したらツアーで旅行をする,というような,人任せの「おまかせ定食人生」を過ごすなら,これまでの世代なら,これほど楽な国はなかったのです。これからの若者は,そうした「おまかせ定食人生」すらおくれませんが…。
しかし,不登校になったり仕事を辞めたり病気になったり,といった理由で,そんなレールから一旦外れてしまったり,あるいは,自分らしく生きようとすると,これほど夢が実現できず,選択肢もない,生きづらい国はありません。そうした人は,海外へ,あるいは,沖縄の離島へ,さらには,テレビ番組の「ポツンと一軒家」で出てくるような山の中へと,居場所を求めて右往左往するのです。
沖縄の離島はそうした選択肢としてそれなりに魅力的だけれど,何か寂れてしまっているし,ハワイのマウイ島に多くある,アメリカの大金持ちが住むようなリゾートタウンを知っている私としては,それと比べてはいけないけれど,とても寂しい気持ちになります。

DSC_4421DSC_4419DSC_4435DSC_4442DSC_4444


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_5318DSC_4710

石垣島や西表島のような大きな島では,海岸沿いの港の近くに集落がありますが,竹富島,小浜島,そして,明日行くことになる黒島のような小さな島では,集落は島の中央にあります。コーラルビーチを出た私は,今度は,小浜島の集落に向かうことにしました。
先日竹富島で昼食を食べ損ねた私は,なんとか集落で昼食にありつけないものかと,まずは思いました。集落の中は意外と道路が狭いのですが,ほとんど車も通らないので,路上のどこでも車を停めることはできます。そこで見つけたのが,一軒の食堂でした。お客さんは誰もいませんでした。そこで私は,確か「八重山そば」を注文したと思います。しかし,今,写真で見ても,それが「八重山そば」だったのか「ソーキそば」だったのか定かでないのです。いずれにしても,地元の三流グルメには違いがないのですが。
私の住む地方では,「味噌煮込みうどん」が定番で,特に寒い季節はこれに限るのですが,これもまた,麺が堅い店もあれば柔らかい店もあるし,トッピングもさまざまだったりするので,それと同じでしょう。当然,厳密な定義などないわけで,ただ,地元民は食べなれているからその違いが店の特徴として認識できるのですが,行くまでまったく知識のなかった私にその区別がつくわけがありません。
いずれにしても,地元のものを食べたい,という意思だけは堅いのです。
このお店,午後2時過ぎに通ったときはすでに閉店していました。

この島の集落で,観光の目玉というのは,いまでもはやり「ちゅらさん」です。
そこで,はじめに「ちゅらさん」で民宿という設定だった「こはぐら荘」に行ってみました。
「こはぐら荘」として想定された民家は実際に人が住んでいて中に入ることはできないので,入口付近から見るだけの場所でしたが,まあ,感動しました。
集落のはずれに結構大きな小中学校があって,ここは古波蔵恵理が通った学校としてドラマに出てきます。さらに先に行くと「シュガーロード」があります。古波蔵恵里が自転車で通る場所で,両脇にさとうきび畑が広がっている… はずなのですが,平原でした。というか,牧場があって牛さんいました。

帰ってから,当時の番組の総集編を見直してみました。
私が行ってきた場所がいっぱい出てきて,かなり感動的でした。しかし,ドラマで描かれた画面から得たイメージと,実際に行って見てみたイメージは違うものだなあ,とも思いました。
「こはぐら荘」はもっと海岸に近い場所だと思っていたし,また,「ガジュマルの木」は,すでに切られてしまっていて,また,かつて「ガジュマルの木」を見ることができた「ちゅらさん展望台」も口蹄疫ウイルスの侵入防止の為に閉鎖されてしまいました。
  ・・・・・・
「ガジュマルの木」とは「ちゅらさんの碑と和也の木」です。撮影のために植えられた木は土地になじめず枯れてしまいました。
「ちゅらさん展望台」は,古波蔵恵里が「結婚しようね」と寝言を言っていたことを古波蔵勝子に冷やかされた場所,そして,和也君との約束を果たすために上村文也が古波蔵恵里にプロポーズをした,「ちゅらさん」最大の見せ場で有名な「ガジュマルの木」が見おろせた場所でした。
  ・・・・・・
と,時の流れには勝てず,いろいろなことがすでに思い出の中だけのことになっていたとしても,まさか小浜島に行くとはまったく思っていなかった私には,実に感動的でした。

IMG_5316IMG_5313IMG_5314DSC_4417DSC_4416DSC_4415DSC_4427DSC_4422DSC_4425DSC_4431


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_4404DSC_4408

レンタカーを借りるときに島の地図をくれて,詳しい説明がありました。まさにこの島はハワイ・モロカイ島のようなところでした。
まず,少し左手に行ってそこを右折して坂を登ると展望台に出るといわれました。展望台のある場所は大岳(うふだき)といいます。けっこうな坂道で,レンタカーを借りて正解だったと思いました。
駐車場に車を停めて,展望台まで登ることになるのですが,思った以上の階段でした。私はどこに行ってもこんな坂を登る気はないのに,なぜか坂を登ってばかりいます。しかも,この日は11月下旬だというのに摂氏30度を超す暑さで,しっかり汗をかきました。
登る途中で,3人組の女性とすれ違いました。「まだまだですか?」と問うと「まだ大変ですよ」という返事があってにんまりされました。それが真実なのか? はたまた,からかわれているのか? どちらにしても,私はすでにめげていました。「まだ大変ですよ」というほうが真実でしたが,それでもなんとか展望台にたどり着くことができました。展望台からは島のまわりが一望できました。
  ・・
世界中どこに旅しても,その場にいるときは,自分は地球のこんなところにいるのか! という実感がわきません。これまで行った中でも,あとで振り返って地図を見ると,ハワイは太平洋のど真ん中だったんだ,と驚くし,アイスランドに至っては大西洋の孤島ではないですか!
八重山諸島もまた,帰宅してから改めて地図で探すと,こんなにも本土と離れているのか,と驚きました。緯度は台湾と同じくらいだし,日本本土よりも中国大陸のほうがずっと近いのです。すぐ隣は尖閣諸島です。こりゃ,中国大陸からミサイルでも飛んできたらひとたまりもないなあ,とぞっとしました。

展望台を降りて,次に目指したのが,コーラルビーチでした。
小浜島にはカナンリゾートがあります。
  ・・・・・・
小浜島にもともとあった建物を利用して2017年に新しくオープンしたリゾートホテル。小浜島の北側に位置していて,オーシャンビューの客室のバルコニーからは小浜島の北東にある無人島の嘉弥真島(かやまじま)を望むことができます!
他のリゾートホテルに比べるとリーズナブルな価格のため,小浜島に数日滞在する方にはオススメ!
  ・・・・・・
ウェブにこのような紹介があるのですが,シングルルームは10,000円くらいで宿泊できるようです。
また,リゾートホテルの周りには住居もあって,この島で暮らすのを夢見て移住してきた人たちが住んでいるという話です。
何度も書きますが,この島は,ハワイ・モロカイ島のようなところで,私はモロカイ島のリゾートで3泊もしたのですが,そこは古くさびれていました。ここもまた同じような感じでした。ともかく,何をするでもなく,何か魅力があるでもなく,しかし,のんびりするにはこれ以上のところはなし,という感じでした。
その,カナンリゾートを越えてさらに行くとコーラルビーチという穴場に出るのですが,一見,道路がリゾートホテルの私有地のように思えるので,知らないとたどり着けません。小浜島のビーチといえばここくらいのものです。
  ・・
レンタカーを借りるとき,だから,ここは穴場だと得意げに紹介されました。
行ってみると,多くない人たちが海を眺めていたり,水浴びをしていたりしていました。そこにいたのが,さきほど展望台ですれ違った3人組の女性たちでした。そして,彼女たちに写真を撮ってもらおうと声をかけたのが,別の2人組の女性たち。この別のグループ,ともに埼玉県から来たという話でした。
調子に乗った私が,彼女たちが写真をとるときに「飛べ!」と声をかけると,実際に彼女たちは「と・ん・だ」… のでした。

DSC_4392DSC_4397DSC_4398DSC_4400DSC_4405IMG_5311


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_5298IMG_5299IMG_5301

3日目 2022年11月28日月曜日
以前「波照間島の亡霊」と題して,波照間島に行こうかどうしようか迷っていたことを書きました。当初の予定だと,この日はペンションの朝食をキャンセルして,早朝に出発し,離島ターミナルから波照間島へ日帰りで出かける予定でした。しかし,いろいろ調べた結果,結局,私は波照間島へ行くのをやめて,フェリーをキャンセルしました。船が欠航になって帰ることができなくなるという心配と船酔いの心配,このふたつが迷っていた理由だったのですが,それ以上に,私は,波照間島に行きたい,という気持ちにならなかったということがありました。私が波照間島に行こうと思った動機は,単に,帰ってから自慢しよう,ということだけだったのです。
結論からいえば,私が滞在していた間だけ,非常に天気がよく,船は欠航することもなく波照間島に行ってくることは可能でした。11月という時期は船が欠航する確率は50パーセント以上ということなので,行きたいという人にとってはものすごくうらやましいと思えるかもしれません。事実,私も惜しいことをした,という気持ちがないわけでもないのですが,とはいえ,自宅に帰ってきてからも,まったく行かなかったことに対する後悔はないのだから,実際,行く気はまったくなかったのでしょう。

さて,波照間島に行くことをやめて,ペンションでゆっくりと朝食をとりました。そして,波照間島に代わって,小浜島へいくことにしました。実は,私がもっとも行きたかったのが,この,小浜島でした。
小浜島は,2001年に放送されたNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」の舞台です。
  ・・・・・・
「ちゅらさん」は沖縄県の小浜島を主要な舞台とした作品です。脚本を岡田惠和が担当しました。
 沖縄と東京を舞台に,国仲涼子さんが演じるヒロイン古波蔵恵里の成長物語を中心に,上村文也との恋の行方,両親や兄弟,祖母など恵里を見守る家族との強い絆,個性的な「一風館」の住人達や看護師として働く職場の人々の人間模様を描いた群像劇でした。
「もう一度見たいあの番組リクエスト」の連続ドラマ部門で第1位となり, 続編,続々編,さらに続々編が制作されました。
  ・・・・・・
私は,「ちゅらさん」というドラマは大好きでしたが,実は,小浜島がどこにあるのかさえ,知りませんでした。まさか行くとも思っていませんでした。それが,石垣島に行くことになって,小浜島が石垣島の近くにあるということがわかって,大変驚きました。こりゃ,行くしかない,と思いました。ということで,私がこの旅で最も楽しみにしていたのは,小浜島へ行くことだったのです。

午前11時30分発のフェリーに乗ることにしたので,時間ができました。
朝食後,ペンションのまわりを散歩していたら,ペンションの庭に,小さな看板があって,ビーチと書かれていました。その看板に従って進むと,あまり気づかない狭い通路があって,そこをかき分けていくと,海岸に出ることができたのです。
生まれたはじめてハワイに行ったときに私はハワイ島のペンションに宿泊したのですが,そこもまた,まったく同じように,狭い通路を進むと,海岸に出ることができたのです。それと同じ感じでした。
私は,このペンションにやってきたとき,海岸沿いにあるものだと思っていたのに,海を見ることができないのにがっかりしていました。それは誤解だったのです。
しばらく海を眺めました。この海は,太平洋でも日本海でもなく,東シナ海でした。

ペンションを出て,離島ターミナルに着きました。私が乗る船の名前はなんと「ちゅらさん2」でした。
おそらく,ドラマが放送されたころは,大ブームで,多くの人が訪れたと思いますが,放送されてからすでに20年も経って,さすがに,そういうこともないだろうと思ったのですが,まだまだ結構人気の島でした。
島までは約30分程度でした。
ガイドブックでは,小浜島は竹富島とは違って坂が多いので,レンタサイクルでは大変で,電動アシスト自転車かオートバイ,またはレンタカーがふさわしい,とありました。私は,この時まで電動アシスト自転車に乗ったことがなく,オートバイもまた同様だったので,レンタカーがいいなあ,と思ったのですが,予約もしていないのに,レンタカーなど借りられるのだろうか,と心配でした。
やがて,船が小浜港に到着しました。船が到着したのは「ちゅらさん橋」。小浜港には,以前はターミナルがなかったそうですが,今では立派なターミナルがありました。
案ずるより産むがやすし,というのは,旅をしているといつも感じることです。船が港に着くと,レンタカーと大きく書かれた看板が目に入りました。急いでそのお店に行くと,書類1枚書いて免許証を見せるだけで,ガソリン代込みでレンタカーが簡単に借りられるのでした。これではレンタカーをかりるというよりもレンタサイクルを借りるのと変わりません。
お店の前に,私が乗る赤い軽自動車が停まっていました。

DSC_4385DSC_4387DSC_4451DSC_4450DSC_4389


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_4374DSC_4375DSC_4376

竹富島を堪能して,石垣島に戻ってきました。この時点では,私はまだ石垣島の町を知りません。
私の宿泊しているペンションは島の北にあって,離島ターミナルから車で30分ほどかかります。それは承知で宿泊先を決めたのでいいのですが,問題は夕食です。島の北にも食堂はあるのですが,夜は早く閉店してしまうので,町で食事をとってからペンションに戻るしかありません。
しかし,私は気楽に考えていました。せっかく来たのだから,少し贅沢に沖縄料理を味わおうと。ところが,この日が日曜日であったので,いくつかの店が閉まっていたことに加えて,この島には飲み屋しかないのでした。要するに,石垣島の人は飲むことが最高の楽しみ,のようでした。私も車でなければ問題はなかったのですが,なにせ,車でペンションに帰るほかないのです。
数年前,ハワイ・モロカイ島に行ったことはすでに書いたのですが,モロカイ島で最も苦労したのは食事でした。なにせ,レストランがない。飲み屋はあったのですが,そのときもまた,酒を飲まない私には利用するのに抵抗がありました。しかし,実際は,その飲み屋でおいしい食事をとることができると知ったのは,数日後のことでした。
ずいぶんと探して,ついに,というか,やっと,というか,まともな食事にありつけるお店を見つけたので入りました。そこもまた,一応,飲み屋ではあるのですが,ちゃんとした定食がありました。沖縄料理の定食でした。

私はこれまで沖縄料理というものを食べたことがありませんでした。そこで,今日は,まず,そばをテーマに沖縄料理を語ります。
八重山地域全般で食べられているのが「八重山そば」です。「八重山そば」は,そばが細めで断面が丸く縮れがないのが特徴で,食べる際に好みで香辛料にヒパーチという島胡椒を使います。トッピングとして,八重山かまぼこやソーキそば,三枚肉などを載せます。
それに対して「沖縄そば」は沖縄本島全般で食べられるそばで,麺は太めで少しねじれています。トッピングは,カマボコ,三枚肉やソーキ,紅ショウガやネギなどで,紅ショウガが入っています。
これらのそばで,ソーキというスペアリブが入っていると「ソーキそば」とよびます。
「八重山そば」「沖縄そば」が和そばとは異なるのは,そば粉は使わず小麦粉のみで作られかん水を加えて打つことで,製法的には中華麺と同じですが,麺は太めで和風のだしを用いる点が異なります。私は,リンガーハットの麺と似ているなあと思いました。とても気に入りました。
  ・・
次にお酒です。私は普段もほとんどお酒を飲まないので特にお酒が飲めなくても問題はなかったのですが,お酒好きの人が石垣島へでかけるのなら,離島ターミナル付近にホテルを取って,思う存分酒づけになるのがよいのでしょう。
沖縄のお酒といって有名なのは,まずはオリオンビールです。オリオンビールは沖縄県に本拠を置く大手ビールメーカーで,麒麟麦酒・アサヒビール・サッポロビール・サントリーに続く日本国内第5位のシェアで,といっても0.9パーセントですが,沖縄県では最大のシェアを誇ります。
ライトビールなので,味は軽く,泡立ちがよいそうです。アメリカのビールのようなものでしょうか。
次に,泡盛です。泡盛は単式蒸留焼酎,本土の焼酎と同じ仲間ですが,製法が違います。
まず,原料にタイ米を使用します。次に,黒麹菌を伝統的に使用しています。
仕込み方法にも違いがあって,泡盛は,原料の米すべてを米麹にし水と酵母を加えて発酵させます。それに対して,焼酎は,まず,米麹あるいは麦麹をつくり,それに水と酵母を加えて発酵させ,その途中で主原料となる芋や麦,米,そばなどを仕込んでさらに発酵させます。さらに,蒸留段階で,泡盛は常圧蒸留で,焼酎は減圧蒸留です。
石垣島に限っても,請福酒造,高嶺酒造,玉那覇酒造,池原酒造,八重泉酒造,仲間酒造と6社もあります。泡盛ランキングの第1位は,川平村の高嶺酒造が造っている「高嶺・おもとゴールド6年古酒43度」,第2位は,石垣島でもっとも愛されている請福酒造の「直火請福30度」,そして,第3位は,古くからの村・宮良村の酒として造られていた仲間酒造の「宮之鶴30度」だそうです。また,番外として,泡盛の中で幻とよばれているのが波照間島の波照間酒造所「泡波」ということです。
次に来るときがあれば,真剣に酒浸りになりたいものです。ああ,また,新しい魅力を知ってしまった。

DSC_4380DSC_4381IMG_5291IMG_5292IMG_5295


☆☆☆
初日の出。

DSC_0026


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_4304

思いがけない水牛車観光を終えて,引き続き,レンタサイクルで島の観光を続けます。
まず行ったのは,竹富島の数ある御嶽の中で最も有名な御嶽である世持御嶽(ユームチオン)でした。
世持御嶽は竹富島の集落の中央にあって,「四月大願」「西塘祭」「結願祭」「九月大願」「種子取祭」(タナドゥイ)がこの御嶽を中心に開催されます。なかでも,旧暦9月の庚寅・辛卯の2日間を中心に開催される「種子取祭」は竹富島最大のお祭りで,農作物の豊穣と島民の繁栄を祈願し,舞踊や狂言などの伝統芸能を奉納します。
1914年(大正2年)年,それまで竹富村役場があった場所に世持御嶽を置き,世持御嶽に火の神と農耕の神を招いて,種子取祭の奉納が執り行われるようになったということです。
世持御嶽の周辺は緑が多く,ひっそりとした静けさの続く御嶽で神聖な空気を感じられました。

次に行ったのは,なごみの塔でした。
なごみの塔は,竹富島の玻座間西集落のほぼ中心,赤山公園の高さ約6メートルの丘に建てられた高さ4.5メートルの鉄筋コンクリートの展望塔です。頂上の展望台までは8段の階段が設けられ,その幅は約45センチメートル,奥行き約16センチメートルで,段差が約35センチメートルと高く,斜度は約60度と急勾配です。当初は展望台の上から集落内に連絡事項を伝えるために用いられたそうです。
展望台からは集落の赤瓦の家並みを一望することができたといいますが,なごみの塔がつくられたのは1953年で,現在は老朽化のために登ることができません。そこで,道を隔てた向かい側に,あかやま展望台がカフェの入っているビルの屋上に作られていて,無人の料金箱に100円を入れて登ります。展望台から,すばらしい景色を一望することができました。

そして,その次に行ったのが,西桟橋でした。
竹富島に着いたときに,カイジ浜,コンドイ浜と訪れて,その次に行こうとして迷った場所ですが,改めて地図を見て,行くことができる道を見つけました。
西桟橋は,1972年以前,農耕地の少ない竹富島の人々が西表島に水田を作っていたころに港として使用した桟橋です。桟橋の先端まで歩いていって海を見ると,透き通った水の中に,見えるわ見えるわ,たくさんの魚が泳いでいました。遠くには,石垣島を見ることもできました。

こうして,竹富島のほぼすべての見どころに行くことができて,レンタサイクルのお店までもどってきました。まだ時間が早かったので,隣にあったカフェで小休止をしたのち,レンタサイクルを返して,港まで送ってもらいました。私と同じ時間の船で竹富島に渡ってきた人たちはすでに帰ってしまい,私だけでした。私は5時間ほど滞在しましたが,竹富島は4時間もあれば十分に観光のできるところでした。それにしても,暑い日でした。もう11月の下旬というのに。

DSC_4309DSC_4310DSC_4307DSC_4314DSC_4317DSC_4327DSC_4351DSC_4354


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

このページのトップヘ