しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:沖縄旅行LIVE > LIVE・2022秋

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最後に訪れたのは,ガイドブックに「八重山最古の寺院」とあって興味をもった桃林寺でした。桃林寺は離島ターミナルの近くにあって,これまでも何度かその前を通ったところでした。
駐車場があったので,そこに車を停めて中に入りました。私ひとりしか観光客はいませんでした。
  ・・・・・・
桃林寺は,臨済宗妙心寺派の八重山列島で最古の仏教寺院.。山号は南海山,本尊は観音菩薩です。
薩摩藩から八重山への社寺建築の進言を受けた琉球王国第二尚氏王朝7代目国王尚寧王によって,1614年に鑑翁西堂を開山とし桃林寺が創建されるとともに,隣地に権現堂が創建されました。
桃林寺は当初は真言宗でしたが,禅宗となった後,現在は臨済宗妙心寺派の寺院になっています。また,権現堂には熊野権現(伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊)が祀られています。御神体の銅鏡は,1772年に沖縄県内で鋳造された最古のものです。
  ・・・・・・
静かな院内でした。江戸時代の初期に,すでにこの地に寺院ができたというのが驚きでした。

これで,私のはじめての沖縄,しかも,石垣島に滞在して八重山諸島を巡った旅はおわりです。
レンタカーを返すところまでは順調だったのですが,車を返却して空港まで送ってもらった後で,レンタカーのトランクにキャリーバッグを忘れたことに気づきました。どうもこのごろ,齢のせいか,こんなことが多くていけません。コロナ禍以降,キャリーバッグを持って旅をするということがなかったのがいけなかったようです。電話をしたら,ターミナルに送迎する次のお客さんとともに私のもとに戻ってきて事なきを得ました。
  ・・
石垣空港のターミナルは,オーストラリア・ブリスベンの空港に似ていました。私は,出発時間までスターバックスでくつろぎました。
やがて搭乗時間となって飛行機に乗り込みました。滞在中はずっと天気に恵まれていましたが,晴れ男の私がいなくなると同時に,石垣島は雨天になりました。
帰りは約2時間のフライトでした。行きに比べて飛行時間が短いのは,偏西風の影響だと気づきました。さすがにこれだけの距離になると,国際線と変わらず,西に向かうのと東に向かうのとでは飛行時間が異なります。しかし,これだけの時間を異常に狭い座席で飲み物1杯も出ることなく過ごすのは苦難でした。格安航空だから仕方がないといえばそうかもしれませんが,いくら安価であっても,もう少し快適に旅ができる工夫があってもいいというか。FDAを少しは見習ってほしいものです。

禅の修行のような2時間を過ごし,やがて,セントレア・中部国際空港に着きました。この日の名古屋はずっと雨だったようですが,晴れ男の私が戻ってきたときはすでに雨は上がっていました。
第1ターミナル2階の西安刀削麺 -ここは空いているので愛用しています- で夕食を食べてから,車で帰宅しました。セントレアの駐車場に5日も車を停めると駐車料金は結構な値段になって,さらに,名古屋までの高速料金も加えると1万円を越すというように,セントレアから石垣島に行くよりも高額になってしまうというのが皮肉というか,何か納得できないことでした。もよりの公共交通機関は頻繁に不通になるから乗る気がしない名鉄しかないし,ターミナルは飛行機を降りた後出口まで延々と歩かなければならないし,セントレアはとても不便な空港です。絶対に県営名古屋空港の方が便利だし快適です。

八重山諸島は,もっとのどかな南の島を想像していたのですが,私のそんな想像とはイメージが違いました。距離的にも中途半端だし,観光地というには何かいまひとつだし。それより何より,利用した格安航空ピーチの雰囲気がひどすぎました。客室乗務員は,客が言いつけを守っているかどうかを監視してたえず機内を歩き回っているだけの存在だし,明るさもない。
格安航空には2種類あります。そのひとつが,基本料金は安くても,やたらとオプションをつけて値段をつり上げていくというやり方で,私が利用した中でこれをしているのがピーチやジェットスターです。
八重山諸島は,どんなところかを知るために1度行くにはいい経験だけれど,私には「2度目」はないなあ。旅は日常を忘れ,非日常を楽しむためにするからこそであって,苦難を味わいに行くものではありません。レストランにせよテーマパークにせよ,リピートするかどうかが評価のすべてであって,アンケートの結果やクチコミではないです。

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サビチ洞を出た私は,石垣島の東海岸沿い,国道390号線を南に走っていました。途中でどこか適当なところを見つけて昼食をとるつもりでした。ところが,石垣島には私のイメージするような,どころか,そもそも食堂やレストラン自体まったくないのでした。コロナ禍でハワイなどに行くことが難しくなって,そうした観光客が沖縄の離島に流れていると聞きます。国内なら安価だし入国のわずらわしさもないので,こりゃ,ハワイへ行くよりいいや,と私も来た早々はそう思いました。しかし,どうも,イメージが違うのです。
食事をするところが見つからず,そのまま白保という集落まできました。ここがおそらくもっとも石垣島を代表する集落だろうと思いました。しかし,私が行った八重山諸島はどこもそうだったのですが,道が狭く,何か排他的で,よそ者が入る余地がないのです。どこかに車を停めて町歩きをする,という空気感がありません。白保の集落も,そんなわけで,車で入り込んでみたものの,特に何もなく,結局,通り過ぎただけでした。
さらに進むと,石垣市役所とか石垣市総合体育館とか中央運動公園とか,そういった建物がある石垣島の官庁街に着きました。私は驚きました。そこには,本土にあるようなチェーン店がたくさんありました。私が思うに,八重山諸島は本土から,というか,沖縄本島からも遠く離れていて,チェーン店へモノを運ぶには,非常に効率が悪いから,わざわざこの地に出店をするメリットがわかりません。いずれにしても,ここは,私の住むところと何ら変わるところではなく,わざわざ沖縄の離島まで来て散策するようなところではありませんでした。
マクドナルドもあったのですが,さすがにここでマクドナルドに行っても仕方がないので,和風亭というお店に入って昼食を取りました。

考えてみれば,4泊もしたのに,石垣島のことはほとんど知りませんでした。そこで,帰りの飛行機の時間まで,石垣島の,これまでに行っていなかったところをまわることにしました。
まず,地図で見つけたのがバンナ展望台でした。バンナ展望台はバンナ公園の中にあって,車なら簡単に登ることができます。展望台からは島の風景が見渡せるということだったのですが,天気が悪くなってきてすごい風だったので早々に引き上げました。
展望台から霧った町並みをどうにか見ることができましたが,この地に生活する人々がこんなにいるという現実は,地図を頭に思い浮かべたとき,ここは本土からは遠く離れた東シナ海に浮かぶ小さな離島であり,すぐとなりは台湾なんだ…,そんなことがまったく想像できないものでした。
ガイドブックには「セグウェイでバンナ公園を疾走」とか書かれてあったのですが,何の何の,平日で,かつ,この天候では,公園には人っ子ひとりおらず,さびれた感満載で「風を切りながら亜熱帯の南の島ならではのダイナミックさ」のかけらもありませんでした。

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黒島からの帰りです。
石垣島を出港するときは同じ時間だったのですが,黒島の出港は,八重山観光フェリーと安栄観光で時間が異なっていて,多くの人は,先に出港する安栄観光の小さな船に乗り込みました。私は後に出港する八重山観光フェリーの大きい船でした。船が黒島を出港して石垣島に着く間に日没となって,船からの夕日をとても美しく眺めることができました。
最終日の明日は離島に行く予定はないので,これが最後の船旅となりました。
ほとんど計画も立てず,というか,天気次第だと思っていた八重山諸島への旅は,天候にも恵まれて,竹富島,小浜島,そして,黒島と,3つの離島に行くことができました。
石垣島に戻って,この晩は,公設市場の3階にある食堂に行くことに決めていたので,そこで夕食を取りました。注文したのは,石垣牛ということばに惹かれて,石垣牛肉野菜炒め定食にしました。

5日目 2022年11月30日水曜日
いよいよ最終日になりました。
この日の朝食は洋食でした。私はこのペンションに4泊連泊しました。要領も得ず,何をするのが楽しいのかもわからず過ごしたのですが,なかなかすごしやすいところでした。
八重山諸島に来てわかったことは,もし「2度目」があるのなら,今度は,何をするかを決めて来るところだということです。スノーケリングが好きならとても魅力的なところでしょう。星や自然を観察しながらのんびり過ごすのも悪くありません。おいしいものを食べてお酒を飲むのを楽しむのもありです。しかし,そのいずれにしても,すべては天気次第なので,なかなか予定が立てづらいというのが難点です。
この日は天気が次第に悪くなるということだったので,あまりテンションがあがらなかったのですが,幸い,雨にはなりませんでした。

ペンションの近くにサビチ洞という鍾乳洞があって,気になっていたのと,天気が悪くても大丈夫そうだったので,まず,行ってみることにしました。なぜか私がもってきたガイドブックには載っていなかったし,レンタカーを借りたときにもらった地図にも書いてないし,車が入っていく気配もなかったので,さびれているのかなと思ったのですが,せっかくだからと,案内標示に従って,道を曲がりました。
意外にも,広い駐車場には結構車が停まっていて驚きました。
あとで調べてみると,石垣島にはいくつかの鍾乳洞があって,中でも,最も大きいのが石垣島鍾乳洞ということで,これは,私のもってきたガイドブックに載っていました。それにくらべたら,サビチ洞は約230メートルと,半分ほどのひろさということでした。結局私は,石垣島鍾乳洞には行きませんでしたが,これまで,アメリカでなかりの鍾乳洞に行ったことがあるので,特に行きたいとも思わなかったし,期待もしていませんでした。
約2億7千年前の地殻変動によって生まれたというサビチ洞ですが,洞窟内にはシャコガイの殻やダバネサンゴなどの化石があって,そこが昔は海の中だったのだと実感することができます。サビチ洞の特徴といえば,鍾乳洞を抜けると海に出ることができる,というものでした。そして,海に出て海岸を右手に回ると見えるのが幸せになれるパワースポットとして有名な亀の形をした岩でした。
私が好感をもったのは,サビチ洞は,写真を写そうがドローンを飛ばそうが自由だ,というおおらかさでした。

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黒島では多くのチョウを見ることができます。
今日の写真はリュウキュウマダラだと思うのですが,私はチョウには詳しくないので違うかもしれません。調べてみると,リュウキュウマダラは,スジグロカバマダラとともに,八重山で最も普通に見かけることができるチョウで,集落近辺の草花が多い所や海岸べりなど,いたる所で見ることができるとありました。
そしてまた,黒島といえば,何といっても牛です。
黒島は,島のほとんどが牧場といってもいいほど牧畜が盛んなところです。黒島の牛は,やや小柄の高級ブランド「黒毛和牛」で,全国各地のブランド牛の一部は幼少期をこの島で過ごしています。ここの牛が松坂にいけば松阪牛となり,神戸に行けば神戸牛となる,ということらしいのですが,牛のことをまったく知らなかった私は驚きました。日本の牛の流通はかなり複雑なのだそうです。
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牛の生産・流通過程は「種つけ・ 誕生・仔牛セリ・ 肉牛セリ・と畜」の5過程にわけられ,また,農家も,繁殖・仔牛の飼育を専門とする「繁殖農家」と,肥育を専門とする「肥育農家」にわかれていて,繁殖農家が種付け・妊娠を行い,誕生させ,8か月から10か月飼育した仔牛を,肥育農家がセリで仕入れ,およそ10か月から20か月をかけて肉牛となるまで肥育させるのが一般的。
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とありました。
八重山諸島全体の肉用牛飼養頭数は約35,000頭だそうです。周年牧草生産に恵まれた草地の造成などが進み,採草地・放牧地の草地面積が拡大し,放牧主体の低コスト生産による経営を実現したなどで,黒島は,帰島し畜産業に就く若者が増えて,地場産業の発展が期待されているということです。

さて,黒島灯台から海岸に沿って西に走っていくと,仲本海岸にでました。
ここには休憩所があって,自動販売機もあったので,少し休息しました。休憩所から海を眺めると,遠くに波照間島の島影を見ることができました。
それに続いて,宮里海岸に出ました。
このあたりにあったのがビジターセンターで,建物の中には少しだけ展示がありました。そこにいた人は本土から移住してきた人で,のどかな島で静かに暮らせるから最高の場所だ,ということでしたが,海に出れば魚は釣れるし,生きるには困らない,と言っていました。ここに住んで,星やチョウを研究して過ごせるなら退屈しないかもしれません。
都会に住んでいると,日々生活に追われ,人と競争し,お金がすべて,という価値観になってしまうのですが,そんなことは,実は,どうでもいいのかもしれません。こうした離島に行くと,生きるって何だろうと,わからなくなってきます。

そこから少し北に行くと,黒島研究所という水族館兼資料館がありました。
黒島研究所でさまざまな魚を見ることができたのですが,ウミガメが大きな水槽で泳いでいるのにはびっくりしました。黒島もまたウミガメの産卵の地で,西の浜というところに上陸するそうです。
最後に,「プズマリ」を見て,黒島の見学は終わりです。
「プズマリ」は火番盛のひとつで,昔は電話がなかったため,異国船を発見した場合,石垣島の琉球府の役所へ狼煙を上げて連絡していたのですが,八重山諸島や宮古諸島には,この火番盛がいくつかありました。これらを総称して,先島諸島火番盛とよばれているということです。
黒島の「プズマリ」は,黒島で最も高い場所としても知られ,琉球石灰岩を積み重ねた円錐形の天辺を切り取ったような小山にあります。10年ほど前までは登ることができましたが、倒壊の恐れがあるとのことで,今は登ることができません。波照間島や竹富島などの離島にも同じようなものがあるのだそうですが,その中で最も大きいのが黒島のものということです。
黒島に来てはじめに行った展望台は。この「プズマリ」を似せて作ったものだそうです。

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展望台を登ってから伊古桟橋まで行って,次に,黒島の中央にある集落に来ました。
黒島の中心部に位置する集落を東筋集落といいます。ここには,郵便局や伝統芸能館など生活に必要な施設が揃っています。というか,人口がわずか200人程度,戸数は50ほどの黒島の生活に必要なものがすべてなければ生活できません。
集落の町並みは,竹富島のように,サンゴの石垣が並んでいて,風情がありました。また,今は季節でないのですが,夏にはハイビスカスやブーゲンビレアの花々が美しい町ということです。
黒島の民家は,軒が低く平屋建てで石垣で囲まれた沖縄らしいのが特徴的ですが,これは,台風の上陸が多いので,大雨や強風の影響を減らす効果があるからです。また,雨の吹き込みがないように軒が深くなっていて,この軒のことを雨端(あまはじ)というそうです。
主要な道路は舗装されていないのですが,これは,道路の水捌けをよくするためです。
八重山諸島らしい景観を残しているのは竹富島と黒島の集落なのですが,竹富島との違いはシーサーやヒンプンがほとんどない,ということです。家の正面に目かくしの塀があり、これを「ヒンプン」といいます。 「ヒンプン」は,家の正面にある目かくしの塀です。表から建物の内部が直接見えないように造られたもので、外から魔が入ってくるのを防ぐというマジナイ的な意味をもち,屋敷の内と外の仕切りの役目も果たします。シーサーやヒンプンが黒島にないのは,シーサーやヒンプンはここ100年ほどので生まれた文化なので,黒島の東筋集落はそれよりも古いからなのだそうです。

東筋集落の西の入口にあるのが,赤瓦の屋根が特徴的な黒島唯一の郵便局・黒島郵便局です。
丸くて赤い昔ながらのポストがあり,ATMもあります。また,黒島唯一の日用雑貨の店・たま商店がありました。カフェや食堂も1軒ずつあるようにレンタサイクルの店でもらった地図にはあったのですが,目につきませんでした。診療所もあります。
私が最も興味深かったのは,道が交わった場所ごとに小学生の書いた将来の夢が立てられていて,その中のひとつに「志望校合格!! 量子力学を学ぶ」とあったことでした。黒島小中学校のホームページによると,昨年度は,小学校は2年ぶりの新入生を迎え,小学校1年生4人,3年生2人,4年生1人,5年生5人の12人,中学校は1年生3人,2年生3人,3年生2人の8名で,児童生徒が全員で20人,そして,教職員が16人なのだそうですが,規模は小さくとも,夢は大きいのです。
東筋集落の南には南神山御獄(パイハメマワン) があります。南神山御嶽は,兄の危険の際に祈りを通じて霊的な庇護を発揮したというある姉妹の霊力に対する信仰がオナリ信仰とよばれて,その祈りの地がこの御嶽となったそうです。

そこから島の南に1本の舗装道路が伸びていました。走っていったら,ずいぶんと距離がありましたが,海岸に出ました。そこにあったのが黒島灯台でした。
黒島灯台は,広大な牧草地の中をまっすぐのびる農道を行った先の何もない岩場に建つ小さな灯台です。
灯台の中に入ることはできませんが,ハートの形をした黒島の,ハートの先にあることから恋愛成就のパワースポットとしても知られる黒島灯台に来ると恋が成就するといわれているそうですが,残念ながら,私にはまったく関係がありません。
灯台の前には穏やかなエメラルドグリーンのリーフとその先に広大な外洋がひろがっていましたが,観光客は私以外にはだれもおらず,最高の気分でした。

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牛の島として有名な黒島はのんびりとした時間が流れるハートの形をした島です。人口約200人に対して牛の数は3000頭を越えます。
坂のない平坦な島で,牧場の緑の風景の中を自転車でゆっくりとサイクリングするのがベスト。また黒島の海は八重山でもトップクラスの美しさといわれ,産卵のためにウミガメが上陸してきます。
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というのが,ウェブにあった黒島の紹介です。
船で黒島に上陸すると,レンタサイクルの人が迎えに来ていました。とはいえ,私とともにこの島の上陸した観光客は6人ほどでした。
レンタサイクルのバンに乗り込んで店に向かい,電動自転車を借りました。生まれてはじめて電動自転車に乗ったのですが,きわめて快適でした。
さて,観光といっても,この島で見どころといえば,展望台,そして,伊古桟橋ということだったので,とりあえず,展望台へ行ってみました。高い山がないので,展望台に登れば島中が一望できるということでした。
5分ほど走ると,小中学校があって,その先に展望台,というか,ちょっと小高いモニュメントがありました。私は高い塔を思い浮かべていたのですが,まったく違いました。こんな低い展望台で一望できるのだろうか,と思ったのですが,登ってみると,ちゃんと見ることができました。

展望台から東の集落に向かって伸びるのが「日本の道100選」の道だそうです。
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「日本の道100選」は,道の日の制定を記念して,1986年度および1987年度に建設省と「道の日」実行委員会により制定された日本の特色ある優れた道路104本です。
沖縄県道213号黒島港線は,1981年度から1983年度にかけて道路の拡張が行われたときに,沖縄を代表する景観であり,地域の特徴にもなっている道路両側の住居を囲う琉球石灰岩の石垣や赤煉瓦の屋根などの観光地としての景観を損ねないように特段の配慮がなされ,その結果,黒島の海中景観に優れた自然環境や島の独特の文化に調和した南国の素朴さと文化を強調する景観を持つ道路として評価され,1986年「日本の道100選」に選定されました。
2005年に幅員を拡幅して,歩道とロードパークがもうけられ,ロードパークに国の史跡・先島諸島火番盛のひとつである「プズマリ」をイメージした展望台が整備されました。
  ・・・・・・
ということです。

次に行ったのが伊古桟橋です。全長354メートル,幅員4.25メートル,高さ1.8メートルの伊古桟橋は,2005年に国の登録有形文化財に登録されました。
伊古集落から近い黒島の北岸にあって,現在の黒島港より東寄りに位置します。伊古桟橋は,伊古集落で漁業で盛んだったころ利用されていました。最初の桟橋は1924年に建設された木造の桟橋でしたが,1933年に台風で破壊され,1935年に建設された現在のものは,石積造及びコンクリート造で表面はモルタル塗です。
現在,桟橋としては使用されていませんが,先端まで行くことができて,地元の人々が夕涼みや釣りにやってくるところだそうです。自転車でも先端まで行くことができて,とても爽快でした。
桟橋周辺はものすごく遠浅で,干潮時にはほとんど干上がってしまうので,満潮時のほうがきれい,ということですが,先に書いたように,午前中,干潮の川平湾でグラスボートを楽しんだ私は,ここでもまた運よく,満潮時に訪れることができたのでした。

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黒島へ行く船が出るのは午前12時30分なので,それまで時間がありました。そこで,天気のよいこの日は,石垣島の西海岸に沿って,海岸線をなめるように離島ターミナルまで走っていくことにしました。
まず,底地(すくじ)ビーチへ行きました。底地ビーチは川平湾から石崎半島をへだてた西側に南北に弧を描きながらのびる三日月のような青く美しい海と真っ白な砂浜がウリのビーチです。
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海岸沿いの林を抜けると目の前に広がるのが白い砂浜と静かに打ち寄せる穏やかな水面,そして,視線の遠くまで弧を描きのびる海岸線。
  ・・・・・・
という紹介がありました。
底地ビーチは,約1キロメートルにもわたるロングビーチ。湾の内にあるのでほとんど波がたたず穏やかで, 遠浅。また,モクマオウという名の木が防風林として立ち並び,快適な木陰を作っています。
西側に面しているので,絶好のサンセットスポットエリアということで,私はその時間に行くことはできなかったのですが,夕暮れになると,世界が黄金色に染まり,水平線に太陽が沈んでゆくとき空と水面が紫色から濃紺へと移ろって,やがて,夜空に満天の星空が広がるということです。
オーストラリアの,名も知らない湖のようなところに行ったとき,こんな感じのビーチがあったなあ,と私は妙なことを思い出しました。

次に目指したのは,御神崎灯台(おがんさきとうだい)でした。
坂道をぐっと登って行った先に駐車場があって,そこから少し歩いて,それから結構険しい階段を登ると,一面海が開けました。なかなかの景色でした。
高さ17メートルの御神崎灯台は,1983年に設置された石垣海上保安部が管理する灯台です。
ここもまた,島の西側に面しているので,夕日がきれいなところで,石垣島ナンバーワンのサンセットスポットとして名高く,夕暮れが近づくと 多くの人が集ってくるそうです。また,4月から5月ごろは,無数のテッポウユリが咲き誇り,夏のはじまりを告げてくれるのだそうです。
御神崎灯台は公開されていませんが,11月1日の灯台記念日に合わせて一般公開されることもあるということです。

美しい海と景色を堪能して,私は離島ターミナルに着きました。
今日もまた,離島ではお昼を食べ損ねるおそれがあったので,船の出発前に,まず,昼食をとることにしました。離島ターミナルの駐車場に車を停め,石垣島公設市場の中にある食堂へ行きました。

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4日目 2022年11月29日火曜日
私が石垣島に着いてから,連日,とてもいい天気でした。
ハワイと違って,沖縄は天気が読めません。以前の私のように沖縄について知らないと,夏は暑いから避けて冬は暖かだからいいように思えます。ガイドブックには年間降水量が書いてあって,冬は雨が少ないように読めます。そこで私も11月の下旬を選んだのですが,冬は北から風が吹いて海が荒れるから船が欠航することが多いのだそうです。ただし,私の滞在した5日間は異例でした。
ハイシーズンは夏なのだそうですが,台風の心配があります。聞くところによると,観光に最も適しているのは6月と10月なのだそうですが,勤めている人はこの時期に旅行は難しいです。

さて,4日目。
明日から天気が崩れるという予報でした。また,私は,すでに,竹富島と小浜島に行ったので,この日はどこに行こうか考えました。波照間島はすでに眼中になく,西表島は広くつかみどころがありませんでした。それよりも,私は,な~んもない,という島に憧れました。
鳩間島という本当にな~んもない島があると,昨日,コーラルビーチのカフェのオーナーが言ったので,よほど行ってみようかと思ったのですが,船は朝の1便と夕方の帰りの1便しかなく,その間,何をするかが問題,ということだったので,さすがにやめて,次に見つけたのが,人より牛の方が遥かに多いという黒島でした。そこで,黒島への船が午前12時30分発だったので,午後は黒島に行くことにしました。
そして,せっかくの好天なので,午前中は川平湾のグラスボートに乗ることにしました。

川平湾は石垣島の北西にあります。ペンションで朝食を終え,車で石垣島の北の海岸線を西に走りました。このあたり,ハワイ・カウワイ島の北の海岸に少しだけ雰囲気が似ていました。
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川平湾は世界的なガイドブックで最高ランクの三ツ星を獲得した石垣島屈指の絶景スポット。
白砂に澄んだブルーの海が映え,ため息が出るほど美しい景観を楽しめる,石垣島で絶対にはずせない王道観光地です。
天候や時間帯によって海の色が七色に変化するのが特長! 1日中眺めていられます。
砂浜から乗船するグラスボートも定番の楽しみ方。船底のガラス越しにサンゴの群生や色鮮やかな魚を見ることができます。
  ・・・・・・
ということです。

川平湾が見えてきました。なかなかいい雰囲気でした。
グラスボートは数社が営業しているようですが,私は「ぐるくん」というところのクーポンをもっていたので,そこを利用することにしました。
船の予約をしてチケットを購入しても,まだ出船には時間があったので,展望台に行って川平湾を一望しました
朝1番のグラスボートとはいえ,十人近くの観光客が乗り込みました。船は砂浜から乗船します。船の中央がガラスになっていて,海の中が見えるという趣向です。ハワイ島のカイルアコナで潜水艦ツアーというのに乗ったことがあるのですが,そのようなものです。ただし,潜水艦とは違って,あくまで海の上だから,あまり期待していなかったのですが,さにあらず,なかなかのものでした。
ただし,私が乗ったこの日は,最高の条件だったようです。これほどの透明度の高い日はまれで,しかも,潮が満ちているところだから,さらにいい時間だということでした。さすが晴れ男です。
とても詳しい説明があって,楽しい時間を過ごせました。熱帯魚がいっぱい泳いでいる海はとてもきれいでしたが,私が最も感動したのはウミガメでした。

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小浜島の観光を終えて,石垣島に戻ります。小浜島は期待以上の島でした。とはいえ,半日以上滞在しても,もはやすることもありません。
帰りの船がやってきて,乗船しました。小浜島から石垣島が見えました。
石垣島の港には,Japan Coast Guard,つまり,海上保安庁と書かれた船が停泊していました。
  ・・・・・・
海上保安庁は,海上における人命・財産の保護,法律違反の予防・捜査・鎮圧を任務とする国土交通省の外局です。1948年(昭和23年)にアメリカ沿岸警備隊(United States Coast Guard=USCG)をモデルに設立されたものです。
船舶に対する任務を海上保安庁が担うのに対して,国外の艦艇に対応する任務は防衛省の特別の機関である海上自衛隊が担当し,海上自衛隊は防衛大臣による海上警備行動の発令によってはじめて洋上の警備行動が取れるといいます。
  ・・・・・・ 
こういう姿を見ると,八重山諸島が外国にきわめて接していることに気づきます。

この晩は,まず,サザンゲートブリッジに行くことにしました。サザンゲートブリッジは離島ターミナルから徒歩5分くらいのところにあって,埋め立てて造られた人工島の南ぬ浜町(ぱいぬはまちょう)と離島ターミナルのある八島町とを繋ぐ青色の大橋です。離島ターミナルから美しい橋が見えたのでずっと気になっていたのですが,調べてみると,橋の上から見る夕日がきれいだということでした。
小浜島から戻ったとき,間もなく夕日が沈みそうだったので,慌てて橋まで歩いていって駆け上がりました。橋は片側だけ歩道が整備されていて,容易に自転車や散歩でも渡ることができるようになっていました。私は橋の最上部で夕日が沈むのを待ちました。あいにく水平線付近には雲があったのですが,雲の隙間から大きな赤い太陽を見ることができました。
夕食は,前日はお休みだったおそば屋さんにしました。
お店は結構混雑していましたが,何とか座ることができました。ラフテー&ソーキ定食というものを注文しました。ラフテーというのは,沖縄の郷土料理のひとつで,皮つきの三枚肉またはヒサガーという皮つきのもも肉を泡盛や醤油で甘辛く味付けした料理で,沖縄風の豚肉の角煮のことです。

ペンションに戻りました。
夜になると晴れ上がり,満天の星が見られました。私は,石垣島に星を見に来たわけではなかったのですが,三脚は持ってきたので,写真を写しました。
何年か前,ハワイやオーストラリア,ニュージーランドなどに出かけていなかったころなら,ここで南十字星が見られると感激し,夜を徹して星の写真を写していたかもしれません。

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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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小浜島もそれほど大きな島でなく,また,ディズニーランドのような竹富島とも違って観光客もそれほど多くはなく,水牛車のようなアトラクションがあるわけでもなく,おそらく,「ちゅらさん」のロケ現場でなければ,もっと無名の,しかし,素朴な島だったかもしれません。
私は,レンタカーで走っていたので,あっという間に島の観光を終えてしまいました。
最後に行ったのが「ちゅらんさん」を象徴する「結婚しようね 大きくなったら結婚しようね」のロケ地である「細崎港」でした。ここは,古波蔵恵里が幼いころ「結婚しようね」と防波堤を走りながら上村文也にさけんだところです。「 細崎海岸」(くばざきかいがん)はマングローブ林が近く,貝やサンゴが落ちていたりする場所ですが,潮の流れが速いので遊泳はできません。
その奥にあるのが「海人公園」(うみんちゅこうえん)。この近辺は細崎集落があって海人を生業とし生活する小さな集落です。「海人公園」には,屋根が巨大なマンタで作られている展望台がありました。

帰りの船まで時間があったので,午前中に行ったコーラルビーチに再び行って見ることにしました。確かカフェがあったように記憶していたからです。ビーチの駐車場に車を停めて,少し手前のカフェに入って,ケーキと飲み物を注文しました。カフェはオープンテラスで,海が眺められ,とてもいい雰囲気でした。
実は,私は,今回の旅で,こうしたシチュエーションを期待していたのですが,石垣島も竹富島も期待に反して,レストランどころかカフェすらほとんどないのでした。
飛行機で石垣島に着いたときは,こりゃハワイより近くていいや,と思ったのですが,しだいに,私の思っていた南の島でゆっくりバカンス,というのとは違うところだなあ,という気持ちになってきていたところだったので,これで蘇りました。
オーナーは私と同じくらいの齢の人で,少しお話をしました。

何でも,本土からの脱サラで,どこかいいところはないかと探していて,この場所を見つけ,買ったのだそうです。コーラルビーチのリゾートエリアには,ホテルもあるのですが,移住してきた人の住む家もあります。ここに住んでいる人は,退職して,老後の場所として選んで住んでいる人も多いそうです。
  ・・
日本は,受験戦争に勝ち抜いて学歴を手に入れ,まあまあの会社に就職して仕事一途で働いて,まあまあ偉くなって定年まで勤めあげ,その間に家を買ってローンの支払いに明け暮れ,巨額の教育費を使って子供を育て,退職したらツアーで旅行をする,というような,人任せの「おまかせ定食人生」を過ごすなら,これまでの世代なら,これほど楽な国はなかったのです。これからの若者は,そうした「おまかせ定食人生」すらおくれませんが…。
しかし,不登校になったり仕事を辞めたり病気になったり,といった理由で,そんなレールから一旦外れてしまったり,あるいは,自分らしく生きようとすると,これほど夢が実現できず,選択肢もない,生きづらい国はありません。そうした人は,海外へ,あるいは,沖縄の離島へ,さらには,テレビ番組の「ポツンと一軒家」で出てくるような山の中へと,居場所を求めて右往左往するのです。
沖縄の離島はそうした選択肢としてそれなりに魅力的だけれど,何か寂れてしまっているし,ハワイのマウイ島に多くある,アメリカの大金持ちが住むようなリゾートタウンを知っている私としては,それと比べてはいけないけれど,とても寂しい気持ちになります。

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石垣島や西表島のような大きな島では,海岸沿いの港の近くに集落がありますが,竹富島,小浜島,そして,明日行くことになる黒島のような小さな島では,集落は島の中央にあります。コーラルビーチを出た私は,今度は,小浜島の集落に向かうことにしました。
先日竹富島で昼食を食べ損ねた私は,なんとか集落で昼食にありつけないものかと,まずは思いました。集落の中は意外と道路が狭いのですが,ほとんど車も通らないので,路上のどこでも車を停めることはできます。そこで見つけたのが,一軒の食堂でした。お客さんは誰もいませんでした。そこで私は,確か「八重山そば」を注文したと思います。しかし,今,写真で見ても,それが「八重山そば」だったのか「ソーキそば」だったのか定かでないのです。いずれにしても,地元の三流グルメには違いがないのですが。
私の住む地方では,「味噌煮込みうどん」が定番で,特に寒い季節はこれに限るのですが,これもまた,麺が堅い店もあれば柔らかい店もあるし,トッピングもさまざまだったりするので,それと同じでしょう。当然,厳密な定義などないわけで,ただ,地元民は食べなれているからその違いが店の特徴として認識できるのですが,行くまでまったく知識のなかった私にその区別がつくわけがありません。
いずれにしても,地元のものを食べたい,という意思だけは堅いのです。
このお店,午後2時過ぎに通ったときはすでに閉店していました。

この島の集落で,観光の目玉というのは,いまでもはやり「ちゅらさん」です。
そこで,はじめに「ちゅらさん」で民宿という設定だった「こはぐら荘」に行ってみました。
「こはぐら荘」として想定された民家は実際に人が住んでいて中に入ることはできないので,入口付近から見るだけの場所でしたが,まあ,感動しました。
集落のはずれに結構大きな小中学校があって,ここは古波蔵恵理が通った学校としてドラマに出てきます。さらに先に行くと「シュガーロード」があります。古波蔵恵里が自転車で通る場所で,両脇にさとうきび畑が広がっている… はずなのですが,平原でした。というか,牧場があって牛さんいました。

帰ってから,当時の番組の総集編を見直してみました。
私が行ってきた場所がいっぱい出てきて,かなり感動的でした。しかし,ドラマで描かれた画面から得たイメージと,実際に行って見てみたイメージは違うものだなあ,とも思いました。
「こはぐら荘」はもっと海岸に近い場所だと思っていたし,また,「ガジュマルの木」は,すでに切られてしまっていて,また,かつて「ガジュマルの木」を見ることができた「ちゅらさん展望台」も口蹄疫ウイルスの侵入防止の為に閉鎖されてしまいました。
  ・・・・・・
「ガジュマルの木」とは「ちゅらさんの碑と和也の木」です。撮影のために植えられた木は土地になじめず枯れてしまいました。
「ちゅらさん展望台」は,古波蔵恵里が「結婚しようね」と寝言を言っていたことを古波蔵勝子に冷やかされた場所,そして,和也君との約束を果たすために上村文也が古波蔵恵里にプロポーズをした,「ちゅらさん」最大の見せ場で有名な「ガジュマルの木」が見おろせた場所でした。
  ・・・・・・
と,時の流れには勝てず,いろいろなことがすでに思い出の中だけのことになっていたとしても,まさか小浜島に行くとはまったく思っていなかった私には,実に感動的でした。

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レンタカーを借りるときに島の地図をくれて,詳しい説明がありました。まさにこの島はハワイ・モロカイ島のようなところでした。
まず,少し左手に行ってそこを右折して坂を登ると展望台に出るといわれました。展望台のある場所は大岳(うふだき)といいます。けっこうな坂道で,レンタカーを借りて正解だったと思いました。
駐車場に車を停めて,展望台まで登ることになるのですが,思った以上の階段でした。私はどこに行ってもこんな坂を登る気はないのに,なぜか坂を登ってばかりいます。しかも,この日は11月下旬だというのに摂氏30度を超す暑さで,しっかり汗をかきました。
登る途中で,3人組の女性とすれ違いました。「まだまだですか?」と問うと「まだ大変ですよ」という返事があってにんまりされました。それが真実なのか? はたまた,からかわれているのか? どちらにしても,私はすでにめげていました。「まだ大変ですよ」というほうが真実でしたが,それでもなんとか展望台にたどり着くことができました。展望台からは島のまわりが一望できました。
  ・・
世界中どこに旅しても,その場にいるときは,自分は地球のこんなところにいるのか! という実感がわきません。これまで行った中でも,あとで振り返って地図を見ると,ハワイは太平洋のど真ん中だったんだ,と驚くし,アイスランドに至っては大西洋の孤島ではないですか!
八重山諸島もまた,帰宅してから改めて地図で探すと,こんなにも本土と離れているのか,と驚きました。緯度は台湾と同じくらいだし,日本本土よりも中国大陸のほうがずっと近いのです。すぐ隣は尖閣諸島です。こりゃ,中国大陸からミサイルでも飛んできたらひとたまりもないなあ,とぞっとしました。

展望台を降りて,次に目指したのが,コーラルビーチでした。
小浜島にはカナンリゾートがあります。
  ・・・・・・
小浜島にもともとあった建物を利用して2017年に新しくオープンしたリゾートホテル。小浜島の北側に位置していて,オーシャンビューの客室のバルコニーからは小浜島の北東にある無人島の嘉弥真島(かやまじま)を望むことができます!
他のリゾートホテルに比べるとリーズナブルな価格のため,小浜島に数日滞在する方にはオススメ!
  ・・・・・・
ウェブにこのような紹介があるのですが,シングルルームは10,000円くらいで宿泊できるようです。
また,リゾートホテルの周りには住居もあって,この島で暮らすのを夢見て移住してきた人たちが住んでいるという話です。
何度も書きますが,この島は,ハワイ・モロカイ島のようなところで,私はモロカイ島のリゾートで3泊もしたのですが,そこは古くさびれていました。ここもまた同じような感じでした。ともかく,何をするでもなく,何か魅力があるでもなく,しかし,のんびりするにはこれ以上のところはなし,という感じでした。
その,カナンリゾートを越えてさらに行くとコーラルビーチという穴場に出るのですが,一見,道路がリゾートホテルの私有地のように思えるので,知らないとたどり着けません。小浜島のビーチといえばここくらいのものです。
  ・・
レンタカーを借りるとき,だから,ここは穴場だと得意げに紹介されました。
行ってみると,多くない人たちが海を眺めていたり,水浴びをしていたりしていました。そこにいたのが,さきほど展望台ですれ違った3人組の女性たちでした。そして,彼女たちに写真を撮ってもらおうと声をかけたのが,別の2人組の女性たち。この別のグループ,ともに埼玉県から来たという話でした。
調子に乗った私が,彼女たちが写真をとるときに「飛べ!」と声をかけると,実際に彼女たちは「と・ん・だ」… のでした。

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3日目 2022年11月28日月曜日
以前「波照間島の亡霊」と題して,波照間島に行こうかどうしようか迷っていたことを書きました。当初の予定だと,この日はペンションの朝食をキャンセルして,早朝に出発し,離島ターミナルから波照間島へ日帰りで出かける予定でした。しかし,いろいろ調べた結果,結局,私は波照間島へ行くのをやめて,フェリーをキャンセルしました。船が欠航になって帰ることができなくなるという心配と船酔いの心配,このふたつが迷っていた理由だったのですが,それ以上に,私は,波照間島に行きたい,という気持ちにならなかったということがありました。私が波照間島に行こうと思った動機は,単に,帰ってから自慢しよう,ということだけだったのです。
結論からいえば,私が滞在していた間だけ,非常に天気がよく,船は欠航することもなく波照間島に行ってくることは可能でした。11月という時期は船が欠航する確率は50パーセント以上ということなので,行きたいという人にとってはものすごくうらやましいと思えるかもしれません。事実,私も惜しいことをした,という気持ちがないわけでもないのですが,とはいえ,自宅に帰ってきてからも,まったく行かなかったことに対する後悔はないのだから,実際,行く気はまったくなかったのでしょう。

さて,波照間島に行くことをやめて,ペンションでゆっくりと朝食をとりました。そして,波照間島に代わって,小浜島へいくことにしました。実は,私がもっとも行きたかったのが,この,小浜島でした。
小浜島は,2001年に放送されたNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」の舞台です。
  ・・・・・・
「ちゅらさん」は沖縄県の小浜島を主要な舞台とした作品です。脚本を岡田惠和が担当しました。
 沖縄と東京を舞台に,国仲涼子さんが演じるヒロイン古波蔵恵里の成長物語を中心に,上村文也との恋の行方,両親や兄弟,祖母など恵里を見守る家族との強い絆,個性的な「一風館」の住人達や看護師として働く職場の人々の人間模様を描いた群像劇でした。
「もう一度見たいあの番組リクエスト」の連続ドラマ部門で第1位となり, 続編,続々編,さらに続々編が制作されました。
  ・・・・・・
私は,「ちゅらさん」というドラマは大好きでしたが,実は,小浜島がどこにあるのかさえ,知りませんでした。まさか行くとも思っていませんでした。それが,石垣島に行くことになって,小浜島が石垣島の近くにあるということがわかって,大変驚きました。こりゃ,行くしかない,と思いました。ということで,私がこの旅で最も楽しみにしていたのは,小浜島へ行くことだったのです。

午前11時30分発のフェリーに乗ることにしたので,時間ができました。
朝食後,ペンションのまわりを散歩していたら,ペンションの庭に,小さな看板があって,ビーチと書かれていました。その看板に従って進むと,あまり気づかない狭い通路があって,そこをかき分けていくと,海岸に出ることができたのです。
生まれたはじめてハワイに行ったときに私はハワイ島のペンションに宿泊したのですが,そこもまた,まったく同じように,狭い通路を進むと,海岸に出ることができたのです。それと同じ感じでした。
私は,このペンションにやってきたとき,海岸沿いにあるものだと思っていたのに,海を見ることができないのにがっかりしていました。それは誤解だったのです。
しばらく海を眺めました。この海は,太平洋でも日本海でもなく,東シナ海でした。

ペンションを出て,離島ターミナルに着きました。私が乗る船の名前はなんと「ちゅらさん2」でした。
おそらく,ドラマが放送されたころは,大ブームで,多くの人が訪れたと思いますが,放送されてからすでに20年も経って,さすがに,そういうこともないだろうと思ったのですが,まだまだ結構人気の島でした。
島までは約30分程度でした。
ガイドブックでは,小浜島は竹富島とは違って坂が多いので,レンタサイクルでは大変で,電動アシスト自転車かオートバイ,またはレンタカーがふさわしい,とありました。私は,この時まで電動アシスト自転車に乗ったことがなく,オートバイもまた同様だったので,レンタカーがいいなあ,と思ったのですが,予約もしていないのに,レンタカーなど借りられるのだろうか,と心配でした。
やがて,船が小浜港に到着しました。船が到着したのは「ちゅらさん橋」。小浜港には,以前はターミナルがなかったそうですが,今では立派なターミナルがありました。
案ずるより産むがやすし,というのは,旅をしているといつも感じることです。船が港に着くと,レンタカーと大きく書かれた看板が目に入りました。急いでそのお店に行くと,書類1枚書いて免許証を見せるだけで,ガソリン代込みでレンタカーが簡単に借りられるのでした。これではレンタカーをかりるというよりもレンタサイクルを借りるのと変わりません。
お店の前に,私が乗る赤い軽自動車が停まっていました。

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竹富島を堪能して,石垣島に戻ってきました。この時点では,私はまだ石垣島の町を知りません。
私の宿泊しているペンションは島の北にあって,離島ターミナルから車で30分ほどかかります。それは承知で宿泊先を決めたのでいいのですが,問題は夕食です。島の北にも食堂はあるのですが,夜は早く閉店してしまうので,町で食事をとってからペンションに戻るしかありません。
しかし,私は気楽に考えていました。せっかく来たのだから,少し贅沢に沖縄料理を味わおうと。ところが,この日が日曜日であったので,いくつかの店が閉まっていたことに加えて,この島には飲み屋しかないのでした。要するに,石垣島の人は飲むことが最高の楽しみ,のようでした。私も車でなければ問題はなかったのですが,なにせ,車でペンションに帰るほかないのです。
数年前,ハワイ・モロカイ島に行ったことはすでに書いたのですが,モロカイ島で最も苦労したのは食事でした。なにせ,レストランがない。飲み屋はあったのですが,そのときもまた,酒を飲まない私には利用するのに抵抗がありました。しかし,実際は,その飲み屋でおいしい食事をとることができると知ったのは,数日後のことでした。
ずいぶんと探して,ついに,というか,やっと,というか,まともな食事にありつけるお店を見つけたので入りました。そこもまた,一応,飲み屋ではあるのですが,ちゃんとした定食がありました。沖縄料理の定食でした。

私はこれまで沖縄料理というものを食べたことがありませんでした。そこで,今日は,まず,そばをテーマに沖縄料理を語ります。
八重山地域全般で食べられているのが「八重山そば」です。「八重山そば」は,そばが細めで断面が丸く縮れがないのが特徴で,食べる際に好みで香辛料にヒパーチという島胡椒を使います。トッピングとして,八重山かまぼこやソーキそば,三枚肉などを載せます。
それに対して「沖縄そば」は沖縄本島全般で食べられるそばで,麺は太めで少しねじれています。トッピングは,カマボコ,三枚肉やソーキ,紅ショウガやネギなどで,紅ショウガが入っています。
これらのそばで,ソーキというスペアリブが入っていると「ソーキそば」とよびます。
「八重山そば」「沖縄そば」が和そばとは異なるのは,そば粉は使わず小麦粉のみで作られかん水を加えて打つことで,製法的には中華麺と同じですが,麺は太めで和風のだしを用いる点が異なります。私は,リンガーハットの麺と似ているなあと思いました。とても気に入りました。
  ・・
次にお酒です。私は普段もほとんどお酒を飲まないので特にお酒が飲めなくても問題はなかったのですが,お酒好きの人が石垣島へでかけるのなら,離島ターミナル付近にホテルを取って,思う存分酒づけになるのがよいのでしょう。
沖縄のお酒といって有名なのは,まずはオリオンビールです。オリオンビールは沖縄県に本拠を置く大手ビールメーカーで,麒麟麦酒・アサヒビール・サッポロビール・サントリーに続く日本国内第5位のシェアで,といっても0.9パーセントですが,沖縄県では最大のシェアを誇ります。
ライトビールなので,味は軽く,泡立ちがよいそうです。アメリカのビールのようなものでしょうか。
次に,泡盛です。泡盛は単式蒸留焼酎,本土の焼酎と同じ仲間ですが,製法が違います。
まず,原料にタイ米を使用します。次に,黒麹菌を伝統的に使用しています。
仕込み方法にも違いがあって,泡盛は,原料の米すべてを米麹にし水と酵母を加えて発酵させます。それに対して,焼酎は,まず,米麹あるいは麦麹をつくり,それに水と酵母を加えて発酵させ,その途中で主原料となる芋や麦,米,そばなどを仕込んでさらに発酵させます。さらに,蒸留段階で,泡盛は常圧蒸留で,焼酎は減圧蒸留です。
石垣島に限っても,請福酒造,高嶺酒造,玉那覇酒造,池原酒造,八重泉酒造,仲間酒造と6社もあります。泡盛ランキングの第1位は,川平村の高嶺酒造が造っている「高嶺・おもとゴールド6年古酒43度」,第2位は,石垣島でもっとも愛されている請福酒造の「直火請福30度」,そして,第3位は,古くからの村・宮良村の酒として造られていた仲間酒造の「宮之鶴30度」だそうです。また,番外として,泡盛の中で幻とよばれているのが波照間島の波照間酒造所「泡波」ということです。
次に来るときがあれば,真剣に酒浸りになりたいものです。ああ,また,新しい魅力を知ってしまった。

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☆☆☆
初日の出。

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思いがけない水牛車観光を終えて,引き続き,レンタサイクルで島の観光を続けます。
まず行ったのは,竹富島の数ある御嶽の中で最も有名な御嶽である世持御嶽(ユームチオン)でした。
世持御嶽は竹富島の集落の中央にあって,「四月大願」「西塘祭」「結願祭」「九月大願」「種子取祭」(タナドゥイ)がこの御嶽を中心に開催されます。なかでも,旧暦9月の庚寅・辛卯の2日間を中心に開催される「種子取祭」は竹富島最大のお祭りで,農作物の豊穣と島民の繁栄を祈願し,舞踊や狂言などの伝統芸能を奉納します。
1914年(大正2年)年,それまで竹富村役場があった場所に世持御嶽を置き,世持御嶽に火の神と農耕の神を招いて,種子取祭の奉納が執り行われるようになったということです。
世持御嶽の周辺は緑が多く,ひっそりとした静けさの続く御嶽で神聖な空気を感じられました。

次に行ったのは,なごみの塔でした。
なごみの塔は,竹富島の玻座間西集落のほぼ中心,赤山公園の高さ約6メートルの丘に建てられた高さ4.5メートルの鉄筋コンクリートの展望塔です。頂上の展望台までは8段の階段が設けられ,その幅は約45センチメートル,奥行き約16センチメートルで,段差が約35センチメートルと高く,斜度は約60度と急勾配です。当初は展望台の上から集落内に連絡事項を伝えるために用いられたそうです。
展望台からは集落の赤瓦の家並みを一望することができたといいますが,なごみの塔がつくられたのは1953年で,現在は老朽化のために登ることができません。そこで,道を隔てた向かい側に,あかやま展望台がカフェの入っているビルの屋上に作られていて,無人の料金箱に100円を入れて登ります。展望台から,すばらしい景色を一望することができました。

そして,その次に行ったのが,西桟橋でした。
竹富島に着いたときに,カイジ浜,コンドイ浜と訪れて,その次に行こうとして迷った場所ですが,改めて地図を見て,行くことができる道を見つけました。
西桟橋は,1972年以前,農耕地の少ない竹富島の人々が西表島に水田を作っていたころに港として使用した桟橋です。桟橋の先端まで歩いていって海を見ると,透き通った水の中に,見えるわ見えるわ,たくさんの魚が泳いでいました。遠くには,石垣島を見ることもできました。

こうして,竹富島のほぼすべての見どころに行くことができて,レンタサイクルのお店までもどってきました。まだ時間が早かったので,隣にあったカフェで小休止をしたのち,レンタサイクルを返して,港まで送ってもらいました。私と同じ時間の船で竹富島に渡ってきた人たちはすでに帰ってしまい,私だけでした。私は5時間ほど滞在しましたが,竹富島は4時間もあれば十分に観光のできるところでした。それにしても,暑い日でした。もう11月の下旬というのに。

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私が利用した水牛車は竹富観光センターのものでした。
  ・・・・・・
島の観光で欠かせないのは水牛車観光。
のんびり水牛車に乗り,約30分間,美しい集落内を回ります。水牛車では三線の音色を聴きながら,気持ちよい海風を感じられます。また赤瓦の伝統的な建物の特徴や集落についての説明も聞くことができ,沖縄文化も学べます。沖縄らしいゆっくりした時間に癒されます。
  ・・・・・・
という紹介がありました。
水牛車に乗る方法すら知らなかったので,偶然,乗り場に着いたのがうれしくて,早々に予約したわけですが,帰ってから調べてみると,竹富観光センターのものは2,500円,もうひとつの新田観光は1,500円で,特に内容に差がないということなので,私は損をしました。
まあ,出たとこ勝負の私の旅にはこうしたことはつきものです。
では,なぜ竹富観光センターの商売が成り立つのかというと,石垣島の離島ターミナルにあるツアー会社で,別々に購入するよりもお得な竹富島の船の往復券と水牛車がセットになった日帰りツアーが販売されていて,それを購入したときに利用するのが竹富観光センターの水牛車だからということです。
というわけで,どうりで個人客が少なかったわけです。私が予約した水牛車の出発時間直前に,大量の団体さんが現れました。これには落ちこみました。しかし,先日行った山形県の最上川クルーズのときと同様に,団体さんは別の水牛車だったので救われました。このように,この国で個人で旅行をするのは結構制約もあり,たいへんなのです。

水牛車が出発しました。
集落内を回りながらいろんな説明があったり,三線を引きながら歌があったりと,結構楽しいものでした。水牛がどのくらいの知能があるのか知りませんが,狭い四つ角を巧みに回ったり,また,歌の間は何も命令されなくても停止したりと,すごく訓練されているのが驚きでした。それにしても,重い客車を引くのは過酷な労働です。水牛で生きるのも大変です。
  ・・
集落で興味深かったのは,家屋でした。
竹富島では,新しいものを造らず,古い建物をそのまま利用したり,修復するということが行われているので,修復が追いつかず,どことなくひなびた印象になります。それもまた,竹富島の魅力です。
サンゴを積んだだけのゴツゴツした石垣(グック)には,ブーゲンビリアや多肉植物のブリオフィルム,庭には島バナナなどが咲き乱れていました。そして,平屋建て木造の家の琉球赤瓦の屋根には,それぞれシーサーが家を守っています。
この島には200戸弱の家があるのですが,空き家はないということです。また,もし空き家がでても,島内に親戚がいないと移住も無理だという話です。

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道に迷いながら,なんとか竹富島の集落に戻ってきました。この景色こそ,ガイドブックなどによく出てくる竹富島そのものでした。ただし,想像していたよりも狭く,また,写真では美化されてしまいますが,というのは,最も写真映えのするところを写しているからですが,実際は,電柱があったり,新しい家があったりと,もう少しごちゃごちゃしていました。
私は,この日,昼食を食べ損ねました。朝,ペンションで食べた朝食は和食で,日ごろパンとコーヒーといった生活をしている私はご飯をお代わりするなど食べ過ぎてしまい,お腹が空いていなかったことに加えて,この日は日曜日で,島にある食事のできる数少ないお店のそのほとんどがお休みであったことも理由でした。
どうやら,竹富島は八重山諸島のテーマパーク,あるいは,ディズニーランドとよばれているようで,観光客が非常に多いのです。そこで,ほんのわずかだけ開店していたお店は人がいっぱいでした。

さて,集落に戻った私がまず行ったのが島の観光案内所だったのですが,そこにあったのは,島の歴史などが展示された資料館で,観光案内所ではありませんでした。ほとんど人はいませんでした。
それから,集落の中心部に行くと,まず,学校がありました。こちらの学校は小学校と中学校が一緒になっていて,さほど生徒も多くはないようでした。
さらに行くと,ここにもまた御嶽がありました。ここは清明御嶽(マイヌオン)でした。
  ・・・・・・
清明御嶽は竹富島の集落にある国造りの神を祀る御嶽です。清明御嶽に祀られる神がはじめて竹富島をつくり,その後に石垣島の於茂登岳の神から頼まれて両神が協力して石垣島をつくり,その後,八重山の島々をつくったという伝説が残っています。
清明御嶽の西側にある道は美崎浜から南のカイジ浜へと繋がっていて,その通りの一部は神の道(ナビンドー)とよばれています。道沿いには玻座間御嶽,仲筋御嶽,幸本御嶽などの御嶽があります。
  ・・・・・・

さらに行くと,水牛車の乗り場に着きました。そこは,竹富観光センターという会社がやっている水牛車の乗り場でした。何の予習もしていない私は,竹富島は水牛車で有名だけど,今もやっているのかな,くらいに思っていて,乗れないものだと考えていました。しかしそれは大間違いで,竹富島の観光の目玉といえば,水牛車なのでした。
私は,竹富島に着いたときにレンタサイクルの会社のマイクロバスに乗り込んだので知らなかったのですが,竹富港に到着したときに水牛車の送迎車が待機していて,それにのると,水牛車の店舗に連れて行ってくれて水牛車に乗れるのでした。そして,水牛車を運営する会社は2社あって,私がこれから利用する竹富観光センターよりももうひとつの新田観光という会社のほうが割安でした。
  ・・
そんなことはまったく知らないこのときの私は,水牛車に乗ることができるだけでうれしくなり,早速チケットを買いました。もしここで水牛車の店舗に行くことができなかったら,ひょっとして,竹富島で水牛車に乗らず帰ってきたかもしれません。出発はわずか5分後ということで,それもまた,ツイているなあと思ったくらいです。水牛車に乗ろうと待っていたのはわずか4人程度に見えました。このときの私は,流行っていないんだなあ,などと誤解しました。
ところが…。

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竹富島で有名なのは水牛車に乗って集落を巡るという写真です。しかし,何の予習もしてこなった私は,水牛車に乗るにはどこに行けばよいのかも皆目わからなかったので,まずはともかく,レンタサイクルに乗って,もらった地図に従って,島の西側の海岸めざして走りはじめました。
竹富島は集落が島の中央にあって,その周りを外周道路が走っています。私がレンタサイクルを借りた場所は島の集落の中にあって,はじめはなかなか地図が頭に入らず,集落内がどうなっているのかよくわかりませんでした。
ともかく,レンタサイクルを借りた場所から西に向かって走って,外周道路を越えてさらに進んでいくとカイジ浜に出ました。このあたり,2020年2月に行ったハワイ・モロカイ島のカワキウ・ビーチ(Kawakiu Beach)に似ているなあ,と思いましたが,カワキウ・ビーチのほうがずっと人が少なく素朴です。この浜は潮の流れが速いので遊泳はできませんが,多くの人が星砂を探していました。
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星砂(star sand)は,星の形の粒子からなる砂状の海洋性堆積物です。砂という名前ですが,実際は死んだ有孔虫の殻です。星砂は海岸に運ばれ,サンゴ片等とともに砂浜を形成します。
日本では,沖縄県の多くの海岸で星の砂を見ることができますが,西表島の星砂の浜,竹富島のカイジ浜,鳩間島などが有名です。
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ということです。私は,小学生のときに,学校からこの島に行った先生から大量の星砂をもらったことがあるので,珍しいとも思わなかったのですが,多くの人には好奇のものなのでしょう。
今では知らない人も多いでしょうが,1977年に小柳ルミ子さんが「星の砂」という歌を歌ってヒットさせたことがあります。私が星砂をもらったのは,この曲によって星砂が有名になるその前のことでした。
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星砂を産出する沖縄県八重山列島には,黒島から石垣島への強制移住により恋人と引き裂かれた女性が,恋人の住む故郷の島をひと目見ようと野底岳に登ったのですが,於茂登岳に遮られてそれもかなわず,絶望して山頂の岩と化したという伝承があって,この曲の歌詞はこれをモチーフにしたとされています。
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カイジ浜から海岸線に沿って道路があり,それを北に進んでいったところに,コンドイ浜がありました。
コンドイ浜は白い砂浜と淡いブルーの海の色が美しいビーチで,ここは遠浅で波が穏やかなので,泳ぐことができます。カイジ浜からとても近いのですが,不思議なことです。ということで,トイレやシャワーの設備があって,海水浴場の体を成していました。
ここは,ハワイのカウアイ島ハナレイ・ビーチ(Hanalei Beach)のような感じでした。
このように,どうも,私は,このころは,八重山諸島にハワイのイメージをだぶらせていたようです。

コンドイ浜から,さらに北に向かって走っていくと西桟橋に着くように地図にあったのですが,その道路が工事中で通行止めになっていたので,たどり着くことができませんでした。
迂回をしていたつもりだったのですが,道に迷ってしまい,狭く,草が生い茂る道路を走っていくと,たどり着いたのが,美崎御嶽(ミシャシオン)というところでした。
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御嶽(うたき)というのは,琉球神道における祭祀などを行う施設で,沖縄では島民の信仰の場です。本土でいうところの神社に相当します。
宮古島では「すく」,石垣島,竹富島,西表島では「おん」,新城島,西表島では「うがん」,黒島,小浜島,新城島では「わん」,波照間島では「わー」ともよばれます。
御嶽は琉球の神話の神が存在,来訪する場所で,また,祖先神を祀る場でもあります。琉球神道では神に仕えるのは女性とされ,琉球王国時代は男子禁制で,現在でもその多くが一定区域までしか男性の進入を認めていないそうです。
御嶽の多くは森の空間や泉や川,あるいは,島そのものです。御嶽の入口に鳥居が設置されているのは,明治維新から琉球処分以降の「皇民化政策」による神道施設化の結果で,近世琉球までの御嶽にはありませんでした。
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美崎御獄は航海の安全を願い作られた御獄で,入口付近は大きな木々が立ち並び粛々とした雰囲気が漂っています。美崎御獄の奥には「イビ」とよばれる神域があって,神職者しか立ち入ることができないとあったので,私もそこまで行きませんでした。
また,美崎御獄の近くには新里村遺跡がありました。
新里村遺跡は,花城井戸(ハナクンガー)という井戸が中心にある遺跡です。その昔,井戸を中心に集落ができたとされていて,新里村遺跡の発見によって,花城井戸の東が12世紀末から13世紀にかけてはじまり,西側が14世紀にできたということで,この場所が竹富島の発祥地ということだそうです。
本土とはいろいろな点で歴史や文化が異なるのだなあと実感しました。

  

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石垣島から日帰りで行くことできる離島には,竹富島,小浜島,黒島,西表島,鳩間島,波照間島,与那国島があります。最も近いのが竹富島で,ここは離島初心者がまず訪れる島だそうです。実は,私が行きたかったのは小浜島でした。
港の離島ターミナルは思ったよりも大きいところで,私は,アイスランドに行ったときに訪れたバスターミナルを思い出しました。ずらっとチケット売り場や観光案内所が並んでいました。それぞれの島内は,鳩間島以外は徒歩で巡れるほど狭くないので,島内でレンタサイクルやらレンタカーを借りる必要があるということだで,それが困難な人や,気軽に観光する人向けにいくつかの島を巡るツアーなるものもありました。
私は,個人できままに旅をするのが基本なので,この日はどこかの島に渡ってみて,どのようなものなのかを体験しようと考えました。

島への船便を出しているのは,八重山観光フェリーと安栄観光というふたつの会社で,それぞれチケット売り場があったのですが,その前に観光案内所によってみようと,観光案内所と書かれたカウンタに行って聞いてみることにしました。
「今から小浜島に行って見たいのですが,日帰りできますかねえ?」「行くことできますよ。今10時30分なので,ちょうど船がでたところです。次は12時50分です」というやり取りがあったのですが,船が出るのが2時間近く後というのはちっとなあ,と思いました。そこで,予定を変えて,竹富島に行くことにしました。竹富島へは11時30分の便がありました。チケットは観光案内所でも買うことができました。
この時間,離島ターミナルは空いていたのですが,翌日,もっと早く離島ターミナルに着いたら,すごく混雑していました。

出校までの1時間,港の近くの町を散策しました。
この日は日曜日で,多くの店がお休みでした。ここは観光地なのかそうでないのか,この後いろんなことがわかってくるのですが,石垣島というところは,何か,とても中途半端なところだと,私は思いました。
離島ターミナルに戻りました。
離島ターミナルの桟橋前にはボクサーの具志堅用高さんの像がありました。
具志堅用高さんは石垣島の生んだプロボクサーですが,私は,これほど強かったという印象をもつボクサーは他にいません。
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具志堅用高さんは1955年石垣石垣島出身の元WBA世界ライトフライ級王者で,最優秀選手賞に5度選ばれた記録をもちます。ニックネームは「カンムリワシ」といい,世界初挑戦の時に「100年にひとりの天才」というキャッチフレーズで売り出しました。
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やがて,時間になったので,船に乗り込みました。
約20分程度で竹富島に到着すると,多くのレンタサイクルの店が観光客目当てに出迎えていたので,そのうちのひとつを選んで,送迎マイクロバスに乗り込みました。

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2日目 2022年11月27日日曜日
2日目の朝になりました。ペンションの朝食は午前7時30分からでした。
このペンションは私の期待以上のところでしたが,ひとつだけ問題があると言えば,ペンションから石垣港まで30分ほどかかるので,朝食をとると,朝8時30分の船便に間に合わない,ということでした。離島への船便は朝1番がどの離島へもほとんど午前8時30分で,次の便となると午前10時30分になってしまうのです。
この時点では,次の日に波照間島に行くことにしていたので,この日は午前中は石垣島を適当にまわって,午後,どこかの離島に行くことにしました。

朝食を終えて,まず,石垣島の最北端まで行きました。
最北端にあるのは平久保崎,そして,平久保崎にあるのは「恋する灯台」でした。島の北部は自然豊かなところで,あたり一面にサトウキビ畑があって,なかなかよいところでした。ほどなく最北端に到着しました。駐車場に車を停めてしばらく歩くと灯台に出ました。灯台からの景色は,右手には太平洋,左手には東シナ海を眺めることができました。私は見たことがないのですが,ここは映画「恋しくて」のロケ地になったところという話でした。
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2007年4月に公開された「恋しくて」は沖縄出身のバンドBEGINがモデルになった映画で,BEGINが学生生活を送ったころの石垣島を舞台に繰り広げられる若者たちの青春と恋愛を描いた作品です。
BEGINの同名曲をモチーフに,高校生たちのさわやかなラブストーリーが描かれています。
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次に行ったのは,国立天文台VERA石垣観測局の巨大パラボラを見ることでした。
場所は島の中央部名蔵ダムから少し北に細い道路を入ったところでした。見学できるとあったのですが,時間が早く,入ることはできませんでした。私が外から見ていたときにちょうどパラボラアンテナが音を立てて動いたので,中には係員がいたのでしょう。
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国立天文台VERA石垣島観測局は,口径20メートルの電波望遠鏡を備える天体観測施設で,内部を見学できるのは1年に1回ですが,外を見るのは1年中可能です。
VERAプロジェクトとは岩手県水沢観測局,小笠原観測局,鹿児島県入来観測局と4局で観測することにより,精密で立体的な銀河系の地図を作るという計画です。
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後で知ったことには,ここは隠れた撮影スポットなのだそうです。
私はどこに行っても,こうした天文に関する施設を見たいと思うのですが,これまで世界中の多くの施設を見てきたので,特に感動するものではありませんでした。
それにしてもいつも思うのですが,日本の施設はどこも海外の施設にくらべてかなり安っぽいです。

さらに,石垣港に行く途中に石垣天文台があったので,そこにも寄ってみました。
細い一方通行の山道を延々と登っていくと着きました。
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石垣島天文台は,国立天文台,石垣市,石垣市教育委員会,NPO法人八重山星の会,沖縄県立石垣青少年の家,琉球大学の連携によって運営される天文台です。
九州・沖縄で最大の口径105センチメートルの光学・赤外線反射式望遠鏡「むりかぶし望遠鏡」を備え,太陽系天体や突発天体の観測研究,および,天文学の広報普及を行っています。
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とのことで,電話で予約すれば内部を見学することができたようです。
こうした天文台もまた,これまで世界中の多くの施設を見てきたので,特に見たいと思うこともありませんでしたが,それよりも,前から名前は知っていた石垣天文台がどういう場所にあるのか,ということがわかっただけで満足しました。結構南に町があるので環境がいいのか悪いのか,また,天気にもあまり恵まれていない環境のように思いました。

そうこうして,ダラダラと島を巡りながら,石垣港に到着しました。
広い駐車所があったのですが,多くの車が停まっていて,空きスペースは端っこに少しだけ残っていました。ここの駐車場は1時間100円です。その空きスペースを見つけて車を停めて,港のターミナルに行きました。

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石垣島に到着しました。
空港は町から結構離れたところにありました。空港内にはレンタカー会社のカウンタはなく,空港を出たところに送迎バンがいて,そこで乗り込むとレンタカー会社のオフィスまで連れて行ってくれるということでした。乗り込んだバンの乗客は私ひとりでした。
オフィスではすんなりとレンタカーを借りることができました。
レンタカーを借りるとき,係の人に「はじめて沖縄に来ました」と私が言うと「はじめての沖縄が石垣島ですか?」と驚かれました。しかし,その反対に私が驚いたのは,係の人から「石垣に住んでいて今までに西表島に行ったことがない」と言われたことでした。同じ話をその後別の人からも聞きました。住んでいるとむしろ観光客ほど出歩かないようです。また「石垣島には制限速度よりはるかに遅くのろのろと走る地元民がいるから決してイライラしなようにね」と言われたのですが,その後,まさに,そうしたことに何度も出会いました。なぜだか,追い越し禁止車線に限って,制限速度時速40キロメートルの道路を時速30キロメートル以下で,しかも,後続車のことをまったく気にかけずだらだらだらだらと何キロメートルにもわたって走る軽トラに出会うのでした。

この日は到着が午後4時を過ぎていたので,ともかく予約していたペンションに行くことにしました。町と港は石垣島の南にあるのですが,人混みの嫌いな私が選んだペンションはその反対のはるか北にあるので,空いた道路をどんどんと北上していきました。石垣島の第一印象は,ハワイのカウワイ島とモロカイ島を足して2で割ったようなところだなあ,ということでした。
ペンションは私が思っていたよりももっと北にあったので少し迷いましたが,GoogleMapsの力を借りて何とか到着することができました。
出迎えてくれたのはペンションで働いているらしい若い楽しい女性でした。
新しくきれいなペンションで,部屋は2階の端でした。ここに4泊します。
いつものとおりいい加減な私は,このペンションには朝食のサービスがついているということを知りませんでした。というか,認識していませんでした。ただし,夕食は1回だけがサービスで,それをいつにするかは私が指定できたので初日にしたのですが,これが大正解でした。到着したばかりのこの日,どこかで夕食を,と言われても,島の北部にはほとんどレストランどころかコンビニすらないので,困ってしまったことでしょう。
美しい星空が見られそうな場所だったのですが,この晩はあいにく雲が多く,期待外れでした。私は旅先でもまずテレビをつけないので,夕食を食べて,「あること」をしてからすぐに寝てしまいました。

「あること」とは以下のことです。
実は,この日,私はずっと「波照間島の亡霊」に悩まされていました。
「波照間島の亡霊」というのは,波照間島に行こうかやめようか,ということでした。 といっても,私は,波照間島に特に行きたいと思っていたわけではないのです。波照間島がどういうところなのかもまったく知りませんでした。私が知っていたのは,条件次第で船がよく欠航する,ということと,片道1時間半ほどかかって,しかも外洋なので揺れて船酔いする,ということだけでした。
なのに,行こうかどうしようか迷っていたその理由は,そんなに行きにくいところなのであれは,行ってきたら,帰ってから自慢できるではないか,という,曲がった根性だけでした。
私が迷いに迷っていたのは,海が荒れて船が欠航し帰れない危険があることと,たとえ船便があっても船酔いするかもしれない,という2点でした。私は,若いころ,冬の青函連絡船に乗って,早々と船酔いしてしまい,3時間以上にわたって大変な目に遭ったことがあって,それが今でもトラウマとなっているのです。そこで,人生でこれまで酔い止め薬など飲んだことはありませんが,今回,波照間島に行く可能性を信じて酔い止め薬を持参していました。
しかも,波照間島の朝の船便は午前8時30分で,これに乗らなければ日帰りできません。そしてまた,この便は混み合うから事前の予約が必須という話でした。迷ったあげく,ネットで船便を予約することにしました。しかし,翌日の日曜日は予約ができなくて,予約ができたのはその翌日の月曜日からでした。そこで,ともかく,月曜日の便を予約しました。そして,その日は朝の出発が早いので宿泊しているペンションの朝食をキャンセルしました。
と,ここまでがこの日の晩の様子でした。

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1日目 2022年11月26日土曜日
出発の日になりました。
はじめて乗るピーチの石垣島への便は午後0時50分セントレア・中部国際空港発です。このところ,県営名古屋空港からFDAに乗ることが多く,セントレアは久しぶりです。今回も,自家用車で空港まで行くことにして,事前に駐車場を予約しておきました。
セントレアまでの公共交通機関のアクセスは主に名鉄しかありませんが,これがまた,よく遅れたり不通になります。以前,えらい目に遭いました。ほかにJRなどを乗り入れるという計画もあったそうですが,頓挫しています。こうしたとき,旅客数から名鉄だけで十分だなとということを主張する人がいますが,それもまた危機意識のない平和ボケした日本人の考えで,架線事故などの多い名鉄では,不通になったときに困ります。代わりにバスが代行輸送するのですが,その手配ができるのに1時間以上もかかり,また,タクシーもほとんどないのです。
ということで,私は,何度も利用した結果,今は自家用車で行くことに決めています。

予定よりずいぶんと早く空港に着いたので,のんびりと第1ターミナルのフードコートで昼食をとることにしました。
ここ数年,空港は利用客が減少していたのですが,近ごろはかなり復活しました。しかし,まだ,国際線は以前ほどの運行はしていないので,ほとんど外国人は見当たりませんでした。せっかく第2ターミナルを作ったのに,閑古鳥が鳴いています。
昼食後はラウンジでくつろぎました。
やがて,手続きが開始となったので,カウンタに行きました。
今回は4泊ということで,キャリーバッグを持っていました。また,石垣島は星がきれいということだったので,カメラの三脚と簡易赤道儀を持参したので,かなり重くなりましたが,それでも,ハワイへ行くときほどではありませんでした。ハワイに行くときはデルタ航空を使っていたのですが,それくらいの荷物だと機内持ち込みができます。また,2年前に北海道に行ったときは,行きはジェットスター,帰りはスカイマークを利用したのですが,ジェットスターは機内持ち込みができず,しっかりと別料金が取られ,スカイマークは機内持ち込みができました。今回はどうなのだろうと思っていたのですが,ピーチでは機内持ち込みができませんでした。

やがて,搭乗時間となり,乗り込みました。
これまでさまざまな航空会社を利用したのですが,結論からいうと,ピーチは,よくいって幼稚園バス,実際は,まるで囚人を護送するような感じでした。これでは,乗客がマスクをしていなかったので降ろされたとかで訴訟が起きるのも無理がないなあと思いました。
旅は楽しいから行くのであって,悪い雰囲気では沈みます。こんな空気の中で3時間近く狭い機内に閉じ込められ,飲み物の1杯すら出ないのではたまりません。でありながら,商売っ気だけは満載なのです。このごろよく利用するFDAとは大違いでした。そうした空気は客室乗務員にも影響するような気がします。FDAの温かみのある雰囲気に比べてピーチは真逆。何かピリピリしていました。ホスピタリティどころか,まるで乗客を絶えず監視しているかのような客室乗務員でした。今回の旅で,ピーチは,私が最も乗りたくない格安航空会社に決定しました。
そんなこんなで重苦しい雰囲気の中,しかも窓から見えるのはずっと雲ばかりだったのですが,沖縄に近づくにつれて,少しだけ島が見えてきました。あの島は奄美大島なのか沖縄本島なのか?
やがて石垣島が見えてきました。どこからともなく,畑ばかりだ,という声が聞こえてきました。
47都道府県で唯一行ったことのない沖縄県でしたが,私がはじめて行く沖縄県は,本島でなく,この石垣島なのでした。

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2022年11月25日土曜日から11月30日水曜日まで4泊5日で石垣島へ行くことになりました。今回からそのときの様子を書きます。
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コロナ禍が収まったら日本中を旅しようと楽しみにしていたのですが,収まるよりも早くせっかちな世の中は旅行支援の影響で旅をする人が増え,私もまた,予定を変更して,それにつられるように,日本国内の,これまで行ったことがなく一度は行って見たいと思っていたところを順に旅するようになりました。そして出かけたのが山形であり高知であり紀伊半島でした。とはいえ,日本国内で行きたいと思っていたところが数多くあったわけでもなく,残るは佐渡島だけとなりました。その佐渡島も2023年の3月下旬に行く予定をしています。

そんな佐渡島に行く計画をしていたとき,島という連想で,そうだ,日本には多くの離島があるんだ,と興味をもちました。離島といえば沖縄県。そういえば沖縄県に行ったことがないことを思い出しました。沖縄県どころか,私は鹿児島県に属する種子島や屋久島,奄美大島などにも行ったことがありません。そうした離島の中で,まず私が行ってみたいと思ったのが種子島でした。それはロケットの打ち上げ基地があるからです。しかし,調べてみると,アクセスがあまりよくないことがわかりました。まず,鹿児島空港まで行って,そこからさらに船に乗る必要があり,空路よりもそのあとの船路のほうが運賃が高いのです。で,別の島を調べていくうちに,石垣島は名古屋からピーチという格安航空の直行便があって,かなり安価で行くことを知って,では石垣島に行ってみようと思ったのです。
しかし,お恥ずかしい限りですが,私が石垣島で知っていたのは石垣天文台くらいもので,石垣島が正確にはどこにあるのかさえ知りませんでした。地図で見ると,思っていたよりずっと南。台湾と同じ緯度だということに驚きました。そしてまた,石垣島の近辺には知人が行って台風に遭って帰れなくなったという波照間島,NHK朝ドラ「ちゅらさん」で有名になった小浜島,水牛に引かれて観光できる竹富島といった,私でも聞いたことがある多くの島があって,そういった島々に簡単に行くことができるということがわかって,次第に興味が湧いてきました。

しかし,問題は天気でした。
ハワイに何度も足を運んでいたときは,天候など気にすることもありませんでした。台風もまた同様です。しかし,沖縄といえば台風。そこで,いつ行けばいいのか皆目見当もつきません。仕事の都合で何とか時間を見つけたのが11月下旬のこの時期でした。そこで,石垣島のガイドブックを購入して,読んでみると,この時期は雨も少なく,人も少なく,とてもいい時期のように思えました。人の多い観光地が嫌いな私としては,こりゃいいや,素朴な南の島でのんびりするのも悪くないなあと思いました。島の南は町で多くの人が住んでいるそうなので,宿泊先として見つけたのはほとんど人の住んでいないように思える島の北部にあるペンションでした。
という次第で,まず,航空券を購入し,そして,ペンションと現地のレンタカーを予約しました。ここに連泊して,天気次第で何をするかは行ってから決めよう,という程度のいい加減さで旅立つことにしました。
3泊以上の旅など久しぶりです。2年以上眠っていたキャリーバッグを取り出して,荷造りをはじめたのですが,いろんな旅のコツを忘れていて,かなり戸惑いました。また,はじめて利用するピーチという航空会社のこともよくわかりませんでしたが,まあ,海外に行くわけでもないし,何とかなるだろうと,その程度の準備でした。
こんなことで,果たしてどんな旅になるのやら…。


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