しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

カテゴリ:日本国内 > 名古屋

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【Summary】
On February 20, 2026, I visited Nagoya Public Aquarium, enjoying dolphins, belugas, and Antarctic marine life in its North and South Buildings. Later, I explored export ceramics at Yokoyama Art Museum. I also stopped by Meitetsu Department Store to see its rare 1960s C-type escalator.

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 2026年2月20日。「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設から,名古屋港周辺にある名古屋港ポートビル展望台,名古屋海洋博物館,南極観測船「ふじ」,名古屋港水族館に行きました。名古屋港ポートビル展望台,名古屋海洋博物館,南極観測船「ふじ」についてはすでに書いたので,今回は,名古屋港水族館です。

●名古屋港水族館
 名古屋港水族館の艦内にはレストランがあるのですが,おそらく混んでいると思ったので,となりにある「ETTY」という複合施設のフードコートに行って,昼食をとって,その後,名古屋港水族館に向かいました。
 館内は,子供たちでいっぱいでした。おそらく遠足か何かなのでしょう。名古屋港水族館は、日本最大級のスケールを誇る水族館で、名古屋市港区のガーデンふ頭にあります。先日行ったばかりなので,今回は,気の向くままに見て歩くことにしました。
 館内は「北館」と「南館」にわかれていて,北館は「35億年はるかなる旅~ふたたび海へもどった動物たち~」がテーマで,バンドウイルカやベルーガ(シロイルカ),シャチなどが暮らし,巨大なメインプールでは,イルカやシャチのパフォーマンスを楽しむことができます。また,南館は「南極への旅」がテーマで,日本から南極までの海域に生息する生き物たちを展示しています。その他にも「くらげなごりうむ」や「ライブコーラル水槽」などに約500種・5万匹の生き物がいます。

 名古屋港水族館を出て,まだ時間があったので,横山美術館へ行きました。
●横山美術館
 横山美術館は,名古屋市東区にある陶磁器専門の美術館で,明治・大正時代に制作された輸出陶磁器を中心に約4,000点を収蔵しています。特に,「オールドノリタケ」や「隅田焼」など,国内ではなかなか見られない貴重な作品が多く展示されています。
 私が訪れたときは「色褪せない日本の美 陶板展」が開催中でした。
 先日,愛知県陶器美術館,あま市七宝焼アートヴィレッジに行ったばかりなので,予備知識が増していて,結構楽しめました。

 さらにこの日は,「あいち・なごや周遊観光パスポート」とは無関係ですが,帰りに名鉄百貨店に寄りました。その理由は,2月いっぱいで閉店する名鉄百貨店にあるめずらしいエスカレータを見るためでした。
●名鉄百貨店のエスカレーターとナナちゃん人形
 それは,8階から9階にあるエスカレータです。このエスカレーターは,正式には「C形エスカレーター」とよばれていて,1960年代に東芝エレベータが開発したものです。その最大の特徴は手すりの端が床に向かってまっすぐストンと落ちるような形状になっていることで,普通のエスカレーターのように,手すりがくるんと巻き込まれないというものです。世界に現存するのはここにある上りと下りの2基だけともいわれるレトロで貴重な存在でした。
 また,名鉄百貨店「メンズ館」1階のエントランス前に存在する巨大なナナちゃん人形は手を振って閉店のあいさつ。名鉄百貨店本店が営業終了までのラスト衣装を公開していて,多くの人が詰めかけていましたが,ナナちゃん人形は当分存在します。

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Worm Moon 2026.

2026年3月4日の夕方に写した1日遅れの満月です。
昨日は皆既月食でしたが,あいにく雨でした。
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【Summary】
On February 20, 2026, I visited the Nagoya Port area using a sightseeing pass. I enjoyed panoramic views from Nagoya Port Building, explored the interactive maritime museum, and toured the historic Antarctic research ship Fuji, reflecting on Japan’s port development and polar exploration history.

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 2026年2月20日。天気がよかったので,この日も「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設をいくつか見てくることにしました。今回は,名古屋港周辺です。
 名古屋港周辺で,もっとも知られているのは名古屋港水族館です。とはいえ,それ以外にも,南極観測船「ふじ」が埠頭に浮かび,その向こうには名古屋港ポートビルがあるのですが,なかなかそこまで足を延ばす人がいません。私も,これまで,1度だけ南極観測船「ふじ」にはいきましたが,それ以外は,名古屋港水族館だけを見て帰りました。

 そこで,今回は,名古屋港ポートビルから行ってみました。午前9時30分開館でした。
●名古屋港ポートビル展望台
 まず,展望台にいきました。
 展望台は名古屋港のランドマーク的存在で,白い帆船をイメージした高さ63メートルの建物の最上階にあります。展望室は地上53メートルにあって,名古屋港や市街地,晴れた日には鈴鹿山脈や御嶽山まで見渡せる絶景スポットです。
 時間が早かったこともあり,私以外にはだれもおらず,最高でした。また,幸い,天気がよく,展望室からの360度パノラマビューでは,遠くの美しい山々がよく見えました。さぞかし夜景がきれいだろう,と思ったのですが,夜は開放していないようです。
 私が子供のころは,名古屋港といえば,横浜港や神戸港とは異なり,観光地もなく,近づきがたいところでしたが,ずいぶん変わったな,と思いました。

●名古屋海洋博物館
 名古屋海洋博物館は,名古屋港ポートビルの3,4階にある,海,船,港をテーマにした体験型の博物館です。はじめに展望台に行ったので,そこからエレベータでおりました。
 先日行ったあいち航空ミュージアムの船版みたいなところでしたが,正直いって,あいち航空ミュージアムより楽しめました。撮り鉄,とか,飛行機を撮ることを趣味とする航空ファンの存在はよく知られていますが,船を撮るのを趣味とする人はそれほど多くないと思います。そのように,飛行機飛行機に比べて,船というのは,それほど身近な存在でないので,知らないことが多いのですが,やはり,奥が深いものです。
 あいち航空ミュージアムでは飛行機の操縦シミュレーターを体験したのですが,ここでは,操船シミュレーターがあって,すすめられたのでやってみました。なれていないと難しいものだと思いました。

 名古屋港ポートビルをでて,次に,南極観測船「ふじ」に向かいました。
●南極観測船「ふじ」
 南極観測船「ふじ」は,日本の南極観測を支えた歴史的な砕氷船で,1965年から1983年まで,南極地域観測隊の輸送船として活躍しました。「ふじ」は日本初の本格的な南極観測船で,18回,日本と南極を往復し,氷を砕きながら進む砕氷艦として,南極観測隊の物資輸送や隊員の輸送を担いました。現在は,「しらせ」,2代目「しらせ」に引き継がれています。
 引退後は,名名古屋港は港としての歴史も深く,南極観測の意義を伝える場としてふさわしいということから,名古屋港が引き取って,1985年から名古屋港ガーデンふ頭に係留・展示されることになりました。
 私は,子供のころ,南極観測船「ふじ」の,当時としては大きなプラモデルを作ったことがあって,そのころに関心をもって,いろいろと調べたので,興味がありました。そういえは,そのプラモデルは,当時通っていたそろばん教室でのご褒美でもらったものだということを思い出しました。
 船内では,当時の観測隊の生活の様子や,南極での過酷な任務の記録が展示されていました。この年になると,3か月もの間の狭い船内での暮らしを考えると,その大変さがよくわかります。それでも,戦艦やらの艦内の住居スペースの環境に比べたら,ずいぶんとマシだったのでしょう。

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【Summary】
On February 19, 2026, despite cold, windy weather, I visited attractions covered by the Aichi–Nagoya sightseeing pass. At Chubu Electric Power MIRAI TOWER, I enjoyed panoramic city views. Later, at Ama City Shippoyaki Art Village, I learned about the history, techniques, and beauty of traditional cloisonné enamelware.

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 2026年2月19日。天気はよかったのですが,風が強く寒い日でした。この日もまた,「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設をいくつか見てくることにしました。

 まず,名古屋の繁華街・栄にそびえたつ中部電力MIRAI TOWER(旧・名古屋テレビ塔)です。
●中部電力MIRAI TOWER
 中部電力MIRAI TOWERは,名古屋市中区栄にあるシンボリックな観光スポットです。
 高さ180メートルの名古屋テレビ塔は,1954年に完成した日本初の集約電波塔です。子供のころ,何度か登りました。当時は周りにあまり高い建物もなく,当時栄町といった,名古屋の繁華街で特に目立つ存在でした。 
 そのころは,テレビ電波が送信されていましたが,地上波デジタル放送への移行に伴って,主に技術の進化と放送エリアの最適化のため,高さ245メートルの電瀬戸デジタルタワーが2003年に完成し,役割を終えました。瀬戸デジタルタワーは公開されていません。
 2020年にはリニューアルされて,中部電力MIRAI TOWERとして新たに生まれ変わりましたが,これまで登ることはありませんでした。リニューアルされた当初,中部電力MIRAI TOWERにはホテルがあると評判になりました。実際,中部電力MIRAI TOWERには,「THE TOWER HOTEL NAGOYA」(ザ・タワーホテル ナゴヤ)というホテルがあります。世界初の「タワーの中にあるホテル」全15室のスモールラグジュアリーホテルで,地元食材を使ったレストラン「glycine」(グリシーヌ)や「Lily」(リリー)も併設されているそうです。この日は天気がよかったこともあり,展望台からは名古屋の街並みが一望できました。夜景がキレイだろうなあと思いました。

 札幌に行ったとき,札幌の大通公園にもテレビ塔があって,あまりに似ているのに驚きました。高さ147.2メートルの札幌のテレビ塔のほうが名古屋のテレビ塔よりも3年ほど後に作られたそうです。なお,札幌のテレビ塔も役割を終え,現在は展望台となっているようです。

 中部電力MIRAI TOWERから家に帰る途中,あま市七宝焼アートヴィレッジに寄りました。
●あま市七宝焼アートヴィレッジ
 あま市七宝焼アートヴィレッジは,あま市にある七宝焼の魅力を体験できる文化施設です。
 この地で七宝焼が盛んになったのは, 江戸時代,この地域は尾張藩の支配下にあって,名古屋城下とのつながりが強く,武家や裕福な町人の間で装飾品や工芸品の需要が高かったことから,七宝焼のような美しい工芸が発展する土壌があったこと,七宝は名古屋と津島を結ぶ街道沿いにあり,物流の要所で,完成した七宝焼を名古屋や京都,大阪へと運ぶのに便利だったこと,幕末から明治にかけて,京都や江戸から七宝技術が伝わり,それを地元の職人たちが改良・発展させていったこと,特に,梶常吉(かじつねきち)という人物がこの地で七宝焼の技術を確立し,産業として根づかせたこと,明治以降も輸出工芸品として高く評価され,地域の経済を支える重要な産業となり,その誇りが今も受け継がれていること,などがあるそうです。
 七宝焼の展示室では,江戸時代から現代までの作品がくわしい解説とともに展示され,いろいろなことを知りました。これまで七宝焼については全く知りませんでしたが,繊細な色彩と光沢に惹かれました。
 また,体験工房があって,自分だけの七宝アクセサリーや小物を作ることもできるようです。
 この日は,実際に七宝焼の名手が作品の制作をしているところを見ることもできました。
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 2019年(令和元年),天皇皇后両陛下は,即位後初の地方訪問として,あま市七宝焼アートヴィレッジを訪問されました。訪問の際には,尾張七宝の代表的な作品,たとえば「間取り花鳥文大花瓶」や「花鳥図花瓶」などを見られ,また,地元の職人さんが七宝焼の製作工程を直接説明する場面もあったということで,写真が展示されていました。 

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【Summary】
On February 18, 2026, I used the Aichi–Nagoya sightseeing pass to visit several museums. I revisited the Toyota Automobile Museum, enjoyed a guided tour, explored ceramics at the Aichi Prefectural Ceramic Museum, and the charming Maneki Neko Museum. I ended the day disappointed to find the Obara Washi Museum closed.

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 2026年2月18日。天気がよかったので,この日も「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設をいくつか見てくることにしました。

 まずは,トヨタ博物館です。ここは,昨年の夏,2025年9月9日に行ったことがありますが,そのときの印象がよかったので,今回も楽しみでした。
●トヨタ博物館
 愛知県長久手市にあるトヨタ博物館は,自動車の歴史をたどる旅ができる場所です。トヨタ車だけでなく,よくぞ集めた! というほどの世界中の名車も展示されているので,見ごたえのある博物館です。
 先日,トヨタ産業技術記念館に行ったことはすでに書きましたが,このふたつの施設はとても見ごたえがあります。さすが,世界の企業だと実感します。
 前回,ひと通り見たので,今回は,約1時間のミュージアムツアーがちょうどはじまる時間だったので,それに参加しました。とても親切で詳しい説明を聞くことができました。とはいえ,参加者は私をふくめてたったふたり。もったいない気がしました。
 その後,館内のレストランで昼食をとりました。

 次に愛知県陶磁美術館に行きました。ここは,トヨタ博物館からさほど遠くないところです。これまで,近くは何度も通っているのですが,愛知県陶磁美術館には行ったことはありませんでした。というか,興味がありませんでした。
●愛知県陶磁美術館
 愛知県陶磁美術館は,瀬戸市にある陶磁器専門の美術館で,日本や世界のやきものの歴史と美しさを味わうことができる場所です。
 広い敷地で,駐車場から入口まで,結構な距離がありました。もっと違う作りにできるのに,と思いました。
 愛知県陶磁美術館は,縄文時代の土器から現代陶芸まで,幅広い時代と地域の陶磁器が展示されていて,特に,地元瀬戸焼や常滑焼など,地元愛知の伝統工芸に触れられるのが魅力です。
 いかにも愛知県の施設。殺風景で,よくいえば,展示室はとっても静かで落ち着いている,悪くいえば,ほとんど来ている人もいない,というところでしょうか。もうひとつ魅力的な工夫ができそうなものです。とはいえ, 陶芸体験もできるようになっていたりと,学習の場としても機能しているのでしょう。
 愛知県陶芸美術館は,1978年(昭和53年)に開館しました。愛知県は瀬戸焼や常滑焼をはじめとする日本有数の陶磁器の産地で,長い歴史と伝統を持っています。そこで,地域の文化遺産を保存・研究・展示するためにつくられたもので,「陶磁器の総合的な拠点」として,研究,保存,教育の三本柱をうたっています。

 愛知県陶磁美術館からさらに北に進むと,瀬戸市街に着きます。そこにあるのが招き猫ミュージアムです。ここもまた,近くまで行ったことはあるのですが,中に入ったことはありませんでした。
●招き猫ミュージアム
 招き猫ミュージアムは,招き猫のふるさとともいわれる瀬戸ならではの施設です。
 館内には,江戸時代から現代までのさまざまな招き猫がずらりと展示されていて,素材も,陶器,木,紙,金属など多種多様! それぞれの表情やポーズに個性があって,見てるだけで福が舞い込んできそうな気分になります。 展示されている招き猫は,全国各地から集められた約5,000点以上もあって,地域ごとの特色や時代ごとのデザインの違いを楽しむことができます。
 また,招き猫の絵付け体験が行われていて,自分だけの福招きを作ることもできるようです。
 1階のショップには,多くの招き猫が売られていましたが,けっこうな値段がするんだなあ,と驚きました。
 瀬戸市では,明治時代から招き猫の陶器が作られ,全国の神社や商店に収められてきました。そのような歴史と文化を後世に伝えようと,1994年(平成6年)に開館したのが招き猫ミュージアムで,地元の陶磁器文化を支える企業である株式会社中外陶園が運営しています。

 これで,今回の予定は終わりだったのですが,まだ,時間がありました。
 そこで,「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設のうちで,もっとも遠く,行きにくいという小原和紙美術館まで足を延ばしてみることにしました。招き猫ミュージアムからは車で30分ほど山の中へ行ったところです。
●小原和紙美術館
 小原和紙美術館は,豊田市小原町にあって,伝統的な小原和紙の魅力を伝えるために作られた施設です。小原和紙は,楮(こうぞ)を原料にした手すき和紙で,特に落水紙(らくすいし)という独特の透かし模様が特徴です。これは,水を使って模様をつける技法で,まるで水のしずくが紙に舞い降りたような繊細さがあるものです。
 小原和紙美術館が開館したのは1984年(昭和59年)。地元の伝統工芸を保存,発信するために,豊田市が設立しました。館内では,小原和紙の歴史や製作工程を紹介する展示のほか,実際に紙すき体験もできるそうです。
 ということだったのですが,わざわざ行ったのに,入口には,休館中という無残な文字が…。
 調べてこなかった私が悪いのか,残念な結果になりました。
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【Summary】
Using the Aichi–Nagoya Sightseeing Passport, I visited the Furukawa Art Museum on February 12. Located near Nittaiji Temple, it showcases a rich collection of modern Japanese paintings and antiques amassed by entrepreneur Furukawa Tamesaburo, along with his former residence and garden, revealing a previously unknown cultural gem.

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 「あいち・なごや周遊観光パスポート」を使ってさまざまなところに出かけています。
 今日は2月12日に出かけた古川美術館です。

●古川美術館
 古川美術館は,名古屋市千種区の日泰寺の近く,静かな住宅街にある美術館です。いつも近くを通るのですが,大通りから1本入ったところにあるので,これまで,その存在をまったく知りませんでした。今回,「あいち・なごや周遊観光パスポート」の対象施設だったので,行くことができました。
 この美術館は、実業家・古川爲三郎さんが長年にわたって集めた美術品を「私蔵せず,広く人々に楽しんでもらいたい」という想いから,1991年に開館されました。横山大観や上村松園,川合玉堂などの近代日本画を中心に,陶磁器や工芸品,15世紀の装飾写本まで,約2,800点にものぼるコレクションから展示されています。今回行ったときは,「名山巡礼2026」という日本の名山の絵画を集めた展示会が催されていました。
 さらに,近くには,分館の爲三郎記念館がありました。これは,古川爲三郎さんの旧邸を公開したもので,昭和初期の数寄屋造りの建築がそのまま残っているものでした。ここには,日本庭園を眺めながら,茶室でお抹茶や和菓子を楽しめる「数寄屋 de Café」もありました。今回は,襲名記念六代加藤作助展が行われていました。

 古川爲三郎さんは,映画配給と興行の世界で財を成した実業家です。
 もともとは名古屋で宝石・貴金属商を営んでいましたが,1921年に,名古屋・大須の映画館「太陽館」の経営をはじめたのが転機となり,その後,名古屋各地に映画館を展開。昭和30年代には「毎日ホール大劇場」や「中日シネラマ会館」などを開館し,映画配給会社「ヘラルドグループ」を創業し,日本を代表する映画配給会社に育て上げました。さらに,映画だけでなく,ボウリング場やゴルフ場,スキー場などのレジャー産業にも手を広げて,一代で巨大グループを築いた人物です。
 晩年は,美術品の収集にも情熱を注ぎ,古川美術館を設立しました。
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 六代加藤作助(ろくだい かとうさくすけ)さんは,美濃焼の伝統を受け継ぐ陶芸家のひとりで,特に志野焼や織部焼の分野で知られています。加藤家は美濃の陶芸界で名高い家系で,代々「作助」の名を継承してきました。 六代目は伝統を守りながらも現代的な感性を取り入れた作品づくりで評価されていて,特に志野の柔らかな白と繊細な釉薬の表現に定評があります。
 作品の特徴は,「伝統と革新の融合」。志野は,白釉の中にほんのりと赤みが差す「緋色」(ひいろ)の発色が美しく,朝焼けの雲のような優しい表情をしているといいます。また,緑釉の流れや歪みを活かした造形が特徴的で,どこか遊び心があるのに品格を失わない絶妙なバランスが魅力で,「使ってこそ映える器」というものです。さらに,自然釉の流れや焼成による偶然の景色を大切にし,ひとつひとつが唯一無二の表情をもっています。
 ちょうど受付に本人がみえました。

 こんな素敵なところをまったく知らなかった私を恥じました。

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【Summary】
Using the Aichi–Nagoya Tourist Passport, I visited the Aichi Air Museum and the Toyota Commemorative Museum of Industry and Technology. I enjoyed realistic aircraft displays, especially a Zero fighter replica, and impressive flight simulators. The Toyota museum’s live machinery and robotic assembly lines showed remarkable technological innovation and craftsmanship.

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 「あいち・なごや周遊観光パスポート」を使ってさまざまなところに出かけています。
 今日は2月9日に出かけた,あいち航空ミュージアムと2月10日に出かけたトヨタ産業技術記念館です。

●あいち航空ミュージアム
 あいち航空ミュージアムは,2024年8月に一度行ったことがあります。今回は,「あいち・なごや周遊観光パスポート」で再び出かけました。
 県営名古屋空港の前身,名古屋空港は,常滑沖に中部国際空港ができたことで縮小され,現在は,国際線ターミナルビルが「エアポートウォーク名古屋」というショッピング施設となりました。そこに隣接するのがあいち航空ミュージアムです。
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 あいち航空ミュージアムは,YS-11や零戦の実物大模型をはじめとして,数々の飛行機が展示されています。フライトシミュレーターでパイロット気分を味わうことができます。また,屋上の展望デッキからは滑走路が見渡せて,離着陸する飛行機を間近で見ることもできます。
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とありました。残念ながら,この日はとても風が強く,展望デッキに出る気分ではありませんでしたが,ガラス窓から発着するヘリコプタや自衛隊の飛行機を眺めることができました。
 私が興味をもったのは,零戦(ゼロ戦)五二型の実物大模型の展示でした。すでに,ワシントンのスミソニアン・航空宇宙博物館で本物のゼロ戦を見たことはあるのですが,これは,忠実に再現されたレプリカでした。しかし,細部までリアルに作られていて、当時の技術やデザインのすごさが伝わってきました。翼の形や機体の塗装,コックピットの雰囲気まで,おそらく,作られた当時はこういうものだったのだろう,と思いました。
 フライトシミュレーターもやってみたのですが,何度やっても難しいものです。
 なお,類似の施設として,昨年の夏に行った「岐阜かかみはら航空宇宙博物館」があるのですが,そちらの方が充実していました。

●岩倉市史跡博物館
 ここは,無料の施設で,「あいち・なごや周遊観光パスポート」とは関係がありません。家に帰る途中で,寄ってみたものです。ここは,以前,その横の道路を走っていて気がついたところなのですが,どうしてここに縄文時代の住居が? と不思議におもっていたので,今回,立ち寄ってみました。
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 岩倉市史跡博物館は,愛知県岩倉市にある地域の歴史や文化を紹介する博物館です。
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 この博物館には,岩倉市の歴史的な資料や遺跡の出土品,昔の暮らしを伝える道具などが展示されていて,地域の成り立ちや文化を学べる場所として,岩倉城跡に関する展示や,古墳時代から近代にかけての資料が充実しています。
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とありましたが,まあ,単なる歴史公園でした。

●トヨタ産業技術記念館
 トヨタ産業技術記念館は,名古屋市西区則武新町にあり,ここは,かつて,豊田自動織機の工場があったところです。現在は,トヨタグループのルーツをたどることができる場所として,繊維機械から自動車技術まで,非常に充実した施設となっています。実際,とてもすばらしい施設で,トヨタグループの底力を感じました。
 実際に動く機械のデモンストレーションや、職人さんによる実演もあり,とてもていねいに説明してもらえました。なかでも,最新の織物機の実演には恐れ入りました。スピードと精密さは,まるで生きてるみたいに見えました。糸がピンと張られて,シャトルがシュッと走るたびに,まるで水面に波紋が広がるみたいでした。技術の進化はすごいものです。
 自動車の自動組立ラインも圧巻でした。私が子供のころに自動車工場を見学したときは,工員さんが作業をしていたのですが,今はすべてが産業ロボット。 ロボットアームがまるでダンスしてるように,正確に,しかも超スピーディーで部品を組み立てていく様子は,すごいものでした。
 カフェやレストランもあって,ここは,何度でも行きたい施設でした。
  なお,類似の施設として,昨年の夏に行ったトヨタ自動車博物館があります。ここもまた,「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設です。トヨタ自動車博物館はトヨタ車に限らず,世界中の自動車に関する博物館で,どちらも甲乙つけがたいとても楽しめる施設です。

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【Summary】
Using the Aichi–Nagoya Sightseeing Pass, I visited Osu Engeijo, a small traditional vaudeville theater in Nagoya. Despite past financial struggles and its hidden location, the weekday performance was well attended and offered over two hours of enjoyable rakugo, manzai, and variety acts.

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 「あいち・なごや周遊観光パスポート」を使ってさまざまなところに出かけています。
 今日は2月5日に出かけた大須演芸場です。

●大須演芸場
 ずいぶん前,漫才ブームというものがありました。また,大阪には吉本新喜劇が有名でした。
 今の私は,東京や大阪によく行く機会があるので,さまざまな演芸場があることを知っていますが,子供のころ,名古屋に住んでいた私には,演芸場というものも無縁でした。父親に聞くと大須にある,という答えでしたが,その存在はあまりにマイナーでした。
  ・・・・・・
 大須演芸場は,木造の2階建てで1階は椅子,2階は座敷席の小さな劇場で,名古屋市中区大須にある落語や色物などを上演する常設の中京圏で唯一の寄席として知られます。ビートたけしや明石家さんまらがまだ売れない駆け出し時代に出演していたといいます。
 常に経営難で,救いの手をさしのべる人々によって閉鎖の危機を乗り越えたことでも有名です。
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 2000年代には,平日の客入りは10人程度前後となり,2014年(平成26年)2月には,建物明け渡しの強制執行がなされ,営業が終了してしまいました。2015年(平成27年),名古屋青年会議所のメンバーを中心にボランティア団体として一般社団法人・大須演芸場を設立し,再出発をしました。
 かつて,一度行ってみたいと思って出かけたことがあったのですが,敷居が高く,入り口にもほとんど人がおらず,敷居が高く,入ることができませんでした。
 入場場が3,300円もするのですが,今回,「あいち・なごや周遊観光パスポート」を使えば無料で入場できるとあって,ぜひ,ということで行ってみました。

 平日の午前ということで,観客が何人いるのだろうと危惧していたのですが,意外や意外,入り口には多くの人が開場を待っていました。私が見たときは,約7割程度の入りでした。
 寄席は,前半4人,後半4人。落語が6人,ほかに,漫才と紙切り,それぞれ15分で,休憩を含めて2時間30分ほどと,たっぷり楽しむことができました。なかなか楽しい時間でした。はじまったのが午前11時で終わりが午後1時30分ごろ。ちょうどお昼時ですが,場内で飲食ができます。とはいえ,お弁当は1週間前までの予約ということだったので,軽食を買って入りました。場内ではどら焼きなどがうられていたので,これも購入しました。
 大須演芸場は,大須観音の近くにありながら,1本路地を入ったところで目立たず,これが最大の欠点でしょう。もし,アーケード街に面してあったのなら,ずいぶんと客の入りが違うことでしょう。また,180席と小さいので,結果として,入場料を高くするしかなく,もし,その倍で集客できて,2,000円程度で楽しめるのなら,現在の高齢者社会では,もっと多くの人が楽しめるのかな,と思いました。

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【Summary】
Using the Aichi–Nagoya Sightseeing Passport, I visited four sites in one day: a disappointing LED planetarium, the unexpectedly excellent Noritake Museum, a dated but scenic reconstructed Kiyosu Castle, and the Asahi Archaeological Museum, which offers impressive exhibits on a major Yayoi-period settlement and nearby shell mound.

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 すでに昨年の5月26日から発売されていた「あいち・なごや周遊観光パスポート」ですが,私が知ったのはつい近ごろ,1月30日で,発売終了の前日のことでした。これは
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 平日オトクに愛知を楽しもう! 県内の参画美術館・博物館等を利用できる,平日のお得な共通チケット 「あいち・なごや周遊観光パスポート」。
 愛知県内の参画美術館・博物館等に入場できる,平日限定のお得なチケットです。
 今年は新たに知多エリアも登場し,参画施設数も全35か所と大幅に増加!
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というもので,価格は4,500円。
 1施設目の利用日から90日間,チケットが有効で,チケットの最終有効期限は2026年3月13日です。
 2月3日に行った「名古屋中村大河ドラマ館」へも,これを使っていきました。
 そこで,これを利用して,精力的に,回ってみることにしました。これまで,お金を出してまで行こうとはおもわないけれど,気になっていた近隣の施設が多くあるので,いい機会です。35か所ということですが,その多くに行ってみることにしたので,行った順に書いてみたいと思います。

 2月4日は次の4か所に行きました。
●コニカミノルタプラネタリウム「満天NAGOYA」
 イオンモール「Nagoya Noritake Garden」にあるプラネタリウムです。イオンオールは名古屋駅に近く,5時間無料で駐車できるので,よく行きますが,あえてプラネタリウムに入ろうとは思いませんでした。ここもまた,「あいち・なごや周遊観光パスポート」で入れるということだったので,行ってみました。
 LEDを使ったプラネタリウムで40分間の上映でした。私が見たのは,「星の旅 -世界編- 特別ロングバージョン」と題したものでしたが,正直言ってがっかりでした。星のピントが甘く,また,地平線近くの星々は収差がひどく丸くならず,しかも,解説もなく,私が実際に見てきた南天の星空とは段違いでした。これなら,名古屋市立科学館のプラネタリウムのほうがずっといいです。
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●ノリタケの森にあるクラフトセンター・ノリタケミュージアム
 イオンモール「Nagoya Noritake Garden」に隣接して,ノリタケの本社があり,そこにノリタケの森として,庭園やレストランなどが整備されていて,とても気持ちのよいところなので,ここもまた,よく行きます。その一角にあるのが有料施設のクラフトセンター・ノリタケミュージアムです。あえてこの有料施設に行こうという人もほとんどなく,私も入ったことはありませんでした。
 館内は閑散としていて,というか,落ち着いていて,なかなかすばらしい施設でした。こんな機会でもなければ行くこともないところなので,楽しめました。
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●清州城模擬天守
 次に行ったのは,清州城模擬天守でした。
 清洲城は,現在の清須市にあった戦国時代,織田信長の本拠地及び居城として知られます。京鎌倉往還と伊勢街道が合流し,中山道にも連絡する交通の要所として重視され,守護所として栄え,江戸時代に徳川家康が清州越しを行うまでは尾張の政治の中心でした。
 現在は,本丸土塁の一部が残るのみで,城跡は清洲公園として,織田信長の銅像,以北の城跡は清洲古城跡公園として清洲城跡顕彰碑があります。ここは,何度も行っています,
 清州城模擬天守は,1989年(平成元年)に清洲城跡に隣接する清須市清洲地域文化広場内に建設された鉄筋コンクリート造の模擬天守で,外観や規模は当時を想像して設計されたものです。できたころに一度だけ入ったことがあるのですが,あえて,また行きたいとも思っていませんでした。そこで,今回,行ってみました。展示が古く,その後,予算づけをして新しくした形跡もありませんでしたが,最上階からの眺めは楽しめました。
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●あいち朝日遺跡ミュージアム
 愛知県で全国最大規模の弥生時代の遺跡である朝日遺跡を紹介する遺跡博物館で,ここも,できたころに一度行ったことがあります。
 朝日遺跡は,弥生時代前期から古墳時代前期まで営まれた全国でも有数の大規模集落で,この地方の生活・文化の中心として栄え,東西日本の弥生文化をつなぐ重要な役割を担っていました。これまでの調査によって,遺跡の範囲は東西1.4キロメートル,南北0.8キロメートルに及び,遺跡の面積は80万平方メートルから100万平方メートルと推定され,北東から南西にかけて流れる谷の南北の微高地に住居が営まれ,居住域を取り囲むように墓域が造られました。
 ここは,名古屋と岐阜を結ぶ国道22号の改良工事の際に大規模な遺跡が見つかって,そのために工事が中断したことで知りました。
 立派な展示館があって,発掘品やジオラマで学ぶことができます。また,屋外には弥生時代の住居跡や高床式倉庫が造られています。また,隣接して,貝殻山貝塚があって,ここもまた,交流館という展示館があります。おそらく,朝日遺跡よりも貝殻山貝塚のほうが先に知られ,施設が造られていたものと思います。本物の人骨の展示には驚きました。

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【Summary】
In early February 2026, I visited the newly opened Taiga Drama Museum in Nakamura Park, the birthplace of Toyotomi Hideyoshi. Entering at opening time on a weekday allowed a quiet, relaxed visit. Having seen many Taiga Drama exhibitions over recent years, this one felt familiar yet pleasantly spacious.

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 2026年の大河ドラマは「豊臣兄弟!」ということで,昨年2025年12月9日,豊臣秀吉の生誕地といわれる中村公園に行ってみました。このときは,大河ドラマ館を建設している最中でした。
 その大河ドラマ館は
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 2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放送を契機として,「豊臣兄弟! 名古屋中村 大河ドラマ館」をはじめとする複合施設「豊臣ミュージアム」がオープンします。
 「大河ドラマ館」ではドラマの衣装や小道具,ご当地ならではの特集パネルや独自の映像コンテンツなどが展示され,ドラマの世界観をより深く体験できる展覧会です。 また,ミュージアム内には他にも,名古屋ならではのお土産を販売する「ミュージアムショップ」,名古屋の歴史や文化等を伝える独自展示「武将も唸る!戦国めし×なごやめし」もございます。
 大河ドラマの世界観はもちろん、名古屋ならではの魅力もぜひお楽しみください。
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というもので,1月24日にオープンしたので,その数日後の平日,2月3日に行ってみました。

 初日はすごい人だったようですが,これまでの大河ドラマ館と同じなら,平日の朝はそれほど人は多くないと見越して,この日も,開館時間の午前9時に入りました。ほとんど人はおらず,ゆっくりと見学することができました。建物は,このために造ったものですが,来年の1月11日を最後に閉館すると,取り壊してしまうそうです。まだ番組がはじまったばかりで,展示されているものも少ないのですが,それは承知。これまでに見た大河ドラマ館と同様で,番組で使った衣装やら小道具が展示されていたのですが,館内が広く,気持ちのよいものでした。
 30分ほどですべてを見終えて,大河ドラマ館を出たのですが,そのころには,けっこうな見学客がやってきました。また,中学生が団体で列を作っていました。

 ここ数年の大河ドラマと,私が見にいった大河ドラマ館です。
●2020年「麒麟がくる」
 王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣,麒麟。 応仁の乱後の荒廃した世を立て直し,民を飢えや戦乱の苦しみから解放してくれるのは誰なのか……。そして,麒麟はいつ来るのか?。
 おもしろいドラマでしたが,ちょうどコロナ禍がはじまってしまい,前半のダイナミックさを出すことができず,後半はスタジオでのシーンばかりとなってしまったのが残念でした。
 岐阜城下に開館した大河ドラマ館に行きました。同じくして岐阜城などにも行くことができました。
●2021年「青天を衝け」
 まったく興味がなかったので,見ていません。大河ドラマ館があったのかどうかも知りません。
●2022年「鎌倉殿の13人」
 源頼朝にすべてを学び,武士の世を盤石にした男,二代執権・北条義時が,いかにして武士の頂点に上り詰めたのかを描く。
 この時代のことはほとんど知らなかったので,とてもためになりました。
 鎌倉の鶴ケ岡八幡宮に大河ドラマ館があったのですが,なかかな行くことができず,12月9日にやっと行くことができました。
●2023年「どうする家康」
 後ろ盾もなく,豊かな国土もなく,あるのは個性派ぞろいの家臣団だけ。豊臣秀吉,真田昌幸,石田三成と次々と現れる強者たち。ひとりの弱き少年が乱世を終わらせた奇跡と希望の物語。
 ドラマ自体は不出来でしたが,最後まで見続けました。
 岡崎城下に開館した大河ドラマ館と浜松城下に開館した大河ドラマ館に行きました。同じくして岡崎城や浜松城などにも行くことができました。
●2024年「光る君へ」
 主人公は紫式部。 平安時代に,千年の時を超えるベストセラー「源氏物語」を書き上げた女性。彼女は藤原道長への思い,そして秘めた情熱とたぐいまれな想像力で,光源氏=光る君のストーリーを紡いでゆく。変わりゆく世を,変わらぬ愛を胸に懸命に生きた女性の物語。
 このドラマはおもしろく,また,知らなかったことばかりだったので,とてもためになりました。
 大河ドラマ館は,京都府の宇治市,滋賀県の石山寺,福井県の敦賀にあって,そのすべてに行きました。
●2025年「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」
 親なし,金なし,画才なし… ないない尽くしの生まれから「江戸のメディア王」として時代の寵児になった蔦屋重三郎。「蔦重」こと蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯を,笑いと涙と謎に満ちた物語として描く。
 ドラマは私には前半が特におもしろいものでした。
 浅草に大河ドラマ館がありました。大河ドラマ館からはマイクロバスのサービスがあって,ドラマに関連した様々な場所を巡ってくれました。
●2025年「豊臣兄弟!」
 戦国時代のど真ん中!! 強い絆で天下統一という偉業を成し遂げた豊臣兄弟の奇跡! 夢と希望の下剋上サクセスストーリー。
 今年の「豊臣兄弟!」はドラマ自体は楽しめるのですが,知っていることばかりなので,予習も復習もいりません。「光る君へ」などとは違い,軽いドラマです。また,これまで,この時代は何度も取り上げられているので,その差別化が今後の課題でしょう。大河ドラマ館は,今回行ったもののほかに,長浜城下にもあり,また,3月には大和郡山城下にもオープンするそうなので,行ってみようと思っています。

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【Summary】
Manshoji Temple in Osu, Nagoya, is famous for the episode in which young Oda Nobunaga threw incense at his father Nobuhide’s funeral. Founded by Nobuhide, the temple symbolizes Oda family history. Today it stands in a lively shopping district, hosting cultural events and tourist attractions.

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 「豊臣兄弟!」にちなんで。
 名古屋周辺には多くの史跡があります。今日は,大須の萬松寺です。
 父・織田信秀の葬儀の際に織田信長が位牌に抹香を投げつけたという有名な逸話のある名古屋・大須の萬松寺には,織田信秀の墓碑があります。
 織田信秀は戦国時代前期の武将で,織田信長が天下統一を目指すための土台を築いた人物ともいえます。織田家は,もともと清洲三奉行のひとつにすぎなかったものを,織田信秀が軍事力と政治力で勢力を拡大し,尾張の大部分を掌握するに至りました。 経済力に長け,那古野城を奪って名古屋の経済を押さえたり,熱田神宮に寄進して信仰を通じ影響力も強めました。また,斎藤道三や今川義元と争いながら尾張の外にも勢力を伸ばそうとしました。その一方,連歌や茶の湯にも通じ,教養ある戦国大名でした。

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 備後守殿(=織田信秀)疫癘(えきれい)御悩みなされ,様々御祈祷・御治療候といへども御平癒なく,終に3月3日御年42歳と申すに御遷化(せんげ=死去)。
 去て(生前)一院を建立,万松寺と号す。当寺の東堂(=織田信秀を前任住職と見立て)桃厳(=織田信秀の法名)と名付けて,銭施行をひかせ,国中の僧衆集っておびただしき御弔(=葬儀)だった。その時関東上り下りの会下僧(=寺を持たぬ僧)たち,多数あり。僧衆300人ばかりであった。三郎信長公には,林・平手・青山・内藤の家老の衆がお伴した。御舎弟勘十郎公には,家臣柴田権六・佐久間大学・佐久間次右衛門・長谷川・山田以下がお供した。
  信長が焼香に出て,その時信長の仕立は,長柄の大刀・脇差を三五縄で巻き,髪は茶筅に巻立,袴もはかずに仏前へ御出であって,抹香をくわっとつかんで,仏前へ投げかけ帰った。
  御舎弟勘十郎は折目高なる肩衣・袴をはいて,あるべきごとくの御沙汰だった。三郎信長は例の大うつけよと執々評判だった。その中に筑紫の客僧一人,あれこそ国は持つ人よと言った由。
  「信長公記」首巻9
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 これが,1551年(天文20年)織田信長がまだ若かったころ,父・織田信秀が亡くなり,葬儀の場で他の親族や家臣たちが厳かに焼香している中,織田信長は,何と抹香をつかんで仏前に投げつけたとされているという話です。この行動は,織田信長の型破りな性格の表れ,父への複雑な感情,周囲への示威行動などの分析がされていますが,のちに織田信長が天下取りに乗り出し,その破天荒ぶりから後世まで語り継がれたことであって,そうでなければ,埋もれていたことでしょう。歴史など,そういったものです。 

 この逸話は大須に移る前,那古野城の南にあった萬松寺が舞台です。
 萬松寺の創建は1540年(天文9年)で,織田信秀が父・織田信定の菩提を弔うために建てたとされています。萬松寺が現在の大須に移転したのは,1612年(慶長17年)のことで,徳川家康の命によって行われました。当時,名古屋城の築城に伴い,城下町の整備が進められていて,その一環として那古野にあった萬松寺も現在の大須の地に移されたものです。
 私の父が若いころは,大須はずいぶん賑わっていたとのことですが,私が若いころは,名古屋市の商店街は栄付近に人気が集中し,大須はさびれ切っていました。それが50年ほど前,東京の秋葉原のようにコンピュータを扱うショップが集まるようになって人気が回復して,今では,栄よりもむしろ人気があるようになりました。
 そんな商店街の中心にある萬松寺は,戦後に,近代的な建物に再建されました。
 特に近年は,新たに建てられたホールで,将棋のタイトル戦が行われるなど,活発に行動しています。また,毎時決まった時間になるとからくりが動いて信長が抹香を投げるシーンが再現されるなど,大須の観光スポットとなっています。

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【Summary】
Nagoya’s Hideyoshi and Kiyomasa Memorial Museum stands quietly beside Nakamura Park, Hideyoshi’s reputed birthplace. Opened in 1959, it presents Sengoku-era history through permanent and special exhibitions. Usually uncrowded, the area features modest historical sites and sculptures, though crowds are expected with the upcoming Taiga drama.

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 確か名古屋市秀吉清正記念館があるはずだ,と思っていたのですが,見当たりません。改めて調べてみると,中村公園文化プラザという建物が中村公園の西側にあって,その建物には,中村図書館,中村文化小劇場とともに,名古屋市秀吉清正記念館がありました。
 豊臣秀吉の生誕地とされる中村公園は,すでに豊國神社が建立されていたこともあり,歴史的な意味合いの強い場所でした。名古屋市が戦後の復興を進める中で,地元ゆかりの歴史的人物である豊臣秀吉と加藤清正の功績を顕彰し,市民に郷土の歴史を伝える目的で,この場所に,1959年(昭和34年)名古屋市秀吉清正記念館が開館されました。
 常設展は,織田信長が天下統一へ向かったころから,秀吉の天下統一,そして大坂の陣で豊臣氏が滅亡するころまでを5つのテーマに分けて紹介しています。また、毎年秋には、特別陳列を開催します。このほか、館蔵資料を中心とした特集展示、写真パネル展を随時開催しています。
 そもそも,観光で名古屋に来ても中村公園に足を運ぶ人はほとんどいないだろうから,名古屋市秀吉清正記念館の存在を知っている人はもっと少ないのかもしれません。私が行ったのは,平日だったこともあり,見学者は私ひとりでした。

 今回,わざわざやってきた中村公園周辺には,豊臣秀吉・加藤清正の生誕地碑,豊国神社,妙行寺(みょうぎょうじ),常泉寺(じょうせんじ)などの多くの史跡がありますが,どれも地味な存在です。私には,人が少ないというのは好ましいことで,こうした場所を散歩するのはとても楽しいものでした。  
 とはいえ,来年は大河ドラマ館を訪れる人たちが多くやってくることになるでしょう。
 私が行ったときは,大河ドラマ館の準備で大忙しの状態でしたが,その建物のそばにあったのが「日吉丸となかまたち」と題された,日吉丸,のちの豊臣秀吉を中心とした5人の子どもたちの群像でした。これは,1983年(昭和58年)に設置されたもので,豊臣秀吉のわんぱく盛りのころをイメージして,石黒鏘二(しょうじ)、品川譲ら当地で活躍した造形作家により制作されたものだそうです。

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【Summary】
Nakamura Park features ponds, monuments, and historic buildings linked to Toyotomi Hideyoshi and local figures. Highlights include the statue of Kabuki actor Nakamura Kanzaburō I, the Meiji-era Nakamura Park Memorial Hall, Toyokuni Shrine, birthsite markers, and sites related to Koide Hidemasa, Kinoshita Chōshōshi, and Kato Kiyomasa.

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 中村公園はそれほど広い公園ではありませんが,これまで,隅々まで歩いたことはありませんでした。 池がふたつあって,中央の池をひょうたん池,その西側の池を太閤池というそうです。ちょうど紅葉真っ盛りで,池の周りは,写真写りのよいところでした。
 太閤山常泉寺を出て,池の周りを歩いていくと,銅像がありました。これは,歌舞伎の初代中村勘三郎生誕記念碑だそうで,初代中村勘三郎は中村の出身といわれていることから,公園内に生誕記念碑の像を建設しようと,中村区夢づくり実行委員会を母体とする住民団体が寄付金を募り建立したものということで,2017年(平成29年)除幕式が行われました。銅像の高さは2.8メートルで,うち台座部分が1.2メートル,猿若舞を舞う姿が表現されています。
 さらに歩くと,中村公園記念館がありました。これは,明治時代に建築された公共木造建築物では最古で,1910年(明治43年)に加藤清正没後300年を記念して愛知県が地元住民の寄付を受け建築した迎賓館で,名古屋に行幸した当時の皇太子(後の大正天皇)が休憩所として使用しました。
 1954年(昭和29年)から徳川園市民結婚式場の姉妹会場として使用され,1963年(昭和38年)には建物の老朽化などもあり全面改修,さらに,2015年(平成27年)より耐震工事が行われ,2016年(平成28年)にリニューアルオープンしました。木造瓦葺き平屋建てでの書院造で玄関の唐破風が特徴的ということです。

 中村公園の中心にあるのが豊国神社で,これは,豊臣秀吉を祭神とする神社です。中村区の有志が発案し,当時の県令・国貞廉平(くにさだれんぺい)の尽力を得て,1885年(明治18年)に創祀されました。また,近くには,豊公誕生地之碑(ほうこうたんじょうちのひ)があって,これは,1883年(明治16年)に国貞廉平が木製の標柱を建て,1911年(明治44年)に県知事・深野一三(いちぞう)が石で立て直したものです。
 また,1540年にこの地で生まれ豊臣秀吉の家臣となり,妻は大政所の妹で,和泉岸和田3万石の城主となり,豊臣秀吉の死後は豊臣秀頼(秀吉の二男)の補佐役を務めた小出秀政宅跡や,1569年に生まれ, 豊臣秀吉に仕え,若狭小浜城主となりましたが,関ヶ原の戦いで失脚し,その後は京都・東山に隠棲(いんせい)し,当代一の歌人として名を残した高台院の甥に当たる木下長嘯子(きのしたちょうし)宅跡もありました。
 加藤清正は,1562年(永禄5年)に豊臣秀吉生地の近隣で生まれたとされ,豊臣秀吉に仕えて武功をあげ,各所に八幡社を勧請しました。中村公園にも八幡社があり,ここは,加藤清正必勝祈願の社と伝えられます。

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【summary】
I visited Nakamura Park in Nagoya, known as Toyotomi Hideyoshi’s birthplace. Although I rarely went there as a child, I explored it again and also visited the Hideyoshi–Kiyomasa Museum. The park, founded in 1885, includes Toyokuni Shrine and Jokōji Temple with Hideyoshi’s birth well. Preparations for the 2026 Taiga Drama are underway.

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 2025年11月29日,豊臣秀長ゆかりの大和郡山市に行ったことを書きましたが,今回は,豊臣秀吉の生まれたところ,として有名な名古屋市の中村公園です。
 身近なところは,むしろ行ったことがない,という人も少なくないと思うのですが,私も,子供のころに育った場所からさほど遠くないところにある名古屋市の中村公園など,ほとんど行ったことがありません。子供には単なる公園であり,この公園には売店があって,親に連れられて行ったときに,そこでおやつを食べたような記憶があるだけです。
 この辺りは,名古屋市の中でも,以前はあまり風紀のよいところでなかったので,それ以後,近寄る気がしませんでした。中村公園の北側には競輪場があったり,以前は,暴力団の事務所があったり,また,少し東に行くと,昔,中村遊郭のあった場所です。そんなところですが,このごろ,一度,きちんと行ってみようと思うようになりました。中村公園には,豊臣秀吉に関する博物館くらいあるのだろう? でも,記憶にないなあ,と思って調べたら,秀吉清正記念館があることがわかったので,そこへも寄ってみることにしていました。
 12月9日,近くに行ったときにそれを思い出しました。そこで,近くの駐車場に車を停めて,公園に入りました。公園や公園周辺は相変わらずのところでしたが,来年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」にちなんで大河ドラマ館がオープンするということで,整備が進んでいました。名古屋駅からは遠くなく,地下鉄でも便利なところなので,オープン後は多くの人が訪れることでしょう。

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 中村公園が造られたきっかけは,豊臣秀吉の生誕地を記念する,ということでした。
 豊臣秀吉は,1537年(天文6年)に中村で生まれたとされていて,明治時代に,その偉業をたたえ,地元の人たちが「この地に記念の場所を作ろう」という動きが出て,1885年(明治18年)に中村公園が開園しました。また,公園の中心には,1909年(明治42年),京都にあった豊国神社の分霊を勧請して,豊国神社が創建されました。
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  一般的には,この場所が豊臣秀吉の生誕地とされています。
  江戸時代の地誌や記録にも「中村郷にて出生」と書かれているものが多く,地元の人々も長くそう信じてきました。
 異説もあり,一部の研究者は「秀吉の出自には謎が多く,実際の出生地は別の場所かもしれない」ともいわれ,たとえば,尾張中村ではなく,三河や近江にルーツがあるのではという説もあるようです。「豊臣兄弟!」ではどう描かれるのでしょうか。
 まず,目についたのが太閤山常泉寺という寺でした。「太閤山」という山号は,豊臣秀吉の尊称「太閤」にちなんでいます。
 常泉寺は,臨済宗妙心寺派の寺で,創建は1533年(天文2年)。豊臣秀吉の父・木下弥右衛門が建立したと伝えられていて,豊臣秀吉が天下人になったあと,手厚く保護したともいわれているそうです。境内には産湯を使ったという伝説がある「秀吉誕生の井戸」があったり,豊臣秀吉の大きな像がありました。

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【Summary】
I visited the "Photographed Nagoya Castle" exhibition showcasing photos taken by Tokugawa Yoshikatsu. While the photos are historically valuable, having visited all 12 original castles in Japan, I found them similar and felt little surprise.

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 愛知県の西部,江戸時代に尾張藩とよばれた地域は,徳川御三家筆頭の尾張徳川家の統治したところです。金鯱のある名古屋城と徳川御三家の尾張徳川家を地元の人は誇りとしています。
 とはいえ,尾張徳川家については,ほとんどのことを知りませんし,習いません。
 御三家筆頭であるにもかかわらず,将軍を輩出していないことや,幕末の動乱期にも影が薄く,歴史の教科書にも出てきません。私もそうでしたが,このごろ,いろいろなことを調べてみて,興味が湧いてきました。
 そんな折,名古屋城内の西の丸御蔵城宝館で,尾張藩14代・17代藩主だった徳川義勝(とくがわよしかつ)が残した写真の展覧会「写された名古屋城」展が行われていることを知りました。
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 2025年6月17日。猛暑になるということだったので,朝一番,開館時間の午前9時に名古屋城に入りました。すでに外国人観光客で一杯でした。現在,名古屋城は天守に入ることができません。耐震が十分でないということと,木造に建て替えるという計画が難航しているからです。
 私は,子供ころから何度も来ているので,今回の目的は西の丸御蔵城宝館で写真の展覧会を見ることだけで,名古屋城には特に興味がなかったのですが,多くの観光客は,天守に登ることもできないのに何を見に来るのかな? と思ってしまいました。


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 徳川慶勝は,幕末から明治初期にかけての大名で,明治維新後に議定,名古屋藩知事となりました。
 美濃高須藩主・松平義建の次男で,弟に15代藩主・徳川茂徳,会津藩主・松平容保,桑名藩主・松平定敬がいて,高須四兄弟と総称されます。幕末の動乱期には,第1次長州征討で総督を務めるなど幕府や藩を支えるために動いた人物でもありました。
 写真術に深い関心をもち,幕末における写真撮影の技術を研究し,自身で撮影を行っただけでなく,学者や家臣たちに協力を求め,化学や物理学に基づいた薬品の調合やレンズの改良を行いました。特に名古屋城の撮影では,約400枚にのぼる写真を残し,城内の様子を克明に記録しています。この写真群には、殿様しか立ち入ることのできなかった場所のものも含まれていて,歴史的資料としての価値が極めて高いものです。
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 館内は,私以外にだれもおらず,落ち着いて多くの貴重な写真を見ることができました。
 徳川慶勝のおかげで,名古屋城は日本で最も多くの写真が撮られた城,ということです。おかげで,本丸御殿を再建したときに,江戸時代のままに復元することができたといいます。
 そうした珍しい写真ですが,日本には,松江城など,現存する天守が12あり,そのすべてに行ったことがある私には,それらとほとんど同じようなものを写真で見る,という結果になってしまい,襖絵などのほかには,特に,驚きというものは感じませんでした。
 それよりも,私は,この展覧会で徳川慶勝の出身地である美濃高須藩に興味をもちました。美濃高須藩は現在の岐阜県海津町ですが,この場所に何度も行っていてもその存在を今まで知りませんでした。ほとんど遺構は残っていないらしいのですが,また,近いうちに訪れてみたいものだと思いました。

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【Summary】
Feeling cooped up after a cold winter and too many autumn travels, I decided to step outside for a change. Since many places close on Mondays and the weather was gloomy, I visited the SCMAGLEV and Railway Park at Kinjo-Futo, expecting it to be quiet. The visit brought back memories of the 100 Series Shinkansen dining car, evoking the joy of leisurely train journeys, now a rarity in an age of speed-focused travel.

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 2025年1月6日。正月明け,雨の月曜日です。
 この冬は寒すぎ,また,秋に旅行をし過ぎたためか,気力が失せてしまい,すっかりお籠り状態で数週間を過ごしてしまいました。しかし,いつまでもこれではいかん,ということで,外出することにしました。とりあえず,今日はリハビリ?です。
 とはいえ,月曜日がお休み,というところも多く,また,この天候では,屋内でなければ,どうにもなりません。そこで思いついたのが,名古屋港の金城ふ頭にあるリニア・鉄道館〜夢と想い出のミュージアム〜でした。ここは,月曜日も開館しているのです。おまけに,この悪条件なら,きっと空いているだろうと期待しました。
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 リニア・鉄道館〜夢と想い出のミュージアム〜(SCMAGLEV and Railway Park)は,JR東海が2011年(平成23年)に名古屋市港区金城ふ頭に開館した鉄道に関する事物を展示する鉄道保存展示施設です。
 高速鉄道技術の進歩などを広く紹介することを目的とし、以下の3点をコンセプトとしている[4]。 ①高速鉄道技術の進歩の紹介 ②鉄道が社会に与えた影響について学習する場を提供 ②楽しく遊べるよう模型などを活用しバリアフリーを徹底した設備 をコンセプトとしています。
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 開館したころに,1度行ったことがあるのですが,それからずいぶんと時が経ち,私の記憶では,以前は駐車場があったように思うのですが,今回行ってみて,周りの様子がずいぶんと変わっていました。駐車場はなく,少し離れた名古屋市営の駐車場に車を停める必要がありましたが,ずっと通路には屋根があって,傘は必要がありませんでした。

 到着したのが午前12時ころだったので,まず,食事をとることにしました。
 2階に売店があって,駅弁を売っていたので「東海道新幹線弁当」というものを買いました。おいしい弁当でした。
 それから館内をまわったのですが,私がもっとも懐かしかったのが,100系系新幹線の食堂車でした。今から30年以上前の東海道新幹線は,2階が食堂車,1階がビュフェという車両がありました。名古屋駅で乗車して,座席には向かわず,いきなり食堂車に行って,朝食を食べ,コーヒーを飲み終わるころに京都駅に到着するのです。これが,旅の中で一番楽しかったような…。
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 100系の最大の特徴は中間に2階建て車両が連結されていることでした。2階部分は,車両によってグリーン車もしくは食堂車でした。
 東海道新幹線は,食堂車ではなくビュフェではじまりましたが,山陽新幹線が全通したとき,食堂車が連結されるようになりました。2階のない0系では食堂車の端に通路があったので狭かったのですが,100系では2階建て車両の利点を活かして車両間を行き来するための通路を階下にすることで食堂車が広く,利用者は通路を歩く乗客と目が合うことがなくなりました。食堂車へ行く階段を上るとき,踊り場には、国鉄歴代の車両側面をデザインした壁があって,それも魅力的でした。
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 今は,車内販売すらなくなってしまって,列車での旅を楽しむことはできなくなってしまいました。
 仕事でとにかく早く現地に到着する必要があるのならともかく,旅の楽しみは,こうした列車での往復にもあるのです。と考えると,この先,リニア新幹線ができると,さらに,列車での旅を楽しむなとどいうことは夢物語になってしまうことでしょう。まあ,私には,そんな未来のことは関係ないのですが…。
 リニア・鉄道館,昔の旅を思い出す楽しい時間でした。

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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 私は鉄道マニアではないけれど,鉄道を使って旅行をしようとすればある程度の知識が要るので,自然に鉄道に詳しくなってしまいます。また,飛行機マニアでもないけれど,やはり,飛行機を使って旅行をすると,それなりに関心ができて,飛行機に詳しくなってしまいます。いずれにしても,マニアの人たちからみれば,単なるアマチュアにすぎませんけれど…。
 それと同じように,旅先でどこにいくかとなると,動物園や美術館になってしまいます。ということで,それほど興味があるわけではなかったけれど,国内外問わず,これまで私はずいぶん各地の動物園や美術館にいきました。また,この春は,散歩ついでに,毎週のように名古屋市の東山動植物園に行っていました。しかし,7月中旬以降は,猛暑のために,まったく行くこともなくなっていまい,一体,この暑い日々,愛すべき動物たちがどのように過ごしているのか気になります。

 そんな東山動植物園ですが,一時,私は,動物園よりも植物園のほうに興味がわいて,植物園を中心に散策をしていました。そのうち,童心に帰って動物園を見てみようと行ってみたら,それがまあ,興味深いこと。すると,自然と動物の名前を憶えてしまったり,動物の消息が気になって,元気かな? などと思い煩うようにもなってしまいました。
 動物園は,かつて,三省堂の新明解国語辞典の第4版に
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 (動物園は)捕えてきた動物を,人工的環境と規則的な給餌とにより野生から遊離し,動く標本として都会人に見せる,啓蒙を兼ねた娯楽施設。
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とあって,物議をかもしました。
 しかし,現在は,多くの動物が絶滅危惧種となっていることもあり,動物園は,繁殖活動にも取り組んでいます。動物園にいる動物も,動物園生まれがほとんどになっています。東山動物園の春は,コアラ,アジアゾウ,オットセイ,カンガルーと,ベビーブームでした。

 東山動植物園には,まるで,自分が飼っているペットのように,始終動物園通いをしている人たちも少なくなく,その人たちはとても詳しいので,なかなか動物の区別もわからない私にいろいろと教えてくれたりもします。
 問題は,気候のよいときは,ものすごく人が多いことです。平日だからと行ってみても,遠足などで子供たちが一杯です。また,小さな子供を連れたおばあちゃんと母親,というグループもよく見ます。こうなると,レストランで食事をとることもままなりません。そういうときは,お弁当を買って行くとストレスなく過ごすことができます。
 また,秋になって涼しくなったら,行ってみようと,今から楽しみにしています。

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 ことしもまた,夏はあまりに暑いので,遠出はさけているのですが,近場もまた,どこへも行く気が起きません。そこで考えたのが名古屋港水族館へ行くことでした。ここなら室内だからいいだろうと…。
 ということで,とりあえず,下見を兼ねて,2024年7月17日に行ってみました。広い駐車場があったので車を停めてそこから歩いて向かいました。これだけでも汗がでます。
 名古屋の東山動植物園は,名古屋市民だけは65歳以上は無料ですが,私は名古屋市内に住んでいないので適応されません。しかし,名古屋港水族館は,名古屋市民だけを優遇するような陰険な名古屋市立ではないので,65歳以上は名古屋市民でなくともシニア割があって好感がもてます。
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 1992年(平成4年)に開館した名古屋港水族館は,名古屋港管理組合が設置し,名古屋みなと振興財団が管理・運営を行っています。
 日本最大の水量と延床面積を誇る水族館で,イルカをはじめ,シロイルカ,ペンギン,ウミガメなどが飼育・繁殖・研究されています。また,屋外には,世界最大級の野外水槽を保持していて,イルカやシャチのトレーニングを見ることができます。
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 私は,開館した当時に行ったことがあるのですが,それ以来,遠ざかっていました。
 館内に入ると,いきなり大きな水槽があって,ほとんどの人はそこに立ち止まってしまうので混雑していて,すでにいやになりましたが,それを過ぎるとそうでもなく,多くの水槽があって,たくさんの魚を見ることができて,なかなか楽しめました。
 シャチのトレーニングというものがあって,これを見ました。以前なら,シャチショー,と銘打つのでしょうが,このごろの動物虐待世論で,名称が変わったのかもしれません。名古屋港水族館には観覧席を備えた大きなプールがあるのですが,シャチのトレーニングが行わるのはそれではなく,大きなプールの後方にある小さなほうのプールなので,客席の上のほうで見る必要があります。
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 名古屋港水族館のシャチの飼育は2003年(平成15年)より開始されました。
 飼育は「クー」にはじまり,「ナミ」「ステラ」「ビンゴ」「ラン」と続き,2012年(平成24年)に「ステラ」の仔「リン」が産まれました。 現在は「リン」「アース」の2頭が飼育されているそうです。なお,「アース」は15歳で,国内で飼育されている唯一の雄のシャチです。
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 観覧席周りには,売店があって,私はかき氷を食べました。シロップは自分でかけるということですが,単に店員の手間を省くためのように思えました。ここのウリは7色のシロップで,お好きなものをどうぞ,ということだったので,いろいろなものをかけて虹のようにしようと思ったのですが,かけていくにつれて黒くなってしまいました。色の3原色というのを忘れていました。アホです。

 名古屋港水族館で,私がストレスを感じたものは,レストランでした。レストランは数か所あるのですが,メニューが少なく値段が高く,しかも混んでいるのです。これでは楽しくありません。
 そこで裏技を見つけました。
 名古屋港水族館は再入場ができるので,一旦外に出ます。近くには,JETTYというショッピングモールがあります。ここは以前,2階にレッドロブスターがあったのですが,閉店して今は単なるゲームセンターとなりました。これだけでもさびれ感があります。しかし,1階はフードコートになっていて,安価に食事ができるのです。チープ感は否めませんが。
 私が子供のころ,名古屋港はレジャー施設がなく,むしろ,不気味なところでした。これはいけないと,それまでは本当に何もなかった名古屋港を観光地にしようと,一時,再開発ブームが起きて,イタリア村などもできたのですが,諸事情でわずか3年余りのちに倒産してしまいました。また,南極観測船が引退したのを機に誘致して,こちらは現在も見学することができますが,おそらく維持費がたいへんでしょう。このように,名古屋港はあか抜けず,横浜の赤レンガ倉庫のようにならないのが,頭の痛いところですが,愛知県の観光施設は,どこもそんなものです。
 ということで,暑い夏に出かける場所を見つけたのですが,一度行って十分だったのでリピートする気も起きず,結局,暑い夏に行くこともなくなってしまいました。

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 私は,ジブリ作品は「となりのトトロ」と「魔女の宅急便」しか知らず,ほどんど興味もないのですが,地元でもあり,一度くらいはどういうところか知りたいという好奇心だけで,2か月前にはじまる事前予約でチケットを手に入れ,2024年1月22日に行ってきました。
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 それにしても,有料施設は高すぎます。「ジブリの大倉庫」と「もののけの里」で2,500円,そして,「どんどこ森」と「青春の丘」がそれぞれ1,000円で,合計4,500円也。食事と交通費を合わせれば,約10,000円となります。そもそも,新しく造った施設というもはほとんどなく,これまでに何らかの形であったものを改装したり移築しただけの,いかにも金のかけかたを知らない愛知県らしい娯楽施設でした。現在,東京ディズニーランドのチケットが値上がりして約10,000円だそうですが,これはアトラクションなども含まれているので,それに比べたら,かなり割高です。
 私は,どういうところなのかという謎が解けたので,1回で十分だと思いました。リピートすることはありますまい。
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と書いたのが,2か月近く前のことでした。
 それにしても,あのころのほうが暖かかったというのも皮肉なもので,すでに3月も半ばというのに風が強く寒いこと。外を散歩する気にもなりません。

 さて,そんな3月10日。来る3月16日にジブリパークに新たに「魔女の谷」が開園するということで,その内覧会があって,申し込んでおいたら当たってしまったので,「リピートすることはありますまい」と書いたのに,行ってきました。到着したのが午前9時30分ごろだったのに,すでに車が一杯でした。前回と違うのは,この日が日曜日だということでした。「毎日が日曜日」の私には曜日の感覚がないのです。
 内覧会というからには,抽選に当たった選ばれし者だけが入ることができると思っていたから,悠々と出かけたのですが,これが大いなる誤解でした。これは決して内覧会などではない。東京駅並みのものすごい人混みでした。そもそも私は勘違いをしていました。私が当たった無料の招待券というのは,「魔女の谷」だけでなく,ジブリパークの他のすべての施設にも入ることができたのです。そんなことなら,前回,高いお金を出して,施設を巡った意味がありません。調べてこないお前が悪いといわれればそれだけのことですが,これにも落胆しました。
 まあ,せっかく来たのだから「魔女の谷」だけ入ることにしたのですが,すごい行列でした。中にあったのは,一般のものより長いとかいうソーセージの入ったホットドッグを売る「グーチョキパン屋」で,これは100メートルくらいの行列ができていたし,「空飛ぶオーブン」とかいう名前のレストラン,これは午前11時開店だというのに,2時間も前から並んでいる人がいたし,それ以外には,メリーゴーラウンドとかがあっただけでした。

 このところ,青森県に行って大自然に浸ったり,東京ですばらしいコンサートを聴いてきたりと,連日日本各地を移動し,精神的にも満足に浸っていた私は,それと比べてしまうから,このような作り物の張りぼてには何の感動もなく,かなりちんけなものとしか思えませんでした。せめて,ディズニーランドのようなショーや最新技術を駆使したアトラクションでもあれは,それなりの哲学というものも感じられるけれど,それすらないし,スタッフは単なるバイトの域を出ず,来た人を楽しませようという意欲も感じられませんでした。
 そんなわけで,前回入ることができなかった「魔女の谷」だけを適当に見て,早々に引き上げることにしました。並んでまでして昼食をとる気もなかったのですが,入口近くにおにぎりを食べることができるという,客のほとんどいなかったレストランがあったので,そこで昼食をとりました。これが一番落ち着きました。
 この日やったことはそれだけでした。しかし,こんな無意味な日も悪くない。

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 私の「ジブリの大倉庫」での滞在時間は1時間程度でしたが,これで十分でした。次に予約したのは午後1時30分からの「どんどこ森」だったので,その間,「もののけの里」へ行きながら,愛・地球博記念公園を散策することにしました。いったい「もののけの里」には何があるのだろう?
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 「もののけの里」は「もののけ姫」に登場する和風の里山的風景をイメージしたエリア。
 作品内の建物をモチーフにした体験学習施設「タタラ場」や「乙事主」の滑り台「タタリ神」のオブジェがあります。
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 「タタラ場」では「五平餅」の炭火焼体験ができるということですが,別途1,200円が必要でした。また,「タタリ神」というオブジェと「物見やぐら」はあるだけで登ることはできませんでした。「休憩処」というのは単なる土産物店でした。「愛・地球博」のときに「サツキとメイの家」の隣に建てられた管理棟を移築したものだそうです。
 ということで,「もののけの里」には特に何も見るべきものはありませんでした。

 愛・地球博記念公園の南半分のエリアは,「愛・地球博」のときに作られたままの自然豊かな森が存在しています。その入口に立つのが「稲楼門」でした。
 かつて,名古屋市中村区にあった「中村遊郭」。遊郭時代にあった「稲本楼」は,1923年建築の木造2階建てで,べんがら塗りの赤い塀と中国風の門が特徴で,ロの字やコの字形の建物の中央に日本庭園を配置したものでした。赤線廃止後は「料亭稲本」として営業していて,私も忘年会で行ったことがありましたが,2009年に閉店し,その後は,高齢者向けデイサービス施設として使われてきました。「稲楼門」は「稲本楼」が2018年に老朽化が目立ち解体されたのを機に,この地に移築されたものです。
 「どんどこ森」はこの門をくぐり,はるか先,15分程度歩いたところにありました。
 わかりにくいのですが,有料施設の「どんどこ森」というのは,「どんどこ森」全体のことではなく,このエリアの中にある「サツキとメイの家」の建物の中を見ることができるところだけです。
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 「となりのトトロ」で,サツキとメイが引っ越してきた和洋折衷の家は移築されたものではなく,アニメを元に作られたものです。 炊事場,風呂場,茶の間,和室,洋間など,耳をすますとサツキとメイの笑い声やススワタリの音が聞こえてくるようです。
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 私は,すでに,ジブリパークができる以前からあった「サツキとメイの家」はすでに来たことがあったから,またお金を出して入る必要はなかったのです。また,「サツキとメイの家」の外観を見るだけなら,無料エリアである「サツキとメイの家の見える展望台」に登れば,それで十分でした。
 「サツキとメイの家」の外には,どんぐりが目印の山道があって。山道を登った先にあるのは,中に入って遊ぶことのできる高さ5メートルの木製遊具「どんどこ堂」と 「どんどこ売店」,そして, 飲み物や土産物、季節に合わせた商品を販売している「どんどこ処」でした。また,山頂と麓をつなぐ,かつて名古屋市内を走っていた路面電車をモチーフにしたスロープカー「どんどこ号」に乗ることもできます。 
 私には,こうした作り物よりも,自然の中を散歩するほうがずっとこころ休まり楽しいので,このあたりをゆっくりと散策しました。日本庭園もあって,なかなか落ち着けるところでした。

 そして,最後に行ったのが午後3時からの「青春の丘」でした。
 「青春の丘」は「耳をすませば」の物語の舞台のひとつである「地球屋」と「ロータリー広場」,「猫の恩返し」に登場した「猫の事務所」, そして誰でも利用できる「エレベーター塔」から構成されるエリアでした。
 「エレベーター塔」は, 19世紀末の空想科学的な世界観をもとにしたもので,ホンモノのエレベータを兼ねています。
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 地球屋は「耳をすませば」で主人公・月島雫が偶然たどりついたアンティーク家具や時計の修理・販売を行う店で,2階には,家具のほか,からくり時計,人形,木馬などが部屋の隅々まで置かれていて,機械仕掛けのからくり時計は,10分遅れているので,時間指定のチケットで入場した後に10分待つとからくり時計が動くのを鑑賞することができます。1階に降りると,天沢聖司が見習いとしてバイオリン制作を学んでいた工房がありました。
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 私が興味をもったのは,そこにあった数々の本物のヴァイオリンとヴィオラ・ダ・ガンバでした。
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 ヴィオラ・ダ・ガンバ(viola da gamba)は,16世紀から18世紀にヨーロッパで用いられた擦弦楽器で,「脚のヴィオラ」を意味してて,これは,楽器を脚で支えることに由来すします。これに対して,ヴィオラ・ダ・ブラッチョ(viola da braccio)は「腕のヴィオラ」の意味で,これがヴァイオリン,チヴィオラ,チェロなどのヴァイロン属です。
 ヴァイオリン属に比べ音量が小さいヴィオラ・ダ・ガンバは,劇場や野外での演奏には適さず,宮廷や上流市民の家庭における室内楽,および教会音楽で用いられます。
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 また,「猫の恩返し」に登場する「猫の事務所」は猫サイズで建てた木造平屋の建物ということで,外にあった電話ボックスは,受話器を取ると勝手にどこかへ電話がかかり「 ニャーオ,ニャーオ」という猫の鳴き声が聞こえてきますが,たまに違うパターンがあるそうです。

 この日,「青春の丘」に入るのを待っていたとき,ヘリコブターが2機,空を飛んだので見上げると,奇妙な虹が見えました。
 家に帰って調べてみると,それはレア度★★★の「環天頂アーク」というものでした。私ははじめて見ました。頭上高く,下側にへこんだ弓形に見える虹色現象で,その形から「逆さ虹」ともよばれるそうです。太陽光が上層の巻雲や巻層雲などの氷の粒によって屈折することで出現するということです。また,太陽高度が高すぎると見えなくなって,日の出後か,日の入り前に見られるものだそうです。
 結局,これが,この日,1番の見ものでした。
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 そんなこんなで,天気がよかったこともあり,時間十分あったこともあり,有料施設の内容はともかく,なかなか楽しい時間を過ごすことができました。有料施設以外はあまり人がおらず,これもまた,ゆったりくつろげた理由でした。近くに住んでいるのなら,毎日でも散歩に来たい場所でした。
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 それにしても,有料施設は高すぎます。「ジブリの大倉庫」と「もののけの里」で2,500円,そして,「どんどこ森」と「青春の丘」がそれぞれ1,000円で,合計4,500円也。食事と交通費を合わせれば,約10,000円となります。そもそも,新しく造った施設というもはほとんどなく,これまでに何らかの形であったものを改装したり移築しただけの,いかにも金のかけかたを知らない愛知県らしい娯楽施設でした。現在,東京ディズニーランドのチケットが値上がりして約10,000円だそうですが,これはアトラクションなども含まれているので,それに比べたら,かなり割高です。
 私は,どういうところなのかという謎が解けたので,1回で十分だと思いました。リピートすることはありますまい。

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 昨日のことのように思うのですが,もう19年も昔の2005年に「愛・地球博」が行われました。
 1964年に行われた東京オリンピック,1970年に行われた大阪万博,そして,1972年に開催された札幌冬季オリンピックで,日本は飛躍的に進歩しました。夢多き時代でした。当時はそれでよかったのですが,いつまでもそれが忘れられず,夢よ再びということで,今もなお,一部の実力者たちは同じようなことを企画しているようです。しかし,もはや,世界も,この国も,当時とは状況が違います。
 ということで,私は開催に反対だった「愛・地球博」だったので,チケットを購入することもなく,浮かれることもなく,静観を決め込んでいたのですが,その実,内覧会とオーストラリア館のシンポジウムに招かれて,2度も行きました。
 しかし,私が思っていた通り,開催したことで何かが残ったということもほとんどなく,「愛・地球博」以前は,青少年公園として県民の憩いの場であったところは,「愛・地球博」によって無残にも壊され,有効な活用方法が見つからず,広い土地を持て余し,負の遺産だけが残りました。
 それが,ようやく貰い手が見つかったように,この地にできたのがジブリパークでした。

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 ジブリパークは,スタジオジブリ作品の世界観を表現した公園施設として,同園内の未利用地や既存施設を再整備し,「青春の丘」「ジブリの大倉庫」「どんどこ森」「もののけの里」「魔女の谷」の5つのエリアを設けるというもので,まず,2022年に開園したのが「青春の丘」「ジブリの大倉庫」「どんどこ森」,そして,2023年に「もののけの里」,そして,まもなく「魔女の谷」がオープンします。
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 私は,ジブリ作品は「となりのトトロ」と「魔女の宅急便」しか知らず,ほどんど興味もないのですが,地元でもあり,一度くらいはどういうところか知りたいという好奇心だけで,2か月前にはじまる事前予約でチケットを手に入れ,2024年1月22日に行ってきました。
 冬の平日,雪やら強風だったらどうしようと,これもまた天気次第でしたが,当日は晴天でポカポカ陽気でした。1日違えば寒波到来,特に1月24日は大雪だったので,大変なことになっていましたが,私はいつもながら強運です。

 何の予備知識もなかったので,適当に見繕って,午前10時に「ジブリの大倉庫」,午後1時30分に「どんどこ森」,午後3時に「青春の丘」を予約しました。もうひとつ「もののけの里」というのは入場時間指定はなく,当日の午後4時までに入場すればいいということでした。そもそも,予約をしておきながら,それらが何なのかさえ知らないありさまでした。
 当日,はじめは公共交通機関でいくつもりでしたが,乗り換えなどが面倒になって,車で行きました。しかし,ちょうど通勤時間と重なって,道路は渋滞気味。やっと到着したのが午前9時ころでしたが,駐車場はがらがらでした。
 ジブリパークは愛・地球博記念公園の中に4か所点在していて,それぞれのエリアに入るときだけ有料で,愛・地球博記念公園自体は無料です。まず,案内所に行って,どのように回ればいいのか聞くと親切に教えてもらえました。午前10時までにはまだ時間があったので,時間つぶしに「愛・地球博」のときに使用したものが展示されてある「愛・地球博記念館」へ寄って見学しました。そこには残されて始末に困るものが展示されていましたが,私以外には訪れる人もおらず,閑散としていました。
 午前9時45分になったので「ジブリの大倉庫」に行ったのですが,すでに午前10時からの人たちが大勢並んでいました。

 愛・地球博記念公園には「愛・地球博」のときの跡地の一角に,スケート場とプールの入った巨大な建物ができました。「ジブリの大倉庫」は,プールを壊して,そこを改装して作られました。スケートリンクは今も存在していて,フィギアスケートショーなども行われています。
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 「ジブリの大倉庫」は,まさにジブリの大博覧会。
 ひとつの巨大な施設の中に,映像展示室をはじめ,3つの企画展示,ショップやカフェなど「ジブリ」がぎゅっとつめこまれています。
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 というのがウリですが,中に入ると,まず,1階と2階を結ぶ色鮮やかなキャラクターのタイル装飾の階段と,天窓の下には「空飛ぶ巨大な船」がプロペラを回しながらゆっくりと飛んでいました。それぞれの階には様々な展示室がありました。
 「公開倉庫」と名づけられたコーナーには,三鷹の森ジブリ美術館で開催された企画展示「食べるを描く」が展示されていました。また,「ジブリがいっぱい展」には,世界中から集めたジブリ作品のポスター,映像・音楽パッケージ,書籍などが展示されていました。
 三鷹の森ジブリ美術館で上映されてきた短編アニメを上映する「映像展示室オリヲン座」という劇場では「ちゅうずもう」というネズミが相撲大会をやるという内容のアニメをやっていて,これはけっこう楽しく見ることができました。
 「子どもの街」と「ネコバスルーム」は単なる子どもの遊び場でした。
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 「南街」という商店街では,書籍を取り扱う「熱風書店」,模型を販売する「大空模型」,駄菓子を並べた「猫かぶり姫」が並び,実際に商品を売っていました。また,「冒険飛行団」という名のメインショップは,ジブリ長編作品に関連するグッズや,ジブリパークのオリジナル商品が売られていました。
 また,その入口にあったミルクスタンド「シベリ❆あん」では,オリジナルデザインの瓶で牛乳が売られていたり,「風立ちぬ」とかいう作品に登場したお菓子「シベリア」が食べられるということですが,「シベリア」は私の家の近くのスーパーにも売っているので,珍しくありませんでした。

 このように,「ジブリの大倉庫」にあったのは,ジブリ作品にでてくるさまざまなセットがこしらえてあったり,土産物店があったりする場所でした。「ジブリの大倉庫」は人気で,ここで何時間も過ごす人が多いということでしたが,何せ,私は,ジブリ作品は「となりのトトロ」と「魔女の宅急便」しか知らないから,見るべきものがありません。所詮,単なる作り物だという感想しか抱きませんでしたが,ふらふらしていたら,何となく時間が過ぎました。
 平日にだれが来るのだろう? と思っていたのですが,幼稚園や小学校の遠足の子供たちがたくさんいました。遠足には絶好の場所のようでした。その一方で,東京からわざわざ来たという人も結構いました。名古屋(愛知)はどこも空いているからいい,と言っていました。
 午前11時になったので,「カフェ大陸横断飛行」という名前のレストランで昼食をとりました。開店早々だったので簡単に席が確保できましたが,食べ終えたころには多くの人が並んでいました。

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 「文化のみち」の散策で,最後に紹介するのは,旧豊田佐助邸と旧井元為三郎邸です。

 豊田佐助は,発明王とよばれ,現在に至るトヨタグループの礎を築き上げた創始者・豊田佐吉の弟でした。当時,長塀町に豊田佐吉邸,白壁町に豊田喜一郎邸と豊田利三郎邸もありましたが,現存するのはこの豊田佐助邸のみで,豊田利三郎邸は門と塀だけが残っています。
 太平洋戦争後に米軍に接収され将校の住宅となっていた時期もありますが,その後アイシン精機の所有となり,現在は名古屋市が借用し一般公開しています。
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 旧豊田佐助邸は,1923年(大正12年)に建てられた白いタイル張りの木造の洋館と広い間取りの和館で構成されています。洋館と和館が併設する大正時代に流行した建築様式で,1階には,蓮の蕾の形の照明と吊元の装飾,鶴にトヨダの文字をデザインした換気口が見られます。
 関東大震災以前の時代でありながら耐震構造を取り入れているなど,豊田佐助がいかに先進的な考えの持ち主であったかがわかります。
 2階に上がると非常に広い面積の和室が広がっています。 この大広間の風通しをよくするためにさまざまな工夫がなされています。 欄間の上下に隙があったり左右に開ける雪見障子なども見られます。
 また,和室の周りを洋風建築の廊下が取り囲んでいるという非常に特殊な構造で,敷居ひとつ挟んで和洋の全く異なる様式が隣り合わせになってるのに,違和感なくまとまっています。

 次に,旧井元為三郎邸です。ここは「文化のみち橦木館」(しゅもくかん)といいます。
 この地域は,江戸時代,約600坪に区画割りされた武家屋敷町がありました。この広い敷地と陶磁器の生産地で有名な瀬戸・多治見の両街道や堀川にも近く,船積みにも便利だったことから,明治半ばには陶磁器の絵付け・加工業者などが集まるようになりました。
 昭和初期には,この界隈に600をこえる上絵付け工場があり,最盛期には,日本で作られた輸出用の陶磁器の7割以上がこの地域で生産されていたといいます。
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 井元為三郎は,1874年(明治7年)に生まれた,明治から昭和時代前期の実業家です。
 16歳で有田系の商店に入り,1897年(明治30年),24歳で独立。橦木町に隣接する飯田町に井元商店をかまえました。明治40年代にはサンフランシスコに貿易会社を設立し,大正に入ると、シンガポールやビルマにも進出して,陶磁器以外に医薬品や雑貨も扱うようになりました。1924年(大正13年),名古屋陶磁器貿易商工同業組合の組合長に就任しました。加工問屋「五人衆」のひとりに数えられるなど,陶磁器業界の重鎮として活躍しました。
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 建物は,2階建てのステンドグラスの色鮮やかな光に満たされた洋館,懐かしい薫りにあふれる平屋の和館と東西2棟の蔵,さらに京都から移築された茶席,四季折々の趣が時を忘れさせる庭園で構成されています。洋館にはステンドグラスが贅沢に使われていて,井元為三郎は輸出陶磁器の商談を行うため、多くのバイヤーを招待していたそうです。

 私がこの建物でいたく気に入ったのは,2階の窓の大正ガラスでした。
 大正時代,ガラスは高価なもので,財力のある家でないと購入することができませんでした。一般の家庭でもガラスが入るようになるのは昭和になってからのことです。
 当時はイギリスで確立された「手吹円筒法」とよばれるガラスの製造方法が主流で,1枚1枚が手作りがゆえの不規則な歪みがあり同じ形はふたつとありませんでした。そこで,ガラス越しに見る庭は,ゆらりと歪んでとても味わい深く,またレトロな雰囲気があり,やさしい気持ちにさせてくれるのです。
 旧井元為三郎邸は,かつて住む者が居なくなってからは荒れ放題だったそうですが,1996年(平成8年)から2002年(平成14年)にかけて市民グループが借り上げて「橦木館」という名前をつけ,演劇やコンサート,ファッションショーなど各種イベントが行われる文化サロンとして使用されてきました。
 2004年(平成16年)頃からは毎週土曜日のみの公開していましたが,2006年度末に名古屋市が土地・建物を取得し,2009年(平成21年)7月17日から再び公開されたものです。


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桜と金星と木星。

咲き誇る桜の花の後ろに美しく輝くふたつの惑星。
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◇◇◇
藤井聡太「五冠」終わる。

「史上最年少六冠」
(竜王,王位,叡王,棋王,王将,棋聖)
に加えて,
「史上初一般棋戦グランドスラム」
(NHK杯,朝日杯,JT杯,銀河戦)
達成。
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 「文化のみち」でシンボル的存在なのが「文化のみち二葉館」です。かつて,名古屋市東区東二葉町にあったこの邸宅は「日本初の女優」とうたわれた川上貞奴と「日本の電力王」といわれた福沢桃介が大正から昭和にかけて暮らしていたものです。東二葉町という地名は今はありませんが,「文化のみち二葉館」の場所から北西へ出来町通りを越えたところで,清水口の交差点の北東の場所です。
 二葉館は,ひときわ目を惹くオレンジ色の洋風屋根をもつ大正ロマンの香り高い館で,5年の歳月をかけて,2005年(平成17年)に現在の地に移築し復元されました。移築したころ,突然,こんな派手な建物ができたので,私は驚いたことがありますが,中に入れることはずっと知りませんでした。

 そもそも,私は川上貞奴という女性もまったく知りませんでした。
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 1871年(明治4年)に東京日本橋の両替商の家に生まれた川上貞奴は,生家の没落により7歳で日本橋芳町の芸者置屋・浜田屋の亀吉の養女となりました。才色兼備で,伊藤博文らにひいきにされました。
 のち,自由民権運動の活動家で書生芝居で人気を博していた川上音二郎と結婚し芸妓から引退します。川上音二郎の影響で演劇へ転向,持ち前の芸の力と人柄とで日本初の女優として活躍し「マダム貞奴」とよばれ,ロダン,ピカソ,ジイド,プッチーニなど芸術家らをも魅了することになりました。
 川上音二郎が亡くなると,7年にわたる追悼興行を行ったのち芸能界を引退し,第3のステージとして,旧知の間柄であった福澤桃介の木曽川の水力発電事業を支えました。
 川上貞奴は,人生の前半を川上音二郎,後半を福澤桃介というふたりの男性のパートナーとして,そばに寄り添いながら社会を変えていったのです。1946年(昭和21年)に亡くなりました。
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 これもまた,私は知らなかったのですが,というのは,このころ,私の家にはテレビがなかったからですが,1985年(昭和60年)のNHK大河ドラマ「春の波涛」の主人公は川上貞奴でした。
  ・・
 国道19号線を北に木曽川に沿って走って長野県南木曽町に着くと,大きな古い吊り橋が目につきます。この吊り橋は「桃介橋」といって,福沢桃介が大正時代に架けた木製の吊り橋で,日本最大級といわれ,独特の外観は異国情緒にあふれています。
 吊り橋を渡ると福沢桃介記念館があります。福沢桃介が木曽川水系の発電所建設の監督のために建てたモルタル造りの旧別荘を記念館として公開しているもので,福沢桃介のパートナーであった川上貞奴も滞在したため,福沢桃介と川上貞奴のロマンの館としても知られているということでした。ここには行ったことががありますが,この地がどうして有名なのか,訪ねたころの私はわかりませんでした。それは,要するに,大河ドラマの影響なのでした。
 そしてまた,その川上貞奴が南木曽町とは遠く離れた名古屋市の「文化のみち」と関係があるのかも,はじめはわかりませんでしたが,調べていくうちに様々な糸が繋がり,興味が湧いてきました。

 和洋折衷の斬新で豪奢な建物は「二葉館御殿」とよばれ,政治家や財界人,文化人が訪れるサロンとでした。当時としては驚くほどの電気装備が施され,また,ほうぼうに川上貞奴の好みを取り入れたしつらいがなされました。
 当時の記録では,玉砂利の道を入っていくと,車寄せの前がロータリー。そこには,松の木などが植えられ,芝生の庭にはしだれ桜やもみの木,電気仕掛けの噴水やサーチライトがあったようです。
 円形に張り出したソファがある大広間では,ステンドグラスが柔らかい光を投げかけていました。 ここで川上貞奴は,毎日やって来る大勢の客への茶菓や晩餐の手配に追われる傍らで,川上絹布の経営者としての仕事もこなしていました。また,電車で3時間かかる木曽のダム建設現場へ出かける福沢桃介に同行することもあるというように,忙しくとも充実した暮らしでした。
 その後,病気がちになった福沢桃介は東京へ戻り,川上貞奴もまた,「川上児童楽劇園」の指導のため,拠点を東京へと移しました。
 建物の2階の展示室には,坪内逍遥,城山三郎をはじめとする名古屋を中心とする郷土ゆかりの文学者や文学作品が資料やパネルで紹介されていて,これもまた,私には,とても興味深いものでした。

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 名古屋市の繁華街・栄の東側である名古屋市東区泉二丁目と三丁目を隔てる南北の道路は,いろいろ調べても名前がわからないのですが,この通りの「桜通泉二」交差点から「芳野二」交差点北まで全長約1. 4キロメートルにわたって「オオカンザクラの並木道」があって,毎年この時期は,名古屋市内でいち早く花見ができる名所となっています。
 私はそのことをまったく知らなかったのですが,昨年のこの時期,偶然,車で通りかかって,桜が満開なのに驚きました。しかし,この通りや付近には,ほとんど駐車場がなく,また,車が頻繁に行き来しているので,車を停めることができないので,桜を愛でることもなく通り過ぎてしまいました。
 そこで,今年は,事前に車を停める場所を調べておいて,そこに駐車して,名古屋市市政資料館を経由して歩いていきました。
 今年もまた,桜は美しく咲き誇っていましたが,天気もよく,暖かで,どうやら私が行った3月15日が最も美しいときだったようです。

 1961年(昭和36年)の春,「名古屋で1番早く咲く桜を植えていただきたい」という地元の希望がかない,16本の苗木が植えられました。今では,当時植えられた木で残っているのはわずか6本ということですが,その後に新たに植えられたものも含めて,現在では約140本の桜が並木道をつくり,今,桜の花が見ごろをむかえているわけです。
 ここに植えられている淡紅色の桜は,オオカンザクラ(大寒桜)です。
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 オオカンザクラは,バラ科サクラ属の落葉高木で,樹高は5メートルから10メートルあって,花は中輪,一重咲きで淡紅色。花は半開状で,下を向いて咲きます。開花時期は,ソメイヨシノ(染井吉野)より1週間ほど早く3月初旬に咲きはじめます。
 オオカンザクラは,カンヒザクラとヤマザクラ(山桜),またはカンヒザクラとオオシマザクラ(大島桜)の雑種といわれています。カンヒザクラは,バラ科サクラ属で,桜の原種のひとつです。樹高は5メートル程度です。花は小輪,一重咲きで濃紅紫色。また,釣り鐘状の花が特徴で,下向きに咲く花や,パッと大きく開かない花が多く見られます。開花時期は3月中旬です。カンヒザクラはヒカンザクラ(緋寒桜)ともいわれますが,ヒガンザクラ(彼岸桜)と区別するために,現在はカンヒザクラとよぶようになりました。
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 この通りの一部は,前回書いた「文化のみち」になっているので,「文化のみち」を歩いていると出会います。
 かなり知れ渡ったので,こんな春の日は,平日にもかかわらず,私のような老人がほとんどですが,すごい人混みになっていました。誰しも考えることは同じです。また,歩道の端には,絵を描いている人たちがたくさんいました。 
 この通りに沿って北に向かって歩いて行くと「白壁」の交差点があります。交差点の南西一帯は,名古屋で有名な女子校である金城学院高等学校があります。また,交差点の北西に少し行ったところに,金城学院中学校があります。
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 金城学院は,1889年(明治227年)にアメリカの長老教会,南長老ミッション宣教師ミセス・ランドルフ(Anne E. Randolph)が開校したもので,1921年(大正10年)に日本ではじめてセーラー服を採用した学校です。高等学校の構内にある栄光館講堂は国の登録有形文化財建造物に指定されています。
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 この日は,金城学院中学校の卒業式だったようで,卒業式を終えた生徒やその親がたくさん歩いていました。

 名古屋市市政資料館から出発した私は,「文化のみち」を散策する前に,この「オオカンザクラの並木道」まで行って,十分すぎるくらいの桜の景色を堪能したのちに,「文化のみち」を歩こうと思っていました。
 というわけで,「オオカンザクラの並木道」を北に「白壁」の交差点まで歩いて,そこで引き返し,このあとは,二葉館を通って,撞木館,旧豊田佐助邸,そして,旧春田鉄次郎邸へと向かうことになります。「オオカンザクラの並木道」から1筋入ってしまうと,それまでの喧騒はどこへやら,静寂の「町並み保存地区」になります。
 このことは,また,次回。

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 何もない,と揶揄される名古屋市内ですが,それでも,楽しめる一帯があります。というか,近年できました。それは,私が長年住んでいたところからさほど遠くないのに,これまでゆっくり歩いたことがない場所で「文化のみち」と名づけられた一帯です。
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 名古屋の近代化の歩みを伝える歴史的な遺産の宝庫ともいえる名古屋城から徳川園に至る地区一帯を「文化のみち」として育み,イベントの実施や貴重な建築遺産の保存・活用をすすめています。
  ・・・・・・
とホームページでは紹介しています。

 私が高校生のころは,今のようには整備されていなかったのが,近かったのになじみがない理由ですが,今考えてみると,自宅から私の通った高校までは,名古屋でも最も文化的水準の高いところだったのです。それがまあ,知らないというのは恐ろしいもので,毎日往復していたのにも関わらず,どこにも寄ったこともないわけで,非常にもったいないことをしました。
 近年になって,引っ越ししてしまってまったく縁もゆかりもなくなったのに,この辺りを通ってみたら,名古屋にもこんなところがあるんだと,すばらしく景観がよいのに驚いたのです。
 2021年に行われた第6期将棋叡王戦第3局,豊島将之叡王と藤井聡太当時2冠の対局が行われた料亭「か茂免」(かもめ)があるのも,また,この場所です。2022年の第7期将棋叡王戦第4局もここで行われる予定でしたが,第3局までで藤井聡太叡王が挑戦者の出口若武六段から防衛をしてしまったために行われず,祝賀会に変更になりました。
 そんなわけで,それ以来ずっと「文化のみち」が気になっていたのですが,特に今の時期は,早咲きの桜が満開なので,天気のよい3月15日に行ってみました。

  まず,名古屋市市政資料館から出発です。
 名古屋市市政資料館は名古屋市役所のやや東に位置します。レンガ造りの建物は,1922年(大正11年)に建てられたもので,ネオ・バロック様式,かつ,日本国内ではこの時代以後ほぼ造られなくなった最後の大規模なレンガ造りの建造物です。
 もともとは,名古屋控訴院,地方裁判所,区裁判所庁舎で,およそ60年もの間使用されていましたが,1979年(昭和54年)に移転のため使われなくなったのち,1989年(昭和64年)に名古屋市市政資料館として開館しました。現在は,市政関連資料の閲覧ができるほか,建物・市政・司法に関する展示がされています。私は,現役時代,ここで会議をしたことがあります。
 今回は中には入りませんでしたが,館内に入ると,まず,ゴージャスな大階段があります。2階から3階部分にかけては吹き抜けになって,ところどころ部材が大理石でできていて,その重厚感に圧倒されます。アーチ型の屋根,立ち並ぶツートーンの柱,左右対称の作りなどは,大聖堂のような荘厳さを感じることができます。この建物は「坂の上の雲」「華麗なる一族」「花より男子2」といったテレビドラマや,映画などでロケ地として使用されました。何もロケ地が水戸ばかりではなく,こんな身近なところにもあるのです
 名古屋市市政資料館の庭には,ソメイヨシノより早く咲くオオカンザクラが植わっていて,この時期満開になります。多くの人が散歩をしたり,写真を写していました。大通りからひとつ入っているので,知っている人だけの穴場的存在です。あまり,紹介もされていません。それがまた,いいのです。

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