私が今回の旅で隠岐諸島に来る前,松江市の観光をしたことはすでに書きましたが,松江市にゆかりのあるラフカディオ・ハーンは,1892年(明治25年),島前・中ノ島の菱浦湾の畔にあった岡崎旅館に滞在し,菱浦湾に「鏡浦」と名づけたといわれています。現在,岡崎旅館の跡地は「佐渡公園」(八雲広場)となっていて,ここに,ラフカディオ・ハーンと妻セツの銅像があります。
隠岐諸島を文明から隔絶された秘境だと考えていたラフカディオ・ハーンは,「知られぬ日本の面影」で「風景は島々に分け入るにしたがってますます美しくなった」と描写しています。
前回書いたように,中ノ島・海士町は都市部から出身地と異なる地方部に移住する「Iターン」の人口が多いのですが,ラフカディオ・ハーンもまた,先駆的な志願者だったのかもしれません。
さて,2023年8月27日。旅の6日目,隠岐諸島での最終日です。
この暑さ,さすがに疲れました。もはや,私には1週間の長旅はむりだなあ,と思い知らされました。この日は,予定では中ノ島にフェリーで渡り,午前中観光をすることにしていたのですが,その気がまったく失せてしまい,当初は,午後3時45分に西ノ島の別府港を出港して,本土の七類港に戻るするフェリー「おき」に乗る予定だったのを変更して,午前10時20分に西ノ島の別府港から出航する「しらしま」で,本土の境港に戻ることにしました。
今にして思えば,半日,再び中ノ島へ行って観光ができたのでもったいないことをしたようにも思うのですが,このときは,全くそんな気力がなくなっていました。それに,境港がどうなっているかを知りたくなったこともありました。
おき得のキャンペーンで,帰りのフェリーは無料でした。
フェリーに乗船して,何となく過ごしているうちに,境港に着きました。
境港はとても立派で,これなら,隠岐諸島に行くフェリーはすべて境港から出航すればいいのに,と思いました。隠岐諸島というのは,さまざまな歴史による事情からなのか,もう少し工夫すれば便利になるのに,今は,いろいろと不便なことが多いです。行けるものなら行ってみろ,みたいな感じです。
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境港といえば,ゲゲゲの鬼太郎で有名な水木しげるの出身地ですが,そこがどうなっているのか知らなかったので,興味がありました。しかし,残念なことに,境港にある水木しげる記念館は来年の4月まで休館なのでした。
境港の駅から松江駅までフェリーのシャトルバスがあるのですが,私は,JRに乗ってのんびりだらだら松江駅まで戻ることにして,まず,近くにあった回転寿司でお昼を食べました。高いだけでおいしくない寿司でした。
その後,観光案内所で地図をもらって,列車の発車時刻まで,境港駅前の水木しげるロードを歩こうと考えました。しかし,異常な猛暑で,まったくその気もなくなり,境港の駅ビルにあった鬼太郎妖怪倉庫とやらで過ごしたのち,境港駅から米子駅を経由して松江駅に戻りました。
その次の日,出雲の観光をしたことはすでに書きました。
これで,2023年夏の山陰地方への旅は終わりです。
それにしても,暑い夏でした。例年なら,とてもすごしやすい隠岐諸島での旅を満喫できたはずだったのに,これだけが残念でした。
「隠岐みやげ」と周りの人は揶揄するのですが,私は,この旅の疲れなのか,この夏の猛暑のせいなのか,はたまた,後鳥羽上皇と御醍醐天皇と文覚上人の祟りなのか,帰宅後,体調を崩してしまい,悲惨な9月を過ごすことになってしまいました。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは