しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

カテゴリ:九州旅行LIVE > LIVE・2025冬

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【Summary】
I concluded my trip to Tanegashima, returning via Kagoshima Airport to Centrair. Tanegashima Airport was peaceful, and I watched planes from the observation deck. On the way back, I saw Yakushima, Mageshima, Kaimondake, and Sakurajima. Though tranquil, Tanegashima has an ongoing Self-Defense Force base construction. With few inbound tourists, it was an enjoyable trip.

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2泊3日の種子島の旅もこれで終わりです。
帰りは,行きと反対に,日本コミューター午後6時種子島空港発,午後6時35分鹿児島空港着,そして,ソラシドエア午後8時45分鹿児島空港発,午後10時セントレア・中部国際空港着でした。しかし,遅れていて,鹿児島空港発が15分ほど遅れていました。
種子島空港は,以前行ったニュージーランドのクイーンズタウンの空港ととてもよく似ていました。プロペラ機のみが発着する空港は,どこもこんな感じです。こののどかさがたまりません。
空港に着く前,種子島宇宙センターから種子島空港に向う間,左手に屋久島がとてもきれいに見えました。山頂には雪がありました。また,途中に横峯遺跡という縄文時代の遺跡がありました。

やがて,種子島空港に到着して,レンタカーを返しました。係員がいなければ,車をロックして,カウンタにキーを返却すればいい,と言われていたのですが,まず,レンタカーの駐車場がどこにあるか戸惑いました。入口の左側の駐車場のはずなのですが,進入禁止とあったのです。この表示は正しくなく,レンタカーは侵入してもよかったのです。迷っていたら,レンタカー会社の人が来たので,助かりました。私の到着が早く,ちょうど,種子島に到着する便の前の時間だったので,係の人がいたようでした。
飛行機の離発着をみることができる展望台があったので,そこでしばらく飛行機を眺めていました。とはいえ,この空港は1日に4便ほどしかありません。待合室もあってないようなものでした。
やがて,搭乗時間になったので,乗りこみました。旅行者はそれほど多くなく,地元の人が利用するから,最終便の機内は空席がけっこうありました。

やがて,眼下に馬毛島が見えました。
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種子島の沖合おおよそ10キロキロメートルの地点にあ る無人島・馬毛島では,自衛隊基地の建設が進められ ています。この基地は,空母艦載機が東京・硫黄島で暫定実施 している訓練(FCLP=Field-Carrier Landing Practice) で使用されることを目的に建設されます。基地は通常は自衛隊が使用し,年に数回,在日米軍が訓練使用するというものです。
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ということで,この平和そうな種子島も,また,きな臭いところでした。そのために,種子島には自衛隊関係者が多く滞在しているということでした。
そのうちに,鹿児島の薩摩半島の開聞岳が見えてきて,そのあと,巨大な桜島が見えました。左手に座ったのがよかったのでしょう。

定刻に鹿児島空港に到着しました。ちょうど夕食時間だったので,何軒かある空港の食堂は混んでいました。適当に夕食を済ませて,あとは,ラウンジで過ごしました。
来る前は,何があるのだろう? と思っていた種子島でしたが,とてもたのしい3日間を過ごすことができました。なんといっても,インバウンド客が皆無だったのが最高でした。内緒にしておきたい穴場の離島でした。

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【Summary】
On the last day in Tanegashima, I joined a bus tour of the Tanegashima Space Center. Before that, I climbed Kāmoni-no-Mine, which offered a great view despite the steep path. The tour visited the Rocket Garage, the assembly building, and the launch site, where the H-IIA No. 50 was being prepared. It ended at the control center. Finally, I visited Takezaki Observatory, where the media covers rocket launches.

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1日目に種子島に来たとき,真っ先に向かったのが種子島宇宙センターでした。しかし,バスツアーがあることを知らず,参加し損ねました。そこで,最終日にバスツアーに参加しようと,午後1時出発のものを予約してありました。バスツアーに参加すると,一般には見ることができないロケットの打ち上げ場や総合管制棟を見学することができるということでした。
午前11時30分ごろに到着したので,まず,1日と同じように,食堂に行って,昼食をとりました。しかし,後で考えれば,ここで昼食をとらずとも,南種子町の「食堂・美の吉」で昼食をとれば,インギー鶏を食べることができたのでした。残念なことをしました。

昼食を終えて,宇宙科学技術館はすでに見たので,バスツアーの集合時間まで,カーモリの峯という,種子島宇宙センターを一望できる小高い山に登ってみました。カーモリの峯は,宇宙科学技術館前が登り口となっていました。
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標高75メートルカーモリの峯展望台からは,全長32.57メートル,重量90.38トン、直径2.44メートルのN-1ロケットの実物大模型をはじめ,遠くには点在する小島も見え絶景です。
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ということで,難なく登れるように書いてありましたが,実際はかなり険しく,大変でした。
しかし,登りきった展望台からは,象の水飲み岩という名前のついた岩もよく見えました。また,その向こうには,雪を被った屋久島が展望できました。

カーモリの峯から戻って,ロビーで時間まで待ちました。
バスツアーの参加者は,私のほかには,老夫婦が1組と男性3人でした。あとでツアーのガイドをしている女性が教えてくれたことには,この男性3人のグループのうちのひとりが,元管制官ということで,その人が知人を連れてやって来たようでした。
バスツアーは,まず,ロケットガレージに行きました。ここには,打ち上げられなかったHⅡロケットが展示されていて,ここだけは写真撮影可ということでした。そのあと,ゲートをくぐって,大型ロケット組立棟を経て,大型ロケット発射場へと向かいました。
現在,ロケットはHⅡAロケットの最後となる50号機の組み立て準備がはじまるところということで,普段は閉まっている大型ロケット組立棟の扉が開いていました。そして,HⅡAロケット50号機の機体が愛知県から運び込まれているところでした。HⅡAロケット50号機は,温室効果ガス,水循環観測技術衛星「GOSAT-GW」を打ち上げ予定ということです。
最後に,総合管制棟を見学して,バスツアーが終わりました。楽しい時間でした。
最後に,ロケットの打ち上げのとき,報道は,竹崎展望台から取材をするそうです。ここの屋上が開放されているというので行ってみました。ここからの景色が,まさに,ロケットの打ち上げ時に見られるものでした。

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【Summary】
My main goal that day was to join a guided tour of the Tanegashima Space Center at 1:00 PM. Before that, I visited the Hirota Site, a burial site from the late Yayoi to the 7th century, known for over 44,000 shell ornaments. Excavations revealed that the Hirota people were shorter than Yayoi people from northern Kyushu and had unique customs like tooth extraction and flattened skulls. The Hirota Site Museum opened in 2015, displaying artifacts and excavation sites. The connection between the Hirota people and Jomon people remains a mystery.

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この日の私の最大の目的は,午後1時からはじまる種子島宇宙センターのガイドツアーに参加することでした。それまで時間があったので,種子島宇宙センターの近く,太平洋に面した海岸砂丘上に広田遺跡(ひろたいせき)があったので,寄ってみることにしました。
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広田遺跡は,弥生時代後期から7世紀にかけての墓地遺跡で,国の史跡となっています。
1957年(昭和32年)から1959年(昭和34年)にかけて,盛園尚孝,国分直一,金関丈夫によって発掘調査が行われ,90基の埋葬遺構から157体の人骨,44,000点以上の貝製品が出土しました。特に「貝符」「竜佩形貝製垂飾」などの貝製品の出土で知られます。
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遺跡の隣接地に,2015年(平成27年)に「広田遺跡ミュージアム」が開館しました。立派な建物で,日広田遺跡から出土した資料などが展示されていました。また,遺跡公園として,発掘跡を見て回ることができました。

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弥生時代後期から古墳時代の種子島は,日本本土と異なり,古墳や墳丘墓などはつくらず,海岸の砂丘に墓地をつくっていたようです。埋葬された人骨を調べた結果,広田人は,身長が成人男性で平均約154センチメートル,女性で平均約143センチメートルしかなく,同じころの北部九州の弥生人と比べても10センチメートルほど身長が低い人々であることがわかりました。
また,上顎の側切歯を1本だけ抜歯したり,後頭部を扁平にしたりする特異な習俗をもつことがわかりました。
また,これらの人骨は、奄美・沖縄諸島でとれる貝を素材とした貝輪や玉,幾何学文が彫刻された貝符や,竜佩形貝垂飾など総数44,242点にも及ぶ豊富で多彩な貝製の装身具を身につけていました。
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種子島には,縄文時代の遺跡も数多くあり,古くから,この地に人が住んでいたことがわかります。そうした縄文人と,この広田人のつながりはどうだったのでしょうか?
私は,これまで,日本各地のこうした遺跡を訪れているのですが,いつも,不思議な気がします。

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【Summary】
I visited Nakatanegashima Town to see Japan’s largest cycad and the Furuichi Residence. The cycad, over 600 years old, stands in Sakai Toyouke Shrine. Nearby is the Hyōshi Stone, linked to Nichirō Shōnin’s missionary work. The Furuichi Residence, built in 1846, is the oldest house on Tanegashima. A staff member guided me inside, where many hina dolls were displayed.

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昨日時間がなくて行くことができなったのが中種子町にある日本一の大ソテツと古市家住宅だったので,この日は,西之表市から国道58号線を南下して,中種子町に行きました。中種子町の「歴史の里坂井公園」に広い駐車場がありました。そこに車を停めれば両方とも歩いていくことができます。ここもまた,私以外に車の1台もありませんでした。本当に観光客のいない島です。
日本一の大ソテツは,駐車場から歩いて1分ほどの神社の中にありました。調べてみると,この神社は,坂井神社とあったり,豊受神社とあったりしました。また,坂井豊受神社とかかれたものもありました。
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中種子町坂井本村に鎮座する坂井豊受神社の祭神は豊受大神です。
1477年(文明9年)坂井の地頭が12代・種子島忠時に請願して,浄光寺境内に社殿を設け,五穀の神・豊受大神を祀っています。その後,1869年(明治2年)の廃仏毀釈により浄光寺廃寺となり,社殿も改築し現在に至っています。
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とあるので,坂井という場所にある豊受大神を祀った神社なのでしょう。
境内には樹齢600年以上といわれる日本一の大ソテツがありました。雌株のソテツで樹高8メートル,樹長12メートル、根回りは2メートル以上あって,幹から何本もの枝がわかれ,その重さで折れないように鉄柱で支えられていました。

神社の前の広場にあったのが,日良法印御墓所跡でした。日良上人は,日典上人の遺志を継いで種子島をはじめ屋久島,口永良部島の3島を律宗から法華宗に改宗した人でした。
また,その隣に矢止石がありました。
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日典上人の遺業を継ぐために来島した法弟・日良上人は,領主・種子島時氏以下全島民を法華宗に改宗せしめました。しかし,邑主・坂井左京之進は律宗に確執し,日良上人に敵意を懐き,遠矢を以て上人を射殺しようとしましたが,遠矢は巨石に当って一矢も上人に当たらりませんでした。
ついに,日良上人の功力に心服して,一族挙げて法華宗に信順するようになりました。
浄光寺の門前に矢止石と称して之を保存します。
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と碑文にありました。

古市家住宅は,散策道を小川に沿って3分ほど歩いたところにありました。古市家住宅は種子島で最古の住宅です。
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古市家住宅は,建物に残されていた棟札から1846年(弘化3年)に建てられたものです。この家を建てた古市源助は,坂井村で庄屋や横目といった重要な役職を努めた郷士でした。
建物は座敷部と土間部からなり,平面はL字型をしています。
簡素によくまとまった中規模な住宅で,種子島を代表する民家建築といえるでしょう。
平成13年,14年にかけての解体修理工事で創建当時の姿に復元されました。
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入口に管理をしている人の小屋があって,係の人が出てきて,案内をしてくれました。家の中には,多くのひな人形が飾られていました。

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【Summmary】
Hongenji, founded in 1469 by Tanegashima Toki’ura, was the Tanegashima clan’s temple. Nearby is the clan’s second cemetery, Gohaito, where several lords are buried. The first cemetery, Gobou Cemetery, lies north of Nishinoomote. The Tanegashima clan ruled the island, introduced firearms in 1543, and later served as Satsuma retainers. The family continued as barons in the Meiji era.

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種子島を治めていたのは種子島家でした。種子島家の居城は赤尾木城で,現在の西之表市榕城小学校の校庭にありました。鎌倉時代以来種子島を領し,江戸時代には薩摩藩主・島津家の家老家として続き,維新後には士族,後に華族の男爵家に列しました。

西之表市街地までもどって来ました。
西之表市役所近く栖林神社の東側に本源寺があります。ここは昨日来ました。
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本源寺は,1469年(文明元年)に11代・種子島時氏が建立した古刹で,それまで律宗だったのを法華宗に改め,種子島家の菩提寺として建立されました。当時の本源寺は現在の広さの約10倍はあったとされています。
明治初期の廃仏毀釈で取り壊されましたが,1883年(明治16年)に再興され現在に至ります。
山門の右側に大きな鐘があり,毎日,朝夕6時に鐘を鳴らしているそうです。
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本源寺のとなりに種子島家の墓地「御拝塔」( おはーとう)があるということだったのですが,場所がわからず,昨日は行くことができなったので,昨晩調べなおして,行き方を確認し,再び挑戦です。見落としていた階段があったのです。
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11代・種子島時氏が本源寺を建て菩提寺としてから,その隣接地を種子島家代々の2番目の墓所と定めました。ここには,12代・種子島忠時,14代・種子島時尭,16代種子島久時,18代・種子島久時,19代・種子島久基,松寿院,永俊尼などの墓碑があります。
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永俊尼は,1575年(天正3年)に生まれ,75歳まで生きた島津忠清の妻でした。最初の夫は小西行長だったという説があります。1609年(慶長14年)に夫・島津忠清と共に家族で鹿児島に脱出し,娘が島津家久の側室となり,虎寿丸(後の島津光久)を産んだことで地位が向上し,島津忠清の死後は出家して永俊尼と号しました。1633年(寛永10年)に隠れキリシタンであることが発覚し捕縛され,2年後に種子島に蟄居・閉門となり,その地で病死しました。
なお,種子島家墓地は「御拝塔」だけでなく,もうひとつ,御坊墓地( おぼうぼち)があることを帰宅してから知りました。
調べてみると,御坊墓地は,西之表市市街の北にありました。これが種子島家の最初の墓地でした。初代から数代の墓は不明であったため,松寿院が初代から4代までを1基にまとめて法号を刻み詣り墓としました。ここには,16代・種子島久時,14代・種子島時尭の墓などもあるようです。

ここで,種子島家について紹介しておきます。
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家譜では,鎌倉時代初期,平清盛の孫・平行盛の遺児が北条時政の養子となり北条時信と名乗って種子島に入ったのが初代・平信基,ということですが,実際は,5代・平時基以前ははっきりしません。
鎌倉幕府滅亡後は国人として島を支配し,6代・種子島時充から「多禰嶋(種子島)」を称するようになりました。
1408年(応永15年)8代・種子島清時は屋久島も支配するようになりました。
1543年(天文12年)14代・種子島時堯の代に鉄砲が伝来し,豊富な砂鉄をもとに国産化に成功しました。
16代・種子島久時は島津家に臣従し,1595年(文禄4年)に所替えで一旦は薩摩国知覧に移封され,薩摩藩の家老に任命され,知覧から旧領の種子島に移封されましたが,屋久島は島津氏の直轄地のままでした。種子島久時の娘は島津家家老・伊勢貞昌の子・伊勢貞豊に嫁いで島津光久正室・曹源院を生み,それ以降,島津家当主は種子島家の血を引いていることになります。
23代・種子島久道は早世し,正室・御隣の方(島津斉宣の娘・松寿院)との間に男子後継者を欠いたので,取りつぶしの危機となりましたが,御隣の方は養嗣子の要請を行うと共に実質的な種子島氏当主となり政務を執り行いました。
後,ようやく島津斉宣の12男が養子となり24代・種子島久珍となりましたが,これにより種子島氏嫡流の男系血統は断絶しました。
25代・種子島久尚の代に明治維新を迎え,士族となり,27代・種子島守時は男爵に叙されました。
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【Summary】
In the Kamakura period (late 12th–early 13th century), Taira Nobumoto, the ruler of Tanegashima, brought a salt-making group led by Kai Tarō, Kai Jirō, and Kai Saburō. They introduced Kamakura-style salt production using "Ajiro-kama" pans, which spread across the island. Ōsaki Salt Shrine, deeply connected to the island’s rulers, was the only shrine permitted to use the Mitsu-uroko crest. Salt production continued until 1905, when the salt monopoly system was enacted.

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2025年2月20日木曜日。旅の3日目,最終日です。
一昨日,昨日と2日間にわたって,種子島のほとんどの見どころをまわることができました。
おそらく,きちんと計画を立てておけば,1泊2日で種子島の観光はできるものと思われました。しかし,出たとこ勝負の私は,ガイドブックを持っていても事前に調べることもなく,失敗したり漏れていたりすることが少なくなかったので,結果的にもう1日あってよかったということになりました。
そんなわけで,2日目の夜に,これまで行くことができなかったところを調べ直してみました。そして,3日目は,そうした場所に行くことにしました。

まずは大崎です。
種子島に大崎という地名は,少なくともふたつあります。そのひとつはロケットの打ち上げ基地のあるところで,ネットで調べると,こちらのほうが表示されます。そして,もうひとつが,私が2日目に行くことができなかった西之表市上西の大崎です。
昨日は,県道581号線のどこに海岸に行く道があるのかわからず,素通りしてしまいました。
朝食を終えて,宿泊先であった「SADALWOOD」をチェックアウトしました。ここは長期滞在をしたいほどすばらしいところでした。
「SADALWOOD」は南種子にあるので,これから向かう大崎までは1時間ほど,つまり,島の最も南から最も北まで北上することになります。昨日とは違い天気がとてもよく,右手に昇る朝日を眺めながら国道58号線を延々と北上して,寄り道することもなく,西之表市街まで来ました。市街地に入ると,ちょうど通勤・通学時間で,人の少ない種子島とは思えないほど街中は込み合っていて,非日常を楽しんでいる私に日常が舞い戻ったかのようでした。

街中をぬけると,国道58号線は県道581号線となります。そして,昨晩調べておいたように,左手に大崎の集落に向かう狭い道路がありました。
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大崎は大隈海峡に面し,海岸沿いにある地域です。
海岸線は砂浜はありませんが,適当な岩などがあり,磯遊びもできます。
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ということで,大崎の先端が板敷鼻という夕日のベストスポットでした。
ごつごつした岩場のなかにある切り立った平らな大岩があって,釣り客に人気のところだそうです。この日は昨日とは違い,風もなく,すばらしい天気だったのが幸いでした。
近くには大崎塩屋神社があるのですが,どこなのかわかりません。板敷鼻からの帰路,どこなのかな? と走っていると,左手に小さな神社がありました。それが大崎塩屋神社でした。
由来記には
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建仁年間,鎌倉在中の平信基が島主として種子島入りしたとき,貝太郎,貝次郎,貝三郎を名乗る製塩集団を伴って来ました。これにより,島ではじめて鎌倉伝の網代釜による製塩がはじまり,ここ大崎から島内20塩屋浦を数えるまでに発展しました。
塩屋は天照を主神に,陪神に塩土翁,眷族神に貝太郎等を祀る浦も多く,中でも大崎は島主家との縁由が深く, 社殿は三鱗紋の軒瓦を許された唯一の塩屋でした。
製塩は明治38年,塩専売制施行まで続いた。
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とありました。

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Worm Moon 2025.

2025年3月14日午後6時6分,月食終了直前?の満月の出。
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【Summary】
I traveled from the northernmost point of Tanegashima along the west coast to Minamitane. In Nishinoomote, I visited Getsusoutei, Hongenji, and the nearby "Gohaito" tombs of past lords. Getsusoutei was under renovation. I struggled to find Gohaito but located it the next day. Continuing on Route 58, I saw the Gajumaru windbreak, the Ouryu and Meryu Rocks, and Yakushima in the distance. In Nakatane, I visited a history museum, learning about local culture and the anime 5 Centimeters per Second. After returning to my inn, I relaxed in a hot spring and enjoyed shochu "Nansen" on the rocks.

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種子島の最北端まで行き,西海岸沿いに南種子まで戻っています。
西之表市街地では,他の見どころとして,月窓亭,本源寺,そして,それに隣接して「御拝塔」という歴代藩主の墓がありました。
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月窓亭は,種子島家の家老羽生道潔が1795年(寛政7年)に建てたものです。 庭の中心にあるイヌマキの大樹の下にこの家の構築物と考えられる石組が認められ,このイヌマキも樹齢約200年程度と思われます。羽生道潔の孫・羽生慎翁は東京へ移り住みました。
明治になって,旧家臣たちは27代種子島守時を種子島へ迎え入れる際,この屋敷を定めました。以来,平成12年まで種子島家住宅として使用されてきました。
現在は,西之表市が購入し,保存・保護・活用しています。
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武家集落の景観を今に伝える貴重な住宅ということですが,しかし,現在,月窓亭は大規模改修中ということで,閉館していました。
また,私は,旅先では,江戸時代,その地を治めた藩主の菩提寺を訪ねることで,その地の文化の土台を探るのを楽しみにしているので,今回も行ってみようと思いました。
しかし,本源寺は見つかったのですが,「御拝塔」の場所がよくわかりません。このあたりだということは見当がつくのですが,そこに至る道がないのです。ということで,断念しました。翌日,調べなおして行くことができたので,本源寺を含めて,そのことは後日書くことにします。
そんなわけで,これで,西之表市街地を後にしました。

西之表市街地から南種子までは国道58号線となります。海岸沿いは美しい景観がずっと続いていましたが,この日は異常に風が強く,高い波が岩に打ちつけていました。
途中,住吉という町に,ガジュマル防潮林というものがあったので,寄り道してみました。
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ガジュマル防潮林は,住吉港の堤防沿いに植えられていて,江戸時代に琉球から移植されたものだといいます。南の島では妖精がすみついていわれるガジュマルは,幹から発生した気根が幾重にも垂れ下がり独特な姿を見せまする。住吉では,砂や波しぶきを防ぐ防潮林として利用され,集落と平行して壁のように並んでたっています。
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という異様な姿を見ることができました。

その先しばらく走っていくと,海岸に雄龍・雌龍の岩がありました。海に向かって左側が雌龍,右側が雄龍岩とよばれている夫婦岩です。
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昔,現在星原小学校のある崖の地に,達五郎と達江という仲のよい働き者の夫婦が住んでいました。
ある嵐の夜,崖崩れに遭い,家もろとも海に投げ出されてしまいました。ふたりを見かける事なく数か月すぎたころ,その場所に突然大きな岩が仲良く寄り添うように立っていました。
人々はふたりの生まれ変わりであるとして,雄龍岩・雌龍岩とよぶようになったといわれます。
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ここは,ふたつの岩の間に沈む夕日が水面に反射し圧巻の景色を楽しめる場所だそうです。
遠くにかすんで見えた島影が屋久島でした。

ここから国道58号線は内陸部に入っていきます。
途中の中種子町に歴史民俗資料館がありました。中に入ると,学芸員の人がそれは詳しく説明をしてくれました。また,この場所は「秒速5センチメートル」というアニメの聖地なのだそうです。
予定以上の時間をここで費やし,午後5時ごろに宿泊先の「SANDALWOOD」に戻ってきました。夕食前に,近くの河内保養センターに行って,温泉を楽しみました。
この日の夕食,お供は焼酎「南泉」をロックでいただきました。

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【Summary】
While searching for a restaurant with parking, I stumbled upon "KOJIYA CAFETERACE SEAPORT," which turned out to be a highly recommended spot. After lunch, I visited the grave of Wakasa, said to be Japan’s first woman to marry a Westerner, aiding in the domestic production of firearms. Her story, like that of Saito Kichi in Shimoda, reflects the tragic fate of women in history.

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ちょうどお昼になったので,何か食べようと思いました。しかし,駐車場がある食堂がなかなか見つかりません。古民家を改装した「KOJIYA CAFETERACE SEAPORT」というよさげなところがあったのですが,車を停められないようだったのであきらめて,他にないかと,あてもなく車を走らせていました。
海岸に沿った道路を走っていると,駐車場がありました。この駐車場は「KOJIYA CAFETERACE SEAPORT」の裏口に面していて,この駐車場こそが「KOJIYA CAFETERACE SEAPORT」の駐車場だったのです。さっそく車を停めて,店内に入りました。
ランチを注文しました。思ったよりも時間がかかったのですが,おそらく,これがこの島の時間のペースなのでしょう。料理が運ばれてくるまで,私が持っていた「地球の歩き方・島旅」を読んでいると,何と,この店は,この本でイチ押しの「のんびり島カフェ」として掲載されたところだったのです。私が2泊する「SANDAL WOOD」もまた,この本でイチ押しの「種子島おすすめホテル」のひとつでした。
私は,これまで,こうしたイチ押しのところで食事をしたり泊まったりすることは多くなく,また,事前に調べないのですが,これにはびっくりしました。いい選択でした。というか,この島には,あまり多くの食堂や宿泊先がないのかもしれません。

食事を終えて,次にどこに行こうか考えました。
そこで,ぜひ行ってみたくなったのがわかさ姫の墓地でした。
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1527年(大永7年)に生まれた若狭(わかさ)は,種子島の刀鍛冶・八板金兵衛清定(やいたきんべいきよさだ)の娘でした。1543年(天文12年)の鉄砲伝来の際,ポルトガル人に嫁いで八板金兵衛清定の鉄砲国産化に寄与したという伝承があります。
  ・・・・・・  
「八板家系図」に「女子若狭大永7年4月15日生。母は楢原氏の娘。天文12年8月牟良叔舎(フランシスコ)に嫁ぎ蛮国に至る。(中略)天文13年蛮船に駕し来り父子相見る。数日して若狭大病にて死亡たると詐り,棺槨を当てて殯葬す。蛮人これを見て涙を流さず」とあって,この記録が史実であれば,日本人と西欧人の結婚としては日本初のものであるといいます。
14代当主・種子島時尭(ときたか)は,刀鍛冶の八板金兵衛清定に鉄砲製作を命じましたが,ねじの技術が最大の難関となりました。当時の日本にはネジの概念がなかったのです。苦悩する父のために、娘の若狭はネジの秘密と引き換えに南蛮人に嫁いだとされます。
  ・・・・・・
月も日も日本の方ぞなつかしや わが双親のあると思えば
  若狭
  ・・・・・・
わかさの墓とされる石の付近に「若狭忠孝碑」という小説家・海音寺潮五郎の歌碑が建っていました。
  ・・・・・・
あはれこゝ若狭の墓か白砂の もろく崩るゝ海のべの丘
   海音寺潮五郎
  ・・・・・・
先日行った伊豆半島・下田には,幕末開国後,外国人ハリスにかしずいた最初の日本人女性として喧伝され,後年「唐人お吉」の異名でよばれた斎藤きちという女性がいました。
どこまでが真実で,何が創作なのかわからねど,歴史の舞台には,いつもこうした悲劇の女性がいるのです。悲しくなります。

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【Summary】
In Nishinoomote City, navigating the narrow roads and finding parking was challenging. The first stop was the "Teppo-kan" museum, which showcases the history, culture, and nature of Tanegashima, including firearms and the extinct Ushiuma horse. Ushiuma, introduced in the 16th century, thrived on the island but went extinct in 1946.

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西之表(にしのおもて)市街地に入りました。よくある離島の港町でしたが,道路が狭く,坂が多く,車を停めるところもよくわらず,ずいぶん戸惑いました。
  ・・・・・・
西之表市は, かつて日本最南端の士族である種子島家の城下町として栄えました。現在は熊毛支庁や国の出先機関が置かれ,種子島および熊毛地区の政治・経済の中心を担っています。
  ・・・・・・
はじめての場所を旅して最も困るのは,こうした町に来たときです。車から降りて30分も徘徊すればわかってくるのですが,そもそも,この町では,そのためにどこに車を停めたらいいかがよくわかりません。駐車できる場所がなかなかないのです。困っていたら,市役所の駐車場があったので停めました。
普通,観光地には,有料,無料かはそれぞれですが,ともかく,車で来る観光客のために広い駐車場と大きな案内標示があるのですが,種子島は車でなければ観光できないのに,車で観光に来る人のための案内標示が皆無なのが不思議でした。逆にいえば,どこに停めてもいいよ,ということなのかもしれません。


はじめに行ってみようと思ったのは「鉄砲館」でした。ともかく,市役所に入って,職員の人に聞いてみると,「鉄砲館」は市役所の近く,ということでした。「鉄砲館」には駐車スペースがあったので,そこに車を移動して停めました。
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種子島開発総合センター「鉄砲館」は,西之表市にある博物館で,1983年(昭和58年)に開館しました。南蛮船をイメージした独特な外観が特徴的で,種子島の歴史,文化,自然を幅広く紹介しています。
特に,1543年に種子島に伝わったポルトガル銃や国産第1号銃をはじめ,国内外の古式銃約100点が展示されていて,鉄砲伝来の歴史を深く知ることができます。
また,種子島の文化や民俗を紹介するジオラマもあり,訪れるだけで島の全てを理解することができるでしょう。
  ・・・・・・
ということで,鉄砲だけでなく,種子島のことがよくわかりました。

私が,鉄砲以外の展示で興味をもったのがウシシマの像でした。
  ・・・・・・
ウシウマは、種子島などで飼育されていた日本在来馬の一品種でしたが,絶滅しました。
全高は1メートルほどで,全長は約1.5メートル。耳介が長く,たてがみや尾に長毛を欠みます。細く縮れた下毛のみが生えていましたが,夏にはほとんど無毛となりました。
1598年(慶長3年)慶長の役で明軍が使役していたものを島津義弘が朝鮮半島から10頭持ち帰ったのがはじまりともされます。1683年(天和3年)に島津光久が種子島久時に3頭与え,より気候が温暖な種子島で芦野牧を開設して繁殖が試みられたのが奏し,明治を迎えるころには約60頭まで増加しました。しかし,1869年(明治元年)に芦野牧が廃止されると頭数が急減し,太平洋戦争による食糧難や管理の不徹底により,1946年(昭和21年)絶滅しました。
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【Summary】
On the second day of the trip to Tanegashima, I reached the northernmost point around 11 AM after departing at 7 AM, stopping at various spots along the way. I then traveled back along the less touristy west coast, aiming to visit the nearby Kawachi Onsen Center before dinner. I first visited Urata Beach, one of Japan’s top 88 beaches, with a beautiful white sand shoreline. Continuing south on Route 581, I passed through Nishinoomote City but missed Itadakibana Cape. Along the coast, I noticed the variety of Japanese terms for capes, such as "misaki," "saki," and "hana," each with subtle distinctions, though all translate to "cape" in English.

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種子島の旅2日目にして,最北端に到達しました。午前7時過ぎに宿泊先を出て,午前11時ころのことでした。途中,様々なところに寄ったので,4時間ほどかかりました。このあとは,種子島の西海岸に沿って戻ります。
観光案内地図によれば,西海岸は比較的見どころが少ないようなので,午後3時ころには宿泊先に戻れるかな,と思いました。実は,今日のもうひとつの目的は,夕食前に,宿泊先の近くにある河内温泉センターに行くことだったのです。

さて,まず見つけたのが浦田海水浴場でした。ここは,日本の海水浴場88選のひとつということでした。種子島は,岩場も多いけれど,砂浜も多く,また,静かな入り江もあれば,サーフィンができる波の高いところもある,というように,ハワイなんかに負けないほど魅力のある海岸が続いているのです。
変な形の建物が見えてきました。これは,管理棟,シャワー,トイレ,展望デッキ,休憩所など機能的で使いやすい施設を完備した総合案内所「シーサイドハウス」ということでした。
広い駐車場がって,車が1台だけ停まっていました。シーズンオフで海水浴場は閉鎖されているのにもかかわらず,海で泳いでいるようでした。いくら種子島といえど,今は泳ぐ季節ではありません。どこへ行っても,世の中にはいろんな人がいるものだなあ,と思います。
「入り江の奥にできた砂丘の白い砂浜がまぶしいほど美しい」といわれる海水浴場は,実際,すばらしい景色でした。

この先,県道581号線を南下していくと,種子島で最も大きな町である西之表市の市街地に着きますが,その手前に鼻のように突き出た板敷鼻という岬があるので,寄ってみようと思っていました。しかし,そこへ行く道がわからず,通り過ぎてしまいました。
やがて,大きな港が見えてきました。ここがどうやら西之表港のようでした。

ここからは余談です。
こうして海岸線を旅していると,海に突き出た場所の地名として,日本語では,岬,崎,埼,碕,角,鼻といったさまざまな表現があって,私は戸惑います。青森県では龍飛崎,大間崎というように崎が使われていました。また,隠岐諸島では,弁天鼻,長尾鼻,高崎鼻といように鼻がとても多く感じました。同じ場所でも地図と海図で表記が異なることがあるそうです(野島崎と野島埼など)。
調べてみると
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●「岬」の原義は山に挟まれた谷の意味で「峡」と同義だったものが海側へ突出した陸地を指すようになったということです。「岬」は日本での用法で中国語では「角」となります。
●「崎」は山脚が海に突出した地形という意味です。
●「埼」や「碕」は突端部の地質に応じて区別されているそうです。
また,海図では「岬」の先端を「埼」,集落名や岬名は「崎」と区別しているそうです。
●「鼻」は「埼」や「碕」と同じく「岬」よりも小規模な地形につけられています。
  ・・・・・・
というように,わかったようなわからないような感じで,いかにも日本らしい話です。
いずれにしても,英語では通常,すべて「cape」です。

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【Summary】
On Tanegashima, I discovered a sign for a Hego (Cyathea spinulosa) colony near the island’s northernmost point. Venturing in, I found a primeval-looking forest. Later, I reached Kishigazaki Lighthouse, overlooking the Osumi Strait, an international shipping route. From the viewpoint, I saw the Osumi Peninsula, home to the Uchinoura Space Center, where rocket launches can sometimes be observed.

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何ともはや,種子島というのはすごいところでした。
最北端の地まであとわずか,というところで見つけたのがヘゴ自生群落という標示でした。ヘゴとは何か? さっぱりわからねど,寄り道してみることにしました。
すれ違いができるほどの幅はないけれど,道路は舗装されていたので,行けるところまで行ってみようと車を走らせていくと,次第に,太古の昔に戻ったかのような風景となりました。とはいえ,私は,太古の昔に行ったことはないので,あくまで想像ですが。
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ヘゴ(Cyathea spinulosa)とは,ヘゴ科ヘゴ属の常緑性大形の木生シダです。奥山に生え,湿度の高い林中を好む,茎の高さが2メートルから5メートルで,基部の直径が50センチメートルに達する異様な植物です。
紀伊半島南部や八丈島を北限とし,四国,九州南部,屋久島より南でよくみかけられます。
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西之表市にあるヘゴ自生群落は,小川の流域約1キロメートルに自生する大群落ということでした。

さて,いよいよ,種子島北端の喜志鹿崎(きしがざき)灯台が見えてきました。駐車場に車を停めて,展望台まで行ってみました。ここもまた,他に車の1台もなく,最果て感満載でした。
種子島の北端にある喜志鹿崎には灯台があります。喜志鹿崎と本土最南端にある佐多岬との海域は大隅海峡と呼ばれ国際海峡に指定されていて,各国の船が自由に航行できる海域になっており、喜志鹿崎の灯台と佐多岬は島の位置と船の位置を把握するための重要な目標となります。
この日は幸い非常に天気がよく,展望所からは,大隅半島を見ることができました。大隅半島には内之浦宇宙観測所があって,ロケットが打ち上げられるときは確認することができるそうです。

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【Summary】
Tenjogakura-yama in northern Tanegashima is a 238-meter-high mountain with a panoramic observatory, a shrine, and a cave linked to local legends. It is accessible via Prefectural Routes 75 or 591. The observatory offers a 360-degree view, and the area is used for camping and paragliding. Tanegashima is ideal for stargazing, though its clear weather is not frequent. Nearby, the Kashimia-maru Monument commemorates the 1885 rescue of American sailors, leading to a $5,000 donation from the U.S. Congress for local education.

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種子島の北の部分には小高い天女ヶ倉(あまめがくら)山があります。標高238メートルで,山中には天女ヶ倉神社と「天女隠れの岩」とよばれる岩屋があるそうです。
地図で見ると,どこから行くのかな? と思ったのですが,安納という町で左に折れる県道75号線をそのまま進んで右手に折れるか,県道75号線と別れを告げて,そのまま島の最北端にすすむ県道591号線を少し行ったところで左折するか、そのどちらでも,結局は山頂に至るようでした。
私は県道75号線を進んで右折しましたが,あっというまに山頂に着きました。

天女ヶ倉山の展望台には駐車場がありました。駐車場右側の階段を上ると,方角の記された展望台があって360度のパノラマを見ることができました。また,駐車場左側はキャンプや、ピクニックが出来る場所や景色を見渡せる整地された場所があり,更に,その先の芝生の丘はハングライダーやパラグライダーの離着陸にも利用されているようです。
きっと,晴れた日の夜には絶景の星空が広がるように思いましたが,この場所に限らず,種子島にはいたるところに星見に最適な場所があって,私は,日ごろ,星を見る場所を探していたのがばからしく思えました。ただし,種子島は晴天率がそれほど高くなさそうです。
また、安納林道方面から天女ヶ倉に着く手前には、天女ヶ倉神社がありました。天狗が種子島の南まで大きな石を運ぶ途中に休憩していて,石を背負っていた縄が切れてしまい,そのまま置いて行ったとされる石が祀られています。

西之表市に入ると,まずあったのが「カシミア号乗組員漂着碑」でした。
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1885年(明治18年)9月20日,アメリカ商船カシミア号が暴風雨のために遭難し,漂着しました。発見した古田貞吉は船員5人を介抱しました。帰国後,この出来事がアメリカ議会に知らされ,5,000ドルが贈与されました。贈与金は教育の振興に充てられたということです。
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【Summary】
While traveling along Prefectural Route 75 on Tanegashima’s east coast, I encountered the "Akou Arch," a unique tunnel-like formation of banyan trees. Further along, I reached Kanehama Beach, known for its iron-rich sand and as a surfing hotspot. It was also the setting for Life on the Longboard 2nd Wave (2019), a film about a skilled but troubled surfer seeking a fresh start on Tanegashima.

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この先は種子島の北の部分となります。種子島は,北の部分が西之表市で,市街地は西海岸にあります。中央部分が中種子町で,ここは種子島でもウエストが締まったところになり,市街地は内陸部の中央にあります。そして,南の部分が南種子町で,ここもまた,市街地は内陸部の中央にアあります。
引き続き,県道75号線を東の海岸沿いに走っていくと,安城という愛知県にも同じ名前のある町の集落になりました。そこにアコウのアーチという標示が目に入ったので右折すると,道路の上をまるでトンネルのように成長した珍しいアコウの木続いていて,アーチの下を通ることができました。
  ・・・・・・
アコウ(榕,赤榕,雀榕)とは,紀伊半島、四国、九州及び沖縄の沿海部に見られるイチジクの仲間で,幹を伝うヒゲのような気根や露出した根が入り乱れる姿が特徴的で,赤い小さな果実を「赤子(和歌山や高知の方言でアコ)」に見立ててアコウとよばれます。
葉は楕円形で分厚く,表面には光沢があり,葉脈が目立ちます。長めの葉柄を含めた葉全体の長さは8センチメートルから20センチメートル,幅8センチメートルほどで,ガジュマルに似ていますが大きく,葉柄も長いものです。
  ・・・・・・
大きなアコウがアーチとなっていて,奇妙な風景でした。 昔,このアコウは台風によって倒されて,そのまま幹部分から根が出てきて今の形になったものと推測されるということです。

そこからさらに海岸に向かうと,鉄浜(かねはま)海岸に出ました。
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西之表市東部に位置する鉄浜海岸は砂浜一帯に砂鉄を多くを含むことから「鉄浜」と名づけられました。種子島は島内で砂鉄を多く採取できたことにより国産火縄銃製造に成功したと言いわれています。
鉄浜海岸の陸側にはログハウスや別荘地が立ち並んでいますが,ここへ最初にログハウスを作ったのは武田鉄也だそうです。
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近年,この海岸はサーフィンのメッカとして有名で,全国からサーファー達がビッグウェーブを求めてやってきます。ハワイより近くていいかも,と思いました。
また,2019年に公開された「ライフ・オン・ザ・ロングボード2nd WAVE」という映画の舞台となりました。
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定年後にサーフィンに目覚めて種子島に移住した中年男性の第2の人生を大杉漣主演で描いた「ライフ・オン・ザ・ロングボード」の続編。
一流サーファーとしての実力がありながら生来の性格が災いして湘南の住居も追われてしまった梅原光太郎は,かつて自分を愛弟子のようにかわいがってくれたサーファー・工藤銀二を頼って種子島にやってくる。しかし,銀二はすでに亡くなっており,娘の美夏が銀二のサーフショップを切り盛りしていた。
無一文の光太郎は美夏に邪険に追い払われてしまうが,光太郎の眼前には鉄浜海岸の美しい海が広がっていた。
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【Summary】
Tanegashima’s Masuda area has more sights, including the Obuchi-Mebuchi Falls. This rare two-tiered waterfall flows year-round. Returning to the coast, I visited Umadate-no-Iwaya, a scenic cave eroded by waves. It was named after Lord Tanegashima Hatatoki, who disappeared there, leaving his horse waiting. Entry is now prohibited due to falling rocks.

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種子島増田地区には,ほかにも見どころがありました。
そのひとつが男淵・女淵(おぶちめぶち)の滝でした。町の中の狭い道路を走っていくと,だれもいない公園がありました。駐車場に車を停めて,向井川に沿った小道を歩いてくと,沢になりました。
向井川は,河口は太平洋に面し,秋佐野付近まで数箇所蛇行している川です。全長は約7キロメートルと推定され,1本川で支流はありません。
男淵・女淵の滝は上下二連で,小さいほうの上の滝を男淵,下の滝を女淵とよびます。淵全体も明るく,高地のない種子島では珍しい滝で,渇水期でも滝水が止むことはないということです。
昔はうっそうと木々にさえぎられて暗い場所だったそうです。

再び海岸線に戻りました。
県道75号線を横切ると馬立の岩屋という標示があったので,狭い道路を海岸に向かって下りました。想像以上に遠く,また,どんどんと坂を下っていくので心配になってきました。
やがて,海岸まで下りました。そこが馬立の岩屋でした。
  ・・・・・・
馬立ちの岩屋は,種子島の東海岸,中種子町と西之表市との境に近い場所にある本島屈指の景勝地で,
自然の洞窟や奇岩巨岩の美しい海岸です。
馬立の岩屋は,波の浸食によって作られた自然の洞窟。10代島主・種子島幡時(はたとき)がこの穴で消息を絶ち,愛馬が穴の前で主人の帰りを待っていたことから、この名がつけられました。
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といわれています。
以前は穴の中に入れたようですが,落石があり,立ち入り禁止となっていました。

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【Summary】
Prefectural Route 75 leaves the coast and enters central Tanegashima, passing through Nakatane Town. This area once housed the WWII-era Kyushu Naval Air Corps base, built under harsh conditions but never used. Today, the site hosts JAXA’s Masuda Space Communications Center, which tracks satellites and rockets. Unable to enter, I viewed the exterior and returned the next day.

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私が走っている県道75号線は,この先,海岸線を離れて,種子島の内陸部に入ります。
種子島の中央あたりはウェストが狭くなります。その中央にあるのが,中種子町です。このあたり,これから何度も通ることになります。中種子町は小さな町です。
中種子町から,県道75号線は再び海岸に向かって進むのですが,次第に,ひろい平地になって,サトウキビ畑が広がっていました。現在はのどかな場所ですが,この地は,第2次世界大戦のとき九州海軍航空隊種子島基地のあったところで,数々の遺構が存在していました。

1941年(昭和16年),真珠湾攻撃で太平洋戦争がはじまり,海軍航空本部より中種子町役場に増田牛之原地区が飛行場基地として決定されたとの公文書が届きました。軍と住民との調整で移転が行われ,住民は先祖代々住み慣れた土地を離れ,秋佐野や中之町,郡原,古房集落などの各地区へ移転していきました。
飛行場の建設では,兵隊や飛行場建設に携わる作業員だけでなく,食事を作る人達や医務室で働く人達も必要でしたが,徴用という強制力によって,婦女子,老人,学徒,児童までもがかり出され,極めて劣悪な条件下で作業せざるをえませんでした。着工から航空隊開隊までの約2年4か月に動員された延べ人数は100万人にも及んだということです。
しかし,実際には使用することはなく、終戦を迎えてしまいました。昼夜兼行で滑走路建設に当たり,終戦前に2本の滑走路のうちひとつが完成していたのですが,終戦前の空襲でほとんどの施設が破壊されてしまい,残された施設も年月の経過とともに解体されてきました。
そうした遺構のなかで,現在,最も目立つのが煙突でした。近くに車を停めて,行ってみました。
この煙突の用途についてははっきりわからないそうですが,兵士の風呂場,あるいは烹水所ではないかといわれています。
こうしたものを見ると,いたたまれなくなります。

今から80年ほど前はそうした場所だったのですが,現在は,その地にパラボラアンテナが建っています。これは,宇宙航空研究開発機構(JAXA)の増田宇宙通信所。1974年(昭和49年)に鹿児島県の種子島に設けられたもので,人工衛星からの電波を受信し,人工衛星が正しい軌道,位置および姿勢を保っているかどうかを監視したり,搭載している電子機器が正しく機能しているかどうかを知るためのデータを筑波宇宙センターに送る施設です。
また,人工衛星の追跡管制設備とは別に,精測レーダによるロケットの追尾およびロケットから送られてくるテレメトリ信号を受信してロケットの飛行状態を監視する役割も果たしています。
施設見学ができるのですが,まだ時間が早く,この日は建物に入ることができませんでした。
その翌日の午後,再び行ってみました。そのときは,施設見学をすることができました。ここもまた,私以外にはだれも見学者はいませんでした。

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【Summary】
On February 19, 2025, I explored northern Tanegashima, traveling along the east coast first and returning via the west. I visited Tanegashima Mangrove Park, enjoying a quiet boardwalk stroll. At Chikura-no-Iwaya, I mistakenly entered a smaller cave at high tide, missing the main site. Lastly, I admired the stunning white sands of Hamada Beach.

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2025年2月19日水曜日。朝食をとって,さっそく出かけました。
この日は,種子島の最北端から見どころをまわってくるという予定でした。はじめは,最北端の喜志鹿崎(きしがざき)灯台まで一直線に行って,ゆっくりと帰ってくるつもりだったのですが,何もないと思っていた種子島にはけっこうな見どころが点在していて,それでは,西海岸と東海岸の両方の見どころをみることができません。そこで,行きは東の海岸に沿って,おもしろそうなところを見ながら北上し,帰りは,西の海岸に沿って南下することにしました。

まず見つけたのが種子島マングローブパークと書かれた看板でした。
マングローブ(mangrove)とは,熱帯および亜熱帯地域の河口汽水域の塩性湿地で植物群落や森林を形成する常緑の高木や低木の総称で,日本では,マングローブに分布が限定される種は,メヒルギ,オヒルギ,ヤエヤマヒルギ,ハマザクロ,ヒルギダマシ,ヒルギモドキ及びニッパヤシということです。
メヒルギ(Kandelia obovata)は常緑広葉樹の小高木で,樹高は成木で日本では最大でも7,9メートル程度です。メヒルギの自生地は種子島が北限地です。
「日本重要湿地500」に選ばれている南種子町の大浦川と西之表市の湊川のマングローブは「種子島のマングローブ林」として,ボードウォークを歩いてマングローブの中を散策したり,シーカヤックにのって楽しむことができるということです。朝早かったので,他にだれもおらず,私は,ボードウォークの散策を楽しみました。

次が千座の岩屋(ちくらのいわや)でした。
車が1台もいない駐車場に停めて,広く美しい砂浜を歩いていくと,洞窟があったので,中に入ってみました。こりゃすごいと思いました。ここにもまた,ほかにだれもいませんでした。
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千座の岩屋は,種子島の東岸, 中種子町と南種子町の境に位置する熊野浦の南端浜田海岸に海食によってできた岩窟で,内部の広さが千座,あるいは畳千枚ともいわれたことからこの名でよばれます。
周囲は砂浜で,沖合に浜島,竹島を望む景勝地として知られていて,洞窟に入れるのは干潮時のみ。自然が作り上げた岩のオブジェの美しさは,幻想的な雰囲気を漂わせます。洞窟内に入れる時間は,干潮時刻の前後2時間のみです。
  ・・・・・
と,行った後に読んだガイドブックにあったので,私は,なんと幸運な,と思ったのですが,調べてみると,私が行った時間は干潮どころか満潮でした。よくよく考えると,私が入ったのは,千座の岩屋の手前の小さな岩屋であって,本物は海水に満ち満ちていたのです。
ちょっとショックでした。しかし,海岸はとても美しい風景が広がっていて,満足しました。

さらに美しい海岸線が続きます。
次に見たのが浜田海岸でした。浜田海岸は白砂の美しい遠浅の海水浴場として知られ,夏になると,多くの海水浴客で賑わうそうです。それにしてもどこもすばらしい景色でした。

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【Summary】
I stayed at "SANDALWOOD" in Tanegashima, where my room had a private hot spring bath. The island has a few hot springs, but accommodations are limited, with no resort hotels. Instead, container hotels stood out. Tanegashima isn’t a typical tourist destination, and "SANDALWOOD" made my trip truly special.

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私が種子島で2泊するのは「SANDALWOOD」というところでした。
種子島にも温泉があります。まず,島の北側・西之表にあるのが種子島温泉「赤尾木の湯」。種子島あらきホテルというのが併設されているようで,宿泊できます。
中種子にあるのが温泉保養センター,これは日帰り温泉です。
そして,南種子にあるのが河内温泉センターで,これも日帰り温泉ですが,その近くに「わたり温泉館」という宿泊施設があるのですが,ホームページのリンクが切れていて,やっているのかいないのか定かでありません。私が宿泊した「SANDALWOOD」も河内温泉センターの近くで,こちらのほうが源泉ということでした。
ということで,私が選んだ「SANDALWOOD」は,夕食,朝食つきで,しかも,部屋にある風呂が温泉,という最高の場所でした。

1日目の夕食のお供は,焼酎「宝満」でした。
  ・・・・・・
宝満は、赤米の伝説をもつ玉依姫(たまよりひめ)が祭られる宝満神社にちなんで命名されました。
赤米を原料に白麹で仕込んだ焼酎です。赤米は赤色色素(タンニン)をもち,白米に比べたんぱく質や各種のビタミン・ミネラルが多く含まれています。赤米の醸し出すまろやかさと奥深い味わいが太古のロマンへと誘います。
芋の香りは控えめですが,赤米の醸しだす豊かな風味と奥深さがあり,まろやかな風味を残して喉に消えていきます。
  ・・・・・・

種子島の宿泊場所は,それ以外にもいくつかあって,小さなビジネスホテルも存在するのですが,いわゆるリゾートホテルというものはありません。それよりも目についたのがコンテナホテルで,まるで仮設住宅のようなものでした。
私が似ている,というハワイ・モロカイ島もまた,宿泊できる場所が本当に少なく,探すのに苦労をしました。また,壱岐島も,宿泊できるところが少ない離島でした。
種子島は,観光旅行をするような場所ではないのかもしれません。そこで,インバウンドは皆無だったし,私にはそのほうがずっと居心地がよかったのですが,宿泊するとなると,「SANDALWOOD」一択,のような気がしました。というか,ここがなければ,旅の思い出はずいぶんと違ったものであったことでしょう。
とてもすてきなところでした。

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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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【Summary】
I visited Cape Kadokura and then stopped by Uchūgaoka Park in Minamitane, which has a rocket launch viewing site. The park features a monument with a poem by Emperor Emeritus Akihito. Rocket launches in Tanegashima often face delays due to strong winds. I have seen H-II rockets at a Mitsubishi factory in Aichi and a launch in Florida but wished to witness a Saturn V launch.

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門倉岬までやって来ました。
私が種子島に来て,行きたかったのは,宇宙センターと鉄砲の伝来地だったので,まず,その目的を達成したことになります。
これでひとまずこの日の予定は終わり,宿泊先である南種子のホテル「SANDALWOOD」に行くことにしました。
そのまま行ってもよかったのですが。地図を見ると,南種子には宇宙が丘公園というものがあったので,そこへ寄り道することにしました。
  ・・・・・・
町民憩いの場として親しまれている宇宙ヶ丘公園にはロケット打ち上げ見学場も併設され,打ち上げ当日には島内外から多くの人が訪れます。
「大空に打上げせまるロケットは島の南の果に立ちたり」
この御製は,昭和58年歌会始(御題「島」)において,平成天皇が皇太子のときに詠んだもので,公園内に碑が建立されています。
  ・・・・・・
という場所でした。

ロケットが打ち上げられるときは,発射台から半径2キロメートル以内は危険区域として,立ち入り禁止となるということで,その区域外で見ることになります。そこで,南種子町は,ロケットの打ち上げが見られる場所をいくつか指定しているということで,宇宙ケ丘公園はそのひとつだそうです。
ロケットの打ち上げは,行ってみてわかったことですが,種子島は風が強く,ロケットの打ち上げには必ずしも条件がよい場所ではないな,ということで,延期が多く,ぜひ見てみたいという人の中には,キャンピングカーでやってくる人もいる,という話です。また,見学場所としてして指定されているところはけっこう遠く,どれだけのものが見られるのかな,と思いました。

私は,これまで,愛知県の飛島村にある三菱の工場で,実際に製造されているHⅡロケットを見たことがあります。また,アメリカのフロリダ州にあるケネディ宇宙センターで,たまたま打ち上げ時に車で走っていて,空高く飛んでいくロケットを目撃したこともありますが,かなわなかったのは,月着陸をめざして打ち上げられたサターンV型ロケットの打ち上げを見てみたかった,ということです。

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【Summary】
Route 75 leads to Cape Kadokura, the southernmost point of Tanegashima. Before reaching it, there is "Nanairo Observatory," a viewpoint known for double rainbows. However, many tourists mistake "Nanairo Observation Spot" for the observatory. The true observatory is accessible via a difficult road. Cape Kadokura, once called "Kumage Saki," was renamed after surveyor Kadokura Ichitaro in 1812. The site features the "Monument of Firearms Introduction," commemorating the 1543 arrival of matchlock guns in Japan, and Misaki Shrine, dedicated to deities including Hikohohodemi.

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県道75号線は,まもなく,種子島最南端の門倉岬(かどくらみさき)です。
その少し手前に南種子町の名所・七色観望台があります。道路際に広い駐車場があったので,車を停めて外に出ました。ここは,幸運のサインといわれるダブルレインボー,二重の虹が出現するポイントだそうですが,幸いというか何というか,この日はすばらしい天気だったので,虹は見えません。眼下には,南種子町の水田,海側の防風林,そして,前之浜海岸を一望することができました。
また,大型ロケット発射台も見ることができました。
  ・・・・・・
種子島は,晴れていてもいきなりスコールが来ます。また雨かと思ったらいきなり晴れることがあります。 こういうときにブルレインボーが出現すします。南種子町の七色坂の虹は,二重どころか,三重四重の虹が出現することもあります。
  ・・・・・・
とありました。

しかし,帰宅してから調べてみると,私が訪れたのは七色観望台ではなく七色観望「所」だったのです。
「 種子島観光で南種子町を訪れた際,名所・七色観望台(七色「坂」観望台=地元では,七色観望台を七色坂観望台ともいいます)になぜか観光客が来ません。それはなぜでしょう?」こんなブログがありました。その理由は,観光客は七色観望所を七色観望台と解釈してしまうからだそうです。私もそうでした。
ブログには,観光客は道路の反対側にある七色観望台の入口を見落としてしまう,とありましたが,私はしっかりと確認しています。なぜ行かなかったかというと「七色観望台」と書かれた案内板のある道路はかなりヤバイ感じだったからです。
  ・・・・・・
ここを登ると,道路の際にあるアコウの枝から垂れ下がるヒゲのような気根が垂れ幕のように道路を覆っていて,車の侵入を阻むように見えます。また,道路上は大量の落ち葉,そして,アコウの木には大量のカラスがいます。それを無視して約100メートル登り続けると開けた頂上が見えてきます。これが七色観望台。途中の道路脇を含め、たくさんの石碑があって,それを過ぎると絶景を見ることができる
  ・・・・・・
という話です。
七色観望台は,南種子町で多くの業績を残した浜田藤太郎が晩年に土地を寄進して設立されたようです。

やがて門倉岬に到着しました。岬の先端部は海食により,高さ約50メートルの断崖となっています。
門倉岬は,種子島の最南端にある岬です。門倉岬から喜界島を結び,屋久島望む右側(西側)が東シナ海で左側(東側)が太平洋です。
門倉岬の呼称は,1812年(文化9年)に伊能忠敬による種子島の測量南隊・門倉一太が苦難の測量を完了して「門倉崎」と自分の姓を記述したからだそうです。それまでは熊毛埼と記述されていました。
岬の先端部から太平洋側は,竹崎の種子島宇宙センターまで12キロメートルに渡る砂浜で前之浜自然公園となっています。
門倉岬は2011年に再整備された公園となっていて,鉄砲伝来紀功碑や御崎(みさき)神社があり,南蛮船の形状を模した展望台や遊歩道が整備されています。
鉄砲伝来紀功碑は 1921年(大正10年)に建立されたもので, 題字は27代当主種子島守時によるものです。
  ・・・・・・
天文12年(1543年)8月25日,西村の小浦(現在の前之浜)に漂着した明国船に乗船していたポルトガル人によって日本に火縄銃が伝えられた
  ・・・・・・
と記されています。
御崎神社は,岬の形状が動物の尻尾を思わせることから島尾大明神ともよばれました。大国主,彦火々出見(ひこほほでみ)を祭神とします。彦火々出見は日本神話に登場する神で,瓊瓊杵と木花開耶姫の子で,神武天皇の祖父。山幸彦として知られます。

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【Summary】
While driving on Prefectural Route 75, I saw a sign for "Ingy Chicken" and found them at Hanamine Elementary School. This unique breed originated from chickens gifted by British sailors in 1894. Though a designated cultural asset, its hybrid, Ingy Jidori, is served in local restaurants. I missed my chance to try it at "Shokudo Minoyoshi" and still wonder about its taste—travel is often full of such regrets.

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たねがしま赤米館を出て,さらに県道75号線を走っていくと,「インギー鶏」と書かれた看板に出会いました。
広い駐車場があったので,車を停めて外にでたのですが,どこにそのインギー鶏やらが飼われているのやら,わかりません。周りを見渡すと,南種子町立花峰小学校があって,その校庭の檻の中で飼われているようでした。勝手に学校に入っていいものやら,私のような都会に住む住民にはわかりませんでした。今や,学校は自由に出入りできる場所ではなくなったからです。しかし,この地は未だ昭和時代のようで,門も開いていて,それは,インギー鶏を見る観光客のためのようでした。
インギー鶏は2羽いました。それは,ちょっと変わった姿のニワトリでした。
インギー鶏は, 尾骨はあるが尾羽が縮れていて,尾がないように見えます。コーチン種の系統に属する中国南部の品種と考えられますが,100年以上にわたる改良,淘汰で,固有の鶏種として確立されています。

  ・・・・・・
インギーという名前は、イギリスの鶏をよびやすいようにつけた名前です。
1894年(明治27年)4月25日,イギリスの貿易帆船ドラメルタン号(The Drummeltan)が前之浜海岸に漂着しました。乗務員は救助され,手厚く介抱されました。
この温情に感激した乗組員は,この帆船で飼育していた鶏を下中の住民に贈ったのがインギー鶏の由来です。
  ・・・・・・
こういった説明を見ると,絶滅危惧種のように思えるのですが,さにあらず。

インギー鶏は,南種子町の特産品で,料亭でインギー鶏の料理を食べることができるということです。 インギー鶏を使った料理は,インギー刺身定食,インギー汁,インギー丼,インギー串焼き,インギー串焼き定食などがあります。
ということで,食用として飼育されているようです。ただし,インギー鶏は1992年(平成4年)に南種子町指定文化財に指定され,2013年(平成25年)に鹿児島県の天然記念物に指定されたことで指定を受けた88羽のインギー鶏は食用に供することができず,F1種のインギー地鶏が食用として飼育,生産されているということです。
帰ってから調べてみると,南種子町の「食堂・美の吉」というところで食べることができるということで,3日目の昼食として食べる時間があったのですが,それを逸してしまいました。
食べられなければさらに惜しくもなり,どんな味だったのか? 今も気になります。無計画で行き当たりばったりの旅はこんなことばかりです。

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JR東海のディズニー新幹線
「LUMIX・TZ99」のファーストショットです。
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【Summary】
The Tanegashima Red Rice Museum in Minamitane Town introduces red rice, an ancient rice variety once widely grown but later replaced by white rice. Minamitane preserves red rice traditions through rituals, such as planting sacred red rice at the Otanomori shrine. Today, red rice is promoted as a nutritious "ancient grain." Only three regions in Japan—Soja (Okayama), Minamitane (Kagoshima), and Tsushima (Nagasaki)—still cultivate it. During my stay in Minamitane, the inn I stayed at served red rice for dinner.

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種子島宇宙センターは,種子島の南東の先端,竹崎というところにあります。種子島の最南端は,そこから海岸線にそって県道75号線を西南西に12キロメートルほど行った門倉岬(かどくらみさき)で,私は,そこに向かって進んでいます。
その途中に,たねがしま赤米館という建物があったので,寄ってみました。
  ・・・・・・
たねがしま赤米館は,遙か昔に南方よりこの地に伝わった赤米の資料館で,赤米にまつわる民俗行事や地域の稲作などについて紹介しています。
南種子町の見所や芸能,行事などを見ることのできる「南種子町浪漫紀行」を放映しているほか,館内で赤米や民具を販売しています。
  ・・・・・・

私はまったく知らなかったのですが,赤米(あかごめ,あかまい)というのは,イネの栽培品種のうち,玄米の種皮または果皮の少なくとも一方にタンニン系の赤色素を含む品種を指すもので,野生のイネのほとんどは赤米だったそうです。
  ・・・・・・
紀元前に日本に米が伝来した際は白米と赤米がありましたが,赤米は白米によって次第に淘汰されていったと考えられています。赤米は,厳しい気候条件に強く,排水不良の土地でも良く育つことから,低湿地や高冷地で盛んに栽培され,新田開発にも重宝されていたと考えられますが,赤米は下等米とみなされ下級階層の人々の食べるものとされていたので,次第に作らなくなり,雑草化してしまいました。
しかし,平成に入ると,多様な形質の米に関する消費者の興味が高まり,赤米も品種改良が進み「古代米」という名称を冠して「古代人が食べていた栄養豊富な米」という宣伝がなされるに至り,赤米は注目を浴びるようになってきました。
  ・・
古来より,種子島では黒潮がもたらした南洋文化が赤米の伝統行事と混じり,神の力を得た赤米を媒体として神人が共存する自然信仰が受け継がれてきました。
種子島にはガローとよばれる自然信仰の森が点在し,その森には神が宿るとされ,立ち入り禁止の聖地です。種子島には,まるで古墳のようなガローとよばれる森があって,それは立入禁止の聖地だそうです。もし禁を犯してガローに侵入したら神の怒りを買い,バチカブリ(罰被り)に遭うといわれています。そうしたときは,神酒をあげ,モノシリ(物知り)とよばれる民間巫術者によって祈祷をあげてもらうのだそうです。ガローという言葉は「伽藍」から来ているとか。
そういえば,以前行った石垣島にも、御嶽という神聖な場所は立ち入りが禁止されていました。同じような文化です。
特に南種子町は18ガローとよばれるほど多くの聖域の森が鎮座し,その中でも御田の森(おたのもり)は,宝満神社(ほうまんじんじゃ)の御田植祭で赤米の苗に神を降ろす神事が行われる重要な場所で,森の木陰にある神田で四季折々の祭礼が行われています。春の御田植祭では,海水と海砂で清められた神田に神の力を宿した赤米が植えられ,秋には願成就祭(がんじょうじゅさい)と奉納踊りで収穫した赤米の俵を宝満神社に奉納します。
  ・・・・・・
ということでした。

たねがしま赤米館から道を隔てて,その宝満神社がありました。成立年代は定かでありませんが,祭神は玉依姫命で,赤米の神事が行われている場所だそうです。深い森の参道を通ると社殿がありました。さらにその向こうにあったのが宝満の池でした。宝満の池は周囲1,230メートル,深さ6メートルの海跡湖で,古来からの鴨猟や伝説が伝えられているということです。
とても神秘的な場所でした。
日本で古来の赤米が残るのは,岡山県総社市,鹿児島県南種子町,長崎県対馬市の3地域だけということで,南種子町では,赤米の栽培が残存していたことを売り文句としているようです。
私が2泊した旅館では,夕食のご飯は赤米でした。

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【Summary】
Arriving at Tanegashima, I rented a car and headed to the Tanegashima Space Center. The island was larger than expected, taking about 30 minutes to reach. I passed Kounan Elementary School, known for its "space exchange students." At the center, I had "Rocket Curry" for lunch, enjoyed the scenic rocket launch site, and explored the exhibits. I later learned about a guided bus tour, but missed it due to lunch. The space center truly lived up to its title as "the world's most beautiful rocket launch site."

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ハワイ・モロカイ島みたいだったと思った種子島ですが,モロカイ島は,南北約15キロメートル,東西約60キロメートルと横に長く,面積は673.4平方キロメートルで,人口は約7,400人です。一方,種子島は,東西約12キロメートル,南北58キロメートルと縦に長く,面積は445.1平方キロメートルで,人口は約27,000人です。ともに素朴な島で,観光客も少なく,のんびりできます。

午前11時50分,モロカイ島,いや,種子島に到着しました。
これもまた,モロカイ島と同じような小さな空港は,到着客出口を出ると,レンタカー会社のカウンタがありました。さっそく手続きをして,レンタカーを借りました。レンタカーの駐車場は,空港のすぐ横でした。
旅行をして思うのは,人が居心地のよいのは,このくらいの規模だということです。
空港は,種子島のほぼ中央にあって,北に走ると,島で一番大きな町西之表市に向かいそこには鉄砲館という博物館があり,南に走ると,種子島宇宙センターがある,とレンタカーの係の人が教えて地図をくれました。
私は,何はともあれ,第一の目的である種子島宇宙センターに向かうことにしました。

種子島は思ったよりも広く,種子島宇宙センターまでは30分ほどかかりました。
やがて,道路の左側に南種子町立茎南小学校が見えてきました。これがうわさの宇宙留学生が通う小学校か,と思いました。この小学校は,生徒の半数が宇宙留学生だそうです。
さらに進むと,種子島宇宙センターに到着しました。センター内に食堂があるということで,まず,そこで昼食をとることにしました。メニューはいろいろあったのですが,ロケットカレーというものにしました。ご飯がロケットの形をしているのでした。次に,ロケットの丘というところに行きました。ここから,ロケットの発射場を遠望できました。そして,最後に,宇宙科学技術館に行きました。さまざまな展示がありましたが,ほとんど見学者はいませんでした。
「世界一美しいロケット発射場」というだけあって,種子島宇宙センターはすばらしい景色でした。
と,ここで知ったのが,バスツアーがあった,ということでした。バスツアーは予約制で,1日2回行われていて,1回目が10時30分から,2回目が13時からでした。先に食堂に行かなければ,2回目に間に合ったわけです。毎度のこと,出たとこ勝負の私らしい話です。残念なことをしました。
なお,バスツアーは3日目に参加しました。このことはまた後日。

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以下の写真はモロカイ島です。
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【Summary】
On February 18, 2025, the user flew from Chubu Centrair Airport to Kagoshima via Solaseed Air, then transferred to a Japan Air Commuter (JAC) flight to Tanegashima. They found Centrair inconvenient compared to Nagoya Airport. Solaseed Air left a good impression, unlike some LCCs. The ATR 42-600 aircraft offered clear views of Tanegashima, which appeared long and narrow. The island’s atmosphere and airport reminded them of Molokai, Hawaii, which they visited in March 2020.

######
2025年2月18日火曜日。
鹿児島行きのソラシドエアは午前8時10分発でした。コロナ禍以前は,頻繁に利用していたセントレア・中部国際空港でしたが,このごろはご無沙汰です。私がこのごろ愛用するFDAは県営名古屋空港。それに比べて,セントレア・中部国際空港不便です。これもまたたびたび書いていますが,唯一の公共交通機関である名鉄は事故や架線故障で不通になることが少なくなく,信用なりません。私も一度,ひどい目に遭いました。
もうひとつ,別の鉄道路線があれば,という意見もあるのですが,不要だという反対意見も根強く,実現しません。しかし,不要だという人は,名鉄が不通になったときのことをまったく考慮していないのです。そもそも,海に浮かぶセントレア・中部国際空港へ渡るには有料道路しかなく,歩いていくことができないということが最大の問題だと思います。せめて,緊急時だけでも歩いて渡れる歩道を作るべきです。

今回は,朝が早いという理由もあり,セントレア・中部国際空港まで自家用車で行きました。これもまた,有料道路を走り,さらに,駐車場の高い料金を払う必要があるので,ひょっとしたら,鹿児島空港までの運賃よりもこちらのほうが高くなってしまいます。
ともかく,出発の1時間ほど前にセントレア・中部国際空港に到着しました。
ソラシドエア(Solaseed Air Inc)ははじめて利用しました。機材はボーイング737‐800でした。
  ・・・・・・
ソラシドエアは,宮崎県宮崎市に本社を置く航空会社で,リージョナルプラスウイングス(RegionalPlus Wings Corp.)の子会社です。リージョナルプラスウイングスは,北海道を拠点とするAIRDO(エア・ドゥ)と,九州・沖縄を中心とするソラシドエアによる共同持株会社です。
  ・・・・・・
ということですが,ソラシドエアの「ソラシド」という名前は,「空から笑顔の種を届けたい」という願いからつけられたそうです。また,音階の「ソラシド」より,上昇するイメージや弾むような楽しさ,親しみやすさといったイメージも表現されているということです。
私は,LCCのいくつかの会社の運航便は,お金をもらっても乗りたくないのですが,先日,秋田空港まで行ったときに乗ったオリエンタルエアブリッジ同様,ソラシドエアにも悪いイメージはもちませんでした。

外を眺めていると,阿蘇山らしきものが見えてきましたが,桜島は見ることができませんでした。
やがて,定刻よりも10分ほど早い午前9時30分に鹿児島空港に到着しました。
次は,日本エアコミューター(JAC=JAPAN AIR COMMUTER CO.,LTD.)午前11時10分発の種子島空港行きに乗り換えます。
  ・・・・・・
日本エアコミューターは,日本航空(JAL)グループのコミューター航空会社。
鹿児島空港をベースにプロペラ機を使用して鹿児島県内離島路線を中心とした路線を運航していて,運送の共同引受により全便JAL便として運航されています。
  ・・・・・・
機材はATR(Avions de Transport Régional )の42‐600でした。
  ・・・・・・
ATRはフランスのアエロスパシアル(Aérospatiale)とイタリアのアエリタリア(Aeritalia )が1982年に興した共同事業体で,定員が50人前後の小型機「ATR 42-200」から「ATR 42-600」の6機種を製造しています。
  ・・・・・・
私は,以前,ニュージーランドでクライストチャーチからクイーンズランドまで行ったときと,ハワイでオアフ島ホノルルからモロカイ島まで行ったときに乗ったことがあります。

飛行時間はわずか40分で,鹿児島空港を離陸したと思ったら,まもなく,種子島が見えてきました。飛行機は種子島からはるか西まで飛んで旋回して,高度を下げました。おかげで,種子島全体がよく見えました。知っていたこととはいえ,えらく長ぼそい島だなあ,と思いました。
種子島の第一印象は,乗ってきた機体といい,空港の雰囲気といい,2020年の3月に行ったハワイ・モロカイ島に似ているなあ,と感じました。

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【Summary】
I traveled to Tanegashima from February 18 to 20, 2025, a place I had long wanted to visit. Getting there was challenging, requiring a flight transfer via Kagoshima. The island often has strong winds, causing transport disruptions. With few buses, a rental car was essential. I booked flights, accommodation, and a car without much prior planning, wondering what I would find.

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一度は行ってみたかったけれど,これまでその機会がなかった,という場所を旅しているのですが,今回は種子島です。
これまで行った離島の数々。佐渡島,隠岐諸島,壱岐島,石垣島。どこも,行くのに苦労しましたが,種子島もまた,それと同じでした。調べてみると,交通手段は,高速船またはフェリーで鹿児島港から行くか,鹿児島空港から飛行機で行くか,でした。いずれにしても,鹿児島まで行かなければなりませんが,名古屋からは,列車では時間がかかるので,飛行機となります。しかし,鹿児島空港は,鹿児島港からかなり遠いので,接続が悪く,鹿児島空港から鹿児島港まで行って,そこから高速船またはフェリーというのは大変です。飛行機の場合は,名古屋から種子島までの直行便はないので,まず,セントレア・中部国際空港から鹿児島空港まで行って,そこで乗り換えることになるのですが,中部国際空港から鹿児島空港まではいくらでも格安航空があれど,鹿児島空港から種子島空港までは,日本エアコミューター(JAC)一択となって,むしろ,鹿児島空港から種子島空港までの運賃のほうが高いのです。
ということですが,しかたがないので,飛行機を乗り継いで行くことにしました。

行ってみてわかったのが,種子島は風が強い日が多く,海路は,かなり欠航が多いということでした。空路もまた,プロペラ機なので,予定通りに旅行ができないかもしれないけれど,海路よりはまし,ということでした。今回の旅でも,風の強い日がありましたが,幸い,何とか予定通りに行ってくることができました。
また,島内の観光は,路線バスもあるけれど,本数が少ないので,レンタカー一択ということでした。
宿泊するところも,さほど多くなかったのですが,条件のよいところを見つけることができました。
とはいえ,毎度のことながら,予習もせず,何も考えず,出たとこ勝負の旅でしたが,何もかも,順調に旅をすることができました。

旅をしたのは,2025年2月18日から2月20日までの2泊3日。航空券とレンタカーと宿泊先の予約をして,その日を楽しみに待ちました。
それにしても,種子島って,一体何があるのだろう,と行くまでは思っていましたが…。


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【summary】
I traveled to Tanegashima from February 18 to 20, 2025. The island is known for the arrival of firearms in Japan in 1543 and as a rocket launch site today. Though I had visited Kennedy Space Center twice, I had never been to Tanegashima. Wanting to see the space center, I finally made the trip.

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今日から書くのは,2025年2月18日から2月20日まで,2泊3日で出かけた種子島の旅行記です。

山川出版社の発行する高等学校の教科書「詳説日本史」の1973年版には次のようにあります。
  ・・・・・・
1543年(天文12年),中国の寧波(にんぽう)に向かうポルトガル人が,九州の種子島に漂流した。このとき島主種子島時堯(ときたか)は,ポルトガル人からはじめて鉄砲を手に入れ,その操作と製法とを家臣に学ばせた。
  ・・・・・・
また,その40年後の「詳説日本史B」の2013年版には次のようにあります。
  ・・・・・・
1543年(天文12年)にポルトガル人を乗せた中国人倭寇の船が,九州地方の種子島に漂着した。これが日本にきた最初のヨーロッパ人である。島主の種子島時尭は,彼らのもっていた鉄砲を買い求め,家臣にその使用法と製造法を学ばせた。
  ・・・・・・
40年で若干学説が変わったようですが,いずれにせよ,多くの人が思っているような,鉄砲を伝えたのは,ポルトガルから直接やって来たポルトガル人ではないのです。
また,私は,ポルトガル人が鉄砲という武器を持っていたとしても,その製造法まで知っているとは思えないので,この文章には疑問があるのでは,と思っていました。
ともかく,多くの人が知る種子島は,鉄砲伝来の島です。

さらに,近年は,種子島はロケットの打ち上げ基地としても,脚光を浴びています。
  ・・・・・・
種子島にある種子島宇宙センター(TNSC= Tanegashima Space Center)は,日本の宇宙開発の中心的な施設で,JAXA(宇宙航空研究開発機構)が運営しています。
日本最大のロケット発射場で,世界的にも美しい発射場のひとつとして知られています。
宇宙科学技術館は,宇宙開発の歴史やロケット技術を学べる展示施設で,観光客向けに開放されています。発射の際には種子島の美しい自然とロケットの壮大な打ち上げシーンが見られます。
  ・・・・・・
ということです。
私は,フロリダ州のケネディ宇宙センターは2度も行ったことがありますが,種子島はこれまで行ったことがありませんでした。
ロケットの打ち上げは,一度は見てみたいものだとは思っていたのですが,すごい混雑だろうし,延期されることも多いそうなので,今はあきらめていて,施設を見るだけでもいいなあ,と思っていました。果たして,どういうところで,日本のロケットは打ち上げられているのでしょう。

私には,そんな種子島の印象でしたが,百聞は一見にしかず。鉄砲もロケットも,実際はどうなのか,一度は行ってみようと思い続けていて,今回,やっと実現することができました。


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