しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

カテゴリ:東北旅行LIVE > LIVE・2026春

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【Summary】
After returning a rental car, I changed to an earlier train and happened to ride an older E2 Series Shinkansen, known for its large windows. The trip, though unplanned, fulfilled long-held dreams and brought unexpected discoveries, quiet hot springs, and peaceful meals, showing that Japan still offers endless unique travel experiences.

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午後5時にレンタカーを返却,新白河駅午後5時50分発の「なすの」280号に乗って,東京駅午後7時16分着,午後7時30分発の「ひかり」661号に乗り換えて,名古屋駅9時14分着で帰宅する予定でしたが,午後4時ごろに新白河駅に着いたので,レンタカーを返却して,新白河駅午後4時50分発の「やまびこ」216号で,東京駅午後6時16分着,午後6時33発の「ひかり」657号に乗り換えて,名古屋駅午後8時19分着に変更しました。
やってきた「やまびこ」216号は,行きに乗ったE5系とは違い,E2系という古いものでした。現在の新幹線車両は飛行機のように窓が小さいのですが,E2系のみ,大きな窓になっているのが特徴です。
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現在,数両のみ残るE2系ですが,定期運用がされているのは東北新幹線だけで,主に,東京駅から仙台駅・郡山駅・那須塩原駅を結ぶ「やまびこ」と「なすの」として,朝や夕方以降の通勤・通学時間帯や,日中の比較的利用者が落ち着く時間帯に運用されています。
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ということで,引退が間近に迫るE2系にわざわざ乗ってみたいという鉄道ファンがいるようですが,私は,期せずして,こういう,鉄道ファンには乗りたくてもなかなか乗れないという列車に巡り会うのです。

東北新幹線の車内からは夕日がきれいに見えました。夕日が沈んでも,まだ空は明るく,大宮駅を過ぎると,遠くに富士山が見えるようになってきました。どうして東北新幹線の車窓から富士山が? と思ったのですが,富士山は東京駅からでも見えるから,大宮駅からでも見えて当然ですが,何か不思議な気がしました。
東京駅で東海道新幹線に乗り換えるとき,勝手知る東京駅の東海道新幹線のホームの売店で駅弁を買いました。
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こうして,今回の旅は終わりました。
2泊3日,行き当たりばったりでしたが,長年の夢が実現したり,奇しくも思いがけないところを知ったりと,楽しい旅になりました。また,何といっても,インバウンドとは無縁,そして,おいしい食事に他に誰もいない温泉というように,私の理想の旅が実現できました。
また,このごろは,どこへ行っても同じような気持ちになれます。日本国内を旅していて,そういえば,同じような気持ちを海外でも感じたことがあるなあ,と思うことも少なくありません。ならば,わざわざ遠い海外に出かける必要もないわけです。
旅というのはこうしたもので,ガイドブックを眺めながら,有名どころに出かけるような「愚」さえしなければ,日本でも,まだまだ,無限におもしろい経験ができるのです。

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【Summary】
At Komine Castle, I visited Ninonmaru Teahouse and enjoyed a rich cream anmitsu. I then saw the former Taiko Turret, a rare surviving structure relocated and restored multiple times. Although its interior was closed that day, its historical significance and exterior appearance were satisfying.

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白河市で最後に行こうと思ったのが旧小峰城太鼓櫓でした。
その前に,二の丸茶屋に寄ってみました。
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二の丸茶屋は,白河小峰城が望める城山公園内にある小峰城をイメージしたお休み処です。昨年2025年4月1日にリニューアルオープンしました。
小峰城オリジナルグッズや地元銘菓を取り揃えるほか,白河産の米粉を使用したふっくら・もちもち食感の白河だるまバーガーやクリームあんみつも提供しています。
その他、甲冑の着付け体験も行っています。
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私はおやつとして,「当店自家製寒天と市内の和菓子屋さんのつぶあんを使用し,白玉・ぎゅうひ・赤えんどう豆・バニラアイスがのりボリューム満点」のクリームあんみつをいただきました。

さて,最後に旧小峰城太鼓櫓へ行きました。
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もとは小峰城二之丸の南側入り口にあたる太鼓門西側に所在したとされ,一部の小峰城絵図に描かれています。1874年(明治7年)から行われた小峰城内の土地・建物の民間への払い下げに際して,白河の城下で商家(山城屋)を営んでいた荒井家が譲り受け,当初は,現在は消失した三之丸の紅葉土手に移築されました。その後,1930年(昭和5年)に現敷地北側に移築され,茶室に改装後利用されました。2015年(平成27年),荒井家より市へ寄贈され,その後,老朽化や東日本大震災による影響により倒壊の恐れがあったことから建物を解体し,2022年(令和4年)に敷地の南側へ移築修復工事を行いました。これまでの移築で,建物そのものは原型と変わっていますが,大正年間の写真や骨組みなどから,建物の原型は重層で,四方に転び(柱などの材を傾ける作り方)をもつ2間四方の寄棟造りであったと推定できます。小峰城に関わる建造物が江戸時代末から明治初期に全て焼失・破却等により失われた中で,唯一現存する貴重な建造物です。
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ところが,内部の公開は,日にちが限られていて,この日はだめでした。外観だけを見て満足することにしました。

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【Summary】
I visit daimyo graves to understand local respect for history. At the former Enmeiji site near Shirakawa, I found poorly maintained graves of early lords like Niwa Nagashige and Matsudaira rulers. Other lords, including reformer Matsudaira Sadanobu, are buried in Reiganji Temple in Tokyo.

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私は,全国を旅すると,江戸時代にその地を治めた藩主のことを知りたいということで,城とともに,藩主の墓所を訪ねることを楽しみにしています。それは,藩主の墓所を見ると,藩主がリスペクトされていたかどうかがよくわかるからです。そして,そうした歴史を今も大切にしているところは,概して,文化が栄えていているのです。
白河藩主の墓所は,白河藩大名家墓所として,白河駅より南へ約1.5キロメートルのところに位置する「小南湖」とよばれる場所にあるというので,行ってみました。

広い駐車場があったのですが,車はまったく停まっていませんでした。こじんまりとした庭園があって,その向こうの小高い山に墓所が点在していました。そこは,円明寺という,江戸時代に白河藩歴代藩主の菩提寺であった場所でした。
ところが,整備されているとは言い難く,墓所に至る道は,折れた木の枝で塞がれていて,行く手を阻みました。仕方がないので,道なき道を登っていくことにしました。
そこには,初代藩主・丹羽長重の宝篋印塔や,松平清照,松平直矩,松平基知といった藩主の五輪塔が点在していました。
丹羽長重は,織田信長の重臣丹羽長秀の嫡子で,関ヶ原合戦の際に徳川方の前田家と争ったために改易されましたが,のちに大名として再興し,1627年(寛永4年)に白河藩10万石余を与えられ初代白河藩主となり,白河小峰城の改築・城下町の整備を行い,1637年(寛永14年)に江戸の屋敷で67歳で死去しました。墓は白河石で造られた宝篋印塔でした。
松平清照は,藩主松平忠弘の嫡子でしたが,病弱のため廃嫡され,1686年(貞享3年)に35歳で死去。子の松平忠雅が家督を相続しました。墓は白河石で作られた五輪塔です。
松平直矩は,徳川家康の次男結城秀康の孫で,7歳で姫路藩主となりましたが,幼少のため越後村上藩に移され,その後,姫路藩,豊後日田藩,山形藩と転封を重ねたのち,1692年(元禄5年)に山形藩から白河藩に移り,1695年(元禄8年)54歳で江戸で没しました。遺骸は荼毘に付されて白河に送られ,現在地に葬られました。墓は白河石で作られた五輪塔です。
松平基知は,父・松平直矩の後を継いで1695年(元禄8年)に藩主となり,1729年(享保14年)に51歳で江戸で没しました。遺骸は備前の大甕に納められて白河に運ばれ,現在地に葬られました。墓は白河石で作られた五輪塔です。

それ以外の藩主の墓所は,東京都江東区深川江戸資料館の隣にある霊巌寺にあるということでした。特に,寛政の改革で知られる3代藩主・松平定信の墓は,国指定史跡として霊巌寺に保存されているそうです。私は,深川江戸資料館には行ったことがあるのですが,霊巌寺に行ったかどうか,記憶にありません。

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【Summary】
On March 8, 2026, I visited Bandai-Atami Onsen and Lake Inawashiro before going to Koriyama. The weather suddenly worsened with hail and strong winds, ruining my plan to relax by the lake. Disappointed, I returned to Koriyama, bought sweets, and went back, forgetting even where I had lunch.

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2026年3月8日,この旅の最終日です。
この日は,郡山市に行くことしか予定がなかったので,それ以外に何をしようかと考えました。そして決めたのが,磐梯熱海温泉がどういうところか見てみたい,ということでした。
2024年の,何と1月15日に私は只見線に乗りました。今思えば,雪深い只見線,こんな真冬に行こうというのが無謀なことなのですが,知らぬが仏でした。そのときは,東北新幹線で郡山駅で降りて,すぐに磐越西線に乗り換えて,会津若松駅に行ったので,郡山市は駅しか知りません。磐越西線は猪苗代湖畔を通ったので,その時点で,位置関係が把握できました。今から40年ほど前に,私は,車でこの辺りを通ったことがあるのです。懐かしい気持ちがしました。
その後,この付近に磐梯熱海温泉があるということを知って,今回,磐梯熱海温泉に宿泊しようとも考えたのですが,適当な旅館が見つからず断念したのでした。そんなわけで,磐梯熱海温泉を通り,猪苗代湖畔を途中までドライブして,そのあとで郡山市に行くことにしました。

朝食後,「式部のやかた井筒屋」をチェックアウトして,北に進みました。白河市から郡山市まで国道4号線を走って,郡山市から西に国道49号線で猪苗代湖まで来ました。磐梯熱海温泉はその途中にあります。おもったよりさびれたところでした。旅館が数件の小さな温泉街ならそれはそれでよし,また,私には縁がないけれど,大きな旅館がたくさんある温泉街ならそれはそれで名が知られているのでしょうが,磐梯熱海温泉はそのどちらでもない中途半端な感じでした。
それを過ぎ,やがて,猪苗代湖に着いたころ,気候が一転しました。霰(あられ)が横殴りに車に降り,とんでもない状況になりました。
ちなみに,雹(ひょう)と霰(あられ)の違いは,氷の粒の直径で,直径5ミリメートル以上を雹,5ミリメートル未満を霰とよぶのだそうです。どちらも積乱雲の中で発生し,激しい上昇気流によって成長します。

猪苗代湖畔で優雅に食事でも,という夢は潰えました。猪苗代湖畔,どこが観光の拠点なのかもさっぱりわかりませんでした。どうやら,北側の猪苗代町あたりのようでしたが,こんな天候ではテンション下がりっぱなしで,そこまで行って引き返すことにしました。猪苗代湖畔は,一面真っ白で,雹が止まず,強風で,最果て感満載でした。これはこれで,こんな天候に出会うのもまた,旅の醍醐味なのでしょう。
郡山市まで戻るとよい天気でした。当初は猪苗代湖あたりをのんびりと観光しようというあてもはずれ,また,何もない,という郡山市は,はやり何もなく,すでに書いたように,駅前の駐車場に車を停めて,「柏屋」さんで念願の薄皮饅頭を買っただけで白河市に戻ることになりました。
なお,どこかで昼食を,と思いながら国道4号線を走っていたことは記憶にあって,その途中で昼食をとったように思うのですが,いったい,どこで何を食べたのか,まったく覚えていません。また,写真もありません。私は,テンションが下がると,時折,こういうことがあります。と書いているうちに,コンビニに入ってパンをいくつか買ったことを思い出しました。


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【Summary】
After visiting Shirakawa Komine Castle, Nanko, and Shirakawa Barrier, I drove toward Nasu Highlands. The place I had imagined since childhood felt less mysterious in reality. Later, I stayed at a quiet hot spring inn, rich in Izumi Shikibu legends, and enjoyed peaceful bathing at night.

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白河小峰城,南湖,白河の関と観光をしたので,そのあとは今日の宿泊先である「式部のやかた井筒屋」へ行くばかりでしたが,まだ時間が早かったので,那須高原のあたりまでドライブすることにしました。
何度も書いているように,この辺りの場所は,私には,子供のころから藤井旭さんが「月刊天文ガイド」のさまざま記事に書かれていた場所ということで,謎に包まれていました。だからこそ,ずっと憧れのところでしたが,今回行ってみて,その謎が解けました。
那須高原,那須連峰というところは,私には,ヒマラヤのようなところでした。遠くに雪を被った山並みが見えて,そこに銀色のドームが輝いている… ,そして,夜になると満天の星。いったいどういうところなのだろうと思っていました。
歳をとって,いろんなことを知ると,そうしたときめきは虚像だということもわかりましたが,それはそれで残念な気持ちがしました。

さて,白河の関あたりは,まだ,雪が残っていましたが,那須高原に近づくにつれて,軽井沢や木曽駒高原のような別荘地になりました。おそらく,東京で仕事をしていて,一戸建てに憧れるような裕福な若い人にとって,那須高原は理想の住処なのかもしれません。数年前,東京でJRに乗ると,那須塩原と書かれた分譲住宅のポスターをずいぶんと目にしました。
とはいえ,遊びに行くのならともかく,実際に住むとなると,ずいぶんと不便なところだろうと,今は思いました。私は,夢が覚めたような気持ちになりました。
引き返して,「式部のやかた井筒屋」を目指しました。その途中で,和泉式部の庵跡地にある化粧井を訪れたことはすでに書きました。

やがて,「式部のやかた井筒屋」に到着しました。おもったより大きな旅館でしたが,老朽化否めず,古びていました。ここは猫啼温泉(ねこなきおんせん)というところでした。
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猫啼温泉は,福島県石川郡石川町にある歴史ある温泉地で,私の泊まった「式部のやかた井筒屋」と小さな「西田屋」という2軒の旅館があります。
平安時代の歌人・和泉式部にまつわる伝説が残る,静かな湯治場として知られています。日本でも珍しい放射能泉(ラジウム温泉・ラドン温泉)で,微量の放射線が免疫力を高める「ホルミシス効果」が期待できるとされています。
猫啼温泉がある石川町は和泉式部の生誕地と伝えられていて,周辺には彼女が髪を整えたとされる「櫛上げの石」などの史跡が点在します。また,京へ上った和泉式部を慕って鳴き続けた愛猫が,この地の霊泉に浸かって病を治したという伝説から猫啼と名づけられました。
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昨年行った山口県の湯野温泉,先日行った九十九里浜の白子温泉など,規模が小さく,2,3軒ほどの旅館しかないところがけっこうある,ということを旅をしていて知りました。規模が大きく巨大な旅館が何軒もあって,しかも,その多くが廃墟と化している温泉郷が話題となりますが,こうした規模が小さな温泉はどこも魅力的です。私は,こうした小さな温泉のほうを好みますが,探し出すのに苦労をします。
猫啼温泉は,私には「西田屋」さんのほうが私の趣向にあうように思うのですが,今回は「式部のやかた井筒屋」さんに宿泊したからこそ,和泉式部ゆかりの場所だということを知ったわけです。
食事も温泉も申し分なく,温泉は一晩中入ることができるということだったので,だれもいない深夜にのんびりと味わうことができました。

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【Summary】
Near Shirakawa-no-Seki, celebrated in Oku no Hosomichi by Matsuo Basho, this ancient barrier marked the frontier to Mutsu. Once a strategic military checkpoint against the Emishi, it later became a poetic symbol. Its site was identified by Matsudaira Sadanobu and confirmed archaeologically in the 20th century.

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白河市といえば,白河小峰城,南湖,そして,白河の関。ということで,最後に白河の関に行ってみました。
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心許(こころもと)なき日かず重(かさな)るまゝに,白川(しらかは)の關(せき)にかゝりて旅心定りぬ。「いかで都へと便(たより)求しも斷(ことわり)也。中にも此關(このせき)は三關の一にして,風騒(ふうさう)の人心をとゞむ。秋風を耳に殘し,紅葉を俤(おもかげ)にして,青葉の梢猶(なほ)あはれ也。卯の花の白妙(しろたへ)に,茨(いばら)の花の咲そひて,雪にもこゆる心地ぞする。古人(こじん)冠を正し衣裝を改し事など,清輔(きよすけ)の筆にもとゞめ置れしとぞ。
 卯の花をかざしに關の晴着かな  曾良
  「奥の細道」
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東北地方を旅すると,どこに行っても松尾芭蕉の遺構に出会います。ここまで私を追っかけてくるの! とある意味わずらわしさを感じるのですが,それは反対で,私が松尾芭蕉さんを追っかけているようなものです。

白河の関は,設置された時期は不明ですが,古代の日本における関所のひとつで,奈良時代から平安時代にかけて都から陸奥国に通じる東山道の要衝に設けられた関門でした。こういうことは,実際に行ってみると実感できます。おそらくは,奈良時代,この地方には,別の人々(蝦夷)が支配していて,それを奥州征伐,蝦夷征討として,東北地方の支配権を確立するために軍事行動を起こしたその衝突地点だったのでしょう。724年(神亀元年)には現在の宮城県多賀城市に多賀城が築かれ,これを奥州支配の最前線拠点として大軍を派遣,蝦夷側も団結して抵抗し一進一退の攻防ののち,坂上田村麻呂が蝦夷征討を最終的な終焉に向かわせることになりました。
白河の関より北に位置するのが東北地方とされ,山形県鶴岡市の鼠ヶ関(ねずがせき),福島県いわき市の勿来関(なこそのせき)とともに奥州3関のひとつに数えられます。

平安時代以降は,律令制度の衰退とともに軍事的要衝としての白河関の機能は解消し,「みちのくの象徴」として和歌の歌枕に起用され文学的感傷をもたらす存在となりました。
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 たよりあらばいかで都へ告げやらむ 今日白河の関は越えぬと
  「拾遺和歌集」平兼盛
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白河の関は,下野国と陸奥国(現在の栃木県と福島県)の国境で,長く,場所が特定されていませんでしたが,1800年(寛政12年),白河藩主・松平定信は文献による考証を行い,白河神社の建つ場所をもって白河の関跡であると論じました。さらに,1960年代の発掘調査の結果,土塁や空堀を設け,それに柵木(さくぼく)をめぐらせた古代の防禦施設を検出し,1966年(昭和41年)に「白河関跡」(しらかわのせきあと)として国の史跡に指定されました。
なお,藤井旭さんとその仲間の人たちが建設した白河天文台は,白河の関ほど近くの西側の山の中にあったようです。

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【Summary】
Nanko, created in 1801 by Matsudaira Sadanobu, is considered Japan’s earliest public park, open to all classes. Its scenic landscape blends beauty and practical use. Nearby, Suirakuen offers a quiet Japanese garden experience. I enjoyed matcha and “Nanko dango,” a simple, nostalgic local specialty.

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白河小峰城から4キロメートルほど南に行くと,名勝・南湖(なんこ)があるというので,行ってみました。
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南湖は,1801年(享和元年)に白河藩主・松平定信が築いた日本最古の公園思想をもつ湖です。
もともと大沼とよばれた湿地帯に堤を築いて水を貯め,庭園的な景観を整えたのが南湖のはじまりです。南湖の面積は約18ヘクタール(約5ヘクタールがプロ野球のグランド程度),周囲は約2キロメートルで,那須連峰を借景に,松・桜・楓が四季を彩ります。
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南湖は 「武士も庶民も身分を超えて楽しめる場所にする」 という思想で造られました。当時の大名庭園は,藩主や武士階級だけの空間でしたが,南湖にはその垣根がなく,誰でも自由に出入りできました。また,南湖は単なる景勝地ではなく,灌漑用水,水練・操船訓練の場,領民救済のための土木事業といった実用的な目的も兼ねていたそうです。
名称の由来は,唐の詩人・李白の詩「南湖秋水夜無煙」と小峰城の南に位置することから名づけられたと伝わります。そして,南湖の周囲には,17の景勝地を選び,公家・大名・儒者に和歌や漢詩を依頼して石碑に刻ませました。
南湖は思った以上に広く,美しいところでした。

南湖の東側のほとりには,茶店と有料の庭園がありました。
庭園は「翠楽苑」(すいらくえん)といいました。「翠楽苑」は江戸時代のものではなく,松平定信が築いた南湖の精神を現代に受け継ぐために整備された本格的な日本庭園ということです。南湖が公園の原点なら,翠楽苑はその思想を日本庭園として可視化した場所,だそうです。園内は池泉回遊式で,池・滝・茶室・四季の植栽が配置され,歩くたびに景色が変わるように作られていて,南湖の広々とした風景とは対照的に,静かで繊細な和の空間が広がります。驚くことに,観光客どころか,ほとんど人もおらず,すばらしいところでした。南湖を歩いたあとに翠楽苑へ入ると,まるで外界の喧騒から一段深い静けさへ降りていくような感覚がありました。
庭園内には茶室「翠楽亭」があって,抹茶と和菓子をいただけるというので,入ってみました。落ち着いた室内で庭園を眺めながら一服するのは最高のぜいたくでした。

「翠楽亭」を出て,近くあった茶店に入って,昼食をとることにしました。山菜そばを注文しましたが,どの店にも「南湖だんご」とありました。そこで,「南湖だんご」も併せて注文しました。
南湖といえば「南湖だんご」,これは南湖のほとりで長く親しまれてきた食べ物で,誰でも気軽に楽しめるという松平定信の思想と響き合う名物だそうです。「南湖だんご」は,醤油を塗って炙った香ばしい味で,もちもちしすぎず,軽く食べられる食感があり,甘さ控えめでどこか懐かしい風味がしました。

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【Summary】
Shirakawa Domain, centered at Komine Castle, was a strategic gateway to northern Japan. Ruled by several daimyo families, it prospered under Matsudaira Sadanobu, who managed famine and reformed finances. Later governed by the Abe clan, it was destroyed during the Boshin War.

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白河小峰城の一角に小峰城歴史館があったので入ってみました。さまざまな土地を旅していると,その土地の歴史がきちんとわかる資料館があるところとないところがあって,その土地に住む人が歴史を大切にしているかどうかがよくわかります。
今回は,白河藩の歴史について書くことにします。

白河藩は,江戸時代に現在の福島県白河市にあたる陸奥国白河郡白河周辺を知行した藩で,藩庁は白河城に置かれました。
白河の地は,古代においては白河の関が設けられ,奥羽地方への出入り口として要衝の地となっていました。江戸時代には,奥羽地方の外様大名の抑えという位置づけで,初代の丹羽氏を除いては有力な親藩・譜代大名が頻繁に入れ替わり治めました。その地で江戸時代を治めた多くの外様大名がのに対して,親藩・譜代大名の治めた地の多くは,頻繁に国替えがありました。縁もゆかりない地を突然押しつけられるわけで,これでは領民がリスペクトするわけもありません。今の公務員のお偉いさまの人事異動のような感じです。
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●丹羽家/榊原家の時代
まず,江戸時代初頭の1627年(寛永4年)に丹羽長秀の長男丹羽長重が10万石余で入り白河藩が成立しました。1643年(寛永20年)に2代藩主・丹羽光重が陸奥国二本松藩に転封となり,上野国館林藩より母が徳川家康の姪にあたる榊原忠次が14万石で入部しましたが,1649年(慶安2年)に播磨国姫路藩に転封となりました。
●本多家/奥平松平家の時代
替わって本多忠義が12万石で入部しました。2代藩主・本多忠平が,1681年(天和元年)に下野国宇都宮藩へ転封となり,松平忠弘が15万石で入部しましたが,松平忠弘は家老・奥平金弥と黒屋数馬の対立を治めきれず,1692年(元禄5年)にお家騒動のため藩主閉門の上出羽国山形藩に転封となりました。山形藩は左遷藩と揶揄されるように,何事かで不祥事を起こすと送られた大名が多いのです。
●結城松平家/久松松平家の時代
入れ替わりに,映画「引っ越し大名」のモデルにもなった松平直矩が15万石で入部,財政改革を断行しましたが,増税が大規模な農民一揆を引き起こしました。3代藩主・松平義知は藩政改革に努めましたが,1741年(寛保元年)に姫路藩へ転封となり,替わって松平定賢が入部,2代藩主・松平定邦の養子として跡に入ったのが,御三卿のひとつ田安徳川家初代・徳川宗武の7男・松平定信です。このあたりのことは,昨年2025年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」に詳しいです。
1783年(天明3年)1787年(天明7年)にかけて天明の大飢饉で,東北地方は甚大な被害に襲われましたが,松平定信は被害を最小限に食い止めるように分領の越後から白河へ米を輸送させ,同時に会津藩に米を売ってもらうように談判,この裁量により,白河藩の被害は拡大せずに済みました。この功績や藩主就任後の白河藩の財政建て直しの実績が認められ,松平定信は11代将軍・徳川家斉の元で老中に任ぜられました。松平定信の行った寛政の改革は結局6年ほどでとん挫し,松平定信は72歳で亡くなりました。
●阿部家の時代
1823年(文政6年)4代藩主・松平定永は伊勢国桑名藩に転封となり, 替わって阿部正権が入部,以降,幕末まで阿部家が8代44年間在封しました。
7代藩主・阿部正外は勝海舟とも面会し,幕府へ勝海舟の政治思想の危険性を報告,罷免されたきっかけを作ったといわれる人物です。その一方で,京都の攘夷派公家・浪士らの牽制や朝廷との交渉役も務めるというように,一貫して徳川家茂のサポート役を勤め,奥羽越列藩同盟軍を結成し,戊辰戦争では新政府軍と戦いましたが大敗。白河小峰城が焼失しました。
1866年(慶応2年)8代藩主・阿部正静のとき棚倉藩に転封され,白河藩領は二本松藩の預かりとなり戊辰戦争時は藩主不在で係争の地となりました。その後,さまざまな経緯を経て,以後天領となり,明治維新を迎えることになりました。
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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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【Summary】
Shirakawa Komine Castle, largely destroyed in the Boshin War, was authentically reconstructed in wood in 1991. Its stone walls collapsed in the 2011 earthquake but were restored by 2015. Ongoing projects include rebuilding Shimizu Gate. Unlike earlier concrete reconstructions, it represents Japan’s modern movement toward historically accurate wooden castle restoration.

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私は城マニアではないのですが,日本各地を旅するとどこも代表的な見どころが城,ということもあって,ほとんどの城郭は訪れています。
多くの城は,1873年(明治6年)の廃城令によって,廃城となってしまい,また,あるいは,第2次世界大戦で焼失してしまい,現在,江戸時代のままの姿で現存しているのは,現存12天守というようにわずか12。うち,特に歴史的価値が高いとして国宝指定されたのが,姫路城,彦根城,松本城,松江城,犬山城の5つ,また,重要文化財であるのは,弘前城,丸岡城,備中松山城,松山城,宇和島城,高知城,丸亀城の残りの7つで,私は,そのすべてに行ったことがあります。
  ・・
戦後,廃城,あるいは,焼失してしまった天守を再建する動きがあって,それに伴って,多くの城が姿を現しました。それらのうち,比較的早く再建したものは,鉄筋コンクリート造りで,単なる展望台と化しています。また,戦国時代の城など,当時の姿とは全く異なる,単なる観光施設であるまがいものの天守もあります。これらは,城の姿をしただけの客寄せパンダです。
それとは一線を画して,1990年以降,木造で当時の姿で復元される城が現れました。江戸時代以前の文献や古写真を基に,当時の工法や木材を用いて忠実に再現されたもので,白石城,白河小峰城,新発田城,掛川城,大洲城の5つあります。それらは,コンクリート製とは異なる本物の質感や木の香りが特徴です。私は,期せずして,掛川城,大洲城に行きましたが,今回,それらに加えて,白河小峰城に来ることができました。
また,本格復元志向に伴い,木造復元へ転換しようと計画されているのが,名古屋城や広島城ですが,さまざまな困難があって,なかなか実現に至りません。

白河小峰城は,戊辰戦争でほとんどの建物が焼失し,城址には石垣が残るのみとなっていましたが,1991年に本丸御三階櫓が木造により復元されました。また,2011年3月11日に発生した東日本大震災により石垣等が崩壊しましたが,2015年に復興されました。また,現在も引き続き復元が進んでいて,本丸正面にあった清水門を復元工事中でした。

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Pink Moon 2026.

2026年4月2日の月の出です。
ちょうど飛行機が月の表面を通りました。
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【Summary】
I often ride the Tohoku Shinkansen, but the area between Utsunomiya and Koriyama long felt unfamiliar yet fascinating. This trip, I rented a car in Shirakawa, discovered its spacious skies and views of the Nasu Mountains, walked from Shirakawa Station to Komine Castle, and enjoyed stunning scenery from the castle tower.

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東北新幹線は,近ごろ,利用することが少なくないのですが,宇都宮駅から郡山駅あたりまでが,私には未知の世界であり,あこがれれの地でもありました。尾瀬ケ原へ行ったり,奥日光へ行ったり,只見線に乗ったり,大内宿へ行ったりしましたが,どれもが点であって,結びつかないでいたのです。しかし,調べてみると,どこもつながっている,これが不思議なことでした。
また,那須連峰,那須塩原,という言葉になぜか惹かれました。新幹線の窓から那須連峰が美しく見られ,そのふもとには,優雅な住宅が広がっています。とはいえ,それらを巡るにはどうしていいのか皆目見当がつきませんでした。
私は,今回,もともとは郡山市に行くというのが目的だったのですが,ならば,白河市でレンタカーを借りればいいじゃないか,と思い立ちました。白河市というところも,藤井旭さんの白河天文台という言葉に酔っていただけで,何があるのか知りませんでした。ところが,昨年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」で登場した松平定信の治めた地ということで,関心をもちました。

最終の東北新幹線を新白河駅で降りて,夜遅く,予約してあった駅前の「東横イン」にチェックインしました。
  ・・
翌日2026年3月7日の朝,ホテルで朝食を済ませ,チェックアウトをして,レンタカーを借りました。「東横イン」は壁が薄く,隣の人のうるさいびきで眠れないというデメリットに加え,朝食が激混みなのが嫌いなのですが,今回はそんなこともなく助かりました。
東北新幹線は新白河駅ですが,白河小峰城のあるのは,白河駅の近くということで,まず,白河駅を目指しました。新白河駅と白河駅は在来線で1駅区間です。
少し走っただけで,白河市というところは,何とすてきな街なのか,と実感しました。何といっても,空が広い。そして,遠くに見える那須連峰が美しい。ほどなくして到着した白河駅前は,以前行ったことがある会津若松駅前を思い出しました。ロータリーが広く,また,無料の広い駐車場ありました。
車を停めて,白河小峰城まで歩きました。車を停めたのは,駅の南側で,さらに,その南に市街地が広がっているのですが,白河小峰城のある城山公園は駅の北側でした。駅の東側には「こみねふれあい通り」という連絡通路があったので,線路を越すのに遠回りをすることもありませんでした。連絡通路を出たところに,立派な白河小峰城の天守が見えました。
まず,天守台に登りました。そこから見えた那須連峰と白河市の街並み,そして,山形新幹線や秋田新幹線を接続した東北新幹線,とてもすばらしい景色でした。

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【Summary】
After attending an NHK Symphony Orchestra concert in Omiya, I took the Yamabiko 223 Shinkansen to Shin-Shirakawa. It had a rare combined formation that once allowed non-reserved seating on Komachi cars. With time before departure, I watched many crowded evening trains leave. My reserved seat was nearly full, and friendly conversation made the trip feel short.

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NHK交響楽団の大宮公演を聴き終えて,大宮駅に行きました。大宮駅午後10時9分発の「やまびこ」223号に乗って,新白河駅に向かうのです。
「やまびこ」223号は仙台駅行きで,新白河駅に行く最終列車でした。
「やまびこ」223号は「やまびこ」車両に「こまち」車両が接続されていました。私は鉄道マニアでないので,さっぱりわからないのですが,これは,東京駅着午後8時4分着の「はやぶさ」+「こまち」32号の折り返しなのだそうで,列車は,通常「やまびこ」として使われるE5系10両と「こまち」として使われるE6系の7両の17両編成です。この列車はE5系のグリーン車と指定席4両を除いた他の車両がすべて自由席ということで,通常は全席指定席の「こまち」に自由席で乗れるというレアな列車なのでした。
  ・・
ところで,3月14日にダイヤ改正が行われ,「やまびこ」223号は,大宮駅発が午後9時49分に変更となりました。「はやぶさ」43号全車指定席の仙台行きは時間が変わらず,大宮駅発午後9時59分なので,こちらが仙台駅に行く最終列車となりました。車内では,3月14日のダイヤ改正で最終列車の時刻が変更されるという放送がされていました。
さらに,私が乗った「やまびこ」223号はE5系の10両編成のみに変更となり,「はやぶさ」43号のほうが全車指定席のE5系10両にE6系の7両が接続された17両編成となりました。つまり,「やまびこ」223号と「はやぶさ」43号に使われる車両が入れ替えされたわけです。そこで,「こまち」に自由席で乗れるというものがなくなってしまったのです。そんなこと知っていたらレアな体験ができたのに,と惜しいことをしました。 …と,こういうことに鉄道マニアはこだわるのでしょう。

さて,私が,NHK交響楽団の大宮公演を聴き終えて大宮駅に着いたのが予想よりずっと早く,午後9時すぎだったので,待ち時間が1時間以上ありました。そこで,もう1列車早くならないか,と緑の窓口で聞いてみたのですが,ない,と即決で言われました。これもまた,後日,家で調べると,新白河駅に停車する大宮駅午後9時21分発の「やまびこ」221号がありました。これは自由席もあるので,切符を変更しなくても乗ろうと思えばそのまま乗れたのでした。しかし,そのときはそんなことを知らなかったので窓口で聞いてみたのですが,どうやら,切符を変更するのがめんどうだったのか,時間がかかるからなのか,嘘をつかれたみたいでした。あるいは,「やまびこ」221号の指定席は完売で,自由席は激混みなので,それを考慮した話だったのかもしれません。ともあれ,もう少し親切に説明してもいいのにと思いました。駅員さんにもいろいろな人がいます。
ともかく,時間があったので,ホームに出てみました。大宮駅は,ここを起点として,北陸新幹線,上越新幹線,東北新幹線,それに付随して,秋田新幹線,山形新幹線が出発するので,壮観なのです。
ところが,とんでもない風景が広がっていました。
大宮駅からは,東北新幹線では9時21分発の「やまびこ」221号,9時49分発の「なすの」275号,9時59分発の「はやぶさ」43号,上越・北陸新幹線では9時29分発の「かがやき」219号,9時45分発の「とき」347号,9時53分発の「あさま」631号,10時5分発の「たにがわ」475号というように,次々に新幹線が出発していったのですが,「とき」347号や「あさま」631号の自由席は通勤列車並みの激混みで,扉が閉まらないくらい。私には信じられない姿でした。金曜日の夜は帰省客などでいつもこんな感じなのでしょうか。ちなみに,実際,大宮駅と高崎駅間は新幹線通勤であふれているみたいです。首都圏には住みたくないものだと,しみじみ思いました。

さて,私の乗る「やまびこ」223号がホームにやってきました。私は指定席券をもっているので,激混みは気にならないのですが,指定席はほぼ満員でした。私の席は窓際でしたが,どういうわけか隣の通路側に座っていた人と波長が合って,おしゃべりをしていたら,あっという間に新白河駅に到着しました。

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【Summary】
Although I had already visited the Railway Museum in Omiya, I returned during my trip. I realized that similar museums exist because different JR companies operate them. Compared with Nagoya and Kyoto, Omiya focuses more on interactive learning. However, Kyoto’s larger scale and extensive exhibits made it the most enjoyable overall.

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大宮鉄道博物館は,以前,1度行ったことがあります。その後,名古屋市のリニア・鉄道館や,京都鉄道博物館にも行ったので,再び大宮鉄道博物館に行くとは思ってもいなかったのですが,せっかく大宮市に行ったので,寄ってみることにしました。どうして同じような施設がいくつもあるのだろう,と思ったのですが,私はうっかりしていました。大宮鉄道博物館はJR東日本,リニア・鉄道館はJR東海,京都鉄道博物館はJR西日本,そこで,それぞれが競い合っているわけでした。

開館したのは,大宮鉄道博物館が2007年10月14日,リニア・鉄道館が2011年3月14日,京都鉄道博物館が2016年4月29日です。
大宮鉄道博物館は,館内は広いのですが,京都ほどの屋外展示はなく,運転シミュレータ・ミニ運転列車といった体験型展示が多く,学びの密度が高いのが特徴です。日本の鉄道史を総覧する総合博物館で,体験型展示も充実しています。車両の展示は36両で,巨大ジオラマ,運転シミュレータなど体験要素が多いのが特徴です。
リニア・鉄道館は,大型ホールに,新幹線・リニアを中心に密度高く展示されていて,屋外展示は少なめですが,車両の保存状態は極めてよいとされています。また,技術展示・ジオラマが充実新幹線とリニアを軸にした高速鉄道技術の殿堂で,世界最高速度を記録した車両を含む39両を展示していて,新幹線シミュレータや巨大ジオラマが人気です。
京都鉄道博物館は,本館とプロムナードとSLの扇形車庫という三層構造の巨大施設で,屋外展示も広く,SLの転車台・検修庫がそのまま残る“鉄道の街・梅小路の歴史を丸ごと抱えたスケールです。梅小路蒸気機関車館を継承し,SLの実物運行を体験できる唯一の大規模博物館で, 展示車両は54両と国内最大級,歴史展示から最新技術まで,西日本の鉄道文化を総合的に紹介しています。
  ・・
ということで,よく似た施設ではあったのですが,大宮鉄道博物館は,中央に巨大なSLの実物があって圧倒されました。これが,決まった時間に汽笛を鳴らしながら回転台を一周する様は見事でした。
比較すると,やはり,規模が大きいだけあって,京都鉄道博物館がもっとも楽しめる施設だなあと思いました。

鉄道博物館を出て,大宮駅まで歩いていると,シルバー色の新幹線を見ました。後で調べてみると次のことがわかりました。
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山形新幹線「つばさ」は,もともとは400系シルバーカラーを採用していましたが,E3系の登場とともに3色カラーに置き換わりました。その「つばさ」のシルバーカラーを復刻した列車が登場したのです。それが,E3系シルバーカラー,通称「銀つば」です。
「つばさ」の400系は1992年にデビューしました。開業当時は東京駅から山形駅までの運転でしたが,1999年に新庄駅までの延伸が実現しました。当時は白色の新幹線が主流だったのですが,「つばさ」は近代的なシルバーカラーを採用しました。2014年以降は3色カラーが登場し,2016年にはシルバーカラーのつばさはラストランを迎えました。
「つばさ」E3系の車両デザインを担当したのは,山形県出身で世界的にも有名な工業デザイナーの奥山清行さんで,県に縁のある鳥,花,自然をもとにデザインされています。また,先頭部の紫色のデザインは紫色の飾り羽根をもつ山形の県鳥「おしどり」がモチーフとなっていて,帯には県花である「紅花」の生花の黄色と染料に加工されるにつれ徐々に赤くなる色の変化を表現しています。また,車体の白色は蔵王の雪の白がもととなっています。
引退したシルバーカラーのつばさ,通称「銀つば」は,2023年に6年半ぶりに復活しました。これは山形新幹線のさらなる魅力向上とプロモ―ションを目的としたもので,現行のE3系つばさ車両のうちの1編成をシルバーカラーで塗装しています。1編成しかないという貴重さから知る人ぞ知る車両となっています。
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【Summary】
After visiting the Mint, I stopped at Cocoon City, then visited Hikawa Shrine, drawn by its status as Musashi Province’s ichinomiya. The text explains ritsuryō institutions, shrine classifications, and ichinomiya rankings. Hikawa Shrine, an ancient Izumo-linked sanctuary with vast grounds, symbolizes early eastern governance and reveals deep pre-Edo regional history.

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造幣局を出て,ほど近いところにあった巨大ショッピングモール「コクーンシティ」(COCOON CITY)に行って,昼食をとりました。ここは,片倉工業の製糸場跡地に開発されたもので,コクーン1からコクーン3で構成された約270店舗を擁する県内有数の大型施設です。なぜか,ニュージーランドのクライストチャーチにあったモールを思いだしました。
昼食を終えて,鉄道博物館に行く途中で見つけたのが氷川神社でした。私は,この神社が武蔵国の一宮ということに惹かれて,行ってみることにしました。

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養老律令が作られたのは,728年(養老2年)のことでした。1867年(慶応3年)に王政復古の大号令が発せられたとき,摂関政治の廃止を謳い律令時代に戻す宣言が行われ,養老律令で定められた規定が採用されました。大日本帝国憲法が施行されるまで,養老律令が日本の憲法ということになります。
養老律令によると,令制国の国司が政務を執る施設である国庁が置かれたのが国府で,国府付近には,国庁のほかに国分寺,国分尼寺,総社が設置されました。総社とは,特定地域内の神社を合祀したものです。このように,一般に神社といっても,その成り立ちは様々です。式内社というのは延喜式によって官社に指定された神社の一覧(延喜式神名帳)に登載された神社のことで,いわば,公認の神社ということです。
一宮とは,令制国ごとに最も格式が高いとされた神社のことで,10世紀から11世紀ごろに成立したとされます。国司がまず参拝する筆頭神社として扱われ,多くの一宮が現在でも〇〇国一宮として信仰されています。一宮に次ぐ二宮,三宮もありますが,全ての国にあるとは限りません。また,一宮は地域内での筆頭であって,全国的な序列ではありません。
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武蔵国では,一宮は東京都多摩市一ノ宮にある小野神社,または,氷川神社,二宮はあきる野市二宮にある小河神社,三宮は氷川神社,または小野神社,四宮は秩父市にある秩父神社,五宮は埼玉県神川町にある金鑽神社です。

大宮市の氷川神社は,全国に約280社ある氷川神社の総本社でもあります。
創建は約2,400年前とも伝わる非常に古い神社で,主祭神は須佐之男(すさのお),稲田姫(いなだひめ),大己貴(おおなむち)。
約33万平方メートルという広大な境内へは,2キロメートル以上続くケヤキ並木の参道を通って,朱塗りの楼門や美しい神橋を渡っていくことになります。
氷川神社の起源は,神話,古代祭祀,武蔵国の政治構造が重なり合って形成されたものです。
氷川神社の主祭神である須佐之男,稲田姫,大己貴は出雲系の神々です。古代における出雲系氏族の進出やヤマト政権の東国支配の一環として「出雲の神を東国に祀ることで地域を統合した」という説があります。つまり,氷川神社は東国経営の象徴として創建された出雲系の古社という位置づけになります。
社伝では,氷川神社の創建は紀元前473年(孝昭天皇4年)と伝えられていて,これは,非常に古い時代からこの地で祭祀が行われていた,という伝承の重みを示しています。氷川神社の周辺は縄文時代から人が住み, 湧水や台地の地形が聖なる場所として選ばれやすい環境でした。そのため,自然崇拝が出雲系神の祭祀と発展し,武蔵国の国家的神社となったと考えられます。
私は,関東というと,江戸幕府の創設以前は辺鄙な田舎,というイメージでしたが,さにあらず。いつも思うのですが,日本の歴史は,それはそれは奥が深いもです。

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【Summary】
During a trip on March 6, 2026, I visited the Japan Mint Saitama Branch in Omiya. The factory makes coins, while banknotes are printed elsewhere. Watching the metal processing was interesting, but the museum left a stronger impression, especially the sale of commemorative coins and medals, which felt somewhat strange to me.

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2026年3月6日から3月8日に出かけた東北旅行,私がこだわったふたつのこと,藤井旭さんに関わりのあった郡山の「薄皮饅頭」と福島県の和泉式部の遺構について,先に書きましたが,時間を戻して,これからは順に書いていきます。今日は,大宮市の造幣局です。
大宮市といえば,だれしもが鉄道博物館といいますが,もうひとつは造幣局さいたま支局,ここは見学ができるということだったので,行ってみました。土日も見学はできますが工場はやっておらず,幸い3月6日は平日だったので,これもまた,好都合でした。

大宮駅を降りて,造幣局さいたま支局まで南に歩きました。大宮駅からほど近いと思っていたのですが,大間違いで,最寄りの駅は,ひと駅前のさいたま副都心駅でした。日本は東京だけが1点集中で発展している国ですが,どんどんと都心から外に外にと広がってきて,今や,大宮市も開発真っ只中,という感じでした。そんな中でも,大宮市の郊外のニュータウンの一角に造幣局さいたま支局がありました。
造幣局というからには,作っているのはコインで,紙幣を担当するのは印刷局です。
私は,かつて,ワシントンで,アメリカのドル紙幣を作っている工場を見学したことがあるのですが,日本のお金を作っている場所を見るのははじめてでした。
お金とはいえ,金属を加工している過程に過ぎないわけで,まあ,それだけの感想ですが,隣接する博物館のほうにはとても興味をもちました。

ちょっと不思議だったのは,記念硬貨とかメダルとか,そういうものに付加価値をつけてお土産として販売しているビジネスのほうで,お国がお金でお金儲けをしてはいかんだろう,と思ってしまいました。
また,ここでは勲章も作っていたのですが,私は,そもそも,勲章などにまったく価値観をもたないので,これもまた,すごい違和感がありました。不思議なところでした。

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【Summary】
After deciding to visit Shirakawa,I remembered a site related to Izumi Shikibu. By chance, the inn where I stayed stood at the historic Nekonaki Onsen, linked to a legend about her cat. The unexpected discovery felt like fate guiding me to another site connected with the poet.

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はじめは忘れていて,というくらいだから,私の和泉式部推し活もいい加減なものですが,白河市に行くと決めた後で,そういえば,と思い出したのが,和泉式部の遺構でした。
これを書いている現在,私が知った和泉式部に関する場所は次のようです。
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①岩手県北上市和賀町竪川目に墓所があります。付近が出生地あるいは没地と伝えられ,ここが和泉式部伝説の北限とされます。また,早世した小式部を哀れんだ隣人が五輪塔を建てたという伝説に準えて,五輪塔なども奉献されているそうです。
②福島県石川町には,この地方を治めた豪族・安田兵衛国康の子・玉世姫(たまよひめ)が和泉式部であるといういい伝えが残り,和泉式部が産湯を浴びた湧水を小和清水(こわしみず),13歳でこの地を離れた和泉式部との別れを悲しんだ飼猫「そめ」が啼きながら浸かり病を治したといわれる霊泉が猫啼温泉として現存します。
③長野県諏訪市の温泉寺に和泉式部の墓があるそうです。
④岐阜県可児郡御嵩町に廟所があるそうです。そこは,和泉式部が旅の途中で病に倒れ,鬼岩温泉で湯治したものの亡くなったと伝えられているという場所です。
⑤貴船神社は縁結びの神社です。「恋を祈る神社」として知られるようになったのは,今から千年もの昔,宮廷の女流歌人として名高い和泉式部が,夫の心変わりに悩んだ末に貴船神社に参詣し,夫との復縁を祈願したところ,願いが叶えられたという話にはじまります。
⑥木津川市の和泉式部が晩年を過ごしたとされる場所に小さな墓があります。
⑦京都市中央区の誠心院の境内に,和泉式部の墓とされる宝篋印塔があります。
⑧京都市右京区太秦には,太秦和泉式部町という地名があります。
⑨亀岡市の稱名寺(しょうみょうじ)に和泉式部の墓所があると伝えられます。
⑩堺市西区平岡町には,居宅跡である「和泉式部宮」があります。また,
⑪岸和田市の阪和線下松駅周辺には和泉式部にまつわる池や塚などが存在します。
⑫伊丹市の旧西国街道・伊丹坂の上,旧北村字村畑にも和泉式部の墓所があるということです。
⑬山口県山陽小野田市小埴生にも和泉式部の墓所があります。
⑭佐賀県嬉野市白石町の福泉禅寺で生誕し大黒丸夫婦に育てられたとされるいい伝えがあり,福泉禅寺には故郷を偲んで詠んだとされる和歌の掛け軸が伝わっていて,境内には歌碑と供養塔が建立されているといいます。
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このうち,①④⑤⑥⑦⑧⑨⑫は行きました。そして,今回が②だったのですが,私は,和泉式部の庵跡地の化粧井しか見つけられなかったので,それを目指していきました。場所はかなりわかりにくく,和泉式部の庵跡地という案内表示をかろうじて見つけて,狭い道路を上がっていくと,何とか1台車を停めることができるスペースがあったのでそこに車を停めて,そこから歩いていきました。それはかなり荒れ地を進んでいったところでした。一応,歩けるようにはしてありましたが,こんなところに住んでいたの? という感じでした。
そして,すでに書いたように「式部のやかた井筒屋」に向かったのですが,このときまで,私は「式部のやかた」という名前は,この和泉式部の庵跡地から名前をとったものだと思っていたのです。ところがところが…。この「式部のやかた井筒屋」さんのあった場所こそ,「13歳でこの地を離れた和泉式部との別れを悲しんだ飼猫「そめ」が啼きながら浸かり病を治したといわれる霊泉が猫啼温泉として現存します」と書いた猫啼温泉だったのです。なんという偶然の幸運。もし,それをしらず,この旅館に泊まらずにいて,後日それを知ったら,ものすごく後悔したことでしょう。それにしても,こんなことを目的にこの 猫啼温泉に泊まる客がどれだけいることやら…。旅館の裏手には,和泉式部櫛上げの石が存在しでいました。
こうして,私は,今回もまた,期せずして,和泉式部の遺構を訪ねることができたのでした。
それにしても,①の岩手県といい,今回の②の福島県といい,こんな遠いところにまさか行けるとはねえ。それもまた,両方とも,そこへいくことが本来の目的でなかったのに…。何かに導かれているとしか思えません。来世で和泉式部さんにお会いできるのが楽しみです。

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【Summary】
About fifty years ago I read a story about Akira Fujii, who loved the stars and once worked at a manju shop in Koriyama. Later I learned the shop was Kashiwaya. During a recent visit, I finally bought their famous thin-skinned manju at the main store, fulfilling a dream I had held for fifty years.

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以前,「「白河天体観測所」-50年本当に楽しかったのだろうと」に次のように書きました。
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藤井旭さんは1941年の生まれ。子供のころに戦後で何もないので星ばかり見ていた事から星が好きになったのだそうです。山口市の出身なのですが,大学は(入学試験が楽なので)多摩美大を志願して見事入学。入学後は星ばかりを見て過ごし,卒業後,とにかく星がよく見えるところという条件で東北を旅していたときに,ちょうど郡山に寄った際,饅頭屋で「これはうまい」と言ったら,それを耳にした社長から「それじゃ社員になれ」ということでお客が直ぐに店員となって働き出したという経歴の持ち主です。
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この文章は,今から50年以上前「月刊天文ガイド」の別冊に書かれてあったものの再掲ですが,多感な子供のころにこんな文章を読めば,感化されないわけありません。
私が謎だったのは,一体郡山というのはどういうところなのか,そして,饅頭屋というのは?
文章になかには,饅頭屋さんの具体的な名前はありません。しかも,その後も,藤井旭さんは,自分が勤めたという饅頭屋さんのことをまったく書いていません。それもまた,不思議なことなのですが…。

というだけのことなのですが,何かのきっかけで,私は,その饅頭屋さんというのが柏屋さんということを知って,ぜひ一度行ってみたいと思いました。そして,それを実現するために,今回,郡山市に行ってみたわけです。
郡山市は,思った以上に大きな街でした。そして,柏屋さんは,多くの店舗がありました。主力製品の「薄皮饅頭」は,東京の「志ほせ饅頭」,岡山の「大手まんぢゅう」,福島の「薄皮饅頭」という「日本3大饅頭」のひとつだそうです。私がこだわったのは,駅前の本店でその「薄皮饅頭」を買う,ということでした。
店舗に入ると,年配の女性の店員さんがいたので話しかけると,確かに,ここは藤井旭さんと関係があるということがわかりました。

いろいろなことをお聞きしようかどうか迷ったのですが,ここはひとつ,何も聞かないでおこう,と思いました。いきなり訪れたただの客がそんなことに立ち入ってはいけない,という思いと,藤井旭さんのことは,あまり知らないほうがいい,という思いがありました。
ともかく,私は,こうして,50年来の夢を実現して,お土産に買った「薄皮饅頭」を手に,郡山市を後にしました。

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【Summary】
In March 2026, I planned a trip around a concert by the NHK Symphony Orchestra in Omiya. My plan gradually expanded from a day trip to a two-night journey visiting Shirakawa and Koriyama, staying at a hot-spring inn and exploring places related to the poet Izumi Shikibu, though I worried about possible snow.

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私は,50年来,郡山市で売っているという柏屋さんの「薄皮饅頭」を,その本店で買いたいという夢をもっていました。その理由は,また,あとで…。
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とはいえ,私が尋ねた人のみんなが「郡山? 何もないよ」というので,わざわざ薄皮饅頭を買うためだけに郡山市まで行くのも,とずっと思っていました。
そんな折,2026年3月6日,NHK交響楽団の大宮公演を聴きにいくことにしたとき,これは郡山市に行く絶好の機会だと思いました。それが,結局,3月6日から3月8日までの2泊3日の東北地方まで発展したのですが,この旅が2泊3日になるまで,紆余曲折がありました。

●日帰り旅行の計画
かねてから,何かのついでに郡山市に行ってみたいと思っていたので,NHK交響楽団の大宮公演を機会に,郡山市に行って,その帰り大宮市でNHK交響楽団の大宮公演を聴いて,その日に帰る,という案を考えました。
●1泊2日の旅行計画①
日帰り旅行をしただけでは…,と思っているうちに,まず,3月6日のお昼間は大宮市の観光をして,夜,NHK交響楽団の大宮公演を聴いてから,東北新幹線に乗って郡山市に行って宿泊し,翌日の夜帰る,という計画にしました。
●1泊2日の旅行計画② 
そのうちに,白河市も行ってみたい,と思うようになり,ならば,NHK交響楽団の大宮公演を聴いてから,東北新幹線に乗って新白河駅で降りて,白河市に1泊して,翌日3月7日にレンタカーを借りて,白河市と郡山市を観光しようということになって,まず,新白河駅前の東横インを予約しました。
●2泊3日の旅行計画
次に,白河市のどこを観光するか調べているうちに,「式部のやかた井筒屋」という旅館を見つけてしまいました。食事もすてきだったし,何より,温泉,というのがいい,と気に入りました。式部,というからには,和泉式部だろう,となぜか思いました。
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私は,和泉式部の足跡を探す旅を続けていて,これまでにも,日本各地,和泉式部ゆかりの場所に行ったことについて書いていますが,そのとき,そういえば,白河市の付近にも和泉式部に関連した遺構がある,ということを思い出しました。ならば,ということで,3月7日の夜は「式部のやかた井筒屋」に泊まって,白河市と郡山市と和泉式部の遺構を訪ねる旅にすることにしました。
こうして,「式部のやかた井筒屋」を予約し,名古屋駅から新白河駅までの往復の乗車券と,行きは名古屋駅から東京駅を東海道新幹線,東京駅から大宮駅は在来線,大宮駅から新白河駅まで東北新幹線,帰りは,新白河駅から東京駅までは東北新幹線,東京駅から名古屋駅までを東海道新幹線,というJRの切符を購入し,3月7日から3月8日までの2日間,新白河駅でレンタカーを予約したのでした。

果たして,どんな旅になることやら…。ともかく,行ったことがないところは魅力的でした。
ただひとつ心配だったのは,寒の戻りでとても寒く,雪が積もっていたら車で走るのは大変だなあ,ということでした。


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