【Summary】
At the Kyoto Symphony Orchestra’s February subscription concert, Schubert’s “Tragic” Symphony sounded unexpectedly bright and refined, contrasted with the raw, expansive first version of Bruckner’s Third. Its long slow movement, rugged scherzo, and dramatic pauses proved challenging yet compelling, reaffirming the unique power of Bruckner’s symphonic world.
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京都市交響楽団の2月定期演奏会。
1曲目はシューベルトの交響曲第4番「悲劇的」(Tragische)。シューベルトにかかると,悲劇的も悲劇的にならず,明るくなってしまう。これが救いです。要するに,あか抜けているのです。2曲目は,それに対比するように,ブルックナーの交響曲第3番。特に第1稿(初稿)。これほどあか抜けていない曲はあるのだろうか。よくいえば素朴。
ということで,この2曲を並べたのが妙でした。
ブルックナーの交響曲第3番,第1稿は,第1楽章はともかく,長く,それも通常の長さでない第2楽章。これが退屈でないのがすごいわけですが,このごろやっと,ブルックナーがよくわからない,という人の気持ちがわかるようになりました。あの,行ったり来たり,煮え切らない時間は,そりゃ,そのよさがわかるのは,というか,受け入れることができるのは,並大抵のことではないのかもしれません。悪くいえば,長いだけで中身のないモテない男の話みたいです。私は,第3番に限らず,ブルックナーのほどんどの交響曲に共通するこの緩徐楽章のすばらしさこそがその魅力だと思うのですが。
そして,第3番の第1稿がさらに魅力的なのは,第3楽章です。ブルックナーの交響曲は,スケルツォが独特で個性的ですが,第1稿と第3稿違いは,劇的な構成の短縮とコーダにおけるブルックナによる41小節におよぶ追記の採用の有無です。第1稿は長大で精緻,それに対して,第3稿では簡潔かつ効果的に改訂されました。そこで,第1稿は,初期の生々しいブルックナーの音響が残されていて,より荒々しいスケルツォの雰囲気をもっているわけです。
また,特筆すべきは第4楽章のこれでもかこれでもかとやってくる休符。これがブルックナー休符といわれるものですが,この休符はうまく演奏すれば非常にこころに残るし,下手をすれば,めちゃくちゃになってしまうわけで,おそらく,演奏者にとっては正念場でしょう。今回はとてもよかった。
この第3番は,根底にあるのがワーグナー。そこで,ワーグナー交響曲とよばれる所以ですが,ワーグナーのメロディが時折ひょっこりと顔をだす,それもまた,聴きどころです。
今回の演奏会に限らず,どの演奏会でも,ブルックナーの交響曲となると,それを好む人が一定数いて,会場にやってくる。そこで,曲が終わると独特なムードになります。今回もそうでした。
京響の定期演奏会の観客はおとなしいのですが,今回はやたらと「ブラボー」がかかりました。
私は,久しぶりにブルックナーの交響曲を聴いて,やはりいいなあ,と思いました。京都市交響楽団の定期演奏会では,今年は10月の第716回で第6番が演奏されます。私の大好きな第6番。これもまた楽しみです。
なお,下記の写真は,ウィーンにあるシューベルトが実際に使用した眼鏡です。
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