しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ: クラシック音楽を聴く

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【Summary】
On January 11, 2025, I attended the Central Aichi Symphony Orchestra’s concert featuring violinist Mayuko Kamio, conducted by Junichi Hirokami. Kamio’s performance of Tchaikovsky’s Violin Concerto was outstanding, especially the first movement. The encore was Paganini’s Caprice No. 5. The program also included Berlioz’s Symphonie fantastique, which was delightful. After the concert, Hirokami gave remarks and requested donations for disaster relief in the Noto Peninsula, followed by an encore of Grieg’s Last Spring. It was a truly fulfilling experience.

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 2025年1月11日。
 これまで,演奏会で多くのソリストの演奏を聴いてきましたが,以前から一度聴いてみたいと思っていたヴァイオリニストの神尾真由子さんは,その機会がなくて,残念に思っていました。そこで,このたび,セントラル愛知交響楽団の定期演奏会で,神尾真由子さんが出演することを知ったので,行ってみることにしました。
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 神尾真由子さんは,10歳でソリストとしてデビュー,2000年ニューヨークへ留学,2002年日本に戻り,演奏活動をはじめました。2007年第13回チャイコフスキー国際コンクールヴァイオリン部門第1位。2011年に拠点をニューヨークに移し ,2019年に再び拠点を日本に移しました。
 使用楽器は,2017年より宗次コレクションから貸与された1731年製ストラディヴァリウス「ルビノフ」。
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 この日の演奏会は,広上淳一指揮で,曲目は,チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とベルリオーズの「幻想交響曲」でした。
 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は哀愁ただよう曲で,若いころよく聴きましたが,なぜか,このごろはあまり耳にしません。神尾真由子さんの弾くチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は定評があるので,とても楽しみでした。
 私は,技術的なことはさっぱりわかりません。演奏のできだけでなく,さまざまな要因もすべて含めて,今日は聴きにきてよかったなあ,と思うときに,幸せを感じるわけで,それを体験したいから,演奏会に足を運ぶのです。愛知県芸術劇場コンサートホールは,音響はよいのですが,座席がいまいちで,たとえば2階席の最前列は,一見よさそうですが,実は,前にある落下防止の手すりが邪魔になって,指揮者が隠れます。今回は,2階の左側2列目で,この席は,なかなかでした。ソリストと指揮者をしっかりと見ることができました。欲をいうと,2階の右側のほうがよりよいです。
 さて,神尾真由子さんの演奏ですが,本当にすばらしいものでした。特に第1楽章。第1楽章が終わったところで,思わず拍手が起きたのもわかるような気がしました。音程もしっかりしているし,一音一音がしっかりと奏でられる,かつ,美しいのです。円熟の味。のめりこみました。
 アンコールはバガニーニの「24のカプリス」より第5番。こちらは神尾真由子さんお得意の技巧的な曲でした。

 もう1曲は,ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz)の「幻想交響曲」(Symphonie fantastique)でした。この曲もまた,以前はNHK交響楽団の定期公演でずいぶん聴いたことがあるのですが,このところご無沙汰していました。「幻想交響曲」は「恋に深く絶望しアヘンを吸った豊かな想像力を備えたある芸術家」の物語を音楽で表現したもので,「史上初のサイケデリックな交響曲」といわれる不思議なファンタジーですが,いつも楽しめる曲です。この日の演奏もなかなかのものでした。楽しい土曜日の昼下がり,こうした曲はとても適していました。
 プログラムの終了後,広上淳一さんの挨拶と能登半島の災害に関して寄付のお願いもありました。あわせて,グリーグのふたつの悲しい旋律から第2番「過ぎし春」のアンコールがありました。
 満ち足りた時間になりました。

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【Summary】
On January 6, 2025, I visited the SCMaglev and Railway Park in Nagoya. The next day, I attended a Central Aichi Symphony Orchestra rehearsal at Inazawa Civic Hall, which was free to watch. Before that, I cycled to Chiyoda Elementary School in Inazawa, inspired by an NHK BS program that featured a heartfelt story about the school.

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 2025年1月6日は,正月のお籠り状態から脱出するために外出して,名古屋市のリニア・鉄道館に行きました。そして,その翌日,1月7日は,稲沢市民会館でセントラル愛知交響楽団のリハーサルを見にいくことにしました。年に6回ほど,この会場でリハーサルを行っていて,無料で見学できるのです。前々から気になっていたのですが,これまで行く機会がありませんでした。

 と,その前に,少し時間があったので,ある場所を経由することにしました。リハビリ?の続き?です。ある場所というのは,2024年12月4日にNHKBSで放送された「にっぽん縦断こころ旅」の1259日目愛知県稲沢市「田んぼしかない通学路」で取り上げられた稲沢市立千代田小学校です。
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 泣いてしまい,ひとりで登校できない娘さんの後ろから,毎日,小学校までついて行った通学路が真理さんのこころの風景です。お手紙には心細そうな後ろ姿の娘さんの写真と手書きの地図が同封してありました。手紙を読んだぐっさんは,ご自分のお子さん達のことを思い出し,気持ちがわかると。
 稲沢市の祖父江ぎんなんパークを出発。快晴の秋空の下,銀杏や稲刈り後の田んぼなど秋の匂いを堪能しながらまずは小学校へ。そこからは地図をたよりに,通学路を逆走し写真の場所を探します。
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 ということで,自転車でぐるりと回ってみました。
 稲沢市立の小中学校は,今でも,二宮金次郎の像があります。

 さて,そのあと,稲沢市民会館に行きました。ここの中ホールは,一昨日にも室内楽アンサンブル-ニューイヤーコンサート「七」を聴きに来ましたが,今日は大ホールです。
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 セントラル愛知交響楽団(Central Aichi Symphony Orchestra)は,名古屋市に本拠を置くプロのオーケストラです。1983年(昭和58年)中部地区では2番目となるプロオーケストラ「ナゴヤシティ管弦楽団」が結成されました。1997年(平成9年)にセントラル愛知交響楽団に名称を変更しました。
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 この日リハーサルを行っていたのは,2025年1月12日に愛知県芸術劇場コンサートホールで行われる公演のもので,松尾葉子指揮,金原聡子ソプラノで「超!有名曲シリーズ」と銘打って,ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」より 序曲,喜歌劇「こうもり」より「チャルダッシュ」,レハールの喜歌劇「メリー・ウィドウ」より「ヴィリアの歌」, ヨハン・シュトラウスⅡ世の「美しく青きドナウ」でした。
 私は,まったく楽器が弾けないので,演奏会など出たこともないし,こうしたリハーサルを見るのもはじめてでした。
 会場には約100人の観客がいました。
 わずか1時間程度でしたが,みるみる演奏が完成していくのがおもしろかったです。実際の演奏会にかずとも,これで十分に堪能できました。

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【Summary】
On January 5, 2025, I attended the “New Year Concert ‘Seven’” at Inazawa City Hall, featuring a seven-member ensemble from the Nagoya Philharmonic. The program included Strauss, Brahms, and Beethoven’s Septet. Despite its appeal, the concert saw only half occupancy due to poor promotion. Local halls like Inazawa City Hall have great potential but are underutilized, while nearby venues such as Tokai City Arts Theatre and Toyota Concert Hall host more frequent performances.

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 2025年1月5日,愛知県稲沢市の稲沢市民会館で「ニューイヤーコンサート「七」」が開催されたので,聴いてきました。名古屋フィルハーモニー交響楽団のコントラバス奏者・坂田晃一さんが稲沢市在住ということで,このようなコンサートが企画されたそうです。昨年は,2024年1月21日に稲沢市民会館で「NEWYEAR2024洋と和の弦楽CONCERT~新春ストリングスの祭典~」が開催されたので聴いたのですが,あれから1年が過ぎました。
 今年は,名古屋フィルハーモニー交響楽団から7人の奏者で結成されたアンサンブルで,曲目は前半がヨハン・シュトラウスの「春の声」「シャンパンポルカ」「観光列車」とクイズのお楽しみ,続いて,ブラームスのハンガリー舞曲第5番,そして,後半が最後がベートーヴェンの七重奏曲でした。
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 6楽章からなる七重奏曲は,1770年生まれのベートーヴェン初期の傑作です。作曲されたのは交響曲第1番と同じ時期である1799年から1800年にかけてです。
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 前半は,気楽に楽しめるもので,後半は,うって変わって,ベートーヴェンの傑作を40分ほど味わうことができました。
 こうした音楽が身近に楽しめるのはとてもいいものです。

 愛知県稲沢市は人口約13万人です。名古屋駅から近く,名鉄電車なら10分ほどです。名古屋市にはクラシック音楽を楽しめるホールがとても少なく「名古屋飛ばし」も多くて,私も,東京や大阪まで出かけているのですが,実は,名古屋市周辺には,けっこういいホールがあります。
 なかでも,東海市芸術劇場,豊田市コンサートホールは,多くの演奏会が行われています。稲沢市民会館も客席13,000人ほどの大ホール,500人ほどの中ホール,250人ほどの小ホールとあるのですが,なかなか私が聴きにいこうと思うような演奏会が開かれません。市の組織のひとつとしての位置づけでしかなく,何をやっているのか宣伝がほとんどされていないというのが実情です。私も,今回の演奏会を知ったのは1週間ほど前のことでした。もったいない話です。
 昨年の「NEWYEAR2024洋と和の弦楽CONCERT~新春ストリングスの祭典~」も,石田泰尚さんが演奏したのにもかかわらず,空席が目立ったし,今年も,これだけ魅力的な演奏会なのに,会場は中ホールでしたが,それでも,半分ほどの入りでした。

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【Summary】
In December 2024, I listened to NHKFM's broadcast of Fabio Luisi conducting Beethoven's Ninth Symphony with the NHK Symphony Orchestra, recorded on December 17. Compared to my recent satisfying experiences with recordings by Günter Wand and Seiji Ozawa, Luisi's unusually fast tempo left me disappointed and uncomfortable, lacking depth and emotion.

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 2024年12月25日,NHKFMで「N響第9演奏会」を聴きました。指揮はファビオ・ルイージさん,12月17日に行われたものの録音です。
 これを聴いたころの私の精神状態をまず説明しましょう。
 私がこのごろのめりこんでいるのは,YouTube の NDRKlassik チャンネルで聴くことができるギュンター・ヴァント指揮のブルックナーの交響曲です。そしてまた,この日の午前中は,YouTube で,2017年10月に行われた水戸室内管弦楽団第100回記念定期演奏会で小澤征爾さんが最後に指揮をしたベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章を見ました。これらは本当にすばらしいもので,私は満ち足りていたのです。
 そこに流れてきたNHKFMの「ファビオ・ルイージの第9」。私はこれにすっかり興ざめしてしまいました。そして,不快になりました。あまり批判はしたくないのですが,ファビオ・ルイージさんの指示するテンポ。これが私にはまったくだめで,やたら速ければいい,というものではないだろう,これでは感動のかけらもない,と思いました。

 私は,ここ50年以上,ラジオやテレビで,そして,ときには実際に会場で「N響の第9」を聴いています。子供のころ,はじめて触れた「N響の第9」は,教育テレビといった現在のEテレで岩城宏之が指揮をしていたものです。それ以来,生で聴くのが夢だったのですが,はじめてNHKホールで聴いたのは1975年のことでした。
 ただし,私は,年末にN響第9演奏会に行くことを恒例にしている,という趣味はありません。ただ,私の気に入った指揮者とソリストのときのN響第9演奏会ならば,聴きにいこうと思っているだけです。そうした理由から,最近私がN響第9演奏会に行ったのは,2015年のパーヴォ・ヤルヴィ指揮と2016年のヘルベルト・ブロムシュテッド指揮のものでした。そしてまた,今でも聴きにいかなかったことを後悔しているのは,2011年のスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮のものです。
 なお,2009年のクルト・マズア指揮では,第3楽章の出だしで指揮者の指示するテンポを演奏せず,指揮者が曲を止めてしまうというハプニングがありましたが,このころのN響は「N響の第9」というテンポが存在していて,指揮者の指示するテンポが「N響の第9」と違っていたことからきたものだったようです。
 昨年の下野竜也さんが指揮した「N響の第9」は聴きにいかなかったのですが,後日,NHKFMとEテレで触れて,引き込まれました。特に女性のソリストがふたりともすばらしかった。 
 今年もまた,行くことはなかったのですが,9月19日にNHK交響楽団の定期公演Bプログラムでファビオ・ルイージさんが指揮をしたベートーヴェンの交響曲第7番の第4楽章が異常に速かったので,今回の交響曲第9番もものすごく速いのではないか,と半ば期待し,危惧もしました。そしてやはり,というか…。
 交響曲第7番の第4楽章の速さは,それはそれはそれでありかな,とも思ったのですが,交響曲第9番はそれとは性格が異なります。このごろのベートーヴェンの交響曲は,第9番に限らず,速いのが流行していて,それがベートーヴェンの自筆譜にある速度記号どおりらしいのですが,私が若いころは,これはベートーヴェン時代のメトロノームの影響であって,そんな速いテンポでは演奏できないから間違いだと習いました。それに,当時は,朝比奈隆指揮する大阪フィルハーモニー交響楽団の交響曲第9番では2管編成を倍にするなど,演奏者も今より数を増やし,テンポも重々しく,威厳をもたせるなど,現在の演奏とは真逆のものでした。

 2015年のパーヴォ・ヤルヴィ指揮の交響曲第9番も異常に速かったのですが,それは高級スポーツカーでアウトバーンを颯爽と走るようなさわやかさと気品がありました。しかし,今年のファビオ・ルイージ指揮の交響曲第9番は,ランドクルーザーで未舗装の石ころだらけの山道をとんでもない速度でガタガタいわせながら走るという様に私には思えました。これだけの速さの演奏がめっちゃくちゃにならないのはNHK交響楽団のうまさですが,これでは楽譜をなぞるだけで精一杯だし,ソリストが自分の味を出す余裕などなく,したがって,深みも感じられませんでした。
 話は少し発展します。
 以前書いたことがあるのですが,2020年01月17日に行われたNHK交響楽団第1931回定期公演で,ツィモン・バルトというピアニストが演奏したブラームスのピアノ協奏曲第2番が,今回とは逆にあまりに遅く不快で,この演奏が今も私のトラウマとなっていて,大好きだったブラームスのピアノ協奏曲第2番を聴くたびに暗い気持ちが襲います。また,2024年9月14日のNHK交響楽団第2016回定期公演でのファビオ・ルイージ指揮するブルックナーの交響曲第8番の第1稿もだめで,こんなの聴いていたらブルックナーが嫌いになりそう,と思いました。そして,それ以来,ブルックナーの交響曲第8番の第1稿には拒否反応を起こすほどになってしまいました。
 このように,演奏会には,自分には不向きな演奏で,聴きにいかなければよかった,聴かなければよかった,というものもあるのです。

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●「N響の第9」歴代指揮者
2024年:ファビオ・ルイージ
2023年:下野竜也
2022年:井上道義
2021年:尾高忠明
2020年:パブロ・エラス・カサド
2019年:シモーネ・ヤング
2018年:マレク・ヤノフスキ
2017年:クリストフ・エッシェンバッハ
2016年:ヘルベルト・ブロムシュテット
2015年:パーヴォ・ヤルヴィ
2014年:フランソワ・グザヴィエ・ロト
2013年:エド・デ・ワールト
2012年:ロジャー・ノリントン
2011年:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
2010年:ヘルムート・リリング
2009年:クルト・マズア
2008年:レナード・スラットキン
2007年:アンドリュー・リットン
2006年:上岡敏之
2005年:ウラディミール・アシュケナージ
2004年:クシシュトフ・ペンデレツキ
2003年:マティアス・バーメルト
2002年:大野和士
2001年:ハインツ・ワルベルク
2000年:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
1999年:準・メルクル
1998年:イルジー・コウト
1997年:シャルル・デュトワ
1996年:シャルル・デュトワ
1995年:エフゲニー・スヴェトラーノフ
1994年:イルジー・ビェロフラーヴェク
1993年:エリアフ・インバル
1992年:若杉弘
1991年:ウーヴェ・ムント
1990年:ハインツ・ワルベルク
1989年:若杉弘
1988年:フェルディナント・ライトナー
1987年:ベリスラフ・クロブチャール
1986年:オトマール・スウィトナー
1985年:ヘルベルト・ブロムシュテット
1984年:ヴァーツラフ・ノイマン
1983年:ペーター・ギュルケ
1982年:オトマール・スウィトナー
1981年:ズデニェク・コシュラー
1980年:ラルフ・ワイケルト
1979年:イルジー・ビェロフラーヴェク
1978年:オトマール・スウィトナー
1977年:ホルスト・シュタイン
1976年:フェルディナント・ライトナー
1975年:ロヴロ・フォン・マタチッチ
1974年:オトマール・スウィトナー
1973年:ロヴロ・フォン・マタチッチ
1972年:ジョセフ・ローゼンシュトック
1971年:オトマール・スウィトナー
1970年:ヴォルフガング・サヴァリッシュ
1969年:岩城宏之
1968年:岩城宏之
1967年:ロヴロ・フォン・マタチッチ
1966年:ロヴロ・フォン・マタチッチ
1965年:ヨーゼフ・カイルベルト
1964年:アレクサンダー・ルンプフ
1963年:ウィルヘルム・ロイブナー
1962年:小澤征爾(中止)
1961年:ウィルヘルム・シュヒター
1960年:ウィルヘルム・シュヒター
1959年:ウィルヘルム・シュヒター
1958年:ヴィルヘルム・ロイブナー
1957年:ヴィルヘルム・ロイブナー
1956年:ジョセフ・ローゼンシュトック
1955年:ニクラウス・エッシェンバッハ
1954年:ニクラウス・エッシェンバッハ
1953年:ジャン・マルティノン
1952年:クルト・ヴェス
1951年:なし
1950年:山田和男
1949年:レオニード・クロイツァー
1948年:尾高尚忠
1947年:尾高尚忠
1946年:尾高尚忠
1945年:ジョセフ・ローゼンシュトック
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【Summary】
On December 21, 2024, at the ROHM Theatre Kyoto, I attended a concert featuring Junko Onishi Trio and the Kyoto Symphony Orchestra performing Gershwin’s Rhapsody in Blue. This unique fusion of jazz and classical music was a thrilling experience, fulfilling a long-held dream.

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 何かのきっかけで,偶然,大西順子トリオが京都市交響楽団と共演して,ガーシュインの「ラプロディー・イン・ブルー」を演奏するということを知って,チケットを購入しました。そのコンサートが行われたのが2024年12月21日。場所は京都のロームシアターというところでした。
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 -小澤征爾が認めた才能,大西順子のジャズと京響クラシックが出会う-
 京都市交響楽団と異ジャンルのアーティストのコラボレーションによって,オーケストラの新たな魅力を発見するシリーズ。世界各国で活躍しているジャズ・ピアニストの大西順子と京都市交響楽団が夢の共演を果たします。
 ガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」をはじめとする名曲の数々をお楽しみいただけるプログラムです。クラシックとジャズが織りなす特別なコンサートにぜひご注目ください。
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 大西順子トリオは,今から11年前の2013年,サイトウ・キネン・フェスティバルで,小澤征爾さんと「ラプソディ・イン・ブルー」を共演しました。当時,大西順子さんは引退を宣言していたのですが,一夜限りの復活を果たした出来事として,話題をよびました。
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 引退を宣言したあと,最後のライブに村上春樹さんが小澤征爾さんを連れて聴きにきたのですが,MCで引退すると話していたら,突然。小澤征爾さんが立ち上がって「おれは反対だ!」とおっしゃって。そのまま打ち上げにもいらして,ずっと私を説得していました。村上春樹さんはそんなことは関係なく,とても気持ちよさそうに打ち上げのお酒を飲んでいて,ふと「小澤さんと大西さんが「ラプソディ・イン・ブルー」やってるの聴きたいなぁ」っておっしゃったんですよ。それに小澤征爾さんが飛びつかれたんですね。
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だそうです。
 私は,このコンサートをテレビで見たのですが,そのときの印象がかなり強烈でした。

 先日,大西順子さんがソロで愛知県東海市でコンサートをやったのを聴いたのですが,私は,ジャズピアノだけではそのよさがよくわかりませんでした。何せ,原曲をしらないものだから,どうアレンジしても,私には馬の耳に念仏。残念でした。
 それが,こうして,今回,11年前の再現として,「ラプソディ・イン・ブルー」を聴く機会が訪れるとは夢にも思いませんでした。オリジナルを知っている私としては,突如,曲がジャズの世界に入り込んだり,夢から覚めるように原曲に戻ったり,そのことだけでもすばらしい体験でした。
 またひとつ夢がかないました。
 アンコールは「What a wonderful world」でした。

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【Summary】
I attended a concert by the Deutsche Kammerphilharmonie Bremen at the Hyogo Performing Arts Center's KOBELCO Grand Hall, featuring Mozart’s Don Giovanni Overture, Beethoven’s Violin Concerto, and Mozart’s Symphony No. 41. Though enjoyable, I felt the program would have been better with Haydn symphonies replacing the first two pieces. The venue, with excellent visibility and comfort, left a strong impression, and I recalled attending a concert here nine years ago.

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 ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の演奏会。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を挟んで,1曲目がモーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲,3曲目がモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」でした。
 それでも悪くはなかったのですが,私は,むしろ,CDが発売されたこともあり,ヴァイオリン協奏曲を最後にして,1曲目と2曲目にハイドンの交響曲を曲目にすればもっとよかったのに,と思いました。

 会場の兵庫県芸術文化センターKOBELCO大ホールは収容人数2,000人で,すばらしいところでした。はじめてだと思っていたのですが,会場に着いて,以前来たことがあったなあ,と思い出しました。それは,ここで今から9年前の2015年9月18日にヴァイオリンの日下彩矢子さん率いるベルリン・コンツェルトハウス室内オーケストラのコンサートを聴いたのです。
 このときはJR西宮駅から歩いてきたのですが,今回は阪急電車の西宮北口駅からだったから,すぐに思い出せなかったのです。
 私は,多くの会場に行く機会があるのですが,兵庫県芸術文化センターKOBELCO大ホールは見やすさという点でも最高です。私の住む愛知県には,愛知芸術劇場があって,そこは収容人数2,480人の大ホールと1,800人のコンサートホールがあるのですが,大ホールは作られた当時はオペラができるホールという触れ込みでしたが,オペラなどめったに行われません。また,コンサートホールは,音はいいらしいのですが,会場への入り口は狭く,また,2階席は一番前でも手すりが視界の邪魔になってしまい,指揮者が隠れます。積極的に行きたいと思うところではありません。
 私は,今回,2階席の最前列でしたが,ここは手すりが邪魔になることもないし,また,入り口の広く,とても快適なところでした。機会があれば,また,来てみたいと思いました。

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【Summary】
On December 14, 2024, Maria Dueñas, a 22-year-old Spanish violinist, replaced Hilary Hahn with a refined performance of Beethoven's Violin Concerto under Paavo Järvi and The Deutsche Kammerphilharmonie Bremen in Hyogo. Her self-composed cadenza and encore "Halvorsen's Mosaic Suite No. 4" captivated the audience.

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 2024年12月14日に兵庫県芸術文化センターKOBELCO大ホールで聴いたパーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Järvi)指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団(The Deutsche Kammerphilharmonie Bremen)の演奏会の2曲目はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲でした。 このヴァイオリン協奏曲は,現在では,メンデルスゾーン,ブラームスの作品とともに「3大ヴァイオリン協奏曲」と称されていて,とても気品のある,叙情豊かな作品です。 1806年12月23日にアン・デア・ウィーン劇場でフランツ・クレメントの独奏により初演されましたが,評価されず,その後は演奏される機会が少なくなってしまいました。これを再評価したのがヨーゼフ・ヨアヒムの功績です。
 今回,ヴァイオリンを弾いたのがヒラリー・ハーン(Hilary Hahn)さんの代役として抜擢されたマリア・ドゥエニャス(Maria Dueñas)という22歳のスペイン人でした。彼女は,この曲が得意であるらしく,来年2025年9月のNHK交響楽団定期公演でも演奏することになっています。とはいえ,将来ある期待の新鋭のすばらしい演奏を聴くことができて,これはこれでとても幸運なことだったに違いありません。

 私は,2日前の12月12日に,愛知県芸術劇場コンサートホールで原田慶太楼指揮愛知室内オーケストラの定期演奏会を聴きました。このときに服部百音さんのヴァイオリンでドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲を聴きました。
 ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲とベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は,ともに「難しいのにもかかわらず聴き映も弾き映もイマイチ」とかいう人がいるそうですが,性格がまったく違うものです。そしてまた,日本の誇る新鋭の服部百音さんとスペインの売り出し中の新鋭マリア・ドゥエニャスさんということで,この対比がとても興味深いものでした。それにしても,清楚な国日本の服部百音さんが情熱的で固い演奏をし,情熱の国スペインのマリア・ドゥエニャスさんのほうが清楚で柔らかな演奏だったというのも,また,楽しいものでした。
 マリア・ドゥエニャスさんは作曲家でもあり,カデンツァは自作のものということでした。
 なお,アンコールはノルウェイの作曲家でありヴァイオリニストだったヨハン・ハルヴォルセン(Johan Halvorsen)のモザイク組曲第4曲でした。

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Cold Moon 2024.

1日遅れの「コールドムーン」,購入したばかりのニコンZ50Ⅱのファーストライトです。
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【Summary】
On December 14, 2024, at the Hyogo Performing Arts Center, I attended a concert by Paavo Järvi and the Deutsche Kammerphilharmonie Bremen featuring Mozart's "Don Giovanni" Overture, Beethoven's Violin Concerto, and Mozart's Symphony No. 41. Violinist Maria Dueñas replaced Hilary Hahn due to illness. Despite my dissatisfaction with the industry's typical no-cancellation policy for artist changes, I was impressed when the venue offered refunds for this substitution, though I chose to attend.

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 2024年12月14日,兵庫県芸術文化センターKOBELCO大ホールで,パーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Järvi)指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団(The Deutsche Kammerphilharmonie Bremen)の演奏会を聴きました。曲目は,モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲,ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲,モーツァルトの交響曲 第41番「ジュピター」でした。
 ヴァイオリンのソリストは,当初はヒラリー・ハーン(Hilary Hahn)さんでしたが,体調不良ということで,マリア・ドゥエニャス(Maria Dueñas)という人に変更されました。
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 〈名匠×世界屈指の室内オーケストラ×ヴァイオリンの新星〉
 指揮のパーヴォ・ヤルヴィは,ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団と2004年の芸術監督就任以来,世界的な名声を高めてきました。今回は明るく壮大なモーツァルト最後の交響曲「ジュピター」で,この黄金コンビの真価を発揮してくれることでしょう。
 ソリストは,世界が注目するスペイン出身の新星マリア・ドゥエニャス。昨シーズンは,ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団をはじめとする名だたるオーケストラと共演。指揮者からの信頼も厚く,若くしてキャリアを積み上げているトップ・ヴァイオリニストのひとりです。
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 今回のツアーは,2024年12月7日の熊本県立劇場コンサートホールからはじまって,12月8日横浜みなとみらいホール,12月9日東京オペラシティコンサートホール,2024月12月10日文京シビックホール,12月12日東京オペラシティコンサートホール,12月13日所沢市民文化センターミューズアークホール,12月14日兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール,12月15日iichiko総合文化センターと続く長期間のものです。
 私は,パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の演奏会をウィーンの楽友協会で聴いた,ということから愛着があって,来日のたびに聴きにいくのですが,東京近郊ではいくらでも行くことができるのに,私の地元は飛ばされます。そこで,今回は神戸に行くことにしたのです。
 先日,兵庫県立芸術文化センターから電話がありました。内容は「ヴァイオリンがヒラリー・ハーンさんからマリア・ドゥエニャスさんに変更になったので,キャンセルできますが…」ということでした。私は常々,出演者が変更になってもキャンセルできないというこの業界の風習に納得がいかなかったのですが,今回のこの対応には驚きました。私は,キャンセルしませんでしたが,これには好感をもちました。

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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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【Summary】
On December 12, 2024, I attended the Aichi Chamber Orchestra's 82nd Subscription Concert at Aichi Prefectural Arts Theater. Celebrating Keitaro Harada's appointment as Principal Guest Conductor, the program featured violinist Mone Hattori performing Dvořák's Violin Concerto and his Symphony No. 9 "From the New World," delivering an engaging and memorable experience.

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 2024年12月12日,愛知県芸術劇場コンサートホールで,愛知室内オーケストラ第82回定期演奏会を聴きました。原田慶太楼首席客演指揮者兼アーティスティックパートナー就任記念コンサートと題して,曲目はヴァイオリンを服部百音が演奏するドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲と交響曲第9番「新世界より」でした。
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 愛知室内オーケストラ(ACO)は,2002年に愛知県立芸術大学出身の若手演奏家を中心に発足した東海地域でプロフェッショナルとして活動する唯一の室内オーケストラです。
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 聴きにいこうと思った理由は,指揮者が原田慶太楼さんだったことと,独奏者が服部百音さんだったことですが,私の地元に室内オーケストラがあることを知って,興味をもったこともありました。また,曲目がポピュラーで,気楽に聴くこともできそうでした。
 ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」はとても知られた曲ですが,ヴァイオリン協奏曲はあまり聴く機会がありません。
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 ドヴォルザーク(Antonín Leopold Dvořák)は1841年に生まれ,1904年に亡くなったチェコの作曲家です。1878年にヨアヒム(Joseph Joachim)の知己を得たドヴォルザークは1879年にヴァイオリン協奏曲の第1稿を書き上げ,ヨアヒムからの助言を容れて翌年に第2稿を完成させました。さらに,1882年にさらに大幅な改訂が施され,ヨアヒムの演奏で初演を行なうことになりましたが,実現せず,1883年オンドジーチェク(František Ondříček)の独奏で初演されました。
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 ドヴォルザークといえば,ヴァイオリン協奏曲の作られたのちの1895年に完成したチェロ協奏曲が有名ですが,同じころに作曲されたのが交響曲第7番で,1889年に作られたのが交響曲第8番,1893年に作れらたのが交響曲第9番「新世界より」です。
 ドヴォルザークほどのメロディメーカーはなく,どの曲もすばらしいのですが,ヴァイオリン協奏曲はそれほど有名ではありません。その理由は,難しいのにもかかわらず,聴き映も弾き映もイマイチだから? なのだそうですが,私は好きな曲です。そして,この難曲を難なく弾きこなすのが服部百音さんなのです。すてきな演奏でした。観客中には服部百音さんをはじめて聴いた人もいて,そうした人には親の七光り? という印象だったようで,意外に上手だねなどという不謹慎な感想を語っていた声が聴こえました。
 ドヴォルザークのメロディーは琴線に触れる哀愁ととともにこころが躍るリズミカルなところがいいのですが,どうもチェロ協奏曲に比べるとヴァイオリン協奏曲は琴線に触れる哀愁が足りないのです。それがチェロ協奏曲に比べるとあまり人気がない理由だと,聴いていて思いました。
 なお,アンコールはバガニーニの「ヴェニスの謝肉祭」でした。先日のNHK交響楽団の定期公演のときもそうでしたが,ソリストのアンコールはオーケストラも交えて演奏するのが流行っているのだろうか?

 交響曲第9番「新世界より」はとてもよかったです。団員さんは,チェロとコントラバス以外は立って演奏しました。また,「家路」で有名な第2楽章のイングリッシュホルンは2階席で演奏していました。リズムが途中で普通より早くなったり,聴かせどころでは十分な速度をとったりと,原田慶太楼さんの主張にあふれていて,やりたい放題,これがとてもよかったです。さすがにアメリカのオーケストラで活躍しているだけのことはあって,観客をのせるのが上手です。
 私は,このところ,東に西に,関心をもった演奏会に足しげく通っているのですが,こうしたローカルなコンサートを聴くのも悪くないものだと思いました。少し前に聴いた神奈川フィルハーモニー管弦楽団の演奏会同様,客席と一体化したとても楽しい時間でした。クラシックの演奏会だからといってお高くとまっていちゃいけねえよ。こうでなくっちゃねえ。

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【Summary】
On November 30, 2024, I attended the NHK Symphony Orchestra's December A Program, featuring Wagner’s Prelude and Liebestod from Tristan und Isolde, R. Strauss’s songs, and Schoenberg’s symphonic poem Pelleas und Melisande. While I enjoyed Wagner, Strauss's songs didn't resonate with me. Schoenberg’s complex work, with its vivid imagery and connections to Wagner, remains challenging for me to appreciate despite its innovative qualities.

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 もう11月も最終日なのに暖かな2024年11月30日,NHK交響楽団12月Aプログラムを聴きにいきました。
 この日の曲目は,-シェーンベルク生誕150年- と題して,ワーグナー(Wagner)の楽劇「トリスタンとイゾルデ」(Tristan und Isolde)から「前奏曲と愛の死」(Prelude and Liebestod), R・シュトラウス(R.Strauss)の「ばらの花輪」「なつかしいおもかげ」「森の喜び」「心安らかに」「あすの朝」,そして,シェーンベルク(Schönberg)の交響詩「ペレアスとメリザンド」(Pelleas und Melisande)でした。
 R・シュトラウスを歌ったクリスティアーネ・カルク(Christiane Karg)さんはドイツのバイエルン州フォイヒトヴァンゲン生まれで,リリックな響きと豊かな表現力でR・ シュトラウス独特の歌曲の世界を描き出すというのです。

 ワーグナーの「前奏曲と愛の死」は好きな曲です。次の,R・シュトラウスの歌曲は,いつも書いているように,私は,R・シュトラウスが苦手なので,だめですが,歌曲は何とかいけます。そして,最後に,今回の目玉であるシェーンベルクの交響詩「ペレアスとメリザンド」は,この曲は40分を越える大曲で,おそらくこれまでにも聴いたことがあると思うのですが,予備知識がなければさっぱりわからないものです。せめて,質のよいドラマのバックミュージックとして流してもらえば,私でもそのよさが理解できると思うのですが,悔しい限りです。そもそも,物語を音楽で表そうというのが無理な相談だと,浅はかな私は感じるのです。
 晩秋の東京の黄葉を味わいつつ,NHKホールに向かいました。今回は,私には感想すら書くことが無理なので,岡田暁生さんの解説を引用します。
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 このプログラムは,後期ロマン派の爛熟プロセスを辿るもので,ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」は半音階と管弦楽法による深層心理表現とエロスの解放の点で20世紀音楽の偉大な起点であり,それがR・シュトラウスに継がれ,やがて,シェーンベルクの無調に至るのですが,「ペレアスとメリザンド」はシェーンベルクがぎりぎりで調性に踏みとどまっていた最後の作品のひとつであることから,後期ロマン派音楽の終点といえる。
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だそうです。

 ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」は,シェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」と同じく三角関係を軸にした悲恋の物語です。そこで,「ペレアスとメリザンド」において,半音階で上下行する「メリザンドの主題」や広い音域の跳躍を伴う「運命の同機」は,「トリスタンの動機」に似ているし,次第に盛り上がっていく愛の場面は「トリスタンとイゾルデ」の〈愛の二重唱〉を思わせるということです。
 また,今回の曲目でR・シュトラウスを挟んだのは,シェーンベルクに「ペレアスとメリザンド」の作品化を勧めたのがR・シュトラウスだった,というのが理由だそうです。ただし,この曲は,前後の悲劇的な物語とは対照的に,男女のロマンティックな愛,満ち足りた喜びを描いたものだそうです。

 最後に
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 ひとたび「難解」という先入観から逃れることができれば,きらめく指環や,塔から垂れるメリザンドの髪,トロンボーンのグリッサンドによるおどろおどろしい地下の洞穴など,個々のシーンの描写は極めて具体的でわかりやすく,まるで冒険をテーマとしたゲーム音楽の先駆けとも言えるような,強いイメージ喚起力を備えている。
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と,解説にあるのですが,そんな魅力がわかるようになってみたいものだと思いました。わかりやすい解説などないものでしょうか?
 定期公演出なければ,絶対に聴きにいかない曲。これもまた,よしとしましょう。客席もけっこう空席がめだちました。しかしまあ,いつも思うのですが,演奏者はこういう難曲を演奏するのは楽しいのかなあ?

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【Summary】
On November 16, 2024, I attended the Nagoya Philharmonic Orchestra’s 528th Subscription Concert at Aichi Arts Center. Conducted by Tatsuya Shimono, the program featured the world premiere of Naoki Sakata’s Colored Shadows and Bruckner’s Symphony No. 9 in its original version.

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 2024年11月16日,名古屋フィルハーモニー交響楽団第528回定期演奏会〈喜怒哀楽を超えて/ブルックナー生誕200年記念〉を聴いてきました。場所は愛知県芸術劇場コンサートホール,指揮は下野竜也さん,曲目は,坂田直樹の「彩られた影」-管弦楽のための-とブルックナーの交響曲第9番でした。坂田直樹の「彩られた影」-管弦楽のための-は委嘱新作で世界初演,ブルックナーの交響曲第9番は原典版での演奏でした。
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 ブルックナー(Joseph Anton Bruckner)は, 1824年に生まれ,1896年に72歳で亡くなりました。
 1887年,ブルックナーは交響曲第8番を完成させたのち過去の交響曲の改訂に労力を費やし,1892年になって,第9番の作曲に打ち込みはじめました。オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世からベルヴェデーレ宮殿の住居が提供され,完成をめざしましたが,ブルックナーが亡くなったときに完成していたのは第3楽章まででした。
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 第4楽章の草稿が残されているため,補筆して完成させた楽譜もあり,あるいは,この作品が未完成に終わった場合には自作の「テ・デウム」を第4楽章として演奏するように示唆したという話もあり,それらに基づいた演奏を,私もいくつか聴いてみたことがあるのですが,評価しません。
 また,未完に終わった交響曲第9番には,作曲者による異稿は存在しません。原典版以前に出版された初版(レーヴェ版)が存在しますが,改訂内容が過剰で,今日では上演されることはほとんどありません。私は,ブルックナーの交響曲で,第9番は第4番の次に好きな曲なので,楽しみに聴きに行きました。
 指揮者の下野竜也さんは,毎年のようにNHK交響楽団の定期公演に登場します。曲目の選択がユニークで,私が知らない曲を並べます。そこで,曲を聴いても,いいのか悪いのか,愚かな私にはいつもわかりません。そいう先入観があったので,指揮者下野竜也さんを少し敬遠気味だったのですが,昨年2023年12月のベートーヴェンの交響曲第9番を指揮したのをテレビで見て,私の印象がすっかり変わりました。そして,聴いてみたい指揮者のひとりとなりました。
 ということで,今回,聴きにいったわけです。

 1曲目の坂田直樹の「彩られた影」はユニークなものだったのですが,2曲目のブルックナーの交響曲第9番は大曲で,私はこれが目当てでした。
 期待通りのメリハリのある演奏でした。ブルックナーの交響曲第9番は,もし,第4楽章が完成していたたらどんな曲になっていたでしょう。今のままでの十分で,これ以上このような音楽が続いても,さすがに疲れます。
 この曲の極めつけは第2楽章スケルツォ。トリスタン和音に続く43小節からのトゥッティはとても印象的なものです。
 私は50年以上前はじめて聴いたときは,ちょっとやりすぎじゃないの,と思ったのですが,この楽章があるゆえに,第3楽章が生きるのです。また,第2楽章は,演奏するオーケストラによってボーイングの違いがよくわかり,これが,この楽章全体の違いともなります。

 それにしても,いつも思うのですが,名古屋でクラシック音楽を聴くと,どうしていつも地味に聴こえるのでしょう。よし悪しは別として,要するに華がないのです。オーケストラもそうだし,聴いている観客もまた,何かしらさえません。それがまた,いかにも名古屋です。少し前に聴いた井上道義さんのときだけは,華だらけでしたが…。
 下野竜也さんはいい指揮者ですが,やはり,華というか,カリスマ性には少し欠けるところがあります。ブルックナーの交響曲は,どんなにいい演奏をしても,このカリスマ性がないと,いまひとつ何か物足りないのは致し方ありません。カリスマ性は,重厚さ,神々しさにつながるもので,歳を重ねてはじめて出てくるものです。下野竜也さんはまだ若いので,この先,どういうカリスマ性がにじみ出てくるか,楽しみです。
 終演後,団員さんのお見送りががありました。「名フィル」もまた,いい意味で変わりつつあります。

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【Summary】
Orchestra Ensemble Kanazawa, a small orchestra founded in 1988, held a memorable concert in their Kanazawa home venue, Ishikawa Ongakudo, in November. The program, including Akira Nishimura's Bird Heterophony and Shostakovich's Symphony No. 14, was challenging yet captivating. Conductor Michiyoshi Inoue's final performance before retirement added significance, though it drew a diverse audience beyond classical enthusiasts, impacting the concert's atmosphere. Lyrics were shown in subtitles, aiding comprehension, especially for the Russian text of Shostakovich’s work, making this complex concert experience more accessible.

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 オーケストラアンサンブル金沢は1988年に設立されて,2001年から石川県立音楽堂を本拠地として定期演奏会を行っている小規模なオーケストラです。かねてから一度聴いてみたいと思っていたのですが,なかなか機会がありませんでした。今回,いい機会だということで聴きにいくことができました。当日,早朝,家を出て,車で金沢市まで2時間以上かけて行きました。
 会場は,石川県立音楽堂。2001年に開館した金沢市にあるコンサートホールで,オーケストラ・アンサンブル金沢の本拠地です。まず,金沢駅前の特等地にあるということに驚きました。そして,充実した設備であることにも感動しました。
 コンサートホールは1,560席で,クラシック音楽を聴くにはほどよい大きさです。ただし,中に入ると,今となっては少し古く,座席も狭く,期待していたほどではありませんでした。

 この日の1曲目,西村朗の「鳥のヘテロフォニー」は,私が予習していたものよりもずっとダイナミックでした。曲をさらうだけでもたいへんなのに,これを消化して,聴衆に感動を与えることができるというのは,プロだから当然であるとはいえ,すごいものです。
 こうした,いわゆる現代音楽は,どのように聴いたらいいのか,私にはよくわかりません。どういう聴き方をしたらいいのか,というようなことを,何かの機会にわかりやすく解説してほしいものだといつも思います。
 ショスタコーヴィチの交響曲第14番を聴くのは大変です。何せ,歌詞がわかりません。事前に訳を読んではいても,曲を聴きながら把握できるものではありません。テレビ中継でもあれば,歌詞が字幕で出るからそれでも味わえるのですが,テレビ中継でもないし,また,ドイツ語ならともかく,ロシア語なんて,私には無縁の言語です。と思っていたら,ステージに歌詞が字幕で表示されたので,助かりました。以前,NHK交響楽団の定期公演でショスタコービッチの交響曲第13番をやったときには,こうした配慮もなく,まったくもって消化不良に終わったことを思えば,これは助かりました。
 それにしても,ショスタコーヴィチが,最も聴いてほしかったと思われるロシアで,この曲を演奏することが現在可能であるかどうかは知りませんが,おそらく無理でしょう。であるなら,他の国の人に何かを訴えようとしても,ほとんどの人がわからないロシア語では困難なことです。だから,このような曲をロシア語の歌詞で残したということが私には残念です。

 今回の曲目は,このような小規模なオーケストラでなければ実現しないものであり,また,指揮の井上道義さんが言っていたように,このコンサートでこの曲をはじめて聴いたという観客がほとんどで,これで集客ができるというのも,さまざなま要因が重ならないと無理,というものでした。
 とはいえ,曲目が何であれ,引退を間近にした井上道義さんの最後のオーケストラ・アンサンブル金沢との共演というご祝儀のような演奏会だったので,曲を純粋に楽しむ,という感じではなかったのが私には残念でした。また,終演後に井上道義さんがロビーで現れたのですが,こうなると,一部の常連さんのお別れ会のようになってしまっていて,よそ者の私には,それが大きな疎外感となりました。興行的にはこれでいいのでしょうが…。
 また,ここ数年,ほぼすべてのクラシック音楽のコンサートはカーテンコールの写真撮影が許可されています。しかし,石川県立音楽堂の意向なのかオーケストラアンサンブル金沢の意向なのかは知りませんが,ここでは未だそうした配慮もなく,これだけでも,私は,リピートしたくないな,という気になりました。しかし,多くの人はそれを無視して写真を撮っていました。
 また,神奈川フィルハーモニー管弦楽団の演奏会では,カーテンコールの写真撮影可どころか,終演後,ロビーに団員さんが並んでお見送りもしてくれるので,また来たいな,と思います。
 ファンあっての演奏会です。少しは見習ってほしいものです。

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【Summary】
I attended Orchestra Ensemble Kanazawa's concert, conducted by Michiyoshi Inoue in his final appearance before retirement. The program featured Akira Nishimura's Heterophony of Birds and Shostakovich's Symphony No. 14, both profound pieces. Their appreciation of contemporary music has grown, making the experience especially memorable.

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 2024年11月9日,金沢市に行って,オーケストラ・アンサンブル金沢(Orchestra Ensemble Kanazawa)第487回定期公演マイスター・シリーズを聴きました。
 わざわざ金沢まで行ったのは,前々から気になっていたオーケストラ・アンサンブル金沢を聴きたかったこと,指揮が井上道義さんだったこと,そして,曲目でした。
 指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢桂冠指揮者の井上道義さんは,2024年12月30日で引退するので,オーケストラ・アンサンブル金沢を指揮するのはこれが最後となります。私は,このところ,井上道義さんの「追っかけ」をしているような感じになっているのですが,これが最後,これが最後,といいながら,ついに,今回こそが最後の演奏会となります。たぶん。
 この日の曲目は,西村朗の「鳥のヘテロフォニー」とお得意のショスタコーヴィチの交響曲第14番でした。ショスタコーヴィチの交響曲第14番では,ソプラノのナデージダ・パヴロヴァ (Nadezhda Pavlova)さんとバスのアレクセイ・ティホミーロフ(Alexey Tikhomirov) さんが共演しました。
 こんな難解なふたつの曲の演奏会。指揮が井上道義さんでなければだれが聴きに行くのだろう? と思ったりしましたが…。

 「鳥のヘテロフォニー」の作曲をした西村朗さんは,これまで,NHK交響楽団の定期公演をNHKFMで生中継していたときにたびたび解説者として登場していた人ですが,昨年2023年9月7日に69歳で亡くなったときはびっくりしました。
 「鳥のヘテロフォニー」は,西村朗さんが1993年にオーケストラ・アンサンブル金沢のコンポーザ・イン・レジデンス時代に作曲した曲です。初演者の指揮は岩城宏之さんで,オーケストラ・アンサンブル金沢では,現代作品としては異例なほどこの曲を再三実演で取り上げていて,レパートリーになっています。「~のヘテロフォニー」というのは,「同一の旋律を複数のパートが少しずつ違ったやり方で同じに進行すること」だそうです。曲は難解ではなく,響きやリズムの多様性を満喫できるものです。   ・・・・・・
 熱帯的で原始的な雰囲気が漂っているこの曲は,不安定な響きではじまり,弦楽器から鳥のさえずりをイメージさせるような音型が,やがて,打楽器に伴って鳥の数が増えていって,野性的に盛り上がってきます。
 気持ちのよいテンポで展開していったのち,混沌とした感じになり,そのあと,静かで透明な響きが続きます。細かい音の動きと音の強弱の対比が激しい部分が続いたあと,エキゾティックな雰囲気になり,最初の鳥のイメージに戻ります。
 同じようなリズムが徐々に変化していくうちに陶酔的な雰囲気になり,次第にエネルギーが蓄えられていったあと,クライマックスでエネルギーを放出するかのように終わります。
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 このような解説があるのですが,現代音楽は,聴く側はどういう姿勢で受け入れればいいのだろうと,私はいつも考えます。とはいえ,どうも,私は,このごろ,好みが変化しつつあり,こうしたものを素直に受け入れられるようになってきたのだから,自分でも不思議です。

 ショスタコービッチの交響曲第14番は「死者の歌」(Lyrics for Death)という副題が付けられていますが,これはショスタコーヴィチ自身によるものではなく,レコード録音の際にそのときの解説者が命名したものだそうです。
 作曲のきっかけは、ショスタコーヴィチが1962年にムソルグスキーの「死の歌と踊り」(Songs and Dances of Death)の管弦楽向け編曲を行ったときにさかのぼり,その後,ショスタコーヴィチ自身の健康の悪化から死を意識するようになり,入院中にこの曲のスケッチを完成させました。
 ショスタコービッチは書いています。
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 この曲を書いている間,僕は常に何かが僕の身に起こるのではないかと恐れた。この右手が動かなくなるのではないか,急に盲目になるのではないかと。こうした不安は,僕に安らぎを与えることはなかった。
 死ははじまりではなく,本当の終わりであり,その後には何もなく,何もない。私はあなたが目で真実を見なければならないと感じています。死とその力を否定することは役に立たない。否定しようがしまいが,どうせ死んでしまう。死そのものに抗議するのは愚かなことですが,暴力的な死に抗議することはできますし,そうしなければなりません。
 人々が病気や貧困で死ぬ前に死ぬのは悪いことだが,ある人が別の男に殺されたらもっと悪い。
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 晩年のショスタコービッチはこのようなことを書きたかったのでしょう。次の交響曲第15番に比べたら,まだ,生きることへの未練と煩悩があります。
 作品は11楽章から構成され,ソプラノとバスの独唱が付いている歌曲集形式です。この11楽章は,例えば,①1楽章から3楽章 ②4楽章から6楽章 ③7楽章から9楽章④10楽章から11楽章,というように,4つの部分の集まりと考えた4楽章の交響曲と考えることができる,という考え方があるそうです。
 マーラーの交響曲「大地の歌」と似ていますが,ショスタコービッチの交響曲第14番「死者の歌」には交響曲第13番「バビヤール」に通じるものがあり救いがありません。しかし,無駄のまったくない楽器編成から奏でられる曲は美しく,浄化された感動を覚えます。

 曲は次のようなものです。
 -スペインの詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカの詩による-
●第1曲(B):深き淵より
 深く沈んだ死者を悼む曲で,グレゴリオ聖歌の「怒りの日」(ディエス・イレ)からはじまります。
  真っ赤な砂に覆われたアンダルシアの道。
   緑のオリーブが茂るコルドバの街。
  そこに百本の十字架を立てよう,彼らの思い出のために。
  百人の恋わずらいたちが 遠の眠りについた。
●第2曲(S):マラゲーニャ
 一転して,激しい興奮と狂乱の曲で「死は酒場を出たり入ったりしている」という日常に隣り合う「死」を歌います。
  死は入って来てそして出て行った,この酒場を。
  黒い馬と悪漢たちが行きかう ギターの深い谷間を。
  塩の匂いが女の血の匂いが浜辺の熱を帯びた月下香の香りに混じる。
  死は相変わらず入ったり出たり 出たり入ったりを続けている,この酒場を。
  ・・
 -フランスの詩人ギョーム・アポリネールの詩による- 
●第3曲(S/B):ローレライ
 ドイツのローレライ伝説に基づく詩です。
  男たちはブロンドの髪の魔女のもとへ押し寄せ,彼女への恋に身を滅ぼした。
  司祭が彼女をよび出し裁こうとしたがあまりの美しさに赦してしまった。
  「話して聞かせよローレライよ。そなたの瞳は宝石の輝き。誰がお前にかような魔法を授けたのか」
  「死なせてください司教様。私の瞳は呪われています。私の瞳を見た男は身を滅ぼします。おお司教様。私の瞳の炎は 恐ろしい呪いの炎です!」
  「ローレライよ,そなたの炎は強力だ。お前は私を魅了してしまいそなたを裁けない」
  「司教様。そう言わないでください。祈ってください。神様の御心で私を死に導いてください。私の恋人は去り,遠い国へと行ってしまい, 私は悲嘆にくれ,茫然としています。心は死んでしまいたいほど痛みます。こんな姿を見て死にたくなるのです。私の恋人はもはやおらず,その日から 私の魂は真っ暗闇で,全ては空虚なのです」
  司教様は3人の騎士を呼び,修道院に連れて行かせた。
  ローレライをすぐに人里離れた修道院へ連れて行け。行くのだ,愚かなローレ,恐ろしい瞳のローレ! お前は尼になり,瞳の炎を暗くするのだ」
  3人の騎士は娘とともに道を進む。娘は無口のいかめしい騎士たちに話しかけた。
  「あの高い岩山の上にちょっと立たせてください。もういちど私の恋人のお城を見たい。 水面に映ったその姿を見たらそのあと私は修道院の壁の中に入りましょう」
   彼女の髪は風にかき乱され瞳は輝く。騎士たちは叫ぶ
  「ローレライよ,戻れ」
  「ライン川の曲り角に舟がやって来て,そこには愛しい人が乗っていて私をよんでいる。魂は軽やかで,波は透明で…」
  そして,彼女はライン川へと落ちて行った。
  今もこの穏やかな流れの中に見る。ラインの水面に反映する瞳と太陽に輝く髪を。
●第4曲(S):自殺
 自殺者の墓には十字架がない…。ロシア語で,最初の「3本のユリ」が「トゥリー・リリー、トゥリー・リリー」と歌いだされます。これは,歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の最終幕に出てくるモチーフを用いています。
  三本のユリ,三本のユリ,十字架のない私のお墓の上の三本のユリ。
  三本のユリ,金粉を冷たい風に吹き払われ,黒い空から降る雨にときおり濡れ,王様の杖のように堂々として美しい。
  一本は私の傷口から生え,陽が当たるとき 血に染まったようになる恐怖のユリ。
  三本のユリ,十字架のない私のお墓の上の三本のユリ。
  三本のユリ,金粉を冷たい風に吹き払われる。
  もう一本は柩の床の上で苦しむ私の心臓から生え柩の床は虫が食い荒らしている。
  もう一本は私の口から生えたその根で私の口を裂く。
  どれもみな私の墓の上にわびしく立っていて,その周りで,空も大地も私の人生のように美しさを呪われている。
  三本のユリ,十字架のない私のお墓の上の三本のユリ。  
●第5曲(S):用心して
 シロフォンで提示される「骸骨の踊り」は死の女神による死への誘惑,引きずり込みを表します。とても印象に残るところで,きわめてショスタコービッチらしい音楽です。
  塹壕で夜の来る前に彼は死んでいく 私のちっぽけな兵士。その疲れた眼は 一日中銃眼の陰から達成の望めない栄光をみつめていた。
  塹壕で夜の来る前に死んでい 私のちっぽけな兵士,私の恋人で弟。
  だからこそ,私は美しくなりたい。
  私の胸を明るい松明にしよう。
  私の大きな瞳で雪に覆われた畑を融かそう。
  そして私の腰には墓帯を巻きつけよう。
  死が避けられないのなら近親相姦と死のために私は美しくなりたい。
  夕焼けがバラのように染まり牛が鳴く。
  そして飛び立った青い鳥を私は見つめる。
  今こそ愛の時,燃えるような熱病の時,今こそ死の時、戻ることのない。
  バラが枯れるように死んでいく私のちっぽけな兵士私の恋人で弟。
●第6曲(S/B):マダム、ご覧なさい!
 第5曲からアタッカで続きます。夫を,恋人を死の女神に奪われた未亡人が歌う,人をおちょくったような不気味な泣き笑いの歌です。
  マダム,ご覧なさい! 何か落とされたようですね。
  ああ,つまらないものよ!
  それは私の心。むしろ,持って行ってちょうだい。捨ててしまいたい。そうしたい いくらでも取り戻せるもののだから。
  だから私は笑うの。笑うの。ハハハハ,ハハハハ。
  だから私は笑うの。笑うの。死神が刈り取った崇高な愛を。
●第7曲(B):サンテ監獄にて
 失望と屈辱。
  牢屋に入れられる前に俺は裸にされた。
  運命の戦いの片隅から 俺は暗闇の中に追い出された。
  さらば,さらば楽しげなロンドよ。さらば,乙女のほほえみよ。
  俺の上には墓がかぶさる。
  俺はここで完全に死に絶えた。違う,俺は違う。今までとは違う。
  俺は今囚人だ。希望の終わりだ。檻の中をまるで熊のように,俺は行ったり来たりする。だが空は見ない方がましだ。
  ここでの俺には空はうれしくない。檻の中をまるで熊のように俺は行ったり来たりする。
  なぜ俺にこんな悲しみをもたらすのだ?
  全能の神よ,教えてくれ。おお憐れみを!涙も出ない目で 俺は仮面のように見える。
  牢獄の屋根の下にはどれだけの不幸な魂がもがいているのか。
  俺から茨の冠を取ってくれ!それが脳にまで突き刺さっているわけではないが。
  1日が終わった。頭上にランプがひとつ闇に包まれながら燃えている。
  ひっそりと静まった。独房の中でふたりきりだ。 俺と俺の理性と。
●第8曲(B):コサック・ザポロージュからコンスタンチノープルのスルタンへの返答
 オスマントルコからの服従の要求に対し「何言ってやんでえ、べらぼうめ!」的な返事をする,やけくそで向こう見ずな反抗です。
  お前はバラバより百倍極悪人だ。
  ベルゼブル(悪魔の首領)に仕えるやつだ。
  この世で一番卑怯なやつ。汚物と泥で育ったやつ。
  お前の集会に俺たちは行かねえぞ。腐った出来物め。
  サロニク(ギリシャ北部の町)のゴミ野郎,鼻が曲がってちぎれるほど,とても言えねえ気色悪い夢で,お前のカアチャンが痙攣して下痢したときにお前が生まれたのさ。
  ポドリア(ウクライナ西部地域)の極道刑吏め。 お前の傷口は膿だらけだ。 馬のぶざまなケツ,ブタの醜いツラして てめえの金を取っとくんだな
  でねえと傷を治す薬が買えねえぜ。
  ・・
  -この交響曲唯一のロシア語のオリジナルの詩-
●第9曲(B):おお、デルヴィーグよ
 帝政ロシアの旧態依然の沈滞に対してナポレオンの遠征で知った西欧流の近代化を求めた貴族出身の将校,インテリたちによる「デカブリストの乱」でシベリア流刑となった友に贈った詩です。
  おおデルヴィーク,デルヴィークよ!
  報酬は何だ, 偉業と詩作に対して?
  天才の喜びとは何だ,そして,どこにあるのだ?
  この悪党や愚か者ばかりの世の中で。
  ユウェナリス(古代ローマの風刺詩人)の厳しい手の恐ろしい鞭が悪党どもに飛び,やつらの顔から血の気を奪う。
  そして,専制暴君は震える。
  おお,デルヴィーク,デルヴィークよ! 迫害がなんだ?
  不滅の命と 雄々しく気高い偉業と優しい歌の響きがあるではないか!
  だから,我らの同盟も 自由,喜び,そして,誇りも滅びはしない!
  そして,楽しいときも苦しいときも,永遠のミューズを讃える同盟は揺らがない!
  ・・
 -ドイツの詩人リルケによる「詩人の死」-
●第10曲(S):詩人の死
 第9曲に続き、この交響曲の頂点を成す曲です。この交響曲冒頭の「ディエス・イレ」のモチーフが再現し、原点に戻って曲の本質に至ります。
  詩人は死んだ。
  彼の顔は蒼ざめて,すべてを拒絶するようで,彼はかつて世界のすべてを知っていたが,その知識は次第に消え, 再び無関心の日に引き戻された。
  ずっと彼は考えられてきた。世界と彼とはすべてがひとつであると
   湖と谷間が,そして,野原が,彼の顔そのものだったから。
  彼の顔と,広々とした空間があった,その空間は手を伸ばしてまとわりつき果物が腐っていく運命であるかのように。
●第11曲(S/B):結び
 「死」は、あっけなくやってきてそれでおしまい、とでもいうように,巨大な交響曲の締めくくりはあっという間にあっけなく終わります。
  死は偉大だ。
  歓喜のときにも それは見つめている。
  最高の人生の瞬間,我々の中に悶え, 我々を待ち焦がれ, 我々の中で涙している。
  ・・・・・・

Gafvm-tbEAMPHlE


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【Summary】
Kōhō Uno had a unique and assertive style of music criticism, often praising Takashi Asahina while criticizing Herbert von Karajan. His distinctive "Uno language" strongly influenced classical music fans at the time, but such strongly individualistic critics have become rare in the modern era.

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 ふとしたことで昔の記憶から,宇野功芳(うの こうほう)という名前を思い出しました。そこで,宇野功芳さんの書いた,講談社現代新書 の「新版 クラシックの名曲名盤」を読みました。この本は,2007年に出版されたもので,今は絶版なのですが,中古本を入手しました。
  ・・・・・・
 数ある名曲・名盤の中から何をどう聴くか。好評を博した旧版から7年,そこに取り上げられなかった作曲家や新発売のCDから厳選し,大幅に改訂増補した決定盤。
  ・・・・・・
というのが,この本の紹介です。

 宇野功芳さんは,1930年に生まれ,2016年に亡くなった音楽評論家,指揮者です。父は漫談家の牧野周一だそうです。
 私が中学生のころ,周りの友人とともにクラシック音楽を聴くことにめざめたのですが,その時代,宇野功芳さんの評論を読む機会が多くありました。SNSのなかった時代,指揮者といわれても,その演奏を聴いたこともなく,三流だと思っていましたが,真相は知りません。それより,評論にはかなりの癖があり,主観が強く,いつもマエストロ朝比奈隆を褒め,ヘルベルト・フォン・カラヤンをけなし,ブルックナーを愛していたものだから,多感なだけに,かなりの影響をうけました。
 また,文章にも癖があり,「〇〇だ」「〇〇である」といった断定的な言い切り表現が多用され,特に「〇〇だと言えよう」は有名でした。それらは「ウノ語」ともいわれ「神が宇野功芳だけに使用をお許しになったといわれる,独創性に彩られた最高級の紋切言葉」ということでした。
 今や忘れ去られた,私も忘れていた宇野功芳さんですが,ふとしたきっかけで思い出し,懐かしさとともに,今,読んだらどう感じるかと興味をもったので,読んでみた,というのがきっかけでした。

 宇野功芳さんは,当時,あまりに灰汁のある評論ゆえ,一部には無茶苦茶に叩かれていたのですが,本人の敬愛するモーツァルト,ベートーヴェン,ブルックナーなどの曲や,フルトヴェングラー,クナッパーツブッシュ,ワルター,クラウス,キョンファ,ムラヴィンスキー,マタチッチなどの指揮者を偏愛するほど評価していていました。だから,この本にも,それが如実に現れています。そうした評論は,今となっても,同じように評価されているか? と考えると,はやり,多くは評価されているのです。だから,そうした評論は,正しかった,と言えなくもない。
 それ以上に,ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集「四季」や,ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」などで書かれている内容が,とてもおもしろく,私には勉強になりました。しかし,カラヤンの演奏は宇野功芳さんがいうほど悪くない。しかし,「ウノ語」が染みついてしまっているから,素直になれない。これだけは彼を恨みます。
 現在は,きつい表現をするとやたらと「炎上」するから,評論はみな「いい子」になってしまっていて,宇野功芳さんのような評論を書く人はいなくなってしまいました。私の子供のころは,もっと野蛮な時代だったから,それがいいか悪いかは別として,そうした時代のことが「古きよき時代」として,懐かしくなりました。

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この文章について,ChatGTPが次のような感想を寄せました。
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宇野功芳さんにまつわる思い出と感想,興味深く拝見しました。宇野さんの評論スタイル,特にその独特な断定的な口調や偏愛する音楽家・指揮者への熱烈な支持,また彼特有の「ウノ語」と称される言い回しなど,非常に個性的であり,強い印象を与えたようですね。
宇野さんが常に朝比奈隆を称賛し,カラヤンを批判していたことや,特定の作曲家や指揮者に対する偏った愛情表現は,確かに今の時代では異色かもしれません。とはいえ,あなたが言うように,彼の評論には今なお通じるものがあり,音楽そのものの本質的な部分を捉えていたのかもしれません。特に,彼が愛してやまなかったブルックナーやモーツァルト,フルトヴェングラーなどの評価は,現在でも根強い支持を得ています。
「ウノ語」に染み付いてしまった,という感覚も面白いですね。評論を読む中で,その影響力が強く,自分自身の音楽の感じ方や評価に影響を与えるというのは,評論家の存在意義とも言えますし,当時の宇野さんの影響力の大きさを物語っているように思います。カラヤンの演奏が宇野さんほど悪くないと感じる一方で,彼の断定的な口調が影響してしまうというところに,評論の妙がありますね。
また,当時の評論は「炎上」という概念が存在しなかった分,もっと激しく,批判的でもあったという指摘も興味深いです。今の時代,SNSやインターネットの普及により,表現がより慎重になりがちな傾向があり,宇野さんのような強い個性を持つ評論家が減ってしまったのかもしれません。あなたにとって宇野功芳さんの評論は,時代を象徴するものでもあり,懐かしさと共に再評価する機会となったのですね。
宇野功芳さんの「新版 クラシックの名曲名盤」を再び手に取ったことで、当時のクラシック音楽シーンや、彼の独特な視点を今一度振り返ることができたのは、まさにクラシック音楽ファンとしての原点回帰とも言える体験でしょう。
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【Summary】
I attended the NHK Symphony Orchestra's A Program on the first day in October 2024, conducted by 97-year-old Herbert Blomstedt. Despite his age, his profound musical leadership captivated the audience. On October 20, NHK BS broadcasted Blomstedt's remarkable performance of Bruckner's Symphony No. 9, which moved me deeply to tears.

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 今回私が聴いたのは,NHK交響楽団2024年10月のAプログラム1日目でした。もちろん満席でした。
 私の左隣は結構お歳を召された男性でした。少しお話をしたのですが,とても詳しくて,若いころは,楽器をやっていたようでした。
 やがて,開演時間になりました。いつもはじめにステージに姿を見せるのは,ファゴットの水谷上総さんとフルートの神田寛明さん。それに続いて,続々と入場するのですが,今回に限っては,第1ヴァイオリンのメンバーだけが入ってきません。それは,97歳の巨匠ブロムシュテットさんが,第1ヴァイオリンのメンバーより先に,この日のコンサートマスター川崎陽介さんの介添えでゆっくりゆっくりと入ってきたからです。すでにこの時点でものすごい拍手でした。この日は,その姿が見られるだけで,この会場に足を運んできた甲斐があったというものです。
 そして,それに続いて,第1ヴァイオリンのメンバーが入場しました。
 マエストロは,指揮台に上がるのもたいへんそうで,少し心配しました。この時点でもし転んでもしたら大変です。
 やがて,チューニングのあと,静かに曲がはじまりました。

 はじめはどうなるかと思ったのですが,マエストロは,手ぶりも指示もしっかりしていたし,やがて,そんなことも,また,マエストロが座っていることも忘れて,音楽にのめりこむことができました。不思議なもので,音楽は,それを指揮する人が偉大であればあるほど,単に音を奏でる以上の生命が宿るのです。
 途中の休憩をはさみ,プログラムの2曲がすべてが終了しました。
 マエストロが静かに指揮台から降りて,そのままステージから姿を消しました。
 いつものコンサートのようなカーテンコールはできないのです。しかし,川崎陽介さんの介添えで,2度ほどゆっくりとステージに登場したとき,場内は最高潮となりました。
 今回の「神が宿った」コンサートは,演奏について,何かをいうという次元を超えたもので,その時間をマエストロと同じ空間で共有できただけで,そのすべてが満ち足りたものになりました。
 来年の10月もまた,プログラムに名前があります。どうかお元気で,また,その姿を拝見できるのを楽しみにしています。

 ところで,翌10月20日の深夜,NHKBSで
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 2度の怪我からの復帰を果たし,依然として音楽に対して真摯な情熱を傾ける現役最長老指揮者のヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)が,2024年7月11日に97歳の誕生日を迎え,オルガン奏者だったブルックナー所縁の聖フローリアン修道院付属教会で,バンベルク交響楽団を指揮してブルックナーの交響曲第9番を演奏しました。
  ・・・・・・
という番組が放送されました。
 まるで神が乗り移ったかのようなそのすばらしい演奏に,私は泣けて泣けて仕方がありませんでした。


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【Summary】
I attended the 2020th NHK Symphony Orchestra concert on October 19, 2024, conducted by 97-year-old Herbert Blomstedt. The program featured Honegger's Symphony No. 3 "Liturgique" and Brahms' Symphony No. 4. Honegger's work, composed after World War II, explores themes of suffering, faith, and hope, while Brahms’ 4th symphony shares a similar message of finding joy in hardship, reflecting Blomstedt's deep faith. This concert was a profound experience of prayer through music.

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  2024年10月19日,第2020回NHK交響楽団定期公演Aプログラムを聴きました。
 曲目は,オネゲル(Arthur Honegger)の交響曲第3番「典礼風」 (Symphonie Liturgique) とブラームスの交響曲第4番でした。このプログラムは,コロナ禍で中止となった2020年10月に行われるはずだった1950回定期公演Bプログラムと同じものです。
 ということですが,今回の演奏会は,指揮者が97歳となったヘルベルト・ブロムシュテットさんである,ということだけでも,歴史的なものでした。ヘルベルト・ブロムシュテットさんは,一昨年来日されたときは,マーラーの交響曲第9番などを指揮し,私はそれを聴いたのですが,昨年は,体調不良からドクターストップがかかって来日できなかったので,今年の来日も不安視されていました。しかし,元気な姿を見せました。
 とはいえ,一昨年に比べたら,やはり,2年の月日は大きくて,歩くのがやっと。指揮台に上るのもたいへん,という状態でした。しかし,「存在そのものが放つオーラでオーケストラをまとめ,唯一無二の演奏を生み出す」巨匠ヘルベルト・ブロムシュテットさんの指揮する演奏会に立ち会える,というだけでも,貴重な体験となりました。

 交響曲を5曲作曲したオネゲルは,1892年に生まれ,1955年に亡くなったスイスとフランスの二重国籍をもち,主にフランスで活躍した作曲家です。
 父はコーヒーの輸入商社の支配人を務めていた人物で,母と同じく音楽愛好家でした。教会のオルガニストを経て,チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団(Tonhalle Orchester Zürich)の創設者フリードリヒ・ヘーガー(Friedrich Hegar)に勧められて作曲家を志しました。
 交響曲第3番「典礼風」は,プロ・ヘルヴェティア財団からの委嘱を受け,第2次世界大戦が終結した1945年から1946年にかけて作曲されました。「典礼風」は交響曲の宗教的な性格を表すために命名されたもので,3つの楽章には,死者のためのミサ(レクイエム)と詩篇の中から取られた句がタイトルとしてつけられています。
  ・・・・・・
●第1楽章「怒りの日」(Dies irae )
 神の怒りに直面した人間の恐れを表す楽章で,オーケストラは「全てを一掃する絶対的な激怒した竜巻」「力の爆発と全てを破壊する憎悪」を表現しています。
●第2楽章「深き淵より」(De profundis clamavi )
 神に見捨てられた人々の苦しみの瞑想,祈りを表現する,霊感に満ちた深遠なアダージョ楽章です。終結部分で「鳥の主題」がフルートの装飾的なソロに変容し,悲劇の中にあって平和への約束を象徴するオリーブの枝をくわえた鳩です。
●第3楽章「我らに平和を」(Dona nobis pacem )
 文明がもたらした「集団的な愚かさの台頭」と「隷属への人の絶え間ない進行のさま」を表しています。バスクラリネットによる「馬鹿げた主題」の行進は進み,ホルンの主題「被害者の反抗意識と暴動」,半音階で下降する木管楽器の動機,弦楽器によるエスプレッシーヴォの主題などが加わって次第に盛り上がり,不協和音によるクライマックスに至ります。これが静まると,人類の平和への願いを表す主題が奏でられ,「鳥の主題」を回想し静かに曲を閉じます。
  ・・・・・・

 ChatGPTはつぎのように説明します。
  ・・・・・・
 オネゲルの交響曲第3番「典礼風」は,第2次世界大戦後の荒廃と人間の苦しみを反映しつつ,最終的には平和と希望への祈りを表現しています。
 この作品は,戦争による破壊や人間の恐れ,そして苦悩を描きながらも,そこからの再生や癒し,平和への希求というメッセージを人類に伝えようとしています。
 第1楽章「怒りの日」は,神の怒りと戦争の恐怖を象徴し,人類の罪や破壊の衝動に向き合う姿を描きます。第2楽章「深き淵より」は,苦しみと祈りの中で救いを求める人々の姿を静かに表現しつつm悲劇の中にも希望があることを示唆します。第3楽章「我らに平和を」では,暴力と愚かさの中にあっても,人間の平和への願いが強く描かれ,最終的には静かな祈りとして曲を閉じます。
 オネゲルは,戦争の悲劇を経て,絶望の中でも平和と希望を見出そうとする強いメッセージをこの交響曲に込めており,特に,人類が戦争の教訓から学び,平和を追求する必要性を強調しています。
  ・・・・・・
 オネゲルの交響曲第3番「典礼風」ははじめて聴きましたが,まだ聴きこんでいない私にはそのよさがわかったとはいい難いものでした。ブロムシュテットさんもあまり指揮を経験した曲ではないようで,スコアをめくるのが精いっぱい,という感じを受けました。

 それに続くのが,私の大好きなブラームスの交響曲第4番でした。私はこれで救われました。
 ブロムシュテットさんも暗譜で,オネゲルの交響曲第3番「典礼風」とは打って変わって,大きく両腕を振り上げたり,細かな指示を出したり,座っているのを忘れるほどの熱演でした。
 第4楽章パッサカリアの主題の元になったコラールの歌詞は「苦難に満ちた私の日々を,神は喜びに変えてくださる」というもので,ここに,オネゲル作品との共通性があって「それこそが揺るぎない信仰とともに生きるブロムシュテットのメッセージを表している」とプログラムの解説にありました。
 今回は祈りの演奏会でした。

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【Summary】
I first fell in love with Bruckner's Symphony No. 4 after hearing it in 2002. The piece, composed when Bruckner was 50, has a youthful energy. While there are different editions, such as the Haas and Novak versions, I enjoyed the familiar Novak version during this concert. Akiyama's conducting was clear and rhythmic, and despite initial worries about the brass, the performance was excellent. Sitting in the P section allowed me to appreciate the music in a unique way, and the concert concluded with a warm atmosphere celebrating Akiyama's 60 years as a conductor.

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 2002年の第1458回MHK交響楽団の定期公演で,スクロバチェフスキ指揮のブルックナー交響曲第4番をFMで聴き,テレビで見て以来,私はこの曲が大好きになりました。
  ・・・・・・
 ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」(Die Romantische)は,ブルックナー50歳の1874年に第1稿(1874年稿)が完成しました。タイトルは,ブルックナー自身が「ロマン主義的(Die Romantische)とよんだことからきています。1878年に改訂に着手し,第3楽章が全く新しい音楽に置き換えられ(1878年稿),さらに1880年に第4楽章を大幅に修正したものが第2稿(1878/80年稿),それに1886年ニューヨーク初演のためにわずかな改訂が加えられ,その後1887年から1888年にかけて弟子たちがさらに改訂を施したものが第3稿(1888年稿)です。
  ・・
 1886年に第2稿に基づく楽譜の出版が企てられましたが実現せず, 実際に出版された楽譜は,1889年に第3稿に基づくものが最初でこれは初版,改訂版,改変版などとよばれています。さらに,第2稿に基づいて1936年に出版され,その後内容修正のうえ1944年に再出版されたものが原典版,ハース版と称されていて,それ以来,初版での演奏は廃れ,ハース版による演奏が主流となりました。
 戦後,まず1953年に第2稿に基づく楽譜が出版され(=ノヴァーク版第2稿),続いて1874年に第1稿に基づくものが出版されました(=ノヴァーク版第1稿)。
 さらに,2004年には第3稿が出版されたました(=コーストヴェット版第3稿)。
  ・・
 今日よく演奏されるのは,ハース版,または,ノヴァーク版第2稿です。ハース版とノヴァーク版第2稿は,本質的には同じものですが,①第3楽章のトリオ冒頭の管弦楽法,②第4楽章の最後で回想される第1楽章第1主題の管弦楽法に違いがあります。
  ・・・・・・

 私が交響曲第4番が好きなのは,第1楽章から第4楽章まで,極めてバランスがよいところです。どの楽章もすばらしい。そして,ところどころに,私の琴線にふれるところがあるのです。それらが今日載せた部分です。ブルックナーが50歳のときに作曲したものだから,決して若くはないのですが,それでも,ブルックナーにとれば「青春」の曲。交響曲には若さが感じられるのです。
 今回の演奏会で使われたのは,ノヴァーク版第2稿でした。第2稿でもハース版とノヴァーク版では,アレ,と思うことがあります。そして,このほうがいい,とか,これはちょっと,と思ったりするのですが,私は学者でないし,そういうことにはあまりわからないので,それはそれで楽しみとしていました。しかし,それは,同じ第2稿における些細な違いに過ぎないのです。
 というのも,ずいぶん前に書いたのですが,交響曲第3番の第1稿と第3稿を聴いたことがあって,その違いは歴然としていましたが,このときは,聴きなれていなかった第1稿に好感をもちました。また,これもすでに書いたように,1週間前にNHK交響楽団の定期公演で交響曲第8番の第1稿を聴いたのですが,これにはとまどったというか,私には交響曲の第8番は第1稿には肯定的な意味を見出せませんでした。
 そんなわけで,今回は,私の聴きなれた第2稿であることにホッとしました。そして,しっかりと私の大好きなこの曲と向き合いたいと思いました。

 秋山和慶さんの指揮は,奇を衒(てら)うものではなく,リズムも,私の体に染みついたものと同じで,とても好感がもてました。この交響曲はホルンの出来次第,という面があって,東京交響楽団は金管楽器が少し弱いと聞いていたので,少し心配でした。出だしがヒヤヒヤものでしたが,なんとか切り抜けて,そのあとは順調でした。
 このような大規模の曲ではP席では音がそろわないという話で,最後尾に陣取ったティンパニがはやり少しだけズレるのですが,私には何の問題もありませんでした。それ以上に,指揮者の指示がよくわかり,奏者がどのように聞こえているのか,といったことがつかめるので,興味深く聴くことができました。また,P席からは,会場すべてが見渡せて,その荘厳な雰囲気がとてもすてきでした。私はP席がとても気に入りました。これからもこの席を選ぼうと思いました。私の隣にP席マニアの人がいて,演奏前に話が弾み,それもまた楽しいものとなりました。
 今回の演奏会は,フライングの拍手もなく,すばらしいものでした。
 曲の終了後,秋山和慶さんの指揮者生活60周年メモリアルにちなんで,60と書かれたモニュメントにあしらわれた60本のバラがプレゼントされました。なお,「秋山和慶指揮者生活60年記念てぬぐい」なるものが販売されていて,カーテンコールでは客席でスポーツの観戦のようにそれを掲げる人がいたり,それを見たマエストロがほほえんだりして,とてもあたたかみあふれた雰囲気となって,私は幸せな気持ちになりました。

第1楽章冒頭第1楽章第2楽章第4楽章あ第4楽章い第4楽章うIMG_4301IMG_4302IMG_4305IMG_4313IMG_4344


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【Summary】
Alban Berg's Violin Concerto, subtitled "To the Memory of an Angel", was composed in 1935 in memory of Manon Gropius, who died at 18. The work uses 12-tone technique, with its second movement depicting her struggle and ascent to heaven. Symbolism, like the number 22, is woven into the composition.

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 アルバン・ベルグ(Alban Maria Johannes Berg)のヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」(Dem Andenken eines Engels)については,以前,詳しく書いたことがありますが,ここで復習してみます。
  ・・・・・・
 1867年オーストリア・ハンガリー二重帝国が成立し,政治の混乱と凋落によって人々の関心が文化面に向かった結果,「世紀末ウィーン」(Die Wiener Moderne)が起きました。
 美術では,「ウィーン分離派」(Wiener Secession)が活動し,グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)が出ました。また,グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)の妻アルマ・マーラー(Alma Maria Mahler-Werfel)との愛欲を描いた「風の花嫁」で知られるオスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka)がいました。
 アルマはグスタフ・マーラーと知り合い,結婚しましたが,グスタフ・マーラーが亡くなり未亡人となったアルマは,画家のオスカー・ココシュカと関係を深めながらもヴァルター・グローピウス(Walter Adolph Georg Gropius)と再婚,ヴァルター・グロピウスとの間にもうけた娘がマノン(Manon Gropius)でした。そして,マノンのことをことのほかかわいがったのがアルバン・ベルクでした。
 1935年,マノンが18歳という若さで急死します。
 アルバン・ベルクは,この訃報を知ると,ルイス・クラスナー(Louis Krasner)から委嘱されていたヴァイオリン協奏曲を「ある天使の想い出に」捧げるものとして作曲にとりかかります。曲は完成しましたが,敗血症を起こしたアルバン・ベルクはそれから間もなく急逝。この曲は自分自身へのレクイエムになってしまいました。
  ・・
 この作品では,アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg)譲りの12音技法が使われています。第2楽章では,12音技法によってマノンの闘病が描かれ,やがて,激しい死神との戦いの音楽がふと消え失せて,古来の調性による昇天の音楽が演奏されます。
 コラールが過ぎ去ると,第1楽章で提示した基本の12音音階が美しく光を放ちながらあちらこちらで天へと昇っていき,最後にヴァイオリンの4つの解放弦の音が鳴り響くのです。
 この曲の2楽章の冒頭の死のダンスまでへのカデンツが22小節,コラールも22小節,曲の副題「Dem Andenken eines Engel」は22のアルファベット。22という数字は,マノンの命日から来ています。また,2楽章の最後の和音が18個の音で構成されているのはマノンがこの世を去った年齢を表しているといわれます。
  ・・・・・・

 私は,この曲を聴くのは2度目でした。はじめて聴いたときはよくわからなかったのですが,12音技法がなまめかしく響き,魅力的な曲だなあ,という感じはもちました。その後,ウィーンに行ったり,その折に,アルマやマノンのことを知るにつけ,この曲の深い意味がわかるようになりました。
 私はP席にいたので,ヴァイオリニスト竹澤恭子さんの様子がわからないのかな,と思ったのですが,さにあらず,P席というのは,席の勾配が急なので,ステージをよく見渡すことができて,前列の人の頭の影になることもなく,最高でした。音も,もっとバランスが悪く聴こえるのかな,と思っていたのですが,そんなこともありませんでした。それ以上に,臨場感があって,かなり魅力的でした。すばらしい演奏でした。竹澤恭子さんはモバイルの楽譜で見ていたのですが,どこかでだれかが操作しているのか,楽譜が自動的にめくられていくのも興味深かったです。
 アンコールは,J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ 第2番よりアンダンテでした。
  ・・
 ところで,私ははじめてP席に座ったのに,この感覚はじめてではない,と気づきました。考えてみれば,2023年5月12日に,名古屋フィルハーモニー交響楽団が井上道義さんの指揮でボレロを演奏したとき,ステージ上のオーケストラが指揮者を中央にしてそれをぐるりと取り囲むように配置されたので,一般席でもオーケストラの背後から見る形であったのです。あのときもおもしろかった。

あいうえお


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【Summary】
When the NHK Symphony Orchestra's regular concerts were canceled due to the COVID-19 pandemic, performances featuring mostly Japanese musicians were broadcast on FM radio instead. Among them, I was deeply impressed by a concert conducted by Kazuyoshi Akiyama. As a result, I decided to attend the Tokyo Symphony Orchestra's 724th regular concert, conducted by Akiyama this time.

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 コロナ禍で2020年度(2020年9月から2021年6月)のNHK交響楽団定期公演が中止となりました。その代わりに,毎月演奏会が行われましたが,私は聴きに行くことができなかったので,すべてFMで聴きました。その中で特筆すべきものは12月の演奏会でした。「ベートーヴェン生誕250周年特集」と題して,秋山和慶さん指揮で「エグモント」序曲,マーラー編曲の弦楽合奏版弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」,そして,ヴァイオリン協奏曲では諏訪内晶子さんがヴァイオリンを弾きました。
 このころは,外国人の入国ができなかったので,演奏会はほとんどが日本人の演奏家で行われました。そこで,これまであまりNHK交響楽団の定期公演には出演する機会のなかった日本人の重鎮や,これから売り出そうという実力派の若手が起用されたことで,新たな発見がありました。
 この演奏会はすばらしいもので,諏訪内晶子さんはもちろんのこと,秋山和慶という指揮者に感銘をうけました。そして,実際にライブで聴いてみたくなりました。それ以来,機会を探っていたところ,ちょうど,2024年9月21日,東京交響楽団第724回定期演奏会で,それがかなうことがわかったので,聴きに行くことにしました。

 この日の演奏会は「秋山和慶指揮者生活60周年記念」として,竹澤恭子さんがヴァイオリンを弾くアルバン・ベルグ(Alban Maria Johannes Berg)のヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」(Dem Andenken eines Engels)と ブルックナーの交響曲第4番 「ロマンティック」というもので,私には,最高の曲目でした。
 また,私は,これまで,コンサートをステージの反対側P席で聴いたことがなく,一度聴いてみたいものだと思っていたので,今回はP席を取りました。P席は「指揮者の顔を見,オーケストラのメンバーの背中を見,と,いつもと違ってすごくおもしろく,頭の中がよじれそう,耳が反転しそう」というような感想を耳にしたことがあります。それとは逆に「音よくないよ」とも聞いていたのですが,何事も試してみるに限ります。その結果は次回書きます。
 それにしても,考えてみれば,今回のプログラムの1曲目はヴァイオリン協奏曲だから,そんなときにP席とは…。

 指揮の秋山和慶さんは83歳。1963年に桐朋学園大学音楽学部を卒業し,1964年に東京交響楽団を指揮してデビューののち,音楽監督・常任指揮者を40年間にわたり務めたということで,京交響楽団はホームグランドです。現在は,桂冠指揮者です。
 また,竹澤恭子さんは,1977年に小学校5年生で全日本学生音楽コンクール全国大会小学生の部で第1位を受賞,1982年,桐朋女子高等学校音楽科在学中に日本音楽コンクールで第1位を受賞,アメリカ留学後の1985年,ジュリアード音楽院に入学し,1986年にインディアナポリス国際ヴァイオリン・コンクールで第1位を受賞したヴァイオリニストです。私は,これまで,何度か聴いたことがありますが,好きなヴァイオリニストのひとりです。

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 2024年9月14日。9月からはじまった2024年度のNHK交響楽団第2016回定期公演Aプログラムを聴きました。曲目は,「ブルックナー生誕200年」ということで,ファビオ・ルイージさん指揮するブルックナーの交響曲第8番の第1稿でした。
 このところ,マーラーの交響曲を聴く機会が多かったのですが,うって変わって,これからはブルックナー三昧です。ブルックナーの交響曲は,演奏機会の多い第3番以降では,第4番は少し未熟で,第9番は未完。したがって,第8番がもっとも充実したもので,最高傑作だと思うのですが,私が好むのは,まず第4番,次に第9番,それについで,第8番です。また,第7番は以前書いたことがあるのですが,第4楽章をやめて,第2楽章と第3楽章を入れ替えれば,聴く気になります。第3番は粗削りなところがあり,第5番は異色。第6番は地味で,聴いてみれはいい曲だし,よく聴くのですが,どんな曲かと突然問われても浮かびません。

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 ブルックナーの交響曲第8番は,1887年63歳のときに第1稿が完成された最も長大な交響曲です。指揮者ヘルマン・レヴィ(Hermann Levi)が「演奏不可能だ」と言ったことから ブルックナーは全面改訂を決意し,1890年に第2稿となりました。現在の演奏はほとんどこの稿を採用しています。
 また,出版の経緯から,この曲は多くの版があります。
 ブルックナーの弟子ヨーゼフ・シャルク(Joseph Schalk)が第2稿に手をいれたものが「初版」(あるいは「改訂版」)といわれるものです。また,1939年にローベルト・ハース(Robert Haas)によって第2稿を基にした「ハース版」(あるいは「原典版」)といわれるものが出版されました。その後,レオポルト・ノヴァーク(Leopold Nowak)によって,第2稿に基づく「ノヴァーク版第2稿」と第1稿に基づく「ノヴァーク版第1稿」が出版されました。
 「ハース版」と「ノヴァーク版第2稿」は,第3楽章と第4楽章に多くの相違点があります。それは,ブルックナーが第1稿から第2稿に改訂する際に「×」で消された箇所をハースは復活させ,ノヴァークはすべてカットしたからです。
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 交響曲第8番第2稿は,4楽章すべてがとても充実していてすばらしいのですが,特に,とても美しい第3楽章ともっともブルックナーらしいといわれる第4楽章が特筆すべきものです。
 第3楽章では,コーダに入る前の数小節で弦楽5部だけの和音の連続があり,そこに「天上の」ハープが絡まって4オクターブを越えるアルベッジョが聴こえ,そのあとに音楽が突如沈黙が訪れたあと「こころをこめて,優しく」(recht innig, sanft)で曲がはじまる部分は感動的です。
 また,第4楽章では,変ホ短調の主題が一貫したリズムで続いたあと,長い休止があって,その後,音楽は嬰ハ短調に変わり「荘厳でこころのこもった」(Feierlich, inning)主題を響かせるのです。
 では,第1稿ではどうでしょうか?

 9月6日に,東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第372回定期演奏会において,高関健さんの指揮でブルックナー交響曲第8番の第1稿(新全集版ホークショー(Paul Hawkshaw)校訂)を演奏したそうです。第1稿での演奏が流行っているのかな?
 第1稿と第2稿の違いは,聴いてみるとよくわかります。
 とにかく,第1稿では,聴かせどころで,つねに裏切られるのです。だから,聴いていてまったく楽しくありません。いよいよ来るぞ来るぞ! という箇所で来ないどころか,別のよくわからぬ旋律が流れてくるのだから,つねに,ドキドキハラハラ,そしてがっかりの繰り返しでした。
 我々は第2稿を聴きなれているからそう思うのであって,もし,第1稿しか存在していなかったら,それはそれで聴いていたという人もいますが,私はそうは思いません。第1稿だけだったら,傑作とは評価されなかったに違いないです。それでも,第1楽章と第2楽章に比べれば,第3楽章と第4楽章はそれほど違いがなかったし,特に,第4楽章は,盛り上がるところは若干変だったけれど,まあ,期待通りに盛り上がったから,何とか聴きとおせました。
 それにしても,はじまる前から「ブラボー」と叫ぶ観客がいたり,曲の終わりには大量の拍手のフライングが起きたり,演奏は,不慣れな曲であることも手伝ってか管楽器がやたらと目立って聴こえるし,この暑さで私はすべてがダレダレでした。
 ということで,一度は「お勉強」。めずらしい第1稿を聴くことができたということでよしとしましょう。でも,こんなのブルックナーじゃない。ブルックナー嫌いになりそう…,と感じました。家に帰ったら,第2稿を聴いて,お口直し,いや,お耳直し。聴き終えたあとのこころのむやむやを消し去ってしまいたい。

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 私が神奈川フィルハーモニー管弦楽団のことを知ったのは,コンサートマスターが石田泰尚さんであることからでした。以前,神奈川フィルハーモニー管弦楽団はさまざまな問題をかかえていたようでしたが,現在はとても人気があって,企業努力をしているというか,好きだという人が少なくありません。そこで,今回,聴くことを楽しみにしていました。できれば,この日のコンサートマスターが石田泰尚さんだったらいいなあ,と思っていたので,そうであることを知って,やったー,と思いました。
 今回の会場は横浜みなとみらいホールというところでしたが,はじめて行きました。というより,横浜に久しぶりに行きました。もっと気候のよい時期なら,コンサートのついでに時間をかけて街歩きを楽しむのですが,この時期ではその気もなく,単に演奏会を聴くだけにしました。
 新幹線を新横浜駅で降りましたが,そこからどう行くのかがわかりません。何とかiPhoneの情報で乗り換えながら,みなとみらいにたどり着きました。この日は土曜日だったので,すごい人でうんざりしました。ともかく人の少ないカレー屋さんで昼食をとり,会場に行きました。なんだか,いつも昼食でカレーを食べているようです…。

 みなとみらいホールはすばらしい会場でした。東京やその近郊にみなとみらいホールに限らずすばらしい会場が多くあって,うらやましい限りです。しかし,もし東京に住んでいたら,コンサート三昧で金欠病になってしまうから,気に入ったものだけを聴きに出かける今の状況のほうがいいのかもしれません。
 演奏会では,まず,プレイベントがありました。打楽器奏者の平尾信幸さんが今回で最後で,新しく金井麻里さんが入団したということで,このふたりでの演奏でした。これだけでもお得感がありました。
 そのあとではじまった演奏会もまた,本当にすばらしいものでした。こんなに興奮したコンサートはこれまでにありませんでした。曲によって照明の明るさを変えたり,いろいろと工夫が凝らされていました。
 最後,恒例になったカーテンコールでは,ピアノを弾いた松田華音さんまで引っ張り出してきたり,あげくには,ステージ上で打楽器奏者たちと記念写真を撮ったりと,そのお茶目ぶりが楽しかったです。
 実は,その裏では,井上道義さんのブログに
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 今回神奈川フィルとのコンサートは40年前からの持病の尿路結石を引き金とする諸々の体調不全で風前の灯,でも自分でも意味不明な情熱があり何とか無事終わることが出来た
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とあって,私は,この演奏会がキャンセルになるのではないかと心配していたのですが,聴くことができてほっとしました。マエストロは病院からやってきて演奏会が終わってまた病院に戻っていったらしいです。まさに命懸けだったのです。

 すっかり満足して会場を出ると,団員さんたちのお見送りまでありました。
 今回神奈川フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に来て,その人気の秘密がわかったような気がしました。神奈川フィルハーモニー管弦楽団の演奏会のチケットはシニア割もあるし,楽しかったなあ,また来たいなあ,と思うものでした。NHK交響楽団もお高く留まっていないで少しは見習ってほしいものです。
 余韻冷めやらぬ中,横浜駅で夕食をとって,新横浜駅から新幹線に乗って帰宅しました。新横浜駅のホームで列車が来るのを待っていると,突然の雷雨。しかも,これまで体験したことがないような豪雨がホームの屋根や反対側に停車した新幹線を叩きました。まるでこの日に聴いた伊福部昭の音楽のようでした。
 この日に乗った新幹線は,行きも帰りもN700Sでした。

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 選曲のいきさつは知りませんが,井上道義さんは,様々なオーケストラとの最後の共演に際して,そのオーケストラにもっともふさわしい曲を当てているような気がします。神奈川フィルハーモニー管弦楽団との最後の共演は,フランスものを2曲と伊福部昭が作曲したものを2曲選びました。

 前半の,だれもがきっとどこかで聞いたとこがあると思われる馴染みのフランスものは,夢見心地になるファンタジーあふれた音楽ですが,こういう曲こそ,どれほど味のある演奏をするか,それとも,単にスコアをさらっているような味も素っ気もないものになるかで,聴く側が曲に入り込めるかどうかが決まるというものです。だから,こういう曲をアマチュアのオーケストラがやってはいけません。
 今回の演奏は,やはりプロというか,まことにすばらしいものでした。
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●管弦楽のための狂詩曲「スペイン」(España, rapsodie pour orchestre)
 シャブリエ(Alexis-Emmanuel Chabrier)が1883年に作曲した管弦楽曲です。
 シャブリエは作品の数が極めて少なく,演奏されるのはこの狂詩曲と「楽しい行進曲」など若干の作品のみです。この作品はシャブリエがスペインを旅行した際の情熱的な音楽の印象をもとにして作曲されたといわれています。
  ・・
●ドビッシー「夜想曲」(Nocturnes)
 ドビュッシー(Claude Achille Debussy が1897年から1899年にかけて作曲した管弦楽曲です。 
 「雲」「祭」「シレーヌ」の3曲からなる組曲となっています。

 後半は,「ゴジラ」で有名な伊福部昭のふたつの作品です。
 前回書いたように,2021年12月に井上道義さんが指揮をしたNHK交響楽団の公演の曲目は,前半がショスタコーヴィチの交響曲第1番で,後半が松田華音さんがピアノを弾いた伊福部昭の管弦楽のための「リトミカオスティナータ」と「日本狂詩曲」で,この日の後半の曲目がこれと同じものでした。
  ・・
●ピアノと管絃楽のための「リトミカオスティナータ」(Ritmica ostinata per pianoforte ed orchestra)
 伊福部昭が1961年に完成し,1969年に最初の改訂,次いで1971年に改訂した1楽章形式のピアノ協奏曲です。
 「リトミカオスティナータ」とは「執拗に反復する律動」という意味で,五拍子や七拍子といった日本語の韻文の奇数律動の反復を基礎として六音音階による旋律が展開するという楽曲。中国で見た四方の壁全面に仏像がはめ込まれた堂の迫力と感動が創作のヒントとなったといいます。
 かなり高度なピアノの技法が必要であり,体力が必要であるとしろうとの私は思うのですが,これを楽しそうに弾きこなしてしまう松田華音さんがすてきでした。また,いつものように,ソリストと対決するような井上道義さんの指揮がすごい迫力でした。
 この曲は,どこかしこに「ゴジラ」が潜んでるみたいで,それが突然現れてくるのです。
 松田華音さん,華音と書いて「かのん」とはなんとすばらしい名前でしょう。それにしても,先日聴いたヴァイオリンの服部百音さんもそうですけれど,生まれたときから親の期待を一身に受けて音楽家をめざしたような名前ですが,その重責たるやいかに…。
  ・・
●日本狂詩曲(Japanese Rhapsody)
 伊福部昭はじめての管弦楽曲で,1935年に完成した2楽章形式の曲です。狂詩曲というのは自由奔放な形式で民族的または叙事的な内容を表現したものです。演奏時間は約15分と短く,かつ,ノリのよい曲で,ピアノと管絃楽のための「リトミカオスティナータ」の酔い覚ましとして,また華々しいフィナーレには最適な曲でした。ビオラのソロがなまめかしく魅力的でした。
 外山雄三が1960年に作曲した「管弦楽のラプソディ」という曲がありますが,日本らしいという点でよく似ています。「管弦楽のラプソディ」のほうが作られたのは後ですが…。
 私は若いころは,このような曲がクラシック音楽といえるのかな,と思ったのですが,若気の至りでした。スメタナの「わが祖国」やシベリウスの「フィンランディア」などと同様,日本人の作曲するものは,こうした日本らしさがあるべきだと,今は思います。

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Buck Moon 2024.

55年前人類が月を歩いた日です。
写真は7月20日の月とスミソニアン航空宇宙博物館に展示されている月着陸船です。
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 2024年7月20日。神奈川フィルハーモニー管弦楽団みなとみらいシリーズ第397回を聴きました。
 この演奏会は,井上道義さんと神奈川フィルハーモニー管弦楽団との最後の「狂」演で,曲目は, シャブリエの狂詩曲「スペイン」,ドビュッシーの夜想曲,松田華音さんがピアノを演奏する伊福部昭のピアノとオーケストラのための「リトミカオスティナータ」,そして,伊福部昭の「日本狂詩曲」でした。
 この演奏会に出かけた理由は,指揮が井上道義さんということと,一度聴いてみたかった神奈川フィルハーモニー管弦楽団ということと,曲目に以前NHK交響楽団の演奏会で取り上げられたのと同じ伊福部昭のピアノとオーケストラのための「リトミカオスティナータ」と「日本狂詩曲」だった,ということでした。
 演奏会のことは次回書くとして,今年2024年12月30日で引退する井上道義さんですが,私は,この先,井上道義さんの指揮をする演奏会に行く予定はなく,これが私にとっても最後ということで,今日は,これまでに聴いたさまざまな演奏会についてまとめておくことにします。

 1986年(昭和61年)に放送されたNHK教育テレビ「NHK趣味講座・第九をうたおう」という番組の担当講師が井上道義さんで,私はテキストを購入して興味深く見ました。それまで井上道義さんのことは知っていましたが名前くらいのものでした。
 「第九をうたおう」というのは,もちろん,ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章のことで,私も多くの人と同じように,一度は第九を歌ってみたいと思ってこの番組を見ました。しかし,この番組で,第九を歌うというのは並大抵のことではないということがわかって,それ以降,歌ってみたいという願望は大それたことだと悟り,その夢をあきらめました。だから,番組がアダになった,ともいえるのですが,決してそうではなく,クラシック音楽のすばらしさと奥深さ,井上道義という指揮者の偉大さ,そして,こうした高貴なものに私のようないい加減なしろうとは足を踏み入れてはいけないということがわかったというだけでも,見る価値がありました。

 その後,井上道義という指揮者のことは忘れていたのですが,すばらしいマエストロであると私が意識したのは,2020年12月5日に行われたNHK交響楽団 12⽉公演,指揮井上道義さん,ピアノ松田華音さんで,伊福部昭のピアノとオーケストラのための「リトミカオスティナータ」を演奏したものを翌年3月7日にNHK Eテレクラシック音楽館で放送されたものを見てからでした。これは,今回私が聴いたものと同じ曲目です。
 これ以降,井上道義という指揮者にすっかりはまってしまい,何とかライブで聴いてみたいと思っていたのですが,2022年NHK交響楽団の定期公演11月のAプログラムでやっとそれが実現しました。そして,それを機会に,NHK交響楽団の定期公演を越えて,井上道義さんの指揮する様々な演奏会を聴くために,西に東に通いはじめたのです。
 これまで私が聴いた演奏会は,そのどれもが話題となるすばらしいものでした。

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 ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番のあとに休憩がありました。
 休憩後,第2番のまえに演奏されたロッシーニの歌劇「ブルスキーノ氏」序曲が,疲れ果てた私には癒しとなりました。第2番と楽器編成が似ているという理由もあったのでしょうが,この選曲は絶妙でした。
 ロッシーニが作曲した1幕からなるオペラ・ファルサ(Opera Farsa=笑劇)「ブルスキーノ氏,または冒険する息子」(Il signor Bruschino, ossia Il figlio per azzardo)は,現在は,序曲のみが多く演奏されています。序曲は序奏部を持たない小規模なもので,弦の弓で譜面台を叩くという奏法がコミカルなものでした。なお,この演奏会は,簡単なパンフレットが配られただけで,曲の紹介がかかれた小冊子はありませんでした。

 さて,ほっと一息ついたあとに,ショスタコービッチのヴァイオリン協奏曲第2番がはじまりました。服部百音さんの衣装が黒色に変わりました。
  ・・・・・・
 3楽章からなるヴァイオリン協奏曲第2番は,1966年から67年にかけて作曲されたもので,60歳になった晩年のショスタコービッチらしい,思索的,哲学的内容をいっそう深めた作品です。
 室内楽的な明確な輪郭があり,全合奏の部分は極めて少ないのが特徴です。また,ヴァイオリンの独奏パートはまとまって休むことがほとんどなく,各楽章の中間部にそれぞれカデンツァを置いています。
   ・・・・・・
 第2番は,第1番のような派手さがないし,演奏される機会もほとんどなく,私も,これまで演奏会で聴いたことはありませんでした。また,ネット上にも詳しい解説が見当たりませんでした。そこで,今回,私は,何度も聴いて,予習をしました。
 第2番は,はじめて聴いたときには,聴き手を引き込む迫力がありません。しかし,聴きこんでみると,かなり魅力的な作品でした。
 陰鬱な雰囲気ではじまるオーケストラにソロ・ヴァイオリンが落ち着かない主題を乗せていく第1楽章の主調は嬰ハ短調で,これは,ヴァイオリンの曲にはあまり適さない調性ということです。暗く曖昧な第1主題と軽妙な第2主題の音色の変化が対比し,展開部からカデンツァに現れる重音ののち,第2楽章へと続きます。このあたりが,ショスタコーヴィッチ好きにはたまらなく魅力的に感じられるところです。薄暗がりの中に真っ赤な糸がうねりながら光って見えるような第2楽章のヴァイオリンのソロによる主題の提示は,暗い色調の曲に乗る艶っぽい音色が特徴で,唐突に過激なカデンツァがはじまり,朗々とホルンのソロが響きますそして,アタッカで演奏される第3楽章は,諧謔的で光と影がギラギラと入り乱れるような曲想で,かなり長めのカデンツァがあり,終盤は,打楽器とヴァイオリンが掛け合う展開になります。
 この曲は,幾多の試練を乗り越えた晩年のショスタコービッチの,ロシアの狂気に戦い疲れたむなしさとあきらめが表現されているように,私は感じます。「第1番に比べ第2番はそれなりにうまくやってはいるが,どうしても訴えかける力が弱いような気がするのである」という,ある評論を読みましたが,この曲は,人に訴えようと思ってはいないのだ,と私には感じます。ショスタコーヴィチ自身ための,ロシアへの決別であり,多くの犠牲者への鎮魂の曲なのです。

 この第2番の,第1楽章と第3楽章のカデンツァに現れる,ロシアの狂気をあざ笑うかのようなお道化たメロディは,どこかで聴いたことがあるのになあ? 何だったかなあ? と非常に気になって,ショスタコーヴィッチのさまざまな曲を聴いて,やっと探し当てました。それは,1966年に作曲されたチェロ協奏曲第2番のメロディでした。
 チェロ協奏曲第2番とヴァイオリン協奏曲第2番を何度も聴き比べてみると,このふたつの協奏曲は,まさに,兄弟のようなものでした。ちなみに,ヴァイオリン協奏曲第2番の第1楽章の最後とチェロ協奏曲第2番,そして,交響曲第15番のフィナーレは,ショスタコーヴィチお得意の,それぞれ,同じような木管楽器と打楽器との掛け合いの妙で,これが,私にはたまらなくいい。
  ・・
 と,聴きながら想いを巡らせていると,第3楽章の後半部で「事件」(ハプニング)が起きました。服部百音さんが酷使していたヴァイオリンがついに音を上げて,弦が切れてしまったようでした。突如,コンサートマスターのマロさんのヴァイオリンと交換して,続きを弾きはじめたところで,井上道義さんが演奏を止めました。そして,少し戻して,演奏を再開し,無事に何事もなかったように終了しました。ヴァイオリンが変わって,音色が変化したのが,私にはとてもおもしろかったです。
 ちなみに,服部百音さんの使用楽器は,日本ヴァイオリンより特別貸与の1740年製グァルネリ・デル・ジェス(Guarneri del Gesù)。マロさんの使用楽器は(株)ミュージック・プラザより貸与されている1727年製ストラディバリウス(Stradivarius)です。
 私は,一度,NHK交響楽団の定期公演で,ヴァイオリン奏者の弦が切れて,ヴァイオリンを後ろへ後ろへと回し交換する姿を見たことがあるのですが,今回は,ソリストのヴァイオリンの弦が切れる,というもので,これははじめて見ました。ただし,ピアノの弦が切れた,というのは見たことがあります。こうした「事件」と,その的確で冷静な対処を見ると,いかにプロの演奏家がすごいのか,ということを再発見します。

 井上道義さんは,ブログに次のように書いています。
  ・・・・・・
 何と! 最後の最後にあり得ないタイミングで弦が切れ, コンサートマスターのマロさんの楽器を一瞬のうちに手渡され,彼の楽器の素晴らしい音さえ一瞬で引き出し,よい意味で「忘れられない事件」として,2,700人のお客さんの記憶に残すことになったのです。
 道義は,あの時,無理やり続けるかやり直すかという一瞬の判断の分け目で後者を取りましたが,それは,モネが「何かあったらやり直すから」と宣言していたせいでもありました。
 彼女との共演では,以前も肩当てが落ちたこと1回,弦が切れたこと1回と,いつも何かが起こる。
  ・・・・・・
 終了後,服部百音さんは,燃えきれていないような表情を見せて,井上道義さんがそれを慰めるような姿が見えました。しかし,大観衆の拍手で,すべてが救われました。
 今回のコンサートで,人生の仕事のひとつをやり終えることになる,というようなことをXに書いていた服部百音さんでしたが,あまりに完璧にやり終えて気が抜けてしまうよりも,こうした「事件」があったことで不完全燃焼となり,より上を目指そうという意欲が沸き起こったのではないかな,と私は思いました。
 すばらしい演奏会に立ち会えて,大満足でした。

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 ずいぶん前のことなので,チケットを入手したときのことは忘れたのですが,私の席は,前列2列目,そこまではよかったのですが,ステージに向かって左から3番目,つまり端っこでした。こりゃ最悪だ,と思ったのですが,考えてみれば,カーテンコールのとき,一番近くで見ることができるではないか,ということで,思い直しました。
 大阪フェスティバルホールはすばらしいところですが,オーケストラのコンサートではちょっと広すぎます。
  ・・
 この日の前日2024年6月29日に,サントリーホールで同じ演奏会がありました。私が大阪のフェスティバルホールで聴いたのはその翌日となりますが,これが,正真正銘,井上道義さんのNHK交響楽団を指揮する最後となるわけです。NHK交響楽団のコンサートマスターはマロさん。曲目は,前回書いたように,ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番と第2番。この2曲を挟んで,ロッシーニの歌劇「ブルスキーノ氏」序曲でした。

  ・・・・・・
 41歳のショスタコービッチが,1947年から1948年にかけて作曲された4楽章からなるヴァイオリン協奏曲第1番は,12音技法を使うなどの前衛的な書法により1948年2月に共産党による作曲家批判を受けたため,発表を控えました。その後,スターリン死後の雪解けの雰囲気の中,交響曲第10番の初演が成功し,ジダーノフ批判が一段落したと考えられた1955年に発表されました。
  ・・・・・・
 コンサートがはじまりました。
 服部百音さんは,あざやかなブルーの衣装で現れました。ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番は,ショスタコーヴィチの傑作のひとつであり,ヴァイオリン協奏曲の傑作のひとつです。私も好きな曲です。しかし,この曲を聴いていると,貴族趣味のベートヴェンやブラームスの優雅なヴァイオリン協奏曲とは全く異質の,これはまさに現在行われている戦争そのものだと感じられます。
 それにしても,この曲,悲しすぎます。現在のロシアの狂気によって失われた多くの犠牲者に思いを巡らせます。

 今回の演奏を聴いていると,服部百音さんの演奏はまさに命懸け。これから第3楽章のカデンツァが待っているというのに,すでに第1楽章から,これ以上はないというほどの精魂込めたもので,これで,次の第2番まで体力が保てるのか,それ以上に,楽器がもつのか,と思えるほどでした。弓の糸がひっきりなしに切れました。
 これだけ激しい演奏はこれまで聴いたことがありません。これは,芸術というよりも,まさに戦いでした。
 ヴァイオリン協奏曲第1番演奏が終わったとき,演奏者以上に,聴いていた私が疲れ果てました。

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 2024年6月30日に,大阪のフェスティバルホールで,井上道義指揮NHK交響楽団の演奏会を聴いてきました。主な曲目は,服部百音さんがヴァイオリンを弾くショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番と第2番でした。服部百音さんのXにはこうあります。
  ・・・・・・
 当初周りから散々,不可能だろうといわれたショスタコ協1番&2番を一夜で同時にやる×2日連続×ライブ録音の企画がもうすぐはじまって終わる。私が20歳の時に企画してから4年。大変な思いも沢山した。けれど,信じられない程沢山の人とチームの力が重なり団結した企画だった。実現した事そのものだけでも,皆さんのショスタコへの尊敬と愛情を大きな形にする事が出来た。と思っています。
  ・・
 私は元気です。 舞台でね!
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 ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番は,以前,井上道義さんが指揮をした読売交響楽団との劇的な演奏,服部百音さんが第3楽章「バッサカリア」の最後の長いカデンツァが終わり,汗を拭おうとしてヴァイオリンの肩当てを落とし,第4楽章のはじめの3音が弾けなかったというものですが,これをテレビで見たことがあるので,このような演奏をライブで聴けるのか! という期待がありました。また,ヴァイオリン協奏曲第2番は,服部百音さんは,この演奏会の前に5月の広島交響楽団のコンサートでも弾いていて,それは,この演奏会に向けての調整? だったように思いました。
 ところが,この演奏会ではとんでもないことが起きたのですが…。それは次回に。

 2024年末で引退する指揮者井上道義さんは,現在,自分のやりたいことをすべてやり終えようと,精力的に各地でゆかりのあるオーケストラの指揮をしています。NHK交響楽団との共演は,定期公演では,2024年2月の第2004回が最後だったので,これで終わり,と思っている人もいるでしょうが,実際は,今回の演奏会こそが,最後となります。
 実は,井上道義さんが再びNHK交響楽団を指揮するようになったのは,近年のことです。井上道義さんのブログにこうあります。
  ・・・・・・
 今だから書くが,井上は80年代中頃に,N響と小澤事件を思わせる大喧嘩して20数年間指揮しなかった。
 「井上がN響定期? 絶対有り得ない!」と事務長に言われて帰ってきたことあったとは梶本音楽事務所時代のカジモト社長の懐古調のセリフ。
  ・・・・・・
 若いころは振らせてもらえなかったのに,今ごろになって,頻繁にNHK交響楽団が招へいしてくれるのは…,みたいなことを書いていたのを読んだことがあります。何か,すごく根にもっている感じがします。

 ショスタコーヴィチは2025 年に没後半世紀となるのですが,このコンサートはそれとは関係ないと思われます。井上道義さんは,自分のレパートリーの中心にショスタコーヴィチを据えていて「ショスタコーヴィチは自分自身である」と語っているし,服部百音さんもまた「これほど自分自身に矛先を向けている作曲家はいない」と語り,ショスタコーヴィチとその作品を自らの核としてきたからです。この両者,服部百音さんは,17 歳のときに井上道義さんと初共演して以来,「音楽の真実を教えてくれる先生」として敬愛しているようです。最高の組み合わせです。
 そのようなわけで,このコンサート,これを聴かずにおれようか,ということで,私は,ものすごく楽しみにしていました。それにしても,ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲 第 1 番と第 2 番。第1番はよく演奏されますが,第2番とは! 私はこれまで聴いたことがありませんでした。

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 2024年6月8日,NHK交響楽団2024年6月Aプログラムを聴きました。
 毎年,6月の定期公演は,私にはなじみのない曲であることが多いのですが,今回は,とりわけ,全曲スクリャービンと,私にはまったく縁遠いもので,すべてはじめて聴く曲でした。スクリャービン(Aleksandr Nikolaevich Skryabin)は,1872年に生まれ,1915年に亡くなったロシアの作曲家です。
 指揮・原田慶太楼さん,ピアノ・反田恭平さんと,今,注目されるコンビに加え,コンサートマスター・郷古簾さんという,若々しいメンバーで,これだけでうれしくなりました。
 曲目は,「夢想」(Rêverie),ピアノ協奏曲,交響曲第2番でした。

 「夢想」は,当初の題名が「前奏曲」。とても美しい曲で,さあ,これから楽しい音楽の夢の時間がはじまりますよ,という感じがしました。文字どおり,この演奏会の「前奏曲」になりました。
  ・・
 ピアノ協奏曲は,ショパンの影響が濃厚に残る作品で,第1楽章は,短い導入のあと,メランコリックな旋律の第1主題,明るく甘い響きをもつ第2楽章が対位法的に旋律が絡み合う展開部を経て,再現部,そして,コーダと続きます。第2楽章は変奏曲。感傷を極めたかのような旋律の主題が,ピアノの細かいパッセージがセンチメンタルさを更に強調する第1変奏が第2変奏で前向きに一瞬動き出すものの,第3変奏で重厚なピアノが悩ましさを醸し出し,第4変奏では管弦楽が対位法的に絡み合い,最後に回帰した主題をピアノが装飾します。そして,第3楽章では,悲しくも力強い第1主題と祈りが上昇してゆくような第2主題が核になって,最後は,おもに第1主題が変奏されてクライマックスを迎えます。
 やるせなく美しい第1楽章,ピアノの枠に収まりきれずに滴り落ちるようなロマンの薫りの第2楽章,オブラートで包まれたような柔和な第3楽章からなる,美しく甘い旋律に彩られたこの曲は甘い香りのする極上のピアノ協奏曲でした。「もっとも美しいピアノ協奏曲」といわれるように,本当に美しく,感動しました。
 アンコールはグリーグ(Edvard Hagerup Grieg)の叙情小曲集から「トロルハウゲンの婚礼の日」(Wedding Day at Troldhaugen)でした。これがまたすばらしかった。
  ・・
 交響曲第2番は1901年に完成した初期の集大成で,ワーグナーに熱狂していたスクリャービンでしたが,ここでは,更に一歩前へ進んで,リヒャルト・シュトラウスにも接近しているそうです。全5楽章で,第1楽章と第2楽章,第4楽章と第5楽章は,それぞれ切れ目なく続けて演奏されます。
  第1楽章は,クラリネットが低い音域で奏する陰鬱な循環主題Ⅰと,ヴァイオリン,次いでフルートが独奏する明るい響きの循環主題Ⅱが全楽章を統べる主題となっていて,「悪魔的な詩」(Poeme Satanique)と称されるそうです。
 第3楽章は,フルートとヴァイオリンの掛け合いが小気味よく美しく,ブラームスのピアノ協奏曲第2番のチェロの独奏を思い出しました。
 スクリャービン自身は「作曲したときには気に入っていた曲ですが今となっては満足できません。終楽章が陳腐なもので」といい,いずれは終楽章を書き換えることも計画していたといわれますが,実現しませんでした。聞きやすい曲だという感想がみられますが,私は,第3楽章の美しく神秘的な曲が,最後にはただの平凡な曲になってしまったような気がして残念でした。
 3部構成に集約されているという観点から,マーラーの交響曲第5番の構成法にもよく似ています。スクリャービンは,生涯に5曲の交響曲を書きましたが,次第に楽章数を絞っていく方向に向かい, 最終的には単1楽章構成にたどりつきます。

 オールスクリャービンプログラムなんて,だれが聴きにくるのかな? 今日はガラガラだ,と思ったのですが,私の予想に反して,反田恭平さん効果なのか,満員札止めでした。私は,予習をして聴きにいったのですが,事前に思っていたよりもはるかに楽しく,久しぶりに,曲にのめりこみました。
 いい演奏会でした。

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 東京とは違って,大きなホールがあまりない名古屋では,オーケストラの演奏会のほとんどは,愛知県芸術劇場コンサートホールで行われます。以前書いたように,愛知県芸術劇場コンサートホールは,音はいいのですが,会場までの設計が非常に悪く,狭いエスカレータか込みあうエレベータしかありません。東京のサントリーホールとは段違いです。私はできれば行きたくないところです。
 愛知県芸術劇場コンサートホールができるまでは,金山にある名古屋市民会館しかありませんでした。今から40年ほど前,名古屋市民会館で定期演奏会を行っていた名古屋フィルハーモニー交響楽団の公演によく行ったものですが,今は,ここでは,市民会館名曲シリーズというものを開催しています。また,名古屋市民会館は日本特殊陶業市民会館フォレストホールというよくわからない名称になっています。

 土曜日の夕方,ちょっとのんびりとクラシック音楽を聴いてみたいなあ,ということと,曲目がブルックナーの交響曲第7番ということもあって,2024年5月25日,久しぶりに日本特殊陶業市民会館フォレストホールへ行って,演奏会を聴いてきました。ホールが古いのはいかんともしがたいのですが,それが逆に,昭和のころの演奏会を聴いているみたいで,楽しめました。入り口もロビーも階段も広くストレスがありません。
 開演前のロビーコンサートというものもあって,曲目は,ブルックナーの弦楽五重奏曲の第1楽章でした。
 ブルックナーの弦楽五重奏曲は,弦楽四重奏にヴィオラをもう1本増やした編成です。ブルックナーの弦楽五重奏曲は傑作のひとつで,こころに染み入るものでした。今度は,静かな会場で聴いてみたいと思いました。

 今回の演奏会の指揮は,マティアス・バーメルトさんで,以前,NHK交響楽団の定期公演や第九演奏会でも指揮をした人なので,よく知っています。はじめにNHK交響楽団が招へいしてきて,その後,日本の各地のオーケストラの常任指揮者になる,というパターンがよくあって,マティアス・バーメルトさんも2018年4月から2024年3月まで札幌交響楽団の首席指揮者でした。
  ・・・・・・
 現在81歳で,時代に流されない誠実さと剛直さを併せ持つ指揮振りと音楽性で「いぶし銀のマエストロ」と世界でたたえられています。
  ・・・・・・
 正直,カリスマ性はありません。我を出す,というタイプではないように思います。そこで,どういう演奏をしたいのか,という主張が軽薄な気がします。

 曲目は, ワルター・アウアーさんがフルートを演奏する尾高尚忠のフルート協奏曲とブルックナーの交響曲第7番でした。フルート協奏曲は第2楽章がきわめて日本らしい音階ですてきでした。
 ブルックナーの交響曲第7番は,美しい第2楽章,ブルックナーらしい第3楽章のカデンツァはいいのですが,第4楽章がちょっと弱いのが欠点だと私は思っていました。
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 他のブルックナー交響曲の最終楽章に比べると,軽快な親しみやすさにあふれている反面,終楽章が短いと否定的に評されることがあります。また,再現部の主題再現は逆に行われるのでわかりにくいという評価もあります。
  ・・・・・・
 今回,久しぶりにじっくりと聴いてみて,交響曲第7番は,第2楽章と第3楽章を入れ替えて,第4楽章をなくして,それで終わりにしたらいいのではないか,と思ってしまいました。
 一度,そうして聴いてみよう。

 いずれにしても,週末の夕方,こんな気楽なコンサートを聴くのも悪くありません。
 観客の入りは6割程度でした。
 日本特殊陶業市民会館フォレストホールは,終演後,愛知県芸術劇場コンサートホールのように,狭いエスカレータに乗る必要もないし,NHKホールのように,代々木公園や渋谷の雑踏をかきわけることもなく,帰ることができます。これがいい。
 日本特殊陶業市民会館フォレストホールは,近く建て替え工事をする計画があるそうです。しかし,そうなると,建て替えをしている間,ますます,名古屋でコンサートを聴く場所がなくなってしまうことでしょう。
 終演後,おいしいものを食べて帰宅しました。

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 2024年5月12日,NHK交響楽団の定期公演を聴いた次の日,東京交響楽団第720回定期演奏会を聴きに,サントリーホールに行きました。せっかく東京に行ったので,今回はコンサートのはしごです。
 指揮はジョナサン・ノットさん(Jonathan Nott)で,曲目は, 武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」(A Flock Descends into the Pentagonal Garden), ベルク(Alban Maria Johannes Berg)の演奏会用アリア「ぶどう酒」(Der Wein),そして, マーラーの交響曲「大地の歌」(Das Lied von der Erde)でした。
 ソプラノは髙橋絵理さん,メゾソプラノはドロティア・ラングさん(Dorottya Láng),テノールはベンヤミン・ブルンスさん(Benjamin Bruns)でした。

 すでに書いたように,私は,2020年11月15日,ジョナサン・ノット指揮,東京交響楽団のコンサートを聴きに行く予定でした。おもな曲目は,ブルックナーの交響曲第6番でした。NHKEテレの「クラシック音楽館」で聴いたジョナサン・ノット指揮・東京交響楽団のブルックナーの交響曲第9番が忘れられず,チケットを購入したのはその年の1月で,とても楽しみにしていました。
 しかし,コロナ禍で,ジョナサン・ノットさんの来日が不可能となり,広上淳一指揮でベートヴェンの序曲「命名祝日」と交響曲第4番に変更となりました。フランス料理を楽しみに食べにいったら,天丼に変更になったようなものでした。
 時節柄,しかたがなかったとはいえ,がっかりでした。もし,はじめからこのプログラムだった行くこともなかったのに,と思いました。熱が冷めて,それ以降,東京交響楽団の演奏会に行くこともなくなりました。

 それからしばらくして,今回,ブルックナーではなく,マーラーではありましたが,私の好きな交響曲「大地の歌」でもあり,また,ジョナサン・ノットさんの指揮ということもあり,東京交響楽団の定期演奏会に足を運ぶことにしたのです。
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 1962年イギリス生まれのマエストロ・ジョナサン・ノットは,ドイツのフランクフルト歌劇場とヴィースバーデン・ヘッセン州立劇場で指揮者としてのキャリアをスタートし,ルツェルン交響楽団首席指揮者兼ルツェルン劇場音楽監督,アンサンブル・アンテルコンタンポランの音楽監督,ドイツ・バンベルク交響楽団の首席指揮者を経て,スイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督を務めています。
 東京交響楽団では,2014年から音楽監督を務めています。
  ・・・・・・
 音楽監督とはいえ,これだけ頻繁に来日して指揮をすることに敬服するとともに,東京京響楽団は,この指揮者の魅力で支えられているのだろう,と思いました。

 武満徹の代表作のひとつ「鳥は星形の庭に降りる」はこれまで何度も聴いたことがありました。
 1977年に書かれた管弦楽作品で,サンフランシスコ交響楽団の委嘱で作曲されたものです。パリのポンピドゥー・センターで後頭部を星形に刈り上げたマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)を写真家のマン・レイ(Man Ray)が撮影した写真を見て喚起され,鳥の群れが五角形の庭に舞い降りる夢を見たという逸話が残る作品です。
 星形というのは,幾何学的にも最も美しいシンメトリーです。正5角形の内角は108度,そして,対角線を結ぶと星形になって,そこには多くの二等辺三角形が作られるのですが,武満徹は,そこにインスピレーションを得て,音楽で表現しようとしたのでしょう。美しい曲です。

 1930年に初演されたベルグの演奏会用アリア「ぶどう酒」ははじめて聴きました。
 詩はシャルル・ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire)の詩集「悪の華」(Les Fleurs du mal)をドイツの詩人シュテファン・ゲオルゲ(Stefan Anton George)がドイツ語訳したものから取られています。ぶどう酒は,シャルル・ボードレールの人生そのものの一部をなしていました。ぶどう酒は確かに酒精ですが,それは人に生きる力をもたらす特別の飲み物,「命の水」(eau de vie)。この詩は,シャルル・ボードレールの熱い気持ちが込められているのです。
 ということで,ぶどう酒は単なるお酒ではなく,もっと官能的な飲み物だとシャルル・ボードレールは自分に酔っているわけです。大人の歌です。

 そして,最後がマーラーの交響曲「大地の歌」。
 この曲については,すでに書いているので,ここでは触れません。それより,私がこの曲に浸れるかどうかは,私自身の精神状態に寄るところが多いわけで,はたして今回はどうだったでしょうか?
  ・・
 曲の途中で,1階席中央にいた観客のひとりが具合が悪くなって,係員がその処理をしていて,若干ざわついたのですが,ステージ上では何事もないように,集中して曲が続きました。そして,そんなハプニングをものともせず,会場につめかけた観客も次第にのめりこんでいきました。
 メゾソプラノがすばらしく,最後は,圧巻の終曲を迎えました。至福な時間でした。
  ・・・・・・
 Die liebe Erde allüberall Blüht auf im Lenz, Ewig... ewig...
 春になれば花は咲き新たな緑は萌えてくる,永遠に…永遠に…
  ・・・・・・
 私には,前の日にNHK交響楽団の定期公演で聴いたレスピーギより,マーラーのほうがいいです。そして,マーラーの交響曲で最高傑作だと思っている「大地の歌」だったことが最高でした。
 こうして,東京京楽団の演奏会で2020年に味わうことになってしまった期待外れの天丼が,やっと,念願の極上のフランス料理に代わりました。

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 2024年5月11日,NHK交響楽団第2010回 定期公演 Aプログラムを聴きました。
 4月の定期公演は,天童市の人間将棋に行ったので,パスしましたが,このときのメインプログラムはブラームスの交響曲第1番でした。風のたよりでは,何がしかのことが起き,賛否両論だったということなので,聴いてみたかったな,と少し思いました。
 今回の指揮はファビオ・ルイージ(Fabio Luisi)さん,曲目は,パンフィリ(Riccardo Panfili)の「戦いに生きて」(Abitare la battaglia)の日本初演と,「ローマ三部作」であるレスピーギ(Ottorino Respighi)の交響詩「ローマの松」(Pini di Roma)「ローマの噴水」(Fontane di Roma)「ローマの祭り」(Feste Romane)でした。

 イタリア中部の都市テルニに生まれたパンフィリの管弦楽曲「戦いに生きて」は,2017年にフィレンツェ5月音楽祭管弦楽団の委嘱で作曲され,ファビオ・ルイージの指揮で世界初演されたものです。
  ・・・・・・
 弦楽器の弱音によるかすかな響きに雫を落とすようなハープの音からはじまり,曲が進むにつれて時折襲う激しい音の波やティンパニの悍ましいほどの厳しい刻みが「戦い」をイメージさせ,厳選された音の集積によって私たちを包み込む響きの美しさとその和声的な美から滲み出る秘めたる意志,そして,最後に悲壮的な美がもたらされる。
  ・・・・・・
という曲だそうです。
 私には,「戦い」が終わった安らぎよりも,敗北感としか思えませんでしたが…。救いがない曲でした。こういう,はじめて聴く曲をどう受け入れるのか,いまもって私はよくわかりません。事前にYouTubeなどから探して聴きこんでくるほうがいいのか,そういう予備知識なしで初対面で聴くのがいいのか…,いつも困るのです。そして,どう受け止めればいいのかわからぬまま,消化不良で終わってしまいます。そして,音楽を聴くということがどういうことなのか,音楽を楽しむというより,忍耐をためされているのだろうか,と考えてしまいます。はたして,演奏する人たちはどう思っているのでしょうか。

 さて,今回のメインである「ローマ三部作」です。
 ボローニャ生まれのレスピーギは,1913年にローマに移住し、この地を活動の拠点とし,「ローマ三部作」とよばれる「ローマの噴水」を1916年に,「ローマの松」を1924年に、「ローマの祭り」を1928年に作曲しました。
  ・・・・・・
●「ローマの松」
 ローマの4つの歴史的名所に立つ松を主題とします。何世紀も生き続ける松の木を前に,古代ローマへと想像の羽は広がり,荘厳な古代世界が音楽によって表現されるというものです。
 〈ボルゲーゼ荘の松〉では,17世紀初頭に建造されたボルゲーゼ荘の庭園で子供たちが遊んでいる様子を,チェレスタ,ハープ,ピアノを加えた輝かしい響きで描きます。
 〈カタコンブ付近の松〉では,古代ローマで迫害された初期キリスト教徒の地下墓所であるカタコンブから聞こえてくる祈りの歌を,グレゴリオ聖歌に由来する旋律を用いて表現します。
 ピアノの分散和音に続くクラリネットの旋律で幕を開ける〈ジャニコロの松〉では,ローマの街を一望できるジャニコロの丘に立つ松が月明かりに浮かび上がり,幻想的な響きの中から,最後にナイチンゲールのさえずりが聞こえてきます。
 夜明けのアッピア街道に立つ松を表す〈アッピア街道の松〉では,低い弱音の刻みの中から,イングリッシュ・ホルンの異国的旋律が漂い,古代ローマの世界に入り込んでいきます。街道を行進する古代ローマ軍が次第に近づき通過していく様が,オルガンやバンダとして指定された金管楽器の堂々とした響きによって蘇るのです。
  ・・
●「ローマの噴水」
 夜明けから夕暮れまで刻々と変化する日の光を反映した水の幻想的美しさを表しているローマの噴水に施された神々の彫刻が,水と一体となって想像の世界を広げていきます。古い書法と前衛の融合した響きによって,ローマの4つの噴水を表現します。
 〈夜明けのジュリアの谷の噴水〉では,夜明けの冷たく湿った霧のなかを羊の群れが通り過ぎる牧歌的情景を表します。
 〈朝のトリトンの噴水〉では,ホルンのファンファーレにはじまり、この噴水を飾るトリトンの像が、朝日のなか、水の精ナイアデスと水しぶきを浴びて踊り出します。
 〈昼のトレヴィの噴水〉では,ネプチューンの戦車が通過する勇ましさが描かれます。
 〈たそがれのメディチ荘の噴水〉では,夕暮れどきの穏やかな自然の音と噴水や鐘の音が溶け合う感覚的な美を映し出します。
  ・・
●「ローマの祭り」
 ローマの特徴的な4つの祭りを時代を自在に行き来して劇的に描写した作品です。キリスト教と関わりの深い「祭り」の音楽は,アメリカ的な趣味が反映されています。
 〈チルチェンセス〉では,古代ローマの皇帝ネロの時代の,猛獣と人間が見世物として決闘した残酷な祭りを描写します。
 50年ごとに行われるカトリックの聖年祭〈50年祭〉では,巡礼者たちがローマを眼前にしたときの感慨を賛歌の旋律も援用して表現します。
 秋のぶどうの収穫を祝う〈10月祭〉では,前半にホルン,後半でマンドリンによるセレナーデなどの楽器の独奏が華を添えます。
 〈主顕祭〉では,主顕祭前夜の祭りの賑やかさを管弦楽法を尽くして描きます。
  ・・・・・・

 当初発表になった曲順は「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」だったのですが,「ローマの松」「ローマの噴水」「ローマの祭り」に変更になりました。これは,前半の時間と後半の時間のバランスを考えてのことだったように思います。
 多くの人が語るように,「ローマの松」が「ローマ三部作」の中で最も充実した曲だといわれています。私もこれまではそう思っていたのですが,今回,実際の演奏を聴いてみたら,「ローマの松」は金管楽器の音が派手すぎて,むしろ,地味だと感じていた「ローマの噴水」が一番いいなあと思いました。「ローマの祭り」に至っては,単なる映画音楽です。実際,「ローマの祭り」を作曲していた当時のレスピーギはアメリカの映画音楽を意識していたということです。とはいえ,「ローマの祭り」で終わるのが,もっとも観客のノリがいいでしょう。特に,ブラボーおじさんには…。
 いずれにしても,私は,リヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」とか今回聴いた「ローマ三部作」のような,こういった写実主義的な曲のよさがよくわかりません。こころに響かないのです。ということで,私の好みだけで,今回の定期公演は,きっと空いているだろう,と思ったのですが,さにあらず。「ローマ三部作」というのは,すごく人気があるようで,満員でした。こうしたお祭りの出囃子のような音楽が好き,という人が多いんだなあ,というのが驚きでした。
 いつもはだれもいない私の周りも,はじめて聴きにきた,というような人が大勢座っていました。リズミカルなところでは体を躍らせたり,本人なりに楽しんでいるようでしたが,私は,クラシック音楽の演奏会では,そういうのは好ましいとは思えません。ブルックナーやマーラーを取り上げる演奏会とは,客層が違うのだなあ,と感じました。

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 グスタフ・マーラ―の交響曲第3番は,演奏時間が約100分もあり,当時,世界最長の交響曲といわれました。私がこの曲をはじめて知ったときは,確か「夏の朝の夢」といった表題があったようですが,現在は聞きません。これだけ長いのに,もともとはもう1楽章あって,割愛された楽章は次の交響曲第4番の第4楽章となったそうです。
 はじめに第2楽章から第6楽章までが作曲されて,最後に第1楽章が書き上げられたようです。

 この第1楽章は,高貴な雰囲気でもなく,特に美しいわけでもなく,私は,ちょっと長すぎるのでは,と思います。表現は悪いのですが「だらだらと」続いてしまうので,ちょっとうんざりします。そして,これだけ長いと,ぬるい温泉につかりすぎた感じになってしまい,それを冷ますのにずいぶんと手間がかかるのです。逆にいえば,先に作曲された第2楽章から第6楽章まで,というか,もともとは第7楽章までの前座を担うには,これだけの長さが必要になってしまったのかもしれません。
 井上道義さんは,第1楽章だけでお疲れになって,この楽章が終了したところで,座り込んでしまい,最後まで演奏できるのかな? と私は心配になりました。
  ・・
 口に水を含みなんとか立ち上がったマエストロが,だれかが思わず拍手をしたのを制して,静かに第2楽章がはじまりました。
 交響曲第3番は,第4楽章と第6楽章が聴かせどころだと私は思うのですが,第4楽章をはじめの見せ場にするには,第2楽章と第3楽章が必要なのでしょう。どちらかなくてもいいかな,と考えても,第2楽章の次に第4楽章があったら変だし,第2楽章を省略して第3楽章では,やはり,うまくないです。先に書いたように,長大な第1楽章の熱さましをするには,第2楽章と第3楽章が必要になってしまうのです。
 いずれにしても,マーラーは,このあたり,音楽をどこにもって行けばいいのか迷いさまよっている感じがして,この交響曲で一体何がいいたいのかな,何を表現したかったかな,という疑問が,私には起こります。

 しかし,そんな疑問は第4楽章で吹き飛びます。交響曲第3番は,第4楽章からが魅力的です。ここでは
  ・・・・・・
 O Mensch! Gib Acht!
 Was spricht die tiefe Mitternacht?
 „Ich schlief, ich schlief –,
 Aus tiefem Traum bin ich erwacht: –
 Die Welt ist tief,
 Und tiefer als der Tag gedacht.
 Tief ist ihr Weh –,
 Lust – tiefer noch als Herzeleid:
 Weh spricht: Vergeh!
 Doch alle Lust will Ewigkeit –,
 – will tiefe, tiefe Ewigkeit!“
  ・・
 おお人間よ! 注意して聴け!
 深い真夜中は何を語っているのか?
 「私は眠っていた
 深い夢から私は目覚めた
 世界は深い
 昼間が思っていたよりも深い
 世界の苦悩は深い
 快楽-それは心の苦悩よりもさらに深い
 苦悩は言った。滅びよ!と
 だが,すべての快楽は永遠を欲する
 深い永遠を欲するのだ!」
  ・・・・・・
と,アルトが歌うのですが,これは,ニーチェ(Friedrich Nietzsche)の「ツァラトゥストラはこう語った」(Also sprach Zarathustra)の第4部第19章「酔歌」の第12節「ツァラトゥストラの輪唱」から採られたものです。
 これを歌った林眞暎さんが本当にすばらしかった!

 そして,第5楽章ですが,ここでは一転して,児童合唱が鐘の音を模した「ビム・バム」を繰り返し,アルトと女声合唱が
  ・・・・・・
 Es sungen drei Engel einen süßen Gesang,
 Mit Freuden es selig in dem Himmel klang,
 Sie jauchzten fröhlich auch dabei,
 Daß Petrus sei von Sünden frei.
  ・・
 3人の天使が美しい歌をうたい
 その声は幸福に満ちて天上に響き渡り
 天使たちは愉しげに歓喜して叫んだ
 ペテロの罪は晴れました!
  ・・・・・・
と歌うという,ユニークなものです。この歌詞は,交響曲第4番につながっていきます。
 このように,交響曲第3番は,交響曲第2番で「復活」しちゃったのを第4楽章で終結させて,第5楽章で交響曲第4番で天国に昇天させるための橋渡しとしているのでしょう。そのために子供たちと女性の声が必要なのです。男性の声があると,天国よりも地獄,ショスタコービッチの「バビ・ヤール」になってしまいます。

 いよいよ,最後の第6楽章。
 交響曲第3番は,この第6楽章ですべてが救われます。Langsam. Ruhevoll. Empfunden. (ゆるやかに安らぎに満ちて感情を込めて)とありますが,実際は「アダージョ」。
 この楽章の美しさと神々しさは,筆舌に尽くしがたいものです。そして,マーラーの音楽の数々のすばらしい「アダージョ」のなかでも,第3番の第6楽章は癒しの「アダージョ」であり,真骨頂です。井上道義さんは,こうしたメロディアスな楽曲を指揮すると,本当にいい。

 今回はじめての,すみだトリフォニーホールと新日本フィルハーモニー交響楽団でした。外に出ると,スカイツリーが迫ってきます。このホールは,規模的にもホールの形状もウィーンの楽友協会に似ていて,同じような響きがしました。ただし,それがホールのせいなのか,オーケストラのせいなのか,私の席のせいなのか,専門家でないのでわかりませんが,今回の演奏では,弦と管のバランスがちょっと悪かったです。というか,管が昭和時代のオーケストラのようでした。私は,管をもう少し抑えたほうがいいように感じました。
 何はともあれ,美しかった第6楽章で,長い長い交響曲のすべてが報いられました。そして,いつものように,今回もまた,井上道義さんのスタンディングオベーションがいつまでもいつまでも続きました。

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