しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ: アメリカ合衆国旅行記

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 アリゾナ州には多くの天文台があるので,幻になってしまった2020年のアメリカの旅では,そのなかからいくつか行ってみようと思っていました。しかし,実際に行ってみるとすれば,事前にしっかり調べる必要がありそうですが,調べる前にキャンセルになってしまったわけです。
 今,改めて調べていくと,こりゃ大変だという気がしてきました。前々回,前回に紹介した国立公園同様に,あまりに多くのおもしろそうなところがあるからです。
 今では,もし旅が実現していたとしても,行けなかったのではないか,また,この先も行くことができるのだろうか,複雑な気持ちがしています。
 いずれにしても,ここ数年のアメリカ旅行は,毎年,少しずつ行きたいところに行ってみようというくらいで,さほど想い入れがあったわけでもなく,単なる避暑気分の旅をしていたのでした。それもできなくなってしまいました。
 そんなこんなで,今日は天文台について紹介します。

●キットピーク国立天文台(Kitt Peak National Observatory)
 アリゾナ州ツーソン郊外の赤茶けた風景の中にキットピーク国立天文台は建っています。ここにある研究用望遠鏡群は世界最大級の規模と多様性を誇るといいます。
 日中は,敷地内を自由に見学したり,ガイド付きのプログラムや VIP プログラムに参加することができまるそうです。
 さすが,アメリカです。今は変わりつつありますが,かつては,日本では何か研究者は特権階級のように思っていて,一般の人を格下にみて謝絶する雰囲気がありました。
 キットピーク国立天文台では,夜もまた,一般用の観測プログラムがあって,遠方からも多くの参加者があるそうです。それらの中には,ゆっくりと楽しめるダーク・スカイ・ディスカバリー(Dark Sky Discovery)やナイト・オブ・マーベラス・ムーン(Night of Marvelous Moon)といったプログラム,また,オーバーナイト・テレスコープ・オブザービング・プログラム(Overnight Telescope Observing Program)では,専門家の指導の下で遥か遠い宇宙の天体を観察できるほか,3日間のアストロフォトグラフィーワークショップ(Astrophotography Workshop)で夜空の写真を撮影するための基礎を学ぶことができるそうです。
 さらに,トホノオオダム国立文化センターと博物館(Tohono Oodham National Cultural Center & Museum)が近くにあって,この地のアメリカ先住民の文化を学ぶこともできます。また、アリゾナソノラ砂漠博物館(Arizona-Sonora Desert Museum)の植物園では,アリゾナ州の自然史を学べます。
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●マクドナルド天文台(McDonald's Observatory)
 テキサス州西部のデイビス山脈(Davis Mountains)の奥地にあるマクドナルド天文台からは,アメリカ大陸で最も暗い空を見ることができます。起伏に富み,かつ,美しい風景に囲まれた展望台にはビジターセンターがあり,1年を通して見学できるといいます。また,毎週行われるスターパーティーでは,周囲の山々のシルエットを眺めながら満天の星を堪能できます。
 近くにはデイビスマウンテンズ州立公園(Davis Mountains State Park)があって,そこではハイキングやバックパッキング,乗馬などのアドベンチャーが楽しめるということです。また,フォートデイビス国定史跡(Fort Davis National Historic Site)では,開拓軍の駐屯地をガイドなしで見学できます。
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 そのほかにも,テキサス州には,レモン山スカイセンター天文台(Mt. Lemmon SkyCenter), グラハム山インターナショナル天文台(Graham International Observatory),フレッドローレンスウィップル天文台(Lawrence Whipple Observatory)などがあります。


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 2020年に行くはずだったアメリカ旅行でしたが,具体的な予定をたてる前にキャンセルとなってしまったわけです。この旅でなんとなく行きたいと思っていたのが,アリゾナ州の南部にある天文台と国立公園,そして,アリゾナ州の東部からニューメキシコ州にかけての国立公園,そして,フォーコーナーズモニュメントでした。これらの場所は,すべて行くことができるような,または,行けないような,微妙な距離にあります。
 とはいえ,それはいつものことで,もし,この旅が実現できていたとすれば,私は無理やりでもおそらくそのすべてに行っていたことでしょう。アメリカの距離感は日本とはまったく違います。しかし,道路は整備され,交通量も多くないので,かなりの距離が走れるのです。
 では,上記に書いた,行きたかった場所について,順に紹介することにします。

 今日はアリゾナ州の南部にあるサワロ国立公園とチリカワ国定公園です。
 地図を見ると,ともにインターステイツ10に近く,私は,以前,テキサスから西に,エルパソまでインターステイツ10を走ったことがあるので,もう少しだけ西へ走っていたらそのときに行くことができたのにと,今更ながら後悔しています。
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●サワロ国立公園(Saguaro National Park)
 サワロというのはハシラサボテンのことで,アメリカ最大のサボテンです。
 いわゆる,日本人が想像する西部劇にでてくるようなサボテンですが,10メートルを越えるような大きさに成長するのは4000万個のうちの1個ほどだといいます。
 こうしたサボテンは,フェニックスの郊外にも時折みられますが,フェニックスから南に行ったツーソンという町の西側と東側にあるサワロ国立公園に行くと,地平線のかなたまでサボテンだらけなのだそうです。
 そんなサボテンの林を見るだけ,といえばそれだけの国立公園なのでしょうが,しかし,アメリカの他の国立公園同様,行ってみたら期待を裏切ることはないでしょう。
 と書いてたら,ますます行きたくなってきました。
 なお,世界最大のサボテンというのはメキシコのカリフォルニア半島に育つカルドン(Cardon)というサボテンです。根元から腕が伸びるのが特徴で,高さは20メートルに達し,重量は25トンになるといいます。
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●チリカワ国定公園(Chiricahua National Monument)
 ここは,地平線まで広がる砂漠に忽然と緑濃い小さな山並みが見えてくるのだそうです。それは2,700万年前の巨大な火山の噴火の跡で,その際にできた火山岩が浸食されて奇怪な尖塔の群像になったものだといいます。まるで岩の墓場のような不気味な表情は独特なものということですが,訪れる人もほとんどなく,静けさに支配されている… と知れば,これはいつか行くしかないでしょう。 

 以下,次回に続きます。


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●これでしばらく…●
 私は空港が好きではない。できるだけ人と会いたくないからだ。特に観光客が土産物を買いあさっている姿を見たくない。
 それでも,人の少ない地方空港ならいいが,国際線の数多く発着するハブ空港は私には耐えられない。アメリカ本土の空港はまだマシだが,ホノルルとなると,まるで日本の渋谷みたいな感じになるから最悪である。さらに,この時期は大学の卒業旅行客がいっぱいで,いささかげんなりであった。
 ということで,ホノルルでは,いつも,搭乗時間まではラウンジで過ごすことにしている。とはいえ,クレジットカードで入れるようなラウンジは,それもまた,日本人観光客ばかりなので逃げこむ意味がない。幸い私はデルタ航空のゴールドステイタスなので,この時もまた,デルタスカイクラブのラウンジに籠った。

 航空機や空港の制度は,アメリカ的な価値感が世界に浸透しつつあるものかもしれない。金がすべてという価値観であるアメリカは,金さえあれば人のステータスが高い。日本では,列車のグリーン車を利用しても,それは列車内のことだけで,待合室まで特別ではないだろう。しかし,飛行機のファーストクラスを利用するとなると,搭乗も優先になるし,待合室さえ異なるわけだ。だから,こうした特典をいかに安価に手に入れるかということが快適な旅行をするためのポイントとなる。
 しかし,こうした優遇措置は日本人にはなじまないように感じる。だから,日本の航空会社がそのまねをしても,どこかおかしなことになってしまう。それは,なんというか,着物を着た西洋人を思い浮かべればわかるだろう。
 日本には忖度は似合う? が,金がすべてという価値観には不慣れである。

 この年の1年前,2019年にハワイに行ったときは,私は,セントレア・中部国際空港とホノルル間を往復ともファーストクラスを利用した。それは,ものすごく安価にファーストクラスにアップグレードができたからだった。この年も同じようようにしようと思っていたのだが,思った以上にアップグレードが高かったからやめた。そして,妥協してコンフォートエコノミーにした。おそらく,私が旅を設定した時期がちょうど連休と重なっていたことが理由だったが,そんなことは知らず,少しがっかりだった。ハワイ便は,設定する曜日や日にちによって,ずいぶんと料金が違うのだ。
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☆4日目 2020年2月23日(日)
 ともかく,定刻に帰国便はホノルルを離陸した。私は,今回もまた,何をするでもなく機内で過ごし,そのまま日付変更線を越え,行きに設けた時間を使い果たし,現実に戻ったわけだった。
 しかし,この時点では,まさか,この後,海外旅行すら行けなくなるなんて夢にも思わなかった。はたして,私がハワイの地を踏むときが再び訪れるのだろうか?

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●上空から見るハワイの島々●
 オアフ島が見えてきた。
 一般の人が簡単に行くことができるハワイ6島で,オアフ島から西に飛ぶのはカウアイ島だけで,残りのマウイ島,ハワイ島,モロカイ島,ラナイ島は東に飛ぶが,マウイ島やハワイ島に行く途中で機内から見ることができるのがモロカイ島とラナイ島である。
 はじめてハワイに行ったときは何もわからず,オアフ島から飛び立った後,興味深く眼下の島々を見ては,これがどの島なのだろうと思った。それが今では島の形を見るだけでどの島かわかるようになった。
 いずれにしても,最も遠いハワイ島でさえ,1時間程度の飛行で着いてしまうから,通勤電車と変わらない。今回行ったモロカイ島はもっとも近いから,わずか30分程度,しかも,プロペラ機だったから,高度も低く,地上がよく見えたし,上空に昇ったと思ったら,着陸態勢に変わってしまった。
 もう,ホノルルの上空は,何度見たことだろうか。海にへばりつくように家々が見えはじめて,その東の端にはダイヤモンドヘッドがその姿が美しい。

 滑走路に向かって旋回をし,やがて,飛行機は着陸した。
 プロペラ機は機体が低いので,ゲートに横づけできないから,タラップを降りることになる。
 このときはまだ,この後1年以上にもわたって海外旅行ができなくなるなんて夢にも思わなかったが,再び,こんな気軽な旅ができる日が訪れるのだろうか。
 とはいえ,第1次世界大戦のころに流行ったといわれるスペイン風邪も2年の流行だったし,あと数年もすれば,今回のコロナ禍も歴史となるのだろう。また,第2次世界大戦は4年も続いたが,それでも世界は復興した。
 しかし,そうした数年は歴史の教科書の年表を眺めればわずかな期間であっても,その時代に生きている人にはすごく長い期間であり,貴重な時間の浪費であっただろう。特に,多くの体験ができるはずの大学生やこれから旅を楽しもうと思っていた退職したばかりの人たちには,これほど不幸なことはないに違いない。
 私は,この旅で念願だったモロカイ島に行くことができて,本当に幸運だった。これをもって,一度は行ってみたいと思っていたすべてのところに行くことができたからだ。

 さて,空港の建物に入って,通路を歩いて,デルタスカイクラブのラウンジに急いだ。あとは,帰国便に乗るだけだが,空港の雑踏がきらいだから,時間まで,ラウンジでゆっくり過ごすのだ。ラウンジでは朝食もとらなければならない。
 空港の建物の通路を歩いていると,眼下には,パーキングエリアにずらりと並んだリムジンカーが見えた。きっと,ハネムーンなのだろう。こうした商業ベースのハワイもまた,ハワイである。というより,多くの人にとってのハワイは,むしろ,この世界なのである。
 しかし,私はそんな見せかけの虚栄を見て,すっかり現実に戻されて嫌になった。


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●ホノルルまでの30分●
 帰りのフライトも定刻どおりだった。これでホノルルまでは行けるから,あとはどうでもなる。
 これまでの旅で,数えきれないほど飛行機に乗ったが,いつもいつも帰りの便に乗るまでが不安である。しかし,この旅もそうだが,私にとってはホノルルまでが旅である。その先,日本までのフライトは,日本人が溢れていていて,まったく楽しくない。
  ・・
 今,海外旅行ができなくなって思うのは,これまで,いつも,日本人のほとんどいないところ,そして,日本人だけでなく,人の少ないところで自由気ままに過ごすのは本当に楽しかったということだ。
 何度も書いているように,この旅のあと,私は7月に,ネオワイズ彗星を見るという目的だけのために北海道に行った。札幌に着いて,海外でレンタカーを借りるときのような明快さと比較して,日本でレンタカーを借りるときの意味のないわずらわしさをやっと終えて車を借り,道北の,ほとんど車が通らないところへ着いて,やっと海外で味わうような楽しさをほんの少しだけ感じることができたのだが,それ以外は,海外旅行の楽しさとは雲泥の差であった。
 今回のようなすてきな旅ができる日がまた来るのだろうか。

 帰りもまた,搭乗したのは ATR42-500 という42人乗りのターボプロップ双発旅客機であったが,行きに乗った機体よりも新しかった。行きは座席の80パーセントほどが埋まっていた。帰りのほうが空いていたようには思うのだが,ほとんど記憶にないし,記録もないのでわからない。
 いずれにしても,海外旅行に行って,現地の国内線に乗って,ほとんど日本人がいないという状況,これを生まれてはじめて経験したときの緊張感はたまらなかった。そのうち慣れっこになってしまったが…。
  ・・
 離陸して,窓から,カラウパパの半島が見えてきた。ここで旋回して,ホノルルに向かうのだが,ほんの30分ほどの飛行である。あまりに近いので,行きは機内サービスもなかったが,帰りのフライトではちゃんとジュースが配られた。飲んでいたらすぐに着陸態勢に入ってしまったのが滑稽だった。
 これで,念願だったモロカイ島への旅も終わりである。

 それにしても,アメリカ50州制覇をめざしていたころにはまったく興味のなかったハワイだったが,一度行って以来やみつきになり,ほぼ毎年ハワイに行くようになった。しかも,ほとんどの日本人がハワイ,ハワイと行くオアフ島にはまるで興味がなく,それ以外の島々を訪れて,その,昭和初期の日本のような雰囲気とさびれた感じ,そしてまた,アメリカ人の超豪華な別荘などを見てきたことを思い出すと,私は,いったい何が目的でハワイに行ったのかな,と今も,それを不思議に感じる。
 別に,ハワイがとりわけすばらしいと思えないし,物価も高いし。本当に,何だろう?
 おそらく,私には,日本にはない自然と星空と,そして,今や,日本には田舎にも存在しないのどかさ,これが魅力なのだろう。
 また,行きたいものだ。


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●田舎の小さな空港●
 特にすることもないので,待合室で時間を潰した。やがて,小さな飛行機が到着した。モクレレ空港の飛行機だった。そして,数人の乗客が降りてきた。
 ハワイの諸島間を結んでいる航空会社は,大きなところでは,ハワイアン航空(Hawaiian Airlines),アイランドエアー(Island Air)があるが,それ以外に,モクレレ航空(Mokukeke Airlines),マカニカイエアー(Makani Kai Air)がある。モクレレ航空とマカニカイエアーはセスナ208キャラバンという機種をつかっている。これは,ほとんどタクシー状態である。ちょっとホノルルまで買い物に,といった感じであろう。
 セスナ208キャラバン(Cessna 208 Caravan)は,セスナ社が開発した単発ターボプロップ汎用輸送機である。エンジンはプラットアンドホイットニーカナダ製PT6A-114(600shp)であったが,後にPT6A-114A(675shp)となった。セスナ社が,DHC-3オッターやセスナ製のその他航空機の後継を目的に10座席の機体として開発されたもので,1982年に初飛行した。最も大型のセスナ製単発機となっている。
 私もハワイに長く滞在して,こうしてふらっとほかの島を訪ねてみたいものだ。

  小さな空港ではあるが,私の乗る飛行機の乗客が少しずつ集まりはじめていた。こうしたローカル空港で帰りの飛行機に乗るまでが,楽しい旅である。
 これでホノルルに着いてしまえば,どこから現れたかと思うほどの日本人がホノルルの空港にいて,もう,夢も何もあったものではない。そんなことを思い出すと,海外旅行もまた,それほど魅力的な楽しみでもなかったのかもしれない。私は,根本的に人混みが大嫌いなのである。
 それにしても,このときは,まだこの旅のあと1年以上も海外旅行ができなくなるとは思わなかった。
 長く生きていると,いろんな経験をするものだがとしみじみ思うこのごろである。それにしても,私が行きたかったモロカイ島にこうしてコロナ禍の直前に行くことができたのはものすごい幸運であった。

 私は,このような地方空港にも,これまで数多く行ったことがある。
 オーストラリアのエアーズロックの空港,ニュージーランドのウィーンズランドの空港,アメリカ・モンタナ州のビュートの空港,フィンランドのロヴァニエミの空港,アラスカのフェアバンクスの空港,カナダのプリンスエドワード島の空港,などなどである。
 私は,こんな田舎の空港に降りたって,人の少ないところで自然と一体となって旅をした思い出が,これまでで最も楽しいものだったと,今にして思う。
 また,いつか再び行ってみたい。


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●帰国の朝●
☆4日目 2020年2月23日(日)
 帰国の朝になった。
 朝早いフライトに乗る私は,コンドミニアムのオフィスがまだ空いていない時間にチェックアウトをすることになった。
 モロカイ島から,ここに住む人ならともかく,観光でこの島にやって来て,早朝ホノルルに行ってそのまま乗り換えて帰国するなどという人はまれであろう。
  ・・
 そもそも,今回の旅に限らず,海外旅行では,ツアーならともかく,個人旅行では,帰国が最も悩みのたねである。それは,乗り換える前の便が遅れてしまうと,あとがたいへんだからなのである。特に,私のように,日本からハワイまではデルタ航空,ハワイの島内はハワイアン航空と,別々の航空会社でフライトが予約してあれば,遅れても次のフライトが待っていてはくれない。
 たとえ同じ航空会社であっても,以前,アメリカ・ミズーリ州のカンザスシティからデトロイトで乗り換えて帰国しようとしてカンザスシティからの便が遅れて乗り換えができなくなって,えらい目をしたことがある。また,これは帰国のときではなかったが,2年前にオーストラリアのエアーズロックに行ったときは,行きの便が遅れて,乗り替え便に乗り遅れた。しかも,航空会社が違ったものだから,待っていてくれなかった。

 まあ,これまでこんなことばかりしてきたから,何が起きても何とかなるという自信だけはあるのだが,それでも,トラブルはめんどうだ。
 そこで,今回も,乗り換え時間にかなりの余裕をもって予約したのだが,それでも,何か事があって,全く飛ばなくなったらどうしようもない。
 ハワイも,オアフ島ならいいが,ほかの島に行くとなると,いつもこうした心配がある。それでも,ハワイ島やマウイ島のような観光地なら,余分に何泊しようとホテルがあるからどうにでもなるが,モロカイ島では,いったいどうすればいいのだろうか。
 コロナ禍で海外旅行ができなくなった今,そんなことを思い出していると,もう,海外旅行なんて,どうでもいいような気にもなってくる。

 さて,このコンドミニアムでは,チェックインのときにもらったプリントに,チェックアウトではルームキーを部屋のキッチンの上に残してロックをして帰ればいいとあったので,その通りにして コンドミニアムを出発した。
 約30分で夜も明けきらぬ空港に到着して,レンタカーを返却した。借りたときに言われた通り,ガソリンは半分の消費だった。借りたときに満タン返しにしないという契約にして,安価に満タン分のガソリンを購入するというシステムを使って,事前に半分だけのガソリン代を安価に支払っておいたのだ。
 写真のように,空港の建物内にもAlamaレンタカーのカウンターがあるのだが,ここは閉鎖されていて,営業は,直接,建物の外にあるAlamoのオフィスで行われている。モロカイ島は,このような「さびれた感」満載の,まるで,日本の過疎の田舎のような島であった。
 いつものように,すでに iPhone のアプリでフライトのチェックインは済ませてあったので,空港ではセキュリティを通って乗るだけだった。ハワイから日本への帰国は,一度セキュリティを通ればホノルルで再びセキュリティを通る必要がないので,こうした小さな島から帰国するのはかなり楽なのだ。特に,モロカイ島では,30人程度の乗客しか飛行機に乗らないのだから,セキュリティはまったく並ばず,田舎の駅と同じようなものである。


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●深夜に星を見ること●
 モロカイ島3泊目の晩になった。明日の朝,帰国する。
 昨晩は2時間ごとに起きて星の写真を写したことはすでに書いた。明日は帰国するから,この晩は特に星を見る予定はなかったのだが,体内時計が深夜に起きるサイクルになってしまったので,午前2時過ぎに目覚めた。
 明日の朝帰国するといっても,コンドミニアムから空港まではわずかな距離なので,別に寝不足になったところで影響もないから,この晩も星空を眺めることにした。

 コロナ禍の前,私は毎年のようにオーストラリアに星を見に出かけていた。オーストラリアのニューサウスウェールズ州の内陸部の晴天率は6割から7割,といったところか。3泊すれば1日以上は星が見られる。であるが,定宿としているところからブリスベンの空港までは約3時間かかり,飛行機の時間が午前10時過ぎなので,早朝チェックアウトをする必要がある。そこで,3泊しても,最終日の晩は徹夜で星を見ることができない。まあ,飛行機に乗ってしまえは眠るだけだが,空港にたどり着くまでがたいへんなのである。
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 国内で星を見るときも,年に2度ほど遠征して宿泊する定宿は,オーストラリア同様,自宅から3時間ほどかかるから,ここもまた,徹夜というわけにはいかない。家から1時間程度の,いつも出かける場所の場合は,夕方出かけて深夜に帰ってくるケースと,深夜に出かけて早朝帰ってくる場合があるが,どちらにせよ,徹夜はまずしたことがない。
 星を見るのは,なかなか過酷な趣味なのである。
 となると,このモロカイ島は,徹夜して星を見るには,最適の場所ではなかろうか。

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●カウナカカイ桟橋での夕日●
 海を眺めて,時間を忘れて過ぎたモロカイ島の1日の最後は,カウナカカイ桟橋で夕日を眺めることに決めていた。
 桟橋を渡ったところに広い駐車場があるので,そこに車を停めて,桟橋を歩いて戻り,桟橋の途中にあったベンチに腰掛けた。あとは,夕日が海に沈むのを待つだけだった。
 海にには船が浮かび,雲がいい感じに出ていた。
 夕日は,雲ひとつない青空のもとで沈むより,雲に光が反射したほうが,ずっときれいだ。そしてまた,沈むまでが極めて美しいものだ。それが日の出とは反対で,日の出は太陽が昇るまでが美しく,太陽が見えてしまうと,急に現実に戻ってしまう。
 聞こえるのは,波の音だけだった。
 人の少ないモロカイ島は,夕日を眺めるのに最高のハワイの島に違いない。
 太陽が沈み,コンドミニアムに戻ると,コンドミニアムのまえのビーチの向こうにはラナイ島が見えた。砂浜には1組のカップルがいた。


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●パドラーズインで夕食をとる。●
 ベランダにイスを出して,ずっと海を見て1日を過ごしたのだが,今では,この日に何をしたのか,まったく記憶がない。とにかく,何も記録がない。車に乗ってどこかに出かけたこともないし,テレビもつけなかった。
 お昼はいつだったか買ってきたカップヌードルを食べたような気もするが,それがこのときだっだかどうかも定かでない。写真もないからわからない。
 ともかく,何もしないというのはかなり退屈だと思うだろうが,海を眺めていると,時間を忘れるのだ。
 人生暇つぶし。なので,暇をつぶす方法をたくさん知っていることが生きるコツなのだろうが,それがもっとも難しいことのように思う。特に,私のように,普段,何もしないでいるとすぐにイライラするなどという性格は,最も生きることが下手なのだろう。
 しかし,仕事は別として,暇なときに何かをしたとしても,それはしなけらばならないことでなければ,要するに,してもしなくても同じなのではないか,と思うわけで,むしろ,何かをすることで他人に迷惑をかけることも数多くあるのだ,とこのごろ感じるようになった。

 さて,そんなわけで,海を眺めていたら夕食の時間になった。 この旅の最後の晩は,モロカイ島でもっとも贅沢だと私が思っていたパドラーズイン(Paddlers Inn)というバーを併設したレストランに行くことにした。
 これまでここに行かなかったのは,ここが飲み屋だと思っていたことに加えて,「地球の歩き方」にはこの店で使えるクレジットカードがVISAだけと書かれてあったのが最大の理由であった。私は,この旅にはVISAカードを持っていかなかった。
 特に海外では,私は,現金を使うということはほとんどなく,たとえ飲み物1本買うにも,クレジットカードを使う。だから,わずかの現金しか持っていなかったのだ。
 事前の情報では,モロカイ島は,少し前の日本のようなところで,Wifiもクレジットカードも使えないと思ったほうがよいところらしかった。しかし,実際はそう困ることもなく,コンドミニアムではWifiがつながったし,ほとんどの場合クレジットカードが使えた。

 そんなわけで,わずかしか現金を持っていなかったが,これまでほとんど現金を使わなかったために,というか,お金を使うところもほとんどなかったために,手元の現金はまったく減ることもなかったので,この晩,たとえ夕食を現金で支払っても大丈夫という見込みが立ったので, 入ってみることにしたのだった。
 入ってみると,私のほかに初老の夫婦がいただけだった。彼らはカウンタに腰かけて,おいしそうにアルコールを楽しんでいた。
 ここは,オーストラリアの田舎町で入ったことがあるタバーン,つまり,お酒も飲めるレストランという感じのところで,とても居心地がよかった。また,かしこまった場所でもなかった。メニューも高級そうなものはなく,ハンバーガーがいろいろあるくらいのものだったが,それでも,ここはこの島でもっともマシなレストランであった。もう少し遅く来れば,ライブ演奏をやっていることもあるということで,店内の端にはステージもあったが,この晩,それが行われたのかどうかは知らない。
 ライブ演奏といえば,ハワイは,レジャーランドのような日本人観光客のあふれるオアフ島は別としても,ハワイ島でもカウアイ島でもマウイ島でも,なかなか雰囲気のいいライブ演奏のつきのレストランがあって,私もこれまで楽しんだ経験がある。まあしかし,モロカイ島では,それは望めないだろう。
  ・・
  食事を終えて支払いをしようとしたとき,このお店でもほとんどすべてのクレジットカードが使えることがわかり,拍子抜けした。それはともかくとして,最後の晩にいい思い出ができた。そしてまた,私のモロカイ島の,食事をする場所もない,という印象もこれで払拭されることとなった。
 それにしても,次回,もし,モロカイ島に行くことがあれば,連日,朝はカネミツベーカリーで朝食をとり,昼はカネミツベーカリーで買っておいたパンを食べ,夜はパドラーズインで夕食を繰り返すしかないのだろうか。


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●極めつけのハワイの過ごし方●
 この日は,朝,ファーマーズマーケットに行って,帰りがけにカネミツ・ベーカリーでシナモンロールを,スーパーマーケットでジュースを買って帰ってきた。
 もはや,モロカイ島でやることも行くところもないので,1日中,部屋のテラスで海を眺めながら過ごすことにした。

 私の好物であるシナモンロール(cinnamon roll)だが,不思議なことに日本ではあまり売っていない。どうしてだろう。
  ・・・・・・
 シナモンロールは,イースト入りのパン生地を大きめの長方形に伸ばして,表面にバターを薄く塗り,シナモン,砂糖をまんべんなくふりかけてロール状に巻き,それをひとり分ごとに輪切りにして,切り口を上にしてオーブンで焼いたものである。
 シナモンロールは,北欧や中欧,そして,北アメリカで浸透しているペストリー(pastries),つまり,パン生地に油脂を多く加え,パイ状に焼き上げたもので,スウェーデンで発明されたと考えられている。
 焼き上がったものにアイシングとよばれる砂糖衣や砂糖シロップ,または北欧で一般的なニブシュガーという胡麻粒状の砂糖,フロストシュガーなどをトッピングする。
  ・・
 シナモンは,ニッケイ属(Cinnamomum)の複数の樹木の内樹皮をはがし乾燥させて得られる香辛料である。熱帯各地で幅広く栽培され,香り高く「スパイスの王様」とよばれる。
 シナモンには,独特の甘みと香り,そして,かすかな辛味があり,カクテル,紅茶,コーヒー等の飲料やアップルパイ,シナモンロールなどの洋菓子の香りづけに使われる。
 インドネシアと中国が世界のシナモン生産の76パーセントを占めている。
  ・・・・・・

 以前,カウアイ島に行ったときも,滞在最後の1日,することがなくなったので,ホテルのプライベートビーチで1日海を見て過ごしたことがある。このとき,こんなすばらしい時間の過ごし方があるんだなあ,とはじめて知った。また,マウイ島でも,マケナビーチで半日,海を見て過ごした。
 日本人は仕事以上のハードスケジュールで名所旧跡を見て回ることを旅と考えてることが多いが,西洋でのバカンスというのは,何もしないことが最も贅沢な過ごし方なのである。
 高いお金を出して,しかも,やっと手に入れた短い休日に,外国に出かけて何もしない,ということは,もったいないことのようには思えないだろうか。私もそのひとりであった。さらに,日ごろ,何もしないなどという生活をしたことがないから,どう過ごせばいいのかもわからないし,さらには,罪悪感を感じてしまうことも少なくない。しかし,その一方で,近ごろ,巷では,退職した老人が朝から晩まで,することもしたいこともなく,右往左往している姿をよく見かけたりする。
 しかし,よくよく考えると,あくせく何かをすることがしあわせなのだろうか?
 暇つぶしに何かをしても,それは実際はやらなくても何も困ることではないことがほとんどなのである。

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●ファーマーズマーケット●
☆3日目 2020年2月22日(土)
 それにしても幸運だったのは,滞在3日目が土曜日だったことだ。それは,土曜日の朝はカウナカカイのダウンタウンでファーマーズマーケットをやっているということだったからだ。わずか2泊4日のモロカイ島への旅であったが,ムダのない充実したものとなった。
  ・・
 ファーマーズマーケットは世界中のさままな場所で行われていて,これまでもいろんなところでそれを見る機会があった。私は,こうした場所が好きなのだ。しかし,海外旅行をはじめたころは,その土地の名所旧跡に行くことに頭がいっぱいで,こうした場所があることすら知らなかった。そして,しばらくして興味が出てきたときは,なぜか曜日が合わずなかなか行く機会がなかったが,このごろは,なぜかいつも曜日が合って結構な割合でファーマーズマーケットを訪れるようになった。

 日本でも,高山の朝市など有名なものがあるし,私の住んでいたところでも,昔,開かれていたことがあった。そもそも,四日市とか八日市とかいうのは,市が開かれた日にちが地名になったものだ。しかし,今では,都会はどこも巨大モールができてしまい,欲しいものが欲しいときに手に入るようになったし,流通も巨大化してしまい,生産者の顔が見られなくなってしまった。
 果たしてこれを便利というのだろうか?
 ただし,私は,欲しいものがあれば,そのときだけ,モールに出かけたり,あるいは,ネットでショッピングをするから,衝動買いをするなんていうことはまったくない。
 そこで,旅に出て,ファーマーズマーケットを覗いても,土産ひとつ買う習慣がないから,ひやかし専門である。ただし,こうしたマーケットではそこに住んでいる人たちの様子が垣間見えるからとても興味深いのである。

 このときも期待してマーケットに行ってみたが,そもそも島民の絶対数が少ないから,マーケットといったって数軒の露店があるだけだった。思えば,アラスカへ行ったときにフェアバンクスのマーケットに行ったときも同様であった。というより,モロカイ島よりもっとさびれていた。
 モロカイ島のファーマーズマーケットは,規模が小さいとはいえ, マーケットのの中央では若い女性がふたりフラダンスをやっていたし,軒下でギターを弾いている人がいたりしたから,マーケットらしい雰囲気がなかったわけでもない。

 それにしても思うのは,人は,こうした地産地消の食材をマーケットで吟味して手に入れて腕によりをかけて食事をつくったり,うれしいときには楽器を手にして音楽をかなでたり,あるいは,美しい風景に出会ったらスケッチブックに絵を描いたり,また,人と気軽に触れ合うために言葉をかけたり,そんな生活が,実は,最も幸せなことではないだろうか。
 私は,そんな当たり前の能力の何ひとつももち合わせていないのを恥じるのである。


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●ハワイは北緯20度●
 星が美しかったのに気をよくした1日目の夜は寝る前に少し星を見たが,夜半には雲が出たようだった。
 2日目の夜はずっと快晴という天気予報だったので,2,3時間ごとに起きて星を見た。この様子はすでに詳しく書いたので,今日は,ハワイの星空についてを話題とする。
  ・・
 日本といっても,北は北海道から南は沖縄まで南北に長いから,石垣島まで行けば,日本でも南十字星を見ることができるが,ここでは,私の住む愛知県で見る星空を日本の星空としてハワイで見る星空との違いを考えてみることにする。

 私の住むところは北緯35度であり,ハワイは北緯20度である。
 この15度の差のが大きいのだ。 
 今日のブログにある3番目と4番目の写真は夏の南の夜空の星図,さそり座が南中した時点での北緯35度と北緯20度の様子である。また,5番目と6番目の写真は春の南の夜空の星図,からす座が南中した時点での北緯35度と北緯20度の様子である。
 このふたつを比べてみるだけでも,ハワイがうらやましくなることだろう。さそり座のしっぽのあたり,ここは星雲の宝庫なのであるが,これが日本では見られない。あるいは,見られたとしても,地平線に近く,鮮やかに見られない。また,からす座の南,ここにあるのがケンタウルス座であり,さらに,その南に南十字星のある南十字座がある。ここには,鮮やかな天の川が横たわり,まさに絶品なのであるが,これが,本当にちょっとだけ,本当にちょっとだけ日本から見られないのだ。日本では,どんなに条件がよかろうと,この,全天で最もすばらしい星空を見ることが不可能なのである。

 私は,数年前まで,南十字星をひと目見たいと熱望していた。
 若いころ,オーストラリアに行ったとき,シドニーの街中から南十字星を見ることはできたが,なにせ都会であり,そこに横たわる天の川を確認することすら出来なかった。だから,ハワイ島のマウナケア山の山麓で南十字星を見たとき,南十字星はこんなにすばらしい天の川のなかに横たわっていることを知って驚いたものだった。
 南半球に行けば,嫌になるほどこのあたりの星空を一晩中見ることができるわけだが,むしろ,ほんの少しだけ,それも数時間だけこの姿を地平線すれすれに見ることができるハワイは,逆に出し惜しみをしているようで,それはそれですてきではないか。私は,このとき,モロカイ島で,そんな南の空を眺めながらそう思っていた。
 次にこの星空を見ることができるのは,いつのことだろうか。

◇◇◇


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●コカ・コーラとハンバーガー●
 私が愛してやまない炭酸飲料はコカ・コーラである。
 コカ・コーラを飲んでいるのを友人に発見? されるたびに,驚いたように,「コーラ飲むんだ」とか「さすがアメリカかぶれ」とか言わるが,別に珍しくもなく,私は常にコカ・コーラを飲んでいる。
  ・・
 今から50年ほど前のこと,家の近くのラーメン屋で食事をしていたとき,店員が「今度アメリカからすごい飲み物がくる」という話をしていたのを聞いて興味をもったのがおそらくコカ・コーラを知ったはじめだった。その「すごい飲み物」が何を意味していたのかは不明だが,それがコカ・コーラだと勝手に思っている。
 後日,やっと手にして飲んでみたものの,何,こんなもののどこがすごいんだ,というのがその第一印象だった。しかし,私は子供のころ炭酸飲料が飲めなかったから,どうも話の辻褄があわない。おそらく,時間がごちゃごちゃになって記憶しているのであろう。
 今,調べてみると,コカ・コーラは大正時代から日本では紹介されていたということだが,1957年 (昭和32年)に日本飲料工業株式会社(日本コカ・コーラ株式会社の前身)が設立されて,日本で「コカ・コーラ」の製造が開始され,その後、1963年(昭和48年)までに全国16のボトラー社が次々と誕生したとあるので,ちょうどそのころのことだろう。
 私は,アメリカを旅行して軽食をとるときは,ハンバーガーにコカ・コーラというのが定番となっている。

 さて,ここからは,この日の夕食の話である。
 すでに書いたように,モロカイ島で夕食をとることができるレストランは数えるほどしかない。前日に行ったのがモロカイバーガーである。同じ店もどうかと思い,そのとなりにあったモロカイピザカフェに行くことにした。 
 私はピザは食べないことはないが,あまり好みではない。それは,どうもチーズがだめだからなのである。しかし,選択するほど店がないから仕方がないと思い,意を決した。
 「地球の歩き方」によれば,この店のピザはハワイ6島の名前のついたいろんなトッピングが楽しめるということだった。
 店に入ってみると,メニューはピザだけけでなく,いろんなものが食べられることがわかって安心した。そこで注文したのが今日の写真のようなものである。もちろん飲み物はコカ・コーラであった。
 それにしても,ポテトチップスには落胆した。これでは夕食というよりも,おやつではないか。いくらアメリカの食生活がエサの類を越えていないとはいえ,連日これほど貧しくては,この島では到底生活できないとおもった。ハワイまで行って,毎日,こんな夕食をとっている日本人は私くらいのものだろう。

 時折来る客はみなテイクアウトであり,店内で食事をしているのは私だけであった。
 そりゃそうだろう。私のように観光でモロカイ島に来ている人なんて,ほかにだれもいなし,バカンスで長期滞在をしている人たちは,マーケットで食材を買って,コンドミニアムで自炊を楽しんでいるに違いないからである。

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●ワンアリイ・ビーチパーク●
 夕食までまだ時間があったので,コンドミニアムから東の海岸を走って,ワンアリイ・ビーチパーク(One Alii Beach Park)まで行ってみた。
 とても天気のよい日で,というか,私が滞在した3日間すべて天気がよかったので,私のモロカイ島での印象は最高であった。これが,毎日天気の悪かったカウアイ島との違いである。

 ワンアリイ・ビーチパークは広々としていたが,私以外にはだれもいなかった。車を停めて海岸まで歩いて行くと,向こうにラナイ島がきれいに見えた。
  ・・
 ハワイ8島のうち,一般に観光客が行くことができるのは,ホノルルのあるオアフ島をはじめとして,ハワイ島,マウイ島,カウアイ島,モロカイ島,そしてラナイ島の6島である。ツアーで行くことができるのは,そのなかで,オアフ島,ハワイ島,マウイ島,カウアイ島の6島で,モロカイ島とラナイ島は個人旅行でしか行くことができない。私は,このときモロカイ島を旅しているが,残念ながら,これまでラナイ島に行く機会がなかった。コロナ禍が起きなければ,今ごろ行っていたかもしれないが,その動機は単に6島制覇がしたいということにすぎず,海外旅行という熱病から醒めてしまった今となっては,もうどうでもいいような気がする。
 率直にいって,私は,ハワイに行っても,もう,やりたいこともなければ見たいものもない。ただしそれでも,ハワイには,夜は満天の星空を見てお昼間は何も考えず海をボーッと見ているだけでも行く価値があるから,そう考えると,モロカイ島こそが私の理想のハワイともいえる。なにせ,うざったい観光客は皆無であり,日本にはない自然がいっぱいある。

 ここで未だ行っていないラナイ島について少し紹介する。
  ・・・・・・
 ラナイ島はハワイ諸島の中心部に位置する火山島で、面積は364平方キロメートルというから,モロカイ島の半部くらいか。島の愛称はパイナップル・アイランドだが,これは,かつて世界のパイナップル生産高の20パーセントを占めるほどのパイナップル産出島であったことからついたニックネームである。
 2012年に,現在世界第2位のソフトウェア会社であるオラクル・コーポレーション(Oracle Corporation)の創業者ラリー・エリソン(Lawrence Joseph Ellison)がラナイ島の土地をすべて購入し,島の土地の98パーセントがラリー・エリソンの持ち分で,残る2パーセントが国有地となった。  
 島のほぼ中央に位置するラナイ・シティに住民のほとんどが居住していて, 島の大部分は未開発のままである。
  ・・・・・・
 そこで,私には,現在のラナイ島は,大金持ちが所有してリゾートホテルを経営しているというイメージがするから,あまり魅力を感じない。

 ワンアリイ・ビーチパークには日系移民の碑があった。
 ハワイにおける日系移民の歴史は次のとおりである。
  ・・・・・・
 1806年(文化3年),ベルセベランス号の船長がオワフ島で8人の日本人を発見した。この8人は太平洋の中で立ち往生していた帆船 から他の外国船に助けられオワフ島に置き去りにされたものだというが,彼らはその後故郷に戻された。さらに,同じ年,別の難破船がハワイに到着したが,他の船に乗って日本に戻された。当時,他の国から戻ることは罪人だったので,こうして祖国に戻された不幸な日本人たちは,拷問に耐えられず自殺したり,仏教の道に入り生涯をすごしたという記録がある。
 1860年(万延元年),カメハメハ4世は,日本の幕府にハワイへの日本人労働者募集養成の書簡を送ったが,将軍は多くの問題を抱えていたので,その要請に即答できなかった。
 1865年(慶応元年)には,ハワイの外務大臣R・C・ワイリー(R.C.Willey)が,翌年日には,その後の継者であるチャーズル・ド・パリグニーが,日本人労働者の導入を急いで行うように書簡を送った。そこで,1868年(明治元年)に,149名の日本人がハワイに渡った。これがはじめての官約移民で「元年もの」とよばれた。しかし,彼らのハワイへの定着度は低かった。
 やがて,1885年(明治18年)に,日本からの移民が再開された。サトウキビ畑の労働力不足に悩むハワイと,失業者対策と外貨の獲得を望む日本政府の利害が一致したからだ。その後,移住の斡旋は1894年(明治27年)からは民間会社に委託され,労働者は農場主と契約を結び,渡航などに伴う諸経費を負担してもらう代わりに,3年間はその農場主に拘束されることになった。
 1900年(明治33年)に,この「契約移民」制度は廃止され,「自由移民」の時代になり,約15万人が海を渡った。その結果,サトウキビ労働者のうち日本人の数は70パーセントに達したという。
  ・・・・・・

 だれもいないワンアリイ・ビーチパークを歩いていると,馬に乗った人が海岸を散策していたのに出会った。ここは本当にハワイなのだろうか? と思った。


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●「モロカイ島の日々」●
 こうして,私は,滞在2日目にして,モロカイ島を隅々まで走ることができた。レンタカーを借りるとき,島を1周してもガソリンは半分も使わない,と言われた意味がよくわかった。
 それにしても,この島についてはあまりに情報がないのに驚いた。また,情報があってもそれは古い情報で,今はなくなってしまったリゾートだったり,営業をしていないレストランだったりした。

 そんなとき,「モロカイ島の日々 サンダルウッドの丘の家より」という1冊の本を見つけた。この本が出版されたのは2020年10月ということなので,私がモロカイ島に行ったあとのことだ。
 著者は山崎美弥子さんという人だ。
  ・・・・・・
 山崎美弥子さんは,1969年東京生まれで,多摩美術大学を卒業後,東京を拠点にアーティストとして活動していたが,一転して,2004年より船上生活をはじめる。そののち,モロカイ島のサンダルウッドの丘に家を建てる。
 現在はそこから東に数マイル移動し,「島の天国131番地」とよぶその家で,心理学者の夫とふたりの娘,馬や犬たちと海と空や花を絵描きながら暮らしている。
  ・・・・・・
と紹介されていた。
 こういう人を知ると,すごいなあと思ってしまう。私とは生活力が違い過ぎるのだ。

 サンダルウッドの丘というのがどこにあるのかよくわからなかった。おそらくサンダルウッドとはSandalwood のことなのだろう。Sandalwood というのは白檀のことだが,白檀は,ハワイでは1790年代から貿易の対象となっていたということだ。さらに調べてみると,サンダルウッドピット(Sandalwood Pit)というものが見つかった。Pit は穴のことだ。森の中に作られたサンダルウッドピットは,船倉に収まる量を測定するために使用された。収穫したサンダルウッドをピットに入れていき,ピットいっぱいになると,サンダルウッドの丸太は山を下って待っている船に運ばれた。
 そのサンダルウッドピットのあったあたりがサンダルウッドの丘なのだろう。場所は,モロカイ島の東側の山の中である。

 林民子さんという山崎美弥子さんの友人が「モロカイ島の日々 サンダルウッドの丘の家より」を読んだ感想として,次のように書いていたので,引用してみる。
  ・・・・・・
 ジェシーは歯がなく,白髪のロン毛というまるで仙人のような愛らしいおじいさんだった。私たちはジェシーおじいさんとモロカイの聖地のひとつである森を歩こう! ということになった。森の一番聖なる場所に連れて行ってくれたとき,「持参した法螺貝を吹くから みんな目を閉じているように」とジェシーがいう。輪になり座ってジェシーの法螺貝を静かに聴き入っていると,ある方向から視線を感じ,無性に目を開きたくなった。瞼を上にあげ 周りの木々を眺めると,ある木と木と間からオレンジ色の光がまるで私たちを見つめているかのように輝いていた。法螺貝の演奏が終わった途端,その光は消えた。
 ハワイの島の森の精は「メネフネ」とよぶ。ひょっとしたらその光は森の精「メネフネ」だったのかもねと嬉々として話をした。山崎美弥子さんは,森の精「メネフネ」からお役目を授かり,モロカイ島のネイティブ・ハワイアンの守り継がれてきた文化や精神性を日本に伝える役割を果たす人なんだろうな。
  ・・・・・・
 なんともすてきな話だ。

モロカイ島


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●ケプヒビーチリゾート●
 パポハクビーチ,カプカヘフビーチと遠征して,再び,ケプヒビーチリゾート(Kepuhi Beach Resort)まで戻ってきた。
 「地球の歩き方」には次のように書かれてある。
  ・・・・・・
 高いヤシの木がそびえる芝生の敷地に,ポリネシアン風の建物がオーシャンフロントに点在するコンドミニアム,各ユニットのオーナーがウェブサイトを通じて独自に貸し出しをしている。
  ・・・・・・
 また,英語のサイトには
  ・・・・・・
 ここに宿泊しようとすれば,このユニットから気に入ったところを探し出して予約をする必要がある。
 ケプヒビーチリゾートの設備は,オーシャンフロントプール,ピクニックテーブルつきのガスバーベキュー,そして,コインランドリーの施設があって,コンドミニアムは,小さなキッチンエリアとバスルームを備えた部屋となっている。
 近くにはハワイで最も長い白い砂浜がつづくパポハクビーチがあり,リゾートの前には古いホテルや,周辺には廃墟となった建物がある。
 また,古いホテルの両側にあるのがケプヒビーチ。右に行くと,冬の間は素晴らしいサーフブレイクがあり,夏の間は,ビーチからオアフ島に向かうパドリングレースがたくさん開催される。また,夏はシュノーケルや水泳に最適であり,冬はサーフィンが盛んである。
  ・・・・・・
とある。しかし,実際はオーシャンフロントプールは閉鎖されているから,これは正しくない。
 …なんだか,もう,「盛っただけ」のやけくそ,という感じにも思える。

 このコンドミニアムに宿泊したカップルが書いたブログがあったが,その内容は,カウナカカイのスーパーマーケットに食材の買い出しに行ってきて,部屋で食事を作った,というだけのものであった。
 このリゾート,世界の中でも「秘境」のリゾートとして紹介されているくらいの場所だが,「秘境」とはいえ所詮はハワイなので,アクセスするのは難しいことでもないから,こういった「秘境」に憧れる人には最適な場所かもしれない。しかし,レストランすらないから,自炊をするか,カウナカカイまで足をのばす必要がある。
 
 フィンランドのヘルシンキを舞台とした「かもめ食堂」の姉妹編に「めがね」という映画がある。
 「めがね」は
  ・・・・・・
 春,この世界のどこかにある南の海辺。人生の一瞬にふと立ち止った女性が訪れた場所に流れるのどかな時間と,そこで出会う人々との奇妙なふれあいを通じて,日常の中で忘れていた何かを取り戻していく…。
  ・・・・・・
という映画である。この映画の舞台は与論島だが,この映画を見て,与論島にあこがれて訪れる人があとを絶たないらしい。しかし,おそらく,与論島なんて,行ってみれば,そりゃ,自然破壊の大好きな日本のことだから,あこがれるほどの大自然でもないだろう。それに,どこにいっても群れたがる,そして,騒ぎたがる,そんな日本人観光客が少なからずいるに違いない。そのくらいなら,モロカイ島にでも行った方がずっと素朴でいいと,私は思う。しかし,モロカイ島では人とのふれあいは期待しないほうがいいけれど。


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●カプカへフビーチ●
 パポハクビーチのさらに南にカプカへフビーチ(kapukahehu beach)があるということなので,そこまで行ってみることにした。
 以前行ったカウアイ島もそうであったが,島の西側は未開の地である。それは,波が高く,ビーチとはいえ,泳ぐのには適さないから発展しないのであろう。
 海岸にそって道路はあったが,道路からは海の方向には樹林がひろがっていて,海はみられなかった。道路は一応舗装されれていたが,整備されているとはいい難く,それだけであった。ほどんど,というか,まったく車が通らなかった。そりゃそうであろう。この先行っても人が住んでいないし,観光地もない。だから,店もない。しかし,道路際には花が咲き,とても美しかった。
 こののどかさがたまらない。

 パポハクビーチに関する情報はほどんどない。本当にここもハワイなのだろうか? そこで,かろうじて見つけた英語のサイトから翻訳してみる。 
  ・・・・・・
 モロカイ島の西岸に位置するディキシイマルコーブ(Dixie Maru Cove)には,モロカイ島で最高の海水浴場のひとつがある。砂浜の入り江は両側に溶岩の露出があって,のんびりと水あびをしたり,シュノーケリングをするには最適な場所である。
 ビーチはサンゴ礁に縁取られ,通常,夏の間は穏やかな海となる。ここはこの地域の他のパポハクビーチなどよりも穏やかではあるが,波が高いときは海に近づかないほうがいい。ここには監視員はいない。
  ・・
 ディキシイマルコーブは,日本の漁船の名前「ディキシ丸」から名づけられたものである。日本では「丸」は船名につけられる接尾辞である。
 1920年,日本の帆船「ディキシイ丸」が難破し,その銘板が浜の門の近くに吊るされた。それ以来,この人里離れたビーチは愛情を込めてディキシイマルコーブとよばれるようになった。ハワイの名前はカプカヘフビーチである。
  ・・
 ディキシイマルコーブはモロカイ島のもっとも遠く離れた西海岸にあるため,アクセスするには少し時間がかかる。しかし、ここに続く道は舗装されている。ほとんどの日、ビーチはまばらにしか人が訪れない。
 なお,ビーチにはとげのあるキアベの木があるので,木陰のある場所を探すときは注意が必要である。また,捨てられた釣り針があるので,裸足で歩くのは危険である。
  ・・・・・・
 「ディキシイ丸」の本当の名前は何というのだろうか。これは調べてもわからなかった。

 道路が行きどまりとなる場所がパポハクビーチの入口らしかった。ビーチという看板はあったが,パポハクビーチという地名は書かれていなかった。どこにでも車が停められたので,適当な場所に車をとめて,海岸まで歩いていった。
  ・・・・・・
 どこへ行ってもビーチにはたくさん人がいます。誰もいない美しいビーチへ行ってみたい。モロカイなら「秘密のビーチ」が見つかるかも… 
  ・・・・・・
ということで,ここにやって来た日本人のブログを見つけたが,行ってみて,そう大騒ぎするほどのこともない場所だと私は思った。こんな場所に大騒ぎをするくらいだから,これを書いた人はおそらくハワイのマウイ島にはヌーディストビーチがあることも知らないだろう。
 私は,海まで行って,しばらく波を見ていた。それだけだった。しかし,考えようでは,これは最高の贅沢ではあるまいか。このずっとずっと先に日本が本当にあるのだろうか,と海を見ながら私は思った。

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●パホハクビーチ●
 マウナロアから少し州道460号線を東にもどって左折,つまり北西に向かって海岸線へ降りる道路に入る。その道路の曲がり角には目立たない看板があると「地球の歩き方」には書かれてあったが,すぐにわかった。
 その道路は一応舗装されていたが,でこぼこであった。そのまま4.5マイル,約7キロメートルほど下っていくと,島の北西の海岸線に出た。そこがケプヒ・ビーチリゾート(Kepuhi Beach Resort)であった。
 遠くから見ると,マウイ島にあるような立派なコンドミニアムが立ち並び,プライベートビーチもあった。マウイ島などのリゾートは,よそ者お断り感満々なので,ビジターが車を停めることさえなかなか困難だから,ここも同じように,私は遠慮しがちにビジター用の駐車場をさがして車を停め,少し様子見をすることにしたのだが,すっかり当てが外れて,ここは場末感ただよう寂れたリゾートであった。

 とりあえず,ここはまた来ることにして,その先を急ぐことにして,車に戻った。
 この先,島の西側の海岸に沿って,パポハクビーチとカプカヘフビーチがあるということだったので,ともかく,先に,そこまで行ってみることにした。
  ・・
 まず,島の西側を海岸に沿って南に走ると,パポハクビーチ(Papohaku Beach)に着いた。
 ビーチの入口には看板があって,広い広い駐車場が完備されていた。また,ピクニックエリアもあったので,マウイ島のマケナビーチのような感じではあった。しかし,唯一の,しかも最大の違いは,来ている人がほとんどいないということであった。当然,レストランも何もない。
 パホハクビーチはハワイで最も長い白砂のビーチで,その距離は約5キロメートルも続いているという。風が強く波が高く潮の流れも速いので泳ぐことはできないということなので,砂浜でパラソルを広げてボーッと海を眺めるくらいしかすることがない場所である。
 私が行ったときは,一組の家族がいただけだった。
 
 このような砂浜はハワイには結構あるのだが,見ると行くのとは大違いで,砂は深く,歩くのがたいへんなのである。スニーカーなどを履いていても,どんどん砂が入ってくる。さらには,日焼け止めにパラソル,そして,イス,これが必需品で,それがないと,砂浜で立ち尽くす以外どうしようもなかったりするから,憧れるほど楽しいところではない。こんな場所で海を眺めるのならホテルのテラスのほうがずっと快適な気がする。
 ハワイの海岸よりも,オーストラリアのゴールドコーストのほうがずっと快適で美しいと,私は,ゴールドコーストに行ったときにそう思った。
 いずれにしても,ここは,こんな巨大なビーチを独り占めにできる,日本では考えられない場所である。こんな場所を知ってしまうと,オアフ島のワイキキビーチなど,箱庭にすぎない。とにもかくにも,ここは太平洋のど真ん中なのである。


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●不思議な町&謎の町・マウナロア●
 さて,空港から西に行くには州道460,通称マイナロア・ハイウェイ(Maunaloa Hwy.)を走ることになる。この道路もまた,片側1車線ののどかで穏やかな舗装道路であった。約10マイル,16キロメートルほど行った先が,このハイウェイの終点がマウナロア(Maunaloa)の町である。途中はこれといって何もない,赤土が顔をのぞかせる乾燥地帯であった。
 モロカイ島の西側の大部分にあたる広大な54,000エーカー(約220平方キロメートル)の土地はモロカイランチ(Molokai Ranch)の所有地で,かつてはドール社(Dole)と契約し,パイナップルプランテーションとなっていて,マウナロアはその中心地であった。ドール社というのは,日本のマーケットでもよくジュースを見かけるあのドール(Dole)である。
 なお,何度書いても(私が)忘れるので,またまた書くが,3エーカーが約12万平方メートルで野球場1個分である。なお,1エーカーは1224坪だそうだが,何度調べてもまったくもって大きさがよくわからない。
 私は,小学生に英語を教えるのも結構なことだが,そのとき,頭の柔らかいうちに,エーカーだの,インチだの,ポンドだの,はたまた,坪だの尺だのといった,たくさんの単位を教えたほうがいいと思う。それが現在正規で使われている単位であろうとなかろうと,実際には使われているから,アメリカ人と会話をするときに知らないと困るからである。
 学校は死ぬまで使わないようなことはたくさん教えるが,知らないと困ることを教えないのだ。

 1990年ごろから東南アジア産の安いパイナップルの市場進出におされて,ハワイにあるドール社のパイナップル畑は閉鎖となってしまった。モロカイ島だけでなくラナイ島もまた同様であったが,ラナイ島には今もその場所が公園となって残っているが,モロカイ島には何もない。
 ドール社が撤退したのちは,マウナロアには,高級リゾート「モロカイロッジ&ビーチビレッジ」(The Lodge & Beach Village at Moloka'i Ranch)に従事する人が住んでいたが,208年にモロカイランチが閉鎖され,ホテルもクローズしてしまった。 
 そこで,今は死んだような町となってしまい,ほとんどの店は閉店し,1軒のスーパーマーケットと手作り凧の店だけが残っていた。

 マウナロアに関する情報はあまりに少ない。調べても何も出てこない。唯一あったのは,次のものであった。
  ・・・・・・
 モロカイ島で有名なホテルといえば「モロカイロッジ&ビーチビレッジ」である。泊まることはできなかったけれど,せっかくモロカイ島に来たんだからと,夕食に行ってみた。
 標高1,200フィートの高台に位置するので,すこし気温が低い。建物の雰囲気もハワイとは思えないし,涼しさもラナイ島のロッジアットコエレと似ていた。
 65,000エーカーの広い敷地に22室だけの小さなホテル棟がぽつり。
 見渡す限り平原であった。
 ホテルからマウナロアの中心までは歩いてすぐだが,マウナロアには,映画館,お土産屋,郵便局,スーパー,ガソリンスタンドが1軒ずつあるぐらいで、レストランもない模様。夕暮れ時はお店も閉まっていて、人通りなく,本当に静かだった。ホテル内もゲストがちら。
 こんなに静かな町とホテルを見たのははじめてだった。
  ・・・・・・
 しかし,この記事は,先に書いたように,ホテルがクローズされた2008年以前に書かれたものである。インターネットというのはおかしなもので,過去も現在も一緒くたにある。ネットにはここにあったリゾートの写真やさらにはホームページまであったが,こんな建物,今はないしホテルもない。マウナロアにはモロカイ島唯一の映画館があるというが,これもまた,今あるかどうかは知らない。ただし,マウナロアには,現在,たった1軒,B&B が営業している(らしい)。

 正直って,私は,この町を何も見ないで通り過ぎてしまった。というより,何もなかった。しかし,今思うに,少し探検すべきであった。つまり,調べても何も出てこないので,何が真実なのかわからないからである。それをこの目で確かめておくべきであった。 
 それにしても,現在この町に住んでいる人は何をして暮らしているのだろう。不思議で仕方がない。


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2020-02-22_07-19-25_2462020-02-22_07-28-58_882 クム2

●クムファーム●
 私は,早朝,島の最東端までいてから,カウナカカイまで戻り,今度は,中央部を北に走って,カラウパパ展望台へ行った。その次に,来た道を戻ってく来た道をクラウプウまで戻って,プアディーズ・ナチュラル・マカダミアナッツ・ファームに寄った。
 午後は,モロカイ島の西の端,右向きのアユでいえば尾ひれのあたりを目指すことにした。 が,モロカイ島は北の海岸線にも道路がない。西の果てまで行くには島の西側の中央の内陸部を走る州道460号線を終点のマウナロア(Maunaloa)とい町まで行って,そこからさらに,西の海岸に向かって走る必要があるのだった。
 プアディーズ・ナチュラル・マカダミアナッツ・ファームがあったクアラルプーの西にモロカイ空港があるが,モロカイ空港の手前に,クムファームという有機野菜をつくっている農園があって,それをショップで販売しているというので寄ってみることにした。

 クムファーム(Kumu Farm)は ハワイ州で唯一「遺伝子組み換えでない」種を使ったパパイヤを栽培している 農場である。パパイヤといえばクムファームといわれる。
 特に,ストロベリーパパイヤとよばれるここのパパイヤは皮が薄く内側はピンク色で甘くて人気があるという。
 クムファームは1981年にモロカイ島の小さな家族経営の農場としてはじまり,当初は地元の市場向けに料理用のハーブやピーマンなどの特産品を栽培していた。30年ほど前からは,フルーツや野菜の栽培を手掛け, できるだけ自然のままで化学的な処理を行わない農法で生産活動を行ってきたという。現在では週に2トン以上のパパイヤ,2,000キログラムに及ぶハーブ野菜などを全米に向けて出荷している。また,生産だけではなく,持続可能で地球と人間にやさしい農業経営を提唱し,農園を訪れる人々や学校,各団体などに30年間に培ってきた経験を惜しみなくシェアしている。
 モロカイ島では,有機および従来の方法で栽培されたサンライズパパイヤ,バナナなど新鮮な農産物を栽培しているが,マウイ島でも,マウイトロピカルプランテーションに,2011年からレタス,ケール,トウモロコシ,ナス,ニンジン,バナナ,フェンネルなどのさまざまな新鮮な食材を栽培しているという。

 私は,広い駐車場に車を停めて,農場に入り,ショップを見てまわった。
 ショップでは,地元の人たちが買い物をしていた。
 とはいえ,私はパパイヤを買ったところでどうしようもないので,ただぶらりと散歩をして,この地を後にした。

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Worm Moon.

March’s full Moon goes by the name Worm Moon,
which was originally thought to refer to the earthworms that appear as the soil warms in spring.
This invites robins and other birds to feed - a true sign of spring!
昨日から降り続いた雨もやみ,朝霧の中,うっすらと,沈みゆく月が見えました。

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●マカダミアナッツ・ファーム●
 お昼になったが,このあたりレストランも何もないので,朝購入したドーナッツが昼食になった。
 次に行ったのがプアディーズ・ナチュラル・マカダミアナッツ・ファーム(Purdy's Natural Macadamia Nuts Farm)だった。
 カラウパパからカウナカカイに戻る途中に,クララプウ(Kualapuu)という小さな町がある。小さなといっても町の面積が狭いのではなく,広い敷地にポツンポツンと家が建っているところだ。この町の外れにモロカイ高校があって,そこから1本別の道を入ったところに農場の目立たない看板があった。この農場は,わずか5エーカー(1エーカーは陸上トラックの内側の半分くらい)の土地に約50本のマカダミアナッツの木があって,来園者にマカダミアナッツの実のつき方を紹介して,最後に試食をするということを無料で行うところであった。
 以前,ハワイ島のコナでロイヤル・コナコーヒー工場&博物館というところに行ったことがあるが,それを小さくしたような感じであった。

 1980年より続くこの農園は、アットホームな雰囲気あふれる農園となっていた。
 私が行ったときは,すでに来ていた観光客の人たちに説明をしている最中だったので,ナッツを自分で割りながら,しばらく待つように言われた。
 やがて,説明が終わり,私の番になった。
 モロカイ島で生まれ育ったオーナーのタッディー・プアディー(Tuddie Purdy)さんは,マカダミアナッツやハワイの文化に関する豊富な知識を披露しながら,木になっているマカダミアナッツを取り,殻を割ってテイスティングをしてみたりできた。また,  小さなギフトショップには,ローストしたマカダミアナッツの販売はや,珍しいマカダミアの花か作られるハチミツなども販売されていた。

 マカダミアナッツの木は、オーストラリアのクイーンズランド州の熱帯雨林で生まれた。1882年、ウィリアム・パービス(William Purvis)が最初のマカダミアの木をハワイに持ち込み,現在,世界のマカダミアの木の90パーセントはハワイで栽培されている。
 果物であるマカダミアナッツは世界中で珍味とみなされていて,人気がある。マカダミアの木が実を結ぶまで約7年かかる。果実は木で熟す必要があり,通常8月から翌年の6月まで手作業で集められる。
 この農園の50本の木は1920年代に植えられた。1980年以来、農園は拡大され,現在では数百本の若い木が年間生産量に追加されているという。

 マカダミアの木から収穫したナッツは,次のようにして,テイスティングすると説明された。
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 まず,マカダミアナッツを実を保持するための溝をつけた平らな岩の上に置き,ハンマーなどでしっかりと叩く。
 こうして,殻から取り出されたナッツを湯でよく濯いだのち,ナッツに塩を振りかけ,約30分乾かす。そして,ベーキングパンにナッツを均等に広げ,10分から15分オーブンに入れ,次第にに熱を下げる。このとき,ナッツが均等に茶色になるように,時々回す。
 ナッツが黄金色になったら,弱火で35分から45分トーストする。そして,オーブンから取り出し冷ます。
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 私は土産を買う気もなかったので,説明を聞いたのち,農園を後にした。しかし,こうした説明も,土産を買ってもらうことが目的だから,私のような客は単に迷惑だけなのかもしれないなあと思った。


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モロカイミュージアム4モロカイミュージアム2モロカイミュージアム1モロカイミュージアム3

●シュガーミルの跡地にある博物館●
 カラウパパ展望台とファリック・ロックへ行った帰り,予定通り,来るときは通り過ぎたモロカイ・ミュージアム&カルチャーセンター(Molokai Museum and Cultural Center)という博物館を訪ねることにした。 ここは,1878年から1889年の11年間稼働していたハワイで最も小さいシュガーミル,つまりサトウキビ工場の跡が博物館として公開されているところである。
 マウイ島にもアレキサンダー&ボールドウィン砂糖博物館(Alexander & Baldwin Sugar Museum)があって訪れたことがある。ここはそれとは比べものにならないくらい小さな博物館だったが,それでも,モロカイ島では唯一の博物館であった。屋外は無料で見学できるが,館内は入館料が必要であった。しかし,クレジットカードは使えず,また,館内は撮影禁止,というように,まるで日本の時代遅れの博物館のようなところであった。

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 ハワイには,ポリネシア人がやってきたころからサトウキビは存在した。サトウキビはハワイ語ではコー(Kō)という。コーは甘味料としてだけでなく,薬としてカフナ(Kahuna=ハワイ語で聖職者,魔術師,牧師や,職業における熟練者のこと)に用いられた。また固い葉は屋根を葺く材料に,ススキのような花の部分はレイにと,様々な用途に利用されていた。
 砂糖産業は,1835年,西欧人によるカウアイ島コロアでの砂糖キビ栽培にはじまる。1848年にカメハメハ3世が行なった土地の分配「グレート マヘレ」(The Great Mahele)により土地の個人所有が認められ,砂糖キビは西欧人による砂糖プランテーションでの大規模栽培に変化していった。特にはハワイ島では土地が広く,また高山から流れ出るいくつもの水源に恵まれたため,島の北端ノース・コハラからハマクア・コースト,そして,島の南部カウに至るまでの広大な範囲がサトウキビ畑として開墾され,最盛期には20を越える砂糖精製会社があったという。
 しかし,20世紀後半,南米などで価格の安い砂糖が台頭した事からハワイの砂糖産業は衰え,1996年にパハラの製糖工場が閉まったのを最後に,サトウキビ・プランテーションはハワイから姿を消していった。
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 ばらばらとだが,観光客が途絶えることなくやって来た。というのも,モロカイ島で観光地といったところで,ここくらいしかないのであった。館内では,シュガーミルについてのビデオの上映がはじまっていたので,まず,それを見た。館内にはそれ以外に,地元の芸術品や工芸品を販売するギフトショップやペトログリフからプランテーション時代の家具までの折衷的な展示もあった。 壁にはハワイの首長であるカラマと結婚したドイツの測量士である製粉所の創設者ルドルフ・W・マイヤーの孫娘を含む肖像画が並んでいた。
 ビデオと館内の展示を見てから,外の展示を見た。
 1878年に建てられた製粉所は,博物館から上り坂を歩くと,かつてサトウキビを粉砕する機械に動力を供給していたミュールの周りを回る納屋のような製粉所と屋外ピットが見えた。ここでは,ミュールが駆動するサトウキビ粉砕機や蒸気機関など,砂糖を製造するプロセスを垣間見ることができた。


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●ファリック・ロック●
 駐車場まで戻った。駐車場からはまっすぐに舗装されたトレイルが先に行ったカラウパパ展望台で,左手の舗装されていないほうのトレイルは,ファリック・ロックが目的地である。ということで,今度は左手のトレイルを歩くことにした。
 別のトレイルを行きました。このトレイルは松林のなかの山道で,オーストラリアの岩しかない国立公園に似た感じだった。どうも私はこういうトレイルを歩く楽しさがわからない。おそらく,それはそれで,岩の種類だとか松林の様子だとかにも味わいがあるのだろうが,そうした知識がないのである。おそらくそれは満天の星空も同様であろう。

 5分ほど行くと,高さが2メートルほどのファリック・ロック(Phallic Rock)という特別な岩に到着した。この岩は別名を「ナナホアのペニス」(Ka Ule O Nanahoa)という。名前のごとくの形状をしている。
 伝説によれば,ナナホアは妻のカワフナを嫉妬深い怒りで殴ったことでペニスのように見える石に変わってしまった。
 実際は,石はその外観を強調するために何年にもわたって修正されてきたのだそうだ。 レイの供物を持ってここに来て一晩滞在する女性は妊娠すると言われているという。

 こういう話は世界中さまざまなところにあるものだ。
 私の住むところの近くにも,田縣神社がある。境内には男根をかたどった石などが多数祀られていて,毎年3月15日に豊年祭が行われる。男達が大男茎形(おおおわせがた)とよばれる男根をかたどった神輿を担いで練り歩き,小ぶりな男根をかたどったものを巫女たちが抱えて練り歩く。それに触れると子を授かるという伝承がある。
 この祭事は,男根を「天」,女陰を「地」と見立て,「天からの恵みにより大地が潤い,五穀豊穣となる事と子宝に恵まれる」事を祈願するものである。
 また,少し離れた場所に大縣神社があり,豊年祭が田縣神社とは対になっており,こちらは女陰をかたどった山車などが練り歩く。
 要するに,日本では,五穀豊穣を祈るお祭りなのであるが,ハワイでは,単に,この岩の形状からそういう話になったように私は思う。

☆ミミミ
3月18日19時42分,国際宇宙ステーションが月の近くを通っていきました。写真は17コマの合成です。明日は18時55分に,また,月を横切り,火星の横を通っていきます。
New1bs2ns


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●未知なるカラウパパ●
 カネミツ・ベーカリー&コーヒーショップで朝食をとり,昼食用にドーナッツを買ってお店を出て,今度は島の西側に行くことにした。今日は島の東側を観光し,明日は西側,という予定だったのだが,モロカイ島は思った以上に狭く,1日で周回できてしまうようだった。
 島の形を右を向いたアユに例えれば,島唯一の町カウナカカイはおなかのところにあり,これから尾ひれの方向に向かうということになる。しかし,島の西側は,南の海岸線沿いにも北の海岸沿いにも道路がないので,カウナカカイから北上してひとまず北の海岸まで行き,そこから少し戻って右折して島の西側の内陸部を西に進むことになる。
 北上する途中にあるのが,この島にやってきたモロカイ空港であった。このように,私は,2日目にしてやっと島のなかにあるもろもろの場所の位置関係がわかってきた。空港を左手に見てさらに北に進むと,クアラプウ(Kualapuu)という小さな町があって,その先にモロカイ・ミュージアム&カルチャーセンターというこれもまた小さな博物館が見つかった。
 そこへは帰りに寄ることにして通り過ぎると,その先の突き当たりがパラアウ州立公園(Palaau State Park)の無料駐車場だった。これが島の北端である。駐車場には2,3台の車が停まっていた。つまり,私以外に観光客がいたということだ。私もそこに車を停めて少し舗装した道を歩くと,カラウパパ展望台(Kalaupapa Lookout)に到着した。
 展望台からは右手に突き出した半島が眺められれる。その半島こそ,かつてハンセン病患者の人たちを隔離したカラウパパであった。カラウパパへはアクセスする道路はなく,海から行くか,空から行くか,あるいは,狭い山道をカラウパパ・ミュール・ツアーというもの参加してミュールで行くかしかないということだ。
 ミュールというのは,馬とロバを交配させて生まれた動物で,それに乗って行くのだそうだ。このツアー,宣伝などどこにもなく,電話で申し込むという話のようだが,私が行った時期はシーズンオフで,ツアーも実施されていないようだった。というか,本当にやっているのだろうか? と,後日調べてみると,2018年12月より土砂崩れの影響によってトレイルが閉鎖中のため現在ツアーは催行されていない,ということであった。

 この先は,当然,行かなかったからわからないが,カラウパパについて調べたことを書くことにする。地図と写真は Google Maps からの引用である。
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 カラウパパへは3マイル,約5キロメートルの道のりで,26回ものスイッチバックを経て90分壮大な景色の中をミュールに乗って歩いくと,ハワイで最も人里離れた集落のひとつである歴史的な町カラウパパの海面に到着する。カラウパパは風光明媚で,孤立した場所である。
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 そうか,本当のハワイ通になるには,このカラウパパと,禁断の島ニイハウ島に行く必要があるわけだ。ともに行ったことがある日本人は何人いるのだろうか?
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 カラウパパは,かつて,ベルギーの宣教師であった聖ダミアン(Saint Damien),そして,その後継となった聖マリアンヌコープ(Saint Marianne Cope)が献身的につくした場所であった。
 1873年,ダミアン神父は,カラウパパに追放されたハワイのハンセン病の住民の世話をするためにやってきた。16年間の忠実な奉仕の後,ダミアン神父もまた,この病気に屈し,カラウパパの聖フィロメナローマカトリック教会(St. Philomena Roman Catholic Church in Kalaupapa)に眠ることになった。今,そこにはダミアン神父の墓がある。2009年,ダミアン神父は聖人として列聖された。
 ダミアン神父の死の数か月前,並外れた精神の女性がダミアン神父の仕事を続けるためにカラウパパにやって来た。それがシスター・マリアヌコープであった。シスター・マリアヌコープは修道会の長であり,ニューヨークのセントジョセフ病院で熟練した病院管理者であり,ハワイのいくつかの病院と介護施設を監督していたが,ダミアン神父の要請で,ダミアン神父が設立した少年や少女のための司教の家を運営し,彼らと生活を送ることを志願したのだった。
 シスター・マリアヌコープは1918年に亡くなり,遺体はビショップホームの敷地内に埋葬され,のち,2005年にニューヨーク州シラキュース(Syracuse, New York)に返還された。シスター・マリアヌコープもまた,2012年,聖マリアンヌコープとして列聖された。聖マリアンヌコープを称える銅像は,ホノルルのケワロベイシンパーク(Kewalo Basin Park in Honolulu)にあって,海を見下ろしている。
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●モロカイ島で唯一のパン屋さん●
 午前9時ころ,予定より早くカウナカカイに戻ってきた。昨日到着したときはもう遅かったので多くの店が閉店していたから,今日はカウナカカイの商店をウィンドウショッピングしつつ,朝食を食べるお店探しであった。しかし,朝食らしい朝食が食べられそうだったのは,カネミツ・ベーカリー&コーヒーショップだけだった。
 カネミツ・ベーカリー&コーヒーショップはモロカイ島で唯一のパン屋さん。翌日の朝に並べるパンを仕込んでいる夜の時間帯に,焼き立てを求めて店の裏側にまわって行列を作ると「地球の歩き方」には書いてあった。
 朝7時から店内のカフェスペースで食事ができるということだったので,勇気を出して中に入ってみた。

 古ぼけた店内は,地元の人でごった返していた。そもそもこの島にこのような店はここしかないのだから,みんな知り合いのようなものだ。私だって,ここに住んでいたら常連になるだろう。
 しかし,いらっしゃいませでもなければ,店員が案内してくれるわけでもない。知った人なら,また来たぞ元気かとかいう声をかけるところだろうが,私のようなよそ者が入るのはまさに場違いな感じで,それは,日本の田舎のカフェもまた同じようなものだ。
 適当に座っていたが,一向に店員が注文を取りに来ない。要するに私は空気なのだった。店員はみな忙しくしていて,声をかける間すら見つからない。それは決して感じが悪いとか,ぞんざいということではない。日本のような営業スマイルがないだけのことだ。

 少し待って,やっとひとりの店員と目があって,メニューを見せてもらうことに成功した。そして, 私はモーニングセットを注文した。モーニングセットとやらは,写真のようなもので,まあ,マシな朝食にありつくことができたわけだった。
 このようにして,ともかく朝食を終えて,お金を払うとき,はじめてこの島に来たと言ったらドーナッツを勧められたので,ひとつ買うことにした。
 昭和のころの日本みたいなところだった。


 私はこれまでさまざまところを旅行したが,モロカイ島ほど食事に困ったところはなかった。なにせ,島なので,この島になければどこへも行くことができないのだ。
 私は日常も食事は質素だし,旅行に行く目的もグルメではないから,おなかが満たされればそれで十分なのだが,そんな私でも困るほどだった。
 それにしても,モロカイ島に限らず,アメリカは食事に関してはとにかく最低である。その点,ヨーロッパはすばらしい。ホテルでも,すばらしい朝食が提供される。物価が高いというアイスランドでも,お金さえ出せは満足な食事をとるところはいくらでもあった。むしろ日本のほうがよほど貧弱だ。食後の紙コップにコーヒーなんて,海外では考えられないことである。日本人は,こうして,ある大切な一線を無意識に容易に越してしまうことがある。
 話は横道にそれるが,私がときに国内を旅行するときに,伝統的な日本食の朝食が提供されるような温泉宿は別として,バイキング形式の朝食が提供されるような場で,ずいぶん多くの日本人が朝からご飯と味噌汁,玉子焼きに納豆に漬物といった食事をしているのに,私は驚くのだ。こういう人が海外旅行をすれば,そりゃ戸惑うことであろう。


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●コキオ・ケオ・ケオ・イマクラトゥス ●
 ハラウ渓谷から先は,4WDの車に乗って内陸部に向かって行く道があるそうで,その先は,古代から形を変えないハワイの熱帯雨林・カマコウ自然保護区があり,珍しいハワイ固有種の動植物が生息していたり,また,ワイコル展望台からはワイコル渓谷の見事な姿が目の前に広がるという。また,島の北東の海岸線に沿って,非常に高い岸壁であるノースショア・パリがあって,岸壁の高さとしては世界一で,1,100メートルから1,200メートルにもおよぶということだったが,私は行くことができなかった。
 ハラウ渓谷からの帰り,行きに走ったのと同じ南海岸に沿ってカメハメハ5世ハイウェイ(Kamehameha V Hwy)と名づけられた州道450を戻ってきた。
 この道は片側1車線の田舎道で,というより,モロカイ島の道路はどこも片側1車線であったが,舗装された,そして,ほとんど車も通らない快適なドライブコースであった。

 ハラウ渓谷からカウナカカイまでは27マイル,約43キロメートルで,途中,いくつかの見どころをがあるということだったので,それらを順にと思って,行きはどこにも止まらずにハラウ渓谷までたどり着いたのだが,実際は,見どころといっても,海岸線にそった美しい,というか自然いっぱいのビーチと,たったひとつ小さな教会があっただけだった。
 教会の前に駐車スペースがあったが,車は停まっていなかった,というより,人影ずらなかった。
 車を停めて教会の小さな入口に向かった。入口は閉まっていたが,施錠はされておらず,戸を開けて中に入ることができた。
 その教会はセント・ジョセフ教会(St.Jpseph's Church)といい,1833年建立のモロカイ島最古のキリスト教会であるカルアアハ教会に次いで,1876年にダミアン神父が建てたモロカイ島で2番目に歴史のある教会であった。
 教会の建物の傍らには,首にレイがかけられたダミアン神父の像が立っていた。
 また,この教会の玄関前の左右にハイビスカスが植えられていたが,ここのハイビスカスはコキオ・ケオ・ケオ・イマクラトゥス (Koki'o Ke'o Ke'o Immaculatus)というモロカイ島固有種のハイビスカスだそうだ。このハイビスカスの白い花が咲くのは,まさに「夕方の朝顔」というように夕方で,それ以外の時間はその花弁を閉じてしまうから,残念ながら,私の行った時間にはその姿をみることはできなかった。

 一般に,ハイビスカスというと,ワイキキを中心に世界でよく知られるハワイアンハイビスカスを指すが,これはハワイの在来種と外来種をかけ合わせて造られたもので,固有種そのものはあまり知られていない。実は,ハワイ固有のハイビスカスは何種類かあって,そのなかでもっとも広く分布しているのがコキオ・ケオ・ケオ・イマクラトゥスである。ケオとは咲く花のごとく白のことである。
 樹高は8メートルから10メートル,花のサイズは4センチメートルから8センチメートルほどで,固有種のなかではもっとも大きな花を咲かせるという。白い花弁と赤い花柱との鮮やかなコントラストが特徴的であり,花にはとてもよい⾹りがある。
 このコキオ・ケオ・ケオ・イマクラトゥスに中国原産のブッソウゲをかけ合わせたものが,ハワイアンハイビスカスとよばれる園芸品種なのである。

 ところで,海外に行くと,多くの場所に教会がある。それは,日本の寺と同じだろうが,私は,宗教に疎いので,教会が何たるかという本当のところはよく知らない。どの宗教の信者であろうと,それがどういうものかという知識くらいは,訪れるのなら知っておくべきだろうが,それが書かれたものを読んだことも勉強したこともないから,よくわからない。
 そもそも,日本でも,多くの神社仏閣に行くことがあるが,その目的は観光であって,それが何宗かということすら認識がないのだが,それではいけないと近ごろ思うようになった。


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●まるでサンダーバードの秘密基地●
 ハラワ湾からの帰りである。モロカイ島には信号機がひとつもなかった。それで何の問題もないのである。
 私がこの旅で持参していたのは古い,というか2015年から2016年の「地球の歩き方」ハワイ編Ⅱであったが,このシリーズ,2020年に起きたコロナ禍で,全く売れなくなった。たしか2021年の新刊は発売されていないように思うが,やがてコロナ禍が収まって再び人々が海外に出かけたとき,そこに書かれた内容のどれだけが使用できるのであろうか? そのとき,この本にある多くのホテルやレストランはまだ営業をしているであろうか?
 おそらく,また,この自粛のリバウンドで,多くの人が海外に出かけることであろうが,そのときは,2020年の秋に日本で起きたGo To Travel のように,さまざなまツアーが発売され,どこもごった返すに違いない。私はそのとき,再びどんな旅に出かけるのだろうか?
 いずれにしても,今,私がなつかしい,また行ってみたいと思う場所のそのほとんどは人のほとんどいない大自然と,そして,歴史のいっぱい詰まったオーストリアだけなのである。

 話を戻す。
 このときに持参した「地球の歩き方」ハワイ編Ⅱに載っていた「モロカイ島を満喫する旅のモデルプラン」3日間コースの2日目は次のようにあったから引用してみる。
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【2日目】
 東モロカイへドライブに出かけよう。カウナカカイからはノンストップで往復2時間30分ほどの道のりだが,東モロカイの美しいビーチで泳いだり,有名な教会を見学していると,時間が経つのはあっという間。
  ・・・・・・
 それが今日の写真のビーチであるが,まるで,ここはサンダーバードの大西洋の孤島の秘密基地でった。

 ここクミビーチはヤシの木に囲まれた白砂のビーチで,ほとんど人がいないから,プライベートビーチ気分が味わえるところだ。考えてみれば,オアフ島やマウイ島のえらく高価なリゾートホテルのプライベートビーチなんぞより,ずっとここのビーチの方が贅沢な気がする。もちろんライフガードもいなし,シャワーやトイレもない。当然,自働販売機すらないから,飲み物食べ物を持参する必要があるが,それにも増して,このすばらしさは類をみない。
 このあたりにロックポイント(Rock Point)とよばれるモロカイ島のサーフスポットがあり,サーフィンに適したよい波が立つ場所だというが,サーファーのひとりも見かけなかった。また,遠くにはマウイ島やカメが浮かんでいるように見える無人島モクホオニキ(Mokuhooniki Island)が見える。
 さらに,絶滅危惧種の鳥ネネに遭遇するチャンスもあるという。私はこれまで世界各地で奇跡的にいろんな鳥を見てきたが,残念ながら,このときはネネを見ることができなかった。いや,気がつかなかった。
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 ネネ(nene)は,ハワイ州の州鳥である。人間がハワイにやってくるよりもはるか昔にハワイにたどり着いたカナダガン(Branta canadensis)がハワイで独自に進化したものと考えられている。
 ハワイ島のマウナロアやマウイ島のハレアカラなどの高山の溶岩が多いスロープに住む。
 全長は64センチメートルほどで体重は大きなものでは2キログラムになるという。
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Snow Moon.

The explanation behind February's full Moon name is a fairly straightforward one.
It's known as the Snow Moon due to the typically heavy snowfall that occurs in February.

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●まさに地の果て,ハラワ湾●
 クミミビーチで日の出を見て,さらに東に向かって進んでいった。ここまで来るときに見つけた家は1軒であったが,こうした場所に住んでいるのに,何か驚きとともにうらやましさを感じた。
 やがて,海岸線に沿って道がなくなり,高台に向かって登り坂になった。道路が狭くなり,曲がりくねっていてカーブが続いたのだが,「地球の歩き方」に「車がすれ違えないほど狭い場所がある」と書かれてあったので気になったが,さほどのことはなかった。もっと狭く,路肩が崩れたような道が日本にはいくらでもある。
 日本の道路は,工事などしなくてもいいのにやたらと工事を繰り返したり,また,道路をいろんな色で塗りたぐったり,ポールを立てたり,蛍光板を光らせたりと,豪雨にでもなれば,それらが意味なく光り,危険極まりないような整備? をしているところがある反面で,センターラインすら消えかかっているのに,一向に引き直さなかったり,山の中では崩れたままになっているような道路が山ほどある。
 それに比べたら,ずっと整備されているし,意味のない看板もないから美しい。
 
 くねくね道を登っていくと,やがて丘の上まで来て,そこは,ククイの木がうっそうとするラニカウラ・ククイの森(Lanikaula Kukui Grave)があった。広い駐車スペースがあったので,一旦車を停めて外に出てみた。
 再び出発すると,マナエ・グッズ&グラインズ(Mana'e Good & Grinds)という小さなストアが1軒あって,早朝とはいえ,店は開いているようで,車が1台停まっていた。
 あとで思うに,このお店は食事もできるようだったので,ここで朝食をとればよかったのだが,なぜかこのとき,そんな心境にならず,写真の1枚すらないのが惜しまれる。私は,結構図々しく何でもチャレンジするのだが,突然,消極的になってしまう悪癖があって,後で後悔する。
 このあたり,何もない山の中のようで,実は,牧場があって,人が住んでいる。そして,この店がこの辺りにあるたった1軒のストアなのだった。
 
 マナエ・グッズ&グラインズを通り過ぎると,プウ・オ・ホク牧場(Puu O Hoku Ranch)があった。意外なことにここは平原が広がっていて,牧場と道路の境は有刺鉄線で囲われているにもかかわらず,突然,数頭の野生のシカが次々と道路に飛び出してきた。シカは有刺鉄線をものともせず隙間を器用に通り抜けたようだったが,こんなところでシカを轢いたらエライことになると思った。モロカイ島に野生のシカが生息しているのにも驚いた。
 牧場ではウシがのどかに牧草をほおばっていた。これが,昨晩食べたハンバーガーにあったモロカイ島産の肉なのだろう。

 やがて,牧場を越えると,道路は下り坂となり,車が1台しか通れない道幅となり,海に落ちていくような急坂を下ると,眼下にハラワ湾(Halawa Bay)が見えてきた。
 ハラワ湾のまわりはひとひとり見えなかった。調べてみると,かつては集落があって栄えたということだが,今はもう秘境以外の何モノでもない場所だった。道路もほとんど車が通った痕跡がなかった。
 遠くには滝が見え,不思議なことに,湾の向こうに民家が1軒あったのだが,そこに行く道がみつからなかった。ここは,まさに地の果てであった。こうだから,旅はやめられない。いくら多くの日本人がハワイに行くとしても,こんなところまで来た人が何人いたことだろうか。
 なぜかうれしくなって,私はしばらくの間,ハラワ湾を眺めていた。


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●モロカイ島の人のいないビーチ●
 モロカイ島にあるビーチは,この日私が走っている島の南東海岸にあるワンアリイビーチ(One Alii Beach),プコオビーチ(Pukoo Beach),クミミビーチ(Kumimi Beach),東の果てのハラワビーチ,そして,次の日に行く予定をしている島の西海岸のポハクマウリウリビーチ(Pohaku Mauliuli Beach),パホハクビーチ(Papohaku Beach),カプカヘフビーチ(Kapukahehu Beach)くらいのものである。
 モロカイ島にあるビーチをオアフ島のワイキキビーチと比べてはいけない。ここにあるのは砂浜だけで,売店すらない。ピクニックテーブルやトイレ,シャワーという設備があるビーチも存在するが,そもそも,だれも泳いでいないしさびれている。考えようでは,イスを持ってきて,砂浜に陣取ってボーッと海を眺めれば,太平洋のど真ん中で広々とした美しいビーチを「世界は私だけのもの」と独り占めすることができるから,これ以上の贅沢はない。
 しかし,そんな姿を見慣れてしまうと,日本のゴミだらけで汚い,そして,人があふれているビーチなど,まったく興味がなくなってくるのもまた,当然のことであろう。

 私は,途中どこへも寄らず,まずは東端の先端まで行こうと走っていたが,ちょうど日の出と重なったので,海から昇る日の出を見ようと,車を停める場所を探した。幸い,広い空き地があったので車を停めると,運よくちょうど太陽が昇るところであった。
 オアフ島のことはあまり知らないが,ハワイ島では,東海岸にあるヒロの郊外に出ると海から昇る朝日が見られる。マウイ島では,東の海岸はどこも断崖絶壁でたとりつくのが難しいから,ハレアカラ山の山頂からの朝日をみることになる。カウアイ島では東海岸は開けているから朝日を見る場所が少なくないが,天気がいまひとつだったので,私は見た記憶がない。
 ハワイではどの島も夕日が沈むのを見ることができる場所は多く,どこでも美しい夕焼けが見られるが,日の出が海から昇るのを見られる場所は意外とないものだ。
 一般に,日の出というのは,太陽が地平線や水平線から出てくる瞬間こそ神々しいのだが,それ以外はとくに美しいこともないと思う。それでも,雲ひとつないよりも,むしろ適当に雲があって,日が昇る前に太陽の光が雲に反射して赤く染まるほうが魅力がある。
 
 このとき,私が知らずに車をとめたところはクミミビーチであった。ここはヤシの木に囲まれた白砂のビーチで,スノーケリングポイントとして有名ということだったが,当然,こんな時間には私以外に人はだれもいなかった。幸いなことに,適度に雲があって,すばらしい夜明けを独り占めすることができた。

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The Lunar X.

「月面X」はクレーターの凹凸の光と影により月面にXの文字が浮かびあがる現象です。

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●わずか1年前のことだったのに●
☆2日目 2020年2月21日(金)
 数年前までは,海外旅行に出かけると,時差ボケがきつかった。特に,東の方向に行くときは,到着して2,3日は,夜寝られずに困った。しかし,このごろは,日本にいても,睡眠時間が少なくなったし,海外に出かけても,機内でだらだらと過ごすとそのまま時差ボケもなく過ごせるようになった。しかも,異常な早起きは,日本にいても,海外に出かけても同じである。
 そこで,2日目の朝も,午前4時前には目覚めた。まだ夜が明けていなかったので,再び,庭に出て,星空を写すことにした。 さそり座は夏の星座であるが,この時期,明け方の空には夏の星座が輝いている。さそり座からいて座にかけての銀河は写し甲斐がある。それでも,ハワイは北半球だから物足りないが,これが赤道を越えると,魅惑の南半球の星空が広がるわけだ。再びその姿を見ることができる日が来るのだろうか?

 やがて夜が明け, モロカイ島2日目の朝が来た。
 今回の旅はわずか2泊3日だから,実質,2日目と3日目,2日間の観光となる。
 東西に長細い右を向いたアユのような形をしたモロカイ島は,中央の南の部分が若干の平地となっていて,そこに島唯一の町カウナカカイ(Kaunakakai)がある。私の泊っていたコンドミニアムはカウナカカイ近くの南の海岸にあるから,2日目のこの日は島の東側,3日目の次の日は島の西側を巡ることにした。
 東に向かって南の海岸線を走っていく。東の先端まで道が伸びていて,先端近くの海岸がクミミビーチ(Kumimi Beach),そこから島の東の端までは山を登っていって,北東の果てにハラワ渓谷(Halawa Valley)がある。まだ夜は明けきっていなくて,白んだ空を右手に海岸線を望み,片側1車線の道路を走っていくが,車は走っていなくて,たった1台すれ違ったのはこの辺りに住む人のピックアップトラックだけであった。こんなところに住んでいて,何をするのだろうと思った。生まれたらここに住んでいた,というのはどんな気持ちだろう。でも,なんだか私は憧れる。

 コンドミニアムから20マイル,約32キロメートルほど走ったころ,先ほど表現した右を向いたアユでいえばエラのあたりで夜明けになった。太陽が昇りきる前に,どこかに車を停めて写真を撮ろうと思った。なかなか場所が見つからなかったが,なんとか海を眺められる駐車スペースがあったので,車を停めた。幸運にも,今まさに太陽が海から昇るところであった。


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