しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > ノースダコタ州

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 以前書いたことがありますが,私がノースダコタ州に憧れたのは,アメリカ50州すべてに行こうと思っていたある人が,最後に残ったがノースダコタ州だったというような文章を書いていたのを読んだことが理由でした。そのころの私はまだアメリカ50州制覇は考えていなかったのですが,そんなに行きにくいところなら,ぜひ行ってみたいと思いました。
 私は,まず,サウスダコタ州に行って,さまざまな場所を観光してから,国道85号線を北に一路,ノースダコタ州を目指しました。サウスダコタ州がすばらしいところだとはその時点では思ってもいませんでしたが,行ってみて本当によかったと今では思います。
 そして,サウスダコタ州のラピッドシティで車を借りて,ノースダコタ州へ向かいました。
 そのときの写真が今日の1番目から3番目のものですが,これは本当にすごいものでした。写真ではわかりませんが,こんな景色が延々とずっと続いていたのです。アメリカでほかにいろいろな道を走りましたが,こんなすごい道はここが一番でした。
 こころゆくまでまっすぐな道を走ってみたい。
 そんな夢を実現するのに最高なのは,何といってもノースダコタ州でした。
 もちろん信号などなく,すれ違う車もほとんどありませんでした。
 そして,ノースダコタ州に達したとき,出迎えてくれたのは,一面に咲くひまわりでした。
 
 ノースダコタ州の中央部を東西にインターステイツ94が横断しています。これが今日の4番目から6番目の写真です。
 アメリカのインタ―ステイツは,都会では最低3車線,多いところでは7車線,8車線とあるのですが,さすがにノースダコタ州はまだ2車線でした。ここを夜にも走ったのですが,周りは真っ暗でした。
 アメリカは東西を貫くインタ―ステイツは,10,20,30,……,というように偶数番号が振られていて,最も北を走るのがインタ―ステイツ90です。インターステイツ90は,西はワシントン州シアトルから東に,アイダホ州,モンタナ州と進むのですが,モンタナ州のビリングスから南東に進路をとって,サウスダコタ州,ミネソタ州と進み,最終的にはニューヨークに達します。
 ということで,インターステイツ90はなぜかノースダコタ州を避けるように走っているのです。そこで,モンタナ州のビリングスでインターステイツ90とわかれてインタ―ステイツ94がノースダコタ州に向かうのです。インターステイツ94は,ノースダコタ州を越えると,やがて,ウィスコンシン州で,再びインターステイツ90と合流します。


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●フォートアブラハムリンカーン州立公園(Fort Abraham Lincoln State Park)
 2012年,念願のノースダコタ州に行くことができた私は,州都ビスマルクの隣町マンダン(Mandan)にモーテルを見つけて宿泊しました。

 近くに何か見どころがないかなと調べてみると,フォートアブラハムリンカーン州立公園が近くにあるということだったので,行ってみることにしました。
 こんなところに行った日本人なんてめったににいないことでしょう。
 緑に覆われたミズーリ川の堤防をずっと走っていくと,やがて,州立公園の馬鹿でかい敷地の入口に到着しました。
 この州立公園は,南北戦争で立身出世してインディアンと戦ったジョージ・アームストロング・カスター(George Armstrong Custer)将軍が最後に住んでいた家やら軍隊の宿舎やらを再建したものです。とはいえ,アメリカ人が関ヶ原の戦いの古戦場を訪れるようなもので,私にはさっぱりわかりませんでしたが。
 ツアーが実施されていたので参加すると,カスター将軍の家の中を案内してくれました。
 また,この公園の奥にはオンアスランドインディアンの村(On-A-Slant Indean Village)というのがありました。ドーム型の住居が5つ再現されていて,そこでも,ツアーがあったのですが,ツアーといっても参加者は私ひとりでした。

 英語のホームページがあったので,そこから引用してみます。
  ・・・・・・
 1907年に設立されたフォートアブラハムリンカーン州立公園はノースダコタ州で最も古い州立公園です。 公園内にあるのは1575年ごろにマンダン族によって設立された最初の村です。
 マンダン族はアメリカのインディアン部族です。天然痘による壊滅前までは「人間」という意味の「ヌマカキ」(Numakaki)または「メチュタハンケ」(Me-too´-ta-häk)と自称しました。また,ダコタスー族の言葉で「マワタニ」(Mawátani)ともよばれ,ノースダコタ州の平原地帯最北部に定住していました。
 この村は傾斜した平原に建てられたため,オンアスランドインディアンの村と名づけられました。人口は約1,500人でした。住民は釣り,狩猟,作物に依存していましたが,1781年の天然痘の流行で村人の大部分が亡くなり,その場所は放棄されました。
 1872年,米軍はマッキーン砦(Fort Mackeen)とよばれる廃墟の近くに歩兵の駐屯地を設立し,アブラハムリンカーン砦(Fort Abraham Lincoln)と改名されました。1873年には北部平原で最大かつ最も重要な砦のひとつになり,約650人の兵士を収容しました。

  ・・・・・・

◇◇◇
月齢3.5の月と金星。

11月8日。
お昼間に金星を月が隠す金星食があったのですが,
曇っていてみられませんでした。
写真はやっと雲が切れた一瞬に写した夕方の姿です。 DSC_0421s


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●テオドアルーズベルト国立公園(Teodore Roosevelt National Park)
 ノースダコタ州にテオドアルーズベルト国立公園はあります。「地球の歩き方」のアメリカの国立公園編にも掲載されておらず,情報のほとんどありません。
 そもそも私が2012年にノースダコタ州に行ったのは,アメリカ人でさえもほとんど行かない,まして,日本人で行ったひとなんてほどんどいないというのが理由でした。
 アメリカの映画やドラマのセリフでノースダコタ州が出てくるのはそのほとんどが「辺鄙なところ」としてです。気の毒な限りです。私もノースダコタ州に行ったことのある変な日本人だとアメリカ人の友人たちには思われています。
  ・・
 テオドアルーズベルト国立公園は,ノースユニットとサウスユニットに分かれていて,どちらのユニットもビジターセンターのあるゲートから伸びている道をドライブすることができるのですが,私が行ったときも自然災害でノースユニットのほとんどは閉鎖されていました。また,夏のハイシーズンだったのですが,ほとんど人はいませんでした。
 その後,まさまざまな災害が起きたので,今,公開されえているのかどうかは知りません。 ただ,私はふもとの町メドラの町の野外劇場で今年もミュージカルをやっていたのは知っています。
  ・・
 ノースユニットでは閉鎖された場所の手前そこで見たのはロングホーンという野生の牛の群れがいる平原とそのはるか向こうに生息するバッファローの姿でした。
 サウスユニットは1周するのに2時間くらいでした。
 ゲートを越え,インターステイツ94をまたぐ橋を通ります。インターステイツ94自体が国立公園の南端を駆け抜けています。ループドライブは道からはどこも見ても360度の絶景でした。途中にバッファローの群れが住む平原があったり,野生の馬に出会ったり,また,別のところでは野生の鹿に出会ったりしました。極めつけは,バックヒルというところで,そこは国立公園のもっとも高い地点,360度の絶景が広がっていました。
 テオドアルーズベル国立公園のよいところは,なんといっても,ほとんど観光客がいないことで,国立公園を独り占めにできる状態でした。そしてまた,アメリカの観光地は,マイナーなところほど親切なので,それもまた,私には気持ちがよいのでした。

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 「2015夏アメリカ旅行記3」をはじめる前の復習の続きである。が,今日の話題は,2015年の旅行のときのことではない。前々回,ブランソンについて書いたときに思い出したことがあって,それがとてもなつかしくなったので,そのことを取り上げる。
  ・・
 なつかしくなったのは,メドラミュージカルである。
 アメリカといっても,ノースダコタ州を訪れた日本人はきわめて少ないであろう。いや,アメリカ人でも,行ったことがない人が多いらしい。ノースダコタ州は,北はカナダに国境を接するアメリカの中央部の最も北の州である。アメリカを東西に横断するインターステイツは,南からインターステイツ10,インターステイツ20,……,とある。1番北を走るインターステイツ90は,西はワシントン州のシアトルからはじまり,東に向かって,アイダホ州,モンタナ州と通っていくが,ノースダコタ州の手前で,まるでノースダコタ州を避けるかのように進路を南東に変え迂回して,サウスダコタ州を通りイリノイ州のシカゴをめざすのである。これを見ただけでも,辺境の地であると想像できる。
 私がノースダコタ州を訪れたのは2012年の夏であった。そのころは,まだ,アメリカ合衆国50州制覇は頭になかったが,ノースダコタ州に行こうと思ったのは,ある本に,アメリカ合衆国のすべての州に行くのが目標だというカメラマンの記事があって,その記事の中に「最後に残ったのがノースダコタ州であった」というのを読んだのがきっかけであった。

 何にもない州だと覚悟して行ったのだが,当時,ノースダコタ州はリーマンショックの真っただ中にも関わらずシェールオイルの発掘で好景気に沸いていて,労働者が殺到し,泊まる場所を探すのがたいへんであった。
 私がそこで見たのは,テオドア・ルーズベルト国立公園であり,そのふもとの街メドラで夏の間開催されているミュージカルであった。特にミュージカルは,夏の夜,テオドア・ルーズベルト国立公園を借景にした屋外劇場で行っているものであった。ニューヨーク・ブロードウェイのミュージカルやヨーロッパの野外劇場には詳しくても,そんなものがあることを知っている日本人はほとんどいないであろう。私だって,現地に行くまでまったく知らなかった。
 これは,私がアメリカで見た数々のショービジネスのなかでも,ブランソンとならんで印象に残るものであった。
  ・・
 ミュージカルは今も行われている。コロナ禍の2020年も元気に開催されているらしい。
 私は,ニューヨークでもロンドンでも本場のミュージカルを見たし,サンフランシスコやウィーンでもオペラを見たが,なぜか,このメドラのミュージカルが忘れられない。
 できることならば,もう一度見てみたいものだと,このころ,とてもなつかしく思い出す。

 最後に,当時の旅行記から抜粋しておこう。
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 劇場は,メドラの町の西はずれにあった。チケットを購入したみやげ物店を過ぎたところを南に曲がると,町に沿って南側に鉄道が走っているので,その踏み切りをわたり,小高い山を登っていくと,広い駐車場に出た。その先がスキー場のゲレンデのように坂になっていてそこに客席があり,谷を見下ろすような形に野外劇場があった。
 その向こうには国立公園で見たものと同じ景色が広がっているという,すばらしいロケーションであった。
 午後7時半になって,ステージツアーがはじまった。
 ステージツアーの参加者は20人くらいだっただろうか。
 ミュージカルがはじまる前の客席に集まって,まず,このミュージカルがはじまった歴史やら演目やらといったことの説明を受けた。そしていよいよステージツアーが開始された。
 ステージに案内されて,様々な舞台層装置やらを見ることができた。
 楽屋にも入ることができた。
 楽屋裏には,大道具とともに,当日登場する馬が数頭,おいしそうにえさを食べていた。ステージのはるか向こうの山の頂には,このミュージカルで重要な役割をする生きたムースが1頭いた。
 やがてツアーが終わり自分の席に着いた。平日にもかかわらず,9割くらいの座席が埋まっていた。
 開始時間まで飽きないようにとさまざまな趣向があり,やがて時間になったので,国歌の演奏がありそれをみんなで歌って,いよいよミュージカルがはじまった。
  ・・
 ミュージカルの内容は,この地の歴史を劇にしたもので,難しい内容でなく,きっと,英語がまったくわからない人にも十分に楽しめたであろうというものだった。
 本物の馬やらムースも出てきた。日が沈み,だんだんと空が暗くなって,舞台はさらに感動を深めていく。途中に休憩があって,後半のはじめには,有名(であろうとおもわれる)コメディアン,ジョージ・ケーシーの漫談もあった。
 出演した歌手は12人,それと,主役の女性と年配の男性だった。
 ステージの右手には6人のメンバーからなるバンドがいて,特に,バイオリンを弾くアンベリー・ローゼンという名の女性がきわめてすてきだった。ずっと踊りながらバイオリンを弾き続けていた。
 最後に花火も上がり,ミュージカルは午後10時30分に終わった。
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☆ミミミ
8月16日の早朝4時の東の空に,月と金星がならんで輝いていて,それは美しいものでした。夜空を見ていると地上のいやなできごとはすべて夢のような気がします。DSC_5820 (4)m

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 今日の朝のフライトでノースダコタを後にするのだが,その前に,昨日行くことができなかったノースダコタ・ヘリテッジ・センターに行ってみようと思った。
 そこで,まずはじめに,一度空港へ行って,空港からノースダコタ・ヘリテッジ・センターへ行って,何分あれば空港に戻れるかを確認してみようということで,早朝モーテルをチェックアウトして空港へ向かった。空港に着くと,夜明けがとてもきれいだった。
  ・・
 空港からノースダコタ・ヘリテッジ・センターに向かったら,わずか10分で着いた。
 このように,車で走れば,ビスマルクはほんとうに小さな都会だった。これなら午前8時40分にノースダコタ・ヘリテッジ・センターを出発すれば午前9時には空港に十分着くであろう。
 ノースダコタ・ヘリテッジ・センターに着いたときはまだ午前7時前だったので,再び午前8時に来ることにして,その前に,ミズーリ川からの景色を眺めに行った。川べりにはずっと道路が続いて,川畔に公園があった。公園の駐車場に車を停めて,しばしミズーリ川を眺めた。
 そこには,ビスマルクのホームページに載っていた風景が広がっていた。鉄道の橋脚とミズーリ川の水面がマッチして,とてもきれいだった。クルーズができるボートも停泊していた。

 公園を出て,マクドナルドで朝食をとってから,再びノースダコタ・ヘリテッジ・センターへ行った。着いたのは,午前8時より少し早かったけれど,センターはすでに開いていて,のんびりと展示を見ることができた。アメリカはテロ対策で大変そうに思うだろうが,ノースダコタ州ともなると無防備なくらいのどかであった。
 ノースダコタ・ヘリテッジ・センターは,ノースダコタ州の歴史を4つの時代に分けて展示してある施設で,無料だがかなり豪華で広い博物館だった。
 見終わったとき,受付には,入ったときにはいなかった初老の男の人が座っていた。話しかけると,ノースダコタ州についていろいろと教えてくれた。やはり日本人は珍しいらしい。
 結局,早朝の2時間ほどで,心残りだったビスマルク・ヘリテッジ・センターも見学することができて,ビスマルク市内の観光をすべて終えることができた。
  ・・
 ノースダコタ・ヘイテッジ・センターを午前8時40分に出て,空港に到着した。
 レンタカーを専用の駐車場に停めて,空港の中のカウンタに向かった。空港は閑散としていて,レンタカーのカウンタにも誰もいなかった。9時になって係りの人が来たのでキーを返却した。
 走行距離は950マイル(1,520キロメートル)だった。

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☆7日目 7月27日(金)
 早朝,午前3時に目が覚めた。せっかく目が覚めたのだから星を見ようと思った。きっと10分も郊外にでれば,真っ暗であろう。
 車を,きのう,知らずに走って郊外に出てしまったメインストリートを,きのうと同じように西の方向へ走らせていった。やがて,周りは本当に真っ暗になった。道端に車を止めて外に出ると,そこに広がるのは,まさに,満天の星だった。
 天の川が走り,時々,星が流れた。空と一体となった。
 そうこうしているうちに,ビスマルク方向の東の空がだんだんと白んできて,やがて,夜明けが近づいた。
 日本では,何時間も走って,やっとのことで星空を見ることができるところまで来ても,そこでも大都市の光が地平線付近を照らしている。こんな星空を見ると,もう,日本で星を見に行くことがなさけなくバカらしくなった。

 きょうは,朝9時にレンタカーを返却して,ミネアポリスへ向かうことになっている。いよいよ,ノースダコタ州ともお別れである。
 ただ,心残りがあった。
 「地球の歩き方」には,以前は,ノースダコタ州に関する情報はまったく掲載されていなかったが,2012年のものには,ビスマルクについてわずか2ページではあるが載っていて,観光名所として,ノースダコタ州議事堂とノースダコタ・ヘリテッジ・センターが載っていた。私はまだ,その,ノースダコタ・ヘリテッジ・センターへ行っていない。また,ビスマルクのホームページには,ミズーリ川岸に公園があって,橋をのぞむすばらしい景色の写真があったのだが,そこへも行っていないのだ。
 これでは,なんのためにビスマルクへ来たのかわからないではないか。しかも,もう2度とこの地にこられるとも思えない。
 昨日,夜7時までやっている動物園に5時前に入って時間を使ってしまったことを後悔するが,今となっては時すでに遅い。

 そこで思いついたことがある。
 まだツキが残っているかなと,「地球の歩き方」を見てみると,ノースダコタ・ヘリテッジ・センターは朝8時からやっていると書いてある。9時に空港へ着けばよいのなら,なんとか今日の朝行くことが可能なのではないか?
 ということで,朝6時前にモーテルをチェックアウトして,早速出発することにした。
 が,フロントが開いていない。ルームキーをいれるポストすらない。そこで,部屋が自動ロックでなかったので,部屋のベッドの上にキーを置いて,そのまま出発することにした。
 ここに泊まったことで,マンダンのカントリーミュージックの野外コンサートや,満天の星を見ることができたのだから,これはこれでよかった。
 今回の旅行もずっと幸運続きだった。

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 モールは,ラピッドシティにあったモールと同じようなものだったが,ここも人が少なく,閉店している店も多かった。
 その中で,ただ1軒,人が大勢集まっていた店があった。税込7.48ドルで食べ放題・飲み放題の中華料理店だった。
 そこに入ると,フォークとナイフを渡され,あとは,自分で食べたいだけ,飲みたいだけ,という具合であった。
 食べ物をとって,箸があったのでそれを使って食べていると,隣にいた家族の中の初老の人が,箸に興味があって,不器用に動かそうとしていたので,思わず声をかけて,箸の持ち方を教えることになった。おもしろかった。「あとは練習だよ。日本の子供もはじめは親にしかられながらうまくなるんだから」などと。
 時折入ってくる子供連れの客,子供はみんな箸を手にする。アメリカの子供は箸が好きなようだ。
 夕食を終えて,モーテルに戻った。

 まだ,早かったし,気候がさわやかでとても気持ちがよかったので,モーテルから出て,マンダンの,それほど広くないダウンタウンを散歩することにした。
 少し歩いて図書館のある芝生広場に来てみると,野外のステージでカントリーミュージックのライブ演奏をやっていた。みんな,イス持参で聞きに来ていた。老人たちが多かった。
 後ろのほうにベンチがあったので,私も座って聞くことにした。

 芝生が風に揺れ,夕空の下,カントリーミュージックが心地よい。
 何て満ち足りた気持ちなのだろう。
 この国の豊かさ,というのは,こういう精神的なことなのではないだろうか,そう思った。
 コンサートはしっかりと午後9時に終了し,老人たちは,それぞれ,自分たちの車に,座っていたパイプ椅子を片付けて,お互いにあいさつ交わしながら家に戻っていった。

 私は,夜風に吹かれながら,のんびりと歩いて,モーテルに戻った。きっとこの夜のことは,ずっと思い出として残るだろうなあ,ふと,そんなことを感じた。

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 動物園に行ったのは,きっと動物園にはレスランくらいあるだろう,そこで夕食をとろうと考えたからだった。
 今日は時差を越えたので1日が23時間だったということと,ビスマルクで道に迷ったことでの時間のロス,このふたつがこの日の計画の妨げになってしまって,すでに夕方になっていた。
  ・・
 ビスマルクの西の一角に広大な公園があって,その中にスポーツ施設やら遊園地やらとともにノースダコタ動物園はあった。
 行ってみると,そこは田舎の小さな動物園だった。一応,トラやラマはいたが,それ以外には,豚や七面鳥,めずらしいけど,家畜のような,そんな動物たちが,やたらと広いオリの中で退屈そうにしていた。
 園内を一周する子供の乗り物のような機関車の形をしたバスがあったので,乗り込んで一周した。しかし,動物園には期待したレストランもなく,まあ,子供の遊び場をすこし大きくした感じだった。
 私はこういう場末の雰囲気は嫌いではない。が,遠い旅をしてきた私が,そうそう時間を費やせるところでもなかったので,午後5時半ごろには動物園を出た。

 こうして,結局,動物園では夕食をとることもできず,他に行くところもすでに遅くどこも閉まってしまっていていた。しかし,まだ明るかったので,ビスマルクというところはどういう都会なのだろうかと,町を地図を見ながらドライブすることにした。
 実際に地図を片手に運転してみると,ビスマルクは落ち着いたこぢんまりとした町であった。
 ノースダコタ州議事堂から西に2ブロック行ったところには,ビスマルクハイスクールという建物と体育館,そして,全面芝生が張られた運動場と野球場があって,高校生用の駐車場には,頻繁に人が出入りしていた。
 また,ノースダコタ州議事堂のすぐ横から,すぐに,木々に覆われた,芝生の庭のある,典型的な普通のアメリカの住宅地になった。
 町の南側のダウンタウンには,病院や商店があった。

 ビスマルクはインターステイツ94が町の北側を迂回するように走り,街を南北に走るステートストリートとインターステイツ94が交差する場所に数多くのホテルとモールがあって,インターステイツ94をそこで降りてステートストリートをそのまま南下すれば,すぐにノースダコタ州議会議事堂とその南のノースダコタ・ヘイテッジ・センターへ行くことができるということがやっとわかった。

 この日,はじめからインターステイツ94をインターステイツ94BUSINESSなどで間違えて降りずに,もっと進んで,次のステートストリートで降りていれば,1時間は早くホテルをとって,そのままノースダコタ州議事堂とその南のノースダコタ・ヘイテッジ・センターへ行くこともできたであろうと思うと残念だった。
 やっとのことでたどりついたのは,ステートストリートとインターステイツ94が交差するところにあったモールだった。そこで夕食をとることにした。

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 次に,ビスマルクへ行き,ノースダコタ州議事堂をめざした。適当に車を止めようと思って場所をさがしたが,この町は,土地にずいぶん余裕があって,議事堂もまわりの駐車場は,どこも自由に車を停めることができた。
 ビスマルクは,町の大きさが手ごろなのである。ノースダコタ州の州都とはいえ,議事堂のすぐ隣から住宅地が広がっているのである。
 渋滞もなく,道も広い。都市として人が暮らすには,これがストレスのない精一杯の大きさなのである。問題は,冬の寒さだろうと思ったが,私が来たのは夏なので,実際のところはよくわからない。

 車を止めた北西側から州議事堂へ入ると,ノースダコタ州の有名人たちの肖像画の飾られた厳粛な廊下に出た。
 案内所があって,聞いてみると,午後3時からガイドツアーがあるという。ガイドツアーの開始には,まだ少し時間があったので,先に一度,セルフツアーのパンフレットをもらって,そこに書いてあったように,州議事堂を自分で回ってみることにした。
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 案内所のあった廊下は地下の1階で,1階上がると,正面にから左手に下院議会場 -ちょうど,議会をやっている最中だった- 右手に州知事室,その奥に,最高裁判所があった。廊下では,なにがしかのテレビ中継の最中だった。18階の展望台に上がると,ノースダコタ州の大地が遠くまで見渡せた。
 このノースダコタ州議事堂は,大恐慌時代に立てられたので,資金不足からドームがないことで有名なのだそうだが,それでも外観の印象よりずっと内部は豪華だった。アメリカの豊かさと民主主義に対する思い,それと,ある種の権威主義を感じた。

 1階に戻ると,すでにガイドツアーがはじまっていて,数人の人がガイドさんの説明を聞いていた。合流して歩いていくと,最高裁判所の法廷の中にまで入ることができた。
 最後に,また,18階の展望台に上がったところで,ツアーは終了となった。
  ・・
 ノースダコタ州議事堂を出て,次に,ノースダコタ・ヘイテッジ・センターへ行こうと思ったが,駐車をしたところがノースダコタ州議事堂の北西側で,その場所はそこからもっと南東へかなり歩く必要があるようで,遠くなっ てしまうし,もう4時30分。とりあえず,車に戻り,動物園へ行ってみることにした。

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 そこは「TPモーテル」という名のモーテルだった。
 車を止めてフロントに入ると,さきほど洗濯物を運んでいたオーナーらしき気さくなおばさんがいた。「泊まれますか?」と聞くと,「シングルはないけどツインでいいか,それなら高くなるけどなんとかなるよ」というような会話が成立した。
 そんなことを言いながら,そのおばさんは部屋番号と宿泊者の一覧の書かれたノートを見ながら,鉛筆と消しゴムで名前を書き入れては消して,を繰り返していた。
 要するに,このモーテルはコンピュータではなく,最も原始的な方法で部屋割りをしているのだ。「スモーキングかノンスモーキングか」と聞くので,「できれば,ノンスモーキングがいい」というと,困った顔をして,再び部屋割りをはじめた。
 そうこう作業を繰り返すうちに,どうにか部屋が決まったようで,ようやく部屋のキーを渡された。
  ・・
 1階建てのモーテルで私に与えられた部屋は,中に入ってみると,外観とは異なり,なかなか快適であり,ちゃんとバスタブもあってお湯も出て,値段以上に快適なところだった。
 モーテルには空室なしのネオンサインが灯った。

 時間もどんどんとなくなっていくので,とりあえず荷物だけ部屋に入れて,観光に出かけることにした。
 マンダンには,フォート・アブラハム・リンカーン州立公園があるということだった。
 場所を確認すると,モーテルからミズーリ川に沿って南に少し行くだけではないか。
 しかし,走っていくと思っていたよりも遠かった。緑に覆われた川の堤防をずっと走っていくと,やがて,州立公園の馬鹿でかい敷地の入口に到着した。

 この州立公園は,南北戦争で立身出世してインディアンと戦ったジョージ・アームストロング・カスター将軍が最後に住んでいた家やら軍隊の宿舎やらを再建したもので,ものすごく広いところだった。
 ツアーに参加すると,カスター将軍の家の中を案内してくれた。
 参加したツアーには,小学生が5,6人,先生とともに参加していた。アメリカの小学生の姿を垣間見ることができて興味深いものだった。彼らの自由気ままさと積極さから,日本とはまったく別物の教育を受けていることを再認識した。

 この公園の奥にはオン・ア・スランド・インディアンの村というのがあった。これはカスター将軍とは関係ないだろう。偶然,この場所に,昔,インディアンの村があったのに違いない。
 ドーム型の住居が5つ再現されていて,そこでも,ツアーがあった。
 ツアーといっても参加者は私ひとりだったが,ちゃんと説明を受けることができた。
 ツアーの途中,突如,雨模様となったが,すぐに雨はやみ,再び,青空にもどった。

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 その後,再びインターステイツ94にもどり,いよいよビスマルクをめざした。インターステイツ94がビスマルク市街地にさしかかったとき,ここでも,また,ここでもだまされてしまったのが「インターステイツ94BUSINESS」だった。
 要するに,このインターを降りてはいけなかったのだ。インターステイツ94とインターステイツ94BUSINESSはまったく別の道だ。しかも,インターステイツ94からインターステイツ94BUSINESSに入ったとたんに,道路に,EXITの表示があって,この表示にしたがって進むと,インターステイツ94を出ることを意味するのか,入ったばかりのインターステイツ94BUSINESSをなぜまた出るのか,あるいは,このEXITを出ると,再び,インターステイツ94に入るのかなど,わけがわからなくなって,混乱に陥ったのだった。

 そのときは,そういうことであるとも知らず,私はビスマルクに入ったところでインターステイツ94からインターステイツ94BUSINESSに進路を変更してしまったので,道なりに走っていったら,車は,メモリアルハイウエイという名のついたインターステイツ94BUSINESSに沿ってミズーリ川を越えて,やがて,道はビスマルク市内のメインストリートとなって,ダウンタウンへ出てしまった。
 ビスマルクではインターステイツ94に沿ってホテルがあるので,ともかく,ビスマルクに着いたら,まずホテルをさがそうと思っていたのだが,まちがえてインターステイツ94を降りてしまったので,ホテルがなかなかみつからない。
 以前,インディアナポリスで同じ経験をしたことがあるので,事前に調べたり,たくさん地図をプリント遭うとしたりして注意していたのに,そして,こういう状態を避けなくてはいけないことはよくわかっていたのに,まったくもって,今回も同じ失敗のくりかえしである。

 こういうときに,右折は信号が赤でもしてよいというこの国の道路法規が,逆に迷惑な話になる。中央車線をのんびりと走るわけにもいかず,だからといって右側車線を走っていれば今度は信号が赤でも右折できるから,信号で停車して周りを見て場所を確認する,という作業ができないのだ。もう,どこをどう走っているのか,だんだんとわけがわからなくなる。交差点で停止することができず,いつまでも走っていなくてはならなくなってしまう。

 こうなれば,とりあえず,空港をめざそう,と思った。普通,空港の近くにはホテルがあるものだからだ。そこで今度は,空港という表示にそって道を進む。ダウンタウンから数分もすると,空港にたどり着いた。しかし,ここビスマルクでは,空港の周りには一軒のホテルもない。せっかくビスマルクに着いたのに,ホテルも見つからず,ますます,どこを走ればホテルがあるのかわからなくなって来て,だんだんあせってきた。
 やがて,空港の周りの道を一周して,道なりに進んでいくと,はじめと逆の方向となって,ビスマルクのダウンタウンを過ぎ -今にして思えは,はじめに来たインターステイツ94BUSINESSを引き返したことになるのだが- さらに,インターステイツ94に入るインターチェンジもよくわからずとおり過ぎてしまい,ついに,ビスマルク市を抜けてしまった。インターステイツ94BUSINESSは,マンダンのメインストリートと名を変えた。どうやら,ビスマルクの西となりの町マンダンに来てしまったようなのだった。
 そうしたら,そこに一軒,モーテルが見えた。一瞬,ここにしようかどうしようかと迷っているうちに,それも通りすぎてしまい,さらに進むと,さらにもう1軒,モーテルがあった。それも気が進まず迷っているうちにまた通りすぎてしまい,やがて,マンダンのダウンタウンも通り過ぎてしまって,道路は,西へ西へとインターステイツ94に併走する旧道となって,あたり一面牧草地だけの郊外に出てしまった。

 周りに併走する車のいなくなった郊外の道路の端に車を止めて,冷静に考えてみる。
 今どこにいるか,どこを走ったのか。はじめから仕切りなおしである。
 マンダンの2つ目のモーテルに泊まることとする。そこに泊まれば,ビスマルクのダウンタウンは遠くなく,だから,空港も遠くないはずである。もし,そこのモーテルがどのようなものであったとしても,鍵さえかかれば,明日まで無事であろう。
 それにしても,旅行に行く前に調べておいたビスマルクのホテルたちはどこにいってしまったのだろう。狐につままれた気持ちだった。
 調べておいたつもりだったが,もっとしっかり調べておけばよかった。ここはアメリカ,たとえ人口が少ない小さな町であろうとも,道は広く車は多く…。

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☆6日目 7月26日(木)
 きょうは,ビスマルクの観光である。早朝,ディキンソンのセレクトインで軽い朝食(コーヒーとドナッツ)をとり,チェックアウトをして,インターステイツ94を一路東へ,ビスマルクをめざした。
  ・・
 今にして思えば,この旅行は,もう1日日程に余裕があって,ノースダコタ州の東端にある都会ファーゴでもう1泊して,陸路,ミネアポリスへ行けば,完璧だった。そうすれば,ノースダコタ州の他の名所も訪れることができたに違いない。
 他の名所というのは,ファーゴにあるファーゴエア博物館,ダンセスというノースダコタ州のカナダ国境の近くにある町のインターナショナルガーデン,ビスマルクから北に行ったウォッシュバーンという町にあるルルイスとクラーク案内センター,州の北にあるミントにあるスカンジナビアン・ヘイテッジ・パーク,ピックシティにあるサカカウェア湖州立公園,ディキンソンにあるダコタ恐竜博物館などである。
 そして,現地で手に入れたパンフレットによれば,ノースダコタ州には,これらの名所にくわえて,州立公園や野生保護区がたくさんあるらしい。きっと,どこも,のんびりとした雄大なところに違いない。
 出発するときは,ノースダコタに3日もいて,面白いところが何もなかったらどうしようか,と考えていたくらいだったが,結果的には残念なことをした。

 ディキンソンを少し過ぎたら,タイムゾーンの変更の看板があった。つまり,1時間すすめるのである。だから,きょうは1日が23時間しかない。
 インターステイツ94を走り続けていると,ビスマルクへ着く少し前,右手前方の小高い山の中腹に大きな牛の影が見えた。ここノースダコタ州には,巨大モニュメントがたくさんあるということを思い出した。こちらにきたら,それらを探そうと思っていたけれど,実際にフリーウェイを走っていると,あまりに広すぎてそれどころじゃないなあ,と思うようになっていた,その矢先のことであった。

 なにはともあれインターステイツ94を一旦降りて,この巨大な牛の像を目指す。そこはニューセイソンという町であった。
 砂利道を右手の小高い丘に登ると,そこに,その巨大な牛の像はあった。
 家族連れが1組いた。その小高い山の上からの景色もなかなかのものであった。
 ニューセイソンの町には,モーテルが1軒と博物館,それと学校などがあった。

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 やがてツアーが終わり自分の席に着いた。平日にもかかわらず,9割くらいの座席が埋まっていた。
 開始時間までも飽きないようにと,さまざまな趣向があり,やがて時間になったので,国歌の演奏がありそれをみんなで歌って,いよいよミュージカルがはじまった。
  ・・
 ミュージカルの内容は,この地の歴史を劇にしたもので,難しい内容でなく,きっと,英語がまったくわからない人にも十分に楽しめたであろうというものだった。
 本物の馬やらムースも出てきた。日が沈み,だんだんと空が暗くなって,舞台はさらに感動を深めていく。途中に休憩があって,後半には,有名(であろうとおもわれる)コメディアンのジョージ・ケーシーの漫談もあった。
 出演した歌手は12人,それと,主役の女性と年配の男性だった。
 ステージの右手には,6人のメンバーからなるバンドがいて,特に,バイオリンを弾くアンベリー・ローゼンという名の女性がきわめてすてきだった。ずっと踊りながらバイオリンを弾き続けていた。
 最後に花火も上がり,ミュージカルは午後10時30分に終わった。
  ・・
 終演後は,本当に真っ暗なインターステイツ94を30分くらい東に走って,どうにかディキンソンのホテルに戻った。
 アメリカのフリーウェイというのは,郊外では,街灯もなく,本当に真っ暗なのだと思った。

 メドラに2泊すれば,そして,天候に恵まれれば,これら全てを十分に楽しめると思った。とてもすばらしいところだ。観光客はほどほどいるので,閑散としているわけではないし,かといって,ごった返しているということもない。全くストレスを感じないのだ。
 しかし,ここまでたどり着くには,ビスマルクから車で2時間走ってくるか,さもなければ,ラピッドシティから延々と車で3時間北上するか,それしか方法はないから,日本人が観光に来るには,えらく大変なところだ。

 しかし,もし,ラピッドシティを観光した人が,さらにディープなアメリカを知りたいのなら,日本では決して見ることができない,そして,アメリカでもほとんど見ることができない延々と続く大平原をながめながら3時間北上してメドラに行き,ここで2泊して,テオドア・ルーズベルト国立公園とサカカウェア湖とメドラミュージカルを堪能することをお勧めしたい。
 あるいは,2時間のドライブでビスマルクから来ることもできる。
 そうすれば,そして,幸いにも天候に恵まれるのなら,他の人が経験できない,そして,他のどこでも体験できない一生の思い出となる最高の旅が実現することになるであろう。そして,この旅は,人生感をも変えてしまうであろう。
 私がそうであったように。

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 やっとのことで,決心をして,山を下り,再び車に戻った。今だ興奮冷めやらぬ,という状況であった。
 国立公園のループドライブを走って,インターステイツ94を眼下に眺められるスカイラインビスタという展望台からの景色を楽しんでから,サウスユニットのゲートに戻った。ここにはビジターセンターがあって,展示やら少しだけだか土産やらを売っていた。
 結局2時間半以上を国立公園で過ごすことになった。
 国立公園のゲートを出ると,すでに午後6時を過ぎていたので,そろそろミュージカルを見るために,野外劇場にいくことにした。
 劇場は,メドラの町の西はずれにあった。チケットを購入したみやげ物店を過ぎたところを南に曲がると,町に沿って南側に鉄道が走っているので,その踏み切りをわたり,小高い山を登っていくと,広い駐車場に出た。
 そこの先がスキー場のゲレンデのように坂になっていてそこに客席があり,谷を見下ろすような形に野外劇場があった。
 その向こうには,国立公園で見たものと同じ景色が広がっているという,すばらしいロケーションであった。

 駐車場の反対側には,バーベキューをする一角があって,そこがピッチフォースステーキフォンデューの会場であった。
 すでに,肉が大きな棒に差されて焼かれており,準備万端であった。
 客は,フォークとナイフをもらって,自分で好きな付け合せをプレートによそって,最後に肉をもらい,好きな席で食事をする,という按配だった。 
 場内にはステージがあって,そこではカントリーの演奏が行われていた。すずしいこともあり,しかも,景色も美しく,最高の雰囲気だった。
 当日は,老人会の団体が来ていて,思い思いに食事を楽しんでいた。
 100歳になるというお年寄りが紹介されて,みんなで祝福した。
 アメリカでは,こういうことが頻繁に行われている。退役した軍人さんをたたえる,ということも頻繁に行われている。
 こういうのはとてもアメリカらしい。
 この国の人は,どうして,こうも人生を楽しんだり,人生の苦労をねぎらったりすることが上手にできるのだろうかと,いつも思う。

 午後7時30分になって,ステージツアーがはじまった。
 ステージツアーの参加者は20人くらいだっただろうか。
 ミュージカルがはじまる前の客席に集まって,まず,このミュージカルがはじまった歴史やら演目やらといったことの説明を受けた。そしていよいよステージツアーが開始された。
 ステージに案内されて,様々な舞台層装置やらを見ることができた。
 楽屋にも入ることができた。
 楽屋裏には,大道具とともに,当日登場する馬が数頭,おいしそうにえさを食べていた。ステージのあるか向こうの山の頂には,このミュージカルで重要な役割をする生きたムースが1頭いた。

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 ループドライブを少しはなれて,別の道を少し進み,この先までいけるのかな,というような山を登ると,広い駐車場に出た。そこに車を止めると,近くに山道があって,人がふたり降りてくるのが見えたので,彼らの下ったその道を5分くらい登ってみると,この国立公園のもっとも高い地点へ出た。
 突如,360度の絶景が広がった。
 ここが,この旅のクライマックスだった。
 自分がこの公園のなかで一番高いところにいるのだ。
 風が強く,飛ばされそうになりながら,夢中で写真を撮った。
 最高の景色だった。こんな絶景は今まで見たことがなかった。本当に360度の展望,なのだ。地球のてっぺん,なのだ。しかも,この景色は,あるところは地球創世記を思わせるような岩山が続いていて,また,あるところは渓谷がつらなり,また,別のあるところは,侵食した山々がつらなっており,人の創造物はまったく見えないのだ。
 この景色を知らずして,何を語ることができようか。
 この先も,これほどの絶景をみることはないであろう。
 地球が丸いことも実感する。
 以前,グランドキャニオンを見たとき,人間の作ったものは,これに比べれば,なんと情けないものか,と思ったが,ここは,それ以上だった。グランドキャニオンですら360度の絶景ではないし,人が多すぎる。
 どんな山でも,登れば,山頂で360度の絶景をみることはできるが,眼下に人工物のない,それも,これほど変化にとんだ,地球創世記のような,そんな風景は見られないであろう。
 もし,この場所で満点の星空を眺めたら,どんなにすごいことだろうか,とも思った。
 そうして,しばらくこの絶景に浸りきっていたけれども,最後まで他の人はだれも来なかった。
 本当に,地球を独り占めしていた。
 この景色を,いつまでもいつまでも見ていたかった。

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 メドラのダウンタウンを目指し,インターステイツ94を降りる。
 メドラの町は,ちょっとした高原のリゾートタウンのようで,町の端に予想以上にたくさんロッジが立ち並んでいたから,予約をしておけばここに宿泊できたのだ。そういえば,インターネットのメドラのサイトにここの宿泊施設が載っていて,結構手ごろな値段で予約できたので,日本でそうしようか迷ったことを思い出した。
 適当に車を止めて,まず,カーボーイ博物館へ入った。結構大きな博物館で面白かったが,時間がないので,早々に後にする。
 次に,近くに観光案内所があったので,中に入る。午後2時ごろだった。
 メドラの地図をもらい,メドラ野外ミュージカルと国立公園のことを聞く。
 まず,メインストリートの西端にあるチケットを売っているみやげ物店でチケットを入手して,その後,国立公園へ行き,夜,ミュージカルを見ればいい,と言われた。ミュージカルは夜8時半から。国立公園のサウスユニットは1周するのに2時間くらいだということだった。

 みやげ物店へ行って,チケットを購入する。すごく親切にいろいろと説明をしてくれて,ミュージカルは夜8時30分からで,終了するのが10時半。 -きょうのホテルが決まっていてよかった- その前の午後6時半から,ピッチフォースステーキフォンデュー,12オンス(340グラム)のステーキが食べられるのだという。そして,午後7時半からはステージの裏手に上がって,楽屋裏のツアーがある。そのセットを薦められたので,せっかく来たのでそれらをすべて予約することにした。全部で70ドルくらいだった。安い!
 ステーキを食べるのはいいけれど,レストランでひとりだけというのもどうかなあ,と日本で調べていたときに躊躇していたのだけれど,実際に来てみると,そういうものではなく,これは最高の選択だった。

 チケットを入手して,まだ,昼食をとっていなかったのを思い出して,メドラの街中にあった売店でハンバーガーを買って,急いで食べながら,国立公園を目指した。
 国立公園のサウスユニットは,ノースユニット以上にすばらしいところだった。
 ゲートを越えると,はじめにインターステイツ94をまたぐ橋を通る。インターステイツ94自体が国立公園の南端を駆け抜けているのだ。その後しばらく走ると道は二股に分かれてループになる。どちらから進んでも1周できるループドライブだ。道からはどこも見ても360度の絶景で,バッドランド国立公園と双璧だった。
 テオドア・ルーズベル国立公園のよいところは,なんといっても,ほとんど観光客がいないことだ。まさに,国立公園を独り占めにできる状態なのだった。
 途中に,バッファローの群れが住む平原があった。さらに,別のところでは,野生の馬に出会った。また,別のところでは野生の鹿に出会った。挙句の果ては,バッファローの親子連れが目の前に居座り,車が通過できなくなり,しばらくそれがとおり過ぎるのを待つという状況になった。
このときは,さすがに恐怖すら覚えた。いくら高速でバックしても,バッファローの速さにはかなわないであろうから。
 そうして,極めつけは,バックヒルというところだった。

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 テオドア・ルーズベルト国立公園は「地球の歩き方」のアメリカの国立公園編にも掲載されておらず,情報のほとんどなかったし,たいして期待もしていなかったが,実際は予想を絶する雄大さとすばらしい景観だった。
 テオドア・ルーズベルト国立公園は,ノースユニットとサウスユニットに分かれている。
 どちらのユニットもビジターセンターのあるゲートから,15マイルほど道が伸びていてドライブすることができる。
 ノースユニットに行くには,インターステイツ94を通るベルフィールドから北に国道85を数時間どんどんと走るか,私がそうしたように,ワットフォードシティから国道85を南に下るしかない。

 ノースユニットのビジターセンターに着いたが,道路ががけ崩れで,ノースユニットの道路はキャプロッククーリートレイルから先が閉鎖されているという。でもそこまでは行けるので,行って引き返してくればいい,とレンジャーに言われた。
 そこで,ともかく行ってみることにした。

 しばらく走っていくと,デイキャンプができるピクニックエリアがあって,それを過ぎると,今度は,ロングホーンという野生の牛の群れがいる平原があった。そのはるか向こうにはバッファローの姿もあった。そこで,望遠レンズでロングホーンの写真を撮っていたバイクに乗った2人組に出会ったので,私はこの地ではめずらしい日本人の観光客で,日本からわざわざノースダコタ州に観光で来たのだけれど,君たちの使っているキヤノンは私の国日本のカメラではないか,といったくだらない話をした。
 その後にすれ違ったのはわずかに数台だった。ここには,人がほとんど来ない。したがって,絶景を独り占めにできることになるのだ。
 これは限りなく贅沢なことに違いない。

 やがて,レインジャーに言われたとおり,道はクローズされ,途中までしかたどりつけなかった。
 ここの駐車場に1台だけ車が止まっていて,キャプロッククーリートレイルを歩いている人がいた。
 途中から先に行くことができなかったのは残念であったけれど,人がいない絶景を堪能したことに満足して,ノースユニットをあとにする。
 今度は,サウスユニットをめざして,国道85を南下した。
 国道85を走っていくと,右手には国立公園の壮大なバッドランド,左手には雄大な牧草地帯と真っ黒い牛の群れ,そして,ところどこに石油を掘る井戸が見えてきた。
 何度も思うが,なんというすごい景色だろうか。

 そんな状態が,この先もこの先も,延々と続いて,そうして,ついにインターステイツ94を通るベルフィールドに到着した。
 インターステイツ94に入ってしばらく西に進むと,メドラという小さな町に着いた。
 この町こそが,ノースダコタ州最大観光地であり,サウスユニットの入り口である。

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 道路はまだ延々と工事中ではあったけれど,それでも,相変わらず雄大なことに変わりはない景色を眺めながらさらに進んでいくと,州道22は,やがて行き止まりとなり,東西を通る州道23とぶつかった。
 この道を左折して西へ行かなくてはならないのだが,まだ,時間に余裕があったので,ひとまず反対側に右折して,ニュータウンという名前の町まで行ってみることにした。
 右折すると,すぐに大きな湖が現れて,長い橋がかかっていた。
 これがサカカウェア湖だった。
 湖畔には,野生動物保護区や公園やリゾート施設があった。橋の手前にはインディアンに関する役所があったり,湖畔にまで降りられる道があったりした。

 私は,ここにあったガソリンスタンドで車を止めて小休止した。飲み物を買ってから再び出発して,橋を渡ってさらにしばらく走ると,ニュータウンという小さな町の賑わいに出た。
 道路の両端に駐車帯のあるこの場所が,ニュータウンのダウンタウンなのだろう。
 銀行やら,スーパーマーケットやら,ガソリンスタンドやらがあった。でも,ここもどうやらそれだけの町だった。
 ここで引き返し,州道23を西に進むことになった。
 改めて逆の車線から外を見ると標高が高いところから見下ろす形になって,橋が湖に溶け込んでいて,すばらしい景色だった。
 そのような州道23を進んでいくと,この道は,その後,一旦南下をして,ふたたび西に逆L字型にもどった。そのまましばらくしたら,ワットフォードシティという町に着いた。
 もう少し先まで行けば,今,シェール石油開発で人が押し寄せ,泊まるところもないと日本のNHKBSの番組で放送していたウィリストンという町にたどり着くはずだ。

 ワットフォードシティにも大きな石油会社があって,州道23は石油を運ぶトレーラーで一杯だった。
 このワットフォードシティで,さらにウィリストンをめさして西に進む州道23を離れ,左折して,進路を南に取り,今度は国道85を走る。
 そうして,しばらく行くと,右手西側に,延々と,バッドランド国立公園で見たのと同じような風景が広がり始めた。
 これがテオドア・ルーズベルト国立公園だった。

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 早朝,ここにホテルを確保したことは,結果的に大正解 -メドナに泊まればもっとよかったのだか- であった。
  ・・
 きょう1日でノースダコタ州のどこまで行くことが出来るかを地図を見ながら考えてみると,まだ朝早いので,ここディキンソンから州道22をそのまま北上して行けば,ノースダコタ州の中央部にあるサカカウェア湖畔にまで足を伸ばせそうだった。
 そうして,そのあたりまで行ったら進路を西にとってワットフォードシティという町まで行って,今度は南に進路を変更して,コの字型にルートをとり,州道85を下れば,ちょうど,テオドア・ルーズベルト国立公園のノースユニットのゲートに到着し,さらに南下して,インターステイツ94のベルフィールドまで戻ってくれば,その西にあるメドラに着く。
 メドラには公園のサウスユニットのゲートがある。
 …そうしたコースが作れることがわかった。

 そこで,ディキンソンからインターステイツ94を横切って,州道22をひたすら北上することにして,車に乗り込んだ。
 きょうは平日。ディキンソンはちょっとした通勤ラッシュの真最中だった。町の北側に大きな会社があるようで,車線を広げている工事中の州道22はただでさえ走りにくいのに,やたら会社の駐車場に入れるために右折する車があるようで,渋滞気味だった。
 それでも,その地点を過ぎると,あっという間に市街地は終わって,また,一面に牧草地が広がるようになった。遠くに見える黒い点の集まりは牛の群れだ。

 サウスダコタ州との大きな違いは,石油だった。
 一面の牧草地に時折見えるのは,石油を採掘する旧式の井戸。そして,ひときわ目立つのが,シェール層から石油を発掘する新型の掘削タワーと採掘した石油をストックするのであろう石油タンク群。
 ノースダコタ州の西部からモンタナ州,そしてカナダに広がるバッケン油田は,シェール層という岩盤に大量の石油が眠っているということだったが,石油の高騰と技術の革新で,不可能であるとされてきたシェール層からの石油の採掘が採算的にも可能になって,現在,オイルラッシュの真只中。
 労働者が全米から押し寄せ,ノースダコタ州は好景気に沸いている。失業率は1パーセント以下である。
 アメリカは石油の輸出国に転換するということだ。

 うわさには聞いていたけれど,本当に目の当たりにすると,なぜかものすごく感動する。
 そんなわけで,道路も拡張工事中ばかり。道路工事用のトレーラーと石油を積んだトレーラーが頻繁に通過する。とはいっても土地は広く,道も広いので,雄大な景色に変わりはない。
 さらに,なお,延々と平坦な景色が続いて,それでも,日本ではこんな景色は見たことがないので,いつまでもいつまでもずっと感動しながら走っていくと,やがて,本当にしばらくして,州道22がリトルミッスーリ州立公園に近づいたころ,急に景色が変わり,地層の連なりが脈々と見えるビュート,そして,奇妙な形の山並みが続く,まったく別の風景になった。この景色であれば,日本なら超一流の国立公園だ。

 道も,これまではまっすぐだったのが,谷をぬうように曲がりはじめた。
 確か1年ほど前,このあたりは水禍に見舞われたところである。このあたりの道路工事は拡張工事か,はたまたその復旧か。
 その先も,延々と,そうした景色が続いていたが,やがて,しばらくして,ようやく,大きな川の見えるところまで来た。

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☆5日目 7月25日(水)
 朝5時起床。ホテルに朝食コーナーがあったので,とりあえず,シリアルとコーヒーをとる。他のお客さんが来て,雑談をする。彼女は,私を,時間をつぶしているホテルのフロントマンと勘違いしていたようだった。
 朝食を終えて,部屋に戻って,バッグを車に入れ,チェックアウトをする。とはいえ,フロントには誰もおらず,フロントの机の上には部屋のキーが一杯ちらばっていたので,同じようにキーを置いて,勝手にチェックアウトをした。

 まだ,午前6時だというのに,どの客もチェックアウトが早い。観光施設もほとんどない町でのんびりしていても,どうしようもないから,みんな先を急ぐ。給油地のような町だ。
 国道85に沿って進む。町の北のはずれに,博物館という小さな建物があったが,何が展示されていたのかは,行かなかったのでわからない。
 きょうは1日,ノースダコタ州をまわれるだけまわろう。そして,最終の目的地はノースダコタ州の一番の観光地だというメドラであるが,どういうところか想像がつかない。

 まず,ノースダコタを東西に走る主要道路インターステイツ94を目指すことにして,ともかくこの国道85をインターステイツ94の走るベルフィールドという町まで北上した。
 はじめは晴れていたが,しばらくして,あたり一面霧になった。車の窓からは何も見えなくなった。
 朝霧は晴れという。きょうも天気に恵まれそうだ。
 あたり一面真っ白な中を,道の黄色線だけを頼りに慎重に走る。
 時折,すれ違う車のライトと,前を走る車のバックライトだけが妖しく光る。
 本当に,ずっと真っ白いだけの不思議な世界が続く。時折,霧のはれたところにきて,一瞬,きのう見た大平原と牧草の緑色があざやかになるが,また,すぐに,真っ白な世界に舞い戻る。
 そんな,真っ白な世界が永遠に続いている。

 本当に本当にしばらく走っていくと,やっとのことで,霧が晴れわたる。すると,夢から覚めたように,緑色の色彩に目を奪われた。そして,牧草地に道だけがまっすぐに伸びる,そんな,これまでの風景に舞いもどった。
 この道を,また,しばらく走ったら,やがて,遠くにベルフィールドの町が見えてきて,右手前方にモーテルがあった。そして,そのはるか向こうに,ノースダコタ州を東西にまっすぐ横断するインターステイツ94が走っているのが見えてきた。
 インターステイツ94に沿った町で,きょうの宿泊先を探そうと思った。といっても,ホテルのありそうな町は,この国道85とインターステイツ94が交差するベルフィールド,その東のディキンソンくらいだった。その次は,もう,ビスマルクになってしまうので,きょうの目的地のメドナからは遠すぎる。
 確かにベルフィールドにはモーテルが存在したが,なぜか宿泊する気が進まず,次の大きな町であるディキンソンを目指し,インターステイツ94を東に走ることにした。

 午前8時ごろ,ディキンソンに到着した。この町も,例によって,インターの近くに数件のホテルやガソリンスタンド,そして教会や学校,住宅地がある町だった。町の中の道路はどこも工事で,車線の規制があって走りにくかったが,ともかく,一番手前にあった「スーパー8」に入る道を見つけてなんとか右折して,ホテルの駐車場に車を止めて,フロントへ行った。
 ノンスモーキングのシングルという条件の部屋が空いていないかと聞いたが,部屋がないということを言われた。親切なフロントのおばちゃんは,隣のホテルに聞いてみるといって電話をかけてくれた。
 道の向こう側に,「セレクトイン」というホテルがあって,そこには希望の部屋があるということだったので,そこまで道を横断して歩いて行って,ホテルに入ると,すでに連絡を受けていますといった顔をしたフロントの男性がチェックインの手続きをした。結構値段が高かったが,仕方がない。
 石油ブームでノースダコタ州はホテルが取れないという話は,まんざらうそでもないようだった。
 もう,部屋に入っていいということだったので,とりあえず,部屋にカバンだけ入れて,改めて出発だ。

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 ノースダコタ州に到着したところで,この旅の経路を説明してみよう。
 すでに書いたように,行きは関西国際空港からシアトル,ソルトレイクシティを経由して,サウスダコタ州ラピッドシティに到着した。
 日本からアメリカに入国するには,直行便ならば,現在,成田国際空港,羽田国際空港,中部国際空港,関西国際空港からの便がある。

 成田国際空港からは,シアトル,ポートランド,サンフランシスコ,サンノゼ,ロサンゼルス,サンディエゴ,デトロイト,ダラス,ヒューストン,デンバー,アトランタ,シカゴ,ボストン,ニューヨーク,ワシントンDCへの直行便がある。
 羽田からは,シアトル,サンフランシスコ,ロサンゼルス,ニューヨークへの直行便があるが,日本の出発は深夜になる。
 また,関西国際空港からは,シアトル,サンフランシスコ,そして,中部国際空港からは,デトロイトへの直行便がある。

 とりあえず,アメリカにたどり着きたいのなら,関西方面であれば,関西空港からのシアトル便が絶対おすすめである。なにせ,近い。中部国際空港からのデトロイトは,時間がかかることが最大の欠点だ。
 上記の直行便のある大都市へ旅行する以外の都市に行くのなら,到着した空港から乗り換える必要がある。乗り換え時間は結構かかり,6時間待ちくらいは普通のことだと思ったほうがよい。
 また,アメリカの国内便は,日本語が通じることは決してないと思ったほうがよいので,旅慣れていない人には,ものすごい勇気が必要であろう。また,アメリカの空港はやたら広いので,乗り換え方法をしらないとえらいことになる。
 写真はソルトレイクの空港であるが,空港内を歩いて移動すると1時間くらいかかることもある。そして,たいていは,乗り換えをすると,目的地への到着は夜遅くになってしまう。

 ネット上にも,シカゴへ深夜に到着して,ダウンタウンに安全に行く方法はないか,といった書き込みを見かける。私も,シカゴに深夜に到着して,電車でダウンタウンに向かったことがあるが,気持ちのよいものではなかった。そのときの車内は,お互いがお互いを「怪しげに」思っていた乗客ふたりが,結局,話しかけて,お互いほっとして,ダウンタウンに到着した思い出がある。
 一番楽な方法は,どこであれ,到着した空港でレンタカーを借りることなのだが,ロサンゼルスのような都会では,空港にはレンタカーのオフィスがなく,外に出て,無料のレンタカーのシャトルバスでレンタカーの営業所に行くことになって,それがわからず,心配になることもある。

 今回のように,ラピッドシティとか,この後に旅行記に登場するノースダコタ州都のビスマルクのような小さな都市の空港に降り立てば,人も少なく,レンタカーも空港に直接カウンターがあって,とても便利なものである。
 今回は,サウスダコタ州のラピッドシティという小さなとても美しい街を拠点に,サウスダコタ州の観光を行い,その後,レンタカーを借りて,北上して,ノースダコタ州に入った。
 直接,日本からノースダコタ州に行くには,おそらく,ミネアポリスでビスマルク便に乗り換えることになるであろう。そうすれば,結構容易にノースダコタ州へ行くことができるのだが,それ以後は,レンタカーを借りる以外どこかへ出かける方法はない。
 この旅行記にもあったように,サウスダコタ州であれば,日本語のできるツアーコンダクターさんもいるし,現地のグレイラインツアーなどもある。しかし,ノースダコタ州の観光旅行を取り扱っている日本の旅行社なんて,絶対に存在しない。日本のどの旅行社にも,ノースダコタ州の情報などないであろう。

 さて,いよいよ,次回から,ノースダコタ州の旅がはじまる。
 はたして,ノースダコタ州は,どんなところだったのだろうか?

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 「ウェルカム・ノースダコタ州」の看板の前が広場になっていて,そこで写真を撮る。
 ノースダコタ州ではじめて見た風景は,これまでみたことがない地の果てまで続く一面のひまわり畑だった。そして,遠くには,石油を採掘する井戸がいくつも見えた。
 車にもどって,さらにしばらく走ると,また,これまでと同じ景色になって,やがて,そして,また,それからかなりたって,やっと,民家やらサイロやらが目に付くようになったころ,ボーマンに到着した。午後6時を過ぎていた。
 ここでホテルを探すことにした。

 ボーマンという町は交通の要所で,東西を横切る国道12と南北を横切る国道85の交差するところ。半端な長さでないトレーラーが何台も轟音とともに走り抜ける。町は西に観客席のあるスタジアムが唯一のレジャー施設か。それ以外は,国道沿いにガソリンスタンドと売店,いくつかのモーテル,そして,民家・病院・教会・学校があるだけの小さな町だった。
 国道85はこの町で少しだけ国道12と同じになって東にずれて,再び進路を戻し,住宅地の中を不似合いに通りぬけて北上を開始する。
 町の広さを把握しようと,国道85に沿ってゆっくりと進んでいくと,すぐに町を過ぎてしまい,再びまっすぐな道が続くだけになった。

 町に引き返すと,国道12と国道85の交差するところに,よく見ないとわからないほど小さな観光案内所があったので,車を止めて中に入ると,年取ったおじさんが出迎えてくれた。
 ノースダコタ州の地図 ―詳しい地図すら持っていなかった― をやっと手に入れて,ボーマンにあるホテルの情報を聞く。
 この案内所の南にある「ノースウインズロッジ」というのが一押しだというので,案内所を出てから行ってみたが,すでに空室なしのネオンサインが光っていた。
 仕方がないので,少し先の「スーパー8」というホテルへ行ってみる。あまり,きれいでないが,どこでもいい,きょうの宿泊先を確保するのが第一だ。
 フロントで部屋があるかと聞くと,あるというので,泊まることにする。フロントのお兄さんの話では,今はシーズンなので,このあたりのホテルはどこも空き部屋なんてないよ。ここで部屋があったのはラッキーだ,ということだった。「このあたり」がどこまでの範囲を言っているのか皆目見当がつかないが,あすからのことを考えると,かなり心配になる。
 こんなことは,これまでではじめてだった。シーズンのフロリダでも部屋はあった。
 ともかく,チェックインをして,荷物だけを置き,ホテルを出て,徒歩でボーマンの小さな町を歩く。

 この町もホームレスは皆無で,民家は,どれも大きくきれいで,車が3台も入るくらいのガレージと清潔な平屋の住居,庭は緑の芝生にしめつくされ,深い木々の緑に覆われた,どこにもあるアメリカの平和な住宅地だった。そして,ここの町にも,町はずれの一角にトレーラーハウスの集落があった。
 そんな住宅地が終わる頃,この町でたった1軒であろうと思われるファミリーレストランを見つけたので,夕食をとることにした。他の客は,ド田舎のおじさんやおばさん風ばかりだった。店員さんの英語のなまりがかなりつよい。えらいところに来たように感じた。

 食事をとって,再び住宅街を散策するが,少し雨が降ってきたので,早々にホテルに引き上げた。
 きょうも,エキサイティングな1日だった。とにもかくにも,ここはノースダコタ州である。
 明日は,早朝にホテルを出発して,まず,泊まるホテルを確保しよう,と思った。

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☆1日目 7月21日(土)
 朝,自宅からバス停まで徒歩3分。バス停の手前の信号のない交差点で車に引かれかけた。一旦停車をすべき交差点を無視した小型車が,突然,自分の前を猛スピードで通り過ぎた。本当にびっくりした。あと1秒でも違ったら,今,この世にいなかっただろう。後ろを歩いていた人は,完全に私は引かれた,と思ったそうだ。あとで,バス停で,その人に,そう話しかけられた。
 しかし,自分には,不思議と動揺はなかった。ただ,旅行する前に死んでしまってはたまらんわ,とは思った。でも,こんなことから旅が始まれば,この先は,よいことしか起こらないであろう。そのときは,そう思った。そして,実際,そうなった。
 やがてバスが来て,そして,バスは名鉄の駅に到着して,座席指定特急に乗って,10時過ぎ中部国際空港に到着した。

 まだ出発には早く閑散としていたデルタ航空のカウンタで,チェックインの手続きをしようとすると,飛行機がオーバーブッキングなので,変更してくれる人を探していると言われた。別にスケジュールにこだわっている旅でもないので,ハプニングはすべて受け入れよう,と思った。だから,現地の到着時間さえ,これ以上遅くならなければいいですよ,と答えた。はじめから面白そうな旅だと思った。
 隣のカウンタに来た別の人にも同じことを言っていたようだったが,その人は冗談じゃないと断っていた。
 きっと,人生の面白い経験なんて,こういうことの積み重ねが差になってくるのだろう。
 人生なんて,死ぬまでの暇つぶしに過ぎない。どうして,地位をもとめる哀れな人たちは,みんな偉そうに権威を振りかざしたり,深刻ぶって仕事をしたりしているのだろう。5年前,一度,仕事をやめたとき,しみじみとそう思った。その気持ちは,今のほうが,もっと強い。
 自分には,やりたいことが一杯ある。だから,そんなくだらないことに時間をかけたり,中身がないからこそ地位にこだわるしかないような,そんなくだらない人たちを相手にしたりしている時間はないのだ。

 とにかく,当初予約してあったデトロイト便,名古屋-デトロイト間の時間がかかりすぎる。それに,デトロイトで次のフライトまでの待ち時間が5時間以上もあるので,変更してもらえるなら大歓迎だった。
 聞いたところによると,変更して,関西国際空港発シアトル行きになるのだそうだ。
 当初は,「名古屋-デトロイト-ミネアポリス-ラピッドシティ」。それが,「大阪-シアトル-ソルトレイクシティ-ラピッドシティ」になる。この方が距離的にもうんと近いではないか。当然,当初の予定より遅く出発しても,到着は30分以上早い。さらに,大阪-シアトルはビジネスクラスに変更になって,しかも,おまけに200ドルのクーポンと20ドルの食事券が付くということだ。こんなよい話はそうあるものではない。
 ということで,早速,変更の手続きをしてもらった。
 関西国際空港への行き方を教えてもらって,それに従って,また,中部国際空港から名鉄特急で名古屋に引き返し,新幹線で新大阪まで行き,特急はるかに乗り継いで,関西国際空港に行くことになった。
 この移動にかかる費用は,後日返金してくれるという話だ。
 それはそれとして,気安く変更を受け入れたけれど,大阪へ行くだけの日本円の持ち合わせがないのだった。こういうこともあるので,日本円を多少多めに用意しておけばよかった,と一瞬思ったが,よく考えてみると,クレジット払いでJRのチケットが購入できるので,別段何事もないのだった。名古屋駅で,一番早く関西国際空港へ行く乗車券を下さい,と言ってチケットを購入して,早々に新幹線に飛び乗った。

 名古屋を出発した新幹線の車内からは,出発して5分もしないうちに,早朝に出た自宅が車内から眺められて,自分はいったい何をやっているのやら,と,おかしくなった。家を出て3時間もたったのに,まだ,出国どころか,自宅に戻ってきてしまったみたいだ。
 やがて1時間もしないうちに新大阪駅に到着した。新大阪駅で,NHK交響楽団のコンサートマスターの堀正文さんを目撃した。そういえば,新幹線の車内にもバイオリンを持った女性が乗っていた。彼女もN響の団員かもしれない。N響は,この時期,大阪でのコンサートツアーだ。
 それやこれや,ビジネススクラスに変更になったり,意外な人に遭遇したりと,今回も強運だらけだった。はじめからいろんなことがあって,面白い旅になりそうだ。
 新大阪で,特急はるかに乗り換え,初めて見る新大阪から関西国際空港への車窓を楽しみながら,中部国際空港から2時間もしないで,関西国際空港に到着した。午後1時頃のことだった。

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 ほとんど情報のない州ノースダコタを一度訪れて見たいという気持ちは以前からあった。でも,わざわざ行くべきかどうかずいぶんと迷いもあった。
 歳をとって,今行かないともう行く機会がないのではないか,という思いが強くなって,いよいよ行く決心をした。
 ノースダコタ州だけではと思い,調べるうちに,サウスダコタ州も含めれば素敵な旅行ができるようなので ―とはいっても,計画を立て始めた頃は,ノースダコタ州はもちろんのこと,サウスダコタ州のこともほとんど知らなかったのだけれど― 今回は,このコースで旅行をすることにした。
 実際に体験したノースダコタ州は,とてもすばらしいところだった。
 何より,雄大な景色がいい。のどかさがいい。人の少なさがいい。ツアー客がいないのがいい。
 この地にあったのは,本当の大自然と,西部開拓時代から続く本当のアメリカ人の生活だった。そして,観光客がいないので,自分が,そんな姿を独り占めにできる喜びや,この地を知らないほとんどの人たちに対して自分がそれを知った優越感だった。
 いずれにしても,本当に,行ってよかった。

 こんな経験をしてしまうと,日本国内は無論のこと,他の国のどこの景色も観光地も ―グランドキャ二オンすら― 「ちんけ」に思える。この夏,信州や北海道へ行く人も,海外旅行で観光客だらけの香港だの韓国だのと出かける人たちも哀れにしか思えない。申し訳ないけれど。
 これは,喜ぶべきか悲しむべきか。
 いずれにせよ,今回の,このひとり旅は,これまでの自分の人生最大の思い出となった。
 こうして,思い出してみると,この地を,もっと多くの人に知ってほしいという気持ちと,その反面,知ってほしくない,自分だけのものにしておきたいという気持ちが入り混じり,複雑な心境になる。

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