【Summary】
On November 26, 2024, after a night in Kyoto, I visited Murasaki Shikibu's grave, walked to the tombs of Emperor Sanjo and Emperor Ichijo, and took a bus to Seimei Shrine, revisiting it due to its connection with Hikaru Kimi e. Later, I saw the "maneki" signs raised for the annual Kabuki event at Minami-za, enjoyed sweets at Sasaya Shouen, and attended Seiichi Nakai’s Leica photography exhibition, Leica and Tetsutabi, at Leica Gallery Kyoto.
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京都で1泊した翌2024年11月26日。
この日は,まず,紫式部の墓までバスで行って,そこから,三条天皇陵,一条天皇陵とかなりの距離を歩いたのち,竜安寺のバス停から晴明神社の最寄りの堀川今出川までバスに乗りました。
晴明神社は小さな神社で,これまでにも行ったことがあるのですがほとんど記憶になく,今回「光る君へ」で安部晴明が出てきたこともあり,これを機会に再び行ってみることにしたのでした。
●晴明神社
一条戻橋のたもとにあった安部晴明の屋敷跡に鎮座する村社である晴明神社は,安倍晴明を主神とし,倉稲魂命(うかのみたま)を合祀します。
1005年(寛弘2年)に安部晴明が亡くなると,一条天皇はその遺業を賛え,安部晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして,1007年(寛弘4年)屋敷跡に晴明を祀る神社を創建しました。当時は広大な境内でしたが,次第に縮小し,荒れたままの状態となりました。また,隣接して千利休の屋敷がありました。
平成以降,映画化された夢枕獏の小説「陰陽師」のヒットで安倍晴明ブームが起こり有名となりました。2017年(平成29年)に二の鳥居の社号額が新調されました。また,一の鳥居の社号額には、五芒星の社紋が描かれています。
●一条戻橋
一条戻橋は堀川に架けられている一条通の橋です。
794年の平安京造営に際し,平安京の京域の最北・一条大路に堀川を渡る橋として架橋されました。平安中期以降,堀川右岸から右京にかけては衰退著しかったために,堀川を渡ること,即ち,戻橋を渡ることに特別の意味が生じ,伝承や風習が生まれました。歌舞伎に「戻橋」という演目があります。
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1890年(明治23年),5世尾上菊五郎(鬼女)と初世市川左岡次(渡辺綱)により初演されましたた。
渡辺綱は源頼光の使いの帰途,戻橋で美しい扇折の娘小百合に逢います。夜道のこととて同道しましたが,実際は愛宕山の悪鬼で,いろいろと渡辺綱を誘惑します。が,ついに正体を見破られ立廻りとなり,鬼は片腕を切られて逃げ去ります。
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かつて,一条戻橋のそばに妓楼があり,一条戻橋で渡辺綱が鬼である美女と遭遇したという伝説に因んだ源氏名「綱」という遊女がいました。彼女の馴染客のひとりに与謝蕪村がいて「羽織着て綱も聞く夜や河ちどり」(川千鳥の哀切な鳴き声を娼妓「綱」も客の羽織を借り着して聞き耳をたてている)という艶冶な句を詠んでいます。
現在の橋は1995年(平成7年)に架け直された情緒もたわいもないものですが,晴明神社にそれ以前の一条戻橋を実際の部材を使って再現したミニチュアがあります。
●京都南座
四条通の南側に位置していることからその名がある南座は,日本最古からその場所にある劇場です。
江戸時代初期,四条河原には幕府公認の芝居小屋が七座存在しましたが,火事で幾度も焼失したり,興行の中心が大坂に移ったため数を減らし,江戸時代中期には四条通りの南の芝居と北の芝居,大和大路の西の芝居の三座となりました。
西の芝居は1794年(寛政6年)の大火後は再建されず,北の芝居は1892年(明治25年)四条通の拡張に伴い閉鎖されたので,南の芝居だけが残りました。
1913年(大正2年)に大改築を行い,さらに,1929年(昭和4年)に建替えられました。
1991年(平成3年)に改修工事が行われ,桃山風の外観を残しつつ最新設備を備えた劇場として新装開場,また,耐震補強と内装設備の更新を併せた「耐震補強大規模改修工事」が2018年(平成30年)に完了しました。
出雲阿国が1603年(慶長8年)の春,京市中においてかぶき踊りを披露したことが歌舞伎の起源とされ,南座の前には「阿国歌舞伎発祥地」の石碑があります。
毎年11月末日から12月末まで行われる吉例顔見世興行は京都の風物詩となっていて,このときに役者の名前を勘亭流で書いた「まねき」とよばれる白木の看板が劇場の入り口上にずらりと並べられますが,まさに,この日がまねき上げでした。
その後,祇園の四条通にある「笹屋昌園・八坂祇園店」でスィーツを食べてから,祇園花見小路にあるライカギャラリー京都へ行って,中井精也の写真展 「ライカと、てつたび。」 を見ました。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは
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