しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

カテゴリ:日本国内 > 京都

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【Summary】
The seventh episode of Kyoto Secrets: Rouge – Succession depicts the pain of businesses that cannot be inherited and must close, while others struggle to continue traditions. The story shows the heavy burden of succession. However, I felt disappointed because the series focuses too much on dramatic family conflicts rather than Kyoto’s beauty and culture.

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 2026年3月8日,「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」の第7回「幕の引き方」が放送されました。
  ・・・・・・
 洛は,鶴子とある和菓子屋を訪れる。廃業する決意をした女将の姿を目の当たりにした洛のこころが動く。三八子は悟に久楽屋の継承の相談を持ちかける。広臣の母・嘉譽子は夫・譽太夫に息子と向き合うよう迫り,驚きの事実を告げる。
 幸太郎は鋭二と再会。イギリスにいる釉子に電話をすると?
  ・・・・・・
 この回は,継承ができず,やむを得ず幕引きをしなければならない状況に陥ったときの無念さを裏に,いかに継承をするかという苦労が展開されました。要するに,進むも地獄、退くも地獄,というのが「伝統」の重み,ということなのでしょう。
 私は,何事も,自然の流れに任せれば,まあ,何とかなる,と思っていて,きちんとした展望もないのに何かの工夫をすればするほど事態が深刻で複雑になる,と考えるのですが,当事者とってはそう簡単にはいかないものなのでしょう。
 あと2話でどいういう結末を迎えるのでしょうか?

 ところで,「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」は,どうも,私の期待したような展開のドラマになっていないので,少しがっかりしています。もっと京都らしい文化,歴史を,美しい映像とともに伝える内容を期待していましたが,ドロドロのホームドラマのようになってしまいました。9回という設定が長すぎるのです。また,女性陣はいかにも京都人らしく魅力的ですが,男性陣に深みがなく,京都人の男,という感じがしない。それが残念です。
 ところで,今の時代,こうした個人商店で,何代も続いているからといって,同じような商売が成り立つものなのでしょうか。何らかの大企業の中に入るとか,ビジネスの専門家に経営を委託するとか,観光業界とタイアップするとか,そういった工夫をして,合理的な商売に変えて行かなくては,たとえ継承ができても,その先がないように思います。それとも,京都という地であれば,今でも,こうした昔ながらの商売が成り立っているものなのでしょうか。そこが知りたい。でなければ,このドラマは,現実離れをしたおとぎ話になってしまいます。現実的な内容にするのなら,継承,というだけでなく,和菓子屋さんとか呉服屋さんという職業が抱える問題についても取り上げることが必要でしょう。

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【Summary】
In Episode 6 of "Kyoto People's Secret Pleasures: Rouge‐Inheritance", the theme of succession deepens. Miyako struggles with inheriting Kuraya, realizing tradition requires not only skill but spirit and resolve. The story portrays generational tension, showing that true succession blends youthful individuality with inherited wisdom to create renewed tradition.

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 「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」は,オリンピックでしばらく間が空いてしまいましたが,2026年3月1日に第6回「後継の資格」が放送されました。
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 鶴子が倒れた。洛は,自分の無力さを痛感する。
 重くのしかかる久楽屋の継承問題。洛はバーで志保の息子・幸太郎と出会い,庭師の世界では必ずしも血筋の人間が家を継がないという話を聞いていた。イギリスで修業をしていた幸太郎が帰国したのは師匠・美山清兵衛によばれたからと言う。
 一方,三八子は,僧から還俗した異母弟・悟を訪れる。
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ということで,いよいよ物語は佳境。今シリーズのテーマは継承,ということなので,洛さんが久楽屋を継承できるかどうか,ということがこれからの話の焦点になっていくのでしょう。

 今回の内容は,若い世代が「自分らしさ」と「継承」の間で揺れる姿から,伝統を受け継ぐ,というのは,ただ技術を学ぶだけでなく,その背景にある「こころ」や「覚悟」まで引き継がなければいけないということがいいたかったのでしょう。
 そうした世代交代は,どこにでもある話なのですが,それが京都となると,何か特別な体を成すのが,この町の恐ろしいところです。歴史が深すぎるのです。私は,若い人は「流れを受け継ぎながらも,自分の色を加えていく」ということこそが,若さの特権だと思うのです。だから,若い人なりの考えがあるから,歳寄りは任せたらいいのに,と思ってしまいます。
 実際,若い人には若い人なりの感性や時代の空気があって,それを活かしてこそ「継承」も生きたものになるわけで,伝統というのは,ただ守るだけではなく,時代に合わせて少しずつ形を変えていくもので,そうやってこそ次の世代に根づいていくです。しかし,年配の人たちにとっては,自分たちが大切にしてきたものが変わってしまうのが怖いというのもまた,当然の感情で,だからこそ,若い人の自由な発想と年配の人の知恵がうまく混ざり合えば,素敵な「新しい伝統」が生まれるのでしょう。

 「任せることの難しさ」と「任される側の覚悟」が交差して,さて,今後,どのように洛さんは成長していくのでしょうか。楽しみです。

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【Summary】
After visiting Hiunkaku at Nishi Hongan-ji, I toured filming locations of the NHK BS drama Kyoto People’s Secret Pleasures. Highlights included the historic kimono shop Kondaya Genbei, Doshisha University, a wagashi museum, and the long-established sweet maker Tawaraya Yoshitomi, showcasing Kyoto’s refined traditions.

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 西本願寺の飛雲閣(ひうんかく)を見て,まだ時間がありました。そこで,現在NHKBSで放送されている「京都人の密かな愉しみ」のロケ地を巡ってみることにしました。
 京都は,町歩きが楽しいところです。そこで,西本願寺から京都市営地下鉄の烏丸御池駅まで歩くことにしました。
 途中,四条西洞院を通りました。この場所こそ,織田信長の時代に本能寺のあったところです。当時の本能寺は東西西洞院から油小路,南北六角から蛸薬師に及ぶ広大な寺域をもっていました。つまり,本能寺の変は,ここで起きたのです。

 西洞院通から室町通に進路を変えて北に歩くと,やがて,室町三条に着きました。ここは,かつて多くの繊維問屋のあった場所。このあたりが「京都人の密かな愉しみ」のロケ地のひとつです。
●「誉田屋源兵衛」(こんだやげんべえ)
 室町三条にあります。ドラマでは,呉服問屋「伊づ譽」として登場します。
 「誉田屋源兵衛」は老舗の呉服商で,創業は享保年間(18世紀初頭)にさかのぼるとされる非常に歴史ある商家です。特に帯の製作で名高く,伝統的な技法を守りながらも現代的な感性を取り入れた作品づくりで知られています。
  誉田屋の帯は,単なる装飾品というよりも,まるで芸術作品のようといわれます。

 室町三条の最寄り駅は京都市営地下鉄の烏丸御池駅。このあたりには,食事のできる店が多くあります。私も京都文化博物館にあった食堂で昼食をとりました。そして,烏丸御池駅から地下鉄に乗って,今出川駅で降りました。「京都人の密かな愉しみ」のロケ地のひとつである同志社大学は今出川駅からほど近いところにあります。
●同志社大学
 御所の北側にあります。ドラマでは,洛志社大学として登場します。
 1875年に新島襄(にいじま じょう)によって創設された,日本でもっとも歴史あるプロテスタント系の大学のひとつです。キリスト教精神に基づいた「良心教育」を掲げ,「良心を手腕に運用する人物の育成」を目指しています。
 文学部,法学部,経済学部,理工学部,グローバル・コミュニケーション学部など,多彩な学部があって,国際交流にも力を入れています。
 キャンパスは,京都市内の今出川キャンパスと京田辺市の京田辺キャンパスにわかれていて,それぞれ歴史的な建築と自然に囲まれた環境が特徴的です。特に,今出川キャンパスの「クラーク記念館」は重要文化財にも指定されています。

 同志社大学を越え,烏丸通りを北に歩くと,左手に京菓子資料館があります。
●京菓子資料館
 後述する「俵屋吉富」(たわらやよしとみ)が運営する京菓子資料館です。2階には和菓子の歴史や文化を伝える展示があり,1階では,季節の和菓子と抹茶をいただくことができます。
 この1階の部屋で,「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」第5回「まことの花」のひとつのシーンが撮影されました。
 その裏手が「俵屋吉富」の店舗です。
●「俵屋吉富」
 同志社大学のほど近いところにあります。ドラマでは,京都の老舗和菓子屋「久楽屋」として登場します。
 格式ある町家建築で,店内には美しい生菓子が並び,ドラマでは,俵屋吉富の繊細な和菓子が季節の移ろいや登場人物の心情を映す小道具としても使われています。
 創業は1755年(宝暦5年)と,江戸時代中期から続く老舗です。特に有名なのが,棹菓子の「雲龍」(うんりゅう)は季節の上生菓子です。見た目の美しさと味の繊細さが絶妙で,茶道の席でもよく使われます。

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月,水星,金星。

2026年2月19日。
夕方の西空。月齢1.9の月,水星,金星です。DSC_1861


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【Summary】
After visiting Nishi Hongan-ji’s Hiunkaku, I walked toward Karasuma-Oike, exploring filming locations from Kyoto People’s Secret Pleasures. Along the way,I saw the former site of Honnō-ji, Ono no Komachi’s cosmetic well, Chaya Shirōjirō’s residence site, and the ruins of the Nanban-dera, reflecting Kyoto’s layered history.

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 西本願寺の飛雲閣(ひうんかく)を見て,まだ時間がありました。そこで,現在NHKBSで放送されている「京都人の密かな愉しみ」のロケ地を巡ってみることにしました。あまり時間がなかったので,今回は室町三条あたりと今出川あたりに絞りましたが,京都は,町歩きが楽しいところです。そこで,西本願寺から京都市営地下鉄の烏丸御池駅まで歩くことにしました。

 途中,四条西洞院を通りました。この場所こそ,織田信長の時代に本能寺のあったところです。当時の本能寺は東西西洞院から油小路,南北六角から蛸薬師に及ぶ広大な寺域をもっていました。
●本能寺跡
 1582年(天正10年)6月2日,明智光秀に襲撃された場所には,「此附近本能寺跡」という石碑が立っており,近くには「本能寺の変跡地」を示す碑も設置されています。本能寺の変で焼失後,豊臣秀吉の京都改造として,寺町への寺院集約により,1589年(天正17年)ごろに,現在地である寺町通御池下ルへ移転しました。 現在の場所: 京都市役所のすぐ近く(中京区下本能寺前町)に位置しています。 旧地跡: かつての場所には「此附近 本能寺跡」という石碑が立っており、近くには「本能寺の変 跡地」を示す碑も設置されています。 かつては広大な敷地を持っていたため、現在の旧地碑周辺が信長を襲った場所の伝承地となっています。

 次に見つけたのが,小野小町の別宅跡にあった化粧水です。
●小野小町の化粧水
 場所は,西洞院通四条南東。四条西洞院交差点の角にある小さな石碑でした。ここに,小野小町が実際に化粧の際に使っていた井戸があったと伝わるそうです。石碑横の立て看板には「化粧水は西洞院四条の南にあり,いにしへ,この所に小野小町の別荘ありしなり」と,1780年に出された書物「都名所図會」の引用が紹介してありました。

 さらに行くと,茶屋四郎次郎の屋敷跡がありました。
●茶屋四郎次郎の屋敷跡
 場所は,蛸薬師下ル百足屋町の瑞蓮寺脇。
 この付近に,江戸時代初期「京都三長者」のひとりと称された茶屋家初代・茶屋四郎次郎清延の屋敷跡の碑がありました。安土・桃山時代,茶屋四郎次郎清延が,この地に居を構えたといいます。
 茶屋四郎次郎清延は,徳川家の御用達として徳川家康の側近になりました。戦に従い,間者として講和の内使,情報提供,軍需品調達,京都での旅宿手配を務めました。本能寺の変では,その報を徳川家康に伝え,伊賀越えに協力しました。

 次に見つけたのが,南蛮寺跡でした。
●南蛮寺跡
 場所は中京区蛸薬師通室町。
 織田信長の時代,ヤソ会(耶蘇会)によって建てられた南蛮寺は,蛸薬師通室町の地にあったと推定されています。ヤソ会はイエズス会の日本でのよび名です。ヤソはイエス(耶蘇)の音写で,当時の日本ではキリスト教徒をヤソとよんでいました。イエズス会は,1534年にスペインのイグナティウス・デ・ロヨラたちによって創設されたカトリックの修道会で,プロテスタントに対抗するための布教活動を目的としていました。日本では16世紀にフランシスコ・ザビエルが来日して布教をはじめたことで知られます。
 戦国時代末期,京都でのキリスト教布教は,1559年(永禄2年)から本格化し,1561年(永禄4年)にこの付近に礼拝堂が設けられました。数々の迫害にあいながら,ヤソ会宣教師は布教に努力し,織田信長の保護もあって信者は拡大しました。1576年(天正4年),古くなった礼拝堂を再建することにし,数百人の信者の協力と所司代村井貞勝の援助で完成し,献堂式のミサが行われました。これが南蛮寺で,信者の間では珊太満利亜(さんたまりあ)上人の寺ともよばれ,京都におけるキリスト教と南蛮文化の中心となりました。しかし,1587年(天正15年),九州征伐を終えた豊臣秀吉は宣教師追放令を発し,キリスト教弾圧に転じ,南蛮寺もその時に破壊されてしまいました。、ついにこの地には復興されませんでした。

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【Summary】
After visiting Kyoto Ryozen Gokoku Shrine, I went to Nishi Hongan-ji to see Hiuun-kaku, one of Kyoto’s three famed pavilions alongside Kinkaku and Ginkaku. Built in the Momoyama style and linked to Toyotomi Hideyoshi, its asymmetrical beauty felt deeper with age.

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 京都霊山護国神社に行った後は,西本願寺の飛雲閣(ひうんかく)へ行こうと思いました。
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 飛雲閣は,京都の西本願寺にある歴史的な建築物で,桃山時代の華やかな建築様式を今に伝える貴重な遺構です。金閣,銀閣と並んで京の3名閣のひとつに数えられ,その美しさは空に浮かぶ雲のようとも称されます。
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 飛雲閣は,学生のころ,日本史の教科書で知りました。見てみたいと思ったのですが,金閣,銀閣とは違い,非公開でした。その後,特別公開があると知って見にいったことがあるのですが,それもまた昔のことで,ほとんど記憶に残っていませんでした。偶然,今回「京の冬の旅」で公開されると知り,行ってみることにしたのです。
 飛雲閣は,2017年7月から2020年3月まで,約20年ぶりの修復工事が行われ,屋根のふきかえを中心に,表具や框(かまち)の修復や畳の表替え,耐震補強などが施されました。
 飛雲閣の特別公開は,近年は9年ぶりの公開として2023年秋,それ以降は,2024年冬,2025年秋にも行われているようです。今回は内部も公開されたようですが,これは事前予約制で,私が試みたときはすでに締め切りで,外観のみの見学となりました。

 京都霊山護国神社から西本願寺まで,どうやって行こうかと考えて,タクシーにしました。私はめったにタクシーには乗らず,およその場所は歩くのですが,歳ですな。タクシーの運転手さんは,以前の外国人の少なかった京都が懐かしい,と言っていました。私も同感でした。
 一般の公開は午前10時からということで,その30分ほど前に着きました。そこで,先に,西本願寺の唐門を見にいきました。
●西本願寺唐門
 西本願寺の国宝である唐門は,見ていると日が暮れるのも忘れてしまうことから,日暮門(ひぐらしもん)ともよばれます。桃山時代の豪華な装飾美を今に伝える貴重な遺構。細部まで彫り込まれた極彩色の彫刻が特徴で,牡丹,唐獅子,鶴,龍など縁起のよいモチーフが施されています。
 豊臣秀吉の伏見城から移築されたという説が有力で,飛雲閣と同じく桃山文化の栄華を今に伝えるものといわれます。しかし,どうやら寛永年間に改造したらしく,そのときに彫刻などで飾り立てたといいます。寛永年間は,徳川家光が日光東照宮を大修築した時期にあたり,日光東照宮の陽明門を連想させます。
 2022年に40年ぶりに修復されたということで,現在は,あでやかな様相を奏しています。

 飛雲閣の公開時間が来たので,中に入りました。多くの人が来てごった返していたら,と心配だったのですが,それほどはなく安心しました。
●飛雲閣
 飛雲閣は,池に浮かぶように建てられた三層の楼閣で,それぞれの階が異なる建築様式になっています。
 1層目は主室の招賢殿(しょうけんでん)や茶室などと,舟入(ふないり)の間があります。 飛雲閣は,滴翠園にある池「滄浪池」(そうろうち)に面して建てられていて,舟を直接正面に着けることができる造りです。書院造風で,落ち着いた雰囲。これは格式ある武家の住宅に見られるスタイルで,実用性と美しさが融合しています。
 2層目は寝殿造の要素が取り入れられていて,貴族的な優雅さが感じられる空間です。柱や欄間の装飾も凝っています。三十六歌仙が描かれた歌仙の間があって,外からも歌仙の絵を見ることができます。
 3層は摘星楼(てきせいろう)とよばれ,物見をする部屋だったといわれています。禅宗様(唐様)で,屋根の反りや装飾がとても華やかなので,この層が雲に浮かぶようといわれるゆえんです。
 また,渡り廊下で結ばれている建物は黄鶴台(おうかくだい)とよばれ,別棟の浴室には脱衣所と蒸し風呂が造られています。
 飛雲閣は,もともとは,豊臣秀吉が築いた聚楽第(じゅらくだい)の一部だったとされ,豪華絢爛な桃山文化の象徴ともいえる建築でした。1587年(天正15年)に完成した聚楽第は,政変の影響で1595年(文禄4年)には取り壊されてしまい,その際,建物の一部が移築され,現在の西本願寺に移されたと伝えられています。西本願寺に移された後,飛雲閣は本願寺第12代門主・准如(じゅんにょ)の時代に再建され,宗教的な場としての役割も担うようになりました。特に,格式高い来賓をもてなすための迎賓館として使われたこともあり,江戸時代には徳川家との関係も深く,幕府との政治的な駆け引きの舞台にもなった可能性があるということです。
 左右非対称の美しさ。これがわかるようになるには,人もまた,年月が必要なようです。私もまた,若いころは,豪華な金閣,渋い銀閣に比べると,何じゃこりゃ,と思ったのですが,今では,ぴかぴかの左右対称な金閣,なにかやつれた銀閣よりもずっとすばらしいと思うようになりました。

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【Summary】
After joining the Kyoto Symphony Orchestra,I began monthly trips to Kyoto. On February 14, 2026, I visited Kyoto Ryozen Gokoku Shrine, stopping at Rokudo Chinno-ji linked to Ono no Takamura, and paid respects at the graves of Sakamoto Ryoma and Nakaoka Shintaro, moved by their historical legacy.

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 京都市交響楽団の定期会員になって以来,毎月,定期演奏会を聴きに京都コンサートホールへ行くようになりました。はじめのうちは試行錯誤だったのですが,その折に,さまざまな場所の観光もすることができるので,今では,これが最大の楽しみとなりました。
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 私は,岐阜羽島駅まで車で行って,駅前の駐車場に車を停めます。岐阜羽島駅は名古屋駅とは異なり,駅前まで車で行くことができ,また,安価な駐車場が山ほどあります。岐阜羽島駅から京都駅までは新幹線「ひかり」「こだま」ともに,米原駅に停車するだけで30分程度で京都駅に着きますが,自由席はがらがらです。私がいつも利用するのは,岐阜羽島駅午前6時47分発の「ひかり」。京都駅着は午前7時19分です。
 この日2026年2月14日は,新幹線の車窓から雪を被った伊吹山がきれいに見えました。1週間前なら大雪で行くのも大変だったのでしょうが,それも夢のように暖かな日でした。
 京都市交響楽団の定期演奏会が行われる京都コンサートホールには午後1時30分に着けばいいので,それまで6時間程度,さまざまなところへ行くことができます。奈良県へ行くのなら,午前7時36分発の特急か,午前7時37分発の急行,ともに橿原神宮前駅行きが接続しているし,奈良県から戻るときは,竹田駅で京都市営地下鉄に接続していて,しかも,同じホームの反対側に来るので,ストレスがありません。
 京都コンサートホールからの帰りは,京都市営地下鉄の北山駅から京都駅まで行って,そこで,新幹線に乗るのですが,時間を気にせずとも,およそいつも,午後5時33分発の「ひかり」に乗ることができます。帰りは,京都駅のホームで購入した駅弁を新幹線の車内で楽しみます。この日選んだのは「神戸のあっちっちステーキ弁当」でした。

 このごろは奈良を巡っていたのですが,今回は,久しぶりに京都市内を観光することにしました。
 近年は「京都に行く」というと「外国人だらけでしょう?」と言われるようになりました。私も,それが理由で敬遠していました。しかし,実際に行ってみると,そういう場所は限られていて,具体的にいえば,東山,嵐山,伏見あたりを外せはそれほどでもないです。特に今年は中国人の団体客がいないので非常に快適です。私は,これまでに,東山,嵐山,伏見あたりの定番の京都の観光地がすべて行ったことがあるので,そうした場所には行きたいとは思わないし,今私が行きたいところは,ほとんど観光客はいません。
 この日行こうと思ったのは,京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)と西本願寺の飛雲閣でした。京都霊山護国神社は東山にあるので周囲は混み合うのですが,朝早く出かけて,京都霊山護国神社のみに絞れば,それほどのことはありません。京都霊山護国神社には,坂本龍馬や中岡慎太郎など明治維新に関わった志士たちの墓があります。以前行ったことがあるのですが,ずいぶん昔のことだったので,再び行ってみたかったのです。
 墓地のある場所は,午前9時に開場ということだったので,京都駅から京都市営地下鉄烏丸線に乗って四条駅で降り,のんびりと歩いて,午前9時少し前に到着することにしました。

 松原通を歩いていくと,松原橋に差し掛かりました。
●松原橋
 松原通は平安時代の五条大路で,嵯峨天皇の勅命により橋が架けられ,清水寺の参詣道でもあったことから,人の往来が多く,大変賑わった都の目抜き通りでした。元来,この地に架かっていた橋が五条橋で,通りの両側に見事な松並木があったことから五条松原橋ともよばれていました。
 安土桃山時代に,豊臣秀吉が方広寺大仏殿の造営に当たり,この地に架かっていた橋を現在の五条通である平安京の六条坊門小路に架け替え,これを五条橋と称したことによって,この地の橋の名前からは五条が外れ,以後,松原橋とよばれるようになりました。伝説に謳われる牛若丸と弁慶の決闘「京の五条の橋の上」は,この橋のことを指します。
 現在架かる橋は,1935年(昭和10年)の鴨川の大洪水による倒壊流失後に架け替えられたものです。

 この橋を東へ進むと清水寺に行き着きますが,その途中にあるのが,冥界へ通じるといわれる井戸で有名な六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)です。そこで,六道珍皇寺に寄ってみました。
●六道珍皇寺
 六道珍皇寺は東山区にあり,六道の辻とよばれる,あの世とこの世の境目とされる場所にあります。六道というのは,仏教で説かれる地獄,餓鬼,畜生,修羅,人間,天を指し,人が死後に生まれ変わる可能性のある六つの道を意味しています。 六道珍皇寺には迎え鐘(むかえがね)という鐘があって,お盆の時期に亡くなった人の魂を迎えるためにこの鐘を撞く風習があります。鐘の音はあの世にまで届くと信じられています。また,境内には小野篁(おののたかむら)ゆかりの井戸もあります。
 小野篁は,嵯峨天皇につかえた平安初期の官僚で,参議にまでなった文武両道に優れた人物ですが,不羈な性格で野狂ともいわれ奇行が多く,嵯峨上皇の怒りにふれて隠岐に流罪されたこともある人物です。また,閻魔王宮の役人ともいわれ,昼は朝廷に出仕し,夜は閻魔庁につとめていたという,つまり,この世とあの世を行ったり来たりできる人物ということで,この井戸は,小野篁が冥土へ通うのに使ったといわれます。

 六道珍皇寺を過ぎ,京都霊山護国神社に到着しました。
●京都霊山護国神社
 午前9時を待って,さっそく,坂本龍馬と中岡慎太郎の墓に行きました。ここには,桂小五郎と幾松の墓もありました。また,明治維新のころに亡くなった多くの人々の墓が並び,その像絶さには胸を打たれました。
 墓地は京都東山の高台にあって、境内からは京都市街が一望できる場所でした。

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【Summary】
“Hannari” is a Kyoto term expressing understated elegance: gentle brightness, refinement, and natural grace without showiness. Though once a negative word meaning gaudy excess in medieval times, it evolved into today’s ideal of quiet beauty, where color, atmosphere, restraint, and dignity harmoniously blend.

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 「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」。第5回は「まことの花」。
  ・・・・・・
 洛は,三八子に教わる着付け,茶道,書道などの女将修業にやや食傷気味。老舗和菓子屋の久楽屋は,一年で一番忙しい季節を迎えていた。鶴子は,病気を抱えつつ女将業に精を出し,洛も女将見習いをしていく。
 中秋の名月の夜,お月見をしていると,三八子や鶴子は「中秋の名月より“後の名月”のほうがはんなり”している」という。「はんなり」を調べようとする洛に東雲は?
  ・・・・・・
 ということで,今回の話題は「はんなり」です。

 諸説あれど,「はんなり」は,「花なり」あるいは「華なり」が転じたということです。華やかだけれど,決して咲き誇らない。 控えめな美を尊ぶ京都の美意識そのものです。このことばを,京都人が使うとき,その背後には,色・空気・間合い・品がすべて溶け込んでいます。
●上品で,明るく,しっとりしている 派手ではない, しかし地味でもない。 ふわっと華やぐが,決して前へ出すぎない。 まるで薄紅の椿が,冬の庭にそっと咲いているような存在感。
● 力みのない美しさ 京都の美意識は「頑張ってます感」を嫌います。はんなりは,余裕・ゆとり・自然体の美を含んでいます。
●色気ではなく「気品」。 艶っぽさよりも気品と柔らかさが前に出る。 舞妓さんの所作や,京ことばの柔らかい語尾が象徴的。
 たとえば,
 「はんなりした着物やね」は,色が明るくて上品。柄がうるさくない。
 「あの人,はんなりしてはる」は,物腰が柔らかく,落ち着いていて,品がある。
 「このお菓子,はんなりしてる」は,甘さや香りが控えめで,上品にまとまっている。
という感じで,対象は人でも物でも空気でもよく,「京都的な上品さがふわっと漂う状態」 を指します。
 では,今回の番組にも出てきた「はんなり」を英語で表すのはむずかしいのですが,ニュアンスからさがしてみると
 ① graceful
  「優雅で落ち着いた」という感じ
 ②elegant in a gentle way
  「派手ではない優雅さ」
 ③subtly refined
  「控えめだけれど洗練されている」
 ④softly charming
  「柔らかい魅力」
 ⑤delicately elegant
  「繊細で上品な雰囲気」

 また,世阿弥が「風姿花伝」で表した「はんなり」は
  ・・・・・・
 ひする花を知ること 秘すれば花なり
 秘せずは花なる べからず となり
 この分け目を知ること 肝要の花なり
 そもそも一切の事 諸道芸において その家々に秘事ひじと申すは 秘するによりて大用たいようあるがゆゑなり
 しかれば 秘事といふことをあらはせば させることにてもなきものなり
 これを「させることにてもなし」と言ふ人は
 いまだ秘事といふことの大用を知らぬがゆゑなり
 まづ この花の口く伝でんにおきても ただめづらしきが花ぞと皆知るならば
 「さてはめづらしきことあるべし」と思ひまうけたらん見物けんぶつ衆しゅうの前にては
 見る人のため花ぞとも知らでこそ 為手しての花にはなるべけれ
 たとひめづらしきことをするとも 見手の心にめづらしき感はあるべからず
 されば 見る人は ただ思ひのほかにおもしろき上手とばかり見て これは花ぞとも知らぬが 為手の花なり
 さるほどに 人の心に思ひも寄らぬ感を催す手だて これ花なり。
  ・・
 秘密にする(ことによって生まれる)花を知ること 秘密にするから「花」であり
 秘密にしないならば「花」でありえない ということである
 (花になるかどうかという)この分け目を知ることが 「花」についての大切なところである
 そもそも全ての事 さまざまな芸道において そのそれぞれの家に秘事と申し上げるものは (それを)秘密にすることによって大きな効用があるからである
 だから 秘事ということを明らかにすると たいしたことでもないものである
 これを「大したことでもない。」と言う人は
 まだ秘事ということの大きな効用を知らないからである
 まず この「花」の口伝においても ただただ珍しいことが「花」なのだと みんなが知っているのであるならば
 「それでは珍しいことがあるだろう」と予期しているような観客たちの前では
 (演者が)たとえ珍しいことをしようとも 観客の心にめずらしいという感動はあるはずがない
 観客にとって「花」なのだと知らないでこそ 演者の「花」になるはずである
 だから 観客は ただ意外に面白い上手な演者とだけ見て これは「花」なのだとも知らないのが 演者の花なのである
 そういうことだから 人の心に予期していない感動を起こさせる方法 これが花なのである
   「風姿花伝」 第七 別紙口伝 六
  ・・・・・・

 この「花」という言葉の裏にひそむのは,現在使われている「上品でしっとり」という意味とはまったくの別物で,「派手」「けばけばしい」「上品さを欠いた華やかさ」 という否定的な意味を含むもの,ということで,当時の語感では, 派手すぎる,目立ちすぎる,風情がない,粗雑で洗練を欠くといったニュアンスが強いものといいます。要するに,世阿弥の美学である「幽玄」は,従来の意味の「花」ではなく,秘めた花になれ,ということです。
 だから,「花なり」ではなく,「秘めた花なり」。それが,現在では「秘めた」が消え「花なり」だけが残って,これが「はんなり」という京都で「上品・優雅」の意味に転じたのは,多くの京都語の特徴で,否定語を婉曲に柔らかく言い換える文化の中で語感が変化したと考えられているといいます。
 世阿弥が表した「花なり」の意味だと,英語に訳すなら
 ① gaudy
  「けばけばしい,下品に派手」
 ②flashy
  「やたら目立つ」
 ③showy
  「見た目だけ派手」
 ④vulgar in its showiness
  「派手さが下品」
 ⑤lacking refined elegance
  「洗練を欠く」
 このような,奥の深い文化,はんなりとした文化,インバウンドの方々には到底理解できますまい。

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◇◇◇


◇◇◇
Cold Moon 2026.

2026年2月2日の早朝に写した満月です。
ちょうど新幹線が通りました。
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【Summary】
The episode explores Kyoto’s “rooji,” narrow alleys filled with lived memory and linguistic elegance, compared with Nagoya’s “kansho.” It reflects on heritage, language, and place, while questioning the burden of succession in traditional families and the tension between inherited paths and personal freedom.

######
 第4回は「路地(ろおじ)の記憶」。
  ・・・・・・
 老舗呉服屋の当主・伊月誉太夫から,洛と柊子は,かつて室町がいかに栄えており,今でも日本の着物文化の中心地であると熱弁を振るわれる。
 ゴリゴリの京都人ぶりにややげんなりした洛だったが、鶴子からは誉太夫の意外な裏話を聞く。
 三八子曰く,老舗に生まれた人間は「跡を継ぎたくない病」にかかるらしい。洛は実母の実家のある西陣を訪ね光治と出会う。
  ・・・・・・

 ところで,今回の題名にある「ろおじ」。この読み方は京ことばの特徴のひとつで,古い日本語の音の名残をとどめているものです。「ろーじ」と伸ばして発音することで,やわらかく上品な響きになる…,これは京都の人たちが大切にしてきた「ことばの美意識」の表れとでもいいますか。
 また,京都の「ろおじ」は,ただの細い道ではなく,町家と町家の間を縫うように続く暮らしの記憶が染み込んだ空間として,特別な響きを持たせて「ろおじ」とよぶことで,その文化的な重みや情緒を大切にしているという意味を込めます。
 私が子供のころに住んでいたところでは「間所」(かんしょ)といいました。「間所」といういい方は,家と家の間にある細い通路や空間を指していて,生活の動線や近所同士のつながりの場でもあっという意味では,京都の「ろおじ」と同じです。ともに,表通りから奥の町家へと続く細道を指し,そこに住む人たちの暮らしや気配がにじみ出ていることばです。これらは,町割りや町家の構造と深く結びついていて,通り抜けできる「通り庭」や「うなぎの寝床」的な家のつくりからきています。
 「かんしょ」は,名古屋やその周辺の古い町並みで使われていた地域語で,まさに,名古屋版の「ろおじ」です。名古屋の下町や旧市街も,家と家の間にある細い通路や裏へ抜ける小道のことを「かんしょ」とよび,そこは子どもたちの遊び場だったり,近所の人が顔を合わせる場所だったり,生活のにおいが詰まった空間でした。京都の「ろおじ」が町家の奥へと続く静かな通路なら,名古屋の「かんしょ」はもう少しざっくばらんで,人情味あふれる暮らしの舞台だったという違いがことばからもうかがえます。また,ともに,人と人とのつながりが生まれる場所ということが共通しています。
 洛は実母の実家のある西陣を訪ねるのですが,その場所が,まさに,「ろおじ」に中にあるというのが,この先のドラマの展開の伏線となっているのでしょうか。

  ・・・・・・
 老舗に生まれた人間は「跡を継ぎたくない病」にかかるらしい。
  ・・・・・・
 というのは,京都の老舗に限ることではありません。このような話はいくらでもあります。そして,その多くは,そうした紆余曲折を経て,やはり,元のさやに納まる,というのが,私が多く見てきたことです。私はひねくれているから,こうしたことは,結局は,挫折の産物だとも思ったりします。
 そういえば,音楽家の人たちの名前に,「響」「音」「弓」「奏」「調」…といったものが見られますが,これもまた,いかにも,という感じです。生まれながらに,そんなプレッシャーのある名前にしなくても…。実力があるのならいいのですが,そうでなければちょっと気の毒に思ったりします。
 かくいう私は,自分の将来について,そうした期待も義務も圧力も何もなく,何になるのも自由だったのですが,このことこそが,もっとも幸せなことだったと今でも思っています。

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【Summary】
The episode explores “Rakuchu and Rakugai” as both geographical and cultural boundaries in Kyoto. Through Sartre’s idea of “freedom as a sentence,” it contrasts human freedom with Kyoto people’s social constraints, suggesting that their apparent unfreedom also nurtures a unique beauty, pride, and delicate sense of identity.

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 2026年1月18日の放送された「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」第3回は「洛中洛外」でした。
  ・・・・・・
 洛(みやこ)は東雲教授の研究会で「京都の中の京都,洛中とはどこか?」という議論に巻き込まれる。 京都LOVEな柊子が勉強の成果を述べる一方で,プライド高き京都人・伊月は,老舗呉服屋の跡取り息子ならではの持論を展開し,皆をあきれさせる。果たして伊月の父とはどんな人物か!? 
  ・・・・・・
 この物語の主人公の名前の漢字でもある「洛」は,唐の都・洛陽に発することばで,京都の雅なよび名となっています。そこで,洛中というのは,洛の中部,つまりは平安京の内側,あるいは,御所を中心とした市街地を指していて,東は鴨川,西は西ノ京,南は九条,北は北大路あたりまでを含みます。一方,洛外は,文字通りその外側の地域を指します。洛内は生活圏であるのに対して,洛外には寺社や別荘が多く自然と調和した風景が広がっています。
 物理的な分類はそんな感じですが,それが文化的な価値観や美意識の違いをも表していることから,たとえば,洛中はしきたりや格式を重んじ,洛外は自然との共生や自由な発想が息づくところとされる,といった意にまでつながり,話は複雑になっていきます。

  ・・・・・・
 人間は自由の刑に処せられている。
 人間は生まれたときから何者かを定められているのではなく,自らを選択し自分を作り上げていく自由とそれに伴う責任を持っている。
   ジョン・ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)
  ・・・・・・
 今回のテーマは,かなり難しいものでした。
 このことばは,サルトルの「実存は本質に先立つ」(l’existence précède l’essence) という命題で,人間は最初から「こうであるべきだ」として生まれるのではなく,まず存在し,その後の選択と行為によって,自分が何者であるかを形づくっていくという意味です。人生はすべて自分の選択の結果だ,というのです。
 しかし,どうしてそれが「刑」なのか?
 自由はすばらしいものですが,それは同時に重荷を背負っていることになります。自由であれば,自分の生き方はすべて自分の責任ということになり,それなら,人間は逃げ場のない自由を背負わされていることになる,というのです。だから,人は,生き方・価値観・職業・愛し方・逃げるか立ち向かうかなど,無数の場面で自由に選択できれば,その積み重ねこそが「その人自身」だ,というのがサルトルの人間観となります。
 ならば,反対に,「京都人は不自由な刑に処せられている」とは?。
 京都という土地に生きる人々が,ある種の「しきたり」や「空気」に縛られて生きているということは,不自由の中にいるということになって,それもまた「刑」だというわけです。たとえば,京都では「直接的に言わない」「察する」「表と裏を使いわける」というような独特のコミュニケーション文化があり,それが,自由に振る舞うことを難しくし,「不自由な刑」に処されているかのように感じるということになるわけです。自由であることも不自由であることも,ともに生きにくいわけです。

 ということで,「自由に生きられない京都人」の哀しみや美学が今回のテーマ。しかし,このドラマは,そういう「不自由さ」の中にこそ,京都らしい美意識や誇りが宿っている,といいたかったのか?
 ああ,めんどくさい。

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【Summary】
In February 2024,I traveled around Lake Biwa and discovered Makino’s metasequoia avenue, featured in the drama Grace’s History. Written by Takashi Minamoto, the drama portrays poetic journeys through Japan and reflects on Kyoto identity, emphasizing subtle expression, tradition, and a quiet, lingering emotional atmosphere.

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 2024年2月27日から2月28日まで1泊2日で琵琶湖1周の旅をしました。そのとき,奥琵琶湖のマキノというところにある民宿に泊まりました。シーズンオフの奥琵琶湖は,天気がよかったこともあって最高でした。そこで知ったのがメタセコイアの並木道でしたが,この道は,2022年に放送された「グレースの履歴」というドラマのオープニングに出てくるところでした。
  ・・・・・・
 「グレース」という愛車に乗って成田に向かった妻。そして、南仏で彼女を襲ったバス転落事故。遺品として残された妻の愛車のカーナビには,夫に内緒で日本各地を訪れていた旅の履歴が残されていた! 
 妻の不貞を疑った夫・希久夫はその謎を解くため,カーナビの履歴をたどる旅に出る。
 藤沢,松本,近江八幡,尾道,松山…。
 美しい日本の原風景を名車でたどる希久夫の前に,次々と現れるかけがいのない人々との出会い。妻が遺した疑惑のカーナビ履歴。果たしてそれは妻の夫に対する裏切りだったのか,それとも…。
  ・・・・・・
というのがドラマの紹介ですが,このドラマの脚本を書いたのが,「京都人の密かな愉しみ」の脚本を手掛ける源孝志さんです。
  ・・・・・・
 映像作家・演出家・脚本家として知られる源孝志さんのドラマは,独自の世界観を描きます。
 テレビ朝日のディレクターとしてキャリアをスタートして,その後フリーになり,映画やテレビドラマ,ドキュメンタリーなど幅広く手がけています。代表作は「京都人の密かな愉しみ」シリーズのほかに,「東京タワー 〜オカンとボクと,時々,オトン〜」の演出や「プラトニック」なども手がけていて,どれもこころに染みるような作品です。
  ・・・・・・
 源孝志さんのドラマは,どこか詩的で静かな余韻がこころに残ります。映像も美しく,時間がゆっくり流れている感じがします。まさに,人生を長く生きてきたおとなの雰囲気がします。

 さて,「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」。第1回「十一面観音」に続く第2回「牙城」では
  ・・・・・・
 老舗の和菓子屋を継いでみないか,と父に提案されたパリ育ちの洛(みやこ)は,三八子の実家に転がり込み,鶴子と同居しはじめる。大学院では柊子と友人になり,教授の東雲の研究会に入り,「京都人とは何者か」というテーマと向き合うことに。柊子とお茶をしていると現れたのはパリにいるはずの三八子。夫の提案は洛には荷が重すぎると思った三八子は…。
  ・・・・・・
 「京都人とは何者か」。Copilotのアクアちゃんに聞いてみると
  ・・・・・・
 京都人は「京都独特の美意識や言葉遣い,距離感のある人間関係の築き方などを体現している人を指す」ことが多いということですが,京都人もいろいろ。みんながみんな「いけず」なわけではなく,気配り上手で奥ゆかしい人が多い…らしい。
① 遠回しな表現
 「よう言わはるわぁ」のようにやんわりと批判する。
②伝統を重んじる
 季節の移ろいや年中行事を大切にする。
②内と外の意識
 長く住んでいても「よそさん」と見なされるほど地域のつながりが深い。
  ・・・・・・
ということですが,はたしてこのドラマではどう描かれるのでしょうか。そしてまた,洛はどう思う?

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【Summary】
“Kyoto People’s Secret Pleasures: Rouge – Inheritance” revives the series with a fictional, dreamlike narrative set between Kyoto and Paris. While aware of its distance from reality and the passage of time, the reviewer welcomes its beautiful imagery and romantic tone, finding it a comforting and hopeful return to Kyoto’s allure.

######
 2015年1月から2017年5月まで「京都人の密かな愉しみ」の第1シリーズが放送されました。最後は,主人公の常盤貴子さんが演じる沢藤三八子が,不倫をしてパリに旅立ち,密かな愉しみというのはこういうことだったのか,というオチで終了しました。
 これで終わりにしておけばいいものを,だれが引っ張り出してきたものか,アイデアが枯渇してしまったのか…。ともあれ,その続編となる第3シリーズ「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」が2026年1月4日から放送されることになりました。
 その第1話は題して「十一面観音」
  ・・・・・・
 長い伝統を誇る京都の和菓子屋の若女将(わかおかみ)だった沢藤三八子は、三上驍(すぐる)との恋を実らせ結婚しパリで暮らしていた。仕事のため一時帰国した驍は,三八子の母・鶴子が重い病気にかかっていることを知り,店の継承はどうなるのか? との思いに駆られる。先妻との間の娘・洛(みやこ)はパリ育ちの大学院生。留学を希望する洛に驍は,とある大胆な提案をする。
  ・・・・・・
 というのがストーリーですが,この続編は,番組の題名にある「継承」どおり,果たして,第1シリーズの遺伝子を引き継いだすてきな番組になったのでしょうか?

 かくいう私は,第1シリーズが放送されていたころは京都に恋をしていたので,とても楽しく見ていたのですが,その後,京都は豹変し,というか,京都にインバウンドが押し寄せ,その結果,京都のよさがなくなってしまい,私も失望して,唯一,インバウンドの去った2020年のコロナ禍以外には京都には足を運ばなくなっていました。それが,2025年,京都市交響楽団の定期会員になったことで,再び,京都に足を運ぶようになったことで,京都熱が再燃しているので,私的には,放送するにはいい時期です。
 第1シリーズがドラマと現実のミックスでとてもすてきな番組だったのに,第2シリーズが現実中心だったのはがっかりしました。それに対して,今回の第3シリーズがドラマ仕立てなのは,私には好印象でした。「旅するフランス語」も終わってしまい,常盤貴子ロスだっただけに,常盤貴子さんが再び登場となれば,テンションも上がります。

 パリと京都を舞台にする,なんて,一見,何とエキゾチックなドラマのステージなんでしょう。「京都人の密かな愉しみ」だけでなく「旅するフランス語」の続編にもなります。この現実離れをした雰囲気を醸し出す想定こそが,このドラマの真骨頂。しかも,美しい映像に仕上げているから,まさに,夢物語のドラマとなっていて,これがすばらしい。
 が,現実は,ゴミだらけらしいパリとインバウンドだらけの京都。そう考えると,果たしてその実態は…と,人間をやりすぎ,実際の姿を見過ぎて冷めた目で見ているもうひとりの私がいます。そう無理せんでも,と。さらには,常盤貴子さんが母親役となっているのが,年月の重さを感じ,現実に引き戻させます。
 とはいえ,そんな私を再び夢見心地にしてくれるほどすてきなドラマです。娘役の若い主人公・洛を演じる穂志もえかさんもいいです。今後に期待。

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【Summary】
After lunch, I left Toei Uzumasa Eigamura and stopped at Nijo Castle on the way to Kitayama. Visiting during a quiet year-end period, I explored the usually crowded site’s three gardens and the rarely noticed exhibition hall displaying original Ninomaru Palace wall paintings.

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 昼食をとって,東映太秦映画村を出ました。
 京都コンサートホールのある北山へは,太秦天神川駅から地下鉄に乗れば着くので,まず,東映太秦映画村から太秦天神川駅まで歩いて,地下鉄に乗りましたが,まだ時間があったので,途中の二条城前駅で途中下車して,二条城に寄ることにしました。
 これまで,二条城も行ったことがあるのですが,先日「ブラタモリ」 を見ていたら,京都・二条城として-世界遺産&国宝二の丸御殿へ!-をやっていました。二条城といえば,大政奉還を行った二の丸御殿の大広間。そこは見た記憶があるのですが,庭園と天守閣跡は行っているはずなのに記憶がありませんでした。そもそも,私は,二条城は御殿だとばかり思っていたから,江戸時代には天守閣があったという認識がなかったのです。それで,行ってみたかったのでした。
 しかし,二条城はオーバーツールズムの代表のような場所で,インバウントだらけで激混みなので,これまで敬遠していました。ですが,時節柄,いまならそんなこともないだろう,今がチャンスと思いついたのです。実際,行ってみたら,やはり,目についたのは外国人観光客ばかりでしたが,それでも,とても空いていました。

 二条城は12月29日から12月31日は休城で入城できません。私が行ったのは12月27日でしたが,12月26日から12月28日と1月1日から1月3日は「年末年始公開」として庭園のみの公開で,二の丸御殿と本丸御殿は休止でした。私は,庭園が見たかったので,問題はありませんでした。
  ・・・・・
 二条城には3つの庭園があります。
 二の丸庭園は,小堀遠州が手がけたとされる池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)庭園です。池のまわりを歩きながら,石組みや松の美しさを楽しみます。将軍が大名と会う二の丸御殿のすぐそばにあって,格式高い雰囲気が漂います。
 本丸庭園は,明治時代に整備された庭園で,洋風の要素も混ざっています。
 清流園(せいりゅうえん) は昭和時代に作られた新しい庭園で,和風と洋風が融合したデザインです。茶室もあり,イベントやお茶会が開かれることもあります。
  ・・・・・・
 城の中にこれだけ立派な庭園が3つもあるというのが驚きです。天守閣跡に上がり,景色を堪能することもできました。

 最後に,二条城障壁画展示収蔵館に行きました。ここはこの時期も公開していました。
 二の丸御殿の障壁画は老朽化しているので,現在,模写したものが二の丸御殿にあって,本物は収蔵されています。これを展示するのが,この二条城障壁画展示収蔵館で,二の丸御殿障壁画を保存,公開するために,築城400年を記念して,2005年(平成17年)に開館したものです。
 二の丸御殿障壁画の実物を,通常,年4回,御殿の部屋ごと,あるいはテーマごとに選び,ガラス張りの展示エリアに移動して公開しています。また,エントランスホールには,錺金具や城内から発掘された埋蔵文化財等も展示されています。こんな貴重なものなのに,素通りする人が多く,特に,外国人はあまり興味がないようで,静かな館内で鑑賞することができました。

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Wolf Moon 2026.

1番目の写真は,2026年1月2日の夕方写した月齢13.3の月です。
1月の満月「ウルフムーン」は1月3日ですが,あまりに美しいので,前日に写しました。
1月2日の月は1月3日の月よりも地球からの距離が近く,約36万キロメートルです。
2番目の写真は,2026年1月3日の夕方,正真正銘の満月が昇ってきたばかりの姿です。
月の近くをFDAが通っていきました。
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【Summary】
After visiting Izumi Shikibu’s grave in Kameoka, I returned toward Kyoto, stopping in Uzumasa. Walking through Uzumasa Izumi Shikibu Town, linked by legend to the poet, I visited Toei Uzumasa Eigamura, a historic film theme park now undergoing major renewal, enjoying shows and tasting the distinctive “Mito Komon ramen.”

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 亀岡市稱名寺の和泉式部の墓へ行くことができました。さらに亀岡市の見どころをまわろうと思っていたのですが,亀岡市は京都市のベッドタウンとしての位置づけで,特に行ってみたいというところもなく,私の主観ですが,明智光秀は「敗軍の兵」となってしまいその後の町の歴史に明るさを感じない空気があって,京都市内に戻ることにしました。
 トロッコ嵯峨駅とトロッコ亀岡駅間は,保津川渓谷沿いの旧線跡を「嵯峨野トロッコ列車」が走っていて,私も,一度,紅葉の時期に乗ったことがあります。紅葉の時期だけの運行だと思っていたのですが,通年運行しているようで,亀岡駅に戻ったとき,隣接するトロッコ亀岡駅に乗客が列を作っているのを見かけました。
 そんな場所なので,行きに京都駅から亀岡駅に来るとき,風光明媚な景色を眺めていたのですが,花園駅から太秦(うずまさ)駅の間に東映太秦映画村があるのを見つけました。亀岡駅から京都市内に戻るとき,これからどこへ行こうかな,と考えて,そのことを思い出しました。東映太秦映画村も以前行ったことがあるような気がするのですが,まったく記憶がないので,行ってみようと思いました。さらに,太秦といえば,太秦和泉式部町というのがあることも思い出したので,単なる町の名だけで何もないとは思ったけれど,和泉式部こだわりで,そこにも寄ってみることにしました。太秦映画村だけなら最寄り駅は太秦駅ですが,太秦和泉式部町を通るとなると,その次の花園駅なので,花園駅で降りて,太秦和泉式部町を通り,太秦映画村に行くことにしました。

 花園駅で降りて,線路沿いに歩いていくと,太秦和泉式部町らしきところに着きました。とはいえ,京都の町は,電柱に地名表示なるものがなく,よくわかりません。和泉式部町と地名のかかれたものがないものかと探しまわると,いろいろと見つかったので,写真に収めました。
  ・・・・・・
 この地は,かつては字和泉式部(あざいずみしきぶちょう)といいました。伝説によると,和泉式部は晩年この太秦のあたりで過ごしたともいわれています。
 また,13世紀,円覚がこの付近に法妙寺を開き,法妙寺の円覚上人の塔旧跡に槲(かしわ)の木があり,和泉式部の塚がその傍らにあったと「山州名跡志」に記されていますが,現在は,塚は失われてしまいました。
 1931年,字和泉式部より和泉式部町に町名が改められました。
 ちなみに,太秦とは,古代に渡来人の秦氏(はたうじ)が拠点を置いた場所でした。
  ・・・・・・

 東映太秦映画村は映画のテーマパークで,日本のテーマパークの先駆けともいわれます。
 1975年11月1日に開村した敷地2万9,000平方メートルの東映太秦映画村は,当時,ずいぶん話題になりました。
 今年はちょうど50周年を迎え,幾分老朽化しているのはやむを得ないとはいえ,さびれてはいませんでした。現在は,開業50周年を期して,リニューアル工事がはじまっていて,施設の半分は工事中でした。リニューアルは2028年完成予定で,全面刷新をして,従来の家族連れに加えて訪日外国人観光客によるインバウンド需要を見込み,日本の伝統文化を体験できるようにし,新たなオープンセットの建設,温浴施設の開業,新アトラクションの導入,京都の食を楽しめるフードエリアの開設,芝居小屋や町中のショーの刷新を行うそうです。
  ・・・・・・
 テレビの普及で斜陽となりつつあった映画。
 1965年に松竹京都撮影所が閉鎖するなど,1960年代に入り,日本映画界を取り巻く状況が厳しくなりました。広大な撮影所のスタジオやオープンセットは遊休施設と化し,映画村が合理化の大きな布石となりました。そこで,京都撮影所のオープンセットの維持を画し,映画のテーマパークとして具体的な建設計画がスタートしたのは1972年ごろでした。とりあえず1日だけやってみるということで実行すると観客が押し寄せる大盛況で,その結果,東映太秦映画村がオープンしたといいます。
 開村1年で目標の2倍以上の200万人を動員し,京都の観光名所になり,1990年ごろまでは年間動員230万人前後をキープしましたが,その後は漸減傾向となっているということです。 
  ・・・・・・

 あまり期待していなかったのですが,忍者ショーや映画村ツアーなど,けっこう楽しめました。
 お昼は「ラーメン喜らく」というレストランで「水戸黄門ラーメン」を食べました。
  ・・・・・・
 「水戸黄門ラーメン」は,水戸黄門とよばれる水戸藩2代藩主の徳川光圀が日本ではじめてラーメンを食べたという説にちなみ,当時のレシピを再現したご当地ラーメンで,蓮根を練り込んだ麺と火腿(ハム)だし,ニラ・ニンニク・ショウガ・ネギ・ラッキョウの五辛薬味が特徴です。
 明から来た儒学者・朱舜水(しゅしゅんすい)が水戸藩に滞在していたとき,中国風の麺料理を徳川光圀にふるまったという記録があり,これが「水戸黄門ラーメン」のルーツとされています。
  ・・・・・

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【Summary】
In December, I made four trips to Kyoto for Kyoto Symphony Orchestra events and used the mornings to visit nearby historical sites. These included ancient tombs in Asuka, sites linked to Izumi Shikibu, Kameoka’s Shomyo-ji Temple, and Nara temples, reflecting travel, history, and literary memory.

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 12月は,4度,京都市交響楽団関連で京都へ行きましたが,午前中は予定がなかったので,京都近郊へ出かけました。短い期間にさまざまなところに行き,すでに記憶がごごちゃごちゃになってしまいましたので,これまでにブログに書いたことも含めて,まず,ここにまとめます。
 1度目の12月13日は,奈良県の飛鳥地方にある牽牛子塚古墳,高松塚古墳,キトラ古墳,そして,橿原神宮へ行きました。2度目の12月23日は,伊丹市にある和泉式部の墓,恵解山(いげのやま)古墳へ行きました。ここまではすでに書きました。
 3度目の12月26日は,亀岡市の稱名寺(しょうみょうじ),そして,東映太秦映画村へ行きました。さらに,二条城にも寄りました。そして,4度目12月27日は,奈良県西の京の唐招提寺と薬師寺へ行きました。これらのことをこれから順に書いていきます。

 稱名寺の和泉式部の墓は,12月23日に伊丹市に行ったときこれで5か所目の和泉式部の墓と書きましたが,そのわずか3日後に6か所目の和泉式部の墓となるものでした。
 亀岡駅は京都駅からJR嵯峨野線で20分程度で到着します。
 ここで少しだけ余談です。
 このことはすでに書いたことがありますが,関西地方では,JRは嵯峨野線,琵琶湖線,京都線,奈良線,宝塚線などとよばれますが,これが地元の人でないとさっぱりわかりません。地元民でない私には,奈良線はそれでいのですが,琵琶湖線と京都線は東海道線の上りと下り,嵯峨野線は山陰線,宝塚線は福知山線と明記してもらわないと何が何だかわからず,とまどいます。
 閑話休題。
 さて,その嵯峨野線。観光シーズンだと,嵯峨野へ行く観光客でごった返していますが,この日はそんなこともなく,安心しました。というより,だからこそ,この時期に行こうと思ったわけです。
 ずいぶん前,亀岡駅には1度行ったことがあります。亀岡の地は,戦国時代末期に明智光秀が丹波亀山城と城下町を築いた場所ですが,現在は亀岡城と名を変えた丹波亀山城址へ行ってみようというのが理由でした。しかし,行ってみて驚きました。そして,がっかりしました。それは,亀岡城は観光地ではなく,「大本」(おほもと)という宗教団体の本部になっていたからです。

  ・・・・・・
 亀岡市は,明治時代の初めごろまでは丹波亀山藩でした。
 丹波亀山藩は親藩ですが,江戸時代の初期には岡部家,松平家と藩主が変わり,1649年以降は久世家が治めていました。明治時代の廃藩置県のあと,三重県にも亀山市があるということで混乱が生じ,亀岡市と改められたようです。
 丹波亀山城は,1873年(明治7年)の廃城令で石垣や建物の多くが取り壊されてしまいました。そして,明治時代の終わりごろ,出口なお という女性が神がかり的な啓示を受けて,亀岡で「大本」(おおもと)を創始しました。のちに娘婿の出口王仁三郎(おにさぶろう)が教団を発展させ,「大本」は亀岡城を霊的に重要な場所と見なしてその地に本部を構えました。
  ・・・・・・
 亀岡城の石垣や堀の一部は今も残り,外から眺めることはできますが,本丸跡が宗教施設に占められていて自由に入れないという声があり,歴史的な丹波亀山城址が一般公開されていないことに対し課題視する声があるそうです。なお,丹波亀山城址は大本神苑内にあって,神苑参観料を払えば,見学はできるようです。

 今回は,私が目的としたのは,丹波亀山城址ではなく,亀岡駅から歩いて15分ほどのところの稱名寺(しょうみょうじ)にあるという和泉式部の墓でした。目的地に向かって歩いていくと,城下町の面影がのこる静かな街並みの一角に稱名寺がありました。そして,山門を入った右側に,和泉式部の墓と伝えられる五輪塔がありました。
  ・・・・・・
 稱名寺は,浄土宗の寺院で山号は荒塚山(こうづかさん)。 創建は鎌倉時代末期(14世紀ごろ)とされます。稱名とは阿弥陀仏の名を称えること,つまり,念仏を唱えることを意味します。
 和泉式部の墓と伝えられる五輪塔ですが,一説によると,和泉式部は晩年に出家し亀岡の地で隠棲したと伝えられていて,稱名寺の近くに庵を結びそこで亡くなったという話が残っていることによります。稱名寺の墓は供養塔としての意味合いが強いものだそうです。
  ・・・・・・

 稱名寺に伝わる話では,和泉式部がこの地に隠棲していたとき亀山の風景や心の内を詠んだ歌があったとされているのですが,それがどの歌かはわからないようです。
 一説では次のものといわれます。
  ・・・・・・
 世の中をいとふまでこそかたからめ かたくもありけり人のなさけは
  ・・
 この世を捨てたいと思うほどに人の情けが身にしみる その情けがこんなにも重くつらいものとは
  ・・・・・・
 人の情けに傷つきこころが疲れ果てて出家を考えるほどになった和泉式部の愛と苦悩のはざまで揺れる心境を映し出している歌です。人の情けはただ優しいだけでなく,ときに重く苦しく逃れたくなるほどのものでもあると詠みます。

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【Summary】
On trips, I enjoy local meals at inns with sake, but on day trips to Kyoto meals can be costly and crowded, so I prefer simple cafés. My highlight is ekiben on the Shinkansen—this time I tried a self-heating matsutake sukiyaki bento using quicklime’s reaction with water, and it was delicious.

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 テレビの旅番組では,旅行先の食事が話題になります。旅の楽しみのひとつは食事です。
 私も,旅館に泊まるときは,なるべく1泊2食のところを選びます,そして,地酒を呑みながら夕食を味わうのを楽しみにしています。また,日本ならではの朝食が食べられるのも,もうひとつの楽しみです。
 とはいえ,そうした旅行でないときは,食事に苦労します。ガイドブックに載っているような食事処はどこも混雑しているし,値段の割に楽しくありません。そこで,私は,割り切って,そうしたときは,なるべく地元の人が行くような,安価で,混雑していないところに行くようにしています。つまり,食事にぜいたくさを求めないのです。とはいえ,地元の人が行くようなところは,お値打ちで,しかも,ゆっくりと食事を楽しむことできる場合もあります。
 私の自宅からは,京都は,日帰りできるので,宿泊することはほとんどありませんから,旅館探しをしたことはありません。また,日帰りをするので,ぜいたくな夕食をとるということもありません。
 しかし,困るのが昼食です。観光地京都は,物価が高いのです。カフェでコーヒーを頼んでも,安くて600円ほどもしますが,とはいえ,店はたいてい混雑していて,くつろげるものではありません。そこで,個人経営の単なる喫茶店などを探します。何か,京都で暮らす学生のような気持ちになれたりすることもあって,それなりに幸せを感じます。

 夕食は,新幹線の車内で食べる駅弁です。現在の楽しみは駅弁です。これがまたいい。近ごろは駅弁も色々と工夫が凝らされていて,季節ごとに新メニューのものが出たりするし,量もさまざまです。毎回,今日は何を選ぼうかと,わくわくします。
 そんなわけですが,今回は「あっちっち・松茸すき焼き栗ご飯」というものを見つけました。食欲の秋です。このお弁当は,側面に紐がついていて,これを引っ張ると,お弁当が熱くなるのです。まさに,あっちっちなわけです。加熱されるというお弁当があることは知っていましたが,体験するのははじめてでした。 
 弁当が加熱されるのは,次の原理です。
  ・・・・・・・
 発熱ユニットの中に生石灰(CaO)と水袋が入っていて,生石灰は水と反応すると消石灰(Ca(OH)₂)に変化し,そのときに大量の熱と蒸気を発生する,という化学反応を利用しています。つまり
  CaO+H₂O→Ca(OH)₂+熱
です。
 つまり,紐を引くと水袋が破れて水が生石灰に触れる⇒化学反応がスタートし,発生した蒸気が容器内を温め,下からの熱で中皿を加熱し, 側面からの蒸気で熱が対流し,蓋の内側で輻射熱が発生⇒弁当全体がふんわり温まる,というわけです。
  ・・・・・・
 約5分で食べごろの50度から60度になり,温かさは30分ほど持続するということです。
 この国の人は,いろいろなことを考えるものです。当然,とてもおいしくいただきました。

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【Summary】
After visiting the zoo and Heian Shrine Garden, I walked along the Takase River, stopped at Suya, and revisited Ryoma-related sites, deeply sensing the late-Edo history again.

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 この日の私は,午後1時30分までに北山の京都コンサートホールに行くことにしていたのですが,京都市動物園,平安神宮神苑とまわっても,まだ時間があったので,ここから,京都市地下鉄東西線の三条京阪駅までぶらぶらと街歩きを楽しむことにしました。このあたりを南北に流れるのが高瀬川です。高瀬川畔には,幕末維新の史跡が数多くあります。これまで何度も来ているのですが,何度来てもいいものです。
 ということですが,まず,酢屋(すや)に行ってみることにしました。以前,酢屋は,一度行ったことがあります。
  ・・・・・・
 酢屋は,京都・三条通にある1721年(享保6年)創業の材木商です。
 幕末,坂本龍馬が京都滞在中に身を寄せていた場所として知られていて,海援隊の京都本部にもなっていました。
 坂本龍馬が乙女姉やんに宛てた手紙にも「すやに宿申し候」と書かれています。
 現在,酢屋の2階が「ギャラリー龍馬」として公開されていて,坂本龍馬に関する資料が展示されています。
  ・・・・・・
 坂本龍馬が慶応3年6月24日づけで坂本乙女・おやべ宛に書かれた手紙には
  ・・・・・・
 今日もいそがしき故,薩州やしきへ参りかけ,朝六ツ時頃より此ふみしたゝめました。
 当時私ハ京都三条通河原町一丁下ル車道すやに宿申し候。
 清二郎ニ御頼の御書同人より受取拝見仕候。同人も兼而御申越ニてよろしき人物とてよろこび候所,色〻咄聞候所何もをもわくのなき人ニて,国家の御為命すてるにくろふハせぬ位なものニて,当時私ハ諸生五十人斗ハつれており候得ども,皆一稽古も出来き候ものニて,供ニ国家の咄しが出来候。
  ・・・・・・
とあります。

 酢屋でもらった地図を見ながら,この辺りを歩いてみました。
 その地図に書かれてあったのは,佐久間象山,大村益次郎遭難の碑,池田屋跡,坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地(近江屋跡),中岡慎太郎寓居跡,土佐藩邸跡,土佐稲荷神社,そして,ホテルオークラの入口付近にある桂小五郎像などでした。
 そのほとんどは,単に碑があるだけのものでしたが,池田屋跡のように,現在「旅籠茶屋・池田屋はなの舞」という居酒屋を営業しているところもあります。三条木屋町の池田屋は,1864年(元治元年)に新撰組が尊王攘夷派の志士たちを急襲した池田屋事件の舞台だったところです。このように,もともと知名度は高いので,その名前を利用した店を立ち上げるというのは,いい商売センスをしています。日本史の教科書が宣伝をしているようなものだからです。店はその歴史を利用して,店内には約8メートルの大階段を造り,当時の池田屋の構造を再現しているそうですし,店員さんも当時の衣装を着て,客を寄せていました。
 私は,これまで,この時代について,ずいぶん多くの文献を読んだこともあるし,大河ドラマを見たことがあるので,何度も来ているとはいえ,今回もまた,感慨深いものがありました。とはいえ,道行く人々のほとんどは,そんな碑をまったく気にかけることもなく,通り過ぎていくのでした。

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【Summary】
The Heian Shrine’s Shin’en garden, begun in 1895 and completed in stages through 1981, offers tranquil strolling paths. Highlights include the South Garden’s classical plants and poems, and the East Garden’s Taiheikaku bridge hall, relocated from the Imperial Palace in 1912, famed for its scenic views.

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 京都市動物園を出て,まだ時間があったので,平安神宮の神苑(しんえん)に行ってみることにしました。以前行ったことがあるのですが,遠い昔のことゆえ,ほとんど記憶にありません。
  ・・・・・・  
 平安神宮の神苑は,京都の復興と誇りをかけて造られた庭園です。1895年(明治28年),平安遷都1100年を迎え,平安神宮が創建され,同時に神苑の造営がはじまりました。神苑は社殿を囲むように配置され,最初に造られたのは西神苑(白虎池)と中神苑(蒼龍池)。その後,1916年(大正5年)までに東神苑(栖鳳池)が完成し,1981年(昭和56年)には南神苑(平安の苑)が整備されました。
  ・・・・・・

 ここもまた,人が少なく,のんびりと散策することができました。
 南神苑には,古典文学に登場する植物が植えられていました。私がまず見つけたのが
  ・・・・・・
 有馬山猪名(ゐな)の笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
  ・
 有馬山の近くにある猪名の笹原に生える笹の葉がそよそよと音をたてる。
 そうよそうですよ,どうしてあなたのことを忘れたりするものですか。
  ・・・・・・
という百人一首の歌が書かれた笹でした。
 女房三十六歌仙,百人一首の歌人として知られる大弐三位(だいにのさんみ)は紫式部の娘。藤原賢子,越後弁(えちごのべん)ともいいます。この歌は詞書「離れ離れ(かれがれ)なる男の「おぼつかなく」など言ひたりけるに詠める」として小倉百人一首の58番にあり,私が最も好きな歌のひとつです。これだけで,こころが温かくなりました。

 ゆっくりと歩いていくと,視界が開け,そこにあったのが,さまざまなところで紹介される東神苑の橋殿「泰平閣(たいへいかく)」で,ここが神苑のハイライトとなる景色でした。
 泰平閣は,栖鳳池(せいほういけ)を横断する形で架けられた屋根つきの橋殿で,別名を「楓殿(ふうでん)」ともいいます。1912年(大正元年)に京都御所から移築されたものです。
 回廊から,鶴島・亀島,尚美館,そして,借景の華頂山まで見渡せて,まるで仙境にいるように感じられると評されます。春には対岸の紅しだれ桜が水面に映り,ことばを失うほどの美しさとなります。

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【Summary】
On the morning of September 20, 2025, before the Kyoto Symphony concert, I visited Kyoto City Zoo. Opened in 1903, it’s Japan’s second-oldest zoo. Despite its compact city-center location, it houses 120+ species, including tigers, elephants, giraffes, and gorillas, with themed exhibits and creative viewing paths. After touring, I relaxed with a light meal at the zoo’s library café.

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 2025年9月20日,京都市交響楽団第704回定期演奏会を聴いた日の午前,やっと秋がやってきたとはいえ,まだ,古刹めぐりをするには時期が早いと思ったので,どこかいいところはないか,と考えて,京都市動物園に行くことにしました。これまで,京都まで観光に行って,動物園でもないだろうと,と行くことがありませんでした。ここもまた,盲点になっていました。
  ・・・・・・ 
 京都市動物園は1903年(明治36年)の開園で,1882年(明治15年)に開園した東京都恩賜上野動物園に次ぐ日本で2番目に古い動物園です。2015年にリニューアルされてからは「近くて楽しい動物園」をテーマに,より魅力的な施設になりました。
 トラやジャガーなどネコ科動物がいるもうじゅうワールド,ラオスから来たゾウたちが群れで暮らしているゾウの森,ニシゴリラの樹上生活を再現したゴリラのおうち~樹林のすみか~,ウサギやテンジクネズミなど小動物とふれあえるおとぎの国など,テーマごとに展示がされています。
  ・・・・・・

 京都に着いたのが午前7時30分ごろで,京都市動物園が開園する午前9時よりずいぶん早かったので,京都市地下鉄の烏丸線,烏丸御池駅で降りて,三条通を東にのんびり散策しました。
 道が碁盤の目のようになっている京都市の道の名前は,「丸竹夷」(まるたけえびす)というわらべ歌で覚えることができます。これは,京都の東西の通り名をリズミカルに並べた手まり歌として親しまれてきたものです。
  ・・・・・・
 まる たけ えびす に おし おいけ(丸・竹・夷・二・押・御池)
 あね さん ろっかく たこ にしき(姉・三・六角・蛸・錦)
 し あや ぶったか まつ まん ごじょう(四・綾・仏・高・松・万・五条)
 せきた ちゃらちゃら うおのたな(雪駄・魚棚)
 ろくじょう さんてつ とおりすぎ(六条・三哲)
 ひっちょうこえれば はちくじょう(七条・八・九条)
 じゅうじょうとうじでとどめさす(十条)
  ・・・・・・
 「あね さん ろっかく」は,姉小通,三条通,六角通のことです。
 これらの通りで,もともと,平安京の時代,三条通は当時,三条大路といい,何と幅30メートルもある立派な通りで,貴族の邸宅が並ぶ,都のメインストリートでした。
 しかし,時代が進むにつれて,都市の改造や住民の「住みこなし」が進み,通り沿いに建物が密集していきました。特に,明治以降は市電の開通や四条通の拡幅で,三条通の役割が少しずつ変わっていき,その結果,現在の三条通は,狭くても魅力的な通りになりました。レトロな建築や老舗が並んでいて,京都の風情を楽しむのにぴったりなのです。

 さて,こうして,街歩きを楽しみながら,矢田寺,本能寺と通って,京都市動物園に到着しました。
  ・・・・・・
 矢田寺は西山浄土宗の寺院で,山号は金剛山,本尊は地蔵菩薩です。通称「矢田地蔵」とよばれ,平安時代初期に奈良の矢田寺の別院として創建され,現在の場所に,1579年(天正7年)に移されました。
 矢田寺の特徴は「送り鐘」。死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘で,六道珍皇寺の「迎え鐘」と対をなす存在です。また,「代受苦地蔵」(だいじゅくじぞう)という苦しみを代わりに受けてくれるとされる地蔵が祀られています。さらに,恋愛成就のご利益があるとも言われています。
  ・・
 本能寺は法華宗本門流の大本山で「本能寺の変」で知られる寺院です。
 創建は1415年(応永22年)で,日隆上人が油小路高辻に「本応寺」として建立したのがはじまり。 1433年(永享5年)に六角大宮へ移転し「本能寺」と改称。1536年(天文5年)の「天文法華の乱」で焼失し,一時堺へ移転後,油小路六角で再興しました。
 1582年(天正10年),「本能寺の変」で織田信長が自害し寺も焼失。その後,豊臣秀吉の命で現在地に再建されたものです。
 信長公御廟所は織田信長の3男・織田信孝が建立した供養塔。本堂は,室町時代の様式を再現した総欅造の建物で,日蓮聖人像が祀られています。
  ・・・・・・
 京都市動物園は,平安神宮の近く,市街地のど真ん中,岡崎公園の中にあります。これまで,外から見ただけでしたが,狭い動物園だなあ,と思っていました。実際,広大というのははばかれましたが,敷地面積は約41,383平方メートルで,立体的な遊歩道でキリンやシマウマを上から観察できたり, 熱帯動物館には多様な環境を再現したりと工夫されていました。
 京都市動物園にいるのは,約120種以上の動物でした。
 アジアゾウやキリン,カバ, グレビーシマウマ,アメリカバク,ニシゴリラといった,子供がもっとも興味のある大型の動物もたくさんいました。
 園内を一周したのち,図書館カフェに行って,ゆったりと軽食を楽しみました。

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【Summary】
I value stress-free leisure, so I use the quiet Gifu-Hashima Station to reach Kyoto easily. On August 29, 2025, before a Kyoto Symphony concert, I visited the Kyoto Railway Museum, where I enjoyed the nostalgic trains, the spacious exhibits, and a pleasant lunch.

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 仕事ならともかく,楽しみですることはできるだけすべてが楽しくないと,というのが私の考えです。だから,例えば,行きたいコンサートがあっても,1日かけてチケットをとるとか,満員電車に揺られて,とかいうのはなるべく避けたいのです。つまり,家を出てから帰るまでが楽しくないと,と思っています。なかなか難しいことですが…。そういう意味でも,京都へ行って,京都市交響楽団の定期演奏会を聴くのはまったくストレスがなく,とてもすばらしい楽しみです。
 私は,かの有名な? 岐阜羽島駅から新幹線に乗って京都駅へ行くのですが,この岐阜羽島駅というのが,閑散としていて快適なのです。岐阜羽島駅周辺には,1日300円というように,ずいぶん安価な駐車場がたくさんありますし,岐阜羽島駅から京都駅までは,よほどの繁忙期でないかぎり,自由席で大丈夫です。では,繁忙期がどうなのかは,私はその時期には利用しないので知りません。
 京都駅からは地下鉄の烏丸線に乗って北山駅で降りれば,雨でもそこから濡れずに京都コンサートホールへ行くことができます。チケットは,定期会員なので,毎回,争って買う必要もありません。
 帰りもまた,同様に快適です。北山駅から京都駅までの地下鉄烏丸線は座れたりもします。そして,京都駅に着いたら駅弁を買って,新幹線の自由席車両に乗ります。岐阜羽島駅と京都駅間は,「ひかり」でも「こだま」でもわずか35分ほどなので,駅弁を味わうにもちょうどいい時間なのです。

 2025年8月29日は,いつものように京都市交響楽団の第703回定期演奏会に出かけたのですが,演奏会前の午前中,どこに行こうかと考えました。暑くて,外を出歩く気にはなりません。そこで思いついたのが,梅小路公園にある京都鉄道博物館でした。京都駅からはJR嵯峨野線に乗って,次の梅小路京都西駅で降りればすぐです。
 という次第で,暑い夏に出かけた博物館めぐり。今日はその第3弾となります。
 開館時間の午前10時より少し前に着いたのですが,夏休み最後の土曜日ということもあるのでしょうが,すでに大勢の人が並んでいました。しかし,入館券はネットで購入してあったので,すぐに入ることができました。館内は広く,多くの人来ていてもまったく苦にはなりませんでした。
 これまで,京都には数えきれないほど行っているのですが,京都鉄道博物館ははじめてでした。盲点になっていました。とはいえ,これまでに,大宮市の鉄道博物館や,名古屋市のリニア・鉄道館には行ったことがあります。私は,特段,鉄道ファンでないので,思い入れはないのですが,それでも,たびたび鉄道にはお世話になるので,それなりの知識はあります。特に,このごろは,日本各地を旅することが多くなったので,知識が増しました。

 京都鉄道博物館は,思った以上に楽しいところでした。また,若い人には憧れだろうと思われるSLや0系新幹線,また,583系寝台特急などが展示されていました。
 私は,子供のころは,まだ,SLが走っていましたし,実際に乗ったことがあります。SLが牽いた客車は,トンネルに入ると,窓を閉めないと,とんでもないことになりました。また,0系新幹線も何度も利用しました。というより,まだ,東海道新幹線がなかったころ,当時私が住んでいた家から,東海道新幹線を建設している様子が見えました。さらに,真冬の津軽海峡を,船酔いに苦しみながら,函館から青森まで青函連絡船に乗って,青森駅から「ゆうづる」という名の583系寝台特急で上野駅まで帰ったこともあります。このように,私のような年寄りには,懐かしい列車がたくさんあって,感激しました。それらの列車に加えて,この時期は,特別出演の機関車トーマスもいました。
 こうした博物館のいいところは,館内に気の利いたレストランがあることです。ここでもまた,おいしくお昼を食べることができました。思った以上に楽しめる博物館でした。

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【Summary】
30 years ago, I was devoted to Kyoto and visited every temple and shrine, but later avoided it due to inbound crowds. During the pandemic I returned and rediscovered its charm. Now I revisit hidden spots and the calm Kitayama area, realizing Kyoto is still worth cherishing.

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 私が京都に夢中だったのは,今から30年ほど前のことでした。そのころは,日本には京都以上に魅力的なところがあるのだろうか。京都が最高,とさえ思っていて,時間があれば,京都へ行きました。そして,ガイドブックに載っている寺社仏閣はすべて制覇しました。
 私の家からは,京都で1泊するよりも,通ったほうが安かったので,宿泊することはありませんでした。本当に,古きよき時代でした。ですが,京都の大学,いや,京都大学に通っていた友人たちにいわせると,50年ほど前の京都はもっとよかった,ということです。詩仙堂なんて,観光客は皆無だったそうです。
 その後,京都はインバウンドだらけになってしまい,足が遠のきました。
 そんなころにコロナ禍が襲いました。
 京都からインバウンドが消えました。密どころか,京都には観光客がほとんどいなくなってしまったのだから,これほど安全なところはありませんでした。私は,こんなことは二度とない,千載一遇のチャンス到来,と思ったので,2020年は公共交通機関を使わず,車でせっせと京都に通いました。これがよかった。静寂の戻った京都はすばらしかった。

 そして,現在。
 京都にインバウンドが戻ってきて,私は,再び,足が遠のくことになりました。
 ですが,今年,京都市交響楽団の定期会員となったことで,月に1度ほどの割合で,また,京都に行くようになりました。「京都へ行く」そう言うと,私のまわりの人たちは,きまって「京都? インバウンドだらけでしょう。そんなところへどうして行くの?」と言います。
 しかし,京都に行くようになって,決して,京都はインバウンドだらではない,ということがわかってきました。インバウンドで激混み,そして,マナーのなっていない人たちが多いのは,東山や伏見や祇園,そして,嵐山といった限られたところだけだったのです。
 京都市交響楽団の定期演奏会の行われる京都コンサートホールのある北山は,今も落ち着いたところだったし,インバウンドもほとんど見かけません。そんなこんなで,京都はまだまだ捨てたものではない,ということを再発見しました。
 思えば,私が30年前に足しげく通った京都の寺社仏閣,そして,私の好きな京都はけっこうマニアックなところが多く,今でも,インバウンドどころか,日本の観光客,ましてや団体観光ツアー客の観光バスさえ皆無です。ということで,今は,30年前に戻って,再び,そうしたところを訪れてみようと楽しみにしているのです。
 投資と観光は,人と逆のことをするに限ります。


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【Summary】
On June 21, 2025, after visiting Shoryuji Castle and the Taiga Drama exhibition at NHK Kyoto, I went to the Kyoto Cultural Museum. Though small, the museum offered insightful exhibits on Kyoto's history and culture, and was a quiet, pleasant place with food and shops.

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 2025年6月21日。京都市交響楽団の定期演奏会を聴きに京都へ行ったので,その折に,前回書いた勝龍寺城跡へ行き,そのあと,ちょうどNHK京都放送局で大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」全国巡回展in京都が開催されていたので行ってみました。
 NHK京都放送局は,地下鉄烏丸線の烏丸御池駅で下車すればすぐの場所です。
 ちょうど開館の10時に到着したので,すぐに中に入ることができました。
 「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」全国巡回展では
  ・・・・・・
 ドラマ衣装,出演者サイン色紙,セリフが聴けるボタン,メイキング写真,PR映像(主演インタビューほか),ドラマメイキング写真展示,フォトスポット「九郎助稲荷」,浮世絵スタンプなどを展示しています。
  ・・・・・・
ということでした。

 NHK京都放送局の1階正面入口を入ったところが,会場である8Kプラザです。ここに「8Kスーパーハイビジョン」があることからこの名がついているようです。
 会場はそれほど広いものではなく,目玉展示は,小芝風花さんが収録で実際に着用した花魁の衣装くらいのものでした。 
 私はすでに,浅草の大河ドラマ館に行っているので,それに比べたらあまりに貧弱でしたが,無料だからこんなものでしょう。
 とはいえ,全国巡回展というふれこみなら,もう少し多くの展示があってもいいのに,と思いました。

 短時間で見終わったので,そのあと,近くにあった京都文化博物館に行ってみました。
 ここは,京都の歴史と文化の紹介を目的とし,平安建都1200年記念事業として創立されたもので,1988年(昭和63年)に開館しました。
 以前1度行ったことがあるのですが,その後,2011年(平成23年)に改修工事が行われ,かつて日本銀行京都支店だった別館の北側に鉄筋コンクリートの地上7階地下1階の建物が新たに建てられ,これが本館となったので,そこははじめてでした。
 本館の1階には,ミュージアムショップ,江戸時代末期の京の町家の町並みを再現したろうじ店舗があって,そこでは,京の伝統工芸品や名産品の店舗,食事処がありました。
 私は総合展示室を見ました。京都の歴史や文化を「京の歴史」「京のまつり」「京の至宝と文化」の3つのゾーンにわけて展示されていました。
 ここは空いていて食事もできるし,穴場でした。いいところを知りました。

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【Summary】
I visited Shoryuji Castle in Nagaokakyo, Kyoto. Known as a precursor of modern castles, it has ties to Hosokawa Garasha and Akechi Mitsuhide. The surrounding area, including the historic Saigoku Kaido, retains a charming, quiet atmosphere rich in history.

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 私は城マニアではなく,歴史が好きというだけなのですが,勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)といいうのは,名前だけは司馬遼太郎の「国盗り物語」で知っていたけれど,どこにあるのは知りませんでした。今回,それが,京都府長岡京市勝竜寺にあったと知って,ならばと行ってみることにしました。

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 勝龍寺城は,南北朝時代から江戸時代初期にかけての日本の城で,安土城に先行する「瓦・石垣・天守」を備えた近世城郭の原点として評価されています。小畑川と犬川の合流地点に位置し,西国街道と久我畷が交差する交通上の要衝で,京都では山崎城につぐ防衛拠点でした。
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 1339年(延元4年/暦応2年),京都をうかがう南朝方に対抗するため,北朝方の細川頼春が築いた城といわれてきましたが,それは歴史的な根拠がなく,1457年(康正3年)に山城守護・畠山義就が郡代役所として築城したと推定されています。
 更に,応仁の乱の1470年(応仁2年)には軍事施設して使用されていた記録があります。
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 戦国時代,勝龍寺城の主郭部分は東西120メートル,南北80メートルの長方形で,東,北側に幅12メートルの水堀がありました。また,東,西,北の三面には土塁があり,西側の土塁は高さ10メートル,幅5メートルと大規模なものでした。。
 1568年(永禄11年)の勝龍寺城の戦いで,織田信長は桂川を渡河し,三好三人衆の岩成友通が守る勝龍寺城を攻撃。上洛を果たしたのち,全軍に出陣を命じ,勝龍寺城を攻略しました。足利義昭が征夷大将軍に任じられた後,細川藤孝は勝竜寺城を与えられ,1581年(天正9年)まで統治しました。この間, 1578年(天正6年)に,細川藤孝の嫡男・細川忠興と明智光秀の娘お玉(=ガラシャ)が勝龍寺城で結婚式を挙げ,ここで新婚時代を過ごしました。
 1581年(天正9年),細川藤孝は丹後に入封し,代わって村井貞勝の与力として矢部家定,猪子高就の両名が城主となり,翌年の本能寺の変で明智光秀が占拠し拠点としました。明智光秀の援軍要請を断った細川藤孝は剃髪し,家督を細川忠興に譲って居城を田辺城に移し,明智家縁戚のガラシャを幽閉しました。
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 豊臣秀吉の時代以降,勝龍寺城は重要視されず,一旦荒廃されましたが,江戸時代の1633年(寛永10年),永井直清が山城長岡藩へ封ぜられた際に修築が行われたのですが,1649年(慶安2年)に永井直清が摂津高槻藩に転封されると完全に廃城となりました。
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 ということでした。

 京都駅からJR東海道線下りの普通列車に乗って約10分ほどで長岡京駅に着きました。長岡京は平城京から平安京に遷都されるわずか10年間,都がおかれた場所ですが,大極殿のあった場所は,長岡京市ではなく向日市にあって,現在は史跡公園となっているそうです。
 長岡京市で降りた私は,東口から出て,線路伝いに南南西に歩いていくと,ほどなくして,神足神社(こうたりじんじゃ)があって,そのすぐ南に勝竜寺城の土塁・空堀が残されていて,神足公園として整備されていました。ここにはかついて神足城があったそうです。
  そこからすぐに勝竜寺城跡にある史跡公園に到着しました。
 この場所は,1992年(平成4年)に勝竜寺城公園として整備され,模擬櫓などが建造されました。往時の遺構としては,北門に当時の石垣の一部が残ります。2019年(令和元年)には展示室や園内看板などが新装され,勝龍寺城にゆかりの細川藤孝,嫡男・細川忠興とガラシャ夫妻,明智光秀に焦点を当てたパネル展示や映像のほか,瓦や一石五輪塔などの出土遺物を展示し,「瓦・石垣・天主」を備えた近世城郭の原点として紹介されていました。
 訪れる人も少なく,なかなかいいところでした。

 帰りは,来た道ではなく,線路沿いに西側を歩き,長岡京駅の西口をめざしました。そこで知ったのは,西側の線路沿いにあった道は,かつて西国街道のあったところで,現在はきれいに整備されていたということです。そして,長岡京駅もまた,西口のほうがずっと栄えていました。
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 西国街道は,京都市の東寺口を起点とし,久世橋から大山崎を経て西宮で山陽道と合流していました。大坂を経由せずに西国と行き来できる脇街道ということで,広く西国諸大名の参勤交代に利用されていたそうです。
 そして,長岡京市は,西国街道に沿って形成された町で,江戸時代はじめに2万石の禄高でこの地に封じられた永井直清により,山城長岡藩の陣屋町として造られました。宿場町ではなかったものの,西国街道沿いには商家や旅籠屋が立ち並んでいたようです。
 JR長岡京駅西口の再開発によって,街道筋には往時をしのばせる町家が残され,通りには町並み景観に配慮して石畳舗装が施されています。
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 こうして歩いてみると,いわゆる観光地でないところには,知らないいいところが実にたくさんあります。
 先日歩いた枚方市,高槻市などとともに,京都市と大阪市の間には,独特ないい雰囲気の町が多くあります。この日はあまりに暑く,長い時間歩く気になりませんでしたが,涼しくなったころ,機会があれば,また,来てみたいものです。インバウンドとは無縁ですし,歴史好きにはたまらないところです。

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【Sumaary】
I became interested in Izumi Shikibu after seeing Rika Izumi portray her in the 2024 NHK Taiga drama Hikaru Kimi e. Known as a passionate poet, her love affairs and poems are legendary. I visited her grave in Kizugawa and Seishin-in Temple in Kyoto, and hope to explore other sites linked to her.

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 和泉式部といえば,百人一首の
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 あらざらむこの世のほかの思ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな
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 私はもうすぐこの世を去るでしょう その思い出としてせめてもう一度あなたに会いたいものです
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がよく知られていますが,それ以外のことはまったく知りませんでした。
 2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」で泉里香さんが演じた和泉式部があまりに魅力的だったので,和泉式部に興味をもちました。「光る君へ」で和泉式部は「あかね」という名で登場し,紫式部と同じく中宮彰子に仕える女房のひとりとして描かれました。

 和泉式部は恋多き歌人として知られ,ドラマの中でもその奔放な恋愛模様が取り上げられました。特に,冷泉天皇の第三皇子・為尊親王(ためたかしんのう)やその弟の敦道親王との恋愛関係がドラマの中で描かれたり,彼女の情熱的な性格が際立つ場面が演じられました。
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 平安時代中期の歌人・和泉式部は「和泉式部日記」の作者としても知られます。「和泉式部日記」は,1008年(寛弘5年)敦道親王が亡くなった後の喪に服している1年間の間に記されたものと考えられています。内容は1003年(長保5年)4月から1004年(寛弘元年)1月までの出来事を綴ったもので,敦道親王との恋愛を中心に,和歌のやり取りや心情の変化が描かれています。
 また,平安時代末期に藤原範兼が「後六々撰」で選んだ,三十六歌仙に選ばれなかった優れた歌人やそれ以降の時代の歌人を含めた中古三十六歌仙や,鎌倉時代中期に成立した「女房三十六人歌合」に選ばれた女性歌人である女房三十六歌仙のひとりとしても名を残しています。
 和泉式部は978年(天元元年)ごろに,越前守・大江雅致(おおえのまさむね)を父に平保衡(たいらのやすひさ)の娘を母に生まれました。橘道貞(たちばなのみちさだ)と結婚し,百人一首にある「大江山いく野の道の遠ければ まだふみもみず天の橋立」で有名な小式部内侍をもうけましたが,結婚生活は長く続きませんでした。一条天皇の中宮・藤原彰子に仕え,藤原保昌(ふじわらのやすまさ)と再婚し,晩年は丹後国へ移ったといわれます。
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 日本各地に歌碑が点在し,貴船神社の結社には
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  ものおもへば沢の蛍もわが身より あくがれいづる魂かとぞみる
  ・・
 物思いにふけっていると沢を飛び交う蛍の光も自分の身から離れさまよい出た魂のように見える
  ・・・・・・
 また,京都市中京区の誠心院には
  ・・・・・・
 霞たつ春きにけりとこの花を 見るにぞ鳥の声も待たるる
  ・・
 春が訪れ霞が立ちはじめた この花を眺めていると鳥のさえずりが待ち遠しく感じられる
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があります。

 2025年5月17日,雨の日。
 木津川市に和泉式部の墓があると知って,京都駅からJR奈良線に乗って木津川駅で降り,そこから歩いていってみました。わかりにくい場所でしたが,和泉式部が晩年を過ごしたとされる場所に小さな墓がさびしそうにありました。
 このとき,和泉式部の墓は,それ以外にも全国各地にあると知りました。そのひとつが,先に書いた歌碑のある誠心院ということなので,木津川市に行った帰りに寄ってみました。誠心院の境内に,和泉式部の墓とされる宝篋印塔がありました。
 それ以外には,岐阜県可児郡御嵩町に廟所があるそうです。そこは,和泉式部が旅の途中で病に倒れ,鬼岩温泉で湯治したものの亡くなったと伝えられているという場所で,そこにも
  ・・・・・・
 ひとりさえ渡れば沈むうき橋に あとなる人はしばしとどまれ
  ・・
 ひとりで渡れば沈んでしまう浮き橋のように 私が去った後に残る人はしばらくここに留まってください
  ・・・・・・
という歌碑があるということなので,そのうちに行ってみようと思っています。
 さらにまた,伊丹市,岩手県北上市,長野県諏訪市の温泉寺,山口県山陽小野田市にも和泉式部の墓と伝わるところがあるそうです。それ以外にも存在するかもしれません。
 恋多き女性は墓も多いのかな。この謎多きところが今も魅力的に感じられるのでしょうか。

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【Summary】
On May 16, 2025, I walked from Ōta Shrine to Kamigamo Shrine, one of Kyoto’s oldest, founded in 678. The shrine enshrines Kamo Wakeikazuchi, born from a myth involving a sacred arrow. Nearby Katayama Mikojinja, dedicated to his mother Tamayori-hime, is known for blessings of love and childbirth. Murasaki Shikibu once prayed there for love and wrote a poem expressing her devotion, willing to wait in the dew for her beloved’s voice.

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 京都はどこも観光客で混雑しているように思われますが,少し外れるとそうでもありません。今回私が歩いた妙満寺から圓通寺,大田神社までは静寂につつまれていました。しかし,大田神社から上賀茂神社へ向けて歩いていくと一変し,多くの観光客がいました。
 上賀茂神社は678年(天武天皇の時代)創建の京都最古の神社のひとつです。上賀茂神社は正式には賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)といいます。賀茂別雷神社は日本に複数存在する神社の名称です。
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 賀茂別雷は,賀茂玉依姫(かもたまよりひめ)が賀茂川で遊んでいた際に川上から流れてきた朱塗りの矢を拾ったことがきっかけで誕生したと伝えられています。
 彼女がその矢を持ち帰ると神の子を身籠り,やがて生まれたのが賀茂別雷です。
 成長した賀茂別雷は,祖父の賀茂建角身(かもたけつぬみ)から「お前の父にもこの酒を飲ませてあげなさい」と言われると「我は天津神なり」と叫び,盃を天に投げそのまま雷鳴とともに天へ昇ったとされています。
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 私が訪れたのは2025年5月16日でしたが,その前日,5月15日には,恒例の葵祭が行われ,上賀茂神社はその中心的な神社でした。葵祭では,時代行列が加茂街道を通り,上賀茂神社へ向かいます。この祭りでは約500名の行列が華やかな衣装をまとい,馬や牛車とともに進む様子が見られるということですが,私は見たことがありません。
 上賀茂神社の傍らに,片山御子神社(かたやまみこじんじゃ)がありました。
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 片山御子神社は,上賀茂神社の境内にある摂社で,片岡社(かたおかしゃ)」ともよばれます。
 祭神は賀茂玉依姫で, 縁結び,子授け,安産のご利益があるとされています。
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 私が片山御子神社に興味をもったのは,紫式部が恋の成就を願って参拝し,片岡社を題材にした和歌を詠んだことからでした。
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 ほととぎす声まつほどは片岡の もりのしずくに立ちやぬれまし
    新古今和歌集・巻第三 夏歌
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 ほととぎす(想い人)の声を待つ間 片岡の森のしずくに立って濡れることになるのでしょうか
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 この歌が,上賀茂の歴史的な背景と自然の美しさを融合して,片山御子神社をさらに魅力的な場所としています。

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【Summary】
While walking from Entsuji Temple to Kamigamo Shrine, I revisited Ota Shrine, a place I fondly remember from 30 years ago. Famous for its irises, the shrine's Ota Marsh was in full bloom with deep violet flowers. The quiet beauty of the irises, once praised by poet Fujiwara no Shunzei, brought a deep sense of happiness.

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 圓通寺から上賀茂神社に向かう途中にあるのが大田神社です。ここもまた,30年ほど前に京都を歩いていたときに行くことができた場所です。そのころは,今とは違って,京都のことはほとんど知らなかったので,こんな場所があるんだ,と感激したことがあります。私には思い出深い場所です。
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 大田神社は,京都市北区にある歴史ある神社です。上賀茂神社の摂社で,賀茂地域における最古の神社のひとつとされています。祭神は天鈿女(あめのうずめ)で,芸能上達や延命長寿のご利益があるとされています。
 創建年代は不詳ですが,賀茂県主族(かものあがたぬしぞく)が移住する以前から存在していたと考えられています。上賀茂神社,下鴨神社の祭祀を司る家系として知られる賀茂県主族の祖先は神武天皇の東征を導いたとされる賀茂建角身(かもたけつ)で,山城を治めた氏族のひとつとして葛城氏や秦氏と深い関係をもっていました。
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 大田神社で有名なのは,神社の入口にある大田ノ沢のカキツバタ群生です。ひょっとしたら,今,カキツバタの咲き誇る季節なのでは? と気づいたので,寄ってみることにしました。30年前に来たときも,ちょうどこの時期でした。実際,5月中旬に濃紫色のカキツバタが沢一面に咲き誇るとありました。
 着いてみると,どうでしょう! 実際,カキツバタが満開の時期でした。
 平安時代,歌人・藤原俊成は,大田の沢のカキツバタについて次のように詠みました。
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 神山や大田の沢のかきつばた 深き頼みぞ色にみゆらむ
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 神山や大田の沢に咲くかきつばたの深い紫の色には私の切なる願いが映し出されているように見える
  ・・・・・・
 この歌で,カキツバタはただ美しい花として詠まれているだけでなく,深い思いや願いを象徴するものとして表現されていると解釈されています。「深き頼み」とあるのは,強く願うことや信じる気持ちが込められているのでしょう。
 カキツバタのひかえめな美しい色は,それを見ている人を幸せな気持ちにします。いい季節です。

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【Summary】
Entsu-ji Temple in Kyoto, once an imperial villa, features a dry landscape garden with Mt. Hiei as borrowed scenery. Quiet and less visited, it contrasts with the welcoming Myoman-ji. The serene garden view, now photographable, offers a precious experience. Preserving the scenery remains a challenge.

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 妙満寺を出て,しばらく歩くと圓通寺(えんつうじ)に至ります。このあたり,30年ほど前に行ったことがあるのですが,どうやってたどり着いたのか全く覚えがありません。最寄りの交通機関から歩くには結構な距離がありますし,車で行った記憶もありません。
 よほどの京都通でなければ,ここまでは来ません。そこで,人も少なく,妙満寺も圓通寺も味わい深い古寺です。落ち着いた町ですてきなところです。

 歓迎ムードがただよう妙満寺に比べて,何となくですが,圓通寺は人を寄せつけない雰囲気があります。それは,圓通寺の見ものは比叡山を借景とする枯山水庭園ですが,30年前に来たときは,庭園の写真さえ撮影禁止だったように記憶しているからです。そのときは,せっかくの美しい景色なのに,と思いました。また,入り口で拝観料を徴収するところ以外に,まったく人影を感じないのです。
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 圓通寺は京都市左京区岩倉幡枝町にある臨済宗妙心寺派の寺院です。
 元々は後水尾天皇が造営した幡枝離宮(はたえだりきゅう)で,112代霊元天皇の乳母であった文英尼(ぶんえいに)を譲りうけ,圓通寺を創建,禅寺となりました。御幸御殿は東福門院御所から移築されたものです。
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 圓通寺の枯山水庭園は、後水尾天皇が造営した幡枝離宮の庭をそのまま受け継いでいて,平面的に構成され,直線的な生垣と奥に広がる比叡山の稜線が対比を生み出しています。庭園には約40の石が配されています。ほかに誰もおらず,しばらくの間,庭園を眺めながら,静寂の時間を楽しんでいました。
 すると,圓通寺についての案内放送がかかりました。それが実際に話しているのか,はたまた,録音なのか判断できかねるようなものでしたが,その内容は,圓通寺についてのとても詳しいものでした。何でも,景観の維持にはずいぶん苦労があるということでした。庭園と比叡山の間に高層マンションが1棟でも間に建設されたら,この庭は台なしになってしまうのです。
 これからもこの借景が維持されるのを願いました。
 すばらしい時間を過ごすことができました。また,今回,庭園の写真撮影はできました。

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【Summary】
Over 30 years ago, I often visited Kyoto, especially Rakuhoku, for its tranquility. Recently, I revisited Myomanji Temple in Iwakura, known for the tragic bell of Anchin and Kiyohime and the “Snow Garden,” a serene dry landscape garden harmonizing with snowy Mt. Hiei.

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 今から30年ほど前,京都に夢中になっていた私は,ガイドブックに載っている神社仏閣は皆行ってみようと,1年中,暑かろうと寒かろうと,月に何度も,足しげく京都に通いました。京都は,現在とは違い,インバウンドもほとんどおらず,観光客も少なく,どこも落ち着いた雰囲気でした。
 その中でも,今もとりわけいい思い出として残っているのが洛北です。洛北は,今もなお,訪れる人も少なく,かろうじて,静寂に包まれた京都が残っているところでもあります。
 今回,地下鉄の国際会館駅からバスに乗り換えて京都産業大学を訪れた帰り,妙満寺というバス停があったので,昔を思い出して降りてみました。
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 妙満寺は,京都市左京区岩倉幡枝町にある歴史ある日蓮宗の寺院です。
 1389年(元中6年(南朝)/嘉慶3年(北朝))に日什(にちじゅう)によって創建されました。日什は南北朝時代の僧で,顕本法華宗の開祖です。彼は1314年(正和3年)に現在の会津若松市で生まれ,比叡山で天台宗を学びましたが,後に日蓮宗に改宗,さらに,日什門流を確立,この門流は後に顕本法華宗とし,関白や足利義満などの公家・武家に対しても説きました。晩年は会津に戻り,1392年(明徳3年)に亡くなりました。
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 妙満寺で有名なものは,「安珍・清姫の鐘」と枯山水庭園「雪の庭」です。
 「安珍・清姫の鐘」は,紀州道成寺の伝説に由来する霊鐘で,安珍と清姫の悲劇的な物語と深く結びついて,長唄や歌舞伎などの芸能にも取り入れられています。
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 白河の僧・安珍が熊野詣の途中で紀伊の真砂地区に住む庄司清重の家に宿を借ります。庄司清重の娘・清姫は美しい安珍に一目惚れし,結婚を迫ります。しかし,安珍は「帰りにまた立ち寄る」と約束して去ってしまいますが,約束を果たすことはありませんでした。
 清姫は怒り狂い,怒りのあまり蛇の姿に変わり,安珍を追い続けました。安珍は道成寺に逃げ込み,鐘の中に隠れますが,清姫は鐘に巻き付き炎を吐いて鐘ごと安珍を焼き殺してしまい,清姫もまた,川に身を投げて命を絶ちました。
 鐘は1359年(正平14年)に道成寺で再鋳されたのですが,供養の際に白拍子が舞を披露した後に突然落下し,白拍子が清姫の化身である蛇に変わり日高川へと消えたと伝えられています。その後,鐘は清姫の怨念を恐れられて山林に捨てられたものの,16世紀後半の天正年間に仙石権兵衛がこの鐘を掘り起こし,京都へ持ち帰り、妙満寺に納めました。妙満寺の貫首・日殷(にちいん)が供養を行い怨念を解いたことで,美しい音色を取り戻したとされています。
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 枯山水庭園「雪の庭」は,俳諧の祖とされる松永貞徳が造営した枯山水庭園です。
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 「雪の庭」は,清水寺の「月の庭」,北野天満宮の「花の庭」とともに「雪月花の三庭苑」として称されています。また,「雪の庭」という名前の由来は,比叡山の冠雪を借景としていることにあります。
 冬になると,庭から見える比叡山が雪化粧をし,その美しい景色が庭の趣と調和することから,この名にふさわしいものとなります。また,1629年(寛永6年)に,妙満寺で「雪の会」という俳諧の興行が催され,俳諧が連歌から独立した文芸として認められる契機となりました。
 もともと,妙満寺は,妙満寺は四条堀川にありましたが,豊臣秀吉の都市整備で,1583年(天正11年)に寺町二条へ移転しました。その後,約400年間その地にありましたが,都市化の影響を受けて1968年(昭和43年)に現在の岩倉へ移転しました。この際,「雪の庭」も石組みをそのままに移築され,比叡山を借景とした「庭屋一如」の世界観が再現されています。
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 私以外に観光客もおらず,静寂につつまれて,すばらしい時間を過ごすことができました。

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【Summary】
I visited Kamiyama Astronomical Observatory at Kyoto Sangyo University, which opened in 2010 and features a 1.3-meter reflecting telescope. The ongoing special exhibition highlights the history of Japanese reflecting telescopes and pioneers like Kaname Nakamura and Nishimura Seisakusho. It traces how domestic telescope technology developed and honors the passion of early astronomers and engineers. For long-time astronomy fans like me, these figures are legendary, though often mysterious. With traditional astronomy becoming outdated due to AI, such exhibitions provide historical value and nostalgic enjoyment. I look forward to next year’s planned exhibit on Kansai Optical Instruments.

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 京都産業大学に神山天文台があります。神山天文台は2010年に開設されました。京都産業大学の創設者・初代総長は荒木俊馬博士は1897年に生まれ,1978年に亡くなった天文学者で,神山天文台は,京都産業大学の創設者である荒木俊馬博士が天文学・宇宙物理学者であったことに由来します。
 大学の開学当初から宇宙物理学と天文学の教育・研究に力を入れてきた背景があって,その新たなシンボルとして2010年に開設されたのがこの天文台です。
 天文台には,口径1.3メートルの反射式望遠鏡があって,最先端の研究・観測が行われています。 また、神山天文台は一般向けの公開活動にも力を入れていて,天体観望会や講演会,天文学講座などを開催しているということです。 
 現在,神山天文台の本館で,企画展「西村製作所と中村要~反射望遠鏡にかけた夢~」が開催されているということを知って,奈良国立博物館で「超国宝展」をみてから,京都に引き返し,見学してきました。

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 反射式望遠鏡の歴史を遡ってみると,アマチュア天文家たちの「夢」が垣間見えてきました。 20世紀初頭,アメリカやイギリスで鏡を使った反射望遠鏡が作られていく中,ガラス鏡の反射望遠鏡製造技術を日本に持ち帰った山崎正光,その技術を日本に広めた中村要,そして,中村要と協働し日本ではじめてガラス鏡の反射望遠鏡を製作・販売することになる京都の理化学機器メーカーである西村製作所。
 この企画展では,2026年に100周年を迎える反射式望遠鏡の歴史を取り上げ,どのようにして国産の反射望遠鏡が作られたのか,人と人との繋がりや当時の技術者たちの天文学や望遠鏡に対する情熱が形になるまでの軌跡を紹介します。
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ということでした。
 このブログにもたびたび書いてきましたが,「月刊天文ガイド」の創刊当時からの天文愛好者には,好奇心を満たすのに十分なものでした。

 今の若い人はともかく,私の年代では,この企画展でとりあげられていた人物や反射望遠鏡はレジェンドであり,また,実態が謎でした。それは,創刊当時の「月刊天文ガイド」が「子供の科学」という少年雑誌の延長線上にあって,京都大学御用達の西村製作所の広告もなく,そうした天文学の専門家とは一線を画していたからだったのです。そして,そういった高度な知識集団に憧れてもいました。
 しかし,現在は,AI技術の発達で,従来のような天文学は,それがどれほどのものであったとしても,すでに時代遅れとなりつつあります。天文を趣味にしている人たちも,もはや,高価な光学望遠鏡とカメラを購入して写真を撮ったり,新天体を発見するということは絶滅危惧種です。また,研究という面からも,完全に考古学的なものとなってしまいました。
 そこで,従来の栄光に包まれた天文学の歴史や資料が失われる前に,こうして調べてまとめられ,企画展を行なっていることに大きな意義があると思いました。私個人は,単なる懐古趣味として,こういう歴史を知ることがとても楽しいのです。
 来年は,関西光学についての企画展が計画されているということです。
 現在も存在する西村製作所とは違い,関西光学はすでになく,その実態は,私には完全な謎。それを解き明かしてくれるであろう来年の企画展が開催されることが,今からとても楽しみです。

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【Summary】
Before attending the Kyoto High School Orchestra’s regular concert, I explored Midorogaike, Kyoto Prefectural Botanical Garden, and Kyoto Prefectural Ceramic Painting Garden. Midorogaike was serene, with floating islands and an ancient ecosystem. The botanical garden was vibrant with tulips. At the painting garden, I enjoyed famous artworks outdoors, embracing a quieter side of Kyoto.

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 2025年4月19日,京都市高校楽団の定期演奏会を聴くために岐阜羽島駅から新幹線に乗って京都駅に降り立ちました。岐阜羽島駅はいつも閑散としているのですが,この日の朝はすごい人でした。大阪で行われているという万国博覧会に行く人ではないか,と駅員さんは言っていました。
 私は,1970年に大阪で行われたときの万国博覧会は何度も行きましたが,今はまったく興味がありません。高度経済期の遺物である万国博覧会もオリンピックも,今となっては税金の無駄遣い。万国博覧会もオリンピックも税金を使うからいろいろと批判されれるわけで,やりたい人から1口10万円とかでお金を集めて,そういう人だけで好き勝手にやって,儲かったら投資した人に分配すればいいのに,と私は思っています。
 混雑していたとはいえ,自由席には座れて,あっという間に京都駅に着きました。
 定期演奏会は午後1時30分開場ということだったので,それまで時間があったのですが,この日は特にどこかに行くという予定もなく,なんとなく時間をつぶすことにしていました。まずは様子見で,ともかく地下鉄烏丸線に乗って,定期演奏会の行われる京都コンサートホールに行ってみることにしました。であるのに,降りる駅を間違えて,北大路駅で降りてしまいました。北山駅で降りなければならなかったのですが,まあ,1駅歩くだけのことです。

 この辺りに何かないか? と思って調べてみると,近くに,深泥池,そして,京都府立植物園があることがわかりました。そこで,まずは深泥池(みぞろがいけ)です。どうして深泥池? 私は,30年ほど前京都に凝っていて,毎週のように出かけて,ガイドブックに載っている京都の見どころをもれなく回ったことがありました。でも,見落としていたのが深泥池で,ずっと気になっていたのを思い出しました。賀茂川沿いを歩いて,向かいました。
 ここで余談です。
 この川,江戸時代は「加茂川」でした。そして,1896年(明治29年)に行政文書では「鴨川」で統一されました。しかし,一般には,高野川の合流点以北を「賀茂川」,以南を「鴨川」と使いわけられています。
 閑話休題。
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 深泥池の中央には,珍しい浮島があり,冬には沈み,夏には浮かび上がるという不思議な現象が見られます。また,深泥池は約14万年前の氷河期から存在しているとされ,現在も氷河期の動植物が生息している貴重な場所です。
 深泥池には心霊スポットとしての一面があって,タクシー運転手と女性客の怪談話などが伝えられ,神秘的な雰囲気を持つ場所としても知られています。
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ということで,やっと深泥池を見ることができました。
 今どきの京都といえば,どこもインバウンドだらけで,げんなりするのですが,こういう場所は観光客もおらず,なかなかのものです。私が凝っていたころの静かだった京都を思い出しました。

 次に行ったのが,京都コンサートホールの隣にあった京都府立植物園でした。ここはこれまでにも行ったことがありますが,時間つぶしにはもってこいのところでした。
 名古屋市の東山動植物園は名古屋市民だけに敬老料金があるのですが,ここはそういう排他主義ではなく,よそ者にも敬老料金がありました。中に入ると,咲き誇ったチューリップが出迎えてくれました。
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 京都府立植物園は1924年に開園した日本最古の公立植物園です。広大な敷地には約12,000種類の植物が栽培されていて,絶滅危惧植物の保全にも力を入れています。
 また,日本最大級の温室では,熱帯・亜熱帯の植物を楽しめます。
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 広大な敷地で,たっぷり時間をとって,楽しむことができたのはよかったのですが,それにしても暑い日でした。

 最後に,京都府立植物園の隣にあった京都府立陶板名画の庭に行ってみました,
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 京都府立陶板名画の庭は1994年に作られた世界ではじめての屋外絵画庭園で,建築家・安藤忠雄さんが設計したユニークな美術空間です。
 名画を陶板に転写し,屋外で鑑賞できるようにした施設で,風や光,水のきらめきとともにアートを楽しめます。
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というところで,ミケランジェロの「最後の審判」はほぼ実物大のもので,そのほかに,モネの「睡蓮・朝」,レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」,スーラの「ラ・グランド・ジャット島の日曜日の午後」, ゴッホの「糸杉と星の道」, 鳥羽僧正の「鳥獣人物戯画」, 張澤端の「清明上河図」, ルノアールの「テラスにて」がありました。
 ほとんどの人は通り過ぎるだけで中に入りません。それだけの魅力がないのでしょう。ならば,別の入口にせず,京都府立植物園に併設してしまえばいいのに,と思いました。

 というように,何となくだらだらと休日の午前を過ごしたのですが,これもまた悪くないなあと思いました。さあ,いよいよ演奏会です。

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【Summary】
On November 26, 2024, after a night in Kyoto, I visited Murasaki Shikibu's grave, walked to the tombs of Emperor Sanjo and Emperor Ichijo, and took a bus to Seimei Shrine, revisiting it due to its connection with Hikaru Kimi e. Later, I saw the "maneki" signs raised for the annual Kabuki event at Minami-za, enjoyed sweets at Sasaya Shouen, and attended Seiichi Nakai’s Leica photography exhibition, Leica and Tetsutabi, at Leica Gallery Kyoto.

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 京都で1泊した翌2024年11月26日。
 この日は,まず,紫式部の墓までバスで行って,そこから,三条天皇陵,一条天皇陵とかなりの距離を歩いたのち,竜安寺のバス停から晴明神社の最寄りの堀川今出川までバスに乗りました。
 晴明神社は小さな神社で,これまでにも行ったことがあるのですがほとんど記憶になく,今回「光る君へ」で安部晴明が出てきたこともあり,これを機会に再び行ってみることにしたのでした。

●晴明神社
 一条戻橋のたもとにあった安部晴明の屋敷跡に鎮座する村社である晴明神社は,安倍晴明を主神とし,倉稲魂命(うかのみたま)を合祀します。
 1005年(寛弘2年)に安部晴明が亡くなると,一条天皇はその遺業を賛え,安部晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして,1007年(寛弘4年)屋敷跡に晴明を祀る神社を創建しました。当時は広大な境内でしたが,次第に縮小し,荒れたままの状態となりました。また,隣接して千利休の屋敷がありました。
 平成以降,映画化された夢枕獏の小説「陰陽師」のヒットで安倍晴明ブームが起こり有名となりました。2017年(平成29年)に二の鳥居の社号額が新調されました。また,一の鳥居の社号額には、五芒星の社紋が描かれています。

●一条戻橋
 一条戻橋は堀川に架けられている一条通の橋です。
 794年の平安京造営に際し,平安京の京域の最北・一条大路に堀川を渡る橋として架橋されました。平安中期以降,堀川右岸から右京にかけては衰退著しかったために,堀川を渡ること,即ち,戻橋を渡ることに特別の意味が生じ,伝承や風習が生まれました。歌舞伎に「戻橋」という演目があります。
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 1890年(明治23年),5世尾上菊五郎(鬼女)と初世市川左岡次(渡辺綱)により初演されましたた。
 渡辺綱は源頼光の使いの帰途,戻橋で美しい扇折の娘小百合に逢います。夜道のこととて同道しましたが,実際は愛宕山の悪鬼で,いろいろと渡辺綱を誘惑します。が,ついに正体を見破られ立廻りとなり,鬼は片腕を切られて逃げ去ります。
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 かつて,一条戻橋のそばに妓楼があり,一条戻橋で渡辺綱が鬼である美女と遭遇したという伝説に因んだ源氏名「綱」という遊女がいました。彼女の馴染客のひとりに与謝蕪村がいて「羽織着て綱も聞く夜や河ちどり」(川千鳥の哀切な鳴き声を娼妓「綱」も客の羽織を借り着して聞き耳をたてている)という艶冶な句を詠んでいます。
 現在の橋は1995年(平成7年)に架け直された情緒もたわいもないものですが,晴明神社にそれ以前の一条戻橋を実際の部材を使って再現したミニチュアがあります。

●京都南座
 四条通の南側に位置していることからその名がある南座は,日本最古からその場所にある劇場です。
 江戸時代初期,四条河原には幕府公認の芝居小屋が七座存在しましたが,火事で幾度も焼失したり,興行の中心が大坂に移ったため数を減らし,江戸時代中期には四条通りの南の芝居と北の芝居,大和大路の西の芝居の三座となりました。
 西の芝居は1794年(寛政6年)の大火後は再建されず,北の芝居は1892年(明治25年)四条通の拡張に伴い閉鎖されたので,南の芝居だけが残りました。
 1913年(大正2年)に大改築を行い,さらに,1929年(昭和4年)に建替えられました。
 1991年(平成3年)に改修工事が行われ,桃山風の外観を残しつつ最新設備を備えた劇場として新装開場,また,耐震補強と内装設備の更新を併せた「耐震補強大規模改修工事」が2018年(平成30年)に完了しました。
 出雲阿国が1603年(慶長8年)の春,京市中においてかぶき踊りを披露したことが歌舞伎の起源とされ,南座の前には「阿国歌舞伎発祥地」の石碑があります。
 毎年11月末日から12月末まで行われる吉例顔見世興行は京都の風物詩となっていて,このときに役者の名前を勘亭流で書いた「まねき」とよばれる白木の看板が劇場の入り口上にずらりと並べられますが,まさに,この日がまねき上げでした。

 その後,祇園の四条通にある「笹屋昌園・八坂祇園店」でスィーツを食べてから,祇園花見小路にあるライカギャラリー京都へ行って,中井精也の写真展 「ライカと、てつたび。」 を見ました。

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【Summary】
This account details a visit to various historical sites in Kyoto. Starting at Uji Mausoleum, I took the JR Nara Line to Tofukuji Station and explored Tofukuji Temple, a Zen temple known for its autumn foliage and historical significance. I then visited the nearby mausoleum of Empress Teishi and Imakumano Kannonji Temple, dedicated to Kannon and linked to Kukai’s legend. The journey ended at Sennyuji Temple, a prominent Shingon temple and imperial mausoleum with exquisite architecture, gardens, and artistic treasures like Kano Tanyu’s dragon paintings.

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 今回は,「光る君へ」の登場人物お墓巡りの間に訪れたいくつかの場所について書きます。
 2024年11月25日。
 宇治陵に行ってから再びJR木幡駅から奈良線に乗ってJR東福寺駅で降りました。私の目指したのは泉涌寺の近くにあるという一条天皇の皇后だった藤原定子の陵だったのですが,まずは東福寺を通りました。

●東福寺
 京都五山の第四位の禅寺東福寺は臨済宗東福寺派の大本山の寺院で,山号は慧日山(えにちさん),本尊は釈迦如来です。京都五山は,天竜寺,相国寺,建仁寺,東福寺,万寿寺です。なお,鎌倉五山は,建長寺,円覚寺,寿福寺,浄智寺,浄妙寺です。
 今なお25か寺の塔頭を有する大寺院で,かつては,雲居寺の大仏,方広寺の大仏に次ぐ高さを有する身の丈五丈の釈迦如来座像を有し,威容を誇っていました。
 紅葉の名所として有名で「東福寺の伽藍面」(がらんづら)とよばれます。
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 1236年(嘉禎2年)に九条道家が九条家の菩提寺として大寺院を建立することを発願し,奈良の東大寺と興福寺から1字ずつ取って「東福寺」としたのがはじまりです。
 1319年(元応元年)の大火災で伽藍と釈迦如来座像が全焼。以降,たびたび再建されましたが,1881年(明治14年)の失火で主要な建物は焼失してしまい,現在の本堂、方丈、庫裏などは明治以降の再建です。
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 臥雲橋(がうんきょう)から眺めた東福寺内の通天橋あたりの紅葉が有名な風景です。
 紅葉の時期はJR東福寺駅あたりからすでにすごい人混みなのですが,私が行ったときは,まだ紅葉には早く,予想以上に観光客がおらず,少し拍子抜けでした。  
 臥雲橋の少し手前を東に向かっていくと,観光客もほとんどいなくなり,静かな住宅街となります。そのあたりにあったのが藤原定子の陵ですが,それを過ぎると,今熊野観音寺に突き当たります。

●今熊野観音寺
 今熊野観音寺は真言宗泉涌寺派の寺院で,泉涌寺の塔頭,山号は新那智山,本尊は十一面観音です。
 唐で真言密教を学んで帰国した翌年の807年(大同2年)に東山から光が出ているのを見つけた空海が不思議に思って当地にやってきたところ,老人の姿をした熊野権現が天照大神御作の一寸八分の十一面観音菩薩像を手渡して,この地に一宇を建ててこの観音菩薩を祀り衆生を救済するようにと言いました。そこで,空海は自ら一尺八寸の十一面観音菩薩像を刻み,授かった一寸八分の像をその体内仏として中に納め,熊野権現のいうようにこの地に一宇を建てて奉安したのがはじまりであるとされます。
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 平安時代後期,熱心な熊野三山の信者であった後白河上皇がこの地一帯に目をつけ,新たに熊野権現を勧請し,「新那智山」の山号を授けて東山観音寺を観音寺に改め,山麓に新熊野神社を造営しました。現在の本堂は1712年(正徳2年)に建立されたものです。
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 今熊野観音寺はボケ封じの御利益があるということで,他人事ではなくなった私は,普段は信心がないのに,お守りを買いました。
 坂を下ると泉涌寺に出ました。私は,これまで泉涌寺には何度も来たことがありました。

●泉涌寺
 泉涌寺は真言宗泉涌寺派の総本山の寺院で,山号は東山(とうざん),本尊は釈迦如来,阿弥陀如来,弥勒如来の三世仏。皇室の菩提寺として御寺(みてら)とよばれています。
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 平安時代に弘法大師空海が草創したと伝わりますが,実質的な開山は鎌倉時代の月輪大師俊芿(がちりんだいししゅんじょう)で,霊泉が湧いたので寺号を泉涌寺としたといいます。東山の一峰である月輪山の麓に広がる寺域内には,鎌倉時代の後堀河天皇,四条天皇,および江戸時代の後水尾天皇から孝明天皇に至る天皇陵があります。
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 長い参道の先にある大門をくぐると左手に楊貴妃観音堂があり,正面には伽藍の中心をなす仏殿,舎利殿が建ち,これらの背後に霊明殿,御座所など皇室ゆかりの建築があり,その背後に月輪陵があります。
 仏殿は1668年(寛文8年)徳川家綱の援助で再建したもので,内部は禅寺風の土間とし,柱,窓,組物,天井構架等の建築様式も典型的な禅宗様です。本尊は過去・現在・来世を表す伝運慶作の釈迦如来,阿弥陀如来,弥勒如来の3体を安置し,天井の「雲龍図」,本尊背後の「飛天図」,裏壁の「白衣観音図」は狩野探幽の筆になります。
 また,舎利殿は,1600年ごろの慶長年間に京都御所の建物を移築・改装したもので,天井の「雲龍図」は狩野山雪筆で,「鳴龍」ともよばれ,手を叩くと響きます。現在公開中で見ることができました。
  本坊は1818年(文化15年)に建立されたもので,女官の間,門跡の間,皇族の間,侍従の間,勅使の間,玉座の間などがあります。また,御座所では美しい庭園を見ることができました。

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The 2024年12月8日は土星食でした。

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