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現在朝日新聞に連載している小説である池澤夏樹さんの「また会う日まで」。その372話には,次のようにありました。
一部引用してみます。
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「「パーマネントはやめませう」という標語があるでしょ」とヨ子が言った。話題を変えたいのかもしれない。
「国民精神総動員運動か。もう何年にもなる」
「でもやまないのよ。みんないろいろ抜け道を見つけて髪型を工夫しています。ドライヤーの電気がもったいないと言われると炭を持参してそれで鏝を暖めてもらうとか」
「敵性語だからというので電髪と言い換えたな」
「そんなことでは身を装いたいという女の思いは止められません。髪と言えば近頃は鈴蘭留めというのがはやっています。あの花の形に木で作ったもの。誰かがしていると他の誰かが見てそれどこで買ったのと聞いて買いに行く。洋子もお友だちからひとつ譲ってもらったと喜んでいました」
それを聞きながらわたしは考えた-
女たちの化粧や身繕い,着る物のことなど俗世間の些事にすぎないと男どもは思いたがる。しかしこれは軽佻浮薄ではなくもっと深い,生き物としての本能に発するものだ。すべての動物と同じ。雌は雄から選ばれなくてはいけない。そうしないと子を産めない。だから雄の側も胸に勲章など飾りたがる。
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「また会う日まで」は,戦前戦中に海軍水路部で海図の製作などを担った秋吉利雄が主人公です。秋吉利雄は池澤夏樹さんにとっては父方の祖母の兄にあたる実在の人物ということです。
作品を書くにあたって朝日新聞には次のように作者の言葉が載っていました。
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秋吉利雄を主人公にすると決めた理由は,三つの資質があるから。まず子どものころから敬虔なキリスト教徒。次に海軍軍人。そして天文学者でした。これらが、いかに彼の中で混じりあっていたか,あるいは戦いあっていたか。
親族から提供された手紙なども含め,膨大な資料があります。ファクトを尊重しながらその隙間を創作で埋める。いかに彼の内面を推察するかが工夫のしどころです。
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私は齢をとって根気がなくなり,小説が読めなくなってしまいました。そこで,新聞小説も熱心な読者ではなくなりました。しかし,この小説は,私の好きな天体観測の話が出てきたあたりから興味をもって読みはじめ,それがきっかけではじめに戻って読み直してみました。しかし,時に難しく,私の能力を超えてしまうのが残念です。
それでも,なんとなく,この作品を通して,池澤夏樹さんが何を書きたいのかがおぼろげながらわかってきました。そのひとつは,現実を直視するということの大切さです。そして,自分の信条に正直に生きること,それがいかに困難なことか,ということだと思います。
先日,池澤夏樹さんは,「「ウソにまみれた五輪」感動の消費で終わらないために」として,次のような内容の文章を朝日新聞に寄せました。
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最大のウソは,日本政府が「国民の命と安全を最優先する」と言い張り,五輪開催に伴う新型コロナ感染拡大のリスクを無視し、開催を強行したことです。
(中略)
相反する行動が求められることを,同時に実施してしまった。これが最大のウソです。
こうしたウソに対する疑問に,政府やIOCはまともに答えることをせず,ウソを広げ,「やった者勝ち」に持ち込んだ。マスコミも国民もみんな,なめられていたのです。
近年の日本政治の劣化は著しいですが、それが具体化して表れ出たのが東京五輪だったといえるでしょう。
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私は,ここに書かれた日本政治の劣化というのは,ものを言わない,ということが最大の問題だと思います。すべてなし崩しにしてしまう。そして,意見を言うまえに罵倒し,あるいは無視し,力づくで強硬することです。これこそが,コロナ禍以上の「民主主義の崩壊という緊急事態」なのです。奇しくも,政治はそのことを知ってか知らずか,「緊急事態宣言」が大好きです。そしてまた,絶対に非を認めないのも歴史を学べば容易にわかります。
現実を直視すれば,人それぞれそれ異なる意見が生まれます。そして,その異なる意見を言い合って,共通点を見つけ,解決するというのが,民主主義の基本です。それを否定してしまって,さらには自分の意に反する人を愛国心がないと決めつけていることこそが,この国の政治の一番の問題だと私は思います。
だから,したたかな庶民は,聞いたふりをして,しかし,実際はみんな自分たちが意見を出し合って決めたことではないから,だれもそんなものには従わずに勝手にふるまっている。そもそも,一国の首相を決めたのは国民の投票じゃないのに,その人物が独断で物事を決め,人の意見を聞く耳をもたない。
だから,庶民は「オリンピックやるんだからなにやっちゃってもいいじゃん」という感じでしょう。
これでは何も解決しません。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは