しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:「フィールド・オブ・ドリームズ」

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 2021年の8月も終わりです。私にとって最悪といっていい夏でした。海外旅行もできず,連日の悪天候でまったく星も見られず,とあっては,私の楽しみのほとんどが奪われて,夜明け前か日が暮れた後で散歩をするというのが唯一の楽しみとなってしまいました。救いといえば,これまでに,行きたかったところにはすべて行きつくしていたことと,欲しいものがないこと。そこで,何かをしたいという煩悩? がなかったことでしょう。
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 こうしたときに,穏やかに暮らすには,優れた音楽をはじめとする芸術に触れること,そして,これまでに経験した思い出から新たなときめきを得ることでしょう。これまでの経験からそうした楽しみが見出せるのはうれしいものです。
 そうした中でも,最もすばらしかったことのひとつが,先日「フィールド・オブ・ドリームズ」のロケ地で行われたMLBニューヨーク・ヤンキースとシカゴ・ホワイトソックスのゲームでした。ゲームが行われたことだけでもすごいことだったのに,そのゲームが劇的な結末となったのが,さらに感動を深くしました。まるで,ベースボールの神様が乗り移ったかのようでした。
 そうしたことが理由のひとつでしょうか,昨日,NHKBSPで映画「フィールド・オブ・ドリームズ」が再び放送されました。

 私はこれまで何度この映画を見たことでしょう。しかし,齢を重ねるにしたがって,この映画のもつ深さがしだいに理解できるようになってきました。そしてまた,これまでに出かけたアメリカのさまざなところが点から線となってくるのがわかりました。不思議なほど,私の経験のそれぞれにつながりがあったのです。
 よく見ていると,映画のセリフ,そのひとつひとつにも深い意味があるのですが,それがわかるには,ずいぶん多くの知識と経験が必要です。いかにアメリカ人にとってベースボールが大切な存在なのか,彼らがどういった教育を受け,どういった場所に住み,生活し,どういった経験を積んで来たのか,また,人生とは何かということをどう考えているのか,そういったことを知らないと,それらはまったく理解できないのです。
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 さすがに,今となっては1919年のホワイトソックスの八百長事件を知る人はいないでしょうが,この映画のもうひとつの軸である1960年代は,私の年代より少し上の人たちは経験しています。
 この映画の語っていることの深さはこの1960年代を知らない人にはわかりづらいかもしれません。私はそれを知るには数年遅いのですが,それでも,若いころ,その時代の空気は感じました。また,そうした1960年代とは真逆になってしまった現代こそ,もういちど,あのころを考えるよい契機であるかもしれません。
 そういった意味でも,この映画に感動できるかどうかは,まさしく,それを見た人の人生の長さや深さによるのでしょう。また,それを知らない若い人は,このような映画をきっかけにして,その時代のことを考えてみるといい機会だと思います。
 この映画によって,私の最悪の夏も,少しは救われました。

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 1998年というから今から23年前,友人とアメリカに行き,はじめてアメリカをドライブしました。行先は,シカゴとアトランタとフロリダでした。
 シカゴではレンタカーを借りて東に走り,シカゴのあるイリノイ州を越えて,アイオワ州に入りました。そこで,念願のミシシッピ川を見ました。
 目的地は州都のデモインでしたが,アイオワ州で偶然見つけたのが,映画「フィールド・オブ・ドリームズ」(Field of Dreams)を撮影した場所でした。しかし,この場所を訪れたときには,まだ,私はこの映画を知りませんでした。それが今では「フィールド・オブ・ドリームズ」は私の大好きな映画のひとつです。
 この映画は,その後の保守派政治で失われてしまったアメリカの1960年代のノスタルジーです。 「金はあるが心の平和がないのだ」。
 そして,この映画のもう一方の主題である「夢を自分に託そうとした父親との関係」では父と息子の葛藤を描いています。
 「夢は,あきらめなければいつかそれは実現する」それを象徴するのが「フィールド・オブ・ドリームズ」なのです。

 さて,2020年7月,アイオワ州ダイアーズビル(Dyersville)でMLBシカゴ・ホワイトソックス対ニューヨーク・ヤンキースのカードが組まれました。しかし,新型コロナ・ウィルスの感染の影響で残念ながら中止となりました。
 そして,その1年後の2021年8月12日,ついにそのゲームが開催されました。行われたこのゲームは公式戦です。
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 ダイアーズビルはアイオワ州北東部に位置していて,ダビューク市(Dubuque)の中心部から西へ約40キロメートルのところにあります。
 そう,ここは,トウモロコシ畑の中に野球場を作ったらある夜に選手たちが現れ野球をはじめるという,映画「フィールド・オブ・ドリームス」の撮影が行われた場所なのです。
 「フィールド・オブ・ドリームス」を撮影した野球場に隣接した場所に新たに建設されたボールパークで,ゲームは行われました。
 この新たに作られたボールパークは席数8,000,ライト側の外野の壁には窓が設けられ,奥には映画を象徴するトウモロコシ畑が見えるようになっていました。
 シューレス・ジョー・ジャクソン(Joseph "Shoeless Joe" Walker Jackson)が所属していたシカゴ・ホワイトソックスの本拠地コミスキー・パークを意識したデザインになっています。

 私は,20年以上も前に行ったこの場所がその後どうなっているのか気になっていました。
 日本だと,ブームが去ればそれで終わりです。その後は観光客も来なくなり,そのうちに経営に行き詰まり,荒れるに任せ,どこもかも廃墟となっていきます。何事も熱しやすく冷めやすい… のです。
 しかし,ここは廃墟どころか,新たにボールパークまで作られ,公式戦が開催されていたのです。そう考えると,こんな企画を考えるアメリカという国の人は大したものです。そしてまた,いつまでもこの地を愛しているアメリカ人というのは,本当にベースボールが好きなのだなあ,と思います。また行ってみたい!
 今回はこのゲームのみですが,このボールパークは解体せず,今後も何かしらの利用が検討されているということです。
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 They built it, and they’re coming.
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 ”Field of Dreams” comes alive in Iowa : They built it, and MLB came.
 The game between the New York Yankees and Chicago White Sox is the first Major League Baseball game in Iowa.
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 そして,このゲームは,劇的な結末となりました。

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ハワイのときも書きましたが,行きの機内は到着後の時差を考えると,夕食後は眠るに限ります(それでも時差ボケにはなりますが)。しかし,帰りはずっと起きて映画を楽しみます。きょうは,この旅の帰りの機内で楽しんだ映画について書いておくことにします。
飛行時間は9時間あまりなので,4本の映画が楽しめます。いつもは見たかったのに見ていないものをまず優先するのですが,今回は,これまでに何回も見たけれど,この旅の雰囲気にぴったりだった映画をまず楽しむことにしました。
こんなときはアメリカ映画の中でもアクションものではなくヒューマンドキュメントに限ります。

今回まず見たのは「フィールド・オブ・ドリームズ」(Field of Dreams)でした。
この1989年に公開された映画はこれまで何度も見ましたが,私のアメリカ体験が増えるにつれて,どう素晴らしいのかというのがとてもよくわかるようになってきました。この映画についてはすでにこのブログに詳しく書いたことがあります。
W・P・キンセラの小説「シューレス・ジョー」を原作にした,ベースボールを題材に60年代をキーワードとして夢や希望,家族の絆といったアメリカの美徳を描き上げたファンタジー映画です。
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次に見たのは「グッドウィルハンティング・旅立ち」(Good Will Hunting)でした。
1997年に公開されたこの映画も私の大好きなものです。内容は,天才的な頭脳を持ちながら幼い頃に負ったトラウマから逃れられない一人の青年と最愛の妻に先立たれ失意に喘ぐ心理学者との心の交流を描いたドラマです。
舞台はマサチューセッツ工科大学。
私はこの映画を初めて見たときに,主人公のウィルがハーバード大学の女学生スカイラーを追いかけてアメリカを東から西に走るラストシーンにあこがれました。今,私がこうしてあこがれたインターステイツを自分で走ることができるが夢のようです。
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そして,その次に見たのは「マネーボール」(Moneyball)でした。
この映画は見たいと思っていてその機会を逸していたものでした。2011年に公開されたもので,マイケル・ルイスによる「マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男」を原作としています。MLBオークランド・アスレチックスのゼネラルマネージャー・ビリー・ビーンが「セイバーメトリクス」を用いて経営危機に瀕した球団を再建する姿を描いたものです。
ビーンはクリーブランド・インディアンスのオフィスでイエール大学卒業のスタッフ・ピーター・ブランドに出会いました。彼は各種統計から選手を評価する「セイバーメトリクス」を用いて選手を評価していたのですが,その理論に興味を抱いたビーンは彼を自身の補佐として引き抜き,埋もれた戦力を発掘し低予算でチームを改革しようと試みる…という内容です。私は昨年のこの頃,オークランド・アスレチックスのゲームを見る機会があったので,それも含めてとても面白く見ることができました。
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最後に,到着までの時間が1時間くらいしかなかったので,「アポロ13」(Apollo 13)を途中から見ました。この1995年に公開された映画は,月着陸をめざしたアポロ13号の爆発事故の実話に基づく作品ですが,何度見ても,その緻密なしかも勇気のあるアメリカの巨大な宇宙開発システムには感動します。

この4本の映画はいずれも,アメリカ体験が増せば増すほどその内容の理解度が増して,ますますそのよさが理解できようになるものです。そして,こういう映画を見れば見るほど,日本のいろんなことが,本当にそれでいいのかいな? と,これもまた,そういう認識がどんどんと増してくるものです。
いつも上から目線で世界のリーダー面しながら,その実は急激に変化する世界から取り残されていく日本,本当にこんなことでいいのかいな?
夜,帰国した日本で駅から電車に乗りました。駅の構内と車内のあまりの酒臭さ -それはいつもは気がつかないことなのですが- そして,50年前と変わらぬ泥酔した見苦しい社会人を数多く見ました。そんな日本の夜の姿に私は嫌悪感を覚えました。
彼らは英語やコンピュータが使いこなせるわけでもなく,外国に出る勇気もなく,単に非効率に毎日残業をして,憂さを晴らすために酒を飲んで散財し,退職後も大した蓄えもなく老後を退屈に暮らし人生を終えていくのであろうかと。

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「フィールド・オブ・ドリームズ」-いつかそれは実現する①
「フィールド・オブ・ドリームズ」-いつかそれは実現する②
「フィールド・オブ・ドリームズ」-いつかそれは実現する③

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 次に,老医者ムーンライト・グラハムのことです。
 1975年に,W・P・キンセラは,ベースボール・エンサイクロペディアの中から,偶然,ムーンライト・グラハムの特異な経歴を見つけ出して,そのエピソードを「シューレス・ジョー」に掲載しました。これが「フィールド・オブ・ドリームズ」の原作です。
 映画が劇場公開されたことから,人々の間にムーンライト・グラハムの経歴が広く知れ渡ることになったわけです。

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 ムーンライト・グラハム(Archibald Wright "Moonlight" Graham)は,ノースカロライナ州生まれ。
 3年間マイナーリーグでプレーした後,1905年にニューヨーク・ジャイアンツの選手として登録されました。はじめてメジャーリーグベースボールの試合に出場したのはその年の6月29日の対ブルックリン・スパーバス戦で,彼は8回裏にジョージ・ブラウンに替わってライトの守備位置につきました。しかし,続く9回表のジャイアンツの攻撃は彼の打席のひとつ前で終了してしまったために,打席に立たないままその試合を終えることになりました。
 彼は結局,この1試合のみで,メジャーリーグでの経歴を「打席なし」のまま終えることになったのでした。
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 なお,この映画に出てきたムーンライト・グラハムの住む町,ミネソタ州チザム(Chisholm)は,ミネアポリスから北に200キロメートルほど行ったところにある小さな町です。
 また,映画でムーンライト・グラハムを演じたバート・ランカスターは,「フィールド・オブ・ドリームス」の後は3本のテレビドラマへの出演を最後に,1994年に逝去したので,劇場公開用の映画としてはこの作品が遺作となりました。 

 黒人作家として映画で重要な役割をしているテレンス・マンのモデルは小説「ライ麦畑でつかまえて」で知られているJ・D・サリンジャーです。
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 トウモロコシ畑をつぶして野球場を作った,この映画の主人公レイ・キンセラは,彼の作った野球場で,「彼の苦痛をいやせ」(Ease his pain.)という声を聞きます。
 学校のPTA集会において,テレンス・マンの著作「船を揺らす人」(The boat rocker)が槍玉に挙げられているのをみて,レイ・キンセラは,「彼」とは,テレンス・マンのことで,「苦痛」とは,この集会のように彼の作品が非難の的になっていることだと確信して,彼に会いに行きます。
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 テレンス・マンは,1960年代には時代を揺らした若者達の思想的リーダーであったにもかかわらず,その後は非難と好奇心の的となり,失望と無力感の中で隠遁生活を余儀なくされていたのです。
 1960年代というのは,キング牧師とロバート・ケネディが殺され,あのニクソンが再選された,そんなアメリカの時代のことです。このことは,この映画の冒頭に出てきます。日本でもそれが飛び火して,学生運動がありました。そうした時代背景を知らずして,あるいは青春時代にその経験のない人には,この映画の本当の意味はわかりません。
 それに加えて,私には,はじめてこの映画を見てから今日までの間に,この映画のロケ地に加えて,ボストンのフェンウェイパークやミネソタ州にも行くことができたから,一層,この映画の距離感やら空気感がよく理解できるようになっていたのです。
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  If you build it, he will come.
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  それを作れば,彼が来る。
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 この映画は,その後の保守派政治で失われてしまったアメリカの1960年代のノスタルジーです。
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  金はあるが心の平和がないのだ。
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 失われた善が再びよみがえる可能性… 何か,どんどんと保守的で管理主義的で住みにくくなってきている日本にも,同じものを感じます。
 この映画のもう一方の主題である,「夢を自分に託そうとした父親との関係」は,映画「ネブラスカ」にも共通する父と息子の葛藤を描いています。
 幽霊が見える者と見えない者は「Liberal」と「Conservative」の比喩を描いています。
 「それを作る」こと,そして,「最後までやり遂げろ」という声は,若き日の夢を思い出し,行動せよということを語りかけています。
 夢は,あきらめなければいつかそれは実現する… それを象徴するのが「Field of Dreams」なのです。

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 まず,この映画に出てきたホワイトソックスのジョー・ジャクソン選手のことからはじめます。
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 1919年,当時9試合制で行われていたワールドシリーズで,シカゴ・ホワイトソックスは,シンシナティ・レッズに3勝5敗で敗退しました。そのことがきっかけとなって,シリーズ前から噂されていた賭博がらみの八百長疑惑が真実味を帯びて,新聞の暴露記事によって事件が発覚しました。
 その結果,最終的に,ホワイトソックスの主力だった8選手が賄賂を受け取ってわざと試合に負けた容疑で刑事告訴されました。
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 この事件は,アメリカの精神的国技として野球をなかば神聖視する風潮のある米国社会全体に衝撃を与えたのです。

 当時のホワイトソックスのオーナーだったチャールズ・コミスキーが極端な吝嗇家だったことがこの事件の背景にはありました。
 ホワイトソックスの選手たちは低賃金でプレイさせられて,ユニフォームのクリーニング代も選手の自腹だったために,彼らのユニフォームは白ソックスまで常に黒ずんでいました。彼らは「ブラックソックス」と揶揄されるありさまだったのです。
 こうした仕打ちに耐えかねていた選手たちのなかで,まず,八百長に手を染めたのは,一塁手のチック・ガンディルだったといわれています。彼に誘われた者や自ら話を聞きつけて仲間に加わった者など,“シューレス・ジョー”ことジョー・ジャクソンを含む計7人の選手が,問題のシリーズで八百長を働いたとされました。そして,他に八百長の全貌を知りながらそれを球団に報告しなかった三塁手のバック・ウィーバーを含めた8人が事件に関与したということになりました。

 実際は,シリーズの途中で彼らに話を持ちかけた賭博師が破産したので,約束通りの報酬は得られないことがわかり,彼らは八百長とは手を切ろうとしていたのでしたが,事態はすでにマフィアも関与するところとなっていて,試合で全力を出せば家族に危害が及ぶと脅迫されていたということでした。
 問題のシリーズから約1年後に,8人は大陪審で八百長が存在したことを認めたのです。そして,大陪審は,彼らに情状酌量の余地を認めて,無罪評決を下しました。
 事件によって国民的スポーツとしての面目を失いかけていた米球界は,謹厳で知られた判事のケネソー・マウンテン・ランディスを,絶対的裁量権を有する「コミッショナー」として迎え入れました。
 ケネソー・マウンテン・ランディスは,「大陪審の評決に関係なく,八百長行為に関与した選手,また八百長行為を知りながら報告を怠った選手は永久追放に処する」と判断を下しましたから,事件に関与した8人は,メジャーリーグから永久追放の処分を受けてしまったのです。
 その一方で,ケネソー・マウンテン・ランディスは,同じく八百長疑惑のあった,例えばタイ・カッブのような有名選手たちを救済しているのです。また,チャールズ・コミスキーは直接には何ら処分を受けず,そのままオーナー職にとどまることができました。しかも,後に,野球殿堂入りさえ果たして,ホワイトソックスの本拠地球場に「コミスキーパーク」として長く名を残しました。
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 こうした不公平感で,追放処分を受けた8選手は「悲運の8人」(Unlucky 8)として,むしろ悲運のヒーローとして美化されるようになりました。そして,「フィールドオブドリームズ」のような,事件をモチーフにした多くの文学作品や映画が生まれたというわけです。

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 NHKBSプレミアムで映画「フィールド・オブ・ドリームズ」(Field of Dreams)を放送していたので,久しぶりに楽しみました。
 この映画は,1989年に公開されたアメリカ映画で,W・P・キンセラの小説「シューレス・ジョー」を原作にフィル・アルデン・ロビンソンが監督と脚色を兼任してつくられたものです。野球を題材に,1960年代を懐かしみ,夢や希望・家族というとてもアメリカ映画らしいテーマを描きました。 
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 私は,1998年8月にシカゴからアイオワ州デモインまでドライブしたとき,本当に偶然,この映画のロケをした場所となったアイオワ州北東部ダビューク西郊の小さな町ダイアーズビルに行ったことがあるので,本当に懐かしくなりました。
 また,私は,ボストンのフェンウェイパークでのレイ・キンセラとテレンス・マンのシーンを思い出しては,それがどの映画で見たシーンなのかを思い出せず,ずっと気になっていました。
 昨年行ったフェンウェイパークのコンコースには,この球場でロケをした多くの映画のパネルが展示してあって,そこには当然この映画のパネルもあってそれをじっくりと見たのにもかかわらず,いまひとつピンときませんでした。
 そして,映画「フィールド・オブ・ドリームズ」を見て,やっと,私がずっと気になっていたのはやはりこの映画だったんだと気がついたわけです。

 この映画の意見や批評を書いたブログがたくさんあるので読んでみると,なかには,当然,つまらなかった,とかいう意見もあります。そういった意見の多くは,人生経験が少ない人,とか,そうした場所に行ったことがない人,とか,そういう場合が多く,映画を見て感動できるかどうかという要因も,旅と同じように,やはり,自分の実体験やら思い出やら,そうしたものをどれだけ自分が人生の中で育んできたかがとても多くを占めているんだなあと感じます。
 かくいう私だって,この映画をはじめて見たときは,それほど感動したわけでもなく,単にアイオワ州の見渡すばかりのコーン畑を見て、アメリカは広いなあと感じ,どうして八百長で球界を追放になった選手がこの映画で美化されているのかがよくわからないなあ,と思ったくらいでした。
 だから,この映画を見て,つまらなかった,という人の感性もよく理解できます。そして,そう思った人には,もっと人生を経験しなさい,いろんなことを体験しなさい,そして,経験や体験を積んでからまたこの映画に出会ってくださいとアドバイスしたいものです。

 私も人なりに歳をとり,それとともに大リーグの大ファンとなり,アメリカへの旅を何度か経験した今,再びこの映画を見ると,すごくいいなあと思うようになり,さらに,何とも言えない深い感動を味わえるようになったのは,そうしたさまざまな旅の思いが,それをもたらしているからなのです。
 そうしたことも踏まえて,この映画の背景について書いてみます。

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