しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:「不良老人」の余暇

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【Summary】
Feeling cooped up after a cold winter and too many autumn travels, I decided to step outside for a change. Since many places close on Mondays and the weather was gloomy, I visited the SCMAGLEV and Railway Park at Kinjo-Futo, expecting it to be quiet. The visit brought back memories of the 100 Series Shinkansen dining car, evoking the joy of leisurely train journeys, now a rarity in an age of speed-focused travel.

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 2025年1月6日。正月明け,雨の月曜日です。
 この冬は寒すぎ,また,秋に旅行をし過ぎたためか,気力が失せてしまい,すっかりお籠り状態で数週間を過ごしてしまいました。しかし,いつまでもこれではいかん,ということで,外出することにしました。とりあえず,今日はリハビリ?です。
 とはいえ,月曜日がお休み,というところも多く,また,この天候では,屋内でなければ,どうにもなりません。そこで思いついたのが,名古屋港の金城ふ頭にあるリニア・鉄道館〜夢と想い出のミュージアム〜でした。ここは,月曜日も開館しているのです。おまけに,この悪条件なら,きっと空いているだろうと期待しました。
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 リニア・鉄道館〜夢と想い出のミュージアム〜(SCMAGLEV and Railway Park)は,JR東海が2011年(平成23年)に名古屋市港区金城ふ頭に開館した鉄道に関する事物を展示する鉄道保存展示施設です。
 高速鉄道技術の進歩などを広く紹介することを目的とし、以下の3点をコンセプトとしている[4]。 ①高速鉄道技術の進歩の紹介 ②鉄道が社会に与えた影響について学習する場を提供 ②楽しく遊べるよう模型などを活用しバリアフリーを徹底した設備 をコンセプトとしています。
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 開館したころに,1度行ったことがあるのですが,それからずいぶんと時が経ち,私の記憶では,以前は駐車場があったように思うのですが,今回行ってみて,周りの様子がずいぶんと変わっていました。駐車場はなく,少し離れた名古屋市営の駐車場に車を停める必要がありましたが,ずっと通路には屋根があって,傘は必要がありませんでした。

 到着したのが午前12時ころだったので,まず,食事をとることにしました。
 2階に売店があって,駅弁を売っていたので,東海道新幹線弁当というものを買いました。おいしい弁当でした。
 それから館内をまわったのですが,私がもっとも懐かしかったのが,100系系新幹線の食堂車でした。今から30年以上前の東海道新幹線は,2階が食堂車,1階がビュフェという車両がありました。名古屋駅で乗車して,座席には向かわず,いきなり食堂車に行って,朝食を食べ,コーヒーを飲み終わるころに京都駅に到着するのです。これが,旅の中で一番楽しかったような…。
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 100系の最大の特徴は中間に2階建て車両が連結されていることでした。2階部分は,車両によってグリーン車もしくは食堂車でした。
 東海道新幹線は,食堂車ではなくビュフェではじまりましたが,山陽新幹線が全通したとき,食堂車が連結されるようになりました。2階のない0系では食堂車の端に通路があったので狭かったのですが,100系では2階建て車両の利点を活かして車両間を行き来するための通路を階下にすることで食堂車が広く,利用者は通路を歩く乗客と目が合うことがなくなりました。食堂車へ行く階段を上るとき,踊り場には、国鉄歴代の車両側面をデザインした壁があって,それも魅力的でした。
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 今は,車内販売すらなくなってしまって,列車での旅を楽しむことはできなくなってしまいました。
 仕事でとにかく早く現地に到着する必要があるのならともかく,旅の楽しみは,こうした列車での往復にもあるのです。と考えると,この先,リニア新幹線ができると,さらに,列車での旅を楽しむなとどいうことは夢物語になってしまうことでしょう。まあ,私には,そんな未来のことは関係ないのですが…。
 リニア・鉄道館,昔の旅を思い出す楽しい時間でした。

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 私は鉄道マニアではないけれど,鉄道を使って旅行をしようとすればある程度の知識が要るので,自然に鉄道に詳しくなってしまいます。また,飛行機マニアでもないけれど,やはり,飛行機を使って旅行をすると,それなりに関心ができて,飛行機に詳しくなってしまいます。いずれにしても,マニアの人たちからみれば,単なるアマチュアにすぎませんけれど…。
 それと同じように,旅先でどこにいくかとなると,動物園や美術館になってしまいます。ということで,それほど興味があるわけではなかったけれど,国内外問わず,これまで私はずいぶん各地の動物園や美術館にいきました。また,この春は,散歩ついでに,毎週のように名古屋市の東山動植物園に行っていました。しかし,7月中旬以降は,猛暑のために,まったく行くこともなくなっていまい,一体,この暑い日々,愛すべき動物たちがどのように過ごしているのか気になります。

 そんな東山動植物園ですが,一時,私は,動物園よりも植物園のほうに興味がわいて,植物園を中心に散策をしていました。そのうち,童心に帰って動物園を見てみようと行ってみたら,それがまあ,興味深いこと。すると,自然と動物の名前を憶えてしまったり,動物の消息が気になって,元気かな? などと思い煩うようにもなってしまいました。
 動物園は,かつて,三省堂の新明解国語辞典の第4版に
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 (動物園は)捕えてきた動物を,人工的環境と規則的な給餌とにより野生から遊離し,動く標本として都会人に見せる,啓蒙を兼ねた娯楽施設。
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とあって,物議をかもしました。
 しかし,現在は,多くの動物が絶滅危惧種となっていることもあり,動物園は,繁殖活動にも取り組んでいます。動物園にいる動物も,動物園生まれがほとんどになっています。東山動物園の春は,コアラ,アジアゾウ,オットセイ,カンガルーと,ベビーブームでした。

 東山動植物園には,まるで,自分が飼っているペットのように,始終動物園通いをしている人たちも少なくなく,その人たちはとても詳しいので,なかなか動物の区別もわからない私にいろいろと教えてくれたりもします。
 問題は,気候のよいときは,ものすごく人が多いことです。平日だからと行ってみても,遠足などで子供たちが一杯です。また,小さな子供を連れたおばあちゃんと母親,というグループもよく見ます。こうなると,レストランで食事をとることもままなりません。そういうときは,お弁当を買って行くとストレスなく過ごすことができます。
 また,秋になって涼しくなったら,行ってみようと,今から楽しみにしています。

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 ことしもまた,夏はあまりに暑いので,遠出はさけているのですが,近場もまた,どこへも行く気が起きません。そこで考えたのが名古屋港水族館へ行くことでした。ここなら室内だからいいだろうと…。
 ということで,とりあえず,下見を兼ねて,2024年7月17日に行ってみました。広い駐車場があったので車を停めてそこから歩いて向かいました。これだけでも汗がでます。
 名古屋の東山動植物園は,名古屋市民だけは65歳以上は無料ですが,私は名古屋市内に住んでいないので適応されません。しかし,名古屋港水族館は,名古屋市民だけを優遇するような陰険な名古屋市立ではないので,65歳以上は名古屋市民でなくともシニア割があって好感がもてます。
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 1992年(平成4年)に開館した名古屋港水族館は,名古屋港管理組合が設置し,名古屋みなと振興財団が管理・運営を行っています。
 日本最大の水量と延床面積を誇る水族館で,イルカをはじめ,シロイルカ,ペンギン,ウミガメなどが飼育・繁殖・研究されています。また,屋外には,世界最大級の野外水槽を保持していて,イルカやシャチのトレーニングを見ることができます。
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 私は,開館した当時に行ったことがあるのですが,それ以来,遠ざかっていました。
 館内に入ると,いきなり大きな水槽があって,ほとんどの人はそこに立ち止まってしまうので混雑していて,すでにいやになりましたが,それを過ぎるとそうでもなく,多くの水槽があって,たくさんの魚を見ることができて,なかなか楽しめました。
 シャチのトレーニングというものがあって,これを見ました。以前なら,シャチショー,と銘打つのでしょうが,このごろの動物虐待世論で,名称が変わったのかもしれません。名古屋港水族館には観覧席を備えた大きなプールがあるのですが,シャチのトレーニングが行わるのはそれではなく,大きなプールの後方にある小さなほうのプールなので,客席の上のほうで見る必要があります。
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 名古屋港水族館のシャチの飼育は2003年(平成15年)より開始されました。
 飼育は「クー」にはじまり,「ナミ」「ステラ」「ビンゴ」「ラン」と続き,2012年(平成24年)に「ステラ」の仔「リン」が産まれました。 現在は「リン」「アース」の2頭が飼育されているそうです。なお,「アース」は15歳で,国内で飼育されている唯一の雄のシャチです。
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 観覧席周りには,売店があって,私はかき氷を食べました。シロップは自分でかけるということですが,単に店員の手間を省くためのように思えました。ここのウリは7色のシロップで,お好きなものをどうぞ,ということだったので,いろいろなものをかけて虹のようにしようと思ったのですが,かけていくにつれて黒くなってしまいました。色の3原色というのを忘れていました。アホです。

 名古屋港水族館で,私がストレスを感じたものは,レストランでした。レストランは数か所あるのですが,メニューが少なく値段が高く,しかも混んでいるのです。これでは楽しくありません。
 そこで裏技を見つけました。
 名古屋港水族館は再入場ができるので,一旦外に出ます。近くには,JETTYというショッピングモールがあります。ここは以前,2階にレッドロブスターがあったのですが,閉店して今は単なるゲームセンターとなりました。これだけでもさびれ感があります。しかし,1階はフードコートになっていて,安価に食事ができるのです。チープ感は否めませんが。
 私が子供のころ,名古屋港はレジャー施設がなく,むしろ,不気味なところでした。これはいけないと,それまでは本当に何もなかった名古屋港を観光地にしようと,一時,再開発ブームが起きて,イタリア村などもできたのですが,諸事情でわずか3年余りのちに倒産してしまいました。また,南極観測船が引退したのを機に誘致して,こちらは現在も見学することができますが,おそらく維持費がたいへんでしょう。このように,名古屋港はあか抜けず,横浜の赤レンガ倉庫のようにならないのが,頭の痛いところですが,愛知県の観光施設は,どこもそんなものです。
 ということで,暑い夏に出かける場所を見つけたのですが,一度行って十分だったのでリピートする気も起きず,結局,暑い夏に行くこともなくなってしまいました。

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 この国は東京,というか,首都圏だけが異常に発展して,それ以外は急激に退化しているようです。地方に行くと,アーケード街はほぼシャッター街と化し,かつて賑わった温泉宿も廃墟となっているところが少なくありません。住んでいる人も老人ばかりだし,バス路線も廃止となったり,列車も廃線となっています。しかし,首都圏の列車は行くたびに新しくなり,駅もまたターミナルが巨大化していて,渋谷駅など,どこがどこだかさっぱりわからない状況です。
 さて,「毎日が日曜日」の私は,その余暇を利用して旅をするのが好きなのですが,一度は乗ってみたいと思いながらも,ほとんど縁のない新幹線が今日の話題です。

 新幹線,私は,東海道新幹線と山陽新幹線が作られたころのことしかよく知りません。当時は憧れの乗り物でした。しかし,今は,利用するのは東海道新幹線くらいのものです。また,東北新幹線が大宮から仙台まで開通した,というあたりまでは記憶にあるのですが,それ以降,〇〇新幹線なるものがたくさんできたらしいのですが,それらがどういう路線なのか,どこにつながっているのかもさっぱりわかりません。
 そんな私ですが,東京駅の東海道新幹線のホームにいると,別のホームに,なじみのない塗装を施したさまざまな新幹線が出発を待っていて,興味をそそられます。しかし,それらの区別もつかないのが悔しいので,少し調べてみることにしました。それらはどの路線を走り,どこに行くために乗るのだろう?
 では,北から順に紹介します。
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●北海道新幹線
 北海道に新幹線ができたことすら,噂で知っているだけの私ですが,北海道新幹線は東北新幹線の延長で,2016年に,新青森から全長54キロメートルの青函トンネルを通って新函館北斗まで行く路線が開通しました。また,2030年には新函館北斗から札幌まで延長されるということです。
 北海道新幹線に乗るには,東京や仙台から「はやぶさ」が,「はやて」が盛岡や新青森から運行しています。
 私は,今から40年ほど前の冬,一度青函連絡船に乗りたくて,北海道からの帰り,空路を使わず,わざわざ函館まで出て利用したことがあるのですが,ものすごく時間がかかり,また,船が大揺れして船酔いをし,大変な目にあった記憶しかありません。青森からは「ゆうづる」という寝台特急で上野まで利用したのですが,いやになるほど時間がかかりました。夜明けのころ,やたらとお腹がへったことだけが印象に残っています。
 しかし,今は,そんな苦労をしなくても新幹線ならもっと短い時間で函館まで行くことができるようになったわけですが,それでも,空路なら名古屋から札幌なんてあっという間なので,あえて乗ろうとしなければ,使うのが難しい路線です。鉄道マニア以外に乗る意味ってあるのだろうか?
●東北新幹線
 東北新幹線は,1982年に大宮と仙台を結んで開業し,現在は,大宮と仙台,ともに延長して,東京と新青森を結んでいるようです。東京から北海道新幹線につながる「はやぶさ」,東京と仙台,あるいは盛岡間を走る「やまびこ」,東京と那須塩原,あるいは郡山間を走る「なすの」があります。
 私は,開業時に大宮から仙台まで乗ったことがあります。その後,確か,数回利用したと思うのですが,ほとんど記憶になく,近年,新花巻から東京まで使ったことを覚えているくらいです。
 数年前,福島県の大内宿に行ったときは,東武鉄道,野岩鉄道,会津鉄道を経由する特急リバティというのを利用しました。時間はかかったけれどがらがらで快適でした。岩手県の花巻に行ったときは,行きは東京から夜行の高速バスを利用しましたが,帰りは,新花巻から東京まで「はやぶさ」に乗りました。なかなか新鮮でした。
 どうして新幹線を使ったかというと,その当時の私は,空路の存在を知らなかったからです。
 しかし,今,再び花巻へ行くなら,空路のほうが早いし安いことがわかってしまったので,もう利用することはないでしょう。また,青森までも空路の方が便利だから,乗る機会はないと思います。
●秋田新幹線
 盛岡と秋田を結ぶ,在来線の線路幅を広げて新幹線車両が直通できるようにしたミニ新幹線で,「こまち」という名前の列車が走ります。1997年に開通しました。東京から盛岡までは東北新幹線と併用しているので,「はやぶさ」と「こまち」が連結している場合もあります。
 私の場合,秋田に行くなら,空路でもよりの空港まで行ってそこでレンタカーを借りた方が早いし安いのですが,そもそも秋田に行くことがありますまい。
●山形新幹線
 1992年に開通した山形新幹線は,福島と新庄を結ぶものですが,山形新幹線というのは通称で,東北新幹線と奥羽本線を直通する列車の愛称だそうです。列車名は「つばさ」で,東京から東北新幹線を経由して新庄まで走ります。福島まで「はやぶさ」と連結している場合もあります。
 私の大好きな山形県ですが,私は空路を使うので乗ることはありません。そもそも,東京まで東海道新幹線で行ってそこで乗り換える,ということが無意味です。
●上越新幹線
 1982年に開通した上越新幹線は,東京と新潟を結ぶものですが,大宮からが上越新幹線,東京と大宮間は東北新幹線の乗り入れで,列車名が「とき」。となると,私にはドキドキするくらい「とき」めくし,魅力的ですが,今は空路で新潟に行くから利用することはないでしょう。
 20年ほど前の冬,新潟県長岡市へ仕事で行ったときに,名古屋から東京まで東海道新幹線,東京から長岡まで上越新幹線に乗ったことがあって,三国トンネルを越えた瞬間に川端康成の「雪国」さながら銀世界となった驚きは今もわすれられません。しかし,名古屋と新潟は直線距離なら大したことないのに,わざわざ東京を経由していく意味がわかりません。空路ならわずか40分です。
 また,「とき」のほかには,東京,または上野から高崎,または越後湯沢間を走る「たにがわ」があって,これらの列車は東京に住む人たちが観光地に行くのに使うのでしょう。
●北陸新幹線
 1995年に東京,長野間,2015年に長野,金沢間が開通したもので,正式には,東京,大宮間は東北新幹線,大宮,高崎間は上越新幹線に乗り入れていて,高崎から先,軽井沢,長野,直江津と通って日本海沿岸に出るのが北陸新幹線です。最終的には新大阪までつながる予定です。
 列車は東京と金沢を走る「かがやき」,「はくたか」に加えて,東京と長野を結ぶ「あさま」,富山と金沢を結ぶ「つるぎ」があります。
 この辺りは,私の住む場所からは近く,車で行くことができるので,全く縁がありません。
●東海道新幹線,山陽新幹線
 私にはなじみがありすぎるので省略しますが,現在,この路線で私が使うのは名古屋と東京間くらいのものです。
 また,山陽新幹線には,新大阪と,後述する九州新幹線の鹿児島中央をむすぶ「みずほ」と「さくら」が走っているのですが,この名前は私にはなじみがありません。
●九州新幹線
 九州は博多までは山陽新幹線で,その先,鹿児島まで熊本など,九州の西側を走るのが2004年に開通した九州新幹線です。「みずほ」「さくら」のほか,九州新幹線区間のみを走る「つばめ」があります。
 なお,途中の新鳥栖から長崎まで西九州新幹線が建設中で,現在は,2022年に開通した武雄温泉,長崎間だけ「かもめ」が運行しています。
 九州もまた,名古屋からは新幹線では時間がかかるので,空路博多や熊本まで行って,レンタカーを借りた方が早く安くです。

 ということで,やっと日本列島を走る新幹線の全貌が理解できたのですが,結局,この中で私が利用するのは名古屋,東京間と,強いていれば,名古屋,京都間の東海道新幹線くらいのもので,それ以外はまったく縁がないことが再確認できました。どこも空路の方が便利です。
 つまり,新幹線網は,北海道新幹線と九州新幹線以外は,どの路線も,東京の人が地方に行くとき,あるいは,その反対にその地方の人が東京に行くときに利用するために作られているのであって,それ以外の人には,鉄道好きならともかく,まったく便利なものではありません。東京に住む人でも,北海道や九州に行くなら空路のほうがずっと便利だと私は思います。
 まあ,いろいろな列車を見るのは楽しいものではあるのですが,だれかが「新幹線は金持ちの乗り物」と言っていたように,新幹線にどれだけ意味があるのだろうか? とあらためて思いました。

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 名古屋・栄。一応は都会の繁華街。
 私は,学生時代,自宅通学でしたが,学校が家から結構遠く,小学生のころから大学卒業まで,毎日,栄で乗り換えをしていたので,そこが特別なところという意識はありませんでした。その後,社会人となって,まれにそうした場所に行くと,わざわざやってきたというような着飾った人が歩いているので,どうしてそんな恰好で来るのかと驚いたものです。私は相変わらずの普段着でした。
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 今は欲しいものがあれば通販で買うことができるし,郊外の大型店のほうが駐車するのも簡単だし,このごろは公共交通機関も利用しないし,また,グルメでもないので,めったに繁華街に行くこともなくなりました。
 ときどき出かける東京や大阪。駅のある繁華街は,名古屋の繁華街と比べれば豪華に見えるけれど,人がうじゃうじゃいて,こんなに多くの人がいるんだと思うだけで,全く好きにはなれません。さらに,品川駅など,通勤の人の洪水です。こんなところを経由して毎日通勤している人が私はお気の毒でなりません。幸せの80パーセントは失くしているように感じてしまいます。

 そんな私ですが,先日,用があって,久しぶりに名古屋の繁華街・栄に行きました。
 地下街も改装をしてきれいになったということだし,地上では,ランドマークであるテレビ塔が本来の役目を終えてホテルに改造され,また,そのまわりの公園は一新されて芝生広場に変わったようです。
 芝生広場に変わったのはそれほど昔でもないのですが,できたころは,確か「芝生は犬の散歩禁止」と書かれてあったように思うのですが,今は,剥がれかけた芝生の上を犬が飛び跳ねていました。このように,できたころは全面に張り巡らされた芝生は,早くもあわれな状態となり,芝が剥がれ,土が露出し,痛々しい姿をさらけ出していました。スプリンクラーもないし手入れをしている様子もないから無理もないことだと思いました。はじめから維持するという思想が抜けおちているのです。
 アメリカの公園はどこも美しい芝生があってとてもきれいですが,夕方になれば水がまかれるし,絶えず手入れをしています。それに比べて,日本では芝生は風土が合わないと言い訳をするだけで,なかなか根づかないようです。しかし,それは,風土が合わないというより,手入れをする予算をけちって十分な管理をしていないことがそもそもの原因だろうと私は思います。だから,作ったときだけきれいでもすぐに台なしになってしまうのです。この国は,作るときだけ大事で予算を組んでも,それを維持するためのお金を十分に出さないことが問題なのだと思います。これもまた,実にやったふりだけの日本らしいことです。維持できないようなものならはじめっからそのように作らなければいいのに,と思います。

 地下街に降りてみました。
 一部は改装されていましたがそれはすべての場所ではなく,昔のままのところは,私が通学をしていたころと変わらぬ姿があって,昭和の時代に舞いもどったような気がしました。なにより不思議だったのは,今も現金しか使えないお店やら,ずっと昔のままの喫茶店やらばかりだったことで,ちょっと信じられない感じでした。
 次に,三越に寄ってみました。デパートなど,先日,名古屋駅の高島屋へ「写真展・星野道夫」を見にいっただけで,栄の三越など何年ぶりでしょう。
 このデパートという前時代的な商業施設は,休日だというのにお客さんも少なく,来店している人の多くも,昭和時代の価値観のままの初老の人がほとんどでした。店員さんのユニフォームだけが,こりゃ値引きできないはずだ,と思うくらい金がかかっていました。お客さんもまた,きっとピンピンの1万円札をブランドのお札入れから出してでお買い物をなさるのでしょう。
 巷ではAIだの国際化だのといわれているのですが,こういう姿を見ると,私は,ショックを受けるというよりも,むしろ,昭和時代にタイムスリップしたテーマパークのような感じさえしました。映画を見ているようでした。

 そこで考えたのですが,今や,都会の繁華街なんて無用の長物。存在価値はありません。あるとすれば,人と会ったり暇をつぶしたり,そういう場所としてです。
 ならば,それを逆手にとって,近代化とは縁を切り,そんなものは郊外の大型モールに任せて,繁華街全体は,今から50年ほど昔の姿を再現した一大アミューズメントエリアでにでも改装してしまったらどうでしょう。そして,地上には市電を走らせたりするのです。
 もちろん,お店は現金しか使えないようにして,機械化もできるだけ避けて,喫茶店もセルフサービスはやめて店員さんがオーダーを取りに来るようにするのです。また,デパートのエレベータも,当時エレベータガールとよばれた白い手袋をはめた女性がいて,屋上には遊園地があって,食堂には国旗を立てたお子様ランチがあったりして。ただし,禁煙だけは今のままで。
 むしろそのほうが,今の,中途半端な,新しいのか古いのかよくわからない,そしてあか抜けない姿よりもずっと魅力があると思うのですが。ならば,わざわざ繁華街にでかける意味もあるというものです。
 年寄りばかりのこの国では,近代化だけが便利でしあわせ,というわけでもありませんし。

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 単にボケ防止と暇つぶしにNHKラジオ第2放送「まいにちドイツ語」を聴いている私ですが,ラジオ講座のテキスト以外に,前回書いた「英語と一緒に学ぶドイツ語」「英語から覚えるドイツ語単語」とともに購入した本があります。それは,講談社現代新書の「はじめてのドイツ語」という本です。この本はすでに絶版となっているのですが,古書を買うことができます。
 アマゾンコムにつぎのようなコメントがあったのが購入したきっかけでした。
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 (格変化という点で)ドイツ語は英語やラテン系諸語に比べてひとつ難しい要素が増えているといえなくもないのですが,本書ではこの名詞の格変化とそれと密接に関係する動詞による格支配および基本文型についての説明が充実していて、かつ、非常にわかりやすい!
 (中略)とかく難しいといわれるドイツ語をぐっと身近なわかりやすい存在に引き寄せてくれている。
  ・・・・・・
 実際に手に取って読んでみると,私には非常に難しい本で,期待していた内容とは違いました。
 再びコメントを読んでいくと,次のものがありました。
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 文法重視で「はじめて」にしては難しく,最後まで読めませんでした。もっとドイツ人の習慣とか,コラムでもいいのでドイツ語やドイツ人が身近に感じられる内容が欲しかったです。
  ・・・・・・
 私の感想は,むしろこれに近いものでした。
 想像ですが,講談社の編集の人は,おそらく,ドイツ語を知らない人が興味を持つような平易なものを期待して執筆を依頼したのではないかと思います。が,完成した原稿は,そうではなかったと。とはいえ,だからといって,この本に価値がないということではありません。

 ピアノの練習やスイミングスクールなども同じですが,そこには,自分の生まれ持った才能が歴然とした大きな壁となり,そのために,プロにになりたいという意欲が生まれる人から単に楽しみでいいと悟る人まで,その到達目標がさまざまになるわけです。そこで,自分の到達目標にあう教材が必要である,ということです。
 不思議なのは,学校教育では,だれしもが学者になるようなカリキュラムになっているということです。だから,学生のころ,そうした内容の勉強をしてきた,というか,させられてきたことになります。ところが,テレビの教養番組のそのほとんどは,見ている人を小ばかにしたような低次元のものばかりなのです。このことは私の友人も同じことを言っていました。しかし,実際は,見ている人の多くは本当に何も知らない。であれば,学校教育というは,単に点数争いをしているだけで,何もものになっていないし身についていない,それだけならともかく,むしろ,嫌いにしているだけ,ということになります。そうならば,学校教育というのは大いなる時間とお金のムダ使いをしているわけです。まあ,日本の教育行政は,塾とか参考書などの教育産業の育成のためにやっているようなものですから。
  ・・
 2018年,はじめてオーストリアに行ったときに隣に座った人がドイツ在住の日本人で,当然のことながらドイツ語ができるというのに,私は驚きました。大学に入ってはじめて学んだ第2外国語,こんなにおそく,それも週に数単位だけ講義を聴いたところでどうしようもない,と当時の私は思ったのですが,実際は,そのころに勉強をはじめてもものになることがあるんだなあ,というのが衝撃でした。多くの人にとって第1外国語である英語すらまともに使いこなせないというのに…。
 しかし,ドイツに住んでいるというのならともかく,また,職業で使うという人は別として,それ以外の人でドイツ語を学んだところでそれが必要になるという人がはたしてどれほどいるのだろうか,とも思っていました。私も,ドイツ語圏のオーストリアに行ったとき,ほとんどは英語で事足りました。ただ,乗っていた列車が途中で不通になっていて,代替のバスに乗らなければならなかったときと,利用した公共交通機関のチケットに書かれたドイツ語がわからなかったときだけ,ドイツ語を知っていたらよかったのになあ,と思ったくらいです。しかしそれもまた,スマホを使えば簡単に翻訳できました。
 だから,自己満足と暇つぶしで楽しく接することができればそれでいいのかな,どうせ,ボケ防止が目的だから,とまったくできるようにならない私は強がっていたのですが,実際は,それを越えて,これまで知らなかったドイツ語圏の文化やら歴史に触れることができたのが,すごく興味深く,ためになるのでした。言葉の勉強は実はその言葉を話す人たちの文化を知ることだったのです。ならば,学校教育でも,世界史とか地理とか音楽とか美術は,語学教育とからめたほうがずっと効率的だし魅力的です。
 それでも,ドイツ語は,しみじみ,難しい言葉だなあ,というのが,今の私の気持ちです。ドイツ人のもつある種の厳密さが,自らの言語を窮屈にしているような,そんな気にさせられます。それは,日本語のもつあいまいさといい加減さの真逆な世界です。
 だからこそ,この先もずっと楽しめそうです。なにせ,いくら取り組んでも,さっぱりものにならないけれど,これまで知らなかった世界があまりに広いことに気づいたからです。

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◇◇◇
大雪。

昨日1月14日の早朝は大雪でした。
光を当てて写真を撮ると,こんなに幻想的になりました。
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 2018年,2019年と2回オーストリア旅行を楽しんだ私は,ドイツ語がわからない不便さを感じて,せめて駅の掲示板くらいは理解できるようになりたいと,ドイツ語を勉強するようになりました。とはいえ,NHKラジオ第2放送の語学講座「まいにちドイツ語」を聴いているだけのことですが…。
 このごろはラジオ放送の語学講座は,インターネットで時間を気にせず,気の向いたときに聴くことができるので大助かりです。私は,語学の才能はまったくないのですが,毎日こうしたことを続ける才能だけは持ち合わせているのです。
 しかし,まったく身につきません。
 もともと,ボケ防止がほんとうの目的で,身につけようという気持ちがさらさらないのが原因なのですが,それでも楽しいものです。
  ・・
 私が大学生のころは第2外国語を学ぶことが当然の時代だったので,ドイツ語を選択したのですが,それは,クラシック音楽が好きだったのが動機にすぎず,まったくできるようになりませんでした。それなのに40年も経ってからまたはじめたのですから,懲りないものです。
 私は,もし,今,大学生だったら,何らかの生業とする専門以外には,英語とドイツ語,Pythonというコンピュータ言語,車の運転,苦もなく料理が作れる,そして,何かひとつ楽器が弾ける,これだけを身につければ,将来,日々楽しい生活がおくれると思うのですが,40年以上経ってもそのほとんどができないわけで,人生は思ったより短く,かつ,できるようになる能力を持ち合わせず,なかなかままらないものです。

 ということなのですが,そうしたいい加減な私のドイツ語の「お勉強」で,最も不便だと思うことを今日は話題にします。
 それは,はじめて英語を学ぶときと同じように,ドイツ語の学習でも,もととなる言語が日本語だということです。どうしてなのだろう?
 ドイツ語を学ぶ人のほとんどはすでに英語を学んでいます。また,ドイツ語は日本語よりも英語の方が近い仲間の言語です。であれば,英語との違いをもっと強調してして学習する方がずっとわかりやすいのになあ,単語にせよ,文法にせよ,英語との違いを知るほうがずっと理解しやすいのになあ,といつも思っていたということです。そこで,そんな本がないかと探していて1冊の本を見つけました。それは「英語と一緒に学ぶドイツ語」という本でした。そこで,早速購入してみました。この本では,英語の文法と比較して,ドイツ語の解説がしてありました。
 この本を読んで,やっと納得のできたことが数多くありました。
 次に探していたのは,日本の高校生が使っている英語の基本単語集にドイツ語もついているような本でした。「英語と一緒に学ぶドイツ語」の姉妹編として「英語と一緒に学ぶドイツ語単語」という本があるにはあるらしいのですが,私の欲しい本とは内容が少し違うようでした。
 私が欲しいのは,英語の基本単語,およそ3,000語ほどが,英語の単語と対比させてドイツ語ではどういうのかが書かれてあるものでした。当然,品詞や用例など,英語と全く異なるものも少なくはないのですが,そういう細かな話は覚えた後の話として,日本語の単語からドイツ語の単語を覚えるよりは英語の単語からドイツ語の単語を覚えるほうがずっと簡単です。と思って探していたら「英語から覚えるドイツ語単語」という本(古書)を見つけて,これもまた購入しました。

 こういうことを書くと,多くの専門家やら「まじめな」人は,邪道だといっていろいろと批判をします。それは,どうも日本人は「お勉強」といえは,本格的に専門家になるためにするものだと思っているようだからです。あるいは,「お勉強」の目的は何らかの資格試験に合格することがすべてだったりします。こうしたことになってしまうのは,きっと,順位争いばかりしている,そしてまた,大学入試に合格することが目的となってしまっている学校教育で洗脳された結果からくるものでしょう。そこで,上記の本についても否定的なコメントが目につくわけです。
 しかし,車の運転を学ぶときも,だれしもプロの運転手になるわけでなく,料理を覚えるのも,プロの料理人になるわけではないのと同じように,語学もまた,多くの人には,検定試験で合格するとか,プロの翻訳家になるのではなく,旅行のついでに不便を感じない程度の能力が身につけばいいのです。言葉など人とコミュニケーションをする手段にすぎません。
 きっと「英語ができるようになりたい」というようなほとんどの人にとって,語学を身につけたいという目的はその程度でしょう。だから,英語もそうですが,英語だけでなく日本の外国語学習は,もっと容易に,また,楽しんで学習できるような工夫が足りないのではないかといつも思います。
 …などと,生意気なことを書いてはみたものの,私は今もって,まったくドイツが覚えられません。

bbb


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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 アメリカには日本とは違うベースボールがあるということをどこで知ったのかは覚えていませんが,私は若いから憧れていました。はじめて見たのは,24歳のときにロサンゼルスに行ったときでした。そこでは,オルガンのサウンドやピーナッツ売りのおじさん,そして,7回の攻撃前に観客全員で歌う何がしかの歌など,さらにその魅力にはまったのですが,そのころは,日本ではテレビで放送されることもなく,残念に思っていました。
 それからしばらくして,何年前だったか,一度民放でMLBのゲームの放送をするということがあったのですが,当時巨人の試合の放送ばかりだった日本と同じで,中継されるのはヤンキースのゲームばかり。すぐに飽きられてしまいました。
 さらにしばらくして,野茂英雄投手が活躍をはじめて,日本でも本格的にMLBの放送がはじまりました。そのころからパーフェクトTVでも多くのゲームが放送されるようになって,私はさっそく契約して見はじめました。こうした黎明期の放送は,アメリカのものをそのまま流していたので,現地で流れるコマーシャルもそのまま見れました。最高でした。

 それから月日が経ち,NHKBS1での放送が主流となりました。
 私も一時夢中になって見ていたことがあるのですが,NHKBS1のMLB放送が今も変わらず気に入らないのは,中途半端に日本の編集が入ることと日本のアナウンサーと解説者が特に現地事情に詳しいわけでもないのに日本の価値観でどうでもいいようなことをだらだと話すことです。そんなことせずとも,アメリカからの中継をそのまま流せばいいのにと思います。私は,英語モードで見ていますが,時折割り込むニュースが興ざめです。
  ・・
 やがて,私が50州制覇を機にアメリカ旅行からヨーロッパ旅行に興味が移るとともに,次第にMLB自体にも興味を失くしたので,このごろはまったく見なくなっていたのですが,大谷翔平選手の活躍と,ほかに見たい番組がないのと,英語が耳に小気味いいので,再び,ときどき見るようになりました。さらに,今年からはABEMAでもMLBの中継がはじまりました。
 しかし,多くの中継では日本語の音声が入るのが嫌いです。どうして,変に編集などしないで,また,日本の音声など入れないで現地の放送をそのまま流してくれないのでしょう。その方がずっと簡単なのに…。日本語のアナウンサーやら解説者のおしゃべりというのは,ときに,楽しみの妨げとなるだけで,ほとんど意味がないことのほうが多いのです。
 MLBに日本語は馴染みません。


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 先日,このブログに「シェ―ナンド国立公園」のことを書こうと,関連して「カントリーロード」の歌を探していて見つけたのが「ザ・ピーターセンズ」(The Petersens)というグループでした。彼らの歌声が気に入って調べてみると,「ザ・ピーターセンズ」はミズーリ州ブランソンを拠点に活動するブルーグラスバンドということでした。
 ブランソンといえば,私が2016年に行ったことがある場所です。どんな因果なのでしょう。
  ・・
 「ザ・ピーターセンズ」は家族5人とその友人1人のメンバーで構成されていて,ブランソンのリトルオープリーシアター(Little Opry Theathre)で公演を行っています。載せた写真にはかつてグループに属していた父親も写っています。
 彼らの繊細な声から紡がれる何とも爽やかなハーモニーとふんわりとした空気感がとてもすてきです。

 ブルーグラス(Bluegrass Music)は,日本ではあまりなじみがありませんが,フォークソングとカントリーミュージックを足して2で割ったようなものです。使用する楽器は,フィドル(ヴァイオリン),バンジョー,アコースティック(ギター),マンドリン,コントラバス,リゾネーター(ギター)です。ブルーグラスのはじまりは17世紀から18世紀のヨーロッパ人のアメリカへの移民の時代に遡ります。
 ブルーグラスは,また,ケンタッキー州の別名で,ケンタッキー州出身のビル・モンローのバンド「ブルーグラス・ボーイズ」に由来しています。スコットランド,アイルランドの人々がアパラチア地方に多く移り住み,開拓の合間にフィドルの伴奏でダンスに興じ,故郷のバラッド(民謡)やヒム(讃美歌)を楽しんだのですが,そうした開拓時代の音楽的な歴史のなかで,スコッチ・アイリッシュ的なものに奴隷として働いていた黒人音楽を加味して形成されたもののようです。
 リゾネーターという楽器は知りませんでしたが,ユニークな音色が楽しめます。また,バンジョーという楽器はとてもアメリカ的だと私は思うのですが,こうして1年以上もアメリカに行くことができない今,とても懐かしくなります。
 いつかまた,ブランソンに行ってみたいものです。


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 朝起きたときに「何もすることがない」という生活が理想だと憧れていたのですが,そんな理想の生活ができるようになってきました。さらにには「何も欲しいものがない」という状態こそがもっとも幸せだとも思っていたのですが,これもまさに実現しつつあります。
  ・・・・・・
と先日書きました。
 ここで「何もすることがない」とは「何もしなければならないことがない」ということです。それは,朝起きて,その日に「やりたいと思ったことが何の束縛もなく自由にできる」ことが最も幸福だということです。「何もすることがない」と「何もしたいことがない」とではまったく意味が違います。しかし,「したいことをする」には,それなりの能力や知恵が必要です。たとえば,どこかに出かけたいと思っても車が運転できなければならない,というようなことです。
 そこで,若い人が,私のように「何もすることがない」というのはおかしいわけです。「したいことをする」ためのそれなりの能力や知恵を身につけなければならないからです。こういう状態になるには,それなりに乗り越えるものがあるのです。

 また,「何も欲しいものがない」というのは「何も持っていない」ということとは違います。「何も欲しいものがない」というのは,自分に必要なものを手に入れた上での状態ですが,無意味に欲しいものを計画性もなく買っていたら,いつまでたっても「何も欲しいものがない」という状態にはなりません。
 この「何も欲しいものがない」というのはきわめて健全な状態です。それは,いかなる広告があろうと誘惑があろうと,それが無視できるからです。いかなる詐欺メールが来ようと読まないで削除できるからです。
 昔のように,生きること自体が困難だった時代には,欲しくても手に入らないものがたくさん存在しました。しかし,現代のような飽和した社会では,商売は,欲しいもの,ではなくて,欲しくなるものを売らなければ売れません。そのためにいろいろ工夫をして煽るわけですが,そこには,正当な広告も多くある反面で,詐欺まがいのものが横行しているわけです。今日の人間社会で「欲しいものがある」人が生きるのは,実に大変な作業となります。

 「何もすることがない」「何も欲しいものがない」そんな状態になると,次のステージに到達します。それは,これもまた,すでに書きましたが,「この宇宙に人間という生命がいる必要などまったくない」ということを強く意識するようになったということです。何らかの偶然で化学反応が繰り返された結果,こんな魔訶不思議なものが誕生しちゃったということにすぎません。そして,きまぐれな創造主は,偶然自分の作っちゃったたものが今度は滅亡しないようにと,生命が生き続けるためのさまざまな本能を授けちゃったわけなのです。であるのに,お互いを殺し合うという本能も授けちゃったのが大きな欠陥でしたが。
 生命には自己があって,その自己は長くても100年,その平均は80年ほどの寿命ですが,その間を生きるためにもがき苦しむわけです。そして,寿命が尽きるというその結果はだれしもわかりきっているのに,なぜか,未来永劫のことまで生きている間に気を使うわけです。
 ところが,不思議なことに「せめて〇〇のことを見るまでは生きていたい」とは願っても,自分の生まれる前に起きたことに対しては「〇〇が見られたころに生まれていたかった」とは後悔しないのです。
 要するに,すべてはこころのもち様にすぎないのです。

 所詮は,それだけのことです。だから,ぐたぐた御託をならべたり,人と競ったり,地位や名誉や財産を求めることにも意味がないから,日々,憂いなく生きることを楽しみましょう,というお話でした。
 ただし,と突然,現実に戻りますが…。
 私にとっての当面の問題は,権力者の大好きなお言葉である「不要不急」とかとはまったく別として,実際,このご時世では行きたいところがまったくない(というかどうしても行きたいと思っていたところには行ってしまった)ことです。だから大好きな旅ができない。それに加えて,このごろはまったく晴れないので,ささやかな楽しみである星を見に行くことができない。ということです。
 …なんて,たったこれだけのことが問題なのに,それだけでも,憂いなく生きるというのは何と難しいことなのでしょう。

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家の近くのひまわり畑。まだまだ楽しめるのですが,次第に知る人が増えて混み合ってきました。花は癒されます。

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 昨年もそこにあったのかどうかは知りませんが,いつものように散歩をしていると,一面のひまわり畑に出会いました。その姿にこころが洗われました。
 ひまわりといえば,子供のころ,太陽とともに動く花と聞いてこころ躍らせた記憶があります。また,小学生には,夏休みといえばあさがおとひまわりととうもろこしが定番でした。あさがおは種さえ撒けば花を咲かせるの対して,私の育てたひまわりはひょろひょろと成長してしまって,大きく立派に咲くひまわりを見ては嫉妬したものでした。とうもろこしもまた同様でした。私の育てたとうもろこしに成った実には2,3個の種子が申し訳程度に存在しただけのスカスカのものでした。
 当時の私は肥料というものを知らなかったのです。いい勉強をしました。
 それからずいぶん経って,アメリカでノースダコタ州に行こうとサウスダコタ州から大平原を北に車を走らせたとき,その州境を越えたあたり,一面に咲き誇るひまわりに圧倒されたことがあります。
 一面のひまわりで,私はそんな夏の日のさまざまなことを思い起こしました。

 ひまわり(helianthus annuus)はキク科の一年草です。原産地は北アメリカで,高さは3メートルくらいまで成長し,大きな黄色の花を咲かせます。ひまわりは紀元前からインディアンの食用作物でしたが,16世紀,スペイン人がひまわりの種を持ち帰り,100年近く経って,フランス,ロシアに伝わり,日本も伝来しました。
 花弁は大きなひとつの花のように見えるのですが,実際は多数の花が集まってひとつの花の形を形成している,…というのは,学校で習って,分解して納得したことがあります。
 ひまわりの名の由来は,太陽の動きにつれてその方向を追うように花が回るといわれたことからなので,私の認識はあながち間違っていなかったのですが,実際に太陽を追って動くのは生長が盛んな若い時期だけのことです。この運動はつぼみをつけるころまで続くのですが,花が開くころのは動かなくなり,完全に開いた花は東を向いたまま動きません。ということで,このひまわり畑の一面の花もみな東の方向を向いていました。
 よく見ると,1本だけ異常に背が高いものや,あるいは,西を向いた花もあり,その反骨精神がわが身と重なり,愛らしくもあり,また,思わずうれしくなったりもしました。

  ・・・・・・
 髪に挿せばかくやくと射る夏の日や
 王者の花のこがねひぐるま
    与謝野晶子
  ・・
 向日葵を髪に挿せばさぞかし夏の光で輝くことでしょう。
 向日葵は夏に咲く王者の花です。
  ・・・・・・
 ひまわりを向日葵と書きます。また,こがねひぐるまは黄金日車。向日葵の上品なことばで,平安時代に雅語として和歌などで使われました。与謝野晶子は与謝野鉄幹と結婚して東京に住み,1905年(明治38年)27歳のときに歌集「恋衣」に載せたのがこの歌です。

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 製本に出して3週間。本が戻ってきました。
 製本に出したのは藤井旭さんの書いた「星座ガイドブック」の春夏編と秋冬編でした。春夏編はマシだったのですが,秋冬編は経年劣化で糊がはがれ,バラバラになっていました。
 そこで,せっかくだからと,両方とも送って,1冊に合本してもらいました。

 今から40年ほど前,誠文堂新光社から,藤井旭さんの書いた多くの本が出版されていました。
 そのさきがけとなったのが「天体写真の写し方」です。多くの人がこの本を参考に天体写真に親しみました。皮肉なことに,今となっては,カメラの進歩で参考になる本ではありませんが,それでも,今読んでもおもしろいものです。初版は1970年なので,50年以上前の本です。この本こそ,藤井旭さんが世に出るきっかけとなったものだと思われますが,このころは製本も糸綴じなので,今でも丈夫です。
 今でも使えるのが「全天星雲星団ガイドブック」です。初版は1978年です。私が製本に出した「星座ガイドブック」は1975年です。そこで,1970年代から製本賀糊綴じに変わったことがわかりますが,これがだめのです。そしてまた,ビニールの表紙がついていたのですが,これが最悪で,経年劣化で縮んでしまい,使いものにならないばかりか,本自体を傷める要因ともなっています。

 出版されたときはあか抜けたよい製本だと思っていたのですが,どうやら,それは見せかけで,本として最も大切な保存性がなっていなかったということです。
 どうも,この誠文堂新光社という出版社の本はその手のものが多く,たとえば「月刊天文ガイド」も,今でこそ改良されましたが,中央を留め金で止めた製本は,すぐに破れました。本としてのもっとも大切な部分が何かがよくわかっていないように感じるわけです。

 製本から戻っていたものは,私の予想を超えていました。ハードカバーで包まれていて,これなら手元に置いて,いつも眺めることができるものでした。はじめからこうして作られていたらよかったと思うことでした。
 それでも,こうした内容の充実した本があったころはマシで,今は,ネットの発達によって,中身のある本が本当に少なくなってしまいました。いくらインターネットで調べればほとんどのことがわかるとはいえ,きちんとした情報を手に入れようとすると,やはり,お金と時間をかけて作られた書籍に勝るものはありません。iPhone の普及でカメラが売れないということが問題となっていますが,それよりも,私は,書籍の劣化のほうがはるかにひどいと思います。私も,これまでは,習慣のように,書店に立ち寄ったものですが,今や,書店に行く気もなくなってしまいました。

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 昨日「日没30分前から日の出30分後までが美しいこの国です」と書きましたが,ここで「かはたれ」という言葉を思い出しました。改めて調べていくうちに今度は「かたわれ」という言葉もあることを知りました。
 「かたわれ」は「昼でも夜でもない薄暗い時間帯」を意味する言葉だそうですが,この言葉の由来は2016年に公開されたアニメーション映画「君の名は。」です。
 ヒロイン宮水三葉の住んでいる糸守町(いともりまち)の方言という設定で,「黄昏」や「夕暮れ」の代わりとして使われたものです。 転じて,この映画では「世界の輪郭がぼんやり柔らかくなる」という抽象的な意味合いでも使われました。
 一方,「彼は誰(かはたれ)」は実在する言葉で,「明け方」のことですが,この言葉については,以前,ブログに書いたことがあります。
  ・・・・・・
 「誰そ彼(たそかれ)」は「黄昏(たそがれ)」。日暮れ時は精霊の跳梁(ちょうりょう)する禍々(まがまが)しい時。人の見分けがつかないので「誰そ」と問うが,男が女の名前を問うのはプロポーズの意味ももっていた。名を明かすのはそれをお受けしますということ。
 転じて,夜明け前は「彼は誰(かはたれ)」。夜明け前も人の顔が判別できないので「あなたは誰」と問う。
  ・・・・・・
 「かはたれ」はまさしく日本の古語という響きですが,それにくらべて,「かたわれ」はちょっと現代語のような感じで,直接的です。

 私が気に入って,毎晩のように散歩をする時間は,まさにこの「かたわれ」どきです。
 このころ,太陽がまだ沈むまえは西の空が次第に空が赤くなっていくのですが,少し雲があって,その雲がうまい具合に太陽の光を受けたとき,最高の色彩となります。
 私は以前,太陽が沈んでしまうとそれで終わりのように思っていたのですが,ときとして,太陽が沈んだ後に,異常なほど空が赤く染まることがあります。あるいは,紫色に輝くこともあります。また,夕日が美しく見られても,太陽が沈んでしまった後は,薄く染まる程度で期待したほどでもないこともあります。
 このように,毎日の風景がまったく異なって見えることも,また,散歩に出かける楽しみだと,このごろ知りました。こんなことも知らずに生きてきたことに今更ながら気づきました。
 そうした風景を味わうのも,まさしく「かたわれ」どきの散歩の魅力です。

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 日没30分前から日の出30分後までが美しいこの国です。
 ということで,朝からの雨も止み,晴れ間が見えたので,この日も夕方,散歩に出ました。
 コロナ禍でもなければ,おそらく無縁だったであろう家の近くですが,暗くなってお昼間にははっきりとみられるどぶ川やら道端に捨てられたゴミが視界から消えると,これでもけっこうおもしろいところがあるものです。

 稲沢市祖父江町の名産はぎんなんです。この町はにはイチョウ畑というかイチョウの杜が点在していて,晩秋になるとそれらが一斉に黄金色に染まります。
 イチョウは燃えにくいため防災用に,また,伊吹おろしから屋根を守る防風のために,江戸時代に神社,仏閣,屋敷まわりに植えられました。
 イチョウの実のぎんなんは,古くは米の凶作時の備蓄食糧に使われたました。ぎんなんの生産を目的とした栽培は,この祖父江町が最も古いとされているそうですが,それでも歴史は意外と新しく,約100年ほど前からといいます。当時,山崎集落から名古屋へ3人の者がぎんなんを売りに行って,大粒種は在来種の6倍から7倍の高値で売れたそうです。この事情を知った血族一族の間に大粒種の穂木が広まり,集落全体に普及していきました。その当時に接木され100年以上と思われる大樹が今も多くの実をつけています。

 「イチョウのまち祖父江町」として,町内には1万本を超えるイチョウの樹があり,毎年秋には町全体が黄金色になるので「祖父江イチョウ黄葉まつり」が開催されて大勢の来場者が訪れます。
 とはいえ,これまでは,特に広い公園があるわけでもなく,道も狭く,駐車場すらないというありさまでした。そこで名鉄山崎駅の東側に「祖父江ぎんなんパーク」が作られ,2021年6月1日に開園しました。ぎんなんの代表的な4品種である久寿(きゅうじゅ),藤九郎(とうくろう),栄神(えいしん),金兵衛(きんべえ)がすべて園内で見られるという公園で,面積は12,424平方メートル,広場や展望丘,時計台などがあります。
 ということで,日が暮れたころに行ってみました。
 ほとんど人のいない公園には,ちょうど,東の空には虹がかかり,西の空には夕焼けが美しく,きもちのよい時間がすごせました。きっと秋には大勢の人でにぎわうことでしょう。

 ぎんなんの代表的な4品種についてまとめておきます。
  ・・・・・・
●久寿
 祖父江町山崎の富田芳行宅に樹齢170年生くらいの原木があります。粒は大粒で丸みがあります。殻が固くなるのが比較的早くて,8月中旬から出荷可能です。貯蔵性がやや劣る品種でありますが、苦みが優しく食べやすい品種です。
●藤九郎
 瑞穂市の井上藤九郎宅に樹齢300年生くらいの原木がありましたが,1914年(大正3年)の台風により倒伏枯死したといわれています。ぎんなんの品種の中では大粒で,殻の厚さが薄く表面は滑らかで光沢があり,揃いが良好で食味,貯蔵性がよい品種です。
●栄神
 祖父江町神明津の吉川実和宅に樹齢140年生くらいの原木があります。粒は中粒でやや縦長です。殻が固くなるのが比較的早くて,8月中旬から出荷が可能で,貯蔵性は優れており,翌年の3月ぐらいまで出荷が可能な品種です。
● 金兵衛
 祖父江町桜方の横井義廣宅に樹齢250年生くらいの原木があります。粒は中粒でやや縦長の果形です。殻が固くなるのが早くて,8月中旬から出荷が可能な品種です。
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 昨年のこの時期から家の近くを散策しているのですが,1年前は,私の住んでいるところからほんのわずか離れたところで,これほど美しい景色が写せるなんて,夢にも思いませんでした。
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 と,前回書きましたが,今年はことのほか梅雨入りが早く,例年だと6月の中旬でもまだほとんど雨が降らないのに,5月の中旬から,ずっと雨模様です。それでも,また,蒸し暑くないのが救いです。
 そんな梅雨の合間に,時折,雲が切れて美しい景色が広がることがあります。
 特に夕暮れは美しく,田植えをしたばかりの田んぼには水が満ちていて,そこに夕日が反射して,この世のものとは思えないほどの風景が見られることがあります。
 特に,周りの風景がシルエットとなって,いつも見慣れたはずの場所でも,別の輝きをみせるほんの数十分が絶品です。こうした景色を,露出を変えながら写すのも,また,夕暮れの散歩の楽しみです。カメラは手放せません。

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 昨年のこの時期から家の近くを散策しているのですが,1年前は,私の住んでいるところからほんのわずか離れたところで,これほど美しい景色が写せるなんて,夢にも思いませんでした。
 5月になって日が沈むのが遅くなると,夕食後の散歩が気持ちいいです。まだ,さほど暑くないのがいいのです。特に,今年は,今のところ,例年より涼しい日々が続いています。
 この写真は日没後の夕焼けを写したものですが,時に,空が異常に赤く染まることがあるのです。
  ・・
 お昼間に歩いていても,見慣れた風景にすぎないのに,日が沈み,周りの風景がシルエットとなると,その姿が一変します。また,田植え前は,田んぼに水がはってあるので,夕焼けが水面に反射して美しくなります。こんな姿を見ることができるのだから,夕暮れの散歩はやめられません。また,カメラが手放せません。

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 機械いじりの好きな人には,天体望遠鏡はたまらない趣味なのかもしれません。実際,カタログを見ても,凝りに凝った製品があふれています。しかし,これを使うとなると,どこで? 何が目的で? となってしまいます。
 もし,私がオーストラリアのクーナバラブランのような,自然一杯で晴天率もよく空には満天の星が輝いていて,しかも,広大な土地が安価に買えるところに住んでいたならば,車1台買う程度の投資をして,私設天文台を作るのも楽しいかもしれません。しかし,晴天率も悪いし空も明るい,かつ,家も狭い日本で大きな天体望遠鏡を買ったところで,どうにもなるものではありません。私は,あげるといわれても困ります。

 自宅から2時間も3時間もかかるところに私設の天文台を建てた人も少なからず知っていますが,建てただけで満足して,いったいどれだけの稼働率があるのかな? と思ってしまいます。
 であれば,小さな携帯赤道儀に広角レンズをつけたカメラ1台持って旅に出て,そこで,満天の星を写すか,あるいは,車にのっけて,降ろしたらすぐに使えるほどの小型望遠鏡を1台持っているほうがずっと使い道もあるし楽しいもの,と思うのですが,今は,適当な製品すらありません。
 願わくば,往年発売されていたような今日の写真にあるP型の小型赤道儀に極軸望遠鏡とモータードライブを内蔵しただけの機材か,あるいは,ビクセンのポラリオをもう少し簡易にしたものがあれば私には十分なのですが…。そんなポラリオも,また,新しくなったと思ったら,多くの人の要望を全部取り込んでしまったものだから,以前のもののような簡便さがなくなってしまいましたし,ほかにもさまざまな製品があるにはあるのですが,やはり,スペック争いの好きな日本人の多くの要望を込々にするものだから,次第に使いにくいものと化してしまっています。

 カメラもそうですが,どうして日本人は機能にこだわって,使いもしない性能の高さを争うのでしょう。そういう人に限って,そうした機能は使いこなせていないのです。
 とはいえ,天体望遠鏡業界なんて規模が小さいから,長い間使い続けて調子が悪くなったとき,その修理ができる手段も少ないから,大切に使うことが難しいのです。往年の会社で今も存在しているところは少ないし,また,ニコンやペンタックスが昔発売していた天体望遠鏡は,今も会社はあれど,望遠鏡のような売れない製品からさっさと手をひいてしまい悪くなったときにサポートなんてしてくれそうにないわけです。さらに探して見ると,なんとか修理をしてくれそうなところがないわけでもないのですが,どこまで修理が可能かも定かでありません。かくして,せっかく世に出た製品も,その機能のほとんどが使われないうちに鉄くずとなってしまうわけです。 
 高性能の望遠鏡なのに,年に数回,その機能のほとんどが必要のないところ,たとえば科学館などで,小学生相手に月を見せるだけに使うのでは悲しい話です。それこそ,スペックが泣いています。しかも,天気が悪く観望会中止なんて日常茶飯事です。これではせっかくの天体望遠鏡は,その生涯のほとんどを倉庫の主となって暇を持て余しています。


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 暇に任せて「タカハシの望遠鏡」のカタログを読んでいて懐かしくなるとともに,いろいろと感じたことがありました。
 「タカハシの望遠鏡」とは,高橋製作所の天体望遠鏡のことです。この会社の望遠鏡は,天文愛好家には圧倒的に支持を得ていて,その品質には定評があります。利益と効率重視,でなければやっていけない日本の工業製品のほとんどは,その会社を日本から海外に移転させ,しかも,安価な製品を作るのをやめて,利益の上がる高級品志向となって,愛好家以外の一般の人には手が出なくなりました。風を送ってさえくれればそれでいい扇風機すら,要らない機能満載で値段だけが高くなってしまい,その反動で,無名の会社が中国などで製造した安価な製品を巷の家電店に並べるようになりました。
 天体望遠鏡もまた,今から30年以上前は,庶民向けの安価な製品は,メーカー名は違えども,実際は東京の船橋あたりの町工場が下請けで作っていたそうですが,現在では,中国製の作りのやぐいものばかりとなって,物欲を満たさなくなりました。しかし,その流れとは一線を画して,「タカハシの望遠鏡」は,今も,埼玉県の寄居の工場から,ほぼ手づくりの製品を世に送り出しているのです。カタログを見ると,欲しくなるような製品ばかりです。

 私は,若いころ,まだアマチュア向けの望遠鏡を売り出したばかりの無名の高橋製作所の望遠鏡を, 新製品が出るたびに,次から次へと買い替えていました。本社に伺ったこともあります。しかし,まともに星が見えない都会に住んで車も持っていなかったとなれば,買い替えても,どれだけ使ったかといわれると疑問符がつきます。望遠鏡を買うことが興味のすべてだったのです。機材に悪いことをしました。
 今は,そのころに買った製品は双眼鏡以外はすべて手元にはありません。
 ハレー彗星が去ったころに,大きくて重くて私の手に余る「タカハシの望遠鏡」は下取りに出して,新たにペンタックスの望遠鏡を買いました。これもまた,ずっと使っていかなったのですが,ここ10年,やっと星見の楽しみを見つけて,今では,毎日のように使っています。やっと陽の目をみたわけです。30年以上前の製品で,いろんな箇所が痛んでいますが,愛着があります。多少お金がかかってもいいので修理が可能ならいいのですが,すでにメーカーも製造を止めてしまっていて,それもかないません。しかし,この先も新しい機材を買う予定はありません。
 久しぶりに「タカハシの望遠鏡」のカタログを見ると,昔に比べて,ずいぶんと多くの製品を製造しているようです。値段は,安いもので10万円弱ですが,それも望遠鏡本体だけで,望遠鏡を支える架台が最低でも30万円以上もするから,一式そろえれば最も安い製品でも40万円以上はします。
 私はそんな製品よりも,今日の写真のような,今から40年以上前の製品のほうがずっと愛着があります。今でも十分に使えると思います。この望遠鏡は口径10センチメートルの反射望遠鏡です。この望遠鏡の赤道儀,美しいとは思いませんか。そこで,コンピュータ制御など要らないから,この時代の赤道儀に極軸望遠鏡とモータードライブだけをつけて10万円くらいで販売すればいいと思うのですが,売れないのでしょう。というか,今,当時と同じものを作ろうとすれば,きっとかなり高価になってしまうことでしょう。
 しかし,コンピュータ制御の高価な機材が必要な人がそれほどいるとも思えません。どうやら,この会社の製品のユーザーはコアな少数の天文ファンと自分のお金で買うわけではない科学館のようなところで,私はおよびでないようです。
  ・・
 天文雑誌を見ても,今,星を見たり写したりといった趣味を楽しんでいるのは年配の人たちばかりのようです。そりゃそうでしょう。若い人はこんな高い機材を買う余裕などないし,日本に星が見られる場所さえないから,興味も湧かないのは当然です。
 だから改めて思うのです。これだけの製品,実際,ものすごくいいものだけど,果たしてだれが買うのだろうかと。


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 週末,CS放送が無料だったので,ひさしぶりにCNN放送を見ました。
 CNNはアメリカのニュース専門チャンネルです。 これまで長年見ていたのですが,大統領がトランプになったことと,昨年は新型コロナウィルスのニュースばかりだったので,見るに堪えなくてしばらく停止していました。
 私は,お笑いタレントが司会をする番組や,ゲストでジャニーズ系や秋元康が企てたAKBやらSKEやらというグループのメンバーが出てくるような番組を見る気になりません。また,日本のワイドショーや報道番組と称するものは不安をあおるだけなので,お金をもらっても見たくありません。少しはマシだったNHKも民放そのものになってしまい,BSで放送しているほんのわずかの番組以外は見るに堪えません。偉そうに「字幕テロ」も続けています。しかも,高い受信料を取っているくせに,再放送ばかりです。
 それに比べて,CNNは日本の報道番組のようなわけのわからぬコメンテーターもいなければ,専門家が解説してきちんとした報道をしているので,見ていて不快になりません。政治家も自分の言葉で国民に語りかけています。そしてまた,アナウンサーやレポーターのきれいな英語が小気味いいです。
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 ということで,ここ1年ほど,CS放送のスーパードラマTVを契約してアメリカのドラマを見ていたのですが,それに加えて,これを機にCNNの視聴を再開することにしました。本当は,CNN/USといって,アメリカで放送されているもののほうがいいのですが,毎月の視聴料が高いので,以前と同じようにCNNjというアジア向けのものを申し込みました。
 CNNによれば,もうアメリカはコロナ禍完全終結モードなので,ニュースも明るいです。私が予言したとおり,リーマンショックのとき同様,アメリカがもっとも被害が多く,また,解決も早かったのです。そして今は,世界に目を向けて,インドなどの救援の手を差し伸べています。
 それに比べて,この国はいったい何なのでしょう。政治家はやったふりばかり,忖度だけは超一流ですが,自分の言葉で話すこともできませんし,自国の問題すら解決の糸口を見い出だせません。欧米にくらべて10分の1ほどの感染者数で崩壊する医療体制,リニア新幹線だ,国立競技場だとハコモノつくることしか考えず,基礎研究にお金を割かなかった結果,ワクチンひとつ作れません。
 CNNのニュースから,ふと我に帰ると,その落差に,つくづくこの国がいやになります。

 私は,この1年海外旅行ができなくなってからも,それなりに楽しく生活しているのですが,何がひとつ足りないなあと感じていました。今回,久しぶりにCNN放送を見て,実は,私にはそれがCNNの英語だったということがわかりました。以前聴いていた「実践ビジネス英語」も3月で終わり,その後継番組は1,2度聴いてみたのですが,簡単で物足りなくて聴く気にならなかったし,スーパードラマTVで放送されているドラマだけでは,なにかが不足していたのです。
 また,趣味の雑誌として,以前は読んでいた「月刊天文ガイド」も,いかにも日本的で中身がなく,単に機材を売りたいだけの雑誌なので読むところもないし,「将棋世界」は暇つぶしに読むには難しく,小難しい定跡などどうでもいいし,おもしろい中終盤の解説は複雑すぎて本ではわかりません。それを読むよりABEMAの将棋中継を見たほうが理解ができるので購読しなくなりました。長年読んでいた雑誌「TIME」の購読もCNNの視聴の中断と同じ理由でやめてしまいました。こうしていたら,活字に飢えていたのにも気づきました。今は,雑誌も電子媒体で購読するという方法もあるのですが,iPadを立ち上げると,雑誌を読むより先にネットを見てしまうので,なかなか読めません。そこで,気軽に読める雑誌を手元に置いておこうと,紙媒体で雑誌「SKY AND TELESCOPE」の購読も再開することにしました。

 こうして,今は,部屋にいるときは,特に見たい番組や聴きたいラジオ番組があるとき以外は,クラシック音楽を聴くか,それ以外にはずっとCNNがつけっぱなしになりました。また,これからは,クラシック音楽を聴くときは雑誌「SKY AND TELESCOPE」をお供にしたいと考えています。
 こういう生活に戻ってみると,以前のように,部屋の中がすっかりアメリカの空気に戻ってきました。そうしたら夢いっぱいになって,再び旅行もしたくなってきました。そして,なぜかワクワクしてきました。
 でも…
 ふとこの国の現実に戻ると,落胆以外の何ものも思い浮かびません。
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 何がオリンピックだ。何が自粛だ。結局,政治家が権力争いをしているだけじゃないか。彼らは選挙にさえ当選すれば,給料が下がるわけでもないし,首になることもない。だから選挙で当選することしか頭にない。しかし,庶民は泣いている。
 この1年,何をしていたのだろう。本当に,もう,こんな茶番はいい加減にしてほしい。


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 「レンズ沼」という言葉があります。レンズ交換式のカメラを買うと,今度は交換レンズが欲しくなって,沼にはまるように抜けられなくなるという意味だそうです。
 それでも,以前なら,一度購入したレンズはずいぶんと長い間使えたので,計画をもってこつこつと買いためたレンズを使う楽しみもあったのですが,それもまた,今では,技術の進歩で日に日に新しくなり,また,互換性も定かでなくなってきました。さらには,一眼レフカメラからミラーレス一眼に代わったことで,マウントまで変更となりました。 
 こうなると,これまで買いためたレンズの処遇に困ります。
 末永く,大切に使えるからニコンのカメラを選んでいたのに,これでは意味がありません。
 新しい製品が出るたびに買い替えていく人もいます。それはそれでいいのですが,私のように,一度買ったものをいつまでも愛着をもって使い続ける人には,こういう状態は困るわけです。しかし,私のような人は,メーカーにとれば客ではないのでしょう。
 もうひとつ困るのは,焦点リングのラバーの劣化です。長く使っているとべたべたになってきます。そして,これを交換する費用がバカにならないくらい高価なのです。メーカーもそれを知ってか,このごろのレンズにはラバーが使われなくなってきているようですが,これまで,どうしてこのような製品を発売していたのか,私には理解に苦しみます。私は持っていないからいいのですが,何百万円もするレンズでも同じなのです。

 それにしても,カメラが売れなくなって困ったメーカーは,そのターゲットをコアなアマチュアやプロのカメラマンに変更したのでやたらと高級品ばかりとなり,カメラやレンズはものすごく高価になってしまい,今や,私の手の届かない世界のものとなりました。これでは,お小遣いを貯めてレンズを購入するというようなものではありません。これは私にはむしろ好都合で,あきらめもつくというものです。もう,ムダな出費をしなくて済みます。
 いずれにせよ,あれだけ販売されたレンズの多くが,おそらくは使われず,どこかに眠っているのだろうと考えるとむなしくなります。それはレンズに限りませんが,この世に工業製品として生を受けて,その性能が発揮できたものはどれほどあるのでしょうか?


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 私は,「物持」がいい方です。 
 「物持」とは
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1 財産を多く持っている人。財産家。
2 物を大切にしていつまでも持っていること。
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という意味だそうですが,もちろん後者の方です。
 日常使っているものは,何十年にもわたるものも少なくありません。愛着がわくと,何度も修理を繰り返しても,同じものを使い続ける方がいいのです。
 しかし,長く大切に使おうと思っても,はじめの仕様が悪いと,壊れてしまうこともあります。これは,買ったときの値段で決まるのではなく,作る人の思想でしょう。こうして,長く大切に使っていると,値段でなく,長持ちするものがわかってきます。そうした長持ちするものこそ,正真正銘の高級品でしょう。
 今日は,その中で書籍の話です。

 今は,電子書籍があるので,一度読むだけの小説や雑誌のようなものは,そのほうが後で処分にも困らないので助かります。しかし,電子書籍ではなく,昔ながらの書籍のほうが便利なものも少なくありません。そうした書籍はいつも手元に置いてあるので,愛着もわきます。
 しかし,いつの頃からか,天糊製本というものが普及しました。つまり,糊付けです。天糊製本に変わったころの書籍は,今になって経年劣化をして,糊がはがれ,哀れな状態となっています。これは,とてもかなしいことです。
 今は,製本技術もすすんだのでそうではないのかもしれませんが,安価な本だけでなく高級な本までも,コストの問題なのか,天糊製本となってしまいました。こうなると,書籍というよりもまるでパンフレットです。これでは,大切に使うこともできません。

 西洋では,書籍はふたつのタイプにわかれています。そのひとつは,ハードカバーといわれるもので,きちんと製本され,分厚い表紙のある昔ながらのものです。値段は張りますが,長持ちします。そして,もうひとつは,ソフトカバーといわれる,紙の質も悪く,天糊製本のものですが,安価です。同じ本でも,このふたつのタイプで発行されているものも少なくありません。
 しかし,日本ではハードカバーの本を探すほうが難しいうような状況です。
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 ヨーロッパに行くと,美しい図書館があって,そこには,古い本がまるで絵画のように並んでいます。これを見ると,書籍が知恵の宝としてリスペクトされているのがよくわかります。日本では,昔の本は糸とじの和紙だったから,それとはまるで性格が異なり,今では虫が食ってしまったりしていて,それはそれで歴史を感じますが,西洋の図書館のようにはいきません。

 私が大切に使っていた本の多くも,今では糊がはがればらばらになってしまったものが少なくありません。そこで,これからも大切に使うために修理に出すことにしました。今日の写真の本は,私が大切に使っていた「星座ガイドブック」です。この本には春夏編と秋冬編があって,悲惨な状況になってしまったのは春夏編のほうです。そこで,せっかくなので,春夏編と秋冬編を合本してハードカバーをつけて一冊にしてもらおうと考えました。
 調べてみると,糸綴じにしてハードカバーをつけた本に直してくれる製本屋さんがあるので,そこにお願いすることにしました。おそらく,値は張るでしょうが,すでに手に入らない本でもあり,こうして修理をすれば,この先も末永く使うことができることでしょう。
 書籍は,内容が古くなって全く役に立たないものもあれば,いつまでも使える貴重なものもあります。いつまでも使えるよい本がきちんと製本されていたら,それだけで生活していて楽しいものです。
 今は本が修理されて戻ってくるのを毎日楽しみに待っています。


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 私は,人のいない時間に散歩をすることに,この上ない幸せを感じます。そしてまた,日の出,日の入りを直に体験すると,それはすばらしいものです。さらに,街灯のないところが好きです。
 若いころは,1月1日の初日の出といえば,とても朝早いことで,それを見るのは大変だと思ったものですが,実際は午前7時過ぎなので,まったく大変なことではありません。1月のころは,寒いですが朝6時から散歩をはじめても,はじめのうちはずいぶんと暗く,日の出前は神々しく美しい景色を十分に楽しむことができます。その逆に,夜は午後5時を過ぎると暗くなってしまうので,夜の散歩には適しません。
 それが,4月を境に逆転します。
 4月を過ぎると,朝散歩ををしようと思っても,早朝5時には,もう,星が見られません。日の出も日一日と早くなっていきます。その逆に,夜は午後6時を過ぎても明るく,しかも,それほど寒くないので,快適な散歩をすることができるようになります。
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 散歩とは違いますが,星を見にいくときは,冬は,嫌になるほど夜が長く,また,寒く,徹夜で星を見ることはかなりの苦行となるのですが,その反対に,夏は,夜9時くらいまでは明るく,また,午前3時になると,空が白んでくるので,あわただしいです。
 このように,朝,晩の季節の変化を味わうことも,また,おもしろい体験です。

 話は飛躍しますが,緯度の違いによって,この昼間と夜間の長さの違いをかなり感じます。
 夏にアメリカのモンタナ州に行ったとき,なかなか夜暗くならないので,驚いたことがあります。夜10時を過ぎても明るいので,夜になるのを忘れているのかと思ったほどです。
 もっと北に行くと,冬は極夜となり,夏はその反対に白夜が訪れます。私は極夜の経験はありませんが,2月のフィンランドの北極圏にある町ロヴァニエミに行ったとき,午後3時にはもう暗くなるのに驚きました。その反対に,一度,白夜を経験したいものだと,昨年の夏,フィンランドに行く計画を立てていたのですが,残念ながらそれがかなわなかったのをとても残念に思います。


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 昨年の夏,ネオワイズ彗星を見るために北海道へ行ったときに知り合った私と同じ年くらいの男の人がいるのですが,彼は今,軽自動車を改造したキャンピングカーに乗って,日本列島一周の旅をしているようです。
 私の推測にすぎませんが,北海道の稚内に住んでいると,四国地方や九州地方なんてずいぶんと遠いから,おそらくはじめての旅なのでしょう。FaceBook で珍しそうに,行く先々の様子を語っています。おそらく,コロナ禍とは関係なく,日本一周を計画していたのだと思いますが,ちょうど時期が悪かったのです。
 アメリカに長年住んでいて年に一度帰国する友人もまた,日本に帰ってくると,時間を惜しむかのように,日本中を旅しています。

 昨年のコロナ禍以来,定年退職をして,これから海外旅行をしようと楽しみにしていた人とか,大学生になって旅行をしようとか,卒業旅行で外国へ,という人たちが,私には気の毒で仕方ありません。こういった年代の人たちにとって,2,3年のブランクはとても大きいのものです。
 かくいう私も,結構,旅行に行けないね,と気の毒がられるのですが,強がりでなく,私は,ここ4,5年,自分でも制御不可能なほど旅をしたおかげで,国内も海外も,おおよそ行きたいと思っていたところはそのほとんどに行ったので,今,行くことができないことは残念ではありません。むしろ,ブレーキがかかってよかったとさえ思っています。ただし,パスポートがスタンプで一杯になるのを楽しみしていたので,それだけが残念です。まあ,そんな些細なことはどうでもいいですが…。

 実は,昨年の今ごろは,まだそこまでの境地には達しておらず,旅行客が減ったことを幸いに,弘前で桜を見ようとか,山形県の山寺に行こうとか,そういった計画を立てて航空券を購入したたのですが,すべてキャンセルとなりました。しかし,今年は,まったくそんな気がなくなってしまったのが不思議なところです。
 実は私も,昨年の今ごろは,コロナ禍が収まったら,日本列島を車で一周してみようと思っていたのですが,そんな気持ちも失せました。いろいろと冷静に考えてみると,そんな旅にあまり魅力を感じなくなってしまったからです。そしてまた,アメリカのように,予定も立てず旅行をしても,どこでも簡単に宿泊できる全国チェーンの安モーテルも日本にないし,結構めんどうなのです。
 旅というのは,何の気兼ねもなく,何の予定も,こだわりもなく,気楽だからこそいいのです。
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 そんな私が今思い出すのは,ニュージーランドの雄大な大自然や,オーストリアの古い歴史に彩られた魅力ある景観や,アメリカのどこまでも続く,まっすぐな道ばかりです。それに比べたら,この国で,そんな魅力のあるところなんて,どこにもありません。そしてまた,人の目ばかりを気にする国民性。これでは,気楽な旅などできません。
 とても残念です。


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 私の散歩カメラはシグマの18ミリから250ミリのズームレンズをつけたニコンのD5300 です。これ以上大きくて重たいカメラを持って散歩をしようとは思いません。また,レンズは1本で花から鳥まで写せないと面倒だし,このブログに載せることができる程度の画質があれば十分です。
 D5300 の後継機である D5600 も製造中止になってしまったし,新たに発売された Z50 なんてとても高価でその値段ならD5600が3台も買えます。そこで,私の持っているカメラに代わる製品がないので,壊れたらどうしようかと思案していますが,まあ,カメラは2台あるので,私が元気なうちはこれで持ちこたえるとしましょう。新しいカメラを買う気もないので,壊れたらそれで趣味も終わりです。というより,先に私の寿命がありません。

 ところで,これまでにもいろいろ書いたように,カメラの設定に困っていました。写したいときにピントが合わなかったり,いざというときにシャッターが下りなかったりと,かなり手を焼いていました。オート任せにしても写したいときに満足な写真が写せないのだから,結局,自分で操作しないとうまくいかないということになります。
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 ということで,いろいろ調べてみたら,鉄道写真家の中井精也さんおすすめのフォーカスの設定というものがみつかりました。今日はその紹介です。
 それは
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●カスタムメニューの「f2:AE/AFロックボタンの機能」をAF-ONに設定する。
●カスタムメニューの「a1:AF-Cモード時の優先」をレリーズ優先に設定する。
●フォーカスモードをAF-Cに設定する。
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というものでした。
 このように設定すると
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【動きのある被写体を写す場合】
 被写体にフォーカスポイントを合わせAE/AFロックボタンを押すとフォーカスが合うので,AE/AFロックボタンを押し続けたままシャッターを切る。
【静止した被写体を写す場合】
 被写体にフォーカスポイントを合わせAE/AFロックボタンを押すとフォーカスが合い,AE/AFロックボタンを離すとAF動作は停止しピント位置が固定されるので,構図を決めてシャッターを切る。
  ・・・・・・
という操作になります。
 私がこれを知らないときは,カメラのオートフォーカスをロックさせたいときはピントを合わせのち,フォーカスをオートからマニュアルに切り替えるという操作をしていました。しかし,この方法だと,フォーカスをマニュアルにしたあと,ピントリングを触ってしまうとピントがずれてしまうという欠点がありました。この方法ならばピントリングは固定されているのでピントがずれません。

 この設定であると,カメラの機能が進化してオートフォーカス機能が多様になっても,そうした機能を使うことがないということになります。結局のところ,焦点を合わせたいときだけオートローカスロックボタンを押し,露出を決めたいときだけシャッターボタンを半押しするという操作方法になります。これでは,これまでの長きにわたり,一眼レフの機能がごちゃごちゃと進化したということに意味がありません。
 一体全体,カメラの進化って何なのだろうかと思ってしまいます。消費者は使わないムダな機能にお金をはらっているということになるわけです。


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