しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:「不良老人」の優雅な日々

DSC_0920s

【Summary】
JR Central's Doctor Yellow, the 923 Series T4 set, known for its role in Shinkansen track inspections since 2001, retired in January 2025 due to aging. Its last run was likely on January 29. Rarely seen and considered lucky, the T4 will spend its retirement at the SCMaglev and Railway Park in Nagoya.

######
 だれが名づけたか「ドクターイエロー」。幸せを呼ぶ黄色い新幹線電気軌道総合試験車のうち,JR東海が所有する923形0番台のT4編成は,2025年1月で引退することがが発表されていますが,予測される1月の運行スケジュールは,1月28日の「のぞみ」下り,1月29日の「のぞみ」上りが最後なので,おそらく,今日,1月29日がラストランとなります。
  ・・・・・・
 「ドクターイエロー」にはJR東海が所有する923形0番台のT4編成とJR西日本が所有するT5編成があります。JR東海所有のT4編成は2001年から,JR西日本所属のT5編成は2005年から運用が開始され,交互に走行しながら,東海道と山陽新幹線の東京駅と博多駅間の検測を行い,安全・安定輸送を守り続けてきましたが,老朽化に伴い,T4編成は2025年1月をもって検測走行を終了,T5編成は2027年以降を目途に検測を終了する予定となっています。
  ・・・・・・
 ということだったので,1月28日の午後1時40分,伊吹山を背に走った姿を写真に収めてきました。

 乗客を乗せることはなく,運行スケジュールも非公開となっていることに加えて,あまり走らないので,めったに見ることができず,偶然出会えた日はいいことがありそうなそんなレアさから,私の周りにも見たことがない,見てみたい,という人が少なからずいます。
 運行スケジュールが非公開とはいえ,それを予測するサイトもあり,それがほぼ正確なので,見ようと思えば簡単に見ることができました。私の住んでいる場所からはいつも新幹線が見えるので,これまでに「ドクターイエロー」は何度も見たことがありますが,そうでなくとも,偶然,名古屋駅に停まっている姿を見たことも,掛川駅のホームで新幹線を待っていたら走っていったこともあります。こうしたときは,やはり,うれしいものです。

 1964年,東京オリンピックを10日後に控えて開業した東海道新幹線ですが,「ドクターイエロー」の元祖は1964年6月に登場した922形0番台電気試験車T1編成,これは東海道新幹線の試作車1000形を改造したものでした。
 山陽新幹線が博多まで延伸した1974年には2代目となる922形・921形10番台T2編成が登場。
 1979年には3代目となる922形・921形20番台T3編成が新造されました。
 そして,現役なのが,2001年に登場した4代目で,これは700系をベースにした923形T4編成でした。
 引退後は,名古屋市にあるリニア・鉄道館で余生をおくるそうです。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

画像 186DSC_1988sDSC_1977sIMG_1216

######
 私は,これまで,シアトル,ニューヨーク,そして,フロリダと,イチロー選手が属したチームがホームゲームを行ったときに,すべて見てくることができました。つまり,3つのユニフォームを着たイチロー選手を見たわけです。今日の写真はそのときに写したものです。
 そのイチロー選手が生まれ育ったのは愛知県の豊山町で,その場所に自宅を改築したときに造られたイチロー選手の記念館があるようなことを聞いていたのですが,これまで行ったことはありませんでした。また,それが,私がよく利用する県営名古屋空港の近くだということは知っていたのですが,それらしきところも案内標示もないので,どこなのかな? とずっと思っていました。
 そこで,調べてみると,週末は外出しない私ですが,コロナ禍以前は平日も開館していたそうですが,現在は土日のみの開館ということだったので,やむを得ず,2024年8月18日日曜日に行ってきました。

 私は家から近いので,簡単に行くことができましたが,車でないと行くこともできないところなので,多くのイチロー選手のファンは「アメリカに行くより遠いところだ」と書いています。
 イチロー記念館は,正しくは,「アイ・ファイン(I - fain)」といいます。名前の由来はわからないのですが,I am fine. から来ているのかな? また,パンフレットには「THE ICHIRO EXHIBITION ROOM」とあるので,イチロー展示ルームと和訳してあるものもあります。
  ・・・・・・
 「アイ・ファイン(I - fain)」は,メジャーリーガーだったイチロー選手所縁の品が展示されている施設で,2000年(平成12年)にオープンしました。施設には,イチロー選手の現在に至るまでのコレクションが展示公開されています。
  ・・・・・・
 敷地の南側の部分が,今回訪れたイチロー記念館で,北側にイチロー選手の親御さんが住む住居があります。

 開館は午前10時30分から,ということだったので,そのころに行ってみたら,すでに駐車場には6,7台の車があって,私が停めたのが最後の1台でした。思ったよりも小さいなあ,と感じたのですが,拡張するにも,周りの人たちが土地を売らないから,ということでした。
 すでに,引退して数年経つので,今はどのくらいの人が来ているのかな,と思ったのですが,10人程度の人がいて,未だ,存在感は健在でした。
 展示は1階から3階までで,まず,エレベーターで3階はで行って,そこから階段で降りていくかたちになります。メジャーリーグ時代のものは少なく,子供のころから日本のプロ野球で活躍していたときのトロフィーや表彰状などのコレクションが公開されていました。それにしてもすごい数でした。それでも,ほとんどは日本で活躍していたころのもので,メジャーリーグでのものはアメリカにあるそうです。
 階段を降りるとき,公開されていない奥まった部屋が垣間見れましたが,そこには,テレビで見たことがあるイチロー選手がトレーニングをする機械が存在していました。
  ・・
 コロナ禍以後,アメリカに行く機会もなくなり,興味も薄れていましたが,昔,憧れていたころの夢が少し蘇ってきました。楽しい時間でした。

IMG_3887IMG_3884IMG_3889IMG_3888


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_8392DSC_8400

######
  ・・・・・・
 私は,ジブリ作品は「となりのトトロ」と「魔女の宅急便」しか知らず,ほどんど興味もないのですが,地元でもあり,一度くらいはどういうところか知りたいという好奇心だけで,2か月前にはじまる事前予約でチケットを手に入れ,2024年1月22日に行ってきました。
  ・・
 それにしても,有料施設は高すぎます。「ジブリの大倉庫」と「もののけの里」で2,500円,そして,「どんどこ森」と「青春の丘」がそれぞれ1,000円で,合計4,500円也。食事と交通費を合わせれば,約10,000円となります。そもそも,新しく造った施設というもはほとんどなく,これまでに何らかの形であったものを改装したり移築しただけの,いかにも金のかけかたを知らない愛知県らしい娯楽施設でした。現在,東京ディズニーランドのチケットが値上がりして約10,000円だそうですが,これはアトラクションなども含まれているので,それに比べたら,かなり割高です。
 私は,どういうところなのかという謎が解けたので,1回で十分だと思いました。リピートすることはありますまい。
  ・・・・・・
と書いたのが,2か月近く前のことでした。
 それにしても,あのころのほうが暖かかったというのも皮肉なもので,すでに3月も半ばというのに風が強く寒いこと。外を散歩する気にもなりません。

 さて,そんな3月10日。来る3月16日にジブリパークに新たに「魔女の谷」が開園するということで,その内覧会があって,申し込んでおいたら当たってしまったので,「リピートすることはありますまい」と書いたのに,行ってきました。到着したのが午前9時30分ごろだったのに,すでに車が一杯でした。前回と違うのは,この日が日曜日だということでした。「毎日が日曜日」の私には曜日の感覚がないのです。
 内覧会というからには,抽選に当たった選ばれし者だけが入ることができると思っていたから,悠々と出かけたのですが,これが大いなる誤解でした。これは決して内覧会などではない。東京駅並みのものすごい人混みでした。そもそも私は勘違いをしていました。私が当たった無料の招待券というのは,「魔女の谷」だけでなく,ジブリパークの他のすべての施設にも入ることができたのです。そんなことなら,前回,高いお金を出して,施設を巡った意味がありません。調べてこないお前が悪いといわれればそれだけのことですが,これにも落胆しました。
 まあ,せっかく来たのだから「魔女の谷」だけ入ることにしたのですが,すごい行列でした。中にあったのは,一般のものより長いとかいうソーセージの入ったホットドッグを売る「グーチョキパン屋」で,これは100メートルくらいの行列ができていたし,「空飛ぶオーブン」とかいう名前のレストラン,これは午前11時開店だというのに,2時間も前から並んでいる人がいたし,それ以外には,メリーゴーラウンドとかがあっただけでした。

 このところ,青森県に行って大自然に浸ったり,東京ですばらしいコンサートを聴いてきたりと,連日日本各地を移動し,精神的にも満足に浸っていた私は,それと比べてしまうから,このような作り物の張りぼてには何の感動もなく,かなりちんけなものとしか思えませんでした。せめて,ディズニーランドのようなショーや最新技術を駆使したアトラクションでもあれは,それなりの哲学というものも感じられるけれど,それすらないし,スタッフは単なるバイトの域を出ず,来た人を楽しませようという意欲も感じられませんでした。
 そんなわけで,前回入ることができなかった「魔女の谷」だけを適当に見て,早々に引き上げることにしました。並んでまでして昼食をとる気もなかったのですが,入口近くにおにぎりを食べることができるという,客のほとんどいなかったレストランがあったので,そこで昼食をとりました。これが一番落ち着きました。
 この日やったことはそれだけでした。しかし,こんな無意味な日も悪くない。

DSC_8385DSC_8391DSC_8394DSC_8396DSC_8401


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_6590DSC_6686

######
 私の「ジブリの大倉庫」での滞在時間は1時間程度でしたが,これで十分でした。次に予約したのは午後1時30分からの「どんどこ森」だったので,その間,「もののけの里」へ行きながら,愛・地球博記念公園を散策することにしました。いったい「もののけの里」には何があるのだろう?
  ・・・・・・
 「もののけの里」は「もののけ姫」に登場する和風の里山的風景をイメージしたエリア。
 作品内の建物をモチーフにした体験学習施設「タタラ場」や「乙事主」の滑り台「タタリ神」のオブジェがあります。
 ・・・・・・・
 「タタラ場」では「五平餅」の炭火焼体験ができるということですが,別途1,200円が必要でした。また,「タタリ神」というオブジェと「物見やぐら」はあるだけで登ることはできませんでした。「休憩処」というのは単なる土産物店でした。「愛・地球博」のときに「サツキとメイの家」の隣に建てられた管理棟を移築したものだそうです。
 ということで,「もののけの里」には特に何も見るべきものはありませんでした。

 愛・地球博記念公園の南半分のエリアは,「愛・地球博」のときに作られたままの自然豊かな森が存在しています。その入口に立つのが「稲楼門」でした。
 かつて,名古屋市中村区にあった「中村遊郭」。遊郭時代にあった「稲本楼」は,1923年建築の木造2階建てで,べんがら塗りの赤い塀と中国風の門が特徴で,ロの字やコの字形の建物の中央に日本庭園を配置したものでした。赤線廃止後は「料亭稲本」として営業していて,私も忘年会で行ったことがありましたが,2009年に閉店し,その後は,高齢者向けデイサービス施設として使われてきました。「稲楼門」は「稲本楼」が2018年に老朽化が目立ち解体されたのを機に,この地に移築されたものです。
 「どんどこ森」はこの門をくぐり,はるか先,15分程度歩いたところにありました。
 わかりにくいのですが,有料施設の「どんどこ森」というのは,「どんどこ森」全体のことではなく,このエリアの中にある「サツキとメイの家」の建物の中を見ることができるところだけです。
  ・・・・・・
 「となりのトトロ」で,サツキとメイが引っ越してきた和洋折衷の家は移築されたものではなく,アニメを元に作られたものです。 炊事場,風呂場,茶の間,和室,洋間など,耳をすますとサツキとメイの笑い声やススワタリの音が聞こえてくるようです。
  ・・・・・・
 私は,すでに,ジブリパークができる以前からあった「サツキとメイの家」はすでに来たことがあったから,またお金を出して入る必要はなかったのです。また,「サツキとメイの家」の外観を見るだけなら,無料エリアである「サツキとメイの家の見える展望台」に登れば,それで十分でした。
 「サツキとメイの家」の外には,どんぐりが目印の山道があって。山道を登った先にあるのは,中に入って遊ぶことのできる高さ5メートルの木製遊具「どんどこ堂」と 「どんどこ売店」,そして, 飲み物や土産物、季節に合わせた商品を販売している「どんどこ処」でした。また,山頂と麓をつなぐ,かつて名古屋市内を走っていた路面電車をモチーフにしたスロープカー「どんどこ号」に乗ることもできます。 
 私には,こうした作り物よりも,自然の中を散歩するほうがずっとこころ休まり楽しいので,このあたりをゆっくりと散策しました。日本庭園もあって,なかなか落ち着けるところでした。

 そして,最後に行ったのが午後3時からの「青春の丘」でした。
 「青春の丘」は「耳をすませば」の物語の舞台のひとつである「地球屋」と「ロータリー広場」,「猫の恩返し」に登場した「猫の事務所」, そして誰でも利用できる「エレベーター塔」から構成されるエリアでした。
 「エレベーター塔」は, 19世紀末の空想科学的な世界観をもとにしたもので,ホンモノのエレベータを兼ねています。
  ・・・・・・
 地球屋は「耳をすませば」で主人公・月島雫が偶然たどりついたアンティーク家具や時計の修理・販売を行う店で,2階には,家具のほか,からくり時計,人形,木馬などが部屋の隅々まで置かれていて,機械仕掛けのからくり時計は,10分遅れているので,時間指定のチケットで入場した後に10分待つとからくり時計が動くのを鑑賞することができます。1階に降りると,天沢聖司が見習いとしてバイオリン制作を学んでいた工房がありました。
  ・・・・・・
 私が興味をもったのは,そこにあった数々の本物のヴァイオリンとヴィオラ・ダ・ガンバでした。
  ・・・・・・
 ヴィオラ・ダ・ガンバ(viola da gamba)は,16世紀から18世紀にヨーロッパで用いられた擦弦楽器で,「脚のヴィオラ」を意味してて,これは,楽器を脚で支えることに由来すします。これに対して,ヴィオラ・ダ・ブラッチョ(viola da braccio)は「腕のヴィオラ」の意味で,これがヴァイオリン,チヴィオラ,チェロなどのヴァイロン属です。
 ヴァイオリン属に比べ音量が小さいヴィオラ・ダ・ガンバは,劇場や野外での演奏には適さず,宮廷や上流市民の家庭における室内楽,および教会音楽で用いられます。
  ・・・・・・
 また,「猫の恩返し」に登場する「猫の事務所」は猫サイズで建てた木造平屋の建物ということで,外にあった電話ボックスは,受話器を取ると勝手にどこかへ電話がかかり「 ニャーオ,ニャーオ」という猫の鳴き声が聞こえてきますが,たまに違うパターンがあるそうです。

 この日,「青春の丘」に入るのを待っていたとき,ヘリコブターが2機,空を飛んだので見上げると,奇妙な虹が見えました。
 家に帰って調べてみると,それはレア度★★★の「環天頂アーク」というものでした。私ははじめて見ました。頭上高く,下側にへこんだ弓形に見える虹色現象で,その形から「逆さ虹」ともよばれるそうです。太陽光が上層の巻雲や巻層雲などの氷の粒によって屈折することで出現するということです。また,太陽高度が高すぎると見えなくなって,日の出後か,日の入り前に見られるものだそうです。
 結局,これが,この日,1番の見ものでした。
  ・・
 そんなこんなで,天気がよかったこともあり,時間十分あったこともあり,有料施設の内容はともかく,なかなか楽しい時間を過ごすことができました。有料施設以外はあまり人がおらず,これもまた,ゆったりくつろげた理由でした。近くに住んでいるのなら,毎日でも散歩に来たい場所でした。
  ・・
 それにしても,有料施設は高すぎます。「ジブリの大倉庫」と「もののけの里」で2,500円,そして,「どんどこ森」と「青春の丘」がそれぞれ1,000円で,合計4,500円也。食事と交通費を合わせれば,約10,000円となります。そもそも,新しく造った施設というもはほとんどなく,これまでに何らかの形であったものを改装したり移築しただけの,いかにも金のかけかたを知らない愛知県らしい娯楽施設でした。現在,東京ディズニーランドのチケットが値上がりして約10,000円だそうですが,これはアトラクションなども含まれているので,それに比べたら,かなり割高です。
 私は,どういうところなのかという謎が解けたので,1回で十分だと思いました。リピートすることはありますまい。

DSC_6561DSC_6559DSC_6569DSC_6575DSC_6613DSC_6621DSC_6629DSC_6653DSC_6663


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_6546DSC_6542

######
 昨日のことのように思うのですが,もう19年も昔の2005年に「愛・地球博」が行われました。
 1964年に行われた東京オリンピック,1970年に行われた大阪万博,そして,1972年に開催された札幌冬季オリンピックで,日本は飛躍的に進歩しました。夢多き時代でした。当時はそれでよかったのですが,いつまでもそれが忘れられず,夢よ再びということで,今もなお,一部の実力者たちは同じようなことを企画しているようです。しかし,もはや,世界も,この国も,当時とは状況が違います。
 ということで,私は開催に反対だった「愛・地球博」だったので,チケットを購入することもなく,浮かれることもなく,静観を決め込んでいたのですが,その実,内覧会とオーストラリア館のシンポジウムに招かれて,2度も行きました。
 しかし,私が思っていた通り,開催したことで何かが残ったということもほとんどなく,「愛・地球博」以前は,青少年公園として県民の憩いの場であったところは,「愛・地球博」によって無残にも壊され,有効な活用方法が見つからず,広い土地を持て余し,負の遺産だけが残りました。
 それが,ようやく貰い手が見つかったように,この地にできたのがジブリパークでした。

  ・・・・・・
 ジブリパークは,スタジオジブリ作品の世界観を表現した公園施設として,同園内の未利用地や既存施設を再整備し,「青春の丘」「ジブリの大倉庫」「どんどこ森」「もののけの里」「魔女の谷」の5つのエリアを設けるというもので,まず,2022年に開園したのが「青春の丘」「ジブリの大倉庫」「どんどこ森」,そして,2023年に「もののけの里」,そして,まもなく「魔女の谷」がオープンします。
  ・・・・・・
 私は,ジブリ作品は「となりのトトロ」と「魔女の宅急便」しか知らず,ほどんど興味もないのですが,地元でもあり,一度くらいはどういうところか知りたいという好奇心だけで,2か月前にはじまる事前予約でチケットを手に入れ,2024年1月22日に行ってきました。
 冬の平日,雪やら強風だったらどうしようと,これもまた天気次第でしたが,当日は晴天でポカポカ陽気でした。1日違えば寒波到来,特に1月24日は大雪だったので,大変なことになっていましたが,私はいつもながら強運です。

 何の予備知識もなかったので,適当に見繕って,午前10時に「ジブリの大倉庫」,午後1時30分に「どんどこ森」,午後3時に「青春の丘」を予約しました。もうひとつ「もののけの里」というのは入場時間指定はなく,当日の午後4時までに入場すればいいということでした。そもそも,予約をしておきながら,それらが何なのかさえ知らないありさまでした。
 当日,はじめは公共交通機関でいくつもりでしたが,乗り換えなどが面倒になって,車で行きました。しかし,ちょうど通勤時間と重なって,道路は渋滞気味。やっと到着したのが午前9時ころでしたが,駐車場はがらがらでした。
 ジブリパークは愛・地球博記念公園の中に4か所点在していて,それぞれのエリアに入るときだけ有料で,愛・地球博記念公園自体は無料です。まず,案内所に行って,どのように回ればいいのか聞くと親切に教えてもらえました。午前10時までにはまだ時間があったので,時間つぶしに「愛・地球博」のときに使用したものが展示されてある「愛・地球博記念館」へ寄って見学しました。そこには残されて始末に困るものが展示されていましたが,私以外には訪れる人もおらず,閑散としていました。
 午前9時45分になったので「ジブリの大倉庫」に行ったのですが,すでに午前10時からの人たちが大勢並んでいました。

 愛・地球博記念公園には「愛・地球博」のときの跡地の一角に,スケート場とプールの入った巨大な建物ができました。「ジブリの大倉庫」は,プールを壊して,そこを改装して作られました。スケートリンクは今も存在していて,フィギアスケートショーなども行われています。
  ・・・・・・・
 「ジブリの大倉庫」は,まさにジブリの大博覧会。
 ひとつの巨大な施設の中に,映像展示室をはじめ,3つの企画展示,ショップやカフェなど「ジブリ」がぎゅっとつめこまれています。
  ・・・・・・
 というのがウリですが,中に入ると,まず,1階と2階を結ぶ色鮮やかなキャラクターのタイル装飾の階段と,天窓の下には「空飛ぶ巨大な船」がプロペラを回しながらゆっくりと飛んでいました。それぞれの階には様々な展示室がありました。
 「公開倉庫」と名づけられたコーナーには,三鷹の森ジブリ美術館で開催された企画展示「食べるを描く」が展示されていました。また,「ジブリがいっぱい展」には,世界中から集めたジブリ作品のポスター,映像・音楽パッケージ,書籍などが展示されていました。
 三鷹の森ジブリ美術館で上映されてきた短編アニメを上映する「映像展示室オリヲン座」という劇場では「ちゅうずもう」というネズミが相撲大会をやるという内容のアニメをやっていて,これはけっこう楽しく見ることができました。
 「子どもの街」と「ネコバスルーム」は単なる子どもの遊び場でした。
  ・・
 「南街」という商店街では,書籍を取り扱う「熱風書店」,模型を販売する「大空模型」,駄菓子を並べた「猫かぶり姫」が並び,実際に商品を売っていました。また,「冒険飛行団」という名のメインショップは,ジブリ長編作品に関連するグッズや,ジブリパークのオリジナル商品が売られていました。
 また,その入口にあったミルクスタンド「シベリ❆あん」では,オリジナルデザインの瓶で牛乳が売られていたり,「風立ちぬ」とかいう作品に登場したお菓子「シベリア」が食べられるということですが,「シベリア」は私の家の近くのスーパーにも売っているので,珍しくありませんでした。

 このように,「ジブリの大倉庫」にあったのは,ジブリ作品にでてくるさまざまなセットがこしらえてあったり,土産物店があったりする場所でした。「ジブリの大倉庫」は人気で,ここで何時間も過ごす人が多いということでしたが,何せ,私は,ジブリ作品は「となりのトトロ」と「魔女の宅急便」しか知らないから,見るべきものがありません。所詮,単なる作り物だという感想しか抱きませんでしたが,ふらふらしていたら,何となく時間が過ぎました。
 平日にだれが来るのだろう? と思っていたのですが,幼稚園や小学校の遠足の子供たちがたくさんいました。遠足には絶好の場所のようでした。その一方で,東京からわざわざ来たという人も結構いました。名古屋(愛知)はどこも空いているからいい,と言っていました。
 午前11時になったので,「カフェ大陸横断飛行」という名前のレストランで昼食をとりました。開店早々だったので簡単に席が確保できましたが,食べ終えたころには多くの人が並んでいました。

DSC_6513DSC_6514DSC_6522DSC_6526DSC_6532DSC_6535DSC_6540DSC_6543FullSizeRender


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_5665

######
 先日,JR東海管轄の東海道新幹線について書きましたが,私は,JR東日本管轄の新幹線については,JR東京駅で遠くのホームに見かけると,変わった新幹線があるものだと思う程度だったし,数年前に花巻から帰るときに東北新幹線に乗ったことがあるくらいで,ほとんど知りませんでした。
 今回,1月15日にJR会津若松駅からJR小出駅まで只見線全線に乗ろうと,JR郡山駅まで東北新幹線を利用するためにJR大宮駅に行きましたが,JR大宮駅では,私の乗る列車の出発時間まで30分以上あったので,ホームに行けばさまざまな新幹線を目の前にみることができるではないかと気づき,早々にホームに出てみました。
 そこで感動しました。ホームには,次から次へと,私が見たこともない新幹線が到着しては発車していったのです。JR大宮駅の新幹線ホームでは,北海道新幹線,東北新幹線,上越新幹線,秋田新幹線,山形新幹線,北陸新幹線がすべて見られるのです。

 奇しくも,その1週間ほどのちの1月23日,JR東京駅とJR大宮駅間の架線故障で,これらの新幹線はすべて運休になってしまったのですが,そうしたニュースも,北海道新幹線,東北新幹線,上越新幹線,秋田新幹線,山形新幹線,北陸新幹線のことを知らないとなかなか理解できないものに違いありません。
 そこで,私が写した写真をもとに,帰宅してから,どんな種類の新幹線があるのか大まかに調べてたので,ここにまとめてみました。
 新幹線の車両は,すでに運用をやめたE1系とE4系を除く,E2系からE7系までの5種類が走っています。そして,近々E8系が加わります。
  ・・・・・・
●E2系(上から4番目の写真)
 北陸新幹線,秋田新幹線と併結して走行する東北新幹線に使用する車両として開発されました。  
 現在はE7系への移行中で,近々姿を消すと思われます。
  ・・
●E3系(上から5番目と6番目の写真)
 新幹線と在来線を乗り換えなしで結ぶ「新在直通運転」として秋田新幹線開業に合わせて登場しました。秋田新幹線用のE3系は営業運転を終了し,現在は山形新幹線で運転していますが,E8系の導入が予定されています。
  ・・
●E5系(上から7番目の写真)
 新世代の新幹線車両で,国内営業最高速度300km/hで運転を開始し,現在は320km/hで運転している北海道新幹線と東北新幹線のメイン車両です。
  ・・
●E6系(上から8番目の写真)
 新幹線と在来線を乗り換えなしで結ぶ「新在直通運転」を行う秋田新幹線用の車両です。
 また,E5系とE6系は連結されてJR盛岡駅まで走ります(上から9番目の写真)。
  ・・
●E7系(上から1番目,10番目,12番目の写真)
 北陸新幹線金沢開業に向けて開発された新幹線最新車両で,現在は,上越新幹線でも営業を開始するなど,E2系からの置き換えが進行中です。
  ・・
●E1系,E4系
 2階建て車両ですが,現在は運行していません。
  ・・・・・・

 ということで,複雑そうで,一見理解不能すが,まとめてみると結構単純で
  ・・・・・・
①北海道新幹線・東北新幹線
 北海道新幹線は東北新幹線の延長として「はやぶさ」に加え,盛岡駅-新函館北斗駅間のみ運行する「はやて」,東北新幹線は最速の「はやぶさ」,東京駅-仙台駅/盛岡駅の「やまびこ」,東京駅-那須塩原駅/郡山駅を結ぶ「なすの」があって,主にE5系で運行している。
②上越新幹線・北陸新幹線
 上越新幹線は「とき」に加え,東京駅/上野駅-高崎駅/越後湯沢駅の「たにがわ」,北陸新幹線は「はくたか」に加え,最速の「かがやき」,東京駅-長野駅間の「あさま」,富山駅-金沢駅間の「つるぎ」があってE7系で運行している。 
③秋田新幹線・山形新幹線
 秋田新幹線は「こまち」をE6系で,山形新幹線は「つばさ」をE3系(まもなくE8系に更新)で運行している。
  ・・・・・・
となります。
 なお,秋田新幹線と山形新幹線は「全国新幹線鉄道整備法に基づかない新在直通方式のミニ新幹線」で,法律上は在来線です。

 私は,東海道新幹線以外は無縁のものだと思っていたのですが,日本各地を列車で旅するようになって,今回,行きに東北新幹線「やまびこ」でE5系に,帰りに上越新幹線「とき」でE7系に乗車しました。

DSC_5643DSC_5644E2やまびこDSC_5684 E3つばさDSC_5675DSC_5677 DSC_5646 E6こまちDSC_5691はやぶさこまちDSC_5695E7かがやきDSC_5679DSC_5680E7ときDSC_5648DSC_5650


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_4920IMG_4788IMG_4772IMG_4773

######
 東海道新幹線は,第2次世界大戦以前に構想された弾丸列車が元となっているので,造られた当時は夢のような速さであった時速210キロメートルで設計されまた。
 しかし,今となっては,かなりカーブやアップダウンが多いので,いくら車両を工夫しても東海道新幹線は時速270キロメートルが限度でした。その後,さらに工夫を凝らして若干の速度向上を果たし,N700A系,N700S系では,時速285キロメートルでの安全走行が可能になりました。
 今日は,現行の新幹線をまとめますが,このごろの私は,東海道新幹線を利用することも多くなって,そうなると,さらに快適さを求めて,もっぱらグリーン車に乗るようになりました。名古屋から東京などあっという間で,高速バスの夜行を利用していたころが夢のようです。

  ・・・・・・
●N700A(2013年から現行)
 N700系の改良型で,ブレーキ設備や照明などが改良されて,N700系よりも快適性が増しました。また,最高速度が時速285キロメートルになりました。
 N700系を改造してN700Aにした車両はN700の下に小さくAと書かれていますが,最初からN700Aとして作られた車両は大きくAと書かれていて,スモールA,ラージAなどとよばれています。スモールAとラージAとでは乗り心地が違うようです。
 そういえば,近ごろはスモールAを見かけなくなりました。現役引退かな?
  ・・
●N700S(2020年から現行)
 コンセントがすべての席で対応するようになったほか,座席をリクライニングさせたときに座面も少し沈み込むようになるなど、より快適な座席へと進化しました。また,車内の温度が均一になるよう空調の通風孔を広げました。さらに,バッテリー走行も可能になって,突然停電が発生しても駅まで移動できるようになったり,車いすスペースがある車両では自動ドアの開口部をずらし、不用意にデッキから丸見えにならない工夫がされています。
 乗ってすぐにわかるのは,N700Sでは,飛行機のような間接照明になっていることで,高級感があります。今日の3番目の写真が700Aの車内で4番目の写真が700Sの車内です。
  ・・
●923系(ドクターイエロー)
 番外編です。
 700系をベースに開発された新幹線電気軌道総合試験車923系は「ドクターイエロー」とよばれています。ドクターイエローは7両編成,その全てに測定機器などを詰め込んだ検査専門の車両です。
 珍しいため,偶然「ドクターイエロー」を見ると幸せになれるといわれています。
 JR側から運行日や時刻は公開されていませんが,これまでの運行パターンから運行日や時刻を予測することが可能で,私は,それを利用して,ずいぶんと写真や動画を写しました。「ドクターイエロー」が走ると予測された時間には,線路沿いにカメラを持った愛好者が集まります。
 700系が引退して,東海道線の最高速度が時速285キロメートルへと引き上げられたため,時速270キロメートルのドクターイエローは存続が危ぶまれていますが, 少なくともしばらくは活躍することが見込まれているそうです。
  ・・・・・・

新幹線


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_5158xDSC_5358x

######
 子供のころ住んでいたのがJR名古屋駅の近くだったので,60年前の私は,東海道新幹線の建設の様子を毎日見ていました。
 線路の敷設には,大型構造物を支える基礎杭を地中に施工することが必要です。基礎杭を地面に打つためには,パイルドライバといわれる杭打機が使われますが,当時のパイルドライバは,本体にディーゼルハンマといわれる数トンの鉄の固まりを燃料を爆発させたエネルギで跳ね上げてコンクリートの杭を打ち込むものでした。いつの間にか見られなくなったなあ,と思っていたのですが,1977年(昭和52年)の振動規制法によって,このような施工を市街地で行うことは出来なくなったそうです。
 カシャーン,カシャーンと,メトロノームのように規則正しく聞こえてくる騒音,そして,ときおり硬い岩盤にぶち当たると,ディーゼルハンマーが頼りなさそうに止まってしまうのです。子供にとっては騒音公害ではなく興味深く,これを見ているのは楽しいもので,見飽きませんでした。
 こうして,1964年(昭和39年)の東京オリンピックの開催に合わせて作られた東海道新幹線は,「時速200キロの弾丸列車」とよばれる夢いっぱいのものでした。世界一,という言葉にわくわくしました。そして,開通と同時に走ったのが0系といわれるものです。今でも,私のイメージでは「新幹線=0形」です。

 このように,新幹線はあまりに身近なものだったので,あまり興味がありませんでした。また,若いころはほとんど乗ったこともなく,東京や京都に行くときも大概は高速バスを使っていました。そこで,たまに乗ると,新幹線のスタイルがかわったなあと思う程度でした。
 時は過ぎ,最近になって,鉄道の好きな将棋の藤井聡太八冠が「N700Sに乗ったことがないから乗ってみたい」というような発言をしたのを聞いて,「今は,新幹線はN700Sという新型車があるのか。でも乗るのはレアなことか」と思って以来,新幹線を意識するようになりました。
 優雅な老人生活をするようになって,体にこたえる長距離バスよりも新幹線を利用するようになると,さらにN700Sを意識するようになってきました。
 こうして,新幹線の種類もわかるようになり,利用するときや散歩をしていて新幹線が通ると,それがN700Sであれば,今日は縁起がいいなあ,と思ったりします。
 今日の1番目の写真は,2024年1月1日の日の出前,今年はじめて見た新幹線ですが,これがN700Sだったのに気をよくしました。そして,2番目の写真は,日の出後に,別の角度から太陽とともに写したものですが,これもまた,N700Sでした。

 ということで,「鉄ちゃん」は知っていて当然の知識でしょうが,無知な私自身が知識を整理するために,今日はこれまでに運用された東海道新幹線の種類についてまとめておくことにします。
  ・・・・・・
●0系(1964年から2008年)
 東海道新幹線の初代の車両で,ビュッフェ車や食堂車が設けられていました。当時子供だった私は,新幹線に乗るときには,父親にせがんで食堂車を利用するのが夢だったのですが,ビュッフェ車を利用するのが精いっぱいの贅沢でした。食堂車は1車両全体を使っていましたが,立ち席のビュッフェは1車両の半分を使っていて,残りは普通車の座席でした。食堂車にビュッフェ,普通車両には車内販売すらない今から考えると,夢のような話です。
  ・・
●100系(1985年から2012年)
 0系が「こだま」になり,新しく開発された100系が「ひかり」として運用されるようになりました。
 100系には,2階建ての車両があったり個室が設定されていたりしました。確か,食堂車は2階にあったように記憶します。このころはもう就職していたので,ときどき名古屋から京都に遊びに行くときに乗りましたが,乗ってすぐに食堂車に行って朝食を食べ終わると京都に着くということで,普通車の座席にすわることすらありませんでした。
  ・・
●300系(1992年から2012年)
 最高速度が時速270キロメートルになって,「のぞみ」の登場とともにデビューした車両です。
 当時は,「ひかり」と「のぞみ」の特急料金が違っていました。私は100系に乗り,高値の花だった300系にはほとんど乗ったことがないように思います。
  ・・
●500系(1997年から2010年)
 異端児の新幹線で,スタイルが異なっています。最高速度hが時速300キロメートルまで出せるのですが,最高速度が時速270キロメートルと決められていた東海道新幹線では,その速度は出せませんでした。
 独特の円形フォルムは高速化による騒音対策でしたが,居住性に難があったそうです。京都に行ったときに,ときどき,ホームで見たくらいで,私はおそらく乗ったことがありません。
 私は,新幹線界のコンコルドだと思っています。
  ・・
●700系(199年から2020年)
 カモノハシ型のスタイルは,当時,カッコ悪いなあ,と思いましたが,現在の新幹線の基本形となるものです。今ではすべてこの形なので見慣れました。
 700系が走りはじめたころは仕事が忙しく,必要にせまられてたびたび乗ったことはあるのですが,どんな車両なのかと考える余裕もありませんでした。
  ・・
● N700系(2007年から2020年)
 東海道新幹線の主力車両となりました。
 その後,N700Aが用いられるようになって, N700は順次N700Aに改良されました。改良されたN700Aは,N700の下に小さくAとかかれてありましたが,近ごろは見かけません。
  ・・・・・・
 以下,次回に続きます。

p1


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_1087IMG_1089

######
 2023年は夏が異常で,特に,7月から9月は地獄でした。もう秋は来ないのか,と思っていた10月になって,突然涼しくなりました。しかし,あっという間にそんな季節も過ぎ去って,今は12月,師走です。10月,11月は天候にも恵まれて,すがすがしい日々を過ごすことができました。紅葉もまた,思う存分楽しむことができました。
 あれだけ夏が暑いと,少しばかり寒くても感謝です。酷暑の3か月は二度と御免です。来年もそうだとすれば,何か策を考えなければいけません。

 ということですが,食欲のない暑い夏に,唯一,あれだけ食べたかったウナギですが,涼しくなると,まったくその気がなくなるのが不思議なところです。それに対して,食欲の秋,といいますが,秋から寒くなってきた初冬の季節は食がすすみます。豊かな日常を過ごすには,何といっても,おいしいものを食べるに限ります。
  ・・
 私が最も好むのは,味噌煮込みうどんです。私の住む地方では,他県から来る人は「名古屋めし」とかいって,みそかつ,手羽先,ひつまぶしなどを真っ先にあげますが,地元に住む私たちには,何といっても,味噌煮込みうどんです。世の中にこれ以上おいしいものはないのではないか,とさえ思います。
 味噌煮込みうどんは,味噌仕立ての汁でうどんを煮込んだもので,蒲鉾やネギ,シイタケなどの具材がたっぷりと入っています。味噌仕立ての煮込みうどんは各地にあるそうですが,豆味噌仕立ての愛知県のものが特に有名です。かしわや玉子を入れることも多く,かしわとして,名古屋コーチンを使うのが高級品です。
 戦国時代,武田信玄の陣中食であったほうとうが,のちに徳川家に召し抱えられた武田家遺臣によって伝えられたとか,明治時代に一宮市周辺で繊維産業に従事していた女性従業員たちがほうとうを参考にして豆味噌で煮込みを食していたものが伝わったというように,その起源はほうとうにあるようです。
  ・・
 また,次に私が好きなのは,菜めし田楽です。こちらは豊橋市の名物です。
 菜めし田楽は,米の飯に大根葉を乾燥させ炊き込んだものと味噌田楽を合わせた料理です。江戸時代初期,尾形乾山の道中記に,現在の豊橋市である吉田宿の隣にある現在の豊川市の御油宿で,菜めし田楽を名物として看板に掲げる店に入ったという記述があるそうで,渥美半島産の大根や三河国産の八丁味噌を用いた菜めし田楽が発祥ではないかということです。
 豊橋市にある文政年間創業の「菜飯田楽・きく宗」が老舗ですが,豊橋の菜めし田楽が有名になったのは明治時代以降ということです。
  ・・
 この地方のものではないのですが,スープカレーも好きです。体が温まります。
 スープカレーは,スパイスの香り,刺激,辛みのきいたスープと大振りの具が特徴であるカレー料理です。札幌市に開店した喫茶店「アジャンタ」が1975年ごろに発売した「薬膳カリィ」が原型といわれているそうで,その後,30年ほどをかけて札幌市内を中心に発展し,1990年代から2000年代に大ブームを引き起こしました。また,自分の店のカレーを「スープカレー」と命名したのは札幌市白石に開店した「マジックスパイス」で,これらが「スープカレー第1世代」。そして,第1世代の店に影響を受けて開業した「スープカレー第2世代」の店によって,スープカレーは一般に浸透したといいます。
 私の住む地方では,まだ,提供する店が少なく,食べる機会がなかなかないのが残念です。

402152285_2443905245796299_5713080585030647736_nIMG_1083IMG_1094


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_2487DSC_2509

######
 暑い夏です。これでは何もする気が起きません。外出する気にもなりません。いくら優雅な日々を送っているとはいえ,もっと過ごしやすい気候ならともかく,これでは,気力も体力もすっかりなくなってしまうので,日々,だらだらと過ごしているのです。若いころとは違って,そうしなければならないということもほとんどないので,そんなことを続けていると,ますます,何かをする意欲がなくなってきます。
 こんな状態を打破して,何かをしたい,という気持ちになるには,いったいどういった動機づけが必要なのだろう? などとぼんやり考えたりします。
 これまで,旅行をしたり,好きなことをする時間が最も多かったのは,いくら暑いとはいえ,何といってもこの時期だったので,ずいぶんといろいろな思い出がよみがえってきたりします。そこで,ふと思い出したのが,今から50年くらい前に流行っていた「スリーディグリーズ」(The Three Degrees)というアメリカの女性ボーカルグループでした。
  ・・・・・・
 「スリーディグリーズ」は,1963年にアメリカのフィラデルフィアで結成されました。私はまったく知らなかったのですが,メンバーはしばしば入れ替わり,これまで,延べ15人もの女性メンバーがいたということですが,今も現役! だそうです。「スリーディグリーズ」というのは,英語のことわざ「Man, woman, and devil, are the three degrees of comparison.」からきたもので,女性は悪魔の前段階,というような感じでしょうか。また,フィラデルフィアのソウルミュージックは,従来のソウルを都会的に洗練したもので,1970年代のディスコブームの先駆けでした。
  ・・・・・・

 私が知っているのは,1974年に発売されて,日本でも人気となった「天使のささやき」(When will I see you again)という曲で,このときのメンバーは,ファイエット・ピンクニー(Fayette Pinkney),ヴァレリー・ホリデイ(Valerie Holiday),そして,リードヴォーカルがシーラ・ファーガソン(Sheila Ferguson)でした。
 「天使のささやき」という日本名をつけ,来日したときは日本語の歌詞で歌った(歌わされた)というのが,いかにも当時の日本のダサさです。
 今,Youubeでそのときの映像を見ることができるのが幸運な話です。「天使のささやき」は
  ・・・・・・
  When will I see you again?
 When will we share precious moments?
 Will I have to wait forever?
 Will I have to suffer and cry the whole night through?
  ・・・・・・
からはじまりますが,曲のはじめの,青江三奈を連想するため息がすてきです。当時の私は子供だったので,単にいい曲だなあ,と思っていただけだったのですが,歌詞の意味のわかる今となっては,もっといろいろなことが感じられるのが,50年という年月なのでしょう。
 ということで,この曲を聴いていたら,当時の自分の気持ちがよみがえってきました。そして,また,アメリカに行ってみたいなあ,とか,そういった当時の夢が湧いてきました。何事も,意欲というのは,こうしたたわいもないことから生まれてくるものなのですなあ。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_1299DSC_1317

######
 まず,今日のお話の結論をいいます。天気予報はまず当たりません。昔より当たるという人がいますが,それは正しくないと,私は思います。
  ・・
 さて,私は,旅に出る機会も多いので,天気が気になります。そこで,さまざまな天気予報を調べるのですが,日々,ころころと予想が変わります。特に,1週間先の予報など,まったくといっていいほどあてになりません。そんな予報なら,ないほうがずっといいと思うほどです。
 むしろ,私は自分でもおそろしいほどの晴れ男なので,周囲の人は,何の根拠もないのに,天気予報よりも,私が旅行に行く先は晴れる,とかいっているくらいです。
  ・・・・・・
 誰かが言っていました。
 確かさ50パーセントというのが最も困る。確かさ0パーセントならその逆だと思えばいいけれど,50パーセントというのは,要するにわからないということではないかと。
  ・・・・・・
 つまり,現在の天気予報は,「晴れか曇りか,ところによっては雨でしょう」といっているようなものなのです。

 ところで,天気予報といっても様々です。
 「晴れ」といっても,冬型の気圧配置で北風が吹いて寒く雲が次々と流れてくる日,移動性高気圧がやってきて雲ひとつなく晴れ上がり気持ちがいい日,太平洋高気圧が張り出して蒸し暑い日では全く違います。
 星見に行くときの私は,「晴れ」といっても,星が見えるかどうかその基準となります。そこで,移動性高気圧がやってきて,等圧線がおむすび型になる日が最高の条件となりますし,そうでない日は,天気予報で晴れといっても雲がでてしまうこともあります。
 このように,天気予報は,その目的によって知りたい情報が違うのです。
 それにもかかわらず,天気予報は,昔から同じようなことを伝えていて,知りたい情報をつたえているとはいい難いものです。むしろ,わからないならわからない,とでもいってもらったほうが,よほど親切です。

 私は,コロナ禍以前,頻繁に海外旅行をしていたのですが,この時期から初秋にかけて海外旅行を企画したとき,もっとも問題となったのは台風でした。
 出発の日に台風が来るとなると,パニックです。そこで,1週間ほど前からの正確な台風情報が欲しくなったのですが,このとき,最も正確だったのが,アメリカ軍の天気予報で,日本の予報はあてになりませんでした。
 聞くところによると,こうした予報は,現在はAIがやっていて,そのプログラムは気象のことなど知らない人がつくったという話を聞いたことがあります。要するに,これはディープラーニングの世界なのです。気象予報士という資格を取るのはかなり難しいものらしいのですが,それにしても… という感じです。気象予報士の名前の下に,天気予報正解確率でも記述したらどうでしょう?
  ・・
 AIによって将棋界が変わったように,天気予報もまた,どんな情報を人々が望んでいるかを考えて,従来のものとはまったく異なる価値観でつくられるべき時代だと,私は思います。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_8807#1

●2023年4月3日にNHKBSPで「アラスカの光と風-星野道夫×大竹英洋・時を超える旅-」が放送されたので,見ました。
 番組の紹介は
  ・・・・・・
 優しい眼差しの写真と心に響く文章でアラスカの自然を伝え続けた星野道夫さん。その世界に共感し自然写真家になった大竹英洋さんが彼の足跡をたどり壮大な旅に出た。
 星野道夫さんが生涯をかけたトナカイの大移動に遭遇し,ザトウクジラの群れに星野さんが出会ったクジラを発見。倉庫に眠っていたカメラから見つかった遺作フィルムの現像にも成功。
 時を超えて届いた手紙の様な写真を大公開! 今よみがえる星野道夫さんからのメッセージ。
  ・・・・・・
ということでしたが,大竹英洋さんは北アメリカ大陸ノースウッズ地域をフィールドとする自然写真家で,1975年京都府舞鶴市生まれ,一橋大学ワンダーフォーゲル部の出身だそうです。
 大学卒業後に自然写真家のジム・ブランデンバーグ(Jim Brandenburg)に弟子入りしようと北アメリカ大陸ノースウッズに訪れたことから撮影活動をはじめたということです。また,ノースウッズというのはアメリカとカナダの国境付近から北極圏にかけて広がる地域のことで,世界最大の原生林のひとつでもあるこの土地には,カリブーやオオカミ,ホッキョクグマなど様々な野生動物が生息している場所です。
 こういった前提の知識がないと,見はじめたときは自分の感情の置きどろころがなく,どんな内容なのかと少し戸惑いました。そもそも,なぜ今星野道夫さん? と思いましたが,ドンドンと引き込まれ,すばらしい番組でした。
 以前書いたことがありますが,私も一度アラスカ州に行ったことがあって,多くの発見と感動をしました。そのときの想いがよみがえってきました。私にも,もう少しの勇気と才能があったらなあ,とまぶしくもなりました。またいつか再びアラスカの地を踏みたいものです。でも遠い。

●元NHK交響楽団チェロ次席桑田歩さんが2023年4月5日に亡くなりました。57歳でした。
 ここ3年,コロナ禍でNHK交響楽団の公演から遠ざかっていて,近ごろ定期会員に復帰したところ,多くの団員が代わってとても若返っていて驚きました。それ以前にいつも見ていた桑田歩さんも退団されていて,どうしたのだろうと気になっていました。
 ツイッターでは多くの投稿をしていて,今にして思えば,残り少ない命を懸命に生きていたのです。
 3月8日に病を押して出演した演奏会が最後になったようですが,衝撃的だったのは2023年1月4日に演奏をした「鳥の歌」と指揮をしたベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」です。NHK交響楽団をはじめとした多くの演奏家が集まって,渾身の演奏をしたこの公演は,現在,ネット上にアップロードされているのですが,涙なしには見られませんでした。
 以前,早逝した同じくNHK交響楽団首席チェロ奏者だった徳永謙一郎さんが,ホスピスで最後の力を振り絞って「鳥の歌」を演奏した番組を見たことがあるのですが,それと姿がダブりました。
 この演奏会の予告が載っていたときは,どうしてチェロ奏者が指揮を? と私はとまどったのですが,そういう事情だったわけです。返す返す,2023年4月27日に指揮をするはずだったブルックナーの交響曲第8番がかなえられなかったことが残念です。
 ご冥福をお祈りします。

●2023年4月5日,4月6日に行われた第81期将棋名人戦七番勝負の第1局は挑戦者の藤井聡太竜王が先勝しました。
 東京都文京区の「ホテル椿山荘東京」で行われた,渡辺明名人に藤井聡太竜王が挑戦する今期の将棋名人戦は,非常に多くの人の関心を集めていて,多くのメディアでライブ中継をしたり,ニュースを流したりしてしていましたが,いつものごとく,それらは玉石混交で,「かいせつ」もまた,解説から怪説までさまざまでした。
 その中で,ダントツによかったのが,佐藤天彦九段が担当した,現地で行われた解説会でした。このときの様子はYouTubeで見ることができます。
 この対局では,85手目に渡辺明名人が▲7七銀という手を指せなかったことが話題となっていて,単にAIの評価値から多くの無責任な記事や意見が書かれていますが,この手についての真相は,この佐藤天彦九段の解説を聞いてみるのが一番です。以前,AIによる評価値についてこのブログに書きましたが,私は,人間が指せる手と指せない手がある,ということから,それをどうとらえるべきか,そして,どう解説してくれるか,はたまた,人間はAIとどのようにかかわっていくか,というほうがずっと興味があります。無責任な傍観者の脳はコンピュータに支配されていて,失敗しただのやんのやんのと騒いでるのですが,対局者はずっと真剣で,もっと深く読んでいるのです。
 こういうものを見ると,将棋に限らず,それ以外のすべてのことに対しても,どのように報道されているか,そしてまた,それらがいかに適当であるかがわかるというものです。
 また,YouTubeにある毎日新聞の将棋・囲碁ch「名人戦第1局を解説」では,三枚堂達也七段が局後にていねいな解説していたのも秀逸でした。この将棋の終盤で,藤井聡太竜王が△4八金と打って,その後にその金に効いていた角を引いて銀を取ったために,打ったばかりの金を飛車で取られるといった,一見ちょっと不可解な手順を選んだために,寄せを決めそこなっているように解説していたものもあり,実際評価値も下がったのですが,実はそんな簡単なものではなく,凡人には理解できない深い読みの裏づけがあって指し手を進めていたことが解説からわかります。こういう解説を聞くと,対局者がどれほど表面には現れない深い考察をしているのかということを知ることができて,感動を覚えます。解説はこうでなきゃ。

#2#3#4


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

 

271518795_1943201929199969_1121462619274476203_nIMG_59756e2c0744

 私の大好きなおやつはたい焼きです。お昼過ぎに小腹がが空くと,ふらふらと外出して,つい,たい焼きを買ってきてしまいます。夕食までのしばしの時間を満たすのには絶好の食べ物です。
 我が家の近くには,たい焼き屋さんが結構多くあるので,その違いを味わうのも,また,楽しいものです。

 買い食い文化が発達したのは江戸時代からだそうですが,そのころにはさすがにたい焼きはなかったようです。
 たい焼きは今川焼きから派生した食べ物であるとされ,明治時代に鋳物の型を使って作られたのがはじまりという説があります。また,どこの店がはじまりかという点に関しては,1909年に創業した麻布十番にある「浪花家」の考案説がありますが,それ以前からもたい焼き屋が存在していたという話もあって,定かではないそうです。
 いずれにしても,庶民のおやつとして誕生したたい焼きは当時から人気がありました。東京に暮らした多くの文豪も,作中にたい焼きを登場させています。
  ・・・・・・
 この次第で,露店の間(あわい)は,どうして八尺が五尺も無い。蒟蒻,蒲鉾、八ツ頭,おでん屋の鍋の中,混雑(ごたごた)と込合って,食物店(たべものみせ)は,お馴染のぶっ切飴,今川焼,江戸前取り立ての魚焼,と名告を上げると,目の下八寸の鯛焼と銘を打つ。真似はせずとも可いい事を,鱗焼は気味が悪い。
  泉鏡花「露肆」(ろし)
  ・・
 間もなく夜店出しを止めることにした。その時の想いが直接の原因だった。もう一つには,同業の者を観察して,つく/″\嫌気がさしていた。鯛焼饅頭屋は二十年,鯛焼を焼いている。一銭天婦羅屋は十五年,牛蒡,蓮根,コンニャクの天婦羅を揚げている。鯛焼が自分か,自分が鯛焼か,天婦羅が自分か自分が天婦羅か,火種や油の加減をみるのに魂が乗り移ってしまう程の根気のよさよりも,左様に一生うだつの上りそうにもない彼等の不甲斐無さが先ず眼につくのだった。
  織田作之助「俗臭」(ぞくしゅう)
  ・・
 いいお天気なのに道が悪い。昼から隣にかもじ屋さんが店を出した。場銭が二銭上ったと云ってこぼしていた。昼はうどんを二杯たべる。(十六銭也)学生が,一人で五ツも品物を買って行ってくれた。今日は早くしまって芝へ仕入れに行って来ようと思う。帰りに鯛焼を十銭買った。
  林芙美子「放浪記」
  ・・
 がらんとした家に待つのは智恵子,粘土,及び木片こつぱ, ふところの鯛焼はまだほのかに熱い,つぶれる。  昭和六・三
  高村光太郎「智恵子抄」
  ・・・・・・
 詩人であり評論家であった吉本隆明は,高村光太郎の一文から,たい焼きを「男のせつなさの象徴」ととらえています。

 たい焼きの「焼き型」には,1匹ずつ焼き上げる一丁焼きと,鉄板などで複数匹を一度に焼き上げる2種類があって,前者で焼いたたい焼きを「天然もの」,後者で焼いたたい焼きを「養殖もの」などとよんで,その道の「ツウ」は区別,いや,差別していたりするのですが,手間がかかり2キログラムを超える鋳物の焼き型をひとつずつ返すために体力が必要な一丁焼きは減少を続けています。
 「天然もの」と「養殖もの」は焼き方の違いにより,皮の焼き上がりが異なり,火の通り方によって味も違うわけですが,やはり何ものも「養殖もの」は「天然もの」には勝てず,「天然もの」は高温で焼くために皮がカリッっとした味で,いわゆる「ホンモノ」なのだそうです。はじめカリッとした舌ざわりののち,餡のいっぱい詰まった中身に到達したときのときめきは最高の幸せに通じます。
 たかがたい焼き,されどたい焼き。こだわりはじめると,きりがありませんが,優雅な日常を幸せにすごすには,これもまた,ささやかな贅沢だったりします。

271625879_1943201995866629_3339768736119645760_n


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

ペンタックストプコンミランダ

 今から55年ほど前,私の通った小学校では,天体望遠鏡やカメラのカタログ集めが流行っていました。ホンモノを買うことはできなかったから,カタログで我慢していた,ということもあったのですが,当時のカタログには夢が詰まっていました。何度も何度も見直しました。私の年代で同じようなことをしていた人は少なくありません。
 以前にも書いたことがありますが,まったく根拠はないけれど,当時の価値観で,親にねだれるのは3万円までだと勝手に思っていました。だから,天体望遠鏡もカメラも,3万円以上のものは,自分には縁のないものでした。
 そこで,定価が29,800円ならいいのですが,32,000円となると,手が出ないということになるわけです。ちなみに,その当時は消費税もなく,オープン価格というものもなく,また,何かを買うには値切るのが当然で,およそ「8掛け」つまり定価の8割で買うのが当然でした。
 当時の3万円は現在の12万円ほどの価値だから,値引きして今の10万円,という感じだから,それでもけっこうな大金です。

 そんなわけで,天体望遠鏡なら,カートン光学という会社から発売されていたものが29,800円で,それに対して,ミザールというブランド名だった日野金属産業というところのH100という人気製品は32,000円だったので,わずか2,000円ほど違うだけなのに3万円という「大台」を超えるから,これは購入対象からはずれてしまうのでした。
 この「大台」については,カメラは,旭光学から発売されていたアサヒペンタックスSPというカメラが何とか買えて,日本光学工業,つまり,現在のニコンの製品は高値の花であったのです。さらに,トプコンとかミランダといったブランドの,なぜか気になるカメラは,普段は実物をみたこともなく,当時は1年に1度デパートでカメラショーというものが開催されて,そこではじめて手にすることができるという代物でした。また,めったにカタログすら手に入りませんでした。

 という,古きよき時代を過ごした私の平和な少年時代。手に入らないというのは憧れに通じて今でも欲しいと思うのだから,何というすてきなことなのでしょう。
 それ以来,ずっと今の今まで,カメラや天体望遠鏡のカタログを見るのは,私にはとても楽しいことでした。それにまた,不思議なことに,特に,カメラのカタログというのは,車のカタログ同様,伝統的に非常に豪華なのです。それが,家電やコンピュータのカタログとの違いです。どうしてなのでしょう?
 だったのに…。
 カメラが売れなくなった今,カタログもまた,次第に魅力がなくなってきました。そこで,あれほど楽しかったカタログ集めも,私はあきちゃったのです。
 先日,久しぶりにカメラ店に行って,カタログをいくつかもらってきました。そして,がっかりしました。私にはまるでチラシのように思えました。このカタログなら今でも憧れるなあ,と思ったのは,ペンタックスのレンズカタログだけでした。
 これが,この国の「斜陽」を表わしているのなら,寂しい限りです。あるいは,これもまた,スマホに浸食された現象のひとつなのでしょうか。だって,iPhoneには立派なカタログはありませんから。

FullSizeRenderFullSizeRender


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_3159IMG_3168IMG_4555IMG_4548

 これまで海外旅行における外食を書いてきましたが,では日常はどうでしょうか。
 たまに贅沢するときは別として,普段外食するときは,大したものを食べるわけではありません。優先するのは,お店が空いていること,そして,時間がかからないこと,これくらいです。
 日本は料理の種類にかけては世界有数とは思うのですが,だからといって,普段食べるものにさほど種類があるわけでもありません。

 今日の1番目の写真は,御存じCoCo壱番屋のカレーです。家の近くには1号店があって,私は1度行ったことがありますが,普通のお店でした。アメリカ・シアトルのダウンタウンにはスターバックスの1号店があって,そこでは,オリジナルグッズとかもあり,世界中から観光客がやってくるのですが,残念ながら,CoCo壱番屋の1号店にはそういうものがないように思います。何かやればいいのに。
 CoCo壱番屋のカレーはトッピングをすると結構値がはります。また,ネット上には何がおいしいのか,などという辛口の意見が載っています。お店に言わせれば,特に,という癖がないのがいいということですが,私は十分おいしいと思います。
 なお,この写真は,普通のお店ではなく,セントレア・中部国際空にあるお店で,普通のお店とはメニューが異なります。写真でわかるように,白米ではありません。

 2番目の写真は,御存じ吉野家です。吉野家の牛丼は手ごろで早くおいしいので便利です。しいていえば,もう少しひとりひとりの座席のスペースが広いといいと思います。松屋とかすき家といったよく似たチェーン店があるのですが,牛丼はやはり吉野家が1番です。
 この写真もまた,普通のお店ではなく,成田空港にある吉野家です。空港にあるレストランはどこも値段が高いのですが,吉野家もまた若干普通の店よりは高いです。それでもお値打ちです。

 3番目の写真は,サガミといううどん屋さんです。このうどん屋さんは,はじめのころ,巨大なエビの天ぷらで人気が出て,次第に店舗が増えました。それは,CoCo壱番屋が辛さの度合いで話題をよんだように,はじめに知名度を上げるのがこうしたレストランがメジャーとなる秘訣なのでしょう。
 私が子供のころは,こうしたチェーン店も少なく,その町に1軒だけあるうどん屋さんとか中華料理店,さらには,「回らない」お寿司屋さんというのが,外食のすべてでした。よき時代でした。そしてまた,このような今は全国規模になったチェーン店ができはじめたころでもありました。今,大きくなったところは,先に書いたように,それぞれはじめのうち,何らかのウリがあって,話題をよび,市民権を得ていったようです。そうしたころを知っているだけに,何か感慨無量になります。

 4番目の写真は,どこかのファミリーレストランで食べたものです。
 ファミリ―レストランというのは,その昔は,デパートの大衆食堂でした。親に連れられてデパートにでかけたときは,なぜかご飯に小さな旗が立ったお子様ランチなるものを食べるのがとても楽しみでした。また,甘いシロップのついたふかふかのホットケーキもありました。私は,いつも,お子様ランチとホットケーキのどちらを食べるかで迷い,結局ホットケーキを選ぶのですが,1枚食べるころに飽きてしまい,お子様ランチを選ばなかったのを後悔することになったのですが,そんなことを今でも思い出すのは,何かそれがトラウマになっているからでしょうか。
 私の食生活は,まあ,こんなものですが,海外では,外食をしても,このような気楽な夕食でさえ,なかなか食べるお店が見つかりません。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_1937IMG_2034IMG_2043IMG_1279IMG_3532

######
 今回は海外旅行をしているときの外食のうち,昼食の話題です。
 夕食と同様,アメリカでまともな? 昼食をたべたことはあまりありません。マシな方としては,博物館や美術館にカフェテリアが併設されているときにそこでセルフサービスで何かを食べるくらいのものです。それ以外には,朝食のように,チェーン店でハンバーガーを食べるか,あるいは,コンビニでサンドウィッチを買って食べるか,その程度です。
 なのですが,実際,車で広いアメリカを走っていると,お昼の貴重な時間を食事で潰すのがもったいなくなってしまうのです。そこで,気づいたらお昼の時間が過ぎていて,今日はお昼抜き,などということも少なくありません。
 昼食もまた,オーストラリアやニュージーランドの場合はまったく違っていて,結構気楽に食べることができるカフェやレストランがたくさんあります。メニューはバーガーかサンドウィッチというものが主ですが,そのどちらも,ファーストフードとは違って,今日の写真のような栄養満点の食事が提供されます。そしてまた,その値段が手ごろなのです。

 前回も書いたように,食文化というのは国によってずいぶんと違うものです。
 その昔,一緒にアメリカに行った友人が,アメリカは食事がまずいからもう行かない,とか言って,その後はアメリカには行かなくなってしまいました。しかし,私はグルメでなく,そんなこだわりもなかったので,その後もずいぶんとアメリカに行くことになりました。私は,アメリカに限らず,日本以外は,どこも同じようなものだと思っていたからです。しかし,近年,ヨーロッパやオセアニアに出かけるようになって,やっと,アメリカの食文化の貧困さに気づくようになりました。
 日本は食事に関しては世界でも有数の種類がある国だと思うのですが,だからといって,すごく高価なものを食べるのでなければ,特に食文化が優れている国だとも思えません。
 職場に配達されるお弁当や,大都会のオフィスに近いところでお昼間だけ店を開く安価なお弁当やさんのメニューなど,揚げ物ばかりです。また,このごろは,外食産業はチェーン店ばかりとなって,そこで提供されるランチメニューは,特に大したものがあるわけではないのです。
 そもそも,この国は人多すぎです。だから,ちょっとお昼に贅沢しようと考えても,都心の人気店だと長蛇の列ができているし,レストランのなかも狭く,優雅に食事を楽しむ,という感じとはほど遠いものです。

 ということで,今日もまた,オーストラリアに行ったときに写してきた写真を見ながら,それを食べたレストランを思い出しているのですが,どこのお店も座席に余裕があって,そりゃ楽しいものでした。
 また機会があればそんな食事をしたいものだと思っているのですが,日本にいる限り,それもまた,なかなかかなえられることではなさそうです。お昼に外食をしようと意を決してお店に行っても,やたらと混雑しているか,あるいは,そうでなくとも,店内が狭く,また,お客さんが大声で会話をしていたりして,落ち着かないし楽しくない。そこで後悔することの方が多いのです。
 と私は,結局,その煩わしさから外食を敬遠して,早朝から営業しているマックスバリューでお弁当を買って,それで済ませることのほうがストレスがないなあと思ってしまうわけです。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_1782IMG_1647IMG_1719IMG_3771

 今日の話題は「外食を楽しむ」ですが,ここで取り上げるのは,海外旅行をしたときの外食,特に夕食についてです。
 私の旅は,食事もすべて提供されるツアー旅行で行くわけではなく,あくまで個人旅行で,しかも,安価なホテルに予約して宿泊するから,当然,夕食もないので,毎日,何を食べるかということが問題となります。
  ・・
 若いころ,はじめての海外旅行でアメリカにツアーで行ったとき,当然夕食も提供されたのですが,そうした場合,日本人観光客ご用達みたいなレストランで「アメリカではチップが必要です」などと日本語の表示があって,こりゃ,アメリカというより日本国内を旅行しているようなものだ,と落胆したことがあります。そして,いつの日にか,現地の人が行くようなレストランで普通にチップを払って会計をしたいものだ,と憧れたものです。
 それも昔のこと。
 今は,気に行ったどんなレストランにも自分で入ることができるようになりましたが,今度は,国によってずいぶんとシステムが違うものだということに興味をもつようになりました。

 ほとんど高級レストランには入らないので,海外旅行での夕食は特に今晩は贅沢するぞ,と思わない限りはファミリーレストランのようなところとなりますが,思い出してみると,アメリカで満足のいく夕食を食べたことはほとんどありません。値段も高く,おまけにチップが必要だし,いつも店員が係としているので,ある意味わずらわしいのです。
 それに対して,とても気楽だなあ,と回想するのは,オーストラリアやニュージーランドでの夕食です。
 今日の写真は,いずれもオーストラリアで写したものですが,システムとして,カジュアルなところでは,まず,レストランに入ったらメニューを見てオーダーして会計を済ませたのち,自分で好きな席に座って料理が運ばれるのを待つ,ということになります。少し高級になると,店員さんがオーダーを取りにくるようなところもあるのですが,それは日本と同じような感じです。
 オーストラリアやニュージーランドではチップは不要ですし,それもあってずいぶんと気楽です。

 よく,オーストラリアやニュージーランドは物価が高い,という人がいますが,私はそう感じたことはまったくありません。むしろ,定価を見てもさらにその20パーセント程度チップが必要,という国に比べたら,安いような感じさえします。それよりも,今日の写真にあるように,さすがオージービーフ,こんなお肉を気軽に食べることさえできます。
 ステーキは贅沢,というときは,ハンバーガーですが,これもまたボリュームたっぷりです。
 日本では,ハンバーガーはマクドナルド,というイメージがあるので誤解するのですが,実際のハンバーガーはまったくそれとは違うもので,パンにお肉に野菜がたっぷりなので,これだけで十分夕食になるのです。
 これを書いていて,また,オーストラリアやニュージーランドに行って,こんな食事をしながら優雅な旅をしてみたいものだ,という想いが強くなってきました。

◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_4594

######
 2022年初秋。
 私は,コロナ禍以降のあまりにくだらない報道ばかりと,小学生以下の政治家の知能と言い訳と茶番にすっかり嫌気がさしたことで,もはやこの国には何も期待することもなくなりました。しかし,これでは将来ある若者たちがかわいそうです。ところが,当の若者たちは何を勘違いしているのか保守化してしまい,何の反発もせず,立ち上がりもしません。
 その一方で世界に目をやると,相変らず,おかしな権力者たちが何を勘違いをしているのか騒がしく火遊びをし,これでは,世界の覇権争いをしていた19世紀の帝国主義と同じです。19世紀との違いといえば,人類が地球を破滅できる武器を手に入れたということでしょう。これが科学の発達の成れの果てだと思うとむなしい限りです。結局,創造主が作ったというか,偶然に偶然の重なった化学反応の結果,しかも,作った創造主自身も思いもよらなかった欠陥商品である人類というものはこの程度のものだったのでしょう。この調子では,ひょっとして,今地球上に生きている人たちは,SF小説の世界でしか知らなかった人類の滅亡に実際立ち会うことになるのかもしれないなあ,などと私は思ってしまうのですが,これは杞憂なのでしょうか。
 そもそも,地球上に人類がいる必要など全くないわけだし,やりたいことをほぼすべてやってしまった私はそれでもかまわないのですが,夢がある若い人たちには気の毒です。これが正夢でなければいいのですが…。

 さて,ここでそんな心配をしてもどうにもならないので,視点をぐっと身近に戻して…。
 そのような世の中ですが,私の残りの時間をこころ穏やかに優雅な日々を過ごすには,できるだけ外界からの情報を遮断するに限ります。ということで,テレビは自分の気に入ったわずかなドラマと,前回書いたMLBと大相撲中継,そして,音楽や美術,天文学などの教養番組を録画してあとで見るくらいのものになりました。どうやら私にはテレビはほぼ不要な存在となりつつあるようです。
 待合室などにあるテレビ,あれは見たくもない映像を見せられるだけの迷惑な存在ですが,そういったものを強制的に見せられると,しろうとがひな壇に座って勝手なことをしゃべっているような自称報道番組やお笑いタレントが無知丸出しで受けをねらうだけのおしゃべりをするような,未だにこんな番組をやっているのか,と驚くとともに,多くの人たちは貴重な時間を費やしてこんなものを見て生活しているんだというある種の感慨すら覚えます。
 私は旅先で宿泊するときも,まず,テレビは見ません。
 気持ちのよい夕方,あてもなく近所を散歩していると,それとなく他人の家の中が見えたりするのですが,いや,決して覗いているわけではありませんが,そうしたとき,居間に巨大なテレビがどんと構えていることも少なくありません。おせっかいな話ですが,私は,そんな大画面のテレビで何を見るのだろう,と思ってしまうのです。そしてさらに,この家に住む人は,テレビを見るくらいしか楽しみがないのかなあ,などとさえ,気の毒に思うのですが,これはいらぬおせっかいですな。
  ・・
 テレビドラマといえば,それまではほとんど見ることもなかったのに,ここ数年,暇に任せて,というか暇つぶしに見るようになったわけですが,2022年の夏ドラマで私が見はじめたのが,以前「テレビドラマを見る。2022夏Ⅰ」で紹介した「競争の番人」「魔法のリノベ」「純愛ディソナンス」 「石子と羽男-そんなコトで訴えます?-」「初恋の悪魔」 でした。しかし,結局,最後まで見終えたのは「競争の番人」と「初恋の悪魔」だけで,それ以外は,途中で嫌になり断念しました。
 このように,テレビドラマ,はじめのうちは物珍しさでいろいろなものに手を出していたのですが,結構のところ,およそ飽きてしまいました。そのほとんどはワンパターンで大した深みも感動もないのでした。
 この齢になると,気に入った役者さんもほとんどなく,それどころか,だれを見ても,街なかで歩いている高校生や大学生が学芸会や文化祭で劇をやっているようにしか見えません。そこで私が悟ったのは,暇つぶしにこうしたテレビドラマを見るなら,放映後に,評価が高かったものを,FODとかAMAZONのPrimeVideoでまとめて見れはいいや,ということでした。
 そんなわけで,結局,今,私がおもしろいと思うドラマは,スーパー!ドラマTVで見ているアメリカのドラマ以外には「鎌倉殿の13人」のみとなってしまったわけです。「鎌倉殿の13人」は,これほどおもしろい大河ドラマがほかにあろうか,と思うほどの傑作です。

 予想外の出来事だったコロナ禍によって海外旅行に出かけられなくなった私がここ数年選択したのは,実はこのようなテレビドラマを見ることも含めたさまざまな「彷徨」でした。
 「彷徨」というのは,高校生のころ,クラスにいたちょっとクールな奴が好きだったことばですが,当時の私は「彷徨」などということばは知らず,何か,すごい特別な意味をもつことばのような気がしたものです。
 「彷徨」とは,あてもなく歩きまわること,さまようことをいいます。「彷徨」などという小難しい漢字をあてるのだから,もっと深い意味があるのかなと思って,手元にある数冊の国語辞典を調べてみましたが,期待に反して,それ以上のことが書かれたものはありませんでした。わずかな使用例として「青春の彷徨」と書かれていたものが見つかりました。ちなみに,「彷徨く」という動詞は「うろつく」と読みますが,それでは,不良が盛り場をうろつく,という感じになって,さらに意味が軽くなってしまうように感じます。
 そんな「彷徨」ということばですが,そんな軽い意味だけでは元も子もないので,「青春の彷徨」に関してここでひとつ紹介すると,20歳のジュンの冒険を求めた「青春の彷徨」を描いたという,1967年に五木寛之さんの書いた小説「青年は荒野をめざす」があります。そして,1968年,五木寛之さんの詞に加藤和彦さんが曲をつけ,それを歌ったのが,ザ・フォーク・クルセイダースの「青春は荒野をめざす」です。
 いいなあ,栄光の1960年代。
  ・・・・・・
 今 青春の河を越え
 青年は 青年は 荒野をめざす
  ・・・・・・

 私がここ数年選択したという「彷徨」とは,これまでやったことのない私の知らなかった世界に「何か」ときめくことがあるのではないか,と,シーズンが終わって片づけるために石油ストーブの残りの灯油を燃やすように,あえて,気持ちだけ若者に戻って,残りわずかなエネルギーを使ってあてもない行動をしていた,というわけですが,それはすべて迷ってしていたわけではなく,その結果を予測して,また,そうした結果になることを期待して,自分で意図してやっていたことだったのです。そうすれば,何の憂いも後悔もなく,穏やかな日々が過ごせるようになるだろうと…。それはまさに,このブログのサブタイトルである「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」に通じるものです。
 それもほぼ終焉。
 「彷徨」がもたらしたのは,私自身が期待していたように,私の知らなかった世界に「何か」はありませんでした。そして,結局,そんな精神状態から舞いもどり,以前の私のように,安直なテレビドラマともほぼ縁がなく,クラシック音楽を聴いたり,専門書を読んだり,星見に出かけたり,ときどき旅に出るといった,以前のような平常が一番自分に合った過ごし方だということを再認識したのです。
 やはりそうでした。これこそが,私が最も望む豊かな日常なのでした。


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_2981

######
 やっと秋らしくなってきました。
 暑くやる気の起きない夏が過ぎると,食欲の秋,読書の秋,芸術の秋,スポーツの秋,行楽の秋などと,人は行動的になるものです。私もそろそろ活動開始です。
  ・・
 ところで,人は,仕事から引退したり,子育てが終わって自分の時間ができるようになると,今度は,その時間をどのように使うかが問題になります。結局,人は,再び学問をしたくなるようですが,そうしたとき,若いころに,自分がどれだけそうしたことを身につけていたのか,が問われることになります。たとえば,若いころにピアノが弾けるようになって,それからしばらく遠ざかっていたけれど,再び楽しみたい,というのと,これからはじめたい,というのとでは,楽しみの深さが違うわけです。
 そこで,時間に余裕ができたときに自分がやりたくなったことを優雅に楽しむためには,若いころに一度身につけておくことはとても大切なことなのです。
 さて,10月1日,つまり,先週の土曜日,朝日新聞be版「be tween 読者とつくる」に「もう一度,学び直したいですか?」という読者アンケートが掲載されていました。回答には,学び直したいという意見が80パーセントありました。このアンケートで回答した人の意見もいくつか載っていましたが,その回答者は50代以上の人がほとんどでした。記事に「中高年の学びの姿勢を垣間見ることができました」とあるように,このアンケートに回答した人の多くは,子育て卒業世代とか,現役引退世代なのでしょう。
 記事によると,どんな分野を学び直したいかという内容に対して,英語,歴史,自然科学,音楽,文学,数学,第2外語語,プログラミング,と続きます。私は,これを読んでいて,一体,この人たちは若いころに学校で何を学んできたのかな? と考えてしまいました。これだけでも,学校での教育が身についていないということのように感じます。結局のところ,日本の教育は,いつも書いているように,単に順位を争い,学歴というブランドを手に入れるためのドリル学習に過ぎなくて,学問を楽しむとか身につけるということには程遠いのでしょう。
 それもまた,いかにも,やったふりが好きなこの国らしい話ですが,それでは,若いころの貴重な時間がもったいなく,かつ,むなしいです。

 ところで,私は,上記に書いた学び直したいという内容の多くは,自分で楽しめるほどのレベルであれば身につけているので,もはや,そうしたことを学び直したいという気持ちはなく,むしろ,これまでに学んだことをより楽しみに活用したいという気持ちの方が強いです。
 ただし,第2外国語と音楽だけはだめでした。これだけはずいぶんと後悔しています。
 まず,第2外国語は,もっとまじめにやっておけばよかったと今でも思うので,ボケ防止を口実に,今になってラジオ講座でドイツ語を聴いているのですが,覚えるより忘れるほうが勝っていて,一向に上達しません。しかし,これを機会にドイツ語圏の文化や歴史に接することができるのはとても有意義なことです。
 また,私がもっとも後悔するのは,まったく楽器が弾けないということです。これはまあ,才能がないのであきらめた,と自分に言い聞かせていますが,本音は,楽器が弾けるというのは継続が大切で,そうした時間が自分には惜しいと思うことにあります。音楽は聴くことは大好きですが,演奏することに楽しみを見いだせない自分がいます。残念です。本当は,演奏できるほうが,聴いていてより楽しみが深くなる,ということは承知しているのですが。

 そのようなことを前提として,私は,時間だけはありあまるほどある不良老人として,日々,優雅にすごそうと思っているのですが,いろいろと試行錯誤をした結果,どのようにして時間を過ごすのが自分なりに快適なのかが次第にわかってきました。
 今日からはそんな話題です。
  ・・
 まずは,クラシック音楽を聴くことです。
 これは,NHKFMのクラシック番組が1週間前の番組までほぼすべて「らじる☆らじる」で聴くことができるようになったことで,とても助かっています。以前は,NHK交響楽団のコンサートはあとで聴くことができませんでした。
 次に,MLB中継を見ながら現地の音声で聴くことです。
 MLB中継は,特定のチームに限られるのが残念ですが,NHKBS1で連日放送されているので,中継のある午前中はこれを見ています。
 音声は現地ものに限ります。それは,日本のスポーツ中継のアナウンサーとか解説者の話している内容が,私が観戦するときに知りたいものとは違い過ぎるからです。もうひとつは,現地の音声を聴きながら見ていると,アメリカにいるような気持ちになって,とても満ち足りるからです。幕引きのできない金融緩和同様,いつまでもコロナ禍の亡霊にうなされているだけの,これもまた,やったふりの日本とは別世界の,平常のアメリカの姿が見られて爽快です。
 また,スポーツ中継としては,大相撲中継も見ます。
 大相撲中継は,解説が北の富士さんのとき以外は,英語放送を聴きます。それは,解説がつまらないことに加えて,もちろんMLB中継とは違ってアメリカにいるような気持ちになるわけではないのですが,英語で相撲がどのように表現されているのかに好奇心があるからです。
 いずれにしても,MLBも大相撲も,英語音声のほうが気持ちが安らぎます。
 以下,次回に続きます。

◇◇◇
十三夜。

十五夜と対をなす十三夜。または,後の月。
このふたつをあわせて「二夜の月」。
どちらか一方の月しか見ないと「片見月」。
十三夜は栗の収穫の時期なので「栗名月」とも。
十三夜のころは、高気圧に覆われることが多く
「十三夜にくもりなし」といわれます。

DSC_0900ss


 ◆◆◆

「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

2020-02-22_04-15-36_4152019-11-28_14-33-51_6102019-08-22_06-39-18_182IMG_2709

 今日は,海外旅行に出かけたときの朝食についての話題です。
 おそらく,多くの人にとって海外旅行というのはツアーで行くものでしょうから,ホテルでそれなりの朝食が提供されることでしょう。ただし,多くの場合,というか,ほとんどはバイキング形式です。とはいえ,日本のホテルのバイキング形式とは違い,なぜか広くゆったりとしているので,特に問題はありません。
 バイキング形式という和製英語の由来については前回書きました。

 私の場合は,まずは安価であるということを優先して適当はホテルを自分で探すので,ツアー旅行ご用達の豪華なところに泊まることはめったにありません。そこで,朝食が問題となります。
 一般に,最も食文化が貧困なのはアメリカです。アメリカでも高級ホテルのことは泊ったことがないので知りませんが,私が選ぶようなモーテルでは朝食のサービスがないか,あっても,パンとコーヒーということが多いです。まれに,そこに卵やらソーセージといったもの,さらには,奇跡的にフルーツが提供されることもありますが,それでも野菜はほぼ期待できません。
 パンとコーヒー程度の朝食が準備されていて,それで朝食込みと書かれてあると,ちょっとなあ,と思うのですが,これもまた,いかにもアメリカらしい話です。しかし,そんな朝食なら,マクドナルドで朝食をとったほうがずっとマシだと思うことも少なくありません。マクドナルドもまた,アメリカの場合,日本よりもずっと広く,ソフトドリンクはお代わり自由,また,サラダは量が多いのでむしろいいのです。

 それに対して,ヨーロッパのホテルの朝食は,セルフサービス形式ではありますが,日本と同じように,さまざまな種類の食べ物が並んだ朝食が提供されることが多く,しかも,日本のような混雑もないので,きわめて快適です。
 それは,アメリカにくらべてヨーロッパのほうが食文化が豊か,ということもあるのでしょうが,私は,ヨーロッパではモーテルのようなところに泊まったことがない,という違いもあるのかもしれません。

 また,B&B,つまり,Bed and Breakfast という形態の宿泊施設もあって,これは,ベッドと朝食という名前の民宿ですが,そこでは,夕食は提供されませんが,けっこう豪華な朝食が提供されますので,これが楽しみとなります。およそ,B&Bは数部屋だけの場合が多いので,宿泊者全員が一同揃って朝食が提供されるということもあり,この場合,楽しくおしゃべりをしながら朝食がたのしめたりするので,いい旅の思い出ができます。おそらく,もっとも優雅な旅というのは,できればB&Bに泊まって,そのオーナーや同宿の人たちとコミュニケーションをとる楽しみにあったりするかもしれません。日本でも,京都などで,コロナ禍以前に外国人観光客が多く滞在した民泊,というのがこれにあたるでしょう。

 ちなみに,今日の最後の写真は,少し趣向が異なり,これは,飛行機のビジネスクラスで提供される朝食です。これもまた,着陸前のひととき,これからはじまる旅のモチベーションを高めてくれます。

IMG_3796IMG_0093
◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_11862019-10-18_07-38-57_098IMG_4504IMG_4569

 国内の旅も海外の旅も,旅先での朝食がもっとも楽しみであり頭を悩まされるものです。
 日本の旅館で,部屋で朝食のサービスがあるときは,日ごろ食べないほどの量の和食が出ます。私は日ごろはパンとコーヒーといった朝食なので,ときにはこうした朝食もいいものだと期待しています。また,ペンションなどに宿泊したときは,気の利いた洋食が出ることがあり,これもまたすてきです。

 それに対して,私がもっとも避けたいと思うのは,バイキング形式の朝食です。
  ・・・・・・
 バイキング形式というのは和製英語で,英語ではビュッフェ(Buffet)といいます。ビュッフェの語源はフランス語で,セルフサービス形式の食事のことをいいますが,必ずしも食べ放題ということではありません。しかし,私が経験した多くの場合,およそ食べ放題です。 一方,日本ではバイキング形式というと食べ放題という別の意味が含まれています。
 バイキング形式は,1957年,帝国ホテルの社長であった犬丸徹三さんが,旅先のデンマークで食べ放題サービス「スモーガスボード」(smorgasbord)を日本に持ち込んだのが最初ということです。帰国後,北欧に対する当時の印象や豪快に食べる様から,サービス名を「インペリアルバイキング」と名づけたことが発端となりました。
  ・・・・・・

 特に,大きな旅館やホテルでは,手間がかかるからなのでしょう,多くの場合,こうしたバイキング形式の朝食が提供されます。食事だけを考えれば,好きなものが食べられるし,量も自分の自由だから好ましいのですが,他の多くの人たちと一緒,しかも,自分のまわりをお皿をもった人が移動したり,中にはマナーの悪い人がいたりして,落ち着きません。
 私は,地方都市に出かける必要があるとき,「東横イン」を利用することが少なくないのですが,「東横イン」最大の欠点は,エレベータが少ないので朝混み合うということと,バイキング形式で提供される朝食です。ホテルはあれをサービスと思っているのでしょうが,ただでさえ狭い場所でひしめき合って朝食をとるというのは,まるで餌で,楽しいものではありません。そこで,私は,食べずにチェックアウトすることが多く,そのくらいなら,朝食は別料金でいいのになあ,といつも思います。せっかく旅に出るのだから,豪華でなくとも,落ち着いた状態で朝食を楽しみたいものです。

 そのような朝食なら,むしろ,吉野家で朝定食を食べたり,マクドナルドで朝マックをするほうがずっと気楽です。
 吉野家の朝定食といえば,私が時折食べたくなるのが玉子かけごはんです。
 あったかなご飯に生卵,そして納豆,というのは,きわめて日本らしい朝食ですが,私はなかなか食べる機会ないので,そんな気分になると出かけます。
 あるいは,朝マックで提供されるパンケーキです。マクドナルドは,海外でも同じようなメニューがありますが,ハワイのマクドナルドには,写真のようなご飯メニューがあります。これは単にハンバーガーの代わりがご飯になっているだけのものですが,このご飯は,お世辞にもおいしいものではありません。それでも,ひさしぶりにご飯が食べたいなあ,などいう気持ちになったときには重宝します。
 とはいえ,ハワイでこの朝食にどれだけニーズがあるのか,私にはわかりかねます。おそらく日本で販売しても,全く売れないでしょう。せめておにぎりなら,という感じでしょうか。

IMG_4530IMG_4046IMG_4086


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_2653s

######
 若いころの私はオペラに無知でしたが,一度見て,こりゃ最高の芸術だ,と思いました。それ以来,オペラを知らずして何も語れないという確信ができました。
 オペラは高尚だと思っている人も多いのですが,そんなことはまったくなくて,これは娯楽です。ストーリーもそれほど複雑ではなく,むしろ,音楽を楽しむものです。とりわけ,モーツアルトのオペラは音楽が子気味よく,何かをしながらバックミュージックとして楽しむこともできて,思考をさまたげません。
 しかし,単にオペラといってもいろいろな種類があるので,ここでは,モーツアルトのオペラを例にそれらをまとめてみたいと思います。なお,以下の作品名に傑作とかいたのは,モーツアルトの5大オペラといわれるものです。

●オペラセリア(opera seria)
 18世紀のイタリアで作られたオペラで,厳粛なオペラ,正歌劇ともいわれます。内容は高貴で英雄や王を扱ったものが主流でした。
 スター歌手のためのオペラという要素が強く, アリアを歌っては拍手を浴びるというスタイルでした。当時,花形歌手にはカストラートの存在があって,オペラセリアの主人公の英雄たちの声はカストラートが歌って喝采を浴びていました。現在上演する際には,カストラートがやっていたであろうパートは女性のメゾソプラノやアルトが男性役をやるか,または男性のバリトンがやることが多くなっています。
 モーツァルトの作品としては,「ポントの王ミトリダーテ」(Mitridate, re di Ponto),「クレタの王イドメネオ」(Idomeneo, re di Creta),「皇帝ティートの慈悲」(La clemenza di Tito)があります。
  ・・
●オペラブッファ(opera buffa)
 イタリアの喜劇風オペラで,喜歌劇などといわれます。もともとはオペラセリアの幕間劇として作られた短いオペラなので,内容も庶民的なものが多く,軽いので、気楽に見に行くことができます。現在のオペラの公演の主流です。
 モーツァルトはオペラブッファの頂点のひとりで,「みてくれの馬鹿娘」(La finta semplice),「だまされた花婿」(Lo sposo deluso),そして,傑作「フィガロの結婚」(Le nozze di Figaro)と「コジ・ファン・トゥッテ」(Così fan tutte)があります。
 なお,オペラブッファの最後はヴェルディ最後のオペラ「ファルスタッフ」(Falstaff)だといわれています。
  ・・
●「ジングシュピール」(singspiel)
 ドイツ語による歌芝居や大衆演劇のひとつの形式を指していて,今日のミュージカルに似ています。地の台詞のやり取りや音楽にかぶさる演技,アンサンブル,俗謡・俚謡・バラッドの引用,さらには民謡調で有節形式によるアリアが特徴です。
 ジングシュピールの筋書きの多くはコミカルあるいはロマンティックで,魔術や空想上の生き物が登場したり,勧善懲悪のコミカルな誇張が含まれたりします。
 モーツァルトの作品としては「バスティアンとバスティエンヌ」(Bastien und Bastienne),「ツァイーデ」(Zaide),「劇場支配人」(Der Schauspieldirektor),そして,傑作「後宮からの誘拐」(Die Entführung aus dem Serail)と「魔笛」(Die Zauberflöte)があります。
 ベートーヴェンの「フィデリオ」(Fidelio)やウェーバーの「魔弾の射手」(Der Freischütz)もジングシュピールの発展したものと見なされます。
  ・・
●ドラマ・ジョコーソ(dramma giocoso)
 18世紀中期に流行したオペラのひとつの形式で,音楽のためのおどけたドラマを意味します。
 モーツアルトの作品には「にせの女庭師」(La finta giardiniera),「カイロの鵞鳥」(L'oca del Cairo),そして,傑作「ドン・ジョヴァンニ」(Don Giovanni)があります。

 それ以外には,マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」(Cavalleria Rusticana)やプッチーニの「トスカ」(Tosca)などに代表されるストーリー性の強いヴェリズモオペラ,ワーグナーのはじめた音楽と劇を融合させた楽劇,娯楽性がより高く 歌と音楽が軽妙でストーリーもわかりやすいヨハン・シュトラウスの「こうもり」(Die Fledermaus),オッフェンバッハの「地獄のオルフェ(天国と地獄)」(Orphée aux Enfers)などに代表されるオペレッタ,さらには,ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」(Бори́с Годуно́в)やチャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」(Евгений Онегин)などのロシアのオペラ,ビゼーの「カルメン」(Carmen)に代表される独特の美しい旋律で聴かせるフランスのオペラがあります。
 このように,モーツアルトのオペラだけでも,さまざまものがあって,とても楽しめます。
 なお,今日の写真は,私がモーツアルトの最高傑作「フィガロの結婚」をサンフランシスコで観たときのものです。

DSC_2634DSC_2651


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_4736

######
 テレビのドラマも,クラシック音楽も,共に,よく理解できないものに出会ったとき,それを見ること,聴くことにどんな意義があるのだろう,と思ってしまうのは私だけでしょうか。
 テレビのドラマは,はじめはどんなドラマなのだろうと見はじめるものの,おもしろくないと感じてしまったときが縁の切れ目です。そして,一旦,縁が切れると戻ってくることはほとんどありません。要するに,底の浅いドラマはおもしろくなければどうにもならないのです。
 その一方で,クラシック音楽は,はじめて聴く曲は,ほとんどの場合,よくわかりません。そのときいつも思うのは,そのよさがさっぱりわからないのに,これを聴くことに耐えて,一体どんな意義があるのだろう,ということです。ところが,じわじわとよさわかってくる。そうすると,それを聴くことで幸せを感じるようになって,そうなったころには,聴くことにどんな意義があるのだろう,とは,決して思わなくなるのです。おもしろい,という感覚を超越して,こころに染みるようになるからです。
  ・・
 そんなクラシック音楽でも,それを聴くことに専念しているときばかりではありません。ときには,何がしかの作業をしながら,ということも少なくないのですが,そうしたとき,その作業の思考の妨げになってしまうような曲も少なくありません。 
 以前,音楽評論家の吉田秀和さんが奥さんを失くしたとき,何もする気力がなくなってしまいました。そうしたとき,クラシック音楽を聴くことすらおっくうになったのに,バッハだけはおっくうでなかった,というようなことを書いていたことがあります。そうした面からいえば,私の場合は,それはバッハではなくブラームスです。私は,バッハは難しすぎて理解ができません。

  ・・・・・・
 ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms)は1833年にハンブルクに生まれ1897年にウィーンに没した,19世紀ドイツの作曲家です。J・S・バッハ(Johann Sebastian Bach),ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)と共に,ドイツ音楽における三大Bとも称されます。
 ブラームスの作品はベートーヴェンの音楽に大きな影響を受け,きわめてロマンティックで,力強くたくましく,また,やさしくて心がほっとするなどさまざまな性格をもっています。
 音楽はきわめて入念に仕上げられ,ゴシック建築のように精緻であり高い完成度を示しています。
  ・・・・・・
 ブラームスの音楽の特徴は,激しい情熱を内包しながらも気品を失わない美しい旋律とリズム,そして,厳格な作曲技法で裏打ちされた作品の完成度です。この職人芸的な作品は,一般に,地味,あるいは,渋いといわれます。

 私は,ブラームスが残した多くの傑作の中でも,その特徴が最大限に表現されている交響曲第4番がもっとも好きです。
  ・・・・・・
 ブラームス最後の交響曲である第4番は,1884年51歳のとき,避暑地ミュルツツーシュラーク(Mürzzuschlag)で夏を過ごしたときに作曲に取りかかり,この年に前半の2楽章を完成,翌1885年に残りの2楽章を完成させました。ブラームス自身が交響曲第4番を「自作で一番好きな曲」であり「最高傑作」であると語ったといわれています。
 第4楽章は,シャコンヌ(chaconne),あるいはパッサカリア(passacalia)とよばれる変奏曲になっています。シャコンヌ/パッサカリアはバロック期の様式で,ブラームスはバッハの「カンタータ第150番」のシャコンヌからインスピレーションを受けてこの楽章で使いました。
 変奏は30にも及ぶ壮大なもので,管楽器で示される冒頭8小節の主題が次々と変奏されていきます。
   ・・・・
 私は,スコアを購入し,この複雑な変奏曲をスコアを見ながら聴いて理解しようと努めました。すると,しだいに,難解な方程式を解いていくように,きらきらと輝く魅力を感じることができるようになってきて,ついに,この楽章を聴くたびに,深い感動に包まれるまでになりました。
 しかし,それでも,この変奏曲は,音楽にのめり込んで,他のことが手につかなくなる,というのとは違い,ある意味,空気のような,水のような,そんな自然な感じに包まれて,こころが休まる不思議な気持ちになります。
 一般に,地味,あるいは,渋いといわれるブラームスの音楽ですが,私には,精神状態が安定する,そして,周りの空気がやさしく感じられる,そんな気持ちを与えてくれるすばらしいものです。

◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_4455

######
 「パンとコーヒーで朝食を」。前回はパンの話だったので,今回はコーヒーです。
 私はまったくグルメでないので,コーヒーの味などまったくわかりません。家で朝食をとるときは,単に適当な豆を買ってきて,コーヒーメーカーでつくるだけです。
 ですが,海外旅行をして,食事をするときは,日本とは違い,コーヒーの種類を知っていたほうが注文が楽だったりします。しかし,私は事前に勉強しないので,現地で聞いて覚えました。そして,そんな適当な知識だけでオーダーして,自己満足に浸っているのです。

 アメリカでは,コーヒーは水のようなものなので,単にコーヒーといって注文するだけですが,そこに出てくるのは,日本でいうところのアメリカンコーヒーになります。しかし,ハワイでは,有名なコナコーヒーというブランドがあるので,ホテルに置いてあるものも,このコナコーヒーだったりするのですが,実際,ハワイ島のカイルアコナの南側に多くのコーヒー農園があります。このコナコーヒー,日本で見かけるとすごく値段が高くて驚きますが,一説によれば,単に労働者の賃金が高いから,という話を聞いたことがあります。
  ・・
 はじめてニュージーランドに行って,カフェに入ったとき,いろいろなコーヒーのメニューがあって驚きました。何を注文すればいいのかわからなかったので,聞いてみたのですが,私が気に入ったのは,フラットホワイト(flatwhite)というものでした。そこで,それ以来面倒なので,ニュージーランドやオーストラリアに行ったときは,いつもこのコーヒーを注文することにしています。
 フラットホワイトというのは,エスプレッソとミルクを合わせたもので,いわば,濃いカフェラテですが,ミルクはきめの細かいものを使用し,量が少ないので,エスプレッソの強みが出ます。表面にさまざまな絵が描かれて提供されます。
  ・・
 オーストリアでは,日本でウィーナーコーヒーというくらいですから,やはりこだわりがあって,私のお気に入りは,メランジェ(Melange)です。「大きなカップに淹(い)れたエスプレッソにスチームドミルクとミルクの泡を乗せたもの」で,1830年にウィーンではじめて提供されたそうです。
 なお,ウィーナーコーヒーというのは,ミルクの泡でなくホイップクリームを乗せたもので,ウィーンでは,ウィーナーメランジェというそうです。
  ・・
 なお,最後の写真は,フィンランドでオーロラを見たときに,サーミ人の家の中でご馳走になったカフェオストです。カフェオストは,豊かな独自の文化を築いてきた北欧少数民族サーミ人が生んだアレンジコーヒーのことで,「オスト」はスウェーデン語でチーズを意味しているので,カフェオストというのは,チーズ入りコーヒーのことです。
 熱々のコーヒーにチーズを入れるのですが,あまり溶けないチーズを使用するために,カフェオストはチーズの食感を楽しみながら味わうコーヒーだといわれています。

 このように,その場所独自の興味深いコーヒーを味わうのもまた,旅の楽しみだったりするのです。
 名所・旧跡を訪ねることもおもしろいのですが,地元の人が行くようなカフェでくつろぐのは,それ以上にこころ休まるときが過ごせます。

DSC_4219IMG_7102IMG_20402019-11-29_22-50-36_560IMG_4500


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

FullSizeRender

######
 海外旅行をしたときの楽しみのひとつは朝食です。
 朝食の定番はパンとコーヒー。朝食をとるためにカフェに入ったとき,どんなコーヒーを注文するのかは,その国の文化を知らないと,結構難しいものですが,コーヒーだけでなく,朝食で食べるパンもまた,こだわる必要があります。私はグルメでないので,日ごろは食パンを食べているのですが,それでも,ときには趣を変えてみたくなります。そこで,今日はパンのお話です。

 そんなときは,まずはクロワッサンです。
 フランス発祥のクロワッサン(croissant)は,バターをパン生地に折りこんで焼き上げたもので,フランス語で三日月を意味します。サクサクした食感が特徴的で,ときに,生クリームやカスタードクリーム、ジャムなどの詰め物をしたものも多く見られますが,今日の写真のような感じで野菜やハムをはさむのもまた,趣があります。
  ・・
 次に,我が愛するフィンランドでよく食されるシナモンロール(cinnamon roll)です。
 シナモンロールは,イースト入りのパン生地を大きめの長方形に伸ばし,表面にバターを薄く塗り,シナモン,砂糖をまんべんなくふりかけて,ロール状に巻き,それを輪切りにして切り口を上にしてオーブンで焼いたものです。
 スウェーデンで発明されたと考えられていて,焼き上がったものに,北欧では一般的なニブシュガーという胡麻粒状の砂糖,フロストシュガーなどをトッピングすることもあります。
 一番大きいシナモンロールはフィンランドのコルヴァプースティ(korvapuusti)で,直径が20センチメートル,重さは200グラムもあります。
 このごろは日本でも次第に普及していますが,フィンランドなどで食べるようなものがなかなかないので寂しいです。
  ・・
 その次は,オーストリア。
 ハプスブルク帝国のグルメの土壌に育まれたオーストリアの食文化の中でも,ウィーンで最も定番のパンはやはりセンメル(Semmel)です。
 ウィーンでセンメルとよばれるパンは,丸い形に星の模様が付いた白パンを指します。ホテルやカフェの朝食では必ず出てくる、最も定番のパンです。センメルとはラテン語で最上級の小麦粉を意味する「simila」が語源で,ライ麦や大麦などが原料の黒パンが主流だったで真っ白な小麦粉で作られるふわふわカリカリのセンメルは,昔は特別なものでした。日本の白米のようなものでしょうか。
 美貌で知られた皇后エリザベートがウィーンのプラーター公園に出かけた折にセンメルを食べて非常に気に入り,宮廷に1日2回運ばせていたというエピソードがあります。

 というわけで,特にすることもない静かであわただしくない早朝,クラシック音楽を聴きながら,こうしたパンとコーヒーで優雅な時間を過ごすことこそ,最上の幸せというものです。

DSC_15552019-11-29_16-24-24_467


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

このページのトップヘ