しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:「不良老人」の日常

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【Summary】
On January 6, 2025, I visited the SCMaglev and Railway Park in Nagoya. The next day, I attended a Central Aichi Symphony Orchestra rehearsal at Inazawa Civic Hall, which was free to watch. Before that, I cycled to Chiyoda Elementary School in Inazawa, inspired by an NHK BS program that featured a heartfelt story about the school.

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 2025年1月6日は,正月のお籠り状態から脱出するために外出して,名古屋市のリニア・鉄道館に行きました。そして,その翌日,1月7日は,稲沢市民会館でセントラル愛知交響楽団のリハーサルを見にいくことにしました。年に6回ほど,この会場でリハーサルを行っていて,無料で見学できるのです。前々から気になっていたのですが,これまで行く機会がありませんでした。

 と,その前に,少し時間があったので,ある場所を経由することにしました。リハビリ?の続き?です。ある場所というのは,2024年12月4日にNHKBSで放送された「にっぽん縦断こころ旅」の1259日目愛知県稲沢市「田んぼしかない通学路」で取り上げられた稲沢市立千代田小学校です。
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 泣いてしまい,ひとりで登校できない娘さんの後ろから,毎日,小学校までついて行った通学路が真理さんのこころの風景です。お手紙には心細そうな後ろ姿の娘さんの写真と手書きの地図が同封してありました。手紙を読んだぐっさんは,ご自分のお子さん達のことを思い出し,気持ちがわかると。
 稲沢市の祖父江ぎんなんパークを出発。快晴の秋空の下,銀杏や稲刈り後の田んぼなど秋の匂いを堪能しながらまずは小学校へ。そこからは地図をたよりに,通学路を逆走し写真の場所を探します。
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 ということで,自転車でぐるりと回ってみました。
 稲沢市立の小中学校は,今でも,二宮金次郎の像があります。

 さて,そのあと,稲沢市民会館に行きました。ここの中ホールは,一昨日にも室内楽アンサンブル-ニューイヤーコンサート「七」を聴きに来ましたが,今日は大ホールです。
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 セントラル愛知交響楽団(Central Aichi Symphony Orchestra)は,名古屋市に本拠を置くプロのオーケストラです。1983年(昭和58年)中部地区では2番目となるプロオーケストラ「ナゴヤシティ管弦楽団」が結成されました。1997年(平成9年)にセントラル愛知交響楽団に名称を変更しました。
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 この日リハーサルを行っていたのは,2025年1月12日に愛知県芸術劇場コンサートホールで行われる公演のもので,松尾葉子指揮,金原聡子ソプラノで「超!有名曲シリーズ」と銘打って,ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」より 序曲,喜歌劇「こうもり」より「チャルダッシュ」,レハールの喜歌劇「メリー・ウィドウ」より「ヴィリアの歌」, ヨハン・シュトラウスⅡ世の「美しく青きドナウ」でした。
 私は,まったく楽器が弾けないので,演奏会など出たこともないし,こうしたリハーサルを見るのもはじめてでした。
 会場には約100人の観客がいました。
 わずか1時間程度でしたが,みるみる演奏が完成していくのがおもしろかったです。実際の演奏会にかずとも,これで十分に堪能できました。

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1年の気温x降水量b

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 自宅で過ごすには天気も気温もそれほど気にすることもないのですが,問題になるのは,外出するときです。特に旅に出るときにもっとも問題となるのは天気ですが,こればかりは運以外のなにものでもありません。とはいえ,およその傾向を知ることは必要です。
 そんなわけで,先日,7月から10月までの私の住む地方の最高気温と降水量を気象庁のデータからグラフ化したものをあげたのですが,興味をもったので,1年間に拡張してみました。こうして表示してみると,いつも,そのとき限りで忘れてしまう1年間の傾向が,きちんとわかってきました。

 最高気温は,冬はおよそ摂氏12度程度で,1月はじめから2月末まではほとんど変わりません。また,夏は摂氏35度程度で,これもまた7月はじめから8月末まではほとんど変わりません。
 春の訪れは3月で,日に日に気温が高くなっていくのですが,おもしろいことに,そのまま7月まで上昇するのではなく,4月から5月中旬までは摂氏23度程度で一定で,5月中旬から6月までが28度程度で一定というように,2段階で高くなっていくのです。そこで,気温としては過ごしやすい時期が長く続くことになります。それに対して,秋は春とは異なり,11月から12月の2月にわたってずっと低くなっていきます。過ごしやすいのは10月で,気温が20度から25度で一定。この気温が摂氏25度程度で続く年と摂氏20度程度で続く年があって,高いときは過ごしやすい秋となり低いときは小寒い秋となります。
  ・・
 降水量は,3月中旬から4月末まで,6月から7月中旬まで,そして,8月中旬から9月中旬までが多い時期になります。また,台風の影響があると,これとは違うこともあります。
 気温を降水量と並べて見てみると,春の過ごしやすい時期は雨が多く,秋の過ごしやすい時期は雨が少ないということになります。また,気温と降水量だけではわかりませんが,春は,花粉や黄砂などの影響もあり,気温は安定していても,雨に加えてこうした外的な要因もあるのが問題です。
 こうしてみると,1年で,もっとも気持ちのよい季節は10月ということになるかもしれません。

 四季があるのは日本に限るものではありませんが,それでも,3か月ごとにはっきりとした筋目があるのはめずらしいということです。温暖化の影響なのか,このごろは,昔のような「美しい」四季とは異なるように感じているのですが,調べてみると,それでもはやり,春夏秋冬,それぞれ明らかな違いがあるものだと思いました。
  ・・
 幕末,そんな日本に人生を四季に例えた吉田松陰がいました。
 吉田松陰は,反幕府運動をしたとして処刑される直前,江戸・小伝馬町牢屋敷の中で全十六節からなる「留魂録」を書きました。「留魂録」は,「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」という辞世の句を巻頭にしてはじまりますが,「留魂録」の第八節は吉田松陰の死生観を語っているものです。
  ・・・・・・
 今日死ヲ決スルノ安心ハ四時ノ順環ニ於テ得ル所アリ
  ・ 
 十歳ニシテ死スル者ハ十歳中自ラ四時アリ
 二十ハ自ラ二十ノ四時アリ 三十ハ自ラ三十ノ四時アリ
 五十 百ハ自ラ五十 百ノ四時アリ
 十歳ヲ以テ短トスルハ惠蛄ヲシテ霊椿タラシメント欲スルナリ
 百歳ヲ以テ長シトスルハ霊椿ヲシテ惠蛄タラシメント欲スルナリ
  ・・
 今日,私が死を目前にして平穏な心境でいるのは,春夏秋冬の四季の循環という事を考えたからである。
  ・
 人間にもそれに相応しい春夏秋冬があるといえるだろう。
 十歳にして死ぬものにはその十歳の中に自ずから四季がある。
 二十歳には自ずから二十歳の四季が,三十歳には自ずから三十歳の四季が,
 五十,百歳にも自ずから四季がある。
 十歳をもって短いというのは,夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。
 百歳をもって長いというのは,霊椿を蝉にしようとするようなことで,いずれも天寿に達することにはならない。
  ・・・・・・
 司馬遼太郎さんの小説「世に棲む日日」に詳しく描かれ,1977年(昭和52年)これを原作とした大河ドラマ「花神」で篠田三郎さんが吉田松陰を演じました。

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◇◇◇
With walk-off SLAM,
Ohtani becomes fastest to join 40-40 club.

大谷翔平選手,おめでとうございます。
通訳の William Augustine Ireton さん,インタビュアーの Kirsten Watson さん,とばっちり。
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◇◇◇
西に花火・東に雷の共演。

花火が終了するやいなや,土砂降りになりました。
現地に行った人は屋根もなくどうしたことだろう?
遠くから車で見ていた私は実害ありませんでした。
aaaaaaaaa


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 覚悟していたとはいえ,今年2024年はとても暑い夏です。昨年も暑く,10歳は年老いたように感じたので,今年はその二の舞にならないようにと,遠出は避け,早朝と夜に散歩をして,昼間はクーラーの効いた室内で過ごしているので,ほとんど気にならないのですが,日々の気温を見ると,昨年以上のようです。
 「のど元過ぎれば熱さを忘れる」といいます。このことばの熱さというのは暑さのことではないのですが,天候もまた同じようなもので「夏を過ぎれば暑さを忘れる」と,秋になると,夏の暑さを忘れてしまうようです。これではいけないと,いったい私の住む地方の7月から10月までの4か月間の最高気温と降水量を調べて,数値として実証してみることにしました。
 6月は梅雨でとても蒸し暑いと思っていたのですが,最近は,6月は雨も少なく過ごしやすい日々が続きます。そして,7月になると,突然暑くなって雨が多くなるような気がします。また,9月になると秋が来るように思われるのですが,実際は,相変わらず暑く,また,9月の第1週は雨が続きます。9月の後半になると,やっと秋の兆し訪れ,10月になると,急速に涼しくなり,いい天気が続くようになる…。私は,そんなイメージがあったので,7月から10月までを取り上げてみたわけです。
 それが今日のグラフです。

 やはり,思っていた通りの結果になりました。
 気温では,私のイメージ通り,10月になると,急に低くなります。9月末までは30度を超えるのが当たり前なのが,突如25度以下に5度以上も下がり,私には最高の季節となります。免疫力のない人や,自己抑制のできない人は,この時点で風邪をひくわけです。
 話がズレますが,投資では,数値の変動は,サインのグラフのように動くのではなく,ハイパボリックサインのグラフのように動きます。それに対して,気温は,サインのグラフのように動くのではなく,ハイパボリックタンジェントのグラフのように動くのです。だから,夏の暑さと冬の寒さは3か月ほど一定に続き,春と秋は急速に変わっていくのです。

 降水量は,台風が来るかどうかでずいぶんと異なるのですが,台風という例外を除くと,これもまた,明白な特徴がわかります。
 「梅雨明け10日間」といいます。それは正しく,7月20日ごろの梅雨明けからの10日間くらいは,非常に降水量が少ないです。それを過ぎると9月の中旬までは雨が多いのですが,秋分の日を境に安定し,10月中旬以降は晴れの日が続き,空気も澄んで,気持ちのよい季節になります。
 1964年に行われた東京オリンピックの開会式は10月10日に行われました。それは,もっとも晴天率が高い日だったからです。それなのに,今は,金儲け優先の社会になってしまい,オリンピックもアメリカで視聴率がとれる真夏に行わるという暴挙が横行することとなりました。また,私が高校生のころは,学校祭も9月下旬から10月はじめに行われていたのに,共通一次テストがはじまって以来,日程を早めて9月のはじめに行われるようになったので,毎年雨に悩まされることとなったそうですが,そんな自然の摂理に反することをすれば当たり前です。

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Supemoon, Bluemoon and Sturgeon Moon 2024.

「ブルームーン」はひとつの季節(6月21日夏至から9月22日秋分)に満月が4回あるとき,
そのうちの3回目の満月か,1月に2回満月があるときの2回目の満月のことです。
2024年は季節の「ブルームーン」で,約2.5年から3年に1度しかありません。
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 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」といいます。多くの人は昨年の夏が猛暑であったということを忘れてしまっていたのではないでしょうか。実際は,昨年2023年の夏は猛暑でした。7月20日ごろまでは涼しかったのですが,突然暑くなりました。そして,その暑さは9月になっても一向に変わらず,そのまま猛暑が続きました。だから,8月よりも9月が辛かったようです。ところが,10月になるやいなや,突然涼しくなりました。
 そんな2023年の夏,私は,そろそろ涼しくなるだろうと,8月20日から隠岐諸島へ旅行に行ったのですが,この時期は長袖を持っていくほうがいいと書かれてあった隠岐諸島も非常に暑く「今年は例年とはまったく違う」と言われました。そんなこともあって,夏バテになり,夏が過ぎたとき,10歳は歳をとったように感じました。

 そこで,2024年も昨年同様に猛暑がくると予想し,7月20日から8月末まではどこへも行かないぞ,と決心しました。そして,9月は8月の様子を見てどうするかを決めることにしました。
 実際,予想した通り,2024年も猛暑となりました。連日,摂氏40度近い毎日が続いています。昨年よりもさらに暑いようですが,それは,私が想定したとおりだったので,家に籠りはじめました。しかし,ひとつ大きな誤算がありました。それは,家にずっといると,やはり調子が悪くなるのです。体を動かさないと重たく感じるようになり,太ってきました。
 ということで,考えたのは,涼しい時間に外に出て体を動かそう,ということでした。
 昔は,夏は,午前10時まではクーラーなしでも大丈夫でした。また,午前8時くらいまでは,動いても汗をかきませんでした。しかし,今は,午前5時30分を過ぎると無理です。この時間になると,セミが鳴きだし,人々が活動を開始しはじめるのですが,突然暑くなるのです。この時間にまだ寝ている人はわからないことでしょうが…。

 私は,朝は午前4時過ぎには自然に目が覚めます。この時期は夜が明けるのが早いので,朝は午前4時30分を過ぎるとすでに明るいです。そこで,午前4時30分から1時間ほど散歩をすることにしました。
 ほとんど人がいない街というのはおもしろいものです。マンウォッチならぬハウスウォッチをすることができます。この家のひとは,こんなムダなことにお金をかけているんだなあ,とか,この家には,たくさんの子供がいるんだなあ,とか,そんなことを思いななら歩くのです。まれに,犬の散歩をしている人を見かけますが,犬のペースでだらだらと歩いたら,犬には運動になっても人には運動になりません。ラジオをかけながら歩いている人もいます。クマがでるわけでもないし,せっかくの静寂が壊れるので,やめてほしいです。
 そして,歩き終わったころ,家の近くにあるマクドナルドで休憩して,家に戻り,シャワーを浴びます。ほかに客のいないマクドナルドでアイスコーヒーを飲むのも悪くありません。
 そして,夜にも,午後8時から,また,1時間ほど歩きます。朝とは違って,自転車で遠出して,自宅から少し離れた公園などで歩きます。すると今度は,まだ青いクリの実やギンナンの実,一面のヒマワリ畑など見ることができます。朝とは違って,午後8時というのは,まだ暑いです。昼間の熱気がさめていないのです。しかし,1日に1度は少し汗をかくのも悪くない。それは,帰宅してすぐに入浴をするからです。
 こんな日常をおくると,1日に約1万歩ほどは歩くことができるので,体の調子もよいのです。

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◇◇◇
2023年の天気
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スピカ食。

8月10日,スピカが月に,午後8時21分に潜入し午後8時51分に出現しました。
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 以前書いた2022年春ドラマですが,「元彼の遺言状」「パンドラの果実 〜科学犯罪捜査ファイル〜」 「吉祥寺ルーザーズ」は途中で断念して,結局,最後まで見たのは,「インビジブル」「持続可能な恋ですか? 〜父と娘の結婚行進曲〜」「正直不動産」 「クロステイル 〜探偵教室〜」でした。夏ドラマは,これといっておもしろそうなものはなさそうですが,とりあえず,「石子と羽男」「初恋の悪魔」だけを見てみようと思っています。
 さて,ここ数年,テレビは,私にはその存在が薄くなってきています。報道番組は一切見ないし,ワイドショーなんてお金をもらっても見たくないし,お笑いタレントが司会する番組もきらいなので,私にとっておもしろそうな数本のドラマと科学特集,そしてクラシック音楽の番組だけを録画して見るようになりました。しかし,ドラマは,別にテレビでなくともTVerやFODで見ることができるので,ドラマに関しては,もう,テレビなど要らないのではないか,録画する必要はないなあとさえ思うようになってきました。
 それにしても,チャンネルばかり多すぎてもロクな番組は少なく,結局,すべての濃度が薄まっているかのようです。
  ・・
 ただし,テレビならでは,と思うのが,NHKBS1で放送しているメジャーリーグベースボールの中継です。とはいえ,以前とは違って,私はメジャーリーグベースボールにほとんど興味がなくなったのですが,アメリカの雰囲気が味わえる,という理由で英語放送でつけっぱなしになっています。
 しかし,NHKはなぜかどんな番組も時折ニュースが入るのが私には不愉快で,ニュースの時間だけは,音声を消します。実際は,メジャーリーグ中継はABEMAでも放送しているので,そちらを見たいのですが,現地からの放送を流していればいいのに,どうしてわざわざお金をかけて日本語のアナウンスや解説をつけているのでしょう。これでは全く見る気が起きません。せめて,Primeで現地放送を流すのなら,Primeを契約してもいいのですが…。

 私はそんな日常を過ごしていて,毎日がとても快適なのです。散歩は早朝日の出前。それ以外は,買い物に出かけることと,仕事で出かける以外はほとんど外出もしないので,私のような年寄りには,もはや,外界で何が起きていても「あっしには関りがありません」状態なのです。であるはずなのに…
 実は,変な夢を見ました。
 夢というのは目覚めると忘れてしまっていることがほとんどなのですが,この変な夢はしっかりと覚えていました。
  ・・・・・・
 その場所がどこなのかわからないのですが,おそらく日本です。そして,日本なのに,アメリカの小さなモーテルのようなところでした。そのモーテルに泊まっている私は,貴重品を預かってもらおうとフロントを訪れました。預かってもらったのはスマホと財布でした。
 ところが,それを受け取りに行ったとき,預かってもらったフロントのスタッフがいません。オーナーに聞くと,そんなスタッフはいないというではないですか。つまり,スタッフに成り済ました別人だったのです。私は,まんまとスマホと財布を盗られてしまったわけです。
 オーナーはそんなものを預けるほうが悪いというし,スマホと財布をなくした私は途方にくれました。しかし,その一方で,今回もまた何とかなるわ,こんなこと,私のこれまでの人生で何度もあったし…,となぜか楽観している自分がいたのです。
  ・・・・・・
 と,そこで,目が覚めました。

 なんだかよくあるチンケなドラマの筋書きみたいですが,結局,これが私の潜在意識なのです。
 私は,コロナ禍以前,ずいぶんと海外に行ったのですが,常に恐れていたのが盗難です。実際,盗難にあったこともあります。必ず,財布などは紐をつけて絶えず携帯していたのですが,それでも,瞬間,意識の空白が起きるのです。
 このところしばらく旅をしなくなって,旅をする楽しさよりも,旅をするときに常に感じていたわずらわしさや不安のほうを強く思い出すようになってきたのです。もう,この先「現役復帰」はむずかしいのかな。


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💛
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 新型コロナウィルスワクチン3回目の接種からちょうど5か月,2022年6月24日に4回目の接種をしました。
 私は,感染している人を見たことがないし,身近にも感染した人がいないし,ワクチンが効くのか効かないのか,効いているのか効いていないのか,実際のところ,よくわからないのですが,ともかく,統計的には接種が進むにしたがって感染者や重症者が減っているから効いているのでしょう。
 私は副反応がまったくないから,別に何回接種しても問題がないのですが,これまで副反応のひどかった人は,むしろ,感染してもひどくならないのなら接種をするほうが辛いからと,二の足を踏んでいるいることも少なくないと思われます。陽性になっても症状もなく1週間すれば完治ならインフルエンザよりも大したことないし…,という感じでしょう。
  ・・
 今回もまた,3回目と同じく,県営名古屋空港でのモデルナの集団接種にしました。私はかかりつけ医もないし,LINEで予約が簡単だからです。驚いたことに,接種会場に着いてみると,スタッフのほうがはるかに多く,ワクチンを接種しに来ていたのは4,5人でした。こういうのを閑古鳥が鳴いているというのでしょう。
 接種が済んで15分ほど待っている間に待合室で流れていたのが,ワクチン接種が大切だという内容のビデオでした。税金使って作ったのだからかけているのでしょうが,ワクチンを接種した人に接種しましょう,というビデオを見せていったいどうするのかな,と思いました。
 それは別として,どうして,病院などの待合室ではどこもテレビが置いてあって,しょーもない番組が流れているのでしょうか。何の娯楽もない昔ならともかくも,いつもこういうものを半ば強制的に見せられるのが私にはよくわかりません。番組の内容によっては,患者さんを不安にするだけです。私はテレビの情報番組とやらが苦手です。見たくないのです。嫌煙権ならぬ,嫌像権はないのでしょうか。

 ところで,私は,これまで,インフルエンザの予防接種をしたことがありませんが,インフルエンザどころか,風邪すらひいたことがありません。
 インフルエンザの予防接種を受けたことがないのは,単に,注射がいやというのが理由です。エッ?
 話は飛躍するようですが,私は,これまで沖縄に行ったことがないのです。その理由は,沖縄は陸続きでなく,飛行機に乗らなければ行くことができないから,なのです。それと同じです。
 であるのに,実際は,私は,注射などどおってことないのです。採血とき,注射針が腕に刺さるのをじっと見ることすらできます。全く大丈夫なのです。飛行機もまた全く平気で,北海道どころか,海外にも頻繁に出かるし,むしろ,飛行機は大好きなのです。
 本当のところ,インフルエンザの予防接種を受けないのは,おそらく,インフルエンザの予防接種ををなめているからだと思います。さらに,インフルエンザの予防接種は効かない,と,それが誤解か六階かはしらねど,私が確信しているからです。また,沖縄だけ飛行機で行くことに二の足を踏んでいるのは,子供のころはじめて日本が島国だと知ったとき,沖縄は陸続きでないから行くには飛行機に乗らなければならないと言われて怖くなった,という記憶があるからです。もし,それが沖縄でなく北海道と言わていたら北海道だったのでしょう。それに輪をかけたのが,そのころ,はじめて飛行機に乗った父親がその体験談を怖そうに話していた,ということにあります。つまり,これがトラウマというものです。

 私が接種した6月24日までで4回目の接種を終えた人は201,332人です。20万人もいる! と思うでしょうが,それでも全体のわずか0.16パーセントです。
 日本の人口は約125,830,000人なので,感染者10,000人といったって「1万人にひとり以下」,つまり,わずか0.01パーセント以下でしかないのです。なお,年末ジャンボ宝くじで7憶円が当たる確率は0.000005パーセントなのだそうです。こんな確率では勝負する気にもならないので私は宝くじは買いませんが,それを夢見て買う人がいるのがとても不思議です。こんな確率はキャッシュカードを落としたときに4ケタの暗証番号が見破られる確率よりずっとずっと低いです。ロト6も同様です。
 それはそうと,果たして,5回目の接種はあるのでしょうか? 私は別に何回受けてもかまわないけれど。

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 何事もなければ今ごろはハワイに行っているころです。当初は,さすがに1年もすれば元通りの世の中に戻ると思っていたのですが,かれこれ2年になろうとしてます。
 2年間海外旅行ができず,私のパスポートの有効期限もあとわずかとなってしまい,スタンプで埋め尽くすという夢も幻となってしまいました。その反対に,お金を使わないので,車2台分くらいのお金が浮いてしまいましたが…。
 とはいえ,コロナ禍以前に行きたかったところは国内外問わずほぼ制覇していたので,どこへも行けなくても特に問題はなかったし,コロナ禍のはじまった2020年のころは,それまでオーバーツーリズムで迷惑していた外国人観光客がすっかりいなくなったのを幸いに,京都の春の桜と秋の紅葉をこころゆくまで堪能できました。
  ・・
 すでに「新型コロナはインフルエンザ扱い」になったヨーロッパやアメリカとは違い,未だにリーマンショック以来の金融緩和を引きずって幕引きをする決断すらできない日本は,コロナ禍もまた,当分は幕引きをすることもできず,うだうだとこんな状況を続けていくことでしょう。そして,ただでさえ少子高齢化で国力が落ちているのに,その凋落をさらに早めていくのでしょう。

 さて,そんなこんなで,私は,どこかに遠出することもほとんどなくなりました。近場であっても,特に,お昼間や週末は人が多いので出かける気にもならず,家に閉じこもって籠城生活をしているのです。
 そんな私の楽しみは,深夜,だれもいない山野で星を見ることに加えて,夕方の日没後と明け方の日の出前に散歩をすることです。この時間の空はどんどんと変化して,しかも毎日様子が異なっていて,とても美しいことに気づきました。特に,明け方,太陽が昇る前の空は絶品です。星を見るには快晴が一番ですが,夜明け前の空は,むしろ,少し雲がかかっているほうが美しいのです。
 私は,そんな明け方の楽しみを知ったことで,より早起きになってしまいました。

 ところで,今年の冬は例年以上に寒く,雪ばかりです。
 2月23日。昨晩遅く,天気予報にはなかったのに雪が降ったようで,早朝,窓を開けると外は銀世界でした。これなら,咲きはじめた梅に雪が被っているのでは,と思って,いつものように,日の出30分くらい前に散歩に出かけました。
 外気はマイナスでしたが,この寒さがまた,身を引き締め,気持ちよくさせてくれます。寝静まった静寂がこころ休まります。梅の花には思ったほどは雪がかかっていなかったのですが,とても美しいものでした。まだまだ寒いとはいえ,季節は確実に春に向かっています。
 やがて,東の空が明るくなって太陽が地平線から顔を出すころ,この日もまた,その寒さから太陽柱が昇っているのが見られました。こんな風景を見ると,古,柿本人麻呂がよんだ「かぎろい」は太陽柱のことだと確信します。
 夜明けの空が美しいのは,なにも東の空だけではありません。その反対の西の空にも昇ったばかりの太陽の光が届くようになると,雪を被った山々もまた,ピンク色に染まるのです。

  ・・・・・・
 東野炎立所見而 反見為者月西渡
 ひむかしの野にかぎろいの立つ見えて かへり見すれば月傾きぬ
 東の空には昇りつつある太陽の光が立ち上るのが見え 振り返って西の空を見ると月が沈んでいこうとしている
   「万葉集」巻1・48 柿本人麻呂
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 すでに2年近くになろうとしているのに,世界は未だに新型コロナウィルスに翻弄されているようです。それで本当に困っている人も多くいるのに,これが金儲けのチャンスだとばかりに不安を煽りそれを利用している人もまた少なくないのは,いつもの常,これが人の世です。
 そしてまた,それに踊らさて,怪しげなものを首から下げている人とか,意味もない品々を買いあさっている人も見かけます。このときとばかり,名を売るために真しやかな「学説」を唱える学者から,効用も定かでない何がしかの「製品」を売る業者,そして,大した知識もないのにさも詳しいように「私見」を書くマスコミ,不安を煽るような「記事」を書いて売上げを伸ばそうと企む雑誌など,この2年間でその姿の本質が次第に明らかになってきました。
 吉田兼好の書いた「徒然草」の時代から人はまったく進歩していません。学校で何を学んでいるのやら…。
  ・・・・・・
 世に語り伝ふる事,まことはあいなきにや,多くは皆虚言なり。
 あるにも過ぎて人は物を言ひなすに,まして,年月過ぎ,境も隔りぬれば,言ひたきまゝに語りなして,筆にも書き止めぬれば,やがて定まりぬ。
  「徒然草」第73段
  ・・
 この世の中に語り伝えられている事は,真実そのままに語ってもつまらないからだろうか,多くの話は嘘八百である。
 人は事実よりも大げさに物事を言う傾向がある上に,ましてや,年月を経て,遠く離れた場所の出来事であれば,言いたい放題に語られる。書物などに記録されてしまえば,もはや嘘は真実に書き換えられてしまう。
  ・・・・・・

 人の世なんて,だれにも明日のことはわからない。であるけれど,できる限りそうしたリスクを避けようと考えるのが人というものなので,その心配を利用し,不安を煽ることがビジネスチャンスとなる,これもまた,人の世です。
 しかし,自分の力ではどうにもならないようなことを耳に入れたところで意味がなく,自分でできることをする以外は,人の世が不条理に満ちているからこそ,先のことなどなるようにしかならないから心配しても仕方がないのです。ということで,私は,寿命は神様にお任せして,病気はお医者さんにお任せして,自分ではそんな心配は一切しないと決めて生きてきました。つべこべ言わずに行動するしかない,行動しなければ運はつかめない。これが私がこれまでの人生で覚えたことのすべてです。
 そして,今自分ができることは,このコロナ禍では一刻も早く3回目のワクチン接種を受けることで,これをしようと,1月19日に接種券が届いたその日にLINEで集団接種を予約して,1月24日の朝,終了しました。しかも,1回目,2回目がファイザーだったので,3回目はモデルナ,これがベストだということだったので,そうしました。幸い,私は,これまでも今回も副反応とは無縁です。
  ・・
 この日が集団接種の初日とあって,私の接種した会場である県営名古屋空港には,県知事が視察にくるわ,テレビ局やら新聞記者が接種者以上に殺到するわでごった返し,まさにお祭り状態でした。おそらく,ワクチン接種に限らず,どんな報道も同じような有様なのでしょう。以前私が観戦した朝日杯将棋トーナメントも同じでした。
 それにしても,感染が落ち着いていた1か月前に3回目のワクチン接種を実施していればよかったものを,これで終結とかいった何の根拠もない神頼みをしてしまうのも日本人の特質で,その後,暢気に2回目の接種8か月後だのとこれまた根拠のないことを決めておいて,何事かが起きると慌てて前倒しだとかでそれをはじめるのもまた,いつもように,やったふりの得意なこの国の行政です。
 それと同じくして,自分で考えもせずデマに踊らされ言われるままそれをうのみにして行動する多くの人たち。
 そうしたあり様は,奇しくも,今,再放送をしているNHKBSPの「マー姉ちゃん」で描かれている日本の太平洋戦争時の状況,つまり,軍の力で威張り散らす輩だの,隣組だといって異論者を村八分にする世間だのといった様子や,日本には神風が吹くだの,敗戦でアメリカ軍が日本に上陸して女子供を連れ去るだの,といったデマを流して人を不安にするような騒動を見れば,この国の人々のもつ変わらぬ本質がどういうものかとてもよくわかるというものです。

◇◇◇
2022年1月24日現在,日本の新型コロナウィルスワクチン接種3回目完了者は2,363,995人,人口の1.9パーセントです。
また,2022年1月24日までに日本で新型コロナウィルスに感染した人は2,224,982人で,接種3回目完了者より少ないのです。しかも,そのうちの約90パーセントは軽症か症状なしです。

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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 私はお笑いタレントというものが苦手です。彼らが出演するテレビ番組を見たいとは思わないのです。しかし,現在,民放はもとよりNHKでも,教養番組などの進行役でさえそのような人たちが出ていない番組を探すほうが困難な状況になってしまいました。そんなわけで,もとからテレビの報道番組はまったく見ないので,限られたドラマや「コズミックフロント」以外見るものがなくなり,次第にテレビをつけることから遠ざかりはじめました。
 そして,静かになった日常では,音楽を聴くことがさらに幸福だと感じるようになってきました。
 そんな音楽で,私が好んで聴くのが,ブルックナーの交響曲であり,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲ですが,それが発展して,このごろは,ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲にはまりつつあります。

 ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲は15曲あって,ベートーヴェンの16曲,シューベルトの15曲,ドヴォルザークの14曲に匹敵します。また,第1番が作曲されたのが32歳で,すでに交響曲第5番を作曲したあとであり,最後の第15番は,ショスタコーヴィッチ亡くなる前の年に完成されているということで,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に似ています。
 しかし,ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲は演奏会でとりあげられるようなものではありません。それは,そのほとんどは暗く,切なく,そして,理解が困難だから,聴衆うけしないからです。たとえば,最後の第15番は「恐怖の暗黒音楽」とさえいわれ, 全6楽章が変ホ短調で,すべてアダージョからなっています。変ホ短調なんてフラット記号が6個もついていて,私は楽器が弾けないのでわからないのですが,演奏はかなり大変そうです。しかも,大変なのに,実際に演奏しても,聴く側はまったく理解できないとあっては,苦労のし甲斐もないというものです。

 ショスタコーヴィッチは旧ソビエト連邦で苦労した作曲家であることはあまりに有名ですが,もし,その才能をもって,オーストリアなどで生まれていたら,はたして,どんな音楽を書いたのだろうかと思います。しかし,ある意味,ショスタコービッチの狂気すら感じる魅力は,皮肉にもソビエト連邦の悪政があったからこそ生まれたのかもしれません。
 交響曲では旧ソビエト連邦の体制から多くの批判を受けたのですが,私は,この地味な弦楽四重奏曲で,作曲家のこころを吐露しているのではないだろうか,と聴きながら思います。お前たちのような下世話な人間にはわからないだろう,と報復をしているかのような感じです。そしてまた,ショスタコーヴッチの現世に対する執念と怨念は,自分のためだけに書いたと本人が言っていたとしても,実際は,聴く耳をもった聴衆だけが理解し楽しめるように作られたものだからです。
 してやったりとほくそ笑んでるショスタコーヴッチの笑い顔が浮かんでくるようです。私も愉快です。

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 1年と何カ月かぶりに再開されたNHK交響楽団定期公演の10月の指揮者は,待ちに待った94歳の巨匠ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)さんでした。コロナ禍でもなければ,私は東京に聴きにいったのですが,さすがに今回はFM放送での鑑賞となってしまいました。
 はじめの演奏会は第1939回。静寂の中でブラームスのヴァイオリン協奏曲がはじまりました。奏でられる1音,1音がすばらしく,私は感動して聴き入っていました。次が第1940回。この演奏会ではドヴォルザークの交響曲第8番がすてきでした。そして最後が第1941回で,この演奏会ではベートーヴェンの交響曲第5番がとりあげられました。
 ヘルベルト・ブロムシュテットさんは,このところベートーヴェンの交響曲を順にとりあげているのでうが,今回の第5番ははじめてでした。第6番「田園」も,数年前に演奏したのがはじめての定期公演でのプログラムということだったし,これまで第3番「英雄」は2度取り上げたのにもかかわらず,第5番は残ったままなのが私には気になっていました。それが今回の第1941回の定期公演でかなったわけです。
 ブロムシュテットさんが満を持して指揮した第5番なので,どんな演奏になるのか興味がありましたが,私の印象は,一点の曇りもない爽やかな水が流れるような,これほどさわやかな第5番を聴いたことがない,ということでした。ほんとうにすばらしい時間でした。荘厳な高級車というよりも,白髪の紳士が若々しいスポーツカーに乗った様のような感じでした。いつまでも続くカーテンコール,Twitterで見て泣けました。
 来年もまた来日されるのをこころから期待しています。
  ・・
 長く続くコロナ禍で,私はコンサートに行く機会が減りました。また,東京までわざわざコンサートを聴きにいくこともめっきりなくなってしまいました。昨年と今年,私は2回コンサートに行っただけでしたが,精神的な問題も手伝ってか,どちらも満足のいくコンサートではありませんでした。
 コロナ禍がゆえによくなった点は,曲の最後にその余韻に浸る前に無礼に「ブラボー」と叫んでコンサートが台なしになってしまうことがおきなくなったことだけです。
 このところ,パーヴォ・ヤルヴィさんに続いてヘルベルト・ブロムシュテットさんと,海外からの指揮者がようやく日本にやってくるようになって,改めて,そうした指揮者によるコンサートがすばらしいものだということを知りました。私は,わざわざ海外から指揮者を招いてコンサートを行うことの意味がわかった気がします。そしてまた,これまでそうしたことが当たりまえのようだったことがとても貴重なものだったことに気づきました。

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 「絵に描いた餅」ということばがあります。中途半端な都会に住んでいた私は,まさに,何ごともこの「絵に描いた餅」で,本で読んだりテレビで見たりした知識しか知らずに齢をとりました。
 憧れだったオニヤンマもクロアゲハも天の川も見たことはありませんでした。
 しかし,この「絵に描いた餅」で何とかなるのは数学くらいのもので,これでは生きる知識を得ることができません。
  ・・
 齢をとって,本から得られる知識よりも先に必要なのは,まずは現実を知ることであって,知識ははじめに本から得るものではないと,つくづく思うようになりました。
 たとえば,旅行のガイドブックも,そうした知識もなく,まず,現地に行って,体験してから読むべきものです。
 語学の勉強もまた,先に試行錯誤して人とコミュニケーションをとろうとしたあとで,はじめるべきなのです。
 そうした動機づけがないようなことは身につきません。

 ということで,田舎に住むようになった私は,このごろ,夜明けと日の沈むころに散歩をするのが最大の楽しみとなりました。そして,田舎に住んでいることがこれほど幸せなことだったのかということをしみじみと感じるわけです。近ごろ話題の「密」とはまったく無縁だし,人とすれ違うこともほとんどありません。そして,突然,いろんな鳥やら動物に出会います。
 自然界にはこれほどいろんな生物がいるのかということに驚くわけです。
 気をつけて探してみると,まあ,いるわいるわ。橋から川をのぞけばカメやらミズドリやら,田んぼのあぜ道を歩けば,イタチやらタヌキやら,そして,空を見上げれば,気持ちよさそうに鳥が飛んでいます。
 さらに,少し山に行けば,シカやサルはもちろんのこと,会いたくないクマさえ出没したりするわけです。
  ・・
 そうした生き物は,それぞれそこに出てくる言い分があるわけです。もとはそうした動物の住み家だった場所さえ人間が荒らしておいて,住む場所がなくなって,やむをえず人の住むところに現れるようになったらそれを駆除するなんて,人間は何と傲慢なのだろうと思います。

 子供のころ,桃太郎とかサルカニ合戦とか,そうした物語を聞かせてもらっても,そもそもキジなんて見たこともなかったし,そんなものが身近にいるとも思わなかったのだけれど,実際は,そうした動物が溢れていたわけです。
 散歩をして,身の回りに目をやる機会が増えてくると,実際は,こうした生き物がたくさんいるのにかかわらず,あまりにそういうものに無関心であったことに気づきました。
 私も,これからは,星ばかりでなく,そうした生き物についても関心をもとうと反省するのですが,それにしても,今日の朝見かけたあの動物,いったい何ものなのだろう? 毎日,そんなときめきを感じて生活するのは何とすばらしいことでしょう。都会に住む人がかわいそう。


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 6月15日,2回目の新型コロナウィルスワクチン予防接種が終わりました。
 私はこれまでインフルエンザどころか風邪もひいたことがありません。抵抗力には自信があったので,インフルエンザの予防接種もしたことがなかったのですが,このコロナ禍,こんなくだらないことにいつまでも振りまわされず,さっさと新型コロナウィルスワクチン予防接種を受けて終わりにしたかったので,それができて安心しました。
 ワクチン接種が当分先の人は,せいぜい,国民の健康など度外視してはじまったら見てもらいたいだけのオリンピックよいしょ,かつ,連日コロナ禍をお祭りのように浮かれて延々と報道するような NHK の偏向したニュースと字幕テロでも見て,今後も不安におののいた日々をおくってください。あんなニュースばかり見ていると,新型コロナウィルスに感染するよりも精神が病むと思いますけれど…。
 かくいう私は,日本の報道には嫌気がさしたので一切縁を切り,今はもっぱら CNNj を見て,すがすがしく過ごしています。

 私の住む市では1回目の接種がはじまったのが5月25日で,2回目の接種がその3週間後の6月15日からだから,私は最速でした。
 それでも,思えば,4月の下旬にワクチン接種のお知らせが届いてから2か月弱の長い日々でした。
 私は現在64歳です。
 マスコミは,はじめのワクチン接種対象者である高齢者を65歳以上と報道していましたが,いつを基準とした65歳かというこがまったく書かれありませんでした。日本のマスコミの報道なんて,何人感染者が出たとかいう意味のないことは一生懸命大騒ぎするけれど,いつも肝心なことが抜けています。
 調べてみると,厚生労働省のホームページに「令和3年度で65歳に達する者」としっかり書かれてあったので,幸運にも私は該当者で,ラッキーと思いましたが,私にお知らせが届くまでは,私が本当に該当者なのかかなり心配でした。心配をよそにお知らせが到着し,それを読むと,私の住む市では,幸いにも65歳以上ならば年齢による期日の差は設けられず,高齢者の新参者である私が最速で接種することができるので,これまたラッキーでした。
  ・・
 ところで余談ですが,令和3年度で65歳に達するのは「昭和32年4月1日生まれ」までです。だから4月1日生まれと4月2日生まれで決定的な違いがあるわけで,さぞかし,4月2日生まれの人は残念だったことでしょう。その反対に4月1日生まれはギリギリ対象者となるわで,ホッとしたことでしょう。
 3月31日でなく4月1日である理由は,誕生した日を1日として365日後が満1歳と考えるからなのです。そこで,4月1日生まれは翌年の3月31日で満1歳となるわけです。つまり,誕生日に何歳になった,というわけではないのです。これは早生まれの人が学校に入学する生年月日も同じです。

 さて,話を戻します。
 接種のお知らせが届いた後は,今度は,予約がスムーズにできるかが心配になりました。
 接種の予約,これが今年一番のイベントだと思っていました。コンサートのチケットにしても,発売日に購入するのはなかなか難しいものです。インターネットはつながらず,電話もまたつながらないという経験はこれまでに何度もしています。こんな面倒なことをまたするのかと思うと気が重くなりました。
 予約の開始は5月10日でした。午前9時に電話をしてもつながらないことは明白です。私はなんとか5月10日の未明からネット予約ができる医院を探し出し,午前3時にアクセスに成功し,幸い,ことのほか容易に接種開始の5月25日に予約ができました。これもまたラッキーでした。
 いざ予約ができたら,その次は,予約通り接種ができるかが心配になりました。当日熱でも出たら問題なのです。それもまた杞憂となり,1回目の接種も難なく終わりました。
 1回目の接種で70パーセント以上の効力があるとはいえ,効力が95パーセントを超す2回目が早く打ちたくて,今度は,2回目の接種までの3週間が待ち遠しい毎日となりました。

 …とまあ,私は,ずっと何週間もムズムズと過ごすことになってしまいました。
 そして,6月15日。ついに3週間が過ぎ,待ちに待った2回目の接種が終わったわけです。
 2回目の方が副反応が強いという話ですが,いまのところは1回目にも感じた腕のちょっとした締め付け感だけです。このままたいした副反応もなく終わるといいなあと思っています。
 これから接種する人も,私のように,接種が決まってからムズムズとした,というか,悶々とした2か月間を過ごすことになるのでしょうか。
  ・・
 私が接種したのはファイザー製のワクチンでしたが,ファイザー製のワクチンはファイザーがドイツのバイオ企業であるビオンテックと開発したものだそうです。こんなワクチンをわずか1年で作り上げたのだから,たいしたものだ,と思ったことでした。
 長く生きていると,いろんな経験をするものです。であっても,まさか,こんなことが,SF小説の世界でなく,現実の世界に流行して,旅行もできなくなるとは考えてもいませんでした。この事態が起きるのは予想もつきませんでしたが,自分の寿命を心配して,元気なうちにと,ここ数年,これまでにやりたかったことをどんどんとやっておいてよかったと,つくづく思うこのごろです。

◇◇◇
2021年6月15日現在,日本の新型コロナウィルスワクチン接種完了者は7,113,830人,人口の5.6パーセントです。

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 現在の日本の状況は,新型コロナウィルスを画びょうにたとえると,道路に靴を履いてもそれを貫いてケガをするような頑強な画びょうが撒かれた状態のようなものです。だから,出歩けは踏んでケガをします。そこで,出歩くな,といえば,その時点からケガをする人は減るのですが,減ったからといって,また,出歩いてもいいといえば,再びケガ人が増えるという,それを繰り返しているだけなのです。だから,何度非常事態宣言を出したところで同じことが繰り返されます。
  ・・
 そもそも,これを解決するには,道路の画びょうを片づけるか,あるいは,踏んでもケガをしないような分厚く強固な靴でも与えるしか方法がないということになります。…なのに,どうしてそんなことがわからないのだろうと,私は,ずっとそう思っていました。つまり,国民の6割も7割もの人がワクチンを接種するまでは,結局のところ,ずっと非常事態を続けるしかないのです。
 だから,報道してほしいのは,何人感染者が出たか,などということではなく,現在,何人がワクチンを接種したか,どれだけワクチンの準備ができているかだと思うのですが,相変わらず,日本では売りたいだけ,見せたいだけで,不安を煽り意味のないことばかりを報道しているようで,なさけない限りです。そもそも,取材力なさすぎる。

 ということですが,これもまた日本らしく,マスコミの報道では,接種に伴ってトラブルが続出しているとか。しかし,そんな揚げ足を取るようなことを報道してもらっても,まったく意味がありません。必要なのは,自分がどうすれば予約ができるか,ということです。
 ともあれ,やっと高齢者のワクチン接種がはじまり,私の住む市では,5月10日に予約が開始されて,5月25日に接種がはじまりました。「不良老人」の私は,今回もまた悪運が強く高齢者の対象にギリギリ入っていて,しかも,いつものように要領がよく,5月10日に5月25日の予約ができたので,さっそく1回目のワクチンを接種してきました。そして,1回目の接種後,その3週間後の6月15日に2回目の接種の予約が決まりました。最速です。
 1回目の接種自体は何の問題もなく,翌日,接種場所にわずかばかりの筋肉痛が残っただけでした。周りの人たちが2回目がたいへんだと脅すのですが,まあ,おそらく大したことはないでしょう。それよりも,接種をしてみて,自分の精神状態があまりにも変わったことに驚きました。もう,巷のコロナ禍のもろもろは私には別世界の出来事のような気がしてきました。そして,な~んも関係ない気になりました。
 アメリカはすでに3億回近くの接種が終わっています。アメリカの株価が異常に高くなり,また,社会活動が平常にもどりつつあるムードになっているのがどうしてなのか,その意味が,私も接種してみてよく理解できました。つまり,ワクチンの接種はそれだけの意味をもっているということなのです。だから,日本でも,ワクチンの接種がもっと早くすすめば,オリンピックがどうのとか,自粛がどうのとか,そんなことはすべて吹っ飛んじゃうのです。
 一方,日本では緊急事態宣言が6月20日まで延長されるということですが,6月20日に解除しても,ワクチンの接種がすすまなければ,しばらくしたら,また,次の緊急事態宣言がはじまることでしょう。

 さて,この6月20日という時期は,高齢者の2回目の接種が終了しはじめるころに重なります。そうなると,おそらく,接種済みの高齢者を対象としたツアー旅行が売り出されることでしょう。旅行会社だって売り上げがなければ困るからです。これ以上のビジネスチャンスはありません。これまで我慢していた高齢者は,もう我慢の限界とばかりに,大挙してそうしたツアーに申し込むことでしょう。あるいは,街中にカラオケにと,どっと繰り出すことでしょう。
 その時期になると,接種をした人とそうでない人に社会は2分化されます。つまり,1957年(昭和32年)4月1日以前に生まれたかどうかが決定的な意味をもつ階級社会となるわけです。
  ・・
 季節は夏。
 問題なのは,同じころ,ワクチン接種をしていない若者もまた,接種の終わった高齢者と同じように,活動を開始しはじめるということです。そうなると,無防備な若者を中心として,再び,感染者が爆発的に増加するということになるでしょう。今年のゴールデンウィークにハワイに行けなくて沖縄に多くの人が訪れた現在のその結果から,それが予測できます。
 爆発的に増加をはじめるちょうどそのころ,だれも止める勇気がないので,なし崩しにオリンピックもはじまるでしょう。そしておそらく,意地でも観客を入れることになるのでしょう。しかし,そんな状況でオリンピックを開催したら,「オリンピックを観戦してオリンピックで感染した」という洒落にもならないことが起きるのは明白です。
 それに加えて,今はすっかり忘れていますが,8月は猛暑なのです。世界一過酷な日本の夏なのです。そんな夏に屋外でマスクをして炎天下で観戦をするということがどういうことか想像できないのでしょうか。室内で大相撲を見るのとはわけが違うのです。
 そもそも,コロナ禍とは関係なく,猛暑の夏にオリンピックを開催するということ自体が悪手です。ということで,この夏は,熱中症の患者に新型コロナ感染者にと,医療体制は大混乱に陥るかもしれません。これが杞憂であればいいのですが,もしそんなことになれば,この国は完全に終わりです。しかしそれでも,おそらく,だれも責任をとらないことでしょう。あるいは,首相だけが冷や飯をくらい,再び,毎度毎度自分の手に負えなくなると健康上の理由とかをこしらえて敵前逃亡を繰りかえした某氏が三度目の復権をするという悪夢が,ひょっとしたら見られるかもしれません。

 さて,ワクチンの余りはじめたアメリカです。ニューヨークでは観光客を対象に無料でワクチンの接種がはじまりました。それを目的に日本からも富裕層がニューヨークに出かけています。ツアーもあります。
 そこで,いい案があります。
 それは,日本に国民全体に行き渡る数のワクチンが確保できないのなら,この際,休業補償でお金を出す代わりに,その予算で日本国政府が飛行機をチャーターして,希望者を集めニューヨークまで行ってもらってさっさとワクチンの接種をしてきてもらうというのはどうでしょうか。航空会社も旅行社も潤います。何億円もかけて国民に布マスクを配ったり,愚策だった Go To Travel よりずっと名案でしょう。自粛自粛などといくらいったって,また,非常事態宣言をこれから何度繰り返したところで,ワクチンの接種者が増えなければ本質は何も解決しません。だから,このほうがずっと前向きの解決策となることでしょう。
  ・・
 かくいう私は,オリンピックもまったく興味がないし,酒も飲まないし,カラオケなどしないし,人混みも嫌いだし,当然,デパートなど行かないから,非常事態宣言がどれだけ続こうが,まったく関係がないよそ事の世界ですが,こんなことが続けば、商売をしている人はたまったものではありません。

 幸い,私は3週間後には2回目の接種が終わります。
 そうしたら,こんなグジグジした騒動とはおさらばして,再び2年前の落ち着いた日常に戻るのをこころ待ちにしています。


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 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲についで,32曲あるピアノソナタについても,きちんと聴いてみようと思いました。
 残念ながら,私は楽器が弾けません。将棋で「観る将」という言葉がありますが,私の音楽は「聴く音」にすぎません。弦楽四重奏曲もピアノソナタも,聴くというよりも,自ら弾くということができるのなら,もっと喜びが増すと思うだけに,とても残念です。
 しかし,弦楽四重奏というのは,4人の奏者が必要なので,それに取り組むには4人のメンバーが集まらなければならず,これがとても難しいと思われますが,ピアノの場合はひとりでできるわけで,もし,ピアノが弾けたなら,これほど打ち込むことができるものもほかにないように思います。そんなわけで,これが弾ける人をとてもうらやましく思います。

 昨年末,NHKFMでベートーヴェン特集を放送しました。その番組の中で,ピアニストの仲道郁代さんが,ピアノソナタについて熱く語っていて,それはそれは本当に至福の時間でした。こうした解説を聴いたあとで,じっくりとピアノソナタに耳を傾けると,その1音,1音がとても輝いて聞こえてきます。すべての音がまるでダイヤモンドのように輝き,こころが満ち足ります。
 その番組で,第9番のピアノソナタの音程が4度3度の上がり下がりからなっていて,この音程が第8番「悲愴」でも使われていて,さらに,第30番と第31番にも用いられているというお話をされていました。この4度上がるというのは,第8番の第1楽章では「ため息の形」として演奏され,それに連なる第2楽章では「郷愁をそそるような,懐かしいような,切ないような,寂しいような,けれど,暖かいような」旋律に生まれ変わって,「天使の音程」となっているそうです。
 また,第31番では,冒頭に「con amabilità」(愛をもって)と書かれていて,このピアノソナタが,不滅の恋人といわれるアントニー・ブレンターノ(Antonie Brentano)という女性に捧げようとしていたとか,さらに,「嘆きの歌」と題された第3楽章にも「天使の音程」が使われている,といったお話を聞いてこの曲を聴くと,感動して涙がでてきます。
 私は,昨年,河村尚子さんのベートーヴェンピアノソナタ連続演奏会の最終回を聴く機会があって,晩年のピアノソナタ第30番,第31番,第32番に直に触れることができました。仲道郁代さんのお話をその前に聴いていたら,もっともっと深く味わうことができたのに,と少し残念に思いましたが,そうでなくても,最晩年の弦楽四重奏曲同様,晩年のピアノソナタは誠にすばらしく,こころに染みわたりました。

 弦楽四重奏曲同様,ピアノソナタの優れた解説書を探していたのですが,幸い生誕250年ということで,「徹底解剖! ベートーヴェン32のピアノ・ソナタ」という本を見つけたので,購入しました。
 この本では,多くのピアニストがベートーヴェンのピアノソナタについて語っているのですが,これらが,まあ,すばらしいこと。私は,昨年と一昨年,オーストリアに行く機会があって,ベートーヴェンが実際に使っていたピアノを見る機会もありました。そうした私の実体験を踏まえて本を読み,この珠玉の32曲を聴くと,幸せを感じます。
  ・・
 最後に書かれた第32番のピアノソナタは,ベートーヴェンが,もうこれですべてを書き切ったとばかりに,高音域での長いトリルも伴いながら天に昇るように昇華して終わります。曲を書き終えて,ベートーヴェンはピアノソナタでは,もはや,すべきことはなくなったのでしょう。この曲をもってピアノソナタとは別れを告げ,次に,交響曲第9番を完成し,そして,自分の人生の集大成として弦楽四重奏曲の最後の第12番から第16番を書き上げるのです。

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 R.・シュトラウスのような大規模編成のオーケストラがあふれんばかりにステージにのって,音の洪水の中に入り込むようなコンサートにはうんざりする私ですが,それに比べて,弦楽四重奏曲はなんとすばらしいことか,といつも思います。この凝縮された構成で同じ感動をあじわうことができるのなら,大規模な編成など不要とさえ思えます。しかし,お客さんがあまり入らないことと愛好家好みなので,東京ならともかく,地方都市に住んでいると,弦楽四重奏曲を演奏する質のよいコンサートに出会う機会はほとんどありません。また,テレビなどでもほとんど取り上げられません。私も,これまでに3,4回出かけただけです。

 楽聖ベートーヴェンは,ピアノソナタをいくつか作曲したのち,交響曲を書いて,その後におさらいのように弦楽四重奏を作曲したと説明された本を若いころに読んで以来,私は,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に興味をもちました。さらに,中学校のときだっか,音楽の授業で,ベートーヴェンの晩年に書いたピアノソナタと弦楽四重奏曲はその時代の音楽をはるかに超えたものだったという話を聞いて,ますます聴きたくなって,それがずっと記憶に残っていました。
 しかし,当時は,高価なレコードを購入しなければ,ピアノソナタや弦楽四重奏曲を聴くこともできませんでした。
  ・・
 私は,世の自粛ムードとやらには迎合する気もなくそうした行動をする気もないのですが,もともとお酒を飲む習慣もなく人混みにも出ないので,どうやら,世の中が私の行動を模範としはじめたようです。以前より,旅に出るとき以外は,日ごろから,家でコーヒーでも飲みながら好きな音楽を聴くといった優雅な生活を楽しんでいるのですが,近ごろ,ふと思い出して,かねてから気になっていたベートーヴェンの弦楽四重奏曲を,改めて聴き込んでみることにしました。
 それがどうでしょう。こんなにこころに染みる洗練された音楽がほかにあっただろうか,と思うほどのめり込むことになりました。

 ベートーヴェンの残した弦楽四重奏曲は第1番から第16番までの16曲と,もともとは13番の最終楽章として書かれた大フーガがあって,それらは3つに分類されます。はじめの6曲は初期の作品で若々しく,洗練されておらず,次の5曲は傑作の森とよばれる時代に作られたきわめて完成度の高いもの,そして,晩年の6曲は誠に奥行きの深い作品です。
 私が好んで読む吉田秀和さんの著作にも,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に触れた文章はほどんどなく,また,それ以外にもすぐれた解説書が見当たりませんでしたが,折しも,雑誌「音楽の友」の2020年6月号が「ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲完全読本」と題して特集していたので,購入しました。
 この本の中で,後期の弦楽四重奏曲に対して
  ・・・・・・
 彼の最晩年の心象風景は,それまでとは打って変わって実に独特です。喝采よりも穏やかな同意を,拍手よりも温かい共感を,称賛よりも真の理解を求めているようです。大げさな命題は掲げず,その代わりにもっと親密な感覚で私たちを包んでくれるのです。
  ・・・・・・
とありました。

 私は,はじめて弦楽四重奏曲を聴いたとき,多くの愛好家が至高の作品とみなしている後期のものに最も惹かれましたが,後期の作品の多くは伝統的な4楽章ではなく,作曲した順に次第に楽章が増えて,第14番に至ってはなんと7楽章で構成されているのに驚きました。はじめは,何か精神的におかしくなったのではないかと思ったほどでした。しかし,それはベートーヴェンがたどり着いた果ての自由な精神性がそうさせたものだと知りました。第14番では,全曲がひとつの自由な幻想曲のように構成されていて,それは大量の推敲の果てにもたらされたといます。その構想の自由さこそが,これまでの形式を凌駕したのです。
 それにしても,第14番で自由を獲得したのち,次の,最後の第16番で再び4楽章の形式美にまいもどったことが謎をよぶのです。この曲には,有名な「そうあらねばならぬのか」(Muss es sein?),「そうあらねばならぬ」(Es muss sein!)というモチーフから曲が構成されているのですが,私には,古典的な形式の弦楽四重奏曲に回帰することで,自由を手に入れたベートーヴェンが今生の別れの儀式をしているようにも思えます。
 第16番の抒情的で穏やかな旋律の第3楽章は,そののちマーラーの「交響曲第3番」に影響を与えてよみがえりました。こうして,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲はマーラーの交響曲に受け継がれて,いつまでも生き続けることになりました。私は,世の中が落ち着いたら,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の良質の演奏会に出かけて,充実した精神の安らぎを味わいたいものだと,今からこころ待ちにしています。

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 「ニコニコ大百科」によると,「撮り鉄」(とりてつ)とは
  ・・・・・・
 「鉄道ファン」の中でも、とりわけ列車の写真撮影行為を趣味とする層の総称である。
 文字通り,鉄道の思い出を写真・画像・動画などとして残しておこうとする層で,鉄道車両を中心に,駅構内や線路沿いの風景など鉄道に関する風景を撮影するのがその活動内容。駅構内でカメラや携帯端末などの画像記録機器を構えている人がいたら,たいていその属性保持者だと認識して差し支えない。
 また,「撮り鉄」の場合は,駅間の線路脇,人里離れた山奥・海辺や雪山から線路が見通せる場所など,一般人はまず行くことのないような場所にも赴いて,鉄道の勇姿を写真に留めようとしている者も多い。誰でも見られる駅構内からの眺め(≒「駅撮り」)と異なり,鉄道を他の地域の風景と絡めて捉えたこれらの画像は,鉄道ファンにとって後世の貴重な資料となりうるため,実際に足を運んだ人の撮影品は重宝される。
 こうして鉄道の魅力を写真に捉え,他者が撮った写真と共にその趣や技巧を楽しむのが(本来の)「撮り鉄」である。
  ・・・・・・
とあります。

 私は決して「撮り鉄」ではない,と思っていましたし,今もそう思っています。
 それよりも,私は暇なのです。これまでは,暇があれば海外旅行をしていました。また,ふと思い立って,日本国内のいろんなところへも足を運びました。これまでさんざんいろんなところに行ったので,もう,この先,行きたいと思うような場所もなくなっていました。それに輪をかけて,このご時世,どこへも行く気がなくなりました。さらに,気晴らしで,お店に立ち寄ろうと思っても,やれ〇〇せよ,だの,体温測れ,だのと書いてあれば,まったく楽しくありません。それでは気晴らしにもなりません。欲しいモノはネットで買えるし,コーヒーなら家で飲めます。ということで,このごろは,人のいない早朝と夜に近くを散歩するのが唯一の楽しみと化してしまいました。手持無沙汰なので,カメラを持って歩いていると,自然と,家の近くを通る新幹線が被写体となってきました。
 私は,これまで,新幹線なぞ,まったく興味はありませんでした。あるとすれば,何とかいう寝台特急に偶然乗ったとか,その程度でしたが,それをわざわざ写真に収めるとかいうこともしませんでした。むしろ,よく線路の近くでカメラを構えている人を見ると,モノ好きな御仁だなあ,と半ば軽蔑気味に思うほどでした。

 それがどうでしょう。せっかく近くに新幹線が見られるのだから,と少し調べてみると「ドクターイエロー」とか,「最新型の新幹線N700S」だとか,いろいろ書かれていて,なんだかおもしろくなってきました。「ドクターイエロー」だって,これまで,見るともなく何度も偶然見かけましたけれど,実際に写真に収めようと思うと,それはそれで運行する時間も定かでないらしく,それを推測するだけでも奥が深いのだそうです。また,「最新型の新幹線N700S」は,以前,鉄道マニアの藤井聡太二冠が乗ってみたいというインタビューを聞いてその存在を知ったことはあれど,それが「ふつうの」(この「ふつうの」というものが「N700A」のことを指すことすら私には認識がなかったのですが)新幹線とどう違うのかということも知りませんでした。3月13日からは公表するそうですが,現在はこの「最新型の新幹線N700S」がいつ走っているかも問い合わせなければわからないということで,それを見ることができる時刻表を,毎日問い合わせてブログにあげている人がいることも知りました。
 という次第で,一旦興味をもってしまえばやり遂げないと気がすまない私は,ここ2日で,瞬く間に「ドクターイエロー」と「最新型の新幹線N700S」を適当にカメラに収めるのに成功したというわけです。
  ・・
 私は,いわゆる「撮り鉄」になってしまったのでしょうか?
 しかし,こんなことなら,これまで年に30回近くも乗っていた旅客機だって,もっと真剣にカメラに収めるんだった,とか,いろいろ後悔するようにさえなってしまったではありませんか。これは私には危険な前兆です。いやいや,今更,私は,多くの「撮り鉄」の人のように,日本中を歩き,多くの興味ある鉄道を上手に凝って写真に収めるような気持ちはありません。そういったことは鉄道写真家の中井精也さんにお任せして,私は,これまでどおり,散歩のついでに気晴らしに写真を写すだけの楽しみとしておきましょう。それこそが,万事適当でいい加減を旨とする「不良老人道」というものでしょう。もう飽きちゃったし。


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DSC_6136ssDSC_7613sF_Catalog(2)ミランダシーンモード

 以前ブログに書いたことのある雑誌「アサヒカメラ」の1975年5月号を改めて読んでみて,私は大変驚きました。それは,雑誌に掲載されていたものすごい数のカメラ会社の広告です。そして,そのほとんどが,今見ても欲しいと思う製品ばかりなのです。
 いつから,カメラにまったく魅力がなくなってしまったのでしょう? そしてまた,私が久々に購入した「アサヒカメラ」の最終号にはほとんど読みたい記事がないのに比べて,なんと,魅力に満ち満ちた記事が並んでいたことでしょうか。

 カメラの将来が危ういという意見がもありますが,スマホでは撮ることができない被写体は山ほどあるから,カメラがなくなるとは思えません。先日,ホタルを撮りに行ったときも,スマホでは写らない,とぼやいていた人が少なからずいたし,私が写した天体写真も,スマホじゃないよねえ,という人が結構いる,つまり,そうしたスマホでは撮れない被写体を写したいという人が少なくないのです。
 であるのに,カメラがまったく売れないのはどうしてでしょう。それはおそらく,カメラメーカーがそんなニーズに応える製品を出していないからなのでしょう。こんなことでは,本当に冗談でなく,プロのカメラマンや趣味として大金をカメラメーカーに貢いでいるアマチュアカメラマンでない人たちが,気軽に使えるカメラは,この世の中から消え去ってしまうかもしれません。
 簡単にいうと,一般の人には使いにくすぎるのです。

 一般の人が簡単にカメラが使えるようにと考えられているものにシーンモードがあります。シーンモードは,被写体やシーンに合わせてモードを選択するだけで,それに適した露出設定が自動で行われる機能です。初心者向きの撮影モードで,複雑な設定をしなくても被写体に合わせて最適な撮影ができるというものですが,多くの場合,撮影者が任意で絞りやシャッター速度,露出補正,ホワイトバランスなどの設定を個々に変更することができないという欠点があります。
 モードの種類はメーカーや機種によって異なっていますが,主なモードに「風景」「ポートレート」「スポーツ」「クローズアップ」「夜景ポートレート」などがあります。たとえば「風景」モードは,ピントの合う範囲が広く,緑や青の発色が鮮やかに,さらに遠くの景色を撮ることを前提とし,フラッシュは発光しないという設定だそうです。また,「ポートレート」モードは,絞り開放でぼかしやすく,ぶれないようにシャッター速度は速め,肌をきれに見せるため露出はやや明るく,少し赤みの強い発色になるそうです。また,「夜景ポートレート」モードはフラッシュを発光させた上で,シャッター速度を遅くして露光時間を延ばし,人物だけでなく背景の夜景も明るく写るというものだそうです。
 いわば,お任せ定食です。

 しかし,私のように,少しだけカメラの知識があると,これではむやむやします。それぞれのモードが実際にどういう設定を自動化しているのか知りたいし,知らないと,お任せする気にならないからです。つまり,つべこべ言わずに任せりゃいいという,上から目線を感じるわけです。あるいは,細かい設定はカメラメーカーの秘密だよ,という大人の事情なのかもしれません。
  ・・
 そんなわけで,私はこれまでシーンモードは無視してきました。しかし,前回書いたように,夜明けの空や鳥の飛ぶのをなかなかうまく写せないなあ,どうしたらいいのかなあとカメラの説明書を読んでいて,このシーンモードに興味をもちました。さらに,今どきのカメラには,シーンモードに限らず,それ以外にも多くの機能が搭載されていることをいまさらながら知りました。しかし,そのほとんどはまったく使っていなかったわけです。
 カタログには,〇〇ができる,〇〇ができる,と多くの機能がうたわれていますが,いざ,製品を購入すると,小さな字で書かれた簡単な説明書があるだけで,カタログにうたわれている機能をどう実現すればいいのかさっぱりわかりません。写真集やら豪華なパンフレットにも,そうした機能を使ってプロが上手に写した写真だけが並んでいるだけで,どうすれば同じように写せるのか見当がつきません。
 どうやら,カメラが売れない原因はそこにあるような気がします。多くの人はせっかく買っても使いこなせないから飽きてしまうのです。しかし,暇で,かつ,新たなものを買う気のまったく失せた私は,今持っているものの性能を十分に生かすために,今更ながら,こうした機能をひとつずつ覚えてみたいものだと,意欲がわいてきました。


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 私は,土日祝日はまず外出しません。それは自粛とは関係ありません。人混みがきらいなだけです。平日でも私が行動するのは,買い物をする以外は人のいない時間,つまり,夜明け前と日没後ですが,この時間に散歩をするのは,とても快適です。特に,夜明け前は最高です。
 このごろは日の出が午前6時50分ごろです。そこで,午前5時過ぎに起床して,食事をとり,準備をして,午前6時20分過ぎに家を出て,約1時間ほど,散歩をするのが日課になってきました。私は犬を飼っていないので,犬を散歩に連れていくということはないのですが,その代わりにカメラを持参します。小さな一眼レフに高倍率のズームレンズをつけています。画像がどうのとかそういったこだわりはないので,というより,そんな腕はないので,写せばそれで自己満足の世界に浸ることができます。こころがほっこり休まる写真を写すことができればそれで幸せです。
 そんなわけで,今日は,散歩のお供に連れていくカメラ,ではなく,カメラで写す写真のお話です。

 この国では,お昼間にカメラをお供に散歩しても,京都やら奈良のように,撮り甲斐のある被写体がある場所ならともかく,写すものがありません。海外旅行をしたときに,絶えず写したいものに出会うのとは格段の違いです。私はずっとそう思っていました。以前は,お昼間にカメラを持参して散歩をしていたこともあるのですが,何も写さずに帰ることばかりでした。
 しかし,日の出のころなら,写したいと思う対象がいくらでも「出現する」ことを知りました。まさに「出現する」のです。それは,暗いからです。欲しくない情報は隠すに限るのです。そうすると,単なる草花であっても,それなりに絵になることがわかりました。さらに,地上に姿を現したばかりの太陽の光を味方にすると,自分のイメージ以上の写真にすることさえできるのです。これには驚きました。

 しかし,難しいのはカメラの使い方です。
 まず,太陽の光を入れるときはその露出が問題となります。私は,子供のころから一眼レフカメラを使っていたので,その仕組みはそれなりにわかりますが,昔は,オートフォーカスもなかったし,TTLと言って,適正露出を測る露出計こそついていましたが,シャッタースピードか絞りを設定すると,それに見合った絞りやシャッタースピードになるというだけだったので,手動で補正することも簡単でした。それが,現代のカメラは賢こすぎて,カメラが自分で何とかしようとしてしまい,ピントは合わせてしまうし,露出も合わせてしまいます。普通の写真を写すのならこれで十分なのですが,それを補正しようとすると,逆に面倒なのです。
 また,鳥を写そうとするときはピントが問題となります。ピントもまた,手動で合わせるほうがむしろ簡単で,カメラに任せると,何か別のものにピントを合わせようと,自分の予期せぬ動きをしてしまったり,シャッターチャンスを逃してしまうのです。
 いつも失敗して,帰宅して写した写真をチェックしてはがっかりしています。そして,毎度毎度,説明書を眺めながら設定を変更することになっていまいます。こんなことなら,昔のように,すべてマニュアルで操作するほうがずっと楽だし正確ではないかと思ってしまいます。
  ・・
 最後にカメラのお話を少しだけ。そんなわけで,私にはオートなど不要だから,すべてマニュアル操作だけで,フィルムがディジタル画像素子に代わっただけのカメラ -高価なライカならあるのですが- たとえば,ニコンFM-D(仮称)が欲しいと思ったりしています。


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 2021年,今年の節分は2月2日ということで話題となりました。このごろは,セブンイレブンが企てた恵方巻とやらが昔からの風習と勘違いをして日本中で市民権を得たようですが,私はまったく興味がありません。
 翌2月3日は立春でした。どういうわけか,本当にこの日を境にして世の中の空気が変わるのです。私も以前,大変な1年を過ごしたことがあるのですが,この日を境として運気が変わりました。
  ・・
 この冬は例年より寒い気がしますが,それにも増して,これほど日の出のころと夕暮れどきの空を見たのもはじめてのことでした。
 ほぼ連日,晴れていれば日の出を見ています。その日の出も1月のはじめは午前7時10分ごろでしたが,少しずつ早くなってきました。また,日没も,1月のはじめは午後5時くらいでしたが,少しずつ遅くなってきました。
 そしてまた,日の出前の東の空のは金星が,そして,日の入り後の西の空には土星と木星,そして水星が毎日位置を変え,そこに月が加わったり離れたりして,まるで追いかけっこをしているようで,見飽きることがありませんでした。

 そして,2月。
 日の出は午前7時ころ,そして日の入りも午後5時30分近くになりました。人の少ない時間が好きなので,このところの私は,日の出の30分ほど前から,そして,日の入り後に散歩をするのが日課となりました。この国はこのころがもっとも美しいのです。それは,暗くて,汚い景色を見ないですむからです。その反対に,お昼間には見ることができない,いや,感じることができない景色に触れることができます。特に,早朝,夜が白んでくるころが最高です。
 立春の早朝,いつものように散歩をしていると,すでに梅がほころんでいるのに遭遇しました。フキノトウも咲いていました。空にはサギが舞っています。そして,川にも水鳥が気持ちよさそうに泳いでいて,近づくと不思議なくらい敏感にそれに気づいて一斉に飛び立ちました。
 私は郊外に住んでいるので,どこを歩いてもそんな自然と広い空を見ることができます。お昼間はさほどきれいでないゴミだらけの道も川も,暗い時間だとそのすべてを隠してくれるので,こころときめくのです。

 古より,長い冬もまもなく終わりを告げようとするこの時期,多くの春の歌が詠まれました。ここではその中から2首紹介しておきましょう。
  ・・・・・・
 袖ひちてみすびし水のこほれるを
 春立つけふの風やとくらむ
   紀貫之 古今和歌集・巻第一春歌上2
  ・・
 袖が濡れんばかりにして手ですくったあの山の清水が
 冬には凍っていたのをこの立春の風が解かしていることだよ
  ・・・・・・
 君ならで誰にか見せむ梅の花
 色をも香をも知る人ぞ知る
   紀友則 古今和歌集・巻第一春歌上38
  ・・
 この梅の花をあなた以外の誰に見せようというのか
 色も香りもよさがわかるのはあなたを置いて他にはないことよ
  ・・・・・・

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 今から50年くらい昔,私が将棋に凝っていたころは,後に十六世名人となる棋士・中原誠さんの若き時代でした。当時無敵を誇っていた大山康晴十五世名人をバッタバッタとなぎ倒して,タイトルをどんどんと奪取していきました。その経緯は雑誌「将棋世界」の今月号に詳しく載っています。棋士中原の将棋の指し手はまさに教科書通りで単純明快そのものでした。私は子供心に「そうか一番強い人のやっていることは単純なものなのだなあ」と驚き,感銘を受けたものです。
 おそらく,その「単純であること」が最も難しいのでしょう。
 それは将棋に限りません。何事も,このように「単純であること」が理想なのでしょう。単純であるということはよくわかりかつ明確なので,だれにでも理解しやすいのです。それは,こうした勝負の世界では勝ちにつながり,学問の世界では美しい学説となります。しかし,商売の世界では,そこに他人に罠を仕掛けることができないので,お金がもうからないのです。そこで,商売では,わざわざ工夫を凝らして,あえてわかりにくくするのです。それが資本主義の社会の仕組みというものです。

 たとえば,税金ひとつとってみても,その仕組みを理解している人は多くないでしょう。会社員の場合など,年末調整でいわれた通りに書類を出しているだけなので,そのからくりをまったくわかっていない人がほとんどです。様々な商品もまた同じです。それは携帯電話の料金しかり,電気料金しかり。日常不可欠なインフラでさえもそうした現状なのです。
 たとえば「健康祝い金付き生命保険」というものがあります。満期まで一度も保険を使わなければお祝い金として50,000円差し上げます,とかいうものです。しかし,「健康祝い金」というのは,実際は免責金額が書いてあることなのです。もし,保険で30,000円もらえるような事態が起きたとします。しかし,使わなければ50,000円戻るという保険なら,その時点であえて保険は使わないでしょう。要するに50,000円以下の保証は求めないということになる,そういうからくりなのです。ことばは悪いですがインチキです。このように,あえておかしな条件をつけて複雑にして,消費者からお金を集めているというだけなのです。
 「奨学金」という名の実情は「学生ローン」があります,これは奨学金などではなく単なるローンなのです。それを奨学金という言葉にしてだましているだけなのです。第二次世界大戦の昔から,「撤退」を「転進」と言い換えるのがこの国なのです。今でも,「一億総活躍」という甘い言葉に言い換えて,実際は国民に死ぬまで労働を押し付けようとしているのがいい例です。

 おそらく,こうした複雑さのなかその根本にある単純なたくらみを見抜く力こそが,すぐれた「不良老人」となるために必要な知恵なのでしょう。DSC_1685

 これまでに買ったもののうち一番高かったのが140万円の中古の自動車だと書いたことがありますが,そんな感じで,私にはお金の使い道がわかりません。そんな生活をしてきた結果,歳をとった今になって,チリも積もれば山となるみたいに,けっこう自由になるお金があることに気づきました。しかし,依然として欲しいものがないのです。
 家を買おうと思っても,周囲を見回してもあの家なら欲しいなあ,あそこなら住んでみたいなあ,と思うところが全くありません。アメリカやオーストラリアの住宅と比べたら,この日本という国では住みたい場所すらないのです。日本では賃貸マンションで十分です。固定資産税もかからないし,リフォームの必要もありません。ご近所付き合いも楽です。
 大きな車を買ったところでこの国では走る道すらありません。車がかわいそうです。日本の高速道路をものすごいスピードを出して走っている恥ずかしい車を見ると,憐れみさえ感じます。車で思う存分走りたいのなら,アメリカやオーストラリアへ行けばいいのです。
 そんな,物質欲のない私が唯一興味のあるモノはカメラと望遠鏡なのですが,だからといって,重いカメラを使う気にもなりません。そんなものをもっては旅にも出られませんから今の持ち物で十分です。大きな望遠鏡を買っても星が見られる空すらありません。
 さまざまに購買欲を煽るような商法がありますが,そのほとんどは不要のものです。携帯電話は格安SIMカードで十分ですし,教育産業もしろうとがドリルの答え合わせをしているだけだから無意味です。そもそも日本の学校教育自体が時代遅れです。
 だからといって他にお金の使い道もありません。おいしいものを食べにいっても使うお金なんてたかがしれていますし,それほど食べられるわけでもありません。お酒を呑みにいっても分煙でないお店が未だに多く,そもそもわざわざ出かけていって他人のタバコの煙を吸うなんてまったく馬鹿げています。国内を旅行してもどこもすごく混雑しているだけです。観光地に出かけても,観光客からいかにしてお金をおとさせるかしか考えていなのでしらけます。日本旅館に泊まっても他人と一緒に,特にこのごろはマナーの悪い外国人と一緒に温泉に入る気にもなりません。
 ということで,私は国外に旅に出るのですが,海外旅行といったって,ツアー旅行でもしなければ,これもまた,それほどお金が要るわけでもないのです。10万円も出せば往復の航空券は大概手に入るし,現地に着いてしまえば,国内を旅行するのとなんら変わりません。

 この日本という国に住んでいると,誠にお金が要らないのです。
 新学期になると,有名な〇〇大学に何人入ったとか,そういうバカげた記事をたくさん見かけますが,たとえそうした〇〇大学に入って,そのあげく官僚になって高給をもらったって忖度に明け暮れる毎日,近頃かまびすしい「あの様」です。大きな組織に入って管理職になって巨額の収入を得たところで,もらったお金の使い道がないどころか,むしろ責任という重しを背負うだけのなさけない人生です。
 たった一度の貴重な人生,お金よりも自由であることが一番です。
 人は望んで生まれたわけではないのですが,生まれてきた以上は生きる価値があります。ならば,神様がお迎えに来るまで,少しでも楽しく生きられればいいのです。それは,自分に対しても他人に対してもです。だから,他人が楽しく生きられるような存在であるような生き方をすることもまた,大切な勤めです。
 なのに,なにか勘違いしている輩がいるのです。
 それは,他人には厳しければいい,というバカな輩です。その「厳しさ」にはふたつの側面があるのです。そのひとつは自分の優位さを誇示するために他人に厳しくするという面と,もうひとつは他人を育てるためと称して他人に厳しくするという面です。そのなかで,自分の優位さを誇張するために他人に厳しくるような輩には騙されてはいけません。そうした輩とは関わらず距離を置くべきです。もうひとつの,他人を育てるための厳しさなど,その育てられる標的にされた人にとってみればいい迷惑だし,いらぬお世話です。そんなおせっかい焼きの輩とも距離を置くべきです。
 どっちみち一度の人生,暇つぶし。自分に対しても他人に対しても楽しく生きることがもっとも大切な「不良老人」の生き方です。

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 このごろ何かと話題の財務省の官僚というのは,ものすごく頭がいい人たちなのだそうです。
 しかし,私がふと思ったのは,頭がいいというのは,本当に幸せなのか? ということです。
 昔,美人は,それを(美人を長所として)生かす仕事はタレント(と風俗?)くらいしかない,ということを聞いたことがあります。むしろ,それがデメリットとなる場合すらあります。おそらく,頭がいいというのもそれと同じようなことなのでしょう。超一流の〇〇大学卒業というのもまた,それがデメリットとなる場合も少なくないものです。

 私は「幸せとは?」という問いには答えがあります。その答えというのは,生まれたときにもってきた自分の才能が生かせる生き方ができることが最高の幸せであるということです。たとえば,組織のなかで仕事をしていても,ジグソーパズルのピースのように,きちんと自分に当てはまる居場所があるということが最高の幸せだということです。
 であるのに,自分の点数と順位ばかりを気にして,人と比べることだけを目的とするこの国の教育は,それとは真逆の目的を追い求めているようです。新聞の広告や雑誌の記事にも,〇〇大学に入学するための〇〇,だとか,偏差値〇〇で〇〇大学に入った,とか,そういう題名の本やら雑誌の特集やらが並んでいます。そうしたものがあるのは,それが売れるからなのでしょう。つまり,この国の人はそんなことしか興味がないのでしょう。

 将棋の棋士で一流になれる頭脳があるなら物理学を極めたほうが社会にとって有益だと言う人がいます。私も,若いころは,同じ頭脳を使うのなら,将棋の神秘を追求するよりも物理学を極めたほうが価値があるのになあ,と思ったことがあります。しかし,それは間違っているということに気づきました。
 つまり,どちらにせよ,結局は人間の頭脳の遊びなのです。
 こういうことを言うと,今度は,物理学は人類を幸せにするが,将棋は娯楽に過ぎない,という人が現れるのです。しかし,物理学は人類を幸せにもすれば,人類を滅亡もさせるわけです。将棋は人類を滅亡させません。さらに言えば,人は精神性で生きているので,人のこころをやすらかにすることができるというのは最高の才能であるわけです。東北で大地震があったとき,ミュージシャンが何の力にもなれないと嘆いた,という話がありますが,彼らの音楽こそが,被害に遭った人たちを勇気づけるのに最も大きな力があったのです。

 このように,頭がいいというのは,背が高く生まれたとか,足が速く生まれた,と同じような,単なる個性に過ぎないわけです。そして,そう生まれた人がそれをどう生かすかどうかというのは,まさにその人次第なわけです。人と比べたときにその人のほうがすぐれているということとはまったく違うのです。
 最大の不幸は,そうであることを勘違いして,自分の得た地位を利用して人を不幸にすることなのです。
 私は,これまで生きてきて,そんな勘違いをした輩をたくさん見てきました。

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 私はこれまでさまざまな旅をしてきましたが,思い起こせば,奇跡的にうまく行ったことが数々あります。その一方で,心残りなこともまたいろいろあります。そうしたことすべてを含めて旅というのでしょう。
 しかし,何事も「塞翁が馬」,今となってはそれはそれですべてが思い出なのです。
 そのなかでも,海外旅行でいまでもつくづく残念だと思うことがあります。それは「ボストンの雨」です。
 私は,ボストンのフェンウェイパークでベースボールを見るのが長年の夢でした。そして入手困難と言われるチケットをなんとか手に入れて見にいったのですが,あいにく,そのゲームが雨で流れたのです。
 その前日にボストンに到着した私は,予定を変更して,チケットを買ったゲームが行われる,いや,雨で流れたその前日に,現地の金券ショップでチケットを入手してゲームを見ることができたので,奇跡的にフェンウェイパークでゲームを見るという夢はかないました。しかし,そのゲームは負けゲームだったので,当時,ボストンのクローザーだった上原投手を見損ねたというわけです。このことが今でも心残りなのです。
 蛇足ですが,今シーズン上原投手は日本の野球に復帰しました。そこで見ようと思えば日本で簡単に見られるのですが,私はメジャーリーガーの上原浩司だから見たいので,日本で投げる上原投手には全く興味がありません。それはほかのメジャーリーガーだった日本の選手も同様です。

 これまでに,国内もずいぶんと旅しましたが,こちらには心残りなことがふたつあります。
 そのひとつは「京都・貴船のホタル」,もうひとつは「2001年のしし座流星群」。その両方を見逃したことです。
 京都貴船のホタルは空高く舞うといわれます。ホタルが乱舞する最盛期は意外と短いのですが,ちょうどその最盛期に私はホタルを見にいく計画を立てました。しかし,一緒に出かけようとしていた友人たちの都合が悪いということで1週間延ばし。私はそんな馬鹿な,と思いましたがやむを得ません。そして,思った通り,その時期を逸してしまったのです。
 しし流星群のほうは,ホタルとは別の話ですが,これもまた京都へ行こうと友人たちに誘われて,ちょうど出かけた時期が流星群の日と重なり,流星群のほうを見損ねてしまったということなのです。
 この今では心残りになってしまったふたつのトラウマによって,残念ながら,旅は友人の都合を聞いていると大切な機会を逸するものだというのが教訓となってしまいました。
 星といえば,しし座流星群とともに「ウェスト彗星を見逃した」ことも私には思い出されます。

 しかし,考えてみれば,見逃したこと以上に奇跡的に見ることができたことの方がずっと多いわけで,こうした後悔は贅沢な後悔なのでしょう。けれど,逃がした魚は大きいということわざどおり,そうした残念は一生のトラウマになってしまうのです。
 こうした経験から,運は自らつかみにいくことだ,思い立ったことはそのときに実行しなければ,と私は思うようになったのです。まさに,
  「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」(人生において人はしなかったことだけを後悔する。)
です。

◇◇◇
「不良老人」の日常⑨-コクトー「しなかったことだけを…」

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 このブログの冒頭に書かれている
  ・・・・・・
 Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.
  ・・・・・・
というのはフランス語で,フランス人ジャン・コクトー (Jean Cocteau)の言葉です。
  ・・・・・・
 We only regret what we did not do in life.
  ・・
 人生において人はしなかったことだけを後悔する。
  ・・・・・・
という意味です。
 ジャン・コクトーは,詩,小説,戯曲と文学の主要なジャンルで活躍しただけでなく,映画監督や画家としても作品を残しました。ただし,コクトー自身は,自分を詩人と定義していました。コクトーは,ダダやシュルレアリスムの影響があったと考えられていますが,自分自身は直接そうした運動には参加せず,むしろ対立も多い芸術家でした。

 人は日々の生活に追われ,何かをしたいと思ってもなかなかそうしたことを実現する余裕がないものです。しかし,自分の生活を見つめ直すと,する気になれば,案外とそうしたことを実現することはできるもので,結局は,踏み出すかどうか,ということなのです。できない人,しない人の多くはいつも言い訳ばかりをしています。
 旅に出ると,実際にそうした「何かをしている」人に出会うことができるので,私も刺激を受けます。そうした人たちと話をすると,「何かをする」ことが実現できた人とそうでない人の違いというのは,はじめの一歩を踏み出す勇気があるかないかの違いだなあと,しみじみ感じます。
 私も,これまでもそうであったように,これからも後悔のない日々を過ごしたい。そして,人生の最後に「ああ,楽しかった!」と思いたい。これが私の願いです。

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 世の中は天気と同じで,晴の日もあれば雨の日もある。ときには嵐の日もある。…ということは,歴史を勉強すれば,いやしなくてもわかります。
 たとえば経済。
 右肩上がりに上がり続けることもなければ,大暴落してもそのうち元に戻ります。こんなことを繰りかえしています。それだけのことなのに,懲りずに,愚かな人は少し暴落するとパニック売りをし,賢い人は下がったところで落ち葉拾いをします。そんなことは10年も投資をすれば実感できます。海に浮かぶ船と同じで,穏やかなときに人が一杯乗り込むと,大きな波が起きたときに振り落とされてしまいます。
 たとえば戦争。
 人の歴史は有史以来,戦いの歴史です。今にはじまったことではありません。それは日本も例外ではありませんが,第二次世界大戦で敗戦して以来70年以上もそうしたことに直面していないから,日本は無縁だと錯覚しているだけです。しかし,世界規模で考えればずっと同じことをいまでも繰り返しています。日本の歴史を考えても,この国は,ずっと大陸の脅威に怯えてきました。それは奈良時代よりも前からずっと同じです。今にはじまったことではありません。
 人類は愚か,というより,元来,生き物というのはそういうものなのでしょう。生き物はすべて生存競争をして強い者だけが進化をして生き残っているのです。そのなかで人類が少しでも優れているとすれば,それは良心をもっているということでなければなりませんが,どうやらそうでもなさそうです。歴史から何も学ばない,というよりも,そうした惨劇を身をもって経験した人がやがては死んで,そうした悲惨さを体験した人がいなくなれば,また新たに同じ残酷なことを考える人が現れる,ということの繰り返しなのです。権力者に取り入ることで自分も権力者の側にいるような気がしてもそれは錯覚で,所詮は裏切られるだけの庶民です。そして,いつも犠牲になるのはそうした力のない庶民です。
 たとえば自然破壊。
 人類が地球上に生きているということは,絶えず自然を破壊している作業を繰り返しているのです。「自然に優しい企業」などといううたい文句を奏でる製造業がありますが,モノを作ること自体が自然破壊なので,自然に優しいわけがありません。そうして,次第に地球が壊れていき,そのうちに収集がつかなくなって,人類は滅亡するのです。地球ができてこれまで46億年,この間に5,000万年から1億年ごとに5回起きた地球上の生命大量絶滅,その6回目が起きるだけなのです。

 われわれはそんな中で,海に浮かぶ藻屑のように生きていて,それぞれの人が,少しでもこころやすらかに,そしてささやかな喜びを糧として毎日を生活をしているだけです。どんな人も,大波がくればひとたまりもありません。地位だの名誉だの財産など,そんなささいなことはど~でもいいのです。
 若い人ならともかくも,歳を経てさえそんなことすらわからないのは愚かな話です。そしてまた,群れていてもしかたありません。不良老人である私は,人まねでなく,すべてを受け入れて,他人と比べず,自分らしく楽しく暮らすとしましょう。

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 アメリカでも日本と同じように世代による特徴があります。
  ・・
 最も話題となるのが「ベビーブーマー」です。アメリカの「ベビーブーマー」は,概ね1946年から1964年ころまでに生まれた世代を指す事が多く,これは第二次世界大戦終結後からケネディ政権の時代に生まれた世代に当たるので,日本の「団塊の世代」よりも範囲が広くなります。
 その次の世代が「ジェネレーションX」(Generation X)です。この世代は1960年代初頭または半ばから1970年代に生まれた世代を指します。「第13世代」(13th Generation)とも呼ばれていますが,ケネディ政権の時代から1975年のベトナム戦争終結後までの時代に生まれた世代です。ちょうどテレビの普及が始まった時期であり,ベトナム戦争やキューバ危機,そしてヒッピー運動の時期に少年期を過ごし,ヒッピー運動の衰退とベトナム戦争の終結による「しらけムード」の中で青年期を過ごしました。
 この世代が成人した1980年から1994年は冷戦末期からソ連崩壊の時期で,大資本家が「リストラ」「ダウンサイジング」と称した整理解雇ブームを惹き起こした時期と重なりました。このため「ジェネレーションX」は軒並み就職難に遭遇しました。この世代は別名「ミー・ジェネレーション」と言われ,個人主義と内向性を特徴としていて,政治や社会に対して冷めている傾向が強いと言われています。
 アメリカの世代について,今日特筆すべきは「ジェネレーションZ」(Generation Z)です。この世代は1990年代の中ごろから2000年代の中ごろに生まれた世代のことで,デジタル環境に育ち,政治参加意識も強いという特徴をもっています。日本の「ゆとり世代」と同じ世代ですが,まるで異なっています。
 この世代に属する彼らこそが,去る3月24日にワシントンDCで実施された銃規制を求める「私たちの命のための行進」(March for Our Lives)の主役です。これまで銃乱射による悲劇が繰り返されても進まなかった銃規制の流れでしたが,この世代の若者たちの怒りのうねりによって少しずつ変化が現れてはじめているのです。この世代は「自分たちが体験した恐怖に立ち向かうための行動をすぐに広げることができる」といわれています。

 このように,アメリカの世代は,日本と重なる部分もあればそうでない部分も多々あるのですが,日本にせよアメリカにせよ,歴史や経済というのは,その時代に生きた人の社会情勢に寄る部分が非常に大きいのです。しかし,なぜかそういう側面を軽視しがちであると私は思います。
 政治は政治家が自分の功名のためにやっている部分がほとんどで,経済もまた,金儲けがすべてです。そうした権力者にこびたところで,いざとなれば彼らに冷たくあしらわれるだけなのに,批判精神をなくし,それをサポートすることで自分もその仲間である,つまり権力者の側にいるように誤解している哀れな人がけっこういます。
 そしてまた,そうした権力を監視するのが重要な仕事であるはずのマスコミにも,話題になればいい,売れればいいというだけで,社会秩序も哲学もないのが残念です。ましてや,政権をヨイショするような報道は,単に権力者のサポーターであるだけで,批判を忘れたマスコミはマスコミではありません。
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 社会の中で漂うだけの力のないー個人としては,そうした世代による相違が社会の根底にあるということを忘れず,流行に踊らされず,自分の立ち位置と生き方を自分で考えていく必要があるのです。
 私が心配なのは,アメリカの「ジェネレーションZ」世代とは違って,日本では,日々くだらないドリル学習や画一された就職活動,そしてブラック企業に代表されるように残業ばかりの毎日を強いられているにもかかわらず,世界を知らない(知らされていない)ためにこの国はすばらしいと洗脳され,自分をもたない(もたせてもらえない)若者が保守化して,社会を批判する能力をもっていない(もたされていない)ことです。このことは,一見,権力者にとれば非常に都合がよいように思えるのですが,実際は国力の減退と稚拙な外交交渉の根本的な原因となっているのです。

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 1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)に生まれた「団塊の世代」,現在69歳から71歳のこの世代は,前回書いたように,人生で3度の失敗に見舞われました。今日はそのお話です。
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 そのひとつが学生運動の敗北です。しかし,彼らは一部の人を除いて,決して本質はリベラルではなかったのです。むしろ,彼らのなかで成人して社会の中核をなした人たちはかなりの保守派であって,学校教育もまた,彼らの世代が教師となってはじめたのが「管理教育」です。そして,現在の「言いたいことも言えない鬱積した社会」の仕組みを作った人たちもまた,かれらの世代の社会でリーダーとなった人たちです。人は大人になると,子供のころに自分の経験したことと反対のことをするのです。
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 ふたつめは自分の子供たちの不遇です。「団塊ジュニア世代」の学生時代は校内暴力と学校が荒れていたころであり,卒業時は超就職難に直面しました。つまり,「団塊の世代」の子供たち「団塊ジュニア世代」が学生ころに,髪の毛を染め耳にはピアスの穴をあけルーズソックスにミニスカートが流行して急激に秩序が乱れはじめ,しかも,その悲劇は彼らが就職期を迎えたとき不景気に直面してとどめをさされました。
 「団塊ジュニア世代」が高校生のころは,人口が多かったので現在は40人である教室に47人も押し込められたのですが,それでもそうまでして高校や大学の定員は増やしたからまだなんとかなったものの,人口が増えたからといって会社の定員が増えたわけでもないし,しかもたまたまその時期が不景気だったことで,結果的にそれが火に油を注いだ感じになってしまい,さらには,会社でまだ定年を数年残した自分の親たちの存在が会社の人員過剰の原因となって,自分たちの子供の就職をじゃまする形となり就職難に追い込んだのです。親の世代の定年と子供の就職時期が一致すればよいのでしょうが,そこには10年ほどのずれがあるからです。
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 そして彼らの3番めの失敗がコンピュータ時代に乗り遅れたことです。彼らが会社で50代となったところとその時期は重なりました。そこでまた悲劇が起きました。要するに時代についていけなくなったのです。そこで,本来は会社の重鎮であるはずの50代の人たちが逆に会社の重荷となり,居場所がなくなりました。それだけならともかく,コンピュータ時代についていけないことを逆恨みするかの如く,この国のIT化が遅れる原因ともなりました。会社のIT化に何かと異をとなえたわけです。
 やがて定年となった彼らは,今日,暇を持てあまして平日の街中をうろうろと徘徊しているのですが,未だ紙媒体の新聞を読むために図書館で開館を待つ列を作り,そしてまた,決まって持っているのが「ガラ携」です。このコンピュータ苦手世代を対象として商品やサービスを展開して売上を伸ばしたのが「ジャパネットたかだ」です。さらに,この世代は喫煙率が高く,周囲に迷惑をかけている存在であり,クレジットカードを信用せず現金で買い物をするという特徴もあります。

 こんな「団塊の世代」ですが,この世代は年金も満額受給し「戦中世代」のような若い時代の悲惨さもなく,しかもちょうど稼ぎ時がバブルに沸いた時代だったので,バブル期に浮かれて散財しなかった一部の賢い人たちはお金を持っています。残念なことに,その子供たちがいわゆる「空白の20年」に見舞われたので,彼らの多くは,今はお金のある「団塊の世代」の親を頼って生きるパラサイトチルドレンとなっています。しかし,この先,今は頼っている親たちが高年齢化し介護が必要となったとき,そして,その先親が亡くなって親の年金がなくなったときが大問題なのです。
 おそらく,今後20年くらいは「団塊の世代」の高齢者が社会にあふれるのでしょう。そして,その先になると,彼らを対象として作りすぎた老人ホームやら使い過ぎた医療費やら,そうした「団塊の世代」の「残骸」の戦後処理が待っているのです。それは,かつて彼らが起こした学園紛争の後に残された大学の無残な立て看板や,その反動でやたらと厳しくなった管理社会と同じ姿です。
 こうして,「団塊の世代」の次の「しらけ世代」は,いつになってもずっと「団塊の世代」のしりぬぐいばかりをしている「団塊後始末世代」となっているのです。

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 有史以来の日本で最も幸せな世代は1955年(昭和30年)生まれだと私は思います。
 この世代は「前期・しらけ世代」末期に属する人たちです。ちなみに「しらけ世代」とは1950年代生まれのことです。最も幸せな理由は,日本がまだ夢を見ていた時代に若いころを送り,コンピュータ時代にも乗り遅れず,厚生年金も60歳から支給され,さらには景気もよかった時代だからです。いわば「逃げ切り世代」です。1955年(昭和30年)生まれを境に,この国の人の年金などの老後における待遇は1年ごとに悪くなっていきます。
 しかし,この私が最も幸せな世代と思うひとつ前,世の中ではこちらこそが「逃げ切り世代」と言われている世代があります。それが「団塊の世代」です。
 1940年代の後期,特に1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)に生まれた有名な「団塊の世代」は,日本において第1次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代のことですが,この世代はいわゆる「焼け跡世代(戦中生まれ世代)」の次の世代にあたり,第2次世界大戦直後に生まれて文化的な面や思想的な面で共通している戦後の世代ということになります。現在,彼らは「アラセブンティ」,つまり,69歳から71歳です。この世代のことを「逃げ切り世代」といっていますが,それは間違っていて,彼らは人生で3度失敗をしているのです。このことは次回書くことにして,今日の話題は「団塊の世代」の子供たちの世代です。

 「団塊の世代」が75歳を超える7年後を「2025年問題」とよびます。それは,2025年の日本は「団塊の世代」が75歳を超えて後期高齢者となり,国民の3人に1人が65歳以上,5人に1人が75歳以上という人類が経験したことのない「超・超高齢社会」を迎えるからです。
 「団塊の世代」の子供たちが「団塊ジュニア世代」です。「団塊ジュニア世代」は1971年(昭和46年)から1974年(昭和49年)までに生まれた世代で,現在44歳から47歳の団塊の世代を親にもつ世代です。彼らは受験戦争が最も厳しかった世代であり,加えて,卒業生が多いのにもかかわらずバブルが崩壊して就職も悪く,恵まれない世代です。したがって,この世代は,今も貯蓄を行っていない人が約1割,預貯金が100万円未満である人も約3割あって、貯蓄を行っている者の割合や預貯金額が少ないという特徴があります。
 この世代がこれから突入するのが親の介護問題なのですが,自分に余裕のない世代が親の介護などできるわけもないので「2025年問題」は「団塊の世代」だけでなく「団塊ジュニア世代」の問題でもあるわけです。

 団塊ジュニアが壮年期を迎えはじめた2000年代には「第3次ベビーブーム」が起きるという希望的な予測がありました。そこで,ブライダル産業やベビー産業などとも絡んで「団塊ジュニア世代」の女性層をターゲットにした結婚・出産ビジネスが盛んになったことがあるのですが,実際には結婚できない人や結婚しても子供を産まない人が増えたことと,さらには価値観や時代の変化に伴い独身を貫くことや結婚はしても子供を持たないという夫婦が増えたことで,第3次ベビーブームが起こるどころか出生数は減少しました。
 そうした「団塊ジュニア世代」の思ったほど生まれなかった子供たちの世代が,現在の高校生や大学生,つまり「お先まっくら世代」なのです。

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 平日のお昼間の元気のいい老人の行動(実態?)を会社勤めをしている人はほとんど知りません。
 実際は,平日の老人はすることを探すのに忙しいのです。というか,実は暇なのでその暇つぶしをするものを探すのに忙しいのです。こうしたときに,老人になるまでの「鍛錬」の成果が現れます。趣味もなく働き続けた人は何をすればよいかがわかりません。平日の街中にはそういう人があふれています。
 以前書きましたが,20歳のころ,やりたかったことが一杯あった人はその40年後にそれを実現するために行動し,それがなかった人は,40年後もまた,することがないわけです。

 そうしたすることを探す人たちの中には高級デパートを歩いたり,街に出ておいしいものを食べたりしている人もいます。こうしたときに,自分というものを持っていないと,いらないものを買ったりして散財します。お金の有り余っている老人がこうした行動をするのは,景気がよくなるから,経済にとれば最も好都合です。しかし,さほどお金のない老人には,それは破滅の道に突き進む行動となります。
 次に多いのが図書館です。これもまた,何かに打ち込むような興味のある人には有意義な時間となりますが,そうでない人は新聞や雑誌を片っ端から読んで時間を潰すこととなります。新聞の取り合いのような見にくい競争がはじまったりします。私個人としては,図書館に新聞があること自体が迷惑に思います。新聞は新聞だけの閲覧室を設けるべきだと思います。それは,あの紙をめくる音がかなりの雑音だからです。
 行動派の人は電車に乗ってハイキングに行ったりもします。これもまた,歴史や文学などに素養があれば,とても楽しい時間の過ごし方となりますが,そうでないと,単に混雑した観光地に行くのに渋滞に巻き込まれて疲れるだけのこととなります。それは,たいして景観のよくないこの国の旅はこころでするものだからです。

 何をしようとそれは人それぞれで,とにかく毎日が日曜日ですから,好きなことを楽しめばよいのですが,何をするにせよ,やはり,自分がないと単に振り回されるだけとなります。そうしたすべては,若いころに自分探しをしなかった人には辛いこととなります。
 そうしたことを前提として,私の目指す「不良老人」として,してはいけない,というか,することのふさわしくないことは次のことです。そのひとつは民放のワイドショーを見ることです。ふたつめは週刊誌を読むことです。そして最後は,ネットにある書き込みを読むことです。
 これらはすべて,この国の人の根底にある「妬み」「僻み」そして「やっかみ」の巣窟だからです。ともかく騒げばよいそれで雑誌が売れればいい番組を見てくれればいいという意識が丸出しです。それらは単に興味本位なだけで,問題提示もなければ主義主張もない,要するに何も目指していないからたちが悪いのです。ああいうものに接していると,自分の精神までも堕落するるような気がします。
 そんなことに時間を使うくらいなら,クラシックのコンサートに行くとか,スポーツを見るとか,将棋の対局を見るとか,小説を読むというような,ホンモノにじっくり接することの方が,どれだけ満ち足りた時間をおくることができることでしょう。しかし,これもまた日頃からホンモノを味わえるだけの素養を身につけておかなければ,そのよさはわかりません。その意味でも,60歳でこれまでに過ごした人生の通知表がもらえるというわけです。それは,地位でも名誉でも財産でもありません。

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 ショッピングモールなどを歩いていると,商品が満ち溢れています。私がいつも不思議に思うことは,どうしてこうも多くの商品が買えるほど,お金を持っている人がいるのだろうか? ということです。ということで,今日は,非常に俗的なお金の話題です。
 大金持ちの人は別として,一般の人の場合,大学新卒の人がまずまずの会社に正社員で勤めたときにもらうお給料は手取りとして15万円くらいのものでしょう。それに加えてボーナスがもらえるとしても,年収は手取りでわずか250万円くらいでしょう。そして,30代,40代の人の場合は,手取りの年収は500万円というところでしょう。…というようなことが書かれてあるのですが,この数字は果たして本当なのでしょうか?

 アベノミクスとかいう,単にお金を大量に市場に流し込んで無理やり円安にして,海外で日本製品の値段をさげ,むりやり景気をよくしたただけの経済政策は,私の予測通り今や限界に達しています。日銀は金融緩和の出口戦略ができず,バブルのころの失敗をまた繰り返そうとしています。そんなことは以前ブログに書いたように,やる前からわかっていました。
 しかも,インフレにして給料を上げると言ったって,今の日本社会は年金受給者ばかりで,しかも,年金だけでは足りないからこれまでの蓄えを切りくずして生きているわけで,バブルのころのインフレとは違い,今インフレになれば銀行の金利が低いから蓄えの価値はどんどんと減るので,物価が上がってはやっていられません。それでも厚生年金を受給していれば年に200万円くらいは収入があるからまだ裕福ですが,自営業者だと国民年金しかないので100万円にもなりません。

 とまあこういう現実のなかで,どうして,一般の人たちが,300万円もする車が買えたり,5,000万円もする家が買えたり,月に30,000円も子供の塾代が出せたり,お昼のランチに1,200円も払えるのか,私にはさっぱり理解ができないわけです。さらに,夜になれば居酒屋で5,000円も出して会社員が年中飲み会をやったり,時給900円でバイトをしている大学生がコンパをやっているのもまた,私には理解不能です。
 子供2人連れてツアーでハワイに旅行したら,軽く100万円は必要ですし,カメラマニアはブログで新製品の批評やら噂に余念がありませんが,そうしたわずか数年で陳腐化するような現代のデジタルカメラにプロでもないのにモデルチェンジごとに30万円も散財するのも,なんなのかなあ? と思ってしまいます。
 今の時代,定年退職したときに蓄えが少なくとも5,000万円くらい,余裕をもって1億円くらいは当然必要でしょう。なのに,どうしてこれくらいの収入しか見込めないのにこういうことができるか,私はいつも不思議で仕方がないのです。
 みなさん,どこからお金が降ってくるのでしょう? 私はいつもそれが不思議で仕方がありませんが,もしも将来の蓄えもなくお金を使っているとしたら,その将来は「不良老人」どころか「貧困老人」として死ぬまで働くことになるのでしょう。それこそが,この国が国民に求める国策だからです。

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 2018年2月17日,朝日杯将棋オープン戦で藤井聡太五段が優勝して六段に昇段しました。この日も,対羽生戦で2度の4三歩,対広瀬戦では4四桂といった輝ける手が出ました。いつも何がしか,こうした驚きの手があってすばらしいです。
 すでにこのブログに書いたように,幸運にも私はこの朝日杯将棋オープン戦の準々決勝が行われた名古屋対局を観戦することができました。名古屋のほうが東京よりも対局者との距離が近かったが幸いでした。そしてまた,目の前でプロの棋士の将棋を観戦する機会などほとんどないので貴重な経験でした。しかし,対局場は解説がありません。観戦に来ていた人の中には,対局者の姿を見にきただけで将棋のことはほとんど知らないという人も結構いて,局面の優劣もまったくわからないようでした。
 私は強くはないけれど,年期だけはあるので,解説がなくても局面を味わうことが十分にできたので,非常に感動しました。そして,家に帰ってからインターネットで解説を見て,さらに深く内容を味わうことができました。

 クラシック音楽のコンサートもまた,同じようなものです。これもまた,ほどんど知識もなく,あるいは興味すらなく,お付き合いで聴きにきていて,解説を読んでいるだけならともかく,睡眠をしている人さえ見受けられます。
 旅行に行っても,やはり同じような人に多く出会います。
 ニュージーランドやハワイの星空観察ツアーやアラスカのオーロラツアーなどに参加すると,いったいこの人たちはこれまでの人生で何を学んできたのだろうと思うような人が少なくありません。何事もブームになるとワーッと現われて群がって,民放放送のワイドショーやくだらない週刊誌で得た知識だけで,それまで興味もなかったのに騒いでいる「ブーマー」さんたちです。何を見ても「かっわいい~」「やば~い」と叫んでる女性と同じです。
 
 若い人がこれを機会に興味をもつならば,それはそれでよいのでしょうが,歳を経て,これから人生の達人を目指す「不良老人」ともなると,それではもう手遅れです。
 世の中はときめきと感動に満ち満ちているのです。そうしたときめきと感動を自らのこころで味わえなければ,その魅力のほとんどはわからないのです。すべてが「馬の耳に念仏」「豚に真珠」状態です。まことにお気の毒な話です。しかし,そういった感動を解説なしで味わうためには,これまで,どれだけそうしたものに向き合って生きてきたのか,ということが必要で,それが結果として現れるのです。それは,地位や財産とは関係がないのです。
 「不良老人」になるためには,歳をとったときに,世の中のときめきを解説なしに感動できるそうした素養を若いころから身につけることが必要不可欠なのです。

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