どこぞの国の偉い人が巨大な墓を作るのも,どこぞの県知事や市町村の長という人が大きな建築物を作るのも,自分の任期中にそれをやって歴史に自分の名を残したい,ということです。歴史を学ぶと,権力者という人種はみなそんな動機をもっているものだとわかります。しかし,どうして歴史に名を残したいのでしょう? 私は,子供のころからそれが不思議で仕方がありませんでした。 
 私が思う「最も幸せな人生」とは,自由に生きることができて,そして,死んだら生きた証を何も残さないことだとずっと思ってきましたが,それとは真逆な話です。

 地球の歴史は48億年だといわれています。また,宇宙の歴史は138億年だそうです。
 地球の歴史はともかく,宇宙の歴史については,私はほんまかいな? と思っています。以前書いたことがありますが,そもそも物理学というのは物事の真理を語るものではなく,人間の考えた数式で物事の仕組みや将来の動きを語れるような,そういう法則を見つけることです。たとえば,手の上にあるボールを放すと何秒後に地面に落ちるかということを正しく計算できる,というようなことです。
 そうした法則に基づいて,テレビも映るしコンピュータも動いているわけです。それだけのことです。
 そうした法則に当てはめていくと,今までに考えられた物理学で宇宙の創生10のマイナス44乗後から後のことは説明がつくらしいのですが,それ以前のことは,量子論と相対性理論に矛盾が出てくる(つじつまが合わなくなる)ので,現在の物理学では語れないのだそうです。そしてまた,それ以後のこともダークマターとかダークエネルギーという,今はまだそれが何なのかわからないものを前提とすることで説明をしているわけで,要するに95%の物質が不明であって,ほとんど何もわかっていないのです。それは,人間の考える物理学というものが人間の存在する空間と時間という,いわばごくごく狭い隙間から世界を見ているだけなのに,そこから見える景色だけで世界を一般論として語っているようなものだからです。宇宙原理など空想,かもしれません。
 とはいえ,それでも十分に現代の工業製品は役に立っていますから日常の生活には充分です。しかし,宇宙全体を語ることはできないのです。
 私は,神は人間に世界を語るだけの能力を授けていないと思っているのですが,もし,そういう能力をもっているとして,将来そうしたことがわかるようになったとしたら,アインシュタイン以前のニュートン力学が単に近似であったように,現在の物理学というのは,未来人から見たら笑っちゃうような間違いをしているのかもしれません。というよりも,おそらくそうなのでしょう。

 それはさておき,人類が生存している期間というのは地球の歴史に比べたら本当に微々たるものだし,恐竜の生きていた期間とも比べようもないほど短いものです。愚かな人類の歴史がこの先悠久に続くとは私にはとても思えません。おそらく,あっという間になにかの間違いで戦争が起きてあっさりと滅んでしまうことでしょう。あるいは私の考えが杞憂にすぎず人類がずっと生き延びたにせよ,あと50億年もすれば太陽に飲み込まれてなくなってしまいます。
 そんなはかなきものにすぎないのに,地球上に巨大な墓を作ったり建築物を作って名を残そうが,どっちみちなくなってしまうから,そんなもの,まったく意味がないわけです。「未来永劫」なんてありません。それだけのものです。
 私が子供のころから思っていたのはそういうことでした。そんなこともわからないのでしょうか?

 しかし,だからといって,いずれは滅ぶからといって,生きることに意味がないわけではないのです。
 人生は死ぬまでの暇つぶしです。であるなら,できるだけ楽しく暇をつぶさないと辛いだけす。そしてまた,自分の暇つぶしのために他人を不幸にしていいわけがありません。地球をぶち壊していいわけがありません。
 たとえば音楽。どんなに素晴らしい曲でもはじめがあればいつかは終わるわけです。しかし,いつかは終わるからといって聴く意味がないわけでも,演奏する意味がないわけでもないのです。聴いている,あるいは演奏しているその一瞬一瞬の時間に意味があるわけです。それこそが楽しい暇つぶしです。人生もまた,そうしたものです。
 だから,今という瞬間を満ち足りて生きる,ということがもっとも大切なことなのです。決して名を残すことではないし,自分の名を残すために他人を犠牲にすることではありません。

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