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2022年1月16日の朝日新聞のコラム「日曜に想う」に「「地球冷却化」を懸念する人々」と題して ヨーロッパ総局長の国末憲人さんがアイスランドの自然の驚異について書いていました。
一部,引用してみます。
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アイスランドの小規模火山標高385メートルのファグラダルスフィヤル(Fagradalsfjall)が噴火したのは昨年3月。危険の少ない,極めて平穏な火山活動だった。「自然が手のひらを返すと,私たちは吹き飛んでしまいます。その規模に比べ人間はあまりに小さい。「母なる自然」への畏怖(いふ)の念を忘れてはなりません」
この国の厳しい環境に身を置くと,その言葉が真に迫る。人類の限界を認識しつつ,しかし運を天に任せることなく,「地球冷却化」に備えたい。経験と教訓を豊富に持つ日本は、その強力な牽引役となるだろう。アイスランドの人々は、そう期待していた。
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この記事は,奇しくも,この記事の前日に,南太平洋のトンガ諸島沖の海底火山の噴火が起きてしまったことで話題になりました。人間は傲慢で,さも地球の支配者のような顔をしていますが,地球の46億年の歴史のわずか1万年にもならない間に生息しているにすぎません。恐竜の生息したいた期間よりはるかに短いのです。46憶年の地球の歴史の中には,大規模な火山の噴火はもとより,大陸移動,隕石衝突,全球凍結があり,それらは人間の手に負えるものではありません。それに比べたら,人間など塵のようなものです。
そして,世界というか,宇宙が存在していることがわかるのは,自分が生存しているからこそであり,その自分の生存している時間はわずか80年程度のものです。自分の生存しているその塵ほどの瞬間を大過なく過ごすために日々格闘しているのです。
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私は,2018年に,この記事のアイスランドに行ったとことがあります。アイスランドに行ってみて,自然の雄大さと脅威を目の当たりにしましたが,それに比べると,この日本という国に住む人は,地震や台風などの災害には常に直面しているとしても,その本当の脅威を知らなさすぎるのではないかと思います。それは,果てしなく続く地平線や不毛の大地を見たことがないからです。
そこで,人間の力で克服できると錯覚し,護岸工事に精を出し,祠を建てては神に祈り,地鎮祭をやって神の怒りを鎮めたふりをする一方で,平気で破壊を繰り返してるのです。
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世界から見れば,この記事にあるように,日々自然の災害に直面している日本は,そうした自然の脅威を克服するために大きな力を持っていると思われるのは当然のことでしょう。であるから,自然の脅威を克服するために積極的に指導的な役割をするように期待されているわけです。
しかしながら,世界で唯一の被爆国であるのに核兵器の廃絶に先頭に立つことをしないのと同じように,首都東京の再開発には膨大な予算を使い復興五輪とかいう名目でオリンピックまで行っても,災害を受けた地域の復興すらままならず,未だに十分に完了していないのです。
また,山を崩して土壌が痛んで災害が増すだけなのに宅地開発を推し進めたり,森木を切り開いて太陽光発電所を建設したり,人口が減少してこの先の成長が見通せないのに相変わらず新たな道路や鉄道を作ることに邁進したりと,災害に対して目をつぶり,傍観者となってしまうのはいったいどうしてなのでしょう。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは