しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:「断捨離」こそ幸福

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 とある事件をきっかけとして,新興宗教が関心を集めています。しかし,新興宗教に限らず,人は何かに洗脳されてしまうと,熱病に侵されたかのように,理性を失ったり,財産を失くすのです。
 恋愛も同じでしょう。恋は盲目といいます。ときにはストーカーになって,相手を不幸にします。
 組織における出世願望も同様です。だれしも,周囲にやたらと偉くなりたい病の人がいることでしょう。概して,偉くなりたい病というのは,自分の身の丈を越えた高級車に乗りたい人やブランドのカバンを持ちたい人と同様に,劣等感の裏返しであることが少なくありません。
 そのことは,権力という熱病に侵された政治家もまた同じです。しかし,政治家がより危険なのは,自己満足を越えて,他人を巻き添えにして世界を恐怖に陥れることがあるからです。歴史的にみても,カリスマ的な指導者は,多くの人を洗脳して,世界を地獄に落としてしまいます。
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 そう考えてみると,物質欲を煽る広告もまた,それを見ることで,欲しくもなかったモノを手に入れたくなる熱病に侵されるということでは,それと同類です。しかし,これこそが資本主義社会の原理なのです。
 景気がいいとか悪いとかということが常に話題となりますし,やたたと成長率ということばが飛び交います。しかし,景気がいいというのは,本来は,必要でもないモノを広告によって買ったり買わせたりすることから生まれるのです。そう考えれば,これもまた,洗脳のひとつです。そうした広告は,以前なら,テレビで流れるコマーシャルであったり,新聞や雑誌の広告でした。あるいは,しつこいほどの電話による勧誘,さらには,訪問販売,そして,睡眠商法でした。
 それが今では,SNSにとって代わりました。
 依然として,テレビのコマーシャルや新聞や雑誌の広告もあるのですが,そうした広告は,若返り化粧品とか医療品ばかりとなりました。それは,そのような媒体を今でも必要としている人が,SNSについていかれない老人ばかりとなってしまったからです。これもまた,ひとつ間違えば,老人に対する洗脳となります。

 もともと私は,必要のないものは買わないし,必要なものですら,自分に過分な性能があるものは買いません。そうなると,うざったくて仕方がないのが,SNSで時をかまわず出没する広告です。
 まず,最もうざったいのが「FaceBook」で大量に表示される広告です。いくら拒否しても出没します。SNSが人工知能を駆使しているのなら,私がそうした広告に拒否感をもっていることなど容易にわかるはずなのに。そんな広告をいくら表示したところで反感をいだくだけだから逆効果以外の何ものでもないと私は思うのですが。
 「YouTube」の広告もまた,反感を買う以外に何の効果ももたらしません。そもそも,玉石混交の「YouTube」のコンテンツです。そして,その8割以上は「玉」ではなく「石」ですが,その程度のコンテンツなのにさらに広告が流れると,それがダメ押しとなって,その広告に反感が募ります。ただし,今では,知る人ぞ知る「Brave」というブラウザを使えば,広告のすべてを非表示とすることができるので,きわめて快適となりました。
 「Twitter」にも広告が表示されますが,これは,必要のないものは簡単に削除できるし,広告として表示されるものよりも,自分からツイートしたアカウント自体が広告の役割を果たしているから,今はそれほど害ではありません。とはいえ「Twitter」はイーロン・マスク(Elon Reeve Musk)がかき混ぜはじめたから,今後はどうなるか不明です。
 最後に「Instagram」ですが,これは,タレントがグラビアを展示している意義しかないようなものだと私は思っていて,ほとんど情報価値がありません。また,見るときも,モバイルのアプリでなく,PCからウェブを使えば広告が表示されないので,私はもっぱらそれを愛用しています。

 このように,SNSの多くは,うまくつき合わないと,有益なコンテンツというよりも,わずらわしいだけのものとなりつつあります。本当に手に入れたい情報であるならば,オプトアウトではなく,オプトインで,自分から探してでも手に入れようとするわけで,押しつけられるものではないのです。
 私がこれまで若気の至りで広告の影響で押しつけられて購入したもので,買ってよかったと思うものはひとつもありません。


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 いざ引っ越すために持ち物の整理をはじめると,まあ,出てくるわ出てくるわ。ということを前回書きました。
 それにしても不思議なのは,食べ物はいくら贅沢をしたところで,後に何も残らないから潔いし,旅もまた同様です。ただし,旅では,パンフレットの類を保存してしまうと,これもまた,あとで処分するのがたいへんになるので,極力持ち帰らないに限ります。
 それに比べて,CDや本などは,後で売れる,などという邪念が湧くので,処分に手こずることになるわけです。そもそも,自分が手に入れて,その役割が終われば,それをまた売ってお金に変えようと思うこと自体が邪念なのでしょう。
 でありながら,私もまた邪念が湧きました。そこで,何とか売れないものかと試行錯誤することになりました。

 CDの類は,ブックオフに持っていったら,結構な値段で売れましたが,本はダメでした。この文化的水準の低い日本という国は,アニメやゲームは市場があっても,専門書の類は売れません。これは,政治の世界で議論すらできないという政治家を見れば容易にわかります。いろいろと探して,段ボール箱に詰めて送れば引き取ってもらえるというところを見つけたので送りましたが,ほとんどお金にはなりませんでした。。
 おそらく,メルカリなどに出品すれば,結構な値がつくものもあるのでしょうが,引っ越しのときのように大量にある場合,それらの1点1点をオークションに出して,値がつけばそれを荷造りして郵送する…,といった作業がかなりの手間です。
 さらに困ったのは写真でした。昔のアルバムは重く,量もあって,どうしようもないのです。
 前回書いたように,よくよく考えると,写真というのは写っている本人にいくら想い入れがあっても,他人にはまったく価値のないものです。それは,賞状なども同様です。しかし,本人もこの年になるとまったく想い入れもなくなって,まさに無価値なので,すべて捨てることにしました。

 このように,正真正銘の断捨離をはじめて思ったのは,歳をとったとき,必要なものは健康と必要最小限のお金だけ,ということでした。モノなんて,必要最小限以外のものはすべて必要がありません。また,いくら現職のときに名誉や肩書があったところで,そんなものは結局どうでもいいのです。何の価値もないのです。というより,むしろ邪魔です。
 それを悟ると,要するに,人生なんてすべては自己満足なのでした。
 ということで,必要最小限のものを買うだけで,それ以上のものは,捨てるときのことを考えて,買うのをやめるべきだとつくづく思い知らされました。
  ・・
 この先は「リボーン」(reborn)です。
 生まれたときは何も持っていなかったわけだから,それと同じように,これをはじめとして,何も持たず,新たな生活をはじめるのも悪くないということです。
 ということで,本当に「命以外は皆捨てる」というような空論が,まさに空論でなくなりつつあるのです。


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 これまで幾度となく断捨離と書いてはいたものの,実際は新たに何かを買わない,ということをしていたくらいのものでした。しかし,このたび,正真正銘の断捨離をすることになりました。ことの発端は引っ越しです。
 家は買うものではなく借りるもの,という思想の私ですが,38年住んでいた賃貸マンションも,私とともにガタが来ていたので,近くによい「出モノ」があったのを機会に思いつき,衝動的に引っ越すことになりました。引っ越し先は今住んでいるところから徒歩1分の分譲賃貸マンションです。
 これまで引っ越しに二の足を踏んでいたのは,ひとえに,私が長年にしてため込んできた膨大な量の本やら写真をどうするのか,ということでした。それが,突然の引っ越しの決定で,ついに,何とかしなくてはならなくなったというわけです。

 そこで悟ったのは,60歳を過ぎた今引っ越すということは最高の選択であり贅沢な決断だということでした。もう10年若かったらそうはいきませんが,この齢になると,過去への執着心も,未来への可能性もまったくなくなったので,何もかもを捨てられるということです。そこで「命以外は皆捨てる」というほどの決意で断捨離をすることにしました。
 私の生きてきた時代は,デジタル化以前だったので,たとえば,新聞のスクラップだの,写真のフィルムだのといったものが山ほど保存されて手元にあります。また,今のように個人情報が叫ばれていなかったので,名簿の類がたくさんあります。また,さまざまなものが今より豪華で,重いのです。
 そうしたものの数々が押入れの奥深く眠っていて,それらを取り出していくと,まあ,あるわあるわ,果てしなく,いろいろなものが出てきます。

 考えて見れば,アルバムなんて,本人以外は何の想い入れもないものです。たとえどこかに置きっぱなしにしておいても,だれも持っていかないでしょう。所詮,それだけのものだと気づきました,それらは,もう少し若ければ感慨深いものなのでしょうが,今や,昔の写真を見ても,そこに写っているのが自分だという認識すら薄れてしまい,また,その写真から何かを思い出そうとしても,それもほとんど記憶にないのです。
 また,CDで音楽を聴かなくても,今や,インターネット上にほぼすべてのものを探し出すことができます。また,本の類は,一度読んだきりでそれ以降手に取ったこともないものがほとんどです。そうしたものは保存しておいても,この先もまた見ることはないでしょう。

 ということで,これからは,将来だけを考えて暮らすことにして,過去はすべて捨て去るのがいいと決めました。そしてまた,この先は,何も形として残さないほうがいいとつくづく思いました。
 それにしても,長年,こうしたものを貯め込んでしまうと,引っ越しは大変です。


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 宇宙航空研究開発機構(JAXA)が2021年度中の打ち上げを予定していた新型ロケットH3の1号機打ち上げを再び延期した,という報道がありました。当初は2020年度の打ち上げ予定だったのですが,第1段エンジン用のLE-9エンジンに不具合が発見されたことで延期となったものです。
 H3は,HⅡAロケットの後継機です。H3は打ち上げ費用が高く,競争力がなかったので,その半額の約50億円という打ち上げ価格を目指しているということです。
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 天下の三菱は,ロケットに限らず,開発が進まず今ではムヤムヤとなっているというか事実上断念した国産ジェット機「スペースジェット」もあるし,それ以外にも不正が次々と見つかったりしていて,技術力はいったいどうなってしまったのでしょうか。これでは,岩崎弥太郎が泣いています。

 その三菱と関係があるのかないのか,三菱グループの光学会社ニコンもまた,いろいろと窮地にあったのですが,今回,Z9という新形カメラが予想以上の高性能だったので評判をよんで,久々に盛り上がっているようです。このカメラは70万円もするものですが,性能の割には安いとかいわれています。
 新たに開発されているZマウントのレンズもまたどれも高性能だそうですが,私には金に糸目もつけずひたすら性能を追い求めているように思われます。
 しかし,これは専門家用の製品。一部の裕福なアマチュアでもない限り無縁の製品です。もう,この会社はアマチュアには用がないという会社の方針が露骨です。自動車会社が大衆車の生産を止めてトラックだけの生産に切り替えたようなものです。

 おもしろいことに,先に書いたロケットは,そのコストを少しでも削減しようと無駄を削るのに懸命なのですが,その反対に,スマホの普及で庶民用のカメラがまったく売れなくなってしまったカメラ業界は,ニコンに限らず,コスト高の高級品路線一直線です。しかし,庶民を遠ざけておいて,この先の成長が見込めるかどうかわかりません。
 メカの好きな日本人は,相も変わらず,新しい製品が出るたびに「買いだ買いだ」と騒いでいるようですが,いくら高性能とはいえ,製品の寿命は数年しかなく,それにしては高すぎます。一方,海外のサイトの投稿を読んでみると,高いという意見がすごくたくさんあります。特にヨーロッパでは,よいモノを末永く大切に使うという人が多いので,そんな意見が多いのかもしれません。
 そのヨーロッパに目を向けると,ニコンZ9の70万円という価格から思い浮かぶドイツのライカもまた,そのくらいの値段でM11という新製品を発表しました。同じ値段でも,こちらは芸術品。日本の製品とは違って長く使えます。この,とても美しいカメラは,一旦手にするとだれしもがほれぼれするものです。私も以前,ライカM10をショールームで手にしたことがあるのですが,まるで宝石,完全にひとめぼれしました。
 これは,日本のゴミだめのような街並みと昔のままの景観を大切にしている西洋の街並みの違いのように思えたものでした。 

 さて,私の愛してやまなかったカメラの現状はそんなふうにすっかり様変わりして,貧乏人の私には縁遠いものとなりました。私はこれまで使っていた10万円もしないカメラをこれからも使い続けて,壊れたら幕引きです。
 実際,もし,今,新しい製品を買って使おうとしたとき,果たして,ニコンだろうとライカだろうと,70万円もするようなものを手に旅ができるのかと考えると,それがいかにすばらしい製品であっても,疑問に感じます。それは,70万円の札束を肩にかけているようなものだからです。そんな恐れ多いことはとてもできません。齢のせいで物質欲がなくなっただけ,というのではなく,これでは,まったく手が出せません。その昔,fの明るい単焦点レンズをつけたニコンF3/Tを肩に,京都へ出かけて写真を写すのが楽しみだったころが夢のようです。
 高級品もいいけれど,また,仕事に使う必要がある専門家なら仕方がないとしても,たかが趣味の世界,しかも,1か月にどれだけ使うかわからないようなカメラ。以前なら大切に何年も愛着をもって手元に置いて,次には何を買おうかなと立派なカタログを見たりすることにささやかな楽しみが見出していたのに,それがなくなってしまったのは,非常に嘆かわしい限りですが,これでまた,私の「断捨離」にも拍車がかかろうというものです。

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 2021年12月30日の朝日新聞から「住まいとかたち」と題したシリーズがはじまりました。2022年1月1日からはじめるのならともかく,どうしてこの年末の時期からこうした特集が? というのが私にはなぞでしたが,それはさておき,12月30日のこの記事にあった「小さな家」というものに,私はえらく感動し,かつ,うらやましくなりました。
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 玄関で靴を脱ぐ。1歩踏み出せば、そこはもうソファのあるリビング。見上げると、寝床のロフトが目に入る。水回りを加えれば、それが折出裕也さん(25)の住まいのすべてだ。
 「ここに住み始めたからこそ、見えてきたものがあったんです」
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からはじまるこの記事では,この小さな家の間取りが書かれてありました。私もこんな生活がしてみたいと思ったことでした。

 日ごろ散歩をしていると,いろいろな家が目につきます。ずいぶんとお金がかかっているだろうなあ,という家も少なくありません。その一方で,狭い土地をさらに輪切りにした見た目不便なだけの分譲住宅もたくさんあって,こんなもの売れるのかな,そうまでして持ち家がほしいのかな,と私はいつも思います。この国の景観の悪さは不動産屋さんと住宅デザイナーが原因だと私は確信しています。。
 しかし,そうまでして苦労して手に入れた家の多くは,持ち主が齢をとったころには老朽化し,子供も独立すると,やがては住むには広すぎ,直すにはお金がかかり過ぎとなってしまっていることが少なくありません。空き家もすごくたくさんあります。
 要するに,身の丈を越えているのでしょう。
 家に限らず,狭く,混雑した道路しかないこの国に,まったくふさわしくないような車がたくさん走っています。これもまた,身の丈を越えているのでしょう。

 私は齢のせいか,何もほしいものがなくなってしまいました。動けばいい,を越えた車を欲しいとも思わないし,家を見ても,こんな広い家に住むのは不便だ,と思うようになりました。要するに,若いころに欲しかったもののそのほとんどはいらないものだということが身に染みてしまったのです。
 つまり,人として最大の幸福である「自由であること」が地位や名誉とは正反対のものであるように,ものについても,結局は「断捨離」こそが最大の幸福だったのです。本当に必要なのは,健康とともに知恵だけだったのです。
 なお,今日の写真は京都の下賀神社に復元されている吉田兼好の庵です。


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