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 NHKFMに「朗読の世界」という番組があります。ラジオNHK第1にも「朗読」「らじる文庫」という番組があるほか,それ以外にもさまざまな番組の中に朗読のコーナーがあるようです。若いころは,こんな番組だれが聴くのだろう? と思っていたのですが,今の若い人も同じことを言っていました。しかし,本を読むのも,特に,小説を読むのも面倒になってきた私は,こうした番組の意義がわかってきました。喜ぶべきか悲しむべきか…。
 その「朗読の世界」で,太宰治の「津軽」が全35回で取り上げられていたので,聴きました。
 先日,青森県を旅して,太宰治の生まれた家,現在の「斜陽館」に行ったこともあって,これまでは存在だけを知っていた小説「津軽」に興味をもったのですが,思ったよりも分量が多くて,また,この時代の小説は読みにくいので,断念しました。そんなことこともあり,まさに,ちょうどいい時期にこの小説の朗読に出会ったのです。

 「津軽」は,1944年,太宰治が34歳のときに書かれた小説です。紀行文ですが,その中にフィクションが交えられていることから小説に分類されているそうです。太宰治が,生まれ故郷である青森県津軽を訪れ,過去に世話になった人々と出会いながら津軽出身者という自分のアイデンティティを確立していくという,美しくも,切ない物語です。
 「津軽」では,太宰治,本名・津島修治を「私」と称し,越野タケを「たけ」としています。
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●序編
 私は,現在の五所川原市である青森県金木村に生まれました。親は大地主でした。
 出版社の編集者から「津軽の事を書いてみないか」と言われたことから,津軽人とはどんなものであるかを見極めたくて,当時住んでいた東京を出発し,津軽半島を3週間ほどかかって1周することになりました。
●巡礼
 青森に着いて,かつて私の実家である島津家に仕えていたT君の出迎えを受けます。
 T君は,昔,金木家で一緒に遊んだ仲間だったのですが,私がT君を親友だと思っているのに対して「あなたはご主人です」と答えるT君でした。
 明日,T君とともに,青森県蟹田へ出かけます。
●蟹田
 蟹田で出会うのは中学時代の友人であるN君です。今は蟹田の町会議員となっていて蟹田になくてはならない人物です。
 蟹田の山へ花見に行き,その後,蟹田分院の事務長をしているSさんの家にお邪魔し,熱狂的な接待を受けますが,津軽人である自分自身の宿命を知らされた気になり,「津軽人としての私を掴むこと」を目的とする私は,津軽人の愛情の表現は少し水で薄めて服用しなければならないと感じるのでした。
●外ヶ浜
 N君と農業について語るうち,青森の郷土史に5年に1度は凶作に見舞われているのを発見し,哀愁を通り越し憤怒を感じます。
 翌日,N君の案内で外ヶ浜街道を北上し,竜飛岬にたどり着きます。竜飛は,烈風に抗し怒涛に屈せず懸命に一家を支えて津軽人の健在を可憐に誇示していました。
 竜飛の旅館で歌いながら寝てしまった翌朝,寝床で,童女が表の路で手毬唄をうたっているのを聞き,希望に満ちた曙光に似たものを感じて,たまならい気持になるのでした。
●津軽平野
 竜飛で1泊した翌日,私はひとりで,生まれた土地である金木町へ出発します。
 金木の生家に着くと,実家には長兄の文治と次兄の英治,長兄の長女の陽子,陽子のお婿さん,姪ふたり,祖母などがいましたが,あまり会話が弾まず,気疲れがします。
●西海岸
 翌日,金木から父の生まれた五所川原の木造駅に行きます。五所川原へ戻った私は,3歳から8歳まで育ててくれた女性たけに会うために,小泊を訪れました。
 小泊港に着き,たけの家を見つけたのですが,戸に南京錠がぴちりとかかっていて固くしまっています。筋向いのタバコ屋に聞くと運動会へ行ったとのことでした。
 運動会でたけと再会したのですが,たけは私を小屋に連れて行き「ここさお坐りになりせえ」と傍に座らせただけで何も言いませんでした。いつまでたっても黙っていると,たけは肩に波を打たせて深い長い溜息をもらしました。「竜神様の桜でも見に行くか。どう?」
 竜神様の森の八重桜のところで,能弁になったたけは「30年近くお前に逢いたくて,そればかり考えて暮らしていたのを,はるばると小泊までたずねて来てくれたかと思うと,ありがたいのだかうれしいのだか,かなしいのだか。よく来たなあ」。
 兄弟の中で,私がひとり,粗野でがらっぱちのところがあるのは,この悲しい育て親の影響だったという事に気づいて,このときはじめて,育ちの本質をはっきり知らされたのでした。
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 作品のなかでは,たけとの会話がクライマックスになっていて,それが「津軽」の中核をなしていますが,実際は,ひとことも言葉を交わすこともなく,太宰治はひとり離れて周りの景色を見ていた,といいます。おそらく,これは,太宰治の願望を表わしたものでしょう。そして,自分のどうしようもなくいたたまれない本質の源流が越野タケのせいだと言いたかったのかもしれないなあ,と私は思いました。そういう意味では,この小説は太宰治の狂気です。
 「津軽」は,太宰治のことをよく知り,また,実際に津軽の地を見てくると,より作品を深く味わうことができるのだろうと思います。だから,先に「津軽」を読んで,その想い入れを持って実際にその地を訪れるか,あるいは,私のように,その地を知ってから「津軽」を読むか,そのどちらにしても,その両方をしなければ,作品は理解できないでしょう。
 私は,小説「津軽」に接して,いつかまた,再び津軽の地を旅してみたいと思いました。


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