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 朝日新聞の連載小説・多和田葉子さんの「白鶴亮翅」を読んでいます。
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 「白鶴亮翅」(はっかくりょうし)は,国際色豊かなドイツの首都ベルリンを舞台に,そこに暮らす人々と歴史が交錯する織物のような物語。
 主人公の美砂は,夫とともにドイツに移住したが,その後帰国することになった彼とは別れ,現在はひとりでベルリンに暮らしている。ある日,謎めいた隣人のドイツ人Mさんに誘われて太極拳教室に通うことに。そこで様々な文化的背景を持つ人々と出会い,彼らと交流しながら,大戦前後のドイツと日本の歴史に引き込まれていく。
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 多和田葉子さんはベルリン在住で,10年ほど前から太極拳教室に通っている。
 「敵が攻めてきたときに自分の最大限の力を引き出す護身術でもあるし,健康法でもあると同時に踊りでもあります」。
 そんな奥深さに引かれ,いつか小説の題材にしようと温めていたという。
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というのが,この小説がはじまる前に新聞に載った小説の紹介です。
 私は,多和田葉子さんの小説はほとんど読んだことがないのですが,時折新聞に掲載される文章はよく目にします。読んでみるといつもとてもおもしろいものです。
 タイトルの「白鶴亮翅」とは,白い鶴が雪原を跳ねながら翼を広げている様で,太極拳では相手を誘う構えだそうです。

 私が朝刊で毎日目を通すのが,小説と漫画と将棋の観戦記なのですが,この小説はまだはじまったばかりで,ほとんど進展もなく,この先どう発展していくのかわかりません。といっても,もう1月が経つのだから,もう少し時間の流れが早いほうがいいなあというのが単なる私の感想ですが,読みやすく,昼下がりにコーヒーを飲みながらのんびりしているような雰囲気は悪くありません。
 さて,この小説の2月25日と2月26日に,次のような文章がありました。一部,引用します。
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  最近はよい翻訳ソフトがあるから翻訳者はいらないという人もいるが,翻訳ソフトには苦手なことがいくつかある。たとえば時間がたつにつれて言葉の意味は変わっていくのに,それを文脈から読み取れないことである。
 東ドイツではコーヒーがなかなか手に入らなかった。だから西ドイツに住む親戚が東ドイツに住む親戚を訪ねる際におみやげとしてBohnenkaffeeを持ってきた,と書いてある。これはコーヒー豆を使ったコーヒーという意味である。
 Bohneは豆,Kaffeeはコーヒーだが、翻訳ソフトに入れると「コーヒー豆」と訳してしまう。しかし「コーヒー豆」はKaffeebohnenである。
 翻訳ソフトにまかせておいたら「西ドイツに住む親戚がおみやげとしてコーヒー豆を持ってきた」という訳文ができてしまう。これでは,挽いたコーヒーではなく豆のままのコーヒーを持ってきた,という意味になってしまう。
 わざわざコーヒー豆でできたコーヒーとことわらなければならない時代的背景を考慮しなければ正確には訳せない。その点,紙でできた辞書はすばらしい。
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 多和田葉子さんは1960年生まれだということですが,この年代の人たちが抱く,「翻訳ソフト」にイメージされるようなAIの進歩をある種脅威とみなす,そのことに対する葛藤がこの文章によく表されていて,とても興味深いものでした。
 昨年来のパンデミックもそうですが,人は,自分の知らないことに出会うと,異常に恐れるものです。奇しくも,2月26日の朝日新聞be版「between」には「AIの普及,歓迎しますか?」という特集があって,これを読んでみても,同じような感じを抱きます。こうしたとき,その人がそういったこと,ここではAIのことですが,それを受け入れるか拒否するか,それは,未知のものをどれだけ知っているかどうか,そして,新しいものを取り入れることができるかどうかというそのひとそのひとの性格によって異なります。
 多和田葉子さんは,とても優秀な人だと思うのですが,それでもやはり,この文章から感じるのは,AIに対する拒否反応です。それは,多和田葉子さんと同じ年ほどの将棋の棋士が将棋AIに感じる恐れと同じようなものに思えます。
 私は,逆に,このごろ,AI恐れるに足らず,と思うようになりました。それは,おそらく,将来,どんなにAIが優秀になったとしても,人間でしかできないものは存在すると思うからです。なぜならば,どんなに優秀なコンピュータミュージックができるようになったとしても,人間が演奏する「味」を越えられないのと同じだからです。それは,人間が,コンピュータのように優秀でない,いや,正確でないからこそです。その人間の人間らしいぶざまな「ふらつき」こそが,人間らしさと豊かさにつながっているのです。だから,人間の書く文章も,それがぶざまな「ふらつき」をもっている以上,「翻訳ソフト」には決して越えられない壁があるということになります。
 しかし,この先,そうした壁を越えることができる人間であらねば,AIにとって代わられてしまうことになっていくのでしょう。人が人らしく生きることに,これまで以上に修行が必要な時代になっていくのかもしれません。


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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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