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 東京や京都はよく出かけるので,その町の様子は住んでいるようにとてもよくわかります。しかし,大阪となるとほとんど行ったことがないので,いまひとつよくわかりませんでした。
 これまで大阪に行く機会はあっても,用事が済むとすぐに帰ってしまったので,町を散策する機会もあまりありませんでした。そこで,地名は知っていてもどこがどういうところなのかどんな場所にあるかという位置関係すらよくわかっていませんでした。
 そんな,私にとってなぞに包まれていた大阪はなじみがないことが幸いして,大阪に来ると海外旅行をしているような,そんな楽しみを感じます。 
 今回,エストニア祝祭管弦楽団のコンサートで大阪に来る機会があったので,そのまま1泊してその翌日も加えた2日間,大阪市内を歩いてみることにしました。街を知るには歩くに限るのです。
 着いた日の夕方からのコンサートその前に少し時間があったので,梅田から福島あたりを散策しました。その晩私が泊まったのは東横インの通天閣前だったので,翌日は早朝にホテルをチェックアウトして,北に向かって十三まで歩きました。難波から十三まで距離にしたらわずか10キロメートルもありませんでしたが,なかなか楽しい道歩きになりました。
 このブログは町案内をするのが目的ではなく,自分の思いを残すことが目的なので,ここでは私自身の大阪に抱くイメージごとに,歩きながら思ったことを書いていくことにします。

 まず今日は,私にとっての大阪はまず坂田三吉ということで,将棋に関することにしましょう。
 この頃は藤井聡太七段ですっかり有名になった日本将棋連盟の関西本部ですが,このビルがあるのは大阪駅のひとつ西のJR福島駅の北側です。大阪駅からはJRに乗らなくてもほとんど人が通らない地下道をずっと西に歩いていくと福島駅までたどり着くことができました。
 ずっと以前,この建物ができたころに興味があって来たことがあります。その当時は確か地下1階だったかに将棋博物館もありました。アメリカなら将棋殿堂のような,過去の大棋士の殿堂が作られるのだろうと思いますが,やっかみの強い日本人にはそうした過去の偉人そのものを称える文化はありません。あるのは第〇〇世〇〇とか第〇〇代〇〇のように功績のあった人に称号をつけることです。それはその人を称えるというよりその名跡に権威をつけることが目的です。
 野球だけはアメリカのように野球殿堂というものがありますが,それはアメリカのマネしているだけで,日本の文化ではありません。
 それにしても,今でこそ将棋ブームですが,一昔前に,東京と大阪によくもこんな将棋会館というビルを建てることができたものだとその大変さがわかるこの歳になると感心します。これは大山康晴十五世名人の功績です。
 このビルの1階にイレブンというレストランがあるのですが,なぜか私が行くときに限ってこのレストランが開いていたことがなく,残念ながらまだ中に入ったことはありません。

 今でこそ教育のひとつの素材となって地位の向上した将棋ですが,私の子供ころは博打打ちと変わらぬ認識しかなく,むしろ興味をもつ子供は厄介者でした。人の価値観やら常識などというものは,このように時代とともに変わっていくもので,今の常識もまた疑ってかかったほうがいいのです。
 大阪の通天閣あたりにある将棋道場は,今なお,そうした頃のある意味ヤバい面影をとどめていますが,こういう場所だからこそ,村田英雄の歌った「王将」で有名な「銀がないている」という言葉を吐いた坂田三吉名人王将ゆかりの地として味わいの深いところであるわけです。
 私が子供の頃の将棋道場なんて,昼間っから仕事もしないおっちゃんがタバコをくゆらせながら1日中かけ将棋をやっているようなところでした。

 今回,私が福島駅のあたりを歩きまわったのは,ちょうど朝日新聞の土曜be版に取り上げられていた,若くして世を去った天才棋士村山聖九段の面影をさがすことが目的でした。
 村山聖九段は1969年(昭和44年)に生まれ1998年(平成10年)にわずか29歳で亡くなった棋士です。幼少の頃から腎臓の難病であるネフローゼを患いながらも異例の早さでプロ入りを果たした,いわゆる「羽生世代」の強豪のひとりでした。
 薄れていく意識の中で棋譜をそらんじ「……2七銀」が最後の言葉であったといいます。後年,映画「聖の青春」が上映されたことで有名になりました。
 この村山聖が苦悩の青春をすごしたのがこの福島町界隈で,住んでいたアパートの部屋が今も空き部屋として残っていて,彼をしのんで訪れる人が今もいるといいます。私は外から見ただけですが,部屋の窓には映画「聖の青春」のチラシが無造作に張られていました。

 人の一生なんて,どんな偉業を何を成し遂げようが,所詮,成し遂げたあとでは。それがどんな偉大なことであっても自分がしたという認識よりも小説を読んだのと同じような他人事に風化してしまいます。人は現在だけを認識し,未来を思い生きているのです。
 何かを成し遂げた人はそれだけなのに,何かを成し遂げたいとう願望がありながらそれがかなわなかったときの後悔のほうはずっと心に刻み込まれるのです。それが人の「業」(ごう)というものでしょう。だから,何かを成し遂げたいという願望があったとしても凡人はそれを成し遂げる才能すら授かっていないのだから,もともとそんな願望などもっていない人のほうがよほど幸せな人生が送れるのかもしれません。
 そのように,多くの人はその願望を成し遂げる才能すら授かっていないわけですが,村山聖は成し遂げられる才能を授かっていながら病気によってそれがかなわないうちに急逝してしまった,そのことが悲劇なのです。この町を歩いていて,私はそうした人の悲しさと辛さ,そして生きることの尊さを感じました。