しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:「N響第9演奏会」

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【Summary】
In December 2024, I listened to NHKFM's broadcast of Fabio Luisi conducting Beethoven's Ninth Symphony with the NHK Symphony Orchestra, recorded on December 17. Compared to my recent satisfying experiences with recordings by Günter Wand and Seiji Ozawa, Luisi's unusually fast tempo left me disappointed and uncomfortable, lacking depth and emotion.

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 2024年12月25日,NHKFMで「N響第9演奏会」を聴きました。指揮はファビオ・ルイージさん,12月17日に行われたものの録音です。
 これを聴いたころの私の精神状態をまず説明しましょう。
 私がこのごろのめりこんでいるのは,YouTube の NDRKlassik チャンネルで聴くことができるギュンター・ヴァント指揮のブルックナーの交響曲です。そしてまた,この日の午前中は,YouTube で,2017年10月に行われた水戸室内管弦楽団第100回記念定期演奏会で小澤征爾さんが最後に指揮をしたベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章を見ました。これらは本当にすばらしいもので,私は満ち足りていたのです。
 そこに流れてきたNHKFMの「ファビオ・ルイージの第9」。私はこれにすっかり興ざめしてしまいました。そして,不快になりました。あまり批判はしたくないのですが,ファビオ・ルイージさんの指示するテンポ。これが私にはまったくだめで,やたら速ければいい,というものではないだろう,これでは感動のかけらもない,と思いました。

 私は,ここ50年以上,ラジオやテレビで,そして,ときには実際に会場で「N響の第9」を聴いています。子供のころ,はじめて触れた「N響の第9」は,教育テレビといった現在のEテレで岩城宏之が指揮をしていたものです。それ以来,生で聴くのが夢だったのですが,はじめてNHKホールで聴いたのは1975年のことでした。
 ただし,私は,年末にN響第9演奏会に行くことを恒例にしている,という趣味はありません。ただ,私の気に入った指揮者とソリストのときのN響第9演奏会ならば,聴きにいこうと思っているだけです。そうした理由から,最近私がN響第9演奏会に行ったのは,2015年のパーヴォ・ヤルヴィ指揮と2016年のヘルベルト・ブロムシュテッド指揮のものでした。そしてまた,今でも聴きにいかなかったことを後悔しているのは,2011年のスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮のものです。
 なお,2009年のクルト・マズア指揮では,第3楽章の出だしで指揮者の指示するテンポを演奏せず,指揮者が曲を止めてしまうというハプニングがありましたが,このころのN響は「N響の第9」というテンポが存在していて,指揮者の指示するテンポが「N響の第9」と違っていたことからきたものだったようです。
 昨年の下野竜也さんが指揮した「N響の第9」は聴きにいかなかったのですが,後日,NHKFMとEテレで触れて,引き込まれました。特に女性のソリストがふたりともすばらしかった。 
 今年もまた,行くことはなかったのですが,9月19日にNHK交響楽団の定期公演Bプログラムでファビオ・ルイージさんが指揮をしたベートーヴェンの交響曲第7番の第4楽章が異常に速かったので,今回の交響曲第9番もものすごく速いのではないか,と半ば期待し,危惧もしました。そしてやはり,というか…。
 交響曲第7番の第4楽章の速さは,それはそれはそれでありかな,とも思ったのですが,交響曲第9番はそれとは性格が異なります。このごろのベートーヴェンの交響曲は,第9番に限らず,速いのが流行していて,それがベートーヴェンの自筆譜にある速度記号どおりらしいのですが,私が若いころは,これはベートーヴェン時代のメトロノームの影響であって,そんな速いテンポでは演奏できないから間違いだと習いました。それに,当時は,朝比奈隆指揮する大阪フィルハーモニー交響楽団の交響曲第9番では2管編成を倍にするなど,演奏者も今より数を増やし,テンポも重々しく,威厳をもたせるなど,現在の演奏とは真逆のものでした。

 2015年のパーヴォ・ヤルヴィ指揮の交響曲第9番も異常に速かったのですが,それは高級スポーツカーでアウトバーンを颯爽と走るようなさわやかさと気品がありました。しかし,今年のファビオ・ルイージ指揮の交響曲第9番は,ランドクルーザーで未舗装の石ころだらけの山道をとんでもない速度でガタガタいわせながら走るという様に私には思えました。これだけの速さの演奏がめっちゃくちゃにならないのはNHK交響楽団のうまさですが,これでは楽譜をなぞるだけで精一杯だし,ソリストが自分の味を出す余裕などなく,したがって,深みも感じられませんでした。
 話は少し発展します。
 以前書いたことがあるのですが,2020年01月17日に行われたNHK交響楽団第1931回定期公演で,ツィモン・バルトというピアニストが演奏したブラームスのピアノ協奏曲第2番が,今回とは逆にあまりに遅く不快で,この演奏が今も私のトラウマとなっていて,大好きだったブラームスのピアノ協奏曲第2番を聴くたびに暗い気持ちが襲います。また,2024年9月14日のNHK交響楽団第2016回定期公演でのファビオ・ルイージ指揮するブルックナーの交響曲第8番の第1稿もだめで,こんなの聴いていたらブルックナーが嫌いになりそう,と思いました。そして,それ以来,ブルックナーの交響曲第8番の第1稿には拒否反応を起こすほどになってしまいました。
 このように,演奏会には,自分には不向きな演奏で,聴きにいかなければよかった,聴かなければよかった,というものもあるのです。

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●「N響の第9」歴代指揮者
2024年:ファビオ・ルイージ
2023年:下野竜也
2022年:井上道義
2021年:尾高忠明
2020年:パブロ・エラス・カサド
2019年:シモーネ・ヤング
2018年:マレク・ヤノフスキ
2017年:クリストフ・エッシェンバッハ
2016年:ヘルベルト・ブロムシュテット
2015年:パーヴォ・ヤルヴィ
2014年:フランソワ・グザヴィエ・ロト
2013年:エド・デ・ワールト
2012年:ロジャー・ノリントン
2011年:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
2010年:ヘルムート・リリング
2009年:クルト・マズア
2008年:レナード・スラットキン
2007年:アンドリュー・リットン
2006年:上岡敏之
2005年:ウラディミール・アシュケナージ
2004年:クシシュトフ・ペンデレツキ
2003年:マティアス・バーメルト
2002年:大野和士
2001年:ハインツ・ワルベルク
2000年:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
1999年:準・メルクル
1998年:イルジー・コウト
1997年:シャルル・デュトワ
1996年:シャルル・デュトワ
1995年:エフゲニー・スヴェトラーノフ
1994年:イルジー・ビェロフラーヴェク
1993年:エリアフ・インバル
1992年:若杉弘
1991年:ウーヴェ・ムント
1990年:ハインツ・ワルベルク
1989年:若杉弘
1988年:フェルディナント・ライトナー
1987年:ベリスラフ・クロブチャール
1986年:オトマール・スウィトナー
1985年:ヘルベルト・ブロムシュテット
1984年:ヴァーツラフ・ノイマン
1983年:ペーター・ギュルケ
1982年:オトマール・スウィトナー
1981年:ズデニェク・コシュラー
1980年:ラルフ・ワイケルト
1979年:イルジー・ビェロフラーヴェク
1978年:オトマール・スウィトナー
1977年:ホルスト・シュタイン
1976年:フェルディナント・ライトナー
1975年:ロヴロ・フォン・マタチッチ
1974年:オトマール・スウィトナー
1973年:ロヴロ・フォン・マタチッチ
1972年:ジョセフ・ローゼンシュトック
1971年:オトマール・スウィトナー
1970年:ヴォルフガング・サヴァリッシュ
1969年:岩城宏之
1968年:岩城宏之
1967年:ロヴロ・フォン・マタチッチ
1966年:ロヴロ・フォン・マタチッチ
1965年:ヨーゼフ・カイルベルト
1964年:アレクサンダー・ルンプフ
1963年:ウィルヘルム・ロイブナー
1962年:小澤征爾(中止)
1961年:ウィルヘルム・シュヒター
1960年:ウィルヘルム・シュヒター
1959年:ウィルヘルム・シュヒター
1958年:ヴィルヘルム・ロイブナー
1957年:ヴィルヘルム・ロイブナー
1956年:ジョセフ・ローゼンシュトック
1955年:ニクラウス・エッシェンバッハ
1954年:ニクラウス・エッシェンバッハ
1953年:ジャン・マルティノン
1952年:クルト・ヴェス
1951年:なし
1950年:山田和男
1949年:レオニード・クロイツァー
1948年:尾高尚忠
1947年:尾高尚忠
1946年:尾高尚忠
1945年:ジョセフ・ローゼンシュトック
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 今日の写真は,オーストリア・バーデンのベートーヴェンが交響曲第9番の構想を練った散歩道です。
 ベートーヴェン作曲交響曲第9番ニ短調作品125「合唱つき」。これを聴かずして年が越せない,という人もあり,お祭り好きの国民性もあり,必ず集客が見込めるのでオーケストラのお金儲けもあり,毎年暮れ,日本中でこの曲が鳴り響きます。
 私が交響曲第9番を聴き通したのは,紅白歌合戦とやらが午後9時からはじまっていた子供のころ,その前に午後7時45分から午後9時まで,当時は教育テレビといった現在のEテレで岩城宏之指揮のものを見たのがはじめてでした。そのときは,1時間も越すような曲があることにまず驚きました。
 その後,若いころは,毎年,地元名古屋フィルハーモニー交響楽団の第9演奏会に毎年のように行っていたのですが,ある年の外山雄三指揮の第9があまりに退屈で,単にオーケストラがノルマを果たしているだけのコンサートのように思えて,それ以来,行くのをやめました。今は,実際に聴きにいくことはまれです。しかし,NHKFMとNHKEテレで放送される「N響の第9」は,かれこれ50年以上必ず見ています。

 このごろは,よほど行きたいと思う指揮者のときにNHK交響楽団の第9演奏会に行こうと毎年思っているのですが,なかなかそういう気になることもなく,最近私が第9演奏会に行ったのは,2015年のパーヴォ・ヤルヴィ指揮と2016年のヘルベルト・ブロムシュテッド指揮でした。
 昨年は,井上道義指揮で,行こうかどうしようか迷った結果,都合がつかなくてやめました。
 今年の指揮は下野竜也さんでした。ホームページには
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 正攻法のアプローチで音楽に無類の生気や躍動感をもたらす日本屈指の実力者。年末の「N響の第9」初出演となる意欲と楽団の厚き信頼度を反映した清新かつ濃密な名演が期待される。
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とありました。N響正指揮者となったことを記念しての抜擢だと思いますが,私は今年もまたその気にならず,足を運びませんでした。ところが…。

 下野竜也さんは,去る11月26日に名古屋フィルハーモニー交響楽団と第9を指揮したのですが,そのときのXに「下野マエストロの「第9」解釈はとてもユニーク!(でも思いつきではなくしっかりとした根拠があります)」とあったことで興味をもちはじめました。
 そして,12月31日のEテレでの放送。
 毎年のように,はじめは何となく見ていたのですが,そのうちに,引き込まれていきました。すべてが特別な策を講じるわけでもなくあえて奇をてらうわけでなく,きちんとしているのです。これがとても小気味いい。そして,第4楽章でソリストがうたいはじめたとき,私は度肝をぬかれました。
 特に,ソプラノとメゾ・ソプラノ。
 こりゃ,オペラのアリアだ,と思いました。第9でこれほどの独唱を聴いたことがありませんでした。そこで,調べてみると
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●ソプラノ・中村恵理
 新国立劇場オペラ研修所を経て,2008年英国ロイヤル・オペラにデビューし注目を浴びる。
 2010年から2016年にはバイエルン国立歌劇場のソリストとして専属契約を結び,多くの作品で主要キャストを務める。(中略)様々な公演で絶賛を博している。
●メゾ・ソプラノ・脇園彩
 東京藝術大学を経てイタリアに留学し,ミラノ・スカラ座研修所などで研鑽を積む。
 2014年ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルで,イタリアでのオペラ・デビューを果たし,以後イタリアを中心に活動。
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とありました。私は,はじめて知る名前でしたが,そういえば,脇田彩さんは,少し前のNHKラジオ深夜便に出演されていました。
 それ以来,私は「下野竜也の第9」にハマってしまい,毎日のように何度も録画を見ているのですが,こんなことははじめてです。2011年に「スクロヴァチェフスキーの第9」をよほど聴きにいこうと思ったけれどやめたことを今も後悔していますが,2023年の「下野竜也の第9」もまた,聴きにいかなかったことを,今になって後悔することになりました。

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 2016年12月25日,今年も「N響の第9」をNHKホールで聴きました。
 行く予定がなかったのに,結局聴きにいったそのいきさつはまた後日,ということにして,今日は,コンサートの感想を書きます。

●第1楽章。
 近年の普通の第9だなあ,というのが私の第1印象でした。近年の第九はテンポも早く編成も小さく,私が若いころに聴いた第9とは全く違うものです。こうした第9が演奏されはじめたころは玉石混合という状態だったのですが,このごろは評価も定まりみな同じようになってきました。しかし,若い指揮者なら当然であっても,巨匠がこうした最新の楽譜による第9を指揮するというのは,やはり,偉大なものです。
●第2楽章。
 ここで聴こえたのがリズムを奏でるホルンの小さな音。スコアにあるのかないのか知りませんが,こんな音がはっきりと聴こえるスケルツオははじめてでした。それが小気味よいこと! そんなことを感じながらふと我に返ると,どうやらこの第9,ものすごく「ピュア」,そして,透明感あふれているのです。
 会場からは咳払いのひとつもきこえずパンフレットの紙をめくる音もせず,異常というほどの静けさのなかで演奏だけが聴こえます。これほど観客が集中していてるコンサートなんて,経験がありません。そして,すごくテンポが落ち着いているのです。というかまったくぶれがないのです。だから,演奏もまったく無駄な音がない。そして,こころに響く。
 ものすごく素晴らしく,神々しく聴こえはじめました。
●第3楽章。
 なんて美しいんだろう,というひと言です。通常,第3楽章はテンポが何度も変わるので,下手な演奏だとすごく危うく聴こえたりするのですが,今回の第9には,当然そういう危うさはみじんもないわけで,このテンポでなければという指揮者の自信というか信念というか,きちんきちんと新しいテンポに変わっていってしかもそれが安定しているからすごく落ち着いて聴こえるのです。変に早かったり遅かったり奇をてらったりすることもなく,このテンポで聴きたいというまさにそのテンポなのです。
 私は完全に曲に引き込まれていきました。これほど「無」になって聴き込めた第9なんて,経験ありませんでした。ここですっかり満足状態だったのですが…。
●第4楽章。
 これが圧巻でした。特に合唱。
 今回の合唱は,例年の国立音楽大学ではなくて「東京オペラシンガーズ」というプロの集団でした。どうして変わったのかは知りませんが,このプロ集団の合唱が殊のほか素晴らしく,これで,今年の第9の価値をさらに高めました。私は,これまでにずいぶんと第9を聴きましたけれど,私がこれまでに聴いた第9とはまったくの別物でした。
 第9の合唱はプロでなければ,と実感しました。
 21日のFM放送で聴いた時と違って,曲の終了後「ブラボー」のフライングもなく,このこともまた最高でした。

 昨年の第9はパーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Järvi)さんという優れた指揮者が作り上げた人間の第九でしたが,今年の第9はN響桂冠名誉指揮者になった,まもなく7月に90歳を迎えるヘルベルト・ブロムショテット(Herbert Blomstedt)さん渾身の第9,というよりも,神の奏でた第9,でした。それとともに,「みんなで第9を歌おう」といったアマチュアが合唱する自己満足的な「第9祭」(それはそれでいいのですが)ではなく,最高の芸術としての真(しん)のというか「心(しん)」の第9とはこういうものだ,ということを直に味わうことができたという意味で,この演奏を会場で聴くことができて,とても幸せでした。 

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「パーヴォの第9」①-40年?ぶりに「N響の第9」を聴く。
「パーヴォの第9」②-絶品・40年待っていてよかった。

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 2015年12月22日の「N響第9演奏会」。
 演奏がはじまる前,4人の独唱者も合唱団に続いて入場して,合唱団の最前列に腰をおろしました。
 その昔,朝比奈隆さんの指揮する交響曲第9番では,演奏前に「独唱者が途中で入場するときに拍手をしないでください」という放送がかかったほどなのですが,この演出は,第2楽章が終わったところで独唱者が入場することで演奏が中断して拍手が起きるのを防ぐ意味もあるので,好ましいなあと,その時は思いました。
 いつの場合も交響曲第9番はこの独唱者の入場と歌う場所に苦労をしているようです。
 私は,これまでに様々な演出を見ました。舞台袖で歌ったのもありました。楽章の合間でなく,曲の途中でそっと出てくる,というのもありました。

 しかし,曲を聴いて,こりゃ,昔の交響曲第9番のような,そんなのどかなものでないということを感じました。それは,拍手がどうのというような問題をはるかに凌駕したものだったのです。
 「パーヴォの第9」は,独唱者も何もかもすべてが一体となって,超高性能のスポーツカー,それは,決してスーパーカーとか見かけだけ豪華なものではなく,今日の技術の粋を完璧なまでに活かした超一流の完成されたスポーツカーが,ものすごい速さでぐいぐいと最初から最後まで走りぬけていくといった,そういう演奏でした。
 しかし,家に帰ってから当日FMで中継された放送の録音を聴くと,実際にその場で聴くよりもはるかに速く感じました。そんなわけで,放送時間は曲の終了後もたっぷりあったので,その放送の後半では,演奏を終えたばかりのパーヴォ・ヤルヴィさんがスタジオに駆けつけてインタビューも聞くことができました。曰く「指揮者は独裁者ではない」と。
 「第9」の装飾とクリスマスツリーで華やいだNHKホールのロビーには,後日,この日の演奏会をテレビ中継するための台本が展示してあって,自由に見ることができましたが,これもまた,とても興味深いものでした。

 先日のマーラー「復活」もそうでしたが,パーヴォ・ヤルヴィという指揮者が何をしたいのか,何を表現したいのかが聴いている側にもとても明白で,オーケストラが優秀だからまったくミスもなくその指示どおりに曲が演奏されるので,小気味よくて,しかも,魂の底を揺さぶられて,感動がこみ上げてくるのです。
 今回の「第9」では,そのなかでも,第2楽章は,まるで指揮をするというよりもダンスをしているかようだったし,第4楽章の歓喜の主題が始まる,静けさの中を限りなく小さな音でチェロが主題を奏で出したその時の美しさは,本当に絶品でした。
 これほど,この曲を,そのすべてを凝縮しきって演奏されると,はじめに書いたように,弦楽器も管楽器も打楽器も,そして,合唱も独唱も,全てが一体となって,すべてがひとつの精神の塊となります。特に,第3楽章と第4楽章が切れ目なくアタッカーで演奏されて,最後に上り詰めていくものだから,もう,これ以上,何も望むべくもない演奏になるのです。

 私の席は,1階席の真ん中で,指揮者と楽団員のすべてを見通せるところだったのですが,曲がはじまって「ああ,これが毎年テレビで見ている第9そのものなんだ」と思ったら,感無量になりました。そしてまた,これほどの名演に出会えるとは,本当に40年待っていてよかったと思いました。
 ひとつだけ難をいうと,私の席からは,指揮者の陰になって,当代日本ナンバーワンのソプラノ・森麻季さんの姿が全く見えなかったこと。曲が終わった後で,彼女が拍手を受けるためにステージの前に出てきたときに,あまりに赤いスカート姿がきらびやかだったので,観客がどよめいたほどだったのですが,今回の「パーヴォの第9」は,4人の独唱者も超一流で,本当に素晴らしい一生忘れられないコンサートになりました。

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12月31日,この第九演奏会のテレビ放送を見ていて,何かが違う,と思ったのですが,それは,第4楽章の最後の合唱のところで,スコアではソリストは歌わないはずなのに,「パーヴォの第9」では,ソリストも合唱団と同じところにいたために,一緒に合唱団として歌っていたことだとわかりました。
どおりで,最後のところで,ものすごく楽しそうにソリストが歌っていたわけです。
このことが,この曲に聴いていたホールの私たちをも巻き込んで,最高の盛り上がりと一体感をもたらしました。

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 不思議なことがあるものです。
 私は今から40年くらい前に1度だけNHK交響楽団の年末の第9演奏会をライブで聴いたことがあります。そのことは事実なのですが,その演奏会の指揮者は,最晩年のローゼンストックさんだったとばかり,長年,ずっと思い込んでいました。
 ヨーゼフ・ローゼンストック(Joseph Rosenstock)さんは,ポーランド生まれのユダヤ人で,NHK交響楽団の基礎を創り上げた指揮者です。ちなみに,年末に「第九」を演奏するようになったのはこのローゼンストックさんの功績だそうです。
 晩年は1977年2月の定期公演とN響50周年を祝う公演を指揮するために久々に来日して,2月20日の特別公演とその後の2月27日の柏崎市での地方公演を行ったのが日本での最後の指揮活動となり,これ以降は事実上の引退生活を送ることとなりました。そして,1985年10月17日,ニューヨークの自宅で90歳の生涯を終えたとありますから,私が記憶していたのは明らかに間違いなのです。

 しかし,私が聴いたであろうと思われる1974年から1978年頃の歴代の交響曲第9番の指揮者を調べても,どうもこの人だったと確信できる人がほかにいないのです。
 私のおぼろげな記憶では,絶対に日本人でなく,ものすごく年寄りの指揮者でテンポはヨレヨレ,せっかく聴きに行ったのにがっかりしたというものでしかないのです。しかも,後日,その時の指揮者が実はすごい大物の晩年だったということを知って,改めてびっくりした,そんな記憶なのです。
 一体,私は,いつ,どの指揮者の第九演奏会を聴いたのでしょう? そして,どうして,ローゼンストックという名前をずっと知っていたのでしょう? 今もって不思議です。

 話は変わります。
 私は,若い頃,年末に毎年第9演奏会を聴きに行きました。たいていは名古屋フィルハーモニー管弦楽団のものでした。ある年のこと,それはきっと私の精神状態の方に原因があったのでしょうが,外山雄三という指揮者があまりに事務的に指揮をしているように思えてしまって,まったく感動できなくなり,もう年末の第9なんて,オーケストラのボーナス稼ぎのやる気のない演奏会につき合うものか,と傲慢にも思ったのでした。以来,交響曲第9番の演奏会からはずっと遠ざかっていました。
 第9を歌おうと勉強したこともあります。その結果,今でも私が固く信じているのは,ベートーヴェンの交響曲第9番という極めて難しい曲を,素人の合唱団がいかにも日本でありがちなみんなで歌おうよ的な演奏会はホンモノの第9じゃない,あれはお祭りなので,参加するほうのもので聴くほうのものじゃない,ということなのです。どうせ聴くなら,当代一流の指揮者と独奏者,そして,ちゃんとした合唱団のものにしよう,とまあ,こんなことです。生意気に。

 で,月日が経ち,N響の定期会員になってからも,毎年,今年こそは聴こうと思いつつも,指揮者がいまいち私の聴きにいきたい人選でないものだったから,ずっと聴きそびれていたのです。思えば,その中で,唯一,聴かなくて今でも後悔しているのは,数年前のスクロバチェフスキさんの指揮した第9でした。
 そして,今年。
 私は,ついに,交響曲第9番を聴きに行くことにしました。指揮は,待望のパーヴォ・ヤルヴィさんです。この演奏会のよい席のチケットを買うために,再び,N響の定期会員になったくらいです。
 近ごろの交響曲第9番は,ものすごくテンポが速くて,私が若いころに聴いた第9や,大阪フィルハーモニーで朝比奈隆さんが毎年指揮をされたものとはまったく異質な曲のように思えます。でありながらも,聞き伝えられるところによると,N響の演奏する第9には「N響の第9」というテンポがあって,演奏会は5日間あるのですが,例年,初日は指揮者のテンポだったものが,日にちが経つにつれて,いつもの普通の第9になっていくのだといいます。2009年の第9なんて,第3楽章のはじめの1小節目で指揮者の指示したテンポが演奏したテンポと食い違って,演奏が止まってしまうというハプニングすらありました。ラジオの生中継ではそれも放送されましたが,テレビの放送では編集されていました。
 そんなわけで,私が聴きに行くのは,当然,きょう行われる初日の演奏会。初日こそが正真正銘「パーヴォの第9」です。ラジオの生中継と大晦日にテレビで放送されるものです。
 感想は,また,後日書くことにしましょう。

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