しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:こころに残っている小さな町

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 NHKで放送している「世界ふれあい街歩き」という番組で「スコットランド移民の理想郷ダニーデン〜ニュージーランド」が取り上げられていました。この番組は2016年に放送されたものの再放送でした。番組の紹介は
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 ニュージーランド南島のダニーデンはスコットランドからの移民が建設した街。独自のタータンチェックを持ち,祖国の伝統と生活スタイルを大切にしながら楽しむ人々と出会う。
  ニュージーランド南島のダニーデンは,19世紀にスコットランドから渡ってきた移民が建設した街。今も街角にはバグパイプの音色が流れ,朝食には麦のおかゆポリッジ(oatmeal)を食べ,開拓の歴史を反映した独自のタータンチェックを誇りにするなど祖国の伝統と生活スタイルを大切にする人々と出会う。
 街のもうひとつの自慢は世界一急な坂道。まるでジャンプ台のような急坂を息を切らしながら駆け上がったり,家族の思い出を作る人々と出会う。
  ・・・・・・
です。

 ダニーデン(Dunedin)。私は,ニュージーランドの南島はほとんどの場所に行った気になっていたので,当然,ダニーデンも行ったことあると思い込んでいました。それにしては,記憶にない街の名前だな? と思って調べてみたのですが,実際は行っていませんでした。
 この番組にも出てきましたが,ダニーデンで私が惹かれたのはボルドウィンストリート(Baldwin St.)でした。ギネスブックにも登録されたという世界で最も角度がきつい坂道は,なんとしても登ってみたいと思いました。
 また,番組では,ダニーデンからタクシーでクイーンズタウンまで出かけたのですが,要するに,ダニーデンだけでは番組が成り立たなかったということでしょう。
 私は,ニュージーランドに2016年,2018年,いずれも秋,つまり,現地は春,に2回行ったことがあって,ともに,とてもいい思い出がたくさんあります。
 ニュージーランドは日本の田舎の緩い感じに似たとても親切な人たちが多い国です。はじめて行ったときに,クライストチャーチから海岸線に沿ってずいぶんと南まで行った記憶があるのですが,実際はオアマル(Oamaru)止まりでした。
 オアマルにブルーペンギンコロニー(Blue Penguin Colonie)があって,それを目当てに行ってみたのですが,どうやらシーズンオフだったらしく,私のためにわざわざ巣箱を出してくれました。
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 しかし,今考えると,2度も行ったのにも関わらず,私の頭には星空… というのが最優先だったので,それ以外の場所をこころおきなく旅してこなかったなあ,と残念に思います。そして,すっかり忘れていたニュージーランドのよさを,この番組を見て再発見し,目覚めてしまったのです。

 ということで,今ごろになって,3度目はない,と思っていたニュージーランドに,また,行きたくなりました。
 当時のことをいろいろと思い出してみると,生まれてはじめてニュージーランドに行ったときが,最も印象深いものでした。そして,そのときに数日滞在したクライストチャーチのことを懐かしく思い出しました。
 「世界ふれあい街歩き」を見ていて,いい所だな,とは思っても,だからといって,行ってみたいなあと思うところはあまりありません。しかし,今回のダニーデンは数少ない行ってみたくなったところだったのです。
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 コロナ禍で,しばらく海外旅行ができなかったのですが,このところ,また,次第に旅行ができるようになってきたようです。しかし,私は,コロナ禍以前,あれほど行っていた海外旅行なのに,行く意欲がどんどんなくなってきていて,もういいや,あるいは,自分はこの先どこに行きたいのだろう,と自問自答を繰り返すようになってきました。そして,本当に行きたいと思う場所ができたら,そのときは行ってみよう,そう思うようになりました。
 果たして,それがいつのことか,あるいは,そんな気持ちになる日はもう来ないのか…。
 この番組に出会ったのは,そんな折のことでした。
 本気で行くことを考えてみようかな。

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 ヒストリックルート66は,シカゴを起点に,イリノイ,ミズーリ,カンザス,オクラホマ,テキサス,ニューメキシコ,アリゾナ,カリフォルニアの8州を通り,ロサンゼルスを終着点とする全長4,000キロメートルのハイウェイです。1972年,インターステイツが完成してその役割を終えましたが,1972年に保存法が成立して,それ以来,多くの場所でヒストリックルート66は再生されています。
 その中でも,アリゾナ州のフラグスタッフ(Flagstaff)はまさに,ヒストリックルート66が当時の面影をのこしていて,私は,一度訪れてみたいものだと思っていたのですが,2019年の夏に念願がかない,行くことができました。そして,すっかり,この町に惚れこみました。
 町の中心にフラグスタッフ鉄道駅があります。ここはアムトラックの駅で,1926年に標高2,104メートルの地点に建設されました。もともとは1886年アッチソン・トピカ・サンタフェ鉄道(Atchison, Topeka and Santa Fe Railway)の赤色の砂岩製の駅の建物だったところです。

 町の中心にある「モンテビスタ」(Hotel Monte Vista)は有名なホテルです。1927年創業の老舗で,現在は完璧にオリジナルの状態に改装されています。ダウンタウンの中心にあって,3階に73室の客室とスイートの宿泊施設があります。過去には,ジョン・ウェイン(John Wayne),ハンフリー・ボガート(Humphrey DeForest Bogart),クラーク・ゲーブル(Clark Gable),アンソニー・ホプキンス(Sir Anthony Hopkins)など多くの有名人が滞在しました。
 ここはお化け伝説のあるホテルでもあります。
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 荒くれ西部でここまで古いホテルとなれば,これまで何人の人がこのホテルで殺されたことでしょうか。 このホテルで起こるといわれているのは,不気味な音が聞こえてきたり家具が動かされていたりロビーの電話が勝手に鳴ったりいろんなものが倒れたり…。
 ホテルの従業員や宿泊客の情報によると,バンドのミュージックがだれもいないはずの2階のロビーから聞こえてきたりもするということです。
 とりわけ,210号室はベルボーイの幽霊が訪ねてくるらしいといいます。ドアをノックして「ルームサービスです」という声がして,ドアを開けると誰もいないということがたびたびあるとか。
 また,220号室はだれもいないはずの部屋から咳払いが聞こえてきたりするそうです。ある日,メインテナンスの男の人がこの部屋で修理を終え電気を消してドアをロックして出て行ったにも関わらず,5分後には電気がついていて,ベッドのシーツもはがされ,テレビもついていたそうです。さらには,カウボーイのゴーストはもちろんのこと,殺された売春婦なんかも目撃されているそうです。
 さらに,305号室は女性の幽霊が窓際のロッキングチェアに座っていることがあるそうで,掃除の人が椅子を動かしたのに次の日には窓際に戻っていたといった話もあるそうです。
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 私は66歳のときにヒストリックルート66を走破してみたいと以前から思っていたのですが,まさかのコロナ禍で,どうも実現しそうにありません。しかし,もし可能なら,フラグスタッフでは,いくら高くても,次回は「モンテビスタ」に宿泊して,こうした幽霊たちに会ってみたいものです。

 1924年のころ,フラグスタッフにホテルは少なく,出稼ぎに町へやってくる人達を滞在させ続けるのが極めて難しかったので,この地にあるローウェル天文台の所長であり天文学者のヴェスト・スライファー(Vesto Melvin Slipher)がホテル建設のため,地域的な債券設立のキャンペーンをはじめました。その資金で建てられたのが「モンテビスタ」です。
 禁酒法時代にオープンしたこのホテルは,酒の密売をラウンジでしていたのですが,1931年,役人に急襲されて閉館します。そして,禁酒法が廃止された2年後に再開しました。また,1935年から1940年の5年間は,ホテルのラウンジとロビーは,町でたった1軒だけのスロットマシンができる場所として人気を博しました。
 やがて,1940年代になると,西部劇映画が人気となり,セドナやオークリークキャニオン(Oak Creek Canyon)近くで100本以上の映画が撮影されることになり,撮影中は「モンテビスタ」が宿泊所となったのです。
  20世紀初頭には,フラグスタッフには映画産業を誘致する計画もあったのですが,結局計画は実現せず,ハリウッドにその地位を奪われてしまいました。

V.M._Slipher


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 ウィンスロップ(Winthrop)はシアトルから北東,カスケード山脈の懐に残る西部開拓時代を偲ばせる田舎町です。市街地は1890年代のゴールドラッシュに沸いていたころの建物が並び,まるで西部劇の世界に入り込んだ気分になります。ディズニーランドにこのような町の真似事がありますが,そんな「おもちゃ」ではなく,ここは正真正銘の町です。

 2016年,私は,モンタナ州のグレイシャー国立公園からワシントン州のカスケード国立公園に向かう途中で,この町に寄りました。  
 ここで私はホテルを探してチェックインしました。
 ワシントン州にはこんなすてきな町があるのです。私が忘れられないのはこうした田舎ののどかな小さな町なのです。
 ワシントン州の壮大なメソウ渓谷(Methow Valley)を走るノースカスケードシニックバイウェイ(the North Cascades Scenic Byway)に位置するこのウィンスロップの町は,旧中山道の馬籠宿のように,新たに歴史的な町を模して作られたところです。

 メソウ渓谷は,1833年ゴールドラッシュの時代,多くの白人の入植者が来ました。そのうちの代表的な3人がジェームス・ラムジー(James Ramsey),ベン・ペーリジン(Ben Pearrygin),ガイ・ウェアリング(Guy Waring)でした。特に,ウェアリングがこの地の「父」とよばれます。
 町の名は冒険家であり作家であったテオドラ・ウィンスロップ(Theodore Winthrop)にちなんで名づけられたものです。
 1893年,ウィンスロップに火災が起きて,町は壊滅的な被害を受けましたが,1972年に州道20がこの町を通ることになったとき,キャサリン・ワグナー(Kathryn Wagner)と夫のオットー(Otto)がこの地に西部劇のような町を再建するというアイデアを思いつきました。

 ウィンスロップには数件のモーテルやマーケットがあって,私はそのうちのアビークリークイン(Abbycreek Inn)というモーテルに部屋を見つけて,チェックインをしました。
 チェックイン後,町を歩くのに十分な時間があったので,1軒のオープンカフェを見つけて軽い夕食をとりました。その後,川のほとりを散歩しました。
 歩いていると,お年寄りの女性が話しかけてきました。雑談をしながら美しい夕日が沈むのを眺めていました。
 ここはのどかで素晴らしい,桃源郷のようなところでした。
 夜は,近くのスーパーマーケットで買い物をしたりして過ごしましたが,緯度が高いので,いつまでたっても暗くならない。本当に夜が来るのかしらんと思いながら眠りにつきました。ふと深夜に目覚めると,さすがに日が沈んでいたのですが,外に出てみると,満天の星空が広がっていました。
 翌朝,モーテルの部屋の窓を開けると,そこには野生のシカがいてエサの草を食べているところでした。住んでみたい町です。

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 こころに残っている小さな町,今回はモンタナ州の州都ヘレナ(Helena)です。小さな町といっても州都なのでそこそこに都会です。
 私は2013年にモンタナ州のビュートに行ったとき,少し時間ができたので,インターステイツ15を北に走りました。まったく人家もない山の中のインターステイツ15をずっと北に向かって走っていって,この先は地の果てだとおもったら,忽然と広大な大地にヘレナの町並みが見えてきました。このときの驚きは忘れられません。
 そのときはそのまま引き返したのですが,あの美しい町並みにひとめぼれして,ずっとこころに残り,いつかぜひゆっくりと滞在してみたいという想いが募って,2015年に再びヘレナに行ってみました。

 ビュートからヘレナまでは100キロメートル,1時間というところです。
 先に書いたように,ヘレナは,モンタナ州の州都です。人口はわずか約25,000人。19世紀後半のゴールドラッシュによってできた町です。
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 1864年「4人のジョージア人」とよばれるジョン・コーワン(John Cowan),D・J・ ミラー(D. J. Miller),ジョン・クラブ(John Crab),ロバート・スタンレー(Robert Stanley)の4人組がラスト・チャンス・クリーク(Last Chance Creek)で砂金を発見したことで町は創設されました。
 はじめ「4人のジョージア人」のひとりジョン・クラブの名を取ってクラブタウン(Crab Town)と名づけられたこの町は,やがて町名変更の機運が高まって,ジョン・サマービルが自分の生まれ故郷であるミネソタ州セント・ヘレナ (St. Helena) の名をつけることを提案し,そのうちに「セント」が落ちて「ヘレナ」のみが残って町の名前となりました。
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 1888年ごろは,およそ50人の億万長者がヘレナの町に住んでいて,人口当たりの億万長者の数は世界一であったといいます。

 ヘレナの高台にモンタナ州会議事堂とモンタナ歴史社会博物館があります。モンタナ州議会議事堂(Montana State Capitol)の庁舎は1896年から1902年にかけて建設され,1909年から1912年にかけてウイングが増築されました。
 私が行ったときは,この州議会議事堂はセキュリティがとても緩く,というか,まったくないのも同然で,何のチェックもなく自由に中に入ることができました。今はどうなのか知りません。中に入ると観光客用のカウンタがあって,親切なおじさんがいました。私が日本から来たというと「歴史概略とセルフガイドツアー・モンタナ州庁舎」と書かれた日本語のパンフレットを持ってきてくれたので,私は,そのパンフレットに書かれたように,セルフガイドツアーをしました。

 州議会議事堂の東側,博物館を出たところに,ラスト・チャンス・ツアートレイン(Last Chance Tour Train)というヘレナの見どころを2時間くらいで巡るガイドつきツアーバスの乗り場があったので乗り込んで,町の観光を楽しみました。
 ヘレナは思った以上に奥の深い町でした。
 官庁街の西側にはゴールド・ラッシュ時代の歴史的な建築物が多くあり,また,そのはるか向こうにはロッキー山脈の大自然や原野が広がっていました。ゴールドラッシュで栄えた町だから,大邸宅が並んでいて,治安もよければ,町も美しいところでした。
 ヘレナという町を観光して私が感じたのは,アメリカという新大陸にやってきて成功した人間の強さと弱さでした。アメリカには,日本人の知らないすばらしい町があるのです。

へれな (2)


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 私がアラスカ州のフェアバンクス(Fairbanks)に行ったのは2017年の夏のことでした。この年の8月21日にアメリカ横断皆既日食があって,私はそれをアイダホ州で見たのですが,その帰りにアラスカ州まで足をのばしました。
 アラスカ州まで行ったのは,その当時,アメリカ合衆国50州制覇を目指していて,アラスカ州に行った理由はそのためでした。
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 ワシントン州のシアトルからアメリカ国内線でフェアバンクスまで行きました。
 フェアバンクスはアラスカ州の中央部に位置する都市で,人口は約3万人。アラスカ州ではアンカレッジに次ぐ第2の都市ですが,それでも小さな町でした。 北緯65度あたりにるるので,北緯66度3分7秒の北極圏からは約160キロメートル南に位置しています。
 フェアバンクスの面積は約85平方キロメートルなので,9キロメートル四方ほどでしょうか。車で走ってみるとあっという間に市街地を抜けて大平原に出ます。市内をチェナ川(the Chena River)が流れ,すぐ南でタナナ川(the Tanana River)と合流していて,夏の間はチェナ川を下る外輪船クルーズが運航していて,私も乗船することができました。

 フェアバンクスのダウンタウンは人が少なく静かな町ですが,スーパーマーケットやレストランなどがたくさんあって,生活しやすいところです。
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 1900年ごろ,カナダ・ユーコン準州で金が発見(Klondike Gold Rush)されるとともにゴールドラッシュに沸き,町が整えられました。現在もなお複数の金山が稼働しているということです。 
 町にはテーマパークやら動物園やら博物館やら公園があり,郊外にアラスカ州を縦断するパイプラインもあって,見どころには事欠きません。日本人にとってはオーロラの最もよく見える町として知られていて,郊外にはオーロラの見られるリゾートタウンもあります。
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 私はこのとき,見ることができればもっけもの,でも無理だろうとまったく期待していなかったオーロラを見ることができたのですが,オーロラは別としても,今にして,このフェアバンクスという町にまたたまらなく魅力を感じて,ふと,また行きたくなるのです。
 北極圏といえば,私はその後,フィンランドのロヴァニエミに行ったのですが,おなじ極北とはいえ,フィンランドとアラスカではまったくイメージがちがいます。印象では,フィンランドのほうがあか抜けた都会で,アラスカのほうが田舎,というか悠久たる大自然です。
 私はアウトドアが苦手で,というか,都会に生まれたのでそういう習慣がないのですが,その反対に,人はこうした大自然の中で生きる術を学ぶべきだと,できないからこそ思います。今でも忘れられなのは,フェアバンクス郊外で見た大きな住居です。あんなところで生活する自分はまったく考えられないのですが,そんなことができたら,何と幸せなことでしょう。
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 冬のフェアバンクスは行ったことないので,私には謎の多い町です。
 冬のフェアバンクスにも行ってみたいのですが,あんな寒冷地,おそらく無理でしょう。でも,フィンランドのロヴァニエミで摂氏マイナス30度は経験したので,なんとなく様子はわかります。しかし,いつも思うのは,世界にはこうした町があるということを体験しない人生というのは,ものすごく大切なことを知らないでいるということです。
 フェアバンクスは,私がいまでもこころに残っている小さな町のひとつです。

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 私がオーロラを見るためにフィンランドのロヴァニエミに行ったのは2018年の2月のことでした。
 その前年2017年の8月にアラスカで偶然オーロラを見ました。そして,また見たいという想いから出かけたのがフィンランドだったのです。
 だれも一度は見たいと思っているオーロラも,実際に見にいくとなると,結構たいへんなものです。しかし,もともと強運の私は,意外なほど容易にオーロラを何度も見ることができたのでした。

 今思うに,私がこれまで行った旅の中で,なんとなく行きたいと思っていても,実際には縁がないだろうとあきらめていたのが,オーロラを見ることとオーストラリアのエアーズロックに登ることでした。コロナ禍の今は別として,通常なら,旅行社に行って,お金を出してツアーに参加すれば,どちらもその場所に行くことはできるでしょう。しかし,行ったとしても,そこで実際にオーロラを見ることできるか,また,エアーズロックに登ることができるか,となると,よほどの強運に恵まれる必要があります。オーロラが見られる確率は60パーセント程度だし,今は登山すら禁止になってしまったエアーズロックですが,登ることできたころも,登頂が可能な日は30パーセントほどの確率でした。
 私は,ツアー旅行とは無縁ですが,まあ,行くこと自体はなんとかなるものです。そして,ともに運にもめぐまれて,実現しました。個人旅行の方が予定に左右されないだけ,運に恵まれる機会は多いのかもしれません。

 ロヴァニエミに行った2018年の前年の暮れごろ,何となくエクスペディアを見ていたら,フィンランドのロヴァニエミというところはオーロラが見ることができて,そこへは,宿泊と往復の飛行機代を合わせても,結構安価に行くことができることを知りました。そこで,当時はロヴァニエミがどこなのかも知らなかったのに,思いつきで予約をしてしまったのでした。現地がどんな状況なのかは皆目わからなかったのですが,寒いということだけはわかったので,とにかく寒さ対策だけして,さらに,現地のオーロラツアーの予約を入れて旅に出たわけです。
 オーロラについてはすでに何度も書いたので,ここでは触れません。
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 これまでいろんなところに行ってみた結果,私が今と同じ程度の知性や財産をもっているという条件でもう一度生まれ変われるとしたら,私は,ニュージーランドかフィンランドかオーストリアがいいなあと思っています。アメリカは遊びに行くにはとても楽しいところですが,生まれたいとは思いません。
 日本は嫌です。ただし,日本以上に,絶対にそこには生まれたくない国が山ほどあります。

 フィンランドは,この翌年の夏にも,ヘルシンキをはじめとして,タンペレ,トゥルクなどの町に行きました。どこもとてもいいところでした。
 ロヴァニエミは冬の最も寒い時期しか行っていませんが,夏に行ったらどういう感じなのでしょうか。このこじんまりとしたおとぎの国のようなきれいな町は,きっととても過ごしやすいところだと思います。もし,私がロヴァニエミに住んでいたとして,懸念されるのは,寒さもありますが,何もすることがないのでは? ということです。そしてまた,さすがにこんな緯度の高いところは星見に適しているとは思えません。今日の写真のように,オーロラが見えるときは満天の星も見られるのですが,マイナス20度台での星見は過酷な話です。
 しかし,もし,この地に生まれていたら,おそらくは,今とはまったく別の楽しみがあったことでしょう。いずれにせよ,今より,ずっと精神的に豊かな人生であることだけは確かだと思われます。何といっても,この町にはかけがえのない大自然がいっぱいあります。聞くところによれば,極夜になる前のころは,毎日,空はこの世のものとは思えないほど美しく輝くのだそうです。
 などと書いていたら,本当に住みたくなってきました。

roba


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 しばらく海外旅行をしていない今,思い出すのは有名な観光地ではなく,小さな町ばかりです。日本に来た外国人が帰ったあとで思い出すのが郡上八幡市だった,みたいなものでしょう。私は個人旅行をしていて,安価に宿泊できるところばかりをさがしているので,必然的に小さな町に泊まることになるわけです。
 そんな小さな町のひとつが,ニュージーランド南島にあるアロータウン(Arrowtown)です。
 私はニュージーランドには2016年と2018年の2度行きました。ともに南島です。北島には行ったことがないので本当のことはわかりませんが,北島には行きたいと思ったことはありません。
 私が思うニュージーランドの南島の印象は,とにかくきれいなところ,ということです。面積は日本の本州程度でしょうか。しかし,日本とは人口が決定的に違い,道路も渋滞していないので,2度旅行をしただけですが,ほぼすべての場所に行くことができました。日本より圧倒的にストレスのない国です。
 欠点といえば地震が多いことですが,これは日本と同じくらいでしょう。そして,ニュージーランドからはヨーロッパやアメリカに行くのには遠いこと。さらには,歴史が浅いので,アウトドアに興味がなければ飽きちゃうことですが,これは人それぞれでしょう。

 私が2度目のニュージーランドに行ったのは,1度目の旅で行くことができなかったミルフォードサウンド(Milford Sound)に行きたかったこと。これが最大の理由でした。
 1度目に行ったテカポ湖(Lake Tekapo)にもう一度行ってみたいなあとずっと思っていて,安価な宿泊地を見つけたことが2度目に出かけた動機でしたが,せっかくだからと,その折にミルフォードサウンドまで足をのばすことにしたのです。しかし,ミルフォードサウンドはとても遠く,近くには町もなく,行くことがたいへんそうでした。もっとも便利そうだった大きな町はクイーンズタウン(Queenstown)でしたが,クイーンズタウンは人気の町でホテルが高く,そこで見つけだしたのがクイーンズタウンから北に20キロメートルほど行ったところにあるアロータウンという町のホステルでした。名古屋に行こうと思って中津川に泊まった,という感じでしょうか。結局,ミルフォードサウンドにはクイーンズタウンから現地ツアーを利用して行ったのですが,私の泊ったアロータウンまでわざわざタクシーが迎えに来てくれました。
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 このときの旅では,まず,クライストチャーチに到着してレンタカーを借り,クライストチャーチからテカポ湖へ行き,再びテカポ湖からクライストチャーチ(Christchurch)まで戻って,その後に,クライストチャーチから空路クイーンズタウンに来て,クイーンズタウンで再びレンタカーを借りました。カーナビの案内にしたがって走っていくと,やがて,風情のある田舎町につきました。その,わずか数十件ほどの商店街がアロータウンのすべてでした。
 私が予約してあったのは,ホステルというよりも,いわゆるタバーン(飲み屋)で,その店の裏に6部屋あった宿泊施設だったのには驚きました。 バーのカウンタでチェックインをしてキーを受け取りました。これだけでも驚きなのですが,ニュージーランドは大きなホテル以外は,こうした民泊のようなところばかりです。これがまたいいのです。

 行ってみるまでまったく知らなかったのですが,アロータウンはゴールドラッシュで栄えた町でした。当時の面影がいたるところにあって,その雰囲気を楽しむために,結構な観光客が来ていました。クイーンズタウンからはバスでも簡単に来ることができるようでした。
 なんというか,アメリカの西部劇で出てくるような町でした。
 アロータウンがこんなすてきな町だとは知りませんでした。かつて金の採掘で栄えたところなので,今も,この町に流れる川では砂金が取れるというし,町の雰囲気も伝統を感じさせて,とてもよいところでした。
 夕食後,アロータウンの町を散歩しました。この町一番の見どころというのは,19世紀に金の採掘者として労働をしていた中国人居住区を再現した公園でした。ここは宿泊先から5分くらい歩いた場所にあって,当時の住居跡がいくつか復元され,詳しい説明が書かれていました。
 ニュージーランドというのは,どうやら,かつては,上流階級にニュージーランド人がいて,その下の労働者階級に中国人がいた,という社会だったらしく,ここの中国人住居跡は住居というよりも掘立小屋といったほどの粗末なものでした。
 また,この町には博物館もありました。
 博物館は外観からは想像できないほど,内部の展示が充実していました。このあたりの歴史がとてもよくわかりました。もし強度の地震が起きた時の安全が保障できないので自己責任で見てください。という表示が地震国ニュージーランドを思い起こさせました。要するに建物が耐震補強されていないということなのでしょう。
 今,思い出しながら書いていると,また,行ってみたいという想いが募ってきました。ニュージーランドはアメリカ的な商業主義に毒されていないのどかな国です。そして,そんな国の小さな町のひとつがアロータウンなのです。

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 昨年の3月までは当然のように年に何度も世界中を飛び回っていました。いつもいくつもの予定を抱えて,それが実現するのを楽しみに日々を送っていました。しかし,コロナ禍で,海外旅行もままならなくなってしまいました。
 そのころのことを思い出すと,距離的には変わらずとも,精神的に世界はずっと遠くなってしまいました。しかし,病気の蔓延はあっというまに世界に広がり,人類は地球上のどこにも逃げ場がないのだから,地球も狭いものだと思います。そしてまた,いつも偉そうな人間もわずか0.1マイクロメートルごときの,マスクの網の目なんて簡単にすり抜けるウィルスにおびえているんだから大したしたことないんだなあとも思うようになりました。ざるでは水はすすくえません。
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 さて,そんな,ある意味広く,また,別の意味で狭い世界。行くことさえままらない今,ふと懐かしくなるのが,なぜか,ほとんどの日本人が行ったこともないような小さな町の小さなお店のことです。住んでいる町のカフェですら,1度も入ったことがないところがたくさんあるというのに,こんなお店に,1度ならず,2度も,それも別の機会に入ったことがあるのが不思議です。
 今日は,そんなお店の紹介です。

 写真は,オーストラリア・ニューサウスウェールズ州の小さな町クーナバラブラン(Coonabarabran)にある1軒のカフェです。多くの日本人には,オーストラリアといえば,シドニーとかメルボルンで,こんな町があることすら知らないことでしょうが,むしろ,オーストラリアのほとんどの町はこの程度です。
 こうした町は,メインストリート沿いに必要最小限のお店が並んでいて,町の中央にはスクランブル交差点があって信号機はなく,道路の端はどこも駐車ができる,という感じです。お店は午前9時から午後5時までというのが多く,それより遅いと開いていません。
 クーナバラブラン,私はこの町,とても好きなのですが,町にあるカフェといえば,このお店くらいのものです。ということで,私は,2018年と2019年,ここに2度も入ったことがあります。
 この先もいつでも行けると思っていたのですが,今となっては,それも幻のような気がして,とても寂しいです。

 住民は郊外の広い家に住んでいて,静かで清楚で,町外れには広い美しい公園が広がっています。そして,夕暮れにでもなると,それぞれ好き好きに散歩をしたり,ジョギングを楽しんだりしています。
 私は,こうした町にはじめて行ったとき,ここに住む人は何を楽しみに生きているのかな,と思ってしまいましたが,考えてみれば,日本人の生き方のほうがかなり異質なのかもしれません。今では,私もこうした町に行くと,公園のベンチで時間を忘れてぼーっとするようになってしまいました。

 外国に出かけられない今,家の近くにこんなくつろげる場所がないものかと探してみるのですが,見つかりません。道路は狭く汚く,町も公園もゴミだらけで,落ち着けるところなんてまずありません。澄んだ川や池もないし,沈みゆく夕日をのんびり眺められるようなベンチすらありません。
 私は,若いころから,静かなところに住んで,少し郊外に行けば夜は満天の星が広がっているような街灯のない平原があって,平日は朝の9時から夕方の5時まで残業は一切しないで働いて,別にお金などそれほどなくてもいいから,そしてまた,地位も名誉もいらないから,お休みの日は音楽を聴いたり本を読んだり散歩を楽しんだり,そんな穏やかな生活をおくることができるのなら,それで満足だとずっと思っていたのですが,日本にはそんな場所はどこを探しても存在しません。
 …などと書いていたら,なぜか,悲しくなってしまいました。

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