しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:ついにニューヨーク

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 エア・トレインは,快適であったが,一方向に各駅停車でターミナルを回るので,私が乗り込んだ一番奥のターミナルからはなかなかジャマイカ・センターに到着しなかった。
 15分くらいして,やっと,ジョン・F・ケネディ国際空港のターミナルを離れて,エア・トレインは北に向かった。窓から,ブルックリンの市街地がよく見えた。はじめて日本に来て成田,中部,関西の国際空港からそれぞれの都会に向かう電車に乗った外国人もこういう気持ちを味わうのであろうか。
 だたし,空港から都心に向かう電車の中では,日本の電車よりもこのエア・トレインが一番快適だし,都会の地下鉄の駅までの距離が近い。

 ジャマイカ・センターに到着した。この駅は,エア・トレインと,地下鉄と,ロングアイランド鉄道のターミナルで,新しくきれいな駅であった。日本のように,人人人… でないことが,さらに,快適であった。コンコースには,カフェテリアもあった。
 通路の途中でロングアイランド鉄道のプラットホームが見えた。
 日本に帰ってから知ったのだが,このロングアイランド鉄道でもマンハッタンに行くことができた。今度ニューヨークに行ったときは,マンハッタンンに行くにはこの電車に乗ってみようと思っている。

 突き当りのエレベータを降りたところにあった地下鉄の路線図を見た。
 Eラインに乗ってマンハッタンに向かって,レキシントンアベニューで地下鉄4番に乗り換えれば,ヤンキースタジアムに行くことができることがわかった。
 地下鉄の改札口を通ろうとした。
 ところが,さきほど購入したメトロカードで改札が開かない。
 日本とは違って,こちらでは,クレジットカードとかメトロカードとかは,スリットにカードを通して,手早く手元に引くという方式なので,私のやり方が悪いのかと思った。
 しかし,何度やってもだめなので,カードがいかれていると思った。なにせ時間がないので,もう一度,カードを購入することにした。

 発券機のある場所に戻って,今度は,メトロカードを自力で購入する。
 表示にしたがって操作をしてクレジットカードを入れたら,ZIPコードを入力しろ,と表示された。ZIPコードとは郵便番号のことであるが,そこに5ケタの数字を入れるようになっていた。しかし,アメリカではZIPコードは5ケタかもしれないが,日本では7ケタである。適当に12345などと入力しても,当然,先に進まない。訳が分からなくなって,隣にいたヤングガイに聞いても,わからないと言うし,仕方がないので,クレジットカードでの購入をあきらめて,20ドル紙幣を入れてカードを購入した。
 この時点で不思議だったのは,先に空港のターミナル駅では,どうしてクレジットカードでメトロカードが購入できたのか,ということであった。さらに,後で知ったことは,このメトロカードは7日間乗り放題(アンリミテッド・ライド)27ドルというのがあったことだ。そして,さきほど改札が開かなかったのは,私の持っていたメトロカードは,1回分の料金しか購入していなかったので,料金不足だったということであった。
 ついでに書いておくと,ZIPコードは自分のクレジットカードに登録してある日本の郵便番号の上から5ケタを入力すればよいということを,帰国後に調べて知った。
 という感じで,おのぼりさんの私は,戸惑いながらも,なんとか地下鉄Eラインに乗り込むことができたのだった。

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 アラモの営業所では,私が車を旅の途中のバーリントンで交換したことも知っていたのであった。さらには,日本で店員がやたらと慇懃に客に対応するのと同じように,男性のスタッフが出てきて,「御無事でお帰りなさいませ。お車の調子はいかがでしたでしょうか?」というような内容の英語を話したのには,超・びっくりした。
 アメリカでこんな経験ははじめてであった。私は,車を返して,再び,シャトルバスに乗り込んで,ジョン・F・ケネディ国際空港まで送ってもらうことになった。私を誘導してきたおばさんが運転手として乗っているシャトルバスに乗り込んだ。
 おばさんは,「ちょっと待っててね」と言って,ペットボトルを1本買ってきて,「飲んでね」と言って,私に手渡した。
 この親切さは何であろうか? ここは,本当にアメリカなのであろうか?
 
 こんなふうにして,この旅の予定のルートを,無事にドライブしおえて,契約の返却時間よりずいぶん早く,レンタカーを返却することができた。
 途中で車を交換してしまったので,トータルの走行距離がわからないのだが,約2,000キロメートルくらいだっただと思う。
 それにしても,ずいぶんと走ったものだ。そして,これで車がなくなって,あとは公共交通機関頼りであることに,ちょっとほっとした。

 やがて,シャトルバスが,ジョン・F・ケネディ国際空港に着いた。ここでバスを降りて,この後は,エア・トレインでジャマイカ・センターという駅まで行って,地下鉄に乗り換え,ヤンキースタジアムへ行くことになる。レンタカーを返すのにずいぶんと無駄な時間を使ってしまったので,間に合うかどうか,といった時間であった。
 恥ずかしい話だが,この時点で,私は,ジョン・F・ケネディ国際空港からどのようにヤンキースタジアムに行くのか知らなかった。空港から電車でマンハッタンに行けることは当然知っていた。また,ヤンキースタジアムには,地下鉄4番に乗ることも知っていた。しかし,知っていたのはそれだけだった。
 東京へはじめて行ったが羽田空港から東京ドームに行くようなもので,要するに,大都会の交通網を信ずれば,何の問題もないように思えた。なにせ,ここは,世界一の大都会,ニューヨークなのである。

 とりあえず,ジョン・F・ケネディ国際空港のターミナルに入って,「電車」の表示がされた方向へ歩いて行った。
 お恥ずかしいのは,この空港を周回する鉄道は,無料だと思っていたことだった。だって,これまで行った様々な空港で,ターミナル間を移動する交通手段は無料でしょう。実際は,ターミナル間だけの移動は無料で,この電車でジャマイカ・センターという地下鉄の駅に行くときには有料。これは後で知ったことだった。
 そのくらい無知な私は,とにかく,電車の乗り場に着いた。そこにチケット売り場があった。
 まだ,無料だと信じていたので,このチケットは,この先の地下鉄の料金を先払いするのだと思ったのであった。

 地下鉄のチケットは,日本の「スイカ」のように,プレイペイドカードが便利だということは知っていた。地球の歩き方にそのように書いてあったのは,以前読んだことがあった。そこで,そのプレイベイドカード(メトロカード)を買うことにした。
 発券機の前に,案内のおばさんがいたので,どうやって買うのかを聞いた。
 メトロカードは,クレジットカードで購入できる。そのおばさんは,私からクレジットカードを受け取り,発券機に通したが,ガソリンスタンドの給油機同様,カードを読みとれない。
 「いつもこうなのよ。隣の機械で再トライしてみましょう」といって,隣の機械で同様に発券を試みた。今度は何の問題もなく,メトロカードは私のものとなった。そのようにして,その,やたらと親切なおばさんは,何から何まで丁寧に説明して,メトロカードを購入してくれた。本当に,きょうは,日本にいるようであった。
 ただし,その,すべて人任せ,が後に災いをよぶのであった。

 改札を通って(この時点でも,まだ,私は,この電車は無料だと信じていた),今度は,近くを歩いていたナイスレディに,どこで電車に乗るのか聞いた。この先のエスカレータを上がったホームで,ジャマイカセンター行が来るから,それに乗ると教えてくれた。違う行先の電車があるからまちがえないようにね,とも言った。
 この電車は,ターミナルを周回するもの,ターミナルを周回したのち,地下鉄のジャマイカ・センター駅へ行くもの,地下鉄のハワード・ビーチ駅へ行くものがあった。私は,その女性のあまりの美しさに年甲斐もなく興奮して(冗談です),下りのエスカレータに危うく乗ろうとして,その女性に,ちがうわよ,と助けられた。本当は,車の通行方向と同等,日本とは上りと下りのエスカレーターの位置が反対なので,まちがえかけたのだった。
 このように,きょうは,親切な人ばかりに出会った。
 ニューヨークは,本当に,東京と変わらない所だと思った。毎年,刺激を求めて,ニューヨークへ行く,という友人を知っているが,その意味がよくわかった。今回ニューヨークへ行ってみて,こりゃ,東京へ行くよりいいや,と思った。新幹線で東京へいくのと変わらないなあ,とも思った。
 私も,これからは毎年ニューヨークに行こう。シーズンオフなら航空券だってすごく安い。

 そのナイスレディは,実はこの電車の駅員であった。彼女は,ホームに到着すると電車を待つ乗客に放送をはじめた。この,エアターミナルを周回して地下鉄の駅まで行く電車を「エア・トレイン」という。こちらの人は「Aトレイン」とよぶので,はじめは,「Aトレイン」が何を意味しているのかも分からなかったし,この電車がどのくらいの間隔で運転しているのかもわからなかった。
 ヤンキースタジアムの試合開始に間にあうのか,だんだんと心配になってきた。 
 やがて来たのは,ジャマイカセンター行きでなかった。先ほどのナイスレディが放送で,この電車の行き先に注意するように放送していた。そうしてその電車を見送ったら,そのあとすぐに,ジャマイカセンター行きが来たので,私はそれに乗り込んだ。

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 車に乗って,GPSでアラモの営業所を検索した。
 このレンタカーを借りたときに,ジョン・F・ケネディ国際空港の営業所に今日の午後6時30分までに返却する契約であった。
 ところが,GPSに,ジョン・F・ケネディ国際空港にあるハーツとかエイビスとかの営業所は表示されるのに,アラモが出てこない。どうしてかな,と思ったが,空港に行くことは間違いがないので,とにかく,ハーツの営業所を目指して進むことにした。

 帰国してから調べてみると,アラモのウェブページに,ジョン・F・ケネディ国際空港の営業所は「Jfk Intl Arpt Off Site」と書いてある。
 ウェブサイトに,「アラモのレンタカーを借りたが,JFK(ジョン・F・ケネディ国際空港)のフェデラルサークルにアラモのレンタカー営業所がない。どうしたらいいか?」という旅行者の書き込みを見つけた(原文:英語)。
 その答えが,また,わけのわからないものであった。
 曰く,旅行者がマンハッタンに行くのにレンタカーはベストの選択でない,だの,アラモの営業所はマンハッタンの方が便利だの… 云々。
 この旅行者が聞きたかったのはそういうことではなく,私のように,ジョン・F・ケネディ国際空港の様々なレンタカーの営業所が並んでいる一角に,アラモがないということなのだ。だから,アラモを予約したのだが,どこへ行けばいいのかわからない,ということでなのである。
 空港に降りて,レンタカーの標示に従ってターミナルを出ても,他のレンタカー会社のカウンタやらオフィスは見つかってもアラモだけがない,というのは非常に戸惑う事態であろう。

 話はそれるが,日本でも,「ペットボトルの飲料水がすぐにぬるくなってしまうが,冷えたままに保つ方法はないか?」という書き込みがあって,その回答の中に,「冷えた飲み物は体に悪いから飲んではいけない」というばかげたものが多数あった。それでは,質問の答えになっていない。
 「地下鉄の切符はどのように買えばいいか」という質問に,「地下鉄など乗ってはいけない」と答えるようなものである。
 ネットの質問には,こうした不真面目な回答を数多く見つけることができる。

 実際は,アラモは,2012年にジョン・F・ケネディ国際空港の北,州道27に面したところの空港の公営駐車場の隣に営業所を開所した。だから,他のレンタカー会社のカウンタとは別のところに営業所があって,レンタカーを返すには,その営業所に行けばよいし,借りるときは,ジョン・F・ケネディ国際空港のロータリーに営業所行の無料シャトルバスが巡回しているからそれに乗ればよいのである。
 問題なのは,私のように,その営業所がGPSで検索できないことと,アラモの公式サイトにその営業所の地図がないことなのである。
 そのときの私は,そんなことも知らず,ともかく,ジョン・F・ケネディ国際空港に到着して,他の空港と同じように,「レンタカー・リターン」の道路標示に従って走っていった。そして,各レンタカー会社が表示された一覧表からアラモを探して走っていったが,アラモだけが見つからなかった。
 そうこうするうちに,レンタカー・リターンの駐車スペースが終わってしまって,気づいたときには,ジョン・F・ケネディ国際空港の近郊のホテルの送迎用シャトルバスの行き来するロータリー(フェデラルサークルに)に到着してしまった。
 私は困り果てて,そのロータリーにともかく車を停めて,客待ちをしていたシャトルバスの運転手に聞いた。すると,運転手は,アラモのシャトルバスがここに来るので,ちょっと待っていればいい,と言った。事情がよくわからなかったが,ともかくしばらく待っていたら,青色のアラモのシャトルバスがやってきた。私が聞いたそのシャトルバスの運転手が,親切にも,アラモのシャトルバスの運転手のおばちゃんに事情を話してくれていて,おばちゃんが降りてきて,「私についてきて」といった。

 私は,そういう展開になるとは知らなかったので,車をロータリーに頭から突っ込んで停車てしまっていた。そこで,車を発進させるにはバックする必要があった。が,ロータリーはホテルに行くためにバスを待っている人たちでごった返していて,うまくバックができなくて,あやうく人を轢きそうになったりした。客待ちをしているシャトルバスの運転手たちは,そのたびに「オウ」とか叫ぶのであるが,だれも,こちらから頼まなければ交通整理を買って出るようなことはしない。これもアメリカらしいことである。
 私も,乗り慣れた車でないので,車の後方がうまく見られず,危ないったらあしゃしない。
 左ハンドルというのは,実は,バックが一番むずかしいのかもしれない。なにせ,アメリカでは駐車するときも,日本のようにバックで入れるなんていうことはしないから,アメリカではバックなんてしたことないし…。
 「私についてきて」と言ったアラモのシャトルバスのおばちゃんは,ロータリーに車を停車して,私の車が発進できるのを辛抱強く待っているし,ほとほと困った。それでも,人を轢かずなんとか車をバックするのに成功して,おばちゃんのシャトルバスの後ろにつけることができた。やっと,おばちゃんのシャトルバスが発車して,その後ろをついて行った。
 空港の周回道路をくねくねと走って,ついに,私はアラモの営業所に到着したのだった。

☆ミミミ
2月26日から2月28日は,金星,水星,月が明け方の東の空に並ぶのを楽しみにしていたのですが,残念ながら27日と28日は天気が悪く,見ることができませんでした。26日は見ることができたのですが,PM2.5の影響で空はけむり,月の周りがにじんでいました。
やっと待ち焦がれていた春が来ましたが,春になると,花粉症,春霞,黄砂,それにPM2.5と,気が重い毎日になります。昨年は秋がなく,急に冬が来ましたし,この春も,すぐに蒸し暑い夏になってしまうような気がします。
日本の美しい四季,特に過ごしやすい春と秋は,もう,来ないのでしょうか?

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 「レッド・カーペット・イン・ブルックリン」に到着した。ホテルの敷地は塀に囲まれていて,塀の中の建物の隣の駐車スペースに車を停めた。ゲートがあって,この時はゲートは開いていたが,夜になるとこのゲートが閉められるかどうかはわからなかった。
 ホテルからは,北に,ウィッコフ・アベニュー,西にホージー・ストリートという片側1車線の日本の道路のような狭い道があって,道路の北にはレストランやら,商店やらがあった。また,道路の西には,ガソリンスタンドがあった。
 写真でおわかりのように,町は閑散としていた。近ごろは,インターネットやグーグルマップで,家にいても世界中の町の風景は見ることができる。しかし,その町のにおいとか雰囲気は絶対にわからない。ただし,実際にそこへ行ったことがある人には,記憶が明確によみがえって,とても懐かしい。
 このホテルのあったところも,帰ってから見直してみると,また,行ってみたいなあ,と懐かしくなってくる。

 ホテルの玄関を入ると,右手にフロント,中央に階段,左手にエレベータがあった。また,フロントの手前には簡単なキッチンがあって,コーヒーを飲むことができた。
 フロントは,全面ガラス張りになっていて,スタッフはなまった英語を話した。
 フロントがガラス張りというのが,これまでにない,「やばい」雰囲気であった。階段のところには,おばさんがたむろっていた。おそらく従業員であるらしい。ともかく,このホテルに私は連泊するのである。 
 チェックインをして,部屋に行った。古びたエレベータは,動くのか途中で壊れるのか,と心配になるような代物であった。
 このフロントは半2階のような場所で,階段を使うと,0.5階分階段で上ると,2階に行くことができた。

 くすんだ部屋に入ると,クーラーが音を立てていた。
 アメリカのホテルのクーラーというのは,そうして,どこも,こうした日本では絶対手に入らないような旧式のものなのであろうか。うなるような轟音を立てる。昔のテレビのようなダイヤルがあって,強風やら弱風を切り替える。しかも,たいていの場合,部屋に入ったときに,クーラーのスイッチが入っていて,凍えるほど部屋は冷えている。
 どうやら,この国には,節電とか節約とかいう概念がないらしい。ゴミも出し放題である。しかし,この国の広さが,そんな細かいことをどうでもよくしてしまう。 奥さんが5円,10円と節約して家計をやりくりしていても,旦那さんが毎晩5,000円,10,000円と飲み歩いているようなものである。
 部屋には大きなテレビがあった。液晶ではなく,ブラウン管のものであった。
 今こうして写真で見ると,けっこう立派なホテルに見えるかもしれない。きっと,できたときにはそれなりのホテルであったには違いない。

 とにかく,荷物を置いて,小さなカバンにカメラやら必要なものを詰め直して,さっそくレンタカーを返すために部屋を出た。この荷物,部屋に置いておいても大丈夫かいな? と不安になったが,特に貴重品が入っているわけでもないから大丈夫であろう。ただし,ヤンキースタジアムのセキュリティが厳しいと聞いていたので,いつもより小さなカバンに詰め込んだ。
 これから,また,ジョン・F・ケネディ国際空港へ行って,そこにある営業所にレンタカーを返して,今度は地下鉄でヤンキースタジアムへ急がなくてはならなかった。
 午前11時すぎのことであった。野球の開始にはあと2時間であった。
 そして,次にこのホテルに戻ってくるのは,深夜になるはずであった。
 夏の暑い日のこと,私は,ボストンのフェン・ウェイ・パークで買ったレッドソックス特製の大きなカップを持っていった。これが失敗であった。このあと,ヤンキースタジアムに入るとき,レッドソックのカップが邪魔になって,結局捨てることになってしまったのがいまでも悔やまれる。

◇◇◇
Thank you 20,000+ visitors.

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 インターステイツ678を北から南に,つまり,クイーンズ区のラガーディア国際空港から,ブルックリン区のジョン・F・ケネディ国際空港へ走っていく途中,ちょうど中間あたりにジャンクションがあって,ここでインターステイツ678を降りて,ジャッキー・ロビンソン・パークウェイという名前の道なのか,ユニオン・ターンパイクなのかは覚えていないけれど,とにかくそこを5キロくらい西へ進んだ。
 道路の両側は,公園があったり,墓地があったり,民家があったりと,およそ,アメリカののどかなな町とは全く違う,東京の下町やら大阪のミナミのようなところであった。
 私には,そこが,治安のよいところなのか,怪しげなんところなのかさえ,よくわからなかった。
 私は車だったから問題ないのだが,ここを歩け,といわれたら,おそらく躊躇してしまったであろうと思われた。土地勘がないので,この場所の状況がよくわからなかった。
 およそ,ほとんどの旅行者が行くニューヨークとは,マンハッタンのことであろう。私には,ブルックリンってどういうことろだろうかという興味もあって,しかも,宿泊代が安かったこともあってこの地のホテルを予約したのだが,そこは,ほんとうに日本の下町のようなところであった。
 きょう宿泊するホテルは,そうしたブルックリン区のど真ん中にある「レッド・カーペット・イン・ブルックリン」であった。

 私は,食べる場所と泊まる場所にはこだわりがない。ホテルは寝るだけなので,安全であるのならどこでもかまわない。
 ボストンもそうであったが,ニューヨークも,ホテルの宿泊代が高いので,どこに泊まるか,事前に探すのに苦労した。それでも,ボストンに比べれば,ニューヨークの方が,安価なホテルがブッキングコムにもエクスぺディアにもリストアップされていた。ただし,その場所が問題であった。
 安価なホテルは,ハーレムか,ブルックリンにあった。マンハッタンの中心街にもあったが,バス・トイレ共有とか,なんらかの特殊な条件があった。それに,まず,駐車場がなかった。
 今回は,ニューヨークではレンタカーを返却するので,特に駐車場の問題はなかったが,とにかく,公共交通の便が悪い場所は,野球やらミュージカルで帰りが遅くなる旅行者には致命的であった。
 そうした条件で探した結果,ブッキングコムで見つけたのがこのホテルであった。
 決め手は,ホテルの隣が地下鉄の駅,という立地であった。
 ところが,これが,のちに,とんでもない事件を起こす… のである。

 ともかく,狭い道で,しかも生まれてはじめて通る道。注意しながら運転して「レッド・カーペット・イン・ブルックリン」に到着した。ここのホテルは,なんと,となりの空き地に駐車場が完備されていた。ただし,ホテルの周りは何と表現していいか,殺伐した怪しげなところであった。日本に帰ってグーグルマップなどで改めて調べているから,今はよくわかるが,車で走っているときは,いったいそこがどこなのか,さっぱりわからなかった。
 こうした場所に宿泊するときは,事前に細かい地図でしっかりと調べておくことをお薦めしたい。しかし,それがけっこう難しいのである。

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 そして,GPSの指示に従って,再び,インターステイツ287,インターステイツ95と道を変えながら走っていって,しだいに周りに景色は,ニューヨーク市のものになった。
 このように書くと,どんどんと違うインターステイツを走っているように感じるかもしれないが,GPSの指示に従って,ジャンクションで別のインターステイツに乗り換えているだけなので,ほとんど1本の高速道路を走っているのと同じである。

 インターステイツ95に入ったとき,左手に鉄道の線路が見えてきた。例えれば,中央高速道を,東京方面に走って行って,八王子から府中に入っていくような感じである。
 どんどんと住宅が増えてきた。もう,ここは,ニューヨークのベッドタウン,通勤圏であった。橋をわたると,ニューヨーク市の北,ブロンクス区に入った。
 帰国して,改めて走った道路を地図で眺めてみると,せっかくこの場所へ行ったのだから,もっと寄り道をしてもよかったように思う。
 ブロンクス動物園とか,おもしろそうな場所が一杯あった。しかし,走っていたときは,1分でもはやく目的地に着いて,ヤンキースの試合に間に合えばいい,としか考えていなかった。

 ニューヨーク市は,北にブロンクス区,東にブルックリン区,その北東にクイーンズ区,その東にロードアイランド区,そして,西にあるのがマンハッタン区の5つの区からなっている。
 ブロンクス区には,ほとんど日本人が住んでいないということである。以前は治安が悪いとか,そういう話を聞いたことがある。
 私は,そのブロンクス区の東の端を走るインターステイツ95を快調に走っていった。周りは緑がおおく,閑静な住宅街であった。インターステイツ95はブロンクス区を北から南に走っていたが,やがて,リトル・ネック湾にさしかかった。
 このリトル・ネック湾はそのままマンハッタン区の東を流れるイースト川になる。インターステイツ95は西向きに方向を変えた。そのまま西に走っていくと,マンハッタン区の北側ハーレムの179丁目を横切ることになる。
 私は,インターステイツ95が西に方向を変えてすぐ,南向きのインターステイツ678に入った。この道は,湾にかかるかなり長い橋「ブロンクス・ホワイトストーン・ブリッジ」を越えて,クイーンズ区に入っていった。
 この巨大な橋から,遠くに,マンハッタンの摩天楼を見ることができた。
 この景色は,何度見ても感動する。この世界最大の大都会をみると,すごい国だという思いがますます強くなる。

 インターステイツ678を走っていくと,突然,目の前に,巨大なボールパークが見えてきた。私は,どこを走っているのか,おおよそのことしか理解できず,GPSの指示に従って走っていたのだが,走っていたところは,どうやらクイーンズ区のラガーディア国際空港の付近であった。
 飛行機でジョン・F・ケネディ国際空港へ到着するとき,そこからマンハッタンに向かうには,北西向きにインターステイツ678を走り,目の前にラガーディア国際空港をみて西に進路を変えることになるが,私は,その反対車線を走っていたことになる。この付近は,ニューヨーク・メッツの本拠地であるシティフィールドと全米オープンテニスの会場であるナショナルテニスコートがある。

  ・・・・・・
 ニューヨークには,アメリカン・リーグのヤンキースとナショナル・リーグのメッツ,ふたつのMLBの球団がある。ヤンキースの本拠地ヤンキースタジアムは,ブロンクス区にある。そして,メッツの本拠地がこのクイーンズ区にある。このふたつのボールパークは,地下鉄を乗り継いで行くことができるために,インターリーグ(アメリカン・リーグとナショナル・リーグの交流戦)があるとき,このふたつのチームの対戦を「サブウェイ・シリーズ」という。 
 シティフィールドは,2012年,ニューヨーク州がオリンピックの会場として陸上競技場の建設を計画していたが,開催都市として落選したために,その代わりに,約6億ドルをかけて,2009年に,老朽化したそれまでの本拠地シェイスタジアムの隣に建設されたものである。1958年までニューヨーク・ドジャースの本拠地だったエベッツ・フィールドを彷彿させる外観が,観戦に訪れる人たちを古き良き時代にダイムスリップさせる。 
 メッツがホームランを打った時に,センター後方で高さ5メートルの巨大なリンゴがせり上がるのは,シェイスタジアムから続く伝統である。
  ・・・・・・
 私は,この旅行で,ヤンキースタジアムとこのシティフィールドの両方で野球が見たかったのだが,私の滞在する間にはメッツの試合がなく,残念ながらあきらめざるを得なかった。

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 「タコニック・ステイツ・パークウェイ」は,写真でおわかりのように,非常に快適な道路であった。
 もう数時間走ればニューヨーク市だという所なのに,美しい山々と木々の緑に囲まれていて,ほとんど車も通らず,大都会が近いとは思われなかった。
 天気もよく,すばらしいドライブであった。しかし,それとともに,いよいよニューヨークだ,という気持ちも高ぶってきた。

 数年前に,デトロイトからナイヤガラの滝を見るためにインターステイツ90を東にエリー湖畔をドライブしたときのことであった。
 雄大なエリー湖を左手に,ほとんど車が通らない道を,美しい景色を眺めながら3時間走った。時折,湖畔に原子力発電所が眺められた。
 やがて,ナイヤガラの滝のふもとのバッファローの町に到着した。そのときの私は,ナイヤガラの滝のことしか頭になかったので,この地で「ニューヨーク」という道路標示を見て,ああそうか,ここはすでにニューヨーク州でここからニューヨーク市へ簡単に行けるんだ! と驚いたことがあった。そして,そのとき,いっそこのままデトロイトへ戻らずニューヨーク市へ行きたいと思ったことだった。
 いつものように,今回も,ずっとそうしたいと思っていたことはいつかは必ず実現するのであった。ニューヨーク市へは何回か行ったが,自分の運転する車でニューヨーク市へ着いたことは,これまでになかった。

 今回の旅行記は,車で走っているときは,あいも変わらない風景が多くて,たいへん申し訳ありません。ただ,車でアメリカを旅行したことがない人にとっては,こういった風景もめずらしいものであろうと思うし,そう,これが,アメリカをドライブするときのありのままの景色なのです。
 このような,ある意味では単調なインターステイツを何時間も走って,やっと別の町に到着して,そこで,新しい出会いを見つけるのです。

 インターステイツは全米に完備されて,どこも,こうした景色が広がっている。建国わずか二百数十年で,これだけの道路が建設されているということが,私には驚きである。
 走っていると,時折,橋の架け替えや道路の建設現場に遭遇することもある。橋の架け替えや舗装をしているときには,インターステイツでは予備の道路が作られていて,日本のように,車線が減ったりすることもないので,そこで渋滞に巻き込まれるということはほとんどない。
 また,道路の建設は,巨大な作業車が一挙に道路を開拓!(建設というよりも森林を切り崩し一挙に土砂を埋め,まさに「開拓」している感じ)し,道路ができると,白線も,巨大な車が自動的に引いていく…。
 まあ,それは,すごいものだ。
 また,一般道で,片側交互通行で工事をしていることもあるが,その際の片側交互通行の距離の長さが,また,すごいものだ。そして場合は,誘導のくるまを先頭にして,通行することになる。
 
 さあ,この旅で,このようにインターステイツを走るのもあとわずかである。都会に近づくにつれて,どんどんと車は増えてきて,やがて,マンハッタンの摩天楼が霧の中に見えてくるでろう…。期待でわくわくしてきた。
 きょうの私の行き先は,ニューヨーク市のマンハッタン区ではなく,それよりも東のブルックリン区であった。これまで,GPSでホテルを検索して,GPSの指示通り走っていたので,あとは,流れのまま走るのみであった。写真にあるように,私の車のフロントガラスに吸盤で接着されたGPSは,延々と単調な道路を表示し,走る方向を紫色で示している。そして,時折,思い出したかのように,あと〇〇マイル先右へ,とか誘導をする。
 このようにして,私の車は,ほとんど車の走っていない「タコニック・ステイツ・パークウェイ」を,ニューヨーク州の東の州境に沿ってどんどんと走っていった。
 やがて,2時間ほど南に走っていくと,インターステイツ84に差しかかった。そして,GPSはこのインターステイツに合流するように表示した。

 表示に従って,インターステイツ84の東向きに進路を変更した。インターステイツ84の東向きは,実際は,南東方向に走っていく。私は,インターステイツ84をニューヨーク州の州境の手前で,数キロメートル走って,今度は,インターステイツ684に進路を変え,南に走っていった。
 もし,インターステイツ84をこのまま走っていくと,この道はニューヨーク州を越え,やがては,コネチカット州に到達するのである。インターステイツ84,インターステイツ684を走って,どんどんとニューヨーク市に近づいていくにつれて,車は増え,次第に大都市に近づいて来たことを実感した。
 しかし,ボストン市に近づいて行ったときのような大渋滞という感じではなかった。中央分離帯と側道が幾分狭くなって車がひっきりなしに走ってはいるが,きわめて順調に流れていた。

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☆8日目 7月27日(土)
 この旅行も,早くも8日目になった。12日間の旅といっても,最後の2日は帰宅するだけだから,実質あと3日間である。
  ・・
 きょうの予定は,クーパーズタウンの野球殿堂博物館を見学して,その後,夕方までにニューヨークへ行って,ブルックリンに予約したホテルにチェックインする。その後,ジョン・F・ケネディ国際空港へ行ってレンタカーを返却して,そのままマンハッタンへ行って,ブロードウェイでミュージカル「シカゴ」を見てから,深夜ホテルに帰る,というものであった。
 そして,その翌日は,午前中,ハーレムでゴスペルを聴き,午後は,ヤンキースタジアムで松井の引退セレモニーがある試合を見て,夜は,マンハッタンの夜景ツアー。最終日は,自由気ままな市内観光といったタイトなスケジュールを組んであった。

 しかし,先に書いたように,一番晴れてほしい明日の天気が,なんと雨という予報だったので,予定を変更して,すでに昨日,クーパーズタウンの野球殿堂博物館へ行った。
 そこで,予定を変更して,今日は,できるだけ早くニューヨークへ到着して,とにもかくにも,午後1時から始まるニューヨーク・ヤンキースの試合を見ようと思った。
 あす晴れればいいが,もし,雨で中止になってしまったら後悔する,と思った。そこで,ボストンで当日試合を見たことを思い出して,ニューヨークでも同じようにしようと考えた。
 今日の試合のチケットは持っていなかったが,まあ,きっとなんとかなるであろう。
 これまでは自他ともに認める晴れ男なので,雨が降るなんていう心配をしたことがなかったが,今回の旅行でレッドソックスの試合が雨で中止になって,自信がなくなった。
 どうやら,その日次第の気分で気ままに旅をするつもりなのが,いつのまにか,よくばりな日本人の旅行になってしまっているようだ。困ったものである。

 泊まったホテルには朝食が付いていた。
 このホテルは,特に何という特徴もなかったが,たいへん居心地がよかった。朝食も,ドーナッツがあったり,バナナやリンゴがあったりした。ホテルによっては,朝食といっても名ばかりのところもあるから,大満足であった。
 朝,午前5時半起床。外は朝霧で幻想的な景色であった。部屋を出て,フロントのとなりにある食堂で景色を眺めながら食事を取った。まだ,朝早く,きっと,朝食を食べたのは,宿泊者の中で,私が一番早かったであろう。

 食事の後,さっそくチェックアウトをした。ここを出発してから3時間くらいでニューヨーク市に到着できそうであったが,ニューヨークについてからが大変で,ブルックリンホテルにチェックインをしたり,レンタカーを返却する必要があるから,午後1時の試合開始に間に合うかは微妙なところであった。
 郊外のフリーウェイは快調に走ることができるのだが,都会に入ると交通渋滞などにかかる恐れもあり,ホテルの場所を探すのに戸惑う恐れもあるので,時間が読めないのだ。
 フロントでは,昨日チェックインした時のナイスガイが応接のソファで寝ていた。チェックアウトだというと,起きてきて,キーを受け取った。このアメリカらしいけだるさといい加減さも,また,小気味いい。日本で,こんな風にして,車に乗って,思いっきり渋滞のない高速道路をドライブして,好きなときに好きな場所で安価で泊まって,…なんていう旅行をすることなんでできないであろう。
 
 地図を見ると,ホテルを出発して,ホテルの前のインターステイツ90を西に5キロメートルくらい走ると,そのまま南へ行くインターステイツ87があって,その道をひたすら走ればニューヨーク市へ行くことができるようであった。
 そこで,ホテルを出て,インターステイツ90を西に走ると,すぐに料金所のゲートがあるので,それを越えて走っていったのだが,インターステイツ87まで行かなくても,途中でニューヨークという道路標示があるフリーウェイがあった。
 その道は片側2車線のできたばかりのような快適な道路であった。不思議だったのは,行きかう車がほとんどなかったことで,この道は僕のもの,世界は私だけのもの… みたいな,快適すぎるドライブであった。この道の名前は,「タコニック・ステイツ・パークウェイ」と書いてあった。

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