


龍安寺の後は,仁和寺に行きました。仁和寺といえば,徒然草ですがどうしてでしょう?
有名な徒然草の第52段。高校で習います。
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仁和寺にある法師,年寄るまで石清水を拝まざりければ,心憂くおぼえて,あるとき思ひ立ちて, ただ一人徒歩よりまうでけり。極楽寺,高良などを拝みて,かばかりと心得て,帰りにけり。さて,かたへの人に会ひて,「年ごろ思ひつること,果たしはべりぬ。聞きしにも過ぎて,尊くこそおはしけれ。そも,参りたる人ごとに,山へ登りしは,何事かありけむ。 ゆかしかりしかど,神へ参るこそ本意なれと思ひて,山までは見ず。」とぞ言ひける。少しのことにも,先達はあらまほしきことなり。
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この徒然草で,「仁和寺」を私も覚えました。徒然草は,ドナルド・キーンさんによって英訳もされています。
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Between 1330 and 1332 the Buddhist priest Kenko, having, as he put it, "nothing better to do," turned to his ink stone and brushes. He jotted own his thoughts, observations, and opinions; anecdotes that he found interesting, amusing, or instructive; accounts of customs and ceremonies--everything that seemed to him worthy of preservation.
The little essays--none of them more than a few pages in length, and some consisting of but two or three sentences--give us the self-portrait of a most engaging gentleman. He is consistent in his statement of the peculiarly Japanese aesthetic principle: beauty is intrinsically bound to its perishability.
The imperfect, the irregular, the understated, beginnings and endings--these have a charm of their own which surpasses that of completion.
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仁和寺は右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院で,山号を大内山と称します。本尊は阿弥陀如来,開基は宇多天皇です。世界遺産に登録されています。ここは門跡寺院で,出家後の宇多法皇が住したことから「御室御所」と称されました。そして,明治維新以降は「旧御室御所」と称するようになりました。
御室桜の名所としても知られています。また,宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元でもあります。
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私たちが行ったときに遭遇した珍しい出来事というのは,この仁和寺に神主さんがご挨拶に見えたということでした。神主さんとお寺⁉ 私はちょうど神主さんが山門を入られるのに遭遇してびっくりしたのですが,それを見ていた地元の人がいたので,どういうことか聞いてみました。
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仁和寺の隣にある福王子神社は,第58代光孝天皇の皇后である班子女王(桓武天皇の孫娘・宇多天皇の母)を祭神としてお祀りしてあるということです。宇多天皇が仁和寺を開かれたことから,福王子神社は仁和寺の鎮守神とされていて,仁和寺から譲渡された神輿の巡行が大祭の10月の第三日曜日に行われて,福王子神社から出たお神輿が仁和寺の仁王門駆け上がるのだそうです。
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その10月の第三日曜日というのが,私たちが行った日の翌日でした。そこで,あすこちらへ伺います,というご挨拶だったというわけです。
このめずらしい行事は,京都の観光タクシーの運転手さんでも知らない人が多いという話でした。
このような格式高き仁和寺の法師さんだからこそ,徒然草の寓話が意味を持つというものです。