しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

タグ:まったりと紅葉の木曽路を楽しむ

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 木曽路を訪れると,いつもは旧中山道を1宿間歩きます。今回はそうした予定はなかったのですが,宿泊先に向かう間に時間があったので,宿場間の移動は車にして,旧中山道の宿場歩きを楽しむことにしました。

 巴渕から南に行くと,宮ノ越宿になります。宮ノ越宿は中山道36番目の宿で,宿内家数137軒でした。うち本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠21軒で,宿内人口は600人ほどでした。
 前回来たときは,ここにあった義仲館に行きました。義仲館は源義仲の生涯を人形や絵画を使って紹介した展示がある博物館でした。
 今回は,宿場の中心あたりを少しだけ歩いてみました。前回行かなかった本陣跡が公開されていたので入ってみました。1883年(明治16年),旧中山道宮ノ越宿は大火にあい,90軒の家が燃えてしまいました。この大火で本陣の主屋部分も焼失しましたが客殿部分は焼失を免れました。木曽11宿の中でたった1宿残されたこの客殿部分は再生され,2016年(平成28年)から一般公開されているのです。
 私のほかに観光客はだれもいませんでした。本陣の中には宮ノ越宿の年代別の宮越宿割図の複製等が展示されていました。

 宮ノ越宿を出て,旧中山道を南に走ると,中山道の中間地点に着きました。ここが旧中山道六十七次のちょうど中間地点だった場所です。当時の人はこの碑をみて,「やっと半分来た…」と思いながら木曽の山々を眺めたことでしょう。
 中山道は山間部を通るため東海道に比べて歩くのが困難なようですが,実際に歩いてみると,東海道も箱根峠,鈴鹿峠に加えて,橋のない大井川などがあって,それなりに大変で,しかも,水嵩が増すと川止めになってしまい予定が立たないので,むしろ中山道のほうがその点では楽だったといいます。
 東海道と中山道は距離は中山道の方がずいぶん遠回りに思えますが,実際は40キロメートルくらい中山道が長いだけです。

 さらに南に民家のある旧中山道の狭い道路を進むと,いよいよ福島宿に到着します。
 福島宿は中山道37番目の宿場でした。福島宿の宿内家数は158軒,うち本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠14軒で宿内人口は約1,000人でした。
 この地は,戦国時代には領主木曽氏の城下町として,江戸時代には木曽代官山村氏の陣屋町として栄えました。
 福島宿の北側の入口には箱根,新居,碓氷,福島の四大関所のひとつ福島関所が設けられていました。福島関所跡は発掘調査により番所敷地及び門,塀,棚等の配置が確認され,1979年(昭和54年)に「江戸幕府の交通政策史上における遺構として極めて重要なものとして旧中山道に接する家中屋敷部分を含め関所跡」として「福島関跡」の名称で国の史跡に指定されました。
 現在は,発掘された遺構の一角に関所が復元され,資料館として往時の姿を物語る用具類などが展示されています。前回,私はそこに訪れたので,今回はパスして,さらに進みます。

 福島宿は,宿場であった上町,下町は1927年(昭和2年)の大火で焼失してしまったので,残念ながら現在は古い建物は残されていませんが,地形や道路から往時をしのぶことができます。また,上之段地区にだけ江戸時代末期の建造物が所々残っており,往時の面影をとどめています。
 町中の観光客の駐車場に車を停めて,上之段地区に向かいました。私は,このあたりの雰囲気が好きです。まず,高札場が出迎えてくれます。その先は,件数は多くはないのですが,古い木造家屋やなまこ壁の土蔵が残っています。また,新しい建物の中には景観に配慮した外装になっているものもあります。町のあちこちに水場があり,道端の水路にもきれいな水が勢いよく流れていて木曽の水の豊かさを感じることができます。
 往時の暮らしに思いを馳せながら散策し,町の雰囲気を味わうのに最高です。
 私は,馬籠宿やら妻籠宿のような観光地化されたところよりもむしろこうした場所のほうが好きですが,多くの日本人の旅というのは,食事をし土産を買い,ということが主になってしまうので,人が少ないところは次第にさびれていってしまうのが残念です。

💛

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 源義仲(木曾義仲)と巴御前のことを知らないと,木曽路の旅はそのおもしろさが半減します。
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 巴御前は平安時代末期の女性で,「平家物語」によれば源義仲に仕える女武者とあります。また「源平闘諍録」によれば樋口兼光の娘であり,「源平盛衰記」によれば中原兼遠の娘で,源義仲の妾とあります。
 「平家物語」では「木曾最期」の章段だけに登場し,木曾四天王とともに源義仲の平氏討伐に従軍し,源平合戦で戦う大力と強弓の女武者として,次のように描かれています。
 「木曾殿は信濃より,巴・山吹とて,ふたりの便女を具せられたり。山吹はいたはりあって,都にとどまりぬ。中にも巴は色白く髪長く,容顔まことに優れたり。強弓精兵,ひとり当千の兵者なり」
 宇治川の戦いで敗れ落ち延びる義仲に従い,最後の7騎,5騎になっても討たれなかったといいます。
 源義仲は「お前は女であるからどこへでも逃れて行け。自分は討ち死にする覚悟だから,最後に女を連れていたなどと言われるのはよろしくない」と巴を落ち延びさせようとします。巴はなおも落ちようとしなかったのですが,再三言われたので「最後のいくさしてみせ奉らん」と言い,大力と評判の敵将・御田八郎師重が現れると,馬を押し並べて引き落とし首を切り,その後,巴は鎧・甲を脱ぎ捨てて東国の方へ落ち延びた所で物語から姿を消すのです。
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 源義仲ゆかりの地である宮ノ越宿の少し北側,旧中山道沿いに巴淵があります。歴史漂うこの淵は、巴状にうずまいているので,巴淵と名づけられました。
 巴淵は武勇に長けた麗将として有名な巴御前にちなんだ深淵でもあり,伝説には,この淵に住む龍神が源義仲の養父中原兼遠の娘として生まれ,巴御前に化身して源義仲の愛妾として彼の生涯を守り続けたといわれています。 巴御前はここで水浴をし,泳いでは武技を練ったとか。
 巴淵のある山吹山一帯は、この時期,全山を紅葉が鮮やかに染めます。岩をかみ巴状に蒼くうずまく淵と四季折々の花木の織りなす風情は一見に値するものがあって,とてもきれいでした。以前,NHKBSPの「にっぽん横断こころ旅」で火野正平さんも訪れていた地です。

 巴淵の石碑の右側には次の許六の句が刻まれています。
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 山吹も巴もいてゝ田うへ哉
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 これは「韻塞」に収録されている句です。1693年(元禄6年)5月,許六は江戸から木曽路を通って彦根に帰ります。芭蕉は許六が帰郷の折に次の餞別の句を贈っています。
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 旅人のこゝろにも似よ椎の花
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 1891年(明治24年)5月,正岡子規は木曽路の旅をします。このときの様子を「かけはしの記」に次のように記しています。
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 日照山徳音寺に行きて木曾宣公の碑の石摺一枚を求む。この前の淵を山吹が淵巴が淵と名づくとかや。福嶋をこよひの旅枕と定む。木曾第一の繁昌なりとぞ。
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💛

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 開田高原を出て,国道19号線に入り北に向かい,木曽福島を過ぎさらに北に進み奈良井に近づくと,木祖村に入ります。この村のウリは「木曽川源流の里」です。
 私は小学校の低学年のころ,夏休みの自由研究で「木曽川を源流から河口まで」というのに取り組みました。とはいえ,実際に行くわけにも行かず,単に本で調べたことを書き写しただけのことでした。何せ,インターネットもなかった時代,調べるといっても百科事典からのパクリにすぎませんでした。
 もし,理解のある親なら,それでも,寝覚めの床などに,車がなければ電車で連れて行って,川の石の形状の違いくらいは実際に見てくることもできたのでしょうが,残念ながら私の親には,日ごろ勉強しろと言う割にはそんな興味も情熱もなかったので,完全に孤立無援でした。
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 子供のころに考えたことはいつまでも忘れないものです。車を走らせていて,木曽川源流の里という看板を見つけて,そうか,この村に木曽川の源流があったのか,と妙に感動しました。

 ところが,「木曽川源流の里」と村のウリをうたいはしてもそれだけのことで,そうした類の博物館への道案内があるわけでもなし,そこがどこなのかという目立った案内があるわけでもなしということで,私はがっかりしました。
 しかし,しばらく走っていくと,観光案内の大きな地図がありました。それを見ると,どうやら,木曽川は国道19号線を左折して西に,山を登っていったところに源流があるらしいことがわかりました。源流の近くに味噌川ダムというものがあって,そのダム湖の東側を道路が伸びていて,その先にある標高2446.6メートルの鉢盛山が木曽川の源流だということを知りました。
 そこで,味噌川ダムを目指して走っていきました。

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 味噌川ダムは木祖村の木曽川に建設された高さ140メートルのロックフィルダムです。洪水調節,不特定利水,上水道,工業用水,水力発電を目的とした水資源機構の多目的ダムで,ダム直下では利水放流水を利用して水力発電を行っています。この奥木曽発電所は最大4,800キロワットの電力を発生できる長野県企業局の発電所です。
 今は川は伊勢湾まですべてを木曽川とよぶのですが,かつては,鉢盛山から流れ出た小さな川が木祖村の小木曽というところで笹川と合流し,それを味噌川といいました。それは,古くは木曽川を「曽川」といったことから、源流地域では「未だ曽川でない」といういい方があり,それで「未曽川」といっていたらしいからですが,それがいつの間にか「味噌」の字になっていったということだそうです。
 そこで,このダムを味噌川ダムというわけです。
 ダム湖の名は奥木曽湖で,面積は1.4平方キロメートルあります。右岸にはダム管理所,左岸には「木曽川源流ふれあい館」という名前の味噌川ダム資料館があります。
 味噌川ダム建設によって水没した世帯はなかったものの,有数の木曽ヒノキの産地でもある木祖村のヒノキ林が水没することから,当時の木祖村長が補償をめぐって水資源開発公団や建設省,下流受益自治体と交渉し,愛知県,岐阜県から補助金を支出してもらうということで解決したのだそうです。
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 このダムの周囲は道路があるのですが,東側の道路は落石の危険があり,通行止めとなっていました。西側の道路のほうはダム湖に沿って先に進むことができて,奥木曽湖の先にはある奥木曽大橋までは自由に行くことができました。通行止めとなっている東側の道路のほうはそれを進むと木曽川の源流まで林道が通じているらしいのですが,許可がないと行くことができないということでした。
 「木曽川源流ふれあい館」に入ってみました。館内にはさまざなま展示があって,かつて木曽川源流にあった昔の碑の本物と木曽川源流の場所の写真もあって,興味深くそれを見ることができました。また,「木曽川源流ふれあい館」から先小高い山の上に展望台があって,そこまで車で行くことができました。展望台からは中央アルプスの峰々が見渡せ,ダムとダム湖である「奥木曽湖」を同時に一望できました。
 こうして,木曽川の源流はどこなのだろう,という子供のころの疑問が解決して,私はとてもうれしくなりました。

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💛

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 今日の写真は開田高原です。高原という言葉に弱い私ですが,日本には私のイメージする空の広い高原はほとんどありません。しかし,開田高原は私のイメージする高原に近い場所です。
 たとえば,八ヶ岳山麓とか野辺山とか軽井沢もまた,イメージとしてはよいのですが,そうした有名な観光地でなく,ちょっと地味な,落ち着いた場所であることが,さらに魅力的で,私にはこころ休まります。
 本当にいい場所です。
 こうした場所で時間を忘れてボ~ッとしていたいと思ったりするのですが,おそらく私にはそれができません。ボ~ッとしていたいという気持ちとは裏腹に,いつも何かをしていないと気が休まらないという複雑な性格だからです。
 このような場所に住んで,お昼間は音楽を聴きながら読書に勤しみ,夜は満天の星を楽しむ… そんな生活をしてみたい,という願望があるのですが,それもまた,おそらく,そのような生活が実現したら,3日で逃げ出してしまうことでしょう。
 そんな自分に手を焼くのです。
 ところで,開田高原は標高が1,100メートルから1,300メートルと高く,真夏でも平均気温が18度という爽やかな高原で,雄大で美しい御嶽山を見ることができる場所です。こんな場所なら住んでみたいと思う数少ないところなのですが,実際住んでみると,この寒さが耐え難いのだそうです。

 それはさておき,開田高原は木曽馬のふるさとです。そこで,それにちなんで,ここには約50ヘクタールを誇る「木曽馬の里」があって,数少なくなった木曽馬を守り育てながら自然の中で木曽馬と人が触れあい,忘れかけていたふるさとの景色,風,文化を肌で感じることができるという場所になっています。日本にこんな場所があるのか! というすてきなところです。
 この木曽馬の里ですが,民間なのか公営なのか,私にはいまひとつよくわかりませんでした。だれでも自由に中に入れるし,特に入園料というモノもない不思議なところです。調べてみると,運営主体は財団法人の開田高原振興公社で,施設運営の予算については木曽町の一般財源と助成金からなっていて,木曽町から年間 1,700 万円の予算が計上され1,000 万円ほどの売り上げがあるそうです。

 この施設の中にある,おみやげとお食事センターの一本木亭は私の大好きな場所です。
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 信州にそば処数あれど「開田のそばは色は黒いが味は良い」とだれかがいったとかいわないとか…。開田高原は,朝晩と日中との寒暖の差が激しく,夏場はよく霧が出ます。この霧の下で育ったそばを霧下そばといい,それはおいしいそば蕎麦の条件のひとつです。また,開田の女性はそばが打てないと嫁にも行けないとか…。
 ということで,木曽馬の里では毎年約1ヘクタールの畑にそばを栽培しています。
 ここでは,そんなそばを味わうだけでなく,そば道楽体験道場で村の名人たちに直にそば打ちを教えてもらい,自分で打ったそばを味わうこともできます。
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 前回来たときは美しい御嶽山を見ることができたのですが,今回は残念ながら曇っていて,あいにく山頂を見ることはできませんでした。しかし,前回と変わらず,おいしいおそばを食することができました。

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 今年も忘れずに秋が来ました。
 日ごろあまり世間とは関わりがないのでついつい忘れがちになるのですが,世の中はおかしな病禍がいまもだらだらと続いているようで,今もって海外旅行もできません。私も,本来ならこの時期はチェコのプラハに行くことにしていたのですが,それもかないませんでした。しかし,その反対に,Go To トラベルとやらで,安価に旅行ができることと海外に行くことができないことで,裕福層が国内の高級な宿泊施設を予約して旅行を楽しんでいるようです。
 私は豪華な温泉旅館旅館に宿泊して大浴場でゆったりしたり,食べきれないほどの食事を味わうような趣味もなく,ツアー旅行をする気もなく,また,寂しん坊でありながら人嫌いという困った性格なので,自分でも身の置き所がないのが悩みです。しかし,めっきりすずしくなったこのよい時期に家に籠っていてはもったいないという気になって,いつものように,人の少ないところを選んで,秋の紅葉を味わいに出かけることにしました。
 …ということで,10月15日木曜日から10月16日金曜日にかけて,木曽駒高原まで車で出かけて,いつもの定宿で1泊です。
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 こうしてさらに人の少ない郊外に出かけると,日本はもともと国土が狭いのに山ばかり,なのにやたらと人が多いので,どんな山奥までも,少しでも土地があれば人が住んでいるのにあきれるというか,感心します。よくもまあこんな崖っぷちに,というところまで家が建っています。そこに住み着いた必然性というか,そうしなければならなかった歴史的な経緯がいろいろあると思うのですが,ともかく,すごいものです。

 これまでは中津川まで高速道路で行ってそこから国道19号線を走ったのですが,今回はいつもと趣向を変えて,飛騨川沿いを走り,下呂を過ぎ飛騨小坂まで行って,そこから右折して木曽路に向かうことにしました。
 以前,高山には車で行ったことがあるのですが,東海北陸道経由だったので,飛騨川沿いの国道41号線は走ったことがありませんでした。結構近いところでも知らない場所が多いものです。
 ところが,飛騨小坂で右折して入った道路のどれも,少し前の豪雨災害の影響が残っていて,途中で通行止めになっている箇所がいくつかあって,行きどまりばかりでした。まるで迷路のようで,どこを進めば木曽路に行けるのかさっぱりわかりません。車のカーナビは突然この先通行止めという標示が現れるので頼りにならず,かといって,iPhone の Google Maps を頼りに走っていくと,これもまた通行止めが反映されておらず,なんど行きどまりにであって引き返したことか,…という感じで,なかなか木曽路に行くことができませんでした。それでもなんとか国道361号線に出ることができたので,どうにか開田高原までたどりついてほっとしました。ここまで山深くなると,昨年走ったオーストラリアのド田舎の山道を思いだしました。日本にもこんなところがあるんだあ,と感慨深くなりました。
 ともかく,気温は9度しかなく,もう,晩秋といった感じでした。

 幾度かの通行止めには参りましたが,途中で角の生えた大きなシカには遭遇するし,サルは駆けまわっているし,さすがにクマは見ませんでしたが,走っていてなかなか楽しい道路でした。しかしまあ,オーストラリアのド田舎と違って,日本という国は,どんな山奥に行っても,なんらかのリゾート開発をした跡があるのです。その多くはすでに廃墟と化しているし,現存していてもさびていているものばかりでした。まったくもっていただけません。
 おそらくそれらはバブル景気のころに開発したのでしょうが,都会から行くのに3時間もかかるような場所に,しかも,行って何か楽しみがあるわけでもないところにリゾートを作ったところでうまくいくわけがないことくらい,はじめっからわかりそうなものなのに,と思います。おまけにゴルフ場でもこしらえたなら,もう絶望的です。こうして,日本中,いたるところで自然が破壊され,その結果,自然災害が起き,餌場を失くした動物が集落までおりてきてしまうのでしょう。
 日本はそんななさけない国だということは,今さらここで愚痴ってもはじまらないのでそれには目をつぶり,遠くの山々を見渡すと,色づいた紅葉の美しさにこころが癒されました。
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 奥山にもみぢふみわけ鳴く鹿の
 こゑきく時ぞ秋はかなしき
   猿丸大夫
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