しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:よみがえったシュミットカメラ

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 少し前のことになってしまいましたが,このブログで,世界で再び活躍しはじめた3台のシュミット望遠鏡について取り上げました。その話題の最後に,今日は,アマチュア用のシュミット望遠鏡について書いておきましょう。こちらのほうは今もよみがえっていませんので,そうした願望と懐かしさを込めて,です。
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 かつて,広瀬秀雄という東京大学の教授で東京天文台の台長さんがいました。私が持っている著書は,1975年(昭和50年)に中央公論社の自然選書で出版した「望遠鏡-美しい星の像を求めて-」という本ですが,それより27年も前の1948年(昭和23年)に「シュミットカメラ」という本を著した人です。
 この時代,視野の広い天体写真儀として考えられたのはシュミット望遠鏡のほかになく,広瀬秀雄教授が主体となって作られたのが,日本の天文学者が熱望した東京大学木曽観測所のシュミット望遠鏡でした。

 同じころ,天体写真がブームとなったアマチュア天文愛好家もまた,それに感化されて,シュミット望遠鏡にあこがれました。そして,日本特殊光学という会社が,ついに,アマチュア用のシュミット望遠鏡を発売しました。
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 愛知県幡豆郡に天体機材メーカー「理科教材社」がありました。この会社の創業者である山田坂雄さんがハイレベルアマチュアのためにはじめたのが,シュミット望遠鏡の研究開発でした。
 それまで,シュミット望遠鏡は補正板の研磨が困難なために量産品の実用化は不可能と考えられていたのですが,ついに成功し,1977年(昭和52年)に日本特殊光学(JSO)を設立し,売り出しました。発売当初,高い評価を受けたのですが,残念ながら創業者の後継がなく,会社は廃業しました。
 とはいえ,この会社を創業したときに山田坂雄さんはすでに59歳で,しかも個人経営に近く後継者がいないとなっては,企業として成り立つものではありません。
 天体望遠鏡の会社というのは,そのほかにも愛知県刈谷市にあった旭精光研究所などもまた,個人経営のような会社だったから経営者の趣味の域を出ていないようなものでした。
 古きよき昭和の時代ならともかく,今の時代には,もうそんな会社の存在は困難でしょう。
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 シュミット望遠鏡の特徴は視野が広いことと画像の周辺までピントがきちんと出ることとFが明るいことです。一般の望遠レンズで星を写すと,中心部はともかく周辺までピントが合うようなレンズは,当時はありませんでした。天体は「点」なのでとてもシビアなのです。レンズは光が通過したときにコマ収差,色収差などさまざまな収差ができて,特に,焦点距離が短いレンズほどそういった収差が大きいのです。今は,特殊な光学ガラスを使ってそれを克服しているのですが,値段が高くなります。私の使っているような安価な望遠レンズだと,周辺の星は丸く焦点せず,矢印のようないびつな形になってしまいます。
 シュミット望遠鏡はこうした欠点を補うことができたわけですが,しかし,短所は焦点距離の割に大きいことと使い勝手が悪いことでした。特に,像を結ぶ焦点が平面でなく球面になるので,焦点板(当時はフィルムを使っていました)を球面に加工しなければならないのです。現在の天文台のシュミット望遠鏡はディジタル化されているのでフィルムは使いませんが,焦点板に使うCCD受光素子を球面に配置してあります。
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 日本特殊光学が当時発売したNTP16Bというシュミット望遠鏡は,口径が160ミリメートルで焦点距離が400ミリメートル,つまりF2.5と明るいものでした。焦点部分,つまり筒の真ん中にフィルムをセットしました。フィルムは市販のものは使えないので,平版の大きなフィルムを暗室や暗箱で手作業で丸くカットして,それを球面に湾曲させ,専用の丸い金属ホルダーに入れました。
 また,普通の望遠鏡やカメラでは,レンズや鏡は「筒」に直接取りつけるのですが,シュミット望遠鏡は気温の変化によるピントのずれが著しいので,それを防ぐため,多少の温度変化では延び縮みしないインバーという特殊な金属棒でつなげ,筒から独立した構造になっていました。そして,筒の横の覗き穴から100分の1ミリメートル単位でメモリの数値を見て試写し,データと照らし合わせてピントを出しましたが,それを行うには,シュミット望遠鏡は眼視ができないので,眼で見てピントを合わせることが不可能でしたから,いろいろと状況を変えて試写を繰り返してデータを集め,いちいちピントを合わせていました。
 とまあ,書いているだけでも気が遠くなる作業です。こんなに手間をかけなけらばならないので,この機材を使いこむことができた人は,ひとりいたかいなかったかだったという話です。
 一体,何台のアマチュア用のシュミット望遠鏡が製造され,その中で現物が何台現存しているのでしょうか? 私は見たことがありませんし,現物の写真すらほとんどありません。
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 現在は,レンズの性能が格段によくなったこととディジタルカメラになったことで,広い視野が得られ,かつ,周辺まで星が点像になるものが製品化されているから,シュミット望遠鏡のような大変なものは必要ありません。しかし,考えてみれば,天文台のシュミット望遠鏡のように,フィルムを使わないで,焦点板にCCDを球面にして配置して固定すれば,いちいちフィルムを入れ替える必要もなく,また,簡単に写した画像が確認できるから,シュミット望遠鏡の欠点はすべて補えるわけです。そこで,当時のシュミット望遠鏡をディジタル化すれば,結構おもしろいものができそうです。

 なお,シュミット望遠鏡によく似たライトシュミット望遠鏡というものがあります。
 シュミット式望遠鏡では補正板の製作が難しいこと,焦点の像面が湾曲すること,全長が焦点距離の倍になること,焦点面の位置が取り扱いに不便であること,といった短所を軽減するために編み出された光学系です。これは,アメリカのF・B・ライト(F.B.Wright)とフィンランドのユルィヨ・バイサラ(Yrjö Väisälä)が,補正板を主鏡に近づけ,焦点が補正板の中心と一致する場合について独立に研究し,主鏡を楕円の短軸を回転軸とした回転面,すなわち偏球面にすることを思いついて実用化したものです。
 ライトシュミット望遠鏡は,扱いが簡便であり周辺像も極端な悪化をしないといった長所があります。しかし,シュミットという名前で誤解をしますが,これはシュミット望遠鏡とはまったく違うものです。実際,像が全体的に甘く,コントラストも低いという欠点があり,私も,一時手に入れましたが,すぐに失望して手放してしまいました。

💛

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 引き続き,現在も使われているシュミット望遠鏡の紹介をします。
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 今なお現役で最も口径の大きいシュミット望遠鏡は,前回書いたパロマ天文台の口径126センチメートル「サミュエル・オシン望遠鏡」(The Samuel Oschin telescope)ですが,その次がオーストラリアのサイデンスプリング天文台にある口径124センチメートルの「UKシュミット式望遠鏡」(UK Schmidt Telescope)です。そして,それに次いで東京大学木曽観測所にある口径105センチメートルのシュミット望遠鏡となります。
 今回はその中で,まだこのブログで取り上げられていないサイデンスプリング天文台のシュミット望遠鏡について書きます。

 パロマ天文台と木曽観測所のシュミット望遠鏡は雑誌などで多くの写真が掲載されているので,子供のころから親しみがあるのですが,サイデンスプリング天文台のシュミット望遠鏡は謎でした。どういう形をしているのか,写真ですら見たことがありませんでした。
 私は,2018年と2019年の2回もサイデンスプリング天文台に行く機会がありました。しかし,パロマ天文台もそうですが,サイデンスプリング天文台もまた,最も大きい口径3.9メートルの反射望遠鏡は公開されているので見ることができますが,シュミット望遠鏡は一般には公開されていません。しかし,サイデンスプリング天文台の展示室にこの望遠鏡のことがパネルで紹介されてあったので,私はこの望遠鏡について知ることができました。
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 それにしても,木曽観測所が名古屋から車で2時間,パロマ天文台もまた,サンディエゴから車で2時間もあれば行くことができるのに比べて,サイデンスプリング天文台は都会からかなり遠いのです。この天文台のあるのは私の好きな町クーナバラブランですが,クーナバラブランは最も近い都市であるシドニーまでは,なんと500キロメートル近くもあり,車で5時間30分もかかります。オーストラリアは雄大過ぎるのです。

 この天文台にある口径124センチメートルF2.5 のシュミット望遠鏡は「UKシュミット式望遠鏡」といいます。望遠鏡の外形はパロマ天文台の「サミュエル・オシン望遠鏡」に非常によく似ています。
 「UK」というのはイギリスのことですが,それはもともと,この望遠鏡は1973年にイギリスによって建設され運営されていたためです。1988年にオーストラリア天文台と合併され,2010年にイギリスが撤退したので,現在はオーストラリアが運営しています。
 南半球にあることから,南天の星空の調査に使われています。
 当初は,35センチメートル四方の正方形のガラス製の写真乾板に6度角四方の視野から像を結んだ写真を,宇宙望遠鏡科学研究所によってディジタルスキャンして, ハッブル宇宙望遠鏡のガイドスターカタログとデジタイズドスカイサーベイを作成するのに使われていました。
 この望遠鏡もまた,ほかのシュミット望遠鏡同様,1990年代後半に大規模な電子CCD検出器に置き換えられました。さらに,2000年以降は,シュミット望遠鏡の優れた光学系と広い視野を生かして,6度という広い視野をもつシステム(=6dFシステム)が構築されました。このシステムで,100個以上の天体のスペクトルを同時に取得できる「多物体光ファイバ分光装置」として活用されています。
 また,2001年から2005年にかけて「6dF Galaxy Survey」プロジェクトを実施し, 南天全体で120,000を超える銀河の赤方偏移を測定し,その中で最も明るい10,000の銀河についてより詳細な測定が行われました。また,2003年から2013年にかけては,銀河の約50万個の星について半径方向の速度と物理パラメーターを測定しました。
 さらにその後,この望遠鏡はリモート操作が行えるように改造され,新しい調査プロジェクトがはじまっています。
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 このように,私が知らなかっただけで,このシュミット望遠鏡は南半球に設置されている利点を生かして,今も充実した研究に使用されているのです。

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 以前,東京大学木曽観測所のシュミット望遠鏡について書いたこのブログに,
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 最も口径の大きなシュミット望遠鏡は1960年,ドイツのカール・シュヴァルツシルト天文台(Karl Schwarzschild Observatory )に作られた口径134センチメートルのものでしたが,現在は使われていません。
 その次に大きいのが,1949年アメリカのパロマ天文台に作られ,現在「サミュエル・オシン望遠鏡」(The Samuel Oschin telescope)とよばれている口径126センチメートルのものです。現在は写真乾板をCCDに変えて,準惑星の発見などに活躍しています。
 そして,3番目がオーストラリアのサディングスプリング天文台にある口径124センチメートルの「UKシュミット式望遠鏡」(UK Schmidt Telescope)で,その次が,この木曽観測所にある口径105センチメートルのシュミット望遠鏡です。
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と書きましたので,今回はパロマ天文台のシュミット望遠鏡について書きます。

 この6月に念願かなって訪れたパロマ天文台には,1948年に完成した口径200インチ(5.08メートル)の反射望遠鏡のほかに,同じく1948年に完成した「サミュエル・オシン望遠鏡」があります。
 天体観測の方法が変わって使いみちがなくなっていたこのシュミット望遠鏡の広い視野を使って,数多くの太陽系外縁天体(TNO)を発見したのが,マイケル・ブラウン博士(Michael E. Brown)でした。
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 「サミュエル・オシン望遠鏡」は「オシン・シュミット」ともよばれています。このシュミット望遠鏡の名前は起業家で慈善家であったサミュエル・オシン(Samuel Oschin)にちなみます。サミュエル・オシンは,1914年,オハイオ州デイトンでユダヤ人の家庭に生まれました。10歳のときから彼は煙突の清掃作業という仕事をはじめました。その後,デトロイトの「ブリッグス・マニュファクチャリング」に就職し,第二次世界大戦中にアメリカ陸軍と空軍に飛行機の部品を供給する大規模な契約を獲得しました。そして,戦後は帰還兵からの需要の増加をサポートするために工場を家具の製造に変換しました。さらに,1946年にロサンゼルスに移住しエアコン事業をはじめ,その次には,住宅需要を見て不動産開発と建設会社を開始しましした。その後,カリフォルニア州パコイマで貯蓄ローン協会を購入し、州全体で27の支店に成長させました。 
 こうして,製造業,銀行業,投資業,不動産開発と立て続けにビジネスを成功させたしたサミュエル・オシンは財団を設立し,天文学,医学,教育,芸術など多くの分野で慈善活動を行いました。彼のパロマー天文台への寛大な寄付によって,このシュミット望遠鏡は彼の名前がつけられたのです。
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 いつも思うのですが,アメリカは,カーネギーにしろ,ローウェルにしろ,人生で成功を収めた人がすることは日本のそれとはまったく違います。

 「サミュエル・オシン望遠鏡」は,1948年に造られた当初は,10インチ×14インチの写真乾板を使用していました。1980年代半ばには補正板を色収差の少ないガラスに置き換えられ、より高品質の画像が生成されるようになりました。
 この望遠鏡が行っているプログラムのひとつに地球近傍小惑星追跡プログラム(Near-Earth Asteroid Tracking=NEAT)があります。これは,2001年秋からはじまった天の赤道付近の帯状領域のマッピング観測を行う「Palomar Quasar Equatorial Survey Team =QUEST Variability survey」(QUEST変光サーベイ)です。
 この探索プロジェクトで使用するために,2000年以降,東京大学木曽観測所のシュミット望遠鏡同様,写真乾板はCCDカメラに置き換わり,同時に補正板もより広い範囲の波長に透明なガラスに交換されました。最初に搭載されたCCDカメラは3つの別々の4K×4Kセンサーを南北線に配置し,総視野は3.75平方度で,近地球小惑星を捜索(NEAT)する目的で使用されました。2003年から2007年にかけてクエーサーを観測するために,CCDを28個4列の112個で構成した2,400×600ピクセルの合計161メガピクセルのものに変更されましたが,それは当時画素数最大のCCDカメラでした。この新しいカメラで,2003年11月14日にセドナを発見,また,約40個のカイパーベルト天体を発見しました。
 さらに,2009年には,カナダ・フランス・ハワイ望遠鏡用に構築された12,288×8,192ピクセルの合計100メガピクセルのCCDカメラに変更されましたが,これは7.8平方度の視野しかありませした。そこで,2017年に,47平方度の視野をもつ16×6144×6160の合計606メガピクセルCCDカメラとなりました。 
 現在は,シュミット望遠鏡は完全に自動化され,リモートで制御されて,収集されたデータは高性能ワイヤレス研究教育ネットワークを介して送信されています。

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 一般のカメラがフィルムからディジタルカメラに変わったように,天文台の望遠鏡による写真もまた,写真乾板からCCD,そしてCMOSへと変わっていきます。
 しかし,問題だったのは,初期のCCDは小さく,せっかく望遠鏡が広い視野の像を結んでも,それを受けとる受光素子がなかったということでした。また,1台の望遠鏡のために特別に受光素子を開発できるものではないから,流用する必要がありました。しかも,シュミット望遠鏡の焦点は曲面なので,平面のCCDでは使えません。
 こうした事情で,シュミット望遠鏡の存在価値がなくなっていきました。視野が広いというのがシュミットカメラの特徴なのに,写した写真の視野が狭いのであれば,口径のより大きな反射望遠鏡にかなうわけがありません。そこで,シュミット望遠鏡は冷遇されるようになっていきます。当然,新しいシュミット望遠鏡も作られなくなりました。そのころは,パロマ天文台にあるサミュエル・オシン望遠鏡も遊んでいたといいます。

 こうして,写真乾板がディジタル画像素子に変わってから,より大きな素子の開発が急務となっていきました。
 木曽のシュミット望遠鏡も,1980年代後半からCCDを用いた観測装置の開発がはじまり,ついに,受光面積が小さいという欠点を補うためにCCDを複数並べるモザイクCCDカメラを完成させました。
 1987年に100万画素CCDカメラ(1K-CCD)を開発,1997年からはその後継にあたる400万画素CCDカメラ(2K-CCD) と近赤外線カメラ「KONIC」が搭載され,電子処理されたデータに基づいてコンピュータで解析を行うようになりました。
 2012年になると,さらに広視野化を実現した「Kiso Wide Field Camera=KWFC」が運用されるようになりました。これは,浜松ホトニクス株式会社製の2,000×4,000画素(800万画素)のCCDを8枚(6,400万画素)並べ,2度角四方が一度に観測できる世界最大級の広視野カメラでした。
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 ハワイ・マウナケア山頂にある日本のすばる望遠鏡には,2012年,最新鋭の「Hyper Suprime-Cam=HSC」(Subaru Prime Focus Camera)が開発され,直焦点に搭載されました。HSC は満月9個分(約5度角四方)の広さの天域が一度に撮影できるという世界最高性能の超広視野カメラです。独自に開発した116 個の浜松ホトニクス株式会社製CCD 素子を配置し,合計8億7,000万画素を持つ巨大なデジタルカメラとなっています。光学収差や大気分散を補正するための補正光学系はキヤノン株式会社によって製作されました。
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 そして,2014年から開発を開始し2019年4月に完成した最新の超広野カメラが「Tomo-e Gozen」です。名前は,木曽義仲とともに源平合戦で活躍したとされる女武者「巴御前」にちなんで名づけられたもので,まさに,木曽観測所にふさわしい粋な命名です。
 この世界初の天文観測用モザイクカメラは超高感度CMOSセンサを84枚並べ,シュミット望遠鏡の9度ある全視野をカバーするものです。キヤノン株式会社のフルサイズ一眼レフカメラに搭載されているCMOSセンサーを84枚並べたようなものというわけです。
 現在,一般のディジタルカメラも受光素子はCCDからCMOSに変わりましたが,CMOSセンサはCCDに比べて高速にデータを読み出せるのが特徴で,その特徴を生かして動画観測が行えます。シュミット望遠鏡は,その焦点に結ぶ像が球面になるので,昔の写真乾板も球面にしてありました。そこで,超広野カメラもまた球面にする必要があります。聞いてみると,それぞれのCMOSは平面ですが,それをモザイク状にしたときに球面になるようにしてあって,これで精度が保たれるそうです。「Tomo-e Gozen」はすばる望遠鏡のHSCよりも1世代新しいものといえます。
 ディジタルカメラの受光素子というのは,日本の工業技術の最後の砦です。日本以外の国の会社ではこうしたものを作ることはできません。海外の天文台からも,問い合せが来ているそうです。

 作られて半世紀が過ぎようとするニコン製のシュミット望遠鏡は,こうして「Tomo-e Gozen」というキヤノン製の新しい目を得てリニューアルされ,生まれ変わりました。
 ただし,フィルムカメラからディジタルカメラに変わってカメラマンンの撮影方法が変わったように,天体写真も1枚1枚時間をかけて撮影する手法から短時間の露出でくまなく天体をほうきで掃くように写していく手法に変わったので,そのような目的で作られていない設計の古い赤道儀がこうしたタフな撮影に耐えられるかどうかが問題だそうです。
 最新式の望遠鏡はたくさんの小さな反射鏡を集合させ大口径にして光を集め,作りが簡単で軽量な経儀台をコンピュータで稼働させるように変わりました。赤道儀式の架台をもった1枚鏡のシュミット望遠鏡のような設計の古いものは,今後新たに作られることはもはやないでしょう。そう考えると,少しでも長く,この望遠鏡が活躍することを願ってやみません。

 この日の特別公開は,いろんなお話が聞けて,また,興味深いさまざまな機器を見ることができて,しかも,設置されたばかりの「Tomo-e Gozen」を見ることができて,とても有意義なものとなりました。しかし,期待した青空はどこかに行ってしまい,そればかりか,雷が鳴り響き,大雨が降ってきて,楽しみにしていた星を見ることができないのは残念でした。
 こうした研究施設を見学して,最新式の技術と学問に接するたびに,コンピュータすら満足になかった私の学生時代を思い出し,あと40年ほどあとに生まれていたらよかったなあと思います。

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 木曽観測所にあるシュミット望遠鏡(Schmidt telescope)というのは,反射屈折望遠鏡の形式のひとつですが,写真撮影専用なので,見るための望遠鏡ではありません。シュミット望遠鏡は視野の広い望遠カメラというが長所です。作られたときの雑誌の記事に,この望遠鏡は見る機能も併用されているというような記事があったのですが,実際にそのように使われたというのは聞いたことがありません。
 反射望遠鏡の主鏡が放物面であるのと違って,シュミット望遠鏡の主鏡は球面鏡なので,製作が簡単です。絞りを球心位置に置いて非点収差とコマ収差を除去し,4次関数で表される非球面の薄いレンズ(補正レンズ)を置くことで球宇収差を除去するようになっています。そこで,補正レンズを作るのが難しいのです。また補正板の口径が大きくなってくると補正板はレンズなので屈折望遠鏡と同じく色収差が増大してしまいます。そこで,あまり大きな口径のものが作れません。
 さらに,作られる像面が主鏡の球心と同一位置に球心を持つ凸球面になる像面湾曲があるために,焦点に置く写真乾板は湾曲させる必要がありますし,鏡筒が焦点距離の2倍の長さになってしまうため,かなり大きい架台が必要になります。

 シュミット望遠鏡として名を残すのは,右手のなかったエストニアの光学技術者ベルンハルト・シュミット(Bernhard Schmidt)です。1905年,ベルンハルト・シュミットは,左手だけで研磨できるように,主鏡を球面、副鏡を4次以上の項を含む高次双曲面とする方式の望遠鏡を編み出しました。これがのちにシュミット望遠鏡といわれるようになりました。1935年,フィンランドの天文学者ユルィヨ・バイサラ(Yrjö Väisälä)はシュミット式望遠鏡の優秀性を説き,これでシュミット式望遠鏡は国外に有力な支持者を得ることになりました。
 シュミット望遠鏡は広い視野を得ることができるために,1950年から30年余りの間に一世を風靡しました。
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 最も口径の大きなシュミット望遠鏡は1960年,ドイツのカール・シュヴァルツシルト天文台(Karl Schwarzschild Observatory )に作られた口径134センチメートルのものでしたが,現在は使われていません。
 その次に大きいのが,1949年アメリカのパロマ天文台に作られ,現在「サミュエル・オシン望遠鏡」(The Samuel Oschin telescope)とよばれている口径126センチメートルのものです。現在は写真乾板をCCDに変えて,準惑星の発見などに活躍しています。
 そして,3番目がオーストラリアのサイディングスプリング天文台にある有効口径124センチメートルの「UKシュミット式望遠鏡」(UK Schmidt Telescope)で,その次が,この木曽観測所にある口径105センチメートルのシュミット望遠鏡です。
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 1974年に完成したこの105センチメートルシュミット望遠鏡はF3.1。日本光学工業(現ニコン)製で,6度四方という広い視野を持っています。この望遠鏡が作られたときのことは,1975年に発行された広瀬秀雄さんの書いた中央公論社発行の自然選書「望遠鏡-美しい星の像を求めて-」という本のなかの「より広い視野を求めて-日本で大型シュミット・カメラが生まれるまで」に詳しく書かれています。 
 このように,待望の広視野望遠鏡が生まれたわけですが,2000年を境に時代はディジタル化が進み,写真乾板を使って広視野の写真を写すことができたシュミット望遠鏡は時代に取り残されることになっていきました。

☆☆☆
Star Festival 2019

七夕

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☆☆☆☆☆☆
 これまで何度も東京大学木曽観測所のことはこのブログに書いていますが,今年もまた夏の特別公開が8月3日土曜日と4日日曜日にあったので,1日目に行ってみました。1日目は天気がよければ夜間の観望会があるということだったので満天の星空を借景にしたドームの写真を撮ろうと,それも楽しみでした。
 この観測所にある観測機器は口径105センチのシュミット望遠鏡ですが,普段はガラス越しに見ることしかできません。特別公開ではドームに入ることができるので,間近に見ることができます。今回行ってみて,私はドームに入ったことがないと思いこんでいたのですが,ずいぶんと昔の特別公開に来たとこがあって,そのときに一度入ったのを思い出しました。望遠鏡はそのときと大きく変わったことがあるのですが,そのことはまた後日書きます。

 私は,子供のころから,星を見ることよりもむしろ望遠鏡に興味がありました。それも,望遠鏡で星を見ることでなく,望遠鏡という機材を見るのが好きだったのです。
 頻繁に海外旅行をするようになった今は,昔あこがれていた世界中の天文台へ行ってそこにある望遠鏡を見ることができるのが幸せなのですが,それまで写真でしか見たことがなかった望遠鏡の実物を見たり説明を聞くと,ますます知識が増してよりおもしろくなってきました。
 そうした数ある天文台の望遠鏡のなかでも,私はこの木曽観測所にある口径105センチのシュミット望遠鏡が一番好きなのです。それは,この望遠鏡が作られたころに天文雑誌や天文年鑑の表紙を飾ってそれを見てあこがれたことと,シュュミットカメラというなんだかプロ好みな機材であることと,日本光学という会社が必死に作ったものであることと,望遠鏡自体の格好がいいからです。
 しかし,このシュミットカメラという種類の望遠鏡は,21世紀になってからしばらくの間冷遇されていました。その理由もまた後で書きます。それが,昔のアイドルタレントが売れなくなって低迷したのち,歳をとって突然第二次ブームが来ることがあるように,シュミット望遠鏡もまた,このごろになって再び脚光を浴びてきました。
 
 そうしたことは次回にして,今日は,私が世界中の天文台に行くようになって感じた日本の天文台の印象について書きます。
 海外の天文台に行くと,大概一般の人のための立派なビジターがあって,そこでどんな研究をしているかという説明パネルや模型があります。レストランやカフェもあることが多いです。施設はたえずメンテナンスされているので,きれいで豪華です。
 望遠鏡もまたしっかりメンテナンスされていて,年代モノとは思えぬほどです。アメリカやオーストラリアの研究施設にある望遠鏡は,維持にすごくお金をかけているように思えます。それに比べると,日本は本当に貧弱で気の毒です。これでは学者さんがかわいそうです。日本の研究施設にある望遠鏡は痛々しいくらいひどいです。ドームもさびているし,望遠鏡もテープが張ってあったり塗装がはげ落ちていたりと痛々しい状態です。天文台自体もまた,見学ブースに簡単な説明展示はあっても,レストランどころかビジターセンターさえありません。
 そうしたことに加えて,この観測所の望遠鏡には,反射鏡の再メッキをするための設備がないので,そうする必要があるときは反射鏡を多くの人の力で取り外して梱包して,再メッキ施設のある岡山まで送るのだそうです。はじめは作る予定だったのに,予算がつかなかったということです。それは,日本の学校に食堂や講堂がなく,食事は教室で,講堂の代わりは体育館で,というのと同じです。私が先月行ったアメリカのパロマ天文台の200インチ反射望遠鏡では,1階に反射鏡の再メッキをする立派な施設が当然のごとくあって,それが望遠鏡以上に重要なことで,見学コースはその説明からはじまりました。ドームのなかもきちんと整理されていて,ドームをメンテナンスするためのエレベータもありました。当然,トイレもありました。ウイルソン山天文台の望遠鏡も同様でした。

 日本では,研究施設に限らず何ごともみな,こういう感じです。サンフランシスコのゴールデンブリッジではペンキを塗り直すためのゴンドラが橋に沿ってはじめから作られていますが,日本ではその必要があるたびに足場を作ります。
 話は逸れますが,今年のヨーロッパは異常な猛暑で,ドイツも最高気温が40度を越しているそうです。しかし,日本とは違ってクーラーさえない場所が多いそうです。どうやら,どこも寒いくらいにクーラーの入ったアメリカとは違うようです。で,ドイツ人はこの猛暑をどう対処するかというと,学校や仕事を休みにしてしまうのだそうです。さらに,電車さえ運休になったりするそうです。ドイツ人もまずはクーラーを入れることを検討するそうですが,ドイツでは,きちんとクーラーを設置する場所を整備して配線なども隠し建物の美観を考えてから,クーラーを設置しようとするのだそうです。当然すごくお金も時間もがかかります。なので,なかなかクーラーが入らないので,休みにしてしまうのです。日本なら,とりあえず,壁に穴をあけたり,無理やり天井に配線むき出しでも,ともにかくクーラーをつけて冷やすという目的だけかなえてしまい,景観やら美観など知ったこっちゃありません。こういう話を聞くと,日本では道路や町の外観などがすべてが汚らしくぐっちゃぐちゃである理由がもとてもよく理解できるというものです。
 そういう国民性だから,望遠鏡もまた,改良をするとなると配線はむき出しのまま,ドームのなかには不要になった道具が散乱していても気にしないということになります。また,チキンとしたくても,そんなことに予算がつかないわけです。このように,研究施設だけでなく,公立の学校や大学がぼろいのも,日本全体がぼろっちく,町も美しくなく,道路もやたらと棒が設置されていたり,道に塗ったペンキがはがれていても平気だったり,ガードレールがさびていてもそのままなのは,すべてこういうことなのだなあと改めて感じ,寂しくなったことでした。 

◇◇◇

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