●若いというのはすごいことだ。●
チェックインを済ませ荷物を部屋に入れてから,私は再び外に出た。今度はインターステイツの側道を歩いていったら,思いのほかすぐに地下鉄の駅に出た。ただし,日差しを遮るものがないのて大変だった。それにまた,ここはサイクリング道路を兼ねていたので,多くの自転車が行き交っていた。
短い滞在日程のなかで,まず,どこに行こうか考えたが,35年前に行くことができなかったところを優先することにした。
若い人が旅行をするときには,これが最後だとは思わないほうがいい。この先,その気になればいくらだって行くことができるから,そうした将来を考えて,旅行の計画を立てるといいと思う。若いときこそ行ってみたほうがいいと思われる場所もあれば,歳をとってからのほうが有意義なところもある。
などと書いてはいるが,そんなことを35年前私は夢にも思わなかった。そのときに来たワシントンDCで行ったのは,アーリントンの国立墓地にあるケネディ大統領の墓,ワシントン記念塔,ホワイトハウス,スミソニアン博物館,国会議事堂,造幣局,FBI,さらには,ウォーターゲートビルであった。当時は,観光客も今ほど多くはなかったし,セキュリティも今のようなことはなかったから,ワシントン記念塔も少し並んだだだけで昇れたし,ホワイトハウスの内部を見学することもできたし,さらには,国会議事堂の見学コースに行くつもりが,間違えて?! 国会の傍聴をすることになってしまった。
その代り,私は,国立墓地では有名な海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)の存在を知らず行かなかったし,ポトマック川の存在を意識することもなかったし,ワシントンのダウンタウンなども歩くことができなかった。
ホテルから最も近いのがアーリントンの国立墓地だったから,私は,まず,海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)へ行くことにした。
数年前にニューヨーク行ったときにも思ったが,若いというのすごいものである。それほど語学力もなかったし,世のなかのことも知らなかったが,35年前の私が行ったところは,その多くが,今ではもう公開していないので入ることすらできない場所だったり,混雑していて入ることが困難なところで,今やろうとしても夢のようなことばかりなのである。こんなことができたのが,今の自分でも信じららないのだ。
私はもうすでに乗り慣れたワシントンDCの地下鉄に乗って,アーリントン国立墓地(Arlington National Cemetery)を目指した。,アーリントン国立墓地へ行くには,地下鉄のブリーラインのアーリントンセメトリー(Arlington Cemetry)駅で降りるのだが,海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)は国立墓地の北にあるので,地図を見て,私はロズリン(Rosslyn)駅で降りることにした。ロズリン駅まではイーストフォールズチャーチ駅からはわずか5駅で,乗り換える必要もなかった。
ロズリン駅を出ると,非常にきれいなビジネス街で,まさに,日本でいう副都心のようなところであった。
なにせ,ものすごく暑い日で,そのなかをこのあとは歩いて行かなければいけないのだが,道案内があるわけでもないし,どこをどう歩けばいいのか,さっぱりわからない。
後で知ったことには,アーリントン墓地へ行くにはアーリントンセメトリー駅で降りるべきなのだ。そうすれば,正門ゲートからなかに入ることができるし,循環バスにのって,園内を回ることができるわけだ。
それを私はひとつ前のロズリン駅で降りたものだから,裏口入学のようになってしまった。こちらの方向だろうと見当をつけて歩いていくと,やがて私のめざす海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)(Marine Corps War Memorial (Iwo Jima Memorial))が見えてきた。思っていたより,はるかに巨大なものであった。
1945年2月23日,太平洋戦争でアメリカ軍の日本侵攻のため,硫黄島上陸作戦が行われた。約1か月の激戦でアメリカ軍が勝利し,占領した証に兵士たちがアメリカ国旗を立てた。その姿をジョー・ロウゼンタール(Joe Rosenthal)がカメラに収め発表した。海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)は,写真を見た彫刻家のデ・ウェルダン(W.de.Weldom)がそれをブロンズ像に表現したものである。高さが10メートル,幅が20メートルで,たなびく星条旗は本物である。
この場所は治安が悪く,日没後は行かないほうがよいらしい。
私は,海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)を見てから,墓地に沿って南に歩き,ジョン・F・ケネディの墓,無名戦士の墓と回った。
無名戦士の墓は1948年以降,陸軍第3歩兵隊(The Old Guard)の衛兵によって雨の日も風の日も24時間警護されている。衛兵はライフルを片手に墓地を21歩,21秒で往復し,方向転換をする。そして,30分おきに交替式を行い,その姿は見ることができる。21というのは国際的な儀典礼式にならい「敬意」を表すものである。
アメリカでは国を守るということに対してこれだけのリスペクトをはらっているのである。
国立墓地はすでに来たことがあるとはいえ,思ったよりもずっと広く大変であったが,なんとか逆回りにして国立墓地のビジターセンターに行き,そこから正門をくぐって外に出た。
海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)にはほとん観光客がいなかったが,正門のあたりにはバスもたくさん停まっていて,すごい観光客であった。有名な海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)であるが,墓地からはかなり遠いので,35年前に行くことができなかったのも無理のないことだったなあと,このとき知った。