しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:ウィンスロップ

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 ウィンスロップ(Winthrop)はシアトルから北東,カスケード山脈の懐に残る西部開拓時代を偲ばせる田舎町です。市街地は1890年代のゴールドラッシュに沸いていたころの建物が並び,まるで西部劇の世界に入り込んだ気分になります。ディズニーランドにこのような町の真似事がありますが,そんな「おもちゃ」ではなく,ここは正真正銘の町です。

 2016年,私は,モンタナ州のグレイシャー国立公園からワシントン州のカスケード国立公園に向かう途中で,この町に寄りました。  
 ここで私はホテルを探してチェックインしました。
 ワシントン州にはこんなすてきな町があるのです。私が忘れられないのはこうした田舎ののどかな小さな町なのです。
 ワシントン州の壮大なメソウ渓谷(Methow Valley)を走るノースカスケードシニックバイウェイ(the North Cascades Scenic Byway)に位置するこのウィンスロップの町は,旧中山道の馬籠宿のように,新たに歴史的な町を模して作られたところです。

 メソウ渓谷は,1833年ゴールドラッシュの時代,多くの白人の入植者が来ました。そのうちの代表的な3人がジェームス・ラムジー(James Ramsey),ベン・ペーリジン(Ben Pearrygin),ガイ・ウェアリング(Guy Waring)でした。特に,ウェアリングがこの地の「父」とよばれます。
 町の名は冒険家であり作家であったテオドラ・ウィンスロップ(Theodore Winthrop)にちなんで名づけられたものです。
 1893年,ウィンスロップに火災が起きて,町は壊滅的な被害を受けましたが,1972年に州道20がこの町を通ることになったとき,キャサリン・ワグナー(Kathryn Wagner)と夫のオットー(Otto)がこの地に西部劇のような町を再建するというアイデアを思いつきました。

 ウィンスロップには数件のモーテルやマーケットがあって,私はそのうちのアビークリークイン(Abbycreek Inn)というモーテルに部屋を見つけて,チェックインをしました。
 チェックイン後,町を歩くのに十分な時間があったので,1軒のオープンカフェを見つけて軽い夕食をとりました。その後,川のほとりを散歩しました。
 歩いていると,お年寄りの女性が話しかけてきました。雑談をしながら美しい夕日が沈むのを眺めていました。
 ここはのどかで素晴らしい,桃源郷のようなところでした。
 夜は,近くのスーパーマーケットで買い物をしたりして過ごしましたが,緯度が高いので,いつまでたっても暗くならない。本当に夜が来るのかしらんと思いながら眠りにつきました。ふと深夜に目覚めると,さすがに日が沈んでいたのですが,外に出てみると,満天の星空が広がっていました。
 翌朝,モーテルの部屋の窓を開けると,そこには野生のシカがいてエサの草を食べているところでした。住んでみたい町です。

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●道を間違えてえらいことに…●
☆5日目 2016年6月28日(火)
 私の泊まるモーテルはウィンスロップのダウンタウンから少し離れていた。ダウンタウンで食事を終え,夕日が沈むのを眺めてからモーテルに戻ってきた。近くのスーパーマーケットで買い物をしたりして過ごしたが,いつまでたっても暗くならない。本当に夜が来るのかしらんと思いながら眠りについた。
 ふと深夜に目覚めると,さすがに日が沈んでいた。外に出てみると,そこには満天の星空が広がっていた。私はこの旅の後,ニュージーランドやオーストラリアやハワイで満天の星空を見飽きるほど見ることができたが,わずか3年前のこととはいえ,このころは満天の星空を見ることもなかったので,非常に新鮮なおどろきであった。
 大自然は本当にこころが落ち着くが,こうした場所に住んでいる人は,日本のような人混みに住み慣れた我々とはまったく違う生活を送っているのだろうといつも思う。そしてまた,こういう場所で生きる術をまったく知らないことを思い知らされる。おそらく我々が大切だと子供の頃から教えられたことなど,大自然のなかで生きるためにはまったく役に立たないのであろう。

 翌朝になった。この旅の5日目,実質上の最終日である。モーテルの部屋の窓を開けると,そこには野生のシカがいてエサの草を食べているところだった。こういう動物がめずらしくもなく人間と共存している。私はこの前年だったかそのまた1年前だったか,アイダホ州でキャンプをしていて,朝,巨大なムースと遭遇したことを思い出した。
 やがて7時になったので,モーテルのレストランで朝食をとった。ちょうど居合わせたのがアーミッシュのファミリーだった。私はこの数か月後に再びアメリカに来た。そのときはフロリダ州から北上してフィラデルフィアまでドライブしたが,そのことはすでにブログに書いた。
 その旅でのこと。ペンシルベニア州のランカスターという町にアーミッシュビレッジがある。私はそのときの旅で,このランカスターに行ってアーミッシュビレッジを見学したのでアーミッシュについては詳しくなるのだが,このときはそんなことは知らない。そして,アーミッシュの人たちと話をしていて,彼女たちが日本に行ったことがあって,そのときに広島で食べた「okonomiyaki」というものがおいしかったとかいう話を聞いて,アーミッシュの人たちも普通の人と変わらないなあと驚いたものだった。
 情けない話である。

 朝食を済ませてチェックアウトをして,この日の目的地であるノースカスケイズ国立公園に向けて出発した。ところが,ここで私は道を間違えるのである。
 前日まで乗っていた車にはカーナビがついていたが,シカに激突されて車を変えたことで,カーナビのない車で走ることになったのが原因であった。今なら海外旅行をするときは Wifi ルーター Glocalme を持っているからつねに Google Map で位置の確認ができるが,3年前にはそんな技もなかった。
 私は,州道20はこのウィンスロップの町をそのまま西にすすんでいくと思い込んでいたので,ずっとそのまま西に向かって走っていった。写真にあるように,はじめのうちは舗装された立派な道路が続いていていたので安心していたのだが,それはその先にあるキャンプ場に行くまでのものであった。アメリカの広大なキャンプ場をどんどんと進み,キャンプ場を出たあたりで次第に道幅が狭くなってきた。それでも私はノースカスケイズ国立公園はこうした狭い道路を走っていった先にあるものだと思い込んでいた。
 とうとう道路の幅が両側1車線ほどになり,ついに未舗装の山の中に入り込んでしまった。それでもまだこの道路で正しいと思っていたのだから,お気楽というかなさけないというか…。しかし,こんな場所で車が故障でもしたらえらいことで,ロッキー山脈の山の中で遭難なんて笑い事にもならないと心配になってきた。
 そのうちに,道にのそっと牛が出てきたりするようになった。こうなると,どう考えてもこれは道を間違えたとしか思えなくなった。それでもまだもどる踏ん切りがつかず先に向かって走っていたが,この先も未舗装の道路はずっと続き,これはとんでもない間違いをしているとやっと悟り,とうとう引き返す決心をした。

 Uターンをする場所さえなかなか見つからなかったが,なんとか切り返しをいっぱいして方向を変え,やっとのことでウィンスロップまで戻ってきた。ウィンスロップの町の入口あたりに何かを売っていた店を見つけて,なかにいたおじさんに道を聞いて,どうにか正しい方向に進むことができた。
 私は州道20はウィンスロップをまっすぐに進んでいっているものだと思っていたが,実はダウンタウンの真ん中で左折していたのだ。私はその場所の道路標示を見逃してしまったらしかった。どこでもそうだが,町に入ると道路がわからなくなる。そんなことは重々承知で,前日に下見までしておいたのに,それで間違えたのだから話にならない。
 日本でしか運転をしない人は想像できないだろうが,アメリカの道路には目立たないほどの標識がひとつあるっきりで,その先には何もないから,たとえ走っている道が正しくても不安になることが少なくない。そして,その距離が半端ではないのである。
 ともかく,私はこうして無事に州道20に戻ってきて,ノースカスケイズ国立公園に向けて再び走り出したのだった。

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●西部劇に出てくるような町●
 1日中一般道を走ってウィンスロップ(Winthrop)にやって来た。まさに「一般道は楽し」であった。以前,ニューヨークのクーパーズタウン(Cooperstown)にある野球殿堂博物館(National Baseball Hall of Fame and Museum)に行ったとき,クーパーズタウンまでインターステイツが走っていなかったのでニューヨーク州の州都オールバニー(Albany) から一般道を走ったことがある。アメリカの一般道をそんな長距離走ったのはそのときがはじめてだったのでずいぶんと感動した。
 そのときのことを思い出した。
 今回,3年前に行ったこのウィンスロップのことを書きながら,ワシントン州にこんな素敵な町があったことを私はすっかり忘れていた。そして,これを書くためにいろいろ調べているうちに記憶がよみがえり,また行ってみたいと思うようになった。アメリカに限らず,ニュージーランドでもオーストラリアでも,私が忘れられないのはこうした田舎ののどかな小さな町なのである。
 
 ワシントン州の壮大なメソウ渓谷(Methow Valley)を走るノース・カスケード・シニック・バイウェイ(the North Cascades Scenic Byway)に位置するこのウィンスロップの町は,今でも西部劇のころに舞いもどったようなところとして保存されているように思えるが,ここは旧中山道の馬籠宿のように,新たに歴史的な町を模して作られたところなのである。
 メソウ渓谷の歴史は,ネイティブアメリカンがメソウ(Methow),トゥイスプ(Twisp),チューワッチ(Chewuch)といった川のほとりに住んで,ヒナユリ(camas)の根を掘り,果実を採り,釣りや狩猟で生活をはじめたときにはじまる。
 1800年代にはじめてこの谷に白人の猟師がやってきたが,1833年ゴールドラッシュが多くの白人の入植者をこの地にももたらした。そのうちの代表的な3人がジェームス・ラムジー(James Ramsey),ベン・ペーリジン(Ben Pearrygin),ガイ・ウェアリング(Guy Waring)だった。特に,1891年,現在シェファー博物館である場所に定住したウェアリングがこの地の「父」とよばれる。また,町の名は冒険家であり作家であったテオドラ・ウィンスロップ(Theodore Winthrop)にちなんで名づけられたものである。
 1893年,ウィンスロップに火災が起きて,町は壊滅的な被害を受けたが再建され,1972年,州道20がこの町を通ることになったとき,キャサリン・ワグナー(Kathryn Wagner)と夫のオットー(Otto)がこの地に西部劇のような町を再建するというアイデアを思いついたのである。

 ウィンスロップのダウンタウンは西部劇のような町になっているが,その手前は広々とした牧草地帯になっていて,数件のモーテルやマーケットがあった。私はそのうちのアビークリークイン(Abbycreek Inn)というモーテルに部屋を見つけて,チェックインをした。
 アイダホ州で山岳標準時から太平洋標準時に変わったので,この日は25時間あって,来たときの逆になった。アメリカでは東から西に向かって旅をするほうが1日が長いのだ。しかも,この旅をしているのは6月だから1年のうちでもっとも昼の長い時期でもあり,しかも,この辺りは緯度も高いから,もう夜の7時というのに太陽が高く,町を歩くのに十分な時間があった。
 一軒のオープンカフェで軽い夕食をとることにした。豪華なレストランよりもこうした食事のほうがずっと楽しい。その後,川のほとりを散歩した。歩いていると,お年寄りの女性が話しかけてきた。雑談をしながら美しい夕日が沈むのを眺めていた。
 ほんとうにここはのどかで素晴らしい,桃源郷のようなところであった。

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