しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:ウドバーハジーのディスカバリー

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●過去の遺物をお金を取って見せる●
 ウドバーハジーセンターには,当然,スペースシャトルをはじめとする宇宙開発に関する展示以外に,多くの航空機の展示があった。というよりも,むしろ,航空機の展示の方がメインなのである。
 私がアメリカを旅して思うのは,アメリカという国は,本当に飛行機が好きだということである。アメリカのいたるところに航空博物館というものがある。
 この航空博物館,博物館といえば聞こえはいいが,要するにいらなくなったものの物置場であると思うが,こうした過去の「遺物」にも商品価値を見出して,お金を取って見せるということに,アメリカ人は長けているのだ。
 日本人は飛行機よりも鉄道好きで,鉄道博物館がたくさんあるが,航空博物館はあまりない。国土の広さと関係するのであろう。

 では,最後に,ウドバーハジーセンターの1階に所狭しと展示してあった航空機についても,書いておくことにしよう。
 ライト兄弟がはじめて飛行機を飛ばしたのが1903年というから,航空機の歴史はまだ100年と少ししかたっていないが,航空機はものすごい進化を遂げているものだといつも思う。その理由は「軍事」であった。
 ウドバーハジーセンターには現在320機ほどの航空機が展示されているが,ひときわ目につくのが1階の中央に鎮座ましましている巨大な黒い物体である。これはロッキードの「ブラックバード」といい,最高速度がッハ3.3の偵察機で,1961年に初飛行したものだ。このおどろおどろしい姿をみると,先ほど見たスペースシャトル・ディスカバリーとは真逆な感動を覚えてしまう。

 航空機の展示はいくつかのコーナーに分かれているが,特に多くの航空機があるのが,民間機のコーナーと軍用機のコーナーであった。
 民間機は1950年ころから本格的に運用されてきたが,当初,アメリカはイギリスに後れを取っていた。現在も,ボーイング社とエアバス社という2大航空機はアメリカとヨーロッパの会社である。民間機のなかで,ウドバーハジーセンターでの見ものはなんといっても「コンコルド」(Concorde)であろう。

 1967年に完成したイギリスとフランスが共同開発したこの超音速旅客機は2003年にすべて退役してしまったが,ここに展示されているものは量産5号機である。
 アメリには,ニューヨークのスペースシャトル・エンタープライズの展示してある「イントレピッド会場航空博物館」に量産10号機が,シアトルの「アメリカ シアトル ボーイング・フィールド航空博物館」に14号機が展示されていて,私はそのどちらも見たことがあるので,特に珍しくもなかった。
 私は1980年にイギリスとフランス旅行を楽しんだが,その時にロンドンだったかパリだったかは記憶にないが,実際に飛行するコンコルドを見たことがある。私の乗った飛行機の機長が興奮して「コンコルドが見える」と叫んでいたのを覚えているのだが,当時は,どうしてそんなに興奮するのかよくわからなかった。
 話は脱線するが,私はそのときの旅で,北極上空を飛んでいた時に機内からオーロラを見た。それもまた,機長が興奮して「オーロラが見える」と叫んでいたが,それもまた,どうしてそんなに興奮しているのかよくわからないかった。
 知識がないというはこういうことをいうのだと今はとても残念に思う。

 軍用機のコーナーで私が最も関心があったのが,グラマン社の「F14・トムキャット」であった。この軍用機は1970年から2000年ごろまで,特に湾岸戦争などに使用された多目的戦闘機である。
 ここウドバーハジーセンターと,ワシントンDCのモールにある航空宇宙博物館の両方を訪れれば,アメリカの航空機の歴史はほとんどわかることであろう。しかし,航空博物館としては,オハイオ州デイトンにある「国立アメリカ空軍博物館」(National Museum of the United States Air Force)が最もお勧めであるのだという。私はそこへは行ったことがないが,これ以上の博物館というのだから,私には全く想像がつかないほど桁違いの素晴らしさなのであろう。一度は行ってみたいものだ。

◇◇◇
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●宇宙を飛んだカメラ●
 アメリカの有人宇宙計画は多くのカメラで記録された。
 アポロ計画で使用されたのは,スウェーデンの「ハッセルブラッド」(Hasselblad)製だった。「ハッセルブラッド」がNASAや宇宙飛行士に好まれたのは,比較的簡単に操作できたことと,カートリッジ式のフィルムが使われていて撮影途中に光の状況が変わったときでも簡単にフィルムを交換できたことによる。
 アポロ計画ではNASAの依頼で「500EL」の改良版が開発された。この「ハッセルブラッド・エレクトリック・データ・カメラ(EDC)」は,宇宙空間での利用に特化したレンズとガラスプレートを備えたものである。宇宙飛行士たちは,この「ハッセルブラッドEDC」をアポロ8号の月周回ミッションの段階から使い始め,1969年の人類初の月面着陸の時には,ニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン飛行士がそれぞれひとつずつこのカメラを手にしていた。
 撮影したフィルムだけが地球に持ち帰られたために,現在,月面には月に降りた宇宙飛行士がそれぞれもっていった12台の「ハッセルブラッドEDC」が残されている。

 その後,アメリカの有人宇宙計画では,日本の「ニコン」製のカメラが使用された。1971年,アポロ15号ではNASA特別仕様の「ニコン Photomic FTN」が使用された。1980年に「ニコンF3」をベースとしたモータードライブ付き「F3スモールカメラ」と長尺フィルム用「F3ビッグカメラ」を納入し,翌年打ち上げられたスペースシャトル・コロンビアに搭載された。さらに1991年には「ニコンF4」と「ニコンF4S」を納入した。

 デジタルカメラ時代に移行してもニコンが使われる。2008年に「ニコンD2XS」を納入,2009年には国際宇宙ステーション内の記録撮影用として「ニコンD3S」11台と交換レンズ「AF-S NIKKOR 14-24mm f2.8G ED」7本が納入され,2010年に打ち上げられたスペースシャトル・ディスカバリーによって宇宙に運ばれた。
 また,現在,国際宇宙ステーションには「ニコンD3S」1台,「ニコンD2XS」8台,「NIKKOR」レンズ36本,スピードライト「SB-800」7台 などが常備されているという。

 一方で,宇宙飛行士スコット・ケリーや,イタリア初の女性宇宙飛行士サマンサ・クリストフォレッティなどの乗組員たちは,国際宇宙ステーションのあちこちに設置されたキヤノンの動画撮影用カメラで,オーロラなど地球上の美しい光景を窓越しから捉えている。こうした撮影に備えて,宇宙飛行士たちは,汚れや傷のない映像を撮影するために,ひとつの窓の内側パネルも取り換えたのだという。
 この動画の撮影過程で,カメラは地球を7,000回以上周回し,最終的にその距離はおよそ3億420万kmにも及んだ。

 このように,宇宙開発で使われている映像機器は,ハッセルブラッドからニコンへ,そしてキヤノンへと,一般に我々が使っているものと同じように変化していることが興味深い。
 しかも,こうしたカメラは,初期のころは一般に使われているものを改造していたが,現在は市販のものと同じものが搭載されるようになっていて,機器の性能が向上していることが伺いしれる。
 ウドバーハジーセンターには,こうしたカメラもまた,展示されていたから,私は興味深く見ることができた。

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●「輝ける未来」の現実●
 ウドバーハジーセンターの展示は私には非常に興味深いところだったので,もうしばらく続けます。
  ・・
 子供のころに夢中になったことはその後もずっと影響を与えるもので,そうした記憶は歳をとっても消え去るものではない。
 私が子供のころは,鉄腕アトムの時代で,現在実用化された科学技術の黎明期だった。だれもが輝ける未来を信じていた。そのワクワク感は今とは絶世のものがあるが,こうした憧れがその後の興味に役に立っているのである。興味もないのにむりやりドリルをやらせても何も上達しない。

 そのころに読んだ雑誌とか本を今手にすると,書いてある内容がとてもよく理解できるので,さらに興味が増す。そして,そのころに憧れた宇宙ロケットをはじめとするやさまざまな機材の,まさにその「ホンモノ」がここにあるのだから,私の気分は最高であった。
 そうした「モノ」のおこぼれは日本の博物館や科学館にも少しは展示されているのだが,その多くは模型だったり,たとえホンモノがあってもきわめて規模が小さかったりするから,やはり,アメリカに足を運ばなければ,この喜びは味わえるのもではない。
 今日は,そのなかでも,私が特に興味深かった宇宙開発に関するいくつかものを紹介したい。

 まず1番目の写真は,1926年にゴダードが実験した人類初の液体燃料ロケットのレプリカである。
 ロバート・ハッチングズ・ゴダード(Robert Hutchings Goddard)は「ロケットの父」と呼ばれる。彼自身の非社交的な性格もあって,生前に業績が評価されることはなかったという。 
 このロケットの打ち上げはマサチューセッツ州オーバーンで行われたが,その歴史的な出来事について彼は「液体推薬を使用するロケットの最初の飛行は昨日エフィーおばさんの農場で行われた」と書いた。
 「ネル」と名付けられたこのロケットは2.5秒間に41フィート上昇したが,それは液体燃料推進の可能性を実証した重要な実験だった。しかし,彼の研究は時代を先取りしすぎていたためにマッドサイエンティスト扱いされ,しばしば嘲笑の対象になった。
 ニューヨーク・タイムズ紙は,物質が存在しない真空中ではロケットが飛行できないことなど「誰でも知っている」とし,ゴダードは「高校で習う知識すら持っていないようだ」と酷評した。
 人類の歴史はこうしたことの繰り返しである。

 2番目は「マーズパスワインダー」の模型である。「マーズパスファインダー」 (Mars Pathfinder) はNASAが行った火星探査計画とその探査機群の総称である。マーズパスファインダー探査機は火星地表に着陸する探査車(マーズローバー)を中心とし,ローバーを火星まで送り届けるための宇宙機,ローバーを着陸させるためのエアバッグを装備した着陸機,それらを保護するエントリーカプセルからなる。
 1996年12月に地球を発ち,1997年7月に火星に着陸し,1万6,000枚の写真と大量の大気や岩石のデータを送信してきた。 

 そして,最後は「タイタンⅠ」ロケットのエンジン部分である。「タイタンⅠ」 (TitanI)はアメリカ合衆国が開発した初の多段式大陸間弾道ミサイル (ICBM)で,アメリカ空軍で運用され,後に衛星打ち上げ用のタイタンロケットシリーズに発展した。
 このグレン・L・マーティン(のちのにマーティン社)によって生産されたタイタンⅠは液体燃料ロケットエンジンを用いた2段式ミサイルであり,これを発展させたタイタンⅡ(TitanII)ももともとは大陸間弾道ミサイルだが,私には,このタイタンⅡを利用したジェミニ宇宙船のほうに非常に印象が深いのである。

 ここは有名な博物館だから,個人旅行で来るには不便とはいえワシントンDCから距離的に近いからツアーバスなら簡単に来ることもできるので,世界中の多くの観光客が来ていた。彼らは,ワーッと現れて,スペースシャトル「ディスカバリー」のまえで写真を撮って,そのまま帰っていく。私が昨年の秋に行ったニュージーランドのテカポ湖で星空を見にきていたツアー客もまた,せっかくの満天の星空を見ても,その素晴らしさのほとんどを味わうこともなく単に満天の星をめずらしそうに見るだけであった。
 目の前にある素晴らしいものの素晴らしさがわかるようになるには,子どものころの原体験が必要なのであろう。そういった意味でも,若いころは,ドリル学習でお金を浪費する暇などないのである。

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●これも合理的なアメリカらしいと●
 開館の時間が近づいたので,私は再びウドバーハジーセンターに戻った。開館にはまだ少しだけ早かったが駐車場のゲートは開いていたので,駐車料金を払って駐車場に入り車を停めた。
 この博物館はフロリダ州のケネディ宇宙センターとは違って,ワシントンDCのナショナルモールにある博物館同様無料なのだが,15ドルもの駐車料金がいる。
 開館まではまだ少し時間があったが,建物の入口は開いていたのでなかに入った。入口を入るとそこは建物の2階の部分になっていて,そこのコンコースから階下に降りるのだが,まだ階下に降りる部分は閉鎖されていた。ただし,すでに2階のコンコースから階下の展示を見ることはできて,はるか先にはすでにスペースシャトルを見ることができた。
 2階の左手には売店とマクドナルドがあって,売店は開いていなかったがマクドナルドはすでに開店していた。私は,ここに来る前にすでに別のマクドナルドで朝食をとっていたので,することもなくそこに座って開館する時間まで待った。

 やがて開館の時間になったので,私は階下に降りて,真っ先にスペースシャトル「ディスカバリー」の展示されたスペースに急いだ。
 スペースシャトルの展示スペースはディスカバリーの他にも宇宙に関する様々な展示物があって,私には大変興味深いものであった。これまで本やテレビで見たことのあるもの,それらのまさに「ホンモノ」がここにはあって,ほかの場所では絶対に見られない貴重なものばかりであった。
 「ブラックバード」と呼ばれるこの展示スペースの入口の奥にディスカバリーが堂々と鎮座ましましているのはかなり感動的であった。
 ケネディ宇宙センターの,飛行して貨物室が開いた状態の展示とはちがって,ここのディスカバリーは着陸用のタイヤが出ている点が見所ということであった。それぞれの展示場所によって展示の方法が異なっているのが,また,素晴らしいことだ。

 スペースシャトルの展示スペースには,マーキュリー計画で飛んだ「フリーダム7」,ジェミニ計画で飛んだ「ジェミニ7号」のカプセル,そして,人類初の月面着陸を成し遂げた「アポロ11号」が帰還したときに宇宙飛行士が検査のために隔離した隔離室も展示されていた。
 これもまたいつも書いていることだが,アメリカでは何事も単純で,この隔離室も特別なものではなく,最高級キャンピングカーの「エアストリーム」(Airstream)が改造されただけのものだった。こういうところがとても合理的なアメリカらしいと思ったが,「エアストリーム」を知っているからこそこうした感想をもてるわけで,これもまた,これまで多くの旅をしたことによる成果である。

 これで私は「エンデバー」を除いた残りの現存する3機のスペースシャトルを見ることができた。
 では最後に「エンデバー」について書いておくことにしよう。
 エンデバーが展示されているのはロスアンゼルスのカリフォルニア科学センターであるから,最も多くの日本人が見たスペースシャトルはこの「エンデバー」であろう。カリフォルニア科学センターの入場料もまた無料なのだが,「エンデバー」を見学すると2ドル必要といういうことだ。この科学センターの展示は,バンカーにスペースシャトルのだけが置いてあるだけのシンプルなものだから,ウドバ―ハジーセンターとは違って全体をじっくりと見学できるのだそうだ。さらにまた,カリフォルニアへ運んできたときの記録映画やスペースシャトルの全ミッションに関する展示もあるのだという。将来は発射台に見立ててスペースシャトルを立てて補助ロケットも装着した状態で展示する計画があるということなので,私が数年のちにそこに行くときにはそれが実現しているのを楽しみにしている。
 さらに付け加えると,テキサス州ヒューストンにあるNASAには実物のスペースシャトルは展示されていないが,スペースシャトルを移動するときに使われたボーイング747の実物が展示されているということである。

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●「ディスカバリー」も見た。●
 これまで「ウドバーハジーセンター」と何度も書いているがそれが何なのかよくわからいないだろうと思うので,まず,ここで紹介しておきたい。

 再利用が可能な有人宇宙船スペースシャトル計画が終了したとき,「ディスカバリー」「アトランティス」「エンデバー」「エンタープライズ」の4機のスペースシャトルが現存していた。退役後,「ディスカバリー」はワシントンDCのナショナルモールにあるスミソニアン博物館のバージニア州にある別館・国立航空宇宙博物館,「アトランティス」はフロリダ州のケネディ宇宙センターの見学者用施設,「エンデバー」はカリフォルニア州ロサンゼルスのカリフォルニア科学センター,「エンタープライズ」はニューヨークのイントレピッド海上航空宇宙博物館に展示されている,ということはすでに書いた。

 私は,以前からずっと本物のスペースシャトルを見たいものだと思っていたが,2013年の夏にニューヨークへ行ったときに見た「エンタープライズ」は実験機で実際に地球のまわりを周回しておらずおもちゃみたいで落胆した。そのとき,日本から観光旅行に来ていた女性に,ワシントンDCで地球を周回したスペースシャトルを見たと聞いて,すごく羨ましかった。
 私はワシントンDC,というのはナショナルモールにあるのスミソニアン国立航空宇宙博物館だと思い込んだ。

 その後いろいろ調べてみて,フロリダ州にも展示されていると知ったので,私は,この旅ではすでにフロリダ州のケネディ宇宙センターで,念願の地球を周回した本物のスペースシャトル「アトランティス」を見ることができたことについてはすでに書いた。
 ワシントンDCにも行くことになったので,ここでもまた,別のスペースシャトルを見てみたいものだと思った。
 そこで改めて調べてみると,「ディスカバリー」が展示されているのは,ワシントンDCのナショナルモールではなくて,スミソニアン国立航空宇宙博物館の「別館・国立航空宇宙博物館」(National Air and Space Museum Steven F. Udvar-Hazy Center)であると書かれてあった。その「別館・国立航空宇宙博物館」こそ「ウドバ―ハジーセンター」である。

 一体,「ウドバーハジーセンター」とは何モノであろうか? 私は困ってしまった。ずっとワシントンDCの,以前行ったことがあるナショナルモールにあるものだと思い込んでいたから,ワシントンDCの観光ついでに行くだけだ,と簡単に考えていたからだった。しかし,「ウドバーハジーセンター」があるのは,ワシントンDCのナショナルモールではなく,ワシントンDCのとなりバージニア州にあるダレス国際空港だったのだ。
 ここには以前,まだスペースシャトルが現役のときには「エンタープライズ」が展示されていたそうで,「ディスカバリー」の退役とともにその地位を譲ったのだった。

 考えてみれば,ワシントンDCのナショナルモールにスペースシャトルを展示するようなスペースはないのかもれない。私はこの旅では,後日ナショナルモールにも行くことになるが,あんなに観光客の多いところにスペースシャトルが展示されていたら,ゆっくりと見るどころではなかったかもしれないから,その意味では,ウドバ―ハジーセンターに展示してあるほうが正解かもしれない。しかし,ここは気軽に行くことができるところではないから,車のない日本人観光客にとって,かなり不便な場所であろう。
 ダレス国際空港に近いといっても,ダレス国際空港からウドバ―ハジーセンターまで歩いていけるような距離ではない。私がニューヨークで出会った日本人の女性がワシントンDCでスペースシャトルを見た,と言ったが,すっかり治安の良くなったニューヨークすら怖い怖いと言ってた彼女がいったいどういう方法でそこまで行ったのだろうか,と私は疑問に思ったのだった。

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●交通の不便なワシントンDCの国際空港●
 フロントロイヤルからインターステイツ66を東に100マイル,つまり160キロ走ればワシントンDCである。よくもまあ,フロリダ州キーウェストから出発してこんなに走ってきたものだ。
 すでに何度も書いたが,私は,この旅を始めるにあたり,50州の制覇を完了するために,サウスカロライナ州とノースカロライナ州を縦断しようと,それだけで他には細かな計画も立てずに,行きはフロリダ州のオーランドへ,帰りはペンシルベニア州フィラデルフィアからという航空券を購入した。
 その後,MLB,つまり,メジャーリーグベースボールの30球場制覇もこの旅でついでに成し遂げようと欲が出て,これまでに行っていなかったワシントン・ナショナルズ,ボルティモア・オリオールズ,フィラデルフィア・フィリーズのゲームを見ることにしたが,ゲームが実施される日程を調べて愕然とした。ワシントンDC,ボルティモア,フィラデルフィアの順にゲームが行われればよかったのだが,ボルティモア,フィラデルフィア,ワシントンDCの順でないと見ることができないのであった。

 そんなわけで,私は,ワシントンDCとフィラデルフィアを往復することが必要になってしまった。しかし,ワシントンDCとフィラデルフィアという大都会を観光するには車は必要ない,というよりもむしろ邪魔なので,私はフィラデルフィアでレンタカーを返却して,残りの日程は公共交通機関を使うことにした。そして,ワシントンDCを観光する予定の数日間のうちの1日を使って,地下鉄とバスを利用してスペースシャトルが展示してある「ウドバーハジーセンター」というところに行くことにしていたのだった。ウドバーハジーセンターはワシントンDCのダウンタウンからはるかに遠いのだが,何としてもスペースシャトルが見たいのだからやむをえなかった。
 しかし,意外なことに,私が昨晩泊まったフロントロイヤルからならばウドハーハジーは目と鼻の先だったのである。そこで,予定を変更して,今日,車でウドバーハジーセンターに行くことにしたのだった。

 ワシントンDCの最寄りの国際空港は3つある。それらは「ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港」(Donald Reagan Washington National Airport),「ダレス国際空港」(Dulles International Airport),そして「ボルチモア・ワシントン国際空港」(Baltimore/Washington International Thurgood Marshall Airport)である。
 「ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港」はワシントンDCのダウンタウンから近く,地下鉄で容易に行くことができるのだが,手狭になったのでダレス国際空港に国際線を譲った。しかし「ダレス国際空港」はワシントンDCのダウンタウンからは30マイル,つまり約50キロも離れている。
 いわば,ワシントンDCのレーガンとダレスの空港は東京の羽田と成田の空港と同じような関係なのだ。ちなみに成田は東京都心から70キロ離れている。
 しかし,成田は遠いとはいっても,交通の便は悪くなく,それとは反対に,ダレス国際空港はアクセスが非常に不便なのだ。地下鉄が建設中で,現在は途中からバスに乗らなければならない。日本からワシントンDCに行く人はたいへんである。
 もうひとつのボルチモア・ワシントン国際空港はワシントンDCというよりもボルチモアに近く,むしろボルチモアの空港であるが,ここはアムトラック(Amtrak=アメリカの高速鉄道)の駅があるので,ワシントンDCへ行くにはダレスよりもずっと便利である。ワシントンDCまではやはり30マイルほどの距離にある。

 私はこの旅で来るまでは知らないないことだらけだったからフィラデルフィアで戸惑ってしまったが,実際は日本からニューヨークやワシントンDCのようなアメリカ東海岸の大都会へ行くとき最も便利な空港は,フィラデルフィアだということが行ってみてわかった。
 ニューヨークも空港からダウンタウンには地下鉄が通じているが距離がある。ボストンも悪くはないが,ボストンからニューヨークまでが遠い。その点,フィラデルフィアは空港からダウンタウンまで近いし,フィラデルフィアからはワシントンDCもニューヨークも近く接続がよいから非常に便利だし,何より,フィラデルフィアのダウンタウンが広くなく日本料理店もたくさんあって便利なのである。

 話を戻そう。
 なぜワシントンDCの空港の話題を出したかというと,ウドバーハジーセンターは,このダレス国際空港の敷地にあるからなのだ。
 早朝のインターステイツ66は通勤ラッシュで大渋滞であった。つまり,このあたりはすでにワシントンDCのベッドダウンなのだ。私は,その混雑する道路をのろのろと走って,それでもなんとかウドバーハジーセンターに到着することができた。道路標示に従ってウドバーハジーセンターの駐車場のゲートに着いたが,開館は午前10時からだったのでまだ1時間ほど早くて,ゲートが閉まっていたから,私は,ゲートが開くまでこのあたりを少しドライブすることにした。そして見つけたのが「Village Center」(5635 Stone Rd, Centreville, VA 20120)というモールであった。ここには「松すし」というお寿司やさんがあった。さすがに,ワシントンDCが間近なこのあたりまで来ると日本人もたくさん住んでいるんだなあ,と思ったことだった。

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