しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:オーストラリア

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  NHKBSP「ワールド・トラックロード 〜俺の助手席に乗らないか〜」,1回目のアメリカ編に続いて2回目はオーストラリア編でした。この番組は
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 世界のトラック野郎が見る景色を「主観」で楽しむ新感覚ロードドキュメンタリー。
 運送の仕事を擬似体験しながら,高さ2.5メートルの車窓に広がる壮大な景色を堪能する。
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と番組の紹介にあるのですが,オーストラリア編が放送されたのは2023年1月2日で,見逃してしまったので,再放送がいつあるのか,ずっと探していました。それが3月24日に放送されたので,録画して,佐渡島から帰ってから見ました。
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 今回の舞台はオーストラリア。
 ▼赤土の大地を横断する長距離トラックの助手席から見えた絶景とは?
 ▼6日間・4,300キロメートルの大陸横断の仕事に密着! ガイドブックにはないオーストラリアの素顔とは?
 ▼カンガルーやコアラに注意! 標識にびっくり!
 ▼荒涼とした大地「アウトバック」を疾走!
 ▼オーストラリアで一番長い約150キロメートル直線の道
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というのが,番組のテーマとなっていました。

 アメリカもそうですが,私はオーストラリアもかなりの距離を走ったことがあります。私が走ったのはニューサウスウェールズ州とクインズランド州,そして,ノーザンテリトリー州のウルル・カタジュタ国立公園あたりです。そのなかでも,ニューサウスウェールズ州とクインズランド州は砂漠の中を深夜6時間以上走った経験があります。
 番組にもあったように,オーストラリアを走るときは動物の飛び出し注意で,特にカンガルーは車と並走して走っていたり,道路にはよく死骸があります。
 しかし,それ以外は,ほとんど車も走っていないし,のどかな大平原を走りやすい道がずっと続いているので,とても楽に走ることができます。シドニーやブリスベンなどの大都会に一部高速道路があるだけで,片側1車線の道路です。
 そこで,アメリカとはまったく違っていて,変化も何もなく,かなり単調であり,刺激もありません。時折小さな町があるだけで,それ以外のところは街灯もないし,赤茶けた大地が広がっているだけです。地形も,アメリカのように変化に富んでいるわけでもありません。

 オーストラリアでは,トレイントラックといって,鉄道のように何両も接続した大型トラックが走っています。そんな国ですが,私が最も印象に残っているのは,ウルル・カタジュタ国立公園のガソリンスタンドに石油を運んできたタンクローリー車の運転手さんと話をしたときのことです。日本ではありえないものすごく長いタンクローリーを接続して,オーストラリア大陸を横断していると言っていました。とにかく,町を出ると,永遠に続くとさえ思える大地に道路だけが続いていて,ちょっと想像を超えています。自家用車ならともかく,こんな大型車が故障でもしたらどうするのだろう,と思ってしまいました。
 オーストラリアでは5時間も6時間もかけて隣町に行くのは普通のことというのですが,日本に住んでいる人に想像がつかないことでしょう。アメリカは大陸横断をしてもおもしろくロマンチックでもあるのですが,オーストラリアにはそんなときめきも感じません。
 私は,オーストラリア大陸を車で横断するような夢も勇気はもち合わせていません。であるのに,奇しくも,深夜の6時間,オーストラリア大陸を走り続けたことがあります。時に運転を休憩して外に出て空を眺めたときのろうそくの光ひとつない暗闇に輝く満天の星は地球上とは思えないすばらしさで,これだけは,オーストラリアでなければ味わえない感動でした。
 しかし,それまでは夜の光なんて星が見えなくなるだけだと毛嫌いしていたのに,遠くに町の明かりが見えたときのホッとした気持ちも,今は,強烈にこころに残っています。
 それやこれやで,懐かしい気持ちにさせられた番組でした。

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 昨年の3月までは当然のように年に何度も世界中を飛び回っていました。いつもいくつもの予定を抱えて,それが実現するのを楽しみに日々を送っていました。しかし,コロナ禍で,海外旅行もままならなくなってしまいました。
 そのころのことを思い出すと,距離的には変わらずとも,精神的に世界はずっと遠くなってしまいました。しかし,病気の蔓延はあっというまに世界に広がり,人類は地球上のどこにも逃げ場がないのだから,地球も狭いものだと思います。そしてまた,いつも偉そうな人間もわずか0.1マイクロメートルごときの,マスクの網の目なんて簡単にすり抜けるウィルスにおびえているんだから大したしたことないんだなあとも思うようになりました。ざるでは水はすすくえません。
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 さて,そんな,ある意味広く,また,別の意味で狭い世界。行くことさえままらない今,ふと懐かしくなるのが,なぜか,ほとんどの日本人が行ったこともないような小さな町の小さなお店のことです。住んでいる町のカフェですら,1度も入ったことがないところがたくさんあるというのに,こんなお店に,1度ならず,2度も,それも別の機会に入ったことがあるのが不思議です。
 今日は,そんなお店の紹介です。

 写真は,オーストラリア・ニューサウスウェールズ州の小さな町クーナバラブラン(Coonabarabran)にある1軒のカフェです。多くの日本人には,オーストラリアといえば,シドニーとかメルボルンで,こんな町があることすら知らないことでしょうが,むしろ,オーストラリアのほとんどの町はこの程度です。
 こうした町は,メインストリート沿いに必要最小限のお店が並んでいて,町の中央にはスクランブル交差点があって信号機はなく,道路の端はどこも駐車ができる,という感じです。お店は午前9時から午後5時までというのが多く,それより遅いと開いていません。
 クーナバラブラン,私はこの町,とても好きなのですが,町にあるカフェといえば,このお店くらいのものです。ということで,私は,2018年と2019年,ここに2度も入ったことがあります。
 この先もいつでも行けると思っていたのですが,今となっては,それも幻のような気がして,とても寂しいです。

 住民は郊外の広い家に住んでいて,静かで清楚で,町外れには広い美しい公園が広がっています。そして,夕暮れにでもなると,それぞれ好き好きに散歩をしたり,ジョギングを楽しんだりしています。
 私は,こうした町にはじめて行ったとき,ここに住む人は何を楽しみに生きているのかな,と思ってしまいましたが,考えてみれば,日本人の生き方のほうがかなり異質なのかもしれません。今では,私もこうした町に行くと,公園のベンチで時間を忘れてぼーっとするようになってしまいました。

 外国に出かけられない今,家の近くにこんなくつろげる場所がないものかと探してみるのですが,見つかりません。道路は狭く汚く,町も公園もゴミだらけで,落ち着けるところなんてまずありません。澄んだ川や池もないし,沈みゆく夕日をのんびり眺められるようなベンチすらありません。
 私は,若いころから,静かなところに住んで,少し郊外に行けば夜は満天の星が広がっているような街灯のない平原があって,平日は朝の9時から夕方の5時まで残業は一切しないで働いて,別にお金などそれほどなくてもいいから,そしてまた,地位も名誉もいらないから,お休みの日は音楽を聴いたり本を読んだり散歩を楽しんだり,そんな穏やかな生活をおくることができるのなら,それで満足だとずっと思っていたのですが,日本にはそんな場所はどこを探しても存在しません。
 …などと書いていたら,なぜか,悲しくなってしまいました。

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 まさか私がウルル(エアーズロック)に行くとは思ってもいませんでした。私には「別の世界」のことだと思っていました。第一,あんな遠いところにどうやって行くのだろうと思いました。それが,行ってみたいという友人がいて,私を誘えばなんとかなるだろうということで,行きがかり上,行くことになりました。
 行きの飛行機が遅れ,乗り継ぎ便に間に合わないとか,まあ,いろんなことがありましたが,幸運にも,今は登ることができなくなった頂上まで登ることもできたし,この時もまた,幸運な旅になりました。
 
 そんなこんなで,星を見るために行ったわけでないので,特別な機材も持っていなかったし,天気も特に気になりませんでした。それでも,滞在最終日の夜,晴れました。
 ウルルのある場所はウルル・カタジュタ国立公園(Uluru-Kata Tjuta National Park)という場所で,国立公園には夜は入ることができません。街灯がないので,もし,深夜に行くことができれば絶品の星空が見られるだろうと思うと残念な気がしました。砂漠のど真ん中なので,宿泊できるのは国立公園からは少し離れたリゾートエリアにあるホテルで,その一帯は街灯がまぶしい場所です。
 滞在最終日の夜,晴れました。私はそのころはもう南半球の星空は見慣れていたので,特に未練はなかったのですが,はじめてという友人に南半球の星空を見せたいと,少しは街灯のない場所まで出かけることにしました。
 そうして写したのが今日の写真です。特別な機材も持っていなかったので,単に三脚にカメラを固定して写しただけのものです。でも,これだけの星空が写ってしまいます。

 あとで考えると,国立公園の圏内に入ることはできないにせよ,ウルルを入れた写真を写すことができる場所もなかったわけでないのですが,それを取り損ねたのがとても残念なことでした。
 行ったのは日本の3月のことで,季節が反対のオーストラリアではまだ残暑が厳しく,観光シーズンではなく,比較的空いていました。観光シーズンは日本の夏のころで,多くの観光客でごったがえします。しかし,このコロナ禍で観光産業しかないこの地が今どうなっているのかが気がかりです。私が訪れたときに働いてた人はどうなっているのでしょう? 親切にされただけにとても心配です。
 この場所もまた,もう行くことはないと思ってたのですが,今思い出すと,また,いってみたいなあ,と懐かしくなる場所のひとつです。

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Thank you, Santa.

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☆☆☆☆☆☆
 さて,今日からはニュージーランドに続いて,オーストラリアです。
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 所詮は趣味。お金をかける気もなく,古い機材しか持たない私は,1980年代のまま星見を楽しんでいるのですが,そのころに発行された雑誌の写真を見ると,今の私の作品は1980年代のものと比べれば「いい勝負」をしているのに満足しています。当時はディジタルカメラすらありませんでしたから,それは当然です。おそらく,現在,最新の機材でいくらすぐれた写真を写しても,30年後の世界では,きっと同じようにそれなりの作品になってしまっていることでしょう。
 ということは余談として,ここで書きたいのは,1986年がハレー彗星の接近した年だったということです。このときのハレー彗星は非常に条件が悪くて6等星止まりで,それも北半球では地平線付近にしか見られませんでした。しかし,南半球なら少しはマシな姿が見られるとあって,当時の裕福な天文マニアは大挙して南半球にでかけたものです。今とは違って,行動力もお金も時間もなかった当時の私は,当然,南半球に行くことができなかったのですが,そのころ雑誌に載っていた南半球の情報をずっと覚えていて,歳をとった今やっと,それを参考に頻繁に南半球を旅するようになりました。
 そのなかでも,1986年当時,私が最も憧れたのが,オーストラリアのクーナバラブラン(Coonabarabran)でした。

 クーナバラブランはシドニーから車で6時間以上もかかる場所なので,今でも容易に行くことはできません。当然,ツアーもありません。そんな場所に,自由な身の私は,2018年の春と2019年の春,2度も行くことができました。1度目は立ち寄っただけだったので,2度目は滞在することにしました。そのときに見た星空が,今日紹介する私が今もこころに残る場所のひとつなのです。
 クーナバラブランの郊外にはサイディングスプリング天文台(Siding Spring Observatory)があります。また,クーナバラブランの小さな町は,とても居心地のよいところです。私はその町の最も評判のよいモーテルに数泊しました。
 とはいえ,はやり,街中では満足に星空を見ることはできません。そこで,ここでもまた,あてもなく車を走らせて星のよく見えそうな場所を探しました。そうして到着したのは,街外れの高台にある,今は使われていない飛行場でした。そこに車を停めてしばらく待っていると,やがて日が暮れて,先ほどまであった薄雲もなくなって,空一面にすばらしい星空が輝き出しました。

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 今日は,これから行ってみたいという場所です。
 私にとってアメリカは別格で,おそらく,これからも行くと思いますが,私にはアメリカは旅行というより東京へふと遊びにいくような感じです。アメリカでこの先行きたいのは,レッドウッド国立・州立公園(Redwood National and State Park),キャニオン・デ・シェイ国定公園(Canyon de Chelly National Monument),メサベルデ国立公園(Mesa Verde National Park)の3つの公園と,アリゾナ州・ユタ州・ニューメキシコ州・コロラド州の4つの州境が交差する場所「フォー・コーナーズ」(Four Corners)です。
 レッドウッド国立・州立公園はサンフランシスコから350マイル(560キロメートル)とかなり距離がありますが,車で行くしか方法がありません。キャニオン・デ・シェイ国定公園,メサベルデ国立公園,「フォー・コーナーズ」はフェニックス,またはアルバカーキーから車で行くことになりますが,これもまたかなりの距離があります。とんでもないところが残ってしまったものですが,これまでも行く機会がありませんでした。また,オールドルート66を66歳になったら走ってみたいと思っていたのですが,その思いがよみがえってきました。
 ハワイとアラスカは,アメリカのなかでも別格の上の別格です。ハワイは,いつも書いているように,オアフ島には興味がなく,私が行きたいのは6島制覇のために残ったモロカイ島とラナイ島ですが,モロカイ島は来年2月に行きますから,あとはラナイ島だけです。ラナイ島はマウイ島から日帰りツアーがあります。アラスカはアンカレッジからフェアバンクスまでドライブしてみたいものですが,アメリカ本土へ行くよりずっと遠く,実現できるかどうかわかりません。

 アメリカ以外で私が何度でも行きたいのはオーストラリア,オーストリア,フィンランドです。
 以前より私は「2リア(リアズ),3ランド(ランズ)」と言っていましたが,「2リア(リアズ)」というのはオーストラリアとオーストラリアのことであり,「3ランド(ランズ)」というのは,フィンランド,ニュージーランド,アイスランドのことです。
  ・・
41lchLzljEL__SX355_ そのなかで,まず,「2リア(リアズ)」についてです。
 ここで少し余談です。オーストラリア(Australia)とオーストリア(Austria)は似ていて紛らわしいとだれもが思っているのですが,当然,まったく違う国です。オーストラリアはラテン語で「南の地」に由来し,オーストリアはドイツ語で「東の国」に由来していて,語源的にも無関係です。なんでも日本ではオーストリア大使館とオーストラリア大使館を間違える人がいて,オーストリア大使館にはオーストラリア大使館への地図が掲げられているそうです。 また,しばしばジョークに登場し,オーストリアの土産物屋では黄色い菱形にカンガルーのシルエットを黒く描いた「カンガルーに注意」を意味するオーストラリアの道路標識に「NO KANGAROOS IN AUSTRIA」と書き加えたデザインのTシャツなどが売られていて,私も見たことがあります。そのときは,なんじゃこりゃと思いました。どうやら,オーストリアの方がオーストラリアを意識しているみたいです。
 オーストラリアは,私には一番のんびりできる国です。何もないといえば何もない国ですが,何度も行くうちにおもしろさが少しずつわかってきました。最も惹かれるのは星空です。これまでにも何度か星を見に行きましたが,帰ってくるとまたオーストラリアで星を見てみたいと思うのです。
 オーストリアは,ヨーロッパの中心で,オーストリアからは北に行けばチェコのプラハ,東に行けばハンガリーのブタペスト,西に行けばドイツのミュンヘン,そして,南に行けばクロアチアのザブレブと,どこにも便利に行けることと,オーストリア自身も芸術の国として魅力が一杯です。これほど芸術に触れることができる国はほかにありません。また,旅をしていて,最もストレスのない国でもあります。
  ・・
 「3ランド(ランズ)」のなかで,アイスランドは最も自然がすばらしい国ですが,物価が高いこととがネックです。また,天候が悪いのもリピートを妨げます。ニュージーランドは自然がもっとも美しい国ですが,オーストラリアからけっこう遠いことがネックです。私は特に南島に興味があって,これまでに2度行きました。2度行くと,見どころというころはほとんど行くことができる小さな国ですが,もう少し近ければ何度でも行ってみたい国です。北島にも一度は行くべきでしょう。
 フィンランドはこれまで北極圏にあるロバニエミにしか行ったことがありませんが,治安もよく,この幸福度世界一といわれる国をしっかり見てみたいものだという想いが募り,この夏に,今度はヘルシンキに行くことにしました。どんな発見があるか,楽しみです。
 うかつにも私はすっかり忘れていましたが,「ランド(ランズ)」にはこれ以外に,アイルランドとポーランドがあるのです。失礼なことをしました。「3ランド(ランズ)+2ランド(ランズ)」です。アイルランドは,これまでにも周りにいる人たちからランドにはアイルランドもあると言われていたのですが,私はアイルランドはイギリスの一部だと信じていたのだから,困ったものです。しかし,ポーランドは気づきませんでした。先日それを知って愕然としました。しかも,ショパンの故郷ポーランドはすごい親日国家なのです。

 こう書いていくと,私が行きたいと思う国は,どこも人が少なく自然の豊富な国なので,もっとアウトドアについて器用ならよかったなあといつも思います。

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ブリスベンの市街地をブリスベン川に向かって歩いていきました。やがて,ブリスベンシティ・ボタニックガーデン(Brisbane City Botanic Gardens)に着きました。この辺りまで来ると市街地の喧騒がなくなるので,もっとさびれたところなのかと思ったのですが,予想が外れて,とても美しいそして落ち着いた場所でした。ボタニカルガーデンというのは文字どおり植物園で,1825年に造園されたガバメントガーデンが基になっている歴史ある庭園ということでした。
動物同様,南半球には北半球にはないいろいろな植物があって,見慣れない花などがたくさんありましたが,私は植物には詳しくないのでよくわかりません。もう夕暮れだというのに多くの人が散歩をしていました。また,植物園の隣には旧総督公邸(Old Government House)や美術館もあって,とてもアカデミックな場所でした。
いたるところに「QUT」と書かれた建物があって,若い人がたくさんいました。私にはこのQUTというのが何なのかよくわかりませんでした。歩いていても,QUITが何の略なのか,どこを見てもはっきりしませんでしたが,後で調べてみるとQUTというのはクイーンズランド工科大学(Queensland Univ. of Technology)のことでした。つまり,私が歩いていたのは大学の構内だったのです。
大きな建物の広いガラス張りの窓からなかが見えました。大きなディスプレイのあるコンピュータがずらりと並んでいて,そこに向かって調べものをしている若者がたくさんいました。どうやらそこは図書館らしいところでした。
私がショックを受けたのはその豪華さでした。
いったいどうしたことでしょう。これだけを見ても,日本の大学とは比較にもなりません。
こうして日本は大学の設備もまたどんどんと世界から遅れていっているのに,海外に出たことのない人はそうしたことをまったく知りません。海外に公費で視察に出かける議員さんたちはいったい何を見てくるのでしょう。そもそも,日本では,この情報化社会に,今でも公立の高等学校には安価なコンピュータが40台,コンピュータ室が1部屋しかないなんて,こんなことで教育ができるのでしょうか。日本は終わったな,と改めて思ったことでした。

地図には,この植物園の先にはブリスベン川が取り囲んでいて,川の向こうに行くには自動車専用の道路の橋しかないように見えましたが,実は,ここにグッドウィルブリッジ(Goodwill Bridge)という歩行者専用の橋が架かっていて,大勢の人が行き交っていました。私もこの橋を渡ると対岸に出ることができました。対岸はサウスブリスベンという場所で,サウスバンク・パークランド(South Bank Parkland)といわれる美しいところでした。
サウスバンク・パークランドは1988年に開催されたエキスポの跡地で,今は16ヘクタールを利用した公園と文化施設になっていて,園内には緑が茂り,川沿いは散歩コースでした。また,ブリスベン川を望むように造られた人工のビーチや,レストラン,フードコート,様々なショップが集まっていました。
時間はちょうど夕暮れでした。方角的に夕日は見られませんが,夕日がブリスベンの高層住宅に反射してとてもきれいに輝いていて,絶品でした。多くの人がイスに座って,夕日が反射するビル街の景色を眺めていました。晩秋なのに気候は20度くらい,そして,湿度が低いので,とても気持ちがよいのです。ブリスベンというのはなんと美しい街なのかと思いました。
私は,サウスバンク・パークランドをブリスベン川に沿って北西に歩き,朝行った観覧車のあるビクトリアブリッジを渡って,再びブリスベンの市街地に戻り,夜のブリスベン市内を散歩しながらホテルに帰りました。

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翌日帰国しました。
その後,すぐに自宅にもどることなく,成田空港近くのホテルに1泊して,その翌日,上野の国立西洋美術館でフェルメールを国技館の相撲博物館で稀勢の里展を見たことはすでに書きました。

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今日の空からの写真にあるように,ブリスベンの市街は蛇行するブリスベン川のV字の中にあります。その左の対岸にそって,美術館や博物館,観覧車などがあります。私はまず,博物館に行きました。博物館の常設展は無料でした。企画展は有料で,アメリカの宇宙開発をやっていましたが,私はアメリカの博物館ですべて本物を何度も見たことがあるのでパスしました。
そのあとで観覧車に乗ろうと思ったのですが,午前10時から動くということで,まだ停止していました。すると,観覧車乗り場の手前の船着場で,ブリスベン川のボートクルーズの乗り場があったので乗ることにしました。先日大阪に行ったとき中之島で同じようなボートクルーズに乗ったのを思い出しました。それにしても,何でも日本は規模が小さくて貧弱なんでしょう。日本はオーストラリアよりも人口も多く経済規模も大きいらしいのですが,何を見ても日本のほうがずっと貧弱です。
ボートクルーズはブリスベン川をずっと下って行って,1時間あまり,そこでUターンして戻りました。船上からみたブリスベンの街並みは本当に美しく,また,気候がよかったこともあって,気持ちのよい時間を過ごすことができました。

クルーズを終えて,改めて観覧車に乗りました。
ブリスベンの観覧車のおもしろいのは,乗るときに観覧車が停止することです。1台ごと停止しては客を乗せていくのです。そして,客足が途絶えたところで回転開始です。そこで,回転をはじめるまでにずいぶんと時間がかかるのです。
いよいよ回転がはじまりました。回転は日本の観覧車とは違ってスピードが速く,しかも1周ではなく7周もしました。こういう発想の違いがとてもおもしろいです。そこで,降りるときもまた,その逆に,1台ずつ停止しては客を降ろしていくのです。観覧車から見たブリスベンの街並みもまた格別でした。
海外に出かけると,日本で当たり前だと思っていることとまったく違うこうしたことに出会って驚くとともに,いろんなことを感じます。それにしても,行くたびにどんどんといろんなことが発展していく様にくらべて,相も変わらない,それどころか古びていく日本を嘆かわしく思うのですが,海外に出たことのない人や,ツアーでしか海外旅行をしたことのない人はそうした実感がないことでしょう。

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何度もブリスベンの空港には降りたのに,これまでブリスベンのダウンタウンに行ったことがなかったので,町の様子が想像つきませんでした。ブリスベンでは郊外に出るのにダウンタウンの地下を走る高速道路を使うので,街中の姿を見ていないのです。
都会を観光するのに最も心配なのが駐車場です。2か月前にシドニーに行ったときは大変でした。駐車料金もえらく高額でした。今回もまた同じようなことになるのかと覚悟しました。さらにまた,宿泊先を探すのにも苦労しました。なにせ,土地勘がありません。しかし,何とか予約したホテルは結構デラックスなものでしたし,便利な場所にありました。
ホテルの場所はブリスベンのダウンタウンから少し北東に行ったところでした。ただし,チャイナタウンの近くで少し風紀の悪そうな場所でもありました。とはいえ,治安が悪いという感じはありませんでした。到着したとき,隣接されているという駐車場が見当たりませんでした。フロントで聞いてみると,隣のビルだということでしたが,シャッターが閉まっていました。このホテルのシステムは,まずチェックインを済ませてルームキーカードを受け取って,受けとったルームキーカードをかざすとシャッターが開くというものでした。これではわかりません。
ということで,先に駐車場に入れず,チェックインをするまで一時車を停める場所を確保するのに苦労しました。この辺のいい加減さが極めてオーストラリア的な大まかさなのです。
さて,到着してみてはじめてわかったのは,ブリスベンのダウンタウンはどこも徒歩圏内で行くことができて,心配した駐車場もまた,車をホテルに停めたまま,ホテルからは歩いて観光ができるということでした。おかげで,都心に駐車場を探すという心配がなくなりました。

夜にホテルに着いたので,その晩はダウンタウンで食事をしました。そして翌日,ダウンタウンの観光をしました。ブリスベンという都会は思った以上にすばらしいところでした。とにかく町がきれいでした。食べるところにもまったく困りませんでした。
街の中心部はクイーンストリートとアンストリートという道に沿ったあたりで遊歩道となっていて,夜遅くまでにぎわっていました。私にはこうしたブランド品の並んだ店にはまったく興味がありませんので,ブリスベン川の橋を渡って対岸までいくことにしました。対岸には博物館や美術館,そして,観覧車などがあります。以前,EXPOを開催した場所なのだそうです。このあたりのことはまた次回書くことにしましょう。
橋のたもとにカジノがあったので,中に入ってみました。私は今から20年ほど前,アメリカのラスベガスに行ったとき,カジノ -といってもスロットマシンですが- を少しだけやったことがありまず。ビギナーズラックでおもしろいほど儲かりました。私はこうしたギャンブルにはまったく興味も魅力も感じませんが,せっかくなので,中に入ってその様子を眺めてみることにしました。カジノというと聞こえはいいですが,結局パチンコ屋です。朝から結構多くの人が遊んでいるのに驚きました。見ていても何がおもしろいのだろうと私は思ったのですが,カジノの風景自体は映画を見ているようでそれなりに興味深い場所でした。

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ブリスベンから南に海岸に沿って1時間ほど走るとゴールドコーストに至ります。名前だけは知っていたのですが,私はこれまで行ったことがありませんでした。ここは有名な海岸で,サーファーにとっては聖地なのだそうです。しかし,私のイメージは人も車も多い観光地。それであまり行きたいと思わないところでした。聞くところによれば,日本からゴールドコーストへ来た観光客が現地で行くのはテーマパークや土ボタル鑑賞だそうですが,私はそのいずれも興味がありませんでした。
私がオーストラリアに出かける目的は星を見るということなので,せっかく晴れているのに星の見えない都会にいるのがもったいないのです。そこで,これまでは,ブリスベンから一路,星の見える暗い内陸に行ってしまうし,帰りもまた,ブリスベンから帰国してしまうということばかりでした。

今回,ブリスベンに2泊することになりました。最終日は帰国するだけだったので,その前々日と前日にゴールドコーストとブリスベンの市内観光をすることになりました。私が星見をしたバランディーンからは約2時間30分でブリスベンに戻ることができるのですが,その途中に少し遠回りすればゴールドコーストなので寄ってみることにしました。
今回はじめて知ったのが,バランディーンからゴールドコーストに行く途中のシニックリム(Scenic Rim)というエリアでした。ここは美しい高原で,滝や湖がありました。オーストラリアには知らないすてきなところがいっぱいあるものだと改めて知りました。やがて,ゴールドコーストに近づくにつれて,これもまた美しい小さな町がたくさんありました。そしてついに,ゴールドコーストに到着しました。

予想と反して,ハワイのワイキキビーチとは違って海岸線にそって町があるのではなく,海岸から1本内陸にはいったところに都会が広がっていました。私は都会には興味がないので,まず,海岸に行ってみました。
季節が晩秋だったかからか,海で遊んでいるような人はほとんどいませんでした。若い女性が2人水着姿で日光浴をしていただけでした。私は無知なのでわかりませんが,夏になれば,多くのサーファーがここに来るのでしょうか? ともかく,私の行った時期はほとんど人のいない,そして,ごみひとつない砂浜が続いていました。混雑して古びたハワイの海岸なんてメじゃないと思いました。
その後,海岸の駐車場に車を停めて町に歩いていきました。そこには高級住宅がずっと続いていました。ここで私はこんなところなら住んでみたいものだとはじめて思いました。
時期がよかったからか,思ったほど混雑してもおらず,予想に反して,ゴールドコーストは落ち着けるところでした。オーストラリアの上空はオゾンホールがあって,紫外線が強いので,日焼けに注意です。そこで,この海で泳ぐなどというのは自殺行為だと思うのですが,そのこと以外は,これほど魅力的な海岸はほかにはないなあと思いました。
ゴールドコーストから1時間,ブリスベンまでの道路は車が多く,反対車線は大渋滞でした。

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ブリスベンから南西に160キロメートルほど走ると,ウォリック(Warwick)という町があります。オーストラリアは,シドニーとかメルボルンのような大都会以外は多くの日本人にはなじみがなく,どんな場所なのか想像もつきません。私も3年前にはじめてオーストラリアの郊外を走ったときは興味津々でした。
ウォリックはオーストラリアのクイーンズランド州にあって,人口は約15,000人ほどの中都市です。もっとずっと小さな町の多いオーストラリアでは比較的大きな町で,教会のまわりに商業施設が並び,ファーストフート店や大きな病院,そして公園などがあります。昨年大きなモールができたので,昔からあった商業施設は日本の中都市同様にずいぶんと痛手をうけているように感じます。私はこの町を訪れると,日本の大垣市を思い出します。

そのウォリックを走っていると,クイーンメアリーフォールズ(Queen Mary Falls)という道路標示が見つかります。まったくこのあたりのことを知らなかった3年前,近くに滝でもあるのかとその道路標示に従って行ってみたところ,一向に何もなく,仕方なく戻った経験あります。2度目にウォリックに行ったとき,町の中心にある観光案内所で聞いてみたところ,わかりやすい地図をもらいました。そしてはじめてクイーンメアリーフォールズに行くことができました。
ウォリックからさらに40キロメートルほど東に行くとキラーニー(Killarney)という小さな町に到着します。この町からはじまるのがマクファーソン山脈(McPherson Range)ですが,その山並みに沿って道路が整備されていて,そこを走っていった先にクイーンメアリーフォールズがあるのでした。
今回も,天気がよかったことと前回はゆっくりできなかったことで,クイーンメアリーフォールズに行ってみることにしました。

ウォリックからキラーニーまでは,オーストラリアとは思えない,むしろニュージーランドのような美しい景観がずっと続きます。私は,オーストラリアというとエアーズロックにみられるような茶色の大地を思い浮かべるのですが,ここはまったく違います。また,キラーニーはメインロードのまわりに数件のレストランや小さな宿泊施設があるだけの町ですが,こういうところに行くとなぜか旅愁が高まり泊ってみたいものだといつも思います。昨年6月に行ったアメリカ・カリフォルニア州のイニョカーン(Inyokern)という町もそうでしたが,こうしたところを魅力的に思う私がいます。
キラーニーから山並みに沿って走っていくと,まず,ブラウンズフォールズ(Browns Falls)という看板あります。そこには小さな公園があって,川に沿ってずいぶん歩くと滝に着くということです。小径は自然の道で結構歩くのが大変です。途中まで行ってみたのですが,その先まだまだたいへんそうだったので滝まで行かず途中で引き返してしまったので,どういう滝なのか今もってわかりません。
次にあったのがダックスフォールズ(Daggs Falls)ですが,この滝は道のわきにある展望台から見ることができます。
そして,いよいよクイーンメアリーフォールズです。ここは駐車場に面してレストランもあって,なかなかいい感じの場所です。滝は駐車場から遊歩道を歩いて15分くらいです。昨年は滝に沿って大変な思いで遊歩道を一周して滝の下まで行ったのですが,今回は滝を見下ろす展望台だけにしました。そのかわり,レストランで昼食をとりました。
この滝を巡るドライブウェイはその先もずっと続いていて,今回はじめてさらに行ってみたのですが,それはそれはすごいところでした。オーストラリアのド田舎という感じでした。牧場には鉄条網がないものだから,道路に牛は出てくるし,ずっと延々と牧場が続いていました。
日本人の知らないオーストラリアの姿を見たような気がしました。それにしても,こんなところに行く日本人もめったにいますまい。そしてまた,私の好きなオーストラリアの雄大な風景がそこにはあります。
きっと夜にでもなれば人工の明かりもなく満天の星空が広がっていることでしょう。

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ブリスベンは観光地としては無名に近く,オーストラリアといえば,多くの人が出かけるのはシドニーやメルボルン,グレートバリアリーフ,ゴールドコースト,そして,エアーズロックというところでしょうか。私も,生まれてはじめてニュージーランドに出かけたときにトランジットではじめてブリスベンという町を知りました。その後,私の定宿となったバランディーンのゲストハウスがブリスベンから車で2時間30分程度の場所にあったことから,ブリスベンの空港を使うことが増えました。しかし,ブリスベンという町自体は通り過ぎるだけで,ダウンタウンを観光することもありませんでした。
今回はじめてブリスベンのダウタウンを観光しました。このことはまた後日書きます。今日はブリスベン郊外にあるマウントクーサ展望台(Mt.Coot-tha Lookout)とローンパイン・コアラサンクチュアリ(Lone Pine Koala Sanctuary)についてです。

この2か所は昨年も行きました。ブリスベンからバランディーンに行く途中に寄ったものですが,今回もまた,到着した日にバランディーンへの途中に寄りました。成田からブリスベンまでの直行便は到着が早朝で,そのまま走って行ってもローンパイン・コアラサンクチュアリの開館時間である午前9時よりもずいぶんと早く到着してしまいます。そこでまず寄るのがマウントクーサ展望台です。
このブリスベン郊外の高台にある展望台からはブリスベンの町が一望出来て,本当に気持ちのよい場所です。展望台は前回来たときはまだカフェも閉まっていたのですが,今回は土曜日ということもあって,早朝からずいぶんと多くの人がいました。ここは夜景も美しいところなので,次回は夜来てみようと思いました。
ふもとにはブリスベンボタニックガーデンや科学館があります。展望台からの帰り道,植物園に寄ってみました。とても静かなところでした。時間をかけてゆっくり歩いてみたいものだともいました。ここにはユーカリの木がたくさんあって,コアラもいるという表示がありましたが,残念ながら見ることはできませんでした。
ボタニックガーデンには日本庭園があるということです。また,科学館にはプラネタリウムがありますが,今回もまた行くことができませんでした。

この展望台からもう少し郊外に行くとあるのがローンパイン・コアラサンクチュアリです。ここは1927年に開園した世界最大・最古のコアラ園です。この動物園は意外と狭いのですが,日本ではめずらしい動物,タスマニアンデビル,カモノハシなどがたくさんいます。特にコアラは130頭を越して,一杯います。ここはコアラを抱くこともできます。オーストラリアではコアラを抱くことのできる州とできない州がありますが,クイーンズランド州では抱くことができます。
また,園の奥にはカンガルーやエミューが放し飼いになっていて,おなかに子供がいるカンガルーも見たし,カンガルーに触ることもできました。
また,レインボーロリキートという色鮮やかな鳥の餌付けも見られました。
何度行っても楽しい場所です。

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今日は食事について書くことにしましょう。
食事の前にコーヒーの話題からはじめます。オーストラリアでもニュージーランド同様,フラットホワイトというコーヒーがあります。フラットホワイト(Flat white)というのはオーストラリアやニュージーランドで人気なエスプレッソベースのコーヒーです。エスプレッソにきめ細やかに泡立てたスチームミルクを注ぎ,エスプレッソと牛乳がよく混ざり合った飲みやすいコーヒーです。カフェ・ラッテやカプチーノと比べるとフォームの量が少なくエスプレッソ版のカフェ・オ・レとも言えます。ちなみに,オーストリアではメランジェ(Melange=「混ぜたもの」の意)が人気です。これはミルクを加えたコーヒー飲料を指す言葉で,オーストリアで日常的に飲まれているものは,エスプレッソにミルクを加えてその上からミルクの泡を乗せたものです。
あまりこだわりのない私は,このふたつの区別がよくわかりませんが,日本でコーヒーにミルクをたっぷり入れる私としてはこれで十分満足なので,いつもオーストラリアやニュージーランドではフラットホワイトを,ウィーンではメランジェを注文します。
朝食はコーヒーショップのような場所にモーニングメニューがあるので,そこで気軽に食べることができます。シンプルなものは写真にあるようなトーストです。

オーストラリアで食事をすることはとても簡単です。
少し豪華なレストランだと先に席に案内されて,そこに店員さんが注文を取りに来てくれます。この場合,支払いは食事のあとでレジに行って支払います。もう少しカジュアルな場所だと,先にレジでメニューを見て注文して支払いを済ませて,番号板をもらって空いた席に座っていると持ってきてくれます。
いずれにしても,チップがいらないので,アメリカよりもずっと気楽です。なお,無料の水は店のなかのどこかにおいてあるのでそこに行って自分で注いでくるか,あるいは水を入れたビンをテーブルに持ってきてくれる場合もあります。
当然値段はまちまちですが,およそ1,500円程度あれば十分に事足ります。
2か月前にエアーズロックに出かけたときはステーキばかり食べていましたが,今回はおおよそハンバーガーばかりにしました。ハンバーガーというと日本人はマクドナルドを思い浮かべるので,おやつ替わりのようなイメージになってしまいます。もちろんオーストラリアにもマクドナルドはあって,というか,書いていて思い当たったのですが,マクドナルドとサブウェイ以外のファーストフード店をオーストラリアではあまり思い浮かびません。
私が食べたのはマクドナルドでなくて,一般のレストランのハンバーガーで,写真のようなものです。実際,ハンバーガーというと,パンとお肉と野菜を安価にたっぷり食べることができる優秀な夕食となります。

ブリスベンのダウンタウンでは,日本食も食べられます。今回は,試しにお寿司屋さんに行ってみました。
「いらしゃいませ」という声に迎えられましたが,店員の女性は中国人でした。日本のクルクル寿司とおなじようなもので,テーブルが2列で回転していたのが日本とはちがうところでした。お茶は有料でした。回っていないときはタッチパネルで注文をします。メニューにはカレーライスもありました。
一般に海外では中華料理は安くボリュームがあります。それに比べて,日本料理は高いです。しかし,日本人がやっている場合よりも中国人や韓国人がやっていることのほうが多く,これをもって日本料理だと思ってもらっては困る,というくらいのモノのほうが多いのが実態です。
いずれにしても,オーストラリアでは食事はほとんど英語ができなくても何とかなるし,アメリカのように,チップ欲しさに途中で店員が「食事はどう?」などとしらじらしくきいてくることもないしチップもいらないので,とても気楽です。

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エアーズロックに登頂して早くも2か月経ちましたが,再び,オーストラリアに行きました。もともと今回のほうが先で,エアーズロックに行くことになったのが後の計画でした。
この季節,オーストラリアは晩秋ですが,最高気温は20度ほどでちょうど過ごしやすい季節です。また,天気もよいので星を見るにも最適,ということで,ここ3年間,この時期の新月のころ星見を目的に出かけています。今回は,いつものバランディーンにあるゲストハウスに3泊,その後ブリスベンに2泊して,ゴールドコーストとブリスベンの観光をすることにしました。これまではブリスベンに降り立ってそのまま郊外に行ってしまったので,ブリスベンという都会に足を踏み入れたことがなかったのです。
5泊7日くらいの日程で片道9時間ほどのフライトであれば,深夜バスに乗って東京へ数日でかけるのとそれほどの違いもありません。このブログでは「LIVE」として書いていますが,すでに帰国しているので,今回は日にちを逆追いで書いていきたいと思います。

いつも書いているように,名古屋近郊に住む私には,セントレア・中部国際空港から直行便のあるヘルシンキとホノルルはとても便利ですが,デトロイトしか直行便のないアメリカ本土と香港経由でしか直行便のないオーストラリアは不便です。それでもセントレアから成田,あるいは羽田までの国内線がもっと便利であれば問題がないのですが,いつも苦労させられます。特に帰り,帰国便が成田に着くのが遅いので,セントレアまでの便がありません。
香港経由は香港での乗り換えがわずらわしいので,今回もまた往復成田空港からブリスベンまでの直行便を利用しました。行きはセントレアから成田空港までJAL便に乗りましたが帰りは便がないので,今回は成田で1泊をして翌日東京から高速バスで帰ることにしました。成田の東横インの宿泊代が約5,000円と少し,東京から名古屋までの高速バスが3,000円と少しなので,成田から直接新幹線で帰るより安いのです。

帰国して成田に宿泊した翌日,私は午前中に両国国技館の相撲博物館で開催されている稀勢の里展と上野の国立西洋美術館常設展にあるフェルメール「聖女プラクセディス」を見て,午後のバスに乗ることにしました。前回東京に行ったときは夏場所の開催中だったので,チケットを持っていなかった私は相撲博物館に入ることができませんでした。そして,上野も何度も足を運んでいるにも関わらず,特別展をやっていたりしてなかなか常設展を見る機会がありませんでした。
稀勢の里展での最大の見ものは5組すべてがそろっていた三つ揃いの化粧まわしでした。受付にいた女性がこれをすべて集めるにどれだけ苦労したことか,と言っていましたが,私はその苦労がわかるので,共感しました。ついでに,夏場所で優勝力士に渡された通称「トランプ杯」も見ることができました。
フェルメール「聖女プラクセディス」は,フェルメールの真筆かどうか議論のある作品ですが,私は,それでもたった1作しか日本にないフェルメールということと,作品になにかオーラを感じて,とても感動しました。
そんなわけで,オーストラリア旅行よりも? 有意義な時間を過ごし,雨の降る東京を後にしました。
それにしても不気味だったのは,JRに乗っても,バスを待っていても,この国の人は無口で無表情であることです。混んだ電車の車内で人をかき分けて通るときに「済みません」の一言も発しないのは,何か恐ろしい世界に舞いもどった気がしたものです。

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ホテルにチェックインしてから,夕食をとるために国際線ターミナルまで歩いて行ってみました。ターミナルには多くのレストランがあるからです。徒歩で2~3分という距離でした。
国際線ターミナルではこの日の晩に日本に向かうANAのフライトのチェックインをしていました。ここで私は夜に日本に行くフライトがあることをはじめて知って,それならばあえてシドニーに1泊する必要もなかったなあと少し後悔しました。それはともかくとして,広い国際線ターミナルのチェックインカウンタを通り過ぎると,その向こうに多くのショップが軒を連ねていました。そのほとんどはブランド品の売り場で,ここは空港でなく銀座のような感じの場所でした。私は昨年の秋にニュージーランドからの帰路,シドニーでトランジットをしたのですが,そのときにはじめてここに来てその規模の大きさに驚きました。

私が目指すのはブランド品ではなくレストランです。
シドニーのターミナルは,このようにやたらと規模が大きくたくさんのショップがあるにもかかわらず,ラウンジが少ないのです。昨年,搭乗までの時間をつぶすためにラウンジを探したときにはアメックスのゴールドカードで入ることができる狭く混雑したところしかなく,仕方なくそこを利用しました。せっかくのプライオリティパスを持っていても使えるラウンジがないので,その代わりに,プライオリティパスは指定されたレストランで3,500円程度の金券として使えるのでした。しかし,そのレストランで聞いてみると搭乗券がないとダメということでした。この晩は明日のフライトのチェックインがまだできないので私は搭乗券がなく,プライオリティパスの利用を断念して,お金を払って軽く食事をしました。それだけではまだ夕食には足りなかったのですがこのくらいにして食事を終えてホテルに帰ろうと歩いていると,ターミナルビルの出口付近にマクドナルドがあるのを発見,そこで飲み物とサラダを購入しました。すでにストローは紙製になっていました。
このように,いろんな意味でオーストラリアというのは何かアンバランスで,そこがまた田舎じみていて洗練されていないというか,そこがオーストラリアのいいところなのでしょう。

さて,帰国の日。
昨日見たANAのチェックインカウンタはターミナルの一番奥の他社便と共有の急ごしらえのものだったのですが,JALのチェックインカウンタは1番手前の常設でした。さすがにJAL,というか,やはりJALとANAはこういうところで差があります。チェックインをしながら日本人スタッフと久しぶりに日本語で軽く雑談しました。搭乗券を手に入れたので,昨日行ったレストランに再び行きました。今度はプライオリティパスを利用して無料で朝食を食べることができました。毎回海外旅行ではこのプライオリティパスはとても重宝します。何はなくともプライオリティパスです。
やがて搭乗時間になったので,ゲートに行きました。
搭乗を待ちながら窓から外を見ていると,エミュレーツ航空のエアバスA380が見えました。この旅客機は昨年,ニュージーランドからシドニーまでのフライトで乗ったものと同じです。現在,JALやANAがA380を導入したと大きく宣伝をしていますが,私はもう乗ったことになります。しかし,このA380は大きすぎてあまり需要がなく,すでに製造中止になってしましました。
世界のトレンドはもう少し小さいA350です。このA350はデルタ航空やフィンランド航空でも導入をはじめていて,私が今後行く予定のロサンゼルスやヘルシンキへの便はともにこの新しいA350だそうです。

私はJALの国際線に乗るのは久しぶりでした。JALやANAは航空運賃も高く,乗客のほとんどが日本人なのであまり気乗りがしませんでした。しかし,今回乗ったフライトの乗客の多くは日本人ではなく,オーストラリアからの観光で日本に行くオーストラリア人でした。
機内では,日本食が出たりディスプレイでは「チコちゃんに叱られる」が見られるなど,日本の航空会社ならではでした。それにしても,JALの客室乗務員は始終やたらと忙しそうに動き回っていて落ち着きませんでした。仕事がないと通路の掃除までしていました。外国の飛行機に乗りなれた私にはちょっとやりすぎだなあと思うことが多く,座っていても気になります。機内のトイレには歯ブラシまで用意してありました。そもそも,日本人のやることなすことの90%はやらなくてもいいことばかりなのです。これが日本という国の労働者の姿なのです。こういうのを日本人は気配りだのおもてなしだのと勘違いをしているのです。
パプアニューギニアの上空を通るとき,窓からバタフライアイランドが見えました。帰国してから調べてみると,私の乗ったJAL便では,機内からこのバタフライアイランドが窓から見るというブログがたくさん見つかりました。私はそんなことも知らずに乗っていたのですが,見ることができて幸運でした。以前,冬に北極回りでパリに行ったとき,機内からオーロラを見たこともありますが,こういった思いがけない幸運はうれしいものです。
やがて,成田に着いて入国を済ませ,セントレアへのフライトに乗り換え,予定通り帰宅しました。
  ・・・・・・
こうして,今回の旅も終了しました。行きにケアンズでエアーズロックまでのフライトに乗り遅れたときはどうなるかと思いましたが,あとは予想以上にツイていて,登れると思ってもいなかったエアーズロックにも登頂できたし,満天の星空も見られたし,なかなかおもしろい旅になりました。

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シドニー天文台の庭からは,シドニー湾が美しく見えました。天気もよく,すばらしい景観でした。ただし,オペラハウスは見えませんでした。私は大都会には興味がなく,シドニー観光をする予定もなく,唯一行きたかったシドニー天文台に行くことができたので,それで満足でした。ただし,あまりにも有名なシドニーのオペラハウスの外観だけは見たい,というよりも,どこにあるのかな,という好奇心がありました。
シドニーは今から36年前に一度訪れたことがあって,その時にオペラハウスも見たことがあります。そのオペラハウスがどこにあるのだろう,と思ったわけです。シドニー湾にあることは知っていたので,おそらく近くだろうと思って調べてみると,やはり徒歩圏内だということがわかったので,歩いて行ってみることにしました。
およそ15分くらい坂を下って歩いていくと,やがてオペラハウスが見えてきました。
この旅はこれまで人の少ないところばかりに行ったので,シドニーの都会,特にオペラハウスの近くにあまりに多くの観光客があふれていてびっくりしました。

シドニーのオペラハウス(Sydney Opera House)は20世紀を代表する近代建築物で,オペラ・オーストラリア,シドニー・シアター・カンパニー,シドニー交響楽団の本拠地です。設計者は建築家ヨーン・ウツソン(Jorn Utzon)というデンマーク人です。独創的な形状と構造設計の困難さなどで工事は大幅に遅れ,1959年に着工したものの竣工は1973年となりました。今は世界で最も建造年代が新しい世界遺産です。
それにしても,このオペラハウス,建物はあまりに有名ですが,このホールで演じられるオペラというのを私はほとんど知りません。それが,昨年私が行ったウィーンの国立歌劇場とは大きく異なる点です。そもそもシドニー交響楽団,というもの自体が無名です。というのは私の認識不足なのでしょうか…。
湾の向こうに美しいオペラハウスが見えて,その前を船が頻繁に行き来していました。そして,港にはたくさんのオープンカフェやレストランがありました。
話は飛びますが,アメリカのフィラデルフィアに,映画「ロッキー」で有名になったフィラデルフィア美術館があります。この美術館に至るロッキーステップとよばれる階段もまた観光地で多くの観光客であふれていますが,美術館に入る人はまれです。これとよく似た感じでしょうか?

オペラハウスを見終えて,私はすっかり満足しました。これで簡単なシドニー観光は終わり,ホテルに行くことにしました。この旅もこれで終わりです。この日の晩に宿泊するのはシドニー国際空港の国際線のターミナルからほど近い場所にあります。そこで,先にレンタカーを返して歩いてホテルに行くことにしていました。
まず,空港の近くのガソリンスタンドに行って給油をしました。そして,レンタカーを返却しました。レンタカーの返却はシドニー国際空港の国内線ターミナルにあるのですが,この空港は,国内線と国際線のターミナルがかなり離れているのです。何でも,以前はこの国際線と国内線のターミナル間の移動手段であるシャトルバスは有料!,しかもかなり高く不評だったそうです。今は無料ですが,私はこのこと自体が信じられず,これではターミナル間の移動が不便な成田空港や羽田空港のことを悪くいえないなあと思ったことでした。アメリカの空港に慣れた私には,ターミナル間の移動というのは無料の地下鉄があるのが常識だからです。
バスを探して乗り込んで国際線ターミナルに移動してバスを降りると,目の前にホテルがありました。確かに便利な場所にあるホテルでした。さっそくチェックインをしました。すばらしいホテルでした。ホテルのスタッフの女性はカナダ生まれで,日本に住んでいたことがあるということを言っていました。

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この旅も最終章です。
朝クーナバラブランを発ってシドニーへ行き,シドニーで1泊して次の日の朝,JALで日本に戻ります。1泊しなくても夜シドニーから成田に行くANAのフライトがあったのですが,私はそれを知りませんでした。ここ3年で6回もオーストラリアに行ったのに,日本とオーストラリアを結ぶフライトは何が便利か,どの都市を結んでいるのか私にはよくわかりません。いずれにせよ,私が利用したくないのはセントレア発であれど香港乗り換えのキャセイパシフィック航空です。それは香港の空港が生理的に嫌いだからです。香港で乗り換えるくらいなら成田や羽田で乗り換えるほうがずっと楽です。
シドニーから成田までの帰国便をカンタス航空が運用していると思っていたのですが,探しても見つからず,結局,私にはめずらしくJALになりました。シドニーから日本に行くカンタス航空のフライトは成田空港着ではなく羽田空港着だったことをあとで思い出しました。昨年利用したばかりなのにうっかりしていました。しかし,そんなフライトを運用するくらいなら,成田だの羽田だのといわず,1便くらいはセントレアに飛ばせばいいのにと思ったことでした。名古屋からオーストラリアへ直行便がないのが本当に不便です。

クーナバラブランのモーテルで朝食をとり,チェックアウトをしてシドニーに向けて出発です。クーナバラブランからは5時間くらいでシドニーに到着するので,シドニーに着いたらホテルにチェックインする前に少しだけシドニーの観光をしようと思いました。私がシドニーで行きたかったのはシドニー天文台です。
私がシドニーで借りてクーナバラブランまで乗ってきた車は三菱のSUV,ピッカピカの新車でした。この車はiPhone を接続すると車のディスプレイに iPhone の画面が同期されて,iPhone の Google Map がそのままカーナビになりました。私はこれまで海外旅行では電話やインターネットでさんざん苦労していましたが,この2月にハワイに行ったときからは Glocalme という Wifi ルーターを使っています。このWifi ルーターは現地でスイッチを入れるだけで常時私の iPhone がインターネットに接続されるので,ものすごく便利です。こうするとIP電話も常に利用できるので,電話も困りません。このように,旅をするたびに便利になっていきます。

昨年2月にオーストラリアに来たときにもクーナバラブランまで来たのですが,そのときはクーナバラブランから2時間くらい北に行ったナラブライに宿泊しました。ナラブライで1泊してからバランディーンまで戻りそこで3泊してからブリスベン経由で帰国する予定だったのが,急用ができて急遽帰国することになってしまいました。そこで,ナラブライから深夜のオーストラリア大陸を7時間走って早朝にブリスベンに戻ったので,真っ暗な中を走っただけでほとんどオーストラリアの風景を見ることができませんでした。今回はお昼間に5時間かけてシドニーに戻るので,オーストラリアの風景を味わうことができる楽しみがありました。
途中,何度か小さな町で休憩をしながらのどかなオーストラリアを走り,やがてニューカッスルというオーストラリアの西海岸にある街に到着しました。ここから海岸に沿って南にハイウェイを走り,シドニーに向かいました。大都会シドニーに近づくにつれて車も多くなり,ついにシドニーの高速道路に入りました。

シドニーのダウンタウンに入りました。こうなると車を停めるのにひと苦労です。どの町もそうですが,旅行者にとっては特に都会で路上駐車をしたときパーキングメーターのシステムがよくわからないので困ります。私は面倒なので駐車場を探して停めることにしましたが,シドニーの民間駐車場の法外な値段には驚きました。わずか数時間で何千円もしたのです。
駐車場に車を停めて歩いて天文台に向かいました。
シドニー天文台はNHKBSで放送されている「コズミックフロント☆NEXT」という番組で知りましたが,その番組を見たときはシドニーに行く予定すらなく,「まさか」そこに来ることができるとは,そのときはまったく思いませんでした。エアーズロックもそうですが,この旅では,こんな「まさか」ばかりです。

シドニー天文台はシドニー湾に沿ったシドニーの中心部ハーバーブリッジの側の丘の上にあって,その近くには有名なオペラハウスもあります。この天文台はオーストラリアで最も古い天文台で,シドニーの砂岩を使いイタリア式の建築で作られています。
1858年に作られて,実際に天文台として使用されていましたが,都市の近代化で天文台としての役割を果たすことが難しくなって,1982年以降は博物館として運営されています。天文台として使用されていた当時は,天文台としての役割のほかに,19世紀から20世紀初頭にかけて世界の港湾で船舶に正確な時刻を知らせる目的で設置されていた「報時球」(Time ball)として,ここも重要な役割を担っていました。今でも屋根の上にその十字の棒と丸い玉を見ることができます。
天文台は,展示を見るだけなら無料ですが,有料のプラネタリウムや観望会もあります。日本でいう科学館みたいな場所です。私は,別ここでプラネタリウムを見たいとも思いませんでしたし,星が満足に見られないシドニーの都会で星を見る気もないので,無料の展示だけを興味深々でたっぷり見学しました。

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大雑把に言って,オーストラリアには3つくらいのタイプの町があります。ひとつ目はシドニーとかブリスベンのような大都会です。ふたつ目はもう少し規模の小さな都会です。こうした都会,というか街は,中央に片側2車線から3車線ほどの道路が走っていて,そのまわりにレストランや商店があります。街の中央に教会や役所,そして公園があります。さらに,モールがあります。
そして,それより小さないわゆる町ですが,こうした町は,片側1車線ほどの道路の両端に商店が並んでいて,町の中央は大概スクランブル交差点となっています。道路の端は駐車帯です。町の端から端まで歩いてもさほどの距離があるわけでもなく,そうした町の商店には生きるのに必要なものが最低限あるだけです。
クーナバラブランもまた,そうした町のひとつです。

こうした町に生まれた人がどういう生活をしているのか,私にはイメージがわきません。お店の営業時間は午前9時から午後5時までとかで,休日はお休み。仕事をしていないとき,そうしたお店で働いている人は何を楽しみに生きているのでしょう。テレビ番組だって,おもしろそうなものがあるわけでないし,プロスポーツもそれほど盛んということもない。
逆に言えば,そういった,時間がゆったりと流れる世界で毎日をおくることこそが,人が生きるということであって,日本のように,早朝から深夜まで働いて,満員電車で通勤して,帰りに酒を飲む,などというのは異常なことなのでしょう。学生も,毎日課題やらテストに追われ,休日となれば「ブカツ」。だからといって,暇な時間があればゲームをするかアニメを見るかくらいで,本を読むわけでもなく,何かを作るでもなく,そうした日常からは「学歴」というメッキの「ブランド」を手に入れるだけで,実際は何もできず,何も知らず,人とコミュニケーションすら満足にできない…。
こうした場所に来ると,私は,生きるという根本的なことがわからなくなります。

お昼は,クーナバラブランの端にあるレストランにしました。ここは前回来たときにも入りました。というより,このお店しかない,というべきでしょうか。ここは気持ちの落ち着くいいお店です。
午後は,クーナバラブランから少しドライブしてバランディン(Barandine)というところまで行ってみました。バランディンなんて,ほんとうに小さな町だったのですが,そこにはなぜか無料の立派な博物館がありました。中に入ると,学芸員のような女性がいたので,話をしました。こんなところに来る日本人はいない,と言っていました。
クーナバラブランでも十分に時間を持て余すのに,この町に住んだら,いったいどうやって時間を費やすのでしょう? クーナバラブランに戻って,この日の夕食もモーテルのレストランにしました。
私のクーナバラブランでの日々はこうして過ぎました。

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ワールンバングル国立公園の入口,とはいってもゲートがあるわけではないのですが,そこに進む道路を走っていくと,サイディングスプリング天文台の大きな案内板のある三叉路に出会います。その三叉路を案内標示に従って右折すると,やがて少し険しい山道になって,それがサイデンスプリング天文台に向かう道路です。
進んでいくと,この先,天文台のゲートがあるわけではなく,直接,一般見学用の駐車場まで行くことができます。このように,いろんな面でオーストラリアというのはゆるい国です。
サイデンスプリング天文台は昨年の3月にも来ましたが,こんな不便な場所にまさか1年後に再び来るとは思いませんでした。

私の手元に「天体写真NOW No.1」という本があります。この本は1978年(昭和53年)に発行されたものですから今からかれこれ40年も前のものですが,この本にサイデンスプリング天文台の主砲3.9メートルアングロサクソン望遠鏡が特集として載っています。この望遠鏡は1973年に完成したものです。馬蹄形の赤道儀架台は日本の三菱電機が作りました。また,大きな反射鏡を作ったのは岡山にある188センチメートルを作ったのと同じイギリスのグラブパーキンソン社です。その当時,南半球には大きな天体望遠鏡がありませんでした。オーストラリアは電波望遠鏡の分野で華々しい成果をあげていたので,新しく作られた光学望遠鏡の分野でも大いに期待されたものです。
この望遠鏡は今も現役です。ただし,現在,南半球の天体望遠鏡の多くは南アメリカのアンデス山脈に続々と設置されて大活躍をしていて,オーストラリアの影が薄いのはどうしてなのでしょう。いろんな事情があるのでしょうが,アメリカやヨーロッパからなら南アメリカは遠くないのですが,日本からだと南アメリカよりもオーストラリアのほうがずっと近いので,こうした場所に日本の天文台が作られててもよさそうに思います。ハワイは北半球なので,南半球に天文台を作るのも必要です。しかし,アンデス山脈は遠いし,オーストラリアなら天候も悪くなく,条件がよさそうに思うのですが……。標高が低いこと,そして,シドニーから車で5時間もかかるという点がネックなのでしょうか?

前回来たときは,開館している時間だったのにもかかわらず,なぜかビジターセンターが閉館していました。しかも何も表示がなく,閉館していた事情がさっぱりわかりませんでした。今回はちゃんと開館していたので,ビジターセンターにある展示を見ることができました。ここにはレストランもあるのですが,お昼には早かったので,残念ながら利用する機会はありませんでした。
展示を見てから,望遠鏡のドームに行きました。これは昨年も見たものです。階段とエレベータがあって,5階まで登ると見学ブースがあって,ガラス窓越しに巨大な望遠鏡を見ることができます。この望遠鏡は,現在世界中で作られているデジタル新時代の望遠鏡とは設計が本質的に異なっていて,古いのは否めません。
日々発展する科学技術は,巨額な費用を使ってこうした機器を作っても,技術の進化が早すぎてそれが十分に活躍できるのはわずか数十年にすぎません。なかなか大変な時代です。

おもしろいのは,こうした,山の中にあってしかも都会から決して近く施設なのに,けっこう多くの見学者が訪れていることです。日本では,わずか2~3時間で行くことができるこうした天文台のような施設でも,ほとんど見学者もいないし,ビジターセンターにも大した展示がない,ましてや,レストランどころか喫茶コーナーすらないことです。
このことは何も天文台に限りません。海外から有名な絵画が来たときだけ異常に混雑する美術館や,観光バスで大挙して訪れる正倉院展などには,日ごろは絵画や歴史にほとんど興味がないような人が押しかける反面,地方にある常設の博物館や美術館にはほとんど人がいません。日本人というのは,もともと知的好奇心がないのでしょう。そして自分というものがないものだから,宣伝に踊らされると大挙して同じ行動をとるのです。これが人と比べることと点数をとるだけが目的の,本当の文化を育んでいない教育の成果なのかもしれません。

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このモーテルには無料の朝食が用意されていました。このように,このモーテルは,部屋は広いしレストランは併設されているし朝食は無料だし……,というように,きわめて快適でした。朝,宿泊している人たちが三々五々この食堂に集まってきて食事を楽しみました。
日本で私がよく利用する「東横イン」には無料(というか宿泊代に含まれている)の朝食があるのですが,宿泊者の数の比べて食堂が決定的に狭すぎて長蛇の列になります。朝からこんなせわしいことはサービスでなく苦痛です。そんなサービスなら有料にして宿泊代を値下げすべきです。こういうのが日本の「おもてなし」の実態ですが,このオーストラリアのモーテルだけでなくアメリカのモーテルでも,混み合って食べるのが苦痛といった,そんな無料の朝食はありえません。

クーナバラブランに2泊する私は,この日が終日クーナバラプラン観光のできる1日となります。そこで,まず,昨年来たときには日帰りで行くことのできなかった,ワールンバングル国立公園に行くことにしました。
オーストラリアには国立公園が数々あれど,そのほどんどは岩山があったり展望が効いたりする程度で,アメリカのグランドキャニオンのようなものではありません。別の見方をすれば,こうした国立公園でキャンプをして,自然とともに過ごす,という楽しみをする場所なのです。日本にはそうした場所がないので,多くの日本人はこうした楽しみができません。2月に行ったハワイのマウイ島マケナビーチもそうですが,一日中海岸でのんびりすごすというような楽しみこそがバケーションなので,せわしなく名所旧跡を巡るというものではないのです。
この国立公園も,展望台から見た景色は山並みが続いているだけのものでした。しかし,その山並みは大昔の火山活動の跡であり,地質に興味がある人にはどれだけ見ていても見飽きる場所ではないのでしょう。
さらに進むとビジターセンターがありましたが,そのビジターセンターはできたばかりの新しい建物で,この国立公園ついての詳しい展示がありました。係の女性がいたので,いろんな説明を聞きました。

さらに進んでいくとキャンプ場がありました。
多くのキャンピングカーが停まっていて,ここで過ごしていました。夜にでもなれば満天の星空が見られるでしょう。日本にもオートキャンプ場はあるのですが,狭く混雑していて,しかも自動販売機があったりと,あれは単なるテーマパークなので,比べ物になりません。そもそも,生まれてからの環境が違いすぎるのです。日本に生まれたというのは別の惑星に生まれたようなものです。
このあたりには多くのカンガルーもいました。カンガルーたちは車の音がすると立ち止まります。道に飛び出てくることもなくはないので注意が必要ですが,大概は車を警戒していて,車が通りすぎるのを待って横断します。かわいいものです。
さらに行くと国立公園は終わり,今日の一番下の写真のように,一本の道が続くだけになりました。地図を見ると,この道を進んでいくと再びクーナバラブランに戻ってくるようでしたが,私はここで引き返すことにしました。

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私はこの町に2泊します。
私はこのような町が大好きで,こうしたところに来るたびに泊ってみたいなあと思うのですが,この旅ではその夢が実現しました。オーストラリア,ニュージーランド,ハワイ,アメリカなどには似たような町がたくさんあります。ときどきそんな町の景色がふと浮かんではそれがどの国のどの町だったのか思い出せず混乱してきます。どの町も特に何があるというわけでもないのですが,そんな小さな町を訪れたとき,夕暮れどきに散策すると癒されます。こんな町に住んでみたいものです。
クーナバラブランは小さな町で,残念ながら夕食をとるレストランもほとんどありませんでした。そこで,この晩は宿泊したモーテルに併設されたレストランで食事をとることにしました。中に入ると,2組ほどのお客さんがいました。広い店内はとても落ち着きました。日本にはこうした落ち着くお店はありません。
この日もまたステーキを注文しました。贅沢にも毎晩のようにオージービーフを食べています。

前回書いたように,この町の郊外にはサイデンスプリング天文台(Siding Spring Observatory)という研究施設がありますが,そのほかにも,ミルロイ天文台(Milroy Observatory),ワールンバングル天文台(Warrumbungle Observatory)といった一般向けに公開されている民間の天文台があって,予約をすれば大きな望遠鏡で星を見せてくれます。また,サイデングスプリング天文台からさらに山奥に行くと,ワールンバングル国立公園(Warrumbungle National Park)もあります。
民間の天文台で望遠鏡をのぞかせてもらうのももちろんおもしろいのですが,惑星などは何も南半球でなくても見ることができます。また,南半球の星空で見どころである星雲や星団はすでに見せてもらたことがあるので,今回わざわざ予約をして望遠鏡で星を見せてもらうことには興味がありませんでした。それよりも私は,クーナバラブランという星の美しい場所で満天の星空がどのようにみられるかを肉眼で確認してみたいと思っていました。
ただし,クーナバラブランの市街地は,小さな町とはいえ街灯があって,満足に星が見えません。オーストラリアであれば,どこでも星が見られると思うかもしれませんが,街中は街灯があるし,郊外に出かけても日本のような田んぼのあぜ道があるわけでもなく車道がずっと伸びているだけなので車を停めることも難しく,あてもなく出かけても星を見る場所を見つけるのは思ったほど簡単ではありません。

このクーナバラブランには小さな空港があります。というか,ありました。詳しいことは知りませんが,以前はこの空港に発着する定期便もあったようです。今は使われていないようですが,この空港は今も存在しています。そこが星見の絶好の場所だということは知っていました。そこで,夕食後,クーナバラブランから車で10分ほど走って空港に行ってみました。今日の写真からもわかるように,オーストラリアでは夕方まで結構雲があるのに日が沈むと快晴になることが多いのです。
道路標示に従って,一般道を右折して狭い道路を走っていくと高台になってきて,その先に広い滑走路が見えました。やがて待合室のような小さな建物がありました。もちろん滑走路には入ることができませんが,空港の駐車場はオープンスペースで利用することができたので,そこに車を停めました。空港のあたりは一面のどかな草原が広がっていて,日が沈み空が暗くなっていくと,やがて満天の星空になりました。
この時期,日没後の夜空には天の川が天頂に向かってまっすぐ伸びていて見栄えがします。ただし,天頂に向かって広がっているのは冬の星座です。北半球とは違ってオリオン座がひっくり返って見えて,天頂に輝くのはりゅうこつ座のカノーブスです。そのあたりの天の川は夏の天の川とは違って冬の天の川なのでとても薄く,南の空の南十字星のあるあたりの明るい天の川は天頂に向かって貧弱になっていきます。

数日前,エアーズロックで星空を見たときの写真をブログに載せましたが,そのときはこの晩よりもう少し時間が遅かったので,日周運動で天の川がもう少し斜めに傾いています。今日の写真のように縦に伸びているほうが見栄えがします。また,昨年の秋にニュージーランドのテカポ湖で写した星空の写真もプログに載せましたが,その写真はこの晩とは逆で,天頂に向かって夏の星座が広がっていたので天の川が天頂になるにつれて濃くなっていって,この時期の天の川よりずっと豪華に見えます。
いずれの季節であっても,南半球は,日本の濁った夜空とは違って暗く,しかも,水蒸気が少ないので澄んでいて,それだけでもすごいのに,天の南極あたりには多くの明るい星々や星雲・星団,そして変化に富む天の川の姿が見れるので,いつ見てもすばらしいものです。

◇◇◇
特別編・2018秋ニュージーランド旅行LIVE④

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パークス天文台から2時間あまり北に走って,クーナバラブランに来ました。クーナバラブランは口径3.9メートルのアングロオーストラリアン望遠鏡で有名なサンディングスプリング天文台のあるところで,天文愛好家にとっては聖地のような場所です。
1986年ハレー彗星が地球に接近したときはあいにく地球と彗星の位置関係が悪く,肉眼ではほどんど見ることができませんでしたが,それに加えて北半球ではさらに条件が悪く,多くの天文ファンは少しでも条件のよいところへと南半球まで見にいきました。その頃の私は仕事が忙しく,かつ,旅慣れていなかったので,南半球は今よりずっと遠いところでした。行ってみようとはまったく思いませんでし思いもよらないことでしたが,もし今なら簡単に出かけていたことでしょう。
しかし,南半球に行ったところで,はじめて出かける人には南半球のどこに行けばいいのかわかりません。そこで雑誌にはいくつかの候補が挙げられていたのですが,そのひとつがクーナバラブランだったのです。当時の雑誌などを今読み返すと,クーナバラブランについてさまざまな記事が出てきます。そんなわけで,私はクーナバラブランという地名になじみがあり,一度は行ってみたいとずっと思っていました。
昨年の3月オーストラリアに来たとき,ブリスベンから車で8時間走って,念願のクーナバラブランとサンディングスプリング天文台に行くことができました。クーナバラブランは予想以上にすてきな町だったので愛着をもちましたが,日帰りだったので,天文台に行ったくらいでそれ以上のところに行くことはできませんでした。そこで今回,ブリスベンより少しだけ近いシドニーに行った機会に,再びクーナバラブランに行ってこの町に泊ってみようと思ったのです。

私が予約したのは,クーナバラブランでもっとも評判がいいと書かれてあったモーテルでした。
このモーテルは町から少し離れたところにあって,モーテルの庭から満天の星空が見られるものだと思っていました。そういうイメージでした。しかし,懐かしいクーナバラブランの町に到着して,予約したモーテルを探すと,前回私がこの町に来たときに最初に行った観光案内所のすぐ近くの,町の中央にあったので驚きました。
フロントに入るとたくさんの星の写真がかかっていました。とてもきれいなモーテルでした。チェックインをして入った部屋にまた驚きました。その部屋はものすごく広く,また,寝転がれるほどのバスタブがありました。モーテルにはレストランもありました。このモーテルは老夫婦がふたりで切り盛りしていました。
私はこんなすばらしいモーテルにはこれまで泊ったことがありません。ただし,いくら星のきれいなクーナバラブランとはいえ,ここは町の中央にあるので天の川すら確認できず,モーテルの庭から満天の星空が見られる,という夢だけはかないませんでした。

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今日は余談です。
1番目の写真はオーストラリアのほとんどすべての店で使われているクレジットカードでの会計用の器械です。ヨーロッパでも同様のものを見ます。この器械は有線または無線のWifiでつながれていて,下の口にクレジットカードを挿入して4桁のZipコードを入力すれば支払いが終わります。また,近ごろは Apple Pay のような非接触媒体も使えます。
アメリカではレストランでクレジットカードを使うとき店員がカードを持っていってしまうのでスキミングされる心配があります。実際,私は被害に遭いました。しかし,オーストラリアやヨーロッパではこの器械をテーブルまで持ってきてくれるので,クレジットカードを店員に渡すこともないのでそういった心配がありません。
日本は店によって使えるポイントカードやらプリペイドカードやらが違っていたり,それでも使えるならまだましで,田舎のお蕎麦屋さんではクレジットカードを使おうとしても使えるお店はほとんどありません。交通機関でもクレジットカードが使えるような自動販売機すらありません。また,多くの人が未だに現金を使っていますが,こんな遅れた国はほかに知りません。5年後にお札のデザインが変わるそうですが,日頃から現金をほとんど使わない私は興味がないし,そもそも日本のお札は大きすぎます。
最悪なのはケンタッキーフライドチキンで,信じられれないことに,ファーストフード店でありながらクレジットカードもプリペイドカードも使えません。よって私は行きたくありません。

2番目の写真はオーストラリアのスーパーマーケットでの会計です。
この形はヨーロッパもアメリカも同様です。一時,日本でもこういう形が出てきたのですが,不評だったらしく,あっという間になくなってしまいました。そこで,日本のマーケットはレジ係の人が買い物をかごからいちいち出してバーコードの値段を読ませて,再びかごにいれるという,ものすごい負担をしているのですが,客はそれを当然と思っています。まったくもって,不便であり非合理な国です。おまけに,客がわがままです。何か気に入らないことがあると苦情ばかりです。しかも支払い方法が多岐にわたり,さらにまた,その店だけで使えるようなプリペイドカードがあったりして,いろんな店で買い物をするときにたくさんのカードが必要なので面倒です。
やたらとクレジットカードを作らせようとするのに,一定期間使わないと勝手にそれを無効にするというように,おかしな話がたくさんあります。要するに,客の利便性などどうでもよく,店の都合だけなのです。囲い込みです。
このように,ここ数年,日本だけが世界標準からどんどんとかけ離れてしまって,その結果,モノを買うのにカードを使うのも不便だし,現金を持つのも面倒だし,店員のほうは支払い方法が複雑すぎて膨大な負担がかかっているのです。たかが1ポイント(1円)のサービスのためにいちいちポイントカードをお持ちですか,と聞いて,バーコードで読み取って,などというくだらないことをやっているのですから,救いようがありません。

3番目がオーストラリアのレストランでよく見かける「水」です。お水を注文すると持ってきてくれます。これ以外の方法では,レジで注文をしたあとで,お店のどこかに水が置かれていてそれを自分で注ぐという方法もあります。
水を注文したとき,「tap water」か「mineral water」かと聞かれることがあります。「tap water」というのはただの水(水道水)であり,「mineral water」は有料の水です。しかし,日本で10年英語の勉強をしていても,日本人は「tap water」ということばすら知りません。

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星の美しいオーストラリアには,ブリスベンからシドニーまでの約1,000キロメートル,内陸を走るA39に沿って,多くの天文台があります。この天文台を巡るために,昨年の3月,私はブリスベンから車でクーナバラブランに行ったことがあります。このときに書いたブログは次のようでした。
  ・・・・・・
今回の旅は,昨年の6月に来たバランディーン(Ballandean)にある天文台つきのゲストハウスに5泊して,今度は夏の南半球の星空を見にきたのが目的です。しかし星を見るにはまだ月が明るい(月齢が大きい)ので,5泊滞在する前に,ゲストハウスからさらに南に行って,そこで2泊追加して,いくつかの天文台を見て回ることにしました。
ブリスベン(Brisbane)からシドニー(Sydney)まで約1,000キロメートル,内陸を走る道路A39に沿ってポールワイルド電波天文台(Paul Wild Observatory),サイデンスプリング天文台(Siding Spring Observatory),パークス天文台(CSIRO Parks Radio Telescope)といった世界的に有名な天文台が次々とあるのです。さすがにパークス天文台は遠すぎるので断念して,残りのふたつを見ることにしました。いろいろと考えたあげく,ブリスベンから約600キロメートル先のポールワイルド電波天文台のあるナラブライという町で2泊して,その先のクーナバラブランにあるサイデンスプリング天文台へは2日目に日帰り旅行をしようということにしました。
  ・・・・・・
エアーズロックの帰り,せっかくシドニーに来たので,そのときに行くことができなかったパークス天文台に行って,さらに,そのときに気に入ったクーナバラブランに2泊しようと思いました。

朝,ホテルの近くにあったコンビニでヨーグルトと菓子パンを買ってきて簡単な朝食をとり,チェックアウトをして出発しました。
まず目指すのはパークス天文台です。
シドニーからクーナバラブランは直接行けば車で5時間ほどですが,クーナバラブランよりも南にあるパークスを経由するとパークスまで5時間,パークスからクーナバラブランまで2時間と,合計7時間ほどの距離になります。
シドニーの高速道路を通り,やがて,片側1車線でありながら制限速度110キロメートルのオーストラリアの典型的な郊外の道路を走っていくと,パークスの町が見えてきました。パークスは思ったよりも大きな,そして美しい町で,天文台は町から北に行ったところにありました。
パークス天文台(Parkes Observatory)は口径64メートルの電波望遠鏡を核とする電波天文台です。南半球ではキャンベラ深宇宙通信施設の口径70メートルに次ぐもので,現在知られているパルサーの半分以上がこの電波望遠鏡で発見されています。 また,NASAと提携してガリレオやカッシーニなど多くの惑星探査機の追跡や通信を担当していますが,アポロ11号の月面着陸の際にテレビ中継の映像を受信したことで有名です。

駐車場に車を停めて,ビジターセンターに向かいました。電波天文台ではスマホなどは機内モードにしなければなりません。予想以上に豪華なビジターセンターがありました。
電波望遠鏡も古びているのかな,と思っていたのですが,さにあらず,常に整備された様子が伺われるもので,とても美しく感動しました。これまで私は日本や海外の多くの天文台を見学しているのですが,どこも日本とは違って立派なビジターセンターがあります。こうしたものを見ても,日本の国力の衰退を実感します。
ここにはまた,レストランも併設されていたので,私は,ここで昼食をとりました。

◇◇◇
特別編・2018春オーストラリア旅行LIVE⑤

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オーストラリアの大都会シドニーに到着しました。これから今回のオーストラリア旅行の第二部のはじまりです。
ツアー旅行なら,シドニー観光,となるのでしょうが,私は日本も海外も大都会にはさほど興味はありません。その都会にしかない見どころ,以外には,今や,世界中どこも同じようなチェーン店があって,同じものが売られえているだけです。私が目指すのはシドニーから車で5時間ほど内陸部にいったクーナバラブランという町です。
まず,空港でレンタカーを借りました。エアーズロックでは走る距離が短いので小型車を借りたのですが,今度は長距離を走るのでSUVにしました。借りた車は三菱の,なんと正真正銘新車でした。新車の匂いがしました。
書き忘れていたことを今思い出したのですが,オーストラリアのレンタカーは州によってシステムが違っていて,エアーズロックのあるノーザンテリトリーでは,レンタカーで走ることのできる距離に制限がありますが,シドニーのあるニューサウスウェールズは無制限です。ただし,私はハーツのゴールドプラスリワードなので,ノーザンテリトリーでも無制限だと言われました。

明日の朝出発することにして,この日は空港の近くのホテルに1泊することにしました。
シドニー,私は38年ぶりです。ずいぶん変わったよ,と聞きましたが,38年も経てばまったく違った都会になっていることでしょう。実は,昨年の秋にもシドニーの空港には来ました。ブログにも書きましたが,ニュージーランドに行った帰りにトランジットでシドニーを経由しました。ニュージーランドから日本に帰るトランジットならシドニーよりもブリスベンのほうが便利だと思うのですが,私自身,どうしてシドニー経由で帰ったのか,自分でもよくわかりません。どこを経由するのかなんて気にせずにフライトを予約したら,行きはブリスベン経由だったのに帰りはシドニー経由でした。
いずれにしても,アメリカと違って,オーストラリアはいい意味でも悪い意味でも洗練されていないのです。たとえば日本からオーストラリアに行くときも,どこで乗ってどの空港で降りればいいか,あるいは乗り換えれば合理的か,ということが定かでないのです。だから,今回,エアーズロックに行ったときのように,別の航空会社に乗り換える必要があったりするわけです。
私はシドニーのような大きな空港よりもブリスベンのような小さな空港のほうが楽なので,あえてシドニーに行こうとも思わなかったのですが,今回,エアーズロックからの帰りのフライトはシドニー乗り換えが一番便利だったので,そうしたわけで,せっかくシドニーに行くのなら,ということで,トランジットをするだけでなく,シドニーで降りて,旅の第2弾として,クーナバラブランに寄ることにしたのです。

思った以上に立派なホテルは,エクスペディアのポイントが大量にあったので,宿泊代は0円でした。
このホテルは空港まで徒歩10分ほどの場所だったのですが,歩くとなると,歩道がうまくつながっていなくて少し迷います。どの国も車優先で,歩行者のことなど考えて道路が作られていないのです。
ホテルの1階にレストランがあったので,この晩はそこで夕食をとりました。

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夕食を終えて部屋に戻りました。こちらに到着してから,雨こそ降らなかったものの,いつも曇っていて,満足な星空を見ることができませんでした。到着した日は満月で,もともと星空を見るつもりはなかったのですが,もしできればエアーズロックを入れた天の川の写真でも写せたのなら最高だなあ,と思っていたので,それだけが心残りでした。この晩も天気予報は芳しくありませんでした。しかし,部屋から出て空を見あげると晴れ上がっていました。エアーズロックはゲートがあって,夜8時過ぎに入ることはできないので,エアーズロックを入れた写真をうつすのはあきらめて,それでもせっかく来たのだから,エアーズロックリゾートから少しドライブして,街灯のないところまで行ってみることにしました。
このところ,何度も南半球の星空を見る機会があったので,すっかり見慣れた星空であっても,いつ見てもすばらしい南十字星やマゼラン雲を,ここでもまた見ることができました。

翌日,この日はエアーズロック空港から離陸してシドニーまで行きます。出発まで時間があったので,エアーズロックリゾートの中にある広場に行ってみました。この広場の中央部が高台になっていて,そこからはエアーズロックもオルガ岩群も見ることができました。昨晩そのことを知っていれば,ここで星空の写真を写したのにと,ちょっぴり後悔しました。
空港へ向かう途中でガソリンを入れました。レンタカーは満タン返しです。
ガソリンスタンドに巨大なトラックが停まっていました。ガソリンを運んできたものです。オーストラリアでは長距離トラックは2両連結になっていて,これをトレイントラックとよびます。これだけ広大な大地を走るのだから,運輸は大変です。アメリカとは人口が決定的に違うので無理もありません。飛行機から眺めたオーストラリアは,人も,当然車も,そして家の1軒もない大地が延々と続いていていただけです。こんな大地を走ってくるドライバーの人に思わず「すごいですね!」と声をあげてしまいました。
行きは,期せずしてアリススプリングスを経由することになってしまいましたが,そのために,アリススプリングスからエアーズロックに向かう途中で,今回の旅で行くことのできなかったキングス・キャノンを眼下に見ることができました。帰りはシドニーに向かうので,また違った景色が見られるのでしょうか。

エアーズロック空港には早く着きすぎて,しばらく待合所でぼっとしていました。とにかく何もない空港でした。
やがてチェックインの時間が来て,チケットを手に入れてセキュリティを通ると,中には軽食が食べられるフードコートと土産物店がありました。
やがて搭乗,3時間でシドニーです。
エアーズロックへの旅はこうして終わりました。

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これで今回のエアーズロックの旅は終わりです。夕方まで休んで,明日は帰国するだけです。オーストラリアにはこのところ何度も来ているのですが,その目的は星を見ることだったので,まさかエアーズロックに来ることがあるなどとは夢にも思っていませんでした。そもそもエアーズロックがどこにあるのかさえ知りませんでした。それが,エアーズロックを見るだけでなく,登頂することもできたのですから,自分でも信じられない3日間でした。
夕方,特にすることもなかったので,再びエアーズロックが沈んでいく太陽に照らされて赤く輝く姿を見にいくことにしました。おとといの夕方,到着したばかりのときに見にいった場所に再び向かいました。この日もまたその時と同じように,多くの観光客が集まっていました。赤く輝くのは日没後だと知ったので,今回は余裕をもって行きました。
何事もはじめのときのときめきは2回目となるとまったく薄れてしまいます。そしてまた,はじめてのときの印象が強ければ強いほど,再び同じことを行ってもがっかりすることのほうが多いのです。この日もまた,エアーズロックの夕暮れの風景は,前回見たときに比べて期待外れでした。まったく赤く輝くこともありませんでした。そしてはじめて,前回見ることのできた赤く美しく輝いた姿を見ることができたのはかなり運がよかったということを知るのです。

エアーズロックリゾートに戻って,夕食をとることにしました。
今回は,到着した日の午後,食事をとろうと訪れて,ランチには遅くディナーには早すぎて食事をすることができなかったレストランに行きました。このレストランは,真ん中にビッフェ形式のサラダバーがあって,サラダと食後のデザートは食べ放題となっていて,メインディッシュのみを注文する形式でした。日本で「バイキング」という食べ放題形式は英語では「ビッフェ」というのですが,バイキングというのは日本のあるホテルが客寄せではじめたときに名付けた和製英語です。
私はTボーンステーキを注文しました。
オーストラリアは物価が高いという話がありますが,実際のところ,高くありません。というよりも,オーストラリアドルは変動が大きくて,現在は1オーストラリアドルは80円ほどとかなり安いので,30ドルの食事は2,400円ほどになります。さらに,オーストラリアではチップが不要なので,まったく高いというイメージはありません。
オーストラリアドルとかニュージーランドドルというのは日本円と交換するとかなりの手数料がかかるので,レートが1オーストラリアドル80円であっても88円ほどになります。しかし,クレジットカードで支払えば80円くらいのレートなので,現金で支払うのはかなり愚かなやり方です。何でも現金という日本人は海外旅行でもこうして大損をしていることになります。

レストランで食事をしていると,日本人団体ツアー客が添乗員に連れられて大勢入ってきました。私の年齢ほどの人たちがほとんどでした。彼らはレストランの一角に集められて食事をしていました。ちらりと見ると,食べ放題のサラダとデザートに加えて,メニューにはない特別の食事をしていました。それはハンバーグにポテトというものでした。
この御一行様とは明日のシドニーまでの飛行機でも一緒になりました。ネットで調べてみるとJTBの主催する「旅物語」という商品で,料金が約40万円でエアーズロックとシドニー観光をするというものでした。夫婦で参加すると,現地での買い物を含めて約100万円也ということになるのでしょう。

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「風の谷」という名前が宮崎アニメの「風の谷のナウシカ」と同じなので,このアニメの舞台では? という噂があるのだそうですが,それは単なる都市伝説だそうです。
この7キロメートルにも及ぶトレイルにはカル展望台とカリンガナ展望地があって,カル展望台の先にトレイルが分かれ,一周するようになっていて,右から半時計周りにしばらく歩くと次のカリンガナ展望地に到着します。このカリンガナ展望地までは駐車場から約3キロメートルです。
カリンガナ展望地は「地球の歩き方」に,
  ・・・・・・
両側にそびえる巨石の間を風が吹き向け,その向こうに広がる大地,そして遠くにもオルガ岩群の他の岩々が点在し,まるで地球の光景とは思えない景色に感動を覚える
  ・・・・・・
とあったので,大いに期待しました。

実際,この展望地から先にそうした光景が広がっていましたが,私は,先に書いたように,アメリカのアーチーズ国立公園に比べたらそれほどでもないなあ,と思ったというのが正直なところでした。おそらくそれは歳をとって感動がなくなったというのが一番の原因なのでしょう。困ったものです。
この展望地に着くと,3人組の若い女性が休憩をしていました。彼女たちは何度もここに来ているようでした。そして,この先あと半分だよ,と言って励ましてくれました。
この先は単にトレイルを歩くだけでそれほどの見どころのなさそうだったので,ここで引き換えずつもりだったのですが,そんなことを言われてしまうと,先に進むしかなくなりました。そこで,この先は,彼女たちに追われ追いつかれながら,最後までトレイルを歩くことになってしまいました。
トレイルは実際,この展望地からは大きく坂を下っていって,オルガ岩群の間を縫うようにして進みましたが,それほど展望がよい場所はありませんでした。
カリンガナ展望地からの光景とその先のトレイルの様子については,写真を掲載することは禁止されているということなので,このブログにも載せることができません。今日の写真は,カリンガナ展望地までのトレイルの様子で,カリンガナ展望地とその先の写真はありません。

3時間ほどでトレイルを一周して,宿泊先であるエアーズロックリゾートに戻りました。
この日のお昼は,泊まっていた部屋に近い場所にあったフードコートにしました。この場所は夜になるとバーベキュー会場となって,ここに宿泊する団体観光客の夕食会場として使われる場所のようでした。
午後は暑いので休憩することにしました。

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昨晩は夕日に赤く輝くオルガ岩群を見ました。コバエには悩まされましたが,美しく赤く輝く岩群をみることができました。その翌日の朝,今度は朝日に輝くオルガ岩群を見に行きました。昨日同様にマーケットで買ったパンで簡単な朝食を済ませて部屋を出ました。
オルガ岩群の場合,夕日に輝く岩群を見る場所と朝日に輝く岩群を見る展望台のある場所はずいぶん離れていました。朝日を見る展望台は岩群からはかなり遠い場所にあって,エアーズロックリゾートから行くとこちらのほうがずいぶんと近い場所です。そこで,岩群は夕日に比べると遠くになって小さいのですが,この場所は大平原の真ん中にあるので,展望台からは遠くにエアーズロックも見ることができました。つまり,オルガ岩群とエアーズロックの両方をみることができる展望台でした。
やがて日の出が近づくと,夕日のときとは違ってツアー客も含めて多くの観光客がバスでやってきたので,展望台は人でいっぱいになりました。日本から来た人も大勢いました。展望台は駐車場に車を停めてから少し歩いた高台を登ったところにありました。

私ははじめオルガ岩群を見ていました。しかし,さほど朝日に照らされても美しくならず,単に夜が白んでいくだけだったので,期待外れでがっかりしたのですが,右手に目を転じると遠くにポツンとエアーズロックが見えました。方角を調べてみると,ちょうどエアーズロックの見える場所が真東で,この時期は太陽が昇ってくるのもちょうど真東なので,ひょっとしたらエアーズロックと日の出がコラボ! つまり間近に見られるのかな,と期待しました。
やがて日の出。なんと,間近どころか,エアーズロックの後ろから太陽が昇ってくるではありませんか。それには驚きました。少し雲があって残念でしたが,それでも,エアーズロックのちょうど真後ろから太陽が昇るという偶然に感動しました。
そんなわけで,私はオルガ岩群の太陽に輝く姿などまったく眼中から消え去って,エアーズロックを凝視することになりました。実際,オルガ岩群のほうはまったくの期待外れでしたが,エアーズロックから立ち上る朝日の輝きはこの世のものとも思えない美しさでした。そしてまた,エアーズロックと同様,オルガ岩群も,赤く輝くのは朝日よりも夕日のほうがずっときれいでした。

そのあと,昨日行くことができなかった風の谷に行くことにしました。
風の谷は昨日行ったワルパ渓谷へ行く道の途中で左折して,さらに進んだところに駐車場があって,そこに車を停めて,トレイルを歩きます。
オルガ岩群はエアーズロックとは違って登ることはできませんが,オルガ岩群を縫うようにして7キロメートルもの道を歩くトレイルがあるのです。このトレイルは結構上り下りがあり,しかも,7キロメートルもの道のりなので,3時間ほどかかるようでした。
まず,はじめのみどころであるカル展望台を目指します。はじめのうちトレイルは整備されていて,このままこんな舗装された歩道が続いているのかな,と思ったのですが,それははじめさだけでした。その後は結構な登り坂で,かなり大変なのですが,それでも多くの人が歩いています。カル展望台は巨大な岩山向こうに広大な大地が続いているという絶景が見える場所なので,とりあえず,ほとんどの人はこの展望台をめざしているのです。エアーズロックとは違って,風の谷のトレイルには砂漠性の植物やらユーカリの木もありました。
カル展望台を過ぎると,トレイルは分かれ道になって,ここからが周遊道路です。どちらへ進んでも一周して同じ場所に戻ってきます。この先は条件が悪いと閉鎖されているという話だったので期待? したのですが,残念ながら? この日は閉鎖されておらず進むことができました。
私は半時計まわりに一周することにして先に進みました。このほうが,このトレイルで最も見どころといわれるカリンガ展望台が近かったからです。

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夕食を終えて,再びオルガ岩群に向かいました。野焼きで閉鎖されていた道路は開通していましたが,ほとんど通る車もなく,エアーズロックの夕日と違って,どれだけの人が見に来るのかなと思いました。
オーストラリアに来るまえから,エアーズロックはコバエだらけ,とは聞いていましたが,それほど実感はありませんでした。しかし,実際に来てみるとコバエは尋常な数ではありませんでした。私はこのころになってやっとその事態を悟り,ついにハエ除けネットを買うことにしました。ハエ除けネットは頭からかぶるもので,エアーズロックリゾートの売店にはどこでも売っていましたが,値段は1,000円以上もしました。日本でもホームセンターなどで虫よけとして売られていますが,これなくして夏のエアーズロック観光などできるものではありません。
コバエはどうやら黒い服にまとわりつくようで,本人は知らねど,黒い服を着た人の背中に大量に群がっています。そういうわけで,私を含めて,今日の写真にあるように,多くの人がこのバエ除けネットを被っているのですが,それを被っていてもあくまでコバエが顔にたからないというだけのことで,耳の周りにまとわりついてブンブンとうざったいということに変わりはありません。日本の蚊のように刺さないということだけが救いでしょうが,ネットを被っていないと口に入ってきます。

オルガ岩群が夕日に反射して赤く輝くポイントに向かう途中,太陽の光が雲の間から美しく見えました。この日は昨日以上に雲が多く,こんな状況で期待する真っ赤な岩が見られるかどうかかなり疑問に思いましたが,あyはり行ってみるくしかありません。
オルガ岩群が夕日に輝いて見えるという展望台は,お昼間に行ったワルバ渓谷に向かう途中にあります。到着するとまだわずか数台車が停まっているだけでした。私も車を停めて,一番よく岩群が見えそうな場所まで歩いていきました。もちろんコバエは常にまとわりついています。
やがて,日が暮れてくると,だんだんと人が増えてきましたが,それでもそれほど多くの人が集まってきたわけではありませんでした。

帰国してから調べてみると,エアーズロック観光は冬,つまり,日本の夏である8月が最適で,その時期ならコバエはおらず,しかも気温も高くありません。その時期に日本からの観光客を乗せた大型バスがこのオルガ岩群にも群れている様子がいろんなブログに載っています。
昨年の秋に行ったニュージーランドのミルフォードサウンドはシーズンが11月で,私が行ったのはそれより1か月早かったのでほとんど日本人観光客はいませんでしたが,そこもやはりシーズンは日本からの団体ツアーで群がるそうです。このように,昔より団体ツアーでの海外旅行は少なくなったとはいえ,まだまだ個人で行くことが不便なところには日本人の団体ツアー客がたくさん存在するようです。

やがて日没となりました。
エアーズロックのときも同じですが,赤く輝くのは日が沈んでからです。日没後,オルガ岩群も期待通り赤く輝きはじめました。雲が多かったので心配しましたが,なかなかいい風景でした。

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暑さとコバエの大群に参ってしまって,この日は風の谷に行くのをあきらめました。予定変更です。そもそもそんな暑い時期のお昼間に観光をしようとすること自体に無理があるのです。そんなこんなで,明日早朝にホテルを出て3時間ドライブしてキングスキャニオンに行くのをあきらめて,明日の早朝に風の谷に行くことにしました。
オルガ岩群にもまた,夕日と朝日を見る展望台があって,太陽に岩群が照らされて赤く輝く様は絶品のようでした。しかし,日没にはまだ何時間もあるので,一旦ホテルに戻って早めに夕食を済ませてから再びオルガ岩群に来ることにしました。
オルガ岩群からエアーズロックリゾートへ向かう道からはエアーズロックが見えていました。エアーズロックは太陽からの光を受けている側だけが黄色く輝いていて,光を受けていない側が黒く,動物のバクのような感じでとても奇妙でした。道路の向きが変わると,それにつれてエアーズロックの模様も変化していきます。エアーズロックにはまったく草木がなく,一枚の岩盤は太陽の光によってさまざまな色彩を放つのです。
惑星にむかう衛星が写した写真を見る機会がありますが,木星や土星の色というものもまた同じようなもので,暗黒の宇宙で実際どんな色をしているのかというのは本当のところわかりません。コンピュータグラフィックでそれらしい色をつけているだけです。それと同じようなものかもしれません。

それよりももっと驚いたのは,エアーズロック周辺の野焼きでした。この野焼きは飛行機の中からも見えました。私ははじめエアーズロックリゾートから出ているものだと思っていたのですが,そうではなく,エアーズロック周辺を野焼きしているのでした。それはアボリジニのアナング族の教えで,火事防止と草木の成長促進のためということらしいのですが,確かに,山火事があっては大変です。むしろ,家事を起こして人間がそれを制御してしまうほうが安全なのかもしれません。それにしてもその規模の広大なことといえばあたり一面が灰色になるくらいですし,夜になれば,煌々と明るくなります。
時にはそのために道路が閉鎖されることもあって,私がエアーズロックリゾートに戻るときには,オルガ岩群に向かう方は閉鎖されていて,困っている車を見かけました。
野焼きはほったらかしにしてあるわけではなく,それを監視したり消すためのトラックがいて,それを制御していました。風向きのためにエアーズロックリゾートに煙がくることはなかったのですが,いつも大丈夫なのかなと心配になりました。

エアーズロックリゾートにはいくつかのレストランがあって,せっかく来たのだから,順番に別のレストランに行くことにしました。昨日はまともな食事もできなかったので,この日はまだ早かったけれど,豪華な食事をすることにしてアンガスステーキを所望しました。オーストラリアといえばオージービーフです。
アメリカでもそうですが,いつもビーフを食べているかのように思う人もいるかもしれませんが,手っ取り早い食事はハンバーガーとかサンドウィッチです。こうしたものは日本人の思うマクドナルドハンバーガーのようなものとはまったく違っていて,量も多く野菜も豊富なので,ちゃんとした夕食となります。
それに対してステーキといいうのは贅沢品という位置づけです。アメリカに「いきなりステーキ」という日本のチェーン店が進出したのですが,苦戦しています。それは,アメリカ人にとってステーキというのはあのようなものではないということが最大の理由です。アメリカ人がアメリカで寿司チェーンをはじめて流行ったからといってそれを日本に上陸させても集客が望めないのと同じようなものでしょう。日本は今や世界標準から孤立したガラパゴズ国家となってしまっているのに,多くの日本人はそれを認識していないと,私は海外に出かけるたびに思います。

このレストランのウェイターさんがとても感じのよい人だったので,ひとつあった疑問を聞いてみました。それは,エアーズロックリゾートで働いている人たちはどこに住んでいるのかということでした。そもそも,エアーズロックから最も近い町がアリススプリングスなので,毎日通うことなどできません。途中に人が住んでいる場所もまったくありません。
答えは,エアーズロックリゾートの一角に従業員さんたちが暮らしている町があるということでした。約1,000人が暮らしているということです。そこで行ってみました。エアーズロックリゾートに警察署があって,その横の道を入っていくとありました。中には普通の住居やアパート,さらには学校も存在しました。
オーストラリアではエアーズロックというはかなり大きな観光資源なのだと思いました。ハワイのリゾートも同様ですが,ここもまた,アボリジニ文化との共存など,観光客にはわからない多くの複雑な問題を抱えている場所だと感じました。

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オルガ岩群に向かいました。オルガ岩群はオルガ山(Mount Olga)とよばれる約22平方キロメートルに広がるいくつもの岩山(礫岩)で,高さは海抜1,066メートル,地表からの高さは546メートルです。アボリジニの人たちはカタジュタ(Kata Tjuta)とよんでいますが,これは「多くの頭」という意味です。オルガという名前はヨーロッパ探検家アーネスト・ジャイルズ(Ernest Giles)がキングス・キャニオンを登頂した際にそこからカタジュタを見つけ,ドイツのヴュルテンべルク王妃オルガにちなんで名づけたものです。
ここもまたアボリジニの聖地のひとつで,特に夜間に多くの儀式が行われます。この儀式は過去には罰を与える場であり,時には死に至るほどの重い罰が与えられることもあったといいます。オルガ山の頂上にはワナンビと呼ばれる蛇が住んでいて,乾期にのみ下山するという伝説があります。

車でオルガ岩群に向かうと,はじめは小さかったこの岩山がどんどん大きく迫ってきました。ここは登ることはできませんが,ふたつのトレイルがあります。そのひとつはワルパ渓谷(Waipa Gorge)で,もうひとつが風の谷(Valley of the Winds)とよばれるものです。このふたつをこの日の午後に歩こうというわけでした。
まず,2キロメートルと距離の短いワルパ渓谷からです。駐車場には車が数台停まっていて歩いている人がいました。マウントオルガに沿ってできた渓谷を歩いていきます。ここはエアーズロック以上にコバエが多く,歩いていても本当にいやになってきました。
トレイルの両側にそそり立つドーム形の巨石に圧倒されると「地球の歩き方」には書かれてありましたが,別段それほど大したこともありませんでした。私は歩いていて,こことよく似たところに行ったことがあると思いました。それはアメリカのユタ州にあるアーチーズ国立公園でした。どちらがと言われれば,圧倒的にアーチーズ国立公園のほうがすばらしいです。

暑いし,コバエは多いし,私が着いたときに先に歩いていた人たちが去ってからは,ほかにだれもいなくなりました。そもそも,こんな時期にお昼間に観光をしていること自体無理があります。さらに,早朝からエアーズロックを登頂して,さらに午後,また別のトレイルを歩くというのは無謀だと悟りました。
このあと風の谷に行こうと考えていましたが,それは限界だと思いました。ということで,この日は風の谷に行くことはあきらめ,ホテルに戻ることにしました。

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