しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

タグ:クラシック音楽

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 ゆったりと流れる時間の中で,やりたいことだけをこころおきなく楽しもう,と思っていたのに,やりたいことや興味がどんどん増えてきて,しかも,精神的に強欲な私は,それらをすべて楽しもうとして,ビルドばかりでスクラップしないものだから,限られた時間をやりくりするために,いろんな工夫が必要となってきました。仕事などとは違って,楽しむためにすることだから,不快な思いをしてまですることもないわけで,そのためには,知恵を絞る必要があるのです。
 そんな私の楽しみのひとつとして,今日は,クラシック音楽のコンサートについて書きます。

 クラシック音楽に限らず,コンサートでもっとも労力が必要なのはチケットをとることです。
 以前ならプレイガイドに出かけて,早いもの勝ちでチケットをとる必要があったり,あるいは,電話をして争奪戦を行う必要があったのですが,今は,インターネットを使えばいいので,以前にくらべれば便利になったものです。それでもやはり,インターネットがつながらなかったり,いい席がなくなっていたりと,なかなか大変です。
 そこで,いいコンサートなら,お金を惜しまず,最上の席を取るに限りますし,また,事前に,なにがしかの友の会とかいったメンバーになっておくと,優先的にチケットがとれたりもします。
 私の場合は,通常は,NHK交響楽団の定期公演を聴きにいくので,これは,一度座席を確保すれば,それ以後は,同じ席のチケットが入手できるので楽です。そのときの座席ですが,今は,2階の最後部に決めました。それは,空いていることと,自分の後ろに客席がないことが理由です。そうして,自分だけの世界に浸るのです。
 こうした定期公演以外に,おもしろそうだと思っていくことにしたコンサートは,もっともよい席か,あるいは最後尾の席かのいずれかにします。
 以前,だれだったかのピアノコンサートに行ったとき,そうしたことを知らなかった私は,中途半端な会場の真ん中あたりで聴いたのですが,帰りがけ,最後尾の席で,さわやかに聴いていた女性を見て,かっこいいなあ,と思いました。そうか,これが一番か,とそのとき気づいたのです。
 会場で聴くのとラジオなどで聴くのとの違いは,そのコンサートの空気を感じられるかどうかであって,何も,ステージに近ければいいということでもないのです。


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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 この時期の私は,通常だと,新年度の海外旅行の計画を立て予約をするのに忙しいのですが,今年はそういうこともないので寂しい年度末になってしまいました。
 とはいえ,実際は,どこかぜひ行ってみたいというところもなく,その代わりの新たな楽しみがたくさんできたことでもあり,相変わらず,日々充実した生活をおくっています。
 また,何かを買いたいという物質欲も皆無となったので,ポイント還元セールとかのダイレクトメールが来たところで,そもそも,買わないのだから意味もなく,はたまた,時折送られてくる迷惑メールも,お金に誘惑されないのだから,アホかと軽蔑するだけで相手にもせず,私は,やっと,長年目指してきた「高等遊民」の真似事ができるようになったと自己満足するこのごろです。
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 私の朝の日常は,午前5時に起床します。まず空を見て,晴れていれば,ふらっと外に出て,明かりのない田んぼのあぜ道まで行って星を写したりすることもあります。そうでない日はNHK BSPで放送されるクラシック音楽の室内楽を聴きます。その後は,新聞を読みながら朝食をとります。
 一時期,紙媒体の新聞を読むのをやめていたのですが,ネットやテレビの煽るだけの押し付け情報にほとほと嫌気がさし,意味がないと悟り,紙媒体の新聞だけに改めました。よほどの自然災害でもない限り,新聞からの情報だけで必要十分であり,これ以外の情報は必要ないと確信するようになりました。どうやら,それは私だけのことではないようで,私の周りの人たちの多くも,もう,テレビの報道番組は不愉快なだけだから見ないよと言っています。
 さて,食後は,雨が降っていなければ1時間ほど散歩に出かけます。家の周りは自然がいっぱいで,人とも会わないので,とても幸せです。そして,帰ってからは,コーヒーを飲みながら音楽を聴く,という感じです。天気が悪い日は,音楽を聴く時間が増えます。

 こうして,静かに音楽を聴くようになってみると,新たな驚きがありました。それは,音楽のよし悪しがすごくよくわかるようになってきたということです。
 これまでは,ノルマのようにNHK交響楽団の定期公演に出かけたり,あるいは,興味のあるコンサートのチケットを買って聴きにいったりしていたのですが,今考えてみると,じっくり味わうという余裕がなかったように思います。それが,今のように,耳から音楽をじっくりと味わうようになると,これまで気づかなかった発見がたくさんあるのです。
 このごろ私が聴いているのは,自分の持っている音源やNHK FM放送,さらに,YouTube にあるすぐれた演奏です。通常は「ながら聴き」で,音楽を流して本を読んだりしているのですが,時として,ものすごく上手なものが聞こえてきて,そういうものに出会うと,思わず本を読むのを止めて音楽にのめり込んでしまいます。
 あとで知るには,そうしたものは,やはり,もともと評価の高いものが多いのですが,このごろはそのよさがとてもよくわかるようになってきたのです。それはたとえば,ギュンター・ヴァント(Gunter Wand)の指揮するものであったり,パーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi)の指揮するものであったりします。同じ譜面で演奏するのに,聴き手にどうしてこれほど感動の度合いの違いが生まれるのか,それがとても不思議なことです。

 コロナ禍でほとんどコンサートに行く機会がなくなってしまいましたが,これまでこのブログにも書いたように,その期間に出かけたふたつのコンサートは,そうしたものに比べたら,格段の差があったのが,とても残念なことでした。逆に言えば,これ以前は,それほど気にもしなかったのに,なんとすばらしい音楽をコンサート会場で聴いていたのか,と思うわけです。1日も早く,また,そうした音楽に出会えるようになりたいものです。
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 と,ここまで書いていて…
 2021年3月7日にNHK Eテレクラシック音楽館で,昨年12月5日に行われたNHK交響楽団 12⽉公演を放送していました。指揮は井上道義さんで,ピアノを松田華音さんが弾きました。演奏会当日にNHK FMで生放送があって,すでにそのとき聴いてすばらしいと思ったのですが,改めてテレビで放送されたので,見ることにしたのです。
 このところ,音楽は耳から聴くもの,映像が感動の妨げになると思っていたので,今回も期待していなかったのですが,そんな予想に反して,思わず引き込まれました。ぜひ生で聴いてみたいと思ったコンサートでした。
 こうして,本当に久しぶりにすばらしいコンサートに出会いました。でも,一体このように感動できるコンサートは何が違うのだろう,と思いました。きっとこういうのを「オーラ」というのでしょう。このコンサートの様子を見て,コロナ禍以前にコンサートを聴くためにわざわざ東京まで出かけていたときの,今はすっかり忘れていた情熱と感動を思い出しました。

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 いかにこころ落ち着く日々を過ごすかを話題にしています。
 まず,情報はできるだけ遮断してしまおう,と書きました。次に,モノを買うのは必需品以外はやめましょう,と書きました。そうして,家で過ごすときは,本を読んだり,音楽を聴いたり,旅をするときは,人の少ない自然の中を,なるべく予定を立てずに散策する,これだけを心掛けるだけで,日々がとても楽しくなります。
 そもそも,地球上に生き物がいなくても何の問題もないのです。それが,創造主の気まぐれで,何かの偶然で人間ができてしまった。そして,そこに自分が宿ってしまったというだけのことなのです。未来永劫などない,そして,人間がこしらえた地位だの名誉だのに何の価値もないのです。さまざまな価値観や道徳もまた,人が作っただけのものです。だから,何事も難しく考えずに,宿っている間を楽しく過ごせばいいのです。と書いてきました。
 今日は,日々をより楽しくすごすための音楽の話題です。

 私はこれまで,時にはコンサートに出かけ,行くことができないときは,テレビやラジオなどで音楽に親しんできました。その多くは,クラシック音楽です。クラシック音楽のよさは,それに関する芸術やそれが生まれた歴史などを深く知れば知るほど,よりおもしろく聴くことができることです。ここ数年,オーストリアやフィンランドに出かけて,そのことがよりわかりました。オーストリアではハイドンやマーラー,フィンランドではシベリウスの音楽のおもしろさを再発見することができました。そうした音楽は,やはり,ライブで演奏を味わうに限ることもわかりました。
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 とはいえ,いつもライブで演奏を聴くわけにはいきません。しかし,このごろ,私がとても残念に思うようになったのは,テレビなどの映像で音楽を味わうことが苦痛になってきたきたことがあります。その理由はふたつあります。
 そのひとつは,数年前の演奏を見るとき,演奏家の昔の姿を見るのに耐えられなくなってしまったことがあります。人はだれでも平等に老いるのです。しかし,楽しむための音楽で,老いを感じてむなしくなるのはせつないのです。マエストロや演奏家が年々老いていく姿を見るのがつらいのです。
 そしてもうひとつは,今年のコロナ禍で,ステージ上で一部の奏者がマスクをして演奏している姿を見たくないのです。観客は別として,演奏者が,リハーサルならともかく,私語を発するわけでもなく飛沫が飛ぶわけでもないのだから,予防効果はなく感染者が自分の飛沫が飛ぶのを防止するのが目的であるマスクなど全く意味がないのに,あの姿はいただけません。まるで下着姿で出てくるようなものです。また,感染者であるなら当然ステージに上がってはいけません。力士がマスクをして相撲をとるのと同じです。
 日常を離れて音楽に没頭したいのに,あれでは台なしです。
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 というわけで,私は,自宅で音楽を楽しむには,映像を見ることはやめて,音楽だけを聴くことのほうがずっと楽しいということに気づきました。それは何もクラシック音楽に限ることではありませんが,映像から離れてみると,何と音楽がよりすばらしく聴こえることか。それは新鮮な驚きでした。
 コロナ禍は,こんな,当たり前のことを気づくことができただけでも,意味があったのかもしれません。これもまた,塞翁が馬でした。

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 去る4月19日にNHKEテレで放送されたクラシック音楽館は「いま届けたい音楽〜音楽家からのメッセージ〜」でした。92歳になるNHK交響楽団の桂冠名誉指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットさんのメッセージは
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 今,ルツェルンの自宅で日本の皆さんを思い浮かべている。いつか皆さんのためにコンサートホールで演奏したい。こうしたときだからこそ、私たちは音楽を渇望する…
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でした。
 新型コロナウイルスの感染拡大が続き,コンサートが次々と中止になって,音楽家はステージで演奏ができなくなってしまいました。私も楽しみにしていたコンサートに行くことができなくなってしまいました。
 こうしたとき,音楽家は何の役にも立たないといって自問するようです。しかし,私は,いいえ,クラシック音楽はこころ穏やかに生きるには一番必要なものだよと叫びたくなります。

 私は若いころからクラシック音楽を聴いてきました。特に,NHK交響楽団の定期公演は会場で,また,ラジオのFM放送やテレビで,20年以上にわたってそのほどんどを聴いてきました。音楽にはまったく才能もなく,楽器も弾けないけれど,聴いたことのある曲だけは膨大で,少しは耳が肥えてきました。
 それにも増して,一昨年,昨年とウィーンに行って,その深さを改めて知ることになりました。ウィーンに行くと,そこかしこにベートーヴェンが散歩した小径があります。そうしたところを歩いていると,自然とベートーヴェンの作った交響曲が頭の中に鳴り響きます。また,フィンランドへ行って,シベリウスの作曲した曲のその背景がとてもよく理解できました。そうした経験を経た今,私にとって,クラシック音楽は,何物にも代えがたい大きなこころの財産となっているのです。
 「妻を失くして何も手につかなくなったとき,バッハの音楽だけは受けいれることができた」と書いたのは音楽評論家の吉田秀和さんでしたが,私は,辛かったとき,ブラームスの音楽が救ってくれました。そして今,私は,ブルックナーの交響曲を聴くと,何もかもが満ち足ります。
 自分にとって必要十分な社会の情報だけを知って,それ以外のことは何もかも遮断して,朝から1日中音楽に囲まれて生活すると,どれほどこころが落ち着くことでしょう。そうした音楽を知っていてほんとうによかったと思うのです。

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 ブルックナーの何がそんなによいのか?  音楽のクライマックスが緊張の絶頂であると同時に,大きな,底知れないほど深い解決のやすらぎでもあるということ。その点でまず,彼は比類のない音楽を書いた。
 ベートーヴェンは緊張を急速に高めてゆくために,リズムをだんだん加速させてゆく。その結果,主要主題はそれを準備していた段階にくらべると,もっと大きな迫力を獲得していることになる。ところが,ブルックナーの主要主題は,ひとつの行進の終わり,停止を含まずにいない。私たちは,そこでひと息つき,後ろをふりかえったりさえする。
     「ブルックナー『第九交響曲』」吉田秀和「音楽手帖」(1981年)より
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 私は,自宅で音楽を聴いているだけで,こころが元気になります。ほんとうに音楽はすばらしいものです。
 1日も早く,再び,演奏を聴くことができる日が戻ってきますように。

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 いくらお金を使って欲しいものを手に入れてもむなしさは残るものです。
 結局のところ,人の原点は精神的に満ち足りることに回帰するのですが,そうした場合,俗に「教養」とよばれるものに身も心もゆだねることがもっとも充実した時間になります。この国の教育の最大の欠点は,生きることに 哲学がなく,単なる点取り競争と受験指導に明けくれていることなので,そうした「教養」を教えないのです。あるいは,教えても,これもまた点取り競争にしてしまうことです。
 NHKのラジオ第二放送には優れた語学番組がたくさんあります。かつては「ラジオ英会話」という50年以上も前から放送されているものがあったのですが,何を勘違いしたのか,この番組も豹変し,文法重視となってしまいました。現在の「ラジオ英会話」という同じ名前の番組は長年続いたものとはまったく別のものです。それはおそらく,受験に毒された多くの視聴者の要望によるものでしょうが,そもそも語学というものは受験の手段ではないわけです。しかし,NHKにも良識と意地があったのか,従来の「ラジオ英会話」は「英会話楽習」と名前を変えて存続しています。そのうち,今度は視聴者の「ご要望」にお答えして「皆様のNHK」はTOEICの点取り競争番組をはじめるかもしれません。
 それはともかくとして,,以前の「ラジオ英会話」,現在の「英会話楽習」のような,受験に毒されていない番組を聴いているだけでも満ち足りた暇つぶしになります。なにしろお金がかかりません。

 NHKの良識といえば,かつて「N響アワー」という優れた番組がありました。2013年にほとんど何の予告もなく突然姿を消したこの番組の録画を私は一杯もっていて,このごろ改めて見直すと,その番組のよさを再認識します。これもまた,満ち足りた暇つぶしになります。
 「N響アワー」は,当時,視聴率重視に豹変したNHKの番組の大幅改編でEテレの多くの番組が幼稚化し,そのあおりをくらってなくなってしまったのですが,このことに腹をたてて,私はずっと続けていたN響の定期会員を辞めました。そのころの私は今より人間が青かったので,クラシックのコンサートは大学の講義でも聴きに行くつもりでいたのですが,あれから歳をとって,今は,心が満ち足りる時間を手に入れるために聴きにいくものに変わりました。そうすると,音が悪いといわれるだだっ広いNHKホールは,逆に,座席数が多いのでチケットが取りやすいという利点になります。定期会員だったころは1階のS席のなるべく「いい席」を求めて優先予約で散々苦労をしたものですが,今は,いつでもチケットの手に入るNHKホール2階の最上段C席でのんびりと聴くのを楽しみにしています。それでも,会場の雰囲気を味わうには十分だし,周囲に気を使わなくていいのが最高だからです。聴きに行くたびに本当に音楽はいいものだと思います。
 結局のところ,歳を重ねると人は物質ではなく精神性に幸せを求めるという人としての原点に返るものなのだなあと「不良老人」はしみじみ思うわけです。若いころにクラシック音楽に接することのなかった人を本当にお気の毒に思います。歳をとったときに不幸です。

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