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グスタフ・マーラ―の交響曲第3番は,演奏時間が約100分もあり,当時,世界最長の交響曲といわれました。私がこの曲をはじめて知ったときは,確か「夏の朝の夢」といった表題があったようですが,現在は聞きません。これだけ長いのに,もともとはもう1楽章あって,割愛された楽章は次の交響曲第4番の第4楽章となったそうです。
はじめに第2楽章から第6楽章までが作曲されて,最後に第1楽章が書き上げられたようです。
この第1楽章は,高貴な雰囲気でもなく,特に美しいわけでもなく,私は,ちょっと長すぎるのでは,と思います。表現は悪いのですが「だらだらと」続いてしまうので,ちょっとうんざりします。そして,これだけ長いと,ぬるい温泉につかりすぎた感じになってしまい,それを冷ますのにずいぶんと手間がかかるのです。逆にいえば,先に作曲された第2楽章から第6楽章まで,というか,もともとは第7楽章までの前座を担うには,これだけの長さが必要になってしまったのかもしれません。
井上道義さんは,第1楽章だけでお疲れになって,この楽章が終了したところで,座り込んでしまい,最後まで演奏できるのかな? と私は心配になりました。
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口に水を含みなんとか立ち上がったマエストロが,だれかが思わず拍手をしたのを制して,静かに第2楽章がはじまりました。
交響曲第3番は,第4楽章と第6楽章が聴かせどころだと私は思うのですが,第4楽章をはじめの見せ場にするには,第2楽章と第3楽章が必要なのでしょう。どちらかなくてもいいかな,と考えても,第2楽章の次に第4楽章があったら変だし,第2楽章を省略して第3楽章では,やはり,うまくないです。先に書いたように,長大な第1楽章の熱さましをするには,第2楽章と第3楽章が必要になってしまうのです。
いずれにしても,マーラーは,このあたり,音楽をどこにもって行けばいいのか迷いさまよっている感じがして,この交響曲で一体何がいいたいのかな,何を表現したかったかな,という疑問が,私には起こります。
しかし,そんな疑問は第4楽章で吹き飛びます。交響曲第3番は,第4楽章からが魅力的です。ここでは
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O Mensch! Gib Acht!
Was spricht die tiefe Mitternacht?
„Ich schlief, ich schlief –,
Aus tiefem Traum bin ich erwacht: –
Die Welt ist tief,
Und tiefer als der Tag gedacht.
Tief ist ihr Weh –,
Lust – tiefer noch als Herzeleid:
Weh spricht: Vergeh!
Doch alle Lust will Ewigkeit –,
– will tiefe, tiefe Ewigkeit!“
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おお人間よ! 注意して聴け!
深い真夜中は何を語っているのか?
「私は眠っていた
深い夢から私は目覚めた
世界は深い
昼間が思っていたよりも深い
世界の苦悩は深い
快楽-それは心の苦悩よりもさらに深い
苦悩は言った。滅びよ!と
だが,すべての快楽は永遠を欲する
深い永遠を欲するのだ!」
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と,アルトが歌うのですが,これは,ニーチェ(Friedrich Nietzsche)の「ツァラトゥストラはこう語った」(Also sprach Zarathustra)の第4部第19章「酔歌」の第12節「ツァラトゥストラの輪唱」から採られたものです。
これを歌った林眞暎さんが本当にすばらしかった!
そして,第5楽章ですが,ここでは一転して,児童合唱が鐘の音を模した「ビム・バム」を繰り返し,アルトと女声合唱が
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Es sungen drei Engel einen süßen Gesang,
Mit Freuden es selig in dem Himmel klang,
Sie jauchzten fröhlich auch dabei,
Daß Petrus sei von Sünden frei.
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3人の天使が美しい歌をうたい
その声は幸福に満ちて天上に響き渡り
天使たちは愉しげに歓喜して叫んだ
ペテロの罪は晴れました!
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と歌うという,ユニークなものです。この歌詞は,交響曲第4番につながっていきます。
このように,交響曲第3番は,交響曲第2番で「復活」しちゃったのを第4楽章で終結させて,第5楽章で交響曲第4番で天国に昇天させるための橋渡しとしているのでしょう。そのために子供たちと女性の声が必要なのです。男性の声があると,天国よりも地獄,ショスタコービッチの「バビ・ヤール」になってしまいます。
いよいよ,最後の第6楽章。
交響曲第3番は,この第6楽章ですべてが救われます。Langsam. Ruhevoll. Empfunden. (ゆるやかに安らぎに満ちて感情を込めて)とありますが,実際は「アダージョ」。
この楽章の美しさと神々しさは,筆舌に尽くしがたいものです。そして,マーラーの音楽の数々のすばらしい「アダージョ」のなかでも,第3番の第6楽章は癒しの「アダージョ」であり,真骨頂です。井上道義さんは,こうしたメロディアスな楽曲を指揮すると,本当にいい。
今回はじめての,すみだトリフォニーホールと新日本フィルハーモニー交響楽団でした。外に出ると,スカイツリーが迫ってきます。このホールは,規模的にもホールの形状もウィーンの楽友協会に似ていて,同じような響きがしました。ただし,それがホールのせいなのか,オーケストラのせいなのか,私の席のせいなのか,専門家でないのでわかりませんが,今回の演奏では,弦と管のバランスがちょっと悪かったです。というか,管が昭和時代のオーケストラのようでした。私は,管をもう少し抑えたほうがいいように感じました。
何はともあれ,美しかった第6楽章で,長い長い交響曲のすべてが報いられました。そして,いつものように,今回もまた,井上道義さんのスタンディングオベーションがいつまでもいつまでも続きました。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは