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●「プリンセス・ナヒエナエナ」の悲劇●
 引き続き,ラハイナの散策を続けよう。
 ラハイナ監獄からさらに南に歩いて行くと町はずれになってきた。このあたりは寺院が多いが,ここにラハイナの王族の悲劇があることを知る観光客は少ない。

 まず,1番目の写真は仏教寺院の「ラハイナ本願寺」(Lahaina Hongwanji Mission)である。屋根のてっぺんにだんごがささったような変わった建物で,1904年に建てられた。親鸞像がお寺の前にあり,ローマ字で「NOKOTSUDOU」と書かれた納骨堂もある。
 現在このお寺は日本語学校としても使われているそうだが,日系の人たちの集会場という機能もありそうだ。
 さらに歩いて行くと2番目の写真のマウイ島島最古のプロテスタント教会「ワイオラ教会」(Waiola Church)に着く。この教会は1828年に建てられた由緒あるもので,もともとはワイネエ教会(Waine'e Church)といわれた。幾度か改築が重ねれら,現在の名に改名された。
 その教会に隣接するのが3番目と4番目の写真にあるワイオラ墓地(ワイネエ墓地)である。この墓地にはカメハメハ1世の第1王妃ケオプオラニとプリンセス・ナヒエナエナの墓がある。
 前回書いた聖なる土地「モクウラ」が開発の波にのまれ,一度は葬られた「モクウラ」からここ「ワイオラ墓地」に移されたものである。

 カメハメハ1世はカメハメハ王朝の創始者で,ハワイ島コハラの首長の家系に生まれた。カラニオプウ大首長の死後,内戦状態にあったハワイ島を平定して王朝を建てた。
 カメハメハ1世には多く妻がいたが,その第1王妃がケオプオラニである。ケオプオラニは大変身分の高い生まれで,カメハメハ1世でさえ顔を上げて話をすることを許されなかったという。
 カメハメハ1世とケオプオラニの間には,のちのカメハメハ2世と3世となる男子が生れたが,その妹として生まれたのがナヒエナエナである。
 ナヒエナエナは実の兄カウイケアオウリ(後のカメハメハ3世)と愛し合っていて将来結婚することになっていた。今の常識とは違い,当時のハワイアンの習慣として,近親結婚,特に高貴な血を受け継ぐ者同士の結婚はその血筋を守りまた高めるものとして尊重されていた。したがって王とその高貴な妻とのふたりの兄妹は生まれながらにしてその道をたどる運命であった。
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  ところが,そのころヨーロッパからの宣教師がハワイへ布教を始め,王族の中にもキリスト教を崇拝するものが多くなってきた。ケオプオラニもキリスト教の教えに傾倒していったひとりである。こうして宣教師の影響は次第に王朝の政治にまで影響を及ぼすようになった。
 キリスト宣教師が始めてハワイに到着したとき,ナヒエナエナはたったの5歳であった。ハワイ貴族の娘として育ってきた彼女は宣教師から押し付けられた生き方に賛同することを拒んだ。彼女はイエス様を崇拝することよりも,海の神,風の神,火山の神,自然の神たちを崇拝することを選んだのだ。しかし,母親ケオプオラニが洗礼を受けキリスト教徒になってからは母親からキリスト教を押し付けられることになる。
 ナヒエナエナが表向きだけでもキリスト教を受け入れることになったのは,ケオプラニが死を目の前にした病床での遺言であった。
 「これからは宣教師に育ててもらい,立派なキリスト教徒になるのよ」
 こうして,否応にもキリスト教徒になることを受け入れることになったのだが,それでも古代ハワイアンのしきたりを完全に捨てることができなかった。そして,わざと昔ながらの服を着続けただけではなく,宣教師たちの反対を押し切ってカウイケアオウリと結婚した。
 が,結婚するやいなや宣教師からこんな手紙が彼女の元に届いた。
 「君は最大の罪を犯した。その罪は重く、君は母親のいる天国には行けないだろう」
 それがきっかけで心の病にかかり,かなりな量のお酒を飲み続けた。
 そんな人生の中でも明るい光が差したのは息子を身ごもったことであった。ところがその幸せも長くは続かず,赤子は産まれて数時間のうちに他界した。その事実に耐えられなかったナヒエナエナもまた,その3か月後に21年の短い生涯に幕を打ったのだった。カメハメハ3世として王朝のトップに立ったカウイケアオウリは他の女性と結婚したが,たびたびラハイナにあるナヒエナエナの墓標を訪れていた。
 …今もプリンセス・ナヒエナエナは,母親ケオプオラニと共にラハイナのワイオラ教会の片隅で眠っている。

 ハワイでのウエディングに憧れた日本人がこの教会で結婚式をあげる。ウェブサイトにもハワイでの結婚式の会場としてこの教会が取り上げられている。しかし,こうした歴史の悲劇が書かれたものは皆無である。
 ハワイに関する観光ガイドブックは多いが,それらの情報はショッピングやらグルメばかりである。ここラハイナにもまた,ショッピングやグルメ,そして,ウェディングで日本から訪れる人も少なくないが,こうした歴史を知る,あるいは興味をもつ人は多くない。しかし,この歴史を知ってこの地を訪れると,別の感慨がわくであろう。そしてまたこの教会で結婚式を挙げるということの重さを知ることができるであろう。
 旅をするというのはそういうものであるし,そうでなければならない。

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