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「2015夏アメリカ旅行記3」をはじめる前の復習を続ける。
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2015年6月下旬,2度目のアメリカ旅行ではサンフランシスコに行った。
私の従姪(じゅうてつ=従妹の子)がアメリカ人と結婚してアイダホ州に住んでいる。子供が3人いて,毎年夏休みに子供たちを連れて帰国するのだが,この年は現地の学校の関係で子供たちのうちのふたりだけを先に帰国させるということで,私が付き添ってその子供たちをアメリカまで送っていくことになった。そのためだけのアメリカ往復だった。
今はコロナ禍で海外は地の果てほど遠い存在となってしまっているが,そうでなければ,私にとってアメリカへ行くのは東京へ行くのとさほどの違いはないので1泊3日で往復してもどおっていうことはないから,そのまま帰ろうかとも思った。しかし,せっかくなので,帰りにサンフランシスコに寄ることにした。
アメリカの大都市はほぼすべてに行ったことがあるので,どこの都市もおおよそ雰囲気はわかる。また,ツアーでは行かないので,大都市のダウンタウンにある豪華なホテルには泊まったことがないが,その反対に,路地裏まで知っているし,現地のスーパーマーケットへ出かけて買い物をしたりもするから,どういう人がどのようにして生活しているかも想像がつく。今では,特にどこか行ってみたいと思うようなところもなくなった。しかし,サンフランシスコだけはもう一度行ってみたいと思っていた。私がサンフランシスコに行きたいと思ったのは,サンフランシスコでメジャーリーグが見たかったからだった。
私が前回サンフランシスコに行ったのはこの年2015年のさらに35年も前のことだった。ずいぶん昔のことだったから,その後サンフランシスコがどうなっているか,想像がつかなっかった。
結局,わずか数日の滞在だったにもかかわらず,念願かなってサンフランシスコに本拠地をもつメジャーリーグのふたつのチーム,オークランド・アスレチックスもサンフランシスコ・ジャイアンツもともに見ることができた。それだけでなく,ゴールデンゲートブリッジも歩いて渡ることが実現したし,さほど安全でないダウンタウンもチャイナタウンも,危険だ近づくなといわれたテンダーロイン地区もふらふらと散歩した。さらに,私の同級生がプロのバイオリニストになって現地に住んでいて,久しぶりに彼女と再会を果たして一緒にオペラも見た。
ニューヨークをはじめとして,アメリカの多くの大都市はどこも再開発がすすんで,私がはじめて行ったころの治安の悪さや不気味さは薄れ,街中を気ままに散歩することもできるようになったが,サンフランシスコは,意外にも,40年前の不気味さが未だに残る都会だった。充実した旅であったが,そのことが一番の驚きだった。
このときの旅で,唯一の誤算,というか,うれしい誤算は,私が訪れたとき,サンフランシスコは偶然,プライドのパレード(San Francisco Pride Parade)真っ盛りえということだった。プライドというのは,毎年6月,ゲイプライド月間に開催されるレズビアン,ゲイ,バイセクシャル,トランスジェンダー(LGBT)の祭典のことである。無知な私は,そんなお祭りがあるとは知らず,6月のサンフランシスコなんててっきりシーズンオフだとばかり思っていたから仰天した。そのため,宿泊できるホテルがなかなか見つからなかったし,やっと見つけても高すぎて泊まれなかった。ふたつ星のホテルが1泊50,000円くらいした。どうにかこうにかサンフランシスコ国際空港から歩いて20分というところに私の財力でも泊まれるホテルを見つけて,毎日,そこから地下鉄でダウンタウンを往復することになってしまった。
そんなわけだったが,行こうと思っても行く気にならないこの時期に,知らぬが仏とでもいうべきか,私はサンフランシスコにのうのうと行ってきた。そして,プライドの祭典に遭遇した。これが私のこの旅でのサンフランシスコの一番の思い出となった。静かな地方都市だと思って徳島市に出かけたら阿波おどりの真っ最中だった,みたいなものだ。
旅というのは,観光地なら,いつ行っても堪能できるし,お金さえ出せば,どんなおいしいものでも食べることもできる。しかし,こうした祭典だけは,そのときでなければ経験できないものだ。偶然とはいえ,ほんとうに幸運だった,と今では思う。