しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:ショスタコーヴィチ

IMG_3434IMG_3450IMG_3456IMG_3466IMG_3468IMG_3470IMG_3479IMG_3486

######
 ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番のあとに休憩がありました。
 休憩後,第2番のまえに演奏されたロッシーニの歌劇「ブルスキーノ氏」序曲が,疲れ果てた私には癒しとなりました。第2番と楽器編成が似ているという理由もあったのでしょうが,この選曲は絶妙でした。
 ロッシーニが作曲した1幕からなるオペラ・ファルサ(Opera Farsa=笑劇)「ブルスキーノ氏,または冒険する息子」(Il signor Bruschino, ossia Il figlio per azzardo)は,現在は,序曲のみが多く演奏されています。序曲は序奏部を持たない小規模なもので,弦の弓で譜面台を叩くという奏法がコミカルなものでした。なお,この演奏会は,簡単なパンフレットが配られただけで,曲の紹介がかかれた小冊子はありませんでした。

 さて,ほっと一息ついたあとに,ショスタコービッチのヴァイオリン協奏曲第2番がはじまりました。服部百音さんの衣装が黒色に変わりました。
  ・・・・・・
 3楽章からなるヴァイオリン協奏曲第2番は,1966年から67年にかけて作曲されたもので,60歳になった晩年のショスタコービッチらしい,思索的,哲学的内容をいっそう深めた作品です。
 室内楽的な明確な輪郭があり,全合奏の部分は極めて少ないのが特徴です。また,ヴァイオリンの独奏パートはまとまって休むことがほとんどなく,各楽章の中間部にそれぞれカデンツァを置いています。
   ・・・・・・
 第2番は,第1番のような派手さがないし,演奏される機会もほとんどなく,私も,これまで演奏会で聴いたことはありませんでした。また,ネット上にも詳しい解説が見当たりませんでした。そこで,今回,私は,何度も聴いて,予習をしました。
 第2番は,はじめて聴いたときには,聴き手を引き込む迫力がありません。しかし,聴きこんでみると,かなり魅力的な作品でした。
 陰鬱な雰囲気ではじまるオーケストラにソロ・ヴァイオリンが落ち着かない主題を乗せていく第1楽章の主調は嬰ハ短調で,これは,ヴァイオリンの曲にはあまり適さない調性ということです。暗く曖昧な第1主題と軽妙な第2主題の音色の変化が対比し,展開部からカデンツァに現れる重音ののち,第2楽章へと続きます。このあたりが,ショスタコーヴィッチ好きにはたまらなく魅力的に感じられるところです。薄暗がりの中に真っ赤な糸がうねりながら光って見えるような第2楽章のヴァイオリンのソロによる主題の提示は,暗い色調の曲に乗る艶っぽい音色が特徴で,唐突に過激なカデンツァがはじまり,朗々とホルンのソロが響きますそして,アタッカで演奏される第3楽章は,諧謔的で光と影がギラギラと入り乱れるような曲想で,かなり長めのカデンツァがあり,終盤は,打楽器とヴァイオリンが掛け合う展開になります。
 この曲は,幾多の試練を乗り越えた晩年のショスタコービッチの,ロシアの狂気に戦い疲れたむなしさとあきらめが表現されているように,私は感じます。「第1番に比べ第2番はそれなりにうまくやってはいるが,どうしても訴えかける力が弱いような気がするのである」という,ある評論を読みましたが,この曲は,人に訴えようと思ってはいないのだ,と私には感じます。ショスタコーヴィチ自身ための,ロシアへの決別であり,多くの犠牲者への鎮魂の曲なのです。

 この第2番の,第1楽章と第3楽章のカデンツァに現れる,ロシアの狂気をあざ笑うかのようなお道化たメロディは,どこかで聴いたことがあるのになあ? 何だったかなあ? と非常に気になって,ショスタコーヴィッチのさまざまな曲を聴いて,やっと探し当てました。それは,1966年に作曲されたチェロ協奏曲第2番のメロディでした。
 チェロ協奏曲第2番とヴァイオリン協奏曲第2番を何度も聴き比べてみると,このふたつの協奏曲は,まさに,兄弟のようなものでした。ちなみに,ヴァイオリン協奏曲第2番の第1楽章の最後とチェロ協奏曲第2番,そして,交響曲第15番のフィナーレは,ショスタコーヴィチお得意の,それぞれ,同じような木管楽器と打楽器との掛け合いの妙で,これが,私にはたまらなくいい。
  ・・
 と,聴きながら想いを巡らせていると,第3楽章の後半部で「事件」(ハプニング)が起きました。服部百音さんが酷使していたヴァイオリンがついに音を上げて,弦が切れてしまったようでした。突如,コンサートマスターのマロさんのヴァイオリンと交換して,続きを弾きはじめたところで,井上道義さんが演奏を止めました。そして,少し戻して,演奏を再開し,無事に何事もなかったように終了しました。ヴァイオリンが変わって,音色が変化したのが,私にはとてもおもしろかったです。
 ちなみに,服部百音さんの使用楽器は,日本ヴァイオリンより特別貸与の1740年製グァルネリ・デル・ジェス(Guarneri del Gesù)。マロさんの使用楽器は(株)ミュージック・プラザより貸与されている1727年製ストラディバリウス(Stradivarius)です。
 私は,一度,NHK交響楽団の定期公演で,ヴァイオリン奏者の弦が切れて,ヴァイオリンを後ろへ後ろへと回し交換する姿を見たことがあるのですが,今回は,ソリストのヴァイオリンの弦が切れる,というもので,これははじめて見ました。ただし,ピアノの弦が切れた,というのは見たことがあります。こうした「事件」と,その的確で冷静な対処を見ると,いかにプロの演奏家がすごいのか,ということを再発見します。

 井上道義さんは,ブログに次のように書いています。
  ・・・・・・
 何と! 最後の最後にあり得ないタイミングで弦が切れ, コンサートマスターのマロさんの楽器を一瞬のうちに手渡され,彼の楽器の素晴らしい音さえ一瞬で引き出し,よい意味で「忘れられない事件」として,2,700人のお客さんの記憶に残すことになったのです。
 道義は,あの時,無理やり続けるかやり直すかという一瞬の判断の分け目で後者を取りましたが,それは,モネが「何かあったらやり直すから」と宣言していたせいでもありました。
 彼女との共演では,以前も肩当てが落ちたこと1回,弦が切れたこと1回と,いつも何かが起こる。
  ・・・・・・
 終了後,服部百音さんは,燃えきれていないような表情を見せて,井上道義さんがそれを慰めるような姿が見えました。しかし,大観衆の拍手で,すべてが救われました。
 今回のコンサートで,人生の仕事のひとつをやり終えることになる,というようなことをXに書いていた服部百音さんでしたが,あまりに完璧にやり終えて気が抜けてしまうよりも,こうした「事件」があったことで不完全燃焼となり,より上を目指そうという意欲が沸き起こったのではないかな,と私は思いました。
 すばらしい演奏会に立ち会えて,大満足でした。

2番2番b2番c2番d


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_3360IMG_3378IMG_3387IMG_3392IMG_3404IMG_3418IMG_3426

######
 ずいぶん前のことなので,チケットを入手したときのことは忘れたのですが,私の席は,前列2列目,そこまではよかったのですが,ステージに向かって左から3番目,つまり端っこでした。こりゃ最悪だ,と思ったのですが,考えてみれば,カーテンコールのとき,一番近くで見ることができるではないか,ということで,思い直しました。
 大阪フェスティバルホールはすばらしいところですが,オーケストラのコンサートではちょっと広すぎます。
  ・・
 この日の前日2024年6月29日に,サントリーホールで同じ演奏会がありました。私が大阪のフェスティバルホールで聴いたのはその翌日となりますが,これが,正真正銘,井上道義さんのNHK交響楽団を指揮する最後となるわけです。NHK交響楽団のコンサートマスターはマロさん。曲目は,前回書いたように,ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番と第2番。この2曲を挟んで,ロッシーニの歌劇「ブルスキーノ氏」序曲でした。

  ・・・・・・
 41歳のショスタコービッチが,1947年から1948年にかけて作曲された4楽章からなるヴァイオリン協奏曲第1番は,12音技法を使うなどの前衛的な書法により1948年2月に共産党による作曲家批判を受けたため,発表を控えました。その後,スターリン死後の雪解けの雰囲気の中,交響曲第10番の初演が成功し,ジダーノフ批判が一段落したと考えられた1955年に発表されました。
  ・・・・・・
 コンサートがはじまりました。
 服部百音さんは,あざやかなブルーの衣装で現れました。ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番は,ショスタコーヴィチの傑作のひとつであり,ヴァイオリン協奏曲の傑作のひとつです。私も好きな曲です。しかし,この曲を聴いていると,貴族趣味のベートヴェンやブラームスの優雅なヴァイオリン協奏曲とは全く異質の,これはまさに現在行われている戦争そのものだと感じられます。
 それにしても,この曲,悲しすぎます。現在のロシアの狂気によって失われた多くの犠牲者に思いを巡らせます。

 今回の演奏を聴いていると,服部百音さんの演奏はまさに命懸け。これから第3楽章のカデンツァが待っているというのに,すでに第1楽章から,これ以上はないというほどの精魂込めたもので,これで,次の第2番まで体力が保てるのか,それ以上に,楽器がもつのか,と思えるほどでした。弓の糸がひっきりなしに切れました。
 これだけ激しい演奏はこれまで聴いたことがありません。これは,芸術というよりも,まさに戦いでした。
 ヴァイオリン協奏曲第1番演奏が終わったとき,演奏者以上に,聴いていた私が疲れ果てました。

1番あ1番i


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_7991

######
 私はお笑いタレントというものが苦手です。彼らが出演するテレビ番組を見たいとは思わないのです。しかし,現在,民放はもとよりNHKでも,教養番組などの進行役でさえそのような人たちが出ていない番組を探すほうが困難な状況になってしまいました。そんなわけで,もとからテレビの報道番組はまったく見ないので,限られたドラマや「コズミックフロント」以外見るものがなくなり,次第にテレビをつけることから遠ざかりはじめました。
 そして,静かになった日常では,音楽を聴くことがさらに幸福だと感じるようになってきました。
 そんな音楽で,私が好んで聴くのが,ブルックナーの交響曲であり,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲ですが,それが発展して,このごろは,ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲にはまりつつあります。

 ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲は15曲あって,ベートーヴェンの16曲,シューベルトの15曲,ドヴォルザークの14曲に匹敵します。また,第1番が作曲されたのが32歳で,すでに交響曲第5番を作曲したあとであり,最後の第15番は,ショスタコーヴィッチ亡くなる前の年に完成されているということで,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に似ています。
 しかし,ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲は演奏会でとりあげられるようなものではありません。それは,そのほとんどは暗く,切なく,そして,理解が困難だから,聴衆うけしないからです。たとえば,最後の第15番は「恐怖の暗黒音楽」とさえいわれ, 全6楽章が変ホ短調で,すべてアダージョからなっています。変ホ短調なんてフラット記号が6個もついていて,私は楽器が弾けないのでわからないのですが,演奏はかなり大変そうです。しかも,大変なのに,実際に演奏しても,聴く側はまったく理解できないとあっては,苦労のし甲斐もないというものです。

 ショスタコーヴィッチは旧ソビエト連邦で苦労した作曲家であることはあまりに有名ですが,もし,その才能をもって,オーストリアなどで生まれていたら,はたして,どんな音楽を書いたのだろうかと思います。しかし,ある意味,ショスタコービッチの狂気すら感じる魅力は,皮肉にもソビエト連邦の悪政があったからこそ生まれたのかもしれません。
 交響曲では旧ソビエト連邦の体制から多くの批判を受けたのですが,私は,この地味な弦楽四重奏曲で,作曲家のこころを吐露しているのではないだろうか,と聴きながら思います。お前たちのような下世話な人間にはわからないだろう,と報復をしているかのような感じです。そしてまた,ショスタコーヴッチの現世に対する執念と怨念は,自分のためだけに書いたと本人が言っていたとしても,実際は,聴く耳をもった聴衆だけが理解し楽しめるように作られたものだからです。
 してやったりとほくそ笑んでるショスタコーヴッチの笑い顔が浮かんでくるようです。私も愉快です。

IMG_1820IMG_1818IMG_1819



◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSCN4634DSCN4639DSCN4640DSCN4644

 12月のN響定期公演Aプログラムで取り上げられた曲目に,シャルル・デュトワ指揮のショスタコーヴィチ交響曲第15番があったので,聞いてきました。
 私は,すでにこのブログに書いたことがあるように,ブラームスの交響曲第4番が大好きなのですが,それとともに,ショスタコーヴィチの交響曲第15番の大ファンでもあります。しかし,あまり演奏されないので,めったに聞く機会がないことを残念に思っていました。

 この日のプログラムは,ストラビンスキーの「カルタ遊び」,リストのピアノ協奏曲第1番,そして,ショスタコーヴィチの交響曲でした。トライアングル協奏曲ともいわれるリストのピアノ協奏曲はなじみがあるのですが,このプログラムはかなりの通でないと魅力を感じないと思われるので,こういったプログラムが聴けるのは貴重です。

 小学校の時,音楽室の後ろに作曲家の年表があって,バッハ,モーツアルト,ベートーヴェン,ブラームスといった作曲家の難しそうな似顔絵が並んでいたのですが,その最後に,「ショスタコーヴィチ」がありました。
 当時は,まだ,ショスタコーヴィチは生存していたので,私は,まだ生きているクラシック作曲家がいるということが驚きでした。ショスタコーヴィチに興味を持ったのは,そんな理由からでした。
 中学生の頃だったか,ショスタコーヴィチの交響曲の最新作を日本で初演するということを知りました。これが交響曲第15番でした。

 この日本初演は,ロシア(当時はソビエト連邦)のオーケストラの来日公演でロジェストヴェンスキーが大阪フェスティバル・ホールで振ったのですが,その時のコンサートはテレビで放映されて,私は,それを見た記憶があります。
 解説者が,曲の紹介で,「ウィリアム・テルが出てきますよ」と話していたことが大変印象的でした。
 実際に聞いてみると,確かに,ウィリアム・テルの旋律が何度も出てきました。
 その頃知っていた交響曲は,ベートーヴェンの第5番とか第9番とか,しかも,当時は,2管編成をわざわざ倍の4菅編成にして,テンポもゆっくりと堂々と演奏するのが流行っていたころだったので,そういった曲と対比して,こんな軽いものが交響曲なのか,とがっかりした思い出があります。
 当時は,この曲のよさなど,わかるわけがありませんでした。

  ・・・・・・
 ショスタコーヴィチの最後の交響曲である第15番は1971年に作曲されました。
 交響曲第13番,第14番のような声楽入りの交響曲や,標題的な作品である第11番,第12番などとは異なって,伝統的な4楽章の交響曲でした。室内楽的なオーケストレーションや,頻繁に打楽器が出てくること,さまざまな作曲家の作品からの引用,十二音技法など,ショスタコーヴィチ流の技巧満載の作品です。  
 特に第4楽章の途中からは長大なパッサカリア(ブラームスの第4番と同じだ!)となって, そして,いよいよ,チェレスタのパッセージと第1楽章断片の再現による静謐なコーダが始まるのです。
  ・・・・・・
 このコーダが圧巻なのです。
 40小節にわたって,弦が主和音をピアニッシモで奏でて,打楽器が交響曲第4番第2楽章コーダやチェロ協奏曲第2番の終楽章の打楽器パートを引用します。
 ここで引用されたチェロ協奏曲第2番というのは,1966年に作曲されたものです。
 当時ショスタコーヴィチは心臓病を始めとする疾患に悩まされていて,軽やかな第1番とは違い,第2番は暗く不思議なトーンが全編に満ちています。3楽章形式からなっていて,曲の最後は驚くようなファンファーレを披露します。それが,この交響曲第15番のコーダと同じなのです。

 このように,ショスタコーヴィチ最後の交響曲では,自分の生涯を述懐するするかのように自作の引用やほのめかしがちりばめられています。そのあまりの密度の濃さから,この曲は,ショスタコーヴィチのこれまでの人生をさまざまな音楽の断片として,走馬灯のように明減し,その激動を象徴的に,まるで彼の命を絞り出すように描いているのです。
 ここには,ベートーヴェンの描いた「苦悩から歓喜へ」といったある種のきれいごとの高揚感は全くありません。人生には救いはない,あるとすればそれは死だ,ということを訴えているようなのです。
 私は,この曲を聞いて,本当に疲れました。これほど曲を聞いて精神的に疲れたことは初めてでした。それとともに,この曲の、最後の数小節を、感慨なくして聴くことができませんでした。
 この20世紀の大作曲家の残した最後の交響曲の混沌とした結末に,生きるということの深さとたいへんさに改めて感じ入ってしまったのです。

☆ミミミ
アイソン彗星は核の大きさが予想以上に小さかったことから,太陽に近づくと消滅する可能性を指摘する専門家もいました。しかし,これまで,池谷・関彗星や昨年のラブジョイ彗星(現在見えているものとは違います)がアイソン彗星よりも太陽に接近したのに生き延びたので楽観的な意見のほうが多く,日本の専門家の書いた本に至っては,アイソン彗星は消滅しないとあえて太字で書いてあった本もあるほどでした。しかし,太陽に接近して核が崩壊してしまいました。
今後,崩壊した核の残骸から出た尾が眺められる可能性もあるので,これからも注目していきたいと思います。予測不能もまた,おもしろいものです。
DSC_1475mx

このページのトップヘ