【Summary】
I was deeply moved by Shostakovich’s Symphony No.10, a work of human passion and liberation. Listening close to the stage, I learned much from the performers’ presence. I now look forward to Symphony No.15.
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演奏会も後半です。
私は,ショスタコービッチの交響曲は,第2番,第3番,第11番,第12番はおそらく演奏会で聴いたことがないと思いますが,それ以外は聴きました。難解な第13番,第14番も昨年聴くことができました。
積極的に録音を聴くことはないのですが,なかなか魅力的です。聴くとこころが沸き立ちます。今回は第10番でした。
●ショスタコーヴィチの交響曲第10番
1953年,ショスタコーヴィチ47歳のとき,スターリンの死後すぐに完成・初演されたもので,個人の解放,怒り,希望が凝縮された「嵐のあとに静かに広がる湖のような深さと力強さがある」と評される作品です。
第1楽章は,静かな低弦の旋律からはじまり,抑圧された感情がじわじわと広がるような構成となっています。クラリネットが提示する主題は「素朴に」(semplice)と指示され,内省的で孤独な響きです。
終盤はピッコロのデュエットが透明感を添え,静かな回想のように幕を閉じます。
第2楽章はスターリン体制への批判と回顧です。
「音楽によるスターリンの肖像」といわれるほど激烈で,暴力的なスケルツォで,独裁の影が音になって襲いかかってくるような,激烈なテンポと荒々しい音響が特徴です。トリオなしで突き進む構成は暴力的な権力の象徴のようであり,最後の一音は「最大音量」(sffff)で,怒りと恐怖が爆発するようにおわります(楽譜1)。
第3楽章は自己表現と解放です。
陰気なワルツ風の冒頭にはじまり,DSCH音型(D-Es-C-H=ドミートリイ・ショスタコーヴィチのイニシャル=楽譜2)が頻出します。これは自画像的モチーフで,抑圧から解き放たれた自分自身の姿を描いているとされます。また,ホルンで奏される「E-A-E-D-A」の音型(楽譜3)は、教え子エリミーラ・ナジーロヴァの名前の暗号とされます。愛の象徴でもあり,マーラーの「大地の歌」の旋律と重なることで死の予兆とも結びついています。
第4楽章は,愛と死,個人と体制の対話が交錯する,私的な楽章です。
低弦の内省的な旋律からはじまり,軽やかで華やかなアレグロへと向かいます。DSCH音型が再登場し(楽譜4),自画像としてのショスタコーヴィチが音楽の中に立ち現れ,最後は勝利や解放を思わせる明るい終結で締めくくられます。
ショスタコーヴィチは「この作品では人間的な感情と情熱を描きたかった」と語っていて,政治的な意味をぼかしながらも魂の叫びを音楽に込めています。曲は「あなたは、抑圧の中でどう生きる?」「愛と死が交差するとき何を信じる?」と,沈黙の中から問いかけ,深い水底からの声が聴く人のこころに波紋を広げていくのです。
このごろ,各地の演奏会で,ショスタコービッチの交響曲がずいぶん取り上げられています。世界情勢の反映でしょうか?
私は,京都市交響楽団の定期会員になって以来,前の席で聴くようになって,再発見したことがずいぶんとあります。生演奏を聴くなら,なるべくステージに近い席がいいと思うようになりました。それは,演奏者の姿がよく見えるからです。私のような,楽器を弾くことができない者にとっては,これがずいぶんとよい刺激になります。
今回の演奏会も,予想以上でした。大変すばらしい時間になりました。
さて,来年度,2027年2月には,私の好きな第15番が取り上げられるということなので,今から楽しみです。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは
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