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【Summary】
I attended Orchestra Ensemble Kanazawa's concert, conducted by Michiyoshi Inoue in his final appearance before retirement. The program featured Akira Nishimura's Heterophony of Birds and Shostakovich's Symphony No. 14, both profound pieces. Their appreciation of contemporary music has grown, making the experience especially memorable.

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 2024年11月9日,金沢市に行って,オーケストラ・アンサンブル金沢(Orchestra Ensemble Kanazawa)第487回定期公演マイスター・シリーズを聴きました。
 わざわざ金沢まで行ったのは,前々から気になっていたオーケストラ・アンサンブル金沢を聴きたかったこと,指揮が井上道義さんだったこと,そして,曲目でした。
 指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢桂冠指揮者の井上道義さんは,2024年12月30日で引退するので,オーケストラ・アンサンブル金沢を指揮するのはこれが最後となります。私は,このところ,井上道義さんの「追っかけ」をしているような感じになっているのですが,これが最後,これが最後,といいながら,ついに,今回こそが最後の演奏会となります。たぶん。
 この日の曲目は,西村朗の「鳥のヘテロフォニー」とお得意のショスタコーヴィチの交響曲第14番でした。ショスタコーヴィチの交響曲第14番では,ソプラノのナデージダ・パヴロヴァ (Nadezhda Pavlova)さんとバスのアレクセイ・ティホミーロフ(Alexey Tikhomirov) さんが共演しました。
 こんな難解なふたつの曲の演奏会。指揮が井上道義さんでなければだれが聴きに行くのだろう? と思ったりしましたが…。

 「鳥のヘテロフォニー」の作曲をした西村朗さんは,これまで,NHK交響楽団の定期公演をNHKFMで生中継していたときにたびたび解説者として登場していた人ですが,昨年2023年9月7日に69歳で亡くなったときはびっくりしました。
 「鳥のヘテロフォニー」は,西村朗さんが1993年にオーケストラ・アンサンブル金沢のコンポーザ・イン・レジデンス時代に作曲した曲です。初演者の指揮は岩城宏之さんで,オーケストラ・アンサンブル金沢では,現代作品としては異例なほどこの曲を再三実演で取り上げていて,レパートリーになっています。「~のヘテロフォニー」というのは,「同一の旋律を複数のパートが少しずつ違ったやり方で同じに進行すること」だそうです。曲は難解ではなく,響きやリズムの多様性を満喫できるものです。   ・・・・・・
 熱帯的で原始的な雰囲気が漂っているこの曲は,不安定な響きではじまり,弦楽器から鳥のさえずりをイメージさせるような音型が,やがて,打楽器に伴って鳥の数が増えていって,野性的に盛り上がってきます。
 気持ちのよいテンポで展開していったのち,混沌とした感じになり,そのあと,静かで透明な響きが続きます。細かい音の動きと音の強弱の対比が激しい部分が続いたあと,エキゾティックな雰囲気になり,最初の鳥のイメージに戻ります。
 同じようなリズムが徐々に変化していくうちに陶酔的な雰囲気になり,次第にエネルギーが蓄えられていったあと,クライマックスでエネルギーを放出するかのように終わります。
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 このような解説があるのですが,現代音楽は,聴く側はどういう姿勢で受け入れればいいのだろうと,私はいつも考えます。とはいえ,どうも,私は,このごろ,好みが変化しつつあり,こうしたものを素直に受け入れられるようになってきたのだから,自分でも不思議です。

 ショスタコービッチの交響曲第14番は「死者の歌」(Lyrics for Death)という副題が付けられていますが,これはショスタコーヴィチ自身によるものではなく,レコード録音の際にそのときの解説者が命名したものだそうです。
 作曲のきっかけは、ショスタコーヴィチが1962年にムソルグスキーの「死の歌と踊り」(Songs and Dances of Death)の管弦楽向け編曲を行ったときにさかのぼり,その後,ショスタコーヴィチ自身の健康の悪化から死を意識するようになり,入院中にこの曲のスケッチを完成させました。
 ショスタコービッチは書いています。
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 この曲を書いている間,僕は常に何かが僕の身に起こるのではないかと恐れた。この右手が動かなくなるのではないか,急に盲目になるのではないかと。こうした不安は,僕に安らぎを与えることはなかった。
 死ははじまりではなく,本当の終わりであり,その後には何もなく,何もない。私はあなたが目で真実を見なければならないと感じています。死とその力を否定することは役に立たない。否定しようがしまいが,どうせ死んでしまう。死そのものに抗議するのは愚かなことですが,暴力的な死に抗議することはできますし,そうしなければなりません。
 人々が病気や貧困で死ぬ前に死ぬのは悪いことだが,ある人が別の男に殺されたらもっと悪い。
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 晩年のショスタコービッチはこのようなことを書きたかったのでしょう。次の交響曲第15番に比べたら,まだ,生きることへの未練と煩悩があります。
 作品は11楽章から構成され,ソプラノとバスの独唱が付いている歌曲集形式です。この11楽章は,例えば,①1楽章から3楽章 ②4楽章から6楽章 ③7楽章から9楽章④10楽章から11楽章,というように,4つの部分の集まりと考えた4楽章の交響曲と考えることができる,という考え方があるそうです。
 マーラーの交響曲「大地の歌」と似ていますが,ショスタコービッチの交響曲第14番「死者の歌」には交響曲第13番「バビヤール」に通じるものがあり救いがありません。しかし,無駄のまったくない楽器編成から奏でられる曲は美しく,浄化された感動を覚えます。

 曲は次のようなものです。
 -スペインの詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカの詩による-
●第1曲(B):深き淵より
 深く沈んだ死者を悼む曲で,グレゴリオ聖歌の「怒りの日」(ディエス・イレ)からはじまります。
  真っ赤な砂に覆われたアンダルシアの道。
   緑のオリーブが茂るコルドバの街。
  そこに百本の十字架を立てよう,彼らの思い出のために。
  百人の恋わずらいたちが 遠の眠りについた。
●第2曲(S):マラゲーニャ
 一転して,激しい興奮と狂乱の曲で「死は酒場を出たり入ったりしている」という日常に隣り合う「死」を歌います。
  死は入って来てそして出て行った,この酒場を。
  黒い馬と悪漢たちが行きかう ギターの深い谷間を。
  塩の匂いが女の血の匂いが浜辺の熱を帯びた月下香の香りに混じる。
  死は相変わらず入ったり出たり 出たり入ったりを続けている,この酒場を。
  ・・
 -フランスの詩人ギョーム・アポリネールの詩による- 
●第3曲(S/B):ローレライ
 ドイツのローレライ伝説に基づく詩です。
  男たちはブロンドの髪の魔女のもとへ押し寄せ,彼女への恋に身を滅ぼした。
  司祭が彼女をよび出し裁こうとしたがあまりの美しさに赦してしまった。
  「話して聞かせよローレライよ。そなたの瞳は宝石の輝き。誰がお前にかような魔法を授けたのか」
  「死なせてください司教様。私の瞳は呪われています。私の瞳を見た男は身を滅ぼします。おお司教様。私の瞳の炎は 恐ろしい呪いの炎です!」
  「ローレライよ,そなたの炎は強力だ。お前は私を魅了してしまいそなたを裁けない」
  「司教様。そう言わないでください。祈ってください。神様の御心で私を死に導いてください。私の恋人は去り,遠い国へと行ってしまい, 私は悲嘆にくれ,茫然としています。心は死んでしまいたいほど痛みます。こんな姿を見て死にたくなるのです。私の恋人はもはやおらず,その日から 私の魂は真っ暗闇で,全ては空虚なのです」
  司教様は3人の騎士を呼び,修道院に連れて行かせた。
  ローレライをすぐに人里離れた修道院へ連れて行け。行くのだ,愚かなローレ,恐ろしい瞳のローレ! お前は尼になり,瞳の炎を暗くするのだ」
  3人の騎士は娘とともに道を進む。娘は無口のいかめしい騎士たちに話しかけた。
  「あの高い岩山の上にちょっと立たせてください。もういちど私の恋人のお城を見たい。 水面に映ったその姿を見たらそのあと私は修道院の壁の中に入りましょう」
   彼女の髪は風にかき乱され瞳は輝く。騎士たちは叫ぶ
  「ローレライよ,戻れ」
  「ライン川の曲り角に舟がやって来て,そこには愛しい人が乗っていて私をよんでいる。魂は軽やかで,波は透明で…」
  そして,彼女はライン川へと落ちて行った。
  今もこの穏やかな流れの中に見る。ラインの水面に反映する瞳と太陽に輝く髪を。
●第4曲(S):自殺
 自殺者の墓には十字架がない…。ロシア語で,最初の「3本のユリ」が「トゥリー・リリー、トゥリー・リリー」と歌いだされます。これは,歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の最終幕に出てくるモチーフを用いています。
  三本のユリ,三本のユリ,十字架のない私のお墓の上の三本のユリ。
  三本のユリ,金粉を冷たい風に吹き払われ,黒い空から降る雨にときおり濡れ,王様の杖のように堂々として美しい。
  一本は私の傷口から生え,陽が当たるとき 血に染まったようになる恐怖のユリ。
  三本のユリ,十字架のない私のお墓の上の三本のユリ。
  三本のユリ,金粉を冷たい風に吹き払われる。
  もう一本は柩の床の上で苦しむ私の心臓から生え柩の床は虫が食い荒らしている。
  もう一本は私の口から生えたその根で私の口を裂く。
  どれもみな私の墓の上にわびしく立っていて,その周りで,空も大地も私の人生のように美しさを呪われている。
  三本のユリ,十字架のない私のお墓の上の三本のユリ。  
●第5曲(S):用心して
 シロフォンで提示される「骸骨の踊り」は死の女神による死への誘惑,引きずり込みを表します。とても印象に残るところで,きわめてショスタコービッチらしい音楽です。
  塹壕で夜の来る前に彼は死んでいく 私のちっぽけな兵士。その疲れた眼は 一日中銃眼の陰から達成の望めない栄光をみつめていた。
  塹壕で夜の来る前に死んでい 私のちっぽけな兵士,私の恋人で弟。
  だからこそ,私は美しくなりたい。
  私の胸を明るい松明にしよう。
  私の大きな瞳で雪に覆われた畑を融かそう。
  そして私の腰には墓帯を巻きつけよう。
  死が避けられないのなら近親相姦と死のために私は美しくなりたい。
  夕焼けがバラのように染まり牛が鳴く。
  そして飛び立った青い鳥を私は見つめる。
  今こそ愛の時,燃えるような熱病の時,今こそ死の時、戻ることのない。
  バラが枯れるように死んでいく私のちっぽけな兵士私の恋人で弟。
●第6曲(S/B):マダム、ご覧なさい!
 第5曲からアタッカで続きます。夫を,恋人を死の女神に奪われた未亡人が歌う,人をおちょくったような不気味な泣き笑いの歌です。
  マダム,ご覧なさい! 何か落とされたようですね。
  ああ,つまらないものよ!
  それは私の心。むしろ,持って行ってちょうだい。捨ててしまいたい。そうしたい いくらでも取り戻せるもののだから。
  だから私は笑うの。笑うの。ハハハハ,ハハハハ。
  だから私は笑うの。笑うの。死神が刈り取った崇高な愛を。
●第7曲(B):サンテ監獄にて
 失望と屈辱。
  牢屋に入れられる前に俺は裸にされた。
  運命の戦いの片隅から 俺は暗闇の中に追い出された。
  さらば,さらば楽しげなロンドよ。さらば,乙女のほほえみよ。
  俺の上には墓がかぶさる。
  俺はここで完全に死に絶えた。違う,俺は違う。今までとは違う。
  俺は今囚人だ。希望の終わりだ。檻の中をまるで熊のように,俺は行ったり来たりする。だが空は見ない方がましだ。
  ここでの俺には空はうれしくない。檻の中をまるで熊のように俺は行ったり来たりする。
  なぜ俺にこんな悲しみをもたらすのだ?
  全能の神よ,教えてくれ。おお憐れみを!涙も出ない目で 俺は仮面のように見える。
  牢獄の屋根の下にはどれだけの不幸な魂がもがいているのか。
  俺から茨の冠を取ってくれ!それが脳にまで突き刺さっているわけではないが。
  1日が終わった。頭上にランプがひとつ闇に包まれながら燃えている。
  ひっそりと静まった。独房の中でふたりきりだ。 俺と俺の理性と。
●第8曲(B):コサック・ザポロージュからコンスタンチノープルのスルタンへの返答
 オスマントルコからの服従の要求に対し「何言ってやんでえ、べらぼうめ!」的な返事をする,やけくそで向こう見ずな反抗です。
  お前はバラバより百倍極悪人だ。
  ベルゼブル(悪魔の首領)に仕えるやつだ。
  この世で一番卑怯なやつ。汚物と泥で育ったやつ。
  お前の集会に俺たちは行かねえぞ。腐った出来物め。
  サロニク(ギリシャ北部の町)のゴミ野郎,鼻が曲がってちぎれるほど,とても言えねえ気色悪い夢で,お前のカアチャンが痙攣して下痢したときにお前が生まれたのさ。
  ポドリア(ウクライナ西部地域)の極道刑吏め。 お前の傷口は膿だらけだ。 馬のぶざまなケツ,ブタの醜いツラして てめえの金を取っとくんだな
  でねえと傷を治す薬が買えねえぜ。
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  -この交響曲唯一のロシア語のオリジナルの詩-
●第9曲(B):おお、デルヴィーグよ
 帝政ロシアの旧態依然の沈滞に対してナポレオンの遠征で知った西欧流の近代化を求めた貴族出身の将校,インテリたちによる「デカブリストの乱」でシベリア流刑となった友に贈った詩です。
  おおデルヴィーク,デルヴィークよ!
  報酬は何だ, 偉業と詩作に対して?
  天才の喜びとは何だ,そして,どこにあるのだ?
  この悪党や愚か者ばかりの世の中で。
  ユウェナリス(古代ローマの風刺詩人)の厳しい手の恐ろしい鞭が悪党どもに飛び,やつらの顔から血の気を奪う。
  そして,専制暴君は震える。
  おお,デルヴィーク,デルヴィークよ! 迫害がなんだ?
  不滅の命と 雄々しく気高い偉業と優しい歌の響きがあるではないか!
  だから,我らの同盟も 自由,喜び,そして,誇りも滅びはしない!
  そして,楽しいときも苦しいときも,永遠のミューズを讃える同盟は揺らがない!
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 -ドイツの詩人リルケによる「詩人の死」-
●第10曲(S):詩人の死
 第9曲に続き、この交響曲の頂点を成す曲です。この交響曲冒頭の「ディエス・イレ」のモチーフが再現し、原点に戻って曲の本質に至ります。
  詩人は死んだ。
  彼の顔は蒼ざめて,すべてを拒絶するようで,彼はかつて世界のすべてを知っていたが,その知識は次第に消え, 再び無関心の日に引き戻された。
  ずっと彼は考えられてきた。世界と彼とはすべてがひとつであると
   湖と谷間が,そして,野原が,彼の顔そのものだったから。
  彼の顔と,広々とした空間があった,その空間は手を伸ばしてまとわりつき果物が腐っていく運命であるかのように。
●第11曲(S/B):結び
 「死」は、あっけなくやってきてそれでおしまい、とでもいうように,巨大な交響曲の締めくくりはあっという間にあっけなく終わります。
  死は偉大だ。
  歓喜のときにも それは見つめている。
  最高の人生の瞬間,我々の中に悶え, 我々を待ち焦がれ, 我々の中で涙している。
  ・・・・・・

Gafvm-tbEAMPHlE


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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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