しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:セコイア国立公園

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●セコイア国立公園(Sequoia National park)
 以前,次のように書いたことがあります。
  ・・・・・・
 それは私が小学校のころのことだったが,今となっては学年を思い出せない。ずっと国語の教科書だと思っていたが,帰国後,昔の教科書が閲覧できる,とある図書館に出かけてそのころの教科書を探したのだが,見つけ出すことができななかったから,私の勘違いで,国語の教科書ではなく,何かの学習雑誌か補助教材だったのかもしれない。
 ともあれ,そこに載っていて知ったのが,巨大な木の幹をトンネルのようにくり抜いてその中を車が走っている1枚の写真であった。
 私は,それを見てアメリカというのはエライ国だと思った。そして,子供心に,ぜひセコイア国立公園に行ってみたいものだと思った。しかし,本当にそこに行けるとは思っていなかったから,その幸運が訪れたことに私は感謝した。
  ・・・・・・
 そして,その後に,このときのブログでは,この木の倒れた姿だと思われた無残な姿のセコイアの倒木を見たことになっています。
 しかし,後日,それがまちがいだということがわかりました。
  ・・
 私が子供のころに知った「巨大な木の幹をトンネルのようにくり抜いてその中を車が走っている」セコイアというのは,セコイア国立公園にあったものではなく,ヨセミテ国立公園にあったものだったのです。
 ウィキペディアに次のように書かれています。
  ・・・・・・
 「ワウォナツリー」(Wawona Tree)は,ヨセミテ国立公園(Yosemite National Park)のマリポサグローブ(Mariposa Grove)に生えていたセコイアデンドロン(ジャイアントセコイア)の巨木である。高さは69メートル,外周は27メートルあった。
 1881年,この木にもともとあった火事による傷を広げるようにしてトンネルが掘られた。木は少し傾いていたが,トンネル完成時には傾きが大きくなっていた。後に有名な観光スポットとなり,多くの旅行客が車で下を通りながら,あるいは木の下に立って写真を撮っていた。
 1969年2月,ワウォナツリーは雪の重みに耐えられずに倒壊した。推定樹齢は2,300年とされている。
  ・・・・・・
 つまり,私が小学生のときに知ったセコイアにあこがれ,やっと行くことができたセコイア国立公園だったのですが,私が見たかったセコイアというのは,セコイア国立公園ではなく,ヨセミテ国立公園にあった,ということでした。私は,はじめてアメリカに行った今から40年ほど前にヨセミテ国立公園を訪れたのですが,すでにそのときは,この木は倒れてしまっていたわけです。
 セコイア国立公園にも同じように倒れた巨木があるということは,このようにしてトンネルが作られたセコイアが数多くあったということなのでしょう。
  ・・
 なお,復習ですが,セコイア(Sequoia)とよばれる巨木には2種類あります。
 本家本元の「セコイア」(Sequoioideae)は,通称「コーストレッドウッド」(coast redwood)とよばれるもので,これはレッドウッド国立公園(Redwood National and State Parks = RNSP)にあります。一般にセコイアと思われているものは,通称「ジャイアントセコイア」(giant sequoia)とよばれる本名は「セコイアデンドロン」(Sequoiadendron giganteum)で,これがセコイア国立公園にあります。
 「セコイアデンドロン」つまり「ジャイアントセコイア」のほうは世界一幹が太い巨木で,「セコイア」つまり「コーストレッドウッド」のほうは世界一背が高い巨木です。

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fallen tree


◆◆◆
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💛
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●私がセコイア国立公園を知った木●
 「シャーマン将軍の木」を見るにはずっと離れたところに駐車場があって,そこから走っている無料シャトルバスは,「シャーマン将軍の木」のあるジャイアントフォレストとジャイアントフォレスト博物館を結んでいた。「シャーマン将軍の木」はシャトルバスに乗らなくてもトレイルを歩けば行くことができる。ジャイアント博物館はそれよりかなり下ったところにあるが,博物館には別の駐車場があるので車で行くことができる。
 このあたりがセコイア国立公園のメインルートで,多くの観光客が集まる場所であった。

 「シャーマン将軍の木」の駐車場から車を出してそのまま帰路である南の方向に走っていくと,そこにジャイアントフォレスト博物館があったので,再び車を停めて博物館を見学した。
 私はこの時点ではまだクレセントミドウ・ロードの存在を知らなかったので,博物館を見終わったらそのまま帰るつもりでいたが,ここで知ったのがこのクレセントミドウ・ロードであった。博物館の右手にその道路の入口があったがわかりにくく見逃すところであった。
 クレセントミドウ・ロード(Crescent Meadow Road)は,1番目の写真のように,車がやっとすれ違えるほどの幅しかなかった。この道路を道なりに走っていくとくるりと一周してまたこの場所に戻ってくることができる。このセコイアの樹木のなかを走る狭い道路こそがセコイア国立公園最大の見どころであった。

 それは私が小学校のころのことだったが,今となっては学年を思い出せない。ずっと国語の教科書だと思っていたが,帰国後,昔の教科書が閲覧できる,とある図書館に出かけてそのころの教科書を探したのだが,見つけ出すことができななかったから,私の勘違いで,国語の教科書ではなく,何かの学習雑誌か補助教材だったのかもしれない。
 ともあれ,そこに載っていて知ったのが,巨大な木の幹をトンネルのようにくり抜いてその中を車が走っている1枚の写真であった。
 私は,それを見てアメリカというのはエライ国だと思った。そして,子供心に,ぜひセコイア国立公園に行ってみたいものだと思った。しかし,本当にそこに行けるとは思っていなかったから,その幸運が訪れたことに私は感謝した。

 車が通れるセコイアの木が倒れたというニュースをしばらくして知ったことは今も覚えているが,今回,帰国してから調べていくうちに,その木が倒れたという当時のニュース記事をインターネットで見つけた。その記事によると,木が倒れたのは2003年ということだった。
 そのころはもう,私は,アメリカはエライ国だ,というよりも,そんな客寄せのために木をくり抜いてしまうような愚を犯すから木が倒れてしまったではないか,かわいそうに,と思ったことだった。
 今回,セコイア国立公園に来て,倒れてしまった以上,その木はもはやこの国立公園には存在しないだろうけれど,当時その木があったのははたして国立公園のなかのどこだったのだろうと思った。しかし,それを探そうという気持ちは特になかった。

 現在,クレセントミドウ・ロードにはトンネルログ(Tunnel Log)といって,自然に倒れて道を塞いだセコイアの幹にトンネルをくり抜いて車が走れるようになっている箇所がある。そういう場所があることは来る前から知っていたが,それもまた,国立公園のどこにあるのかは知らなかった。
 それがこのクレセントミドウ・ロードにあった。しかし,それは私がこの国立公園を知った幹をくり抜いたセコイアの木とは全く違うものだから,偶然,私がその場所に行くことができて,しかも,私も車で通り抜けてみたが,特に感動もなかった。
 クレセントミドウ・ロードを一周し終わって帰ろうと思ったとき,オートログ(Auto Log)という立て札とその横に小さな道があるのを見つけた。実は,クレセントミドウ・ロードに入ったときにもこの立札を一瞬見つけたのだが,気にもせず通り過ぎていた。帰りもまた,同じように気にせず一旦は通り過ぎたのだが,その後で,ひょっとしたらあれこそが私がこの国立公園を知った幹をくり抜かれたセコイア木のあった場所ではないのだろうかと思い直して,引き返すことにした。

 立て札のあった場所まで戻って横の道を少し登ると駐車場があったので車を停めて外に出た。そこには説明書きがあって,その説明書きには,この場所は,昔,セコイア国立公園を紹介するときによく使われた有名な木のあった場所だということが書かれてあった。
 この場所こそが,私がセコイア国立公園を知った幹をくり抜かれたセコイアの木のあった場所なのであった。
 現在,木は倒れたまま半分土と同化していた。私は,この木と出会えた偶然に驚いた。そしてそしてまた,月日の流れを感じるとともに,人の愚かさに再び悲しくなった。
 しかし,木の幹をくり抜いて車を走らせるなどという愚行をしたことで私はこの国立公園の存在を知ったわけだから,もし,その写真を見なかったら私はこの国立公園に来ることもなかったということもまた事実なのである。

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●不思議なもので…●
 私は若いころからアメリカに憧れてはいたが,アメリカの国立公園のほとんどにこうして訪れることになろうとは夢にも思わなかった。国立公園に特に興味があるわけでもなかった。
 私のような世代は子供のころからアメリカにコンプレックスをいだき育ったから,一度はニューヨークに行ってみたい,サンフランシスコに行ってみたい… などとだれしも思っていた。私はそれを実現して,その次のステージとして,今度は,グランドキャニオンを見てみたい,アメリカには日本にない大自然があるぞということになって,国立公園に足を延ばしはじめたというだけことだったのだ。
 しかし,アメリカの多くの国立公園に行くには車がないとどうにもならないから,行きたくても行けない人も多いことだろう。私がそれを実現できてしまった幸運を不思議に思う。

 私の手元にある「地球の歩き方」の「アメリカの国立公園」編は2005年版の古いものである。常々書いているように,私はいい加減でずぼらだから,旅行に行く前にほとんど何も調べない。新しくガイドブックを買ったりもしない。つまり,行き当たりばったりである。というよりもむしろ,行く前に調べる気が起きない。それにしても不思議なのは,実際に行ってみてから後で積極的にガイドブックを読む気になることで,読んでからこんなところがあったのかと知って後悔するわけだ。
 毎回そんなことを繰り返しているわけだが,この「アメリカの国立公園」編を改めて読み返してみると,私はこの本に載っている国立公園のほとんどにすでに行ったことがあって,それもまた驚きである。さらには,私はアメリカでキャンプをするなんていうことがきるなんて当然思っていなかったが,この数年でそれさえ実現してしまったが,これもまた不思議なことである。

 多くの,というかほとんどの日本人には理解できないことであろうが,大都会を除くアメリカに暮らす人にとって,大自然というのは,それが無縁な日本人とは違って身近な存在でもあり脅威でもある。しかし,その大自然と友達にならなけらば,毎日が退屈で仕方がないと思う。日本のようにほんの数分外出すれば巨大モールがあるというのとはわけが違う。
 本当の大自然なんてまったくない日本なのに,自然に憧れて小さなキャンピングカーを手に入れて夏になればオートキャンプ場に行く人たちもいるようだが,アメリカのオートキャンプ場を知ってしまうと,日本のキャンプ場なんてままごと以下だということに気づいてしまうから,そういうことをしている人をとても気の毒に思う。
 どうやら私は知らなくてもいいことまで知り過ぎてしまったようだ。

 さて,シャーマン将軍の木を過ぎて,私が次に向かったのはクセントミドウ・ロード(Crescent Meadow Road)であった。ここがこの国立公園での一番の見どころなのである。この片道3マイル,約5キロのセコイアの樹林のなかを走る狭い道路はジャイアントフォレスト博物館(Giant Forest Museum)の南側から続いているのだが,その入口がわかりにくかった。
 私は,クセントミドウ・ロードに行く前に,ジャイアントフォレスト博物館の前にあった駐車場に車を停めて博物館に行った。博物館のなかには多くのセコイアに関する展示があった。国立公園でこういうお勉強ができるのも,また,アメリカらしいことである。展示を見てから,博物館の裏手にあったトレイルを歩いて,ラウンドミドウ(Round Meadow)という草原に行ってみた。この国立公園はセコイアの森ばかりなのに,突然,目の前に草原が広がってきて驚いた。

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●遠かった「シャーマン将軍の木」●
 キングスキャニオン国立公園でトレイルを歩きながらグラント将軍の木を見た後で,私は再び車に乗ってシーダーグローブ(Cedar Grove)を目指して細い山岳道路を走っていった。山岳道路になると,それまではセコイアの森に囲まれていたのが急に景色が変わって山並みの美しい風景になった。しかし,どこまで行っても先があるので,途中の展望台まで行って引き返すことにして,次にキングスキャニオン国立公園の南にあるセコイア国立公園に向けて再び走り出した。
 キングスキャニオン国立公園とセコイア国立公園は一体となっていて,途中にゲートがあったりはしない。セコイア国立公園に入っても依然として同じようなセコイアの森が続いていたが,やがて,ロッジポール(Lodgepole)というキャンプ場に着いた。ここには売店やレストランがあるということだったので昼食でもと思っていたが,あいにくレストランは閉まっていた。
 この国立公園はすばらしい景色が広がっていることにかけては満足したが,アメリカの国立公園にしてはゴージャスさには欠ける。というか,その素朴さがいいともいえた。
 西海岸のロサンゼルスとサンフランシスコから容易にアクセスできる国立公園であるとはいえ,アメリカは広く雄大で,この国立公園のほとんどもまた手つかずの大自然のままなのだった。

 セコイア国立公園で一番の見ものは「シャーマン将軍の木」であった。
 「シャーマン将軍の木」(General Sherman tree)というのは,セコイア国立公園内の原生林Giant Forestに生えている「セコイアデンドロン」(Sequoiadendron giganteum=ジャイアントセコイア)の巨木である。この巨木は1,487立方メートルに及ぶ体積を持つことから,地球上で最も大きな木であると同時に最も大きな生命体であると考えられている。樹齢はおよそ2,200年にもなる。
 この木の名前は南北戦争における北軍の指導者ウィリアム・シャーマン将軍(general William Tecumseh Sherman)に因んで,1879年にこの木の発見者で博物学者のジェームズ・ウォルバートン(James Wolverton)によってつけられた。ウォルバートンはシャーマンの指揮する第9インディアナ騎兵隊に中尉として参加していた。
 1880年代,近隣で設立された空想的社会主義者のコロニー 「Kaweah Colony」によってこの木は「カール・マルクス」(Karl Marx)と名づけられたこともあるという。
 一時,グラント将軍の木との間で世界一の座をめぐって論争になっていたが,1931年,シャーマン将軍の木が世界一の大きさを持つ木として認められた。
 2006年1月,この木の最も大きかった枝が折れてしまった。このL字型の枝は直径がおよそ2メートル,長さが30メートル以上あり,落下した際にこの木を囲むフェンスを壊し周囲の歩道に大きな跡を残したという。
 この木は,地面からの高さが83.8メートル,地面の位置での周囲の長さは 31.1メートルである。

 私は「シャーマン将軍の木」も車で近くまで行って簡単に見ることができると思っていたが,それは大きな誤解であった。セコイア国立公園を訪れる人のお目当てはこの木なのだから人気があり多くの人が訪れるから,広い駐車場があってそこに車を停めてからけっこうな道のりを歩かなないとこの木にたどり着くことができなかった。
 駐車場はこちらの標示にしたがってどんどんと山のなかの道路を登っていったらやがて駐車場に着いたのだが,駐車場には多くの車が停まっていて,なかなか車を停める場所が見つからかなった。ぐるぐると駐車場をまわって,やっと車を停める場所を見つけて,外に出た。そこから「シャーマン将軍の木」がある森までかなりの距離を歩いて行くことになった。「シャーマン将軍の木」の近くには障害者の人たち限定の駐車場があるが,一般の人たちはその障害者用の駐車場までシャトルバスが走っているほど遠いのだった。
 多くの人について私はそのトレイルを歩いて行った。やがて,ものすごい巨木が茂ったセコイアの森のなかに,「シャーマン将軍の木」があった。セコイアの森を歩きながら,大昔の地球はこんな森ばかりだったに違いないと思った。

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●子供のころに知ったことはずっと…●
 子供がみんなそうなのかは知らないが,私は,子供のころに学校の教科書や雑誌ではじめて知ったことでそのあと歳をとってもずっと気になっていることがとても多い。そして,今でもそうしたものを見てみたい,あるいは,真相を知りたいと常々思って行動しているようなのだ。しかし,ここ半年で相次いで亡くなった私の両親はそうした私の気持ちをぶち壊すようなことばかりをしてきた。これが私のトラウマである。
 大人には何気ないことでも,それが子供の将来を決めることがある。それがその子の人生に大きな意味をもつことだって多々あるのだ。それは,塾に通わせるとか,海外旅行につれていくといったお金をつかわなくても,たわいもない1冊の本のなかの,それもほんの1枚の絵で十分なのだ。そうした動機づけがあれば,あとはその子供が自分の力で手に入れる。それを陰でサポートするのが親の役目だ。
 私が1枚の絵やわずかな文章から今でも記憶に残るのは,小学校国語の教科書に載っていた,木の幹の間を車が通っているセコイアの巨木の写真,「新彗星を発見」という池谷薫さんの新聞記事を紹介した小学校国語の教材,雪国の「雁木」の紹介,「瀬田の唐橋唐金擬宝珠 水に映るは膳所の城」という歌だったりするのである。

 さて,ここでの話題はセコイアの巨木であるから話を戻そう。
 私は教科書でセコイアのことを知って,この目で見てみたいと思った。ちょうどそのころ,日本でも,名古屋の東山植物園にセコイアの木があると聞いて楽しみに行ってきた。しかし,そこにあったのはセコイアでなくメタセコイアであった。
 メタセコイア(Metasequoia glyptostroboides)はヒノキ科メタセコイア属の落葉樹。一時日本を含む北半球で化石として発見されるのみだったので絶滅した植物と考えられていたこともある。だから,貴重な樹木には違いがないが,メタセコイアは子供心を傷つけるには十分な仕打ちであった。そもそも「メタ」という響きがよくないと思った。それ以来,私には「メタ=いんちき」というイメージしかない。そもそも,メタセコイアは落葉樹であるが,セコイアは常緑樹であり,パンダとレッサーパンダほど違う。
 セコイアとともに,私が子供のころに習ったことの多くは,アメリカの豪華さに比べて何もかもがインチキ,としか思えない日本の姿であった。

 セコイア(Sequoia sempervirens)はヒノキ科セコイア属の常緑針葉樹である。1821年頃にチェロキー文字を発明したチェロキー族インディアンの賢人セコイアにちなんで命名された。セコイア属はセコイアのみの1属1種である。
 セコイアは,コーストレッドウッド(Coast Redwood)と呼ばれる。また,セコイアスギ,センペルセコイア,アメリカスギなどとも呼ばれる。また,セコイアデンドロン(後述)との対比からセコイアメスギとも,さらには,葉の形が似ていることからイチイモドキとも呼ばれるが,モドキではセコイアが気の毒だ。
 ここで書いたセコイアデンドロン(Sequoiadendron giganteum)というのは,ヒノキ科セコイアデンドロン属の巨木で,セコイアデンドロン属の現生種はセコイアデンドロン1属1種のみである。セコイアデンドロンはジャイアントセコイア(Giant Sequoia)と呼ばれている。
 3番目の写真はこのセコイアデンドロン(ジャイアントセコイア)の松ぼっくり,通称シュガーパインコーンであるが,こんなものがごろごろと転がっていた。これを日本で買うと3,000円もするらしい。
 
 話がややこやしくなったので,そしてまた横道にずれたので,ここで整理する。
 実は,われわれが,そして私がここでセコイアと呼んでいるのは,前者の通称コーストレッドウッドと呼ばれるセコイアと後者の通称ジャイアントセコイアと呼ばれるセコイアデンドロンのふたつを混同している。そして,さらに,私が,いや,多くの人がもつセコイアのイメージは,むしろ,「セコイア(コーストレッドウッド)」ではなく「セコイアデンドロン(ジャイアントセコイア)」のほうなのである。
 巨木としての世界一は「セコイア国立公園」にあるセコイアデンドロン(ジャイアントセコイア)のシャーマンの木である。 樹齢は2,300年,高さ83.3メートル,重さ1,385トン。根元の直径が11.1メートルで根元の周囲は31.3メートルある。
 一方,高さとしての世界一は「レッドウッド国立公園」にあるセコイア(コーストレッドウッド)で,樹齢は約2,000年,高さ111.4メートル,重さ730トン,根元の直径が6.7メートルの木である。この木1本の蒸散水量は1日1,900リットル(牛乳びん1万本分)なので,この木のある「レッドウッド国立公園」の森は毎朝のように海からの霧に覆われ,森周辺に大量の雨が降りそそぐ。コーストレッドウッドは自らの力で雨をも降らせてしまうのだ。
 したがって,私は,これを調べながら,これまでは「レッドウッド国立公園」にはまったく興味もなかったが,セコイアの木を見たければ,「セコイア国立公園」に多くあるのはセコイアではなくセコイアデンドロン(ジャイアントセコイア)のほうだから,「セコイア国立公園」に行ったからには,次は,セコイア(コーストレッドウッド)の木が多くある「レッドウッド国立公園」にも行かねばなるまいと思うようになった。

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●グラント将軍の巨木●
 1,869平方キロメートルもの広さがある「キングズキャニオン国立公園」(Kings Canyon National Park) は1940年に設立された。
 この地は1800年代半ばから白人入植者には知られていたが,ジョン・ミューア (John Muir) が1873年にこの地を訪問するまで注目されることはなかった。
 その後,ある者は谷の西端にダムを建設しようとし,ある者は公園として保護しようとしたが,1965年に谷全体が「グラントの森国立公園」に編入されたときに,やっと国立公園としてその自然が守られるようになった。

 「キングズキャニオン国立公園」はふたつの地区から成り立っている。
 そのひとつのグラント将軍の森 (General Grant Grove) 地区は,グラント将軍の木をはじめとする天然のジャイアントセコイアが15,800本生えているレッドウッド山(Redwood Mountain Grove)のセコイアの森を保護している。
 もうひとつの地区は,公園の総面積の90%超を占める,グラント将軍の森の東に位置しキングズ川 (Kings River)の支流サウスフォークとミドルフォーク,サンワーキン川(San Joaquin River)の支流サウス・フォークの源流を形成している場所である。
 キングズ川の支流サウスフォーク,ミドルフォークにはいずれも大きな氷河谷がある。キングズキャニオンとして知られるサウスフォークの谷のひとつがこの公園の名前となっている。
 キングズキャニオンは,最深部の深さ2.4キロメートルで,アメリカで最も深い峡谷である。峡谷の東方には,公園の最高地点,高さ4,341メートルのノース・パリセード (North Palisade)を頂点とするシエラクレスト(Sierra Crest)の高峰があるが,この広大な場所は徒歩や馬以外で行く方法がない。

 ということだったので,私はまず,グラント将軍のセコイアの木を見にいった。
 グラント将軍の木は、園内では3番目に大きな木として知られている。この木の名は1867年,アメリカ合衆国第18代グラント大統領(Ulysses S. Grant)の名をとってつけられた。
 地元商工会の人がこの木を訪れたとき,横にいた少女が「この木がクリスマスツリーだったらどんなに素敵だろうに」と言ったのがきっかけで,ここでクリスマスイベントを行うことを第30代大統領C・クーリッジ大統領(John Calvin Coolidge, Jr)に提案し,1926年4月28日,この木を「国のクリスマス・ツリー」(Nation's Christmas Tree〉と宣言した。
 さらに,1956年3月29日,第34
代大統領ドワイトD.アイゼンハワー大統領(Dwight D. Eisenhower)は,この木を「国の神社」(National Shrine)と宣言し,現在クリスマスにイベントが行われている。

 木の高さは81.5メートル,根元の周囲は32.8メートル,根元の直径は12.3メートルもある。当初この巨木は2000年を超す寿命であると考えられていたが,最近では1,650歳であるといわれている。
 この木のある森には,さらに,倒れて中を通れれるようになった木や,火災で焼けた木,リー将軍の木,オレゴン,カリフォルニアなど各州の名のついた木がある。
 どれもすごく大きいのだが,みんな大きいので,私は,想像していたような「ああでかい」という感想をもたなかった。
 それよりも,もし,日本にこうした木があれば,おそらく神木としてまわりを紙垂(しで)をつけた縄で巻いたり祠を建てたりすることであろう。
 山の頂上にせよそれは同じで,日本人は自然をリスペクトしないで,傍若無人に破壊するくせに,やたらと神々しくするのだけは大好きだからである。

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●小学校の教科書にあったセコイアの木●
☆2日目 2018年6月26日(火)
 私が宿泊したホテルには朝食がついていた。朝早くから中国人なのか韓国人なのか,数人のグループがやってきて,いつものように,マナーもなにもなっていな傍若無人な振る舞いで朝食をとっていた。ほんとうに,世界中どこにいっても,これが一番いやになる風景である。
 朝食を済ませて,チェックアウトをして外に出た。早朝なのに,すでにずいぶんと日差しが強かった。

 この朝私が宿泊していたのはベーカーズフィールド(Bakersfield)というけっこう大きな町であった。ロスアンゼルスから北にインターステイツ5を走ってきたが,途中のウィラーリッジ(Wheeler Ridge)という町でインターステイツ5は州道99に分岐した。ベーカーズフィールドは州道99沿いにあったので,私は州道99に「曲がっ」た。いや,走っていたときに不思議だったのは,分岐するときにインターステイツ5が車線を減らして「曲がって」行き,州道99のほうはそのままメインロードだったことである。
 この朝,私はカーナビにバイセイリア(Visalia)と入力して,その指示にしたがって,州道99をさらに北に走っていった。カーナビは便利で,特に,アメリカの大都市はカーナビがないととても運転ができないが,欠点は帰国した後で,どこを走ってきたのかまるで覚えていないということである。
 走っている途中で「セコイア国立公園」という道路標示を見つけた。私の今日の目的地はこの「セコイア国立公園」なのだが,「セコイア国立公園」とその北の「キングスキャニオン国立公園」は隣接していて,私はまず「キングスキャニオン国立公園」から入って南に下ることにしていたから,この道路標示を見過ごして,さらに北上を続けた。
 やがて1時間ほどでバイセイリアに到着した。バイセイリアも思った以上に大きな町だったから,私は昨晩はここに宿泊したほうがよかったかな,と思った。そうすれば,今日の朝の1時間がもっと有効に使えたからだ。

 「キングズキャニオン国立公園」という道路標示が見えたのでそこで州道99を降りて,右にまわって州道198,そしてすぐに再び左折して北に州道63と進んだ。州道63は,同じ州道とはいっても片側1車線,しかも,あたりはずっとカリフォルニアワインのもととなるブドウ畑の中を走っていた。こんな農家のあぜ道のような(とはいっても,日本の道路とはけた違いに広いが)道路を走っていって,この先に目指す国立公園があるのかなと思いながら,州道を1時間以上進んでいった。私の他にほとんど車は走っていなかった。
 州道63は東西を走る州道180とのT字路になった。目的地は右折なので,右にまわると道はそのうちに上り坂となった。このまま州道180を進むと,やがてキングスキャニオン国立公園の北側の入口「ビッグスタンプ」(Big Stump)に到着するのだ。

 国立公園のゲートに到着したので入場料を払い,さらに進んでいくとビジターセンターに到着したのでそこに車を停めた。
 まずビジターセンターで情報の収集である。
 私がこの「キングスキャニオン国立公園」,いや,「セコイア国立公園」を目指した動機は,小学校のときの国語の教科書の1枚の写真であった。

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●時差がきつい歳になった。●
 カリフォルニア科学センターを出て,私はカーナビにしたがってすぐに州道110に入り,そのままインターステイツ5に乗って北上していった。今日予約したホテルがあるのはベーカーズフィールド(Bakersfield)という町である。
 こうしてすでに旅をしている段階であっても,私は,この旅の予定をまだ決めかねていた。この旅で私がしたかったのは,はじめの3日間はロサンゼルスから北上してセコイア国立公園とデスバレー国立公園に行くことであった。そして,後半の3日間はロサンゼルスからサンディエゴまで南下して,MLBを2ゲーム見ることと,パロマ天文台とウィルソン山天文台に行くことであった。

 このなかで,後半については確信があったが,前半があいまいであった。
 それは,私が思っていたよりもこの国立公園が遠かったからである。ロサンゼルスから車で5時間もかかるのだ。これはかなり意外であった。
 数年前なら,5時間くらいなんとも思わなかったが,なぜかこのごろ急にめんどうくさくなってきた。おそらく,走りはじめてしまえばなんということもないのだろうが -なにせ,つい3か月前に深夜のオーストラリア大陸をぶっ通しで7時間も走ったばかりだ- なぜかやる気が起きないのだった。
 そこで私は,ロサンゼルスから3時間ほど走ったあたりにある町で泊まることにした。そうすれば,次の日に行く気になるかもしれない。そんな程度漠然とした考えであった。
 そこで,ロサンゼルスとセコイア国立公園との中間あたりのベーカーフィールドという町を見つけて,そこに泊ることにした。
 
 インターステイツ5はロサンゼルスのダウンタウンを抜けるまではえらく渋滞していた。これは覚悟していたことだったが,やがて町を抜けると,ようやく快調に走りだした。
 途中で,昼食をとろうとジャンクションがあるごとに私はどのような店があるか看板を凝視するようになった。やがて1時間すぎて,60マイル,つまり100キロメートルほど走ったところに小さな町があって,そこにCarl's Jr. というハンバーガー店を見つけた。
 とある事情で,この旅ではアメリカのマクドナルド以外のハンバーガーチェーン店で食事をとることにしていた。小さな町の名はゴーマン(Gorman)といった。
 私は,こうした小さな町のほうが好きである。できれば,泊るのもこうした町にある全国チェーンのモーテルが望ましい。しかし,それがなかななうまくいかない。
 数年前まで私が旅行をしていたときにやっていたように,予約などしないでその場で探せばいいのだろうが,当日に探すのも面倒になって,近頃はネットで事前に予約をするようになってしまった。
 Carl's Jr.というチェーン店のハンバーガーはことのほかおいしかった。私がこの旅で最も印象に残ったのは,マクドナルド以外のハンバーガーチェーン店のハンバーガーはととてもおいしいということであった。

 再び走って,私はベーカーフィールドに到着した。ベーカーフィールドはアメリカによくある小都会であった。こういう町はたいていは落ち着いたきれいな町なのだが,たまに例外があって,非常に治安の悪い町であることがあるから要注意である。特にカリフォルニアは大都市と地方の貧富の格差が大きいから油断ならない。
 そうした心配をよそに,ベーカーフィールドはマシな町であった。予約してあったホテルは,古かったが思った以上に豪華であった。周りを宿泊棟が取り囲んで,中央にプールと庭があった。ちゃんとした朝食もついていた。
 この旅で泊まったなかで,唯一の豪華な? ホテルであった。

 問題は,めちゃめちゃ暑いということであった。これには参った。ベーカーフィールドはロサンゼルスよりも数倍暑かった。この先が思いやられた。
 チェックインを済ませ,あとはのんびりしようと思った。この晩,私が何を食べたのか思い出せないが,おそらく何も食べていない。それは,時差のせいである。時差ボケというのは感じないのだが,体内時計がめちゃくちゃなのであった。日本との時差は8時間,しかも東に向かうような旅をする歳ではなさそうだなと,しみじみ思ったことだった。

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