しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:タングルウッド

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 2021年12月18日の朝日新聞be版に,高樹のぶ子さんのエッセイ「あれから何処へ」で,タングルウッドのことが書かれてありました。その最後の部分を引用します。
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 私の心も,生まれてから長くあこがれ続けてきた自由と繁栄のアメリカを離れ,ヨーロッパへと移っていった。
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 タングルウッドはボストン郊外にあって,夏になると,ボストン交響楽団がこの避暑地に移動して音楽祭を行います。高樹のぶ子さんがタングルウッドを訪れたのは,小澤征爾さんがボストンを離れる2001年だったそうですが,私が行くことができたのは2013年のことでした。当然,すでに小澤征爾さんはいませんでしたが,タングルウッドにはセイジオザワホールがあり,また,展示室には,小澤征爾さんの資料がたくさんありました。
 小澤征爾さんはボストンの指揮者として功成り名遂げたので,私はどうしてウィーンに移ってしまうのか,当時は理解ができませんでした。それに,小澤征爾さんはウィーンにはなじまないと思いました。

 エッセイにも書かれているように,私も,アメリカに憧れ,ずいぶん旅行をしたものですが,その後,ヨーロッパにも出かけるようになると,アメリカという国こそが世界に開かれた自由の国,というイメージは幻想であるということに気づきました。そしてまた,アメリカに生まれたとしても,日本人は「よそ者」です。いや,日本人に限らず,私のアメリカに住む,台湾人やプエルトリコ人の友人たちもまた,その生き難くさを時々感じます。おそらく黒人の人たちも同様でしょう。
 アメリカでは,スポーツに限らず,ショーを見にいっても,必ずそこで称えられるのは,星条旗を背にした異様なまでの愛国心です。それが決していけないことではないのですが,その根源に垣間見られる,他を排除するような巨大な壁を感じます。
 このエッセイを読んで,これまで私がアメリカを旅するときになんとなく抱いてきたそうした違和感を思い出しました。そして,その後,2018年と2019年にウィーンに行って,2018年にはウィーン国立歌劇場でオペラも見た私は,今では,その当時の小澤征爾さんの気持ちがわかるような気がします。


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レナード彗星。

太陽を回り、夕方の西の空に現れました。
右上は金星です。
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Cold Moon.

12月の満月は最遠の月でした。
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 2018年9月6日にBSプレミアムで「世界わが心の旅」の再放送がありました。旅人は指揮者小澤征爾さん。題して「ボストン・家族のぬくもりの中で」。今から22年前の1996年に放送されたものです。
 このころのアメリカは本当にいい時代でした。おそらく,アメリカ建国以来,最高の時代だったと思います。すでに日本はバブル経済が崩壊して「空白の10年」がはじまり,街中には失業者があふれていましたが,アメリカは逆に,ITバブル経済と呼ばれる時代の幕開けのころでした。私はそのころに訪れたニューヨークの5番街で,星条旗がいたるところにはためいているのを見て,アメリカの強固な自信と誇りを感じて身震いした思い出があります。
 日本が誇る指揮者の小澤征爾さんがボストン交響楽団の音楽監督として活躍していたのもまた,そんな時代のアメリカでした。そして,この番組が収録されたころの小澤征爾さんは,ちょうど今の私の歳のころのことでした。
 そんなアメリカも,2001年に起きた,いわゆる「911」,アメリカ同時多発テロ事件ですっかりだめになってしまい,今は当時の面影もなく,殺伐としたとげとげしい国と化しました。

 私はこの番組を見て,いろんな感慨にふけりました。
 そのひとつは,人の老いです。
 私は昨年と今年,年老いた両親をあいついで亡くし,人の老いを目のあたりにしました。そして,この先,自分もこんなふうにして老いてゆくのだろうということを知りました。
 小澤征爾さんもまた,この番組の当時からはずいぶんと歳をとられて,今も指揮者として活躍はされていますが,当時の才気あふれる姿とは遠いものとなってしまいました。
 どんなに才能があろと,名声があろうと,人はだれしも老いるのです。そして,そのときに,過去の自分をどう感じるか,というのはひとそれぞれでしょうが,おそらく,自分は若き日に何かを成しえた,という充実感があればこそ,その先もまた生きていく勇気と力と希望をを与えてくれるものなのでしょう。

 ふたつめは,私のアメリカへの想いです。
 私は2013年,長年想いを募らせていた2度目のボストンにも,そしてはじめてのタングルウッドにも行くことができました。この番組を機に,再び,このときの旅を思い出して,そのときの旅が自分にはどんなに素晴らしいものであったかということを再確認しました。
 おそらく,このときの旅の経験があったからこそ,22年前に作られたこの番組を,深く,そして,いとおしく見ることができたのだと思います。
 1996年にこの番組が放送されたときに私がそれを見たかどうかは記憶にありませんが,おそらく,そのときに見ていても,行ってみたい,うらやましいという願望が強すぎて,今回見たときのような哀愁を私は感じることができなかっただろうと思います。

 いずれにしても,こうした気持ちを抱くようになれたことが,私の大きな財産なのかな,と思いました。やはり,人はこころで生きているものなのです。この番組の題名である「心の旅」というのは言いえて妙です。
 私が再びボストンの地を踏むことがあるかどうか今はわかりませんが,どちらにしても,こののち再びボストンに行っても,私が2013年に訪れたときのようなボストンへの想いを感じることはできないでしょう。そういった意味でも,そのとき,私もよい旅をし,よい思い出を残すことができたということを,この番組を通して再認識することができました。
 私は,その旅で感じた夢のようなタングルウッドの風の音と空気の香りを決して忘れることはないでしょう。私の心にも,ボストンは永遠に生き続けているのです。

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「おわらない夏」-おとぎの国タングルウッド
2013アメリカ旅行記-愛しのフェンウェイ①
2013アメリカ旅行記-雨のボストン⑤
春樹さんは「小澤征爾さんと,音楽について話をする」①
春樹さんは「小澤征爾さんと,音楽について話をする」②
春樹さんは「小澤征爾さんと,音楽について話をする」③
「おわらない音楽」-世界のオザワと途方もない人脈

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 今年の旅でさまざまなところを訪れました。そのどこもがとても素晴らしいところでした。アメリカの豊かさを感じました。
 その中で,もっとも思い出に残っているのは,フェンウェイパークでもヤンキースタジアムでもクーパーズタウンでもブロードウェイミュージカルでもバーハーバーの日の出でもなく,実は,タングルウッドなのです。
 まだ旅立ったばかりの旅行記なので,ダングルウッドが出てくるのはずっとあとのことですが,思い出が新しいうちに,その空気を少しだけ。
 タングルウッドは地名ではなく,ボストン交響楽団が夏の音楽祭を行う場所の名前です。
 日本の誇る世界の大指揮者で,30年以上ボストン交響楽団の常任指揮者だった小澤征爾さんの娘さん小澤征良さんの書いた「おわらない夏」というエッセイ集があります。 このエッセイ集は,彼女がその少女時代に過ごしたタングルウッドの様子を語ったものなのですが,この本の中から,タングルウッドに関するところを要約して紹介してみましょう。

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 1850年頃,アメリカ人作家ホーソーンはこの地の小さな家に住んでいました。ここで彼は,近くの森の名前をとって,"Tanglewood Tales for Girls and Boys"  を書きました。その後,この土地を所有した人物がこの名前をすっかり気にいて,自分の土地をタングルウッドとよぶようになったのです。
 月日は流れて,1936年,当時のこの土地の所有者,ウィリアムズ・タッペンは妻キャロラインとともにこの広くて美しい土地をボストン交響楽団と指揮者クーセヴィツキーに贈ることにしました。
 1938年8月4日に作らてたシェッド(掘立小屋)と呼ばれるメインコンサートホールは,まわりに壁のない扇形の巨大な白い建物で,音楽の合間に小鳥がさえずり木々にそよぐ風の音が聞こえます。外の芝生にも,人たちがテーブルやいすを並べ,音楽を楽しむことができます。
 1994年7月7日には,セイジオザワホールも作られて,木製のイスや床の美しい音響のホールとして,音楽を楽しむことができます。
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 タングルウッドがあるのは,ボストンからインターステイツ90を西に2時間30分ほど行ったニューヨーク州との境のレノックスという町で,約350エーカー(=1.4平方キロ,1エーカーは約1,224坪)の広大な土地は,湖や森に囲まれて,全面芝生張りのとても美しいところです。
 夕方5時頃になると,こんな山の中のどこにいたのだろうかとおもえるほど大勢の人たちが,のんびりと,この地に集まってきます。
 ゲートをくぐると,めいめいが森の木陰に,机やイスを広げて,ピクニックを始めます。
 やがて,午後6時,セイジオザワホールでは,フリーの演奏会が始まり,ボストン交響楽団のメンバーが室内楽を演奏します。ホールは開け放されて,外からも音楽を楽しむことができます。
 それが終了すると,コンサートの時間まで,散歩をしたり,食事を楽しんだり,語らったり,のんびりとした時間をすごします。
 定刻の午後8時30分,日が暮れて,まわりがすっかり暗くなったころ,シェッドでは,コンサートが開始されます。
 私は,自然の中,空気の音と楽器の響きが溶け合って,これほどモーツアルトの音楽を魅力的だと思ったのははじめてのことでした。音楽は,このように楽しむものなのだなあ,と思いました。
 音楽が終わるころには,夜空には満点の星たちが輝いていました。
 まさに,おとぎの国でした。
 音楽家を志す若い人は,ぜひ,一度,ここを訪れてください。人生観も音楽に対する気持ちも変わります。

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 ほほに風が心地よくあたるのを感じながら突然,その瞬間にわかった。
 私の一部分は確実にこの風のふく,小鳥の鳴くタングルウッドでできているのだと。
      小澤征良 「おわらない夏」
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1986年,このタングルウッドで起きた「奇跡」はあまりにも有名です。それは,当時14歳だった天才ヴァイオリニスト・五嶋みどりが,演奏中に2度もヴァイオリンの弦(E線)を切るという事故にもかかわらず,コンサートマスター,アシスタントコンサートマスターからヴァイオリンを借りて演奏を完遂したという出来事です。翌日のニューヨークタイムズの一面には「14歳の少女,タングルウッドを3台のヴァイオリンで征服」と報道しました。この話は,アメリカの小学校の教科書に取り上げられ,日本の高校の英語の教科書にも載っていました(1995年発行の「Genius English Readings」)。

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