【Summary】
Walking along Nakanocho Street, I visited Yoshiwara Shrine, a guardian of the Yoshiwara red-light district, and nearby landmarks like Hanazono Park and Yoshiwara Benzaiten. I explored Kasutori Shobo, a bookstore specializing in red-light district history, and saw cultural spots like Doteno Iseya and Nakaya. Finally, I visited Hiraga Gennai's grave and learned about his achievements.
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仲之町通りを南西に歩いてくと,左手に吉原神社があります。吉原神社は吉原遊廓を守護していた氏神様で,6つの神さまをお祀りしています。
かつて,吉原遊廓には入口と四隅に稲荷社が祀られ遊廓を守護していましたが,1881年(明治14年)にその5つの稲荷神社を合祀して誕生しました。当初は遊廓入口の旧吉徳稲荷社境内に祀られていましたが,1934年(昭和9年)に現在地に移転しました。
吉原神社を右手に見て進むと,台東病院のところで道路が南方向にカーブするのですが,そこにあるのが花園公園です。この日,花園公園では「江戸の華まつり」と題したお祭り行われていました。午前11時から午後4時までの開催で「観る,聴く,創る,遊ぶ,食す」を楽しめる江戸の魅力を体験できるイベント,ということです。
さらに行くと,左手(東側)の飛地境内地に吉原神社の境外末社として吉原弁財天があります。
吉原弁財天は明治期に創建された神社で,1935年(昭和10年)に吉原神社御本社に合祀されました。
境内には,1957年(昭和32年)の売春防止法の施行で幕を閉じた吉原遊廓の歴史を永く伝えるため,1960年(昭和35年)に建立された「花吉原名残碑」という石碑があって,多くの観光客でにぎわっていました。
吉原弁財天から道路を隔てた反対側(西側)にあるビルの1階に「カストリ書房」があります。
「カストリ書房」は遊廓専門の書店です。店主の渡辺豪さんは,2010年(平成22年)ごろに遊廓に興味をもつようになり,12年間にわたって趣味として遊廓の調査を行い,「全国女性街ガイド」の復刻などを目的として2015年(平成27年)に「カストリ出版」を設立,2016年(平成28年)に吉原大門の跡地近くに「カストリ書房」を開店したそうです。そして,2023年(令和5年)に現在の場所に移転しました。
少しの時間,店内に入ってみました。
私は,ここまで来て,再び,仲之町通りを引き返しました。それは,エレキテルで有名な平賀源内の墓に行ってみようと思ったからです。
土手通りまで戻って,左折すると,飛び込んでくるのが,「土手の伊勢屋」とそのとなりの「桜なべの中江」という店です。
「土手の伊勢屋」は天丼を主商品にしている店で,1889年(明治22年)創業。昭和初期に建てられた木造の2階建ての店舗は登録有形文化財に登録されているそうです。いつも行列ができているので,私は,まだ,入ったことがありません。
「桜なべの中江」は馬肉料理専門の老舗レストランです。店舗は1924年(大正13年)築100年になる登録有形文化財です。
私は,そこを通り過ぎて,日の出会商店街から東に歩いてきました。
平賀源内の墓は明治通りを隅田川に架かる白髭橋まで行く手前にあります。平賀源内の墓のある場所は入り口の門が閉ざされていましたが,説明書きを読むと,門を開けて中に入ってもよいことがわかりました。
エレキテル(摩擦起電機)を復元製作したことで知られる平賀源内は,1728年(享保13年)現在の香川県志度町に生まれました。実名は国倫。本草学,医学,儒学,絵画を学び,物産開発に尽力しました。
1779年(安永8年)誤って殺傷事件を起こし,小伝馬町の牢内で病死し,遺体は橋場の総泉寺に葬られました。総泉寺は1928年(昭和3年)に板橋区小豆沢へ移転しましたが,平賀源内の墓はそのまま残され保存されました。
こうして,今回,大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ゆかりの地を何となく楽しく歩いたのですが,浅草の台東区民会館にできるという大河ドラマ館は2月1日オープンということだったので,今回は行くことができませんでした。
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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは
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