【Summary】
Shostakovich's Symphony No. 7, composed during WWII, reflects the terror and oppression of war rather than a simple anti-fascist theme. Its evocative structure and emotional depth resonate deeply amid current global tensions, offering a mix of darkness, absurdity, resignation, and hope.
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以前,シャルル・デュトワさんがNHK交響楽団の音楽監督だったころに盛んにショスタコーヴィチの曲をとりあげていたので,今回のプログラムである交響曲第7番「レニングラード」も聴いたことがあるように思うのですが,私は,この曲を普段録音でも聴くことがないし,近年は演奏会でも取り上げられることが少ないから,はじめて聴くような気持ちでした。
第2次世界大戦の異常な状況下で作曲,初演されたこの交響曲は,当時のソビエト連邦のレニングラードの開放を賛美するような内容ではありません。作曲以来,反ファシズム闘争の象徴になっていたのですが,歓迎されたわけでもなく,前衛主義が隆盛した冷戦時代になって,この作品の評価は急落しました。しかし,近年の世界情勢を受けてその真価が見直されているようです。
ショスタコーヴィチはこう語っていました。
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(第7番の意味は)もちろんファシズムさ。でも真の音楽は,決してある主題に文字通りに結び付けられることは出来ない。国家社会主義は唯一のファシズムの形態ではない。この音楽はあらゆる形のテロル,隷属,精神の束縛について語っているんだ。
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第1楽章の提示部では,生命力に満ちた力強い第1主題「人間の主題」ののち,第2主題「平和な生活の主題」で極めて澄み渡った美しい主題が続きます。ところが,第2主題の高音のモチーフが現れて消えてゆくと,その静けさの中から,小太鼓のリズムが小さく小さく奏でられはじめ,やがて,象徴的になります。これが「戦争の主題」といわれる展開部ですが,まるで軍隊の行進で,ラヴェルの「ボレロ」のようです。「戦争の主題」は,小太鼓のリズムにのって楽器を変えながら12回繰り返されます。そして,小太鼓が途切れた時点で第1主題がもどってくると音楽が静かになり,再現部である戦争の犠牲者へのレクイエムの音楽が奏でられます。この楽章だけで30分あります。
第2楽章は複合3部形式で,ショスタコーヴィチが「回想」と名づけたスケルツォです。こうした楽章での指揮者のトゥガン・ソヒエフさんは魅力的です。とにかくリズムがいい。
第3楽章は美しい緩徐楽章で,ストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」第3楽章に似たコラールとバッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」を様式化した主題が現れ,唐突にはじまる中間部で鞭打たれながら行進するような激しい音楽は,戦争の痛みを喚起します。そして,アタッカで途切れずに第4楽章に続きます。
第4楽章では,冒頭で奏される2つの主題がサラバンド風のエピソードを挟みながら多彩に展開され,最後はバンダも加わって壮大な第1楽章の第1主題の循環を導き出します。このときの盛り上げ方は圧巻でした。
交響曲第7番「レニングラード」非常に長いのですが,聴きどころ満載で,充実感のあふれる曲でした。現在のきな臭い社会情勢の中で,ショスタコービッチが聴かれているというのは,人々が,その音楽の現実を直視する暗さの中で,ある種の滑稽さとあきらめがあるのにもかかわらず,そこに希望を感じることができるからなのでしょうか。聴いている我々に生きるということの意味を改めて問い直してくれます。
ソビエトの連邦の圧政の中で苦しみながら作曲を続けたショスタコービッチの音楽が,果たして,現在のロシアでも聴かれているのだろうか? と思ったことでした。それとともに,トゥガン・ソヒエフさんの母国への想いを感じて,悲しくなりました。はやく平和が訪れますように。
貴重な時間でした。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは
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