しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

タグ:ハワイ

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 私が近年ハワイに行ったのは,2020年2月でした。それ以降,海外旅行に行けていません。
 それ以前は,毎年のようにハワイに足を運ぶようになっていましたが,ハワイなんぞ,東京へ行くよりもずっと気楽でした。セントレア・中部国際空港からデルタ航空に乗って8時間ほど。ホノルルからはハワイアン航空に乗り替えて,ハワイ島,マウイ島などの島に渡り,空港でレンタカーを借りれば,常夏の島は私のものでした。ハワイは,国際免許証もいりません。そんなこんなで,気楽に外国を味わうことができたのですが,そんなころが懐かしい日々です。
 私はまだ当分は行く予定もないのですが,巷では,どうやら,今年のゴールデンウィークは,ハワイが人気,らしいです。多くの人は,2年も辛抱していたので,いてもたってもいられないのでしょう。とはいえ,そうした人たちの行くハワイは,砂をカリフォルニアから運んだワイキキビーチと銀座と変わらない日本人御用達のホノルルのダウンタウンでしょう。

 私は,そうした,多くの人の夢見るハワイ,とくにオアフ島とは違って,日本人観光客のほとんど無縁なハワイを堪能していたのですが,そうした旅の思い出から,行っておいてよかったと思うところも少なくありません。
 それは,このブログでこれまでも書いたように,カウワイ島では,ワイメア,ワイルア,ハナレイなどの大自然であり,マウイ島では,標高3,000メートルを越すハレアカラ山や古都ラハイナ,さらには,ハナであり,ハワイ島では,何といっても,標高4,000メートルを越すマウナケア山,カイルアコナからの夕景,そして,昭和の日本のようなヒロの町でした。
 しかし,本当に行ってよかったと今でも思うのは,モロカイ島でした。
 この,日本人の皆無な,何もない,しかも,さびれた島は,特に何をする,というものもなく,島をすべて観光しても,2,3日あれば飽きてしまいます。しかし,私には,その素朴さがたまりませんでした。

 中学生のころ,畑中幸子という人の書いた岩波新書「南太平洋の環礁にて」という本を読んだことがありました。
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 2か月に一度しか機帆船が廻ってこず,椰子からとれるコプラで経済を支えている小さな孤立した珊瑚礁の島プカルア。単身この島に棲み込むこと1年半,自給自足のきびしい自然の中で,島民と生活を共にしながら,彼らの生計のあり方や社会構造をさぐり,外部の近代社会とのつながりがどのようなものであるかをみきわめようと試みる。
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というこの本が書かれたのは,1967年のことでした。
 また,森村桂さんの書いた「天国に一番近い島」。こちらは1966年。
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 1年中花が咲き,マンゴやパパイヤがたわわに実る夢のような島。
 亡き父が幼い頃に話してくれた「天国にいちばん近い島」。思いがけず南洋の島ニューカレドニアへ旅立った「私」は…。
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というものですが,映画化もされました。
 現実はともかく,私は,こうした本が妙に好きで,とはいえ,憧れたのは,単にそんな南太平洋の島の浜辺でボーッと海を見ている姿だけだったのです。
 そうした島とは違いますが,そんな憧れをもっていた私の行きついた,何もない小さな島でボーッと海を眺めることが実現できたのが,このモロカイ島だったのでしょう。
 地球儀を思いうかべ,太平洋の真ん中の小さな島にいる自分を想像するだけでも,こんなしあわせが他にあったのだろか。いまでも,そう思うと,大勢の日本人が押し寄せるワイキキビーチではなく,だれもいないモロカイ島の海岸こそが,もっとも私には贅沢な旅の行先だったように感じます。

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 2020年もあと3日となりました。
 2020年は,2月までとそれ以降で世界が一変したおかしな1年でした。私は,2月にハワイのモロカイ島,3月にオーストラリアのアデレード,6月に白夜のフィンランド,8月にアメリカのアリゾナ州,そして,11月にチェコのプラハに行く計画を立てていたのですが,2月のハワイ旅行以外はすべてキャンセルになってしまいました。
 私が行こうと思っていたこれらのところは,おそらくほとんどの人には参考になる場所ではないと思うのですが,私には,練りに練ったうえで行こうと思った場所ばかりなのでした。私も,若いころは,多くの人と同じように,ニューヨークやパリなどの大都市やカリフォルニアのディズニーランドに興味があって,実際行ったこともあるのですが,歳を重ねると,次第に地球上の大自然に傾倒するようになりました。そこで,そうした場所に出かけて,ある種の孤独を味わいながら自由に過ごすことに魅力を感じるようになってきました。
 これまで出かけた場所で印象に残っているのも,そんな場所ばかりです。

 結局,今年行くことができた海外は,先に書いたように,2月のハワイのモロカイ島だけでした。この旅のことは,今,旅行記を書いています。それ以外行くことができなかったところの代わり,というわけではないのですが,7月に北海道に行ってきました。
 2020年3月に発見されたネオワイズ彗星(C/2020F3 NEOWISE)が急激に明るくなって,7月下旬にはまれに見る明るさとなりました。しかし,連日の悪天候でまったく見ることができず,全盛期を過ぎそのまま暗くなってしまいそうでした。そのために,急に思い立って日本で唯一晴れていると思われた北海道に行ってきたわけです。

 この,突然行った北海道旅行は最高でした。まだ「Go To Travel」がはじまっていなかったという時節柄もあって,観光客がほぼ皆無だったというのがきわめて幸運でした。おそらく,こんなすばらしい旅はまた行ったとしてもできないことでしょう。
 北海道とはいえ,多くの人が考える函館とか札幌とは違って,私が行ったのは留萌でした。そして,少しでも条件のよい場所でネオワイズ彗星をみようと,人のほとんどいない大自然の中をドライブして,サロベツ原野まで行きました。
 夜の北海道を走っていると,以前,深夜のオーストラリアを走ったときのことを思い出して,海外旅行気分を味わうこともできました。また,北海道の小さな町はハワイのモロカイ島の町カウナカカイのようでした。今日の写真の1番目と2番目はハワイ,3番目と4番目は北海道ですが,似ています。
 私は,このように,人のほとんどいないところで過ごすことに究極のやすらぎを覚えるようです。
 もし,予定通りに海外旅行をしていたら,北海道旅行をしていなかったと思うと不思議な気がします。ネオワイズ彗星の鮮やかな姿をみることもなかったかもしれません。
 私にとって,2020年もまた,多くのすばらしい思い出ができた年となりました。

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●50州制覇の最後に残ったはずの州●
 2020年はコロナ禍で大変な年になった。
 そんなことになるとは夢にも思わず,私は,2020年も,それまでの数年間と同様に年に6,7回の海外旅行をしようとさまざまな計画を立て,そのうちの数回の旅ではすでに航空券も手配していた。そのはじめが2月下旬のハワイ旅行であったが,幸いなことに,この旅は,ぎりぎり間に合った。しかし,それ以降の計画はすべてキャンセルになってしまった。まさか,2月下旬のハワイ旅行をもって,当分海外に出かけることが不可能になるなんて,夢にも思わなかった。
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 私の2020年春のハワイ旅行は,2020年2月20日から2月24日までの3泊5日で,行先はモロカイ島だった。ハワイ好きの日本人は多いが,さすがにモロカイ島に行ったことのある人は少ないであろう。ハワイ6島制覇を目的にした私にとって最後に残ったモロカイ島とラナイ島だったが,そのなかのひとつであったモロカイ島に念願かなって行くことができたのは幸運であった。モロカイ島は私には最高のハワイであった。
 そこで,今日からは,このハワイ旅行の旅行記を書くことにする。とはいえ,すでに,この旅行については「特別編・2020春アメリカ旅行LIVE」に結構詳しく書いたので,この旅行記では,2020年のハワイ旅行に加えて,これまでに何度か行ったハワイ旅行についても,それ以後の経験をもとに,さまざまな面から書いていくことにしたい。
 キャンセルになってしまったそれ以降の旅行については,いずれ「2020幻の旅行記」として書くつもりだ。

 私はずっとアメリカ合衆国50州制覇を夢見てきたが,ハワイ州は最後まで残り,48州目でやっと行くことができた。そのこともすでに何度も書いた。私がハワイ州に最後まで行こうとしなかったそのころの理由は,今当時のブログを読み直すとお恥ずかしい限りであるが,それは,ハワイなんて日本人ばかりで行きたくない,というものだった。ハワイ,ハワイと世の人が騒げば騒ぐほど,へそ曲がりな私は,行きたくなくなっていた。興味がなかったから,ハワイ州には主な島がいくつあるかすら知らなかった。
 ただし,唯一マウナケア山(Mauna Kea)だけは行ってみたかった。それは,マウナケア山の山頂にあるすばる望遠鏡に興味があったからである。望遠鏡本体は無理としても,せめてそのドームを見てみたいと思っていた。しかし,マウナケア山がハワイのどこにあるかということすら認識がなかった。そこで調べてみると,マウナケア山はハワイ島にあると知り,また,多くの人に聞くと,ホノルルのあるオアフ島以外は日本人はあまりいないよ,ということだった。
 ならばということで,はじめてのハワイ州で,私はオアフ島ではなくハワイ島に行くことにしたのだった。


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 私は,ゴールデンウィークの間,新たな「ときめき」とその持続を求めて過ごしていたら,これまでに出かけた旅について,さまざまなことを思い出しました。
 旅というのは誠に不思議なものです。旅をしているときにはさほど感動がなくとも,帰ってからしばらくするとまた行きたくなる場所もあれば,かなりの想い入れがあってそれが実現した時点では満ちたりた感があったのに,時間が経つとほとんとその記憶に残っていない場所があったりするのです。特に,想い入れが強ければ強いほどそれがかなった後ではほとんど記憶に残らないもののようです。
 そんなわけで,私にも意外なのですが,このごろ再び行きたいなという想いがさらに募ってきたのがハワイ島なのです。この春に出かけたマウイ島は確かにとてもよいところでした。自然もいっぱいあったし過ごしやすかったし星もきれいでした。しかし,なぜか,マウイ島にはまた行きたいとは思わないのですが,昨年の春に行ったハワイ島への想いは募るばかりなのです。
 その理由は,マウイ島にはハワイアンミュージックが似合わないからです。しかし,どうしてそう思うのでしょう? それに比べたら,ハワイ島はとてもハワイアンミュージックが似合うのです。それは,私が宿泊していたカイルアコナからハワイ島の西海岸をドライブしていたとき,ラジオから流れていた「Over the Rainbow」それが本当に素敵だったからなのです。

 「Over the Rainbow」は本来はハワイアンミュージックではなく,ミュージカル映画「オズの魔法使」(The Wizard of Oz)でジュディ・ガーランド(Judy Garland)が歌った劇中歌でしたが,のちに,ハワイ州出身のシンガー,イズリアル・カマカヴィヴォオレ(Israel Kaʻanoʻi Kamakawiwoʻole)が1993年に発表したアルバム「Facing Future」にハワイアンにアレンジした「Somewhere Over the Rainbow / What a Wonderful World」を収録し,数多くの映画やテレビ番組,及び広告で使用されるようになったものです。
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  私には「Over the Rainbow」で思い出すテレビドラマのシーンがあります。それは「ER」の第8シーズンで描かれたドクター・グリーンの死です。このシーンは15シーズンまで続いた「ER」のなかでも特に素晴らしかったシーンとして有名です。死期を悟ったドクター・グリーンことマーク・グリーン(Mark Greene)は再婚した妻エリザベス・コーデイ(Elizabeth Corday)とその子エラ(Ella=エラはエリザベス・コーデイを演じたAlex Kingstonの実の子供が出演),反抗期で手のやける娘レイチェル(Rachel)を連れてその最後の時間をハワイで過ごすのです。そして,そのシーンで「Over the Rainbow」がバックミュージックとして流れ続けるのです。
 私がこのドラマを見たときには,まだ,ハワイには全く想い入れがなかったのですが,実際にハワイに出かけて,ラジオから「Over the Rainbow」が聴こえたときに,このシーンが浮かんできたのです。
 このシーンが撮影されたのは,ハワイ島ではなくオアフ島の真珠湾戦艦ミズーリやカウアイ島の浜辺だそうですが,そんなことよりも,イメージとして描かれていた素朴なハワイは,まさに,私の走っていたハワイ島の西海岸そのものでした。
 私は,実際の景色はそれほどでもない日本の旅はこころで感じるものだといつも書いていますが,海外に出かけても,やはり,旅はこころでするもののようです。だからこそ,私は今でも,ハワイ島と 「Over the Rainbow」とMark Greene が重なって想いが募るのです。きっと,そうしたさまざまなことが新たな「ときめき」となって,また旅に出かけたいという情熱につながっていくのでしょう。

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Dear ER Gang,
So here I am out on the beach at 5:30 in the evening. Elizabeth is sitting with me drinking juice, but I'm all about the Mai Tais. The sun is going down; Rachel is dipping Ella's toes in the ocean as they head off on a quest to find the perfect seashell. Weirdly enough, I find myself thinking, you know what would make this moment complete? Some jogger dropping to the sand, short of breath, so I can swoop in with a piece of bamboo to perform a nice clean intubation, fix the guy up and send him off with a good dispo. Which, I guessis my way of saying that I miss you all and that dingy place. Lots of times I thought I should have chosen a different career or gone into private practice, something easier, less grinding, more lucrative, but since I've been gone, I realize that outside of what I am doing right now, sitting on this beach with my family, staying at County are those years, doing what we do on a daily basis was the best choice I ever made. I know what your thinking, but trust me, it's not hard to appreciate once it's over. As much as part of me would like to believe that the ER can't go on without me, the smarter part realizes that you are an incredible group of doctors and nurses who approach everyday with skill, compassion, and thoroughness, that when it comes to patient care, I know my absence will hardly be felt. As for friendship and comradery, well that's another matter. In order to leave, I had to go the way I did, but I wouldn't want any of you to think that meant I didn't value each of you and the years that we worked together, or that I didn't have things of a more personal nature to say. Most of you, I think, have an idea of what those things might be without me writing them down, but still... Ella is laughing and waving for me. Rachel found her shell.
Mark
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Mark died this morning at 6:04 a.m. The sun was rising, his favorite time of day. I sent this on so that you might know he was thinking of you all and that he appreciated knowing you would remember him well.
Elizabeth
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「ヨブ記」-光への道を知っているか
「ER XV」-私もある決意をした
「不良老人」の勧め⑦-「ときめき」こそが生きる糧


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